天気が良くないですね。ここ10日ばかり雨が降ったり、曇りの日が多く、太陽が顔を
出していません。早くいい天気になって欲しいです。
さて、米沢藩9代目藩主上杉治憲(はるのり)は10歳で養子として、はるばる九州
宮崎の地から山形米沢の地へやって来ます。17歳で藩政を任せられ、成功しますが、
それも28年で引退、35歳の時に隠居します。その時に名を鷹山(ようざん)とします。
隠居後も養子とした治広の後見役として、藩の政治を指導し72歳にその生涯を閉じま
した。武士としてより、政治家として日本の歴史に残る稀有な存在感を示しているのは、
ケネディ大統領がこの時代に民主主義を唱えたサムライが存在したことに驚き、賞賛
していることでもお分かりいただけるでしょう。
みずから木綿の服を着て質素倹約に励み節約、産業を起こして利潤を追求、藩財政の
再建に成功したのでした。
「なせば成る なさねばならぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬなりけり」
伝国の杜(もり) 米沢市上杉博物館が中にあります。上杉の歴史を学べるところです
が、到着した時は午後4時30分を過ぎていて時間がなく、翌日は朝5時起床し散歩したが、
9時開館までは待てず、とうとう見学することは出来ませんでした。
この日は上杉神社に隣接する広大な駐車場で車中泊。市街地だったけど、うるさくなく
静かな夜を過ごし、気持ち良く朝を迎えることが出来た。
実はここ米沢は、伊達正宗の生誕の地です。江戸時代上杉氏が治める前は、伊達氏
が室町時代から212年間城を構えて治めていました。だから500年近く城下町として繁栄
していたのです。
上杉神社は6時開門。
正面の扉は6時に開き、
参拝することが出来ました。朝早くから散歩したり、お参りする方が多く、出会うたびに
「おはようございます」の挨拶があり、嬉しくなります。もちろん、こちらも「おはよう ござ
います」を返しますよ。
上杉記念館です。旧上杉伯爵邸で、鶴鳴館と称されました。明治維新後、四民平等の
時代に武士階級はトップが華族、他は士族へ。大名は華族として貴族階級になったの
ですね。今は予約制の高級レストランになっています。米沢伝統の郷土料理を味わえ
ます。
JR米沢駅です。7時前でしたが、通学の高校生が結構いました。朝早くからご苦労様です。
昨日写真で紹介した直江兼続(なおえかねつぐ)についてひとこと。
米沢藩初代藩主となった上杉景勝とともに、直江津から会津、そして米沢へと行動をともに
しています。米沢の礎を築いた景勝の執政で、1588年豊臣秀吉から「天下の治世を任じ得る
人物」と絶賛したほど。徳川家康から景勝にかけられた謀反の嫌疑にも理を持って堂々と反論。
これが世に有名な「直江状」です。君主・領民のために心血を注ぎ、60年の生涯を閉じるまで
米沢の礎を築いたのです。
明日は日本史から離れて久しぶりに自然の絶景をご覧下さい。山に行きます!
ではまた明日
出していません。早くいい天気になって欲しいです。
さて、米沢藩9代目藩主上杉治憲(はるのり)は10歳で養子として、はるばる九州
宮崎の地から山形米沢の地へやって来ます。17歳で藩政を任せられ、成功しますが、
それも28年で引退、35歳の時に隠居します。その時に名を鷹山(ようざん)とします。
隠居後も養子とした治広の後見役として、藩の政治を指導し72歳にその生涯を閉じま
した。武士としてより、政治家として日本の歴史に残る稀有な存在感を示しているのは、
ケネディ大統領がこの時代に民主主義を唱えたサムライが存在したことに驚き、賞賛
していることでもお分かりいただけるでしょう。
みずから木綿の服を着て質素倹約に励み節約、産業を起こして利潤を追求、藩財政の
再建に成功したのでした。
「なせば成る なさねばならぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬなりけり」
伝国の杜(もり) 米沢市上杉博物館が中にあります。上杉の歴史を学べるところです
が、到着した時は午後4時30分を過ぎていて時間がなく、翌日は朝5時起床し散歩したが、
9時開館までは待てず、とうとう見学することは出来ませんでした。
この日は上杉神社に隣接する広大な駐車場で車中泊。市街地だったけど、うるさくなく
静かな夜を過ごし、気持ち良く朝を迎えることが出来た。
実はここ米沢は、伊達正宗の生誕の地です。江戸時代上杉氏が治める前は、伊達氏
が室町時代から212年間城を構えて治めていました。だから500年近く城下町として繁栄
していたのです。
上杉神社は6時開門。
正面の扉は6時に開き、
参拝することが出来ました。朝早くから散歩したり、お参りする方が多く、出会うたびに
「おはようございます」の挨拶があり、嬉しくなります。もちろん、こちらも「おはよう ござ
います」を返しますよ。
上杉記念館です。旧上杉伯爵邸で、鶴鳴館と称されました。明治維新後、四民平等の
時代に武士階級はトップが華族、他は士族へ。大名は華族として貴族階級になったの
ですね。今は予約制の高級レストランになっています。米沢伝統の郷土料理を味わえ
ます。
JR米沢駅です。7時前でしたが、通学の高校生が結構いました。朝早くからご苦労様です。
昨日写真で紹介した直江兼続(なおえかねつぐ)についてひとこと。
米沢藩初代藩主となった上杉景勝とともに、直江津から会津、そして米沢へと行動をともに
しています。米沢の礎を築いた景勝の執政で、1588年豊臣秀吉から「天下の治世を任じ得る
人物」と絶賛したほど。徳川家康から景勝にかけられた謀反の嫌疑にも理を持って堂々と反論。
これが世に有名な「直江状」です。君主・領民のために心血を注ぎ、60年の生涯を閉じるまで
米沢の礎を築いたのです。
明日は日本史から離れて久しぶりに自然の絶景をご覧下さい。山に行きます!
ではまた明日