函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めて「ぼうけんの旅」は今年で11年目に突入。 車中泊中心の貧乏旅行の旅、今年で72歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 いよいよ「2024年ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです!

2024年が明け今年は72歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!軽バン一人旅の始まりです。

2013年10月

 神無月10月も今日で最終日、明日からは霜月11月となります。1年はあっという間に
終わります。人生も同じ。やり残して後悔するよりも、失敗してもいいから実践した方が
良いに決まっている。月日が経つのは早いもの、人の一生もあっという間にやってくる。
 行きたいところはたくさんあります。今シーズンは今回にて終了、来年の新たな旅を
研究するため、冬籠りに入ります。旅するのに、たくさんの知識は必要ですからね。それと、
体力。昨日は、筋力強化のために、ゴム・チューブを買ってきました。さっそく、なまった体
にムチを入れてトレーニング。来春に向けて、少しは筋力アップしなくてはネ。

 さて、来月、といっても明日からは11月ですが2日の土曜日、ラグビーの世界最高峰、
ニュージーランドのオールブラックスが来日し、日本代表と対戦します。
東京・秩父宮ラグビー場で戦う日本は世界ランク15位。過去の対戦成績は日本の0勝4敗。
特に、1995年のワールドカップでは145失点という大会記録にもなっているほどの惨敗。
 クリント・イーストウッドの監督した映画、マッド・デーモン主演の「インビクタス・負けざる者たち
の1シーンの中に日本が、ニュージーランドに大敗した場面が出てきます。(映画は、南アフリカ
の黒人指導者であり、ノーベル平和賞を受賞したネルソン・マンデラ氏の人生を描いていて、ア
パルトヘイト廃止後の民主化された南アフリカの初の黒人大統領となったこと、その南アフリカで
初の国際スポーツの祭典であるラグビー・ワールドカップが開かれることなどを中心に描かれて
います。)
 試合チケットは、販売から1時間半で完売。もちろんテレビでも生中継されますが、日本代表の
監督であるエディ・ジョーンズヘッドコーチは今脳梗塞で入院中。大丈夫でしょうか?
 その日本代表に何人も送り込んでいるのが、ヤマハ発動機と東芝のトップリーグ上位の2チー
ム。盛岡で対戦がありましたので、観戦に、当然ヤマハの応援も!no.5は笠原雄太、私の甥っ
子です。
RIMG2242



















 この写真だけは第1試合のキャノン・イーグルスクボタ・スピアーズ。赤がキャノンで
函館出身の菅原選手(ラサール高校から同志社大学)がいます。クボタには萩原選手(
函館工業高校から流通経済大学)もいます。
RIMG2243



















第1試合の結果は、クボタ・スピアーズの逆転勝ち。さて、第2試合の始まり。まずは挨拶から。
RIMG2244



















 赤が東芝ブレイブルーパス、青がヤマハ発動機ジュビロのジャージ。フォワード8人
の平均体重はともに100kg以上。笠原雄太は身長186cm、体重105kgはあるけど、
フィールドに立つとみんな同じかそれ以上の体つきなので、目立たない。190cmを越す
大男もいる世界です。ヤマハの最高は191cmのモセ・トゥイアリイ選手。それでも、レフ
リーの近くにいるスクラムハーフの2人は大きくはない。ボールを入れる東芝のSHとその
横に立つヤマハのSHですね。東芝の吉田選手(東海大学出身 31歳)は172cm。ヤマハ
の池町選手(立命館大学出身 25歳)は169cm。
RIMG2245



















 前半は10-5で東芝リード。後半は完全にヤマハペース。28-7で後半は圧倒し、結局33-17
で久しぶりにヤマハは東芝に勝利しました。ちなみに40分ハーフで行われているので、80分の
試合時間。12時から第1試合が始まっていたおり、第2試合は2時から、すべて終了したのは4時を
過ぎていました。もっとも、試合開始前の10時から、球技場に到着し、練習風景を見ていましたので、
ここには6時間もいたことにありますね。その甲斐あってか、メインスタンドの中央で、一番前の席を
取れました。日本のトップリーグの2試合を見れて2500円とは安いものです。感動しました。
RIMG2246



















戦い終わって引き上げてくるヤマハの選手たち。前列真ん中はフルバックの五郎丸歩選手。
日本代表で、背番号15、昨年の得点王。佐賀工業高校から早稲田大学。早稲田の学生日本
1の主役です。
RIMG2247



















戦いに勝利し、みんなの顔は笑顔。真ん中左側に直立している選手が笠原選手。背番号5。
背番号1は山本選手(近畿大学出身、181cm、116kg 22歳。新人ですね。)
RIMG2248



















右端が清宮監督です。早稲田大学の監督として何度も日本1に輝いたラグビー界では超有名な
人物です。背番号7が今季のキャプテン三村勇飛丸選手(明治大学出身、24歳)。no.6はデウォウト
・ポトヒエッター選手(26歳、身長190cm、体重108kg)。no.14は田中渉太選手(早稲田大学出身、
170cm、体重77kg 、26歳)
RIMG2249



















笠原選手がど真ん中にいますね。右から二人目が曽我部選手(早稲田大学出身、29歳、
178cm、体重78kg、スタンドオフ、スクラムハーフをやる時も)
RIMG2250



















外国人選手も4人いました。東芝にも4人登録されていましたので、4人までベンチ入り
出来るのかな?ほかにトレーナーやスタッフが何人もいて、レギュラー以外の関係者の
頑張りがなければチームとしては勝てない、と思うほど。自分の役割をしっかりと果たし
ているのですね。
RIMG2251



















最後に、お手伝いしてくれた、地元岩手県の7人制ラグビーの女子選手も加わり、ピース
後列左から3人目が笠原選手。その隣が五郎丸選手。右端の両腕タトゥーを入れているのが
マレ・サウ選手(25歳、トンガロア高校出身、184cm、98kg)。
というわけで、東京の友人のみなさん、東京で試合がある時は、是非秩父宮へ足を運んで
ヤマハを応援、初のトップリーグ優勝に力を貸していただければ嬉しいです。
 11月2日のニュージ-ランド・オールブラックスと日本代表の試合、今から楽しみです。東京
まで見に行きたいほど。勝利は難しいけど、差がどれだけつくか?一方的な試合展開ならず、
接戦になることを期待しています。夏にはウェールズに勝利しただけに、絶対勝てないわけでは
ないのだから。
では、明日11月。また再び!    

 今朝のBS・NHK7:45からの火野正平さんの「こころの旅」を見ていたら、4月に
ボランティア活動した土地を自転車で走っていました。宮城県南三陸町戸倉の藤浜
です。気仙沼市から国道45号線沿いを南下、内陸へ行く道の国道45号線と別れ、
海岸線をさらに南下する国道398号線へと道を変える。角地には仮設のコンビニが
あります。そこから数km、旧藤浜小学校の元グランドがあり、閉校記念碑もあります。
グランドには、仮設の様々建物が建てられており、さらに数百メートル行くと食堂があ
って、そこが4月、5月にボランティア活動の拠点にしたところです。そこのご主人藤田
力(ちから)さんが、火野さんと一緒にテレビに出ていました。
 うれしいですね。とても元気で!少しずつ復興している感じですね。良かったです。
旅して訪れたところを取り上げてくれてくれて、今テレビの前で見れる、懐かしい思い出
となっていますし、旧知の人たちの元気な姿を拝見できただけでも、良かったです。
いろいろなことが思い出されて、懐かしさが込み上げて来ます。

 さて、盛岡ラグビー場へ行く前に立ち寄った石川啄木記念館。彼が学んだ小学校も
ありました。
RIMG2241



















周辺を散策して見ると、啄木が少年時代、18歳まで過ごしたお寺の「宝徳寺」が記念館から
100mの距離にありました。ところで、啄木の名の由来はご存知ですか?お寺の境内に住み
着くキツツキからきています。キツツキを漢字に変換すると啄木鳥となります。つまり、啄木の
鳥ですね。
RIMG2237




















お寺の境内には、啄木に関する碑や父に関する碑が幾つかあり、さらに本堂に近づくと。

RIMG2238




















なかなか立派な本堂です。

RIMG2240




















ここに、その啄木鳥(きつつき)の由来が紹介されていました。
RIMG2239



















函館とも非常に縁の深い、啄木。彼のふるさとを少しだけでも見ることが出来た、と。
盛岡市の中心部から15kmくらい北に位置しており、国道4号線沿いにあるが、少し奥
まったところなので、騒音は和らぐし、トイレもある。今夜はここで、車中泊だ、と勝手に
決めつけラグビー観戦後、真っ暗になった盛岡市を後に夜7時過ぎここに戻ってきます。
車中泊は、最初の時こそ緊張して寝付くことが出来ず、寝不足でしたが、慣れてくると
どこでも気にせずに寝ることが出来るようになりました。雨の日もまったく気にならずに。
ただし、寝床は完全にフラット。少し、改造して板を敷いて、その上にマットを。マットは銀
マットではなく、アウトドア専門のチョット高価な代物です。寝袋は羽毛の冬用、ホテル代の
数日分くらいはしました。でもしっかり手入れをすれば、一生もんです。予約をする必要も
ないし、いつでも、どこでも、それこそホテル・旅館のない場所でも、峠でも高原でも、最高の
絶景ポイントで、満天の星空を眺めながら寝ることが出来ます。一人ぽっちで、危なくないの
か、寂しくないのか、とよく質問されますが、逆に都会で車中泊する方が危険がいっぱいじゃ
ないかな?とも思います。もちろん安全性には十分配慮して、車中泊する場所を選択します
が、これからも車中泊は止められないですね。

 明日は、ヤマハ発動機vs東芝の試合を紹介します。
それでは、また明日 

昨日の北上川源流の続きです。国道4号線から東へ、山間部を道路標示に出ている通りに
数km走りたどり着きます。歴史を見ると、昨日も伝えた通り古くから知られているのですね。
弓(ゆ)はずの泉」には、神社が建立されている。弓はずとは、弓の先端をさす。蝦夷をやっ
つけるために、平安京から派遣されてやってきた朝廷軍の総大将が、のどの渇きを潤すため
に弓はずで突いたところ、そこから水が湧き出た、という伝説の場所です。そこが源流となって
います。
RIMG2231



















新奥の細道も設定されていますね。旅していて、今の時代あちこちに歩く道が出来ています。
エコな時代ですね。歩くという、一番シンプルな旅の仕方はとても素敵です。歩きたいのですが、
車で来ているために、戻らねばならないのが悩み。1周出来るコースなら良いんですけどね。
RIMG2232



















ここから南へ流れ、流れて太平洋へ注いでいます。全長200kmを越す東北最大の大河、

それが北上川です。宮城県石巻市が最終地点。河口があるところです。あの大川小学校
は河口から4km離れた川の直ぐそばに建てられています。
RIMG2233



































コンコンと湧き出ている泉です。水も冷たく、まさにここが源流、といった感じです。
RIMG2234




















RIMG2235



















 と、いうわけで北上川源流を探索するミニツアーを終え、県都盛岡市へと向かいます。
源流の場所は岩手町にあります。岩手町は旧沼宮内町。沼宮内高校は、小さな町にも
関わらず高校ホッケーの強豪校です。公立の、しかも少人数の地方の高校なのに男女
とも全国でいつもトップクラスの高校。日本1に輝いたこともあります。そんな、地方の高校
っていいですね。何か一つでも日本1のものを持っているのは。きっと指導者が良かったで
すね。最近は沼宮内高校のグッド・ニュースが耳に入らないのは残念です。
RIMG2236



















 2038.1mという2000mを越す山、岩手県を代表する山、それが岩手山です。南部富士とも
云われています。綺麗な成層火山の形です。典型的なコニーデ火山。日本の約7割は富士山
に似たコニーデ型の形をしています。だから、全国にナントカ富士があるのです。
 まだ、稲刈り前ですね。
 ここは、日本最大の村、滝沢村です。盛岡市の北隣にあり、人口なんと5万人。日本1村とし
ては人口が多いのです。が、来年4月には市へと昇格します。盛岡市の人々が、土地の安い
滝沢村へ家を建てて、移り住み人口が増えたんですね。ちなみに、盛岡市は30万人あります。
もっとも、市といっても最少の市は、北海道歌志内市の人口4000人、夕張市の9000人など
1万人を切る都市もあるんですよ。函館の隣町の七飯(ななえ)町は3万人を軽く越えています。


 明日は、ラグビー観戦・応援後、車中泊することになった盛岡市の旧玉山村、その昔渋民村
といえば石川啄木のふるさとですね。そこの啄木記念館、渋民村尋常小学校旧校舎、宝徳寺
を紹介します。国道4号線沿いにある記念館の駐車場にこの夜寝ることにあったのですが、そ
のことはまた明日 

 昨夜は、岩手県一戸町の町役場の駐車場にて車中泊。IGR(いわて銀河鉄道・・・
Iは岩手県、Gは銀河~宮沢賢治の銀河鉄道から、Rはレイルウェイの意味。)一戸
駅のすぐそばにも関わらず、意外と静かで星も見え、初日としてはぐっすりと寝ること
が出来た。
ところで、青森県には八戸市始め、三戸町、五戸町、六戸町、七戸町の5市町があり
ます。一方、岩手県には二戸市、九戸町、そして私が宿泊した一戸町の3市町があり
ます。が、四戸はないのです。やっぱり、四は嫌われるのでしょうか?
鉄道は、依然JRだった東北本線は新幹線開通とともに第3セクターになり、岩手県部
分はいわて銀河鉄道、青森県部分は青い森鉄道となりました。ただ、青森県野辺地
から大湊まではJR東日本が走っています。八戸市から岩手県久慈市までもJR東日本
八戸線が走っています。久慈市から宮古市までは、ご存じ第3セクターの三陸鉄道北
リアス線
が走っていますが、そのことは後日詳しく紹介します。
 さて、今日の最初の写真は、IGR奥中山駅。
RIMG2227



















40年前、この駅から歩いて(当時は歩くしか交通手段がなかった)45分かかった西岳(1018.1m)
の中腹に、奥中山ユースホステルがあり、そこでヘルパー(お手伝い)をしていた思いでがあります。
学生時代、1,2年生の時にあれほど激しかった学生運動が急に収束し、学校は管理され窮屈な雰
囲気となった。そんな時に空気のまったく違う、東京の喧騒とした大都会から逃げるように北へ旅し
て来て、たどり着いたのがここ奥中山でした。
もっとも、今の奥中山は、バブルの頃に建てられたホテルなどリゾート地に変わり、そして今は閑古
鳥が鳴いている、宴の後のようになっています。残念なことですが・・・。
正確には奥中山高原駅となっていますね。
 さて、駅から、陸羽街道(奥州街道)の名を持つ国道4号線を2kmほど南下し、岩手町に入った
地点に、北上川源流の看板があり、行って見ました。もう少し南下すると、北緯40度のラインがあり
公園となっています。
RIMG2228



















東北最大、日本で第5位の長さを持つのが北上川。ちなみに1位は信濃川(367km)、2位は
利根川(322km)、3位は石狩川(268km)、4位に同じ北海道の天塩川(256km)、そして第5
位となっています。
RIMG2229



















なんと、坂上田村麻呂(さかのうえのたむろまろ)の名が出てくる。ということは、797年の平安京
遷都(794年)の直後の8世紀末のこと。同じ時代には蝦夷の首長阿弖流為(あてるい)は朝廷軍
に大打撃を与えています。桓武天皇は、大和朝廷は、そんな抵抗していた蝦夷たちを平定するた
めに、彼を征夷大将軍に任じて派遣、やっと802年蝦夷を平定し、803年現在の盛岡市郊外に
志波(しわ)城を築きます。蝦夷から防衛するために全長3360mに及ぶ塀に囲まれてRIMG2230いました。




















そんな、時代からここが発見されていたんですね。
ちなみに、東北の長い川は、1位は北上川ですが、2位に阿武隈川(239km)、3位に最上川
(229km)。最上川については山形県で紹介します。

 というわけで、ラグビーの試合については明日紹介します。あくまで、予定ですが・・・。
昨日は、やっと東北楽天イーグルスが巨人から1勝をあげました。9年前東北の地に誕生した
弱小チームは、2005年38勝97敗1分けからスタート、長いこと最下位球団でしたが、ついに
今年2013年パ・リーグ優勝。田中将大投手を大エースに、1934年創立の老舗ジャイアンツに
勝利、あさってから東京に乗り込みます。北海道には日本ハムファイターズが10年前に誕生し、
今年こそ初の最下位でしたが、今や完全に道民球団。そして、東北には楽天イーグルス。どちら
も昔はジャイアンツ一色でしたが、地方に球団が出来ることは地元愛で良いですね。昨日テレビ
で応援していたけど、9割以上はイーグルスファンで埋め尽くされていましたものね。札幌ドーム
の試合も巨人は1割くらい、ファイターズの応援サポーターが大部分です。
東京ドームでは楽天イーグルス頑張って欲しいです。東北ガンバレ!!

それでは、また明日 

 旅をしていて、秋の気候は変化が激しく、特に気温の上下差はかなりありました。
今日も函館の気温は、朝方寒くストーブを焚いたほど。10月の旅の間、最高気温は
会津若松での34度。まるで真夏の気温です。実際、車はエアコンを入れて走りました。
服装は、夏仕様。半袖、短パンで。寒い時は、台風26号が通り過ぎた飛騨高山の山中
朝日地区で、朝6時は0度でした。水面は凍ってこそいなかったが、その寸前で口から
吐く息は白く、手袋なしでは指がかじかむほど。寒かったです。車はエアコンのヒーター
を入れて、体が暖かくなるまで走りました。服装は完全に冬使用。上下冬用厚手のウイ
ンドブレーカーを着込んで動きました。
 もうじき冬ですね。函館郊外の横津岳にも初冠雪がありました。長い冬に突入です。

 さて、昨日の続き。円通寺です。
RIMG2218



















お寺の関係者と話しましたところ、寺は老朽化が進み建て替えなければいけないとのこと。
費用は約10億円。今日は、檀家の主だった人たちが集まりその話をするんだ、と言ってい
ました。昨日の写真に出ていた人たちですね。頭が痛い!、とこぼしていました。
RIMG2219



















明治の時代、会津からの開拓者は、田名部川から望む釜臥山(978.6m)を故郷の磐梯山
(1818.6m)に見立てふるさとを思い出したそうです。彼ら開拓した者たちは、むつ市郊外の
斗南ヶ丘でスタートしたもの、最果ての極寒の地、農作物の栽培できず飢えて亡くなる者た
ちも出て、苦労を重ねたのでした。
RIMG2224

 

















むつ市は大きなお寺がいくつかあり、ここもその一つ。
RIMG2220



















歴史があるところなんですね。名前は忘れましたが、有名なお寺です。
RIMG2221



















町の中心部にある「まさかりプラザ」で産業まつり」は開かれていました。まさかり、とは下北
半島の形。まさに、まさかりの形にそっくりですね。自衛隊の音楽隊が演奏していました。
RIMG2222



















むつ市から南下。国道279号線を野辺地町まで走り、今のところ無料の高速道路下北半島
縦貫道路から国道4号線に合流し、第3セクターの「青い森鉄道」ちびき駅の近くに「日本中央
の碑保存館
」があります。場所は東北町に位置しています。
RIMG2225



















ホントかどうか?は分からないけど9世紀の時代(平安時代前期)、東北には大和朝廷の
権力が及ばない地域があったことは確かです。蝦夷(えみし)と呼ばれたアイヌ人以外にも
和人の豪族が、地方政府を樹立していたのですね。
実際、日本史の教科書を読むと、「古代の東北地方では、独自の文化を持ち北海道と交流
する蝦夷と呼ばれる人々が住んでいた。奈良時代から平安時代初期にかけ、領域の拡大を
はかる律令国家はしばしば東北に出兵し支配地域を北に拡大する。」と出ています。
RIMG2226



















よーく見ると、日本中央の文字が書かれていますね。
この日はさらに南下。岩手県に入り、一戸町の町役場の駐車場にて車中泊することに。
函館などの都市では市役所の駐車場に寝るなんて、ことは絶対無理ですが(有料だし、
夜間見回りが来ます)、地方の小さな役場の駐車場は見回りのなく、安全なので利用した
ことは何度かあります。明日は盛岡市で行われるラグビー・トップリーグのヤマハ発動機
試合を応援に行きます。
それでは、今日はこの辺で、また明日 

 この日は鏡のような海。湾の外に出ても波は穏やか、揺れることなくフェリーは進む。
遠くに青森行きのフェリーが見える。大間行きは、サイズが小さく、青森行きは大きい。
RIMG2212 




















RIMG2213



















 90分の航海は、あっという間。もっとも、大間は我が家から歩いて400mの大森浜からでも
天気の良い日はまじかに見ることが出来る。建設して欲しくない大間原発もはっきり見える。
横になったが、一眠りも出来なかった。
RIMG2214



















大間から津軽海峡沿いに東へ、風間浦村下風呂温泉の港にある新島襄の記念碑
同志社大学学長の名で、創立者新島襄 寄港の地と書いてある。江戸時代末期、禁止の
海外渡航を、開港したばっかりの箱館港からアメリカ船へ実行したのだ。捕まれば死罪覚悟。
まさに必死の渡航だったはずだ。新島襄が、箱館港から密航した場所には記念碑が建ってい
ることは以前紹介しているので、ご存じのことでしょう。
RIMG2215



















 江戸から箱館への途中、ここ下風呂に寄港したのは1864年。時に21歳。
風間浦村長の名で、1992年にこの碑が建立されています。
 そして、むつ市へ。人口6万人、下北半島の中心地むつ市。その昔、田名部町と大湊町が
合併しむつ市誕生へ。平成の大合併の時には大畑町、川内町、脇野沢町も一緒になり、下北
半島の大部分を占めている市へとなりました。
RIMG2223



















40年前、当時鉄道もありました。国鉄大畑線が走っていました。現在は、野辺地からJR大湊線
が海上自衛隊の基地のある大湊港まで走っているがむつ市から大畑までは廃線となりました。
さらに、戦前は大間まで鉄道を走らせ、函館から西に海岸線を走る戸井線と船で結ぶ計画もあり、
実際線路は出来たのだが敗戦を迎え、絵に描いた餅の廃線となりました。
駅舎とプラットフォームがあるのは分かりますね。
むつ市では、ここ円通寺へ行きたかったのです。
RIMG2217



















ここは、明治維新の時、新政府軍から徹底的に排除された会津藩が飛ばされた土地です。
RIMG2216



















 天皇の敵、つまり朝敵の汚名を被せられた会津藩は最果ての不毛の地であるここ下北半島へ。
ここ円通寺は、戊辰戦争時の藩主、松平容保の子のわずか3歳の容大を藩主に迎え、斗南藩
名を改めてり・スタートします。その藩庁があったところです。まさに、塗炭の苦しみを味わった会津
の人たちの明治における原点とも云うべき地なのです。
というわけで、むつ市には会津の血が流れているのです。
明日は、さらに南へ! See   you  tomorrow  

 10月24日(木)夜、10時過ぎに函館港に到着、15分後久しぶりに我が家へ帰る
ことが出来ました。帰ったら帰ったで、溜まっていたものがあり、早速今夜から出か
けることになり、なかなか忙しいものです。20日間も家を空けていたわけで、当たり
前ですね。
 さて、旅の総集編ですが、今日は触りだけで、勘弁願います。
RIMG2210




















 出発したのは10月5日だったんですね。今更ながら、長い間旅をしてきたんだ、とつくづつ
思います。この船、4月の旅で、旅を終えて大間から帰る時、処女航海の就航したばっかりの
大間丸です。あれから(4月18日)、半年が過ぎたんですね。

RIMG2211




















波もなく、穏やかな函館湾ですね。
今日は雨、台風27号の影響ですね。昨日も、青森港は風が強く、波が高くてかなり揺れました。
フェリー乗り場に到着する前は、もしかしたら強風のため運行中止かな、とも心配していました。
なぜなら、青森港フェリー乗り場の前に蟹田港で、脇野沢行きのフェリーが中止となっていたから
です。陸奥湾でも中止なら、潮流の流れの強い津軽海峡ではもっと波が荒く、揺れが激しいので
は?と。何とか10分遅れで出航しましたが。揺れましたよ。かなり右に、左に、前に、後ろに。
それでも、トラックドライバー用の2段ベッドの下のベッドにすぐに潜り込み、横になって寝ましたの
で、大丈夫でしたが。もっとも、そんなに熟睡することは出来ませんでしたが。

明日から、詳しく  紹介していきます。今日はこの辺で。

今朝は寒かった。雨こそ降っていないが肌寒い曇り空だ。朝6時前に起床。まず最初に鰺ヶ沢駅へ。

image


今日は津軽半島を1周する予定。まず、日本海側を海沿いにゆっくり走る。と、津軽ではどこでも見ることが出来る岩木山(1625メートル)が目に止まった。

image


image


津軽の高野山と呼ばれる弘法寺。門構えからして立派な建物。北海道と違い、本州、青森県も歴史古くからある。室町時代に創建されたそうです。
続いて十三湖(じゅうさんこ)へ。別に湖が13あるわけではないですよ。昔の地名が十三(とさ)と呼んでいたからです。昔、鎌倉時代にはここの豪族である安藤氏が十三湊(とさみなと)を支配し、日本海貿易をし、大きな財力を保持していたことがあります。その十三(とさ)は今では十三(じゅうさん)と呼ばれるようになり、十三湖の地名となった訳です。ちなみに、とさ、とはアイヌ語です。潟を意味しています。浅い湖で海と繋がっていて、現在ではシジミの産地として全国的に有名ですね。

image


中の島という島があり、歩いてわたることが出来ます。島には歴史民俗博物館があるので、是非見学したかったのです。

image


津軽の最果ては、三厩でhなく、小泊という小さな集落。三厩は灯台があり、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」で有名ですよね。しかし、小泊は観光客も来ない小さな漁村です。

image


image


小泊から三厩へ向かう山道の一番高いところから写しました。遠くに岩木山が見えますね。もう一枚は北方向を写したもので、北海道・松前方面が見えます。

image


そして、山を越えて三厩へ。今は外ヶ浜町になったんですね。蟹田町と合併して外ヶ浜へなりましたが、その間に今別町があるんですよ。

階段国道があります。国道339号線が最後、階段となっていて、車は通過できません。当たり前ですが、人間だけ通れる国道。

image


image


そして、「津軽海峡冬景色」の歌が流れる記念碑。石川さゆり、って知ってますか。まさに演歌の世界。風が強く、空もどんより、詩の通りです。

image


image


珍しいものを発見。京都府伊根町しかない、と思っていた舟屋です。舟を泊めておく1階の船着き場。2階は住居または物置。海が静かな小さな港でしか出来ない風景です。三厩から少し、離れたホントに小さな集落でした。
最後に、津軽半島のもう一つの岬である、高野崎です。ほとんど知られていません。

image


青森へ向かう途中、蓬田(よもぎだ)村の温泉に入り(350円)、疲れをとり6時のフェリーに乗ります。なんとか、無事故無違反で4300km走りました。今日も、そうでしたが各地に鳥肌が立つような絶景がありました。毎日感動があり、喜びがありました。
結局、台風の日以外はすべて車中泊。だから、宿泊費は1泊だけの5500円(2食付き)。費用のほとんどはガソリン代。毎日のように2000円から3000円かかりました。食事はほとんど自炊。地元のスーパーで買って自分で作りました。朝は主にトーストとコーヒー。昼は麺類。ラーメンかパスタ。夜はご飯類。いろいろ工夫して。
詳しくは明日からの総集編で、デジカメにたくさん撮った写真と共に紹介いたします。今まではスマホのカメラに撮った写真で、スマホでblogを作り発信していました。明日からはPCで発信します。それでは、今回の秋の20日間の旅終了です。また、明日!!

朝いつも通りに5時30分起床。旅していて習慣になったみたいだ。大体、日の出の時間に起きるようになった。もっとも、寝る時間は家にいる時よりは早く、8時過ぎにはblogを書いて寝てしまう。
さて、今日の1枚目。道の駅を出発し、男鹿半島へ向かう。355メートルの寒風山は半島全体を見渡せる。誰もいない頂上から。

image


image


1枚目は男鹿市を、2枚目は秋田市方向を、3枚目は白神山地を、4枚目は入道崎を写しました。

image


image


半島の北へ行く道と南へ行く道の分岐点は峠になっている。その名も「妻恋峠」・・・そろそろ帰った方が良いかな?明日帰ります。明日の夜6時のフェリーで函館に帰る予定です。全部で20日間の旅ですね。明日も安全運転で、無事に帰らなくては。

image


その後、八望台へ。ここは世界的にも珍しいマール(火口湖)が4つもある。それを見渡す湖とができるのがここ八望台。

image


image


カルデラ湖と違い、火山の火口に水が貯まった出来た湖のことです。カルデラ湖は火山が大噴火して外輪山となり、その窪地(凹地)に雨や川が流れ込んで出来た湖。前に紹介した蔵王のお釜はマール。洞爺湖や支笏湖はカルデラ湖です。
奥の湾が戸賀湾。一部が海と繋がってしまったが、手前の二の目潟は完全に火口湖と分かりますね。一の目潟と三の目潟は、総集編で紹介します。
男鹿半島最北端の入道崎へ。

image


image


男鹿といえば、ナマハゲですね。

image


男鹿から、バスケットボールの町、能代を通りJR五能線沿いに走ります。この間は、海岸線がとてもきれいで、交通量も少なく、おまけに太陽が出て来て最高のドライブとなりました。ここは、鉄道を写す最高のポイント地点。逆光なのが残念。
青森県に入り、十二湖へ。実際は33の湖があるが大きいのだけで12あるので十二湖と呼んでいるのです。紅葉の季節とマッチしてとてもきれいでした。

image


image


青池はブルーというより、紺色に近い色。

image


image


日本のグランドキャニオンという看板が出ていました。ホントかな?

image


不老不死温泉が、日本海に突き出た海岸にあります。20年前に訪れた時は、囲いもなく、無料で入れたのですが、今は男女別の囲いに覆われ、料金も取ります。写真だけ撮って来ました。

image


最後に青森県深浦町、五能線の無人駅「轟木(とどろき)駅」です。20年前オートバイでツーリング中に見つけたとっても素敵な駅です。目の前が海。それでは、どうぞ。

image


image


今、鰺ヶ沢町の海の駅(道の駅ではない)にいます。ここには相撲博物館があって、あの小兵「舞の海」関の出身地なんですね。知らなかった。無料で見学出来ます。明日は、津軽半島を1周して青森からフェリーで帰ります。今回もたくさんの思い出を作りました。多くの人たちと出会い、話して来ました。旅はまさに一期一会。秋の旅、明日は最終回。十分気を付けて旅します。それではまた明日!!

昨日は久しぶりに太陽が見れた、と思ったら昨夜の遅くからまた雨、朝まで降り続いていました。今日1日も降ったり、止んだりで今回の旅、天候には恵まれませんね。それでも朝起きた時、日本海に2本の虹が。別にシャレを言っているわけではないですよ。とってもきれいでした。それではその虹。

image


image


image


image


ここ鼠ヶ関は越後と出羽の国境であり、義経が弁慶と共に逃げて来たところでもあります。大きな漁港があり、弁天島には灯台もありました。あちこちの灯台を写している者としては、多少波を被っても行かなくちゃ。というわけで、

image


20年前、オートバイで東北をツーリングしていた時に山五十川(やまいらがわ)という、山奥の集落での木造の素敵な学校を見つけ、その校舎に感動したことがありました。そこに行って見よう、と思い寄り道をしました。木造校舎は9年前に解体され、今はコンクリート製の校舎になりましたが、雰囲気は当時のままです。

image


いい感じでしょう。ここには、日本1の杉の木があります。樹齢1200年以上という大木です。

image


image


この集落を歩いて見たら、思わぬものを発見しました。ここでも、農村歌舞伎が行われているのです。それも春は5月3日、大鹿村の大磧神社と同じ日です。秋は11月23日。驚きました!

image


image


大鹿村ととても似た雰囲気があり、気に入りました。こんな感じですよ。

image


1時間以上、この集落を散策し住民とも話すことが出来ました。美しい山村の一つです。
その後庄内藩の城下町、鶴岡へ。鶴ヶ丘城という城郭があったところです。酒井氏15万石の城下町で、明治時代は政治の中心地だったところでもあります。現在は人口10万人の庄内地方で酒田と並ぶ都市です。明治時代に建設された歴史ある建物がいくつかあります。公園となっていて、入場料700円は、高いな、と思ったけど見る価値十分ありました。

image


image


上は、明治の郡役所、下は警察署。酒井氏の殿様の庭園は、スゴイ。大きな藩の殿様はどこも大きな庭園をこしらえていますね。岡山の後楽園。水戸の偕楽園。金沢の兼六園。熊本の水前寺公園など。

image


藩校が致道館(ちどうかん)といいます。藩士に学問を学ばせる藩の学校、これもあちこちにありますね。米沢の興譲館。水戸の弘道館などなど。

image


image


小学生の一団が論語を精読していました。さすが、鶴岡の子供たち。そういえば、木古内町に鶴岡小学校がありましたが、(残念ながら昨年廃校となりました)鶴岡の人々が開拓移住した場所です。最後に堀がまだ残っていて、中は鶴岡公園となっています。鶴岡出身の藤沢周平さんの記念館もあり、見て来ました。300円。たそがれ清兵衛など数々の名作を残していますね。もう、亡くなってしまいましたが。

image


予想以上に鶴岡市見るところがあり、酒田市はカット。ランチは鶴岡市役所のレストランで市の職員と一緒に食べました。豪華な日替わりランチが550円なんですよ。
酒田市から高速を使い、羽後本荘、秋田市を素通りし、今夜は潟上市という、八郎潟に面した町の道の駅で車中泊します。併設されている温泉が250円と安く、先程入って来ました。明日は晴れると、いいな!
それでは、また明日!!

今朝の大鹿村は雨こそ降っていないが、今にも降りそうなどんよりした天気だ。昨夜は一晩中土砂降りの雨で、車の屋根を雨音が叩き、うるさくてあまり寝ることが出来なかった。
今朝の車中泊した大西公園です。

image


昨日の大鹿村歌舞伎はとても良かったです。何が良いかと、いうとすべて地元の人たちで作っているからです。それも300年前から。人口わずかに1000人ちょっとのホントに小さな村。コンビニ1軒すらない。ガソリンスタンドは2軒、小学校と中学校は1校ずつ。駐在さんは1名のみ。そんな村が総出で演出するのが大鹿歌舞伎です。だから、この日のために全国から見に来るのです。私の隣の車は鳥取ナンバー。駐車場を見渡すと、宇都宮、品川、足立の関東地方や隣県の岐阜、浜松、飛騨、静岡など。各地から集まるのです。だから、最後はみんなで拍手。スタンデイングオベーションです。
さて、今日は出来るだけ、北へ!ということでまだ暗い6時に出発、長野県内は天気が悪く、山間部はガスでぜんぜん前方が見えないほど。都心部でも、松本市はこの有り様。

image


image


晴れていれば、初冠雪の北アルプスの山々が見えるはずなのに・・・。ここは、松本市安曇野パーキングエリア。伊那市から高速に入り、岡谷市、松本市、長野市といづれも曇天。新潟県上越市に入って、初めて5日振りに太陽と出会えた。やっぱり嬉しいですね。陽の光は体だけではなく、心を暖かくしますね。

image


image


遠くに上越市の市街地が見えます。日本海側に出て、さらに高速を走らせ、米山では初めて佐渡島を見ることが出来た。いつか行って見たいところの一つです。

image


image


高速は400km以上走り、結局ETCを使っても5650円もかかってしまった。まあ、仕方がない。3日分の距離を6時間で走りきったんだから。新潟市をさらに北上し、高速を降りたのは新潟県最北の村上市。ここで、3日振りに温泉に入ることにした。大鹿村に温泉はあるのだが、ホテルの温泉は午前中だけとか、次の日は大雨とかで結局一度も湯に入れず。村上市の瀬波温泉のホテルで、たまたま700円(高い!)がシニアデーで500円に。誰もいないお風呂を一人占め。

image


日本海には、離島の粟島(あわしま)が見えた。

image


国道7号線は走らず、笹川流れ、という海岸線の美しい道を走りました。

image


そして、午後5時、山形県鼠ヶ関に到着。ここのヨットハーバーの駐車場で車中泊します。トイレもあるし、国道から離れているためとても静かです。夕日が綺麗でした。

image


今日1日で2度もガソリン給油。500km走ったんだから、2度も入れるけど、ガソリン価格はあちこちでマチマチですね。最安値は盛岡のセルフで148円。最高値は木曽福島で169円。南信濃町は166円。高速では162円。陸前高田市は157円。金沢市で151円とか。その幅21円。今函館ではいくらでしょうか?私の家の近所で、いつも利用しているGSha148円です。
さて、明日は山形県鶴岡市と酒田市を見物しよう、と思っています。城下町鶴岡と商都酒田、二つの町を見てみよう。映画「送りびと」の町でもあるし。「たそがれ清兵衛」・「武士の家計簿」の海坂藩の舞台でもありますね。
それでは、また明日!!

ついにこの旅のクライマックス、大鹿村歌舞伎を見ることになりました。
「あまちゃん」のロケ地を訪ねることがセミファイナルならば、大鹿村歌舞伎はメインイベント。これを見るために来たんだ、と言っても良いくらい。
ところが、昨日の夜半から雨、朝6時頃は豪雨でした。

image


7時頃には、小雨となり朝もやに霞む村の風景です。ここは日本で2番目に美しい村を詩っています。1番目はどこか?というと、それはあなたの故郷です、と。
12時開演なのに、今8時。早めに着いて、会場入り。市場神社の境内ではなく、中学校の体育館なのが残念ですが、それでもこの客。

image


朝6時から来ている人もいるんですね。もうすぐ9時、後3時間後始まります。それでは、またのちほど。
シャトルバスの運転手さんと話しました。市場神社と中学校を往復するバスです。けさは、というより昨夜の11時から体育館で待っている人もいた、といいます。スゴイですね。テキストブックを買いました。100円。

image


9時30分でこの入り。席を予約いていますね。

image


10時を過ぎました。先のテキストブック(豆本)を売る、数少ない若い女性です。

image


ミス大鹿村もパンフレットを配っていました。

image


第1幕が始まりました。忠臣蔵の大鹿村オリジナルですね。

image


第2幕は源氏に敗北した平家の残党の物語。おひねりがたくさんステージに飛んでいます。白い紙やテッシュに包んで投げるのです。

image


image


最後は参加者全員で千秋楽。終了は4時近かったです。

image


外は大雨、厳しい峠を越えて行くよりまた大西公園で車中泊します。明日からは函館へ進路を向けて北上の予定。1週間以上かかると思うけど、安全運転で帰ります!それでは、また明日!!

昨日、上村と伝えたのは間違えで、南信濃村でした。こちらの勘違いで上村とばかり思っていましたが、地元の方とお話したら、2日間車中泊したところは南信濃村でした。ごめんなさい。
朝1時間ばかり散歩しました。朝は小雨が降っていましたが、傘を差しながらのんびりと散策。
朝靄に煙る村の風景です。

image


image


ここは神々の住む里、とのこと。村のあちこちに、こんなのが。

image


江戸時代は和田宿として賑わったそうです。昭和の時代の最盛期、昭和30年代は人口6000人を越えていたそうです。今は2000人を切り、7年前に飯田市と合併しました。隣の上村も同様です。当時は森林の植林・伐採が盛んに行われていて森林鉄道が村の方々に走っていたそうです。

image


隣の集落が上村。旧木沢小学校を訪ねました。

image


ここは5月にも訪問しましたが、校舎内を回ると、心がホットします。昭和の香りがして、昔はこうだったんだなぁ、と子供の頃を思い出さずにはいれません。

image


image


懐かしい、という言葉がぴったりの校舎ですが、残念ながら2003年廃校へ、10年も前のことなんですね。もう一度学校全体を見ましょう。

image


大鹿村へ行くには国道を走るよりも林道を通り、天空の里、下栗にいきます。
下栗よりも、もっと辺鄙な場所がある、その名は大野という集落、ということを地元に人に聞き行って見よう、自分の名と同じだし、行きました。大変な場所です。大野という集落は家屋は10軒ほどあったが、人は2世帯4人だけだと、言っていました。道のどん詰まりのところです。軽自動車の幅しかない、細くてくねくねした道のりを4km行きました。観光客誰一人来ないところです。

image


image


image


川を挟んで向かい側に1軒だけ人家がありました。おばあさんが一人で住んでいて、川を降りて人しか通れない吊り橋を歩いて行くそうです。どうして、こんなところに人が住んで農業をやっているんだろう?と不思議に思うところです。

image


image


image


image


耕して天に登る。ここ下栗の里は、急斜面にもかかわらず畑を耕しています。転んだら1000メートル下の谷底に落ちて行くんじゃないか、と思うほど。

image


1900メートル近いしらびそ峠へ。

image


車が悲鳴をあげました。普段FRで走っているが、この山岳道路では4WDへ切り替え、さらにオーバードライブをオフにし、さらにDレンジから2速にしても時速20kmほど。軽自動車はパワーがないな、と。小回りはきくので小さな道をドンドン入って行けるけどね。

image


そして、大鹿村へ。ここが明日の歌舞伎の舞台か、と感激の面持ちでいたら、地元の方で明日演じると言っていたご老人が、明日は雨が降るので
中学校の体育館で行う、と言われガッカリ。
ここ市場神社じゃないんだ、と。

image


それでも、明日に備えて、大西公園で車中泊するため移動。
先程までひさしぶりに焚き火をしていました。夕食を取って、焚き火スペースがあったので落ちていた枝を集めて火を起こし、真っ赤に燃やしていました。この写真が大西公園。小渋川が流れています。赤石岳は見えないけど、川の流れの音を聞きながら寝るとします。それでは、明日、大鹿村歌舞伎をお楽しみに!!
では、また。

image



tuno君がいつもコメントしてくれますが、北海道はかなり寒くなっているんですね。ここ、信州の南でも山の中、やはり寒いです。飛騨の高山から寝袋はスリーシーズンから完全冬山用へ、上着も薄手のウインドブレーカーから冬用厚手のウインドブレーカーを着ています。それにしても、日が暮れるのが早い。5時には真っ暗。ここは、東も西も高い山、日が出るのは遅いし(7時過ぎ)、日が沈むのは早い。
さて、今日は上村から日帰りで秋葉神社のある静岡県浜松市へ、帰りは愛知県を通り、今日1日でここ長野県を含め3県を走りました。

まず最初に紹介するのは、昨日同じく道の駅上村かぐらの湯に車中泊していた隣の車。なんと82歳のスーパーおじいさん。バスのようなキャンピングカーを乗り回して日本中ドライブしています。名古屋の方で、奥さまはもう既に亡くなられていて、一人気の向くまま走る旅をしているお方です。すごい装備で、冷蔵庫・電子レンジなどがあり、完全オーダーメイドの車は700万円かかった、といいます。それにしても82歳で山道をはしるなんてすごい!スゴイ!!

image


ここ上村遠山郷は秋葉街道の宿場町。秋葉神社への参拝客が昔たくさんいたそうです。だから町を歩くと小さな旅館が多い。

image


古い町並みが続いています。道祖神もあちこちにあり、古くからの秋葉信仰があったのです。秋葉神社は火の神様。だから、防火予防のためお詣りしたのでしょうね。

このお寺は、5月にも紹介した、日本1のミネラルウオーターが湧出しているお寺です。

image


静岡県に抜ける国道が不通で、林道を通らなければいけない。兵越え峠(1168メートル)までの道のりが大変だった。急カーブの連続で、山をどんどん登る。天竜川の険しいV字谷の谷底から峠まで600メートル以上も登る。下は数百メートル下の崖だ。怖いくらい。帰りは違う道を帰ろう、と県道1号線を選んだが、それがとんでもない道で帰りはもっと厳しかった。二度と走りたくない山岳道路でした。

image


ここを越えると静岡県。

image


浜松市に吸収合併されたとはいえ、以前は村だったところ。急斜面に茶の栽培する畑があって、人家もよくこんな山の斜面にあって、よくこんなところに住んでいるな、と感心する。

image


というわけで、2時間半かかり秋葉神社総本山に到着。

image


駐車場から大きな門をくぐり抜け本堂までは420段の階段。一気に走り抜けた。ハァーハァーと息が荒かったが、何とか走れたのは日頃から鍛えたからか?香川県の金比羅宮の1200段の階段も奥の院まで歩いたから大丈夫!

image


黄金の鳥居に本堂です。866メートルのここから遠く太平洋が見えた。浜松市や浜名湖まで見えたが、今日は薄曇りで写真ではハッキリ見えていないのでは?

image


帰りは兵越え峠を避けた、のが大きな間違い。愛知県を通ろうと佐久間ダム側を走った。昼なお暗い山道。通る車は昼でもライトオンしている。うっそうと空を木々が生い茂り、陽をさえぎっている。山側は落石防止のネットが張ってあるが、険しい斜面だ。谷側は数百メートル下にダム。道幅も狭く、そんな道がえんえんと50km以上も、時間は2時間を要した。普段は肩が凝るなんてことはないが、さすがに上村に戻って来た時にはバンバンに張っていた。ホント二度と走りたくない。それでも、ダムのある山の中に斜面にへばりつくように集落があった。昔、日本1人口の少ない地方自治体であった旧冨山(とみやま)村、当時人口200人。今は豊根村と合併した村です。すごいところに人が住んでいます。小学校と中学校もありました。

image


残念ながら、冨山村の写真は取れず、代わりに手前の集落です。手前を流れているのは天竜川。ダムの下流だから水量はほとんどない。ダムより上流は黄土色のきれいとはいえない水が湖を形成している。山の斜面に集落が見えますね。茶の栽培をしています。まさに「耕して天に登る」です。
天気はあまり良くない。先程も小雨がパラパラ降って来ました。
明日は、大鹿村へ移動します。それでは、また明日!!

昨夜はかなり冷えました。道路表示ですが、0度を記録、乗鞍岳は初冠雪、高山市朝日地区道の駅での車中泊はだだっ広い駐車場にたった自分の車1台だけ。でも冬用の寝袋のお陰でぐっすりと寝ることが出来ました。朝起きると、息が白い、指先がかじかんで冷たい。これから向かう野麦峠は、夏タイヤで大丈夫だろうか?と心配なほどの寒さでした。

image


学生時代の最後の年の5月、自転車で野麦峠を越えました。当時は鋪装されてなく、砂利道の峠道を走り、峠のお助け小屋で一休みしたことを覚えています。21歳の時のことです。42歳の時は原付バイクで夏峠を越えました。そして、61歳の今、軽自動車で峠を越えます。3度目の野麦峠です。

image


image


途中の集落で見かけた廃校となった学校のグランドです。校舎はなし。もう既に解体されたのでしょう。ここでもかなりの標高があります。1000メートル付近です。私の腕時計カシオ・プロトレックは標高も表示してくれるので、高さは分かります。こんなところでも人は住んでいるのか?と驚かざるを得ません。さらに上の野麦部落へ。ここにも廃校となった学校の校舎がありました。

image


そして、歴史を感じさせる古ぼけた熊野神社。

image


1672メートルの峠です。晴れてはいるが、風は冷たい。空気が相当澄んでいるのか、遠くの3000メートル級の乗鞍岳がはっきりと見える。初冠雪とのこと、頂上は白い。

image


image


ここで、車から離れ、昔の野麦街道の道をトレッキング。昔の峠に、映画「ああ、野麦峠」の主人公政井ミネさんの慰霊碑がありました。

image


image


感動です。20年振りの野麦峠。峠には野麦峠記念館があり、館長さんとゆっくり話すことも出来ました。野麦集落に家がある館長さんは映画作製の時、大竹しのぶさんが自分の家で宿泊したこと、本来は吉永小百合さんが主演のはずだった、とか裏話も含めたくさん楽しいお話が聞けました。一人旅だと地元の人とすぐに仲良くなれて話せるのはホント嬉しいですね。

image


記念館の女工さんの絵です。明治時代、富国強兵、殖産興業の政策は男は兵隊へ、女は女工への時代。まさに女工哀史を地でいっていたのが、飛騨地方の若い女性たちでした。野麦峠を越えて製糸産業の中心の諏訪地方へ、出稼ぎしなければ生きていけない時代だったのです。10才前後の子供たちが雪深い峠を越えて行ったのです。悲しい物語ですね。記念館で映画のダイジェスト版20分を見て思わずもらい泣きしてしまった。

最後に。峠の下りの途中で見つけた縁結びの神社で、こちらでは有名だそうです。テレビなどで紹介されて、参拝に訪れる人も多いといいます。この日は誰もいませんでしたが。
祈ってきましたよ。私の3人の息子たちを含め、独身のすべての皆様が、きっといつか良縁がありますように!と。

image


午後からは一気に南下。いくつもの峠を越えて木曽路へ、さらに飯田市へ、そして5月に車中泊した上村かぐらの湯へ。が、またしても休業日。前回も。木曜日はお休みなんですね。まあ、2,3日風呂に入らなくても大丈夫ですけど。
3日後の10月20日、日曜日、大鹿村で農村歌舞伎が行われるのですよ。それで、ここ目指してやって来ました。楽しみです!!ついに大鹿村騒動記の舞台が見れる。前回5月は無人のステージだけを見ましたが、今回はお客さんがたくさんいて、生の歌舞伎を演じる地元の皆さんが見れる、という感激を味わえそうです。
明日、明後日はここでのんびりしています。それでは、また明日 !!




↑このページのトップヘ