函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めて「ぼうけんの旅」は今年で11年目に突入。 車中泊中心の貧乏旅行の旅、今年で72歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 いよいよ「2024年ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです!

2024年が明け今年は72歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!軽バン一人旅の始まりです。

2014年08月

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今日は朝から快晴。バッチリと太陽光は発電してくれました。本日の発電は43kwh。
今までの最高は7月21日のなんと51、2kwh。8月の最高は13日の46,3kwh。しかし、
19日は2,3kwh、22日に至ってはたったの1,8kwh で両日とも大雨の日でした。
昨日43,2kwh、今日43,0kwhと2日間で83,2kwhも発電してくれて、とても良かった
です。8月は雨の日が続いていただけに、何とか先月よりは劣るけど月間750kwhを越
えそう です。

 さて、新島襄は同志社大学の創立者ですが、幕末ここ箱館港から命を懸けて密航し
ていることはよく知られていますね。
本名、新島七五三太(しめた)。1843年2月12日、武蔵の国は江戸の神田の生まれです。
チャキチャキの江戸っ子だったんですね。短命で1890年満46歳で亡くなっています。

ここが密航した場所。
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案内板もあります。
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配偶者は新島八重は「八重の桜」で昨年放送されましたのでご存知ですね。
本名の七五三太(しめた)は上に女子が4人続いた後の初の男子誕生に祖父が
「しめた!」と言ったことから命名されたそうです。

1864年箱館に潜伏した時には、坂本龍馬の従兄弟にあたる沢辺琢磨が協力して
います。
6月14日、アメリカ船ベルリン号で出国し上海でワイルド・ローヴァー号に乗り換えた
際、船長のホレイス・テイラーに「Joe(ジョー)と呼ばれてから名を襄と名乗った、と
いいます。
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今から150年も前の当時は、周辺は外国人居留区でもあったのですね。
そして今年は襄が密航してからちょうど150周年です。
近くには「Joe」という名の素敵なカフェまでありました。

港を見ましょう。
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海上保安庁のパトロール船が、いつでも出動出来るように停泊しています。
ヨットハーバーもあります。
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というわけで、今日は新島襄密航の碑を紹介しました。それでは、また!

風はもう秋。朝方は清々しいというよりも肌寒いくらいとなった最近の北海道の天気です。学校はすでに二学期が始まっているし、8月下旬とはいえ季節は秋です。
今日は朝から晴れ渡り、太陽光発電も調子良く発電しています。8月は長雨が続き、発電量は晴天続きだった7月に比べると3分の2ほどで、残りの5日間でバッチリと発電して稼いでもらいたいです(笑)。

さて、花壇を整備し昨日苗を買ってきて早速植えてみました。

まずは、越冬しても大丈夫な寒さに強いラベンダー。イングリッシュラベンダーという名前がついていました。市内の園芸店へ行き、店員さんとたっぷりとお話しアドバイスをもらい、何点か購入しました。

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それ以外は、この夏や秋で命を終える1年草の花です。マリーゴールド3つ。

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金魚のように見えることから名付けられたキンギョソウ。

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ガザニアを2個。

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この花の名前は何といったか?忘れました。

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道路に面した場所には、柵を設置。間違って車を止めるために進入してきたら、軟らかい土のためにズボズボタイヤが埋まってしまうため、危険防止の柵ですね。

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奥に見える木はムクゲ2本ともう1本。
黒土を入れたけど、花があるのはほんの一部だけで、あとは来春咲くのを期待してチューリップとスイセン、クロッカスの球根を埋めました。

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以前プランターに植えてあったアルメリアを地植えました。

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最後に防犯にもなる歩くと音がする歩道の石?をホームセンターで購入し、ばら蒔きました。ネコが歩くだけでもサクッサクッと音がします。人が歩くとザクッザクッと足音が聞こえます。

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正体は何か?手にとって拡大して見ましょう。

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軽石のように軽く、水に浮くほど。発泡プラスチックほど軽いわけではないが、それでいて人が踏んでも壊れない。答えは硝子。ガラスのリサイクル製品でした。白い石が敷かれたように見えます。
何とか少しずつ完成に近づいて来てます。大掛かりなもの以外はほとんど手作りで、時間をかけて自分で作りました。まさにエコそのもですね。素人の手仕事ですので、荒く雑ですが何とか出来て来ました。手作り感いっぱいの庭です。

それでは、また次回!!

肥満気味の二宮金次郎の像のある学校は、弥生小学校でした。
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1882年(明治15年)に創建され、1934年(昭和9年)函館大火の後鉄筋コンクリート造りの
耐火建築で再建された校舎でした。しかし、老朽化が激しく今から4年前の2010年に解体、
2012年に旧校舎の外壁を一部利用して新校舎となりました。
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1907年(明治40年)、石川啄木は6月11日函館区立弥生尋常小学校の代用教員を
することになりました。当時のサラリーは月12円でした。
啄木の日記「函館の夏」によると、職員室には15名の教員、内8名が男、7名が女子、
校長は大竹敬造氏、児童は1100名を越えていたり。」と書かれています。
現在の全校児童は120名を切るほどで、当時の10分の1。当時函館山山麓の西部
地区はどれだけ賑わっていたかが知れますね。

啄木は在籍のまま「函館日日新聞」の遊軍記者となりますが、8月25日大火が起き
新聞社は焼けてしまいました。そして啄木は札幌へと移り住むことになったのです。
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明治9年に天皇が巡幸している碑ですね。男爵でもある陸軍大将が記念して書いた
のですね。
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4階建ての立派な校舎ですね。南側の通りを挟んで向かい側には中華会館もありました。
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1906年に建てられていますが、翌年大火で焼失し、1910年現在のものが再建されました。
日本国内で唯一現存する清朝末期の建築物です。1911年に孫文をリーダーとする辛亥
革命が起きて17世紀前半から4世紀に渡って続いた清はついに倒れます。
だから、この建物が出来た1910年は、中国ではまだ清の時代だったのです。

というわけで、今日はここまで。次回は幕末、新島襄が命がけで密航した場所を訪ねます。
それでは、また。

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 昨夜も猛烈な雨が降り、寝付けない夜を迎えました。暑かったので窓を少しだけ
開けて寝ましたが、起きると南からの雨が窓から侵入し水浸しでした。
 広島で被災された方たちは慣れない避難所での生活でお困りでしょうが、どうか
少しでも元の生活の戻れるよう祈っています。早く良い天気になりますように!

 さて、幸坂を港方向へ降りると、蔵を持つ赤レンガ塀の古い家がありました。
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函館山から東側への急な斜面ですので、赤レンガも港側が高い塀になっています。
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家の中を少し覗くと、障子が破れていて人は住んでいない雰囲気です。玄関には函館市による
「歴史的建築物」のプレートが貼られていましたが、最近は高齢化により家を手放したり、亡くな
ってそのまま空き家になっているケースが多いと聞きます。
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赤レンガの集合煙突などは最近の建築物にはない代物で、恐らくは戦前に建てたもの、
この周辺は1933年(昭和9年)の函館大火でも被災されていないので、焼けずに残って
いるのでしょうか?奥には未使用か、それとも使い古したものなのか瓦も無造作に積ま
れていますね。

もっと、坂を下りて見ましょう。
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これも歴史的建造物のプレートがありました。2階の窓が上下に開けるもので、しかも
木製です。1階のまどこそアルミサッシですが、2階のは古さを感じさせます。

函館山をトラバースするように南へ歩くと、こんな碑がありました。愛宕(あたご)中学校の
跡地です。
そういえば、昔私が中学生の時に愛宕中学と野球の試合をしたことを思い出します。結果
は忘れてしまいましたが、「あっ、だんご!」と馬鹿にして野次を飛ばしていました。今では
大変失礼なことをしたな、と恥ずかしい限りです。
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観光地として多くの人を引き付ける函館山山麓の西部地区ですが、実際に生活している
人は高齢者が多く、子供は少なくなる一方で小中学校は廃校となっています。
私が子供の頃は、山麓にはいくつも小学校があったのに、今では2校のみ。中学も2校。
それも統廃合の話が出ていて、将来子供はいるのでしょうか?
愛宕中学のグランドは坂の上にあって、行って見たら老人ホームになっていました。
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おっ!結構栄養の良い二宮金次郎さん。今でもこんな像が設置されている学校がある
んですね。
この学校はどこ?
それは次回にて。ではまた。


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 今日は朝から雨ふり。日本列島全域、私たちの住む北海道も大雨。8月に入り、
相次いで台風が襲来し、高知県や三重県などで災害をもたらし、さらに追い打ちを
かけるように京都、広島でも大雨。広島では土砂災害により多くの方が犠牲になり
ました。
 朝刊では「死者39名、行方不明51名」と1面に出ています。一刻も早く行方不明者
の救出を願うとともに早期の復旧を祈ります。

 さて、久しぶりの函館歴史散歩を再開します。
路面電車として走る函館市電、その終点の一つである「函館どつく」と一つ手前の
電停「大町」のちょうど中間にある函館山からの坂が「幸坂(さいわい)」。
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この坂の途中には、旧ロシア領事館があることは知られています。ロシア領事館のさらに
上の南西に船見公園がありますが、昔はここに小学校があったんですね。
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常盤小学校という学校が建っていました。といっても、市の東に住んでいる私は知りません
でした。なにせ、函館山は市の西に位置し、その先は海。扇形に広がる市街地の東の端に
私が生活する湯川町があるわけで、まして廃校となった昭和45年、1970年といえば高校3年
の時で、高校も文字通り東にあって、当時は函館の歴史にはそれほど関心を持っていません
でした。創立が大正11年というから1922年、当時は市の人口は函館山の裾に集中していた
んですね。
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函館山の中腹にあたるここの公園から函館港を見下ろしました。
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画面の右中央に高さ約100メートルの五稜郭タワーが見えますね。岸壁には豪華客船の
「日本丸」が停泊しています。ここで、この客船に乗船している方に話しかけられました。
「函館山へ行く山道はないか?歩いて何分くらいか?」と。
「ガスっていて山頂からは景色は見えないですよ。この上の神社から山道が続いていて約
30分ほど」などなどと。
退職されて年金生活。この船で日本中を周っているとのこと、夜には次に停泊する小樽に
向かう、ことなど話しました。
見るからに豪華な船ですね。ウーン、お金もないけどこれで旅する気にはならないなぁ・・・。

さて、山上(やまのうえ)大神宮にたどり着きました。
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学業成就、合格祈願の菅原道真公を祀っていますね。太宰府天満宮の系列なのでしょうか?
それとも道真公を祀っているだけなのか?横に案内板がありました。
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なんと、ここの8代目の神職の方はあの坂本龍馬、武市半平太と親類関係にあった
とは。実際養子となった甥の坂本直は、五稜郭奉行所で働いていたので、その関係も
あるのですね。
おまけに、榎本武揚を総裁とする「蝦夷共和国」の旧幕府軍に桑名藩主松平定敬(ま
つだいら さだあき)がここを拠点にしていたとは。会津藩主松平容保(かたもり)とは
兄弟の関係ですよね。
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もう一度函館港を振り返ると。
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東の山々に低く雲が垂れ込めていて、天気は悪いです。
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というわけで、本殿到着。
先程の豪華客船の日本丸に乗られている方とはここでお別れ。境内の右側のけもの道を
教え、この登山道をまっすぐ登れば山頂へ行けますよ、帰りはロープーウェイもあるから、
と 伝えて握手してサヨナラ。

次回も函館歴史散歩、続けます。ではまた。 

今朝は久しぶりに上天気。気温も上昇し、朝6時過ぎで太陽が当たる東側の窓辺は30度を越えています。日差しが眩しいくらいで、7月下旬の30度を越えた真夏日が復活したのか?と思わせるほどです。だからか、7時前なのに太陽光発電はご覧のように朝から稼いでいます。

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6時50分で3,22kwも発電しています。消費が高いのは、朝8時までの安い深夜電力を使用するためで、洗濯機を動かす、IHヒーターを使用して調理する、トースターでパンを焼くなどのために消費電力が高いのです。トースターは1200wもありますからね。

もっとも、晴れていたのは7時前後で8時を過ぎると曇り空へ、また雨が降りだしそうな空模様です。昨日の雨は大変でしたが、朝のニュースを見ると広島市は土砂崩れが起きているし、全国で大雨の被害が出ていることを思うと対したことではないですね。京都府福知山や高知県など一刻も被害からの復興を祈ります。

8月上旬は玄関周りを自分で整備していました。

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道路から玄関までの敷き石です。以前の家で使用していたものの再活用で、全くの素人作業。1枚30kgはある敷き石を1枚ずつ運んで敷き詰めました。その結果、腰を痛めるはめになり整骨院通いを余儀なくされたわけです。年寄りの冷や水ですね(冷や汗)。
ただ、如何せん、やることがアマチュアでプロのやることと大きく違い、敷き石が平坦ではなくよーく見ると波打っていることが分かりますね。下手くそですよ!(笑)
玄関1メートル手前からは綺麗な石を敷き詰めました。

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キラキラ光る石は、後志管内の島牧村江ノ島海岸で見つけた石です。江ノ島海岸といっても神奈川県湘南の江ノ島ではありませんよ。日本海側のせたな町の北、寿都町の西に位置する村で海岸がとってもきれいで、幾度ごとにきれいな石を選んでお土産に持ち帰っていたものです。正方形の敷き石は、近くのホームセンターで1枚398円で購入したもの。玉砂利は1袋360円で3袋使用しました。
縦横45cm重さ30kgの灰色の敷き石を敷き詰めるよりは、最後の1メートルをこんな感じでアレンジした方が素敵ですよね。(自画自賛かな?)

庭も整備しました。

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円い大理石ぽい庭石は1枚550円。2枚購入。玉砂利は5袋使用し、ミニ龍安寺風になったでしょうか?雨に打たれて石が光りきれいに映えます。

カーポートからの道も自分で整備しました。余った45cm四方重さ30kgの敷き石を手前に敷き、残りは平らな面を上に持ってきた石を並べました。高さを平坦にするのに苦労しましたが、なんとか素人の手仕事としては合格点ではないでしょうか?と、これまた自己満足。まあ、人件費ゼロ、全てホームセンターで購入したもので5000円ほどで済みました。石は以前から家にあって、工事中は庭の片隅に片付けていたものも再利用です。まさにエコで、リサイクルです。

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最後に、建築で余った材木を工務店さんからいただいたもので日曜大工してみました。買いたいの時に出た廃材を取って置き、再利用してベンチを作りました。これです。

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ベンチの下には、トレーニング用のダンベルや庭仕事に使う道具が入っていたり、まだ作業中のものが無造作に置かれたりして見映えは良くないですが、そこはご勘弁を。
ちなみに費用はタダ。廃材と家にあったネジ釘を使い労力と工賃は自分だけですからね。

というわけで、8月前半解体作業が行われている間に、いろいろと家の周辺を自分で作業していました。もちろんカーポートや物置はプロの方たちにお任せして造って頂きましたが、自分で出来る部分は出来るだけ自分でやろう!と思い作業しましたが、やはりいかにも素人がやった、作品となりました。それでも何とか形にはなりました。

それでは、また次回。

北海道はもうすでに秋となったかのような気候です。肌寒く、おまけに今日は1日中、時には激しく雨が降っていました。大雨警報が出ていたほどです。
道内のほとんどの学校は、今日が二学期の始業式で夏休みは昨日で終了。海水浴場もクローズし、季節は秋へと変わります。これから道内を旅する人たちは寒さと日の短さに気を付けて旅して欲しいですね。1日ごとに寒くなりますし、日も短くなります。一ヶ月もすると秋分の日、昼と夜の時間が同じくなり、それ以後は夜の時間が増えてきます。そして、北海道の屋根の大雪山に初雪が降るのもその頃で、10月になると冬の到来を感じさせます。今年は4年履いたスタッドレスタイヤを交換しなくては。9月に買い換える予定です。

さて、blogしばらく休んでしましたが、今日からまた毎日とは言いませんが、時々blog創って行きますのでよろしく!お願いします。

今日のように、朝から大雨が続くと空もどんよりし太陽は顔を出さず発電は低迷します。

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ご覧のように発電はわずかに2,2kwhに対し、消費は8,9kwhで完全に消費がオーバー。これじゃ、売電は出来ませんね。弱に買電が多いです。
夕方、やっと日が差して来たけど、太陽は西に傾き発電量は少ないです。

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赤色の消費が多く、逆に青色の発電が少ないのが一目で理解できますね。

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午後5時30分で発電量は0,45kwしかありません。

ところで、7月といっても前半の7月1日から16日までの太陽光発電の成果が北海道電力から振り込まれました。

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7月1日から16日までの売電が410kwで、1kwあたり38円ですので410×38=15580円。8月18日付けで確かに私の口座に振り込まれていました。来月振り込まれるのは852kw分で、32376円になります。発電量は972kwですが、8月18日までの売電は852kwですので、その分に対しての見返りですね。つまり自家消費が120kwあった、ということです。雨が多かった8月でもこれだけ発電してくれて、嬉しい限りです。

一方、消費はいかほどか?

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22時から8時までの料金は1kwあたり10,67円なので10,67×154kw=1643,18円。朝と晩の料金は26,65円×54kw=1439,1円。昼間の料金が高くて1kwあたり36,24円×29kw=1050,96円。この三つの合計が4133,24円。これに基本量などをプラスしても5000円ほどか?
これを見ても太陽光発電を付けて良かった!とつくづく思う次第です。
オール電化にして早くも8月で相殺するとプラスの結果です。売電した分を足すと、光熱費ゼロを達成しました。

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8月もあと11日余り残し、7月のように1000kw
近く発電出来るか?9月,10月になると日照時間が短くなり夏のようには発電量を保つことが難しくなるかも?
それでも空気が澄んで昼間は多目に発電出来るかも?それについてはまた後程お知らせします。
それではまた次回!!

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