函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めて「ぼうけんの旅」は今年で11年目に突入。 車中泊中心の貧乏旅行の旅、今年で72歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 いよいよ「2024年ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです!

2024年が明け今年は72歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!軽バン一人旅の始まりです。

2014年09月

ついに、待ちに待った秋の旅始まりました。初日は今年5月11日に廃線となった江差線をたどる旅。まずは、木古内駅のとなりの旧渡島鶴岡駅。

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駅舎は板で閉じられていて、駅名を示す看板も外されていました。これから訪れるほとんどの駅は、ここ渡島鶴岡駅と同じ感じで、窓や入り口は板で塞がれ駅を示すプレートはなく、そして周辺は草ぼうぼうの有り様でした。わずか4ヶ月ちょっとでこうも変わるものか?駅は今まで地域のシンボルみたいな存在だったのに。
とても悲しくなりました。それでも、渡島鶴岡駅のそばの公園にはこんな碑が建てられていました。

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駅のプラットフォームを見ると、まず道路は舗装されて線路が遮断されている。線路には立入禁止の柵があり、レールは赤く錆びて雑草が生い茂っていた。

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続いて吉堀駅。

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峠を越えて、桧山管内の上ノ国町最初の駅である神明駅へ。

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ここも同じ。そして駅長さんがいた湯ノ岱駅はどうなっているのか?訪ねました。

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駅はバス待合室へと変化していて、もちろん駅長さんはおりません。それでもトイレは使用出来ました。
宮腰駅の間にある天野川に架かる橋梁を見に行きました。

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山々は紅葉し、木々の葉っぱは赤や黄色に色付いている。5月に訪れた時は桜の満開の時。ピンク色に色づいた桜の木が印象に残っていたが、9月最終日の今日は、ススキの穂が垂れ下がり、この間の季節の移ろいが垣間見られる。わずか4ヶ月ちょっとなのに、日の沈むのも早くなったし、時間が経つのは本当に早いものですね。
実は吉堀駅から雨が降りだし、神明駅辺りは大雨、気温も急に低下しポロシャツ、短パンでは寒く秋用の上下のウインドブレーカーを着込む。それでも寒い!

天の川駅は健在でした。そっくりそのまま残っています。

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さすがに、JRの駅ではなく民間人の有志たちにより造られた非公認の駅だったので、そのまま残っているのですね。
続いて宮腰駅へ。木造駅舎は残っていたが、駅名を示すプレートはやはりない。

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続いて桂岡駅と中須田駅。

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そして上ノ国駅へ。ここは町の商工会の建物なので、そのまま残っていましたが、レールはやっぱり錆び付き草が生い茂っていました。

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そして終着駅の江差駅は、どうなっているか?というと。

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ありがとう江差駅の看板があり、駅はもちろん閉鎖されていました。各駅とも現在は函館バスが木古内駅と江差駅を繋いでいて高校生や高齢の方は利用しているみたいですが、料金は鉄道よりも高くなっています。

午後2時過ぎ、道内の温泉雑誌「HO」を活用して温泉に無料で入浴。厚沢部町の我虫温泉。

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その後は、日本海沿いに車を飛ばし、乙部町、八雲町熊石、せたな町大成、北桧山を経て今夜の寝床は今がね町の公園の駐車場です。この後夕食を作り、歯を磨いて寝ることにします。
さて、明日はどこへ行くか?
それでは、また明日。ごきげんよう!

BS・NHKの「こころ旅」秋の旅が始まってから無性に自転車で出掛けたくて、よく晴れた昨日24日、郊外へとペダルを踏み出しました。

戦前建設予定だった旧戸井線の、実際には敷かれなかった線路跡地の真っ直ぐな道を東へ。10kmほど行くとありました。大規模な太陽光発電所が。

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ここは、地元函館生まれのクレジット会社であるジャックスが函館市へ寄付した発電所です。
日本の自治体で唯一、原発建設差し止め訴訟をしている函館市への応援ですね。
津軽海峡越しに見える、世界でもっとも危険な原発を造ろうとしている青森県大間に対して、地球に優しい再生エネルギーの太陽光で発電するという、極めて人にやさしい暖かみのある発電所ですね。

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ハマナスの実が真っ赤に生っていました。まるで一見するとミニトマトのようにも見えますね。

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そういえば、日本一周のblogの中で、多分本州の方でしょうね、ハマナスをご存知ない方が「プチトマトだ」と書かれていたのを思い出します。

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さらに、東へ! 鮭が遡上する汐泊川(しおどまりかわ)に架かる橋を渡って上流へ。すぐに、同じような大規模な太陽光発電所を見つけました。

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川を遡ります。平野部に入ると、黄金色に輝いている稲穂が見えました。間もなく刈り取られるのでしょう。一部では刈り取られた田んぼもありました。
きれいに稲穂がなびいてますね。今年も美味しいお米が食べれそうですね♪

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その後は、坂道をハァハァ云いながら登ります。まるで、正平さん気取りで。
ところが、急坂では、ギアチェンしてローに落としても漕げず、とうとう自転車を降りて押して歩く始末。とても写真に撮る余裕はなし。峠を2つ登って降りて帰路に着きました。
というわけで、久しぶりのサイクリング。合計で30kmも走らなかったけど、午前中の日が差している間十分エンジョイしました。やっぱり、自転車はいいなぁ!
ではまた次回!

始めに、コメント欄にもありましたように箱館歴史散歩の会の主宰者である中尾さんが体調を崩されたままで、次回の28日(日)の第127回目の歴史散歩は中止となりました。
とても残念ですが、ドクターストップがかかりました。28日に参加しようとしていた皆さん、当日は街つくりセンターには行かないようにしてください。参加を楽しみにしていた方も多いと思いますが、もしこのblog見た読者の皆さん、中止のことお伝え願います。
多くの箱館の歴史ファンがいて、毎回地元函館市民だけではなく遠くからお出でになった観光客の方々も参加するイベントだけに残念ですが、今は中尾さんの体調が元通りになるように祈りたい、と思います。
少しお休みして、また再び「郷土の歴史再発見ウォーク」をお願いしたいです。

秋分の日を過ぎて、夜の時間が昼の時間よりも長くなりましたね。函館辺りの緯度(北緯42度近辺)だと、1日当たり昼が1分ずつ短くなり、逆に夜が1分ずつ長くなりますね。冬至には昼は9時間、夜はなんと15時間となります。
太陽光発電の発電量もかなり減ることでしょうね。
さて、小鳥の餌さ場を手作りしてみました。

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早速、やって来ましたよ。

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雀ですけど、窓を開けて写そうとしたら逃げ出し何とか1羽の時だけシャッターを押しました。仲間を呼んで、多いときは5羽以上も来ていた時もありました。エサは、近くのホームセンターで購入。
ウエルカム・ボードも手作りしました。

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同じく手作りの庭の土手にあるものを接着剤で止めました。

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何でしょうか?ズームして見ましょう。

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100円ショップで太陽光で夜光るライトを購入しましたが、やっぱり安っぽい!
奥のホームセンターで買った700円のものとは灯りの量が全然違います。

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100円ショップは「安物買いの銭失い」になりますね。安いからと何個も買ってはみたものの、すぐに壊れたり役にたたなかったり、と。
最後に、我が家の守り神を紹介します。やっぱり、最強のガードマンであるシーサー登場。

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入り口で、我が家を守ってくれています。
それでは、また次回!

コメントにもありましたように、箱館歴史散歩の会の主宰者である中尾さんの体調が思わしくなく、とても心配です。
どうか無理なさらずにご自愛下さい。末長く続くためには、たまには休むことも必要と考えます。
お体大切にして休養し、体調を戻していただければと祈っております。

今朝からBS・NHKの「日本縦断こころ旅 ・秋の旅」がスタートしました。火野正平さんの自転車を恋で(こいではこちらの方が合っているのでは?)の旅がいよいよ始まりました。
待ってました!火野さん!今度は西へ!南へ!ラストは沖縄ですね。楽しみししていますよ!

さて、最終回の歴史散歩の会、高龍寺の内部へと足を進めます。
まずは本堂。

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とても広い本堂。1900年、明治33年に落成しています。ケヤキとヒバを使った素晴らしい本堂です。100人が座っても十分スペースが余っているほどで、中央には黄金に輝いている仏像が3体鎮座していました。
棟梁は、新潟県、越後の柏崎の名匠と呼ばれた方、彫刻も同じ越後の出雲崎の方で、建物全体が文化財に指定されています。

さらに進んで、左の建物は500体以上もの羅漢で埋め尽くされていて、見るものを驚愕します。まさに圧巻の羅漢像です。

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写真は、そのほんの一部で、東西南北の4面に鎮座しており厳かな気持ちにさせられます。
そして、最後に建物には海の神様の金比羅様3体。

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もしもう一度内部へ見学できるチャンスがあったならば、ゆっくりと時間をかけて回りたいです。それほど見ごたえのある建物でした。

その後は、歩いて西武地区を見学。近くにあった銭湯の大正湯。

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もう秋ですね。ナナカマドの実が真っ赤になっていました。秋を感じる一つですね。

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そして、やっと探し当てた、旧幸(さいわい)小学校の跡地です。碑が建っていました。

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西部地区は、戦前函館市の中心であり人口の大半が集中していました。当然子供たちもたくさんいて学校はいくつも建設されていました。私が覚えているだけでも、幸小、常磐小、弥生小、青柳小、谷地頭小の5校。函館山の裏側には幸小学校の分校まであったのですから。
ところが、少子化は、学校を統廃合します。幸小と常磐小は西小へ。それも弥生小へ吸収され、戦前の木造校舎が素敵だった谷地頭小は廃校へ。現在西部地区には、青柳小と弥生小の2校しか残っていません。

もし、間違っていたらどしどしコメント欄に書いていただければ、うれしいです。きっと、ミスがある、と思いますので。

というわけで、箱館の歴史を見る西部地区の旅、いつかまた再開します。
それでは、また次回!

昨日のコメントに掲載されていましたように、実は今回の歴史散歩で、主宰者の中尾仁の中尾仁彦さんが体調を崩される事態になり、とても心配しましたが、回復されることを祈りたいです。次回の歴史散歩9月28日は、私は残念ながら所用のため参加できませんが、再び元気になられ函館の歴史好きの人々のために実施されること期待して降ります。

さて、昨日のBS・ジャパンで映画「男はつらいよ」の寅さんが48回目を持って最終回となりました。実は、この時渥美清さんは病気が続いていて動くだけでも精一杯だったのです。だから、神戸の方々が「寅さん!」と声をかけても、それに応じることが出来ず、その時はがっかりした、との声もあったそうです。でも、映画を見ても元気のない寅さんで、具合が悪い体で出演していたんだな、と今になって思う次第です。渥美清さん、本当にご苦労さまでした。長い間、楽しませてくれてありがとうございました。亡くなられて今年で18年かな、今でも寅さんは人気がありますし、ロケされた土地を旅したいです。徳永英明のCDを聴きながら、昨日の駅岡山県「美作滝尾駅」や加計呂麻島など、行きたいなぁ!

昨日の続きです。

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称名寺で説明する中尾さんですが、この後具合が悪化し休まれました。
ここには土方歳三などの碑があります。

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なんと1644年に建立されていて、現在の建物は1929年(昭和4年)大火の後に函館では鉄筋コンクリート寺院としては2番目に建てられたものだそうです。
土方は、ここを拠点に箱館の警備を行っていたのです。供養碑にはいつでも花が活けられていて、彼の人気が偲ばれますね。新選組隊長の近藤勇とは大違い。やっぱり、イケメンは違います!

続いて高龍寺へ。山門が立派。

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箱館最古の寺院で、1633年に創建されています。あのペリーにして「High Doragon temple」と「日本遠征記」に記しているほどです。境内には、会津藩士による「傷心惨目(しようしん ざんもく)」の碑があります。

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そして、会津若松市市長と福島県知事の寄贈された樹木が植えられていました。当時の知事の名は松平さんで、きっと藩主松平氏の子孫の方なのでしょうね。
そして、内部に案内されました。初めて入ります。住職さん直々ガイドして下さるという、最高にうれしい出来事です。

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内部は、とても素晴らしいものでした。初めて入る本堂など、それらについてはまた明日紹介します。それでは、ごきげんよう!

6年前に始まった歴史散歩、今年に入っても既に6回ほど参加していますが、今回は第二次世界大戦の函館空襲の跡などを見学する、ということで今回も歩いて見ました。
平日の金曜日、しかも午前10時集合だったが、それでも60歳代を中心に(年齢を確かめたわけではないが、見た目で判断)約90名が参加しました。

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案内人は、この会の主宰者である函館の歴史に関する著書が何冊もある中尾仁彦さん。
場所は西中学校。この近くにある蔵が空襲の被害を受けたそうです。函館空襲は1945年、昭和20年の7月14,15日の両日で、終戦の1ヶ月前のことでした。
配布された資料によれば、二日間で死者79名、負傷者28名、建造物破壊が26棟、家屋焼失が169棟384戸あった、とのこと。アメリカ軍は、重要なエネルギー資源であった道内産の石炭の積出港である函館港を潰したかったのでしょう。
敗戦間近の日本でしたが、米軍は重要な港湾のある函館市に対し、爆弾21個、ロケット弾13個、計34個も落としていったのでした。

唯一被害が残った場所であった旧木田邸の蔵も、今はもう修復されてご覧のようになっています。

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続いて船見坂へ。

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さらに魚見坂へ。

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統廃合されて廃校となった、建物だけは残っている西小学校の前です。

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この坂、函館山から港へ向かう坂の中では一番西側に位置しています。路面電車である函館市電の終点「函館どつく前」から名刹高龍寺(明日詳しく紹介する予定です)や外人墓地へと続く坂道です。
この辺一帯は、明治時代の前半台町と呼ばれていて遊郭が広がっていた、とのこと。
今では想像もつかないが、当時は「吉原以北最大の遊郭街」と云われたそうです。しかし、明治12年の大火などにより遊郭街が移転します。今の宝来町、旧蓬来町へと。その後も大火があり、さらに移転します。鉄道の開通により隆盛していた函館駅前近辺へ。遊郭街の入り口には大きな門を設置し、ゲートとしました。それが大門の名のいわれです。

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明治の大火後は寺町へと生まれ変わりました。それはまた明日、ということで今日はこれでおしまい。
ではまた。

新居が完成したが、もともと我が家は坂道の途中にある。つまり、道に面していて斜面になっているのです。東側が低くて、西側が高い。その差は約1メートル。和風の庭だけでも、この差。

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50cm以上もある。おまけに、北側とは1メートルも低く高い壁がある。でも、それはアイビーなどのツタ系の植物で覆われていて、殺風景な無機質のコンクリートよりはずーっとスマートですよね。

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奥の建物は、北側に面しているアパートです。

さて、庭が出来たが、西側は地面と同じ高さでいいが、東側は土留めをしなくてはいけない。大雨などで土が流れ落ちないように土手を造る必要に迫られた。
そこで、以前から庭にあった石を運び土手を造ったのがこれ。

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斜めになっているので、高さを調整しながら石を並べました。

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左側、つまり南側が60cm以上も高いので高い石を並べ、右側へと高さが低くなるように石を運びました。石が重なる部分はセメントを付けて崩れないように接着しました。素人の作業なので、プロのようにはいかなかったけど何とか見映えが出来るでしょう。

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大きな重たい石を運ぶのは苦労しました。持ち上げることが出来るのは、せいぜい50kgくらいまでで、それ以上は転がすか、平らな板に載せて丸太でコロコロ転がしながら、ゆっくりと運んで積み上げました。まるで、秀吉の大阪城築城のミニ版ですね。例えが分かりますか?

暗かった庭に、太陽光のライトを置きました。

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ホームセンターで1本700円ほどのを2本購入し、早速昨日から灯りがついています。日中の太陽光で蓄電し、夜になって明るくなるという優れものです。防犯にもなるし、これから日が短くなる季節にはgoodですね。
そういえば、太陽光発電、今日もバッチリ!

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何と7kwh以上も発電しています。夏の暑い盛りは大気中に水蒸気があって、晴天でも太陽の光が十分届いていなかったが、秋になって空気が澄んでくると光がバッチリと届いていますね。
8月から9月までの1ヶ月間の売電の伝票が届きました。

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702kwhです。7月から8月までの1ヶ月間に比べると大雨だったこともあり、さすがに量は低いですが26、676円の売電利益がありました。もちろん日中は自家消費していますので、その分を足したらもっと家計にはプラスになっています。
今年6月までは電気の他にエネルギーとしてプロパンガス(調理専用)、灯油(お風呂を始めとする給湯や冬季間の石油ストーブ)の3種類の光熱費を支払っていましたが、今年7月からは電気のみ。それも金額的には昨年の半額以下。
すべて電気にして消費しても、昨年までの3種類のエネルギー代の合計よりも半分以下なのです。しかも、売電で利益まで出しています。
一方、雨降りや夜間はどうしても太陽光の恩恵に預かれないので買電しますが、この伝票のように、深夜電力の格安料金の時間帯が一番消費していてとても経済的であることがわかります。

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オール電化して、一番電気代がかかるのが給湯です。以前は灯油でお湯を沸かしていたのが電気の力で沸かすことになったが、それを1kwh10,67円という格安な深夜電力料金で沸かしています。
だから、一番電気を消費している時間帯は午前4時から6時までの間です。そして、日中はほとんど消費していないのです。
朝晩(8:00~13:00と18:00~22:00)は26,65円。昼(13:00~18:00)の時間帯が一番高く36,24円。
だから、昼の消費を極力押さえるのが経済的ですよね。
というわけで、庭造りもほとんど一人で作業して何とかDIY出来ました。費用はホームセンターで購入したものばっかりなのでかなり安上がりでした。自分で出来るものだ!と強く思った次第です。プロに任せたのは、アスファルト舗装や庭木の剪定。カーポートと物置も再組み立てと設置。しかも解体時のサービスとして黒土トラック7台分が花壇と畑に入れてくれました。農家で使用していた砂利のない、黒い栄養のある土ですので今後の家庭菜園での収穫が期待出来ます。

では、では次回に!ごきげんよう♪

7月に新居が完成し、翌8月に隣の旧宅を解体。その空いた土地に黒土を入れて家庭菜園としました。そこに、8月末種を蒔いてどう育つか様子をうかがっていたところ、見事芽が出て初めて収穫が出来たのです。
今年は、生産、収穫は無理だろうなぁと思いつつ少しでも来年のためにと実験を兼ねて種を蒔いたのが8月末。解体後の瓦礫を撤去し、トラックで農家の黒土を深く入れ何とか体裁だけは農地のようになり、寒くなるまでにどれだけ育つか?試しにやってみました。
そうしたら、小松菜が何とか成長し、昨日の夕食に初めて食べることが出来たのです。
取り立ての新鮮なおしたし。

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家族が半分以上食べた後で、少ししか残っていませんが、もぎたての深い緑色が分かるでしょう。次に味噌汁に入れたのがこれ。

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菜園にはまだまだ小松菜が残っています。

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もっと大きくなってなら収穫するつもり。他にはニンジン。芽が出て、大きいもので10cmほどに伸びて来ました。葉っぱが20cm以上になると土の中でニンジンが成長しているはず。

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それと、大根も植えました。葉っぱがもう既に20cmにもなり、10月半ばには土の中で大きくなっているでしょう。掘り返すのが楽しみです。

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それと二十日大根。名前のように20日間で成長する初心者のための野菜作りの代表みたい。実際は1ヶ月で収穫出来そう。

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というわけで、家庭菜園で少しは自給出来るかな?と晴れた日には長靴を履いて、スコップや鍬を持って畑もどきを耕している今日この頃です。それにしても雑草の生える力が強くて、毎日雑草取りで腰を屈めていて、体が悲鳴をあげています。毎日こんなことをしているので、顔や腕が日に焼け真っ黒です。半袖、短パンで作業しているために腕や足の出ている部分が黒い!風呂に入る度ごとに驚いています。
では、では、また次回に!

明日9月15日は敬老の日。今日日曜日は最高の天気、自転車でルンルンと出掛けて見た。

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まずは、函館山の麓へ。今まで走ってきた海岸線がきれいに見える。遠くに見えるビルは湯の川温泉のホテル群。津軽海峡の向こう側に下北半島がはっきりと見えた。
カモメたちが近くにいても立ち去らない。

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函館山の先端は立待岬。
次に、五稜郭公園へと走る。

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約100メートルの高さのタワーが青空に映える。1周1815メートルの堀の周囲を沢山のランナーが走っている。海岸線の道路にも沢山のランナーがいたが、そういえばもうじきハーフマラソンだ。昔はランニングしていたなぁ。今は公園を何周出来るだろうか?5kmも走れないかも?

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ここで、フルマラソンの練習もしていたな。23周すればフルになると、4時間近く走っていたこともあったっけ。

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もちろん遊泳禁止。こんな汚い水の中では泳げませんね。


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大雨の後なので、緑色に濁っています。
それと釣りも禁止。夏のblogに外来種のブルーギル駆除のための釣りを紹介していますが、それ以外はダメです。ボートには乗れますがね。

というわけで、函館の町はサイクリングにも最高。郊外に出て走れば、見所も沢山。そういえば、昨日から道東では日本最大の自転車レース、ツール・ド・北海道が始まりましたね。
9月、10月は自転車で走るには最高の季節。たまには、ペダルを踏んで美味しい空気を吸いましょう。
では、また次回!

昨夜は雷が一晩中鳴り響き、激しい雨が降り注いでいました。北海道は、大雨警報が連日のように出て、今年の異状気象をまざまざと見せつけられたようでした。
今朝は、やっと晴れ渡り太陽が輝いていて気持ちも良いです。やっぱり、太陽がサンサンと日の光を降り注いでくれないとね。

旅の原点、それは今から46年前。私が高校1年生の時に見た映画「イージーライダー」です。全編ロケ、ロードムービーで、始めてバックにロックを使って、まさに当時のニューシネマの先端を切った革命的な映画でした。それは、今私の部屋のベッドの上に飾っています。

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映画が大流行し、こんなバイクが北海道の大地を走っていたのを記憶しています。まだ高校1年生でバイクの免許もなかったけど、いつかは地平線の果てまで走って行きたい!、と強く思ったのもこの映画の影響です。だから、これが旅の原点。

それと、年をとってから影響を受けたのが「寅さん」です。
今夜も寅さんがBSジャパンで入ります。今夜の作品は47作目の「男はつらいよ 寅次郎 紅の花」。いよいよ来週は最終回の48作品目。渥美 清さんが亡くなってから特別編として、もう1作「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別編」がありますが、生前の作品は今日と来週の二つになってしまった。
私が特に好きなのは、42作品目から甥の満雄君(吉岡秀隆)が準主人公として登場する時です。泉ちゃん(後藤久美子)に恋するまるで青春映画のようで、寅さんは伯父さんとして甥の満雄くんに良いアドバイスをするのです。今までのワガママな渡世人の乱暴者ではなく、年をとった伯父さんとして良い味を出しているのです。
そして、この映画のバックを彩るのが徳永英明の音楽。旅をするには音も必要、というわけでCDを買って来ました。

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アルバム3つ。その中には寅さんに登場する作品もありました。
42作目の「ぼくの伯父さん」には
「MY SELF~風になりたい」が。
43作品目の「寅次郎の休日」には
「JUSTICE」
44作品目の「寅次郎の告白」には
「どうしようもないくらい」
45作品目の「寅次郎の青春」には
「夢を信じて」
46作品目の「寅次郎の縁談」には
「最後の言い訳」がバックに流れていましたね。
瀬戸内海の小さな島のに家出した満雄くんは、そこで働く看護婦さんと恋に陥るのですが、最後は東京へ戻ります。満雄君が船で島を出る時に彼女が岸壁を走って来て、辛い別れがありますが、そこで流れるのが徳永英明のあの甘ったるい歌声です。
「いちばん 近くにいても いちばん判り合えない
いちばん大事なものが いちばん遠くへいくよ」・・・。

10月旅に出るにあたって他にもCDを買って来ました。
ファンモンとダ・カーポ、それと一青窈のCD。

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最後に、blogを創り終えようとしていたら、プロレス亭卍楽さんが「道楽九月寄席」のチラシを持って来ましたので紹介します。

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9月20日の土曜日午後2時より、本町会館3階で行われます。お楽しみに!

日が暮れてからはグッと気温が下がってきましたね。もう、秋ですよ。一雨ごとに秋へ、そして長い冬がもう待ち構えていますね。寒暖の差が大きくなっています。お体気を付けて全国的な長雨の9月を乗り切りましょう。

では、また次回!

15年前に亡くなった父の形見の日曜大工道具を使って木工品を作って見ました。まずは、道具類の紹介。

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電動のこぎりと電動ドリル&ドライバー。この二つは絶対必要。ネジをドライバーで1個1個差し込んでいたら時間がかかるし、力も消耗するので、ここは電気の力をお借りします。その他、カナヅチなど。
参考にしたのが、昨日の大雨の日に函館中央図書館へ出掛けて、借りてきた日曜大工の本。

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その中でも、この本が良かった。

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その中で、これを作って見ます。

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ベンチです。サイズは本のよりも大きくし、いろいろ自分なりにオリジナル作品として工夫しました。まずは電動ドライバーの部品を購入。

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800円かからなかったです。それとネジ。

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沢山作れるように400本入りで400円ほど。

そして、3時間かかって完成。

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敷き石の奥には、エメラルドグリーンの色でハートのマークがあるのが分かりますか?

もう2個作って見ました。

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外に置く椅子です。
そんなわけで、旅に出れないストレスを日曜大工で(毎日が日曜日なので、特に曜日は関係ないですね)工作して見ました。

それでは、また次回。

ミスター・ファイターズの稲葉篤紀選手がついに今シーズン限りで引退することを決意しました。北海道に日本ハムファイターズが根付いて10年、稲葉選手は常にその中心にいました。肉体的に限界が来て、引退することになりましたが、本当にご苦労様でした。お疲れまさでした。
そして、ありがとう!稲葉さん。

自転車の鍵にも稲葉選手のキーホルダーを付けています。

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札幌ドームで何度も稲葉ジャンプして楽しむことが出来たし、日本1の優勝が味わえたのも嬉しかったです。北海道へファイターズがやって来て、本当に良かったですよ!ありがとうございました。

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さて、9月に入り今日で3日目。毎日晴天が続いています。太陽光発電も朝6時からバンバン発電してくれて嬉しい限り。

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これは、昨日の11時頃の写真ですが、5kwh以上も発電しています。

太陽光発電している南向きの屋根には、雨樋がありません。一つは、冬雪が降って積もると発電出来なくなるため、すぐ落雪するようにしたため。二つ目は、雨樋に貯まった水分が凍結しないためです。だから、夏場降雨時、傾斜のある屋根からまるで滝のように雨が落ちてきます。そこで、雨の落ちる場所に石を敷き詰めました。

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今まで何回か降雨があり、その度に滝のような雨は地面の石を跳ねて土をえぐり、その泥はベランダの硝子を汚していました。そこで、平たい石を敷き詰めて並べたのですが、効果はあるのでしょうか?

石は玄関の前にも敷き詰めました。

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花壇も少しずつ整備し、今年はこのくらいで終了しそう。あとは来年春から本格的に花を咲かせましょう。

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というわけで、家周りに毎日汗を流しています。中腰で作業しているため、背中と腰に負担がかかり体が曲がってしまいそうで、背伸びとストレッチはきちんと行っていますが、身長が縮まっていきそうです。
実際身体測定では、昨年よりも1cmも低くなり冷や汗ものでした。20代の頃より5cmも縮まってしまった。困りましたよ。(泣)


それでは、また次回!

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