函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めて「ぼうけんの旅」は今年で11年目に突入。 車中泊中心の貧乏旅行の旅、今年で72歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 いよいよ「2024年ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです!

2024年が明け今年は72歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!軽バン一人旅の始まりです。

2016年05月

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数日ぶりのブログです。いろいろと事情がありまして作成が出来ず申し訳ありません。
毎日は無理ですが、何とか春の旅完結まで書き続けて行きたいつもりです。

さて、仙台城跡の続きです。青葉山にあるので青葉城とも云いますが、正式には仙台城。
一体は青葉山公園となっています。
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広い広い公園で、中には仙台出身の土井晩翠(どい ばんすい)の像も。
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名曲「荒城の月」の作詞をしていますね。作曲は瀧廉太郎で、昔大分県竹田市を旅した時に
瀧廉太郎の実家を見学したことがあって、思い出しました。
歌の碑は、竹田市の岡城跡にありました。

哀切を帯びたメロディーと歌詞が特徴で非常に悲しげな歌ですね。
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作詞の土井晩翠は、仙台生まれだったのです。
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歌碑は、他に会津若松市の鶴ヶ城や岩手県二戸市の九戸城跡などにもあるそうです。

何度見ても飽きない伊達政宗公の像。
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それにしても、ここから見る仙台市の風景は大都市そのもの、東北最大の都会であることが
分かります。もちろん東京と比べると小さいでしょうが、地方の人間にとっては大きな都会で
、交通量や人の多さなど驚きそのものです。

下に見える川は、広瀬川。「青葉城恋歌」でも「広瀬川流れる岸部~」と歌われていますね。
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というわけで、公園内を散歩。仙台城でゆっくりと過ごしランチタイムへ。
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さて、仙台市の仙台城を見学した後瑞鳳殿へ。
ここは仙台藩主伊達政宗公を始めとした伊達家三藩主の霊屋がある場所です。
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場所は、仙台城の下。仙台市都心の南西部、広瀬川の大きく蛇行した部分に挟まれた「経ケ峯
にあります。
仙台城の駐車場から車で5分くらいか?無料の駐車場あります。
そこから歩いて坂道を登ること5分。入場料500円。
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仙台藩初代藩主の伊達政宗公は、生前自らの死後、遺骸を仙台城下町万西武の経ケ峯に葬る
ことを遺言しています。
本丸のある仙台城の東方向で直線距離は約900m。
広瀬川が形成した河岸段丘の谷沿い、70mほどの高い険しい崖の上に位置しています。
政宗公は、江戸で1636年没します。三代将軍徳川家光の時代で幕藩体制が確立された頃です。

前年に参勤交代の制度が出来、翌年の1637年には島原の乱が起きている、そんな時代でした。
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1931年(昭和6年)に国宝に指定されましたが、太平洋戦争末期の7月10日、アメリカ軍の
空襲を受けてすべて焼失しました。
そういえば、函館でも7月14日から15日にかけて空襲され、兵隊じゃない一般市民に犠牲者
が出ています。
それからひと月も経たない8月6日に広島、8月9日長崎に原爆が落とされ多くの人が亡くなって
いますね。

当時、1年でも早く降伏していれば原爆も落とされなかったのに・・・と思います。
サミットの後、オバマ大統領は広島を訪れる予定ですが、彼には大統領を辞めた後も核兵器廃絶
のために尽力して欲しいです。
そのためにも、広島で多くのことを学んで帰国してもらいたいです!
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とにかく派手な建物で、色使いもカラフル。こんな色を出すのに何を使ったのだろうか?
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亡くなった年の1636年に日光東照宮が完成しているから、恐らくそれを真似たのか?
色の使われ方が似ているような気がする。

3年前に訪れた日光東照宮は、豪華絢爛でとても神聖な霊廟とは思えなかったが、ここも
そう。
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政宗公は、生前に日光東照宮を見学したかデザインを見ていたのか?
そんな気がします。
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それほど派手な瑞鳳殿。
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その周りには、殉死した家臣15名が並んでいます。
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当時は、君主が死ぬと家臣は後追い自殺したのです。それでは、人が何人いても堪らない、
ということで4代将軍の家綱の時、1663年武家諸法度を改め殉死の禁止をしているほどです。

それだけ君主は神格化されていたのですね。
明治天皇が1912年亡くなった時にも陸軍大将乃木希典夫妻が殉死しているし、最近でも昭和天皇が没した
1989年1月7日に全国で自殺した老人がいましたね。

殉死、まさに後追い自殺です。
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明日は、2代目と3代目の霊廟を訪れます。
それでは、また!

久しぶりに雨が降ってきて、 畑や花壇にはいいお湿りです。
今週は道東を中心とした内陸部では、連日30度を越えるまるで夏のような暑さ!
でも、海に面した函館はせいぜい24度くらいで過ごしやすくなってきたこの頃です。
明日26日は、1年に1度のファイターズの試合がオーシャン・スタジアムで行われます。

雨が降らなければいいのですが・・・昨年は大雨で中止になりました。ガッカリ・・・ でした。
明日天気にな~れ 



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松島の翌朝です。風が強く波が立っています。昨日の景色と比較すると、はっきりと
違いが分かりますが、遊覧船に乗れば揺れるのは間違いなし。見た目以上に風強し!
これでは、妻が乗船できない。
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それで、諦めて多賀城市の多賀城へ。
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ナビで「多賀城跡」と検索したら、多賀城公園へ。公園内の野球場は、今も仮設住宅が建て
られていて、フィールドは埋められていた。
仮設住宅のナンバーを数えていったら、30戸の長屋風があり1戸あたりに5世帯入居していて、
合計150世帯が入居していることになる。でも、5年経った今は空き家が多い。
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洗濯物を干している家庭は、入居しているが窓にカーテンがかかっている場所は空き家に
なっている。生活している場面を写すわけにもいかず、公園内の桜しか写しませんでした。

ホントは、多賀城跡地を見学したかったのに・・・。
奈良時代から平安時代までの間に陸奥の国の国府や鎮守府が置かれていた、まさにみちのく
の政治・文化・軍事の中心地でもあった場所です。

仕方がない。それで、現在の東北の中心地である100万都市の仙台へ。
仙台市青葉城跡へ。青葉城といっても、ナビでは検索できず、「仙台城」でたどり着く。
別名として「青葉城」、「五城楼」。

青葉城と云われるのは、青葉山に位置するからで地元では「仙台城」よりも「青葉城」の名が通る。
そういえば、仙台の歌手で佐藤宗幸さん(漢字は間違っているかも?)の「青葉城恋歌」という
歌がありましたね。20年以上も前の話ですので若い人は知らないでしょう。

2003年に史跡「仙台城」として登録されたために、ナビでは「仙台城」で検索しなければ出てこない
のです。
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仙台城と云えば、伊達政宗。彼の銅像が建っています。
いつ見てもカッコイイ!逆光で顔の表情が分からないのが残念です。
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その前に神社を参拝する。枝垂桜か、朱色の本殿とマッチしますね。とてもきれい。
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が、公園内にあったこの建物の上には大きな翼があったが、5年前の震災で崩壊し今はなし。
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左のボードに説明されています。ズームして見ましょう。
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この上に、翼が二つあったのです。

築城主は、もちろん伊達政宗。でも、彼は米沢で誕生している。米沢城にその碑がありましたね。
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江戸時代が始まる前後の慶長年間(1596年~1615年)に築城してから、廃藩置県・廃城令が
出されるまでの約270年間にわたり伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁でもあった場所。

敷地面積約20000坪というから、全国的にも巨大な城。
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石垣が高く、市内が一望できる。これだと山城かな?と思ったけどここは平山城。
姫路城松山城丸亀城高知城津山城など平山の城。

やはり、戦国時代が終わり江戸時代の天下泰平の時代となると、山のてっぺんに城を構える
必要がなくなり、市街地を見下ろす場所に殿の住む城を造るようになってきたからか。

それが、さらに江戸時代の後半になると平城へとなる。五稜郭がそうですね。京都の二条城
そう。
天気に恵まれたせいもあるが、それにしても眺望が素晴らしい。
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仙台は、東北の中心で100万都市。プロ野球「東北楽天ゴールデンイーグルス」の本拠地でも
あるし、サッカーJ1のベガルタ仙台の地でもある。
高層ビルも目立ちます。
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市内を通過した時は、ナビがなければ走れないほどで、ここ仙台城へもナビの案内で来れた、
といっても過言ではない。ナビは、ありがたいものですね。

仙台市内は4車線の道もあり、かなりの通行量でひっきりなしに車が走っている。
でも、どう見ても山城のような位置にあるのだが・・・。

もっとも、今まで自分が見た山城はかなり高い山の上にあったのを思い出す。例えば、備中高梁城
津和野城月山富田城など。
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ブルーシートがあるのは、5年前の震災時に使用されたものか?
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仙台は、東北を代表する大都会です。
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ということで、仙台城を見学。駐車料金は400円。入場料も必要。大勢の観光客が来ていました。
中には、大学生か専門学校生なのか、仙台市の学習の一環として市内研修で訪れていた若者も
いて、歓声がこだましていた。

その中には、伊達を「いたつ」と発音して笑われる者も。ご愛敬です。
明日は、伊達政宗のお墓を見学しに行きます。場所は、城のすぐ下の広瀬川沿い。
でも結構距離はある。

では、また!


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石巻からさらに西へ、ここは東松島市の仙石線野蒜(のびる)駅
今から43年以上も前のこと。東京から自転車で約400kmを夜通し走って来て、その夜
ここの駅の近くの松島ユースホステルに宿泊したことがあった。
そのYHは津波で建物を流されてしまったのだろうか?どうなっているのか?

ここは、海岸から1kmくらいの距離。津波の被害を受けて廃駅となった。でも、県道27号線
沿いにあるので、交通量がありコンビニが駅の建物に入っている。見ての通り、ファミリー・
マートの看板が見えますね。
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津波の高さを示すマーキングがあった。この建物の右側で近づいて見る。
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左にJR野蒜駅、右は、2011.3.11の津波の高さを示している。
2.5mはあるかな?人の背丈よりもはるかに高い。ここまで来たとは・・・。

駅のホームに出て見る。ホームは5年前とまったく同じ状態で保存されている。
もちろん、誰も利用することはないが。
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線路には、雑草が茂っていてレールは錆び付いている。
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見ての通り、レールはここで途切れていてここは駅として利用されていないことが分かる。
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元駅、現コンビニの前の通りで足元を見ると、東松島市のマンホールが。
カワイイ絵が描かれているけど、これは誰?
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新聞で、新野蒜駅が完成したことを知ったので行って見る。ここより数百メートル山側へ移動し、
高台に設置されたそうだ。
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なかなか立派な駅舎ですね。周辺はまだ工事中のところもあるが、仙石線は文字通り仙台と
石巻を結んで走る。途中、日本三景の一つの松島を通過しているので、風光明媚な松島湾を
車窓に見ることが出来る海沿いを走るローカル線だ。
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建物が新しくて木の香りがするくらいの素敵な駅だ。汚れ一つない出来立てほやほやの、
日本で一番新しい駅舎だ。

元の駅は海に近いが、ここは高台にあるのでもう大丈夫。ホームのコンクリートも新しい。
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その後は、松島へ。
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左側に橋が見えるが、入場料200円がかかる。それも午後5時までで、それ以降と朝の8時
以前は建物の奥から入れば無料で橋を渡れる。

島へ渡る橋だが、別に200円も払うこともない。それにしても観光地はお金がかかる。
ホテルは、5階建ての5階だから見晴らし良好。
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波はまったくなく凪。これだと酔うことなく遊覧船に乗れそうだ。と思って、観光船乗り場へ
行ったら、午後4時で終了とのこと。1時間かかるから午後5時で係員も勤務完了か。
ここは、すべて午後5時には終わるのかな?

ホテルの建物です。
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左に巨大な大型ホテルがあるが、ここは漁師の人が新鮮な海の料理を食べてもらおうと
建てたそうで、その通り夜食は魚が美味しかった。

これって、松島のゆるキャラ?
左の武将は伊達政宗ですね。右はキティちゃんですよね。
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夕方、散歩して五大堂へ行く。
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臨済宗のお寺で、創建は何と!807年だから1200年以上も前に建てられている。
しかも開基は坂上田村麻呂とは!瑞巌寺の所属だそうで、坂上田村麻呂が奥州遠征の際に、
毘沙門堂を建立したのが始まり。

国の重要文化財です。
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ここも中国語が飛び交っていて、外国人観光客が大勢来ていますね。
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向こうに有料の橋が見えますね。
ということで、松島でお泊り。そして翌朝は風が強く、遊覧船に乗船するのはためらう。
同行している妻は、頭痛がして船に乗るのは無理。

明日は何処へ?では、また!


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3日ぶりのブログ作成となりました。実はPCの調子が悪く、作ろうと思っても作れずにいたから
で、やっと修復し再びキーボードを打てるようになりました。

さて、今日は石巻市の日和山公園が見える石巻湾沿いから。
スイセンの花が咲いていました。この「がんばろう!石巻」の看板は有名ですね。
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帰宅後、新聞を見たら新調したばっかりの看板だそうで、私が見た数日前に新しく作り替えた
そうです。そういえば、板もペンキを塗った場所も新しい。

奥で高いクレーン車が作業中。その奥にあるのが日和山公園
この看板がある辺りは、津波の被害が甚大でほとんど壊滅状態だった場所です。だから、建物は
はすべて流され、その跡地は更地になったいます。
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海から100mほどだろうか?平坦な場所だから津波がものすごい勢いで襲来したのでしょう。
でも、地元の人たちはこの看板を作ることで「がんばろう!」と励んでいるのです。
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となりには、小さな建物だが資料室があるが、残念ながら当日は休館日。
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さて日和山公園へ行こう!と山の付近まで車を走らせます。駐車スペースがあったので、
そこへ車を停めて目の前の坂を登ることにします。

これが、その坂道。その時は、それが地獄坂になることも、さらには山の上には駐車場がある
ことも分からず、簡単に登れるだろう、と安易な気持ちで階段を登っていこう!と歩きだしたの
でした。
森の奥に階段がが消えています。なんだか急な階段のよう・・・。

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その前に。階段の横にあった碑。
「津波襲来の地」とあるが、奥の建物は被害がなかったのだろうか?それとも、ここまで
来たのか?
どう見ても海からは、1km近くはありそうだ。
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ふと、足元を見たら石巻のマンホール発見。
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橋は、日和大橋か?その橋の上に花火が。

階段を登って行くと、右へ曲りさらに左へ、そこに急な階段があって、やっと鳥居が見えた。
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全部で何百段?だろう。それもかなり急傾斜の階段。
やっと、到着した公園から見た光景。
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すぐ下に団地が建設中。その近くに車を停めている。左に端に切れているが日和大橋が見える。
赤いクレーンは団地の工事で使用中。
眼を左側(東側)に写す。
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旧北上川に架かる日和大橋が見えますね。石巻湾の奥に田代島と網地島が見える。
左の陸地は牡鹿半島で、その奥に奥州三大霊場の一つ黄金山神社のある金華山という
名の島がある。

日和山公園には、神社があってここは何度かテレビで見たことがある。例えば、火野正平さんの
「こころ旅」で、さらには仙台出身のフィギア・スケートの羽生ゆずる選手が訪れたこともあって、
知っていた。是非訪れたい!と思っていた場所の一つだ。

山の名前は石巻から商船が出航する前に、この山に登って天候を観察したことから付いた名前だ
そう。
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それと、石巻城のあった場所でもある。山城だけに時代は古い。鎌倉時代になる直前のこと。
初代征夷大将軍の源頼朝の家人の葛西氏によって築かれた城。
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豊臣秀吉に滅ぼされるまで約400年間も続いた城です。確かに海と山に囲まれていて、
難攻不落の城に見える。
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周囲には人家があって、ここまで狭いが道がある。
私の妻は、膝が悪く階段を下りることは出来ないと云い、仕方なく自分ひとり車へ戻りここへ
車を走らせる。が、石巻の町は複雑でなかなか到着できず、ナビでも分からず苦労した。

30分近く費やし、やっと到着。神社の境内に、無料で駐車出来る場所があるなんて知りません
でした。
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標高は60.4mしかないのに、妻にとっては地獄坂だったようで、この後足腰にきたそうです。
原因は、日頃の運動不足と日常車に頼る生活をしているからでしょう。
ただ、それにしても急坂だったことはありますね。かなりの旧傾斜の階段が300段くらいは
あったのでしょうか?
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「奥の細道」とあるが、松尾芭蕉も訪れているのですね。
芭蕉は、1689年6月26日に訪れていて、同行した弟子の河合曾良が日記にしたためています。
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それにしても芭蕉は、みちのくのあちこちに出没していますね。東北を旅すると各地で松尾芭蕉
の碑があって、彼はまさに旅人の先駆者、聖者、師、パイオニアですね。
最後に、震災当日の写真がありました。
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上の写真は、近くの工場で働いていた方たちでしょう。逃げ延びてきて山から市街地を
不安そうに見ています。

下は地図で、赤色の部分は津波の被害を受けた場所。真ん中だけぽかっと空いている
部分が日和山公園です。標高の高い場所だったから、津波の被害がなかったのですね。

しかし、港周辺と日和山公園の南側は壊滅状態でした。旧北上川の中州にあった石ノ森
章太郎マンガ記念館も、そのとなりにあった石巻ハリストス正教会も被害に遭っています。

まさに、先ほどの「がんばろう!石巻」の大きな看板のある場所です。

明日は、さらに西へ。東松島市仙石線の旧野蒜(のびる)駅と新しくなった野蒜駅を見て
来ます。
PCの調子と合わせていて、なだめながら作っています。何とか明日もPC病気にならないで、
と願うばかりです。

では、また!


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昨日のファイターズは、大谷投手が投げた試合にもかかわらず敗退。最近の彼の投手としての
成績は芳しくないですね。今年はホームランを何発も打っているが、ピッチャーとして負けが多い。

自分の考えは、やはりピッチャーに専念して欲しいのだが・・・。投手としてだったら20勝は堅い、
と思うが、打者としての両立は難しい。どうですかね・・・。

と、昨日のデーゲームをテレビで見ながらの感想です。

一方で、サッカーJ2の北海道コンサドーレ札幌は勝利し、1試合少ないにも関わらず1位をキープ。
今年は久しぶりのJ1昇格か?J1に上がっても1年で落ちることのないようにしてもらいたいです!

さて、大川小学校で祈った後に国道398号線、通称リアスブル-ラインで雄勝湾沿いに走り新装
再建された女川(おながわ)駅へ。
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途中雨が降り出し、また土の道もあったりして車は泥だらけ。真っ白い車は、あっという間に
まだらの茶色へ変色。早く洗車したい気分へなる。

さて、高台へ再建された石巻線の終着駅の女川駅。立派な建物ですね。
内部を見ましょう。
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終着駅だから、車止めがある。
幟は福島のもの。「福が満開、福のしま。」 そうだ、福島も行って見よう!
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建物内部は、駅業務を行う場所は少しだけで、後はお土産物屋さんや温泉施設。
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女川温泉ゆぽっぽ、500円で入れる。これは旅人にはありがたいですね。駐車場は駅前に
数十台停めれる場所が確保されていて、無料で駐車出来るので安心。
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ただし、列車の本数はこれだけ。
石巻線は、東北本線の小牛田(こごた)駅(美里町)までで、仙台直通はない。最終が8時28分
とは、早すぎる。でも、乗客がいないのかな?
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もう一度、新装再建された女川駅。木材を使用した素敵な駅舎です。
左側に物産館、2階が温泉。右側が待合室と改札口。
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駅の正面に商店街が完成し、オープンしました。これまた素敵な商店街。
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信号を渡り、振り返り再び女川駅を見る。駅前広場も大きく取っている。
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正面に女川駅。周りに数十軒の商店が立ち並ぶ。何軒かがまとまって一つの家屋を形成して
いて、それが何軒かある。レストランだけではなくサーファーショップもあったし、衣服を売る店
もある。
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ちょうどランチタイムだったので、レストランへ入る。サンマパン美味しそう!これ買って食べ
ました。あと、ワカメラーメン。産地なのでとても新鮮で、美味しい!
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オープンしたばっかりなのでお祝いするお花がいくつもありました。
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ということで、女川駅を見学し商店街で昼食。このあとは石巻市へ行きます。
石巻では、日和山公園へ行きたかった。公園の山から見た石巻の市街地を見たい!

前回訪れた時は、旧北上川の中州に建てられていた石ノ森章太郎マンガ記念館が津波で
被害を被り、2年後に再建リオープンされたばっかりの2013年4月。

ブログのカレンダー2013年4月をマウスでかざすとタイトルが出てきます。4月4日から14日間
旅した「2013年春の旅」を是非ご覧になっていただければうれしいです。

マンガ記念館は素晴らしいもので感動でしたが、日和山公園は行けずじまい。今回こそ行くぞ!
と探して行ってみました。
それは、明日詳しくお伝えします。

では、また!

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5月に入ってもう半分、今日は5月15日。日に日に暖かくなってきて北海道も春爛漫!
日本で一番遅い桜が稚内で咲いたそうで、これで冬は完全に終了し、これから短い夏に
向かって北海道は進んでいきます。

5月末から2016年夏の旅として、日本最東端への旅(道東)へスタートしたい!と考えています。
が、予定であって、決定ではありませんが。

さて、春の旅 東北編の宮城県、名勝 神割崎(かみわりざき)。
どうして出来たのか?の理由が説明板に書かれています。
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石巻市と南三陸町の境にある景勝地「神割崎」。その昔、村の境を争っていた海岸い巨大な鯨が
打ち上げられたそうな。
その所有権を巡ってまた争う羽目に。ところが、その時地響きと共に岬は真っ二つに割れました。
地元民は、これは神様が下した裁きだ!と考えて争いが解決したとの伝説が残っています。
そんな場所がここ。実際に見てみると、荒々しい切り立った断崖が二つに割れています。
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下まで続く階段を下りてみましょう。
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しかし、海水をかぶる岩の上にも松の木々が生えているのには、驚きだ。
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松の生命力には感心する。どんな断崖絶壁でも松は生きる。昨年春の旅で、東シナ海の孤島、
下甑島のナポレオン岩を見た時も、100m以上の巨大な岩の上にも森が出来ていた。
まさに信じられない光景だった。
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近くの割れ目を見る。波が来たら、どうなるのか?
そうしたら、大きな波がやって来た。
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思わず、身震いするほどのしぶきで、少しは波を被ってしまった。
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そんな神割崎を見てから大川小学校跡地へ。
その途中、旧北上町の相川地区にあった相川小学校へ。
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3年前に来た時は、津波の被害にあった校舎がまだ残っていたが、すべて解体して更地と
なっていた。
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まったく跡形もなくなっていた。3階建ての鉄筋校舎だったのに、すべて津波をかぶってしまい、
利用出来ず、解体されてしまった。

続いて大川小学校へ。
所が、北上川に架かる新北上大橋が工事中で通行止め。内陸部へと大きく迂回しなくては
ならない。北上川の左岸を10km迂回し、飯野川橋を渡り今度は右岸を10km戻る。
そして辿り着いた大川小学校。
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ここは、解体されずにそのままの姿を残している。保存か解体か、地元では議論されたが
石巻市は津波遺構として保存することに決めたそうだ。
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3年前に訪れた祈りの場は、そのまま。
子供たちが学んだ円形校舎の教室が残されている。ここは、海岸から4kmほどさかのぼった
地区。だからか、当時の教頭や教員たちは、ここまでは来ないだろう、と大丈夫との意識が
あったのか?校長は、当日外出中で不在だった。
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となりの校舎。渡り廊下だろうか、左側の建物が崩れている。
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さらに左側の建物。3年前と同じ絵が消えずに残っている。左には、宮沢賢治の銀河鉄道の絵
が描かれている。
背後は杉の木の森林。傾斜はキツイが、決して登れないわけではない。
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ここへ来るたびごとに思うのは、「どうして裏山へ登らなかったのか?」と。
上級生たちが下級生を手をつなぎで登れば、助かったのに・・・と。
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この日もバスで来ていた人達がいた。中には、観光バスでピースサインをして記念写真を
撮影して帰る観光客もいるという。

写真を撮るのは構わないが、ピースサインはダメでしょう。それにワイワイガヤガヤと騒いで
いたら不謹慎でしょう。
それに、祈りの場があるのだから祈らなければいけない!と思うのですが。
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こんな巨大なコンクリートの柱も折られて倒されている。
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立ち入り禁止のロープが張られているので、その外側からズームして写しました。
あの日、津波が来るから早く避難しよう!呼びかけていた児童がいたといいます。その子は、
今年もう石巻の高校生。今は語り手として、あちこちであの時のことを語っているそうです。
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円形校舎はいくつかの教室に分かれていて、ここは二つの教室だったのでしょう。
黒板が見えますね。台形型の教室だったのですね。
円柱が、教室間の境だったのですね。

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鉄筋むき出しの状態です。余りにも無残な光景です。
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あの時、裏山へ逃げていれば、と何回も思いました。
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最後に、校章が見えました。壁には校歌でしょう、歌詞が書かれた板が今も掲げられています。
大川小学校は何度訪れても悲しみを誘います。
全校児童108名のうち、その7割に当たる74名が死亡または行方不明になりました。
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どうして橋へ避難したのか?川は津波の誘導路で一番危険な地だと思うのですが。
部外者が、どうのこうのと云うべきではないかも知れないが、ここへ来るといつもそう感じて
しまうのです。

今日は、悲しみの大川小学校を訪れた率直な感想でした。
では、また明日!

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キリシタン資料館を見学後は、南三陸町の宿泊研修施設「まなびの里」で宿泊。ここは、
その名の通りで、当日もどこかの企業の新人たちが50名ほど宿泊し研修をしていました。

到着した時、20歳前後の若い男女の新入社員が、研修室で座学をしていました。さすがに、
夕食時は腹ペコ状態なのか、大きな声を出してお代わりをする女性もいて、きつかったので
しょうね。しっかり頑張って働いて下さいね!

さて、翌朝は雨の中南三陸町のさんさん商店街へ。
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ここは、3年前にも訪れていて、その時はここで「春のさんさん丼」の名の4月が旬の海産物が
入った丼を食べたことがあった。
でも、今は朝の8時。ほとんどは営業していない。一部、床屋さんくらいしか開いていない。
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ここは、海に近い南三陸町の商店街が津波で大きな被害を受け、内陸部に入ったここで
仮設の商店街を造り営業していて、もう5年近い歳月が過ぎようとしている。
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全部で50店以上もあるのか、昼過ぎになると大勢の買い物客で賑わうが朝早いと誰もいない。
商店街の一角にモアイ像が置かれていた。
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なぜか?右側に説明があったのでアップして見る。

震災の2年後の2013年5月25日、チリのイースター島から世界初となる本物のモアイ像
贈られた。眼はサンゴで作られたもので、眼のあるモアイ像は世界で2体しかない、という
貴重なものだそうだ。
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実は、以前から南三陸町にはモアイ像があった。それは、1960年のチリ地震のお詫びとして、
30年後の1990年にチリ政府から贈られたものだった。

1960年5月24日、太平洋の向こう側のチリから押し寄せた津波は、旧志津川町だけでも41名
が犠牲になり多くの家屋が流されたり倒壊したりしたからだ。

そういえば、震災の2年後の4月にボランテイィア活動した時、ここを何度も通り現場にいったが
津波で倒れ壊れたモアイ像が何体かあった。それはその時のモアイ像だったのだ。
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モアイとは、イースター島の言葉で「未来に生きる」を意味する。
イースター島からわざわざ長老たちが訪れて、白サンゴと黒曜石で作られた眼を入れた。
「眼を入れると、霊力がモアイに宿り、南三陸町の悲しみを取り払ってくれ、復興を見守る
存在になる。」と。

すごいものを発見しました。わざわざ地球の反対側から運んだんですね。

近くには、地元の方たちの手作りのモアイ像もありました。一つ一つの顔の表情が違うのが
面白い。右から2番目は下を出していてお茶目だ。
DSCF4715



















そのあと、防災庁舎を見学する。
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3年前に訪れた時は、そばまで行けたが今は離れた場所から祈るしかない。
そして、周囲は3階建ての庁舎よりも高い土地のかさ上げが行われていた。まるでピラミッドを
造るかのように。
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すっかり、3年前と様相が変化して戸惑うばかりだ。
ここは震災遺構として残すそうだが、遺族の中には「早く解体して、更地にして」という声も
あるという。どこもそうだが、遺族の悲しみは何年経っても消えることはない。
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3階の屋上のアンテナにしがみついて何人か助かったが、流された人も大勢いた。
想定外の津波だったが、ここが防災庁舎だったというからなおさら悲しい。
最後まで、有線放送で避難を伝えていた女性が流された話を聞くと、いっそう悲しみが
増す。
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さて、このあと、南三陸町の片倉地区、国道398号線を南へ行った場所にラーメン屋さんを営む
方がいて3年ぶりに訪れる。
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澤田さんご夫妻だ。BSNHKの「こころ旅」で火野正平さんが何度も訪れているのでご覧に
なった人もいるでしょう。
名物の「フカヒレラーメン」を提供しています。
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朝の営業前だったので準備中。迷惑だったけど、いろいろとお話ししました。
5年経っても仮設住宅から出て行けないこと、お年寄りが何人も亡くなったことなど。

壁には、ここを訪れた人の写真やメッセージが貼られていた。

ここで、地元産のものを購入しお土産とする。函館の人にあげて、旅して欲しい!と。
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奥さんは、そのお礼と地元のワカメを逆に持たせてくれた。ありがとうございました。

そんなわけで、南三陸町のさんさん商店街、防災庁舎、澤田さんのラーメン屋さんを訪れ
て3年後の変化と、変わらぬご夫婦の姿を拝見して逆に元気を頂いて励まされました。
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いつまでもお元気で!またそのうち訪れますよ。
皆さんも、是非訪問していただければうれしいです。お店は、国道沿いで営業しているからすぐ
わかるはずです。

このあとは、石巻市の大川小学校を訪れますが、それは明日!ではまた!



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まずは、気仙沼駅から。なぜか、ピカチュウが出迎える。
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駅の看板を見ると、次の駅は「不動の沢」駅となっているが、実はこれBRT、バスの停留所。
気仙沼線は、津波の被害でレールは崩壊しバスが走っている。
でも、一ノ関駅までの大船渡線は鉄道が走っている。
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地図を見ると、千厩駅から北へ向かい摺沢駅から西へ、猊鼻渓駅から南へ、陸中門崎駅から
西へと、まさに龍がクネクネと動いているかのよう。だから通称ドラゴンレールと呼ばれている。

路線は、それこそ政治力で造られた駅。千厩駅から陸中門崎駅から真っすぐ進めば時間も
距離も短縮できるのに、と思うのは第三者の考えか?
地元民と有力者は、何としても鉄道を持ってきたかったのだろう。明治時代の話です。
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灯台と魚のオブジェが歓迎する。そう、ここは遠洋漁業の町。
気仙沼市は宮城県の都市。でも、地図を見ると岩手県かな?と。

実は、江戸時代までは大船渡市や陸前高田市とともに気仙郡だった。それが、戊辰戦争後、
明治政府は廃藩置県を実施、何度かの修正を経て宮城県入りした。(1876年4月18日)
1871年(明治4年) 7月 北海道開拓使と3府302県
            11月 同じく1使3府と72県
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古くは、計仙麻(ケセマ)だったらしい。地名の由来は、アイヌ語で「南端にある入江」など
諸説ある。

続いて国道45号線を南下し、大谷海岸駅(BRT)から小金沢駅あたりで山への道をたどる。
大谷(おおや)鉱山歴史資料館を見学したかったから。
DSCF4699



















ところが、水曜日は閉館日。カーテンが閉まってますね。ショック・・・。
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古くは、1000年以上も前から採掘されていたそうだ。平泉の中尊寺金色堂の金もここから
採掘されたそうで、そういえば、ここへ来る前の駅名が「小金沢駅」。金の文字が入っている
ことから、やはり金と関係していたのか。
DSCF4700



















近代的には、1905年(明治38年)から試掘されていて1976年(昭和51年)の閉鎖まで続いて
いる。
まさに、平泉の黄金文化の源泉だったことが分かる。
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車が何台か駐車していた。今でも残務処理があるのか、立ち入り禁止の内部では作業員が
働いていた。
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内部に入れなくても、資料館だけは見学したかった。

気を取り直して、国道45号線に戻り、本吉から内陸部へ。西郡街道の国道346号線で峠を
越えて岩手県一関市へ。
元は、室根町の大籠(おおかご)へ。
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キリシタン資料館がある。

1558年~1569年にかけて、ちょうど織田信長が天下取りしたころ、ここで鉄が採掘され
備前の国、今の岡山県から鉄の精錬師だった千松大八郎と小八郎の兄弟を招く。

実は2人は、キリシタン。伝道しながら信者を増やしていった。

ところが、江戸時代に入り幕府は1612年に禁教令を出す。翌年には全国に禁教令が及ぶことに。
領主の伊達政宗は、当初黙認していたが1620年になって禁教令を出して弾圧する。
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スペイン人のフランシスコ・バラヤス神父がいたが、捕まり処刑される。
1639年に84名、翌1640年に94名、その他300名以上が殉教し踏み絵も行われた

1937年の島原の乱で数万人が殺された直後のことで、ここ東北の方田舎でも行われたのだ。
近くには、キリスト教会が建てられていた。
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カトリック大籠教会。1952年の創立で、建てられて63年目。
DSCF4708



















外国からの寄付で建設されていて、島原・長崎・五島などと並び国際的にも有名な地なのだろう。
知らなかったです。こんな山の中でも隠れキリシタンがいたとは。
DSCF4706



















ただ、今は利用されていなく建物も一部破損した箇所も出てきている。
この建物は、神父さんの家だったのろうか?
DSCF4709



















ということで、1000年の歴史がある金山と隠れキリシタンの里を見学してきました。
知らないことはたくさんあります。旅とは発見の連続!地を訪ね、知を得る。

だから、もっと旅をしたい!のです。


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3日間お待たせしました。ブログが作れなかったのは、PCの調子が非常に悪く写真を取り
込めず、それが更新出来なかった理由で今まで何も出来ないでいたわけです。

自分では、まったく修復できず息子に頼んで苦労しながらも、何とか直すことが出来ました。
悪性のウイルスが入っていたそうで、そうなると実に困ったことで、どうすることも出来ない
ですね。今度あったらブログは諦めざるを得ないかもしれないです。

それでも、やっと以前のように戻ったので再び書き始めます。

陸前高田市の気仙川の右岸地区から。
DSCF4676



















高台に上がって、気仙川と左岸の市内を望めるが、ほとんど更地。
ズームすると、あの「奇跡の一本松」が見える。その背後は、土地をかさ上げしていて、
10m近く土地が高い。
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気仙川右岸地区は、1954年(昭和29年)まで気仙町として存在していた。合併後は、気仙川の
左岸に商店街や行政地区があり発展したが、昔江戸時代のころは三陸の中心だったその気仙
地区の中心地は今泉

1591年といえば、豊臣秀吉が奥州を平定(前年の1590年伊達政宗は小田原攻めに参入し秀吉
に逆らわず、その結果北条氏滅亡し秀吉の全国統一完成する)後は、伊達政宗の所領となる。

江戸時代は、仙台藩の代官所が設置され統治され気仙郡の行政の中心となった。また河川交通
と、仙台と釜石を結ぶ浜街道や一関と今泉を結ぶ今泉街道の交差点に当たる交通の要所でも
あった。

その今泉地区には、吉田家という大きな屋敷が残り藩政期からの町割りと、気仙大工が築いた
商家が並ぶ重厚な街並みがあったのだ。

が、2011年3月11日の大震災と津波により、ほぼすべての家屋が流され破壊されて全壊状態と
なった。
DSCF4681



















向こうの山を削り、その土砂をベルトコンベアーで気仙川の左岸地区へ運搬し、土地のかさ上げ
が行われているが、今泉地区はほとんど何も手が付けられていない。

それでも、神社仏閣は高台にあったので何とか無事だった。
DSCF4678



















東北三十六不動尊 第二十四番札所と書かれた気仙成田山
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気仙成田山の碑の横には、倒れた石燈篭がそのまま放置されている。もう、5年も経過している
のに。
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仏像も倒れたままや横倒しになり、かろうじてビールの瓶ケースで支えられているのもある。
DSCF4682



















それでも、津波はここまで来なかった。その時の写真を展示してあったが、この場所のすぐ
そばまで津波は押し寄せた。ここは海抜30mくらいの高台だったから難を逃れたが、すぐ下は
車が流されたてきたり、瓦礫が散乱していた。
DSCF4683



















正式には、真言宗のお寺で如意山金剛寺(にょいざん こんごうじ)といい、通称気仙成田山
不動尊という。
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何と、創建は888年。8が3つ並んだ年だ。平安時代(794~1192)の前期で、藤原基経が摂政と
なりやがて関白になる、そんな藤原氏の摂政関白時代のころ。同時期には菅原道真がいる。

伊達政宗の江戸時代には、2代忠宗の地方巡業の際の宿所となっている。近郊の末寺30余りの
本寺になっているほど。
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震災前の気仙地区の写真を見たが、家々がびっしりと立て込んでいて隙間がないほど。わずかな
平地に港町特有の狭い地割がひしめくように連なっていたのだ。
それが、今はご覧のようにまったく人家はなくなっている。
DSCF4686



















それでも、桜は満開。
DSCF4687



















下の石垣付近まで津波が押しよせたというから、ぎりぎりセーフだったものの、民家は壊滅状態
だったのは、更地となった写真を見れば分かる。ものすごい津波のパワーだ。
DSCF4688



















さて、ここからさらに奥へと足を延ばす。
DSCF4689


































この大木も1本だけが残っている。
DSCF4690



















気仙川がすぐ目の前で、津波は気仙川を誘導路のようにして遡上してきたはずだ。
川の向こうには、かさ上げした土地が見える。
町の中心地は海抜数メートルの土地で、津波はすべてを流し尽くしてしまった。

だれか分からないが、地元の有力者でしょう、胸像がポツンと残されていた。
DSCF4691



















椿の赤い花がきれいに咲いていている。
DSCF4693


































さらに奥へ行って見たら、真言宗のお寺が高台にあった。そこには、子安観音・ぽっくり観音と
書かれている。
産形(うぶかた)山泉増寺。この文字から、多分赤ん坊を授かるお寺?と思って付近を見たら
ありました。
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金精様と奥には女陰のような自然石が。子宝に恵まれますように!と願ったのでしょうね。
ここは津波の被害に遭わなかったのか?それとも再建したのか?

ということで、気仙地区の中心の今泉地区を散策しました。
何とか、ここまでPCも無事でブログも危なげなく作れました。明日は、気仙沼駅へと向かいます。

春の旅の総集編、カメラに収めたたくさんの写真をもとに記憶を取り戻し、資料を読むながら
作成しています。
ここは調べれば調べるほど、震災前に訪問したかった、と悔やんでます。これほど歴史のあった
場所なのか、と。
家々がびっしり立ち並んだ今泉地区を一度でいいから見たかったです。

それでは、また明日!


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まずは、再び大船渡駅前から。大船渡市は、次に訪れる陸前高田市と比べて津波の被害が
少なく、ここの駅も駅前通りも無事だったように見えた。

というのも、大船渡湾はかなり奥深くまで入り組んでいて、三つの小さな島が防波堤の役割を
果たしている。何よりも平野部がほとんどなく山の斜面に町が形成されているからだ、と思う。

もちろん、港周辺は被害も大きくJRの次の駅である大船渡駅は破壊されてしまって跡形もない。
DSCF4661


































前回、ここの看板にある碁石海岸に行って見たが、高台の海岸線なので建物などは一部を
除いて大丈夫だったので、お土産物屋など営業中だったことを記憶している。

最後に、もう一度三陸鉄道とJR東日本の盛駅を見る。
やっぱり、釜石駅同様に三陸鉄道が間借りしているか、または敷地の一部で小さくなって営業
しているかのような印象だ。ホントは、三陸鉄道が震災直後から運行し今も鉄道を走らせている
のに。JRは運行をさっさとあきらめている。
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陸前高田市へ行くが、陸前高田駅の手前の駅である脇ノ沢駅を訪れた。
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が、ここは海のすぐそばで駅舎はもちろんホームまでご覧のように破壊されていた。
線路を見ても、一部残っている部分があったが5年経って錆び付き役目を果たしていない。
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それでも、レールが残っていただけましな方で、レールがひん曲がっていた場所もあるし、
津波で流されてところもある。ここは、枕木はしっかりと固定されている。
DSCF4663



















雑草が覆い、木まで伸びている。復活する日はもうないのか?

陸前高田市の国道45号線の道の駅「高田松原」へ行く。この建物はおなじみのもの。
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上の部分の左側をよく見ると、こんな高さまで津波が押しよせてきたのか、と。
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津波の高さ、14.5mのマーキングがしている。
道路を挟んで向かい側にあるガソリンスタンドの岡本でも、広告塔に15mの印が付けられていて、
津波のすごさが理解できる。
ものすごい巨大な強さで押し寄せたんだ、と。

啄木の碑があったが、啄木も以前訪れたことがあったのかな?
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追悼施設は、3年前に来た時もあった。
DSCF4668



















内部を見ると、慰霊碑の前には海外からのメッセージが寄せられていたし、数多くの花がある。
DSCF4669



















高田松原は、7万本もの松があってそれは白砂青松100選、渚100選にも選ばれているほど
風光明媚な場所だったが・・・。40年以上前の学生時代に自転車で来て、ここのユースホステル
に宿泊したことがあった。
それはきれいなところだったが、今はその松の残骸が展示されている。
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かつて、ここに7万本もの松原があったなんて、誰も想像できない。年間100万人もの観光客が
来ていた、と。
DSCF4673



















道の駅の内部は、ご覧のように廃墟そのもの。
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まるでシリアかイラクの都市のように、爆撃された建物みたい。

3年前と違うのは、ここの敷地の一部に津波学習施設が出来たこと。
内部は、様々な展示があって津波のすごさを学べる。
DSCF4674



















見学していたら、周辺の中学生がバス2台でやって来た。おそろいの上下学校ジャージを
来て下車し、引率の先生方に連れられ見学していった。
DSCF4675



















他にも、観光バスで団体さんがやって来た。津波の被害が分かり、学べるのはいいことですね。
震災5年目を迎え、道路も整備されてきて観光客を受け入れる準備も整っています。

多くの人々が、ここへ来て事実を知り学んでいって欲しいです。
明日は、ここ陸前高田市の気仙川の右岸を訪れることにします。そこは、江戸時代の気仙地区の
中心だった場所で、神社仏閣が多くあり伝統芸能が盛んだったところです。

いろいろとテレビでも紹介されていたので、是非訪問したいな!と思っていたのです。
それは、また明日!

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朝起きたら、曇り空。でも、時間とともに青空が見えてきた。きっと、晴れるぞ!と思い込んで
出発する。
最初に写真は、次の駅である綾里駅へと向かう途中で見た石碑と説明。
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明治三陸大津波伝承碑と書かれて石碑。
1896年(明治29年)6月15日に発生したマグニチュード8.5の地震で、綾里湾は38.2mの津波
を記録している。
石碑では、高台にるここまで津波はやって来た、と書かれている。

死者21915名。行方不明44名。負傷者4398名。死者の数が多いのが気になる。2万人を超えて
いる。

そこからすぐ、綾里駅があった。
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右側にある碑を見ると。
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津波でんでんこ」~津波が来る前に、それぞれ逃げよ!と。
一刻も早く高台に避難せよ 逃げたら絶対に戻るな 自分の命は自分で守れ、と。

そう 絶対忘れてはいけない!
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ホームに出ると、駅の看板に織姫の絵が描かれている。これは、後から分かります。
西側は山。東側が海だが、駅は高台にある。
DSCF4639



















駅の左側にある綾里大権現の説明板。こちらでは、獅子のことを大権現と呼ぶらしい。
写真を見ると、特別に大きな大権現(獅子)がとなりの建物に展示されていた。
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正面から撮影しようと思ったが、ガラスには自分の姿しか映らず横から写したが、これでは
分からない。説明板の写真のような大きな木製のものだった。かなり重そうで、一人では無理
で、多分数人で持って踊るのだろう。
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駅から真っすぐに大船渡市の盛駅に行かず、立石山のある半島をドライブする。砂利道だが、
何かありそう。
すると神社発見!
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階段が奥へと続き、杉の森の中に歴史ある神社がありそうな予感がして来た。
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恵比須像がある。
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地図にも出てこない神社。これは、能舞台のような建物だ。
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しっかりとメモを取って来たら良かったが、残念なことにこの写真だけしか記憶に残っていない。

県道9号線の途中に、綾里の説明する案内があった。
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ここの神社に、美しい姥が住み機織りをして暮らしていた、と。
栃の人々は、姥が綾を織ることから綾織姫と呼び、神様のように敬愛したと云う。
その里だから、綾を織る姫のいる里ということで、綾里の由来がお分かりですね。

ちなみに姥とは、年取った女、老女のこと。
きれいなおばあさんが神社で暮らしていたんですね。
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キビツ岩」の説明も、姥が関係している。
いずれも、平成13年(2001年)のことで三陸町時代のこと。今は、大船渡市と合併してしまった。

その大船渡市三陸鉄道の盛駅
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となりは、JR盛駅。
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三陸鉄道はしっかりと鉄道が運行されているが、JRは鉄道をあきらめバスが走っている。
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BRTと呼ばれるバス・ラビット・トランジットの頭文字で、日本語ではバス高速輸送システム。
元の大船渡線の気仙沼駅までと、気仙沼駅から先の海岸線の線路を取り払い、舗装工事して
バスの専用レーンにして運行している。
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サンマが美味い大船渡」 さんまの産地ですね。
駅前にあった石碑。「三陸鉄道 ここに始まる」
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足元を見た。カモメと海と船。サンマが描かれていないけど・・・。
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それでは、三陸鉄道盛駅のホームに出て見ましょう。
ホームの天井から、無数の手袋がぶら下がっています。これは、一体何だろう?
背後の絵は、巨大なもので、年老いた漁師と津波後の瓦礫。
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夜だと、不気味な光景だ。もし、顔に触れたら怖いくらい。
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パネルにも飾っているけど、何か意味があるのかな?
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不思議な光景に、驚きです。
DSCF4659


































山から石灰石を運搬する岩手開発鉄道の貨物車が走る盛駅。かつては、人も乗せていたが、
今は貨物専用。その岩手開発鉄道の本社ビルの建物です。
三陸鉄道は、ここで終わり。車止めがありますものね、
DSCF4658



















そうこうしているうちに、三陸鉄道の列車がやって来ました。釜石からの列車ですね。
DSCF4660



















折り返し、釜石行きとなります。

ということで、大船渡市へとやって来ました。明日は、津波の被害甚大だった陸前高田市を
訪れます。では、また!


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吉浜駅。南リアス線の釜石駅から三つめの駅で、所在地は大船渡市。
ご覧のように、桜が満開です。
南リアス線は、起点は大船渡市の盛駅で、終点は釜石駅。路線は36.6km、全11駅です。
もちろん全線非電化。

釜石駅から、順に平田(へいた)駅唐丹(とうに)駅、そして吉浜駅。
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駅舎の外壁は、ネスレ日本(キットカット)協賛で「キット、ずっとプロジェクト」に因む桜の花が
前面の壁画いっぱいに描かれていますね。

北リアス線の田野畑駅も同様な桜の絵が描かれていましたが、まったく同じではなく模様は少し
異なるそうです。そういえば、桜の花びらが大きそうですね。
DSCF4624



















続いて恋し浜駅へ。吉浜駅から三陸駅甫嶺(ほれい)駅、そして恋し浜駅。
DSCF4626



















奥に漁港が見えますね。震災の時は、漁港は津波の被害に遭ってますが、人家はほとんどが
高台にあって、大丈夫でした。ご覧になってもお分かりのように平坦な場所はまったくなく斜面に
人家が数十軒あります。
ここの小さな駅舎には、ここの特産品のホタテの貝殻に願い事を書いて吊るしていることです
DSCF4627



















神棚があって、願い事が叶えられるように神様が読んで下さっているのかも?
多くは恋の願いですが、震災の復興を祈るものもあります。
私も一つ書いて吊るしてきましたが、それはもちろん震災回復を願うもので、「頑張らなくても
いいから、ゆっくりと一歩ずつ前進しよう!」と。

列車がやって来ましたね。釜石行きの下り列車。
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下車する人もおらず、乗車する人もなし。ちょっと寂しいですね。
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行ってしまった列車。
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カワイイ駅舎は、この階段を登らねばいけない。最近左に少しだけ見えるけど、スロープが出来て
距離は長いけど、階段を使わずに降りることが出来るようになりました。車椅子の方は、便利です。
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ということで、吉浜駅で妻と合流し今宵のお宿へ急ぎます。場所は、綾里(りょうり)駅の手前の
海に面したホテル。
宿泊したホテル3階の部屋から写した光景です。南側。
DSCF4632



















一方、北側。
DSCF4633



















ホテルの女将さんと話しが出来ました。津波は、ホテルの下ギリギリまでやって来たそうです。
それでも、ホテルは海抜30mの場所にあって、何とか大丈夫だった、とのこと。

震災以降は、数少ない営業出来る宿泊施設としてフル操業して全国の警察官を始め復旧工事
に携わる人々を宿泊させてきた、といいます。
DSCF4634



















観光シーズンではないにも関わらず、10名ほどの宿泊者がいましたが、彼らは復旧工事の
仕事をしていて長期滞在者だそうです。朝7:00、作業着姿で朝食を取り、車で現場へ出かけ
て行きました。

ということで、今日はこの辺で。明日は、綾里駅と盛駅へ。大船渡市中心部へ行きます。
では、また!


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田老駅から国道45号線を南下し、宮古市へ入ります。まずは、昼飯を食べなくては。
ランチは、宮古の道の駅。魚市場の隣にあるし、何よりも港を眺めながら食べることが出来る。
DSCF4608



















2階のレストランは、昼時を過ぎていたので閑散としていた。
お昼を満たした後は、大槌町へ。JR山田線は、今も不通のまま。JR東日本は復旧させる気は
ないみたいだ。
逆に、三陸鉄道へ全線引き継がせたいつもりで、「線路を復旧させるから後の経営は三鉄さんで」
と、頼んでいるようだ。

山田線は、宮古駅から釜石駅の区間が不通のまま。釜石から遠野市を経る内陸部を通る釜石線
は、津波の被害を受けずにいたので今でも運行しているが、海側を走る山田線はまったく手つか
ずのまま。

その一つの浪板海岸駅
DSCF4610



















ホームの跡が見えるが、レールはなく線路は途切れている。
その下にある石碑を見た。
DSCF4609


































昭和8年3月3日の地震と津波のことが記されている。

1、地震があったら津浪の用心をせよ。
2、津波が来たら高い所へ逃げよ。
3、危険地帯に住居をするな。

今でも通用することです。三陸地方には、このような石碑があちこちに残っていて、過去の津波
被害の教訓にしているが、それでも人々は時の経過とともに忘れてしまった。

今回の津波では、お年寄りが動かず、寄り添った若者が犠牲になったケースが各地にあった
そうだ。
お年寄りは、「ここまで来ないだろう」とか「もう動きたくない」と。逆に子供たちの方が真っ先に
避難している。

さて、ここの駅の山側に「風の電話」があるが、工事中のガードマンに尋ねても分からない、と
いう。ネットで探しても地図は不確か。仕方ないので、適当に探してみる。

空き地に車を置いて歩く。5分ほど歩くと、電話ボックスが見えた。
DSCF4614



















ここの土地の所有者であるSさんは、2010年冬従妹(いとこ)をガンで亡くしました。彼は、
悲しみの家族を癒そうと、不要となっった電話ボックスを譲り受けたそうです。

2011年春を待っていたら、あの震災が起きました。
「あまりにも突然に多くの命が奪われてしまった。せめて最後にひとこと、話がしたかったはずだ。」
とここを開放し、癒しを求める多くの人々を受け入れています。
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もちろん電話線がないから、こちらからしか話せません。でも、静かに目を閉じて耳を澄ませると
風邪の音とともに、亡くなられた人の声が聞こえてきそう。

そう、ここは心で会話する場所なのです。
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実は、昨年の2015年1月8日、強風で飛ばされて破壊されたが、支援者によって再建されて
います。
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電話は、ダイヤル式の黒電話。
Sさんは、震災後敷地を整備しメモリアルガーデンとして庭を開放している。
とっても手入れの行き届いた庭だ。

Sさんとお話しすることが出来た。物静かな方で、優しい話し方にとても癒される。
彼は、ベンチを置いたり自宅に「森の図書館」も建てている。
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「かぜのでんわ」という絵本も出版されていますし、NHKでも放送されました。

続いて、隣の駅の吉里吉里駅
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吉里吉里は、井上ひさしの小説にも登場してきますね。私が学生時代だから、40年近く前に
読書した記憶があり、訪ねてみたい気になった場所です。
しかし、駅は板で塞がれ閉鎖されていた。
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ホーム側の窓も入口も閉鎖されていますね。
ここは高台で津波の被害を受けなかったので、レールはあるが錆び付いていて5年間列車は
通過していない。
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桜は満開だったけど、駅はただの建物だけ。駅は列車が通って人々に利用されて役に立つもの
なのに・・・。

続いて釜石駅へ。
となりにJRの釜井駅があるが、ここは三陸鉄道の釜石駅。
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駅の中に見つけたもの、海岸から1km近くも内陸にあるのにここまで津波が押しよせて
きたとは。
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でも、同じ壁にはこんなうれしいニュースもあった。
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それは、2019年ラグビーワールドカップの開催地の一つに釜石が決定!の記事。
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そう、ここはかつて新日鉄釜石がラグビー日本選手権で7連覇した土地なのだ。
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ということで、ここから妻はJRではなく三鉄の南リアス線で南下します。そして私は車で
追いかけます。
明日は、吉浜駅、恋し浜駅と南リアス線の素敵な駅を紹介します。
では、また!


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摂待駅から宮古市へと向かう途中、田老のグリーンピアへと向かいました。ここのグランドと
広場には、仮設の商店街と仮設住宅が造られているからです。

というのは、田老の中心街は津波で大打撃を受けて高台にあるここ田老グリーンピアへ移転
していたのです。

3年前は、仮設商店街はすべてが埋まり人の賑わいもありましたが、3年経過したら半分も営業
していませんでした。立ち寄って購入した「手作り工芸品」の女性は、「一人ずつ出ていって、今
は半分もいない。」と嘆いていました。

「田老よりは、人の集まる宮古市へ、さらに盛岡市へと。高齢者は娘や息子の住まいへと、どん
どん移っていった。」「だから、この工房でも作業する人は今は私一人だけです。」と。
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実際、人の往来は少なく活気がない。
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それもそのはず、となりの仮設住宅は空きが半分以上だそうだから、買い物に来る人も半減
している。
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田老の中心街へと足を延ばす。
その前に、三王岩を見学する。
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三つ並んだ岩がそう。遠くに重茂(おもえ)半島が見える。DSCF4592




















一番大きいのが男岩。その左の中くらいのが女岩。小さいのが太鼓岩
名前が付けられているのですね。
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もう一度別角度から。震災では大丈夫だったのだろうか?波を被って破損しなかったので
しょうか?
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しかし、昨日の吹雪交じりの悪天候と違って、この日は最高の天気。海岸がとてもきれいだ。
逆側を見ても美しい海岸だ。波もなく三陸ブルーの海の色。
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さて、田老の町へと入って行って行きます。
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写真で見える平坦な場所が、万里の長城と云われた田老の防潮堤の中にあったところで、
商店街在り、住宅在りの人々の生活の場でした。

一番最初に見たかったのがこの建物。「田老観光ホテル」です。
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今は、津波遺構として保存されたホテルです。
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ご覧のように、4階まで津波が来て3階部分までの建物の内部は流されている。跡形もなく津波は
流してしまって、空洞になっていて無残な形として残っている。
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1986年(昭和61年)に建設されて営業していたが、2011.3.11高さ17mを越える津波の被害に
あった。写真を見ると、以前は立派なホテルとして営業していたことが分かりますね。
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そして、ホテルの駐車場を見たら緑色の矢印があった。何かな?と説明版を見ると、土地が
地震によって移動していたのを説明していた。
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何と! 2.18mも東南の方向へ移動し、地盤も0.31m沈下していた。
酷いものですね。地震のパワーのすごさ、自然の恐ろしさを感じざるを得ません。
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最後に、もう一度ホテルの外観を。
ありのままの姿を残すことで、後世の人たちに地震と津波の恐ろしさを実感して欲しい、との
目的で所有者は津波遺構として永久保存をしたのです。
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足元を見たら、田老のマンホールの絵は三王岩とカモメでした。
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三陸鉄道北リアス線田老駅へ。
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3年前と変わった光景が見れました。それは、駅前の土地は居住できない区域となり
人の住む建物の代わりに大量の太陽光発電のパネルが設置されていたことです。
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セメント工場や倉庫はあるが、海に近い部分や海抜の低い場所は、生活エリアではないとのこと。
駅と線路は、高台にあるので復旧が早かったが、低地は人の住まいとしては無理なのでしょうね。

ということで、田老の町の状況を見、仮設商店街ではじっくりと地元の方とお話しできました。
なかなか元通りに戻るのは厳しいことで、新たな町づくりが求められているのです。

また、数年後に訪れてみたいです。どう変化したか?仮設は撤去されたのか?
何とか、町として生き残れる道を模索して欲しいです。

明日は、宮古市へそして大槌町の「風の電話」を見てみたい。電話線もない電話ボックスが
人気を集めてます。それは、心を通じて天国へ旅経った人と話を伝えることが出来るからです。
その「風の電話」を苦労しながら探しに行きました。それは明日!

ではまた!

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今年3月、大手旅行会社のHISが100万人へネットでアンケートした結果、見事堂々と全国1位に輝いた五稜郭公園へ行って見ました。

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五稜郭全体を見渡すには、タワーに登って見るのが一番良いが・・・もちろんただではない。


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地上からの高さ107m。新タワーは2006年の完成だから、ことしで10周年ということになる。

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旧のタワーは1964年(昭和39年)に五稜郭築城100周年記念して建てられたが、高さは60mだった。
だから、五稜郭は築城して今年で152年目ということだ。

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堀の周囲は、約1800m。歩くと30分ほど、ジョギングだと10分くらいか?

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江戸時代の末期、江戸幕府によって建造された我が国初めての洋式の城。
五稜郭は他に、長野県佐久市の龍岡城があるが、面積は少なく堀も半分埋め立てられていて、五稜郭といえば函館だ。
城といっても、天守閣はないし殿様が居住したわけではない。箱館奉行所があった場所。奉行所とは、役所・警察・裁判所などいわば行政全般を司るところ。
その防備のために大きな堀が造られた。

昨日日曜日は、大勢の花見客が来ていた。道路は渋滞し、駐車場は満杯。寒かったけど焼き肉やジンギスカンなど飲食していた人たちがたくさんいた。

五稜郭公園から歩いて10分ほどの場所にあるのが、桜が丘通り。そこへも足を延ばした。

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今が盛りで、GWの後半には散ってしまいそう。

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春の旅では、東北の各地で桜が満開で、福島県からは桜とともに北上したかのような行程だった。

北海道では、これからが桜の季節。5月下旬まで各地で桜を見れることでしょう。

ということで、今年日本1位の絶景に選ばれた五稜郭公園をお伝えしました。

明日は、春の旅の総集編3回目を紹介しますね。
では、また!

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