函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めて「ぼうけんの旅」は今年で11年目に突入。 車中泊中心の貧乏旅行の旅、今年で72歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 いよいよ「2024年ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです!

2024年が明け今年は72歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!軽バン一人旅の始まりです。

2019年08月

8月29日木曜日、天気は晴れで気温は最高気温27℃で、蒸し暑い1日でした。
そんな中、函館文化会が主催の第7回市民公開講座(無料)が湯倉神社で開催されたので、行ってみました。
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500年の歴史ある湯倉神社の本殿で催された講座には、市民70名ほどが集まり熱心に拝聴しました。
タイトルは「湯の川温泉いまむかし」。
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普段湯倉神社へ来ても、本殿に上がることはなく、初めての体験。
その前に、湯倉神社宮司の伊部さんの祈りが。
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祈りのセレモニーでしょう。まずは、今回の講座が成功するようにとお祓い。
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皆さん頭を下げているのに、自分一人だけカメラのシャッターをパチリ!神様からバチが当たるかな?ごめんなさい。
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いろいろと仕来たりがあるんですね。
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講師の先生は、湯川1丁目町会の前会長さんだった村山信夫氏。自ら湯の川の原住民と名乗るきっっすいの湯の川っ子。1936年生まれだから83才です。略歴を読んだら、私にとっては高校・大学の大先輩。函館東高校時代は野球部で、甲子園まであと一歩だったとか。北海道大会の決勝戦で敗退していて、憧れの甲子園の土を踏むことが出来なかったとか。
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お話は1時間半ほどにおよび、古い写真を元に、湯の川温泉の歴史や湯の川村時代のことなど、知らない話をもあり興味深く聞くことが出来ました。
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その後は、宮司さんから湯倉神社の案内。
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松前藩主松前高広の幼少期、千勝丸の名の時に重い病気を患っていたが、湯の川温泉で湯治すると間もなく全快したこと。幕末箱館戦争で榎本武揚が戦傷者を湯治させたことなど。
現在の建物は、1941年(昭和16年)に造営されたそうです。
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こちらは裏側にある稲荷神社。千本鳥居ならぬ10本鳥居を潜ってたどり着きます。
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こちらは日吉神社。
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湯の川温泉発祥の地の石碑。
湯の川温泉は北海道三大温泉だそうで、残りの2つは登別と定山渓。
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ということで、湯の川の歴史や湯倉神社のことなど勉強になりました。
昭和29年に湯の川で大火があったことなど知らないことがいっぱい。
昭和40年の鮫川氾濫による大洪水は、私が中学1年生の時でいまでも記憶に残っています。

コタローは、今日の暑さに参ったよ~。腹だして酷い格好。まるで狸だねぇ~!
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何だよ~、暑くて寝るに限るよ。
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じゃー、皆さん残暑に気を付けてね!
夏風邪など引かぬように、人間は腹出して寝ちゃダメよ~、ダメダメ‼️

8月28日水曜日、天気は雨。九州北部は豪雨で、避難警告も出されているほどですね。それに比べると大した雨ではなく、久しぶりの恵みの雨と言った程度です。
どうか、九州北部の皆さんがご無事で被害が少ないことを祈ります。

それにしても、日本全国各地で毎年天災が起きていますね。地震を始め豪雨により氾濫、土砂崩れなど、これって地球の温暖化の影響でしょうね。日本だけでなく世界中でおかしな天候になっていて、この先、どうなることやら?とても心配です。

さて、7月の旅の3回目です。初日の宿泊地はここ道の駅「あっさぶ」ではなく、ここから200ⅿも離れていないキャンプ場の「土橋自然観察教育林」というとても閑静な場所。

以前にも宿泊したところで、道の駅は国道227号線沿いにあって夜間でも結構うるさく車中泊するには辛い場所ですが、キャンプ場は国道から奥に100ⅿ以上離れていてしかも森の中だから静かそのもの。

blogは、freeWi-Fiがある道の駅で済まして、その後キャンプ場へ移動して食事と就寝。
下の写真は、道の駅に隣接する公園でひまわりの花が満開ですね。
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まずは、厚沢部町の中心街へ。かつて厚沢部高等学校のあった場所。今は、パークグルフ場へとなっていて、高齢者の方々が朝からプレー中でした。
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その後、乙部町へ移動し、滝瀬海岸を見に行きます。まずは駐車場へ車を停めて海岸まで歩く。
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同じ写真が2枚重なってしまい申し訳ありません。どうやっても1枚が消えないのです。これって、自分のpc技術のなさから来るものです。

高さ30ⅿくらいの断崖絶壁が続く海岸、江戸時代から白い傾斜地を意味する「シラフラ」とも云われていたとか。駐車場からは波打ち際を歩くこと10分以上。砂地だからとても歩きぬくい。
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この壁、延々と数百メートルは続いてて、この先は江差町の行政区域へ。江差町に入ると今度は砂浜海岸で、白砂青松100選の一つの「砂坂海岸」に続いています。そこまで歩いて行きたかったけど、歩くのがしんどくここだけ200ⅿほど歩くだけにしました。
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崖のない場所が砂坂海岸。島のように見えるところは江差町の鴎島。その奥は上ノ国町。
この日は波はなく凪状態。
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振り返ると、歩いてきた足跡が波打ち際に残っています。奥の岬を越えてやってきたのです。だから波が高い時や満潮時は無理かも?
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ホントに不思議な断崖絶壁。岩はもろく岩登りも出来ないでしょう。
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地元の漁師さんでしょうか?歩いている方もいますが、密漁防止かな?
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とても歩き辛かったです。でも、一度は訪れたかった場所だけに、感動!
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海を覗いて見たら、小さなカニが泳いでいました。何処にいるか、わかりますか?探してみてください。
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元の場所に戻ると、北の海岸も険し断崖が続く海岸です。向こうに見える海岸は元和台(げんなだい)海浜公園のある突符岬。何と読むのか?多分「つっぷみさき」?
乙部町の道の駅「ルート229元和台」のある場所です。背後の山はササマクリ山(711.2ⅿ)。
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乙部町の市街地へ行くと、「ニシン街道」の場所があって、ここは戊辰戦争の最後「箱館戦争」で、新政府軍が五稜郭に陣取る旧幕府軍と戦うために、青森から船で来て上陸した場所。
右端の山田なる人物は新政府軍のドンなのでしょうか?IMG_3625






























官軍上陸のことを、北海道の夜明けの地としていますね。これって、旧幕府軍側が完全に悪者扱い。まさに賊軍ですね。

詠むと、官軍が蝦夷地を奪還して北海道の開拓が始まったとしていますが、実際は薩摩藩出身者の出世の場となり、その悪名高き人物の筆頭は黒田清隆。彼は、五稜郭攻略戦を指揮し北海道開拓使長官へ、開拓使官有物払い下げ事件で辞任した後も1888年に第2代内閣総理大臣になった人物。
蝦夷地を食い物にし、奥さんを殺した事件はうやむやにした超がつくほどの酒乱。パワハラ、セクハラの代表的な明治男です。Wikipediaで見ると、ホント酷い!

鹿児島では英雄かも知れないけど、北海道や東北では悪人と云っても過言ではない人物。と、私の独断ですけど。
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ということで、この後はランチタイムで上ノ国町へ移動しますが、それはまた次回。
では、また!


8月27日火曜日、天気は晴れ。ここのところ湿度が低く心地よい風が吹く、まさに秋晴れの日が続いています。
こんな日に家に閉じ籠っているのは、実にもったいない!
ということで、サイクリング!
まずは、大森浜から東側の汐首岬方面を望む。
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波も穏やかで、津軽海峡越しに下北半島と津軽半島も見えます。
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函館山もクッキリ!
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ところどころで、昆布が干してありました。夏は昆布採りの季節。日光に当てて乾燥させていますね。函館の海岸は、日高、羅臼、利尻と並ぶ道内の昆布産地ですからね。
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地元の道南食糧工業(株)へ。ここの味噌が美味しいのです。
昭和17年創業、函館唯一の味噌.醤油の醸造会社です。他に焼肉のたれ、生糀、汁なども製造販売しています。
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手前右はごぼう鉄火味噌220gで237円。右上が同じく100gで108円。左上は青なんばん鉄火味噌2倍で170円。下が青南蛮鉄火味噌で140円。
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我が家で採れたキュウリにつけて食べると最高!

続いて、ランチは天ぷらが美味しい「てんや」へ。
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1日20食限定のランチタイムのみの天丼で、お値段は900円。ご飯は大盛りサービス。
とっても美味しかった!
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食べた後に、ちょっと風景の良い場所へとサイクリング。緑の島へと。ヨットハーバーと奥の赤レンガ倉庫群が絵になりますね。
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函館山もクッキリ!
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駅前から湾岸沿いはホテル建設ラッシュです。
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コタローは、こんな上天気でもお寝んね。
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カメラを向けると、眼を開けて「何だよ!」と睨む。
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コタローも外へ行きたいよ!
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どうして連れってくれないんだよ!
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それより寝るのが最高!
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食べて寝て、遊んで寝て、また食べて、と。
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これじゃ、太るのも当たり前だ!コタロー太りになっちゃったよ!
メタボなコタロー、これじゃダメじゃん‼️

8月26日月曜日、天気は晴れ。湿度も40%くらいで低く、まさに秋晴れのカラッとした良い天気。
道東では、最高気温でも20℃を切るところもあり、朝夕は寒いと感じる温度です。
函館では、暑くもなく寒くもなく、ちょうどいい気温でとても過ごしやすいです。

さて、2回目となった7月の旅は館城跡から。広い農地の中に、ポツンとあって「こんな場所にお城があったの?」と首を傾げるようなところです。
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松前藩が築いた城だが、松前と云えば日本海の北海道の最南端に位置するところ。ここ厚沢部町の館からは、距離して70㎞以上も離れていますよ。恐らく船を利用して江差まで来て、そこから歩いて内陸部のここまで来たのでしょう。どうして急遽移転などを考えたのか?

幕末、1868年の1月に戊辰戦争が開始されていてから9か月後に、ここで工事が着工されて2か月もたたない10月の25日に完成しているのだから、よっぽどの突貫工事。
事情としては、松前にいては藩内部の反乱、徳川脱走軍の攻撃など危険と察知したからでしょう。
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確かに、藩内部では旧幕府側につくか、新政府側につくかでもめていたとか。この時期、どこの藩でもあった話ですね。それと、松前だと耕地も少なく食糧確保のためにはここの広い場所が必要だったのですね。
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周囲は、広大なジャガイモ畑。厚沢部名産のメークインです。
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館集落の丘にあり、見通しも良い。
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こんな小高い丘の上に築城したものの、わずか75日で榎本武揚率いる旧幕府軍により陥落しています。
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館から自転車で30分ほど走り、そこで見かけた「館聖公会教会堂跡」。
明治時代に、こんな場所に聖公会の教会=イギリス国教会(一応プロテスタントですが、16世紀にカトリックと対立して出来たイギリス国王を首長とする新教)の教会があったなんて驚きです!
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今は、農地が広がりここにあったなんて、看板がなければ信じられないほど。
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館小学校付近で、マンホールを見たら、さすがメークインの里「厚沢部」です。
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前回紹介した、矢櫃(やびつ)温泉へ。7月の旅1回目では自転車で、案内の所まで来ましたが、その先はダートの道で、クロスバイクでは無理。それで、車出来た次第です。あの看板からダートの道を走ると2㎞以上で到達。辺りは熊出没中で、怖いくらい。
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温泉と云っても、こんな程度でこれでは入るわけにはいきませんし、温度もぬるい。25℃もないくらいで、冷泉ですね。
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ということで、この後は厚沢部のキャンプ場で車中泊しました。

今日のコタローです。
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お母さんが手術を終えて退院して我が家へ帰ってきてから、やっと心も落ち着いてぐっすりと寝れるようになったよ~!
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今は、お母さんのベッドの横で寝ているんだ。だから安心してイビキもかいて寝ているのさ。
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今日は上天気で、昼寝もバッチリ!1日に5回以上寝ていて、合計時間は20時間も寝ているよ。
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8月もあと5日。もう、すっかり秋だねぇ~。
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秋は、食欲の秋、睡眠の秋、お昼寝の秋、スポーツの秋でもあるけど、コタローにとっては季節を感じることはないなぁ。いつでもどこでも良いけど、美味しいものを毎日食べれれば最高だよ‼️

8月25日日曜日、天気は晴れ時々曇りで、気温は23度くらいか?湿度も低くとても気持ちの良い天候で、肌に感じる風はすっかり秋!で、海岸に出てみたら、夏のボーッとした空気ではなく遠くも見渡せる秋の空気で、何度も云ってますが北海道はすっかり秋です!

まずは、大森浜の海岸。汐首岬まで遠望出来ますね。
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対岸の下北半島もクッキリで、津軽半島まで望めます。さすがに岩木山は見えなかったけど。
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あの突端、立待岬まで行く予定でしたが、途中でコケたので行けず。
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大森浜とは逆の函館湾岸側へ。
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昔の青函連絡船である摩周丸が停泊している岸壁では、10マントン以上の大型クルーズ船が停泊出来るように、現在工事中。
今までは大きいのは港埠頭で、ここは5万トン以下で、やっぱり観光に便利な駅前に欲しいから。
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朝市方面へ行ったら、何と!「よさこいソーラン祭り」が開催中でした。
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どおりで、周辺には衣装華美で顔にドーラン塗った人たちが多かったし、ボリュームいっぱいのはで音楽が鳴っていたのです。
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毎年6月頃に、札幌で全国大会が開催されて賑わいますが、今日は道南大会だそうで、幾つものグループが普段は観光客でこみ合う道路いっぱいに踊っていました。
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近くで見ると、なかなか迫力有りますねぇ~。
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観光で寄った外国人観光客も、盛んにシャッターを押してて、「ワンダフル!」の声も❗
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こちらは違うグループ。
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函館駅前でも行われていて、2ヶ所で開催。
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駅前はホテル建設ラッシュで、あちこちに高層ホテルが建っていて、こんなにホテルがあっても大丈夫?と心配になるほど。そんなに函館へ来るのかな?

ということで、よさこいソーランは元気溢れる若者の踊りでした!

8月23日金曜日、天気は雨で時々激しく降る時もあり気温は20℃前後。午前中近くの生協へ買い物に行ったが、人々の服装は完全に秋モードで半袖・短パンの自分は季節を間違えたかのよう。

北海道では、学校も始まると完全に秋になり短い夏はもう終わってしまった、という感じです。

さて、今日からは7月に旅した道南、北斗市・厚沢部(あっさぶ)町・江差町・乙部町・上ノ国町・松前町・福島町と知内町を紹介する旅です。わずか4日間という自分にとっては極めて短期間の旅ですが、天候にも恵まれ郷土周辺を知る!という面白い旅になりました。それでは、始まり~始ま~りー!

まずは、北斗市から国道227号線を走り厚沢部町へ向かう途中、旧大野町中山で発見した「旧中山分校前」のバス停から。
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大野川にそって、北西の方向に走る国道は別名「大野国道」。大野とは、上磯町と合併前の町の名。
大野町の市街地から距離にして5,6㎞といった場所で周辺は深い森が広がっています。

交通量も少なくゆっくりと走ると、右側に「旧中山分校前」のバス停と説明板がありました。
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学校が出来たのは、大野町市渡(いちのわたり)小中山分校として1954年(昭和29年)で、戦後9年目のこと。戦後、サハリン(樺太)からの引揚者の開拓農地として開墾され38戸が入植されたのです。

そういえば、私が高校教師を務めた最初の年の1975年(昭和50年)のこと。授業を受け持ったクラスの生徒の中にここから通学していた生徒がいたのです。聞けば、晴れていればここから渡島大野駅(現在の新函館北斗駅)まで自転車で30分ほど、(ただし緩やかな下りで、帰りは登りだし暗いと街灯もない真っ暗な道)、駅からは汽車通で函館駅まで30分ほど、駅から電車で湯川まで30分ほど。会わせて時間半という都会並の通学時間でした。帰りが辛そう!

彼は、この近くの農家の子供だったのですね。卒業後30年近く経過してから偶然再開したのは、私が誰かを見舞いに行った病院の病室。彼は40代後半で重い病気で闘病生活を送っていました。
お互い顔を見ただけで分かり少しばかり話をしましたが、その後はどうなったことか不明で、今ブログを作っていてふと思い出したのです。

元気で暮していることを祈るばかりです。

「汗を流す」の石碑の奥にある体育館は、公衆電話を持つ僻地集会室で、住民センターを兼ねていた建物ですね。その中山分校も、残念ながら27年前の1992年(平成4年)に閉校しました。
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さらに、そこから5㎞ほど上流へ行くと「箱館戦争二股口の戦い」の説明がありました。
地図で言うと台場山の麓で、1868年10月に本州から逃れてきた旧幕府軍は五稜郭を奪い本拠地にして「蝦夷共和国」を宣言しましたが、それを認めない薩長中心の新政府軍は翌年の1869年、乙部の海岸に上陸し一路箱館へ。
ここは、旧幕府軍の土方歳三を隊長とする300人は、倍の新政府軍相手に待ち構えて勝利した戦いが行われたところなのです。
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しかし、土方は勝利しても他の場所では敗退し五稜郭へ戻ることになり、土方は明治2年の1869年5月11日、現在の函館市若松町辺りで銃弾を受けて戦死。時に35歳でした。
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その戦いで戦死した新政府軍の戦士である佐藤安之助のお墓
よく読むと、鹿児島藩に従事した弘前藩の兵で、生まれは文政10年というから1827年のこと。彼は42歳の時に、ここで戦死したのですね。
明治から大正にかけて、ここに旅館があったとは驚きです。
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少しばかりこの奥へ入って見ましたが、今にもヒグマが出そうな場所で長居は禁物。今度来る機会があったら、爆竹でも持って来たい!
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渡島と桧山の境になる中山トンネルを過ぎると、厚沢部町へ。急な峠からの下ると、鶉ダムの上へ。駐車場があったので立ち寄ると、そこにあった「史蹟 稲倉石古戦場」の説明が。

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新政府軍についた松前藩は、ここで旧幕府軍と戦っているのですね。戊辰戦争では、300近くある藩は徳川慶喜15代将軍の幕府側につくか、それとも薩長の新政府側につくかの選択を迫られていて、松前藩でもどちらにつくかでもめていたといいます。結局、新政府側につき榎本武揚率いる旧幕府軍と戦い敗退して北海道を去り青森へ逃げ延びるのですが、ここでの戦いは最も熾烈を極めた激戦地だった、と記されています。

こちらは、松前藩側の碧血碑です。旧幕府軍の碧血碑は函館山山麓にありますね。
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鶉ダム建設のために、ここに引越ししたことが書かれていますね。
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その鶉ダムですが、ここは完成するまでに数十年もかかっています。建設を始めた年と完成した年では、状況も変化し必要なくなったダムもたくさんあり、無駄な税金を捨てたようなものですが、ここはどうなのでしょうか?
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厚沢部町最初の集落である木間内(きまない)で国道と別れ道道を南下。最初に目に付いた小麦畑。
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道を挟んだ向か側は、ジャガイモ畑。厚沢部町の名産は、何といっても「メークイン」。ジャガイモの生産では有数の産地です。ジャガイモの白い花が咲いていました。
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館(だて)集落で、自転車を取り出し道道634号線を南下して30分ほど。矢櫃(やびつ)温泉入口の看板が。
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矢櫃温泉に関しては、前回のblogにて紹介済みですので省略しますね。実は温泉と云っても、冷泉でチョロチョロ流れる程度で湯船はなし。おまけに「ヒグマ出没中」の看板もあり、ここも長い無用の場所でした。
明日は、ここ館集落で松前藩のお城「館城跡」へと向かいます。

では、また!


























8月21日水曜日、天気は朝から雨。でも、しとしと雨で昨日みたいな土砂振りではないし雷もなっていません。ここ数日天候は不順で夏らしいカラッとした天気は望めない。北海道では学校も始まり、もう秋を迎えようとしているからあの暑さは戻ってこないでしょうね。

さて、支笏のモーラップキャンプ場の駐車場で車中泊した後、国道276号線を西へ走り喜茂別町の方向へ。途中で見かけた廃校跡を利用したライダーハウス。
石碑には「秀麗羊蹄山を仰ぐ 双葉小学校」と。
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木造校舎をリフォームした宿泊施設には、ライダーだけではなく車で来ている方もいて、きっとネットで知られている宿舎なんでしょうね。ちょっと校舎の一部を覗いてみたら、朝食風景が垣間見られました。
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正面には、まさしく秀麗、高さ1698ⅿの蝦夷富士、羊蹄山が。
辺りは一面ジャガイモ畑。北海道は、日本最大の農産物の生産地。ジャガイモは北海道が断トツの1位の生産高。でも、2位は南国九州の長崎県なんです。何で、長崎でジャガイモ?と驚かれるでしょうが、平坦部の少ない山がちな地形を利用し年2回生産する2毛作でジャガイモを育てているんですね。

4年前の4月に九州を訪れた際、長崎県と熊本県の島ではジャガイモの収穫期でした。冬に植えたのが4月にはもう収穫できるのだから、驚いたものでした。
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続いて羊蹄山の麓の町、京極町。ここは麦畑。小麦が青々と育っていますね。これが今頃は、それこそ小麦色の黄色または黄金色に変わり収穫の時期を迎えるんですね。
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山側を見ると、こちらもジャガイモ畑。紫色の花が咲いていました。
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ジャガイモは荒れ地でも育ちますが、これだけ広大になるとすべて機械化されていて、収穫も大型機械で。自分も今年ジャガイモを生産しましたが、すべて手作り。狭い農地を利用した家庭菜園だし、最初から手作業で生産しようと思ってやっていますが、さすがに夏の暑さの中で作業するのは大変!

生産者の苦労が分かりますね。野菜はスパーなどできれいに売られていますが、そこまで育てるには生産者が大変な時間を要して作業しているんですよ。
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こちらは、これから種まきかな?土地の温度が暖かくならないと育たないものもありますからね。
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京極町の農道を上がって行って、行き止まりへ。ここは羊蹄山登山の京極コースの入口。数台の車と自動車自衛隊のトラックが止まっていて、登山者と自衛隊員の訓練かな?
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ということで、6月の旅のカメラで収めた写真はこれまで。この後は、岩内町へ行き日本海沿いを走り自宅へと戻ったのです。
5月6月と天候に恵まれ、数日間でしたが良い旅が出来ました。
この後は、7月の旅をアップしていきますが、秋の旅出来るかどうか?ちょっと心配。体の方は何とものですが、色々と事情があって、旅に出れないのです。しばらく旅に出れないストレスがたまる季節ですが、スッキリして再び旅に、それも長期間の旅に出れればうれしいなぁ!と。

では、また!

8月20日火曜日、天気は雨で雷も聞こえ気温は20℃。すでに北海道では昨日から学校も始まり夏休みは終わり、夏から秋へと向かう季節です。30℃を越える日々もありましたが、もう「暑い!」と叫ぶことはないはず。これからは1日1日日照時間も短くなり秋を感じるようになることでしょう。

さて、今日も1枚目はオコタンペコ湖という名の湖で、道内3大秘湖の一つに数えられています。場所は支笏湖の郊外。
ただし、湖岸へ行くことは出来ず、高台から眺めるだけの湖です。
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北海道の3大秘湖とは、他に道東は十勝の足寄町のオンネトー湖と同じく十勝の然別(しかりべつ)湖から歩いて行かねば見えない東雲(しののめ)湖
周囲5㎞、深さは20ⅿの溶岩堰止湖。恵庭岳の噴火によって沢がせき止められて出来た湖で、道南の大沼も同様。大沼・小沼は駒ケ岳の噴火によって川がせき止められて形成されましたね。
同じような湖は、栃木県の中禅寺湖や富士山麓の富士五湖もそう。
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ここへ行くには、千歳市から道道16号線で西へ進み、支笏湖畔へ。そこから湖岸を国道453号線を北西へ進みます。湖から離れて山岳コースをたどりますが、この道さらに北へ進むと札幌市へ進む道。

途中で左折すると、日本秘湯の温泉の一つである丸駒温泉へ。まっすぐ峠への道をたどり標高550ⅿのところで左折。距離にして4㎞ほど、もっとも高い場所が700ⅿでそこから2㎞くらいで展望台へと。

オコタンペ湖は40年ぶりに見ることが出来て、うれしい!前回は大前の中だっただけに、今回は快晴の夕方に見れて良かったです。

支笏湖へ下山中、見晴らしの良い場所で、湖を見る。
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湖岸に降りて南側を見ると、風不死(ふっぷし)岳(1102.4ⅿ)のとなりに二重火山の樽前山(1041ⅿ)。
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樽前山をズームして見ましょう。裾野はアスピーテ型火山(盾状火山)で、なだらかな裾野ですね。溶岩が柔らかく、すそ野に広く流れています。例えば、八幡平月山、横津岳など山容が穏やかな丘のような火山です。
が、よく見ると、その中央部にもう一つ山がありますね。
これが、溶岩円頂丘(トロイデ型)火山です。溶岩の質が粘り気があって、盛り上がっていますね。
例えば恵山や、昭和新山などで、比較的新しい山が多いです。
でも、火山の7割は富士山のような成層(コニーデ)型火山だから、樽前山は珍しい火山ですね‼️
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さらに進んで、来た道を振り返ると恵庭岳(1320ⅿ)とその後ろに漁岳(1318ⅿ)。その中間にオコタンペ湖があります。
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そして真西を見ると、湖の対岸の美笛(びふえ)地区。キャンプ場がありますが、オコタンペ湖から道道78号線の道がありますが、現在は通行止め。土砂崩れがあって、しばらく補修できず。
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ということで、この日はモーラップキャンプ場の駐車場で車中泊することにしました。
電波が時々届かず、圏外。歩いて道路に出てやっと繋がるという、久しぶりに不便な地での宿泊となりました。
では、また!

今日のコタローです。
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今日は午前中はどんよりした曇り空だったけど、3時を過ぎたら雷が鳴り響く大雨。どしゃ降りの雨が降り続いていて、コタローは暇だなぁ~。
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お母さんはしばらく入院していていないし、お父さんは見舞いに行ったりして家には誰もいない時が多くて、コタローはひとりぼっちなんだよ。
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寂しいなぁ~。誰か相手してくれる人いないかな?
コタローのお相手してくれる人大募集中!

早く、誰か家にいてくれないかな~!
暇で暇でおかしくなっちゃうよ~!

8月18日日曜日、天気は晴れで気温31℃という真夏日。暑いし湿度もあって外には出たくない気分。エアコンのある部屋で1日中高校野球を見ていたいけど、そんなわけにもいかず外には出たけど、少し畑の作業をしただけで汗びっしょり。

本州の猛暑日とは比べようもないけど、暑いのは苦手です。こんな気温が続く夏は、とても旅に出たいとは思わないし、秋まで待って気温が落ち着いてから旅に出たいです。もっとも、家庭の事情もあって旅が出来ない夏ですが、旅に出るなら涼しい時に出たい!

暑いのに比べると寒い方がまだよく、車中泊も暑いと寝れないけど寒いのはまだ寝れますからね。
寒かったら羽毛の寝袋を2枚重ねにして上着もダウンも着込んで寝れば大丈夫。実際、マイナス気温の中でも寝たことはありましたから。暑いと、寝苦しくて寝れないですからね。

さて、平取町で訪ねたかった場所のもう一つは、義経伝説残る義経神社です。
まずは、前回紹介したUFO基地跡から市街地へ戻ること数百メートルで、神社の駐車場へ。
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広い駐車場の横には、「イザベラ・バードが歩いた道」の説明板が。イザベラバードは明治時代初期にに女性一人でよく旅をしたものだ、と感心するばかり。しかも47歳の年齢で歩いて旅したのだから。
東北でも各地で旅した記録がありましたね。自分が覚えているのは山形県金山町で、バードの足跡がありました。
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江戸時代に、探検家の近藤重蔵によって義経伝説の足跡から建てられてますね。
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長い階段を登って行くと、駐車場がありその奥に御神木があります。
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2度目の訪問となりましたが、やはり平取町に来たら見てみたい!昨年9月末に義経伝説を追う!のテーマで旅をしましたが、道南中心で積丹半島を周り小樽で最後でしたので、道内の義経伝説ではここを外すことは出来ないですからね。
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馬産地日高でもあるので、馬主や競馬関係者の参拝が多く、この日も観光バスで乗り付けていた団体さんがおりました。
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ここが義経神社の本殿。
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この人たちが観光バスで来ていた団体さんで、きっと競馬関係の人たちでしょう。
幕の中には、源氏の家紋である「笹リンドウ」が描かれていますね。
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源氏の笹リンドウに対し、平家はアゲハチョウでしたね。
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こちらには、義経の母「常盤御前」と愛人「静御前」の碑。
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静御前は義経を追って蝦夷地に渡り、現在の乙部町辺りまで来ていますね。それで、姫川という名前や姫待峠という地名までありましたものね。
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さざれ石とは?・・・もともとは小さな石のことだそうです。
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200円を支払い神社の境内にある義経資料館へ入り、義経北行ゆかりの地を見ると、東北にはまだ訪れていない地もあって、これは来年以降の課題です。特に三厩の義経寺(ぎけいじ)は是非訪ねてみたい!
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ということで、義経伝説は各地にあって行くたびごとに新たな伝説の地が出てきて、ワクワクさせられます。行きたいところはたくさんあるけど、旅に出るタイミングが問題。
秋の旅、行きたいけど行けるかどうか?悩みが多い!

では、また!

8月16日金曜日、天気は午前中は晴れていたが台風10号の影響で風が生ぬるく、気温・湿度はかなり高めだったが、午後3時を過ぎたら大雨。明日まで降り続くとのことで、今日1日不快指数は高い!

そんな日だが、ご近所のOさんから大相撲函館場所のチケットが余っているので見に行かない?と誘いがあり、初めての相撲観戦へ!

場所は、我が家から歩いて5分の函館アリーナ。以前、バスケットボール、B1のレバンガ北海道応援で紹介している道南最大のイベントホール。
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開館は午前8時だったけど、午前中は稽古などだったので、11時過ぎに席へ。
自分の席は、1階向正面の4列目7番。コーナーで力士が通る道沿いにあり、写真撮影にはもってこいの良い位置。
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おそらく4000人弱は入っていそう。すごい人気です。この10分の1でもカツオの道南リングのプロレスを観戦してくれたら!と心から願いたいです。
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横綱の白鵬関が、トレーニングを終えて一旦帰るところです。
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さすがに、190cmを越える巨漢で大きい!
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周りを付き人の力士たちでガード。
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午後の取り組みは序二段から、三段目、幕下へと続きます。
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この若い行事は21才とのこと。お相撲さんにはなれなくても、関係者にはなれますね。いろいろな方が働いていました。
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リングサイドならぬ砂かぶり席は、いくらくらいするのだろう?座布団がサービスされているから1万円以上でしょう。
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道内出身の力士である一山本。岩内町生まれで、函館郊外の北斗市の大野農業高校から中央大学へ。卒業後大相撲を諦め道南の福島町の職員へ。
しかし、安定する公務員を退職してプロの世界へ。今は十両まで昇格し、あと少しで幕内入りまで来ています。
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他に、旭川出身の旭大星(きょくたいせい)、十勝の芽室出身の矢後(やご)。
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椅子に座っているこの力士は誰でしたっけ?相撲はほとんどテレビを見ないので、わからない力士も多いです。
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十両と幕内の力士たちの土俵入りです。
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横綱土俵入りの時の露払いは相撲界1の小兵167cmの炎鵬(えんほう)。牛若丸のような力士で人気が有りますね。
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この力士誰だったかな?忘れていまいました。
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ということで、11時過ぎから3時過ぎまで4時間たっぷりと大相撲函館場所を堪能してきました。

お客さんは、高齢者が多かったけど若い人も結構いてアリーナは大盛り上がり。
力士はお腹回りが大きく、巨体で勝負する!ものだ、と実感。とても楽しめました!

今日のコタローです。
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今日は午後からひとりぼっちで、寂しかったなぁ!
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おまけに午後から雨も降ってきて、外は天気悪くて気分もサイテー😭⤵️💣
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こんな日は寝てるに限るよ。
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じゃー皆さん、お休みなさい!
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家にひとりぼっちでいるのはツマンナイな!誰か遊んでくれる人はいないかな?
コタローの遊び相手募集中でーす!

8月14日水曜日、天気は灰色の雲が低く立ち込めていて、今にも降り出しそうな天候。それでも、午後3時までには雨は降らず、気温も昨日と打って変わって低く多分最高気温でも22℃くらいか?
本州では超大型台風の上陸も懸念されていて、交通機関のストップや避難もあって心配されますが、予報では本州縦断した後に日本海を周り北海道に近づくとか。そのころには弱くなっているとはいえ、台風に慣れていない道民にとっては、来てほしくないもの。どうか、被害が少なくて済みますように!

さて、本日紹介するのはまさしく興味本位で訪れた場所で、こんなのがあったのか?と思わず目を疑う建築物です。
まずは、日高管内の平取(びらとり)町。穂別から距離にして20㎞くらい。町を南北に国道237号線が走っています。町の中心街を迂回する形でバイパスが走っていますが、町の中心街を走る道をたどり町役場を過ぎ義経神社を過ぎて平取橋の手前。北の日高町から来ると、平取橋を渡ってすぐ。
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現在はハヨピラ自然公園となっていて、「災害の影響のため閉鎖」とあります。
駐車場は5,6台くらいのスペースあり。上の写真は、車を停めてすぐの場所。
自己責任ということで、門の脇から進入します。マムシ注意!の看板もあり、トレッキングシューズに履き替えてポールも持ち歩く。
「ハヨピラ」に関しては、門の入口に町の説明書きがあります。ハヨピラとは、アイヌの人たちにあらゆる生活方法を教えたとされる神様のオキクルミカムイの伝承が残る土地を指します。
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歩いて30ⅿくらいでちょっとした広場へ。写ってないけど右側にはトイレもありますが、とてもきれいなものではなく使用をしたくない。急な階段が、高さにして50ⅿほどはあるでしょうか?山頂には展望台らしきものも見えます。
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手すりのついた展望台。きっと見晴らしは良いのでしょう。その下には、何かのマークみたいなものが見えるけど、損傷していて分かりづらい。
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階段の登り口には、町がハヨピラのことを説明しています。本来は「武装した崖」の意味か。
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登ること100段以上で、中間地点へ。急な階段の途中にちょっとした広場あり。
右側には、オキクルミカムイの像でしょうか?アイヌの老人と娘?老人の左手の先にはUFOが!
右端には電柱があって、かつては灯りがあったのか?さらにはアンテナもあったのか?
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足元を見ると、真新しい花が供えられていますよ。白と真っ赤なバラとカスミソウの花束。誰が置いたのでしょう?
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ここから見える風景。沙流(さる)川が左から右へと流れています。ここから5㎞ほど上流には二風谷(にぶだに)ダムがありますが、そこはアイヌの聖地をつぶしてダムにした場所。
昨年夏の訪問した、アイヌ文化情報センターになっている二風谷アイヌ文化博物館があります。

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横を見ると、まさにこれはUFO?未確認飛行物体?空飛ぶ円盤?
残念ながら、ここから上へは固いフェンスで閉じられていて登れず。
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その奥には、飛行機の形をした石とバラの花。
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さらに、その奥にはオキクルミの像でしょうか?そこにも、つい最近添えた花束が。一体誰が来て花を置いたのでしょうか?
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実は、ここの歴史を調べると(ネットで検索するとたくさんあります)、東京に1957年(昭和32年)にUFO研究団体である宇宙友好協会が出来、彼らはその7年後の1964年(昭和39年)にここ平取町に、アイヌの神であるオキクルミを称えるモニュメントや巨大ピラミッド「ハヨピラ」を建設するプランを立てました。
資金は彼らの募金やお金持ちが提供したみたい。3年後の1967年(昭和42年)に完成しました。
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下山した時に、たまたま地元の高齢者のご夫婦がウォーキングしていて、しばらくお話をしました。
「ここが出来た時は、観光バスが何台もやってきたし、お土産物屋さんもあったんだよ。」
「UFOを呼ぶために、地元の我々も展望台に登りみんなで手を繋いで声を上げたんだ」
「UFO来い!宇宙人の皆さん、仲よくしよう!」
「町長始め町のみんなが町が有名になるように協力したんだよ」
「団体のスポンサーらしき人は、横浜の人でここへヘリコプターで乗り付けたんだから」と。
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さらに、その横にはアイヌの人たちが使う木を削ったものや焚火をした痕跡が。
絶対、誰かここの関係者が数日前に、もしかしたら前日、いや当日の早朝にやって来たのか!
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狛犬ならぬヒグマの門番。守り神か?
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ということで、アイヌの聖地平取町で面白いものを見たのです。
ここのUFO基地(?)に関しては、数十年前から知ってはいましたが、訪問したのは初めて。
今まで素通りして来たけど、崩壊寸前とのニュースを聞いて是非見てみたい!との思いから訪れました。
UFOを信じる信じないは、別にしてこんな建築物があるなんて面白いものです。
完成した時の写真は、ネットで検索してご覧ください。巨大なピラミッドを建設しようとしたようです。
でも、未完成のままで団体も分裂し、その後は平取町が引き取り自然公園として公開していたが、
それも今は閉鎖されて崩壊寸前。
半世紀前に、平取町はUFO騒動で大いに賑わったんですね。ホントに面白いものを見れました。

では、また!

8月13日火曜日、天気は晴れ。ここ数日靴着いた天候が続き、2日前は最高気温でも20℃を下回っていたので「もう、夏は終わったのか?」などと秋の気配を感じ取っていたのに、今日は朝から暑い!
夏が舞い戻ってきたみたい!

まだまだ残暑は続きますよね。本州では超大型台風の襲来に警戒していますが、今日の函館は真夏に戻ったかのようで、最高気温も30℃に近づきそうで、日差しの下では軽く30℃越えでしょう。

それでも、陽が沈んだ夜はさすがに涼しく窓を閉めて寝ていて、窓を全開にして寝ていた猛暑に比べると秋に一歩ずつ近づいているのかな?と。もっとも、本州では窓を開けて寝ることは熱風を入れることになり、逆に寝苦しくて寝れない。夜はずーっとエアコン付けっ放しのところも多いのではないでしょうか?空気の温度がこちらとは全然違うんですよね。

学生時代東京で4年間暮らして、夏はとても慣れることはなかったです。エアコンなどない時代に、扇風機で送風しても生暖かい空気が流れてくるだけ、おまけに窓を開けても涼しい空気など来ないし、ときにはゴキブリが外から飛んできたり(恐怖!)で、東京の夏はいい思い出はまったくなかったです。

時々コメントを寄越してくれる知内町のNさんから昨日コメントが届き、「7月から8月にかけてバイク旅をして来ました!」と。
実は2年前、重い病気のために旅ができずにいたNさんは、私が入院していた時にわざわざ函館の病院へお見舞いに来てくれて、とても勇気づけられました。
そのときは杖をつきながら歩行していましたが、好きなバイク旅をしたい!と話していたことが強く印象に残っています。
それが、今回少しでもバイク旅が出来て、とても良かったです。心から祝福いたします!

さて、ここは富内駅から歩くと10分ほどの場所になる旧富内小学校。
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昨年三月に閉校となったのですね。子供の姿は見かけることがなかっただけに、閉校するのもやむを得ないのかな?
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中学校も併設されていたのですね。
でも驚いたことに、ここからさらに奥に寄宿舎付きの障碍者支援施設があって、こんなヒグマが出没エリアにも学校があってビックリ!先生方も子供たちと一緒に寝泊まりしている施設のようでした。
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富内から峠を越えて日高地方へ。ここは日高町の振内(ふれない)。ここには鉄道記念館があります。
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国鉄富内線の、日高町を走っていた区間の駅名が表示されていますね。
客車はライダーハウスになっていて、自転車旅行者の方が宿泊中。シャワーもあるし、近くには旅人の味方「セイコーマート」もありましたよ。
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蒸気機関車が走っていたんですね。郷愁を誘う風景です。もっとも、自分にとっての蒸気機関車は良い思い出がなくて、トンネルに入ると窓を締めなくていけなく、もし窓を開けておくと真っ黒な煤が入り込んで顔が真っ黒になる恐れがあったのです。
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日高町のマンホール。でも、地名が書かれていない。
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穂別の町の中心街へ戻ります。ゆっくりと町を散策。街灯にも恐竜が!
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公園にも恐竜が!
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説明もしてありますよ。
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クビナガリュウが「ようこそ穂別へ」と。
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実は、旧富内線の穂別駅がどこにあったのか?と探したのですが分からず。そこで、むかわ町役場穂別分室に行き年配の職員に詳しく尋ねたら、ここだと。
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今は「ふれあい公園」となっている場所が旧穂別駅だと。
この公園にも恐竜の遊具が!
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ということで、国鉄富内線の駅探しの旅はここでひとまず終了。
次回は、南下して日高地方の平取町へと向かい、2度目の訪問となる義経神社とそこの高台からチラッと見えたUFO基地(?)を訪ねることにします。

では、また!

今日のコタローです。
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今日は朝から暑いぞぉ~!
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こんな暑い日はねるに限る。もっとも、暑い日でも寒い日でも、涼しい日でもいつでも寝るのがコタローの特技。どこでもいつでも寝まくるんだ。
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でも、シャッター音には目が覚めるなぁ。モデルじゃないんだコタローは!
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それんしても最近は腹が出てきたな。まるで人間の中年太りみたいで肥満傾向ありそう。
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体重も7kgをオーバーし、完全にメタボ状態。これじゃいけない!
まだ1年2ヶ月の年齢なんだから、若々しい体作りをしなきゃ!
今からダイエットするためエクセサイズだ!
その前に寝よーっと。

8月11日日曜日、天気は雨。昨夜は久しぶりに窓を閉めて寝たが、それだけ外気は冷たかったということ。最低気温は17度最高気温は23度と、この夏の最低を記録し今までの軽装では寒く、昨夜はハーフパンツから長ズボンへ履き替えたほど。
やっぱり、夏は終わったのだろうか?もっとも、これからも暑い日があるだろうけど、ここ数日で北海道の短い夏が終わり秋へ入りかけの折り返し点になったのかも?

さて、穂別町での「むかわ町穂別博物館」で迫力満点の恐竜の化石を見学後、同じ穂別の富内(とみうち)へ。ここには、旧国鉄富内線の富内駅がありそこが富内銀河ステーションと呼ばれていたので、興味があり行ってみることにしました。
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列車と駅が今も残る旧富内線は、日高本線の鵡川駅から内陸部へ終着は日高町駅で、82.5㎞、15駅。
開業は1922年、廃止は1986年。全線非電化単線の超ロカール線でした。
当初は、根室本線の金山駅と結ぶ計画があったものの、赤字路線で民営化前に廃止されています。
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木造駅舎は、今も立派に姿を残していて郷愁を誘います。駅の横には富内線の歴史が書かれています。
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戦後初の民主主義下での選挙で当選し穂別村長となった横山正明氏は、熱烈な宮沢賢治ファンで「賢治スピリットで村づくりをやるんだ!」と村民の支持を集めて賢治思想に情熱を傾けます。

公民館の設置、村立高校創設、病院を村営し65歳以上を無料へ、電気のなかった村に発電所の建設にまで着手。しかし、財政は破綻状態になり自身も病に冒され辞任し、賢治の夢の再現は頓挫します。
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しかし、村人は鉄道が廃止された後、駅前を整備し宮沢賢治のユートピア「イーハトーブ」を再現しました。それが、「銀河ステーション」。

まずは、旧富内線の駅から。ここ富内駅は隣の穂別駅からは10㎞以上あります。
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栄駅は15㎞以上南下した場所で、その中間に豊田駅がありました。
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横山村長は、発電所建設で難工事が続き「賢治観音」を安置します。
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村長は理想に燃えて村づくりを始めましたが、村財政を破綻に追い込んでしまい理想と現実のはざまで苦しんでいたのでしょうね。賢治観音が眠る観音堂。
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この駅裏にあるこの立派な建物は、資料室。
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線路跡の間は、きれいな芝生で「北のイーハトーブ」の名が付けられています。
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奥に見える山々は日高山脈。
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この花壇が、宮沢賢治が手帳に記した花壇設計図の「涙ぐむ眼」。
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村人たちが手作りで再現したのです。素晴らしい!
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そして、「銀河鉄道の夜」をイメージして空に向かってせり上がった鉄路。
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ということで、富内駅はまさに宮沢賢治の理想郷「イーハトーブ」を再現した場所で、この日の寝床はここに決めた!と強く思ったのでした。

トイレはありますが、集落にはコンビニや商店はなく食料は持参すること。夜空は満天の星で満ち最高の夜を過ごすことが出来ました。感激の一夜!

今日のコタロー。
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暑い夏が終わりそうだね。コタローは暑さ・寒さは関係ないや。食べて寝て遊んで、寝ての繰り返しだからね。
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ただ、いつも可愛がってくれるお母さんがいないから寂しいんだ!
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それでも、食欲旺盛!食欲の夏と秋。冬でもあるでも!  年中食べまくるぞぉ!
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ここ数日は太陽を見ないなぁ。暖かい日差しを提供していくれるお日様の下で、日向ぼっこするのが最高なんだけどね。

でも、本州では連日猛暑日とか。熱中症にならないように、水分をたくさん取ってエアコンを使うようにね!無理しちゃダメだよ!

じゃー👋😃ねぇー!

8月10日土曜日、天気は雨。昨夜から降り続いた雨は、時には豪雨となって久しぶりに大地を潤し畑には恵みの雨。気温も今までと違い暑くはなく、家の中ではエアコンを使用せずとも快適に過ごせる25度以下の気温です。

本州ではうだるような35℃越えの猛暑日が続いているし、ニュースを見たらお盆の帰省客で道路では物凄い渋滞が起きているとか。30㎞以上の渋滞なんて、シンジラレナイ!一体、ハンドルを握っていても進むなんてことはあるのでしょうか?絶対に行きたくないです。

さて、ここは旧穂別町で現在はむかわ町の穂別地区にある穂別博物館。
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入館料は300円。入口を入ってすぐ出迎えてくれたのはモササウルス類の「ティロサウスル」。
中生代白亜紀というから、今から9900年から7000万年前の時代。人類の誕生のはるか以前のことです。海の中で生活して恐竜で、ここ穂別町で発見されています。体長はおよそ6ⅿ以上ありそう。

ということは、内陸部の穂別ですが昔は海だったということですね。

さまざまな恐竜の骨が展示中。ほとんどレプリカで復元模型ですが、実にリアルで本物そっくり。一体どうやって造りのでしょうね?それは、後からその工房をお邪魔して見学させていただきましたので、後ほど紹介することにします。
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本物の展示されていましたが、そこは撮影禁止。特に2013年に発掘されたハドロサウルス科恐竜の尾椎陸生カメのアノマロケリス・アングラータの甲羅は、クリーニングされてガラスケースの中に納まっていました。

入口に展示されているむかわ竜の実物大レリーフ。
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そしてこれは、クビナガリュウ。愛称はホッピーで、穂別のホから採用されたのかな?
ここは、施設は大きくはないけど、見ごたえ十分でじっくりと見学出来、300円以上の価値あり。
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出てからとなりを見たら、歴史的建造物らしき建物が目に留まりました。これは何?
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穂別開拓者の建物で、大正13年というから1924年だから95年前のもの。
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中村記念館と云う建物で、見学は出来ますが町役場へ連絡しなければならず断念。
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道路を挟んで向かい側にあったレプリカ、というより子供の遊び道具みたいな恐竜。
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博物館の係の方が、「今日はレプリカ製造の工房が見学出来ますよ」とアドバイスされ行ってみることに。町の外れにあったこの建物。入場は無料。
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体育館のような建物の中で、何人かで製作中。石膏などを使用して、精巧に作成中。
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入口でたたずんでいたら、係の方が「どうぞ!」と導き、丁寧に説明してくれて感謝です。おまけに、缶コーヒーまでいただきました。
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恐竜といえば、福井県が有名だけど道内ではここ穂別。
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奥のレプリカ、夏休みに東京科学博物館で行われる「恐竜博」に出展するとかで、手前にはそのミニチュア恐竜が。
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マンホールも、恐竜とアンモナイト。穂別は2006年3月27日に鵡川町と合併し、むかわ町となってるが、マンホールは合併前のもので、以前から恐竜の骨が発見されていて、それを町の目玉にしていることが分かりますね。
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町の至る所に恐竜が展示中。これは、町の有志たちが造ったものです。
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汗をかいたので、ひと風呂あびることに。町内中心部に穂別温泉があって、確か510円くらいで入浴出来ました。ポスターを見ると、ファイターズ今年の応援大使は田中賢介選手と渡邉諒選手
賢介選手は、今年で最後、と宣言しているので見納めです。代打で活躍しているし、渡邉選手は賢介選手のポジションのセカンドを取ってレギュラーになるほど今年は大活躍。

むかわ町は最高の2人があてがわれましたね。
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ということで、穂別町はのんびりしていて良いところ。この日の寝場所にしたいところ。
少し時間があったので、同じ穂別町の旧国鉄富内(とみない)線の富内駅へと向かいます。
そして、そこは素晴らし場所だったのです。それは次回お伝えします。

今日のコタローです。
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お母さんがしばらく家にいないから寂しいよ~。膝の手術は成功したけど、病院でリハビリしなければならず退院は22日らしい。あと12日もあるよ。
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早く帰って来てよ!
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今日は雨降りでじめじめしているけど、気温は高くないね。涼しいくらいだよ。
でも、コタローは眠くて、どこでも寝ちゃうぞぉ~。
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北海道では、これで夏は終わりかな?
あとは暑い日があっても、今までのような真夏日みたいな30度越えなどないだろうね。
8月も後半になると、秋の気配が漂ってくるね。

本州の皆さんは、まだまだ猛暑が続きそうだけど、体調管理をしっかり行って猛烈な真夏を乗りきって下さいね。

ジャー、またニャン😹

8月8日木曜日、天気は曇りで予報では夜から雨とのことだったが、朝の9時前から雨が降って来ました。久しぶりの雨ですが、気温は高く蒸し暑い1日になりそう。
今、開けっ放しにしていた窓を閉めてきましたが、結構強い雨みたい。でも、数分で止みましたので通り雨かな?
それでも、今日は30℃を越えることはないようで、何とかうだるような暑さは回避出来そうです。

訂正します。今昼の12時、外はうだるような暑さ❗今日も30度を越えそう。しかも、蒸し暑い❗

さて、この日は昨年9月6日の胆振東部地震で震度7に襲われ最も被害の大きかった厚真町へと足を運びました。厚真町は安平町の東隣で、むかわ町の北に位置するハスカップ生産で有名な町。

地震の被害については、山が崩れて犠牲になった方々が一番多かった地域です。町から北へ10㎞ほど行った場所で、道の行き止まりは厚幌ダム。
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ダムへの道をたどって来ましたが、道中は小高い山があちこちで崩れていて、やっと通行が出来る程度でそれはひどい惨状でした。
このダムのさらに北東5㎞の場所に厚真ダムがあって、地図の上では19年春開通予定とあったけど、その手前の厚幌ダム手前で通行止めでした。

周囲の標高300ⅿ前後の山々は、軒並み土砂崩れ。
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山の麓に建てられた民家は、崩壊した土砂でグシャグシャになって潰されていて、とても写真には撮れませんでした。
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ダムへの道で見かけた松浦武四郎の碑。彼は、こんな場所にもやって来たんですね。
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午後は、厚真町から峠を越えてむかわ町の旧穂別町へ。その途中で見かけた閉校された旧和泉小学校。
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穂別町は鵡川町と合併しむかわ町へとなっていますが、その穂別の和泉地区に学校があったのです。
明治時代に開拓民となって入植した人たちが、アイヌ人の手を借りて学校を建設したのですね。
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どうやら平成の時代に閉校となったようですが、何年かは不明。校舎は今でも利用されているみたいです。
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周辺には、畑を行う農家が点在していますが、みな高齢者ばかりで子供の姿は見かけることはなかった。
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ということで、穂別町の中心街へ。ここを訪れたかった。恐竜博物館。
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明日は、内部を紹介します。
今日のコタローです。
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昨日は今まで一緒に寝ていたお母さんがいなくて、ひとりぼっちで寝ていたよ。
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寂しいなぁ~。でも、なんとか食事にはありつけているから大丈夫。
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それにしても暑い日が続いていて、夏バテぎみ。コタローも暑さには弱いんだ。「猫はこたつで丸くなる」何ていう歌があるけど、こたつなんて北海道の家庭にはほとんどないよね。
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逆に、冬は暖房完備の北海道の家の方が暖かいんだよ。
たまに、雪の上へ連れていかれることがあるけど、ひんやりして冷たい!

今日はお母さんの手術日だってね。病院へは行けないけど、手術頑張って成功して欲しいね!

じゃー、また明日ね‼️

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