11月18日月曜日、天気は朝方は曇りだが午後から雨の予報です。雪はすっかり融けているが、気温は低く外へ出ると息が白い。これから本格的な冬へとまっしぐらで、北海道は長くてつらい冬。来年3月末の春到来までしばらく耐えなくてはいけません。
もっとも、北海道の冬ならではのものもあって、スキーやスノボー、スケートなどのウインタースポーツを楽しめるし、冬の祭りもありますけど、若い時と違って寒いので外に出るのが億劫です。
やっぱり年を取ったのかな?若い時は休みの日は、朝早くからスキー場へ出かけていたのに・・・。

さて、12回目となった秋の旅。今日は浦河町の荻伏地区から。まずは、荻伏支庁の横にあった教会から。元浦河教会です。
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明治時代初期に現在の兵庫県三田市周辺から入植した人々の中で、リーダー的存在の鈴木清は明治維新後にアメリカ人宣教師から英語と神学を学び、今の神戸市に日本初となる組合派教会摂津第一公会の創設に参加しています。
彼はその後、日本初となる牛肉の缶詰生産業に手掛け、そしてここ荻伏に入植したのです。赤心社記念館には、当時の教会の写真がありましたがこことそっくりで、現在の建物は当時の教会を再現させたのでしょうね。
で、支庁舎の裏側へ歩いて行くと、赤い屋根の建物がありました。
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これぞ、明治初期に三田市から入植し結成した開拓会社の赤心社です。結成されたのは1880年(明治13年)のことで、当時の日本は旧来の特権を失った不平士族らにより士族の反乱が各地で発生、それは西南戦争(1877)で西郷隆盛が自害してほぼ治まり、代わりに自由民権運動が激化していきます。板垣退助らが自由党を結成したのは翌1881年のことです。
同年北海道では、北海道開拓使官有物払い下げ事件が起きています。

明治の時代、未開拓だった広大な北海道はまず最初に囚人たちによって道路の開削、鉄道敷設、その後は本州からの開拓団入植、さらに刀を失った武士たちの再就職の場として屯田兵として開拓の歴史があります。
十勝地方を開拓した依田勉三(よだべんぞう)の「晩成社」は有名ですが、ここ荻伏でも赤心社が開拓していったのですね。
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赤い屋根、上下に開く窓、下見板張りの壁、白い壁の色と素敵な洋風建築洋ですね。
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屋根の一番上に「S」に↑の文字があって、何を意味しているのか?赤心の頭文字のSでしょうか?
常に上を見上げて向上する?
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太平洋戦争のさなかには、本州の各地から学生たちが農家へ支援にし駆け付けているんですね。島根県、福岡県、栃木県などから学徒援農が会ったことが分かります。
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それでは内部へ入りましょう。入館は無料です。建物内は、ほぼ40人くらい入る学校の教室とほぼ同じくらい。
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右端に初代社長となった鈴木清の写真があります。
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当時の苦労は如何ほどであったのか?原生林を1本ずつ伐採して原野を開き、寒さとの戦いやバッタや虫たちの襲来、ヒグマの出没など想像も出来ないほどの苦労があったことでしょう。
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子供たちの写真がありますが、まず最初に教育の必要性を説いて学校の設立をしたといいますから、偉い!
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これが当時の教会です。プロテスタント系のピューリタン(清教徒)で、それはアメリカ開拓当時の様子を想像すればほぼ理解出来るもので、まるで昔NHKで放送された「大草原の小さな家」に登場する教会みたいなものです。
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その赤心社は、その後どうなったのか?というと。市庁舎の方に尋ねると、国道沿いに店があるといいます。そこで、歩いて探したら〇の中に赤の文字の建物があって、ここが現在の姿。
中では、味噌・醤油などが販売されていて、小さな商店と云う感じ。
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荻伏駅へ行ってみました。海岸沿いを走る国道235号線から内陸部へ約1kmくらいか?
貨物車両を改造した駅舎だけの駅。もちろん使用されなくなって3年以上経過していて、今は錆び付くばっかり。いずれ撤去解体される運命でしょうね。
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付近に巨木がありました。恐らく当時からの大木でしょう。
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開拓記念木のブナ科のミズナラで樹齢は300年以上、樹高は10mはあります。
1882年(明治15年)に赤心社の一団が入植した時から地区の主だったのでしょうね。まさに、シンボルツリーです。
人々は、人力で木1本1本ずつ倒し切り開いていったのです。
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開基百年の碑がありましたが、今から40年近く前に造られたものでしょうね。
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今では、鉄道も通らず廃止される日高本線、さらに子供たちは少なく高齢者ばかりが残る地区。赤心社の人々が開拓したころとは、全然違う風景になっています。

今日は、明治時代に開拓のために入植した歴史を学びました。そして、彼らの多くはピューリタン。
ここ荻伏だけではなく全道各地で本州からの入植団が北海道を開拓していったんですね。

函館や道南は江戸時代から和人たちが入り、町や村が形成されています。その多くは漁村でしたが、明治時代は内陸部を切り開くため農業・牧畜などの開拓が必要とされたのです。
勉強になった赤心社の建物でした。

では、また!