4月5日日曜日、天気は雨のち曇りだったが、朝起きた時は雪ならぬアラレが一時降って一面真っ白になりました。
その風景はのちほど紹介するとして、先日晴れたある日に我が家から北方向の日吉方面にサイクリングしました。
まずは、フットボールパーク。
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人工芝のサッカー場およびラグビー場も兼ねたフットボールパーク。夜間照明もありすでにオープンしていました。
青空の下でボールと戯れるのは気持ちの良いこと間違いなし!人が密集していないし、大声を出してもこの距離だと大丈夫でしょう。
3つの密ではないですし、適度な風もあるから安心してプレー出来るでしょう。
やっぱり、その点は大都市と違って田舎は良いですね。函館は海に囲まれてもいるから風もあるし、空気が澄んでいますからね。
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ここは、元函館北高校の敷地。奥の方に校歌と共に記念碑がありました。
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そこから距離にして数百メートルの日吉公園へ。何度も訪れていましたが、今回初めて見たのが、1881年(明治14年)、明治天皇の巡行の記念碑。
正式には、「天皇後名代御差遣之地碑(てんのう  おんみょうだい おんさつかわしのちひ)」。
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高さ1メートルくらいの石碑に書かれていて、昭和9年に木製の碑でしたが、昭和19年に石碑として作成されたもので、当時の函館市長登坂良作の名がありました。
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その横に、細かい字で当時の様子が書かれています。
時間をかけて読んでみましたが、何しろ昔の字体だし現代風の文章ではなく読みにくく、それに長すぎて途中で断念。
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明治天皇が函館へやって来たのは2度で、一度目は明治9年の7月16日。
この時を記念したのが、西部地区のベイエリア、大町には函館上陸の記念碑。海上自衛隊の基地の前にあります。
2度目は明治14年9月6日のことで、この時は函館に1泊のみ。お付きの北白川宮を天皇の名代として日吉町に派遣し、現地を訪れて激励したと云います。

当時の日吉町は、明治12年(1879年)から開拓地として開墾されていて、明治天皇は開拓者を労うためだったそうです。が、当時は不穏な時だったために天皇は行かずに御付きの人を派遣したのでした。
だから石碑の名が、天皇の名代を遣わした地の碑と書かれていたのですね。

以上、2日前に作成したblogの訂正です。このblogを読みました箱館人さんから日吉町の石碑について連絡があり、私の間違いだったこと、それで7日付で訂正をしたわけです。私のミスで、申し訳ありませんでした。
箱館人さん、ありがとうございます。



今朝のアラレが降って、一時真っ白になった畑。
直ぐに溶けましたが、朝方は寒かったですからね。
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今朝の道新に掲載されていた新刊の紹介で、前回私が図書館から借りた最新本が紹介されていました。
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パンデミック・マップですが、まさにリアルタイムの書物!で、伝染病で人々が苦しんだ歴史も書かれていて、読み応え十分にあります。

詳しくは前回のblogを是非お読み頂ければ、と。
ますます感染者が増加しており、このままいったらどうなるのでしょうか?
日本は、世界は大丈夫?
春の旅どころではなくなりました。まずは、人混みに行かないこと❗手洗い・うがい・マスク着用は当然のこととして、食事もしっかり取って免疫力を向上させ、人のいない場所でのウォーキング❗、家の中で筋トレ❗体力アップ❗かな?

皆さんも十分気を付けて行動して下さいね。油断してはダメですよ❗今年の花見はあきらめましょう。来年も桜は咲きますよ。
でも、家の中にとじ込もってばかりじゃ気が滅入るから、人のいない公園や海岸など外に出て歩いたりストレッチしたりして体を動かしましょう。

歴史上、終わりのない伝染病はありません。いつかは終息しますが、それがいつになるのか?
それまでは我慢しなきゃなりませんね❗