1月17日日曜日、天気は朝から雪。昨日までは最高気温がプラスになって、少しは積もっていた雪が融けたけど、また雪が積もり朝から再び雪かきの作業です。
まぁ、冬はこれの繰り返しなんだけど、昨年はほとんど積雪は少なくて楽だったけどて、今年は例年よりも多くて大変です。こちらの方言で云うと、「ゆるくない!」なのです。ゆるくない、とは逆にキツイ!という意味で、大変だぁ!ということ。雪かきは、雪国の住民にとっては冬期間生活する上での宿命みたいなものですね。

函館でもコロナのクラスターが発生し、昨日は30名、一昨日は19名とどんどん増えていてちょっと怖くなってきました。これ以上増えないで欲しいけど、どうなっていくのだろう?

さて、函館山山麓の西部地区。現在地は地図の通りで、今は公会堂の近くまで来ました。
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この辺りは、元町・末広町の重要伝統的建築物群の保存地区なんですね。
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元町公園のレンガ造りの建築物と淡い青色の木造建築物が見えていますけど、これらについては次回に紹介することにします。
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公会堂の青紫と黄色で色づけされた建物が見えてきました。
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説明に、今より124年目の1907年(明治40年)に函館で大火があり市内の半数にあたる12000戸が焼失したそうです。その大火で市民の集会場であった「町会所」も焼けています。
町会所とは、市民ホールみたいな建物で、函館では公会堂と呼ばれていて「再建しよう!」と市民の寄付を募られたけど、大火後の苦しい状況だったので集まらず。
そこで、当時の函館の豪商だった相馬哲平氏が5万円の大金を寄付したのでした。
当時の5万円はネットで調べると、「明治40年の1万円は1999年の1088万円」との記事があり、1999年と今年の2021年の物価はどれだけ変化しているかは分かりませんが、仮に同じだとすると当時の5万円は現在の5440万円に相当します。
でも、明治の時代は人件費や資材も安かったし、これだけの金額があれば相当な建物が出来たはずです。
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その結果、1910年(明治43年)にこの公会堂が出来たのでした。
函館区」となっていますが、実は当時は函館市ではなく函館区。歴史を見れば、1879年(明治12年)に郡区町村編制法施行により「函館区」が設置され、1922年(大正11年)市制施工して函館市になっています。その間の32年間は市ではなく区だったのですね。
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青い色が素敵ですね。これは、スカイライトグレーと呼ばれる色とか。それと窓枠の黄色がマッチしていて、これまた素晴らしい色合いになっています。
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設計は鉄道会社の建築技師の小西朝次郎氏で、工事請負人は村木甚三郎氏で、寄付金を出した相馬哲平氏とともに越後(新潟県)の出身だから、当時の函館にとっては新潟出身者の方たちへ感謝感激だったことでしょうね。
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残念ながら修復工事中で入館は出来ず。
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工事は、3年前の2018年9月11日から始まっていて、終了するのは今年の3月2日だから、あと3か月近くもかかるのですね。実に3年と7か月もかかる難しい修復工事なのでしょう。
右の写真のあるように、完成した時には、明治から大正の豪華絢爛の文化華開いた当時の函館のハイカラな様式が少しは垣間見られそうです。

公会堂から港を見下ろせば、造船会社の函館どつくが見えました。何本もの巨大なクレーンを使って巨大な船を建造中みたいですね。
かつては従業員3000人以上いた函館市の中核企業で、「嫁に行くならドックの社員へ」というくらいにモテモテだった函館ドックも、その後の重厚長大企業から軽薄短小企業へ。造船は韓国、中国へと流れが変わり、企業規模も縮小し今では700人くらいに。
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私の高校時代の友人で、東京の有名私大(工学部)を卒業しドックへ入ると初任給で残業代込みで22万円(1975年4月)、私の教員としての給料は8.2万円でしたから、ほぼ3倍近い!その差に驚きました。
それだけ景気の良かった時代だったんですね。
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函館湾の南側、岸壁よりにはホテル群。インバウンドを宿泊を想定して3年前くらいから建築ラッシュで、今も建造中のホテルも。今年4月にオープン予定のホテルもありますが、この先どうなるんでしょうか?
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公会堂のスタイルは、アメリカの植民地時代の公共建築に用いられたもので、イギリスの古典主義時代の様式「コロニアル・スタイル」。コロニアルとは「植民地の」とか「植民地風の」という意味。
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確かに、アメリカ映画の18世紀や19世紀ものでは、公会堂みたいな建物が登場しますね。
例えば「風と共に去りぬ」などはそう。アメリカ南部、いわゆるディープサウスと呼ばれる一帯には金持ち白人たちが、こんな素敵な木造建築物の家屋に大勢の黒人奴隷を使用して、ぜいたくな生活をしていた、そんな映画がいくつか見た記憶があります。

ということで、国の重要文化財の指定を受けた旧函館区公会堂を紹介いたしました。
次回は、元町公園にある歴史ある建物を紹介して基坂(もといさか)を下りることにします。
では、また!