2月27日土曜日、天気は晴れで気温は午前中太陽が上がるに連れて徐々に上昇し、雪も解け始めています。明日で2月が終わり、あさってからは3月だから、そろそろ春の訪れを感じさせて欲しい!のが道民の切実な願いです。もう雪と寒さは結構!早く来い!来い!春!!

今日も昼からラグビー・トップリーグで、12時からは東芝VSクボタで、ついにBS・NHKが放送します。これだけ世界中のトップ選手が来日してプレーしてのだから、放送しないなんてもったいない。
出来れば地上波でも放送してもらいたいけど、残念ながら地上波では昨日からスタートしたJリーグコンサドーレ札幌の試合でした。
でも、今日は午後からスポーツ三昧のテレビ観戦。12時からラグビー、2時からサッカー、4時からプロレス(CSのテレ朝2)と午後7時までじっくりとテレビの前ですが声援します。声を出しても良いのはテレビだけで、会場では声を出せませんからね。

さて、遊女たちの供養塔がある地蔵寺から少し歩くと山側に外国人墓地(ロシア人墓地)の案内板があります。前回はハリストス正教会の墓地でしたが、ここもロシア人だからハリストス正教会関係者かな?とも思ったけど、よくよく読むと幕末から来日して箱館で亡くなったロシア人は、必ずしもハリストス正教会の信者とは限らない。だからロシア人のみのお墓なのです。
最古のものは幕末の1858年(安政5年)のロシア海軍の航海士2名。現在ここの墓地にはロシア軍艦の乗組員25名とロシア人7名など全部で43のお墓があるといいます。
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やはり、ロシア人だから十字架は8つの端っこがある八端十字架。中央に見えるのは、お椀を伏せたような形の緑色で、ハリストス正教会と同じカラーです。
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やはり、ハリストス正教会の信者さんのロシア人もいるけど、信者さんじゃない人も埋葬されているのですね。在日ロシア人の関係者の墓地でもあるのです。函館にはロシア国立の大学もあるし、ロシア人も定住していますからね。
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その向かい側、海側にあるのが中国人墓地と函館中華山荘
中華山荘とは墓地の正式名称。一番古い墓石は1868年の明治元年。そういえば、函館には「中華会館」もあったのだから、中国人も多く住んでいたのです。
階段を降りて行って見ましょう。
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確かに、数は少ないけど「陳さん」とか中国人の方の名前があります。
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海が見える墓地は、故郷に通じているから墓地としては最高のロケーションなのかな?墓参りに来ても景色がきれいだと気持ちも落ち着きますし、お参りも癒されますよね。
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右側に細い道があって下に降りて行けそうです。歩いて行って見たら、閉じられた正門の前に出ました。こちらの海側が正門だったとは!見てお分かりのように、車は通れず歩くのみの細い道。レンガはイギリス積みですね。
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海抜20mくらいだろうか、函館湾と外海が見え、この日はとっても静かな凪状態であることが分かります。
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そのとなり、前回紹介した外国人墓地でもプロテスタントの墓地。こちらが正面だったのです。
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4つの端を持つ文字通りの十字の形の十字架がありました。ということで、外国人墓地はロシア人、フランス人、イギリス人、アメリカ人やさらには箱館に在住したデンマーク人などヨーロッパの人々、そして中国人とありました。朝鮮人や韓国人、イスラム教徒の墓地はないのか?いやいや前回紹介した旧函館検疫所の奥に、さらにキリスト教墓地や朝鮮人墓地もあるのですが、雪がまだ深いので今回はパス。暖かくなったらまた紹介します。
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帰り道、高龍寺の向かい側に「真言寺と不動明王立像」の看板が。
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幕末(1861~1864)に創建されたお寺ですが、見るからに最近建て直しされた近代的なお寺。
どう見えてもお寺に見えませんね。海の見える洒落たカフェ風。不動明王も見れません。
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ということで、魚見坂を下からずーっと上まで上がって来て紹介しました。
明日は、気温が8℃まで上昇し、晴れマークが付いているからまた西部地区を散策して来よう!と思っています。
「コロナ禍の函館」で、関心を持ったのが幕末から戦前の遊郭姿見坂の山ノ上遊郭、大火で焼失し蓬莱町へ、それも大火でさらに東へ移動し大門へ。
その姿形は100年以上も経過しているから残ってはいないけど、その形跡が少しでもあったら?と思って歩いてみたいです。

では、また!