6月28日日曜日、天気は晴れで最高気温は26℃にまで上昇して、まさに夏日そのもの。それでも湿度は40%台で過ごしやすい日中です。
今日は函館マラソンの日。見物のため近くの海岸道路へ行ったが、全国から集まったランナーは1万人近くで、ものすごい数に圧倒されました。太陽が照る中、中にはタイツを履いて長袖のランナーもいたから、まるで我慢大会のような恰好。多くは半袖・短パン姿で軽快に42.195㎞を走っていました。自分も40歳代までランニングをしていて、フルマラソンの最高記録は3時間28分で、サブスリーは達成できずに終了。走るって、いいな!と昔を思い出して多くのランナーを応援していました。
さて、ここは郷土資料館前の小公園。「徳川さん」の像があります。
八雲地域は、1878年(明治11年)から始まる旧尾張藩士族の集団移住によって本格的に開拓された歴史があります。これは、尾張徳川家第17代当主の徳川慶勝(よしかつ)が、明治維新によって失職し生活に苦しむ旧家臣団を憂い、北海道開拓による士族の授産および国益に供する事業を目指したものだったのです。

だから、この像は徳川慶勝さんの像なのです。
木彫り熊の北海道発祥の地の碑。尾張徳川家19代当主の徳川義親(よしちか)公は、大正7年(1918年)から毎年八雲に熊狩りに来てました。当時の八雲の農村の貧しさをよく知っていたので、留学先のヨーロッパ、スイスの木の彫り物であるペザントアート(民芸品)を見た時に「これは農村復興の手段として用いることが出来る」と。帰国後、熊の木彫りを奨励したのでした。

2階に「郷土資料館」と「木彫り熊資料館」があります。どちらも無料で見学出来ます。

1階の入り口に置かれた巨大な熊の彫り物。それと野生動物も展示。2階へ上がりましょう。

まずは郷土資料館へ。農村の典型的な家の構造。これは何処でも見られるような展示物ですね。

幕末、福井の大野藩の家臣が開墾していたこともあります。明治4年には旧会津藩の下北半島へ飛ばされた斗南藩士も移住。明治11年から旧尾張藩士の集団移住が始まり、徳川農場が出来たのです。



続いて、木彫り熊資料館へ。19代目の当主である徳川義親が見たスイスの民芸品は、まさに熊の木彫りそのもの。それをパクったと云ったら失礼かもしれないけど、同じようなものを特に農閑期の冬に作製し販売して利益になるように指導したのでした。

今では全道各地でクマの民芸品が売られていて、八雲町内でも何人もの職人さんがいます。
ただ、観光土産品としては熊の木彫りは売られず、残念なことに後継者も少ないと云います。

ということで、八雲の町は無料で見学できる場所がいくつもあって、とても面白いし楽しかったのでした。
この日、5月21日は噴火湾に面した八雲町から峠を越えて日本海側へ移動。せたな町大成区の道の駅で車中泊し、翌朝に「日本1危険な神社」へと向かいます。
では、また次回にお会いできるのを楽しみにしてしております。
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今日は函館マラソンの日。見物のため近くの海岸道路へ行ったが、全国から集まったランナーは1万人近くで、ものすごい数に圧倒されました。太陽が照る中、中にはタイツを履いて長袖のランナーもいたから、まるで我慢大会のような恰好。多くは半袖・短パン姿で軽快に42.195㎞を走っていました。自分も40歳代までランニングをしていて、フルマラソンの最高記録は3時間28分で、サブスリーは達成できずに終了。走るって、いいな!と昔を思い出して多くのランナーを応援していました。
さて、ここは郷土資料館前の小公園。「徳川さん」の像があります。
八雲地域は、1878年(明治11年)から始まる旧尾張藩士族の集団移住によって本格的に開拓された歴史があります。これは、尾張徳川家第17代当主の徳川慶勝(よしかつ)が、明治維新によって失職し生活に苦しむ旧家臣団を憂い、北海道開拓による士族の授産および国益に供する事業を目指したものだったのです。

だから、この像は徳川慶勝さんの像なのです。
木彫り熊の北海道発祥の地の碑。尾張徳川家19代当主の徳川義親(よしちか)公は、大正7年(1918年)から毎年八雲に熊狩りに来てました。当時の八雲の農村の貧しさをよく知っていたので、留学先のヨーロッパ、スイスの木の彫り物であるペザントアート(民芸品)を見た時に「これは農村復興の手段として用いることが出来る」と。帰国後、熊の木彫りを奨励したのでした。

2階に「郷土資料館」と「木彫り熊資料館」があります。どちらも無料で見学出来ます。

1階の入り口に置かれた巨大な熊の彫り物。それと野生動物も展示。2階へ上がりましょう。

まずは郷土資料館へ。農村の典型的な家の構造。これは何処でも見られるような展示物ですね。

幕末、福井の大野藩の家臣が開墾していたこともあります。明治4年には旧会津藩の下北半島へ飛ばされた斗南藩士も移住。明治11年から旧尾張藩士の集団移住が始まり、徳川農場が出来たのです。



続いて、木彫り熊資料館へ。19代目の当主である徳川義親が見たスイスの民芸品は、まさに熊の木彫りそのもの。それをパクったと云ったら失礼かもしれないけど、同じようなものを特に農閑期の冬に作製し販売して利益になるように指導したのでした。

今では全道各地でクマの民芸品が売られていて、八雲町内でも何人もの職人さんがいます。

ただ、観光土産品としては熊の木彫りは売られず、残念なことに後継者も少ないと云います。

ということで、八雲の町は無料で見学できる場所がいくつもあって、とても面白いし楽しかったのでした。
この日、5月21日は噴火湾に面した八雲町から峠を越えて日本海側へ移動。せたな町大成区の道の駅で車中泊し、翌朝に「日本1危険な神社」へと向かいます。
では、また次回にお会いできるのを楽しみにしてしております。
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