6月5日金曜日、天気は曇りで最高気温でも14℃、最低気温は11℃と昨日に比べて10℃近くも低く、おまけに風もあって寒い日となっています。明日明後日も同じような天気で、来週も曇り空や雨が続き、昨日までの暖かな初夏とは全く違う空模様になっています。
道内では本州ナンバーの車やレンタカーが多く目立ちますが、本州の暑いくらいの天気と違って寒い北海道に戸惑っている旅行者が多いはず。さすがに冬服を用意してきている旅行者はいないと思うけど、道東方面では最高でも10℃前後と、まさに冬の準備が必要なほどの寒さです。
さて、ここは旧戸井町原木の鎌歌小学校跡地。以前のblog(8年前頃)には校舎が残っていたけど、今はすっかり更地になっています。

上にあったグランドもご覧のように草ぼうぼう。横には教員住宅もあったけど、それも解体されて何も残っていませんでした。
1890年に戸井小学校の鎌歌分校として開校し、10年後の1900年に独立開校しましたが、20数年ほど前に廃校となったはずです。実は30年ほど前にバイクで訪問したことがああり、たまたまその日は日曜日で運動会が開かれており、大勢の地元の皆さんも含めて賑やかなお祭りのようでした。
そして廃校となってから訪れblogで発信すると、ここの卒業生の方からコメントがありました。懐かしさとその後どうなったのか?のコメントで、やはり自分の卒業した母校が無くなると悲しいですよね。

日浦トンネルを越えると、ここは旧恵山町。元々の名前は尻岸内村。それが町へなり地元の火山である恵山(618m)が全国的に有名地となって名を変えるようになったのです。その日浦岬がある岩山へ。

元々は溶岩が冷え固まった形状節理の険しい断崖絶壁。日浦岬は、この岩山の裏側にあります。

ものすごい噴火の跡で、その恵山は今でも活火山。登山すると、あちこちで硫黄が噴出している場所が見られます。

実は、ここ元国道278号線が走っていたのです。かすかにですが、道路跡が見えますね。

旧道というよりは廃道ですが、かつて日浦トンネルが開通する前は、ここが唯一の生活道路としてバスが走っていたのです。ただ、そのバスが昭和30年代に荒波か土砂崩れかで事故があり死傷者が出たために、トンネルの必要性が生じて廃道となったのです。それにしてもものすごい荒れ様です。歩くことすら出来ません。

日浦小学校跡です。校舎は残っていますね。

国道から100mほど奥へ入った場所にあります。集落は100戸ほどありますが、子供の姿は何処にも見られず、それは何処の地区でもそうですが、見かけるのは高齢者ばかり。

恵山町立日浦小学校の文字が今も残っていますね。

続いて豊浦トンネルを通らずに、こちらは旧道が残っていたのでそこを通ります。素掘りの小さなトンネルをいくつも通過。細くて背も低いとトンネルは大型のバスやトラックの通行は無理で、それにわざわざ旧道を走る理由はないですからね。
途中で、かつて砂利を採取するためや山を削り取った跡がありました。

すごい量の砂利を取ったのでしょうね。高さは100m以上ありそうな山ですが、全山岩だらけで、重機で削り取った跡地です。

振り返ると、日浦灯台が左の岩山の端っこに見えています。岩山が裂けている部分は、国道278号線の旧道跡地で、道路開削のために岩山を削ったのです。

国道から分かれ道道635号線を走り恵山町の東端へとやって来ました。まさに恵山の崖の下で、これ以上は道路はなく通行止めのフェンスで止められます。この先は少しだけ歩く道があるだけ。

それも藪でストップ。以前はもう少し先まで行けたけど、草ぼうぼうになり無理ですね。

振り返ると恵山町字御崎(みさき)の集落が見えます。戸数30戸にも満たないほとんどが漁業関係者の集落です。背後は恵山の険しい山。崖の下のわずかな地に家が一列に建ち並んでいます。

たまたまキタキツネが散歩。この辺りに住み着いているキタキツネですね。魚が落ちているのを探してるのでしょうか?食べる分においては都会よりは生活しやすいでしょうね。都会じゃ暮らせない野生動物は、田舎のさらに端っこか、または完全に自然の中でしか生きていけないのか?
もっともキタキツネやエゾシカあたりだとまだ危害を与えないけど、熊だと恐ろしい!

福島市で工場に立て籠もった熊は四人の人を襲い逃げて行ったとか。襲う場面も放送されていましたが、怖かったでしょうね。
次回は恵山町に残るバブルの跡と隣村の旧椴法華村の超自然の温泉を紹介します。
では、また次回にお会いできるのを楽しみにしてしております。
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道内では本州ナンバーの車やレンタカーが多く目立ちますが、本州の暑いくらいの天気と違って寒い北海道に戸惑っている旅行者が多いはず。さすがに冬服を用意してきている旅行者はいないと思うけど、道東方面では最高でも10℃前後と、まさに冬の準備が必要なほどの寒さです。
さて、ここは旧戸井町原木の鎌歌小学校跡地。以前のblog(8年前頃)には校舎が残っていたけど、今はすっかり更地になっています。

上にあったグランドもご覧のように草ぼうぼう。横には教員住宅もあったけど、それも解体されて何も残っていませんでした。
1890年に戸井小学校の鎌歌分校として開校し、10年後の1900年に独立開校しましたが、20数年ほど前に廃校となったはずです。実は30年ほど前にバイクで訪問したことがああり、たまたまその日は日曜日で運動会が開かれており、大勢の地元の皆さんも含めて賑やかなお祭りのようでした。
そして廃校となってから訪れblogで発信すると、ここの卒業生の方からコメントがありました。懐かしさとその後どうなったのか?のコメントで、やはり自分の卒業した母校が無くなると悲しいですよね。

日浦トンネルを越えると、ここは旧恵山町。元々の名前は尻岸内村。それが町へなり地元の火山である恵山(618m)が全国的に有名地となって名を変えるようになったのです。その日浦岬がある岩山へ。

元々は溶岩が冷え固まった形状節理の険しい断崖絶壁。日浦岬は、この岩山の裏側にあります。

ものすごい噴火の跡で、その恵山は今でも活火山。登山すると、あちこちで硫黄が噴出している場所が見られます。

実は、ここ元国道278号線が走っていたのです。かすかにですが、道路跡が見えますね。

旧道というよりは廃道ですが、かつて日浦トンネルが開通する前は、ここが唯一の生活道路としてバスが走っていたのです。ただ、そのバスが昭和30年代に荒波か土砂崩れかで事故があり死傷者が出たために、トンネルの必要性が生じて廃道となったのです。それにしてもものすごい荒れ様です。歩くことすら出来ません。

日浦小学校跡です。校舎は残っていますね。

国道から100mほど奥へ入った場所にあります。集落は100戸ほどありますが、子供の姿は何処にも見られず、それは何処の地区でもそうですが、見かけるのは高齢者ばかり。

恵山町立日浦小学校の文字が今も残っていますね。

続いて豊浦トンネルを通らずに、こちらは旧道が残っていたのでそこを通ります。素掘りの小さなトンネルをいくつも通過。細くて背も低いとトンネルは大型のバスやトラックの通行は無理で、それにわざわざ旧道を走る理由はないですからね。
途中で、かつて砂利を採取するためや山を削り取った跡がありました。

すごい量の砂利を取ったのでしょうね。高さは100m以上ありそうな山ですが、全山岩だらけで、重機で削り取った跡地です。

振り返ると、日浦灯台が左の岩山の端っこに見えています。岩山が裂けている部分は、国道278号線の旧道跡地で、道路開削のために岩山を削ったのです。

国道から分かれ道道635号線を走り恵山町の東端へとやって来ました。まさに恵山の崖の下で、これ以上は道路はなく通行止めのフェンスで止められます。この先は少しだけ歩く道があるだけ。

それも藪でストップ。以前はもう少し先まで行けたけど、草ぼうぼうになり無理ですね。

振り返ると恵山町字御崎(みさき)の集落が見えます。戸数30戸にも満たないほとんどが漁業関係者の集落です。背後は恵山の険しい山。崖の下のわずかな地に家が一列に建ち並んでいます。

たまたまキタキツネが散歩。この辺りに住み着いているキタキツネですね。魚が落ちているのを探してるのでしょうか?食べる分においては都会よりは生活しやすいでしょうね。都会じゃ暮らせない野生動物は、田舎のさらに端っこか、または完全に自然の中でしか生きていけないのか?
もっともキタキツネやエゾシカあたりだとまだ危害を与えないけど、熊だと恐ろしい!

福島市で工場に立て籠もった熊は四人の人を襲い逃げて行ったとか。襲う場面も放送されていましたが、怖かったでしょうね。
次回は恵山町に残るバブルの跡と隣村の旧椴法華村の超自然の温泉を紹介します。
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