昨日に引き続いて日本最北端への旅 本日も快晴なり!
今日は稚内から宗谷岬まで、今までのブログの最高記録、写真18枚を一挙公開!
ここは看板にも書いてあるように「ノシャップ岬」だが、漢字では野寒布岬。アイヌ語で
「ノッ・シャム」 あごのように突き出て、波が砕けるところ、という意味です。
利尻島・礼文島を望む岬で、夕暮れ時は感動的な光景となります。
遠くの丘は宗谷丘陵、氷河期時代の地形です。

サロベツ原野からの道道106号線は秘境駅でもある抜海(ばっかい)駅のある
抜海集落から道道254号線へと変わる。その道の最北端がノシャプ岬。
しかし、日本最北端ではない。市街地を挟み東にある宗谷岬が最北端だ。

日本の灯台50選の一つ、もちろん日本最北端の灯台、稚内灯台だ。

稚内市立ノシャプ寒流水族館と稚内市立青少年科学館が見える。
稚内市の年間平均気温は7℃。最北端に位置するが、冬は道東と違い、暖流
(対馬海流)の影響から比較的温暖である。過去の最低気温もマイナス19.4℃
(1944年1月30日)でマイナス20℃を越えてはいない。帯広、北見、旭川の内陸部と
比較しても冬は10℃以上は暖かい!(?)

キャンプ場のうえ、丘陵地帯へ登る。宗谷丘陵に関しては後ほど書きます。
遠くに海上自衛隊のレーダードームが見える。その先は日本海。きっと北朝鮮・
ロシア・中国に向けているんだろうな。
稚内の名は、もちろんアイヌ語からで、「ヤムワッカナイ」 冷たい水の流れる沢
という意味である。
松前藩が宗谷場所を開設した江戸時代初期以降、港湾として恵まれた地理条件を
備え、良質な魚場に恵まれて漁業の町として発展してきた。

北の方角を見る。霞んでいるためにサハリンは見えない。サハリンのサハリンクリリオン岬
までは43kmの距離、空気が冷たい冬ならばはっきり見えるのだが・・・。
江戸時代中期以後、国防上の北の要として重視され、明治時代・日露戦争後
(1905年)には樺太(サハリン)航路が開かれた。大正時代には鉄道も建設され、
最北端の駅として旭川から伸びる宗谷本線が開通し、旭川以北最大の都市となった。
が、戦後はサハリン航路は廃止、漁業も衰退人口も減少の一途をたどっている。

東の方角を見ると、稚内市街地が見える。ここは標高200m付近。
1975年には55,000人を越えていたが、1990年5万人を切り、2008年には
4万人を切り、2013年2月現在では3万7000人となっている。人口減少に歯止めが
かからず、非常に深刻な状況であり、2002年には過疎地域の適用を受けている。
函館だって、心配だ。ピークは34万人いたのに、今は27万人、10年で7万人も減少
した。10年後には20万人を切ることが予想されたいる。

遠くに今まで走って来たサロベツ原野が見える。南の方角だ。

周りを海で囲まれているため夏は暑くはならないが、それでも過去の最高気温は
30℃を越えている。1946年8月22日、終戦から1年後 31.3℃を記録している。

キャンプ場のある稚内公園にはエゾヤマザクラが植えられており、開花は
5月中旬から下旬、日本で一番最後に開花する。
1年を通して強い風の吹く町で、市内には74基の風車が建設され、風力発電が
行われている。これにより、市内で消費する電力の8割をまかなっている。
朝、ツユで濡れるのが嫌なので東屋にテントを張る。キャンパーが多くない時は
屋根のある場所にテントを張る。雨が降った時など屋根のついた炊事場に張った
こともあるし、最悪はトイレの入り口に張ったこともあった。こんな時はまさにサイテー
みじめな気持になるが、一度寝てしまえば気にしない、気にしない!

木の下の芝生に張ってもいいけどね!

ここは北防波堤ドーム 稚内港にある大型の防波堤で、高さ14m、長さは
なんと427m 古代ギリシア建築をほうふつをさせる70本のエンタシス状の列柱群
は斬新な印象を与えている。時にはここで映画、テレビドラマのロケが行われている
のも分かる。桟橋と駅を結ぶための乗り換え通路として1931年(昭和5年)から5年間
かけて建設された。北海道遺産になっている。

桟橋とは、1923年(大正12年)北海道と樺太を結ぶ鉄道連絡船(稚泊連絡船)
のために建設された。泊とは現ロシア連邦共和国のサハリン島のコルサコフ(旧
大泊オオドマリ)のこと。利用する乗客のために、国鉄は稚内駅からドームの手前
まで線路を延長し、雨に濡れず、波をかぶらずにドーム内を歩いて連絡船に乗り込めたという。
現在は民間のハートランドフェリーがサハリンコルサコフと利尻・礼文をフェリーで結んでいる。

遠くにテントを張っていた人がいた。以前に来た時はたくさんのキャンパーがいた。
1970年代、利尻・礼文の離島ブームの時はここの桟橋から乗り込むので、船を待つ
旅人、乗りきれない人などであふれていた、という。いわゆるカニ族の時代だ。
ライダーはみつばち族と呼ばれていた。なぜかって?ブンブン、とうるさいから。
この周辺に松坂大輔記念館のスタジアムがある。松坂の祖父が稚内出身、という理由
からだ。副港市場内の複合ショッピング・ビル内にある。
ところで、松坂大輔 メジャーリーグへ渡った元西部ライオンズのピッチャーって知ってる?

国道40号線をさらに東へ、途中で国道238号線、別名宗谷国道を27km、走り、
ついに最北端へ到着した。朝8時ころなのにライダーも多く来ている。

宗谷岬 北緯45度、東経142度

間宮林蔵の碑。
間宮林蔵(1780~1844)とは・・・江戸時代後半、農民出身だが、幕府の下役人
となり、隠密(スパイ)および探検家となる。伊能忠敬から測量技術を教わり、
伊能に代わり当時未開の蝦夷地を測量、樺太・千島列島を20年以上にわたり
測量・調査し、地図を作製した。
樺太が島であることを発見、大陸との間に間宮海峡の名が残っている。


というわけで、日本最北端の地に到達しました。やはり寒い!
ウインドブレーカーを着こまないとバイクは走れない。
でも、函館から800km近く走ってたどり着いた嬉しさは格別です。やったぜ!
明日は一路南へ!まだ見ぬ素敵な場所へと走ります。旅はさらに続きます!
今日は稚内から宗谷岬まで、今までのブログの最高記録、写真18枚を一挙公開!
ここは看板にも書いてあるように「ノシャップ岬」だが、漢字では野寒布岬。アイヌ語で
「ノッ・シャム」 あごのように突き出て、波が砕けるところ、という意味です。
利尻島・礼文島を望む岬で、夕暮れ時は感動的な光景となります。
遠くの丘は宗谷丘陵、氷河期時代の地形です。

サロベツ原野からの道道106号線は秘境駅でもある抜海(ばっかい)駅のある
抜海集落から道道254号線へと変わる。その道の最北端がノシャプ岬。
しかし、日本最北端ではない。市街地を挟み東にある宗谷岬が最北端だ。

日本の灯台50選の一つ、もちろん日本最北端の灯台、稚内灯台だ。

稚内市立ノシャプ寒流水族館と稚内市立青少年科学館が見える。
稚内市の年間平均気温は7℃。最北端に位置するが、冬は道東と違い、暖流
(対馬海流)の影響から比較的温暖である。過去の最低気温もマイナス19.4℃
(1944年1月30日)でマイナス20℃を越えてはいない。帯広、北見、旭川の内陸部と
比較しても冬は10℃以上は暖かい!(?)

キャンプ場のうえ、丘陵地帯へ登る。宗谷丘陵に関しては後ほど書きます。
遠くに海上自衛隊のレーダードームが見える。その先は日本海。きっと北朝鮮・
ロシア・中国に向けているんだろうな。
稚内の名は、もちろんアイヌ語からで、「ヤムワッカナイ」 冷たい水の流れる沢
という意味である。
松前藩が宗谷場所を開設した江戸時代初期以降、港湾として恵まれた地理条件を
備え、良質な魚場に恵まれて漁業の町として発展してきた。

北の方角を見る。霞んでいるためにサハリンは見えない。サハリンのサハリンクリリオン岬
までは43kmの距離、空気が冷たい冬ならばはっきり見えるのだが・・・。
江戸時代中期以後、国防上の北の要として重視され、明治時代・日露戦争後
(1905年)には樺太(サハリン)航路が開かれた。大正時代には鉄道も建設され、
最北端の駅として旭川から伸びる宗谷本線が開通し、旭川以北最大の都市となった。
が、戦後はサハリン航路は廃止、漁業も衰退人口も減少の一途をたどっている。

東の方角を見ると、稚内市街地が見える。ここは標高200m付近。
1975年には55,000人を越えていたが、1990年5万人を切り、2008年には
4万人を切り、2013年2月現在では3万7000人となっている。人口減少に歯止めが
かからず、非常に深刻な状況であり、2002年には過疎地域の適用を受けている。
函館だって、心配だ。ピークは34万人いたのに、今は27万人、10年で7万人も減少
した。10年後には20万人を切ることが予想されたいる。


遠くに今まで走って来たサロベツ原野が見える。南の方角だ。

周りを海で囲まれているため夏は暑くはならないが、それでも過去の最高気温は
30℃を越えている。1946年8月22日、終戦から1年後 31.3℃を記録している。

キャンプ場のある稚内公園にはエゾヤマザクラが植えられており、開花は
5月中旬から下旬、日本で一番最後に開花する。
1年を通して強い風の吹く町で、市内には74基の風車が建設され、風力発電が
行われている。これにより、市内で消費する電力の8割をまかなっている。
朝、ツユで濡れるのが嫌なので東屋にテントを張る。キャンパーが多くない時は
屋根のある場所にテントを張る。雨が降った時など屋根のついた炊事場に張った
こともあるし、最悪はトイレの入り口に張ったこともあった。こんな時はまさにサイテー
みじめな気持になるが、一度寝てしまえば気にしない、気にしない!


木の下の芝生に張ってもいいけどね!

ここは北防波堤ドーム 稚内港にある大型の防波堤で、高さ14m、長さは
なんと427m 古代ギリシア建築をほうふつをさせる70本のエンタシス状の列柱群
は斬新な印象を与えている。時にはここで映画、テレビドラマのロケが行われている
のも分かる。桟橋と駅を結ぶための乗り換え通路として1931年(昭和5年)から5年間
かけて建設された。北海道遺産になっている。

桟橋とは、1923年(大正12年)北海道と樺太を結ぶ鉄道連絡船(稚泊連絡船)
のために建設された。泊とは現ロシア連邦共和国のサハリン島のコルサコフ(旧
大泊オオドマリ)のこと。利用する乗客のために、国鉄は稚内駅からドームの手前
まで線路を延長し、雨に濡れず、波をかぶらずにドーム内を歩いて連絡船に乗り込めたという。
現在は民間のハートランドフェリーがサハリンコルサコフと利尻・礼文をフェリーで結んでいる。

遠くにテントを張っていた人がいた。以前に来た時はたくさんのキャンパーがいた。
1970年代、利尻・礼文の離島ブームの時はここの桟橋から乗り込むので、船を待つ
旅人、乗りきれない人などであふれていた、という。いわゆるカニ族の時代だ。
ライダーはみつばち族と呼ばれていた。なぜかって?ブンブン、とうるさいから。
この周辺に松坂大輔記念館のスタジアムがある。松坂の祖父が稚内出身、という理由
からだ。副港市場内の複合ショッピング・ビル内にある。
ところで、松坂大輔 メジャーリーグへ渡った元西部ライオンズのピッチャーって知ってる?

国道40号線をさらに東へ、途中で国道238号線、別名宗谷国道を27km、走り、
ついに最北端へ到着した。朝8時ころなのにライダーも多く来ている。

宗谷岬 北緯45度、東経142度

間宮林蔵の碑。
間宮林蔵(1780~1844)とは・・・江戸時代後半、農民出身だが、幕府の下役人
となり、隠密(スパイ)および探検家となる。伊能忠敬から測量技術を教わり、
伊能に代わり当時未開の蝦夷地を測量、樺太・千島列島を20年以上にわたり
測量・調査し、地図を作製した。
樺太が島であることを発見、大陸との間に間宮海峡の名が残っている。


というわけで、日本最北端の地に到達しました。やはり寒い!
ウインドブレーカーを着こまないとバイクは走れない。
でも、函館から800km近く走ってたどり着いた嬉しさは格別です。やったぜ!
明日は一路南へ!まだ見ぬ素敵な場所へと走ります。旅はさらに続きます!















































































































































