函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めた車中泊中心の「ぼうけんの旅」は今年で13 年目に突入。 車中泊の貧乏旅行の旅、今年で74歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 今年2026年も「ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです! 今年も「ぼうけんの旅」をよろしくお願いいたします。

2026年が明け今年は74歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!時々は自転車を積んでの軽バン一人旅の始まりです。

2013年04月

 普段何も考えずに電車を見ているが、函館のような路面電車は日本では17都市しか走っていない。道内では札幌と函館の2ヵ所。そう思えば珍しい数少ない乗り物なんだ、と気付きます。

image


駒場車庫前にある表示板を見た。1897年(明治30年)、函館で初めて鉄道馬車が走った。馬2頭が線路の上を、客車を引っ張って走るのだ。日本史の教科書の明治の文化で良く出てくる絵にありますね。文明開化の明治初期、「開化の風俗」で明治初め頃の東京銀座の様子が紹介されている。人力車とともに鉄道馬車も走っている。

image


超レトロな電車です。名前は「ハイカラ号」、当時は時代の先端を走っていたんですね。ハイカラなんて名前が付いているんだから。このような電気で走るようになったのは、20世紀の初め、1911年(明治44年)のこと。10月1日函館水電(水力電気)株式会社が、函館馬車鉄道を買収して、馬の代わりに電気の力で客車を動かす路面電車を運営したのが始まり。
1913年(大正2年)には湯川(今の湯川温泉電停)まで延びた。ちょうど100年前なんですね。函館市内の中心部と当時、湯川村の温泉地が路面電車で結ばれたのは。

image


これは超低床電車の「らっくる号」。バリアフリーの電車として2007年(平成19年)に導入された。

image


今は広告宣伝の電車が走っている。函館らしく水産会社が多いが、1台1年間100万円の広告料らしい。

image


 ちなみに向かい側にあるアサヒ商会のガソリン価格は以前テレビのニュースで「日本1ガソリン価格が安い」と紹介されたことがあった。現在カード会員価格で2円安い140,8円。東北の旅では146円から一番高いのは160円までだった。東京のガソリン価格は?教えてくださいネ♪

 最後に函館市民体育館を写しました。昔、自分が中学生の時です。湯川中1年、13歳だから47年前か、当時市民会館や市民体育館の辺りは湿地帯でした。牛や馬が放牧され、大雨が降れば、大きな沼になった。鮫川が流れていて、よく氾濫していた。だから、周辺には深堀町や川原町といった川・水に関係した町名が出来たんだね。住宅などほとんどなかった。高校時代、東高校から工業高校を経て湯川まで自転車で帰る道はもちろん未舗装で、雨が降るとドロドロの状態だった。そんな場所に、最初市民会館が建設された。1370席を持つ当時は最新の設備を誇る会館だったけど、今は収容人数も少ないし、かなり古くなった。体育館も同様ですね。

image


パンジーやチューリップなどの花が植えられた花壇が、雪解けした4月中頃やっと出来た。桜はまだまだ、ゴールデンウィークが開けた5月中旬かな?満開になるのは♪

 平塚常次郎公園。明治時代の函館の名士です。
なにせ函館は明治時代、東京以北では仙台市に次ぐ東日本第2の大都会だったんだからね。札幌はその頃熊と闘いながら、原野を開拓していたんだ。

image


100年前の明治の函館は、経済人・文化人など多才な人たちがいたんだね。国内10番目の人口が、あったんだからね♪

image


これは市民会館。

image


どちらも先に紹介した通り古い建物で、新しく建て直す計画があるそうだけど、いつになるんだろう?体育館のエアコンだけは入れて欲しいですね。夏は暑くて暑くて。次男のプロレスラー・カツオのデビュー戦が夏にあったけど、レスラーもお客さんも汗だくだったことを覚えている。
今年は6月14日、亀田福祉センターで行います。応援お願いします!
ではまた明日 

 今日は、今までの東北の旅を休み、我が家の周辺を散歩して見た記録です。
家を出て10メートル、函館中央競馬場の塀がある。

image


馬の絵が描かれている。高さは5メートル以上あり乗り越えることは不可能、当然侵入させないために高くて立派な塀を周囲5kmほど巡らしている。

image


昔、といっても自分が小学生の時、50年も前だ。半世紀も昔か?改めてショック 簡単な木の塀で、破れたところから進入することは楽勝で、友人と何回も内部に入ったことを覚えている。遠くからしか見えなかったが、種付けの現場を見て驚いた記憶がある。

今はとても素晴らしい建物。2010年リニューアルオープンした中央競馬場だ。

image


何せ日本でもっとも歴史のある競馬場なんだから。知ってましたか?
ここ駒場町に(昔は柏野と呼ばれていた)117年前の1896年、函館共同競馬会が競馬場を造り馬を走らせ、競わせたのが始まり。
薩摩藩出身で後の貴族院議員の時任為基(ときとう ためとも)と北海道様似町の出身の帝国軍人、館大経(はこだて だいきょう)の二人が設立した。
明治時代、函館には日本で初めて、と名が付くのはたくさんあるんだね♪例えば、日本最初のコーヒーを飲んだところ、日本最初の電柱とか・・・ホントにすごいネ!

二人はホースマンと呼ばれた。二人とも馬に関すること、馬術とか、競馬、生産などに携わって大きく貢献したからです。函館大経は「伝説の馬術師」・「函館三士のひとり」と云われています。

image


中に入って見ました。ここはパドック。レース前に出場する馬の状態を見ることが出来るところですね。興奮いてたり、冷静だったり。

image


馬券を買いに来た人は、外は寒いから暖房の効いた中に着席して、前にある大型ビジョンを見ている。レースの結果で一喜一憂している。ニコニコ顔の人もいれば、がっかりしている人も。

image


外に出て見た。夏は気持ち良いだろうな♪津軽海峡が見え、海風を感じるからね!今年は札幌が工事に入るので6月から9月まで開催する予定だ。

image


ゴール地点を見た。遠くに函館山も見える。上空を飛行機が飛んでいる。函館空港は近いからね。

image


今は1周2000m以上あるけど、2400mだったかな?1896年に建設された時は1周1000mしかなかったんだ。

image


なんと大正天皇が皇太子の時に見学している。行幸の記念碑も建っている。

image


最後に、交番の横、歴代の場長の名が刻まれた碑が馬の絵とともにあった。

ちなみに昨日はG1の天皇賞。私の誕生日は6月1日。6ー1は大好きな数字。果たして結果は?知っている人はご存知。知らない人は新聞に出ていますね。

明日も周辺散歩の紹介です。ではまた see you tomorrow !!

 ゴールデンウィークに入っても北海道は寒い日が続いています。函館は雪こそ降らない
けれど、道東・道北は降雪が20cmとか・・・アウトドアの季節にはまだまだですね。

 寒い日は、内にこもってしばらく見てなかったビデオを借りて見ることにした。ビデオではなく、
レンタルDVDですね。1本50円だったので、たくさん借りて来て、その中でも感動作ありました。
孤島の王」~ノルウェー映画、孤島の少年院で自由を求める若者が脱獄するストーリーです。
パピヨン」・「カッコーの巣の上で」・「ショーシャンクの空」ともかぶる久しぶりに感動した作品
でした。3月まで勤めていた職場に映画好きな人がいて、ニックネーム240さんはきっと見たんじゃ
ないかな。

 さて10回目となった総集編、今日のスタートは南三陸町から。
RIMG1325



















 何度も見ていると思いますが、津波によって家は流され、基礎部分だけが残されました。
その中で、奥に見えるプレハブの建物は、以前あった場所に店を開いて営業を開始した
ところです。

RIMG1326



















 奥の看板は、「素泊まり4000円」と書いてますが、工事関係者のための民宿で決して
観光客用ではない。前に書いたように、全国からトラック・ダンプカー・ショベルカー・ブル
トーザーなどが集まったんじゃないか、と。それに伴い現場で働く人たちも全国から働きに
来ています。
 津波でやられなかった数少ない民宿・ホテルは彼ら工事関係者のための宿舎として利用
されている。それでも不足しており、多くの人々は内陸部の大崎市・登米市・栗原市などに
宿泊し、沿岸部に通勤して作業に当たっているのが現状。
 だから、私がボランテイア活動した団体も内陸部の栗原市に本拠地を構えて沿岸部まで
通勤(?)しているのです。それこそ通勤時間70分。結構かかりますね。

RIMG1327



















 津波の被害を受けた低地部分に、1年前開業したのが「さんさん商店街」。南三陸町の
港周辺で商売を営んでいた人々が、プレハブの仮設でもやろう!と決意して開業にこぎ
つけた、と話してくれました。50店舗ほどあり地元の人を中心に利用されていた。
 高台に仮設住宅を建設して、多くの人々が生活するようになったが、買い物に行くのも
車で1時間近くもかかる内陸部の街より、やはり知っている顔の地元の方が買いやすい
からでしょう。だから顔見知りどうしでにこやかに買い物していた高齢者が目にとまりました。

RIMG1328



















 その中で、ある食堂での、一番旬なメニュー。「春告げ丼」~春を告げるメカブ(ワカメの根元
部分)、シラス、マグロ、タコ、ほうれん草と卵をかき混ぜて食べる料理です。
ここのおばさんは、「津波で流されたけど命は助かった。ここでやっていくしかない。ただ土地を
かさ上げするのでここでの営業はあと1年だけ、昨年開業しても2年間だけしか店を持てない。
仮設住宅も2015年までで、2年後には出なければいけない。」と嘆いていました。

 内陸部の登米(とめ)市へ向かいます。以前は登米(とよま)町でしたが、合併して、登米市に
なりました。
RIMG1330



















 日本4位の長い川「北上川」。広い川です。

RIMG1329




















登米市に入り、ここを見たかった。
RIMG1331



















 明治の時代がそのまま残った学校です。「登米高等尋常小学校」
戦前(1945年以前)の義務教育の小学校で、4年間の尋常小学校終了後のさらに4年間を
勉強する学校が高等尋常小学校。
 1872年(明治5年)学制発布後、1879年(明治12年)の教育令で、最低4年間の義務教育
が法文化され、さらにその上の高等科が作られ第二次世界大戦が始まるまで続いた。

その中を見たかったのですが・・
RIMG1332



















 4時30分閉園とのこと。時間がなく、次回に。ところが、ゆっくりと見学出来なくなりました。
それは、翌日からボランティア活動することになったからです。
この日は、20kmほど南の石巻市の道の駅「上品の郷(じょうもんのさと)」で車中泊。温泉も
あり、ゆったりとした夜を迎えることになり、ぐっすり眠ることが出来ました。
ではまた明日

 昨夜の10:00から放送したNHKの番組 震災から2年過ぎて・・・の内容は、昨日の
私のブログとほぼ同様の地域でした。陸前高田の「奇跡の一本松」、山田町、気仙沼
などが紹介されていました。
 
 最初の写真です。気仙沼市内、合併前の本吉町の道の駅「大谷海岸」の近くで小さな
漁船がたくさん捨てられていました。漁船の墓場です。
RIMG1315




















道の駅「大谷海岸」にも「奇跡の松」が植えられていました。「ガレキから奇跡的に蘇った
大谷海岸 復興松
RIMG1316




















 岩手県大船渡市から陸前高田市を通り、宮城県気仙沼市へ、南三陸町を経て石巻市
へ通じるのがJR東日本の気仙沼線です。全て沿岸部を走っている。
 ここはその気仙沼市の南部に位置する。

RIMG1317




















 目の前には、波穏やかな太平洋が広がる。
RIMG1318



















 駅は津波で今も営業出来ず、不通のままです。いつ再開出来るのかは不明です。プラット
ホームには、倒れた駅の看板が横倒しのままの状態で放置されていた。その前にはプレハブ
の道の駅が再開され、営業していたが、この日は風が強く、客も少なかった。前浜で獲れた
新鮮な魚を中心に販売していたが、すぐ帰ることが出来るなら買うことも出来たが、まだ旅の
途中では見学するだけ。

RIMG1319



















 気仙沼線もこの状態。津波は鉄橋を破壊し、重い何トンもあるレールを根こそぎ
持っていった。

RIMG1320



















 橋桁の上のレールはない。ここを列車が通過するには、あと何年かかるのだろう?
それともこのまま放置して、廃線にするのだろうか?よくある話です。
 赤字路線を廃線にするには、復旧するのに膨大な費用がかかる、それよりはバス
に転換する、と廃線になるケースが多いですね。
RIMG1321



















 南三陸町へ入りました。ここは歌津町と志津川町が合併し、南三陸町となった。
岩手県に三陸町が既にあったので、南の文字をひとつ付けて南三陸町としたが・・・
(岩手県三陸町は大船渡市へ吸収合併された)

 この建物で知られることとなった。
RIMG1322



















 この町の防災庁舎で、津波避難を最後まで呼びかけていた町の女性職員Eさんは
最期津波の犠牲になった。3階の屋上で何人かは救助されたが、多くの職員は流され
犠牲となった場所だ。

RIMG1323




















 当時のまま防災対策庁舎の表示がしているが、なぜ高台にあるべきはずの防災庁舎が
海のそばにあったのか?は批判されているが・・・
 鉄骨だけになった庁舎の前には花が供えられていた。
RIMG1324




















 最後の最後まで有線放送で、避難を呼びかけて犠牲となったEさんの話は美談として
後日報道されたが、それでいいのだろうか?疑問が残ります。もっと早く逃げるべきだった
のでは?とか。結果論ですが、議論されています。
 町は、高台に、既に仮設の町役場・病院を造り動いています。家を失った人々はやはり
高台に仮設住宅が出来生活しています。
 震災前に漁業を営んでいた人は、「高台に家を造ったって前浜に行くのに車で行かなきゃ
ならないなんて、漁師じゃねえ」とつぶやいていました。前浜に住んでこそ漁師なんだ、との
気持ちから言った言葉だと思いますが・・・。
 ただ、この地域には昔から津波が押し寄せてきた歴史があります。
 ・昭和33年(1933年)の昭和三陸地震の大津波、死者1522名、行方不明1542名を出して
います。
 ・明治29年(1896年)の明治三陸地震の大津波では、なんと死者21915名、行方不明44名
の犠牲者がいます。
 この三陸の各所に当時のことを伝える石碑が建てられていました。本当に地震・津波の多い
地域なんですね。
 明日は、それでも明るく復活するぞ!と立ち上がったこの南三陸町の人たち、さらに南の石巻
を紹介します。ではまた明日 

 今回の「東北の旅」第1回目は4/5~4/18までの2週間、14日間で、宿泊は
全て車中泊。もっともボランティア活動をしていた時は、NPO法人のDSPの
建物に宿泊していました。合宿所みたいな部屋で、一応布団で寝ていましたが。
その4日間以外は、雨が降ろうが風が強かろうが9泊は車の中でした。
旅のモットーの「寒さに震え、雨に濡れ、風にも負けず」の強がりを続けて行きたい!
の思いですが、いくら東北とはいえ、4月初めはさすがに朝の気温はグッと冷え
寒かったです。冬山用の寝袋を準備しても、ブルブル震えていました。4/7、8の
台風並みの暴風雨の時は、車が揺れて不安いっぱい。それでも何とか無事に
夜を明かしたことは、次なる旅に向けて自信となったことは確かです。
 さて、今日は陸前高田、気仙沼、南三陸と津波のもっとも被害を受けた地域を
中心に紹介していきます。

 最初に、昨日最後に紹介した道の駅「陸前高田」の道路を挟んで真向かいにある
「追悼施設」です。新しい花が慰霊碑の前に供えられています。
たくさんの方が津波の犠牲者となったここ陸前高田の中心にあります。
RIMG1305



















 電柱・電線は震災後、最初にインフラ整備するため、すぐに造られましたが、何もかも
津波で流され、残っているのは鉄骨の頑丈なビルだけです。それも波をかぶっているので
使用できずにいます。奥に見えるNTTビルも今は建物だけで利用されていません。

RIMG1306



















 

RIMG1307



















 気仙川沿いにある「奇跡の一本松」を見に行きました。近くまでは行くことは出来ません。
立ち入り禁止の立札があり、道路は封鎖されていました。
雨でドロドロになった道を、行けるところまで行って写真を撮りました。
RIMG1308



















 ズームしてやっとこのくらい。それでもブレていますね。三脚を持参しなかったため
腕のみで撮りましたが、少しピンボケです。
震災前のガイドブックには「白砂青松の浜。江戸時代に植林された7万本の赤松・黒松
は見事!日本百景のひとつ」と書かれていました。実際、私が学生時代の40年前(古い
!)に自転車で旅した時、ここの「陸前高田ユースホステル」に宿泊した記憶があります。
今でも、松林が海岸線にものすごい数があった、ことは覚えています。
今では1本だけ・・・。ユースホステスは跡形も無くなっていた。

RIMG1309



















 気仙川の対岸から、これまたズームで写しました。この「奇跡の一本松」の残す作業に
関しては地元では、賛否両論があります。14億円もかけて一本の松だけに税金を投入
していいのか?そのお金を被災者のために使えないか、という議論が。
皆さんはこの問題どう考えますか?

RIMG1310



















右の巨大な建物は防潮堤を開閉するもの。消防団の人たちはこれで時間を費やし
犠牲になられた方も多くいました。想像を絶する津波が押し寄せたのですね。

 広い町の平野部には人は誰も住んでいません。街中を行き交うのは、復興工事
に携わる関係者だけ。ダンプカー・ショベルカーなどの重機があちこちで動き回って
います。住民は、高台に設けられた仮設住宅に住んでいます。高台ではスーパーマー
ケット、ドラッグストア、コインランドリー、クリーニング店、食堂などが建設され利用され
ていますが、車を持たない人たちは大変だと思います。何処へ行くのも車社会の地方
では高齢者や高校生などは困っているのでは?それでも自転車に乗れる若者は良い
ですが、一人暮らしの高齢者はどこにも行けないのでは?と心配します。

 気仙沼に移動しました。ここで見た光景は驚愕でした。
RIMG1311



















 巨大な船が港から流されて、2年間市内の中心街の道路に置き去りにされているのです。
長さは30メートル以上はあります。向こうの横断道路を塞いでいますね。横断歩道の右、
船の下には慰霊碑があります。手を合わせ祈る場所です。私が言える立場ではないですが、
左の親子連れ、この船の前で、子がピースサインで記念写真を撮っていたのです。
いくらなんでもピースサインはないだろう、と思います。少なくとも慰霊碑の前で合掌した後に
写真を取るべき、と思うのですが。ここを通る地元の人たちは少なくありません。観光スポット
ではないのだろうから、親も少しは地元の人たちの感情を知って子に諭すべき、と思いました。
 
RIMG1312



















 石巻市の「大川小学校」でもありました。慰霊碑が設置されており、供花があり子供の
おもちゃなどが添えられていました。ここでは未だ行方不明の娘を捜索するため、お母さんが
重機の免許を取得し、雨の日も強い風の日も毎日、娘が見つかる日まで「安らかに天国に
行けるように!」の我が子を思う心で土砂を排除する作業をしています。
 そこに、なんと観光バスがやって来てたくさんの観光客が降り、中にはそれこそピースサイン
で記念撮影している人もいたのです。まるで観光地。もちろん一部の心無い観光客ですが、
地元の人たちを逆なでするような行為が行われているのは事実です。お菓子が供えられ、
それをカラスが荒らし、汚れ放題になったり問題になっています。
 自分も写真を取っていますので、言える立場ではないのですが、皆さんはどう思いますか?

RIMG1313



















 
RIMG1314




















 テレビで見たことは何度もあります。写真集も買って読んだりしましたが、実際に目の
当たりにすると津波の迫力が伝わって来ます。こんな巨大な船が流されるなんて・・・
真下に立つとその大きさがわかります。大きすぎて写真には入りきれなかったので撮り
ませんでしたが。

 明日は、宮城県南三陸町へ向かいます。そろそろ「旅に出たい病」が出て来ました。
5月2日朝8:10の青函フェリー  で再び南へ! ではまた 

 今朝の新聞(朝日新聞)を読むと、第3面に「津波に耐え最期の満開」の記事が出て
いました。「岩手県大槌町の旧赤浜小学校の校庭で、震災の津波に耐えた桜の古木
5本が切り倒されることになり、24日満開の夜桜を見に住民が集まり、別れを惜しんだ。」
という内容ですが、切られる理由は桜の古木5本がある場所に、住宅が再建されるため
だそうです。
 「ひょっこりひょうたん島」と呼ばれる蓬莱(ほうらい)島を望む高台にあり、青年たちが
伝統芸能の虎舞を演じました。まともに津波をかぶった桜は樹齢100年、それでも2011年
震災の翌月の4月には花を咲かせた、といいます。
 残念ながら、函館の地元北海道新聞はファイターズの記事は大きく取り上げますが、震災
に関しては減少しているように思います。全国紙や、東北の新聞、「河北新報」(仙台)や岩手
日報
(盛岡)では、もちろん震災の現場ではありますが、毎日1面で、詳細に報道しています。
 忘れ去られ風化しないためにも、北海道で1番購読されている道新はもっと取り上げて欲しい
な、と思いました。

RIMG1288



















 山田湾の静かな光景です。ここではカキ・ホタテなどの養殖が行われています。
波ひとつないおとなしい海ですね。

 ところが、2011年3月11日地震とともに巨大な津波が押し寄せ、このように町を
飲み尽くしてしまったのです。
RIMG1289



















町は漁業中心、当然低地に町は発展している。駅も海抜数メートルの海のすぐ
側。商店街だってそうだ。高台といえば写真を見ればわかるように、町の奥に
位置する。

RIMG1290



















 津波はビルを通り過ぎていった。窓が通路になったのだ。

RIMG1291



















 少し高台になったところから写しました。山田湾はぐるりと半島に囲まれているため
津波は、その一番奥にあるここ山田町に一気に押し寄せた。

RIMG1293



















右奥にあるのが、町立病院です。

RIMG1294



















 山田駅はご覧の有様です。駅舎は全くなくなり、プラットホームも津波で削られ
跡形もなくなりました。宮古市と釜石市の間は、三陸鉄道ではなくJR東日本の山田線
が走っています。しかし、その間の線路・駅はめちゃくちゃにやられてしまい、未だに
開通の予定は立ってはいません。

RIMG1292



















 山田駅にあった大きな時計です。0時27分で止まっていますが、その時間まで動いて
いたんでしょうか?右の写真を見てお解りと思いますが、駅舎の真上にこの大きな時計が
あったんですね。

 この日はこの山田駅の跡地に車中泊しましたが、夜半からものすごい強風で誰かが
強い力で車を揺らしているんじゃないか?と恐怖で一晩明かしました。

 翌日の船越湾の浪板(なみいた)海岸。ガイドブックには「きれいな白砂の海岸。返す
波がないという片寄波で知られる絶好の海水浴場。険しい海岸線が続く三陸海岸にあっ
ては貴重な存在だ」と書かれた海岸ですが・・・
RIMG1296



















天気は良くない。晴れていると絶景なのかも。

RIMG1297



















 吉里吉里駅は、高台にあり無事でしたが、低地の住宅街は津波によりやられて
いました。しかし営業はしていません。

RIMG1298



















 隣の駅は、先に紹介した「浪板海岸駅」、ひとつ南は「大槌駅」。ここ「吉里吉里駅
は、井上ひさしの小説にも登場します。駅の近くの民家には「吉里吉里共和国」の名札
が掲げていたほどです。

RIMG1299



















ここには江戸時代、豪商がいたそうです。北海道と違い、長い歴史が東北にはあり
ますからね。高田屋嘉兵衛のような豪商もあちこちにいたんですね。島越では農民一
揆の指導者の碑もありました。
 詳しくは拡大してお読み下さい。

RIMG1300



















 立派な吉里吉里小学校です。海から30メートルほどの高台にあり、全く無傷でした。
それにしても素晴らしい建物です。

RIMG1301



















 校門横には「二宮尊徳」の銅像が、これまた最近の学校には珍しい。
隣の大槌町の中心街も山田町同様にやられていました。

RIMG1302



















 釜石駅まで来ました。釜石駅は遠野・花巻に通じるJR釜石線があるために営業して
いますが、海岸線を北に宮古市まで走るJR山田線は不通のままだし、南へ走る三陸
鉄道南リアス線も開通のめどは立っていません。南リアス線は大船渡市の吉浜と盛の
間、7駅間だけですが4月3日に開通しました。
 朝市のある駅前食堂で「朝食定食」を食べました。500円。

RIMG1303



















 釜石駅の真向かいにあるのが、「新日鉄住金釜石製鉄所」です。以前新日鉄は
世界1位の製鉄会社と記憶していたが、今は韓国・中国の企業に抜かれ住友金属
と一緒に生産活動しているのでしょうか?勉強不足ですみません。

 最後の写真です。大船渡を過ぎて陸前高田に到着、ここは道の駅「陸前高田」です。
ご覧の様に津波で破壊されました。
RIMG1304



















 明日はここ陸前高田の様子を詳しく紹介したいと思います。有名になった「奇跡の一本松
や完全にやられた町の様子などを。
 今、北東北では遅かった春が、やっとやって来て桜が咲き始めています。完全な復旧には
まだまだ時間がかかりますが、少しずつでも立ち直りつつあります。大好きな東北が昔のように
元気になって欲しいです。頑張りましょう 一緒に  
ではまた明日

 新聞記事によると、岩手県大船渡市でB-1ならぬ被災地グルメが開かれ当日
雨にもかかわらず、多くの人で賑わったそうです。
4月21日、岩手・宮城両県の仮設商店街が参加する、第2回復興グルメF-1大会
が大船渡市のおおふなと夢商店街で開催され、「大船渡さんまばっとう」が優勝した
との記事を読んで、少しずつでも観光客が戻って来ているな、との思いがしました。
 久慈市を走っている時も、道路標識には「土曜・日曜は小袖海岸へ行く際は公共交通
機関を利用下さい。」と書かれていたことを思い出します。NHKの朝ドラ「あまちゃん」が
ヒットして多くの観光客が来ているのでしょう。
土曜・日曜は混雑しているため、自家用車の制限があるほどなのだから。もっとも小袖
海岸は道も狭く、駐車場も少ないからですが。

 さて、第6回目となった今回は宮古市田老から始めます。元々田老町でしたが、宮古市と
合併し、地名だけが残っています。過去の大津波を何度も経験し海岸線には巨大な、まるで
万里の長城を思わせるかのような堤防が築かれています。

RIMG1274



















 島越の隣の駅である「小本(おもと)駅」。岩泉町にあります。一つ南にあるのが、
攝待(せったい)駅。ここから田老の地域に入り、長い、長ーいトンネルを幾つも越えて
田老駅に通じます。現在小本から宮古市までは開通し、攝待駅の一つ南の田老駅も
利用が出来るようになり、駅の駐輪場には通学している高校生の自転車が何台も止め
てありました。
 ちなみに久慈市と田野畑間も開通しており、その間の「島越」だけが、昨日紹介した
ように津波で破壊され不通のままです。だから北リアス線は本来岩手県北部の久慈市と
岩手県中部の宮古市を結んでいますが、それが島越だけが利用できず、北と南に分断さ
れている現状です。不通区間の小本と田野畑間は路線バスが走っています。

RIMG1275



















 1日に朝夕中心に7本運行されています。小本から宮古までは朝7:05、8:50、
昼は12:30、15:05、夕方は17:10、18:45、最終は20:30の7本。その多くは
地元の高校生が宮古市の高校へ通学するためや高齢者が病院へ通うために
利用されています。

RIMG1276



















 田老の仮設商店街です。高台の広大な敷地に建設され、隣接されている仮設住宅
からも買い物にきています。プレハブの2階建て3棟があり30軒ほどの商店が入居して
います。

RIMG1277



















 仮設住宅は隣の家と薄い壁1枚で隔てられ、隣の声が聞こえるそうです。前にも書きま
したが、経済格差が現れており、少しでも余裕のある人はここを出て家を新築している人
もいます。それでも最初の避難所から見ると「ずーっと良かった」と言っているおばあさん
もいました。
 ここでも高齢者の、特に男性独り住まいの方は、交流もせず孤老死した方もいるそうです。
男一人は、コミュニケーションを取るのが苦手ですからね。

RIMG1278



















 田老の海岸部へ行って見ました。ガスってますが、津波にやられて更地になって
いますね。

RIMG1279



















 ここは宮古市重茂(おもえ)半島の姉吉。本州最東端のトドが崎灯台(徒歩往復2時間
30分)へ行きたかったが、この荒天で断念しました。波が道路のすぐそばまで来ており
車が波に持っていかれる心配もあったし、この天気で行っても何も見えないし、諦める
ことにしました。ボランティア活動後、帰りに寄った時は、晴れていて灯台まで行くことが
出来ました。この時は恐怖が先立ちましたよ

RIMG1280



















 重茂半島の集落、「千鶏」です。ここも海岸に近い部分はやられました。

RIMG1281



















 昭和8年3月3日の大津波の碑はあちこちにありましたが、ここにもありました。
過去に何度も経験している地域です。津波への戒めは十分あったはずですが、世代
が変わると、忘れるわけではないけれど警戒感も薄れていくかもしれませんね。
津波や地震にかかわらず、人間は時間が経つと過去に学習したことが希薄になって
しまうことはよくありますよね。
 釜石では「津波でんでんこ」~津波が来たら各自で逃げろ!の石碑もありました。
子どもたちへの学習が繰り返し行われています。

RIMG1283



















 海岸からの高さ僅かに10mほどにある千鶏小学校本州最東端の小学校です。
ここで訂正です。4月7日のブログでは千鶴小学校」と伝えましたが、「千鶏小学校」
の誤りでした。大変申し訳ありません。

RIMG1285



















校舎は波を被り、学校は2年前から閉校しています。目の前が海なんだから。

RIMG1284



















 「海に鍛え 緑に学ぶ」との碑がありました。


RIMG1286



















 時計があの時の2時46分を指して止まったままです。窓ガラスにはベニア板が貼られ
ていますが、きっと津波でガラスが割れたのでしょう。子供たちが近寄っては危険だから
応急処置したはずです。

最後に、地元の神社「千鶏神社」です。

RIMG1282



















 波に流されたのか、表示が手作りで鳥居に掲げられています。長い歴史があると
思います。
 被災地を訪ねる旅はさらに続きます。
 さらに南へ、明日は陸前高田を紹介します。ではまた

4月5日に出発し、18日に帰宅、第1回目の旅は東北へ被災地巡りとボランティア活動を中心に終えました。14日間の旅はあまりにも短すぎました。
もっと旅を! 第2回目は5月2日出発を予定してします。
今は、1回目の旅、総集編ということでデジカメで撮った写真を元に旅をもう一度振り返って見ています。今日はその第5回目です。

 さて、昨日の午後久しぶりに家でのんびりしていたら今年3月の卒業生から電話があり、食事をすることにしました。

image


3人とも市内の企業に就職し、しっかりと働いています。卒業してからまだ1ヶ月ほどなのに、少しは大人っぽくなっていますね!?
でも、初々しさはあります。働いてると辛い時が来ます。辞めずに頑張って欲しいですね。今は忙しくて覚えるだけで精一杯でしょう。
 常に前ばかり見るだけではなく、時々横を見て下さいね。そこにはあなたの友人が、仲間がいますよ。

image


一緒に撮りました。
さて、ここまではスマホです。

ここからはパソコンを動かし、デジカメから撮った写真で紹介していきます。最初は、

RIMG1262




















 昨日車中泊した田野畑村の道の駅から5km東へ、太平洋に面した島の越集落です。
漁港ですので海のすぐそばに民家が集中しており、津波でめちゃくちゃやられました。
学生時代、今から40年近く前の話ですが岩手県を中心に合宿をしました。
ここ島の越にも宿泊し、峠を登り降りしたことを記憶しています。
(サイクツ・ツーリング・クラブにいたので必死に自転車のペダルを漕いでいました。)

RIMG1263
















トンネルは三陸鉄道北リアス線。久慈市と宮古市を結んでいますが、ここも破壊されました。
ひどい状況ですね。

RIMG1264
















三陸を走っていると、日本中からダンプカー・トラック、ショベルカーをはじめ重機が集まって
いるんじゃないか、と思うほど幹線国道の45号線を飛ばしています。現場では埃りが舞い、
通過する度に気を使います。

RIMG1266


















高台では住宅を建設するために、宅地の造成が行われています。森林を切り払い、土砂で埋めて
平地にしてならしています。

被害を受けたあちこちでこのような場所があります。仮設住宅に住んでもう2年近く、経済力の
ある人は仮設を出て、家を建設しています。中には二重のローンを抱えて苦しんでいる方もいる、
と聞きます。

RIMG1267
















最後に「鵜の巣断崖」の写真です。この日は雨こそ上がったが、風は強く海も荒れていました。
波浪警報が出ており、海岸線に近づくだけで、飛ばされそう。誰もいない観光地で写したこの
写真。ものすごい波ですね。

RIMG1269




















RIMG1270

















「鵜ノ巣断崖」はガイドブックによれば「三陸ハイライトシーン 海のアルプスを思わせる大断崖が
果てしなく続く」と紹介されていますが、この日は荒々しく、近づき難い海でした。

RIMG1272
















北側だけでなく、南側も見たがご覧の通り。

RIMG1273
















そんなわけで、4月から「北限の海女」の番組「あまちゃん」で知られるようになった久慈市までは
なんともなしに通過してきたが、田野畑村からは震災・津波の悲惨な現場を直接目にすることと
なりました。
出来るだけ多くの被災者と話し、その時のことを知りたいと思います。もちろん無理強いはしません。
メデイアの取材ではないのだから、お話ししてくださる方と時間をかけてゆっくり会話したい、と思っ
ています。旅から帰って来て5日過ぎ、さらにもう1度もっとゆっくり旅をしたい思いがどんどん強くな
っています。
それについては、5月2日から始まる第2回目に詳しくリアルタイムでアップしていきますが、それまで
は今回の旅を検証するため、時間をかけて思い出しながら紹介していきます。
では、また明日 

  八戸から県道1号線を南下、ここは大須賀海岸。日本の渚100選に選ばれている
綺麗な海岸なんだけど、この天気ではね。
RIMG1252



















 葦毛崎(あしげさき)展望台から写しました。「ツーリング・マップル」では「海岸線美の
連続!」と絶賛していますが、海も荒れて、雨も降ってきてゆっくりと眺めることは出来
ません。 

RIMG1253



















 種差海岸。ここは「日本の白砂青松(はくしゃせいしょう)100選」に選ばれた海岸。
「蕪島から大久喜(おおくき)まで巨岩と砂浜が連続、天然芝の美しい海岸」と書かれ
ています。晴れている時に訪問したいです。

RIMG1254



















 遊歩道も整備されていますね。晴天時のんびりウオーキングしたいです。

RIMG1255



















 八戸市の南の町、階上(はしかみ)町。となりは岩手県です。太平洋に沿って走る県道
1号線は防波堤沿いに道があるが、並行してJR東日本の八戸線が久慈市まで走る。

RIMG1256



















 4月6日最後の写真はJR「角の浜」駅。岩手県に入って最初の駅です。町の名前は洋野町
ひろの、と読みます。種市町と大野町が合併し、洋野町となりました。八戸街道または久慈
街道
ともいう江戸時代の八戸藩の主要街道の一つを走っていますが、それて大野の中心街へ
向かいます。なんとなく、自分の名前の町を訪問したかったのと、道の駅に「健康の湯おおの
があるからです。昨日横浜町ではお風呂に入らなかったので、ここで入ろう、との思いもあって
内陸部へ車を進めます。その後は久慈市を通り過ぎ、野田村、普代村、宿泊地の田野畑村へ。
下の写真は、田野畑村道の駅「たのはた」の思惟(しい)大橋です。

RIMG1258



















 前夜は大荒れでした。寝る時間(9時過ぎかな?車の中でブログを作成した後に
寝ます)から、雨が降りだし風も出てきた。夜中は暴雨風で、まるで台風並み
小さな車がひっくり返るんじゃないか、と心配するほど、それでも何とか寝ることが
出来ました。朝は霧の中、歩いて直ぐの思惟大橋で写しました。

RIMG1259



















 「たのはた物語」の碑があります。橋が完成する前は、250mほどもある坂を降りて
また登ってを繰り返したそうです。だから、ここの学校に勤務する先生は考える=思惟
(根本の問題を深く考えること)して「辞職坂」とも云われたそうです。

RIMG1260



















 ここで、すごい人物に出会いました。ナンバープレートを見ても分かるように長崎ナンバー
です。65歳、元警察官。国士舘大学大学出身と自己紹介していました。なんと1年以上もこの
小さなミラで旅しています。メーターを見たら既に5万kmを越え、九州、四国、関西、北海道を
旅して東北に入ったといいます。寒い北海道も走ったよ!と豪語していました。こちらは旅に
出てまだ3日目、「先輩ですね」とよいしょ、したら次々と旅の話をして来ました。決してフラット
じゃない座席で毛布で寝ているとのこと、こちらのフルフラット・冬用寝袋を見たら驚いていま
した。
 アウトドア用品に関しては、あまり知らなかったみたいで、私が旅をするのに色々と用意して
きたのを見て、感心していました。それにしてもかなりの旅慣れた人で、冬の北海道の寒さも
なんのその、という感じで強者(つわもの)です!

RIMG1261



















 最後に、1時間後の思惟大橋。霧も少しは晴れてきて、良く見えるようになって来ました。
橋がなかった時代に、この坂を毎日車であっても登り降りすることを考えたら、しんどいで
すね。考えちゃいますよ。私が中学生時代、岩手県は「日本のチベット」と呼ばれていました。
道路も開通していない秘境の土地だったんですね。ここに来て初めて意味が分かるような気が
します。
 明日はこのあと、今まで登場しなかった震災による被災の跡地を見ることになります。ここまで
は2年前の震災の残りはなかった、もう既に後片付けを終了したのか、見た目には、復旧して
いるように見えました。しかし、このあと次々と被災地の様子が手に取る様に分かったのです。
それについては、また明日。

 帰宅後、ボランテイア活動を少しだけしてきた、と話したら、まだボランティアが必要なの?
と聞き返してきた人もいた。函館のような地方では震災のニュースは最近はなくなり、まして
2年も過ぎたら震災が起きたことすら風化してしまい、過去の地震と同じに見られ、忘れ去ら
れるかも知れない。
 ブログで紹介したように未だにボランティアは必要です。東京では、毎週土曜・日曜に0泊2日
のボランティア・バスツアーが出ています。私が活動していた時もバス2台で来ていました。中
には金曜日仕事が終わらずにスーツ姿でバス乗り場へ直行し、南三陸町に朝8時到着して
から着替えて作業をした人もいました。
 また、高校生もいました。一度は現状を把握したいとの思いから参加、聞いたらやはり聞くと
見るのは大違いで、まだまだ人手が必要だ、との認識を持ったようです。彼女は帰京後、友達を
誘ってまた参加したい、と話してくれました。たくさんの首都圏から参加したボランティアの人達と
話しましたが、一様に2年たっても、変化は目に見えず、もっと多くの人に参加し、現状を見てもら
いたい、とのお思いが強かったようです。
 なかなか函館からだとアクセスの問題で行きづらいです。東京のように高速を使って直接現地へ
(といっても8時間近くかかりますが)行くことは不可能ですが、何らかのやり方で被災地を支援
することは出来るはずです。柏稜高校で行った「絵本を送る」・「教科書や問題集を送る」などは
初期の段階ではとても良いやり方だったと思います。2年経った今、何が必要なのか?物資は
豊富にある。が、例えば2700人近い人が行方不明のままです。その捜索活動、さらには東北を
観光する、お土産を買うなどの行為も役立つはずです。皆さんが何らかの形でサポートしていた
だければ、と心から思いました。

RIMG1239



















 さて、2日目。無人駅の吹越(ふっこし)駅。陸奥横浜駅のとなりです。朝早いにも
かかわらず7時前の列車に、地元の高校生が登校していました。土曜日で休みのはず
ですが、野球部の練習か?日焼けした顔、それらしい格好で、思わず頑張れよ!と口に
は出さなかったけど、心の中でつぶやきました。

RIMG1241



















のへじ駅。野辺地町の中心だが、JRは新幹線の開通に伴い経営を手放し、第3セクター
の「青い森鉄道」に任せています。新幹線が出来ると、地方の鉄道は廃線になるか、このように
第3セクターに経営委譲してしまい、いずれはバス移管し、廃線になってしまう。北見・池田間の
ふるさと銀河鉄道などがそうですね。江差線も2014年廃線・バス移管が決まってます。その中で、
三陸鉄道は震災で大きな被害を受けたにもかかわらず、復旧し4月3日に開通しています。
たくさんの人の支援もありましたが、頑張っていますね。乗って旅するのも良い方法ですね。
RIMG1242



















 さて、ここは七戸町の七戸城跡地。「七戸城東門」と書かれています。冬季閉鎖でしたが、
左の隙間から入れたので中を覗いて見ました。結構広いです。

RIMG1243



















 こんな風になっています。歩いたら閉鎖されているのは東門だけで、他は開いていて
ウォーキングしている方もいました。

RIMG1245



















 そして「姫塚」。殿様の若いお姫様がイケメンの侍に恋をして、二人とも殿の逆鱗に触れ
切られる、という物語です。

RIMG1246



















 どこにでもある話ですね。

RIMG1247



















 十和田市を通過し、八戸市へ。人口24万人の工業都市八戸は、交通量も多く、市内は
渋滞、街中はどこででも見ることの出来る会社の看板が目に付きます。例えば「洋服の青山」・
「オートバックス」・「しまむら」さらに各コンビニなど函館と同様ですね。
ここは蕪島(かぶしま)。ウミネコが4万匹住み着いている蕪島神社。それではウミネコの
オンパレード、多過ぎる!    

RIMG1248



















歩く前にウミネコ、横にも、後ろにも、踏みつけそう。でも踏んじゃったら仕返しされそうで
怖い

RIMG1249



















 一口に4万羽といっても、この数を見たらどれだけいるのか?4万羽の毎日するフンの量
たるや、いかほど?餌は何?卵は?食べれるの?

RIMG1250





















RIMG1251



















 そんなわけで、八戸を通過し、さらに南下。ここまでは風は強かったが、天気は晴れ。
ところが南へ下がるに連れて雲がかかり雨もポツリポツリ、 続きははまた明日

 今回の旅の目的の一つは、被災地の現状をじっくりと見てくること。
実際、2年以上経った今でも震災時と変わらぬ光景がありました。
交通の便が悪い、例えば半島の奥地などダンプや重機が入れない地域も
あります。そこでは2年前から放置された状態が続いています。三陸海岸は
複雑に入りくんだ地形ゆえ、三陸の幹線国道である国道45号線を外れた地域は
がれき撤去も後回しにされ、今だ手をつけていないところもあるのです。
 被災された住民の方々は、仮設住宅に入居していますが、経済格差が出て来て
います。まず、最初から高台に家があり、津波で被害を受けなかった人、経済力が
あり仮設を出て、家を新築している人、自治体によっては集合住宅を建設し、引越し
し新しい生活を始めた人、最後に取り残された人たちは依然として仮設に住み続け
ている人、というふうに格差がはっきりと現れています。
 現地の人とお話しして一番気になった点は、最後の人たちでその多くは高齢者の
一人暮らし。心を痛める話もありました。孤老状態で、生きる気力を失い自殺をする
人も何人もいる、といいます。震災からの回復はまだまだです。
この話は少しずつ取り上げていきます。

RIMG1217



















 尻屋崎灯台です。手前の道路はわざと砂利道として残しています。高台の方に舗装された
立派な道があります。寂寥感を出すために、この道が写真取りのための観光用として残って
いるのです。よくありますよね。観光地に付きものなのかな?

RIMG1218



















 堂々とした姿ですね。太平洋が東の海に広がります。北西の方向に恵山(618m)
がはっきりと見えました。距離にすると30kmもないくらいかな?

RIMG1223



















 様々な碑が立っています。きっと歌にも歌われているのでしょう。確かに悲恋の歌謡曲
に合う場所ですよね。
 寒い、風が強い、暗いの三拍子そろっています、と言ったらそこに住む人に失礼ですね。
歌謡曲の世界では、恋をするのは南、失恋は北、だから北の地方は悲しい歌が多いですね。

RIMG1220



















 尻屋小学校。廃校シリーズをここでも紹介します。4年前に廃校となったそうですが、
建設費はなんと14億円、それがわずか7年しか持たなかったといいます。学校の近くで
農作業していたおじいさんに聞きました。「税金の無駄遣いだ!」と大いに怒っていました。

RIMG1226



















 確かに経費のかかる木造の立派な建物です。ここ東通村は、東京電力と東北電力の
原子力発電所を抱えており、その補助金として建設されたが、なにせ子供がいないの
だから学校は続かない。次々廃校になっていきます。

RIMG1227



















 「愛と寒立馬(かんだちめ)の里」と書かれています。尻屋崎は夕方4時には道路が閉鎖
されます。それは放牧されている馬を管理するため。日中は馬たちが、観光用もあってか
灯台周辺に放牧されてますが、夜は馬小屋に戻されます。

RIMG1229



















 その馬です。作業していた農家の人に聞きましたら、この子は母を亡くしたばかりで、
可哀想なんですよ、とお話ししてくれました。

RIMG1231



















 袰部(ほろべ)小学校。荒れ果てた校舎ですね。地元の人に聞きましたが、いつ廃校に
なったかは、分からない、と言ってました。相当以前に廃校になったのでしょうね。

RIMG1232



















尻労(しつかり)小学校。続いているように見えますが、ここも廃校です。

RIMG1235



















 猿ケ森小・中学校です。下北半島の陸奥湾側は、むつ市もあり流通も盛んで、交通量も
多いですが、逆の太平洋側は人口も希薄、車で走っていても対向車としばらく合わない時間
がありました。地図を見てもかなりの過疎地です。集落が点々といくつかあるだけなので
子供も少なく、学校は廃校となったのでしょうね。
 しかし、140年ほど前、この地に会津の人たちが入植して開墾していった、のですね。
米の栽培での出来ない冷涼な地で、寒さに強い馬・牛などを放牧する牧畜に携わってきたのです。

RIMG1236



















 学校の正面には、このような石碑がありました。「新しき あすへ 進まん」
何年の歴史があったのでしょうか?

RIMG1237


















 
 JR東日本の陸奥横浜駅です。横浜といえば、誰もが首都圏の横浜を思い出すでしょうが、
実は青森県にも横浜はあるのです。ここは横浜町。5月下旬、菜の花で真っ黄色になる花の町
です。

RIMG1238



















 最後に、この日の宿泊場所。国道279号線沿いにある道の駅「菜の花プラザ」です。
同じように車中泊する車が何台かありましたが、寒かったです。最低気温3度は寒い!
4月上旬の北東北はキャンプやアウトドアにはまだ早かった。朝方はブルブル震えていました。
確かに寒いのは知っていました。気温も調べて、旅立つにはまだ早いな、と。でも1日でも早く
旅立ちをしたかった。寒くてもいい。とにかく旅に出よう!という思いのほうが強かったからです。
 続きは、また明日!!

 帰宅初日。早速 part 2 に向けて準備を始めました。今回で学習したことを
次回で活かそうと、つまり失敗もありました。旅に必要なものと不要なものが
あり、part 2ではさらにより良い旅を!とプランニングしています。
RIMG1180



















 津軽海峡フェリーの函館港です。「ばあゆ」は古いタイプで、このあと8日から17日まで
大間行きのフェリーはお休みとなる。5日に出発し、帰りの18日に新型の大間丸の予約
が取れた今回は、ラッキーでした。

RIMG1189



















 旧型は100分かかるが、新型の大間丸は90分。新しいタイプはスピードも早い。
なお、新大間丸は広島の造船所で製造されたそうで、「函館どつく」じゃなかったんですね。
この写真、津軽海峡の真ん中辺り、イルカが見える時もあるけど、この日は見えず。残念!
函館山の裏側と市内が見えます。五稜郭タワーが一だんと高く見えますね。

RIMG1193



















 大間町に到着したら、大歓迎。旧型フェリーの「ばあゆ」お疲れ様と、新幹線の十和田・
七戸駅へ是非いらっしゃい、との地元青年団の熱い出迎えでした。

RIMG1196




















 すごいパワーを感じますね。大間と十和田市の青年団たちによるコラボでの歓迎
でした。

RIMG1197




















 さらにこの日は、18日初めて就航する大間丸の公開日で、地元の人たちが大勢来て
いました。報道関係者も多く来ており、テレビ局がカメラを回すと、子供たちはピースサインを、
おばあさんたちは顔を伏せたり、逃げ惑ったりしていました。

RIMG1199




















 本州最北端の大間岬を目指す途中に発見したのが、これ。個人商店を営む方が
趣味で始めたのが、この資料館。ご主人は4代目とのこと。戊辰戦争で朝敵とされた
会津藩が下北半島に飛ばされて、各地で開拓を行った。ここ大間にも住み付いてもう
140年以上過ぎた。

RIMG1203




















 趣味で集めた様々な資料を、自宅2階を改造して展示していた。ただ、一人500円とは
ちと高い。ご主人は先祖が会津出身ということを強く誇りに感じていました。
会津の魂を、何度もおっしゃっていました。

RIMG1202




















 最北端の碑。本当は沖合に見える白黒の灯台の大黒島だが、無人の島。だからここが
最北端になる。遠くに見えるのは北海道・渡島半島。函館山もくっきりと見える。ホントに近い。
前日のブログにも書いたように、夜は函館の夜景がよく見える。大間に建設中の原発が事故
ったら、海を隔ててわずか30km以内の函館はもろに被害を受ける。絶対反対ですね、
大間原発は。
RIMG1209




















石川啄木は、各地に歌を残している。
RIMG1207




















歌といえば、天童よしみのこんな歌もあったんですね。知らなかった。「みちのく慕情」
なんて、皆さんご存知?

RIMG1208




















 当然、なんといってもマグロ一本釣りの町の大間。こんなモニュメントもありました。
それにしても函館の街並みがよく見える。湯川のホテルも分かるほどだ。
RIMG1212




















 最後に、会津といえば、今テレビで放送している「八重の桜」の主人公である新島 八重。
彼女のご主人が新島 襄。同志社大学を創った方ですね。函館からアメリカ船に忍び込み
アメリカに密出国したことは有名な話。函館西部地区に碑が建っていますよね。
彼は、ここ大間町の隣町である風間浦村に海が荒れたために寄っています。江戸から北上
して、日米和親条約で伊豆の下田とともに開港したばかりの函館に直接来たかったのですが、
津軽海峡は波高く、風間浦に寄らざるを得なかったでしょう。同志社大学でこの碑を建設して
います。
RIMG1214




















 というわけで、5月上旬再スタートを切るために、今は準備中です。今回の旅を時間を
かけてもう一度見直し、より良く「ぼうけんの旅」がさらにステップアップして行くように、
しばしの間「東北の旅」を深く検証して行きます。明日は、尻屋崎から南下し横浜町へ、
八戸までの行程を辿ります。では、また!

おはようございます!4月18日木曜日 晴れ
朝の5時30分、2番目でした。一番乗りは室蘭ナンバーの車、カローラフィルダー、おばさんが一人で運転してます。
フェリーターミナルで受付したら、就航記念にこんなもの頂きました。

image


まずフャイルケースです。中を見たら

image


そしてお宝になりそうかな?メモリアルチケット もっともコレクションする趣味はないですけど。欲しい方、いらっしゃいますか?

image


朝早くからテントを張ったり、準備に忙しく皆さん動いています。

image


新しいフェリーターミナルの建物。地元の皆さん寒い中ご苦労様です。

夜中寒かったです。いくら「寒さに震え」を旅のキャッチコピーにしているにしても、何度も目が覚めました。車の中でも、息は白く冷気でスマホが濡れるほど、窓は全面に水滴がついていました。結露しそう?それは冗談にしても、アウトドアで寝た経験の中では久しぶりの寒さです。若い時の冬山キャンプ以来かな?
これを書いているさなかに続々と車が列を作っています。本日満車とのこと。こんな経験は初めてです。別に一番乗りマニアじゃないですからね。逆に列に並ぶのは嫌いです。今回は、フェリー乗り場に駐車して、車中泊したからで、たまたまですよ♪
テレビ局の人たちが何人もやって来て、一番乗りの人にインタビューし始めました。2番手は無しですね。
6時16分、待っている間に、こんなものも頂きました。

image


さらに、大間漁協婦人部の皆さんの手作りの、昆布入りの団子汁が無料で配られていました。

image


車まで持って来て食べようとしたら、乗船の放送が、思わず少しこぼしてしまった。でも、美味しかったですよ。何が入っているんですか?って聞いたら、説明してくれたけど、何をいっているか分からなかった。キツイ方言でした。
昨日は、朝コーヒーを作って、飲もうかな、とその時カップをひっくり返してしまって、座席は濡れるし、コーヒー飲めないし少しだけめげました。
函館山が見えます。雪を頂いた横津岳もはっきりと見えます。もうすぐ出航です。団体客もたくさんやって来て、朝から飲んでいる人もいる。なんと酔っぱらって怒鳴っている人もいますよ。乗る前から出来上がっているんですね。団体さんはイヤだね。車も人もいっぱいだ。人が多いと面倒なこともたくさんある。一辺に現実に戻されました。昨日までは夢の世界、旅を十分エンジョイしました。旅はやっぱりひとりですね。
こんな時は座敷席よりも椅子席で、新聞か本を読んだりスマホを見てると時間が過ぎますね。ブログやってるとあっという間に、1時間は経っちゃいます。
ではまた。

4月17日 水曜日 朝方雨、のち曇り、時々晴れ
つい先ほど6時過ぎに、やっと、大間のフェリーターミナルに到着しました。なんとか無事に帰ることが出来そうです。
今日は、三沢の道の駅で起床。朝方は豪雨でした。昨夜からの雨がさらに強まり、屋根をたたく音がうるさく、決して子守唄にはなりませんでした。すみません。昨夜のことは訂正します。しかも、この旅最低気温の2度、すごく寒かったです。ブルブル震えながら車の中で、寝袋から出れずに6時過ぎに、やっと起床しました。
起き出し朝食を取った頃には、やっと雨が上がり、太陽が少しだけ顔をのぞかせました。

image


近くの小川原湖へ、ここは元々海だったところで海水と淡水が混じった汽水湖です。水深は浅く、シジミの養殖などに向いています。まるで海のような広さです。

image


近くの仏沼へ、ここはラムサール条約に登録されている水鳥の生息地、湿地帯にヨシの水草が生え鳥たちの楽園になっているところです。

image


ツルがいたので撮ろうとして近づくと、飛んで逃げる、それを繰り返すこと3回、やっと撮ったのがこの写真です。真ん中に小さく見えるでしょう。

image


もう一度小川原湖、青森県では十和田湖、十三湖と並ぶ大きな面積を持つ。

image


道の駅に戻り、斗南藩の歴史を紹介する博物館を訪れた。9時開館なのでそれまで周辺をドライブしていたのです。戊辰戦争で朝敵(明治天皇の敵、賊軍)とされた会津藩は23万石を3万石へ大幅に減らされ、さらに米も栽培できない下北半島へ移され、名を斗南藩と変えたのです。
「先人記念館」と名付けられたこの博物館で、未開の土地を開墾していった、彼らの苦労が偲ばれました。

image


中にはこんな絵がありました。感動します。
開拓の歴史を偲ぶ絵です。拡大して3枚の絵をご覧下さい。

image


今日は最後の日、昼食はむつ市のホテルでランチとしゃれこみました。この写真のランチ以外にデザート(イチゴのタルト)、ドリンク(アップルジュース)、最後にコーヒーがついてなんと800円でした。うーん満足

image


むつ市大湊でこの碑を発見。斗南藩上陸の地です。会津の地から、一部は新潟、一部は江戸から船に乗りここを目指したのです。もちろん陸路歩いてここまでやって来た人たちもいました。

image


積雪のため通行止めがあることを知らず、Uターンをしたため50kmロス、今日の走りは、昨日ほどではないにしても270km走り、途中大変な道も乗り越えて来た。その一つ、「仏が浦」です。崖っぷちを走るワインデイング・ロードといえば聞こえはいいが、山岳道路といった険しさでした。

image


大間で温泉に入り、大奮発して「ウニ丼」を夕食に取りました。普段は質素な食事です。粗食に耐え、と言っているほどですからね。でも、この日は明日フェリー「大函丸」初就航記念ということでサービスで1000円でありつけたのです。嬉しいな♪

image


最後の写真、明日乗る大函丸です。処女航海ですよ。風が強くて、かなり揺れると思うけど、まさかタイタニックにはならないよね



image


というわけで、明日函館へ帰ります。今回たくさんの人に助けられ、励まされて13日間旅が安全に出来ました。心から感謝致します。
特にボランティア活動では、築館のDSPの皆さん本当にありがとうございました。リーダーの大場さん、青木さん、ともみさん、ともこさん、かじこさん始めスタッフの皆さん、夕食はとっても美味しかったですよ。普段よりも食が進みました。ちょっとだけお手伝い出来たでしょうか?
また、ブログにコメント寄せていただいた皆さん、とっても励みになり勇気付けられました。
柏稜高校の今年の卒業生の皆さん、3年生の皆さんホントにありがとう。みんな頑張って下さいね!
そして、なによりも多くの東北の皆さんに感謝します。南三陸町の澤田さんご夫婦始め、大船渡や釜石でお話してくれた市民の皆さん、ありがとうございました。恋し浜駅のおじさん、たくさん説明してくれてありがとうございました。山田町の復興市場の食堂のおばちゃん、ラーメン美味しかったです。女川町の復興リーダーのご夫婦、カレーライス少し辛かったけど美味しかったです。女川に人が少しずつでも戻って来るといいですね。石巻市の石森章太郎漫画記念館のスタッフの皆さん、再開出来て本当に良かったですね。東北の皆さまが少しずつでも立ち直ることを心から祈ります。

ぼうけんの旅は、少し休んで5月上旬再びPart 2としてリ・スタートする予定です。外は強い風が吹きまくり、気温は昨夜よりもさらに下がって1度だそうです。寒い!! 外に出たら月が出てました。たくさんの星が見えるから明日は晴れるでしょう。津軽海峡を挟んで対岸の函館の灯りがきれいに見えます。
では、また明日!! 皆さんお元気で!!





4月16日 火曜日 晴れのち曇り。今日のスタートは陸前山田駅跡地、津波でやられてしまい、プラットホームだけが残っている。

image


1週間前は台風並みの暴雨風だったけど、この日の夜は雨だけ、ただ朝はかなり冷えた。息が白くなるほど、3度くらいまで冷えたはずだ。それでも太陽が上り、快晴の朝となった。
今日の目的地、前回荒天で断念した重茂半島の本州最東端のとどヶ崎灯台を目指す。

image


ここまでが大変な道だ。国道からそれて県
道を走るが道は狭く、上り下りの連続、やっとの思いで姉吉の集落にたどり着き、港近くの登山口で車を止めた。

歩くこと1時間ほどで灯台に到着した。持ってきた登山靴を初めて使用した。最初こそ登りだが、後はほとんどフラットな道だから、それほどきつくはないと思う。

image


ここは映画にも登場しているし、灯台マニアの中では、恐らく1位のランキングだろう。素晴らしいロケーションです。

image


手前の大きな岩は本州最東の碑です。高さ、場所、困難さ、風景どれをとっても最高の灯台にあたる。灯台というくらいだから、当然海に面しているが、景観の良さも最高にランクされる。

image


歩いていると、カタクリの花と出会った。昔はこの花の根が片栗粉の原料になったし、花はおしたしにして食べていた。今は希少植物になったし、とるのは写真だけですね。

image


山に咲くのはかれんな、可愛らしい小さな花が多い。有名なエーデルワイスなども見るとこんなに小さいの?と思うほどだ。同じ紫色のスミレもたくさん咲いていた。

image


寄り道も含めて2時間30分くらいかかったかな?ちょうど良い運動になった。久しぶりに登山靴も履いたし、寒かったけど体も暖まりました!

image


途中で見た海のきれいさには驚くほど、太陽の下で穏やかな海は、ホントに癒される。

11時に終えてからは一気に北上した。明日は大間まで行かねばならぬので、今日中に青森県入りする必要がある。岩手県宮古市田老の田老駅に
行ってみた。鉄道は開通したものの市街地はご覧の有り様、万里の長城みたいな巨大な堤防をも越えて津波が襲来、市街地を丸ごと飲み込んでしまった。

image


宮古、田野畑、普代、久慈、階上を経て青森県八戸へそして三沢の道の駅まで約300Km近く走った。ガソリンスタンドで1回、トイレタイムで道の駅に3回止まっただけかな?かなりの強行軍で、さすがに今夜の道の駅に着いた時はしんどかった。田老の道の駅では20個入りのリンゴ500円を多すぎるので、半分の10個250円で買ったがそれでも多い。午後だけで5個も食べてしまった。リンゴでお腹いっぱいになった。
最後の写真は、三沢市の温泉、三陸温泉という名前。250円で入れる。安いね♪暖まりました。

image


実質あと1日だけの「ぼうけんの旅」part 1となりましたが、とても充実した日々を過ごせたと思います。当初の目的だった、被災地をじっくりと見てくること、ボランティア活動してくること、どちらも実行出来たことは、東北の皆さんの優しさもあったし、ボランティア団体DSPの協力もあったからです。心より皆さんに感謝致します。
まだ明日もあるので、十分運転には気を付けて大間まで行きます。18日は朝7時のフェリー
ですので、運転はほとんどなし。無事に帰ること、これで旅を終えることが出来る。だから明日もきちんとブログに報告出来るように1日を過ごします。今8時を過ぎたところです。車の屋根を激しく雨が叩いています。大雨になっています。自転車やバイクで旅をしていた時、雨降りはホントに嫌でした。でも、車は大丈夫。雨音を子守唄代わりに寝ることにしましょう。(かなり無理があるかなあ)
それでは、また明日!!

↑このページのトップヘ