普段何も考えずに電車を見ているが、函館のような路面電車は日本では17都市しか走っていない。道内では札幌と函館の2ヵ所。そう思えば珍しい数少ない乗り物なんだ、と気付きます。
駒場車庫前にある表示板を見た。1897年(明治30年)、函館で初めて鉄道馬車が走った。馬2頭が線路の上を、客車を引っ張って走るのだ。日本史の教科書の明治の文化で良く出てくる絵にありますね。文明開化の明治初期、「開化の風俗」で明治初め頃の東京銀座の様子が紹介されている。人力車とともに鉄道馬車も走っている。
超レトロな電車です。名前は「ハイカラ号」、当時は時代の先端を走っていたんですね。ハイカラなんて名前が付いているんだから。このような電気で走るようになったのは、20世紀の初め、1911年(明治44年)のこと。10月1日函館水電(水力電気)株式会社が、函館馬車鉄道を買収して、馬の代わりに電気の力で客車を動かす路面電車を運営したのが始まり。
1913年(大正2年)には湯川(今の湯川温泉電停)まで延びた。ちょうど100年前なんですね。函館市内の中心部と当時、湯川村の温泉地が路面電車で結ばれたのは。
これは超低床電車の「らっくる号」。バリアフリーの電車として2007年(平成19年)に導入された。
今は広告宣伝の電車が走っている。函館らしく水産会社が多いが、1台1年間100万円の広告料らしい。
ちなみに向かい側にあるアサヒ商会のガソリン価格は以前テレビのニュースで「日本1ガソリン価格が安い」と紹介されたことがあった。現在カード会員価格で2円安い140,8円。東北の旅では146円から一番高いのは160円までだった。東京のガソリン価格は?教えてくださいネ♪
最後に函館市民体育館を写しました。昔、自分が中学生の時です。湯川中1年、13歳だから47年前か、当時市民会館や市民体育館の辺りは湿地帯でした。牛や馬が放牧され、大雨が降れば、大きな沼になった。鮫川が流れていて、よく氾濫していた。だから、周辺には深堀町や川原町といった川・水に関係した町名が出来たんだね。住宅などほとんどなかった。高校時代、東高校から工業高校を経て湯川まで自転車で帰る道はもちろん未舗装で、雨が降るとドロドロの状態だった。そんな場所に、最初市民会館が建設された。1370席を持つ当時は最新の設備を誇る会館だったけど、今は収容人数も少ないし、かなり古くなった。体育館も同様ですね。
パンジーやチューリップなどの花が植えられた花壇が、雪解けした4月中頃やっと出来た。桜はまだまだ、ゴールデンウィークが開けた5月中旬かな?満開になるのは♪
平塚常次郎公園。明治時代の函館の名士です。
なにせ函館は明治時代、東京以北では仙台市に次ぐ東日本第2の大都会だったんだからね。札幌はその頃熊と闘いながら、原野を開拓していたんだ。
100年前の明治の函館は、経済人・文化人など多才な人たちがいたんだね。国内10番目の人口が、あったんだからね♪
これは市民会館。
どちらも先に紹介した通り古い建物で、新しく建て直す計画があるそうだけど、いつになるんだろう?体育館のエアコンだけは入れて欲しいですね。夏は暑くて暑くて。次男のプロレスラー・カツオのデビュー戦が夏にあったけど、レスラーもお客さんも汗だくだったことを覚えている。
今年は6月14日、亀田福祉センターで行います。応援お願いします!
ではまた明日
駒場車庫前にある表示板を見た。1897年(明治30年)、函館で初めて鉄道馬車が走った。馬2頭が線路の上を、客車を引っ張って走るのだ。日本史の教科書の明治の文化で良く出てくる絵にありますね。文明開化の明治初期、「開化の風俗」で明治初め頃の東京銀座の様子が紹介されている。人力車とともに鉄道馬車も走っている。
超レトロな電車です。名前は「ハイカラ号」、当時は時代の先端を走っていたんですね。ハイカラなんて名前が付いているんだから。このような電気で走るようになったのは、20世紀の初め、1911年(明治44年)のこと。10月1日函館水電(水力電気)株式会社が、函館馬車鉄道を買収して、馬の代わりに電気の力で客車を動かす路面電車を運営したのが始まり。
1913年(大正2年)には湯川(今の湯川温泉電停)まで延びた。ちょうど100年前なんですね。函館市内の中心部と当時、湯川村の温泉地が路面電車で結ばれたのは。
これは超低床電車の「らっくる号」。バリアフリーの電車として2007年(平成19年)に導入された。
今は広告宣伝の電車が走っている。函館らしく水産会社が多いが、1台1年間100万円の広告料らしい。
ちなみに向かい側にあるアサヒ商会のガソリン価格は以前テレビのニュースで「日本1ガソリン価格が安い」と紹介されたことがあった。現在カード会員価格で2円安い140,8円。東北の旅では146円から一番高いのは160円までだった。東京のガソリン価格は?教えてくださいネ♪
最後に函館市民体育館を写しました。昔、自分が中学生の時です。湯川中1年、13歳だから47年前か、当時市民会館や市民体育館の辺りは湿地帯でした。牛や馬が放牧され、大雨が降れば、大きな沼になった。鮫川が流れていて、よく氾濫していた。だから、周辺には深堀町や川原町といった川・水に関係した町名が出来たんだね。住宅などほとんどなかった。高校時代、東高校から工業高校を経て湯川まで自転車で帰る道はもちろん未舗装で、雨が降るとドロドロの状態だった。そんな場所に、最初市民会館が建設された。1370席を持つ当時は最新の設備を誇る会館だったけど、今は収容人数も少ないし、かなり古くなった。体育館も同様ですね。
パンジーやチューリップなどの花が植えられた花壇が、雪解けした4月中頃やっと出来た。桜はまだまだ、ゴールデンウィークが開けた5月中旬かな?満開になるのは♪
平塚常次郎公園。明治時代の函館の名士です。
なにせ函館は明治時代、東京以北では仙台市に次ぐ東日本第2の大都会だったんだからね。札幌はその頃熊と闘いながら、原野を開拓していたんだ。
100年前の明治の函館は、経済人・文化人など多才な人たちがいたんだね。国内10番目の人口が、あったんだからね♪
これは市民会館。
どちらも先に紹介した通り古い建物で、新しく建て直す計画があるそうだけど、いつになるんだろう?体育館のエアコンだけは入れて欲しいですね。夏は暑くて暑くて。次男のプロレスラー・カツオのデビュー戦が夏にあったけど、レスラーもお客さんも汗だくだったことを覚えている。
今年は6月14日、亀田福祉センターで行います。応援お願いします!
ではまた明日











簡単な木の塀で、破れたところから進入することは楽勝で、友人と何回も内部に入ったことを覚えている。遠くからしか見えなかったが、種付けの現場を見て驚いた記憶がある。















































































































































。普段よりも食が進みました。ちょっとだけお手伝い出来たでしょうか?








