いよいよ8月も今日が最終日。明日からは9月です。昨日は、ついにラグビートップリーグがスタートしました。日本のラグビーのトップチーム16が集い、日本1を決める2014年2月まで行われる戦いです。今年の記念すべき第1戦は、王者サントリー・サンゴリアスとNTTコミュニケーションズ・シャイニングアークスが対戦、さすがに昨年無敗のサントリーが大勝しました。トップリーグ16チームの中に、函館出身者が3人もいますよ。一人は何度も紹介している笠原雄太(七飯高校から流通経済大学を経てヤマハ発動機・ジュビロ 186cm)。もう一人は菅原崇聖(たかとし、函館ラサール高校から同志社大学を経てキャノン・イーグルス 175cm)。そして今年、入団した萩澤正太(函館工業高校から流通経済大学を経てクボタ・スピアーズ)。以上3名います。笠原は私の甥ですし、息子のカツオの七飯高校ラグビー部の1年先輩。萩澤は私の3男とチームメイトで、フォワードのメンバーとして北海道大会決勝まで一緒に戦っています。187cmの恵まれた体格をしています。テレビで登場した時は是非応援お願いします。
さて、立待岬の続編です。
与謝野寛と晶子夫妻が、相弟子であった石川啄木の死後、1931年(昭和6年)函館を訪れ、啄木の義弟である宮崎郁雨の案内で墓参。その時に詠んだ和歌2首が石板に彫り込まれて岬の丘の岩場にありました。
函館山最南端の大鼻岬が見えますが、行くことは出来ません。険しい断崖絶壁が続き歩いて行くことは不可能、波打ち際を行くにしても波を被ってしまいます。一度ゴムボートで行こう、としましたが潮の流れが早く、もし行っていたら津軽海峡の沖合いに流されていたでしょうね。(冷や汗!
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左に見えるのが、地蔵山。立待岬から「七曲りコース」の登山道があり、地蔵山を経て函館山山頂(御殿山334m)へと続いています。右の山には砲台の跡があります。今は立ち入り禁止になっていますが、昔探検したことがあります。函館山のあちこちに砲台跡地があり、まさに津軽海峡を監視する要塞基地だったことが分かります。明治時代から、日露戦争時に「アジアのジブラルタル」を目指していたそうです。ジブラルタル海峡とは、ヨーロッパとアフリカのわずか17kmの間を指す国際海峡で、スペインの領土でありながらイギリスが所有しています。1815年のウイーン会議でナポレオンに勝利したイギリスが、フランスの同盟国であったスペインから奪い、今も返還せずに所有しています。当時ナポレオンの兄ジョゼフがスペイン国王をしていたからです。その時のスペイン人民は国王に抵抗しゲリラ戦をしますが、惨殺されます。その時の抵抗するスペイン人民を描いたのがゴヤの「1808年5月3日の虐殺」の絵です。1808年5月、マドリード占領中のフランス軍は、抵抗するスペイン人に対して残忍な報復を行ったのです。この絵には、同胞が処刑されるのを目の当たりにしたゴヤの怒りが込められています。世界史の図表によく掲載されていますので、ご存知の方も多いと思います。
国際海峡は、どこの国でも通過できる海峡のことで、21世紀の平和な時代の今も津軽海峡を、ロシア、中国、北朝鮮、もちろんアメリカも含めて、どんな船も、例えば軍艦、潜水艦も通過出来るのです。日本では他に宗谷海峡、対馬海峡など。世界では、先のジブラルタル海峡、マラッカ海峡、マゼラン海峡、ドーバー海峡などがありますね。
こうやって見ると、函館の市街地は平坦ですね。もともと海だった場所に砂が押し寄せ、島だった函館山とつながった陸繋島ですからね。地盤は砂で、硬くはありません。人口の大半は標高30m以内で生活しています。よく観光ガイドブックに「函館は坂の多い町」と紹介されますが、それは函館山からの坂で、主に西部地区を指しており、町の大部分はこの写真を見てもお分かりのようにほぼ平坦です。
というわけで、今日はラグビーとゴヤの絵で盛り上がりましたね。明日は碧血碑へ行きます。このあと、さらにキツイ坂を登ります。
それでは、また、明日♪
さて、立待岬の続編です。
与謝野寛と晶子夫妻が、相弟子であった石川啄木の死後、1931年(昭和6年)函館を訪れ、啄木の義弟である宮崎郁雨の案内で墓参。その時に詠んだ和歌2首が石板に彫り込まれて岬の丘の岩場にありました。
函館山最南端の大鼻岬が見えますが、行くことは出来ません。険しい断崖絶壁が続き歩いて行くことは不可能、波打ち際を行くにしても波を被ってしまいます。一度ゴムボートで行こう、としましたが潮の流れが早く、もし行っていたら津軽海峡の沖合いに流されていたでしょうね。(冷や汗!
)左に見えるのが、地蔵山。立待岬から「七曲りコース」の登山道があり、地蔵山を経て函館山山頂(御殿山334m)へと続いています。右の山には砲台の跡があります。今は立ち入り禁止になっていますが、昔探検したことがあります。函館山のあちこちに砲台跡地があり、まさに津軽海峡を監視する要塞基地だったことが分かります。明治時代から、日露戦争時に「アジアのジブラルタル」を目指していたそうです。ジブラルタル海峡とは、ヨーロッパとアフリカのわずか17kmの間を指す国際海峡で、スペインの領土でありながらイギリスが所有しています。1815年のウイーン会議でナポレオンに勝利したイギリスが、フランスの同盟国であったスペインから奪い、今も返還せずに所有しています。当時ナポレオンの兄ジョゼフがスペイン国王をしていたからです。その時のスペイン人民は国王に抵抗しゲリラ戦をしますが、惨殺されます。その時の抵抗するスペイン人民を描いたのがゴヤの「1808年5月3日の虐殺」の絵です。1808年5月、マドリード占領中のフランス軍は、抵抗するスペイン人に対して残忍な報復を行ったのです。この絵には、同胞が処刑されるのを目の当たりにしたゴヤの怒りが込められています。世界史の図表によく掲載されていますので、ご存知の方も多いと思います。
国際海峡は、どこの国でも通過できる海峡のことで、21世紀の平和な時代の今も津軽海峡を、ロシア、中国、北朝鮮、もちろんアメリカも含めて、どんな船も、例えば軍艦、潜水艦も通過出来るのです。日本では他に宗谷海峡、対馬海峡など。世界では、先のジブラルタル海峡、マラッカ海峡、マゼラン海峡、ドーバー海峡などがありますね。
こうやって見ると、函館の市街地は平坦ですね。もともと海だった場所に砂が押し寄せ、島だった函館山とつながった陸繋島ですからね。地盤は砂で、硬くはありません。人口の大半は標高30m以内で生活しています。よく観光ガイドブックに「函館は坂の多い町」と紹介されますが、それは函館山からの坂で、主に西部地区を指しており、町の大部分はこの写真を見てもお分かりのようにほぼ平坦です。
というわけで、今日はラグビーとゴヤの絵で盛り上がりましたね。明日は碧血碑へ行きます。このあと、さらにキツイ坂を登ります。
それでは、また、明日♪


































































































