函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めて「ぼうけんの旅」は今年で12年目に突入。 車中泊中心の貧乏旅行の旅、今年で72歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 いよいよ「2025 年ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです!

2025年が明け今年は73歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!軽バン一人旅の始まりです。

2013年11月

 晴天の11月16日(土)、11月に入り三度(みたび)函館山に登って来ました。今回はまだ
紹介していない、薬師山から入江山を見ていただきたく歩いた次第です。
麓の函館護国神社、函館山を借景として建てられています。
RIMG2721





















RIMG2722



















ここの神社の裏には、箱館戦争(1869年5月)における新政府側の戦死者のお墓があります。
50基ほどの墓を見ると、広島県の福山藩や薩摩藩から参戦していたサムライもいたのです。
ふるさとを遠く離れて、蝦夷地と呼ばれたもう二度と戻れないほどのはるか異郷の地のような
土地で、彼らは何を思い戦ったのでしょうか?
賊軍と呼ばれて蔑まされた旧幕府軍の兵士たちが葬られた碧血碑と比べて、官軍は手厚く葬ら
れています。
なにせ、護国神社の始まりの招魂社は、幕末の長州藩・薩摩藩が戦いで亡くなった人たちを祀る
ために出来たもので、まさに「勝てば官軍」を象徴するものだったのです。それが、戊辰戦争時に
新政府側についた者たち、さらにその後国のために亡くなった兵士たちを祀るために、1939年
(昭和14年)、それまでの招魂社を護国神社と名を改称して神社としての制度を明確にしています。
なお、東京招魂社は、1879年(明治12年)にすでに靖国神社と改めています。
RIMG2723



















 さて、今日はまず最初に薬師山を訪ねるために旧登山道から登り始めます。
登山道入り口の2合目付近には、「函館山登山の記」の大きな碑があります。
RIMG2724



















1974年(昭和49年)に亡くなった、元函館市長の宗藤大陸の功績をたたえるとともに、同氏の
任期中に完成した登山道路開通20周年を記念して、有志により設置されたものです。
台座は自然石で碑面には宗藤氏直筆の碑文が刻まれています。
「緑の山 紺青の海 美しかな 函館」
RIMG2725



















やがて、薬師山方面の案内板があって、右折して10分ほどで砲台跡地へ着きます。市街地を
正面に臨む位置で、町を防衛する目的で設置されたと、思われます。
RIMG2727




















詳しくは、また明日紹介したいです。

昨日、次男のカツオが新聞に出ていました。
image
image
大会まであと1週間。追い込みに入っているところです。チケットの売上がそれほど伸びておらず、苦戦中で、是非とも皆さんのご協力をよろしく御願いします。

昨日は、鳥類を中心に本州と北海道の動物に違いがあることが、イギリス人のブラキストンにより発見されたことをお知らせしました。
一方で、函館山は、北海道でも南に位置していることで暖かい気候であることや、第二次世界大戦が終わる1945年までの約50年もの間、函館山全体が軍事要塞基地として利用されたため市民の立ち入りが禁止されていたことなど、植物が育つのに恵まれた自然環境であったのです。
約600種類を越える植物を採集し調査・研究した人がいます。菅原繁蔵(すがわら しげぞう)さん、という方です。1952年(昭和27年)、今から61年前で戦争が終わって7年目、現在の北海道教育大学函館校に講師として招かれてから7年間、1959年(昭和34年)ふるさとの山形県に帰るまでの間、函館山を含む各地の植物調査を行い「函館山植物誌」を刊行しています。その中で、「函館山は北方唯一の自然公園であり、全道一の貴重な戸外文化財であり、これを保護すべき」と述べています。
実際、春5月花が咲く時期は、エンレイソウ、エンゴサク、スミレ、ヒトリシズカなどが一斉に咲き揃いそれは美しいものです。特に、宮の森コースエゾダテ山コースで良く見つけることができますので、来春紹介したいと思います。
函館山は、北海道遺産であり、日本の歴史公園100選にも選ばれています。
渡島半島東部の亀田半島と下北半島、その間に津軽海峡が、その向こうに大平洋が見えます。

image


一方で、南西側を見ると、渡島半島西部の松前半島と津軽半島が、その間の津軽海峡の奥に日本海が見えます。一ヶ所で、大平洋と日本海の両方が見える場所はそうないはずです。

image


菅原繁蔵さんを紹介した案内板がありました。

image


陸繋島を紹介しているものも。

image


函館山の向かい側の山の麓は、扇状地海岸段丘になっていることが分かりますね。

この時期15分に1本のロープウェイがやって来ました。1958年(昭和33年)に創業、最少は31人乗りの小型でしたが、1970年45人乗りへ、1988年125人乗りへ、1995年にはオーストリアより新型のゴンドラを導入しています。

image


日本1の大きさを誇るし、年間客数でも日本最大です。下山する途中で見た入江山です。昨日も伝えましたが、日本のマチュピチュと呼ばれる兵庫県の竹田城跡に少しは似ていますよね。

image


これが雲海の中で石垣が浮かび上がって見えれば最高ですがね。海を挟んで向こうに見える山は、北斗市当別の丸山で400mほどの山です。麓に男子修道院のトラピスト修道院があります。

帰りは、つつじ山コースの旧登山道を降りて、途中で汐見山コースを取りました。

image


山頂の御殿山の直ぐ下に大きな溶岩の岩山が見えます。函館山は100万年前までは活動していた火山島でしたので、今も所々にその跡が残っています。

image


image


快適な道を歩いて帰路につきます。

image


image


image


というわけで、この汐見山コースを降りると自動車道に達し、麓の函館山管理事務所に到着。快晴のこの日の函館山トレッキングは無事終了。

image


では、また明日!! 

もう一度、山頂からの光景をご覧下さい。快晴のこの日の絶景!! 市街地がはっきりと見えます。市街地の大半が海抜10m以下の土地です。扇形に広がっていることが一目で分かりますね。潮流の影響で砂が押し寄せて来て(漂砂現象)、島の函館山と陸地が繋がったのです。陸と繋がる島、つまり陸繋島です。繋がった砂州を陸繋砂州(トンボロ)といいます。
主な陸繋島としては、秋田県の男鹿半島(2本の砂州でつながった複式陸繋島)、神奈川県の江の島、和歌山県の潮岬、福岡市の志賀島、海外で有名なのはフランスのモン・サン・ミシェ、セネガルのヴェルデ岬などがあります。

image


一番狭い部分は800mもないほど。元青函連絡船の摩周丸が繋がれている港と、赤レンガ色の大きな建物の市役所を結ぶ辺りがそうです。
ズームして見ましょう。

image


函館駅周辺が見えます。朝市や駅、大門と呼ばれた繁華街、新幹線の開通を見越して建設されたホテル郡が。一番手前がラビスタ・ベイ函館、朝食の美味しさ日本1に輝いたホテルですね。昭和の時代は、駅前が函館1の繁華街でした。もっと古い時代の戦前は、東京以北では仙台に次ぐ北日本最大の町だったのですが・・・。
私が高校生の時、今から40数年前はこの駅前通りにはデパートが3つありましたが、今は1つだけ。奥を見ると五稜郭タワーが見えます。タワーの近くの森は五稜郭です。

函館山の麓を見ましょう。バブル期に建設されたマンション群が目につきます。無人の部屋が多いそうです。

image


手前のグランドは函館西高校北島三郎さんの出身校ですね。
教会が続いているのも分かります。白い壁、緑色の屋根のロシア正教のハリストス正教会。その隣がヨハネ教会、英国国教会系の教会です。その下に赤い屋根のカトリック系の元町教会。その隣の黒い大きな瓦屋根が浄土真宗系の東本願寺函館別院です。

山頂を散歩してみます。

image


image


トーマス・ライト・ブラキストンの碑があります。1832年イギリスの生まれの彼は、31歳の時開港したばっかりの箱館にやって来ます。目的は事業を起こすため。1863年のことです。時は文久3年、幕末の日本は尊皇攘夷であふれ、外国人にとっては危険な時代でもありました。現に、その前年の1862年8月にはイギリス人が薩摩藩士により殺傷される生麦事件が起きていました。
そんな中で、ブラキストンは、箱館で鳥類を採集・研究し気象観測も行いました。1879年(明治12年)には、函館滞在中に道内で捕獲した鳥類標本を、現在の市立函館博物館、当時の北海道開拓使函館支庁仮博物場へ寄贈しています。
その4年後の1883年(明治16年)、本州と北海道の動物に著しい相違があることを、アジア協会報に発表して注目され、津軽海峡が「ブラキストン・ライン」と呼ばれるようになりました。
この碑は、1960年(昭和35年)に建てられました。

image


image


image


image


伊能忠敬が北海道での最初の測量を行った土地であることを記した碑がありました。幕府から命じられて日本最初の実測地図を作成するため、1800年函館山に登山し、測量しました。ここは、蝦夷地と呼ばれた北海道が、初めて正確に測量され地図に描かれた第一歩の地だったのです。この碑は、1957年(昭和32年)に函館市が設置しました。

image


山頂だけあって、各テレビ局のテレビ塔もあります。

image


NHK始め、HBC(北海道放送、TBS系)、STV(札幌テレビ、日テレ系)、HTB(北海道テレビ、テレビ朝日系)、UHB(北海道文化放送、フジテレビ系)、TVH(テレビ北海道、テレビ東京系)の民放5局が揃っています。

朝起きたら雪でした。だんだん寒くなって来ていますね。3日後はもう12月、師走です。2013年もあと一ヶ月です。体に気を付けて寒い冬を乗り切りましょう。
では、また明日  

観音コースの終着点は、山頂下の駐車場です。50台は止めることが出きる広い駐車場で、ここからさらに歩いて登る遊歩道がある。ここには、御殿山第二砲台跡地があり、その案内板もあるけど、

image


砲台跡地は、次回詳しくお伝えするとして、最初に山頂を目指そう。深い谷を挟んで向かい側に入江山が見える。入江山にも砲台があって、その要塞基地はまるで古い城跡のように見えなくもない。兵庫県朝来(あさご)市の竹田城跡に少しは似ていませんか?日本のマチュピチュと呼ばれ、11月の霧のかかった早朝など幻想的な景観を見せてくれるけど、ただ残念なことに観光客がたくさん来すぎて入場制限をしている、とのこと。
そんな、竹田城跡を思い出させたのが入江山でした。

image


市街地を見るには、山をぐるっと回らなければいけない。だから、初めは裏側の函館湾の外側の津軽海峡側がよく見える。北斗市木古内町方向だ。ホクトという市は、北海道の他に山梨県にもある。漢字では、北杜市と書くけど、同じ発音ですね。

image


image


上の写真は、観音山。登山道はなく、山頂へは冬、雪山を歩かなければたどり着けない。以前登った時には石碑があったけど、今年の冬もう一度行ってみたい。
下の写真は、函館湾を挟んで向かい側の北斗市上磯の大平洋セメントの峨朗(がろう)鉱山と積出港だ。
渡島富士の名を持つ駒ヶ岳(1131m)もきれいに見える。白い線のように見えるのは、北海道新幹線の線路で、中央部の渡島大野駅には、「新函館駅」工事が行われている。七飯町では新幹線の車両基地が作られていて、2015年開業を待っています。新函館駅から函館駅まで15分程度で快速電車が出る、と云われていますが、果たしてどうなることか?

image


観音像や仏像が置かれた脇を通り、山頂ロープウェイの展望台へ。

image


そして、334mの山頂から見た函館市街地です。是非、拡大してゆっくりと確かめて下さい。手前、西部地区の教会群や駅周辺の元青函連絡船の摩周丸、遠くには五稜郭タワーも見えますね。湯川のホテル群も。

image


200年前、伊能忠敬が見た風景はどんな感じだったのだろうか?原生林に覆われた平野部、木1本生えていない岩だらけの山、寒々とした漁村の村落だったのだろうか?七飯(ななえ)の農民である倉山卯之助(くらやま うのすけ)さんが杉の苗2万本を植林するのは1808年のことで、伊能忠敬が箱館に来て、登山する8年後のことだ。江戸時代には、木が伐採されて裸の山となっていたのだ。
函館市27,5万人。北斗市5万人。七飯町3,5万人。合計36万人が住む町です。北斗市、七飯町方向の北側を見ると、

image


一方、津軽海峡側を見ると、函館山の南の立待岬と海を挟んで下北半島が見える。

image


というわけで、久しぶりに山頂からの景色を堪能出来ました。ゆっくりと歩いても1時間かからないでしょう。どのコースからもたどり着けるので安心して登ることが出来ます。
寒くなってきて、今夜からは雪のマークが出ていましたが、12月でも晴れの時もあります。暖かい服装で一度歩いてみてはいかがですか?
それでは、また明日!! 

函館山が歴史に登場するのは、なんと800年以上も前の13世紀の末からです。
函館山歴史年表には、1296年日持上人(にちじ しょうにん)が登山をし、御殿山山頂の大きな石に題目を墨で書いた、と伝えられます。この石を題目石といった、そうです。1296年というと、鎌倉時代の9代執権北条時貞の時で、その20年ほど前からモンゴルが来襲していた、いわゆる元寇により鎌倉幕府が衰退していった時代です。
1274年の文永の役、1281年の弘安の役は有名ですね。そんな時代に函館にやって来たお坊さんが函館山を登山していたのですね。
1800年、江戸時代も後半11代将軍徳川家斉(いえなり)の時代に伊能忠敬(いのう ただたか)がやって来ます。蝦夷地調査の目的です。当時、ロシアが南下し鎖国を続ける幕府に対して通商を求めていました。1778年にはロシア船が道東の厚岸に来航し、松前藩に対して通商を要求しています。また、1792年ロシア使節ラクスマンが紀州の商人で漂流していた大黒屋光大夫(だいこくや こうだいゆう)らを伴って根室に来航し、通商を要求していました。
そんな時代でしたので、伊能は蝦夷地を測量し、領土を確認したかったのでしょう。実際約20年かけて「大日本沿海興地全図」を完成させています。函館山山頂には、伊能忠敬登山の碑もあります。
さて、11月の晴天のある日、観音コースから登山を始めました。

image


幸坂(さいわいざか)にある旧ロシア領事館です。函館とロシア人の関係は、かなり深く開国当時からあります。今は閉鎖されていますが、煉瓦造りの歴史を感じさせる建物ですね。昔、私が中学生の時は、中に入ることが出来ましたが、今は老朽化が進んで内部は危険な状態になっているようです。
坂から見た港の風景です。

image


image


船見公園から見てみます。ここの公園は、実は元小学校があった場所です。常磐(ときわ)小学校という学校が坂の上にあったのです。

image


image


そして、坂の行き止まりには山上大神宮。なんと、1368年に創建された古い神社で、幕末の箱館戦争でも登場する由緒あるところです。蝦夷共和国総裁となった榎本武揚の率いる旧幕府軍に加わった桑名藩主平定敬(まつだいら さだあき 兄は会津藩主松平容保(かたもり))の御座所でもあったのです。

image


ここの境内の横から観音コースに合流します。というのは、もっと下から実行寺というお寺からスタートしているが、墓地の中を通過してこなければならず、お墓の中を通るのがイヤで山上大神宮から合流した次第です。

image


秋晴れの中、枯れ葉を踏みしめて歩くのは気持ちが良いですね。空気が澄んでいて美味しい。
5合目辺りの中腹で見かけた、軍事関係の基礎石。

image


よく見ると「陸軍」も文字や「海軍」も文字が見れます。軍事要塞基地だった函館山は、戦前立ち入り禁止地区だったので、今でもこのようなものは残っています。メインコースの旧登山道などや千畳敷の軍事施設だったところは危険のため閉鎖しているのもありますが、コースを外れた場所では、草木に埋もれてひっそりと存在しています。

image


内部に入って見よう。

image


ここは28番観音像のある場所から、山中へ入ります。目印はその観音像ですが、踏み分け道もなくとても分かりづらい。倒木を越えたり、蔦を押し分けたりして100メートルは進むと発見できます。夏だと蜘蛛の巣にかかって進めないかも?

image


市街地と港を見ました。

image


さらに上を目指して登ると、自動車道の舗装路に出るが、案内板が出ているので安心です。

image


快適な登山道をさらに登ります。

image


というわけで、今日はここまで。明日は頂上から見た函館の絶景を紹介します。
ではまた、明日!! 

 昨日は、山形県米沢市の上杉記念館を紹介しました。上杉家の居城として、
江戸時代270年間栄えた米沢。今でも子孫は生活している、といいます。
そんな、米沢をあとに福島県へ。4000m以上もの長さのトンネルをくぐり抜けて
一気に福島県喜多方市へ。ここは、学生時代を思い出します。今は、通行止め
になっている旧道の、しかも舗装されていない砂利道の大峠(1158m)を越えて
自転車のペダルを必死にこいだことを。
 山深い峠の頂上部分では、カモシカと会いお互いびっくり。今思えば熊でなくて
良かった、と。熊だったら、どうしていただろうか?
そんなこともあったなぁ、と61歳の今は難なく自動車で新道のトンネルを越えて
喜多方市、湯川(ゆがわ)村、会津若松市を経て会津美里町へ。日光街道、別名
会津西街道の国道121号線から離れて県道23号線を西へ、さらに県道131号線
を南へ。険しい山間部のカーブが連続する氷玉峠、大内峠を越えて辿り着いたの
南会津郡下郷(しもごう)町大内宿
 江戸時代の面影残る会津西街道の宿場町です。
 さて、ここからは、早速今日から再び始まったBS・NHK7:45からの「こころ旅
のテーマソングを聴きながらご覧下さい。昨日は久しぶりの快晴。今年最後かな?
と昼間サイクリング。サイクル・グローブをしても指は冷たかったが心はあったたくて
2時間以上走り続けました。気持ち良かったです




場所は、福島県の南部、下郷町。奥羽山脈の山中で、1000m級の山々に囲まれた標高
658m前後のある盆地の東に位置しており、その東端には新潟県に河口がある日本有数
の河川、その長さ210kmで日本10位の阿賀野川水系の小野川が流れている。
RIMG2379



















気候区で分けると、日本海側気候区に属し、夏はフェーン現象で暑くなるし、冬は重い雪の
降る豪雪地帯である。実際、この日10月11日は暑く、会津若松市での道路標示の気温だが、
なんと34度を記録しており、ここ大内宿でも半袖、ハーフパンツ姿で歩いても汗が出て来た
ほどだった。
RIMG2380



















江戸時代に宿場町として1643年というから3代将軍徳川家光の時代に町が形成された。
RIMG2381



















450mほど、盆地を南北に貫く街道沿いにかやぶき屋根の寄棟造りの民家が50軒ほど
建ち並ぶ。道の両側には、山から流れる冷たい清流が流れていて、ドリンク類を売るお店
では、かごに入れて冷やしていた。手に取ると冷たくて、ひんやりして気持ち良い。
RIMG2382



















江戸時代は「半農半宿」のの宿場町であったが、現在でもその雰囲気をよく残している。
道の両側には民宿、お土産物屋、蕎麦屋などが立ち並んでいる。
RIMG2383



















子安観音堂から見た大内宿。一番手前の建物はそばを売る店。450mの街道を歩いてきた
最後の家だ。ここから、山を少し登ると見晴らしが良いのだが、観光客は歩かない。もったい
ない、と思います。あと5分、10分歩いただけでこんないい景観があるのに。
全景が分かりますね。周囲を山々で囲まれた盆地の中に位置していることも。
RIMG2384




















RIMG2385



















1981年(昭和56年)4月18日、国の重要伝統的建造物郡保存地区として選定されました。
旧宿場町としては、長野県の妻籠宿、奈良井宿に次いで全国で3番目でした。
RIMG2386



















21世紀に入り、「美しい日本のむら景観コンテスト」で受賞、「日本の音風景100選」・「美し
日本の歩きたくなる道500選」・「わたしの旅100選」など数多く受賞しています。

というわけで、大内宿良かったでしょう。行きたくなりますね。
この後、さらに南下し、新潟県との県境の村、桧枝岐村へ。5月の旅では積雪のために通行
止めとなっていた、国道352号線を走りたかったからです。出来れば、快晴のこの日、通行し
たかったが、残念ながら日没近くのために断念。桧枝岐村の村役場の駐車場で車中泊。
標高1000mの桧枝岐は日が暮れてからは、さすがに寒く、日中の30度を越えた暑さとは打っ
て変わり、寝る時は羽毛の真冬用の寝袋を用意した。
夜は満天の星空、明日は大丈夫だ、と思いぐっすりと眠りについたのだが
ではまた、明日 

 米沢城あとの公園の敷地内に、上杉記念館がある。日清戦争勝利(1895年)に湧く
翌年の1896年(明治29年)、上杉家14代茂憲(もちのり)伯爵邸として建てられ
たもので、鶴鳴(かくめい)館と称されました。1979年(昭和54年)からは上杉記念館と
なり、市民や観光客にも開放されるようになった建物です。庭園は東京の浜離宮を模し
たもので、素晴らしい庭となっています。建物は国の有形文化財に指定されています。
RIMG2372



















そして、現在は郷土料理である米沢牛を食させる高級レストランとして建物内を開放している。
が、そのメニューを見たら、かなり高い。いや、高すぎる!
RIMG2373



















とても、手が出ない料金設定だ。さすがに、伯爵の地位にある者のみしか食べれないのか?
もっとも、今は貴族も平民もないのだけど・・・。最低のコース料理で8000円から。
RIMG2374



















素晴らしい庭園を、どうぞ。
RIMG2375



















貧乏旅行をしている身としては、せめて米沢牛を使ったハンバーグを食べる。1個400円なり。
味は、アツアツで美味しかったけど、だからといって米沢牛が特別に優れているわけではない。
と、思う。実際比較すると、どこの牛を使ったか?など分からない、はずだ。
好き嫌いなしで、なんでも食べる身としては、腹が減っている時は何を食べても美味しいのです。
食べることに関しては、うんちくはまったくありません。
宣伝では、米沢牛は和牛に適した気候・土壌・水・飼育技術に裏付けられており、肉質・風味と
もに超1級品、だそうです。
グルメの方は是非ご試食して下さい。偽装はない、と思いますが・・・。

その後、上杉博物館へ。正式名は「伝国の杜 米沢市上杉博物館」といい、米沢市丸の内1丁
目にあります。
RIMG2377



















立派な建物ですね。たまたま、特別展として「忠臣蔵の真実~赤穂浪士と米沢」が開かれていて、
こちらも興味深く拝見しました。上杉家と吉良家は親戚関係だったことなど、知らないことがたくさ
んあって勉強になりました。
自分としては、赤穂藩主浅野氏のへまにより失業してしまった藩の武士たちこそいい迷惑、と思う
のですが。なにも吉良上野介だけが悪者にならなくても、と。もっとも江戸時代のエンターテイメント
(歌舞伎や演劇など)で善と悪をはっきり見せるには、吉良を悪人に仕立て上げなくてはいけません
よね。47士をヒーローに。
そんなことを考えながら、たっぷり2時間ほど鑑賞しました。というのも、常設展示室では、ほかに
映画「上杉鷹山の戦い 17分」、伊達家と米沢、直江兼続の業績などなどのコーナーがあり十分
楽しむことが出来ました。新潟県の小学生の修学旅行の一団が来ていて、聞いたら新潟市白根
(しろね)の小学6年生。距離にすると150kmくらいか?高速を使用して3時間もかからない、との
こと。熱心にメモを取っていました。
中に入ってすぐ能舞台があって、米沢ゆるキャラの「かねたん」がいました。直江兼続のキャラで
すね。愛の兜が特徴です。
RIMG2376



















外の庭もきれいです。
RIMG2378



















というわけで午前中は米沢で過ごし、昼にかけて大峠を越えて、福島県へ。喜多方・会津若松
はスルーし、山間部のある場所へ。それは、また明日 

 昨夜、BS・NHKの番組で「ドロミテマン」という世界1過酷なチーム・レースを2時間
見ました。4人1チーム、最初は標高2400mまでオーストリア・アルプスを走って登る
マウンテン・ラン、二人目はハンググライダーで空を滑空、三人目はカヤックで激流を
下り、ラスト四人目はマウンテン・バイクで標高差1500mを登って降りる、というすごい
レースでした。日本からも初参加で、4人ともその道のスペシャリストにしてオリンピック
選手もいたが、残念ながら100チーム以上参加の今回11位という結果に終わりました。
 結果よりも、アルプスの山々を足で走る、空を飛ぶ、川を下る、自転車でスキー場を
時速60km以上でダウンヒルする、その光景が美しく感動しました。とても出場出来るわ
けではないけど、見るだけでも素晴らしいレースでした。その中で、地元オーストリアの
身障者で作る1チームは、片足がない・片腕がないなどの障害があるのもかかわらず
完走し、感動しました。どの選手も、事故で障害者となったけど、スポーツに生きる意味
を見つけ、レースに参加した、といいます。スポーツの生きる力を再認識しました。
100mからでもいい、まず体を動かしてみること。そこから心も動きます。
近くの低山を登ってみよう。家の近くの公園を走ってみよう。最初は1周でもいい。その
うち、2周、3週へ。5km離れた場所へ自転車で行ってみよう。それが出来たら今度は10
km離れた場所へ、そのうち50km遠くへ行くことも出来ます。遠くへ、はるかな地果てる
ところへ!

 さて、昨夜は道の駅「おおえ」に宿泊したが、そこにたどり着くまで温泉を探して右往
左往、その日は木曜日で定休日のところが多く、地図で探して行ってみたものの休みの
看板、3軒目でやっと3日ぶりに入浴できたました。

 朝は早起き、まだ暗い5時過ぎには起床、山形県を南下し、最上川の中流域にある西
置賜(おきたま)郡白鷹町
の鮎の簗場(やなば)の道の駅「白鷹ヤナ公園」へ。
RIMG2363



















5月に訪れた時は、こいのぼりがたくさん川に架かっていたけど、10月は水量も少なく殺風景
ですね。
松尾芭蕉は最上川を見て二つの句を作っています。
「さみだれをあつめて早し最上川」
「暑き日を海に入れたり最上川」

そして、米沢市、上杉公園へ。米沢城の跡地です。戦国時代からの伊達氏蒲生氏を経て、
江戸時代に上杉氏の城となり、現在の正式な名は松が岬(さき)公園。堀と石垣に囲まれた公園
内には、名君9代目藩主上杉鷹山(1751~1822)の像がある。
RIMG2367



































17歳で米沢藩主となり、数々の改革を断行し藩の財政を立て直した、江戸時代の最大の名君
といってもいい人物です。なにしろ、35代アメリカ大統領である、暗殺されたJ・Fケネディ氏が
絶賛しています。この案内板をご覧下さい。
RIMG2369



















このことばも有名ですね。
RIMG2368



















上杉家の始まりは、この人。上杉謙信。彼は越後・直江津の春日山城の生まれで、米沢とは
縁もゆかりもないが、息子の2代目上杉景勝は、豊臣秀吉により会津120万石へ格上げされ
たが、1600年の関ヶ原の戦いでは、西軍についたために徳川家康により米沢30万石へ減封
された。9代目鷹山の時はさらに15万石にまで減封されていた。
RIMG2364




















なお、伊達正宗はここ米沢の生まれです。
RIMG2365




















RIMG2366



















上杉神社があり、朝早くからお参りしている人がいる。5月の旅した時は、奥の駐車場で一晩
明かした。米沢牛のハンバーグを売るお店のお姉さんに聞いたら、夜間でも締め出されること
がない、という。ならば、ここで車中泊だ、ということで米沢城跡の公園で朝を迎えたのです。
この日はまだ、午前中でここで寝ることはなかったけど、いいところです。
RIMG2370



















鷹山は、米沢の人たちから尊敬されていますね。たくさんの人が参拝していました。
RIMG2371



















 というわけで、米沢城の紹介でした。
上杉景勝が会津若松の城主だった時に、ここ米沢城は支城の一つとして存在していました。
城主は、の文字を兜の前面に立てた直江兼続です。上杉謙信は「」の文字を使っていた
のに対して、「を使うとは・・・直江兼続、ただものではないぞ!

ではまた明日

 昨日のtunoくんのコメントにもありましたようにカツオ選手は、19日森町立石倉小学校
八雲町立落部小学校、21日は八雲町立八雲中学校と立て続けに学校に招かれて、
講演(実技を兼ねたパフォーマンス)をしてきました。というのは、12月7日(土)は函館
12月8日(日)は八雲で興行があるからで、その宣伝も兼ねて地元の要請に応えたよう
です。その他、地元のFMイルカ(ローカルFM局としては日本初のFMラジオ局です)や
地元テレビ局のncvにも出場していますので、是非ご覧になって下さい。
チケットに関しては、こちらに連絡してもよろしいです。
昨夜は、大会で使用する紙テープを作成していました。というのは、100均でたくさん買って
きた紙テープをそのまま使うのではなく、最初に中の固い芯を抜き、内側のテープから巻い
ていく、という面倒な作業をしなければならないのです。つまり、テープをそのまま投げると、
非常に危ない。先日お亡くなりになった歌手の島倉千代子さんは投げ込まれたテープが運
悪く眼に当たり、失明寸前までいった、といいます。また、それてお客さんに当たると、それ
また怪我することにもなりかねないので、1本1本芯を抜くことから始まり、10mくらいの長さに
合わせてテープを作り直します。市販されている紙テープは30mの長さのテープが2本入って
100円で売られています。だから、それで10m分のテープが6個作られるわけです。
色はカツオカラーの黄色に統一しています。

 さて、石巻・女川を周り、西へ針路を取って松島へ。途中石巻市街地では、4月に訪問した
石ノ森章太郎マンガ記念館が見えて、もう一度見たいな、とも少しは思ったりもしたけど、今回
はスルー。石巻工業高校のグランドあって、「頑張ってよ!」と心の中で叫んで(被災した年か
な?または翌年、甲子園に出場しましたね)
 石巻街道をさらに西へ、東松島市へ、鳴瀬川に架かる橋を渡り、南下。野蒜(のびる)海岸
東に見ながら奥松島パークラインをさらに南へ。
RIMG2358



















日本三景の一つ(ほかの二つは分かりますか?広島県・安芸の宮島、兵庫県宮津市の
天の橋立と宮城県のここ松島です)湾内には230もの島がありますが、ここ宮戸島は最大
の島で一番東側、つまり外側にあって半島のような形で内側の松島湾を保護しています。
高さ105.6m。歩くと20分くらいか?山頂から西側、松島駅方面を望む。
一方、下の写真は今来た道を見ると、東側に砂浜の野蒜海岸が見える。
RIMG2359



















南西部、塩釜市七ヶ浜町方面を見る。
RIMG2360



















一方、東側に目を向けると、石巻湾に沿った石巻の市街地が見えます。
RIMG2361



















さらに東側を見ると、女川町のある牡鹿(おじか)半島がうっすらとだが、見える。
猫の島である田代島も見える。一度行きたいな!と思ってるいる島で、犬は1匹も
いない。犬禁止の島で、猫が人より多い島で有名。
RIMG2362



















この日は旅始まって以来の快晴。この後、北上川沿いに北上し、国道347号線の中羽前街道
西へ、鍋越峠(520m)を越えて山形県へ。母袋街道と名を変えた国道347号線をさらに西へ。
寒河江(さがえ)市の隣町西村山郡大江町の道の駅「おおえ」で車中泊。昨日と打って変わって
ここは車の通りは激しく、駐車場に泊まっている車も多い。町の名前と一緒だ。
 暑くて、初めて窓を少し開けて寝ることにした。窓には網戸をつけているので虫は入ってこない。
網戸といっても、窓に合わせているネットなのだが、暑い日には最適だ。フロント助手席側の窓を
開けているが、窓にはかなり大きめなワイドバイザーを付けているので安心だ。本来は雨除けや
紫外線除けに使用されるが、通常のより大きいものを付けてもらった。だから、10cmくらい窓を
開けても外から手が入らないので、防犯にもなる。もっとも騒音は防げないので、耳栓を使用す
る。隣にはキャンピングカーが停まっている。
明日はさらに南下して福島県へ行くつもり。
それでは、また明日 

 一人で車中泊するのは怖くない?と聞かれますが、最初は不安もありましたが、
今では平気でどこでも寝れます。よっぽど、台風の時などのように避難の必要が
ある時を除き、大雨でも車の中で寝ています。慣れたのかな?と思います。
 車中泊のメリットは
①経済的である。ホテルに泊まっていては、費用が掛かりすぎる。1泊5000円は
 かかるので、その分を浮かせる。
②予約をせずに、どこでも宿泊できること。山の上や湖のそば、峠でなど好きな
 場所で寝ることが出来る。時間を気にすることもないし、気に入った場所でその
 まま寝れる。
③それこそ、★★★マークのホテルより、満天の星空ホテルの方が気分最高!
 なのです。ホテルのブランドだって今は偽装が蔓延している。ホテルのレストラン
 なんて嘘ばっかり。それよりは、自然の中で寝た方がずーっと良い。

まあ、そんなとこですか。計画も立てずに気ままな一人旅。昔から自転車・バイクの
旅でもテントで寝ていました。キャンプ場、無人駅、バス停などなど・・・行き当たりば
っ旅なのだ!と一人でほくそ笑んでいます。

 さて、広い駐車場に朝テーブルとイスを出して朝食。大抵はトーストとコーヒー。それ
にフルーツ。リンゴ1個かな?トーストはキャンプ用のツールがあるのでガス・ストーブ
で焼いて食べます。その前にお湯を沸かして、ドリップ・コーヒーを作る。朝のエネルギ
ーの補給は大切ですからね。

 久しぶりに日の出を見て、出発!北上川の下流を溯ること4km、北上大橋を横断する
と、そこには石巻市立大川小学校がある。
RIMG2350



















2年半前と同じ光景。被災したほとんどの学校は解体されているが、ここだけは変わらず。
2011.3.11の津波が押し寄せた後の学校のままです。
RIMG2351



















多くの人が訪れて、手を合わせ祈ってきた、と思います。
RIMG2352



















朝早かったので、復旧工事をするダンプはまだ動いていない。静かな時を過ごせました。

女川の町へ移動します。その途中の旧雄勝の町、4月に見かけた被災した小・中学校は
すでに解体されて更地になっていた。 そして、女川の町へ。高台にある女川病院へ。
RIMG2353



















横倒しになったこの建物は保存するのか、春と変わらずに片づけられていない。その横を
ダンプや重機が走り回っている。土地のかさ上げで、土を盛り上げている場所もある。
港を見ました。更地になったところは草が生えている。ここで、人口(約1万人弱)の1割近い
900人の命が亡くなったのです。
RIMG2354



















病院の、さらに上にある熊野神社の300段近い階段を上って一番高い場所へ。
RIMG2355




















RIMG2356




















RIMG2357



















女川も早く復興することを祈ります。女川ではローカルFM局が、地元の高校生を中心に
放送していることをテレビを通じて知りました。若い人たちが地元のために頑張っている姿
を見ると応援したくなりますね。

というわけで、震災後の石巻・女川の一部ですけど見てまわりました。積極的に地元の人と
お話してきました。楽天イーグルスの優勝は、希望と勇気を与えたのでは?と思いながら今
書いています。前のようにはいかないかも知れないけど、少しでも前進すること祈ります。

それでは、また明日 

 昨日も雨、だから家にこもって読書しています。この日も戸井十月さんの旅行記
越境記  五大陸走破行全記録 ① 北米大陸一周編・オーストラリア大陸一周
」を読んでいます。
 旅に関する映画も好きで、時々レンタルで借りてきては鑑賞しています。その中で、興味
のある二つを紹介します。一つは話題になった作品で、ご覧になった方もいるはずです。
日本語訳の本も出ており、私も中央図書館で借りてきて読みました。
Into  The  Wild」 というアメリカの若者の物語です。実話です。





もう一つは自転車で世界中を旅するイギリスの若者のドキュメントです。
僕たちのバイシクル・ロード 7大陸900日



二つの作品は、どちらかというとマイナーでヒットせず世間では知られていませんが、旅人の
間では口コミ(ネット上でですが)で広まっていった作品です。

 さて、陸前高田市の「奇跡の1本松」を後にさらに南下します。国道4号線沿いに大きなお寺が
ありました。震災でもびくともしないで、残っていました。
RIMG2341



















このお寺の名は、長円寺。ちょうえんじ、と読むのでしょうか?
RIMG2342



















高台にあったので、津波の被害を受けずに済みました。三陸を旅していると、神社・仏閣は
大抵高台にあります。過去の地震・津波を経験し、高台に引っ越して建てたのでしょうね。
明治の時代(1896年、明治29年明治三陸地震による津波は最大38.2m)や昭和8年(1933
3月3日(昭和三陸地震 津波は最大28.7m)の二つは有名ですが、それ以外にも記録と
しては、869年の貞観地震。1611年の慶長三陸地震など明治以前にも地震・津波があった
のですね。だから、津波が押し寄せてこない、不便だけど高いところに建てよう、と考えたの
でしょう。

東浜街道の名の国道45号線をさらに南下、車のナビは「宮城県に入りました」とアナウンスする。
今回は、この声を何度聞いたことか?道内を旅していた時は、県境を越えることがなかったので
このようなアナウンスはなかった。でも、本州に入って車を走らせると県境100m近くになると、必
ず入る「〇〇県に入りました」の声。特に県境が入り組んでいる場所はしつこいくらいに繰り返す。
 来年は、「鹿児島県に入りました」の声を聞きたいです。沖縄県はフェリーの中だから聞けませ
んね。「北海道・・・」もフェリーでしたので、当然エンジンはかけていないので、その声はなかった
です。
気仙沼市唐桑半島の巨釜(きょがま)。
RIMG2343



















折石というローソク岩。
RIMG2344




















RIMG2345



















晴れていれば美しい光景も、天気が悪く不気味な感じ。海の色が暗く怖いくらい。
最南端の御崎(みさき)という名の岬へ。御崎神社がある。
RIMG2346



















誰一人歩いていない海岸の遊歩道を歩いてみました。
左手に大島(大島という名の島は全国にたくさんあります。伊豆大島は一番有名ですが、ここのは
気仙沼大島)を見ながら、市内へ。
RIMG2347



















4月に来た時は、陸に上がったままの状態でしたが、10月解体の作業に入っていました。
交通の妨げになっているし、毎日見るのもいやなのでしょうね。
RIMG2348



















町の至るところで、このような復旧工事が行われていたが、気仙沼も大船渡も山の斜面に
町が形成されており、いずれも港に近い場所ほど津波の被害が甚大で、ここも海からすぐ
そば。海岸から離れて山側へ上った所は、地震の被害は受けたが津波の被害はなしで、
町は以前のまま。同じ町でも対照的です。それに比べると陸前高田市は平野部が広がる
町だったので、全体が津波の被害を受けており、平野部には木造の家屋1軒も残っていな
かったのが強く印象にありました。それだけに、陸前高田市の町の風景には心を痛めます。

この日、南三陸町の神割崎の駐車場で車中泊。真っ暗で誰もおらず、街灯までない。海の
すぐ近くで岩に砕ける波の音だけが聞こえる。雲に隠れた月の姿が時々見えるが、国道から
それているだけに本当に静かだ。ザブーン・ザブーンと子守唄になりそう、と意気がる。
30台以上は駐車できるスペースに1台だけ。明日は晴れてくれ、と祈り眠りについた。

それでは、また明日 

 11月からの冬の季節、旅には出れず、家の中で過ごす時間が多くなっています。
そんな時は、図書館から本を借りてきて、一気に読みます。昨日は、先日亡くなった
作家、戸井十月さんの旅行記「道、果てるまで  ユーラシア横断3万キロの日々+
4大陸10万キロの記録」を夜遅くまでかかり、読み切りました。ホンダのオフロード・バ
イク、アフリカツイン(750cc)で旅する物語です。61歳で過酷な旅に出て、しかも極寒
のシベリアも走り抜いて・・・感動しました。
 戸井さんの名の十月は、最初はペンネームかな?と思ったんですが、確かに10月
に誕生していますが、お父さんがレーニンが史上初の社会主義政権を樹立したロシア
10月革命(当時ロシアは西暦でも旧暦のロシア暦を使用していて、実際には11月)
から名を採って十月としたのです。(彼の本に書いていました)
 彼は1948年10月12日生まれ、お父さんは人形劇団「プーク」の公演で大阪を巡業中、
お母さんが、東京・目白の聖母病院で出産した時に、お父さんは電報で「名前を十月に
せよ」と知らせた、と書いています。1917年の10月革命に強い思い入れがあったのです
ね。
 彼の作品は、ほとんど読んでいるのですが、残念ながら今年2013年7月28日肺がん
で亡くなりました。世界中を旅してきた彼は、今年の夏、天国に旅に出たんですね。

 さて、陸前高田市の道の駅です。三陸の幹線国道45号線沿いにありますが、海抜3m
ほどの海岸の平野部にある陸前高田市は、津波により壊滅的被害を受けました。
RIMG2333



















例えば、このビル。周囲の建物は解体・撤去されたのに、残っているのは所有者が、津波の
被害を遺産として後世に残したい、からだそうです。ビルの最上階まで津波が押し寄せたこと
をビルにラインを引いて示しています。4階建てのビルですが、屋上の建屋の青いラインまで
津波が来ました。鉄骨だから残っているものの、当然木造家屋はすべて流されています。
RIMG2339



















NTTのビルも残っていました。同じようにこの高さでは屋根まで津波がきた、と思いますが
荒れ野原となったここ陸前高田の町では、今復旧工事の真っ最中。作業する上で携帯電話
は必要ですので、アンテナを建てて通じるようにしているのです。
RIMG2338



















JR陸前高田駅を探しました。雑草が生い茂る旧市内の町中で、まず線路はないか?と。
歩き回って見つけた、わずかな鉄道が走っていた跡がこれです。
RIMG2334



















ここだけが、レールが残っていました。後は、草ぼうぼうでレールは流されて列車が走っていた
とは思えない光景が広がっています。
RIMG2335



















次に駅を探しました。地図とナビを頼りに大体の場所を確認。車を止めて歩いて見ると。
RIMG2336



















ここに駅舎があったんだな、と思いました。看板や、それらしき建物・残骸はまったくありません。
ただ、プラットフォームはありましたので、駅だと確認出来ました。
下の写真は、駅前ロータリーのある広場。駐車場を示すラインが消えていない。奥の方では、
土地のかさ上げ工事で土を盛り上げています。
RIMG2337



















41年ほど昔、20歳の時の春休みに自転車で三陸海岸をサイクリングしたことがありました。
陸前高田では、1万本以上の松が茂る高田松原のある海岸部にある高田松原ユースホステル
に宿泊しました。しかし、今そこには1本しか残っていない。
RIMG2340



















見る影のないほどの変わりよう。
昔のような町に戻るには、時間がかかると思いますが、一歩ずつ一歩ずつ前進してもらいたい、
と願うばかりです。


ここで、宣伝です。来る12月7日(土)午後6時30分から
函館市流通センター内ホール

カツオ主催のプロレス大会(みちのくプロレス)があります。
チケットは大人3500円、高校生以下1000円です。ぜひご協力をお願いします。

それでは、また明日 

恋し浜駅にはこんな駅表示のプレートがありました。
RIMG2325



















三鉄の 藍(愛)の磯辺の 小石(恋し)浜 
              かもめとまりて 汐風あまし

1985年三陸鉄道「小石浜駅」が誕生した時に、地元の方が詠われたそうですね。
駅の下にある漁港へ行って見ました。今では「恋し浜」ブランドのホタテ貝として全国へ出荷して
います。
RIMG2323



















車にまで「恋し浜漁組」の名があります。
RIMG2324



















朝の7時、誰もいない漁港。何台か設置している機械は、ホタテの大きさを選別する機械です。
サイズを決めるのでしょう。
恋し浜駅の真後ろに「綾里富士」(479.4m)の名を持つ山があるのだれど、残念ながらこの日は
見えず。綾里(りょうり)は、大船渡市と合併する前の地名で、昔は恋し浜を含めたこの半島は
里村
でした。その後、三陸町へ、そして大船渡市へと変わります。綾里とは、綾(あや)を織る里(
さと)の意味で、昔養蚕が盛んだったんでしょうね。
国道を通らず、県道9号線からも外れて町道を使い半島の海沿いの道を進みました。舗装こそ
されているが、狭く曲がりくねった道のあちこちに小さな集落がある。学校もあったのだが、廃校
となって、草茫々のグランドも見える。
そして、半島で人口が集中している綾里駅へ。駅には、こんな大きな看板が。
RIMG2326



















大きな獅子舞ですね。駅に展示していました。
半島をぐるりと周り、大船渡駅へ。ただし、大船渡市の中心部には盛(さかり)駅があります。
人口3.8万人の三陸の漁業中心の町です。
大船渡駅からはJR気仙沼線が出ていますが、運休中。その代わりにバスが運行している。
そのバス、電気のパワーで走るバッテリー・カーです。
RIMG2327



















線路跡を舗装して、バス専用道へ。駅舎の代わりに立派なバス停も。
ということはこれから列車が通過することはない、ということ。バス輸送に転換するのですね。
実際、大船渡駅から南の路線は津波でずたずたにされており、復旧の見通しはほとんど立って
いません。
RIMG2328



















さらに南下して碁石海岸へ。
RIMG2329



















渚100選」・「白砂青松100選」にも選ばれているこの海岸、名前の由来は、波によって磨かれた
玉砂利が黒く、碁石のようで、それで付けられたそうです。海に降りられそうな場所を探したので
すが、なく残念。
RIMG2330



















雷岩。「残したい日本の音風景100選」の一つで、その名の通り、ゴロゴロー、ドーンと低い
雷鳴のように、腹にズシリと響く巨大な音がします。その理由は、巨岩の下の海食洞窟に
打ち当たる波が、その中の空気を圧縮して、独特な音を響かせる、という自然な技なのです。
RIMG2331



















天気が良くないですね。快晴は今までなかったです。晴れていても、午後には曇って小雨が
降ったり、この日も雨が降ってきました。奥の半島は広田半島で、これから向かう予定です。
最後に、碁石海岸の灯台を。
RIMG2332



















遊歩道を進むと、碁石岬へ。北緯38度50分、東経141度44分。高さ10.5mの碁石灯台
沖合32kmまで光を届けるそうです。
明日は三陸海岸でも、壊滅的打撃を受け、未だ低地ではまったく手つかず状態のままの
陸前高田市、特に陸前高田駅周辺をお知らせします。
それでは、また明日 

天気の良い日は家の中にこもっていないで、外へ出た方が気持ちがスッキリする。11月半ばともなると、快適に外を歩ける日は数えるほど。まして、土の上を歩くのはもう無理か?霜が降りると歩き辛いし、雪が降って凍ると滑りやすいし、まぁ、それでも外には出るんですけどね。
春夏秋冬、いずれの季節も歩きます。走ります。ただ、自転車だけはさすがに冬無理ですね。
そんな11月の晴天の日、愛車で15分ほどの香雪園へサイクリング。
紅葉がほとんど終わりかけだけど、先日降った初雪が、少しだけ残る香雪園へ出掛けました。

こんな時にはバックグランド・ミュージックとしてクラシックも。




image


image


白樺の葉はすでに散り、枝だけを残している。

image


公園内の木の何本かは腹巻きを巻いている。これを「こも」というが、虫がこれより上へ行かないように巻いているそうです。高さが地上から1mくらい、地中から這い出た虫が木の上へ登って食い荒さないようにしているのですね。生きている木は暖かい。雪が積もっても、木の幹の回りだけは、いつも雪が溶けて、地面が見えていますよね。木は呼吸していて体温があるから暖かいのです。

image


カエデの赤い色の葉、銀杏の黄色の葉で地面はいっぱいです。

image


一方で、先日降った雪が溶けないで残っているところも。

image


image


豪商だった岩船家の茶室のある別荘にも。
池には薄い氷りが張っていました。

image


image


きれいな木々を写して見ました。赤い葉、黄色の葉など、まだ葉が落ちずに残っています。

image


最後に青空を!!

image


image


image


それでは、また明日!!   

 明治維新が起きた1868年の翌年の69年(明治2年)、まだ新政府軍と旧幕府軍の戦い、
戊辰戦争が続いていました。旧幕府側と新選組の生き残り組は蝦夷地箱館で「えぞ共和国
」を宣言し、榎本武揚を総裁として五稜郭を本拠地としました。
 同年3月、新政府軍は五稜郭を占拠する旧幕府軍討伐のために8隻の船団で、江戸を
出航し、宮古に入港し補給します。この情報をキャッチした旧幕府軍は奇襲攻撃をかけて、
新政府軍の最新鋭の軍艦「甲鉄」を奪い、戦局を有利にしようと考え自軍の3隻の軍艦「
回天」・「蟠龍」・「高雄」で箱館から宮古に向かいました。ところが、天候不良・機関も不良
のため、3月25日未明、新選組副長の土方歳三の乗った「回天」1隻で強行しました。
 宮古港海戦は、日本近代史初の海戦となりましたが、戦力の差は大きく30分の激闘の
すえ旧幕府軍は完敗、箱館へ戻ります。この時の戦力に勝る新政府軍側には、後の日露
戦争でロシア・バルチック艦隊を破る海軍大将の東郷平八郎が砲術士官として従軍してい
ました。
 その2ケ月後の1869年5月、箱館五稜郭の戦いで土方は戦死し、旧幕府軍は降参し、戊辰
戦争は終結、日本は明治という新しい時代へ突入していくのです。
RIMG2315



















お台場展望台の入り口にこの宮古港海戦記念碑があります。ここでも、土方は戦ったんだな、
と思うと感慨深いものがあります。武州・日野で生まれ、京都で新選組へ入隊し、会津をへて
箱館へ。33歳のめまぐるしい人生が、ある意味うらやましいとも思えるのです。すごい人ですね。

奥浄土ヶ浜」の名を持つ浄土ヶ浜海水浴場です。
RIMG2314



















晴れていれば、もっときれいに写るのですが、残念です。曇り空ですものね。海岸の白い
石は危なげなく、歩きやすいです。夏、ここで泳ぎたいな、という気持ちになります。

浄土ヶ浜を後にして、月山へ向かいます。月山というと、山形県の日本100名山、出羽三山
の主峰である信仰の山、月山(1984m)を想像しますが、岩手県宮古市の重茂(おもえ)半島
の月山(455.6m)のことです。宮古市の中心街を通り越し、浜街道の異名を持つ国道45号線を
宮古湾沿いに南下、運休中のJR山田線の「津軽石駅」(岩手県なのに津軽とは?)から左折し、
県道41号線を北上。白浜峠までは舗装されているが、そこからは砂利道の林道を行くこと30分
以上。険しく細いぬかるんだ道を慎重に走り、やっと山頂付近の駐車場へ。そこから歩いて少し
のところに展望台があります。
RIMG2316



















晴れていれば、もっときれいに、遠くまで見渡せるのに・・・。山には雲がかかっていますね。
中央左側には、浄土ヶ浜が見えます。
RIMG2317



















宮古市の港と市街地です。沿岸部と閉伊(へい)川沿いに街並みが伸びているのが
分かりますね。人口は5.9万人の漁業中心の町です。
RIMG2318



















西の方向を見ると、霊峰、早池峰山(1913.6m)が見えるのだが、残念ながら曇っていて
見えませんね。

山田町・大槌町・釜石市を経て、大船渡市三陸町へ。復興した三陸鉄道南リアス線三陸駅
です。
RIMG2319



















仮設商店街も元気を取り戻していました。 そして・・・。
RIMG2320



















恋し浜駅へ。ホタテの数が4月、5月よりもずっと増えたような気がします。
RIMG2321



















夜の恋し浜駅のプレート。
RIMG2322



















この日の寝床は、恋し浜駅の名付け親である、駅の真下にあるお方の庭に駐車し
車中泊します。天気は悪く、今にも雨が降り出しそうな空模様で、前回のような満点
の星空は拝めない。けど、最終列車が止まり、発車するまでここで見届けよう。
列車が来るまで時間があるので、ホタテにメッセージを書き入れよう。駅舎の中には
たくさんのホタテの貝殻と何色ものマジックインクの入った箱がある。折り紙まである。
ブログの読者の皆さんも含め、幸せと健康を祈り、そして安全に旅が続けられるように
    
それでは、また明日   

↑このページのトップヘ