函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めた車中泊中心の「ぼうけんの旅」は今年で13 年目に突入。 車中泊の貧乏旅行の旅、今年で74歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 今年2026年も「ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです! 今年も「ぼうけんの旅」をよろしくお願いいたします。

2026年が明け今年は74歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!時々は自転車を積んでの軽バン一人旅の始まりです。

2013年11月

 今日は雨、12日に降って積もった雪もこれですべて消えてしまうでしょう。今日からは
しばらく暖かい日が続きます。といっても、晴れマークがあるわけではなく、雨の日も多く
まして、陽が沈む時間がどんどん早くなっています。
 北緯42度の函館では、12月22日の冬至になると午後4時過ぎには日没、完全に日が
沈んでしまいます。日の入りも遅く、6時30分くらいか?もっと遅いかな?
冬もっとも日照時間が短い冬至の時は、太陽が出ている時間は9時間ほど。逆に夏至の
6月22日は15時間以上。9月23日の秋分の日を過ぎると、大体1日につき、朝1分、夕1分
ずつ陽が短くなります。昼と夜の時間が同じになるのは3月23日の春分の日。以後2分ずつ
長くなり、夏至がピーク。太陽は1日15時間出ています。
 旅をするなら、やっぱり春から夏にかけてが最高。4月から7月ですね。時間を有効に使え
ることは、旅する上で最良なのです。10月の旅では、夕方4時過ぎには今日の宿泊予定地に
到着することを考えて走っていました。6月の旅では夜7時ころまで大丈夫、とのんびり走って
いたので、1日の有効時間に違いが出てきました。
まあ、秋には秋の良い点もありますけどね。季節ごとに風景が変わりますので、秋の紅葉
の風景はこれまた最高です。
ただ、今年の秋は、雨に悩まされました。例年の2倍以上の降水量でしたので、2日に1回は
雨が降っていましたね。
 とりとめもない話をしてしまいました。さて、浄土ヶ浜の青の洞窟です。
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対岸に見える建物は浄土ヶ浜レストハウス。食事ができる上にシャワー施設があります。
というのは目の前の白い砂の海岸は夏場、海水浴場になるからです。環境省が発表した
日本の快水浴場100選」のうち、特に優れた水浴場である「海の部」の特選10か所の一
つに選ばれています。さらに、「かおり風景」・「日本の渚(なぎさ)」・「日本の白砂青松(はく
しゃせいしょう)」など数々の100選に選ばれているところなのです。
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ボート(モーター付き)の船長さんと二人、ワンツーマンで行きます。3.11の震災の時は大変
だった、と語ってくれました。前の写真のレストハウスの2階の上まで津波が押し寄せ、すべて
流していった、マリンハウスのボート・カヌーもすべて押し流され何一つ残されなかった、と言い
ます。しかし、震災直後からボランティアの方々がやってきて、少しずつ再建しやっと1年後営業
を再開出来た、と。3月春先の営業開始の準備をしていた時の地震・津波、その年はガレキの
後片付けや海岸の掃除などで精いっぱい。再建の目途はまったくなかった、といいます。それが
たくさんのボランティアの皆さんのお陰で、海もきれいになったしボートも寄贈されて再建できた、
と。ホント良かったですね!
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青の洞窟は、以前「八戸穴」と呼ばれていました。実は三陸海岸の一番北の青森県八戸市へ
通じていた、という伝説から「八戸穴」だったそうです。が、「青の洞窟」の名の方が良い、と変更
後人気が急上昇して名が定着、今ではどのガイドブックにも「青の洞窟」で通じているのです。
太陽が出ている時は、もっときれい、だそうですが、初めて訪れるのでこの時でもきれいでしたよ。
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魚が泳いでいるのも目撃、確かに澄み切っている。夏だったら泳ぎたい!気分にさせられます。

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上に見えるのは「お台場展望台」昨日登って紹介しましたね。
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晴れていれば、海の色がマリンブルーに写りもっと良いシャッターチャンスがあったでしょうが、
仕方がないですね。それでも、十分満喫した濃厚な20分でした。
そして、なんとここでも幕末の歴史と関係した出来事があったことを知るのです。なんとあの
土方歳三がここ宮古・浄土ヶ浜に上陸しているのです。すごい 
その歴史に関しては、また明日 

 12日(火)に降った雪は24cmにもなりましたが、昨日は太陽が出て、ほとんど融けてしまい
ました。11月は、北海道にとってはもう冬なんだなぁ、とつくづく感じた次第。自転車には乗れ
ないし、車、服装などあらゆる点で冬仕様へ。これから3月半ばまではアウトドアは限られます。
それでも、天気の良い日には外へ出ます。やっぱり、太陽の光を浴びなくちゃ、ネ。
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ここは、岩手県三陸海岸のほぼ中央部に位置する宮古市の浄土ケ浜。300年前、というから
江戸時代、生類憐みの令を出した「犬将軍」と呼ばれた5大徳川綱吉の元禄時代、ここ宮古の
常安寺の7代目霊鏡(れいきょう)和尚さんがこの風景を見て、「さながら極楽浄土のごとし」と
大いに感動して名付けられました。
付け根のところから順に、鷹岩エボシ岩、そして浄土ケ島の名がつけられている。
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田老から国道45号線を南下すること約10km、東へ曲がり浄土ケ浜大橋を渡りビジターセンター
の第1駐車場に車を止めて歩いて10分。見晴らしの良いお台場展望台から写しました。
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白い岩肌が連なる半島部分は、環境保全のため上陸禁止区域となっているため、近づくのは
船を利用するしかない。全体を見渡すには、ここ展望台から見るのが一番。右端の岩は千畳敷
、その間にある岩に囲まれて自然のプールのようになっている場所は血の池と呼ばれている。
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半島で囲まれているため波は穏やか。
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前方の岩は島ではなく、浄土ケ島という名の半島の一部です。ややこしいですけどね。先端が
千畳敷と血の池。左の尖った岩山は「剣(つるぎ)の山」と呼ばれる険しい、まるでのこぎりの歯
みたいな岩です。
ところで、リアス式海岸のリアスってスペイン語  なんですよ。「のこぎり」の意味があります。
大西洋に面したスペイン北西海岸にリアス海岸という地名があって、実際のこぎり状の形をして
います。地理用語はラテン語系の言葉が多いですね。例えば、カルデラはポルトガル語で「大き
な鍋
」の意味です。分かりますね。
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海鳥(うみどり)といえば、よく見かけるのがウミネコとカモメ。どちらもカモメ科の仲間で見分けが
つきにくい。ビジターセンターの若くてやさしい、きれいな女性職員の方に詳しく教えてもらいました。
ウミネコは浄土ケ浜周辺で1年中見かける留鳥だが、他のカモメは越冬のため大陸から飛来する
渡り鳥です。シベリアからセグロカモメ・オオセグロカモメ・ユリカモメなどがやって来る。
成鳥のウミネコは、尾羽に幅広の黒い帯がある。ズームして望遠で撮ったこの写真に写るカモメは
尾羽が黒いので、ウミネコですね。そういえば、ウミネコは英語でBlack  tailed  gull  といいます。
黒いテイル(尾)のgull(カモメ科鳥の総称)、カモメの英語はseagull (シーガル)は知られています
ね。それと、ウミネコは足と嘴が黄色、嘴の先端は赤と黒のまだらなど。
たくさん教えていただいたが、実際見るとどれがどれだか分からないくなる。それでも、とても親切に
分かりやすく説明してもらいました。

浄土ケ浜ビジターセンターは、南北180kmに及ぶ陸中海岸国立公園について自然環境や景観の
すばらしさを伝え、各地域の最新情報や国立公園の案内を行っていて、環境省の職員が常駐して
います。入館は無料。ラウンジ・ギャラリー・体験シアターなどあり、十分予備知識を仕入れました。
そして、青の洞窟は必見とのこと!是非見ようとボートに乗り込みました。歩いて5分、浄土ケ浜
マリンハウスが乗り場。20分、一人1500円ですが、貸し切りでした。
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さあ、海へ! 感動した青の洞窟は明日お知らせします。それでは、また 

 三鉄(さんてつ)の愛称で知られる三陸鉄道は、岩手県の三陸沿岸を縦貫する路線で
ある北リアス線南リアス線を持つ、日本初の第3セクター方式の小さな鉄道会社です。
 東京オリンピックが行われた1964年の翌年の1965年(昭和40年)より、旧日本鉄道
建設公団が、国鉄久慈線・盛(さかり)線の工事を進め、三陸沿岸の全線開通を目指しま
したが、1980年(昭和55年)国鉄再建法により工事は中止。翌1981年(昭和56年)11月
第3セクター三陸鉄道株式会社が設立されます。その3年後の1984年(昭和59年)4月1日
、新たに北リアス線・南リアス線と名付けられ、第3セクター化第1号として開業。その場面は
「あまちゃん」でも何度か放送されたので、覚えている方もいるでしょう。
 2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災の津波により、橋梁・レール・駅舎などの流出
など、甚大な被害を受け全体の3分の2の区間で不通となりました。
 しかし、震災の5日後の3月16日、北リアス線 久慈駅と陸中野田駅のわずか3駅間ですが、
運行再開し、3月20日宮古駅と田老駅が開通。3月29日には田老駅と小本駅でも運行再開。
震災後1年経過した2012年4月1日陸中野田駅と田野畑駅が再開、この場面は「あまちゃん」
でもドラマの1シーンに取り上げていますね。田野畑駅は畑野駅という名で登場しています。
 北リアス線で、未開通部分は前日のブログでも書いたように、今は島越駅が完成していませ
んので、田野畑駅から小本駅までの区間が途切れています。
 一方、南リアス線は釜石駅から吉浜駅までが復旧工事中。吉浜駅から三陸駅・恋し浜駅・綾里
駅などを経て盛駅までは今年4月3日運行開始しました。そのことについては、たまたま4月5日
に旅を始めて、現地を訪れて知りました。地元の新聞「岩手日報」でも号外が出るほど、喜びの
開通でした。私が「恋し浜駅」で車中泊した時の翌朝もテレビ局がライブで放送していました。
 全線開通は2014年、来年の4月を目指していて、早く北の久慈市から南の大船渡市まで、
岩手県の三陸沿岸が1本の線でつながって欲しいですね。みんなの願いでもあります!
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そんなわけで、この最初の写真は小本駅から2kmほど南の海岸、熊の鼻展望台です。
津波の被害を受けた小本市街地から、小本川にかかる小本大橋を渡り、国道45号線
の小本トンネルを通らずに、旧国道を通るとたどり着けます。現在急速に自動車専用道
の三陸北道路の建設が行われていて、所々で開通していますがまだ部分的で、全線開通
はかなり先ではないでしょうか?
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熊の鼻?って、あの洞窟のこと?・・・熊の鼻穴では?
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灯台までは遊歩道はなかったが、展望台から見る灯台はなかなか素敵でしたよ。
小本駅は岩泉町にあり、次の摂待駅はから宮古市になります。
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摂待駅から10km近く南の田老駅がありますが、その途中のグリーンピア三陸みやこは
現在、田老の市街地に住んでいて津波で家が流された人々の仮設住宅が建てられてい
ます。10mもの、しかも二重の堤防を築いたのに、それでもそれを乗り越えてやってきた
津波は田老の町を壊滅的なまでにつぶしたのです。
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田老港のある田老の市街地です。そのさらに海側に近いところに建てられていたのが、
たろう観光ホテル」。3階部分まで完全に津波で流されていますね。特に、2階までは鉄骨
むき出しです。周囲は立ち入り禁止のロープが張られていて、ビルの中に入ることは危険も
あり出来ませんが、ヒドイ状況になって解体もされず、2年8ケ月放置されています。
このまま、津波遺産として後世に残すのでしょうか?それともただ費用の問題で残されている
のか?
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田老駅と線路は、は市街地の奥の高台にあったために何とか無事でした。
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駅のプラットフォームから見た市街地。左遠くに先のホテルが見えますね。白いビルは
震災後建設されたもの。右後方に津波堤防があります。周囲は更地になっています。

なお、宮古駅と釜石駅の間はJR東日本鉄道の山田線がありますが、未だに開通の見通し
は立っていません。途中の陸中山田駅は津波で流され、駅舎建設の目途すら立っていない
のです。陸中山田駅については4月のブログに書いた通りで、今回も訪問しましたが、駅跡は
無残な姿をさらしていました。山田町の南の大槌町同様です。同じように沿岸部に建設された
駅舎は津波で押しつぶされました。
一方、南の大船渡駅からはJR大船渡線が宮城県気仙沼駅まで、気仙沼駅からは前谷内駅ま
でJR気仙沼線が走っています。が、三陸鉄道南リアス線の終着駅・盛駅から大船渡市、陸前
高田市、気仙沼市、南三陸町までは線路跡地を舗装工事してBRTと呼ばれるバッテリーバスが
沿線を走っています。現在、南三陸町の陸前戸倉駅が復旧工事中ですので、隣の内陸部の
登米(とめ)市陸前横山駅までバスが運行されているわけです。ということは、鉄道が復活する
ことはない、のです。レールは撤去され、津波で押し流されなかった線路はレールが撤去されて
バス専用のアスファルト舗装道路へなったからです。レールが流された部分は、舗装されずに、
一般の自動車と共用して国道45号線を走ります。だから、4月のブログの写真のように以前の
鉄路は無残な姿を見せたままで、撤去されずに放置されています。JR東日本は、ここに鉄道を
復活させよう、という気はないのでしょうね。このまま、バスを走らせて鉄道は終わり、ということ
なのか?三陸鉄道は地域の足だからと、一生懸命に頑張って復活途上なのに。

というわけで、今日は三陸鉄道の応援メッセージの形になりましたね。
岩手県を訪れた時は、是非三陸鉄道をご利用下さい。海の幸が新鮮、海もきれいで、感動し
ます。明日は、特にきれいな宮古市浄土ヶ浜から。それでは、また明日 

 昨夜、久しぶりに映画を、といってもレンタルDVD,ですが、鑑賞。とても感動した作品が
あったので紹介したいと思い、最初に持ってきました。
タイトルは「シュガーマン 奇跡に愛された男」。ドキュメント映画で、昨年数々の賞を受賞
しました。主人公ロドリゲスは1942年7月デトロイト生まれの71歳。1970年代の30歳ころ
からブルースを作詞・作曲し歌い始めるが、アメリカではまったくヒットせず。ところが、その
詩が地球の裏側の南アフリカで大ヒットし、ミリオンセラーとなる。当時の南アフリカはアパ
ルトヘイト(人種隔離)政策
により、世界中から排除されていた。白人の中にもアパルトヘイト
に反対する人たちがいて、彼らが「反権力」の象徴としてロドリゲスの歌を口ずさんだのだ。
 ところが、一度も南アフリカに行ったことがないロドリゲスは自殺した、ことになり彼は伝説
化された。それを、ある人物が探し出す。その過程を見事に描き出したのが、この映画の
一番の見どころです。そして、60歳を過ぎた年齢で初めて南アフリカを訪問し、彼はステージ
に立つ。そこで見たものは・・・。
拙い私の文章より、画像をご覧下さい。興味が湧いてくるはずです。







さて、今日から再びしばらくは10月の旅を振り返ります。田野畑村の道の駅で車中泊した翌朝
思惟大橋を写しました。
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橋の下に細い道が見えるが旧道で、完成する前まで登り降りを繰り返し田野畑村へたどり着く。
もっとも、旧道の脇には踏み分け道があり、自動車道が出来る前までは歩いて高さ200mはある
この坂を登り、降りして往来していたのだ。
ここを、降りて見ました。もちろん車で。
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まだ、未開通の「島越駅」。それでも4月に見た光景よりは、かなり復旧工事は進んでいる。
来年には北リアス線は全線開通するだろう。そんな期待を持ちました。
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島越には観光船の発着所があったけど、そこまではまだ復旧していない。やっと、漁港が動き
始めたという感じで、漁港では漁師のみなさんが仕事に精を出していた。
県道44号線を西へ、山を登る。途中で、見かけた江戸時代に百姓一揆を起こした切牛弥兵衛
はこの地ではヒーローです。
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近くに、彼のお墓もありましたが、自然石に名を刻んだだけの簡素なもので江戸時代の
貧困を物語るかのようでした。
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切牛の集落は、戸数10を少し上回るくらい。高台にあり、津波で流された沿岸部の島越の
人たちの新しい住宅が建設中であった。
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田野畑から島越までと、島越と小本までが不通。だから、北リアス線は久慈と田野畑間。小本と
宮古の二つに分かれて列車が通ります。たまたま宮古行きの列車が来ました。電車ではなく、
ディーゼル機関で動く列車ですね。
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朝、8時ころだったので宮古市へ行く通勤客を乗せて行くのでしょう。何人かを乗せてスタート
して行きました。
これが、小本駅。海岸部から約2km離れているが、沿岸部だけではなく市街地も津波の
被害を受けたのは、小本川が流れているから。川を遡って津波がやってきたのです。幸い
駅は高台に位置していたが、周辺は大きく被害を受けました。
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バスはまだ未開通の小本ー田野畑間をつないでいます。早く開通して欲しいですね。全線開通
となれば、三陸鉄道北リアス線は3年ぶりに久慈市・宮古市がつながりますからね。

明日は、さらに南下し、津波被害の大きかった宮古市田老へ、さらに宮古市浄土ヶ浜を見学し
ます。それでは、また明日 
朝起きたら真っ白でした。雪が15cmは積もっていたでしょうか?びっくり!!ですよ♪ 早速、朝から長靴履いて雪かき。
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庭の木々にもたくさん積もっていました。
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昨日は、とても寒かったですね。朝起きた時は一面真っ白かな?とも思いましたが、雪は降らなかったですね。でも、もう冬、今日は今年初の降雪があるでしょう。

さて、臥牛山とも呼ばれる函館山のお尻の部分を下山し、尻尾の部分からほぼ平坦のアスファルト舗装された自動車道を歩いて、10分。碧血碑の近くにあるのが、ふるる函館青少年研修センターです。宿泊施設も兼ねた建物で、子供たちだけではなく、大人も格安で利用可能の研修施設です。建物が素敵です。

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ここは、もともとは市立谷地頭小学校がありました。大火のあった1921年(大正10年)の3年後の1924年(大正13年)に、建てられました。最初は北海道初の鉄筋コンクリートの校舎建築の話もありましたが、木造建築で良かったです。
しかし、少子化の影響で、周辺の小学校との統合があり、1992年(平成4年)廃校となりました。近くの青柳小学へ統合されたのでした。68年間存続したんですね。老朽化した校舎は解体され、その4年後の1996年(平成8年)後創設当時と同じような木造の素敵な研修施設が復元されました。

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函館山の麓の西部地区は、少子高齢化で老人は増える一方で、子供たちはどんどん少なくなり、4校が統廃合され、現在は2校のみ。南側に青柳小学校。石川啄木の詩にもありますね。
函館の 青柳町こそ 悲しけり 友の恋歌 矢車の花
啄木も青柳小学校の近くに住んでいました。
もう1校は、何度かブログに登場している、石川啄木が教鞭をとった小学校である弥生小学校です。この2校だけです。
1970年(昭和45年)幸(さいわい)小学校常磐(ときわ)小学校は統合され、西小学校へ、その西小学校も、2009年(平成21年)弥生小学校へ統合されました。

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校歌が書かれていますが、市内の学校(中学、高校も含めて)は校歌の中に、臥牛山がよく登場します。市内のどこからでも見ることが出来る函館山を詩の中に入れているのですね。

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さらに歩くと、函館公園に到着。

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ここも以前に紹介しましたね。戦前、市民の力で開拓した公園です。広い公園の中には、小動物園、超レトロな遊園地、道内最古の博物館、同じく図書館などがあります。

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小さいながらも二つの博物館が建てられたのですね。今は別な場所にもっと大きな博物館が建造されていて、この2つは見学が出来ませんが、とっても素敵な木造建築物ですね。

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最後に、公園内の紅葉をご覧下さい。ちょうど、見頃ですね。

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函館山を知ろう、はまた改めて後日紹介します。今回のコース以外にも別なコースはいくつかありますし、歴史もあります。
明日からはまた秋の旅 総集編 10月旅した東北、信州、能登半島などの旅の未公開アルバムとともにお知らせします。それではまた、明日!!

6日前の夜、東北楽天イーグルスの優勝で心が震えるほどの感動を味わいました。特に、9回表のマー君、田中投手が登板した時に仙台クリネックススタジアムが観客みんなの歌で一体となったことが、鳥肌の立つ興奮を覚えました。ネットでもたくさん紹介されてますが、あれほど日本シリーズで感動したことはなかった。最高の場面でしたね。ファンキーモンキーベイビーズの歌う「あとひとつ」を聞きながら、今日のブログお読み下さい。





昨日は、秋晴れの最高の上天気。こんな日に外出しないなんて、もったいない。日光を浴びて体を動かしてこよう、と。早速朝から函館山へ、今度は前回と違うコースを歩いて見よう、と思い出掛けました。
もっとも、10日(日)は朝から大雨。豪雨といってもいいほど、夜からは雪に変わるそうです。冬がやって来ますね。もう、すでに冬タイヤ・冬ワイパーに取り換えました。風邪を引かないように気を付けましょうね。

西部地区は、11月になってさすがに観光客は少なくなりました。それでも、公会堂の前やハリストス正教会には団体さんが来ていて、ガイドさんのお話に耳を傾けています。
久しぶりに、函館山の麓の西部地区を歩くと一般の住宅まで異国情緒の建物が多く見られるようになって驚きました。こんなに素敵な建物があったのかな?という感じで、改めて函館西部地区の景観を見直した次第です。

さて、前回の続きです。千畳敷から七曲りコースを下ります。

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千畳敷広場には、このような休憩場もあり一休みすることが出来ます。汗をかいたTシャツを交換。山登りには着替えが必要。必ず、2、3枚は持って行きます。トイレも備わっています。ここは通年使用可能なんですね。冬でも登って来る人は多く、年中利用出来ます。

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落ち葉で埋まった踏み分け道を快適に歩くこと5分。視界が開けて来て、眼下に鞍掛山が見えてきます。木々に邪魔されて良く見えませんが、立待岬の近くにある標高100メートルちょっとの小山です。

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ここにも、砲台の跡がありますが、立ち入り禁止の看板が出来ています。以前はここの上まで来て、立待岬まで降りて行くことも出来たんだけどね。残念ながら、最近はあちこちに禁止の表示が目立つようになっています。これも使用者責任が問われるからかな?

快適な山道で、森林浴が出来ますね。空気が美味しい(^q^)。

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苔むした石が積まれています。

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七曲りといっても、7つだけではなく27だったかな?コーナーがあって、ひとつひとつにこのような表示がしています。誰が付けたのか、ありがたいですね。

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落ち葉を踏みしめて歩くこと、20分ほど。もっとも、私の足でですので、人によっては30分かかるかも知れません。どっちかと、いうと早歩きのほうですので、いつもコースタイムは予定時間より早く到着しています。ホントはもっとゆっくり歩きたいんですけど、これはせっかちな性格ですかね。
立待岬からの自動車道に降りたところで、このコースは終了。

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アスファルトの道を歩いて、函館公園へ向かいますが、途中で山を振り返るととても334メートルの山とは思えない姿です。

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まるで、本州の2000メートル級の山のような雰囲気が。ちょっとオーバーかな?
歩いて少しして、碧血碑の入口があります。夏に紹介した、幕末の箱館・五稜郭の戦いで旧幕府側の戦死者を弔った碑です。土方歳三始め多くの旧幕府軍の戦士が葬られていて、よく花束があります。土方のファンは全国にいますからね。この時も若い女性が「まだですか?」と尋ねられたました。若松町の現場(実際に銃で撃たれて、戦死したところ)やここ碧血碑を訪ねてくる歴史好き女性(男性も多くいますよ)はよく見かけます。

さらに、行くと素敵な建物がありました。木造建築の、それについてはまた明日お知らせします。

昨日、見た最後の写真は数年前には中に入ることが出来たのですが、やはり立入禁止になりました。天井が落ちることや老朽化が進んでいるからですね。なにせ、造られてから70年以上は経過しているのだから。

さて、函館山のジブラルタル化、とは?どういう意味なのか?多くの要塞は軍港を守備することを目的に建設されましたが、函館山の要塞は商業港である函館港を守るために建設されました。当時のエネルギーの大部分を占めていた石炭を始め、多くの農産物を本州へ輸送するための商業港だったのです。決して海軍の基地があったわけではなかったのです。鉄道で運ばれてきた商品を、今度は函館港から船に積み替えて青森へ輸送する、という重要な港だったのですね。
1898年(明治31年)、日清戦争に勝利して3年後、今度は日露戦争を想定し、津軽海峡の防衛強化を目的に、函館山に大小5ヶ所の砲台が建設されます。御殿山第1砲台、第2砲台、立待岬砲台、薬師山砲台と今日紹介する千畳敷砲台です。
日露戦争(1904年~1905年)時、津軽海峡でロシア艦隊が日本の船舶に対して損害を与えましたが、函館山の砲台からは一発も砲撃することはありませんでした。なぜなら、射程外であったために射たなかったのです。つまり、函館山の大砲はロシアの軍艦に届かなかった、ということです。もっとも、函館山に要塞があることで函館港は攻撃されることもなかったのです。

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その後、大砲は撤去されましたが、大正時代(1912年~1926年)に入ると、今度はアメリカを敵国として再び要塞を整備し直します。

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海と空からの攻撃から函館と青森の二つの港を守り、津軽海峡における敵艦隊の通航を阻止せんがために、津軽要塞として整備されましたが、アメリカの近代的な航空機相手には、実戦では全く役に立てず、函館は空襲に会い、甚大な被害を受けました。函館の子供たちは親元から離れ、疎開したのです。

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中に入って見ましょう。部屋になっていたのかな?いくつもに区切られています。

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1899年(明治32年)法律で、要塞への一般市民の立入が禁止されます。それは、第二次世界大戦が終了する、つまり1945年(昭和20年)8月、広島と長崎に原子爆弾が投下され多くの市民が亡くなる犠牲があり、15日敗戦を迎える日まで、登山することはもちろんのこと、写真を撮ることさえ出来なかった、と聞きます。市民に開放されるのは、翌1946年(昭和21年)、やっと立ち入ることが許されたのでした。約半世紀にわたり市民の立ち入りが禁止されていたのですね。
千畳敷とは、文字通り畳1000枚分以上もの広さを持つ広々とした斜面で、戦後は1960年代までスキー場として利用されていました。

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今は、草ボウボウ。ススキの穂が風に揺れていますね。リフトなどはなく、歩いて登って、また滑って、というそんなスキー場だったのです。そういえば、思い出します。私が小学生の時には、函館山の頂上から麓の高田屋嘉兵衛像まで、今の自動車道を利用してのスキー滑降レースがあったのです。5年生と6年生の時に2年連続して滑降したことを覚えています。

千畳敷から市内を見渡しました。テレビ塔がいくつもある、山頂の御殿山が見えます。

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ということで、今日は函館要塞のお話。砲台は5ヶ所ですが、軍事基地は何ヵ所もあります。宿泊施設や司令塔、見張り所など何ヵ所も発見することが出来ます。それらもその内紹介します。
それでは、明日は千畳敷から地蔵山コースを下る七曲がりを歩くことにします。
それでは、また明日!! 

自然の宝庫、函館山は春3月、雪解けの南斜面に福寿草の黄色い花が咲くのをはじめに、次々と花を咲かせます。エンレイソウエゾエンゴサクシラネアオイヒトリシズカなどよく知られている花が4月から5月、6月にかけて青、赤、紫、白などさまざまな色彩を見せてくれます。
夏から秋にかけても、同じです。だから、是非ゆっくりと歩いて観察してみること、お勧めします。

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あちこちに案内板が設置されていますので、安心して歩くことが出来ます。それでも、豊かな自然が残るために、全く危険がないわけではありません。特に夏は、「スズメバチ」さらには「マムシ」がいるので、十分気を付けて登って下さい。たくさんいるわけではないですが、サンダルなど素足で歩いたりはしないように。水はたっぷりと持参して下さい。水場はないので。帽子もかぶって、晴れた日には日差しが強烈ですから。でも、熊はいませんよ。北海道の山はヒグマに気を付けなくてはいけないけど、ここにはいません。動物では、キツネくらいかな?だから湧き水、沢の水は飲まないこと。エキノコックスの心配はありますね。
あと「ツタウルシ」の心配も。かぶれることがあるので、注意。

1863年、幕末の箱館に一人のイギリス人がやって来ます。1832年生まれというから、31歳の時ですね。彼の名は、トーマス・ライト・ブラキストン。日本で事業を起こすために箱館に来て、そのかたわら、鳥類を採集・研究し気象観測もします。その結果、1883年(明治16年)、本州と北海道の動物に著しい違いがあることを見つけ、発表。そして、津軽海峡が「ブラキストンライン」と呼ばれるようにあったのです。彼の碑は山頂にありますので、その内紹介することにします。

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今まで歩いて来た道を振り返ります。200年の年月を経た杉の大木が道の両側に植えられて、訪れる我々を見守っているみたいですね。
山頂へ行く道は、この道。山頂は、御殿山といって、麓からロープウェイが開通しています。1958年(昭和33年)に31人乗りでスタート、当時日本で一番大きなゴンドラでした。そして、今も。1988年(昭和63年)150人乗りのゴンドラは日本最大。ロープウェイとしても日本最大の乗客数を誇っています。

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少し行くと、汐見山コースとの分岐点。

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今まで歩いて来た旧登山道(つつじ山コース)は、南の汐見山と北の薬師山の二つの尾根の間の谷沿いを通っています。だから、この汐見山は逆に尾根を歩く、見晴らしの良いコースなのです。ただ、麓からは最初、急な登りで一気に尾根までかけ上がります。

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左側に見える山ですね。一方、南側を見ると、津軽海峡に面して地蔵山が見えます。

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この山の麓が立待岬で、夏にブログでも紹介したように、石川啄木一族の墓などがありましたね。

全体を見ると、こうなります。

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そして、しばらく歩くと函館山全体の尾根に出て、今まで東側しか見れなかったのが、西にも海が見れるようになって来ます。少し歩くと、建物があり、古ぼけた道を歩くと、こんなものが。

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実は、要塞の跡です。函館要塞は、1895年(明治28年)、日清戦争終結後に、最大の敵ロシアとの戦いを想定して津軽海峡の防衛強化を目指して建設されました。当時の大日本帝国は、最強の大国である大英帝国のやり方を踏襲します。それは、イギリスが、国際海峡である地中海の出入り口のジブラルタル海峡を監視するために、1815年スペインから奪い取ったイギリス領ジブラルタルの軍事基地化。それを採用し、函館山を国際海峡である津軽海峡に目を光らせるために、アジアのジブラルタルにしようとしたのでした。
詳しくは、また明日お知らせします。では、また ♪♪♪  

今日は、最初に私の大好きな番組「こころ旅」のテーマソングを聞きながら、ブログを読んでいただけたら、と思います。



200年以上前の函館山は、それこそハゲ山でした。それを緑豊かな山に変えたのは七飯(ななえ)町のお百姓さんの倉山卯之助さん、ということは昨日お伝えした通りです。旧登山道の1合目付近にある樹齢200年の杉の大木は当時植林されたものなんですね。

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旧登山道は、合目ごとに標識が建てられていて分かりやすいです。道も広い上に傾斜も緩く、運動靴で十分、トレッキングシューズを履くも必要ありません。途中に、函館山の植物・鳥類などを知らせる案内板も設置されています。

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3合目辺りには野鳥観察小屋も建てられていて、約150種類の野鳥を観察することが出来ます。また、津軽海峡を秋には南下、春には北上する渡り鳥の休息地として、函館山は大切な役割も果たしていますね。

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戦争が終わる昭和20年までの約50年間もの間、函館山全体が軍事基地として利用され、一般市民の立ち入りが禁止されていたこともあって、植物が育つのに好条件だったのです。そんな自然環境の中で、今では約600種類もの植物が観察されます。とりわけ、春5月は花が一斉に咲き揃いきれいなものです。麓を横断する宮の森コースは、花を観察する道としては最適でしょう。

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苔むした古道を歩くと気持ちも和らぎます。途中、溶岩の塊も見られます。

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約100万年前まで活発な活動をしていた火山が、噴火を繰り返しして溶岩が盛り上がって出来たのが函館山です。当時は、横津岳連峰の山裾の亀田半島と海にポッカリ浮かぶ函館山とは10km以上も離れていたでしょう。その後、海流による漂砂現象により、半島部分と山が繋がりました。つまり、函館山は陸繋島(りくけいとう)なのです。今でも、三方(北、南、西)が海、東側だけが山裾と結ばれています。山に登って見ると、お分かりでしょう。こんな、感じです。南側は下北半島と津軽半島を望む津軽海峡、西側は松前半島を望む津軽海峡に面し、北側は北斗市上磯の太平洋セメントの工場や峩朗鉱山、さらにセメントの積出港、いつも利用する津軽海峡フェリーや青函フェリー乗り場のある函館湾に面しています。

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一番細い部分、ちょうど市役所がある辺りですが、幅800メートルもありません。海抜1~3mくらいでもともとは砂地だったところです。

頂上へ行く手前に、薬師山コースとの分岐点があります。薬師山コースについては後日紹介します。

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そこから、さらに進むと千畳敷コースとつつじ山コースとの分岐点へ。

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今日はこの辺で。ゆっくり歩くといろいろなものを発見できます。若い時は、このコースをランニングコースとして利用していました。クロスカントリー用として、ただ走るだけ。そんな時代もありましたが、今はのんびりと自然を観察しながらスローペースで、時々写真も撮って、登って行きます。明日はさらに上へ。それでは、また★★★

10月の旅の総集編をしていて、11までいきました。今後もまだ紹介していない地域も順次お知らせしますが、その前に地元函館のことも知ろう、ということで、不定期ですが何度も登っている函館山について、自分の知っている限りを紹介したいと思い、今日から始めました。
昨日、秋晴れの良い天気だったので、久しぶりに函館山を登って来ました。
以前は、春夏秋冬1年に10回以上は登っていましたが、最近はすっかりご無沙汰してして、昨日の登山はとても新鮮でした。
最初に、函館山管理事務所へ。

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ここで、資料を取り寄せ、まず今日はスタンダードな旧登山道つつじ山コースを取ります。

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函館山の高さは、334メートル。今から約2500万年前に火山活動が始まり、約100万年前に活動を終了した、かなり古い火山なんですよ。だから、途中に、当時の活動を思わせる溶岩の塊もあります。
今回の旧登山道(つつじ山)コースは代表的な散策コースで、多くの市民や小学校などの遠足など広く利用されています。コースもバリエーションに富み、ビギナーからロッククライミングのクライマー用の難コースまであります。一般的な登山道は十分な広さもあり、安全に整備されていますので、初心者でも安心して登山出来ます。
奥に見える黒いコンクリートの塊は、戦時中の軍事用貯水タンク。実は、明治の時代から第二次大戦が終わるまでは、函館山は立ち入り禁止地区であちこちに要塞、砲台の跡が残っています。

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一番観音像です。1834年というから今から180年ほど前に、関西・紀伊方面の西国三十三霊場の土を運び、観音像を安置したそうです。だから、移土観音とも呼ばれています。函館山には30の観音像が、31番目は麓の実行寺に、32と33番観音像は称名寺の敷地に安置されています。観音像巡りでも楽しそう。今度は1から33まで捜して見ようかな?

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素敵な散策炉ですね。スニーカーでも大丈夫。各所に案内板も設置されています。

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大きな杉の林ですが、実は200年前の江戸時代末期の頃はハゲ山だったんですよ。なぜかって、江戸時代松前藩の領地だった頃、蝦夷地の樹木は暖房としての薪(まき)やニシンを加工するための燃料として、また松前藩の貴重な収入源として伐採されたために、函館山の木はほとんど無くなってしまったのです。
1799年、ロシア人がカムチャッカ・千島列島から南下し、蝦夷地に進入。開国を迫ったり、通商を要求したため幕府の直轄地とします。1801年に幕府の役人が巡視した時に驚き、以後「箱館管内の山は、海岸から一里余り(約4km)はハゲ山になっていることから、木を伐採するときは植林の義務を課すなどの伐採法を定めて取締りを厳重にしなければならない」と報告したことに始まり、箱館の隣町の七重村(現在の七飯町)の農民、倉山卯之(くらやま うのすけ)が育てた苗木を函館山に移植したことが、杉の人工林の始まりとされているそうです。
そのお陰で、今は緑豊かな山となって我々の癒しの場になっていることは皆さんご存知の通り。函館山のない函館なんて想像もつかないし、ハゲ山だったら登山する気も起きないですね。市民の憩いの場になっている今、当時緑の山にしたことに感謝です。倉山卯之助さん、ありがとう ございます!

今日から不定期ですが、函館山について特集していきますので、どうぞお楽しみに!
それでは、また♪♪♪ 

 今日は「あまちゃん」の中の挿入歌「潮騒のメモリー」を聞きながら、ブログを読んで
いただけたらうれしいです。





今朝、 函館は秋晴れの晴天。朝の8時の段階では最高の天気でしたが、果たして今日
1日持つでしょうか?昨日も午前中は晴れ、11時ころから自転車に乗ってサイクリングしま
したが、午後になって雲行きが怪しくなり1時過ぎには雨がぱらつき、雷まで鳴る始末。幸い
早く切り上げて帰宅したものの、少し遅れるとずぶ濡れになったところでした。
秋の天気は、激しく変化しますね。移り気が早い。まぁ、季節季節で天気を楽しまなくちゃネ。

 さて、今日の1枚目。昨日は、国民宿舎「えぼし荘」で温泉に入ったところで終わりました。
そこからすぐ、2kmも行かない内に三陸鉄道北リアス線「堀内駅」があります。
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駅のプラットフォームから堀内漁港を写しました。
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このトンネルこそ、「あまちゃん」最終回で登場した、アキちゃんとユイちゃんが二人で走って行く
場面です。また、それ以外にもユイちゃんが何度も出て来る場面で使用さています。
ここのプラットフォームはいろいろなシーンで撮影されていて、「あまちゃん」総集編を見ていたら
何度も登場しており、改めて「ここかぁ!」と感じたものです。
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 写真を撮るために寄っただけだったのに、たまたま列車がやって来ました。
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 これは特別な展望列車ですね。内装も豪華で、全席海側を望む、まさに観光用のスペシャル
版です。2両目は一般車両ですが、1両目の指定席を取れなかった人は2両目に乗っています。
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乗り降りする客は一人もおらず、1分も経たない内に去って行きました。
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上の道路から駅を写すと、こうなります。
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奥に見える海岸線は、昨日紹介した小袖海岸。険しい断崖絶壁が続いていることが分かり
ますね。ほりない駅はもちろん無人駅。漁港のある下から登るか国道45号線のある上から
降りるか、いずれにしても階段を使用しなければ駅には着けません。
 後から知ったのですが、「ほりない駅」の次の「白井海岸駅」は秘境駅の20位以内に入る
ほどのさびれた駅で、知っていれば訪問したかった。実際、国道からは道をそれないと到達
出来ない駅で、駅を知らせる看板も出ていなかった。残念!次の機会にまた訪ねよう。
その次が「普代駅」。村役場がある村の中心地にある。その次が長いトンネルを通り、終着駅
の「田野畑駅」です。
あまちゃんお最終回にも出てきましたね。復興が進み、開通した鉄道がついに、仮想の駅「
たの駅」まで通じたことでみんなが喜んでいる場面がありました。
その、「はたの駅」。実際には「田野畑駅」。
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残念ながら、この先の「島越駅」まではまだ開通していません。復旧工事が行われていますが、
まだ時間がかかりそうですね。
というわけで、今日は「あまちゃん」に何度も登場した「堀内駅」と「田野畑駅」を紹介しました。
相変わらず天気がぱっとしません。昨日もいいましたが、今年の10月は例年の2倍の降水量が
あり、おまけに台風の接近も6回ありぐずついた天気模様でした。明日は晴れますように 

それではまた明日 

 昨夜は、感動的でした。3勝3敗で迎えた日本シリーズを制したのは、東北楽天
イーグルス
。2日、9回160球投げながらも2-4で敗北投手になったマー君が3日
9回表に登板、ゼロに抑えついに初の優勝を、日本1を東北の地にかなえました。
テレビで見ていて感動しました。うれしいですね。少しでも、被災地に希望と勇気を
与えることが出来て。見ている人たち全員が元気をもらえて、こんなにうれしいこと
はないです。興奮した昨夜でした。
 
 さて、久慈市小袖海岸の漁港。
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北限の海女の里の碑が建っています。
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 1971年(昭和46年)に、陸中海岸国立公園に指定されましたが、今年2013年(平成25年)
三陸復興国立公園と改称されています。完全復興を目指し、名を改めたのでしょう。
アワビ、ウニ、ナマコなど素潜りで採取する海女さんたちは、実は明治維新以降で、それ以前
は男性が潜っていたんですね。「海女クラブ」は1956年(昭和31年)に早くも結成され、半世紀
以上もの歴史があるんですね。知らなかったです。
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テレビにいつも登場していた場所(アキちゃんが海に入る小さな階段があるところ)から
堤防の外側を写しました。岩場があって、荒々しい海岸ですね。
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近くには、このような名勝もありますが、久慈市の中心街からは険しく厳しい道が続いている。
一応、久慈市の行政区域に入っているものの、車で行くには細くて危なっかしい道を進まなく
てはいけない。
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 10月旅する前は、9月に比べ降水量が少なく旅しやすい、ということをブログに書きましたが、
今年の10月は違っていました。気象庁の発表では、今年の10月は、高温・台風・降水いずれも
記録ずくめで、東日本では平年より1.9度高く統計史上1位。台風の接近数も6個で、10月の統計
史上最多。月平均降水量も、北日本太平洋側で平年比216%と統計史上2位。東日本太平洋側
でも198%。西日本海側も220%。どちらにしても、いつもの2倍の降水量だったわけで、どうりで
今回の旅は毎日のように雨に悩まされました。おまけに、台風の襲撃も受けて。快晴の日は数え
るほど。4月、5月、6月の旅では快晴の日が続き、快適な旅が出来ましたが、今回は厳しい日が
続き、傘を差す日が多かったです。写真を見ても、太陽がサンサンと輝いている日が少ない、と
思ったはずです。写真の大半は曇り空。この日もそうでした。
 今夜の寝床は、田野畑村の道の駅。その前に2日間お風呂に入っていなかったので、温泉に入
ろう、と。
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 そこで、入ったのが普代村(あの楽天の3番打者銀次選手のふるさとです。彼のお子さんの
名前、ご存知ですか?25歳ですが、昨年結婚して生まれた男の子の名は虎次郎です。)の国
民宿舎「えぼし荘」で、入浴料400円でした。午後2時前だったので貸切状態。誰も居ない大浴
場で一人のんびりと湯に入り、3日間の疲れを癒したのでした。そして、今日はもう1か所訪ね
たい場所があるので、そこへ急ぎます。そこは、「あまちゃん」に関係するところです。
そこについては、また明日紹介します。ではまた。 

 最初に、「あまちゃん」のテーマソングを聞きながらブログを読んでいただけたらうれ
しいです。





昨夜は、マー君が今シーズン初めて敗北する、というショッキングな出来事があり
かなり落胆して寝苦しかったです。12安打打たれ、4失点。味方打線は3安打のみ。
なんだかんだ言っても、今日が最終戦。楽天には全力で踏ん張って欲しいです。
美馬投手の力投に期待するしかないですね。
 一方、ラグビー日本代表対ニュージーランド代表オールブラックスの試合は6ー54
で敗北しましたが、過去の対戦の中ではもっとも少ない50点以内に抑えることが出
来ました。といっても力の差は大きく、前半20分までは6-7となんとか同等の闘いで
したが、残りの40分はオールブラックスの圧倒的なスピード・パワー・ディフェンスに
押され、ノートライに終わりました。最後にトライ挙げるかな?という場面もありました
が、オールブラックスのキャプテンのマコウに押し出され、結局五郎丸のPGの6点の
み。残念ながら、まだまだ世界との差はありますね。2019年の日本でのワールドカッ
プでは果たしてどこまで進化するか、楽しみでもあります。
 
 さて、おとといの久慈市の続きです。駅前デパートは4階建てでしたが、営業は1階
のみ。2階から上は閉鎖されています。1階でも一部だけで、それも「あまちゃん」関係
の観光案内所だけでした。町中を歩いてみたら、シャッターが降りっ放しの店もあり、
地方の駅前商店街はどこもそうだが、寂しい限りです。
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それでも、「あまちゃん」効果で、春以降、特に夏からはたくさんの観光客が来ており、駅や
関係した場所は賑わっていました。例えば、
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道の駅周辺に出来た横丁の食堂街。「まめぶ定食」を食べようと。
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500円でした。手前右側のお椀の中には、クルミが中に入った団子が入っています。
上左側は、キュウリとシラスの酢のもの。右はワカメ。三陸は、北海道と違い、昆布は
少なく、ワカメが採れているいるんですね。ワカメの根株をメカブといいます。後から出
てくるので、覚えておいて下さいネ。

 駅周辺を散策後、車で小袖海岸へ。テレビでは北三陸鉄道「小袖浜駅」と登場してい
ましたが、小袖海岸までは鉄道は通じていなく、久慈駅からは内陸部に入り、国道45号
線とほぼ平行し、次の駅は陸中宇部駅。その次が陸中野田駅で、ここから少し行ったと
ころからまた海岸線を走ることになります。だから、小袖海岸は細くて険しい県道268号
線が沿岸部を走っています。
ここは「あまちゃん」がウニを潜って採っていた港です。
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夏ばっぱ」(宮本信子さん、アキちゃんのお祖母さん)がウエットスーツ姿で、海の中から

出てきそうですね。
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9月30日までは、海女さんが実際に海に潜ってウニを採る場面を見せていました。
ただし、見学料500円なり。
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観光客は、右端に見える場所に車を止めて歩いてここまで来ます。その間は、地元の人たちが
ワカメなどの海産物を観光客相手に売っています。左側の何軒かの建物が見えますが、そこが
あまカフェ」があったところ。そしてアキちゃんが海女姿で坂から降りて来るところでもあります。

明日は、再びここ小袖海岸の港からお伝えします。では、また明日 

今日は、スポーツ好きにとっては朝からワクワクする日です。特に昼からテレビの前に座ってじっくりと観戦、応援する特別な日です。
なぜなら、一つは夜、6時30分から日本シリーズの第6戦、楽天が優勝を賭けた大一番の試合があります。今日も勝利して田中将大投手が今年無敗を続け、日本1になるか?といった大事な試合が今夜あります。二つ目は、午後2時からラグビーの国際試合。日本代表と世界最高峰のニュージーランド・オールブラックスとの試合がある日でもあります。世界ランクNO.1のニュージーランドに対して日本がどれだけ踏ん張れるか?好試合をしてもらいたいですね。三つ目は午後1時からサッカーのカップ戦、浦和レッズvs柏レイソルの決勝戦の試合が、国立競技場であります。熱狂的なサポーターの浦和レッズが久しぶりに決勝に出て来ましたね。これまた、楽しみですが、後半戦は録画して、後から見ることにします。なぜなら、2時からはラグビーの試合を見るからですね。
まさに、スポーツの秋。これから、どんどん楽しみが試合が増えてきます。ラグビー、トップリーグの第2ステージ。サッカーのリーグ戦終盤、天皇杯の行方。年が開けると、ロシアのソチでの冬のオリンピック。嬉しいなぁ!

さて、11月に入り、好天が続いています。といっても、まだ今日は2日ですが。
晴天の昨日、郊外の香雪園へサイクリングしてきました。

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自転車を置いて、園内を散策。ここは、明治時代、函館の豪商だった岩船氏の別荘でした。1898年(明治31年)に造成されています。岩船氏の師匠に当たるお方が、当地を訪問した時に「雪の中に梅香る園」と感動して「香雪園(こうせつえん)と名を付けたそうでう。

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函館の郊外、湯川温泉街のさらに北へ2kmほどの高台に、別荘として造成された純和風の庭園は43000坪もあります。
1927年(昭和2年)には、函館市民へ無料開放されています。戦後の1955年(昭和30年)函館市と無償貸借契約を結び、その4年後の1959年(っ昭和34年)には函館市が土地を買収、2001年(平成13年)には、文化財保護法に基づき名勝指定を受け、北海道で唯一の国指定の文化財庭園となりました。もちろん、今でも無料で市民に開放されていますし、日本内外からの旅行者も観光に訪れています。特に、中国、台湾、韓国からの旅行者は、本国にはこのような庭園はなく、純日本風の庭園に喜ばれているようです。とりわけ、秋の紅葉の時期は、日本ほど四季のはっきりとした国はないので、鮮やかな紅葉に感激しているようです。

幼稚園児か、保育園児か?小さな子供たちが先生に連れられて来ていました。

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園内には、ソメイヨシノを始め、510本の桜の木がありますし、書院造りの園亭には茶室もあり、茶を楽しむ人たちも多くいます。

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秋は紅葉の名勝地として、全国的にも知られ、カエデは150種あるそうで、夜はライトアップされ、一層市民たちに喜ばれています。

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というわけで、今の季節、朝は少しだけ肌寒いですが、サイクリングには最高の季節。全力で走ると暖かくなり、気持ちの良いエクセサイズが出来ますね。
午前11時からは、火野正平さんの「こころの旅」総集編があります。自転車で全国を旅している番組ですが、今回は南三陸町での、ある食堂のお父さんとの再会がメインです。その方こそ、4月、5月の被災地を旅してボランティア活動し、毎日お昼ご飯をいただいた人なんです。藤田力さんと奥さんです。とっても楽しみです。それまで、時間がありますので近くの公園でトレーニングしてきます。ストレッチ、筋トレなど。来年の旅に備えて、まず鍛えなくてはネ。冬期間バッチリ、トレーニングして春に備えよう、と。
それでは、明日は喜びの声が聞けるように。東北楽天イーグルスの日本1とラグビー日本代表の健闘を祈り、また明日!!

 昨夜のプロ野球日本シリーズは、かなり興奮しましたね。楽天のリードは、最終回の
9回裏巨人の反撃により同点、延長へ。10回の表、楽天の再度のリードにより4-2で
楽天勝利。11月2日(土)仙台で第6戦が行われますが、楽天は無敵の田中将大投手
が投げるみたいなので、東北楽天の初優勝の可能性が大きいですね。
うれしいですね。大好きな東北が、楽天イーグルスの優勝でさらに元気になって欲しい
です。震災から2年と8ヶ月、まだまだ完全には復興していない現状ですので、少しでも
勇気と元気を被災地にもたらせれば、と。
 さて、ラグビー応援後、真っ暗になった盛岡の町を北上し、啄木記念館で車中泊した
ことは、お知らせした通り。翌日は、啄木の詩にもある姫神山(1123.8m)登山をしようと、
出かけたもののご覧の天気。
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山頂付近は雨模様。中腹でも、ポツリ、ポツリと降ってきました。雨の中の登山じゃ面白く
ない、ということで中止。さらに、北の岩手町沼宮内から内陸へ。葛巻町を訪問することに
しました。
 葛巻町は、岩手県北部、北上山地の真ん中に位置する人口6800人ほどの純農村です。
ただ、この町のキャッチフレーズは「北緯40度 ミルクとワインとクリーンエネルギーの町
を謳っています。それは、町内に散在する牧場・農場を活用したグリーン・ツーリズム、山
葡萄(ぶどう)を原料としたくずまきワイン、そして誇れるものは風車15基による風力発電
電力自給率100%以上の太陽光発電、バイオガスを利用したバイオマス発電など再生エネ
ルギー発電で、160%以上の電力自給率を持っている町なんです。
例えば、学校にはすべて太陽光発電のソーラーパネルが取り付けられて完全自給しています。
そんな、素敵なクリーンな町を訪ねて見たかったのです。
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山は、少しずつ紅葉が始まってきていますね。
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結局、カメラを見たら、1枚も葛巻町の風景は撮っていなかった。町中を1時間以上傘を
差しながら歩いたのですが、土砂降りの中では町の人も外には出ておらず、この町の長所
を写真に撮れずじまい。残念、というより私のカメラワークのなさが露出しましたね。
晴れた日に、歩いたり、サイクリングすると良いのですが。

 というわけで、さらに東へ。こうなったら、「あまちゃん」の町、久慈市へ行こう!となりました。
昨日は、10月14日に録画しておいた「あまちゃん」総集編の前編と後編を一気に鑑賞、久し
ぶりに、またあの感動がよみがえってきました。昨日の興奮と感動引きずりながら、思い出して

行くぞ!仮想の町「北三陸市」へ。
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これは、道の駅「くじ」に展示してあったお祭りの山車(だし)です。テレビ「あまちゃん」でも
登場したことがありましたね。かなり大きいです。山車の乗っているものは、なんでもありの
世界。よーく見て下さい。ウサギに、バニー・ガールなど様々なものを載せていますね。
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駅の周辺は、駐車場がなく、500mほど戻った道の駅に、やっと1台分のスペースを見つけ、
駐車。自転車を取出し、町中を散策することに。この時は雨も上がり、曇り空へ。散策する
には、ほどよい規模の町でした。
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これも仮想の駅である北三陸鉄道の北三陸駅。実際は、三陸鉄道北リアス線の久慈駅。
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この駅構内にセットされていました。テレビが終わってまだ10日目だったので、観光客は
多かったです。町の人よりも多いくらい。駅の中も人で混み合っていましたよ。
隣にはJR久慈駅があります。隣接しています。
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ここも人は多かったです。そして、おなじみの駅前デパート。
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北限の海女」・「北三陸鉄道」・「潮騒のメモリーズ」の3枚の大きな看板が掲げられていますね。
拡大すると、テレビで何度も登場した看板であることが分かります。アキちゃんが駅から降りて、
最初に見るのがこの看板。有名ですね。しかし・・・。

 この続きは明日詳しく。 それでは、また 

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