函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めた車中泊中心の「ぼうけんの旅」は今年で13 年目に突入。 車中泊の貧乏旅行の旅、今年で74歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 今年2026年も「ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです! 今年も「ぼうけんの旅」をよろしくお願いいたします。

2026年が明け今年は74歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!時々は自転車を積んでの軽バン一人旅の始まりです。

2013年12月

今日12月31日は大晦日、1年の最後です。各家庭ではのんびりと、年越しをするのでしょうね。
雪が降る前の12月下旬、よく晴れた日に乃木神社へ行って来ました。誰一人いなく閑静そのものだったここも、明日朝からは、いや深夜から参拝する人たちでいっぱいになるでしょう。
そんな静かでのんびりとした乃木神社

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乃木希典は明治時代の大日本帝国陸軍大将。日露戦争(1904~05)における中国の旅順占領(1905、1,1)時の将軍で、1912年(明治45年)7月明治天皇が没した時に、奥さまの静子さんとともに殉死しています。神社に置かれていたパンフレットには、「祭神 乃木希典 命(みこと)」と書かれた乃木将軍御殉死当日邸前の写真が、乃木静子 命とともに載せてあります。ここは、乃木将軍を神として祀っているところ。


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1916年(大正5年)9月13日に創建していますので、あと2年で100周年を迎えるのですね。

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12月下旬とはいえ穏やかな、まるで冬が通りすぎて小春日和のような暖かい日の昼間です。この大木は創建時から見守ってきたのかな?

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ガラス戸越しに中を覗いて見ると。

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さらに、奥は。

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さらに、別な倉庫のような建物には、御輿を格納している。

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2013年、皆さんにはどんな年でしたか?私にとっては、38年間勤めてきた職場を定年退職し、自由になって無期限の旅に出れるかな?と思いましたが、4月からいろいろ様々なことがあって、2週間から20日間までの間の旅を繰り返していました。その間、ハローワークへ行ったり、母の病気のこととか、個人的なことですが、帰りを決めない旅が出来ていないことに苛立ちを覚えたり、もっと長い旅を!!と望んだり・・・。でもあせっても仕方がない。来年は良い旅が出来ますように、と祈願してきました。

それでは、来年は皆さんにとって良い年でありますように!それとなんといっても健康第一タフな旅が出来るのは体が資本ですからね。それとハードな旅が出来るには強いハートも必要。
また、来年このブログでお会いしましょう。お元気で!!

今日も雪かき。昨日は午前と午後とさらに夜の3回も雪かきしたのに、朝起きたらまたまた雪が積もっていた。2日前から降り続いていた雪は、一体いつ止むのだろうか?朝食後、雪かきをしてきてブログ打ち始めたけど、窓の外は猛吹雪。

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庭木に積もった雪です。湿った雪の重さで木が折れる恐れもあり、何度か雪落としをしたが、それでもこんなに積もっている。長靴を履いていても、それ以上に積もってしまった。

屋根の雪は雪庇(せっぴ)を作ってしまった。雪庇とは、山言葉だけど、家庭の屋根からせり出した積雪のことで、我が家の2階はこんな感じ。東向きの窓の上にせり出している。

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強い西からの風によって運ばれた、日本海の水分をたっぷりと含んだ湿り気の多い雪は重く、プラスチックの雪かきにくっついてしまう。普段の雪かきと違い、力も必要だ。きっと、豪雪地帯の新潟や山形などの雪はこんな質の雪なのかな?いつもの軽い雪じゃない。
隣の家にはツララも出来ている。室内はストーブを焚いていて熱く、その熱い空気が屋根の雪を溶かす。夜、外気はマイナス。溶けた雪が凍りつき、ツララになるのだ。

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奥の木は、秋に黄色の葉に色づき、きれいな紅葉を見せてくれた銀杏の木。でも、今はすっかり葉を落とし、細い枝を風に震わせながら耐えている裸の木。

物置に積もった雪は30cm近くになった。

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よくテレビでも宣伝している、100人載ってもつぶれないYODOKOの物置。でも何年も毎年積雪があり、凍った重い雪を載せていると戸がきつくなってしまう。10年近く使用した今では左の戸が開きづらくなってしまった。

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最後に雪かきをしていない道を、長靴で歩いたが、よく見えないですね。ズボッ、ズボッと雪に埋もりながら歩いたけど、この先どのくらい降るのやら?
ホントに大迷惑な、年末に降り続く大雪の話でした。
それでは、また明日

追加。晴れたので、2階の部屋から雪庇を撮りました。遠くに、14階建ての大きなホテルが見えるけど、屋根から積もった雪がせり出しているのが分かりますね。

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違いで、足元にも及びませんが、出来れば10位以内に入ればなぁ、との思いもあります
ので、もし良かったらクリックしていただければうれしいです。
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すし、お二人を応援したい気持ちでいっぱいです。
 同じ旅好きとして、彼らのブログを読んでいて共感しますし、一度もお会いしたことはあり
ませんがこれからも旅を、ブログを続けてもらいたいですね。上位の方のブログを読むと、
とても励みになりますし、こちらも、頑張れます。

 12月29日(日)朝起きたらものすごい雪。昨日から降り続いていましたが、一晩明けたら
驚くほど。これから雪かきをしてこなければ・・・。

 さて、長野県最南端の飯田市となった、旧南信濃村。昔、和田宿と云われた秋葉街道の
宿場町です。朝起きて散歩しました。
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ここの町については、後日詳しくお話しします。
今日は、秋葉街道の終着点である秋葉神社を目指して、山越えし南の静岡県へ行くことに
しました。本来の国道である152号線はまだ未開通。工事はしているが、あまりの崩落の激
しさに日本のトンネル技術が敗退(と、昭文社のマックスマップルの関東甲信越道路 10万分
の1に書かれています。)し、国道の青崩峠(1082m)は未だ未開通。ずっーと手前の八重河内
(やえかわち)集落から兵越(ひょうごえ)林道を通らなければいけない。その昔、武田信玄
が遠州に向かって兵馬を進めた峠の兵越峠を越えることに。
険しい山々を越えて、峠へ。1168mの峠だ。ここでは、毎年長野県と静岡県の代表が綱引き
をして勝った方が1mずつ国境を伸ばしている。だから、この写真の「国境」は今年の境い目。
来年は数字のある方へ負けた側は引き下がる。一方で勝った方は1m領土を増やす。
そんな遠州(静岡)と信濃(長野)の国の境いです。
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というわけで、長野県から静岡県へ入りました。
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ここから、浜松市へ。峠を越えて、どんどん天竜川沿いに南下。国道152号線を南へ
下ること時間近く。
左右の山々は高く、険しく、道は細く、狭い。天竜川には数多くのダムが建設さえていて、
佐久間ダムなどは有名。戦後の復興の象徴などと云われ、終戦から8年後の1953年に
工事着工し、3年後の1956年に完成している。1953年といったら、昭和28年、私の誕生
の翌年だ。ダムの高さ155.5mあ日本第9位、総貯水容量は8位。日本屈指の巨大ダムで
あり、戦後日本の土木技術史の原点ともなったダムである。
帰り、その佐久間ダムを見学するために寄り道をしたが、逆にそれが大変なことになって
しまった。そのことについては、明日お伝えすることにしますね。
天竜川に架かる雲名橋を渡り、天竜スーパー林道を登ること30分ほどか?やっとのことで
到着したのが、秋葉神社
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詳しくは、また明日!
これから半日、雪かきです。我が家の通りは高齢者ばっかり。61歳の私が一番の若手なの
だから、ボランティアしなくては、では。午前に1回。降り続いていたので、午後にも1回。きっと、
夜にもまた雪かきをしなくては。今日の雪は寒い時の粉雪、パウダースノーではなく、湿った、
重い雪だ。しんどいですよ。雪のない地方の方は、雪かきなどしたことがない、でしょうけど、
(もっとも函館などは、まだ少ない方で青森や倶知安は1日で、軽く1mを越す雪が積もります。)
それでも、大変。年末の忙しい時のドカ雪はユルクナイ(厳しい)。
では、明日 

峠から下る途中にあった道祖神。道祖神とは、「新明解 国語辞典」(三省堂)によれば、
村境や道路の分岐点に立てられた民間信仰の石像。村民や旅人の安全を守るために。
だから、ここの何時の時代から建てられたか不明だけど、昔から置かれている像には、
旅人の安全を祈って、という意味があるのですね。野麦峠という、極めて困難な峠を越え
て来た旅人へ、そしてこれから越えようとする旅人の安全祈願を込めて、これら石像が造
られ、この分岐点である場所に置かれたのでしょうね。
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今までも、このような道祖神を見てきたことがあります。能登半島にもあったし、新潟県
と富山県の境である親不知海岸でもありましたね。親不知(おやしらず)とは、それこそ
青年期に出て来るもっとも遅く生える4本の奥歯のことで、知恵歯ともいいます。が、別な
意味では、死別などして生みの親の顔を知らない子供のこと。さらに、地名では新潟・富山
の境の海岸は断崖絶壁が何kmにも連なる海岸で、波が荒く、親が子の、子が親の命を助け
ることも出来ないほどの、通行するのに非常に危険なところです。昔、江戸時代のこと、新潟
や日本海側の東北地方から、大坂・京都へ出稼ぎに行った子供たちが、年末に故郷に帰ろう
としてこの海岸の波打ち際を歩いて渡った最中に、荒い波にさらわれて亡くなる。しかし、親は
知らずに子供の帰りを待ち続けている。そんな悲しい過去がある海岸の名前なのです。
山を越す、とは歩く時代、大変なことだったんですね。だから、大坂・京都から見て越す前の
福井県は越前、富山県は越している最中の越中、北アルプスの険しい山々を越えた後は越後
新潟県と名を付けたのでしょう。
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「祈願」・「交通安全」・「野麦街道」などの文字が見れますね。二つの彫った像が手を取り
合って、寄り添うようにこちらを見て微笑んでいます。登りの途中だったら、ゆっくりと拝む
ことが出来るけど、下りでスピードを出していたら見逃してしまう小さな像です。
ゆっくりと、走ってきて、止まることが出来て良かった。よくよく見ると1円玉や5円玉が置か
れています。きっと、地元の方が置いて祈ったのでしょうね。安全と豊作を。
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昭和63年の奈川村はもう消え、今は松本市になっている。
野麦街道、別名飛騨街道を降りてきて、寄合渡で右折し、再び上りへ。境峠(1846m)を
目指す。
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途中にあった縁結神社。最近は人気で参拝者も多いそうです。恋のパワースポット
だそうです。若い人たちはどんどん行って拝んで下さい。
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神社といっても神主さんも、もちろん巫女さんもいない。絵馬やおみくじを売る売り場も
なく、誰一人いません。山中を一人歩いて辿り着いた寂しい神社。
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下りて、下りて国道19号線へ。さすがに名古屋と諏訪地方を結ぶ幹線道路だけあって
交通量も多い。
日本で最も美しい村」を売りにする木曽町。JR中央本線の「原野(はらの)駅」近くの
道の駅「日義木曽駒高原」で見かけた木曽駒ヶ岳(2956m)、でも雲に隠れて見えなかった。
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中山道の江戸と京都のちょうど中間にあるので、そんな碑もある。駒ヶ岳の伏流水も流れて
いて、冷たい水が飲める。
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この日は、長野県最南端まで辿りつきました。今は飯田市に吸収合併された旧南信濃村の
道の駅「かぐらの湯」へ陽が暮れ、暗くなった夕方6時ころに到着。温泉に入ろうかな?と玄関
まで行ったら「毎週木曜日は定休日」の看板が。ショック・・・。
仕方がない、この日は入浴なしで車中泊。明日は愛知県へ行くぞ!と計画し、満天の星が輝く
夜空に誓い寝ることに。
それでは、また明日  

今紹介している野麦峠については、深い思い入れがあります。40年前の1974年5月、
私は当時大学4年生。周囲の友人たちが就活に忙しく動き回っていた時、一人東京か
ら離れ自転車で走り回っていました。会社に入って機械の歯車にはならないぞ!の強い
反発心があって…当時は学生運動が、あさま山荘事件(1972年2月)で消沈し退廃した
空気が漂っていました。反戦・平和の大衆運動だった学生たちのムーブメントが、一部
の超過激派によってもろくも崩れていった時代です。
 今から40年も前の話です。世界的には、第一次オイル・ショックで就職難へ。今、原発が
稼働しないことで節電が求められていますが、原油価格が一挙に4倍以上に急騰し日本
経済を震撼させたオイル・ショックに対して、当時国は今日では考えられない政策を実行し
ました。それは、
①ガソリンスタンドの土日営業禁止
②深夜放送0時以降中止
③街灯や会社・学校の廊下の灯りなど1本置きに消灯  etc
60歳前後以上の方に聞くと、当時の日本の時代風景が分かると思います。

リクルートスーツなどない時代ですが、不格好な背広など着たくない、自由に生きるんだ!
(今から思えば若かったのです。未熟といってもよかった。)と、4年生の5月に長い旅に出
ていました。
富山県から南へ、五箇山の合掌部落の民宿に泊まり、当時は世界遺産でもなんでもない、
過疎地の白川郷では掘立小屋で寝袋にくるまり寒さをしのぎ、天生(あもう)峠は雪で通れず。
高山に出て、まだ雪が残る砂利道の野麦峠を目指したのです。野麦部落の民宿で泊り、翌朝
寒さに震えながらも必死にペダルをこいで峠に登りました。
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当時と同じ光景だったはず。乗鞍岳が目前にあって、お助け小屋もありました。小屋の
おばあさんが熱いお茶を出してくれて、うれしかったことなど覚えています。
 
さて、自然歩道になっている道を歩いていたら、
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政井みねの碑がありました。実はこの碑、女優の吉永さゆりさんが建てたそうです。
あゝ、野麦峠」が映画化された時、ヒロインの政井みねを誰にするか、で最初に吉永
さゆりさんが候補になったが、どうゆうわけか消え大竹しのぶさんが抜擢されて主演を
演じました。後に吉永さんが、シナリオを読み政井みねさんのことを知り、この碑を建て
た、ということを峠の資料館である「峠の館」の館長さんが話してくれました。

政井みねさんは実際にいた人物で、百円工女(月給100円を稼ぐのは工場では数少ない
成績優秀者)として優れた女工さんでしたが、長時間労働、過酷な労働環境から病に倒れ
解雇されます。故郷の兄が引き取りに来て、昨日の銅像のように兄が背負子(しょいこ)に
乗せてみねを運び、信州から野麦峠を登り、お助け小屋にたどり着いたところで、患ってい
妹のみねは息を引き取りました。
そんなみねさんを主人公に描いたのが映画「あゝ、野麦峠」です。
「峠の館」に入ってみました。
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まず、繭(まゆ)ですね。蚕から1本1本くくり出した生糸。
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信州は諏訪、岡谷の工場で働いていた女工さんたちは、飛騨の山奥の貧しい農村の娘
たち。彼女たちは口減らしのために、出稼ぎに出ていたのです。口減らしって分かります
か?食事の数を減らす、つまり少しでも食費を減らすため、逆に収入を増やすためには
娘たちを製糸工場へ売ることに。大家族だった農村では、長男は跡継ぎ、次男・三男は
兵隊さんへ、娘たちは女工へ。
それだけ貧しかった時代でした。
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30分にダイジェストしたミニ・シアターには関西弁を話す高齢者の団体さんが来ていて、
おしゃべりしながらも、最後はポロポロと涙をこぼしながら「良かったわ」と泣き笑いして、
あっという間に去っていきました。それで私と館長さんでゆっくりと話す時間が取れたわけ
です。それで、先の映画の件やロケでは大竹しのぶさんが館長さんの家に何日も寝泊ま
りしたことなど、詳しくお話ししてくれました。
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戦前のことですが、こんな悲しい歴史があったのです。女工さんたちの哀しみ、女工哀史
です。明治維新以降の富国強兵・殖産興業により、急速に日本は欧米と同じ強国、列強
となり戦争の道を歩んでいきますが、その陰にはたくさんの若い女性たちの悲劇があった
のですね。というより、当時の日本という国家は、貧しき者たちの犠牲の上に成り立っていた
といった方が正しい、と思いました。
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館長さんとのお話は尽きなかったのですが、ここに長居は出来ず去ることにしました。
ここでも写真を撮ることを忘れてしまった。前にも反省として書きましたが、来年の旅で
は、もちろん相手の承諾を得た後ですが、出会った人の顔を写したいと考えています。
2時間以上も滞在した野麦峠、乗鞍岳は雲がかかり山頂は見えなくなって来た。3回に
わたり野麦峠を取り上げましたが、峠の漢字のように山を下から登り上に辿りつく、そこ
には人の生きる道があるのです。峠とは、まさに私たちの人生そのもの。上りもあれば、
下りもある。生きている、ということは登って降りての繰り返し

明日からお休みの方も多いでしょう。2013年もあと今日を含めてあと5日。健康に気を付け
てまた来年新たな出会いを!
それでは、また明日   



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         です。

 さて、岐阜県から長野県に入りましたが、この両県県境は陸路日本で一番長距離です。
お互い海を持たない内陸県として200kmまではいかないが、長い県境があります。長野
県は、その長い県境を新潟県・群馬県・埼玉県・山梨県・静岡県・愛知県・富山県そして
岐阜県となんと8県と接しています。
 そんな隣県どうしなのにお互い行き来できる道は少なく、古来からの中山道である現在の
国道19号線を除けば、北から国道158号線の安房(あぼう)峠(1790m)、乗鞍スカイライン
(現在は一般車通行止めとなっています。最高点は標高2700m)、県道361号線の長峰峠
旧中山道の県道7号線馬篭峠(790m)を越える中津川木曽線と呼ばれる旧道です。
中央自動車道は県境の恵那山(2190m)の山中を長いトンネル(恵那山トンネル、上り8649
m)通過しています。それと、愛知県との境に近い南端の国道418号線があります。
そして、今いる野麦峠、の8本の道がありますが、昔少なくとも20世紀の初めまでは中山道と
野麦峠の2本しかなかったのです。
 その野麦峠には、悲しい歴史があります。
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それが、これ。政井ミネを背負った兄の像。山本茂実が1968年に発表したノンフィクション
文学「あゝ、野麦峠」に登場します。11年後の1979年(昭和54年)に映画化されています。

戦前、飛騨の農家の娘たち(その多くは10代前半)が、野麦峠を越えて、諏訪・岡谷にある
製糸工場へ働きに出ました。特に冬場仕事がなく、貧困から脱け出すためには出稼ぎに出
なくてはいけなかったからです。
明治時代から、当時の富国強兵・殖産興業の国策を支えたのが彼女たち。有力な貿易品
である生糸の生産を支えたのだ。製糸工場では大量の水・電力が必要で、そのため諏訪
地方に多くの工場が建設されたのです。
作者山本は、彼女たちが、吹雪の中危険な山道を越え、劣悪な労働環境の下で命を削り
ながら絹糸を生産した女性工員たちの悲しみ・辛さ・怒りを伝えるために、10数年におよび
飛騨、信州一円を取材し数百人の関係者から聞き取りを行って、1冊の書籍にまとめたの
です。

峠には「お助け小屋」があるが、ここの役目は飛騨から厳しい野麦峠を越えて信州・諏訪地方
へ女工として出稼ぎに行く若い女性たちを、一晩泊めて食事を与え休ませるためにあった。
宿泊も出来るこの茶屋で、旅人は疲れた体を休め、相部屋で一晩泊まりクマザサの生い茂る峠
道を、晩秋は信州へ、早春は飛騨へと下っていった。RIMG2499




















峠の西側は岐阜県高山市。
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東側は長野県松本市。
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信州の工場では、わずかの賃金で1日に13時間から14時間もの長い時間働かされ、病気に
なっても休ませてもらえない劣悪な厳しい生活でした。まさに超ブラック企業そのものです。そ
れが公認されていました。国策だったからです。
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旧道があり、散策できます。峠の駐車場に車を止めて歩くことにしました。少しでも、当時の
人たちの痕跡を辿りたかったからです。今は、道も整備されていてスニーカーでも歩きやすい。
でも、当時の人々は、草鞋(わらじ)か、藁(わら)の長靴で歩いたのでしょう。道だって、木の
根や尖った石がむき出しの歩き辛い道だったに違いありません。RIMG2504




















「 工女泣きし  野麦峠や  いま若葉 」
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30分も歩くと、小山の上に立つことが出来ました。北の方向、乗鞍岳(3026m)には、昨夜の
降った今季初の雪で頂上部分は真っ白。初冠雪だ、と地元の方は云っていました。それだけ、
昨夜は寒かったのです。車の中で、真冬用の羽毛の寝袋にくるまって寝ていたために、その
寒さは感じなかったけど、峠の上だとかなり冷えたんだろうなぁ、と想像します。
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峠には、女工哀史を伝える資料、さらには映画「あゝ野麦峠」を30分のダイジェストにした
ミニ・シアター、野麦地方の民俗などを集めた資料館である「野麦峠の館」がありました。
入館料500円。ここで館長さんとじっくりとお話し出来ました。それについては、また明日
詳しく紹介します。
それではあわただしい年末、風邪など引かずに気を付けて生活しましょう。近くの内科
は朝から駐車場が満杯で、待合室は患者さんであふれています。うがい・手洗い励行し
安心した年末・新年を迎えましょうネ!  2014年まであと6日。

 今年も残すところ、あと7日となりました。来年は、どこへ旅立つか?については、
もうすでに大まかなプランはたててはいます。行きたいところは日本中、世界中に
たくさんありますが、たくさん課題を抱えているので、現実的に優先順位を考え実行
に移していきたい、と思っています。
まずは、この冬早く終わって、春が来ないかな?

 さて、10月の旅、高山市の郊外といっても市街地から10km以上も山間部に位置
している旧朝日村の国道361号線に面している道の駅「ひだ朝日村」、起床したのは
午前6時ころ。昨日の台風は、すでに去り夜空には満天とまではいかないが、無数
の星がキラキラと輝いていた。星が点滅しているように見えるのは、上空かなり風が
強いのだろう。
朝6時の段階で、道路標示だけど気温は0度を指していた。今回の旅では、3種類の
寝袋を持参した。軽自動車とはいえ、ダイハツ・ハイゼットカーゴの後ろは座席を外し、
全面に板を敷いて180cmの真っ平らにしてその上に断熱カーペットを敷き、さらにサ
ーマレストのエアーマットを敷き、二重に断熱しているので寒さ対策は盤石。
空いた後部座席の空間に、キャンピング用の折り畳み式テーブル・椅子・予備のガス
3個などと一緒に、寝袋3種類を積んでいる。一つは、昨日紹介したマイナス15度まで
耐える真冬用の羽毛(コロンビア製)のマミー型、二つ目はスリーシーズン用のポリエ
ステル製の封筒型、これを一番多く使用しています。足を大の字にして寝れるし、まる
で布団のよう。三番目に夏用のウルトラコンパクト寝袋で軽くて小さい。10月でも夜暑
い時に窓を開けて網戸にして、その寝袋を使い寝ていました。大きさは手のひらに収
まるくらいだからホントにコンパクトだ。さらに暑い時は、バスタオルかシュラフカバーだ
けで寝た時もあります。
今日は、最初に標高1672mの野麦峠を目指す。方向は東、晴れているけど高さを稼ぐ
と雲が多くなってきて太陽は隠れた。太陽が輝いていた時は気温が上昇したけど、標高
が上がるにつれて反比例するようにどんどん下がっている。
高根第一ダムで仕切られた人造湖の高根乗鞍湖で、左折し県道39号線を登って行く。
阿多野郷(あたのごう)という集落に着いた。
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おたび所」とは?どうゆう意味だろうか?元宮地なのか地宮元か?
調べてみたら、「御旅所(おたびしょ)」とは、神社の祭礼において神(神輿)が巡幸の
途中で休憩または宿泊する場所、とあります。元宮とは、小さな社のこと。ウーン、少し
は分かってきたような?ここは、飛騨と信州を結ぶ大事なそして唯一の街道である野麦
街道の大事な宿場があり、旅人を守る守護神の神社が置かれていた、ということですね。
だから、元(もと)宮地(みやち)があった。ということですね。
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元学校の跡地。グランドとフェンスがある。
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何となく、神社の境内だったような場所かな?
晴れていれば、南の方向に木曽御嶽の最高峰である剣ヶ峰(3067m)が見えるが、この
空模様では近くの山しか見えない。
寺坂峠を越えて、いったん下がりまた登りへ。野麦峠へ向かう。阿多野郷から約10kmほど
野麦集落へ到着。峠まではさらに10km近くある。
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元野麦小学校の校舎。今はアウトドアの野外研修施設になっている。
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木造校舎は素敵ですね。このまま修理してずーっと残してもらいたいな。
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うっそうとした森が広がる神社の境内には能舞台があったが、今はここで踊る人は
いるのだろうか?トトロの森のようなファンタジックな場所じゃない。逆に横溝正史
ドロドロした世界に登場するような不気味な雰囲気を漂わせている。まるで「八つ墓村」
の重ーい空気・・・。
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旧江戸街道というのが正式な名前なんですね。日本海の富山で獲れた鰤(ぶり)を長持ちする
ために塩漬けにして、高山を経由して野麦峠を越えて信州へ運んだのですね。ブリはやはり西
日本ですね。東日本では鮭(サケ)なんですよ。西の鰤、東の鮭
信州では善光寺がありますね。飛騨やさらに西の人たちは、この峠を越えて参詣していたので
すね。信仰の道でもあったのか、と思わずうなってしまった。北海道には、こんな歴史のある街道
はないので感心するばかり。
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天気も良くなってきた。太陽が出てくると暖かくなり、道路が凍結する心配は無用だ。
スタートした時は、峠の頂上は凍結して通行止になっているかな?と心配していたけど、もう
大丈夫。安心しました。もちろん夏タイヤで来ていますからからね。11月だとスタッドレスに
履き替えるけど、10月の本州へ旅するのに必要ない、と思い夏タイヤのままで来ています。
ここで、降雪や凍結で事故は起こしたくないものね。
ところで、北海道では、冬タイヤ以外にワイパーまで冬仕様に取り換えることを知っていまし
たか?4月南三陸町でボランティア活動した時に、大阪からやってきた人と話した時に、「冬
ワイパーって何ですか?」と質問されて、知らないのか?と。きっと販売してないのですね。
そういえば、九州の若者と話した時も、冬タイヤは売っていない、と云っていたことを思い出し
ました。
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そして、到着。「ああ、野麦峠」の碑ですね。ここについては、また明日詳しくお伝えします。
それでは、また明日     今日はクリスマス

まずは、メリークリスマスです。今日は12月24日(火)クリスマスイブ。
子供たちは今日が二学期の終業式で、明日からは冬休みに入るでしょう。大人
たちは昨日までの3連休が終わり、今日から今週いっぱい28日(金)までお勤め、
29日(土)から1月5日(日)まで9連休という方もいるでしょうね。
でも、私の子供たち(といっても3人とも成人していて、長男と三男は東京で働いて
いますが)は、サービス業に従事していて休みはなしか少なく、三男がやっと30日
の月曜日に帰り、1月2日にはもう上京しなければならない、という休暇4日間という
厳しい現実があります。
次男のプロレスラー・カツオは、昨夜というより今朝3時45分に帰宅しています。
昨日まで盛岡で3連戦があり、その夜青森へ、深夜のフェリーで函館に帰ってきたの
です。若者にとっては、今の時代は働く環境がキツイのです。地方では、景気は一向
に良くならない、どころか超高齢社会になって悪くなる一方ですね。

なんて、クリスマスイブなのに、最初から暗い話でごめんなさい。
旅の話に戻ります。
2013年10月16日、朝から台風の影響で暴風雨。連泊も考えたけど、20日までに長野
県南アルプスの山の中にある大鹿村へ行かねばならず、そのためには4日間も旅した
能登半島から南へ行くことにしました。テレビのニュースでも南の岐阜県は雨マークが
ついてなく曇り空のようだ。
10時過ぎに出発、七尾市を通過し富山県から東海北陸自動車道へ入りさらに南へ。
雨は激しくなる一方で、白川郷のパーキングエリアでは道路情報が流れていて、下道の
国道156号線は土砂崩れで通行止め、とのこと。高速を使用して良かった、と胸をなで
おろす。雨は止む気配はまったくない。それどころか、雨足は強まるばかり。途中で何度
も休憩をとり、午後2時には飛騨高山に到着、やっと雨は止み晴れ間も覗いてきた。
飛騨清見ICで降り、国道158号線を西へ、さらに高山市街地へ入り市営の有料駐車場へ
車を入れる。30分100円と、観光地にしても高い駐車料金だ。そこから歩いていくと。
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たくさんの観光客がいる。台湾からの人たちは、大きな声で中国語を話している。
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人口9.1万人の高山市は、2005年に周辺の9町村を編入合併して日本1の面積の地方
自治体となった。なんと、高山市の面積は香川県や大阪府よりも広く、東京都とほぼ同じ
で、府県よりも広い面積を持つ市町村は全国でここだけ、という広大な市なのです。
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その広い高山市の中で、狭いところに集中した観光地がある。それが、ここ重要伝統的
建造物群保存地区の古い街並みだ。
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ここは、江戸時代以来の城下町・商家町の姿が保全されており、その景観から「飛騨の
小京都」と呼ばれています。「〇〇の小京都」はあちこちにあるけど、、例えば秋田県の
仙北市角館は昔の武家屋敷が残っていて確かに京都っぽいけど、ここはさらに京都らし
い感じがする。まるで、清水寺近くの産寧坂(さんねいざか)または三年坂(さんねんさか)
を歩いているような気がする。
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そういえば、高山祭は有名ですね。高山祭屋台会館は、入場料820円で高かったでの
入らなかったが。
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上三之町、下二之町、大新町の高山市三町の古い街並みはたっぷりと歩いて見て来ました。
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ただ、気温はぐっと冷え込んでいて吐く息は白い。かなり寒い。だから、町中を歩く観光客も
暖かい格好で、中には真冬の服装で歩いている人も。
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気付いている、と思いますが、電線と電柱がありません。やはり、景観を保全するならば、
電柱・電線は邪魔ですね。あちこちの観光地で目に付くのは、上空を何本も走る電線です。
それと写真を撮る時に建物を邪魔している電柱です。地中に埋めることが出来ないのかな?
といつも思うのですが予算がつかないのか、せっかくの伝統的建造物群を妨害している感じ
がしないでもありません。ここ高山市のように地中に埋設してもらいたいですね。
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今度は高山祭の時期のやって来たいです。暖かいシーズンで祭りを見れたらいいな、と
思わせる町です。
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最後に、市内を東西に流れる宮川桜山八幡宮への参道の宮前橋にかかる大きな
鳥居をご覧下さい。
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この日は、高山市街地を過ぎて、旧朝日町道の駅で車中泊。ところが、朝方の気温は0度
を記録。かなり冷え込みました。この夜、乗鞍岳では初雪を観察しています。旧朝日町は、
高山市の郊外で木曽御嶽の麓、標高も高く、山中にある農村です。
台風一過で、北からの冷たい空気が入ってきたのでしょう。この日だって、手袋をはめて歩いた
のですから。10月と云えども、山の中は冷えますね。冷えるどころか、寒いのです。
空気が冷たい!広い駐車場にたった1台。夜空には、雲の隙間から明るい月も見えてきたけど、
やっぱり寒いのだ。今夜は真冬用の羽毛の寝袋を広げて暖かくして寝よう。
では、また明日 

今日は、昨日紹介した能登半島の軍艦島、正式な名は案内板のように見附島から始めます。
ご覧のように、石伝いに歩いて島まで行くことができますが、この日は雨がポツリ、ポツリと降
って来るし、大波ではないが少しは濡れる覚悟をしなくてはいけない距離なので、断念。
島までは100m以上はありそうだ。頑張れば、5分ほどで行って帰ってこれるかな?とも思うけど
・・・。
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そんなことを考えていたら、裸足でシューズを手に持って島から走って戻ってきた外国人が
いた。今思うと、カメラに撮れなくて残念なことをしたな、と後悔するけど、その時は思いつか
なかったのです。ビックリしたのと、レンズを向けることに少し抵抗感があったのかな?
でも、50歳くらいの白人系の体格は170cmほどの、それほど大きくはない頭が少し禿げ上が
った男性とは私の拙い英語ですが、何とか話すことが出来ました。
まず、彼の自転車
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タンデム(二人乗り用)で、2台あるけど、別な場所にもう1台、の計3台。赤いバックが付け
られている自転車はフロントとリアの両方に4個のバック。青い自転車はリアに2個とその
上にもバック。
男女3名ずつの中年カップルで、ニューヨークから来てもう6か月日本を旅している、と云い
ます。5名が公園のテーブルで食事をしている間に、彼が軍艦島まで濡れながら走って帰っ
て来た、そんな時に私と出会ったのです。すごいパワフル、エネルギッシュな人たちだ。毎日
キャンプしている、と云っていたけど
「今夜は台風が来て、嵐になりますよ」と私が言うと、「大丈夫!大丈夫!。No problem!
しかし、その日は午後2時を過ぎたころから雨風が激しくなり、夜はまさに超大型台風の襲来
でキャンプは危険だったはずだ。
実は、この出会いの1時間後に、私の車は彼らの自転車を追い越している。珠洲市から南下し、
能登町の県道35号線で、その前後から天気は急変し、横殴りの雨が降っていて、窓を開けて
Take care!
と叫んだ時、彼らは手を上げていたが・・・。その日、無事にどこかで雨宿りしていたことを祈らず
にはいられません。
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高さ28mの能登のシンボル、軍艦島一帯は「えんむすびーち」と呼ばれていて、カップルに
人気だそうだけど、この日はどこにもいない。あっ、いたか。アメリカ人の中年カップル3組。
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離れたところから写しましたが、パンフを見るとこの時間はどうやら満潮だったみたい。
パンフレットの写真では、潮は引いていて砂地も見えるし、波をかぶらずに島に到達
出来そうだ。まあ、仕方がないですね。
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弘法大師の空海が、ここにも来ているんですね。彼の活躍した舞台は、決して高野山や
四国だけではないのですね。全国を歩いて回って、祈っていたのです。すごい!!
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写真だけ見ると、曇り空だけど波は穏やかで、とても台風が来て暴風雨の警戒情報が出ている
なんて思いませんね。実際、この時までは穏やかでした。
恋路海岸といって、軍艦島を中心にきれいな砂浜の海水浴場なのです。駐車場もたくさんあって、
きっと7月、8月のシーズンは混み合うのでしょうね。
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廃線となった小木(おぎ)駅です。能登町の東、小木町にあります。
小木は九十九(つくも)湾に面した天然の良港で、漁業が盛んなところ。この日は、
今回の旅で、唯一車中泊を取りやめユースホステルに宿泊しました。ここ小木に
ある能登漁火ユースホステルで、1泊2食で5,500円。夜は実際、暴風雨だったの
で避難して良かった、と思います。
その小木の旧国鉄その後のJR西日本、さらに第3セクターの、のと鉄道の駅跡地
ですが、レールは撤去され駅のプラットフォームだけが取り残されている。近くを散歩
していたご婦人に聞いてみたけど、いつ頃廃止されたかは忘れてしまった、といいます。
かなり前なんだな。
調べて見たら、正式名「九十九湾小木駅」
開業は1963年(昭和38年)10月1日。廃止は2005年(平成17年)4月1日。意外と、最近
で8年前なんですね。でも、草茫々、荒れ果てています。この鉄道、珠洲市まで通っていた
のですね。でも、赤字が続き廃止、北海道の鉄道もそうです。赤字、赤字・・・。
なんか、悲しくなってきましたね。この日は台風26号の影響で、嵐の夜を迎えました。
死者・行方不明合わせて43名、伊豆大島では土石流で大きな被害をもたらした、あの台風
です。
たくさんの方がなくなり、お悔やみ申し上げます。
私みたいに自由な旅をしていて、ホントに申し訳ないですがあの時は、雨風が強く建物の中
に避難しましたが、それでも夜中はゴーゴーと風が強く、屋根を叩きつける雨で大変でした。
命あってこそ、健康に気を付け安全な旅を、この後も心掛けたいです。
それでは、また明日 

今日は、北半球では1年でもっとも太陽の出ている時間が短い日。つまり冬至ですね。
函館では、日の出が7:02。日の入りが16:10。昼の時間が9時間と8分しかないという
ことです。逆にいうと、夜の時間が15時間もあるわけです。6月の夏至の時は、その逆
で昼の時間は15時間もあって、だから旅をするには6月が最高!。しかし、本州では
梅雨の季節で毎日のように雨、雨、雨。そう考えると、6月は北海道を旅するには最適
かな?梅雨はないし、花々が一斉に咲きほころび、1年で一番美しい季節になりますか
らね。
そんな、今朝は上天気。もったいないから、どこか散策して来ます。
さて、秋の旅の続編、34回目は禄剛崎の先、前回のランプのお宿があった珠洲岬のさら
に先の須須(すず)神社からお伝えします。
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ここ須須神社は、「古事記」や「日本書紀」に記されている第10代目の天皇、崇神(すじん)天皇
の時代に創建されたとされる由緒ある神社ですが、崇神天皇とは?そこで日本史を調べると、な
んと紀元前97年から紀元前68年まで在位した10代目の天皇で、生まれは紀元前148年というから
今から2161年も前に生まれています。そんな時代が分かるのでしょうか?
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そのころに日本は、と呼ばれ百余りの国に分かれていたことは「漢書」地理誌にも
出てきます。やっと紀元後の57年に、今の福岡市にあたる奴の国王が後漢に朝貢し、
後漢初代皇帝の光武帝から「漢委奴国王」の金印を授けられたことは知られています
ね。金印は、確か福岡市立博物館に展示されているはずです。そんな、時代のころに
建てられたなんて。倭は日本のことですが、金印には委と彫られています。にんべんが
ない、のです。
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11世紀後半には、源義経弁慶とともに航海の安全祈願に立ち寄った、といいます。
彼の「蝉折りの笛」や弁慶の守り刀など秘宝が、神社の宝物館にある、というから驚き
です。すごい神社なんですね。知らなかったです。宝物館は予約制なので入れませんで
したが、写真を見る限りではその時代を感じさせるものでした。生で見てみたい!と思う
ほど。
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この神社は、日本海側一帯の守護神とされていて、義経も海難に遭ったが救われて、その
お礼として笛を奉納した、といいます。
境内にあった木の実。何でしょうか?黄色いピンポン玉の大きさの実がたくさん生っていま
した。もしかして、クルミ?かな。
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その後、雨が今にも降りそうな空模様だけど珠洲市街地を素通りして、見附(みつけ)島へ。
別名軍艦島。軍艦島というと、長崎県の人工の島、石炭を掘るために埋め立てられて造られ
端島が有名ですよね。今は廃墟になって、逆に廃墟ツアーで人気とか。長崎の軍艦島は人
工の島なのに対して、ここ能登半島珠洲市の軍艦島は自然の島。軍艦の形に似ているでしょう。
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珠洲市見付海岸に浮かぶ見附島。海岸の名前は見付。島の名前は見附。こざとへん、
がつく。この島、能登半島に広く分布する珪藻土(けいそうど)で出来た島です。珪藻土
とは、、藻(も)類の一種である珪藻の殻が化石となって堆積したもので、輪島塗の下地
にも使われている、といいます。珪藻とは、淡水または海水に生じる極細かい植物のこと
です。その細胞は珪酸質の2枚の殻に包まれていて、その殻が水底に積もり積もって出来
た土の塊(かたまり)となったのがこの島です。珪藻土そのものは、磨き粉や耐火材として
も使用されているそうです。
そんな珪藻土で出来た島は、白い土肌がむき出しで、島のてっぺんには草木がこんもりと
生い茂っているのは何とも不思議ですね。これは、珪藻土は保水性に優れていて雨水を蓄
えて植物が育つ、と考えられているからです。

というわけで、今日は歴史のある須須神社、今まで旅してきた中でもっとも古い歴史の登場
かも知れません、と軍艦島を見学しました。明日は軍艦島の続き。ここであるアメリカ人と出
会ったのです。
では、また明日 

今日は、この曲をバックに聴いてお読みいただければうれしいです。




昨夜、久しぶりの雪のない函館クリスマスファンタジーへ、嫁さんと一緒に行って来ました。気温0度、この時期にしてはそれほど寒くは感じない。それでも、遠方から来ている観光客には寒いのかな?吐く息は白いからね。
空は雲もなく、晴れ渡っているが残念ながら星空は見えない。やはり、市街地の灯りが邪魔して星が見えないのだろう。函館山の山頂展望台の照明は、はっきりと見えているので夜景はきれいに見ることが出来る。今夜の函館山山頂のお客さんは、100万ドルの夜景が見えて感動していることだろう。
 スマホで夜写したものなので、あまり良く写っていません。勘弁して下さいね。

さて、クリスマスツリーの点灯式は午後6時なので、それに合わせて家を出ました。15分ほどで西部地区の、とある公的駐車場へ車を置き、歩いて5分ツリーが設置されている港へ向かいました。

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見える。見える。遠くからでも、20メートルはあるツリーの灯りが見える。近づいて見よう。

観光客でいっぱいだ。道路は車通行禁止にし、歩行者天国にしている。普段は自動車も通行している道は、道路いっぱいに人であふれている。何十万個いや何百万個のLEDで装飾されたツリーは、明るく微笑み、暖かく人を包み込んでいる。

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点灯式では、司会者がカウントダウンをして始める。それまで、真っ暗だったツリーが、下の方から3段に別れて明るくなる。と同時に、数は少ないけれど花火も打ち上げられた。ホントは花火も入れたかったけど、シャッターチャンスを逃して失敗、残念ですけどツリーの上空の花火は、想像して下さい。まだまだ写真撮影は下手ですね。瞬間を写さなくてはね。
それでも、人をかき分けて一番前まで行って写しました。とってもきれい!きれい!

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子供たちも来ているし、明日からの3連休で遠方からの観光客も多いのだろう。運河にかかる橋の上には隙間がないほど人でいっぱいだ。やはり、少しでも高いところから見たいのかな?
子供たちが喜ぶユルキャラがいた。サンタにトナカイ。

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見とれていたら、知っている顔が。いつもコメントしてくれるtunoくんだ。彼は、私が今年3月まで勤めていた高校の3年生。彼が2年生の時に世界史の授業を受け持っていたし、何よりも唯一人のラグビー部員として筋トレをいつも一緒に行っていたのだ。私はラグビー部の監督ではないけど、水泳部の顧問として部員2名と筋トレしていたその時に、ラグビー部の監督から時々「鍛えてあげて下さい」と云われて、いつもトレーニングしていたのが彼でした。体は硬く、ストレッチで根を上げていたが、少しずつ筋力はついてきたように、思います・・・が?
それでも、一人じゃチームは作れないが、函館市内の数校で合同チームを結成して、全道大会にも出場したし、最終学年の今年、学校祭実行委員会委員長として頑張りました。卒業後は、横浜の大学に進学決定したのでしっかりと4年間勉強してもらいたいですね。もともと、神奈川県横須賀市からわざわざ函館の高校へ来ていただけに、ふるさとへ戻るわけですが函館で過ごした3年間は忘れないで欲しいですね。彼は社会福祉部の部員として、サンタの格好で観光客に接していました。拍手!!

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前回紹介した金森倉庫群へ歩いて見ました。ここもライトアップされていて、とてもきれい!
倉庫の中は、お土産物屋さんや飲食店があって人であふれていました。最近はスイーツが人気で、美味しそうに見えるケーキが・・・。でもこの後、ラッキーピエロというお店(7月函館で野外ライブを行ったGLAYが大好きなレストラン)で、毎週金曜日はテイクアウト3割引のピザを買って食べる予定なのでガマン、ガマン。それでなくても、このクリスマスファンタジーの会場では、北海道名物のスープカレーなどを販売するスープバーがあって、温かく美味しそうな匂いが立ち込めており、食欲をマックスまでにそそります。

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戻って、写したトナカイとそり。

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最後に、今年16回目となった函館クリスマスファンタジーのポスター。

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というわけで、昨夜の函館クリスマスファンタジーのライトアップされた、姉妹都市のカナダ、ノバシコシア州のハリファックス市から送られたツリーを紹介しました。
それでは、また明日!!

やっぱり買って来て食べた、スナッフルズ(チーズオムレットが有名です)のケーキです。美味しい

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冬の良く晴れた日、我が家から歩いて5分のJRA日本中央競馬会、函館競馬場へ行ってみました。

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22日(日)今年最後のレースである有馬記念があります。今日の新聞では枠順が発表されましたね。一昨年の三冠馬でこのレース限りで引退するオルフェーヴルは、私の誕生月である6月の6番に入りました。オルフェーヴルは、GⅠ5勝、現役最終戦、さあ、どう結果が出るか?それは12月22日午後4時前に分かりますが、楽しみですね。レースは千葉県船橋市の中山競馬場で行われますが、函館でも盛り上げるために、この方たちがやってきます。

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雨上がり決死隊 蛍原ガリットチュウが、有馬記念をガチで予想するトークステージもあります。
蛍原 徹さんは大の競馬ファンらしくお笑いとガチ予想は楽しみですね。

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津軽海峡と函館山が一望できる恵まれた環境の函館競馬場は、2010年6月にリニューアルされました。収容人数3万人、地上5階建ては高さ27メートルあります。厩舎は52棟あり、収容可能頭数は722頭。
今こそ厳重な警戒が敷いてあり、厩に出入りは出来ませんが、昔それこそ私が小学校5年生の頃の話ですから、半世紀前のことです。我が家の目の前が競馬場の塀、でもそれは板張りの隙間だらけの安普請の造り。どこからでも入ることが出来ました。放課後、友人と塀の壊れた穴から入り、広大な敷地に驚くと共に、種付けの現場をこっそり覗いて、子供心に強烈な印象を与えたことを覚えています。
そんな思い出のある競馬場。

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いつも行っていたわけではないが、時々はここでエンジョイしていた。喜んだり、悔しがったり、どっちかといったら泣いていた方が多いかな?

ここがパドック。

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パドックの様子が地面と同じ高さで見れる「ダックアウト・パドック」もある。
外の芝コースは1周1626.6m。その内側のダートコースは1周1475.8m。さらにその内側には日本で唯一のウッドチップコースが1300m用意されています。弾力性に富んでいるため脚部への負担が小さく、クッション性に優れているためです。
函館は日本中央競馬会の競馬場の中でもっとも長い歴史のあるところでもあります。1875年(明治8年)に現在の護国神社(かつての招魂社)で競馬が行われてからですから、もう既に140年近く経っています。夏になると、涼しい北海道で走ろうと、暑い本州から競馬馬だけでなくたくさんの関係者、騎手、調教師たちや役員が期間中滞在します。それだけではなく東京・大阪など本州の競馬ファンが避暑を兼ねて、開催される土日飛行機でやって来て湯川の温泉街のホテルに泊まり、日中競馬場レースを見物し馬券を買いに来るのです。温泉街からも歩いて10分ほどですから、気軽に来れますよね。まして、ホテル・旅館が立ち並ぶ温泉街は、函館空港からは車で5分ほど。競馬場の観客席からは離着陸する飛行機を間近に見ることができます。競馬場としては、日本で唯一の太平洋と日本海の両方の海も見ることが出来るのですよ。

そんな函館競馬場の一角には、100周年の記念碑も。

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そして、湯川温泉から引いた馬の温泉もあります。ただし、人間は入れませんよ。馬専用の温泉療法の風呂で、温泉シャワーと超音波発生装置付きの浴槽が2つあるのです。競走馬の運動疾患の治療に有効だそうです。

というわけで、今日は二日後に控えた今年最後のレースの有馬記念、函館では走りませんが、馬券売り場は賑やかになりそうな函館競馬場を紹介しました。これも旅のひとつ、いろいろな楽しみ方があっても良いですよね。

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最後に、開催されない日、受付の方よりいただいたパンフレットを。

それでは、また明日 ♪♪♪


 2013年も、残すところ今日を含めてもあと13日。時間が経つのは早いものです。
来年は2014年、どんな旅が出来るのか?悔いが残らないような旅をしたい!と。
といっても、家族がいると何か月も家を空けるわけにはいかず、そこがネック。
まぁ、完全自由気まま、とはいかないが、時間を気にせずに好きなところに、好き
なように旅できれば心は最高、なんだけど・・・。
 さて、10月の旅、今日で34回目。
能登半島最北東端の禄剛崎を訪れました。その道の途中で見つけた柿の実。
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北海道にはない、(と思います)柿。もちろん売られているので、秋には食していますが。
柿には、それこそ渋い思い出があります。学生時代、旅先で知り合った大阪の友人の
下宿に泊まり、彼と奈良・飛鳥の里を散策していた時です。今から41年も前の話。畑の
畦道を散歩していたら、目の前にたわわに実った柿の木がありました。この写真のように。
歩き疲れていたので、とても美味しそうに見えました。周囲を見て誰もいないことを確かめ、
1個もぎり、ガブッとかじりつきました。
瞬間、ウワッと吐き出してしまった。美味しそうに見えた柿はなんと、渋柿でした。しばらく
口の中はヒリヒリ、あいにくボトルなんてものは持っていなく水がない。その日長い間、口
の中は具合悪く、気持ちはサイテー。腹が減っても食欲が湧きませんでした。
柿には、そんな思い出があります。

 坂を降りて車に戻る途中で、畑仕事をしていたおばあちゃんに出会いました。
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「何を採っているんですか?」
「これは小豆(しょうず)。あずきだよ。」 とうに80歳を越えた年齢だけど、自分の畑に出て
出来るだけ栽培、生産するのが好き、野菜などはほとんど自給自足に近い、と話してくれま
した。
「写真撮ってもいいですか?」と聞いたら、
笑顔で、Vサインまで出してくれました。うれしいですね。旅していて、出来るだけ地元の人と
会話を心掛けていますが、今までカメラを向けてシャッターを押す勇気が出てきませんでした。
気を使うのか?それとも顔を写すのに抵抗感があったのか?でも許してもらえるならば、出来
るだけ人物を撮りたいな、とこの時思いました。旅先で出会った人の笑顔、笑顔だけでなく悲し
い顔もあるかもしれない、怒った顔(写してくれないなぁ)、いろいろな表情を撮れればな、と。
でも、やっぱりこの後も人の表情が写った写真はほとんどなし。このことは次の旅の課題です
ね。
よし、2014年の旅は、旅先で出会った人をたくさん写すこと!に決めました。
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おばあさんとは10分くらい話したかな?「どこから来たの?」北海道の函館です、というと
おばあさんは驚いていました。「遠いところからきたねえ」・・・など、たわいもない会話を。

道の駅「狼煙」です。
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なぜ、オオカミの煙なのだろう。他の動物ではだめなんだろうか?
そこで、いろいろ調べて見ました。漢和辞典を見たら、「狼煙(ろうえん) のろし。オオカミの
糞を焚いた煙は空にまっすぐに昇った、という。」 へぇー、知らなかったですね。
他に狼に関してのことば、いくつかありました。
狼狽(ろうばい) うろたえる。あわてる。狽(ばい)というのは、獣の名でおおかみの一種、前
足が長く、後ろ足が短いという。そこから、狽は常にオオカミと足を組んで歩くというが、離れる
と倒れるので、あわてる意味に用いた。」とのことです。
さらに、「狼藉(ろうぜき) ひどく散らかっている様子。オオカミは痕跡を隠すために寝ていた草
を乱していくことからいう。」
勉強になりますね。ということで、狼煙は、オオカミの糞がまっすぐ空に昇ったから、なんですね。
オオカミは昔、山にたくさん生息していましたが、群れをなしていたために人に捕えられやすく、
本州では、江戸時代には絶滅。北海道でも明治時代に完全に絶滅してしまいました。
でも、オオカミに関する言葉としてはたくさん残されていて、少しはホットしました。

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珠洲岬にある「ランプのお宿」。一泊2万円以上するそうです。ランプといっても電気は使って
いますよ。だって、冷蔵庫や灯り、パソコン、掃除機など使用しますものね。青森県にもランプ
の旅館があるけど、ネット受付しているんですよ。おかしいですよね。ここだって、そうです。
岬にいた地元の方との会話からです。そして驚いたのが、これ。
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岬の空中展望台。入ろうかな?と思って行ったら、入り口にゲートが。自動販売機で500円
支払ってから入場、とのこと。
止めました。こんなことで500円はもったいない。

ということで、今日は、禄剛崎の岬で出会ったおばあちゃんのお話でした。首都圏は寒そうで
すね。雪が降っているとのこと、慣れないでしょうから歩くときは気を付けて下さい。函館は冷
たい雨が降っています。昨日おとといは晴れて日中はプラス6度まで上昇し、先日降って積も
った雪はほとんど融けてしまった。12月25日の函館クリスマス・ファンタジーの最終日、ホワイト・
クリスマスになるかな?少し心配です。
では、また明日 


今日は、12月18日(水)。左の日本一周の囲みは、私への応援クリックです。
ホントは最後に持ってきたかったのですが、やり方が分からず一番上にあります。ドラッグ
しようにも、動かず。それで、こんな形になったことお詫びします。応援クリックですので、1日
一度押していただければうれしいです。継続するための励みにもなりますので、よろしくご
協力お願いします。普段は右側にありますが、スマホには出てこないので、今日最初に出し
ました。

 さて、「秋の旅 総集編」となっているこのブログですが、10月に旅しデジカメに記録したこと
を、家に帰った今、もう一度振り返り詳しくお伝えしている次第で、今日で33回目。このあとも
続く予定です。今回の旅のメインは長野県大鹿村。あと10回以上後に登場予定です。多分、
1月に入るのでは?と思います。

 能登半島の北東の突端は、禄剛崎(ろっこうさき)。最果ての地です。小学生のころから地図帳
を見ては、一体どんなところなんだろう?と想像を働かせていました。学生時代の東京での4年間、
サイクル・ツーリング・クラブで日本あちこちを旅したけれどここは行けず仕舞い。いつかは訪れた
い、と願いつつも、ついに定年退職の日まで行けず。それで、ついに今回やっと念願かなって訪問
することが出来ました。メデタシ、メデタシ。うれしいなぁ。

海岸線はとてもきれい。晴れていれば、もっときれいなんだろうけど。
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ここは、輪島市の隣町、珠洲(すず)市、徳保の千本椿と呼ばれる椿展望台。春だと、
赤い椿の花が咲いて綺麗なんだろうな。
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これは、椿ではないですね。何の花だろう?10月半ばに咲く花?何?椿だと葉が違い
ますね。我が家の庭にも椿があるんですが、椿の葉はもっと大きく広いです。
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快晴だと、遠く舳倉島や佐渡まで見える、といいます。
そして、ついに辿り着いた禄剛崎灯台
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道の駅「狼煙(のろし)」に車を止めて遊歩道を歩くこと15分くらいか?坂を登って到着。
のろし、を漢字で書くと狼煙、オオカミのけむり。烽火とも書きますが、意味は「昔、戦争
の合図や事件が起こった知らせとして、火をたいて上げた煙」。
きっと、能登半島突端から、海を隔てた富山県まで見える位置に狼煙を上げたのでしょ
うね。「船が通過した」とか「船が座礁した」、「怪しげな船が通過した」とか・・・。
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ここは、灯台マニアの人たちには欠かさない100本の一つである灯台です。15年ほど前、
北海道室蘭市の地球岬で会った日本中の灯台を探し歩いているライダーがいて、ここの
名前を挙げていました。私も灯台マニアではないけど、行って見たい場所です、と話したら
彼も「そうでしょう」と笑顔で答えてくれたことを、鮮明に覚えています。彼は自衛隊を55歳
で定年退職し、まず、7月・8月の夏は北海道の灯台全部行くんだ!と力強く宣言していま
した。
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日本の灯台50選の一つ、通称「狼煙の灯台」。韓国プサンまで783km、ロシア、ウラジオ
ストックまで722kmの看板もある。
日本1の島博士である本木修次さんの本、「島と岬の灯台めぐり 日本一周 ノサップから
波照間まで」でもここ禄剛崎は絶賛されています。
「車を置いて細い道、花咲く道をノロノロと登る、昔は黒煙が上り、今は汗が流れ落ちる。
緑美しい芝生と花園、青く広い日本海。この大きい半島の最先端の”白い紳士”禄剛崎
灯台は泰然としてそびえている。見上げて息をのむ。彼は明治16年(1883年)生まれ。」
と。
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日本列島ここが中心、の碑も。確かにここにコンパスの中心をおいて円を描くと、列島が
すっぽりと収まる。
今回の旅の灯台、大間崎灯台(青森県)、尻屋崎灯台(青森県)、魹ケ崎灯台(岩手県)
などを見てきましたが、ここも素敵な場所の一つ。旅して良かった!と思わせるところです。
それでは、また明日 

 昨日は、平家の落人部落の話をしましたが、大事な村を一つ忘れていました。
私の旅で何度も登場している、福島県桧枝岐村です。奥会津のさらに奥、福島県
最南端の村です。かつてはどん詰まりの村、今でこそ峠越えの国道が開通したが、
なにせ隣県の群馬県とは、自動車が通過できる道路が一つもない県境なのだから。
歩ける道は、国立公園の尾瀬ケ原の木道を歩いて群馬県へ、という道だけ。
そんな桧枝岐村は、ことばが京ことばであること。会津の文化とは違う、ことなど明ら
かに、平家の落人部落ではないか?と思わせる地域です。
 昨夜のニュースで、たまたま桧枝岐村のことが出ていたので思い出した次第です。
ニュースとは、この冬の降雪量がもう110cmに達したと、とのこと。1mを越していると
は、さすがに山間部の豪雪地帯だと思うけど、実際生活している人々は大変なはず
です。高齢者が多い地区だけに、除雪の問題、医療のことなど、都市である会津若松
から、救急車が到着するまで何時間かかるのだろうか?ドクターヘリはあるのかな?
と。

 さて、昨日の、下時国家と上時国家の時代がかった屋敷の間は、距離にして500mく
らいか?歩いても10分もかからないほどですが、その間にお寺がありました。
歩いていたら、池があって、工事中のお寺です。
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しかし、平家と源氏の対立、今でもありますよね。平家のシンボル・カラーの、源氏の
21世紀の現代でも、NHK大晦日の紅白歌合戦、小学校の運動会の「赤勝て、白勝て」、ス
ポーツの紅白戦など・・・。
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その名が、高田寺
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両時国家の中間に位置しているため、両家の守り仏を本尊としている、とのこと。
ひっそりと、佇むお寺と庭園、見学したかったけど朝早い時間だったので遠慮しました。

歩いていて見つけた地蔵さん。
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いつの時代に出来たのだろうか?誰が造ったのか?一体だけ見つけたけど、他にも
あるのかな?探しだせなかったけど、何体か、あるのでしょう、時代を感じさせますね。
そして、ここら辺は信仰の道でもある。巡礼路があります。
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三十三観音の32番札所の岩倉寺があるのです。巡礼路、といったら真っ先に四国お
遍路
を思いつきますね。四国八十八ケ所巡りは今、ブームにもなっていて年間30万人
、歩き遍路だけでも数千人以上いるそうです。私も、勤めている間、3回に分けて36番札
所の青龍寺(高知県土佐市)まで巡り、その後37番札所の岩本寺(四万十町)手前の、
中土佐町のJR土讃線土佐久礼駅歩いていて、そこでストップし途中で中断している状態
です。なんとか最後まで歩き通したいのですが、来年、再来年以降の課題ですね。

その岩倉寺へ行って見ました。
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なんと651年の開基。今から1400年近くも昔のこと。651年といったら、その6年前の645年
大化の改新がありました。その年の6月、中大兄皇子中臣鎌足とともに、蘇我入鹿
暗殺するクーデター事件が発生、都を難波に移し、翌年改新の詔を発表し、政治改革を行っ
ています。そんな時代に、ここ奥能登で山の上にお寺が開かれたのですね。スゴイ!としか
ことばが浮かばない。
 その岩倉寺、この入り口からさらに歩いて山を登らねばならず、時間がないので断念しまし
た。今思えば、登っていれば良かったな、と後悔するばかりです。どこでもそうだけど、スルー
してしまうと、あとから「あの時、ゆっくり見学しておけば良かった」と悔やむことがありますね。
ここも、そのひとつです。
失敗、失敗。次の旅からは、じっくり、ゆっくり旅したいな!と反省します。

では、また明日

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