函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めた車中泊中心の「ぼうけんの旅」は今年で13 年目に突入。 車中泊の貧乏旅行の旅、今年で74歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 今年2026年も「ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです! 今年も「ぼうけんの旅」をよろしくお願いいたします。

2026年が明け今年は74歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!時々は自転車を積んでの軽バン一人旅の始まりです。

2014年02月

  1853年4月、琉球の那覇に寄港したアメリカ東インド艦隊司令長官ペリーは、そこを
根拠地として軍艦4隻を率いて浦賀沖に現れ、第13代フィルモア大統領の国書を提出
して日本の開国を求めました。なお、この大統領の任期は1850年7月から1853年3月
までですが辞める前にペリーを日本に派遣しています。
幕府は対策のないままペリーの強い態度に押され国書を正式に受け取り、回答を翌年
に約束します。ペリーはひとまず日本を去りました。
 翌1854年1月、今度は7隻の艦隊を率いて再び来航、条約の締結を強硬に迫ります。
3月、幕府はその威力に屈して日米和親条約を結びました。その中の一つに、下田・箱館
の2港を開き、領事の存在を認めること、があります。
 幕府は、アメリカについでイギリス、ロシア、オランダとも類似の内容の条約を締結し、
200年以上に渡った鎖国政策から完全に転換したのでした。
国際貿易港となった箱館でイギリスは、1859年領事館を開きます。以来75年間、1934年
までユニオンジャックの旗を掲げ続け、異国情緒あふれる港町函館を彩ってきたのです。
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旧イギリス領事館は、基坂の南側、函館山に向かって左手にあります。
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木々に囲まれた中に、建物の一部が垣間見れます。基坂の案内図に近づくと。
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このように、代表的な坂が表示されています。日本一美しい坂八幡坂、ハリストス正教会
の坂のチャチャ登り、カトリック元町教会の大三坂が出てますね。
領事館の庭園の中に入って見ましょう。

 数回の大火により、現在の建物は1913年(大正2年)、イギリス政府工務省上海工事局の
設計で着工し、1934年(昭和9年)閉鎖されるまで使用されてきました。
 
中に、こんなツリーがありました。
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こんなうれしいメッセージが書かれた短冊が。
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函館を訪れた観光客が書いたのでしょう。クリスマス・イブの12月24日ですよ。

そして、最後にブログを見ている皆様が、幸せになることを祈り、この1枚。
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1979年(昭和54年)函館市の有形文化財に指定され、1992年(平成4年)市制施行70周年
を記念して復元、この年から開港記念館として一般公開してきたイギリス領事館。
2009年(平成21年)には、開港150周年を迎えています。そんな旧イギリス領事館を明日も
引き続き紹介します。

それでは、また明日 

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 公会堂の下にあるのが、元町公園。ここは、函館山から市街地への坂道の一つである
基坂(もといさか)の一番上に位置しています。この上に公会堂があるのは、この写真の
通り。
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函館山を構成する山の一つである観音山がバックに見える。最高峰の御殿山は隠れて
いて見えないが、ロープウエイのロープが辛うじて見える。公会堂の萌木色の壁と黄色
の窓枠や柱の、色のコントラストが逆光ではあるが、きれいに雪景色に映えている。
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ここは、もともと公園ではなく(もっとも公園という概念は江戸時代にはなく、明治以後に
ヨーロッパの都市景観の一つとして導入されている)、江戸時代やそれ以前には、建物
があったのです。
一番最初に記録されているのは、宇須岸館(うすけしかん)。箱館の語源となった、箱型
の館(やかた)があったところで、室町時代以前、というから14世紀ころか?道南十二館
道南にあった12の館(城まではいかないが、拠点または豪族の館)の一つであった場所
で、箱館あるいは河野館とも呼ばれていた。
江戸時代には、箱館八幡宮が鎮座し、松前藩亀田番所も置かれていた。
そして、江戸時代末期の開国時、奉行所が設置された。
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奉行所は、開国に伴い外国人がやって来て様々なトラブルを起こすことを懸念した幕府は、
それを解決するための役所として設けた役人が詰めるところ。つまり、外務省、警察、裁判
所、税関などを兼ねた幕府直々の役所である。
ところが、ここは箱館湾からわずかに数百メートルしかなく軍艦から艦砲射撃されたら、一発
でやられてしまう距離にある。そのため、大砲の弾が届かない内陸の亀田地区に奉行所を
設けようとして、新しく設置されたのが五稜郭。四国は伊予の国の大洲藩の武田斐三郎
幕府の役人として赴任し、日本で初めての西洋型の城を築いた。後に、そこへ奉行所を移転
させている。

公園内には、旧北海道庁函館支庁庁舎であった建物が残っていて現在は函館写真歴史館
になっている。
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 カメラマニアには垂涎のところだろう。初期の頃の年代物の貴重なカメラが多数展示され
ているし、日本で初めて写された写真など幕末、明治初期の人物や函館市街地などの写真
が展示されている。1909年(明治42年)に建築されていて、北海道指定有形文化財および
函館市伝統的建造物に指定されている。

隣には、旧開拓使函館支庁書籍庫の建造物が保存されている。1880年(明治13年)に築造
されていて、ここも北海道指定有形文化財に指定されている。
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さらに、公園内には函館四天王像がある。
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明治初期の函館の発展に尽力した人物です。
今井 市右衛門(1836年~1887年)
平田 文右衛門(1849年~1901年)
渡邊 熊四郎 (1840年~1907年)
平塚 時蔵(1826年~1922年)
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ここに書かれているように、明治時代の函館は、自由都市であり、第二次世界大戦の
終戦前まで常に人口は全国10位前後であったこと。東京以北では最大の町であり、
一番賑やかだった都市だったのです。
前にも紹介しましたが、遊郭においても「吉原以北最大」と呼ばれた大きな規模の遊郭
があったのです。「大門」で紹介しています。

というわけで、今日は元町公園からお伝えしました。函館湾を望みます。正面の建物は
海上自衛隊。
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明日は、この基坂を下りたところにある旧英国領事館を詳しくお知らせします。
それでは、また明日 

  昨日、日本一美しい坂道のことを紹介しましたが以前に函館市は陸繋島である、こと
を説明しています。つまり、砂州によって島と対岸の陸地が繋がったわけですが、新しく
形成された陸地は砂地ですので平坦なはずです。10日ほど前に取り上げた八郎潟が
そうですね。
 だから、実際函館市の大半は平坦な平野部です。坂道は、西に位置する函館山から
東側の平野部に向かって出来ています。美しい、と云われるのは海に向かって坂道
続いているからでしょう。
海があるから、夜景もきれい。坂もきれい。
函館の場合、北側は函館湾。湾内に入港する貨物船、フェリー、客船、観光船、ヨットなど
が湾内に見えます。一方、南側は津軽海峡に面した砂浜海岸が続きます。
石川啄木も詠んでいます。「潮かおる 北の浜辺の砂浜に かのハマナスや 今年も咲け
るや
」と。
夜、その砂浜の沖合にはイカ釣りの舟が煌々と明かりをつけて漁をしています。そんな、
海が美しく映え、夜景も坂道も美しいのでしょう。
大きいものだけでも20本以上もの坂が市街地に向かって降りていて、その1本1本が独自
の景観を持っています。昨日の八幡坂だけではなく、それ以外の坂も美しく趣があります。
他の坂道は、そのうち紹介することにします。

 さて、聖ヨハネ教会、ハリストス正教会、遺愛幼稚園、函館西高校と並んでいる道をさらに
進みます。その通りには、昔ながらの伝統的建築物が。
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本州の場合、城下町なら武家屋敷が、宿場町なら旅籠が並んでいますが、歴史の浅い
函館ではさすがにありません。なにせ、開国の1855年以前はさびしい漁業を生業とする
寒村だったのですから。
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だから、函館では明治以後の洋風建築が見られるのが特徴です。
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時には、このような和風の建築物も。

これらには、このように函館市教育委員会が指定した伝統的建築物の印があります。
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この通りを、さらに北へ向かって歩くと。
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函館市公会堂へ出ます。
今から104年前の1910年(明治43年)に完成しています。国の重要文化財に指定されて
いる、明治時代末期に建設されたコロニアル・スタイルの西洋館です。まさに鹿鳴館時代
の日本は、脱亜入欧のヨーロッパ風の、しかもアジア・アフリカの植民地(コロニー)様式の
、支配者として権力を象徴するかのような豪華な建築物を建てました。
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北海道では、札幌の豊平館と並んで明治期の洋風建築として知られています。
左右対称のポーチ、回廊で結ぶ中央にベランダ、コリント式の円柱を持ち、延べ床面積は
534坪ある広々しています。
完成した翌年の1911年(明治44年)、大正天皇が皇太子時代に来函、宿舎にもなっていま
す。1922年(大正11年)、昭和天皇が摂政宮の時にも休憩している、由緒ある建築物です。

ここから、函館湾を見ましょう。まず、北側。
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続いて中央。遠くに五稜郭タワーがチラッと見えますね。
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そして、市街地を。
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というわけで、今日は伝統的建築物が並ぶ通りと公会堂を紹介しました。明日は、この下に
ある元町公園からお伝えします。
それでは、また明日 


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  一昨日、昨日と首都圏を始め本州では数十年ぶりの大雪に見舞われ、大変な目に
遭っていますね。飛行機が飛ばない、雪によるスリップの交通事故、滑って転んで怪我
したなど、雪に慣れていない地方ではパニックになっていました。北国、雪国では何でも
ない日常のことが、東京など普段雪の降らない地域では、対応が困難な状況となって
苦労しています。職場や家庭には雪かき1本すらない、タイヤも夏タイヤのまま、などは
普段使用することもないからでしょうね。雪かきなどは数年に1回もしないか、そんな使わ
ない物は邪魔になるばかりだし、年に何日かしか使用しないスタッドレス・タイヤを装着す
る必要もないからでしょう。

 冬は雪が降り、積もるもの。寒くて、冷えると凍るもの。そんなことは当たり前の北国の
人間にとっては、逆に驚きでもありました。備えがないとパニックになる、のですね。
北海道では、スパイク付きのタイヤを履いた真っ赤な原付で郵便配達の方が、体を真っ白
にして配達しています。それが、3月末まで続きますし、もっと北の地域では4月、いや5月
のG・Wまで続くこともあるのです。
 そんなことを感じた、この二日間でした。といっても、大雪はイヤですし、寒さは体に応え
ます。早く春がやってきて欲しいですね。

 さて、ハリストス正教会の隣の幼稚園は、遺愛幼稚園。プロテスタントの学校です。
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この幼稚園、1895年(明治28年)に遺愛女子学院の付属幼稚園として創立されました。
遺愛女子学院、現在の遺愛学院は1874年(明治7年)にアメリカ人宣教師M・C・ハリス
夫妻が、元町に「日日学校」を開いたことから始まります。1882年(明治15年)に明治政府
の文部省の許可が出て、北海道のみならず東北以北最初の女子校となったのです。
当時の名は「カロライン・メモリアル・スクール」。新教・メソジスト派の教会が資金を出し、
女子教育の必要から創立したのでした。
現在、遺愛女子高校は、五稜郭の近くの杉並町に校舎がありますが、ここは遺愛学院
発祥の地です。何度も大火により焼失したが、この園舎は1913年(大正2年)建築された
もので、昨年で100年を迎えたのですね。
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創立者のハリス氏は、札幌農学校(後の北海道大学農学部)のクラーク博士から依頼を
受け、新渡戸稲造内村鑑三らに洗礼を授けています。
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赤い屋根、ピンク色の壁、縦長の上下に開閉する窓など洋風の建物は、函館の町に
ぴったりと溶け込んでいますね。素敵な建物です。
そして、八幡坂へ。坂の上には函館西高校が建っています。
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1905年北海道庁立函館高等女学校として開校、2005年に開校100周年を迎えています。
戦後の1948年北海道立函館女子高等学校、1950年北海道函館西高等学校へ改称し、
男女共学へ。卒業生には、演歌歌手の北島三郎さん、作家の辻仁成さん、同じく作家の
佐藤泰志さんらがいます。
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そして、日本1美しい坂道と呼ばれる八幡坂です。
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海を望む坂、石畳が美しい坂。
2013年7月7日、日本経済新聞が「観光で訪れたい坂の名所 ベスト10」をランキング
したところ、堂々1位になった坂です。真っ直ぐに函館湾に帯びた270mの一本道の眺め
は壮観で、選者の半数以上が1位に推したそうです。
ちなみに2位は、京都の三年坂(産寧坂)、3位はオランダ坂(長崎)、4位が広島県尾道
市の千光寺新道、5位が月見坂(岩手県平泉町)となっています。
ズームして見ましょう。
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遠くに、青函連絡船「摩周丸」が係留さています。夜になると、船がライトアップされて、その
景観はとても幻想的です。
海抜0メートルの函館湾西岸壁から、坂を上ると10分は掛かるし、上るにつれて傾斜は増し
てくる。雨上がりの濡れた路面が反射して、とてもきれいに映える。下から眺めると函館山
がまぶしい。
そんな理由から、日本1美しい坂に選ばれたのでしょうね。ここを舞台にたくさんの映画、テレ
ビドラマ、CMフイルムなどが撮影されています。
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もちろん、冬期間は路面はロード・ヒーティングされていて凍結していません。
函館にはこの他、基坂二十間坂などたくさんの素敵な坂道があります。

というわけで、今日は遺愛幼稚園、函館西高校、そして日本1美しい坂を紹介しました。
それでは、また明日 



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  昨年の2月9日にブログを始めて、昨日で丸1年経過し、今日から2年目がスタート
します。この間1日も休むことなく、毎日ブログを書き続けていて、まさに皆勤賞!!
さて、この先どこまで続くやら?体の続く限り、読者がいる限り続けて行きたい!と
思っています。
 ただ、それにしても今無性に旅に出たい!です。

 さて、昨日のロシア正教・ハリストス正教会に関して。函館とロシアの関係を物語るもの
として、日本で唯一のロシアの国立大学が函館にあります。
それが、ロシア極東国立総合大学です。
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ロシア語学科のある大学で、地元の高校生だけでは地方からも入学・勉強している学生も
います。学生数は、そう多くはないが少数で学ぶ4年生の大学です。

 今日は函館元町3教会の一つ、大三坂(だいさんさか)に建つ元町カトリック教会を紹介し
ます。
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赤色の屋根の聖堂、ゴシック建築の緑色の高くそびえる大鐘楼には風見鶏がある教会で
知られるカトリック教会は、横浜・長崎と並ぶ国内では最も最古の古い歴史を持ちます。
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幕末の1859年、フランス人宣教師メルメ・デ・カションが開港から4年目の箱館に入り、船見町
の称名寺に寄宿しながら布教活動に努めます。
それが、函館におけるカトリックの歴史の第1ページです。
1867年に仮礼拝堂が設けられるも大火で焼失、1877年(明治10年)には、この地に木造の教
会堂が創建されるも、これまた1907年(明治40年)の大火で全焼します。1921年(大正10年)の
大火でもレンガ造りに再建された聖堂も被害に遭いますが、高さ33mの大鐘楼が増築され、
1924年に現在の建物が完成しています。
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 開国に伴い、全国に先駆けて長崎・横浜とともに日本で最初にカトリック教会が建てられた
函館。
 函館市内には高校が16校ありますが、8校が私立。そのうち3校がミッション・スクール
で、うち2校がカトリック。函館白百合は、全国の白百合学園の最初の学校です。白百合は
函館からスタートしています。もう一つは戦後に出来た男子校の函館ラ・サール高校。全国
から集まる超有名進学校ですね。大半が寄宿舎で生活し、最近はスポーツも盛んです。ラグ
ビーはここ数年、北海道大会の決勝まで進出しています。

明治維新後の函館の歴史は、キリスト教に関する事柄が多いのは、開港で多くの欧米人が
来函し、彼らの文化が導入されたからでしょう。現在、函館市内には22のキリスト教会があり、
同規模の都市の中では群を抜く多さで、信者の数も多いのです。これは長崎と並びます。
先進文化をいち早く取り入れたハイカラな町、函館。今も、函館には明治の文明開化のころの
先進的な建造物が数多く残っています。

明日はプロテスタントの建物を紹介します。

それでは、また明日 



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  今日も、昨日に引き続いて寒いですね。函館における最低気温はマイナス13度以下
で、今季2番目の寒さになっています。昨夜は余りの寒さに、一晩中ストーブを点けっ放
しにして寝ましたが、今朝暖房のない部屋では、吐く息が白い。まるで戸外にいるかの
ような寒さです。

 さて、昨日紹介した函館聖ヨハネ教会は、日本聖公会に所属していますが、このプロテ
スタントの教会は、イギリス国教会のことです。英国国教会の成立は16世紀、時の国王
ヘンリー8世が離婚問題でローマ法王と対立して分離、英国だけのキリスト教が誕生しま
した。それ以来イギリスの影響のある地域、例えば元植民地などで伝道されて信仰され、
今に至っています。
そのヘンリー8世は、史上最低の男、歴史上最大の女性の敵、と言っても過言ではないで
しょう。離婚を許さないカトリックのローマ法王から破門されるも、国教会を設立し自ら首長
となり、カトリックの財産を没収、修道院を解散します。そして6度の結婚、つまり5回の離婚、
元妻たちを刑務所であるロンドン塔へ幽閉。時の知識人であるトーマス・モアからの、度重
なる離婚を諌めるアドバイスに耳を傾けず、逆に処刑してしてしまう、という暴挙に出ます。
最低の酷い男ですね。身長188cm、体重160kgあったといわれ、その重さで専用の便器を
何度も破壊しています。
彼は最初の王妃、キャサリン・オブ・アラゴンの侍女メアリー・ブーリンと関係を持っていまし
たが、その妹のアン・ブーリンと結婚(二度目)し、生まれた女の子が後の女王となるエリザ
ベス1世
です。まぁ、彼のことを説明すると、3時間くらい必要で、呆れてしまってバック・ドロ
ップで投げつけたくなる男です。重すぎて無理ですが・・・。
もっとも、プロテスタントといっても内容的にはカトリックとほぼ同じで、同じ16世紀に宗教改
革を行ったルターやカルヴァンとは中身が違いすぎます。

 さて、今日の教会はハリストス正教会です。よくガイドブックなどで紹介されているのでご
存知のことと思います。
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北に面した入り口です。正教会の特徴は、独特の十字架ですね。十字の上に短い横の線と
もう1本、右側を下にした斜めの線が、合計3本の横のラインがあります。
八端十字架といい、8つの端があることからそのような名が付けられました。
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上の短い横線は、処刑されたキリスト(ギリシア語とロシア語ではハリストス)の罪状書きです。
つまり、「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」と書かれた札のことです。
下の斜めの横線は、足台を表しています。右側が斜め下になっているのは、キリストともにゴ
ルゴタの丘で処刑された二人の盗賊の死後を表現しています。
上のなっている方は、キリストを救世主と認めて天国を約束された男。左の男はキリストを罵っ
たために地獄へ落ちる男です。
キリストが処刑されたゴルゴタの丘は有名ですが、意味は「どくろ、しゃれこうべ」。白骨化した
人の頭蓋骨のことです。一般に死の象徴とされています。ゴルゴタはヘブライ語で、ラテン語で
はエルサレムの丘と云われます。今のイスラエルの首都ですね。
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ズームすると、八端十字架が分かりますね。
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奥にある建物は、プロテスタントの遺愛幼稚園で、後日説明します。
函館山をバックにした場所へ移動します。ここからが、よく紹介されていますね。
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横の通りは「チャチャ登り」と呼ばれる坂道です。
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チャチャとは、アイヌ語で「おじいさん」のこと。急な坂道で腰を曲げて登らざるを得ないこと
から名が付けられました。
最後に、司祭館を見ましょう。
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昔、30年ほど前のことですが、ここの司祭をなさっていた方が、教員として私と同じ職場に
いました。私の祖父のような年代の方でしたが、知識も豊富で教養があり、まさに神に仕え
るお方でした。彼からは多くのことを教わり、諭されました。既に天に召されましたが、何回
か遊びに行って、いろいろと説教されたことが思い出されます。
また、ここで先輩の先生のお葬式をお手伝いしたこともあります。10歳年上の、高校の先輩
でもありました。彼は癌で、57歳という定年を前にして亡くなりました。
私にとっては、様々な思い出のあるハリストス正教会です。

1917年のロシア革命の時に、皇帝を輩出し300年以上の歴史のあるロマノフ王朝が全員処刑
されました。それを見た貴族を始めとする多くのロシア人が、日本へも亡命して来まます。日本
と最初に交流を持ち、ロシア領事館のある函館には、航路もあり、極東ロシアからかなりの人々
が逃げて来ました。
そんな彼らの心の拠り所になったのが、ここハリストス正教会なのです。
今日から、ロシアのソチで冬期オリンピックが始まりましたが、ロシアの歴史の知られざる部分
が、ここ函館にあるのです。

それでは、また明日 


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 全国的に冷え込んでいますね。立春寒波なんていう名を付けた今回の寒波、北海道では
一段と冷え、マイナス30度なんてとんでもない気温のところもあります。占冠(しむかっぷ)
トマムや空知の幌加内(ほろかない)町母子里(もしり)、十勝の陸別などは日本1の寒さ
を売りにしていますので、当地の観光に携わる人たちは、もっと寒くなれ!と願っているので
ないでしょうか。
 でも、もう十分です。これ以上寒くならないで、と祈りたいです。冬は電気代・灯油代など
寒くなればなるほど費用が掛かります。
 家の前の道路は、先日降った雨が凍りつき、アイススケート場のようになっています。車の
運転は怖いです。滑るし、止まらないし、わだちを乗り越えれないし、2車線は除雪した雪の
ために1車線になっているし、昨日は1日に4回雪かきしたほど・・・冬が終わり、早く暖かい春
になって欲しいです。

 さて、今日からは1月の温暖だった時に、函館山山麓の西部地区を散策し、写して来た、
題して冬の函館を紹介していきます。第1弾として山麓の教会群を取り上げました。
 その前に、我が家からは車で15分ほどで函館山山麓の「FMいるか」の駐車場に到着。
山を見上げると、木々は樹氷となっている。枝に着いた雪が凍結しています。本州では高い
山々で見かける光景ですが、北海道では公園の木でもなります。それだけ、気温が低いか
らですね。
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最初に、聖ヨハネ教会
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日本聖公会 函館聖ヨハネ教会。
1874年(明治7年)、イギリス人デニング司祭が函館を訪れて、布教活動を始めて道内では
英国国教会の教会としては第1号となった教会です。
当時の教会は、別な場所に建造されましたが、度重なる大火により焼失、移転を余儀なくされ、
現在の地へ。この協会は1979年(昭和54年)に完成したものです。
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四面の白壁に十字架をあしらい、函館山山頂からやロープウエイに搭乗して眺めると、茶色
の十字架をした屋根が印象的な建物です。上から見ると十字架の形がはっきりと見れるから
ですね。
中世のヨーロッパ教会風の建築様式で、パイプオルガンやステンドグラスを設置した内部は
見学可能です。
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奥に見える緑色の屋根を持つ教会は、ロシア正教会のハリストス正教会。

 マニング司祭が来函する前年の1873年(明治6年)ようやくキリスト教禁止が解かれ、
布教活動が黙認されたのでした。それまで明治新政府は、旧幕府同様の禁教政策を
継続し、長崎の浦上や五島列島の隠れキリシタンが迫害を受けていました。しかし、
欧米の国々の強い抗議を受け、しぶしぶ認めざるを得なかったのです。何しろ新政府は、
神道を中心に国民教化をめざし、1868年(明治元年)神仏分離令を打ち出し、その後
全国的に廃仏毀釈の嵐が吹き荒れていたのです。仏教もお寺が焼却され、仏像・仏具
が破壊されるという、とんでもない酷い時代だったのです。古代以来の神仏習合が禁じ
られ、神道を国教とする方針を示したからです。そんな時代でも欧米からたくさんの伝道者
が来日しています。開港して20年を迎え、外国人へのアレルギーもない函館にはたくさん
の新・旧・正のキリスト教関係者がやって来ました。マニング司祭もその一人でした。

幕末の箱館の歴史を見ると、1855年にイギリス人始め多くの欧米の人々が山麓の西部
地区に住み始めます。ペリーがやって来たころや上陸し定住し始めた時は、メリケン人と恐
れていた箱館の住民も、10年たった1865年ころには仲よく生活しているのです。まさに
幕末、戊辰戦争の前から箱館は、国際都市であり市民には外国人アレルギーがなかった
のです。


隣接した牧師館は2006年に新築されています。切妻の屋根や下見板風の外壁、額縁付きの
縦長窓など、異国情緒漂う函館の街並みになじんだ趣深い造りが高く評価され、函館市都市
景観賞
を受賞しているほどです。
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というわけで、今日は聖ヨハネ教会を紹介しました。

教会の横の坂道を歩いたら、雪は全くなかったのです。このように、
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北海道ではよく見かけますが、坂道などでは凍結防止のために、道路に電熱が入っている
ため雪がないのです。もちろん電気代が掛かりますが、ヒーターを入れると雪は融けますね。
我が家でも、夜間水道管にはヒーターを入れて凍結防止をしています。水道が凍結し、工事
を頼むと、それこそ何千円もかかりますからね。函館山の坂道は、ほとんどがこのように道路
にヒーターが入っているのです。

明日は隣接するハリストス正教会を見ましょう。

それでは、また明日 

 いよいよ秋の旅の最後になりました。長いこと私の拙い旅の紀行にお付き合い
頂きありがとうございました。明日からは、何を書こうか?と思案しているところで
すが、雪で真っ白になった冬の函館を紹介しようかな?とも考えていますので、春
の旅が出来るまでしばらくの間お待ち下さい。

 三厩駅は、竜飛岬の南東約10kmのところ。その前に義経北行伝説の地である
義経寺があり寄りたかったが、、時間がないとの理由で素通りしてしまった。実際
には時間が余ったので、実にもったいないことをしてしまったと後悔するも後の祭り。
のんびりと、余裕をもって旅をしなければいけないですね。こんなところが、まだ38
年間の時間に追われた生活から抜け出せない証拠か?腕時計とにらめっこして、
1分、1秒を気にしていた勤務を反省するばかりです。チャイムに合わせたプログラム
の通りに仕事していたことに、赤面するばかりです。

 さて、ここは袰月(ほろつき)海岸。三厩の隣町の今別町にあります。
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海の向こうに見えるのは竜飛岬。竜飛岬とこれから行く高野崎の間を三厩湾といって、
津軽の海にしては比較的穏やかな内海で、波もそうないですね。

しばらくして高野崎。実は津軽海峡の対岸の函館から眺めると津軽半島は双こぶラクダ
の背中のような形に見えます。決して一つの陸地ではなく、二つのコブが見えて、今別の
辺りが平地で地面が見えないのです。その平らのところをJRの列車が走っていて、新幹
線もトンネルは多いが低い場所を選んで通過し、青函トンネルをくぐり抜け北海道に達し
ます。あと2年後に完成しますが、早く開通して欲しいですね。
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遠くに竜飛方面が、近くに先ほどの袰月海岸が見える。岬の突端は鋳釜崎。ちゅうかまさき、と
読むのだろうか?津軽は北海道同様地名に、アイヌネイムが多いので多分アイヌ語から来てい
るのだろう。
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高野岬の先には北海道が見える。福島町と知内町の境の矢越岬だ。この間は、断崖絶壁が
続きまだ道路は開通していなく、内陸部を国道が通っている。険しい海岸崖が続いている。
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そして、国道280号線を南下して旧蟹田町へ。今は合併して外ヶ浜町。
観瀾山公園のタワーから写しました。
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蟹田の市街地南方向と下の写真は北方向。
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雲が低く垂れこめていて、今夜から大きく崩れるとのこと。すでに、ここ蟹田から陸奥湾を
横切り下北半島の脇野沢村、現在は合併してむつ市へ向かうむつ湾フェリーは強風のた
め欠航となっていた。
青森から函館までの青函フェリーは大丈夫か?少しは心配になってきたが、さすがに大き
な船だ。函館までの4時間は、トラック用のドライバーズベッドでゆっくり寝て、日が変わる
時刻に到着。旅は終了、我が家に無事帰れたことに感謝です。

旅の目的は人様々でしょうが、私の場合は地理と歴史に関心を持つ場所を訪ねたい!
ただ観光地を物見遊山するのではなく、今まで38年間生徒たちに教えてきたこと、その土地
を生で見て見たい!との気持ちが強く、それが旅のモチベーションになっています。
今は、家庭の事情で家を空けることが出来ず、旅をすることが出来ないのはすごいストレス
になっています。早く解決して、2014年春、再び旅へとリスタート切りたいです。
2103年秋の旅、今までお読み下さってありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。 

  1年中強風が吹きまくる龍飛岬の灯台から背後の山を写しました。左の建物はホテル
だが、周辺を見ると営業しているのはここだけで、隣の民宿など廃業しているところが多
い。1961年(昭和36年)から建設を開始した青函トンネルは1988年(昭和63年)の完成
まで、実に27年も費やした。その間は、人も金も物もここ三厩村に落ち村は潤ったが、そ
れこそ平成に入った1989年からは工事も終了し、人も去り、当然お金も落ちなくなった。
 それでも青函トンネルには竜飛海底駅が出来て、世界1長い海底トンネル(53.85km)を
訪れる観光客もいたが、今新幹線工事のために海底駅も閉鎖され、晩秋を思わせるかの
ような寒々しい奥津軽を訪問する人は少ない。観光シーズンは、もう終わったのだ。
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灯台マニアの人は当然訪問リストの一つにピックアップされている竜飛岬灯台。
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そして、すぐ近くには日本で唯一の階段国道
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ここは、日本一周のブログを見ると訪問されている方も多く、有名な場所。夏だとアジサイの
花が咲き綺麗な散歩道となるだろう。
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夏の残した花が枯れてはいるけれど、今も垣間見ることが出来る。
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龍飛の文字や、この標識を見てお分かりのように竜飛を使ったりしていて、どちらでも
良いのでしょうね。この先は民家の軒先を通り、下の大きな自動車道路に出ます。さす
がに民家は写せなかったので載せませんでしたが、まさに歩くだけの狭さ。これが国道
とは?

竜飛岬といえば、「津軽海峡冬景色」~石川さゆりの歌ですね。
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ボタンを押せば、この歌を歌ってくれます。1日何十回歌うのだろうか?夏の観光シーズン
だと何百回?
ここの案内の碑は「風の岬 龍飛」になっていますね。

そして、三厩の中心街(といっても素通りしてしまうほど)へ向かう途中で見かけた舟屋
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波が穏やかな内海だから出来る建物。1階は舟をしまうガレージ。2階が住居。これは京都府
丹後半島の伊根が有名ですが、同じようなものがここにもあるとは?ただし、ここの2階は生活
スペースではなく漁具など物置になっているようです。
伊根も行きたい場所の一つ。伊根の舟屋は是非見て見たいです!

 というわけで、明日の「秋の旅 72」は最終回です。長いこと秋に旅したお話しにお付き合いい
ただき、ありがとうございました。明日は津軽半島東側を青森市フェリー乗り場まで紹介します。
それでは、また明日      


にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ 今朝はとても冷え込んでいます。全国的に寒い1日になりそうですね。
             朝8時の気温がマイナス7.9度とは。シバレの函館、凍てつく北海道。
             いつも応援クリックありがとうございます。

  今日は2月4日。暦の上では立春です。春なんですね。ニュースを見ていると、九州の
宮崎では25度という夏日の気温、東京でも18度を越えて、外を歩く皆さんはコート・オー
バーを脱いで、中には半袖の人もいたりして驚いています。
 今朝の最低気温はマイナス10度。最高気温でもマイナス4度の真冬日です。
北海道全体は、今まさにシバレています。
朝、外に出て見たら風が冷たく頬を刺すように痛い。それでも太陽が出てきて、快晴だ。
早く春が来て欲しいなぁ。桜が咲くには後3ケ月はかかりそう。

 さて、昨日の続きです。津軽半島西側、日本海に面した地方は十三湖を過ぎると交通の
便が非常に悪い。同じ津軽半島でも東側の陸奥湾に面した地方はJRが通っている少しは
良いはず。
 龍泊ライン(龍飛岬と小泊の一文字づつ取り名付けた。津軽半島最北端の岬は竜飛とも
龍飛とも書く)と呼ばれる国道339号線は全面舗装はされているが、交通量は極端に少ない。
旧小泊村の市街地から3kmほど郊外にある道の駅「こどまり」に寄った。
11月4日には、今季営業は止めて春まで閉鎖するとのこと。だからか、生ものは半額セール
していた。賞味期限が今シーズンで終わる商品は軒並みワゴンに入れて売っていた。今日
のフェリーに乗って帰るため、お土産に幾つか購入した。

 左の日本海に面した側は、海が荒れている時には波を被りそうなくらい波打ち際を走り、逆
に東の山側は険しい崖が迫る崖っぷちを走る。陸奥湾との稜線から流れる小さな川は、日本
海に注ぐ前に小さな滝となって流れ出ている。
やがて海から離れ山道を登る。クネクネしたワインディング・ロードを登り切った峠に出た。
そこが「眺瞰台(ちょうかんだい)」と呼ばれる見晴らしの良い場所。
そこから北側を見た風景。
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松前半島が見えますね。竜飛岬方面も見える。
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南西方向を見ると、小泊の小さな半島部が見える。今まで登って来た九十九折りの山道も
見えますね。
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こちらの方が、小泊の半島部が良く見えます。長い湾曲になっている砂浜は、七里長浜
と呼ばれる十三湖から鰺ヶ沢まで続く砂丘地帯。遠くの山々が見える土地は白神山地
岩木山を捜したが雲に隠れていて見えなかった。
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東を見ると、713.7mの増川山を始めとする津軽半島を西と東に分ける稜線上の山々が
連なっている。深い森だ。蟹田と十三湖の間に県道12号線やまなみラインが通っている
以外道はない。すべて沿岸部を走る道のみだ。

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冬は除雪しない、小泊道とも呼ばれる山道を北へ下ると旧三厩村の竜飛岬へ到着した。
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というわけで、ついに津軽半島最北端の龍飛へ。龍が飛ぶが如く、と名付けられた龍飛。
1年中強い風が吹きまくるから、風力発電も行われている。10月4日函館をフェリーで出発
して、下北半島最北端、ということは本州最北端の大間崎に上陸してから旅はスタートしま
した。最南端は愛知県・静岡県。20日間かけて戻って、今度は同じ青森県でも西側の岬へ
と辿り着くことが出来ました。残すところあと100kmほど。
 
明日はここ竜飛岬を詳しく紹介します。
それでは、また明日 



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  今日は節分ですね。もう、2014年もひと月が過ぎて2月です。時間が経つのは早い
ものですね。
 さて、十三湖とお別れして、さらに北上。十三湖は、昨日お伝えしたように汽水湖。
淡水と海水が混じり合っている湖。昔、海だったところに漂砂現象で、日本海側に砂洲
が形成され、日本海の一部が内海へ。さらに、そこに岩木川の土砂が堆積し浅い湖が
出来た、ということです。
一部海とつながっている所があるから海抜0メートル水深はわずかに2メートル。非常
に浅い湖だということがお分かりでしょう。砂洲で、日本海と遮られているのでシジミの
養殖には最適な環境でもあるのですね。
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国道339号線をさらに北上して5kmくらい。津軽半島が日本海側にちょこんと突き出た
、まるで盲腸みたいなでっぱりがある。地図には半島の名が付いていないほどの、距離
にして5kmほどの小泊集落。先端は小泊岬
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人口1000人にも満たない集落だが、少し前までは小泊村中里村と合併し、両村の文字
を一つずつ取って中泊町となった。町役場は津軽鉄道の終着駅の津軽中里駅のすぐそば
にある。両村の間に、昨日の旧市浦村があり小泊と中里は離れているが、周辺の最大都市
である五所川原市と合併していない。
それにしても、津軽半島の市町村の地図は不思議だ。合併した町村が離れ離れなのだ。
例えば、竜飛岬のある三厩(みんまや)村平舘(たいらだて)村蟹田(かにた)町が合併し
て、外ヶ浜町になったが、その間に今別町がある。つまり、今別町を挟んで外ヶ浜町があるの
だ。

 一昔前、津軽選挙と呼ばれて、地縁関係で結ばれた津軽地方ではあらかじめ当選者が決
まっていた。不正な選挙がまかり通っていたのだ。そんな、地縁・血縁関係の濃厚な地域だ
からこのような合併後の区分けになったのか?地図を見ると本当に不思議です。

県道111号線を小泊岬へ進みと、道は崩壊し通行止め。歩いて行くことにした。
この先には尾崎神社があるが、道はかなり崩壊し危険。途中で断念した。北に回り込むこと
にした。
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小泊港があり、南の集落よりは少しは栄えている北から歩くと、海沿いに遊歩道があった。
釣り人が歩いて、岬の方へ。聞いて見たら「ここは、よく釣れる。なにせ、海に突き出た場所
だから魚も来るんだ」と話していた。確かにそうだ。日本海に突き出たトゲのような半島だか
ら、魚は豊富なはずだ。
そういえば、長崎県対馬に行った時のことを思い出したが、日本海のど真ん中に位置する
対馬は、まさに魚の通り道。漁港でも、よく釣れるのだ。
RIMG2701



















北の方向を見たら、津軽半島最北端の竜飛岬と津軽海峡を挟んだそのさらに奥に、
松前半島が見えた。北海道だ。久しぶりに見えた北海道。曇ってはいるが、陸地は
はっきりと見ることが出来た。

というわけで、津軽半島の秘境である小泊集落をお伝えしましたが、写真ではよく伝
わらなかったですね。実際は、孤立した厳しい集落です。次に行く機会に詳しく紹介
しますね。
明日はさらに日本海沿いを北上し、竜飛岬へと向かいます。それでは、また明日 



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  今まで道の駅で車中泊してきたが、海の駅では初めての経験だった。といっても、
違いはなく同じといっても差し支えない。調べて見たら「海の駅」もあちこちにあるん
ですね。どちらも、車で訪れる観光客を相手にする施設で、当地の特産品を販売す
るや売店やレストラン・トイレなどがあります。
 昨日も紹介した通り、ここは「舞の海」関の出身地で、売店のおばちゃんに教えられ
て近くにある実家を訪ねました。中学までここ鰺ヶ沢で育った少年は、16歳から東京
で大きく育ったのです。体こそ伸びなかったけど、心と技は成長し170cmに満たない
幕の内の関取になったのですね。大したものです!

 さて、JR五能線の鰺ヶ沢駅
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ここから津軽富士の名を持つ岩木山(1624.7m)が見えるはず。
鰺ヶ沢の思い出は、25年ほど前にあるけどここで開かれたトライアスロンに参加したこと
です。東日本大会と銘打って開催された大会では、200名くらい参加していたかな?目の
前の海で1.5km泳ぎ自転車で60km走る。それが、岩木山の北山麓の農道を走るので
アップダウンが激しく、自転車の力が勝敗を大きく左右した、と思います。ペダルをこぎま
くって疲れ切った後に、ランがあります。10kmのマラソンはこれもスキー場の周辺の登り
・下りのある厳しいコースでした。結果、何とか26位となりましたが、当時は水泳が苦手だ
ったので、その後は水泳に力を入れてタイムを短縮。良い結果を出せるようになりました。
そんな思い出があるのが鰺ヶ沢。

しばらく走ると岩木山の姿が見えてきた。
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コニーデ型の山はきれいに映えますね。独立峰の火山の一番美しいタイプは、やっぱり
富士山型です。世界にもたくさん存在するけど、何と言っても日本の富士山に勝る形はない
ですね。
東北にもありますね。南部富士の岩手山。出羽富士の鳥海山。会津富士の磐梯山など。
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途中で見かけた、津軽の高野山を売りにするお寺。地図にもガイドブックにも紹介されて
いなかったけど、覗いて見ました。
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なかなか壮麗な建物で、由緒あるお寺なんでしょうね。
そうこうして、目的地の一つ十三湖に到着。十三湖と書いて、「じゅうさんこ」と読みます。
大阪の人だと「じゅうそう」と読むんじゃないかな?JR大阪駅の近くの阪急梅田駅から二
つ目、阪急線の中津駅の次に「十三駅」がありますね。

でも、昔十三は「とさ」と読まれていたのです。
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遠くに岩木山が見えています。
ここの地名十三は昔、十三湊(とさみなと)と呼ばれていました。「とさ」の意味はアイヌ語の
「トーサム」から転じたもので、トは「潟、沼」の意味。サムは「側、脇、端、傍」の意味。
すなわち「潟側地方」の意味があります。
その「とさ」も江戸時代後半から訓読みより、音読みの「じゅうさん」と云われるようになり、
現在の十三湖となった、というわけです。
かつて、湊と呼ばれていたことは港があった、ということ。実際中世の時代平安時代末期から
鎌倉時代まで、ここは安藤氏という有力な武士が、半ば中央から離れた独立国のように存在
していたのです。
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そこで、もっと知るために十三湖の中にある中の島という小島に市浦歴史民俗資料館
あるので、そこへ行って見ることにしました。市浦は、昔市浦村だったことからです。現在は
五所川原市となっています。市浦は周辺市町村と合併し、その名がここの資料館の名とし
て残されたわけですね。車両通行禁止の橋が架かっていて、歩いて渡ります。
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奥に見える橋は、県道12号線の十三湖大橋で、十三湖と日本海をまたいでいます。
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十三湖の名を聞くと、シジミの産地だ、と思いつく人も多いと思います。味噌汁の中の
小さな貝のシジミ。東日本では十三湖が有名ですね。西日本では、島根県の宍道湖
しんじこ)や中海(なかのうみ)が知られていますね。
ここは、津軽平野を悠々と流れる岩木川の河口でもあります。淡水の岩木川の水は、
日本海の海水と混ざり合い汽水湖を形成します。それがシジミの養殖に好都合なので
しょうね。
今は、岩木川の運んで生きた土砂が河口部分が堆積し、浅い湖岸となったけど、昔は
砂州によって自然の堤防を形成した港を利用して、北方世界との交易・流通拠点の窓口
の役割をはたしていた中世日本の有数の港湾都市、十三湊だったのです。
鎌倉幕府の支配下に入らず、独立国を形成した安藤氏は、蝦夷地のアイヌ民族と交易し、
さらに朝鮮とも交流した、といいます。
ここ津軽に、そんな知られざる歴史があったのです。

明日はさらに北上します。それでは、また明日 


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  馬が三つと木で、(とどろき)と読みます。東京の人だと、東急電鉄大井町線の世田谷区
にある等々力駅を想像することでしょう。または、Jリーグ川崎フロンターレのホーム・スタジ
アムである等々力陸上競技場(川崎市中原区等々力)を思い浮かべる人も多いでしょう。
 
 一方、、車が三つでとどろきと読みます。人の名前にも使われていて、実際、轟さんとい
うタレントさんもいます。
轟 悠(とどろき ゆう)さん(宝塚歌劇団の男役スターで、元雪組トップスター)や轟 二郎さん
(コメディアン)など。
 また、駅では轟駅は福井県えちぜん鉄道の勝山永平寺線の駅にあります。ただし、ここの
駅の名前はどめき、と読みます。
轟の意味は、雷鳴・大砲などの大きな音の形容で、音読みだとごう、またはがう、訓読みで
とどろきと読みます。
 同じく駅では、和歌山県に動木(とどろき)がありました。というのは、もう廃線となっていて、
かつての駅だったからです。1994年(平成6年)に廃線となった、和歌山県紀美野町にあった
野上電気鉄道の駅もとどろき駅なのです。でした、と言った方が正確ですね。

 しかし、ここで紹介するとどろきは、馬が三つの驫木で、JR東日本の日本海側を走る五能線
の無人駅をいます。
五能線とは、青森県の五所川原市と秋田県の能代市を結んでいるため、両者の頭文字を取っ
て名付けられました。
驫木駅は青森県西津軽郡深浦町にあります。まずは駅名をご覧下さい。
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目の前が海です。
RIMG2685



















ここは、秘境駅として鉄道マニアによく知られています。
秘境駅マニアの第一人者の牛山隆信氏の「秘境駅に行こう」でも取り上げられていますし、
2006年の青春18きっぷのポスターでも登場しています。
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もちろん単線で、電化されていないのはレールの上を見れば分かりますね。電車じゃない
ですよ。軽油を燃料にしたジーゼルで走っているからです。隣の駅の名は、北が「風合瀬
と書いて「かそせ」と読み、南の駅は「追良瀬」と書いて「おいらせ」と読みます。
読みにくい名前といい、この無人駅の雰囲気、とっても良いですね。

 ここで、STB(ステーション・ビバーク)、つまり駅寝をしようかな?とも思いましたが、時間も
あってさらに北上することに。
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風合瀬海岸の弁天島灯台を見る。ズームすると、
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海沿いを走ると、灯台マニアの人の気持ちが少しは理解出来るような気がします。

結局、鰺ヶ沢(あじがさわ)町の海の駅「わんど」で車中泊。
「わんど」とは津軽弁で「私たち、我ら、僕ら、俺ら」という意味。道の駅とほぼ同じ海の駅。
別に海上にあるわけではなく、海のそばだし、漁業の町鰺ヶ沢だから名付けたのでしょう。
文字通り、鯵(あじ)が獲れるからか?名産品を販売する売店のある1階の上、2階は地元
出身の関取「舞の海」関の博物館になっていました。

169cm、96kgしかなかった「平成の牛若丸」・「技のデパート」ともよばれた小兵「舞の海」が
ここの出身とは知らなかった。テレビの解説者として話す言葉に、少しも津軽弁はなかった
ので、と言ったら失礼ですが、津軽の片田舎の鰺ヶ沢の出身だったとは。5時閉館の時間い
っぱいまで粘って見学していました。勉強になりますね。しかも、無料ですよ。

 というわけで、明日は津軽半島を最北端まで走ります。
それでは、また明日 



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