五稜郭公園もやっと桜が咲いて来ましたし、我が家の近くの公園でもピンク色の桜の花が
開き始めました。「湯の川温泉」電停でも、トランクを引いた観光客が多く見られるようになり、
いよいよ観光シーズン到来か?なにせ函館は観光業で成立している町ですので、一人でも
多くの人が訪れることを期待しています。
さて、先日の続きから。明治時代からあった「小林写真館」、函館は日本写真発祥の地でも
ありましたね。写真館のある東坂を少し登ると、左側に赤レンガの建物があります。
それが、中華会館。

1910年(明治43年)12月に新築されています。建物内で祀られているのは、あの「三国志」
で有名な関羽様です。紀元後3世紀の中国、約400年にわたる大漢帝国が滅びた後、魏・呉・
蜀の三国時代を迎えます。漢の再興を狙う劉備玄徳に味方したのが張飛と関羽。諸葛亮孔明
を参謀に天下統一を!と。
その関羽は全世界の華僑から商売の神様として祀られています。
今は一般公開は中止されていますが、昔15年ほど前に息子と一緒に見学したことがありました。
その斜め向かいのあるのが、函館の学習院とよばれた弥生小学校。

手前の案内板を見ると、「旧アメリカ領事館跡」と書かれています。

昔、寺町と呼ばれるほどお寺が多く建ち並んでいました。その一つである浄玄寺に1857年、
安政4年のこと、開港3年後に初代アメリカ領事館が建てられています。

開校は1882年(明治15年)4月のこと。ところが、1907年(明治40年)大火で焼失、1934年
(昭和9年)の最大の大火もあり、その4年後の1938年(昭和13年)に鉄筋コンクリート4階
建ての校舎が完成します。第二次世界大戦勃発の前年のことでした。
しかし、老朽化などの理由から解体され、現在の建物は2012年(平成24年)に、新校舎とし
て建て替えられています。

「北海道警察発祥の地」でもあるのですね。知らなかったです。
なぜ、函館の学習院と云われたのかというと、名高い卒業生が何人も出ているのです。
例えば、直木賞作家の今東光(こん とうこう)、同じく直木賞作家の久生十蘭(ひさお
じゅうらん)、文学者の亀井勝一郎、さらには石川啄木がここで代用教員として教壇に
建っていたこともありました。

旧寺町界隈のことが説明されていますね。
その建物の向かいにあるのが、函館元町ホテル。

左の蔵の手前には、何と土方歳三に関することがあり、驚きます!

箱館警備の任務についた新選組の屯所があったのです。屯所(とんしょ)とは、「たむろする
ところ」という意味で、彼らが詰めていた場所だったのです。鳥羽・伏見の戦いで敗退、会津
でも敗れ、蝦夷地箱館へ逃げ延びてきた新選組の数少なくなった仲間たちとともに、ここで
一時過ごしたのですね。
弥生小学校のある弥生坂を下りると。

そこは、終点の一つ手前の電停、「大町」です。

というわけで、路面電車の旅いよいよ最後の電停に向かって行きます。明日はここ「大町」
周辺を散策して、紹介します。
それでは、また明日
開き始めました。「湯の川温泉」電停でも、トランクを引いた観光客が多く見られるようになり、
いよいよ観光シーズン到来か?なにせ函館は観光業で成立している町ですので、一人でも
多くの人が訪れることを期待しています。
さて、先日の続きから。明治時代からあった「小林写真館」、函館は日本写真発祥の地でも
ありましたね。写真館のある東坂を少し登ると、左側に赤レンガの建物があります。
それが、中華会館。

1910年(明治43年)12月に新築されています。建物内で祀られているのは、あの「三国志」
で有名な関羽様です。紀元後3世紀の中国、約400年にわたる大漢帝国が滅びた後、魏・呉・
蜀の三国時代を迎えます。漢の再興を狙う劉備玄徳に味方したのが張飛と関羽。諸葛亮孔明
を参謀に天下統一を!と。
その関羽は全世界の華僑から商売の神様として祀られています。
今は一般公開は中止されていますが、昔15年ほど前に息子と一緒に見学したことがありました。
その斜め向かいのあるのが、函館の学習院とよばれた弥生小学校。

手前の案内板を見ると、「旧アメリカ領事館跡」と書かれています。

昔、寺町と呼ばれるほどお寺が多く建ち並んでいました。その一つである浄玄寺に1857年、
安政4年のこと、開港3年後に初代アメリカ領事館が建てられています。

開校は1882年(明治15年)4月のこと。ところが、1907年(明治40年)大火で焼失、1934年
(昭和9年)の最大の大火もあり、その4年後の1938年(昭和13年)に鉄筋コンクリート4階
建ての校舎が完成します。第二次世界大戦勃発の前年のことでした。
しかし、老朽化などの理由から解体され、現在の建物は2012年(平成24年)に、新校舎とし
て建て替えられています。

「北海道警察発祥の地」でもあるのですね。知らなかったです。
なぜ、函館の学習院と云われたのかというと、名高い卒業生が何人も出ているのです。
例えば、直木賞作家の今東光(こん とうこう)、同じく直木賞作家の久生十蘭(ひさお
じゅうらん)、文学者の亀井勝一郎、さらには石川啄木がここで代用教員として教壇に
建っていたこともありました。

旧寺町界隈のことが説明されていますね。
その建物の向かいにあるのが、函館元町ホテル。

左の蔵の手前には、何と土方歳三に関することがあり、驚きます!

箱館警備の任務についた新選組の屯所があったのです。屯所(とんしょ)とは、「たむろする
ところ」という意味で、彼らが詰めていた場所だったのです。鳥羽・伏見の戦いで敗退、会津
でも敗れ、蝦夷地箱館へ逃げ延びてきた新選組の数少なくなった仲間たちとともに、ここで
一時過ごしたのですね。
弥生小学校のある弥生坂を下りると。

そこは、終点の一つ手前の電停、「大町」です。

というわけで、路面電車の旅いよいよ最後の電停に向かって行きます。明日はここ「大町」
周辺を散策して、紹介します。
それでは、また明日






























































































































