函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めて「ぼうけんの旅」は今年で12年目に突入。 車中泊中心の貧乏旅行の旅、今年で72歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 いよいよ「2025 年ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです!

2025年が明け今年は73歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!軽バン一人旅の始まりです。

2014年04月

 五稜郭公園もやっと桜が咲いて来ましたし、我が家の近くの公園でもピンク色の桜の花が
開き始めました。「湯の川温泉」電停でも、トランクを引いた観光客が多く見られるようになり、
いよいよ観光シーズン到来か?なにせ函館は観光業で成立している町ですので、一人でも
多くの人が訪れることを期待しています。

 さて、先日の続きから。明治時代からあった「小林写真館」、函館は日本写真発祥の地でも
ありましたね。写真館のある東坂を少し登ると、左側に赤レンガの建物があります。
それが、中華会館
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1910年(明治43年)12月に新築されています。建物内で祀られているのは、あの「三国志」
で有名な関羽様です。紀元後3世紀の中国、約400年にわたる大漢帝国が滅びた後、魏・呉・
蜀の三国時代を迎えます。漢の再興を狙う劉備玄徳に味方したのが張飛と関羽。諸葛亮孔明
を参謀に天下統一を!と。
その関羽は全世界の華僑から商売の神様として祀られています。
今は一般公開は中止されていますが、昔15年ほど前に息子と一緒に見学したことがありました。

その斜め向かいのあるのが、函館の学習院とよばれた弥生小学校
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手前の案内板を見ると、「旧アメリカ領事館跡」と書かれています。
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昔、寺町と呼ばれるほどお寺が多く建ち並んでいました。その一つである浄玄寺に1857年、
安政4年のこと、開港3年後に初代アメリカ領事館が建てられています。
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開校は1882年(明治15年)4月のこと。ところが、1907年(明治40年)大火で焼失、1934年
(昭和9年)の最大の大火もあり、その4年後の1938年(昭和13年)に鉄筋コンクリート4階
建ての校舎が完成します。第二次世界大戦勃発の前年のことでした。
しかし、老朽化などの理由から解体され、現在の建物は2012年(平成24年)に、新校舎とし
て建て替えられています。
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北海道警察発祥の地」でもあるのですね。知らなかったです。
なぜ、函館の学習院と云われたのかというと、名高い卒業生が何人も出ているのです。
例えば、直木賞作家の今東光(こん とうこう)、同じく直木賞作家の久生十蘭(ひさお
じゅうらん)、文学者の亀井勝一郎、さらには石川啄木がここで代用教員として教壇に
建っていたこともありました。
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旧寺町界隈のことが説明されていますね。

その建物の向かいにあるのが、函館元町ホテル
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左の蔵の手前には、何と土方歳三に関することがあり、驚きます!
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箱館警備の任務についた新選組の屯所があったのです。屯所(とんしょ)とは、「たむろする
ところ」という意味で、彼らが詰めていた場所だったのです。鳥羽・伏見の戦いで敗退、会津
でも敗れ、蝦夷地箱館へ逃げ延びてきた新選組の数少なくなった仲間たちとともに、ここで
一時過ごしたのですね。

弥生小学校のある弥生坂を下りると。
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そこは、終点の一つ手前の電停、「大町」です。
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というわけで、路面電車の旅いよいよ最後の電停に向かって行きます。明日はここ「大町」
周辺を散策して、紹介します。

それでは、また明日 

家の内部へ入りました。

「続きを読む」をクリックして下さい。スマホからアップすると、またおかしくかった。
きっと自分のPC能力がないからですが・・・。続きを読む

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晴天が続く、ゴールデンウイークのさなかの昨日、第117回目となった「箱館歴史散歩の会」に
参加して来ました。今回のテーマは西部地区に数多く残る、それは土蔵であったり、石造り
であったり、中には鉄筋コンクリート製の蔵であったり、そんな蔵の見学と、珍しい謎の蔵、それ
は屋根の上に殺生釘(せっしょうくぎ)がある蔵を拝見して来ました。
まるで、沖縄のシーサーの如く、家の守り神のように蔵のてっぺんにのっかかっている殺生釘、
近いうちに紹介しますね。

さて、末広町の大三坂は何度も紹介していますが、昨日4月27日、坂の途中にある1本だけの
桜の花が咲いていたのでお知らせします。おそらく、函館で一番早く咲いた桜じゃないかな?
それが、これ。
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電車通りが下に見えますね。
幹にもポツンと咲いています。
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満開とまではいかないけど、一分咲きくらいかな?三分咲きまで行かないですね。
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この大三坂日本の道百選にも選ばれている有名な坂。そして、かなり急坂です。
御覧のように傾斜がきつい。冬はロード・ヒーティングされていて、凍結することは
ないけど、お年寄りにはきつい坂道です。
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ここにも蔵がありましたね。

さて、大三坂の隣の坂は八幡坂、日本一美しい坂に選ばれました。その次が日和坂、さらに
北西にいって基坂(もといさか)。旧函館区公会堂が坂の上にあり、元町公園から下がってくる
坂道です。
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その電車通りに面しているのが、相馬株式会社の木造建築の建物。
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明治豪商、相馬哲平が起こした会社、合名会社相馬を引き継いだ現在は株式会社。
建物は一度1907年(明治40年)の大火で焼失するも、1910年(明治43年)から1916年
(大正5年)まで7年かけて現在の姿に建築していきます。超レトロな建物ですね。

ここから坂の上を見ましょう。函館山の山頂が見え、公会堂もあります。
国の重要文化財に指定されているその公会堂、今のお金で約16億円(当時は7.2万円)、
そのうちの5万円を寄付した豪商相馬哲平は、まさに郷土思い。
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新潟出身ですが、幕末の1861年28歳で函館やってきます。廻船問屋で奉公した後、31歳
で独立し米穀雑貨店を開業しています。そこで財を築きました。
郷土報恩」の思いで、人生の大半を過ごした函館に多額の寄付をしたのです。
酒もタバコもやらず、着物は木綿、下駄は擦り切れるまで履きつぶした、といいます。
贅(ぜい)に溺れず、民のために尽くせ」・・・まるで質素倹約を実践し、財政破綻の藩を
救済した米沢藩9代目藩主の上杉鷹山のようですね。

さらに次の坂、東坂。坂を登ると。
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赤い屋根、緑の下見板張りの壁、黄緑の窓枠。
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1902年(明治35年)に開業した小林写真館です。1907年(明治40年)の大火で焼失しますが、
すぐに再建したのがこの建物です。
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国内写真発祥の地の一つ、となっていますが函館は横浜・長崎とともに日本三大写真発祥の
地なのです。

というわけで、今日はここまで。それでは、また明日 

最初に訂正させて下さい。昨日のブログを読まれた「自由」さんから、日銀函館支店のあった
ビル、現在の函館市北方民族資料館のことですが、支店となったのは明治26年ではなく、
明治28年(1895年)であること、それと当時の建物ではないこと、それは過去の2度の大火
により焼失していて、大正15年(1926年)に現建物に建て替えられたこと、以上のコメントが
寄せられました。
ありがとうございました。調べましたら、その通りでした。
多くの方に読まれていますので、よく調査してアップしているつもりでしたが、間違いました。
今後とも誤りありましたら、遠慮せずにどしどしコメント寄越していただければうれしいです。

さて、桜の花を見に行った五稜郭公園。実は26日から五稜郭築造150年祭で、公園内では
箱館戦争当時の衣装に身を包んだ市民ボランテイアの方たちが観光客をもてなしていました。
松前では、昨日ついに桜咲きましたね。道内トップですよ。

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残念ながらまだつぼみの段階で、後数日かかりそう?

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それでも大勢の観光客が来ていました。

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函館にとってはうれしいニュースです。「2014 朝食がおいしいホテルランキング」で、なんと
函館から二つのホテルが全国2位と5位に入りました。
2011年と2012年は全国1位となったラビスタ函館ベイは今回2位。5位に函館国際ホテルが。
ちなみに1位はホテルビエナ神戸、3位はホテル京阪札幌と5番以内に北海道の3つのホテル
が入っています。やっぱり、函館は海産物だけではなく野菜や果物、畜産品も新鮮で工夫され
た食事が提供されていることを確認できました。

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およそ1800㍍ある堀を半周し、逆側から見ると。

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遠くに五稜郭タワーが見え、鯉のぼりが泳いでいました。近くまで行こう、とまた半周。


海から約4kmほどなのでカモメも飛んで来てます。

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多くの観光客でこみ合うタワー周辺。本州ナンバーの車、バイクも駐車していて、やっぱり
ゴールデンウイークだ。

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ズームすると。吹き流しの下に泳いでいるのは全長10メートルの「マグロのぼり」。青森県
のねぶた師が描いたマグロはこいのぼりとともに70メートルの高さで悠々と泳いでいました。
これは、津軽海峡のマグロを青函で宣伝しようと作製し、今年で4年目だそうで、マグロが泳い
でいるのは全国的にも珍しいですね。


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美術館前の歩道にはツツジの紫色の花が満開でした。

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確か名前を「えぞむらさきツツジ」。

最後に、芸術ホール前にありました。先日、十字街の函館市企業局水道部の庁舎、アクロス
十字街に展示してあったカラフルなマンホールが。

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是非探して見て下さい。とても汚水蓋には、とても見えなく、勿体ないですね。
それでは、またまた明日♪

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 前回紹介したものも含め、「末広町」に明治・大正時代から残る戦前の石造りの建物、鉄筋
コンクリートのビル、さらにはいまだ健在の木造の建築物を見に行きましょう。

 小樽の街は戦前、「北のウオール街」と呼ばれていました。ウオール街とは、アメリカ、ニュー
ヨークのマンハッタン島にある証券会社が連なる金融街ですね。1929年10月24日の「暗黒の
木曜日」で知られる世界恐慌の発祥の地であることは、歴史の教科書に登場するので皆さん
よく御存じのことでしょう。
小樽は、戦前は証券会社がいくつも集まり、そう呼ばれていたのです。一方、函館は「北の日
本橋」と呼ばれ、銀行を中心にたくさんの金融会社が集中していました。

その代表例がこれです。電停「末広町」のすぐそばに建つ、現在は函館市北方民族資料館
実は驚くなかれ旧日本銀行函館支店。それも1893年(明治26年)に、支店としては大阪、下関
に次いで全国で3番目に支店が建設されたのです。東京以北では初めての日銀支店ですよ。
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この建物が全国で3番目に日銀支店として建てられたビルです。現在は、市役所の近くに
移転しましたが、戦前は北海道の金融の中心だったのです。
現在は、函館市北方民族資料館として、アイヌ民族の資料などを展示しています。
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さて、今紹介している地区を地図を見ながら確認しましょう。まず、大きな地図で。
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 赤色の電車路線図を見ると、一番下の終点「湯の川」から一つずつ紹介して、ついに函館山
山麓のところまで来たことが分かりますね。もう一方の終点「谷地頭」はすでに紹介しています。
 拡大して見ましょう。
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電車路線図も見ましょう。
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それでは、「十字街」からのおさらいです。
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この建物は旧安田銀行函館支店、その後は「ホテル ニューハコダテ」。1932年(昭和7年)の
鉄筋コンクリート造りです。残念ながら現在ホテルは営業をしていません。
その近くに函館市文学館があります。
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函館出身の作家やゆかりの人物が紹介されています。辻仁成は今やタレントになっているほど、
奥さんの方が有名ですけどね。最近は、ワイドショーで騒がしていますね。佐藤泰志は、最近封
切った映画「ここのみて光輝く」の原作者で、函館が舞台となっています。
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ここは、1921年(大正10年)第一銀行函館支店として建設された建物です。壁はレンガでも
骨組みは鉄筋コンクリート製の建物という珍しい構造となっています。
実は、ここ函館企業の中でも一番大きく知られているクレジット業界大手のジャックスの本社
が置かれていたのです。
それは、1964年(昭和39年)東京オリンピックのあった年のことです。第一銀行函館支店が、
当時最大の繁華街となった函館駅前の若松町の移転した時に、ジャックスが買い取り本社と
して使用しています。その記念の碑がたっています。
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営業の主体は、今は東京の本部に移っていますが、登記上の本社はいまだ函館に置かれて
いて、実のふるさとを大事にしている企業なのです。
今日の北海道新聞では、「函館創業のジャックス、太陽光発電の売電収入額の半額を毎年
ふるさとへ」という記事がありました。市内に2か所設置し北電への売電約700万円のうちの
半額を毎年寄付する、というありがたい話です。
函館市は、市長、議会、市民挙げて現在大間原発建設差し止め訴訟を起こしていて、クリー
ンエネルギーである太陽光発電の施設を建設するだけでも大きな味方となってくれますから
ね。

その真向かいにあるのが、旧金森洋物館店
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今は市立函館博物館資料館になっていますが、前身は市内の二つあるデパートの一つである
棒二森屋百貨店だったのです。そしてここからスタートして、この建物の向かい側の大きなビル
を建設して移ります。
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それが、
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これ。1930年(昭和5年)、一部7階建ての当時北日本最大の百貨店となった旧金森森屋
百貨店
。現在は北島三郎記念館、ホテル、レストランなどに生まれ変わっています。

というわけで、やっと「末広町」の電停にとうちゃこ!
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ではまた明日 

この3日間の出来事を紹介します。

PCの調子が悪くて、おかしな状態になっています。今日はご勘弁下さい。
「続きを読む」をクリックしてお読みいただければうれしいです。続きを読む

 「十字街」から北西、次の電停がある「末広町」への道の西側は函館山からの坂道が
続きます。水道局の「アクロス十字街」と現在の「函館市地域交流まちづくりセンター、旧
丸井デパートの間が「南部坂」。その次が「二十間坂」。そのとなりが「大三坂」と、今まで
紹介して来ました。その二つの坂を、函館山方向へ登って見ましょう。

大きなお寺があります。それが、東本願寺函館別院
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たまたま先日の、「箱館歴史散歩の会」117回目の時に写したものです。
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1915年(大正4年)、日本で最初の鉄筋コンクリート寺院として完成しています。
間口32.8m、総奥行き34.94mの鉄筋コンクリートの大本堂は、2007年(平成19年)
国の重要文化財に指定されています。

その向かい側にある三角屋根の建物を御覧下さい。
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それが、カール・レイモンハウス本店です。
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カール・ワイデル・レイモンは1894年3月28日の生まれ。日本では明治27年、日清戦争の始ま
った年でもあります。当時のオーストリア・ハンガリー帝国内の一つであるボヘミア王国のカル
ルスバードで、食肉加工職人の家庭で誕生しています。
カルルスバードは現在のチェコ共和国のカルロヴィ・ヴァリ市となっています。
14歳で家業を継いだ後、世界各地で修行します。それは、ドイツ、アメリカ、フランス、スペイン、
ノルウェーなど。すごい旅人になっていたんですね。
1919年、第一次世界大戦が終戦を迎えた直後のことです。アメリカからヨーロッパへの帰路の
途中で日本に立ち寄ります。東京から、気候風土の似ている北へと旅し、当時北日本最大の街
だったここ函館で、「谷地頭」で紹介した勝田温泉の娘と知り合い、結婚します。一旦当時はドイ
ツとなった地へ戻りますが、やがて函館へ帰って来ます。
1924年(大正13年)自分の腕を生かしてハム・ソーセージの店を開きます。
その人、カールレイモンです。
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函館市民となって西洋の食文化を伝えたカールレイモンのことを、いつしか「胃袋の宣教師
と呼ぶようになりました。
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彼の居宅です。窓こそ最新の樹脂サッシになっていますが、建物そのものは当時のもの
そのものです。
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が、戦時中(第二次世界大戦の始まる1939年から、特に太平洋戦争の始まった1941年から
日本が敗戦を迎える45年まで)はスパイと疑われて監視されます。同盟国のドイツ人なのに、
なぜ?と思われる人もいるでしょう。しかし、戦前の軍部や役人は西洋人は皆敵、と見ました。
ドイツ人とアメリカ人の区別がつかなかったのです。なにせ、野球まで敵国スポーツとして、用語
はすべて日本語へ改められたのです。ストライクは「入った」と。やがて、それも中止へと追い込
まれました。

そんな不遇の時代を経て、戦後1948年(昭和23年)元町で10年ぶりに小さな工場を再開しました。
ドイツの本物の味は、やがて食生活が豊かになるにつれて人気が高まり、21世紀の現在は全国
のグルメの間でも評判のハム・ソーセージとなり、今では函館を代表するブランドの一つになって
います。
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しかし、1986年(昭和61年)脳梗塞により93歳で亡くなりました。生前たくさんの受賞があります。
それこそ、函館市、北海道、日本政府から、民間の食品会社例えばサントリーから、もちろんドイツ
政府からも。

戦時中は不遇でしたが、「胃袋の宣教師」と呼ばれ西洋の食文化を伝えたカール・レイモンさんは
函館市民の誇りでもあります。函館が日本における西洋料理発祥の地であったのも、彼のような
伝道者がいたからなのです。

では、また明日 




























 昨日のブログで紹介した「北方歴史資料館」ですが、ブログを読まれた箱館人さんから閉館
していることを指摘されました。確かに、私が訪れた時に「閉館」の看板がかかっていました。
写真を拡大して見るとお分かりになります。箱館人さん、ご指摘ありがとうございました。

 さて、一昨日、足場を組む作業、半日ががりで完成しました。

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2階を越える高さまで足場を組んでいきますね。随分高いなぁ。

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後ろ側の右側が高いのは、こちらに太陽光発電のパネルを付けるからです。
省エネの太陽光発電については、付けた時に詳細をお知らせします。

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私が選んだメーカーさんは「一条工務店」。幟に書いてあるように「省エネ4冠達成」は本物で、
あとから紹介しますが、省エネに関しては、他のメーカーの追随を許さない数値を挙げていま
す。例えば、Q値(きゅーち)と呼ばれる断熱性能を示す数値は業界トップの0.75。これも後程
紹介します。

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翌日、クレーン車と壁をいくつも積んだトラックがやってきた。トラックは資材が降ろすと、何度も
やって来ます。壁や屋根を積んだトラックは3回やって来ました。

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晴天無風で良かったです。この時期、風が強く大きく揺れたら心配ですし、事故にもつながりかねない。まったくの無風でした。


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もう、すでにいくつか壁が並べてありました。
柱がないのが不思議に思われるでしょう?在来工法では、柱を打ち立ててから壁を造っていく
けど、2×6(ツー・バイ・シックス)工法では床の上に壁を設置する、つまり立体で支えるやり方
です。これだと地震に強いはずです。四隅の柱で支えるのではなく、キューブ状の型、立方体
で支えているのだから頑丈なはずだ、と思います。
これを「ツインモノコック構造」と云います。壁全体の面で外の力を受ける。大地震でもバランス
よく力を分散して変形しにくい構造だ、と。

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こんな風にすべてが完成した壁を、クレーンで吊り上げて新築する家の土台まで運び並べて
行く。壁には断熱材の他にタイルも付いている。このタイル、「ハイドロテクトタイル」といって、
セルフ・クリーニングが出来る。そのメカニズムは①ちり・埃の吸着を抑える ②油汚れを落ち
やすくする ③雨の力で洗い流す 先々のメンテナンスも費用を削減出来ます。TOTOの環境
浄化技術を活用した超高性能タイルを使用しています。

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風呂場には、もう防水の壁が直付けされていた。内側に白く見えるのは、以前から紹介している
断熱材のEPSポリスチレン・フォーム。グラスウールの1.5倍の断熱性を持つ素材です。北海道
では、まず最初に考えるのは、冬対策。真冬の厳しい寒さを、どう乗り切るか?を考えると、しっか
り断熱しなければいけない!のです。

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内部の壁もクレーンで運ばれて来る。

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内部を見るとこんな感じ。内装はあとから、じっくり丁寧に仕上げるのでしょうから時間がかかる。
6月いっぱいは時間を要するのでは?

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1階の天井がクレーン車で運ばれている。

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窓ガラスは3層。これも後程紹介します。

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北側を見ましょう。さすがに北側は家の裏側にあたり、陽も入らず隣の家の高い壁もある。
1階に窓はありません。通気やエコキュートの配管の穴が開いているだけ。それもあとから
埋まる予定。

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最後は、翌日の作業に備えてしっかりと養生。ブルーシートをかけます。雨は降らないとの予報
だけど用心に越したことはない。

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というわけで、昨日1日かけて1階の壁、天井が完成しました。今日23日は2階に取り掛かるの
でしょう。楽しみです。それはまた明日 

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 今日も快晴。4月は雨がほとんど降らず、晴天の日が続いています。農作物には最高
でしょう。川の水は、大雪だった山の雪融け水をいっぱい湛えているから、乾いていても
心配ない。今年は、田植えの時期が早いかな?

 それなのに、風を引いて昨日は1日寝込んでいました。まだ、全快にはほど遠いが少し
は体を動かさねば・・・今日もファイト!!(掛け声だけ)

さて、昨日の続きから。電停「十字街」の次は「末広町」。その後は「大町」、そして終点「
函館どつく前」。これで、終わりですが、1月から長いこと路面電車の旅として紹介してき
た函館市電の旅もそろそろ終盤です。
最初に大三坂の近くにあった古い建物から。今日はタイトルにあったようにレトロな石造
りの建物を紹介していきますね。
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合名会社「川越電化センター」となっていますね。民間の一企業のビルです。
向かいに渡って見ましょう。たまたま来た電車。ガス会社の広告電車。
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歩いて渡った、その向かい側には高田屋嘉兵衛資料館の建物。高田屋嘉兵衛については
何度も紹介しているから、もうお分かりですよね。
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日本一充実している本館と書かれていますね。
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26年も前に「歴史的景観賞」を受賞している建物です。
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北方歴史資料館」として高田屋嘉兵衛に関する資料を充実させています。
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高田屋嘉兵衛神社もありました。


ここに、高田屋の本店があった証拠があります。それが、これ。
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高田屋本店跡を示す石碑です。
そしてこの建物、1932年(昭和7年)の建築で、函館大火の2年前のことです。旧安田銀行
函館支店として鉄筋コンクリート造りの建物です。太い円柱のある、まるで古代ギリシアの建
築物、そうパルテノン神殿のエンタシスの太い円柱の造りですね。
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1945年の終戦後のことです。戦後は財閥解体で富士銀行函館支店として営業を続けますが、
1968年(昭和43年)当時は、一番の繁華街である函館駅前に移転するの伴い、この建物は函
館ドック(当時の名です)の造船技術者の手で高級ホテルへと生まれ変わります。それが、「
テル・ニュー・ハコダテ」で、写真をよーく見るとアルファベットでそう書いている看板があります
ね。

その奥には赤レンガの建物。道路を挟んで左側の建物は、現在地元の情報通信企業大手の
株式会社SEC(エスイーシー)の末広ビルで、以前は1906年(明治29年)に建てられた旧函館
貯蓄銀行本店でした。といっても1924年(大正13年)の大火で全焼し、この建物はその2年後の
1926年、鉄筋コンクリート製で建てられたものです。それにしても、函館は何度も大火に見舞わ
れていますね。戦前は、それこそ大火の町として世界中に知られている存在でした。あまりあり
がたくない名ですね。
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函館市立博物館郷土資料館です。以前の金森洋物店。1880年(明治13年)の建築ですよ。
よく残っていたこと。130年以上の歴史を残しています。
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というわけで、今日はここまで。体調が完全ではなく、30%ほど、 油断していました。
健康管理に気を付けなくては! 

ではまた明日 

 初めての「函館スペイン週間」(17日から23日まで)で、市内は盛り上がっています。
第21回目となった「函館西部地区バル街」も同時に開かれていて、昨日の十字街は人
でいっぱい。特に函館には、若い女性がこんなにたくさんいたのか?と驚くほどの人出で
した。着物姿の若い女性たち、フラメンコを踊るセクシーな衣装の女性たちでごった返し
ていました。スペイン大使館の方も来函、スピーチしていました。

バル街とは、スペインのバル(立ち飲み居酒屋)を真似て、チケット8店で前売り3500円、
当日券4000円、つまり500円でお酒1ドリンクとおつまみ1つを飲食でき、それを8店舗
回ることが出来るシステム。
チケットは4900枚も売れ、出店は函館市内のお店の他、東北地方からも計76店も参加
していました。初参加となった旧ロシア領事館ではソプラノ歌手の歌も披露され、ピロシキ
などを味わいながらエンジョイしていたそうです。

私も、旧丸井デパート、現在の函館市地域交流まちつくりセンター内で開かれた「サンチ
ャゴ巡礼の道」講演会を聞き、近いうちに行くぞ!と 感動して帰って来ました。残念ながら
その後のスペイン映画祭の映画を観賞することは、風邪気味だったので断念、フラフラし
ながらもしっかり目を見開いて運転して家に帰りました。
まったく、こんな時に風邪を引くなんて・・・情けない。21日の朝、頭がもうろうとしている中
でブログを作成中です。誤字脱字などの間違いがあったら、ゴメンナサイ。

 昨日は、同じ場所で大間原発に反対する「バイバイ大間原発はこだてウォーク」の集会
とデモ行進もあって、集会場所はここ旧丸井デパート。 函館市民はみな大間原発に反対
しています。市民を無視して建設を進めるなんてとんでもない!

 さて、旧丸井デパートは以前紹介しています。まず、レトロな建物から。
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3月に写したもので、まだ雪がありますね。
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内部に入って見ます。
東京以北で最古のエレベーターがここにあります。
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係りの人にお願いすると開いてくれるそうです。
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こんな風に、蛇腹のエレベータ―。1934年(昭和9年)の函館大火以後に設置されたもので、
実に80年前のエレベータ―ですね。

これは時計ではありません。階を示す針。超レトロ!
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1階には工業高校の生徒たちが作製した家具も置かれていました。
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函館家具。開港とともに西洋の文明が、江戸時代末期の箱館に導入され見よう見まねで
欧米の家具を作った職人さんがいたのですね。函館工業高校建築科はその良き伝統を
引き継いでいます。
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そして、この階段。大理石の階段ですよ。
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今でもきれいに磨かれていて美しいですね。素晴らしいです!
 さて、ここから次の電停「末広町」へと歩きます。函館山の方へ登れば、400mで元町教会群
へ。港へ行けば、390mで赤レンガ倉庫群へ。
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最初の坂、大三坂。昔、坂の下に木下という人が住んでいたので「木下の坂」と呼んだが、
その後、大三という家印の人が住んだので「大三の坂」へ、その後「の」が抜けて「大三坂」
となったそうな。
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ここは二十間坂。二十間は36メートル。それだけ広い幅があるから名付けられました。
きっと大火の後に、広い空間が必要と、考えたからでしょう。
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 今日はここまで。下の写真は消すことが出来なくて、同じものを使用してしまい申し訳
ありません。では、また明日


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基礎工事が完了し、床を設置します。
最初に、基礎の上に土台を据えていく。土台の木の色が茶色なのは防蟻(ぼうぎ)対策しているから。つまり木材の大敵であるシロアリに効果があるために薬剤を塗っている。もちろん人間には安全です。
腐れ対策の意味もある。この木は、加圧注入式防腐・防蟻処理され、表面塗布された木材です。

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まずほぼ正方形に近い外側の基礎コンクリートに土台を設置。その土台から中の基礎に向けて枠をはめるかのように土台を渡す。つなぐために、ただ釘を打つだけではない。
つなぐ土台には、楔状に外れないようにガッチリと組み合わせていて、そう簡単には外れないようになっている。

これをカスガイというのだろう。カスガイ、漢字で書くと鎹と書く。意味は「土台のつなぎ目や、梁(はり)と梁をつなぐためなどになどに打つ金具。二つのものをつなぎとめる役目をなすものの意にも用いられる。」と広辞苑には書いている。
こんな感じですね。

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これは上から写したもので、横から見ても、ガッチリと組合わさっている。

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そして、土台の空間には調節できる金具がある。

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大工さんは、これをまず基礎のコンクリートに釘で打ち込み、土台と調節している。ネジがついていて、微調整出来る。地震で揺れても受け止めることが出来るから。揺れを抑えるのです。

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そして、すべての外枠につながった土台。

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風呂場にはEPSが設置される。ビーズ方ポリスチレン・フォームのこと。グラスウールの1、5倍の断熱性を持つ優れた素材で、壁には内側だけではなく外側にもつけます。内外ダブル断熱、これでかなりの省エネになります。

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上から見ると、まるで碁盤の目みたい。80cmの升目が出来ている。この空間に、ウレタンファームが埋め込まれる。厚さ10cmほどの断熱材だ。これで、冬場の冷気を遮ることが出来る。

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翌日、大工さんは埋め込んでいく。

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この枠には、釘を打つ場所がマーキングしてあって分かりやすい。釘も大きなホッチキスみたいな機械で打ち込む。まるで機関銃を撃つみたく、バチバチと長さの半分が板に打ち込まれる。その後は大工さんの腕。次々と釘を打ち込み、ガッチリと板を留める。

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そして、1階の床がすべてこの断熱材で覆われたパネルで埋め尽くされた。

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かなり広い面積。まるでここで巨大な駒を使って将棋が出来そう。完成後、ブルーシートを被せて養生する。

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というわけで、床が出来ました。柱がないのが不思議な感じがするが、在来工法ではないので造り方が独特です。22日からは足場を組んで壁を造ります。それはまた後程。

それでは、また明日♪♪♪

昨日、「箱館歴史散歩の会」主催の、第116回目となる西部地区石碑巡りに参加して来ました。
今までも何度も歩き知っていたつもりでしたが、箱館物知り博士の中尾仁彦さんの案内で、未知の西部地区をさらに知ることになり感激して帰って来ました。3時間近くに及ぶ散歩は、新たな函館の歴史を学ぶさらなるきっかけを与えてくれた気がします。
それにしても、今回で116回目とは大したものです。冬場は休み、4月に入って再開し今回のは2014年度の第1回目で、次回は4月27日を予定しています。

たまたまですが、集合場所の以前紹介した函館市まちづくりセンター、つまり旧丸井デパートではなんと「サンチャゴ巡礼の道の写真パネル展」が開かれていて、これまた感激!しました。
「箱館歴史散歩の会」については後日紹介するとして、今日は昨日感激した巡礼路についてお伝えします。

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この国旗、お分かりでしょうか?
スペインの国旗ですね。スペインの北西部のサンチャゴ・デ・コンポステーラという町にある大聖堂までの道のりを「サンチャゴ巡礼の道」といいます。
キリスト教の三大聖地は、ローマ、イエルサレムそしてサンチャゴ。特にここは十二使徒の一人、聖ヤコブの聖地でもあり、遠くはフランス、パリから歩く人もいるくらい。大抵はスペイン国境近くのフランス領から歩き始める約1000km以上にも及ぶ巡礼の道です。3000mを越すピレネー山脈を越えてビスケー湾に沿うような形の道ですが、決して海沿いを歩くわけではなく、山あり谷ありの険しい道のりです。
四国の八十八ヶ所巡りのお遍路さんの道と同じ感じですね。

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四国お遍路さんの道は、私は11年前から冬に休暇を取って、2週間ずつ3年にわたり36寺まで歩きましたがその後中断、退職した今残りを歩き通したい気持ちがいっぱいです。いつか、その旅のblogも紹介したいです。

スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラも10数年前に興味を持ち、いつか歩きたいな、という旅心を持っています。昨年は巡礼の旅人の心情を描いた「星の旅人たち」という映画を見て、さらに感激しそれに関する本を何冊か読み、行きたい場所のリストのトップに近い方にあります。

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それでは、写真を見て行きましょう。歩きたいな!
と、そそるものばかり。素晴らしい風景です。

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伝説によると9世紀、十二使徒の一人である聖ヤコブ、スペイン語でサンチャゴの墓が発見され、その場所に大聖堂が築かれました。当時は、イベリア半島を支配していたイスラム勢力との戦いであるレコンキスタ(国土回復運動)の最中です。キリスト教徒の人々を勇気づける意味合いもあったのでしょう。
その巡礼の道は1993年に世界文化遺産に登録されました。
巡礼者のシンボルはホタテ貝。道のあちこちに道標(しるべ)としてホタテ貝の絵が描かれています。四国で、お遍路さんの絵のステッカーが貼られているのと一緒ですね。

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実は、20の日曜日、巡礼者をサポートしているNPO法人の「日本カミーノ・デ・サンチャゴ友の会」(東京)の森岡朋子理事長さんが、10回歩いた巡礼路の魅力について講演することになっています。「歩く中で自分と対話し、生きる喜びを感じた。その経験などを紹介したい」とのこと。
当日は、同会場で、スペイン映画「マルティナの住む街」(2011年製作)も上映するので、20日はスペイン特集の日になりそうです。

なお、19日から4日間は函館スペイン映画祭になっていて、なんとスペイン大使館提供の映画4本が市内の映画館などで上映され、さらに「スペイン料理フォーラム」が終了後の21日、日本最初の西洋料理店である「五島軒(ごとうけん)」で開かれます。
私の大好きな国スペインがいよいよ函館上陸。20日夜は第21回目となる西部地区バル街もあります。

ブラボー!!スペイン。

ではまた明日♪♪♪

ヒートポンプは何度も登場しますが、我が家のヒートポンプは地下3mほどなので、正確にはクール・チューブと呼ばれる地中熱利用のヒートポンプのことです。
まずは、最初に家の中で利用する地中熱の口。

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明日は床を断熱材で塞いでしまうので、その前に写真を撮りました。この口、外気を取り入れた空気が、地面の下3㍍をぐるぐると地中のクール・チューブを通すことによって地中熱と熱交換した空気を建物の中に取り入れる口です。

本来の地中熱ヒートポンプは地下10㍍より下で一定となった地中温度を利用しますが、費用も莫大にかかるのでやっていません。その代わり、ショベルカーで掘る3㍍ほど、しかしチューブが敷地の中をぐるぐる10㍍ほども地中を這い回っています。以前の写真にもあったように直径30cmの黒いチューブがありましたね。

外気を取り入れて、室内に供給するときに、地中熱を利用し夏は冷却、冬は加熱を行う方法です。

これが、断熱材のEPS。Expanded Poly-Styrene

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拡大したポリスチレン・フォームという意味。石油を原料とした鉱物化学系断熱材に属しますが、ガラスを再利用したグラスウールは過去のこともあり信用が出来ないので、これを使用するハウスメーカーさんに依頼しました。グラスウールは、どうしても長い間に壁の中でずり落ちたり、湿気を含んでカビが生えたり黒ずんできたり、と問題を発生します。それに対してグラスウールの1、5倍の断熱性、優れた防湿性や長い間使用しても変形やずれ落ちないなどの長所があります。これを壁や天井にも採用しています。
詳しくは、上棟の時にまた紹介します。

続いて、水回り。

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いろいろなホースがありますね。水とお湯のホース。

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割安な深夜電力利用のエコキュートの給湯器を使いお湯を供給します。効率よく給湯できるヒートポンプ方式で、高い省エネ性能を発揮します。ガス給湯器の5分の1のランニングコストにもなるそうで、光熱費を大きく抑えることが出来そうです。これも、そのうち詳しくお知らせします。

昨日、ウレタンフオームの床断熱材が搬入されました。

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クレーンで移して、明日はこれを床に敷き詰めるのかな?

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その作業は、また後程。ではまた明日♪

箱館の名前のゆわれとなった、室町時代初期に函館山山麓、現在の基坂(もといさか)の突き当たりに箱形の館を築いた河野政治通(こうの まさみち)。彼が、その館の東南の隅に社を建て奉ったのが八幡宮の始まりとされています。それは15世紀の初めでした。
その後、1804年、11代将軍の徳川家斉の時です。現在の函館西高校が、坂の上にある場所に移転しました。その坂こそ、日本1美しい坂に選ばれた八幡坂です。八幡宮がある、ということで名付けられたのです。
ところが、1878年(明治11年)と翌年の二度にわたる大火で全焼、1880年(明治13年)に現在地の谷地頭に移転したのでした。同じ、函館山山麓でも方向が違いますね。社殿は、八幡坂では函館湾を望む北の方向を見ているし、現在地は下北半島を真正面に見る津軽海峡側の方向、南を見ています。今の建物は1913年、大正2年に起工し、1918年(大正7年)に完工しています。
ちょうど、第一次世界大戦の前年から工事開始し、戦争終結の年に完成ということですね。一説によれば、本殿は将来は国宝建造物に指定される代物だそうです。

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さて、坂を登って行きましょう。山の山麓にあるだけあって、急傾斜で登って行きます。さて、ここで問題です。階段は何段あるでしょうか?

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急な階段のとなりには、お年寄りもゆっくりだけど登れそうな「女坂」が造られています。

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階段の数 答え=108段でした。

煩悩の数と同じですね。大晦日の除夜の鐘の数字です。死(四)と苦(九)が過去、現在、未来にもある。 4×9×3=108

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本殿が見えてきました。

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屋根が特徴的な本殿。明治時代には、夏の例祭には大きな山車が7台も、しかも3日3晩も市内を練り歩くという大きなお祭りでした。

実は函館の町では、お盆は7月に行われています。明治時代の文明開化で太陽暦が採用されるとお盆は7月にするか、8月にするかで結構揉めたそうです。今はほとんどの地域で旧暦の8月にしていますが、函館では八幡宮の例祭が8月にあり、かち合うと忙しくなるから新暦7月13日にお墓参りすべし、となったのです。全国的にみても珍しい函館のお盆です。

春を告げる花、「福寿草」が咲いていました。

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というわけで、終点、谷地頭はこれで終わります。次回は次の終点である「函館どつく前」までの路線を紹介します。

それでは、また明日♪♪♪

前回、44の終点「谷地頭」では谷地頭温泉と旧谷地頭小学校(現在の青少年研修施設ふるる函館)を取り上げました。
古い地図では、谷地頭には「函館麦酒(ビール)醸造所や勝田温泉、金森温泉、今もあるのかな?池の端温泉なども記入されています。今とは随分違いますね。

さて、ふるる函館の坂を登っていくと「碧血碑 旧幕府軍の墓入口」の標注があり、さらに坂を登ると大きな碑が見える。夏、電停から歩くと大変だ。汗かきかき函館山を正面にして坂を登るのは、相当しんどいはず。夏になると土方ファンの観光客がよく来るけど厳しい道のりだと思います。

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碧血(へっけつ)とは中国の故事で「義に殉じた志士の血は3年経つと碧(みどり)色になる」から来ています。

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箱館・五稜郭の戦いが終わり、新政府軍の戦死者は招魂社(現在の護国神社)に手厚く葬られます。が、賊軍と蔑まれた旧幕府軍の死者たちその数600体とも800体ともいわれ、市内あちこちに放置されたままだったのです。
それを見た地元の任侠の柳川熊吉は、子分600人とともに遺体を函館山山麓の実行寺に葬り、さらに山麓に土地を購入し改葬しようと決意します。これに協力したのが、特赦により出獄した旧幕府軍の幹部である「蝦夷共和国」総裁の榎本武揚と大鳥圭介ら。
1869年、明治2年のことでした。戦いが終わったのが5月だから、その年のことです。
台座の裏には「明治2年に実際にあったことである。山上に石を建てて悲しみの意を表す」と記されています。

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その碑の裏には、ひっそりと小さな墓がありました。「徳川・・・宮田登輔・・・」の文字が見えます。

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近くには熊吉の碑もあります。1913年(大正2年)熊吉が88才の米寿にあたる年に建てた「柳川熊吉翁之寿碑」。

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というわけで、戊辰戦争最後の戦いである箱館・五稜郭の戦いが終結して今年で145年。しかし、今でも碧血碑には花や千羽鶴が絶えることはありません。全国から土方などのファンが集うのです。
土方の遺体は、部下が市内のどこかに埋めて今も発見されていません。戦死した場所は、函館駅の近く、若松町の一本木関門であることは知られています。
彼は、ここ函館のどこかで永遠の眠りについて、天国から静かに見守っていることでしょう。
新天地の北海道で、新しい国を創ろうとした彼らは決して賊軍ではない、選挙で総裁を選び共和国を創ろうとしたのだから。

では、また明日♪♪♪

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