函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めた車中泊中心の「ぼうけんの旅」は今年で13 年目に突入。 車中泊の貧乏旅行の旅、今年で74歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 今年2026年も「ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです! 今年も「ぼうけんの旅」をよろしくお願いいたします。

2026年が明け今年は74歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!時々は自転車を積んでの軽バン一人旅の始まりです。

2014年06月

 毎晩というか毎日深夜興奮しています。サッカーワールドカップベスト16の試合を
見て、エキサイティングの連続で、特に昨日のブラジル戦は延長でも決着つかずPK
戦だったし、今朝のオランダVSメキシコは後半終了間際に同点に追いつき、アディ
ショナルタイムで加点し、2-1で勝利。コスタリカVSギリシアもPK戦までもつれ込
んでコスタリカが勝利するという、すごい試合でした。ギリシアも後半最後に追いつ
いて同点にしているし、毎日目が離せませんね。


 さて、今日は国産初の2連結型超低床電車の「らっくる号」を紹介します。
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他の都市の路面電車でも低床電車は走ってますが、それは輸入車。函館では2007年
(平成19年)日本で初めての国産の超低床電車が走ったのです。
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製造は、大阪府摂津市のアルナ車両株式会社。阪急阪神ホールディングスの子会社で
路面電車所領のトップメーカーとして高いシェアを持っており会社です。

ところで、この車両の値段が気になりませんか?そこで、問題です。この車両の価格は?
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答  2億円でした。

私は想像ですが、5000万円くらいかな?と思っていたらなんと2億円とは!
もっともきちんと整備して50年は使用するのだし、毎日利用者をたくさん乗せているの
だから、乗用車に比べると安いかも知れないですね。何せ、公共交通機関ですからね。

名前の由来は、「楽に乗り降り出来て、フタコブラクダのような電車が迎えに来る」ことか
ら、ラクダのラクと来るのクルから、らっくる号と付けたそうです。

内部を見ましょう。
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ブルーのシートが素敵ですね。サムライブルーのような色!?
運転席も覗いて見ます。
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というわけで、駒場車庫を見学し、ササラ電車、花電車、箱館ハイカラ號、らっくる号と
四つの特別な車両を間近で拝見することが出来ました。

それでは、また明日  

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 花電車って何?と思う人がいるでしょう。別に花でいっぱいに飾られた電車のことでは
ないです。
夏8月の函館港まつりに合わせて、市内を走る電飾された電車のことをいいます。まずは、
御覧下さい。
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こんな風に電飾された電車です。初めて運行されたのは、1914年(大正3年)8月14日。
だから、今年の夏でちょうど100周年。函館八幡宮大祭に合わせて2日間運行されたの
が始まりです。
当時は、客車全体を杉の葉で包み大きな造花の芯に白色灯を点火した簡素なものだった、
そうです。
上の写真の電車は、1936年(昭和11年)に函館で製造された電車です。
説明して下さった方が話してくれましたが、「夏の夜に運転すると、虫がたくさん寄って来て、
何度も刺される」とこぼしていました。フードもないし、むき出しの運転席ですから、もろに虫
に当たりますね。見た目は華やかでも、動かす側は大変なんですね。

一方、電車を点検するのを拝見。
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このように、下から車体を点検するのですね。
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係員がチェックしていますね。検査の種類は、3日以内に実施する隔日検査、3か月以内
に実施する月検査、3年以内に実施する重要部検査、6年以内に実施する全般検査、電
車を購入した時や重要な改造・修繕をした時に実施する随時検査があり、基準を設けて
整備しています。

最後に「箱館ハイカラ號」。
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1910年(明治43年)12月に千葉県成田市で走り始めた電車が、8年後の1918年(大正7年)
に函館にやって来た電車です。1934年(昭和9年)の函館大火で、この成田の電車3両のうち
2両が焼失、1両のみが焼失を免れました。唯一残ったこの電車、1937年(昭和12年)に除雪
のための昨日紹介したササラ電車に改造されますが、1992年(平成4年)に函館市制施行70
周年記念事業の一つとして、当時の姿に復元します。
翌1993年、昔の姿に復元された「箱館ハイカラ號」の愛称で再び函館の街を走りました。そして、
昨年はハイカラ號20周年を迎え、今もこの超レトロな電車は市内を走っているわけです。

ということで、珍しい花電車と昔のチンチン電車を紹介しました。

それでは、また明日 

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 6月のある日、市電の車庫である「駒場車庫」を訪問しました。係りの方から丁寧に説明して
いただき、とっても勉強になったことがあり、今日はそのことを報告したいと思いました。

箱館歴史散歩の会の月例探訪で訪れた「駒場車庫」。
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その中で紹介したいのは、この電車のことです。
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通称「ササラ電車」。正式名は「木造四輪ブルーム式電動除雪車」と長い名前で呼ばれて
います。車両の前部に竹ひごを束ねた「ササラ」を取り付けて、ほうきのように回転させて
線路上の雪を排除することから名付けられたそうです。
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もともとは東京市電(当時は東京都ではなく、東京市)で客車として走っていた電車。
きっと、銀座あたりを走っていたのかな?100年以上も前の話です。東京では、大正
時代に入ると、第一次世界大戦の好景気で東京の市電は大人気。多くの人が乗車
することになり、電車の大型化が図られてこの型の電車は引退を余儀なくされました。

20年近く経った後の1934年(昭和9年)函館は大火に見舞われます。何度も説明して
いますが、20世紀の3大大火です。2000人以上の方が亡くなりました。当然函館の市
電も多数焼失しました。その時に声が掛かったのが引退していた東京市電です。幸い
軌道幅が一緒だったため、45の車両が譲り受けられたのです。

東京で引退した後、第二の人生が北都函館で生きることになったのですね。
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普段は、内部に入ることは出来ないので、この日多くの函館市民が訪れました。

これがササラと呼ばれる竹ひごの束。腰が強く折れにくいとされる孟宗竹を使用しています。
山口県の竹で、値段はなんと1車両に付き90万円。一冬で軽自動車分の竹が消耗されるの
です。長さ25cmの竹ひごを200本付けて1束、それを900束で2.6メートルの軸に取り付けます。
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すごいですね。ただ、除雪といっても線路上に積もった雪をはね飛ばすだけで、飛ばされた
雪は道路へ。道路の雪は、さらに除雪車で排除されダンプカーに積まれ、除雪専用の土地
で捨てられ雪解けの春まで待ちます。以前紹介した雪捨て場は、野球が出来るグランドで、
高さ10mくらいまで捨てられた雪が積もり重なっていましたね。
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というわけで、今日は珍しい「ササラ電車」の紹介でした。
実に100年以上も働いて、今なお現役のササラ電車。この冬も活躍するでしょうね。

ではまた、明日 

達磨太子像の近くに稲荷神社があります。稲荷神社は八幡神社とともに全国で1、2位を争うほど数の多い神社ですね。その数は数万社ともいわれます。
名のように、五穀豊穣を祈願する神社で、農民たちの信仰の場ですね。豊作を祈願したのでしょう。

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階段を登って行きますと。

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背後はうっそうとした杉の木が繁る森です。

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正面を見ましょう。

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その横にあったのが、石神神社。

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中を覗くと長さ30cmほどの男性の性器の形をした石がありました。そう、ここは書かれているように健康の神、育児の神でもあったのです。
まぁ、いわば原始的土俗信仰の一つとして古来から信仰されてきたのですね。

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というわけで、思わぬ発見があった1日でした。それでは、また明日♪♪♪続きを読む

我が家から自転車で20分ほど、トラピスチヌ女子修道院へ道の角の丘陵にコンクリート製の階段が続いている。そこには「道南名所15選 3位」と書かれた看板がある。

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階段を登って見ることにしよう。細かい所は掃除も行き届いていないのか、蜘蛛の巣に何度か引っ掛かってしまった。それでも、登りきった場所に高さ7メートルはゆうにある達磨像が、そして訪れる者を暖かく迎えるように堂々と鎮座していた。

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ズームして見よう。眼には何かが入れてある。

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その脇に建つのが、建設者の斎藤キワさん(1959年、昭和34年没)の胸像。

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達磨さんの像の脇を通り抜ける、踏み分け程度の道がある。落ちていた枝で、蜘蛛の巣を払いながら道を進む。道の両側には幟が立てられている。きっと、信者の方々が用意して立てたのだろう。行き当たりに小堂があり神様が奉られている、と思われる。もちろん戸には鍵が掛かっていて開けられない。

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数十メートル進むと、文字が消えて読めなくなった碑がある。

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さらにその奥に、不動明王の像がある。

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さらに左の道をたどったら、足のある龍の像がまるで小屋から出てくる姿であった。非常に不気味な形で、夜だったら絶対来たくない。太陽がサンサンと輝いているから来たのだ。

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というわけで、霊場らしき場所、それが達磨太子の像がある上湯川の丘陵でした。少なくても1951年(昭和26年)ころに斎藤キワさんが建てています。ちょっとした、不気味だけど霊を感じることが出きるワンダーランドみたい場所でした。

それでは、また明日♪♪♪

残念ながらサッカーワールドカップ、日本は1ー4でコロンビアに敗退しました。長谷部キャプテンが話していたように、「力不足」があります。何度もチャンスがありながら、決定力不足でゴールを取れない。シュート数ではかなり上回っていましたよね。
仕方がない。また、4年後チャレンジして欲しいです。本田は32歳か、新戦力の登場が待たれます!

さて、東京地方は昨日すごい天気でしたね。三鷹では雹(ひょう)が降って、まるで真冬の北海道のように積もった映像を拝見し驚きました。大雨も降って、関東地方の皆さんはお気を付けて下さいね。
函館は快晴の1日。こんな日は、外へ、と愛車のペダルを踏んで郊外へと出掛けました。緑園通りという、戦前鉄道が敷かれる予定だった道がありました。現在は、歩行者と自転車だけの道です。

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実は、戦時中の1942年函館駅(実際には五稜郭駅から分かれて)と下北半島に一番近い旧戸井町まで鉄道を走らせようとの計画がありました。北海道の石炭などを運ぶ函館港が空襲されるのを防ぐため、戸井と大間を貨物船が運ぶ、大間からは下北半島北辺を大畑(現在はむつ市)まで鉄道で結び、廃線となった大畑線、現にある大湊線と繋げ、野辺地で東北本線と繋がる、という壮大な計画だったのです。
実際、函館市内では線路も敷かれ鉄道が走っていました。過去の新聞記事では、「湯川駅で駅に停まっている蒸気機関車があった」や「函館東高校(現在の市立函館高校)裏で列車を見た」とか。

これなどは、まさに鉄道が走っていたことを証明する橋ですね。

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アーチの間を蒸気機関車が走ったのです。手前の白い橋は歩行者専用。昔のアーチは崩壊寸前なので補強していますね。
この川に架かる橋の上を走ったのでしょう。

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幻の鉄道、旧戸井線は郊外では今でもその足跡を残しています。例えば、旧銭亀沢地区の小学校の校舎へ入る校門には、石造りの高架橋があります。

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さらに汐泊川(しおどまりかわ)の河口付近に残る橋桁。

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旧戸井町へ行けば、もっと鉄道遺構が残っていますが、この辺で帰ります。帰りの農地で見た広大なジャガイモ畑。イモの花が咲いています。

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奥に見えるのは、旧戸井町の汐首岬。あそこまで、鉄道が敷設される予定だったのです。

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函館山と市街地も見えました。

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果てしのないほど広がる黄色の菜の花の大地。

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最後に、刈り取られた牧草地の草を干すために、疾走するトラクター。乾燥された牧草は機械で巻き取られ、ロールにされます。横に巨大な積み上げられた牧草ロールがありますね。

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それでは、また明日♪♪♪

今朝のワールドカップを見て、ブラジルの選手の後ろに眼があるようなプレーを見せつけられると、とても敵わないと痛感しました。私の個人的な感想ですけど、日本チームは5大会連続出場で強くはなりましたが、世界レベルではまだまだ、もう少し経験を積まなくてはいけない、と思いました。
サッカーに比べて、ラグビーの取り上げ方が低いです。日本代表は、土曜日のイタリア戦で史上初の勝利をあげ、ワールドカップに向けてテストマッチ10連勝をしているのに、スポーツニュースで紹介しているだけです。
もっと、ラグビーも取り上げて欲しいなぁ。2019年には、日本でワールドカップが開催されるのに。もっとも、サッカーとラグビーを応援するファン層は違うけどね。

さて、先日サイクリングしていた時のことです。上湯川という、昔は農村地帯で、私が小学生の頃は熊も出るような地域でした。前にも紹介しましたが、私の小学校である湯川小学校の校区は非常に広く、山を越えて通学していた児童もいました。今こそ有名な観光地になっている、上湯川地区の近くにあるトラピスチヌ女子修道院は完全に俗世間から遠く離れた場所だったのです。
それが、30年ほど前からは住宅街となった地域ですが、そんなところをを走っていたら、偶然藁葺き屋根の民家を発見しました。
屋根は手入れが行き届いていて、決して荒れているわけではない。逆にきちんと整備されて保存している、といった感じです。

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手前には栗の木があって、昨年採ったのかイガグリがたくさん落ちていました。

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正面に回って見ましょう。隣に所有者の住宅がありますが、歴史を感じさせるなかなか立派な建物でした。

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最後に、私の友人の、いつもコメントしてくれているプロレス亭卍楽さんから
、来る6月28日(土)寄席を開くので、ということでチラシをいただきました。前回出席したら楽しかったです。興味のある方、是非お聞きになってみては?

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それでは、また明日 ♪♪♪

天気の良い昨日の日曜日、我が愛車を東の方向へと走らせました。目指すは、長雨のためにしばらく出漁を抑えていたコンブ漁が、久しぶりの好天で漁に出た、下海岸と呼ばれる函館市郊外の沿岸部。日本有数の昆布の産地です。
走っていたら早速、取れ立ての昆布を干していました。

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一昨日の土曜日に採った昆布は、かなり乾いていますね。1日で水分は蒸発し、昆布は塩を吹き出している。

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途中の道では、ハマナスがかれんな紫色の花を咲かせていました。北海道でよく見かける花です。

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今の時期は、養殖物が採れています。昆布干しをしている漁師の方とお話することが出来ました。
養殖昆布は、身は薄いが柔らかく、傷もなく品質も均一で、おでんの具やバッテラの材料になるそうです。

夏に種苗を育てて、秋に海中に植え、翌春から夏にかけて収穫します。その間、間引きや周囲に付着した海藻を除去する作業をして、育てます。
漁師の方が、手間隙かけて大事に育てるんですね。
立派な昆布をご覧ください。

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金色に輝いた素晴らしい昆布ですね。天日干しした後、乾燥機でさらに乾燥させ出荷するそうですが、皆さんの食卓にのぼるのはいつになるのでしょうか?
40歳くらいの漁師さんで丁寧に説明してくれました。顔はダメでしたが、昆布はOKでしたので良く撮れていると思います。
艶々した新鮮な昆布ですね。これが味噌汁のだしなどになるのですね。

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あちこちに昆布が干してありました。
天然物は、7月下旬から10月上旬までが漁期で、天然昆布は、肉厚で黒々とした色艶、関西方面では高級品として売られているそうな。
最後に、志海苔(しのり)漁港にて、我が愛車をパチリ。

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漁港には、出漁を終えて戻って来た漁船が係留されていました。朝早くから出漁したんですね。本当にご苦労様です。

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それでは、また明日。それではごきげんよう、さようなら。

昨日は夏至。1年でもっとも昼の時間が長い日ですね。函館では、日の出は4:02、日の入りは19:16だから、1日の内の15時間14分太陽が出ていたということ。逆に云うと、夜の時間は8時間46分しかない、ということです。
旭川では、日の出は3:49、日の入りは19:16ですから昼の時間は、なんと15時間27分もありました。
そして、待望の太陽が出て、青空が広がりました。実に久しぶり、札幌では連続降雨日数が16日、釧路では19日、函館・帯広では16日と梅雨のない北海道で、6月にしては珍しいほどの連日の雨降りでした。昨日からは、天気予報によると晴天が続き、やっと夏らしくなりそうです。
そんな、久しぶりの青空に家にこもっていたんじゃ、もったいない。早速、外に出て我が愛車のペダルをこぎました。

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まずは、海を見ようと、津軽海峡へ。湯川温泉がある根崎の海へ。松倉川の河口に当たるところ所です。
7月後半オープンするネット式プールの作成工事中でした。

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海の中に、確か1周400mの浮き輪を並べて囲み、その内側で遊泳出きる、という海のプールです。もう20年以上継続していますが、経費削減のため廃止の声も挙がっています。出来れば続けて欲しいのですが。

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松倉川の河口と、遠くに函館山が見えています。背後は松前半島。津軽海峡を挟んで対岸には下北半島も見えます。

湯川温泉の、とある大きなホテルの前には温泉発祥のモニュメントがありました。

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さらに進んで、最近完成したばっかりの湯川漁港へ行きます。温泉に宿泊した観光客が気軽に立ち寄り、散歩が出きるように遊歩道も整備されています。

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この時、上空を飛行機が飛んで来たのでパチリ。街路灯の上を通過し、被ってしまい見ずらいですね。

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カモメが飛んできて、すぐ近くに止まりました。全然逃げない。思わず、シャッターを押します。君はモデル気取りなの?

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最後に、波打ち際から沖合い100m、高さ6mほどの堤防の上に上がって撮影しました。少し怖かったけど、まず漁港全体と奥のホテル街の風景。

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逆の方向、函館山が見える西側を。まるで、洋上から撮影しているみたいでしょう。

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というわけで、久しぶりの太陽が拝めて青空が広がった1日でした。道内を旅している皆さんも、やっと晴れ間が出て、特に自転車やオートバイの人は、ツーリング日和で距離を稼げますね。車に気を付けて初夏の北海道をエンジョイして下さいね。

今週はずーっと晴れマーク。夏らしくなりそうです。では、また明日♪♪♪

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 函館市電の三つある終点の一つの「函館どつく前」の坂が「魚見坂」。その一つ南東側の
坂、函館駅よりの坂のことですが、それが「船見坂」、さらに一つ南東寄りに「千歳坂」があり
ます。
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このように、函館山から市街地にかけて20本以上もの坂があり、それぞれに歴史があり
ます。数ある坂の中でも八幡坂は「日本1美しい坂」として輝かしい1位になっていますね。

今回は、この千歳坂、登りつめた所に東本願寺函館別院船見支院がありますが、そのお
寺に辿り着く手前に鯨族供養塔があり、そこを紹介することにしました。
これが供養塔。
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近くに説明の看板があります。
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簡単に、説明します。
この碑は1957年(昭和32年)に建てられました。建てた人は、天野太輔さん。この時83歳。
彼は、長年遠洋捕鯨会社で鯨漁に従事、船長と砲手を兼ね、生涯2000頭以上も捕獲した
のでした。
しかし、80歳を過ぎて、愛する妻とわが子3人に先立たれたことや2千数百頭もの鯨を捕獲
し殺生したことを後悔し、わが身の罪深さを感じます。親子の鯨もたくさん殺したからです。

そこで、彼は自費で供養塔を建てることに、漁業会社や捕鯨会社は彼の心意気に賛助し
完成しました。
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モデルはセミクジラ
碑文には「明治40年以来捕鯨事情に従事せしこと26年の長きにおよび、その間における
捕鯨頭数実に二千数百頭に達せり・・・」と書かれています。
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碑文を読むと幕末、坂本龍馬に英語を指導した土佐出身のジョン万次郎(中浜万次郎)
(1827~1898)も箱館にやって来て捕鯨の指導をしているんですね。
彼は、1841年14歳の時太平洋上で漂流し、鳥島でアメリカ船に救助されます。その船が
鯨油を取るためにやって来たアメリカの捕鯨船でした。当時アメリカは、鯨の中でも体が大
きく脂肪分の多いセミクジラを好んで捕獲しようと、北太平洋に乗り込んできます。ペリー
が開国を強引に迫った理由の一つに、捕鯨船への水、薪、食糧の供給、さらには乗組員
の休養の場が欲しかったからなのです。
彼は、1852年土佐に帰国後は、当時数少ない英語を話せる者として活躍、勝海舟や福
沢諭吉も同乗した遣欧使節の咸臨丸の通訳として乗り込んでいます。
開国後は、幕府は箱館を捕鯨の基地にしようと考えてアメリカで捕鯨船員の経験のある
ジョン万次郎を派遣したのです。
もっとも、はるばる箱館にやって来た万次郎は4日で帰ります。万次郎の技術が時代遅れ
だったのか、はたまた乗組員と合わずに乗船を拒否されたとか、残念ながら万次郎は成
果を残せずに箱館を去りました。

今、鯨を食べることが困難な時代となりましたが、私が小学生の頃は学校給食によく鯨の
竜田揚げなど鯨料理が出ていました。新聞を読むと、調査捕鯨で揚がった鯨を料理として
出す時がありますが、間もなくまったく食べれなくなる時がやって来るのでしょうね。

そんなことを思った鯨族供養塔でした。
それでは、また明日 

たった今、ワールドカップ日本代表の試合終わりました。残念ながら0ー0のドロー。引き分けです。これでは、予選突破は非常に困難、ベスト16進出はまったく望みはないわけではないが・・・次のコロンビア戦でたくさん点を取って勝利するしかない。
何度もチャンスはあったんだけどね。

さて、昨日五稜郭公園の堀では、外来魚のブルーギルの捕獲作業が行われていました。
ブルーギルとは、北アメリカ原産の淡水魚で、雑食性。成長すると20cmほどになるが、五稜郭では10cm前後。まずはその獰猛な姿を見て下さい。

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可愛らしい、と思いますか?
体は小さいけど、堀の中の水生昆虫、甲殻類、貝類、小魚、魚卵など、果ては水草までも食べ尽くす害魚なのです。
誰かがリリースしたのか?とんでもないことですね。鮒、鯉や亀などの在来種を食い尽くしてしまう魚で、ヒラメみたく左右に平たい姿です。

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1周1815mの堀の外周では、30名ほどのボランティアの方々が釣りの作業をしていました。

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一人でバケツ一杯になるまで釣っていてましたが、果たして完全には駆除出来るのか?

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ズームして見ましょう。体長10cmくらいだけど、バケツの中でピョンピョン跳ねていました。元気なんですね。こんなのが、集団でチームを作って大きな鮒や鯉を襲ったら、ひとたまりもないでしょうね。やられてしまう。

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琵琶湖でも問題になっている、スポーツフィッシングの魚ですが、もともとはここ五稜郭の堀にはいなかった魚です。困った問題ですね。

今日も雨。6月でこんなに長雨になったのは半世紀ぶり以上前のことで、ジメジメと湿気が多く不快指数が高いですね。洗濯物も外に干せなくて、部屋の中に吊るしていて、まるで難民生活しているみたい。早く太陽が見たい!
神奈川のtuno君のリポートでは関東地方は、暑い日々が続いているそうな、北海道と逆転していますね。

では、また明日♪♪♪

北海道は、今年記録的な長雨が続いています。今朝の北海道新聞では、6月に入り連日雨、雨、雨。函館では13日間連続降雨、日照時間は11,3時間しかありません。平年値は78時間ですから、平年の15%程度。いかに長雨、日照不足かお分かりいただけるでしょう。6月初旬は、道東中心に35度を越える猛暑日があったのに、6日から天候が崩れ始め、早くも農・漁業のなどに影響が広まっています。
牧草を乾かせない、スイカやメロンの生育不良を招く、長雨・多湿で牛が体調を崩す、コンブ漁足止め、さらには外壁塗装に遅れが生じていたり。
北海道を旅している旅人の皆さんのblogを見ても、連日雨模様で良い景観の写真がないですね。旅人の皆さん、雨にも負けず、風にも負けず、寒さにも負けずに、お体に気をつけて道内良い旅をして下さいね。

さて、昨日紹介した湯川寺ですが、浄土宗のお寺でした。北海道の仏教の歴史は、以外と古く1295年というから鎌倉時代の末期からあります。蝦夷地に島流しされた罪人に対しての布教として日蓮宗の日持上人が最初に上陸しています。
函館に於ける浄土宗は1655年の称名寺で、湯川寺はその「下湯川説教所」として1892年(明治25年)に始まりました。
お寺の境内には、馬頭観音もありました。

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私が子供もころには、各地に馬頭観音像があり、家のそばにもあったことを覚えています。それだけ、馬が動力源だったのですね。馬車、馬そりなどの交通機関、馬を使って開墾するなど。だから馬具屋さんもありましたし、登校する道には馬の蹄に馬蹄を打ち付ける場所もありました。

その隣のお寺の龍吟寺。曹洞宗のお寺ですね。

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ここには函館大火の供養碑があります。何度かblogでも取り上げたことがありましたが、1934年(昭和9年)3月21日午後7時頃、函館山の麓の住吉町のある家から出火した火災は、おりからの秒速30メートルを越す強風により、またたく間に函館市内を蹂躙し死亡者2166名、焼失家屋は24000戸を越えました。
湯川地区に流れついた溺死者や焼失者は600人余り。地域の人々は、霊を慰めるために半年後の9月に供養碑を建てたのでした。

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その隣のお堂。

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境内の目立たない場所に、六地蔵とプラス1が静かにこじんまりと置かれていました。

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それでは、また明日 ♪

以前お伝えした路面電車の旅は、函館市電の紹介でした。その終点が湯の川。電停のある交差点のさらに東に、湯の川温泉発祥の地とされる湯倉神社があり、その先さらに200mほど進むと湯川寺があります。

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滝澤山湯川寺は浄土宗のお寺です。そこにあるのが33の観音様の像。滝沢(たきのさわ)は
地名です。市街地から遠く離れているため、私が小学校の時はよくヒグマが出たため集団下校
したり、先生方が引率して登下校した時もありました。

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実は、この三十三の観音像は、起源が古く1832年淡路島出身の箱館で豪商となった高田屋嘉兵衛の弟の金兵衛の船で運ばれてきて、函館山に置かれたものです。観音像は札所の土と四国の岩で造ったそうです。翌1833年函館山に安置されました。
ところが、明治に入り函館山は津軽海峡を守備するために、1899年(明治32年)函館山が軍の要塞となります。まさに、東洋のジブラルタルと化したのです。
そこで、山中から山裾へ移されていた観音像は、1914年(大正3年)湯川村へとさらに移されてきます。当時湯川は、函館市ではなく村だったのです。33の観音像は、今の競馬場から香雪園にかけて置かれ村民の信仰心や湯川温泉の集客へと利用されました。
私が、小学校の3年生くらいの時の記憶(1961年頃)ですので定かではないが、湯川の奥の丘の上に観音像があったことを覚えています。きっと、この33の観音像の一つだったのでしょう。それが、宅地化、道路の拡張や都市計画により1975年8(昭和50年)ここ湯川寺に集めました。
ところが、2004年(平成16年)に再び道路拡張や区画整理事業で、ふたたび移動します。2007年(平成19年)現在の住職さんが西国三十三箇所を巡礼し、霊場の土を採取して観音像の下に埋め、西国移土三十三観音となりました。

三十三までありますね。

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ところで、西国三十三のお寺はどこにあるかと、いうと。

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関西中心の広いエリアです。住職さんは、歩いてすべて廻ったのですね。偉いことです。だから、お寺の入り口にあったのです。この碑が。

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詳しいことは、案内板に書かれていますのでお読みいただければうれしいです。

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なお、戦後は、再び33の観音像が造られ安置しており、函館山に登山すると拝むことが出来ます。
では、また明日♪♪♪

昨日に引き続いて我が家の進捗状況をお伝えします。まずは部屋の壁です。

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先月5月2日に測定機械を使用して気密性能を調査したところ、極めて高い数値が出ました。3回測定して、ともに相当隙間面積、C値=0,6c㎡/㎡という素晴らしい数値です。
つまり、1メートル四方の面積で隙間はわずかに0,6c㎡しかない、ということです。
築40年の我が家、何度もリフォームしたけど、度重なる地震によるものか、はたまた地盤の悪さか、家は傾き、実際2階の廊下で東側へ、コロコロとボールは転がるのです。台所で洗い仕事をしていると、ワラジ、クモ、この前はムカデまで現れる始末。それだけ隙間があるのですね。だから、真冬の寒い季節は風が入り暖房費がかさむのです。灯油代月に5万円なんて、信じられないでしょうが、そんな時もありました。
今年の冬は、光熱費どれだけ抑えることが出来るか、今から本当に楽しみです。
北海道地域の次世代省エネ基準は2,00c㎡/㎡以下ですのでいかに気密性が優れているかお分かりいただけると思います。外気の影響を受けないこと、これにより湿気、冷気、熱気さらには排気ガス、花粉、害虫などの侵入を防ぐことが出来るからです。

これが換気システムのロスガード90。

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冬でも90%の熱を吸収するので名付けられた換気システムですが、花粉は98%カットすると云われています。

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これが、ヒートポンプ。基礎を造る前に、ショベルカーで3メートルほど掘り下げ地中10メートル以上にわたり直径30㎝ほどのチューブをクネクネと這い廻らせています。そんな地中熱を利用したのがヒートポンプです。

というわけで、エコな点を紹介しましたが、最大のは太陽光発電システム。これは以前に写真を撮って紹介していますので省略します。

これ以外にもエコなポイントはありますが、そのうちにまたお知らせします。それでは、また明日♪♪♪

6月13日から15日まで3日間ご無沙汰いたしました。函館市内の方からは、入院したのか?とか再び旅に出て圏外にいるのか?などいろいろご心配かけました。申し訳ありません。
昨年2月9日から毎日1日も欠かさずに続けて来ましたが、残念ながら3日間blogは創れませんでした。最大の理由は、旅のネタがなくなったことです。
函館市内の歴史散歩に関しては、まだまだ幾つかありますが、正確に文章を作るためには検証も必要で、時間を要します。よって、図書館へ行ったりして調査して来ますので、blog休むことにしたわけです。
何ヵ所か訂正しなければいけない箇所もありましたので、お詫びします。なかなか昔のこと故、正確に歴史を検証するのは大変なことです。
そこで、今日は久しぶりに我が家の新築状況をお知らせします。
内装は時間がかかりますが、それでも内部を見ると少しずつ完成に近づいてきています。

例えば、玄関。靴箱が出来ました。

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たくさん靴を収納出来そうです。次に台所。

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左は勝手口。ガラスは3層になっていて、冬外の冷気をシャットアウト出来ます。対面式のキッチンの左側にコンロがありますが、オール電化ですので、今までのガスを使用していたのとは違い、火の心配がありません。火災保険でもエコ住宅で、保険料が安くなるのですね。

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対面式のキッチンにはカウンターが付いています。奥に見えるのはカップボードで、これまた皿やグラス、茶碗などたくさん収納出来そうです。
明日は、さらにエコなところを紹介します。

ご心配かけましたが出来るだけ毎日書き込みしたいので、応援よろしくお願いします。
長期旅に出るのは秋かな?夏は無理ですね。我が家の完成が待ち遠しいです!

それでは、ごきげんよう。さようなら!

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