東京の旅は、昨日でもって終了します。都電荒川線の旅を始めたくさんの思い出の旅は
一旦終えて、次の夏の旅に出るまでは、地元函館の歴史をたどる旅で、箱館・函館のこと
を知っていただきたい、と。
そこで、第1回目。海外との取引では必ず税関が必要ですが、幕末にはその前身の運上
会所というのがありました。今回はそれを紹介します。
設置されたのは、1859年(安政6年)幕末の江戸時代末期のことです。
5年前の安政元年、1854年1月には前年訪日したペリーが再び訪問し、3月日米和親条約
を結び開国します。伊豆の下田と蝦夷地箱館は開港します。実際には1855年、箱館は世界
に開かれた港となりました。
1858年には、大老井伊直弼は日米通商修好条約を、それをアメリカだけではなくオランダ、
ロシア、イギリス、フランスとも結びます。これを安政の五か国条約といいますね。その結果、
神奈川(今の横浜)・長崎・新潟・兵庫(今の神戸)が開港し、翌1859年には横浜・長崎・箱館
で貿易が開始されます。
箱館が国際貿易港となったことにより、1859年税関の前身の運上会所が設置されました。
この運上会所は1874年(明治7年)に函館税関と改称されています。
その場所は、海上自衛隊函館基地隊の敷地です。普段は敷地内へ入ることは出来ませんが、
今回特別に許されました。

外には、運上所の説明が書いてありました。この写真のような函館税関の庁舎は1911年
(明治44年)に建てられ、1972年(昭和47年)までこの場所に存在しました。
残念ながら、庁舎の移転に伴い建物は解体され、海上自衛隊の庁舎が造られています。

基地内へと入ります。先ほどの係りの方が待ち受けていて、丁寧に説明してくれました。

建物の裏側に出ると、対岸に緑の島が見えます。昨年夏、GLAYの野外コンサートがあった
人工の島ですね。ヨットハーバーもあります。

市街地には、金森倉庫群と一際目立つホテル・ラビスタベイ函館が。ご存知朝食日本1の
ホテルですね。

この岸壁で税関の仕事が行われていました。貿易では関税を徴収しますが、それは5%と
条約で取り決めていたそうです。

当時は、海岸線はもっと内側で、海を埋め立ててこの場所に船が停まるように造られた
のでしょう。当時の記録によれば、輸入はほとんどなく、輸出は昆布、するめ、干しアワビ
など海産物が中心でした。

基地内には、こんな物騒な漂流物が展示されていまいした。上ノ国町の沖合の日本海に漂って
いた機雷です。どこの国の物か不明と、といっていましたが、きっとあの国でしょうね。

恐いですね。
それでは、また明日ごきげんよう、さようなら。





























































































































