函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めて「ぼうけんの旅」は今年で12年目に突入。 車中泊中心の貧乏旅行の旅、今年で72歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 いよいよ「2025 年ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです!

2025年が明け今年は73歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!軽バン一人旅の始まりです。

2014年07月

太陽光発電を初めて7月が終了しょうとしています。今日までの発電量などをまとめ、どれだけの数値が出ているのか発表します。

今の時間は午後4時18分。18時までは発電可能ですが。今日は濃霧注意報も出ていて、曇り空。残り2時間でさほど発電しないでしょう。もちろん夜間は発電しませんので、数値に大きな違いは生じないでしょう。

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わずか0,73kw発電していないので、今日はこれ以上増えないでしょうね。

まず、このグラフをご覧下さい。今月の発電量と消費量の数値です。

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なんと973kw/hも発電してくれました。それに対して消費量は269kw/h。前にもお伝えしたように北電との契約は格安な夜間電力を使用するeタイム3。こんな料金体系になっています。

・夜間 (22:00~8:00) 10,67円/kwh
・朝と晩(8:00~13:00、18:00~22:00)26,65円/ kwh
・午後 (13:00~18:00) 36,24円/kwh

これを見ても分かるように、昼過ぎの午後より夜に電力を消費した方が4倍近く得ですね。だから、洗濯などは朝8時までに終えるようにしました。それと15年間しようした冷蔵庫は昔のタイプで1年間の電気代は1,5万円ほど。この際だから省エネ型の冷蔵庫を購入しました。前のよりはより大型(440リットル)ですが年間電気代が5000円を切り,4400円で済みます。徹底的に省エネを計ろうと、考えました。
一方で、売電はどうか?というと。別な数値をご覧下さい。

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869kw/hです。1kwh、38円ですので869×38=33022円。後払いで設置した一条工務店への支払いが月々22930円ですので、差し引き10092円の発電利益ということになります。さらに、104kwh分(発電973―869=104)の自家消費が出来たことを合わせると、すごいエコだと思いませんか?
それに省エネ指数も出てきます。それがこれ。

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二酸化炭素を306kgも減らし、21本分の木を成長させ、石油220リットル分を太陽光で発電したのです。
これらの一覧もあります。

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買電165kwhですが、先程も説明しました格安な深夜電力を使用していたのでそれほどの金額ではないのでは?来月明細表が届くのが楽しみです。

7月は、日照時間が長いですが日射量はそれほどでもなく(濃霧の日もあったり、気温が高いと日射が減る)日射量の多い4月、5月の発電が今から楽しみです。
それと、気温が高いと1℃につき0、45%
出力が低下します。夏の炎天下、屋根の上のでモジュール(太陽光パネル)が70℃になったりすると、25℃の基準状態に比べて約20%も出力が低下します。それを考えると、7月よりも紫外線が強い春の方が、太陽子発電にふさわしい季節なのかも知れませんね。

というわけで、太陽光発電の最初の月が終わろうとしています。やっぱり、太陽の力はすごい!自然のパワーを活用して、環境にやさしく、より安心で安全な電力を生産し利用していきたいですね。

ではまた次回!

新島襄といえば、今から150年前の1864年7月17日のこと、幕末に禁を犯して開港したばっかりの箱館からアメリカに渡航しキリスト教を学び、京都に同志社大学を設立した人物として知られていますね。
昨年の大河ドラマ「八重の桜」の主人公の新島八重さんは、元会津藩士の山本家の娘で新島襄の奥さまになられる方ですね。
幕末の歴史で、新島襄、開港、箱館、キリスト教と繋がっていることに感動を覚えるのは私一人ではないでしょう。現に、密航をした函館港の場所には同志社大学により記念碑が建てられていますからね。
その新島襄の遺髪が納められているのが函館千歳教会です。

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その昔、曙町にあったが、1934年(昭和9年)の函館大火により移転し、千歳町に建てられますが、戦時中に軍により強制的に撤去され現在の松陰町に再建されたのが1985年、昭和60年のことです。
新島襄は帰国後、日本組合基督教会を設立しますが、その函館教会となるのが千歳教会です。彼は中国で断髪してますが、その髪の一部がここ千歳教会にあるのです。

場所は、柏野小学校の近く、市電の通りから少し北へ入ったところにあります。案内板もあり、初めて知った次第です。柏木町かな?と思ったのですが掲示板には松陰町と書かれていました。

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身近に函館の歴史を感じるところがたくさんありますね。今まで知らなかったことだらけです。
退職して自由の身となった今、いろいろなことを知りたいし学びたいです。函館だけではなく、北海道のこと、日本の各地のことを旅し学んでいきたいです。
今は、家のことがあり旅に出ることが出来ませんが秋になって再び勝手気ままな旅に出たいです。

それでは、また次回!

久しぶりに函館歴史散歩を再開します。
今朝も整骨院へ通い、痛めた腰を治療してもらいましたが、すぐに完治するわけではなく、時間がかかりますね。何度か通わなくてはいけません。
それでも、引っ越しのために30kgはある物干し台のコンクリート製の基礎を運ばざるを得ず、それがまた腰に負担をかけるはめに。参りました・・・。

さて、よく晴れた日、中央図書館からの帰り道に寄り道してたら、思わぬものを発見しました。今まで気が付かなかった観音像です。

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梁川町にあるので、梁川観音というのでしょう。知りませんでした。
お地蔵さんもあります。

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管理している人がいるのかな?一部に雲の巣がかかっていたりして、日常信者の方がお参りしている様には見えません。

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それでも、小学校のすぐ近くにこんな建物があったなんて、何度も通っている道なのに気がつきませんでした。

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というわけで、夏観光客で賑わう五稜郭公園から歩いて10分ほどの場所、近くには千代田小学校や交通公園がある閑静なところです。いろいろ調べて見ましたが、何時建てられたのかは全くふめいです。どなたかご存じの方、教えていただければありがたいです。
それでは、また次回!

太陽光発電に関心のある方は多いと思います。いろいろなご質問にすべてお答えすることは出来ませんが、出来るだけ解答したいです。

昨日の続きです。今日の発電を見て下さい。

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午後4時現在で50kw/hまで到達していないですね。よく晴れた日には50kw/hを越えることがあります。屋根に載せているパネルの総量は7、8kwですが、快晴の時など8kw以上も発電する時もあります。担当者に聞いたら、そんなこともあるそうです。日中は毎日快晴!を期待したいです(笑)。
このグラフをご覧下さい。

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発電量から売電量を引くと、それが我が家での太陽光発電の消費量になります。729-656=73kwが今までの太陽光発電での自家消費ですね。
消費量188-買電115=73となることでお分かりいただけるでしょう。
やっぱり、夜や雨降りの日、暗く曇った日などは発電量よりも消費量が上回る時があります。だから、冬季間の発電はどのくらいなのか?については心配なこともあります。冬季は日照時間も短いし、太陽光パネルが雪で覆われてしまうこともあり、発電量はかなり低下するでしょうね。一応屋根には雪止めは付けておらず、積もらずに、自然に落下するようにはしていますが。

ご質問の件、売電価格は毎年下がるでしょうね。北電は、なんとしても泊原発を稼働したく再生エネルギーをこれ以上増やしたくないでしょう。だから、今後は太陽光発電で利益をあげることは出来なくことでしょう。ただ、オール電化の家庭では電気代の上昇を食い止めるために、太陽光発電で自家消費することで電気代を節約出来ます。
今後どれだけ電気代が上がるのか?恐ろしいですね。もっとも灯油やガスも輸入しているわけで、エネルギー代の上昇は家計にきついですね。

昨日の湿度は、エアコンの除湿機能を使用しています。窓を閉めきり、ドアも閉めて居間の湿度を下げました。気温は同じでも、体感温度は全然違いますね。
年間実績は分かりません。太陽光発電をしている方のblogなどを拝見して、後程お知らせしますのでご勘弁を。

では、また次回。

コメントありがとうございます。連日の引っ越し作業と整骨院通い、さらには葬儀後の初七日を迎えるなど忙しい日々が続き、blogの作成も遅れて申し訳ありません。
エコハウスの最大の理由は太陽光発電ですので、私の出来る限りの解答をします。

まず、最初に設備投資ですが、施工した一条工務店は太陽光発電を後払いで取り付けてくれます。私が大手ハウスメーカーが集まる展示場を訪問した時、一条工務店を知りませんでした。スウェーデンハウスや三沢ホーム、土屋ホームなどを見学後、最後に訪ねたのが一条工務店でした。本州では有名なハウスメーカーですが、函館では一昨年の12月にオープンした展示場だったためと、それまで家造りに関心のなかった私の無知もあって全く知りませんでした。
たくさんのパンフレットを比較検討した結果、選択したわけですが、家の性能(C値やQ値など)もさることながら太陽光発電が後払いで屋根一体型で取り付けることが出来ることに大きく魅力を感じました。
だから、初期投資は無料です。普通7、8kwだと300万円以上もかかるでしょうが、毎月売電した料金で月々の支払いをしていけばいいのです。
具体的に話すと、7、8kwで277万円。1kw
あたり35,5万円です。一般に大手電器メーカーでは50万円以上か、近くしますのでかなり安いです。それを10年間かけて金利1%で支払いします。月々は約2,3万円。で、売電は月々いくらくらいになるのか、というと。この数値をご覧下さい。

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7月もあと1週間残して約700kw。多分1000kwに近い数値が出るでしょう。4万円ほどの売りがあり、支払いに2,3万円。利益は1,7万円ほど。冬はトントンくらいかな?まして自家消費しているので、今までの日中の電気代はタダです。まして、消費電力は格安な深夜電力を使っているので、昼間の半額ほどです。ちなみに北電との契約は「eタイム3」です。
それかr、回収のご質問ですが、一般には約10年で回収出来ますが、売電価格が下がってきています。私は昨年度の契約で10年確定の1kw/hあたり38円。今年は確か34円ではないでしょうか?売電価格が下がると、当然回収も延びます。
3つ目のご質問の取り替えですが、少なくても30年は持つはずです。1年につき、1%前後性能が劣り、10年で10%、という具合に経年劣化していきますが、30年前の昔に取り付けたものでも作動しているとのこと、よっぽどのことがない限り発電するはずです。ただ、平屋根に架台で取り付けた太陽光発電のパネルは台風などの強風に耐えることが出来るのは?マークです。

今日は雨降りで、空はどんよりと曇っています。さすがに、今日の発電は低いです。

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この表もご覧下さい。

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今月の発電量と消費量を数値で表したものです。晴天の良い天気が続いた今月上旬から中旬、かなり日中発電してくれました。

最後に、24時間、機械換気していますので雨降りでも窓を閉め戸も閉めていると除湿してくれます。

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この温度・湿度計をご覧下さい。なんと雨降りのムシムシした天気でも室内は60%を切るほどです。窓を開けて外気を入れている部屋はどうか?というと。

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なんと86%もありました。同じ気温でも湿度が高いのと低いのでは全然体感温度が違いますね。なお60%は、ダイニングとリビングです。

太陽光発電に関しては、7月が終了して北電から「電気使用量のお知らせ」が届きましたら、また報告致します。
毎日は無理ですが、出来る限りエコハウスのエコな理由を紹介していきたいと思っています。
それでは、また次回!

7月10日を最後にblog書けずにいました。理由は、まず新居の完成に伴う引っ越し作業に追われていたこと。そして作業中に身内の不幸があり、葬儀に関わっていたこと。それでも重い荷物を運んで今月中には引っ越し完了する予定でしたが、こんな時に思わぬ災難が・・・、それはぎっくり腰に襲われたことです。
まったく、何ということだ!ということでblog10日間お休みしていました。今日から復活!と言いたいですが、引っ越し作業がまだまだ終了せず、休む時もありますのでその時はご勘弁を!

さて、復活のblog1発目は新居の目的の一つであある太陽光発電の紹介です。
エコハウスを造る、それはエネルギーを自分で生産すること。つまり家庭で創るエネルギーは太陽光!だということです。
屋根には屋根一体型のパネル7,8kw/hを載せています。光熱費ゼロ、原発に頼らなくても生活出来ることを考えて、家庭用としては大容量の太陽光発電をしました。
どれだけ発電しているか、まずはご覧下さい。

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10時過ぎの時刻で、これだけ発電しています。8過ぎの段階でもこれだけ発電。

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赤が消費電力。さすがに日が暮れてからは発電しませんが、夏の日照時間が長い今は、朝から生産していて、消費をはるかに上回っていることがお分かりいただけるでしょう。グラフにすると、さらに一目瞭然。

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前日を見てみましょう。快晴に近かった昨日は、バンバン発電していました。

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青が発電、赤が消費。青が圧倒的に上回っていますね。それだけ発電している、ということです。太陽のエネルギーは偉大です。無料で、無限の再生エネルギー。しかもリスクなし、危険性のないエネルギーです。将来は蓄電機も用意して、夜でも北海道電力に頼らずに、しかも車は太陽光から充電したバッテリー・カーを運転出来るようにしたいです。

一方で、北海道電力に売電しているグラフが下です。緑色が売電で、1kw/h当たり38円で卸しています。

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一番電力を食うのが早朝の3時から5時。深夜電力の安い時間を見計らってエコキュートで390リットルの湯を沸かせています。ランニングコストはガス給湯器の約1/5で済むので家計にプラスですね。11月になれば、ヒートポンプで暖かい地下熱を利用する全館床暖房が始まります。4月までの冬季間どれだけ暖かいか、それも楽しみです。

というわけで、これから未来のハイテク・エコハウスを少しずつ紹介していきますね。
では、また次回!

昨日、今日と早朝4時半起床、サッカーワールドカップ準決勝をエキサイトしながら見ました。
まず、昨日のブラジル。一体どうしたのか?1ー7なんて誰もが想像できない結果となってしまった。特に前半23分からのドイツの4得点は、ブラジルのディフェンス陣の完全な集中力を欠いたプレーでした。こんなこともあるのですね。

オランダ、アルゼンチン戦は延長の末、PK戦へ。まさに手に汗握る試合で、アルゼンチンの勝利。
決勝のドイツとアルゼンチン、どちらが勝利するでしょうか?良い試合を楽しみたいです。

さて、前回の函館の歴史の件では2ヶ所訂正させて下さい。一つは函館病院の創立者は高松凌雲ではないことと函館空襲のこと。終戦の時の昭和20年、1945年7月14,15日とアメリカ軍により空襲されています。ただ、6月にも青函連絡船が津軽海峡上で空襲されていますので、市街地だけではなく広い範囲の函館が米軍機により空襲されていることが分かります。

よく晴れた日、五稜郭公園に近い梁川公園付近で幕末箱館・五稜郭の戦いに登場する旧幕府側の代表である「蝦夷共和国」代表、榎本武揚の像を発見しました。


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どうして、梁川公園にあるのか?調べてみたら、榎本武揚の俳号が梁川だったんですね。ということは、彼の俳号にちなんで町の名が誕生した、ということですね。さらに東部地区には榎本町もあるわけだから、彼の函館における影響力は大きい、ということ。
残念なことに土方(ひじかた)町の名がないことです。あっても良いのになあ。
もっとも彼榎本は1836年10月5日、武蔵の国、今の東京JR山手線御徒町駅のある御徒(おかち)町で誕生していますね。
明治政府の大臣などを務めた後、1908年10月26日に亡くなっています。72歳でした。ただ、像の解説には1909年とあります。いろいろと調べましたが、1908年、明治41年に亡くなっています。

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公園は、千代田小学校の向かい側、亀田川沿いにあります。

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右側森のように木が繁っている場所です。

ではまた明日♪♪♪

昨日の実行寺のとなりにある称名寺を訪ねます。
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称という漢字が違いますけど、この称を使用します。案内板が称を使っているからです。
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1644年の始まり、ということは建ててから370年過ぎたということです。函館の歴史としては
かなり古い方ですね。開港時(1855年以後)はイギリスとフランスの領事館として利用されて
いますね。
大火により焼失し、1929年(昭和4年)函館では2番目の鉄筋コンクリート寺院となっています。
正面に回って見ましょう。これですよ。
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高松凌雲は、1869年の箱館・五稜郭の戦いの時に両軍の傷病兵を治療した医師。
そして、市民病院である函館病院創立者でもあります。
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稜雲(1837年~1916年)は福岡、小郡(こごおり)の出身。22歳で江戸へ、医師を目指す。
オランダ医学を学び、フランスの留学する。そこで赤十字精神を学び、戊辰戦争では幕府側
の一員として榎本武揚に合流して箱館へやって来ています。
まさに、日本人初の赤十字活動をした人物です。えらい!
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江戸時代の豪商、高田屋嘉兵衛の顕彰碑もあります。
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これは観音堂。
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そういえば、昨日7日函館山山麓の青柳町にある青函連絡船殉職者の慰霊碑前で法要が
行われた、との記事を朝の新聞で読みました。戦時中の空襲などで乗客とともに亡くなった
乗組員793名を慰霊する法要です。しかし、遺族が高齢化しているために、今年で最後の
法要となったそうです。
函館では、終戦1か月前の7月14日アメリカ軍の攻撃で、津軽丸など10隻が沈没・座礁し
360名が死亡しているなど、北海道と本州を結ぶ津軽海峡の重要港であった函館はたび
たび空襲にあっているのです。
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歴史上の名高い人たちの供養碑やお墓がありますね。
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まずは、土方歳三の供養碑
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函館の名の由来となった、箱型の館を築いた河野政通(こうのまさみち)の供養碑
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高田屋嘉兵衛一族のお墓。
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というわけで、ここ称名寺は箱館の幕末の歴史が学べるところでもあります。
裏手のお墓には、久慈次郎のお墓もあります。それこそ、戦前大リーグ相手に立ち向かった
日本代表の名捕手、久慈。彼は早稲田大学から社会人野球の名門函館オーシャンへ。あの
伝説の名投手沢村栄治の女房役だったのです。
残念ながら試合中にボールが頭に当たり亡くなっています。函館オーシャン・スタジアム前に
彼の碑がありますね。

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 サッカー・ワールドカップ昨日でベスト4が出そろいましたね。ブラジルVSドイツ
アルゼンチンVSオランダ。さすがにこの4カ国強い!9日、10日も朝5時からテレ
ビの前で見るつもりです。
 
 そして、5日から私の大好きなスポーツ番組の一つ、「ツール・ド・フランス」が始まり
ました。世界最大の自転車レース、ツール・ド・フランス。21日間3000km以上を毎日
走るこのレースは、実に今年で101回目。昨年記念すべき100回を終え、2世紀目へと
入り今年はイギリスからスタートしました。ヨークシャーの丘陵地帯を、200名近いサイ
クリストたちが走る風景は絵になるし、見ていてとても面白いです。
サッカーといい、ツールといい7月は毎日テレビに釘付けです!
今日はそのフランスと函館の関係についてのお話です。

 さて、東本願寺函館別院船見支院の隣にある実行寺
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日蓮宗のお寺です。函館七福神の一つ「大黒さま」も奉っています。
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お寺の始まりは1655年(明暦元年)。江戸時代の前半4代将軍家綱の時代です。僧の
清寛が開き、1714年実行寺の名となりました。
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2つ上の写真は「文政」、すぐ上の写真は「天保」とあるので、それぞれ1818年~1829年
(文政元年~文政12年)、1830年~1834年(天保元年~天保14年)に建てられた石碑で
すね。19世紀、開港前の寂しい魚村だった箱館時代に建てられていますね。
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馬頭観音像もありました。そして、これ。
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日仏親善函館発祥記念碑
1854年、ペリー艦隊が来航していたころです。フランス海軍のインドシナ艦隊の乗組員に
病人が出て、ここ実行寺が療養所となりました。
乗組員の上陸と養生、当時の蒸気船のエネルギーとなった薪(まき)、長期間の航海に必要な水と食料の補給などでフランスの軍艦シビル
号などの462名の乗組員のうち、106名が寺で滞在することになったのでした。
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ということで、開港都市箱館はフランスとも関係があったのです。
代表を務めていたフィリップ・クロード神父五稜郭野外劇の発案者でもありましたが、
残念ながら数年前に亡くなりました。
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間もなく7月14日がやって来ます。1789年7月14日。パリ市民が、あの圧政の象徴でも
あったバスチーユ牢獄を襲撃した日です。ブルボン王朝のルイ16世とマリー・アントワネット
を倒すフランス革命の始まりです。
「ツール・ド・フランス」はイギリスからフランス本土へ上陸し、国中を走り抜きます。
フランスと函館、ともに祝福を!万歳!ブラボー 

それでは、また明日!  


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 今朝も早起きして、サッカー・ワールドカップベスト8のブラジルVSコロンビア戦をテレビ
で見ました。世界のベスト8に登場する国々は、やっぱりレベルが違いますね。個々のテ
クニックが日本の選手と比べて格段に上です。まだまだ日本は進歩しなくては。
それと、今回は特に感じたのが、サッカーはラテンの人々に合ったスポーツですね。大袈裟
にプレーすることが絶対に必要。触れてもいないのにわざと倒れてFKを得る、まるで足が
折れたかのように痛いふりをするなどは当たり前。我慢するなんてのはダメ!表情豊かに
オーバーに表現する。それがフィールドで求められるのがサッカーですね。
ラグビーとは全然違う。レフリーに文句を言うなんてのは、ラグビーでは考えられないけど
サッカーでは当然のこと。わざと倒れていても、プレーが中断して拍手をもらう、なんてなんか
おかしい。ラグビーでは倒れている選手のそばでプレーは続行されるのに。

まず、日本選手は顔の表情のトレーニングが必要ですね。怒り、痛みなど大きく大げさに表現
する技術を身に付けなくては。なんて皮肉半分で見ていますが、それにしてもプレーには見応
えがあり、ついつい深夜や早朝でも見てしまいます。
さて、優勝は悲願の地元ブラジルなのか?

 何回か前にお伝えした「鯨族供養碑」の坂、千歳坂の上にあるのが東本願寺函館別院船見
支院

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元町の東本願寺函館別院の墓地管理のために1904年(明治37年)に建てられ、現在の
建物は1926年(大正15年)のもの、などが説明された案内板があります。
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墓地内には、五稜郭の設計をした伊予の国出身の大洲藩の武田斐三郎の奥さまの
美那子夫人のお墓があります。奥さまは箱館の人、悲しいことに27歳で病死していま
す。
1856年日本初の西洋型船「箱館丸」を建造した続(つづき)豊治のお墓もありますね。
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中は見学出来るので、墓地内に入って見ましょう。
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彼の建造した船は、函館港の西側、みどりの島の函館どつく寄りの岸壁に展示されて
います。
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中原悌次郎のお墓。中原はロダンに感動して彫刻家となった函館出身の芸術家。
裕福な家庭で育ち近代彫刻を志した人物。残念ながら結核で33歳の若さで亡くなります。

というわけで、ここ船見町は寺町で、19世紀後半の幕末から明治時代にかけて歴史の登場
するお寺がいくつも存在します。
それでは、また明日 

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函館駅から戸井、恵山方面へかけての海岸線を下海岸といいます。これは、江戸時代に箱館から、お城がありお殿様が住んでいる松前方面への道を上海岸といい、逆に箱館から東へと離れる道を下海岸と呼んだ、と私は勝手に思っていますが、どうでしょうか?
松前から津軽の三厩へと津軽海峡を渡りと、江戸へ近づきますからね。JRの上りと下りと同じですね。東京への上り、離れるのは下り。
その下海岸の国道278号線を、駅からおよそ10km地点、ちょうど函館空港の南側、海に面した場所からほんの少し山側に入ったところに志海苔八幡神社がありました。

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この石碑は、国道に面して建てられているので気を付けて走っていれば発見できるはず。駐車場はないが、鳥居の前に辛うじて1台くらい停めることが出来ます。
八幡神社というくらいだから、戦の神様を奉っているのでしょう。三省堂の「新明解国語辞典」を開けば、「八幡宮」とは「応神天皇を祭った神社。弓矢の守護神として武士が尊んだ」と書かれています。稲荷神社とともに、神社では日本で1、2位を争うほど全国にありますね。
何時出来たのか?それが知りたいですね。境内に石碑があったので、漢字だらけで、とても読み辛いが、よく読むと最後に大正2年8月 志苔村とあります。

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大正2年といったら、1913年です。今から101年前に造られた石碑です。当時は志苔(しのり)村だったんですね。私が覚えてるのは、昔ここは銭亀沢(ぜにかめざわ)村だったことです。それが1964年(昭和39年)ちょうど東京オリンピックがあった年のことですが、銭亀沢村と函館市が合併し、市へと編入されたことがありました。
が、それよりも古い時代は志苔という村だったのですね。

神社の建物は正面に一つ。

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近づいて見ましょう。

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戦さの神様といえば、それこそ沢1本挟んで東側に志海苔館という15世紀に建てられた和人の館がありました。今は整備されて「志海苔館跡」として公園化されていますが。室町時代の道南12館の一つですね。1456年アイヌ民族の一大蜂起、いわゆるコシャマインの乱で志海苔館はまっさきに攻め落とされています。
そんな歴史があるから、この神社の歴史は相当古いのかな?
と思って、狛犬や石灯籠を見ると。

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大正4年11、10なる文字が読み取れました。
境内をよーく見ると高さ1メートル近い大きな石が立っていました。これは何かの意味があるのでは?多分金精様か?男性の性器をかたどった出産、安産、子育ての神様?かと勝手に想像していたら、よくよく下の文字を読むと「力石」とあります。きっと、お祭りで地元の男衆の力自慢たちが持ち上げたのではないでしょうか?
日本のお祭りでも、大きな重たい物を持ち上げたりすることありますよね。スペイン、バスク地方でも大男たちが巨大な石を持ち上げるお祭りがあって、テレビのコマーシャルにも登場していましたね。

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というわけで、よく晴れた日サイクリングして発見した「志海苔八幡神社」でした。
それでは、また明日 ♪♪♪

2日間お休みしました。実は新築の家、そろそろ完成に近づいてきて、いろいろと準備がありblog創ることが出来ませんでした。ご心配お掛けしてもうしわけありません。
特にtuno君からは2度もコメントありましたが、大丈夫ですよ。ただ、これからは毎日更新は無理かも?やっぱり、旅のblogでお伝えしたいですね。なにせ、名前が「ぼうけんの旅」なのだから旅に出ないとね。

それと、「らっくる号」に関してですが、北海道新聞社で出版している「函館の路面電車100年」函館市企業局交通部編 により記事の中に「国産初の2連結型低床電車として函館にやってくることになりました。」とのページがありそこから載せました。
いろいろと参考文献を読みながら、blog創ることにしていますが、中には内容に間違いがあるときがあるかも知れません。その時は、遠慮せずにどしどしコメントして頂ければうれしいです。

さて、先日サイクリングしていた時に、偶然訪れた高穂神社です。

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場所は上湯川のはずれ、崖の下に位置しています。発見しづらい場所ですね。なんと霧島神宮のひとつだなんて、知りませんでした。
そして、ここにはあの「日本一危険な神社」で知られるせたな町大成区太田集落の太田神社の社が設置されているではありませんか。これには驚きました。

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奥には馬頭観音もありました。

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というわけで、思わぬ発見があったこの日でした。自転車でゆっくりとあちこち走ると、普段車で通りすぎて目に止まらない景色も、目に止まるようになります。何気ない光景でも、自転車を停めて歩くとそこには新たな発見があります。だから、自転車が大好き!
家の引っ越しが終わったら(といっても8月いっぱいかかりそう・・・)、秋になるころかな?旅に出たいです。
それでは、今日はこれにておしまい!

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