函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めた車中泊中心の「ぼうけんの旅」は今年で13 年目に突入。 車中泊の貧乏旅行の旅、今年で74歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 今年2026年も「ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです! 今年も「ぼうけんの旅」をよろしくお願いいたします。

2026年が明け今年は74歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!時々は自転車を積んでの軽バン一人旅の始まりです。

2014年10月

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今日からはしばらくの間、一ケ月前に旅した秋の旅を振り返りながらブログを綴って行きたい、
と思います。
題して、秋の旅、総集編。その第1回として、今5月に廃線となった江差線全駅を訪問します。
まずは、在来線(津軽海峡線、新幹線開通後は第3セクターとなる)の木古内駅をスタートして
最初に止まる駅である渡島鶴岡駅
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可愛らしい駅舎でしたが、駅の看板も外され戸もベニア板で閉じられました。
これじゃ、駅舎とは分からない。
ホームに上がって見ると。
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これまた、駅の名が書かれたプレートが跡形もない。背後に、これまた廃校となった鶴岡
小学校が、その立派な校舎を残している。近い内に郷土資料館となる予定です。
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校庭は、新幹線工事の資材置き場となっている。
踏切のあった場所を見ると。まずは、木古内駅方面を見る。
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線路が外されてるのがお分かりでしょう。きれいに切られています。そして、道路にかかる
線路は撤去され舗装されている。線路へは立ち入り禁止のための柵がある。
江差駅方面を見ると。
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同じですね。100m向こうにお寺が見えます。境内を汽車が走る珍しいお寺でした。
今は、左右を確認して汽車を心配する必要もない。
5月11日の廃止当日、ここの原っぱでは数十名の地元有志が大漁旗を振りかざして
出迎えしていましたが、現在は牧草のロールが何個も置かれているだけ。
線路もかなり錆びついている。そりゃそうだ、もう5か月近くも列車が走っていないの
だから。
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原っぱから写すと、鶴岡小学校の校庭にはフェンスが張られていて大型トラックもある。
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鶴岡市は県都山形市に次ぐ山形県第2の都市。明治時代初めの開拓期にその山形県
鶴岡市から未知の土地である北海道へ渡って来て、最初に鍬を入れたのがここです。
だから、鶴岡市と木古内町は姉妹都市になっています。
最後に、鶴岡市との関係の碑がある鶴岡公園に行って見ましょう。
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綺麗な公園でトイレもあり、廃線当日はここの公園で車中泊していました。
その時なかった、こんな記念碑がありました。
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地元の人が江差線を追想して造った碑ですね。

次回はさらに、北へと進みます。ではまたさようなら  

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10月の箱館歴史散歩の会の例会で訪問した高龍寺。
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函館最古のお寺で、江戸時代初期の1633年(寛永10年)に亀田地区で創建された後、
73年後の1706年に移転。函館山山麓の市電通りの一つ山側に造られます。さらに、そ
の後明治時代に入り、現在の土地に移転しています。
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傷心惨目(しょうしんざんもく)の碑。
戊辰戦争最後の戦いである箱館・五稜郭の戦いでは、ここ高龍寺の境内に箱館医学所の
分院が設置され、市中にあふれた傷病兵の治療が行われていました。その数1340名。
ところが、勝利した新政府軍はここへ乱入、旧幕府軍側の傷ついた会津藩士10余名を惨殺
しました。
この碑は、その犠牲者を供養するために1880年(明治13年)に、旧会津藩士により建立され
ています。
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会津若松市長の名もありますね。
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若い住職さんが説明してくれました。きっと、曹洞宗だから総本山の永平寺(福井県)から
派遣されてきたのでしょうね。
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普段は滅多に入れない本堂に入りました。
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戸を開けると、正面に先ほどの正門が見えます。つまり、正門、本堂、仏像が一直線に
なっているのです。
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圧巻の五百羅漢像が四面に並んでいる部屋。厳かな雰囲気で、声が出ない。
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そして、その天井には様々な絵画が。
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シャンデリアが不釣り合いか?
それにしても圧倒的な像と絵画に感動しました。
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金毘羅様も祀っていました。
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というわけで、今回は函館最古の寺院である函館山の中腹まではいかないが、山麓の
船見町の坂の上にある高龍寺を訪問した時のことでした。

では、また次回 

秋晴れの日曜日、市内各地へとサイクリング。野球場、陸上競技場、プール、弓道場、テニスコートなどスポーツ施設が集中する千代台公園へと足を運びました。

楓、銀杏など落葉広葉樹の葉が赤く、黄色く染まりまさに紅葉真っ盛りでした。

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西側には、オーシャンスタジアムがあります。かつては、オリックスの試合でイチローがやって来たし、最近では日本ハムファイターズの応援で何回か稲葉ジャンプしたことも。

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陸上競技場では、その昔コンサドーレ札幌を応援したこともあったなぁ。吉原なんていう選手もいたし、日本代表の選手も札幌で活躍していたこともあったのですが、今はJ2が定位置か?たまにJ1に上がっても1年でまた逆戻り。頑張って定着して欲しいですね。

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10面ある全天候型のテニスコート、昔は土のコートで雨が降るとスポンジで水を吸い取った、そんな思いでのあるコートです。今は霜が降りても寒くてもプレー出来ますからね。

家に帰る途中で見かけた鴨たち。

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1羽ずつ順番に川に入り、泳いで行きました。泳ぐ、というのは間違いかな?スイスイと水の上を歩く?走る?漕ぐ?と言った方が正しいかな?

というわけで、今日28日、火曜日は今年1番の寒さで、最低気温が3度とか、最高でも8度で昨日に比べると10度も低いです。道内各地で平野部にも雪が降ったみたいです。もうじき本格的な冬が、温暖なはずの道南にもやって来ます。
そろそろ冬タイヤの交換時期かな?

ではまた次回!

前回は、北海道新幹線の新函館北斗駅を見ましたが、その路線を少しばかりですが、見ることにしましょう。

開通は、2016年3月末を予定していますので、あと600日余りですが、運転席のある先頭車両は既に函館に上陸し、12月に試運転を迎えます。
まずは、そのルートを。

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新青森駅を出発した新幹線は、津軽今別駅(この名前で良かったでしょうか?)が本州側の最北端の駅で最後の駅。津軽海峡の海底を走る青函トンネルを越えて、北海道上陸、最初の駅は木古内駅。次が駅名で長い間もめていて結局両方の都市の名前を取った「新函館北斗駅」。

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地図には建設予定図ということで、掲載されています。平野部を除くと、ほとんどはトンネルで、平坦な函館平野も新幹線が通る高架のほとんどが高い壁で覆われているために、せっかくの北海道らしい景観が待ったくといいほど見ることが出来ません。

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こんな感じで、客車の窓からは、コンクリートの高い壁に遮られて函館山はもちろんのこと、平野部の道南の美味しいお米が採れる水田地帯が見れません。ガッカリですネ。

実は、今週いっぱい、とあるところから仕事を依頼されて新幹線工事に携わっています。場所は七飯(ななえ)町の新幹線車両基地のある事務所。

北斗市との境です。

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奥に見える赤いクレーンが七飯町の車両基地。

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仕事は何か?というと、詳しいことは言えませんが、新幹線の安全に関することです。
レール、壁などを測量するため、今週なんと地図の新函館北斗駅から長大トンネルのある茂辺地トンネルまで、すべて歩いて調査しました。
その距離20km以上。重い測量機材を担いで、歩き通しました。作業着の上から反射テープのベストを着てヘルメットを被り、軍手をはめて分厚い靴を履いての作業です。
平野部を横断し、最初の短いトンネルを過ぎ、最後の長いトンネルの入り口です。

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もちろん工事中の線路内は写真を撮れませんし、これらの写真は、すべて外側から。一般道路から撮影したもので誰でも見ることが出来るもの。内部は、アップ出来ませんのでご了承下さい。

寒風吹き荒ぶ朝9時頃は、冷えて寒くてブルブル震えながら作業していたし、日中太陽がサンサンと差す時は暑くて、着込んだ真冬用のフリースを脱いでも汗だくで仕事していました。
それも明日で終わり。急な仕事だったので、私でも少しは協力出来たかな?と思います。安全、安心の新幹線開通に向けての工事が着実に進行しています。
新函館北斗駅の駅前には、コンビニ1軒すらありませんが、駅からシャトル電車で20分、函館駅に到着します。是非、訪れたい町で日本1魅力な
函館へおいで下さること祈ります。

というわけで、北海道新幹線開通まであと600日余り。皆さんの来函をお待ちしております。

では、また次回!御機嫌よう。

先日、神戸の川崎重工から新たに製造された北海道新幹線の車両が函館港に陸揚げされたニュースがありました。
当日は見学出来ず、テレビでしかブルー色の斬新な車体を見れませんでした。その新幹線が北海道上陸して、2番目の駅(1番目は木古内駅で、その模様は5月のblog「さよなら江差線」で紹介しています)の新函館北斗駅を見て来ました。
函館駅へは、かつここから電車で20分かけて行く予定になっています。
現在は、電車ではなくディーゼル車なので、新幹線工事とともに在来線の電化工事も行われています。

まずは、その大きな駅を。まだ完全には完成していませんが。

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まず、ここに行くまでが大変。恐らく函館市民は利用することをためらうのでは?ないでしょうか。東京へ行くのならば、湯の川温泉から車でわずか5分の函館空港を利用するはず。料金も新幹線よりは安いし、時間も80分ほど。いくら東京まで4時間を切ったとしても函館駅まで20分、乗り換えなどで10分はかかるし、4時間半もかけて利用するのかな?と思いました。

駅前は完全に空き地で、何もない。

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駅前通りもご覧の有り様。

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札幌へは20年後?とのこと。生きているかな?80才を越えたら利用することはないなぁ。
今だって、札幌行くのに高速利用して車で行っていますからね。

札幌へは、駅の北にあるこの山をトンネルで越えて行くのです。

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南側を望む。巨大な駐車場とがらんとした駅前広場。

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それでも、今年いっぱいで工事は終わり、年末には新幹線の試運転が始まります。

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というわけで、新函館北斗駅を見て来ましたが、駅名も「新函館駅」で十分ではないでしょうか?北斗市の名はあまりにも知名度が無さすぎます。同じホクトでも首都圏では山梨県の北杜市の方が知られています。
そして、関東地方の観光客は新幹線で来るのか、飛行機で来るのか、考えれば分かりますね。多くの観光客は飛行機を利用するはずです。
そんなことを考えた新駅でした。
余りにも函館市内から遠すぎる!というのが実感です。
ではまた次回!

来年は開港して150周年、伊豆の下田とともに開港地となったのは、1854年の話です。実際に開港したのは翌年の1855年。
前年の1853年のアメリカ東インド艦隊司令長官のペリーの浦賀沖への来航により、老中阿部正弘が3月3日調印したのが日米和親条約。ついに200年以上も続いた鎖国が終わりました。

アメリカは、燃料・食料などの供給や難破船と乗組員の救助も目的としていました。
なぜか、それは当時アメリカは北大平洋で捕鯨をしていたからです。鯨油を採ることを目的に、日本近海にたくさんのアメリカ船が来航していたのです。鯨油は照明としてランプの燃料になっていたのです。今では「日本はクジラを獲るな」と反対しているのに。
ペリーは、軍事力を背景に強引に開港を迫り、その目的は叶いました。

さて、ペリーが来航した1853年の6月、一月遅れの7月にロシア使節プチャーチンが長崎に来航しています。が、ペリーのように強引に開港を迫ることはなかったのです。それは同年からオスマントルコとの間で、クリミア戦争(1853年~56年)が始まるからです。

アメリカ、イギリス、フランスは江戸に公使館を開設します。もちろん政治の中心だったからですね。ただし、この時点では首都は京都ですね。
箱館にやってきたのは、極東ロシアに最も近いこと、さらにはクリミア戦争による戦費拡張で国家予算が不足し、江戸近辺では公使館維持には費用がかかりすぎる、との判断も働いたのでしょう。
そんなことで、1858年から7年間箱館に赴任したのがゴシケヴィッチでした。

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ゴシケヴィッチ・ヨシフ・アントノヴィチ。1814年3月16日生まれ。だから、今年で生誕200年。
函館では、彼の生誕200周年を記念して、街つくりセンターでは彼の紹介して彼のパネル展示を行っていました。

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ゴシケヴィッチ領事の下で、日本人に写真術、西洋医学、天文学、気象学など当時の先進的な西洋文明が箱館の人々に伝えられたのです。だから、箱館は日本で長崎、横浜とともに初めて写真が撮影された町としても知られています。
あの有名なイケメン新撰組副局長、幕末の土方歳三も、箱館で撮影されたのです。

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そして、領事館の敷地の中にハリストス正教会が開設されます。ハリストスとはロシア語でキリストを意味します。領事館の一団の中の教会関係者などによりロシア語教育、さらには明治に入り伝道活動があり函館の人々も信仰を深め信者も増えていったのです。
現在では、国際観光都市函館の名所の一つとしてたくさんの観光客で賑わっています。周りにはカトリック教会、イギリス国教会の聖ヨハネ教会、プロテスタントの遣愛幼稚園、そして東本願寺の寺院などが存在し、さながら宗教ストリートのようです。

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ゴシケヴィッチは1865年まで駐日ロシア領事を務めます。1867年には外交官を退官し、故郷のベラルーシへと帰ります。ベラルーシとは、現在ロシアから分離したベラルーシ共和国のことで、旧ソヴィエト連邦の一員としてロシアのもっとも西部に位置していました。現在は、東ヨーロッパの国の一つとして、西をポーランドと国境を接し、北にバルト3国のリトアニアとラトビアと国境を接しています。東側はもちろんプーチンのロシア連邦と長い国境線があります。首都ミンスクは彼の生誕の地。
1875年に亡くなっています。61歳でした。

というわけで、今日は日本史と世界史と地理の話がたくさん出てきましたね。高校生の皆さんは、学校で勉強したことを思い出しましたか?
しっかり、学習して知識を身に付けましょうね。
ではまた次回!

10月17日(金)朝8時頃は土砂降りの大雨、今日は中止かな?と心配していたら9時には雨も止み、開催された10時は曇り空だが何とか歩けそう。
今日は、ロシアゆかりの地を歩く、ということでハリストス正教会やロシア領事館などを予定しています。
最初に、中尾さんが先月体調を崩され入院していたことをお話して下さいましたが、元気になられたとはいえ、天候が激減する秋口は十分お体気を付けていただきたいです。もちろん、参加者全員にもいえますね。

いつものように、旧丸井今井デパート、十字街の町つくりセンターをスタート。すると、すぐに雨が降り出し、やがて横殴りの大雨に。朝から雨が降ったり止んだりしていたので、いつものような参加者が多くなく、50人くらいかな?暖かかった夏の間は100人を越えていたこともありましたね。

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旧リューリ商会(渡辺商店)です。市電電停末広町の近くにある、とてもシックで木造2階建てのレトロな建造物の前で説明する中尾さんと参加者の皆さん。

ロシアとは関係ないが、戦前のドイツ人カールレイモンさん、ハム・ソーセージで有名なお店の前では台風並みの風、雨。
坂を登り、ハリストス正教会へ。

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背後にカトリック教会が見えていますね。
実は、ここに初代のロシア領事館があったのです。その領事館の付属聖堂が、現在の教会です。初代領事はゴシケヴィッチ・ヨシフ・アントノヴィチ。1814年3月16日の生まれというから、今年で生誕200年。その事は明日詳しく説明するとして、1859年開港して4年後に現在の土地約2100坪(6000㎡)の敷地に領事館や付属聖堂などの施設が完成しました。

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皆さん、寒さに震えて傘を差していますね。実際気温が急激に低下し、とても寒かったです。
奥に、遣愛幼稚園が見えますね。現在の遣愛女子高等学校のスタートした場所です。

そして日本一美しい坂である八幡坂にある国立ロシア連邦極東大学。国立はロシアであって、日本の国立ではないですよ。ロシア語学科があります。

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この建物の中には、札幌のロシア領事館の函館事務所もありました。

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初代領事のゴシケヴィッチは明日お話しするとして、最後に昨日の進水式のことが新聞に載っていました。

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函館どつくの造船所では、今年4隻目となる新造船でパナマの開運会社が注文した貨物船「グローバル・ヒーロー」号で、21550トン、全長180メートルもある大型船でした。くす玉が割れた写真ですね。この時、緑の島にいて運良く出くわしたのでした。

というわけで、今日はこれでおしまい。また明日!

緑の島は、本当の島ではなく人工島。函館山から見るとよく分かるが、函館湾にある、ほぼ正方形の形をした埋め立て地です。昨年は、その島の広場で、GLAYの2日間のコンサートがあって、土砂降りの雨が降る中でも5万人のファンが集まって好評でした。
対岸からは橋があって、日中は往来できます。夜間は閉鎖しますけどね。
そこへ、行って見ました。

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まずは、橋が見える北西側を見る。函館山の北の端が見えますね。標高334mの函館山は、その昔今から100万年前は火山だったのです。その証拠に山に登ると昔の溶岩が冷え固まっている場所があります。

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ヨットハーバーがあってたくさんのヨットが係留されていますね。どんな人が所有しているんだろう?
山頂からの夜景は、世界3大夜景の一つで、後の二つは何処か?というと、一つは香港。もう一つはイタリアのナポリですね。
日本3大夜景の一つにもなっていますが、それは長崎、神戸です。そのどちらも見ましたが、やっぱり函館山からの夜景が一番です。日本一周をしている方のblogを見ても、夜景は素晴らしい、と書かれていますね。

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南側には、1年中観光客で賑わう特産品やお土産屋さんが集まる金森倉庫群があります。

こんなのも立っています。

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市内各地に立てられている説明の塔ですが、これを何と言いましたっけ?横文字でナントカ、と言うんですよね。よく新聞に書かれていますが、その名前を忘れてしまいました。
この3名はこの近くで幕末から明治時代にかけて活躍した人物です。特に、新島襄は全国的に有名ですよね。

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東側を見ると、函館駅方方向で、青函連絡船時代の羊蹄丸が係留されています。遠くに五稜郭タワーも見えます。

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北東側から北側を見ると、道南最高峰の山である横津岳(1167m)連峰が見えます。袴越岳、烏帽子岳さらに駒ヶ岳(1131m)も。今でも噴煙をあげる活火山で、要注意の火山の一つでもあります。

その時、強烈な音のサイレンが函館どつくから鳴り響き、何事かな?と思ったら何と初めて見た大型船の進水式だったのです。

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両側をタグボートで引っ張られて、湾の中に連れられていってますね。船首には、お祝いの割られた玉とテープがあるのがお分かりですね。

函館どつく方面も見てみましょう。海上自衛隊の船も見えます。

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幕末期の帆船、箱館丸も陸に上がって展示されているのが見えます。
最後に、GLAYのコンサート会場になった芝生の広場から函館山と我が愛車をパチリ。

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というわけで、今日はこれでおしまい。

明日は、久しぶりの箱館歴史散歩です。案内人の中尾さんが元気に回復されて、いつもの早足で坂道を登って行きながら、箱館の歴史をお話して下さることを期待しています。今年最後の散歩になるのかな?
一昨日は、温暖な函館でも初霜が降りたことが報じられていましたが、日毎に寒さが増しています。皆さん風邪を引かずに、しっかりと冬まかないをして下さいね。
では、また次回!

台風19号の去った翌日は、雲一つない秋晴れの天気。最高の外出日和です。
早速、我が愛車で出掛けました。その前に、空気圧をチェック。1週間ぶりに乗るためか、気圧が不足している。6気圧に合わせて空気を入れ直す。フレンチバルブなので、初めての人は戸惑うだろう。ママチャリなどのイギリス式の空気入れとは違うからね。

さて、出発。最初の写真は、初めて発見したあんこを造る会社。「根津の餡子(あんこ)屋さん」として地元では知られています。相当古くからあるらしいけどいつからあるのだろうか?多分昭和の初期?または大正時代の建物?随分とレトロな建築物です。

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隣に蔵までありました。
場所は函館山を結ぶ半島部の一番細いところで、函館港と津軽海峡に面した大森浜の間で、距離にすると1kmもない。
ストリートの名にこんな名前が付けられていました。

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北の函館港と南の大森浜の間の距離を取って、1キロ通りなんて、誰が考え付いたのだろう。
向かいに素敵なホテルがありました。

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ホテル ショコラと言うんだろうか?それともチョコラ?
その向かいには、海神社という名の神社発見。なんと安永9年といいますから、1780年。まだ鎖国が続いている時代で、10代将軍徳川家治の時です。田沼意次が老中に就任していた時代ですよ。箱館の歴史の中でも、かなり古い時代の建物ですね。

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蔵を改造したカフェ?居酒屋かな?発見。ハルジオン・ヒメジオンの名が付けられています。道端に咲く野の花の名前ですね。

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昔懐かしい薪を積んだ家を発見。

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私が子供のころ、というから今から半世紀も前の話です。よく親父に命じられて斧やマサカリで薪を切らされました。10才前後だと思うけど、薪ストーブにくべるために小さく割らなければいけない。そのために、薪割りの仕事が秋の季節にはあったのです。

観光客で賑わう赤レンガ倉庫群へ。

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あと2ヶ月もすると、クリスマスファンタジーが始まりますね。昨年も見に行きましたけど、(詳しくは昨年12月1日のblogを参考にして下さい)カナダのハリファックス市から贈られた高さ20m のクリスマスツリーが何万個ものLEDで装飾されて、それはとても美しいものです。

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というわけで、明日も続きます。それでは、今日はおしまい。

道南の郷土史研究に貢献した個人や団体に対し、函館文化会という社団法人が、箱館歴史散歩の会を主宰する中尾仁彦さんに対し、10月11日の北海道新聞で本年度の「神山茂奨励賞」に贈られることが、報じられていました。
神山茂さんは、函館出身の郷土史家です。神山賞とは、亡くなられた神山さんを偲び、記念し1988年に制定された賞で、函館の歴史、文化を広く市民に啓蒙するために毎年贈られています。
中尾さんは、何度か私のblogにも登場する函館の歴史に関してのエキスパートで、もう100回以上も函館西部地区の名所や旧跡を歩いて、市民や函館を訪れた観光客に函館の歴史や文化を紹介している方です。
6年前の2008年4月に「箱館歴史散歩の会」を設立し、冬を除いて4月から10月まで平均月に2回ずつ、歴史散歩を開いて市内を案内しています。
そのことが、「郷土史研究の成果を市民に知らしめる活動」として評価されての受賞です。

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中尾さんが著した本に「市電でめぐる函館100選」があります。blogでも昨年の冬から今春にかけてすべての電停で下車し、紹介していますが、この本を参考にして創りました。まさに、バイブル本といってもいいくらい参考になったほどです。

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9月に開かれた「箱館歴史散歩の会」では途中体調を崩されて中断しましたが、その後は回復なされたのでしょう。
コメントにもありましたように、今週の17日(金)に「歴史散歩します」と、ありましたのでお元気になられたようです。

お体に気を付けて、この先まずは200回目指して「歴史散歩」続けていただければ、市民の一人として嬉しいです。
17日、参加したいと思っています。

というわけで、今日はとっても明るいニュース、中尾さんの受賞のお知らせでした。

では、また次回!

我が家の庭や花壇では、秋の花や木の実が満開になっています。
まずは、イチイの木。函館では「おんこ」と言って、市の木になっています。

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赤い実がなっていて、食べると甘い味がします。が、決して種は食べないこと。種には毒があります。実を集めて、梅のようにお酒を造ることが出来ます。

続いて、葉牡丹。アブラナ科の一年草です。

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まるで、キャベツみたい。
続いてコルチカム。イヌサフランの名もあるユリ科の球根です。花が咲いて枯れるまで1週間くらいで、まさに花の命は短いの言葉通りの花ですね。

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そして、秋から冬にかけての代表的な花、シクラメン。寒さに強い花で、これも球根です。

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ナスタチウム。植えてからどんどん大きくなりました。

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赤い花が何ヵ所にも咲いています。

それとパンジーとナデシコ。

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春の花もありますが、秋にも咲く花。色とりどりの花が咲いています。

というわけで、我が家の庭では今が花満開。それも10月いっぱいまでか?11月になると霜がおり、初雪の季節です。つかの間の花の季節が今。
そういえば、庭仕事している間、白い雪虫が飛んでいました。冬近し、か。

では、また次回!

まず、最初に嬉しいニュースが今朝の新聞に掲載されていました。
この記事です。5年ぶりに、といっても4年間は2位でしたが、1位となったとのことです。何がって?魅力ある都市の全国第1位ですよ。

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何と同じ港町の神戸や横浜を抑え、さらに昨年まで1位だった札幌市を越え、外国人がもっとも訪問する京都市や鎌倉市をも抑えて堂々たる1位です。函館市に住むものにとっては、とってもうれしいニュースですね!
これを見てたくさんの観光客がどしどし訪れて欲しいです。

さて、本日のテーマである軽バンにどうやって自転車を積むのか?です。
自分にとっては、旅は自転車が絶対に必要な道具です。移動するにも自転車だと、歩くのに比べるとかなりの距離を走れるし、何といっても自転車で走るのが大好きなんです。
過去には輪行袋で鉄道に乗り旅していましたが、それだと組み立てるのに最低でも30分はかかりました。しかし、車に積んで組み立てるのは、ものの3分もあればオーケーです。
楽になりましたよ。ではどうやって、積むのか?
まずは、右のペダルを外します。

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ペダルレンチを使用して、右ペダルは前方(時計回し)へ回すと締まります。後方(逆時計回し)へ回すと外れます。
一方、左ペダルは時計回しは外れ、逆時計回しは締まります。
普通、ネジは時計回しで締まりますが、自転車の場合前方へペダルを漕ぐわけですので、左ペダルは漕ぐたびにゆるんでくることがあります。それで、左ペダルは前方へ漕ぐ=ペダルは外れないで逆に締まる=ネジ回しの逆で反時計回りで締まる、ということになるわけです。右ペダルはノーマルですね。だから、ネジ回しのように、反時計回りにレンチを回すと外れ、ネジ回しのように時計回りに締めると、締まるわけです。これには1分もかかりません。

次に、前輪を外します。

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まず外しやすいように、ブレーキをゆるめます。幅が広がって、外しやすい。
次に、クイックレリースを反時計回りに回すと、ゆるくなりフロントフォークから外れます。

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次に前輪以外の後輪を含むフレームを車体の右側に置き、サドルの部分はシートベルトで固定します。

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全然ぐらつきません。最後に前輪をマジックテープで固定。マジックテープは、ズボンを履いた時に汚れないように縛るのにも使用しますが、前輪をフレームに固定する時にも必要です。
天井には、パイプが4方向にあり、右側にS字フックを垂らしていて、それに前輪をぶら下げてマジックテープで固定するとバッチリ!
以上で3分くらい。遅い人でも5分で出来るでしょう。
幅は10cmもないでしょう。右側にしっかり収まっているので、荷物を積むのに邪魔にはなりません。

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そんなわけで、旅に出るときはいつでも自転車を持って行きます。自転車大好き人間ですので、どこでも取り出して組み立てて走ることにしています。
普段は、組み立てて物置に入れていますが、旅ではいつも寝床の横。我が愛車と一緒に添い寝しています。

さて、朝いつもコメントしてくれるプロレス亭卍楽さんが「全国落語大学」のイベントの案内を持って来てくれました。

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10月11日と翌12日の2日間行われます。落語好き集まれ!
全国から来ますよ。

ではまた次回!

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超巨大な台風18号が静岡県に上陸し、北海道も朝から雨模様。朝から天気が悪く、
今回の旅、ひとまず終了し帰宅することにしました。

そんなわけで、今日の写真は1枚もなく、以下は、昨日の支笏湖のことを中心にアッ
プしていくことにします。 まずは、晴天の昨日の支笏湖の写真から。
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風不死岳(ふっぷしだけ 1002,4m)が南西側に見えます。この奥に今でも噴煙をあげる樽前山(1041m)があります。この前木曽の御嶽山(3067m)が大噴火してたくさんの登山者が犠牲になりましたが、ここは二重火山で山頂の溶岩円頂丘(いわゆるトロイデ型)は登頂禁止になっているはずです。
外側のアスピーテ(楯状火山)に関しては問題なく登山は出来ますが。後ほど、その麓を通過します。 北東側を見ましょう。
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恵庭岳(1320m)がきれいに見えますね。確か、先日(9月10日)の集中豪雨で道路が決壊し、麓の東側にある丸駒温泉と、恵庭岳の北西側にある北海道3大秘湖であるオコタンペ湖には行けないはずです。
 確かに湖の水の色に変化があります。毎年のようにここへは来ていますが、日本2位か3位の水深を誇るカルデラ湖の支笏湖、水の色は濃いブルーだったはず。湖の深さは360m。海抜248mの高さにある湖ですので、こんな山の中なのに海よりも100m以上も深いのですね。
ちなみに一番水深が深いのは、秋田県の田沢湖ですね。深さ423mです。それが今ではエメラルドブルーとまではいかなくても、明るいブルーになっていますね。

支笏湖の南側に沿って国道276号線を走ります。
ところどころで支笏湖が右手側に見えます。そして中間地点付近の苔の洞門へ。
樽前山の西側の麓、火山活動によって出来た溶岩の切り立った崖が、長い年月によって風化し苔が生えている、非常に珍しい地形の場所です。 何度も訪問しましたが、行く度毎に土砂崩れや崩壊の危険がある、などの理由で見学することが出来ず、いつかは必ず見てやろう!、と思っていたら先日の集中豪雨で、こんなことになっていました。すごいショックでした。
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広い駐車場は山から流れて来た土砂で埋め尽くされ、そして案内板はその高さの半分以上が埋められています。
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すごい驚きと落胆、呆然自失とはこのことか?大きなショックがありました。しばらくその場に佇んでいました。その後は、気を取り直してさらに支笏湖の西の端にあるキャンプ場の美笛(びふえ)へ。
残念ながら、ここも土砂崩れでキャンプ場は閉鎖されていました。オコタンペ湖へ通じる道路である道道78号線は、しばらく以前から通行止め。オコタンペ湖へ行くことは出来ません。 原生林の森を歩いて見ましょう。うっそうと太古の昔から、広葉樹を中心とした大木が繁る森。
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苔の洞門のショックが、少しは心が癒されたかな、という風景でした。
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素敵な森の中の小道ですね。誰も居らず一人で歩いていると、まさに人間は自然の中で生かされているんだな、と少しだけ思いました。
その後は、美笛峠を経て国道453号線を西へ。伊達市大滝区でランチタイム。そこの公園で見たホロホロ岳(1322m)と徳舜瞥岳(とくしゅんべつだけ 1309m)。
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20代の頃に山に登ったことがあり、思い出の山でもあります。 やがて、壮瞥町を経て洞爺湖へ到着。
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湖の中央に、中の島、観音島、饅頭島、弁天島の4つの島があります。ここもカルデラ湖。周囲は外輪山です。湖の深さは180m。海抜84mの地だから、海岸線よりも100m近く深いということですね。
残念ながら羊蹄山(1898m)は半分くらいしか見えていません。
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外輪山の山の頂に、サミットが開かれたウインザーホテルが建っています。我々庶民とは、縁のない超高級ホテルですので宿泊することはもちろん、行くことすらない5つ星のホテルです。
 いいのです。自分はそんな5つ星のホテルよりも、満天の★の下で寝てるのだから。と苦しい開き直り。

台風18号はものすごい風と雨。現在旅の途中の人は、十分気を付けて旅を続けて下さいね。くれぐれも海に近づいたり、写真を撮影しに岸壁に行ったりしないで下さいね。サーフィンなんて止めて下さい。雨の日はのんびりと過ごして下さい。

 というわけで、秋の旅今日でおしまい。明日からはどうしようかな? ではまた次回!

新篠津村の道の駅での車中泊は、かなり冷え込んで寒くて寒くて、あまり寝ることが出来ませんでした。
寝袋は三重に重ねて、つまり一番外側にはシュラフカバー(これも山用のしっかりしたものですが)、次に春秋用のシュラフ、内側には夏用のウルトラライトの寝袋を、と三枚の布団をかけて寝たようなものの、それでも朝方寒くて目が覚めてしまった。午前4時40分で、まだ外は暗かったです。寒くて目が覚めるなんて、やっぱり10月の北海道、内陸部は冷えますね。
さて、8月と9月の前半は大雨が全国各地でありましたね。国立公園になっている支笏湖は、9月10日の豪雨により、道路は寸断され土砂崩れも起きました。テレビでは、支笏湖の水の色が今までのブルーからエメラルドブルーに変化した、というニュースがあり、これは一度見て見ようと本日出掛けたわけです。

その前に今日の1枚目。

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新篠津村を出て、岩見沢経由で栗山町の栗沢駅。JR室蘭本線の駅ですが、もちろん無人駅。そして次の写真。

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以前は複線だったのですね。向こう側の線路が見えます。が、草ぼうぼう、しかも跨線橋は板で塞がれています。1日に数本しか走らない路線はいずれ廃線へしてしまうのがJR北海道の狙いでしょうか?
あまりの寂しい光景です。

さらに進み、長沼町のマタイの丘の風景。

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はるか向こうに見える町は恵庭市かな?遠くに札幌の山、藻岩山かな?それとも手稲山?が見えますね。
そして、千歳市を通過して、支笏湖へ。

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続きは、あとで。今日は寝不足もあり、疲れましたので、洞爺湖あたりで車中泊かな?
ではまた。

昨夜は歌志内市の道の駅「チロル」で車中泊したが、夕方から激しい雨で車で寝ることを久しぶりにためらったほどだった。それでも、「HO」を利用して無料でチロルの湯に入浴。なんと道の駅の駐車場には屋根が付いた場所があったので、そこで車中泊することにしました。助かりました。

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写真はチロルの湯。

それでは、昨日の続きから。まずは新十津川町で見かけた日本酒を造る会社、というか醸造元。美味しいお米と水があるところには、このような清酒を造る醸造所が必ずありますよね。栗山町にも小林酒造があったこと思い出しました。

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その後は赤平駅へ。駅舎は大きなビルで立派な建物。

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しかし、駅前の飲食店街は人通りもなく寂しい。

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赤平も、次の歌志内も石炭が採掘されていた頃は、人口も多く栄えた町だった。が歌志内市は夕張市同様、かつての10分の1になってしまった。最盛期4万人。今は4000人とのこと。夕張市は最盛期12万人。今は1万人を切る状態。
歌志内市は、日本1人口の少ない市だ。

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昭和50年頃に流行ったドラマ「昨日悲別で」の悲別ロマン座の建物。今はカフェになっています。

町の中心にあった文化会館。

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建物は立派でしたが、休館でした。町で見かけたマンホールの蓋。

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スイスランドうたしないと歌っていますが。

朝5時半起床。小雨が降っていたが、自転車を取りだしサイクリング。旧国鉄時代の廃線となった歌志内線がサイクリングロードになっているからです。

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素敵な道でしょう。ここで2時間ほど走りました。
まず見かけたのは、廃校となった歌志内西小学校(平成22年廃校)とかなり前に廃校となった中学校。

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現存する小学校は、ここ歌志内小だけ。

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中学も一つだけ。歌志内中。土曜日で学校は休みだったけど、部員10人の野球部は朝から頑張って練習に励んでいました。
ガンバレよ!

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その後、上砂川町へ。悲別駅がありました。

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ドラマは見てなかったので、よく知りませんが当時は流行したのでしょうね。多くの若者が訪ねて来たそうです。富良野でもそうでしたが、「北の国から」を見てなく、いろいろなもの、例えば「吾郎の家」とか、よく分からなかったのです。
かなしべつ、という言葉は聞いたことが何度もあったけど、ここ上砂川駅のことを指していたとは?知らなかった。
ここも最盛期の人口は3万人。今は4000人ほどで、人口の半数は高齢者とのことでした。
炭鉱博物館を見学することに。ここで、なんと上砂川のピカソと呼ばれる早川さんとお会い出来ました。元炭鉱夫の早川さんは退職後に石炭を利用して絵を書き始めました。それが評価され、今では各地で展示されることに。上砂川の歴史を紹介している博物館だけど、まるで早川さんの美術館のようです。そっちの方に感動しました。

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絵を前にする早川さん。もう80才を越えています。ここは7年前に閉館し、やっと今年土曜、日曜だけしかも高齢のボランティアに支えられての開館です。ラッキーでした。土曜日でしかも早川さんが来られていて。たっぷりとお話することが出来ました。

さて、今夜はどこへ行こうかな?
ではまた明日!

今夜は、新篠津村の道の駅で車中泊することにしました。
上砂川の続きを書くにします。早川画伯とお別れした後、もう一つの炭鉱都市だった美唄市を訪ねました。美唄にも人口3万人規模の炭鉱があったのです。実は、1972年廃線となった三菱美唄鉄道を訪ねる予定でしたが、炭鉱のことも知りもっと興味を持ち、訪れることにしたわけです。

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この駅は、美唄駅の一つ手前の「茶志内(ちゃしない)駅」。無人駅です。
旭川と札幌を結ぶ幹線国道の国道12号線から東側の山へ向かいます。まず、廃墟となった炭鉱跡。

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そして山方向へ行くこと数キロ。炭鉱のシンボルが見えてきました。

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ここに、かつて3万人が住んだ町があったのです。現在は無人。建物のほとんどは解体されましたが、少しだけ残っているものもありました。廃鉱直後は、公園化されたけど維持管理に費用がかかるのか、放置されたままで荒れ放題になっていて、逆に哀れさを感じたほどです。学校も小学校だけで3校もあったのです。

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道中の至るところに「熊出没、注意!」の看板があり、ビクビク市ながらのドライブで、降りて散策するときもおっかなびっくりでしたよ。
鉄道の駅も発見。

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東明駅です。40年以上も前に廃線になったのに、いまだに保存して下さる方がいるのには感謝ですね。蒸気機関車も走っていたんですね。
線路跡はサイクリングロードになっていますが、熊出没中で走行禁止ですが、途中道路も寸断されていました。維持費がかかるのですね。
その帰りは、ものすごい雨。車を止めて止むのを待ったほどの豪雨でした。

夕方、北村(現在は岩見沢市に編入)の広々とした農村風景に感激。それと何キロも続く白樺林にも。

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というわけで、現在新篠津村の道の駅でblog創っています。やっと、晴れたようで夜空には半月がきれいに見えてます。明日は快晴を期待します。それでは、ホントに明日!
ごきげんよう!

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