函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めた車中泊中心の「ぼうけんの旅」は今年で13 年目に突入。 車中泊の貧乏旅行の旅、今年で74歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 今年2026年も「ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです! 今年も「ぼうけんの旅」をよろしくお願いいたします。

2026年が明け今年は74歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!時々は自転車を積んでの軽バン一人旅の始まりです。

2015年05月

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久しぶりの晴天に、山(月山富田城)も登り心はウキウキ!車を停めた道の駅「広瀬・富田城」
をちょっと覗いて見ますと。
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(かすり)を織っている。ここは広瀬絣で有名なのだ。
絣とは何か?というと、織物の技法の一つで、前もって染め分けた経(たて)糸と横糸を使用
して織り上げた文様を表すもの。
絣は、インドで誕生して東南アジアを経て日本には琉球経由で伝わった、と云われている。
そういえば、インド独立の父「ガンジー」は自分で織っている姿が世界史の教科書にありまし
たね。
インドの国旗も中央部分には、絣織り機が描かれています。
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数多く織り機が並んでいるのは、一般の人でも体験出来るため。
藍色に染めている糸は綿糸。
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だから、ここには染めている所も公開している。甕場(かめば)という。
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広瀬絣は、山陰三大絣と呼ばれていて、他の二つは弓浜絣(鳥取県米子市)と倉吉絣(鳥取県
倉吉市)絣。
19世紀前半の1824年文政年間から広瀬藩の保護を受け、始まったとされるから、もう200年
近い歴史がある。
江戸時代後期、広瀬藩の絵師が描いたデザインは「広瀬の大柄」と云われて、備後の中柄、
久留米の小柄と並び評された、そうでそれくらい有名な絣。
作品も展示・販売されている。
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もちろんハンドメイドだから、安くはない。いや、貧乏旅行者には高すぎて手が届かない。
もっとも、お土産を買うために旅をしているわけではないけどね。

そういえば、昨日の朝日新聞、土曜日特集の「be」には「一人旅したいですか?」のコーナー
があり、いいえ、と答えた人が30%もいた。その理由は、①話し相手がいないとつまらない、
②食事時が寂しい、③一人で宿に泊まりたくない、などなど。
こんな答えもありビックリ!
「知らない人に話しかけるのが苦手、一人旅の何が良いのかわからない」とか「方向音痴で
一人旅はしたくない」とか。
いずれも中年女性でした。
もちろん70%の人が、はい、と答えているのはうれしいです。そしてその理由の1位は、「自分
のペースで行動できる」と。
まさに、一人旅の良さは自分のわがまま勝手な行動が出来ること。そのためには、全責任が
自分にあることは言うまでもない。地図を読むのも、貧乏旅をするのも、貧しい食事に耐える
のも自分だけ。何処へ行くのも自分ひとりで決める。
一人旅こそ、旅の最大の良さですよね。「日本一周」の旅人は、ほとんどが単独貧乏旅。
一人で旅してこそ、見聞を広めることが出来るし、土地の人と話をすることが出来る。
一人旅最高!

というわけで、島根県東部の山中へ。県道45号線を西へ進む。
安来(やすぎ)市広瀬町の最西部にある集落「奥田原」。そこで見かけた名もなき神社。
もちろん名はあるのだけど、地図にも載っておらず名も覚えていない。
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最近では珍しい石の鳥居。柱に彫られた文字もほとんど消えかかっている。
階段を登って本殿へ。そこから振り返って見た境内。
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右の屋根が架かった場所には、しばらく使われていない土俵があった。
きっと、昔は子供たちも多く、祭で相撲が行われていたのでしょう。もちろん大人たちも。
ということは、学校があるかも知られない。
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人の気配がほとんどない集落。舗装こそされているが、この石橋、相当古そう。
車を停めてしばらくの間歩きました。
そうすると、学校らしき建物が遠くに見えた。そこまで歩く。
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奥田原小学校。閉校は平成16年3月。今から11年前に閉校となったのです。
3階建ての校舎ですが、最盛期にはそれだけ子供たちがいたのでしょう。
立派な体育館も、今は誰も使用する人はいない。

峠を越えて、雲南市へ。雲の南なんて、読み仮名も中国みたい。もっとも中国地方なんだけど。
最初の集落、上久野(かみくの)で見た農家の風景。
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一昔前の風景ですね。電線がなければ、明治時代か大正時代か?
藁ぶき屋根の家が普通になる。
ここも歩いたら、閉校になった学校があった。
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ここは今年、平成27年3月に閉校になっている。久野小学校跡。
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実に長閑です。陽射しも優しく、たまに見かける高齢者の方々は、見ず知らずの自分に挨拶して
くれる。「こんにちわ」、と。

こんな素敵な、心が癒される場所へは誰も旅しない。過疎地いや、限界集落から消滅集落へとな
っていっている全国のこのような田舎は、誰一人寄り付かず見捨てられるばっかり。

自分は、観光客が大勢いる超有名な観光地よりも、誰も行かない田舎の風景が好き。
地図を見て、自分ひとりで旅するのが大好き。
明日は、ユニークな駅舎として知られる「出雲横田駅」へ。
そこで、今回の旅で大変な出来事があったのです。良いことではなく、悪いことですが。
それでは、また明日!

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本日5月29日(金)は、中尾仁彦(なかお とよひこ)さんが主宰する「箱館歴史散歩の会」の第137回目にして最終回となりました。本人のレジュメの「ごさいさつ」にもありましたが、「歴史は人がつくり、街も人がつくった」、との思いで函館発祥の地、西部地区を中心に、足掛け8年、本当にご苦労様でした。

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十字街の街つくりセンターで行われた最終回の集まりには、今までの最高の200名以上もの参加者が集まり、人であふれていました。
新聞社やテレビ局も来ていて、平日にもかかわらずすごい盛況!

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午前10時30分、いつものように街つくりセンターを出発。その前に、集まった人々。

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歩いてすぐの、二十間坂での説明。

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戦前までの函館は、100戸以上焼失した火事が26回、500戸以上焼失した火事が15回にのぼるほど大火の多い町だったこと。
そのため火事の延焼を防ぐために幅広い道路が必要だったこと、などを分かりやすく説明しています。
函館山から港まで坂が多い。結構、急坂もある。そんな坂で、テレビクルーは待ち構えている。

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NHKと地元有線放送のNCVのテレビ局、読売新聞社と北海道新聞社、函館新聞社などいくつものメディアが来ていました。

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腰に携帯スピーカーを付け説明している中尾さん。今までの見慣れた風景も今回で最後。名残惜しいです。

「胃袋の宣教師」といわれたカール・レイモンさん宅前。

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朝方は、海岸地方特有のガスで一面真っ白で、肌寒かったが、11時ころから太陽の日差しが強烈で、真夏のような暑さになってきた。そんな中を歩く参加者。

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ほとんどの人は、朝の寒さのせいでコートやジャンパーを着ていて暑苦しそう。

今度は、大三坂を下る。急傾斜であることが分かりますね!

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明治から大正にかけての洋風建築物があちこちにある。

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新島襄の密航の碑がある前にて。奥の白い建物は「カフェ ジョー」。

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高田屋嘉兵衛本店前にて。

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高田屋嘉兵衛は淡路島出身の豪商。19世紀前半、開港前の箱館で巨額の富を得、街つくりに貢献した人物。

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こんな姿も見れなくなると、残念です。

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しかし、中尾さんは晴れ男。私のような雨男とは全然違う。
函館山も、最終回を祝福しているかのよう。

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4月、九州や中国地方を旅して和風の歴史的建造物をたくさん見学してきたが、やっぱり洋風建築のある函館の街が好きです。

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もちろん、歴史の長さが全然違うけど、和と洋が両方いっぺんに見られるのは、ここ函館。

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奥の建物は、石川啄木が教鞭をとった弥生小学校。

「日本で一番美しい坂」の八幡坂へ。

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修学旅行生も大勢来ていて、「ラッキーピエロ」で食べよう!なんて話しているのを聞いて、有名になったものだなぁ❕と思う。

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ロシア極東大学の前にて。後ろは、白百合学園発祥の地のカトリック幼稚園。

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最後は、ハリストス正教会へ。

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何と!NHKのカメラマンは教え子でした。

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NCVは女性クルー。

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後ろ姿から写して失礼します。

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壁の奥は、カトリック教会。

ハリストス正教会は工事中でした。

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というわけで、中尾さん、今までお疲れさまでした。延べの参加者は1万人以上、歩いたテーマは90以上、配布資料は1000枚にもなったとのこと。

しばらく休養した後に再びご活躍下さるよう、祈ります。
本当に、ありがとうございました‼

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真賀温泉で、殿様が入浴したという幕湯でのんびりと湯に浸かり、その後は今夜の寝床を
捜して、さらに西へ。結局、陽が暮れる寸前に、島根県日野町へ。

その日野の町の駅名は「根雨(ねう)駅」。
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朝方は、ぐっと冷え込みました。昨日・今日と珍しく晴れ渡ったため放射冷却現象か?かなり
寒かったです。寝袋の中で縮見込んでいました。
朝7時過ぎ、高台に上がって写した、雪の大山(1729m)。
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久しぶりにヒーターを入れて車内を暖め、走らせて安来市のチューリップ畑へ。
この日は快晴に近いほど晴れ渡り、雨の心配をせずに安心して旅を楽しむことが出来る。
まずは、美しいチューリップを御覧下さい。
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4月上旬で、こんなに咲いているなんて北海道とは一ヶ月以上も早い。寒い!なんて震えながら
寝ていたけど、やっぱり山陰と云えども北海道から見れば南の国、こうしてチューリップの色とり
どりの花が見れるのだから。
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この日は、安来市広瀬町へ。ここには、戦国時代の山城、月山富田城がある。月山(183.6m)
の山頂にある城跡だ。日本の名城100選にもなっている。
道の駅「広瀬・富田城」に車を停めて登り始める。
最初に目に止まった銅像は山中鹿介(しかのすけ)。尼子氏再興のために尽力した悲運の武将
です。
山陰の麒麟児の異名をとる鹿介。「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったエピ
ソードで知られ、不撓不屈の精神を持った武将。
毛利家に滅ぼされた尼子氏再興の宿願を果たそうと奔走、信長の力を借りて、一時は復興に
成功する。が、1578年毛利軍に敗れ、備中甲部川にて殺害されてしまう。
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山頂からは、中海まで一望出来る。まさに、難攻不落の山城だったのだ。
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山頂にあった神社。「月山の高さは197mである。」と説明されているけど、昭文社のマップ
(10万分の1)では、183.8m。地元安来市広瀬町の「尼子の里のまちあるきMAP]では月山
の山頂は187mとある。
一体、どちらが正しいの?13mも違いがある。
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道の駅から歩いて、20分ほどで、山頂へ。ゆっくり歩いても30分はかからないはず。
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本丸跡からは、遠くに中海だけではなく弓ヶ浜の長大な砂州、秀峰大山(1729m)も望める。
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建物は、神社以外は何も残っていないが、当時の石垣は保存されている。
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戦国時代、月山富田城が最も繁栄を極めたのが、尼子経久・晴久親子の時代で、16世紀中ごろ
から後半にかけて。時代はまさに下剋上。
当時は、安芸、備後、備中、備前、美作、播磨、因幡、伯耆、出雲、石見、隠岐と山陰・山陽合わ
せて11ヶ国をその手に握り、全盛時代を迎えている。
毛利氏に滅ぼされた後の江戸時代、関ヶ原の戦功により堀尾吉晴が入城。
しかし、津山城の紹介の時にお伝えた通り、戦時下では山城は必要だが、天下泰平の時代とな
ると、無用の長物となる。堀尾氏は松江に城を写す。以後、松江は出雲地方の中心となり、ここ
広瀬町は衰退していく。
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富田城の所有者の流れが分かります。歴史が好きな人は、是非拡大してお読み下さい。
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中腹、花ノ壇から山頂を写す。
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下りて来ました。朝は寒かったけど、だんだんと気温は上昇、お花見日和となってきた。
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飯梨川(富田川)沿いには、桜が満開。対岸の広瀬の町は、城下町の趣を今も残している。
下山した道の駅に隣接している歴史資料館には「尼子十勇士」の絵があった。
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ここは、日本三大山城になっているが、西東社の「ビジュアル百科日本の城1000」では、
日本三大山城には、岩村城(岐阜県恵那市)、高取城(奈良県高取町)、備中松山城(岡山県
高梁市)を挙げている。戦国時代の5大山城には、ここ島根県安来市の月山富田城が、春日
山城(新潟県上越市)などとともに入っているが。

というわけで、今日は山城で有名な月山富田城を紹介しました。前回の平山城の津山城との
違いがお分かりいただけた、と思います。

明日は、さらに西へ行きます。どんどん西へ!目的地は九州、最南端の県鹿児島県、さらに
そこからフェリーに乗って、東シナ海の孤島、甑(こしき)島へ。
まだまだ遠い!遥か彼方にありそう・・・。

では、また明日!


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津山市からさらに西へ。ステキな木造駅舎があるので寄って見る。そこは、姫新線、
兵庫県姫路市と広島県新見市を結ぶローカル線の駅。
まずは、駅舎を見て下さい。
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どうですか?素敵な木造駅舎ですね。以前使用されていた円柱の赤いポストが、また良い味を
出している。
ここは、美作千代(みまさか せんだい)駅。千代と書いてせんだいと読むのですね。
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津山駅から西へ二つ目の駅です。
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せり出している屋根がイイでしょう。ここも駅舎が造られてから90年以上。岡山県の駅舎、特に
ローカル線の駅舎は、戦前に建設されてからずーっとその状態で維持されて来ているから、こう
やって残っているのでしょう。下手に近代的なコンクリート製の駅舎にならなくて良かったです。
でも、これって観光客目線かな?

地方の駅舎は、地元住民の手によってキレイに保たれていて、ホントに感謝です。掃除やゴミ
の管理、除雪など、いつも地元の方々がして下さっているのです。
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大正12年建築とのこと。1923年で、関東大震災があった年です。だから、築92年。
すごい!ですね。
まさに、昔のままの駅舎ですし、それを残そうとしている人々の意思が伝わります。
ありがとう!美作千代駅。
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駅にあった「仙人の里 久米町」。

さらに西へ。「美作追分駅」。ここは近代的な駅舎だ。
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ここの駅から真庭市。
ここで、訪ねたかったのが、旧遷喬(せんきょう)尋常小学校の校舎。
尋常小学校とは、戦前の義務教育の最低ラインの学校。4年制だった。ここを卒業して
高等小学校、中学校、高等学校へと進学するが、システムはかなり複雑。
それに進学率は、きわめて少数。
だから、尋常小学校は地域のだれもが通う学校だった。
国道181号線、通称出雲街道沿いにある。
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これを、みた時は驚きの声を上げました。エッー!こんな学校があるの?
実は、ここは帝国書院が発行しえいる「旅に出たくなる地図 日本」の中国地方に出ていて、
どんなもんかな?ということで足を運んだわけです。
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グランドと校舎全体。ウーン、とうなってしまう。
何と!驚くなかれ1907年(明治40年)に完成している二階建て木造校舎は、国の重要文化財
に指定されているほど。
日本の学校建築の設計基準が確立した、明治時代後期における洋風校舎です。
築108年!100年以上も経過している。
左右対称の建物、しかも中央部分は一段と高くせり出している。
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校庭の西隅にある広葉樹の巨木。
しかも調べて見たら、1990年(平成2年)まで83年間現役だったのです。現在の真庭市立
遷喬小学校として。1990年他の場所に新築移転され子供たちは移りますが、それまでは
学びの場として使われていたのです。
現在は、文化施設(主に図書館)として、地元住民のために利用されていますが、それにし
ても素晴らしい!
残念ながら、当日は休日で校舎内を見学することは出来ませんでしたが、外観だけでもワン
ダフル!
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さくらと並んで美しいです!
予算は、18,000円で、当時の久世町の町の予算の3倍あった、という巨額のものでした。
正面玄関へ。
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中央の校章のマークは高瀬舟で、知らなければ「立」という漢字かな?と思いますね。
よく見ると、下に船のようなものが見えます。
前庭の日本庭園が、これまた素晴らしい!
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というわけで、岡山県真庭市の旧遷喬小学校を紹介しました。
この校舎、映画やテレビにも登場していて、「ALWAYS三丁目の夕日」では、鈴木一平が通う
小学校として撮影に使用されたし、NHKの朝の連続テレビ小説「カーネーション」でも使われて
います。
ここで、長いこと時間を過ごします。
ここは、ガイドブックなどには登場しない建物。地元の人しか知らない隠れ名所。
今まで、たくさんの学校を見て来ましたが、ここはその中でも最高級!まさに特上の学び舎。
しばらく感動の時間を持ちました。
この後、二日ぶりとなる温泉へ。岡山県勝山の真賀(まが)温泉へ。
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いかにも歴史がありそう。ここは津山藩の共同浴場だったそうで、かなり古びた温泉街。
階段を登って、「元湯」という名の共同浴場の幕湯がある湯へ行く。
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幕湯とは、殿さまが家紋入りの暖簾をかけて貸切とした湯船のこと。250円で入浴できる。
何と!一般の風呂より100円高いが、それでも津山藩主の殿様と同じ気分で入浴出来ると
あって、その幕湯へ入りました。
「余は満足じゃ!」
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国道313号線に旅館・ホテルなど10数軒が並ぶ古くからある温泉街で、商都勝山の奥座敷、
といった風情か?

というわけで、今日は岡山県真庭市の旧遷喬小学校に感動!したお話しでした。
このあと、さらに西へと向かいます。
それでは、また明日!


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日本三大平山城の一つ、津山城は姫路城や松山城と並ぶだけはある。どちらも見学したことが
あるが、別段見劣りすることはない。姫路城は、さすがに天守閣が残り世界遺産になっているだ
けのことはあるが、市内中心部の小高い丘にある城としては、ほど同規模。
四国は愛媛県の松山城も同様。市内のほぼ中央にあって標高100m弱くらいの小さな山、といっ
た場所に築造されている。
ここ津山城は、江戸時代立派なお城だったのです。
さくら満開のこの時期は、入園料も要する。300円也。
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お花見に来ている方々が多かった。
キレイに咲いているソメイヨシノ。
老いも若きもカップル!こちらのベンチはアフター、向こうのベンチはビフォーかな?
どちらにしても、美しい花は人々を和やかにしてくれる。
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ふと、下を見る。
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作州津山とある。作州とは、美作の作のことですね。桜の絵は分かるとして、カッパは?
カッパといえば、岩手県遠野をすぐに思いつくが、あちこちにカッパ伝説があるからここも
河童が出ているのかな?
さくらの花が散って道路を敷き詰めている。
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見事な桜だ。さすがに、さくら日本100選に選ばれているだけのことはある。
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奥に見えるのは、備中櫓(びっちゅう やぐら)。2005年(平成17年)に復元したもので、
小さな城なら天守閣のような大きさ。
北海道で唯一の天守閣がある松前城よりも大きい。
城好き人間の自分は、西日本を旅すると感動の連続です!
史跡巡りが好きで、あちこち旅しているけど、西日本には見応えのある場所がたくさんある。

長い間、旅していたいけど夏は暑そう!本州・九州は昨日のニュースでも30℃を越える真夏日
がほとんど。
まして35度以上の猛暑日なんて信じられない。
函館の気温は、真夏でも30度を越える日は数日のみ。最近は温暖化で、真夏日の日も珍しく
なくなっているが、それでもひと夏で一桁。
5月から真夏日なんて、歩いているだけに熱中症になりそう。

津山城内の石段は全部で800段。ここは、表中門石段。江戸城、大坂城に次ぐ横幅の広い
石段だそうです。
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先ほどの備中櫓を下から見る。櫓の中は、小さな資料館も兼ねていてビデオの上映もされて
いて、ここの歴史がよく理解出来た。もっと、勉強して来るべきだった、と少し後悔。
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後から気付いたが、天主台に上がる石垣に「ハートの石」があるそうで、そこはパワースポット
になっている。下りてからマップを見たら書いてあった。
が、再び登る気にはならず。断念する・・・。
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石垣に彩りを与える菜の花の黄色いが映える。きれいですね。
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来年2016年は、築造400周年を迎えるので市では津山城築造400周年記念行事を行う、との
こと。さらに美作の国、建国1300年記念もあるという。1300年前と云ったら紀元700年、710年
平城京遷都だからやっと奈良時代が始まるあたりか、すごい歴史があるんだなぁ!と感心する。

日本史の年表を調べていたら、「713年(和銅5年) 丹後、美作、大隅の国を設置」と出てきた。
ウーン、西日本を旅すると時は日本史の本が必要だ!

最後に津山駅を。
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というわけで、津山城跡見応えありましたね。城好き旅人の自分は、今までいろいろな城巡りを
してきたけど、津山城は天守閣はないけどなかなか素敵な城の一つでした、と念押し。

さて、このあとはさらに西へ。何せ、九州は鹿児島県、さらに東シナ海の離島へと向かうわけだ
から、この辺りでのんびりしていられない。もっと、西へ行かねば。
美作地方のB級グルメ「焼うどん」を食べ損ない(探し探して入った食堂には、そのメニューが
なかった)、普通に「生姜焼き定食」を食べて再スタート。
この後も岡山県で、思わぬ発見!がありました。
いいぞ!岡山!! ではまた明日!

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日本で一番美しい駅、と山田洋次監督に云わせしめた「美作滝尾駅」。
ここでのんびりと1時間ばかり過ごし、津山市中心部へと向かう。日本三大平山城津山城
を見るためだ。
さすがに、美作地方の中心都市で人口は10万人を越えるだけあって、交通量も増えてきた。
それまでは、極端に少なくのんびりとハンドルを握っていたが、集中して運転しなくては!
ナビに合わせて運転していたら、何とか城の下、津山文化センターに到着、駐車場に入る。
4月1日から15日まで「津山さくら祭」が開催されていて、この時期は駐車料金500円也!
平日だが、昼時とあってほとんど満杯。やっと入れた。
市内は盆地だが、城のあるここだけ丘陵地帯。だから平山城を築くことにしたんだな。
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国の史跡となっている津山城。

城には、戦国時代の山城。これは、山の山頂にあって、戦を有利に進めるための砦。
岡山県高梁市の備中松山城や津和野城、竹田城がそう。
一方、豊臣時代からは、支配下の住民を見下ろす市内の中心部に城を築いた。これが、
平山城。ユネスコの世界遺産にもなっている姫路城松山城大坂城もそう。
市内中心部の小高い丘に城を構えて、大名はそこから町を見下ろしていたのです。
四国の高知城丸亀城、信州は上田城もそうですね。

さらに、江戸時代に入り天下泰平の時代。戦さの必要もなくなると、支配下の市内中心部
の平地に城を築き、出入りが簡単に出来るようにします。例えば、京都の二条城、箱館の
五稜郭もそうです。広島城江戸城米沢城もそう。これが平城
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菜の花がたくさん咲いていてキレイ。黄色が映える。
別名鶴山城ともいい、室町時代6大将軍の足利義教(よしのり)の時代の1441年に築造開始し、
3年後の1444年に完成。時の美作の国の守護大名、山名氏が築きました。

天主台に登って見ましょう。
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江戸時代、森氏へ。1603年森忠政が18万6千石で津山藩主となります。
その時に、1616年から13年かけて5層の天守閣を築き、大規模な近世城郭となります。
しかし、
17世紀の末の1697年森氏は断絶、翌1698年代わりに越後高田藩から松平氏が10万石
で移って来ます。
そういえば、2013年10月の旅で新潟県上越市の高田城跡を見学した時に、お家騒動が
あって左遷された、と櫓の資料館にあった様な記憶がする。
あの時も土砂降りの雨の日だった。高田城公園の駐車場に停めて、城跡を見学後近くの
図書館で時間をつぶして、夜は上杉謙信の眠る春日山城で車中泊したのだった。
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1873年(明治6年)廃城令により、廃城。今は天主台と立派な石垣のみしか残っていない。
標高は100m近くあるのだろうか?市内中心部にあって見通しは極めて良好。
毎日、殿様はここから住民を見下ろしていたのだろう。
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廃城になる以前は、77もの櫓を持つ日本最大クラスの城だった。なにせ、姫路城でも61、
広島城で76の櫓を持っていたのだから津山城は多い。
松平氏入封後の1809年、残念なことに火災で本丸御殿が焼失している。
津山藩は、1871年(明治4年)の廃藩置県まで続いた。
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日本100名城の一つで、67番目にランクインされている。
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さくらの名所でもあり、日本さくら名所100選にもなっている。確かに桜は多くキレイ!
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多くの観光客が来ていた。
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戦前、模擬天主閣が築かれたけど、もったいないことに戦時中取り壊されている。
白黒の写真は明治時代初期のもの。あれば、右上のような天守閣だったろうに・・・。
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というわけで、津山城が日本三大平山城だったことを、初めて知りました。行って見て知る、
そんなことがあるから旅は面白い。
もっとも知らないことが多すぎる。知っているつもりでも、行って見たら全然違っていたなんて、
こともある。
やっぱり、
百聞は一見にしかず」は本当ですね!
では、また明日!

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今日は、5月25日(月)。2015年春の旅「九州・鹿児島県の離島、甑島を訪ねる旅」から
帰ってちょうど一月が経過しました。ブログを創るたびごとに思い出すのが、初めて車で
旅した西日本の風景。
仕事の出張や個人的な鉄道を利用した西日本の旅は何度もありましたが、車中泊をしな
がら地方を訪問したのは初めて。
その中でも、何か所か、ここはじっくりと訪ねるぞ!の思いで訪れた場所があります。
その一つが、今日紹介する因美線「美作滝尾駅」。岡山県津山市内にあります。
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昨日、最後に紹介した「三浦駅」のお隣です。
ここは、「男はつらいよ」シリーズの第48作品目、1995年12月23日に公開された「男はつらいよ 
寅次郎紅の花」の冒頭のシーンで登場する駅です。
駅前にはこんな碑が建っていました。
248


































桜井センリさんが駅長の役をしている。寅さんは、トンボを追いかけている、そんなシーンを
覚えている方も多いでしょう。
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無人駅の駅舎内には、その時の写真が飾られている。
このときに、山田洋次監督が「ここは、日本で一番美しい駅だ」と賞賛しています。
もちろん、事前に訪れて確認しての話ですが、この駅を見た瞬間から、最初のシーンはここに
しよう!と決めたそうです。
251



















最後の作品となったのは、翌年の1996年に主役の渥美清さんが亡くなったからです。
もっと、もっと続けて欲しかった作品ですが、この48作品目でお終いになっています。
それだけに、ここの駅は思い入れがあったのです。
函館からは、とても遠く、最初は行けるかな?と不安もあったが、ついに到着!
うれしいです!ハッピー!

何と、中井精也さんも訪れているんですね。
252



















中井精也さんは、東京都出身の鉄道写真家で、BS・NHKの番組「中井精也のてつたび!」
に出演しています。鉄道番組は大好きで、よく見ていただけに、これまたうれしい!
253


































昔は、手荷物、貨物のことをチッキと呼んでいましたね。私も大学生活をするために上京した
時、布団・衣服などをチッキで送ったことを覚えています。
もう、44年以上も前のこと。

もう一度ロケ地を示す碑とともに駅の看板を見る。
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ここの駅舎も登録有形文化財に指定されている。開通当時のままで築70年は過ぎている
年代物で、でも大事に維持されていて地域の住民に愛されているなぁ!と感心します。
255



















このプレートに書かれているように、「この建造物は貴重な国民的財産」ですね!

駅をぐるーっと回って駅舎の逆側から撮影。
256



















いいなぁ!山田洋次監督が「日本で一番美しい駅」と称賛したのも分かる。
のんびりと、そうまるで寅さんになったようにお昼寝しそうな駅です。
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桜が満開で、とても絵になる。
258



















ここで1時間以上過ごしたが、観光客だろうか、車で来た方が写真を撮っては帰る人が何人か
いましたが、もっとゆっくりとくつろいでいけばいいのに、と思いました。
259



















美作滝尾駅。ついにやって来ました。寅さんがの最後の作品のロケ地となった冒頭登場する
駅舎がここ。
渥美清さんは、このころ病状がかなり悪化して相当具合が悪かったそうです。それでも、カメラが
回るとシャッキとして撮影に取り組んだそうです。だから、作品だけ見ていると元気そうに見えます
が、実際はとてもしんどかったはず。

遺作となった、この駅に訪れて良かったです!感動の1時間をここで過ごしました。

明日は、平山城としてはかなり大規模な津山城跡を訪問します。
それでは、また明日!

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最初に昨日の記事のことをお伝えします。
美作河井駅」の昭和17年に造られた鉄道開通記念碑に鉄道開通70周年、とありましたね。
考えて見たら、1872年(明治5年)、明治政府の工部省の統括のもと、新橋ー横浜間の鉄道
が開通しています。当時、片道切符は上等で1円12銭5厘、中等で75銭、下等で37銭5厘、
所要時間53分もかかっています。
あれは、そのことを記念して碑を建設したのですね。勘違いしていました。あの記念碑は明治5年、
日本で最初の鉄道が開通した記念の碑だったのです。

ここ因美線の開通は、その後かなり遅れて開通しています。それは、少し後でお伝えします。

美作河井駅を後にして、さらに南下します。
今日は、津山市の因美線秘境駅の「知和駅」、旧加茂町の中心にあるみ「美作加茂駅」、
さらに「三浦駅」へと向かいます。
まずは、「知和駅」。ここは、秘境駅探訪家の牛山隆信さんのランキングで20番台になって
いる駅。それだけ人を寄せ付けない魅力がある駅、ということです。
235



















建造当時の建物で、築70年以上、相当年季が入っているのが分かる。
でも、この木造駅舎が良い味を醸し出している。木造駅舎を訪ねると、ホントにうれしくなる。
心が休まる、癒される、安心する。鉄筋コンクリートのビル駅でなくて良かった!と心から思う
のです。
236



















県道6号線沿いにあるものの、県道を通過する車の台数は極端に少なく、住民の利用もない。
県道6号線は、鳥取県へ向かう物見峠が県境で、そこは険しい峠道、おまけに脇道もない。
よって、この道は地域住民のみが津山市への買い物、通勤、通院などに利用するだけの道。
だから、交通量は少ない。
まして、車社会になって、鉄道を利用する人はほとんどいない。車の免許のない高校生の通学、
高齢者の通院など、1日に数人か十数人程度、それが現状なのです。
だからますます秘境駅へとなって行く。
237


































明治31年、1898年に岡山市と津山市の鉄道が、当時私鉄の中国鉄道により開通したが、
鳥取県と岡山県を結ぶ鉄道は、何と他と比べてかなり遅れて昭和7年開通、とある。
山間部にトンネルを掘って全線開通するまで34年の年月が費やされている。
昭和7年は1932年で、満州事変の翌年でこの年の5月には5.15事件が起きている。
戦争へ向かって突き進む時代に、やっと完成している。
それだけ県境の中国山地が険しく建設困難だったことがうかがえる。それとも軍事上必要だった
のか?

さらに南下して「美作加茂駅」へ。
さすがに町の中心だけあって、無人駅ながらも駅舎は立派。
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津山市に吸収合併される前は、加茂町。ここはその中心。

ここにも、同じ記念柱が建っていた。
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プラットフォームから見渡す加茂の町は盆地の中にあって純農村地帯。
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駅舎の中は、地元住民の集いの場でもある。集会場があった。地方では、駅は地域の
コミュニティーの場所でもありますからね。
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まだ、田植えが行われていない。これからですね。
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駅に駐車して、町を散策。こんな家が多い。まるで武家屋敷みたい。黒い瓦屋根、瓦の塀、
敷地には蔵もあって、面積も広く、きっと江戸時代から続きいている名家か?

でも、こんな家はどこにでも見ることが出来る。北海道とは全然違う家の形に驚く。
243



















そして、「三浦駅」へ。ここは鉄道開通後しばらくして地元住民の要望で後に出来た駅。
だから、こんな記念碑があった。
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一致団結 大願成就」~三浦駅建設記念 とある。
その駅はプラットフォームときわめてシンプルな一部屋根が付いた待合室だけ。
245



















もちろん非電化、単線。でもいいんですよ。桜が満開、駅への階段では、地元住民が花を植えて
いて、駅の美化に努めていました。
愛されている駅だなぁ!と感動しましたし、ホットします。都会の駅にはない雰囲気が、ここには
ある。
晴れていれば、桜のピンク色と青空が映えるのになぁ・・・。
この日の天気は、「曇り時々小雨」。毎日雨が降る。
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真っ直ぐ延びる線路は、鳥取県へ。今まで紹介した「美作河井駅」、「知和駅」、「美作加茂駅」
方面へと続いている。
さらに南下して次の駅は、それこそ山田洋二監督が「日本で一番美しい駅」と評した
美作滝尾駅」。
詳しくは、明日お伝えするとして、駅舎だけ1枚お見せします。
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良いでしょう。それでは明日、ここ「美作滝尾駅」をたっぷりと紹介します。

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宮本武蔵駅での車中泊は、たった一人。いつものことだが、有名ではない道の駅やローカル
駅舎での車中泊はいつも一人だ。キャンピング・カーが何台も停まっていて大勢の車中泊の車
がいるような道の駅では、どうも気が引けてすんなりと入っていけない。
一人で旅しているし、寝る時も一人ぼっちの方が、性格的には合っているようだ。

さて、山間部ゆえ朝方はかなり冷え込んだ。4月とはいえ、やっぱり山の中。日中暖かくても、
陽が沈んでからは気温はどんどん下がり、陽が登り始めた朝方はグッと冷える。
そんな宮本武蔵駅を朝7時過ぎには出発、今日の目的地因美線巡りの旅へと。
国道429号線を西へ、途中県道を走り国道53号線に出て北上し再び鳥取県智頭町へ。
鳥取県の県道295号線から峠を越えて岡山県の県道6号線へ。
峠の山頂は、淡い雪が降っていた。
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この写真は、峠を登って今来た道を振り返っている。物見峠という名が付けられている。
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杉の木が白くなっているのは、降雪です。ここでは、2車線の道路になっているが、ここまでの
道のりは1車線のみ。だから、対向車が来たら「どうしようか?」と心配になったほど。
道は狭いし、おまけに雪が降ってくる。自分のタイヤは、北海道を出て来る時に夏タイヤに
交換したばっかり。ワイパーも夏仕様にしたのに、再び冬に戻るなんて・・・困惑する。
でも、なんとか脱出に成功し、峠を下る。

峠を降りた、最初に名もなき村落で出くわした藁葺きの家。
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最初の駅は美作河井駅
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昭和17年(1942年)で、鉄道開通70周年の記念碑がある。ということは、1872年開通?
でも、1872年(明治5年)は9月にやっと新橋ー横浜間に鉄道が開通したばっかりなので、
ちょっとおかしい?
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ここは城跡もある。矢筈(やはず)城だ。
戦国時代の城で、山城。当時の城は、まさに戦う砦で、山頂にあるから有利に戦うことが
出来る。
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756mの山頂にある日本屈指の山城だ。羽柴秀吉、後の豊臣秀吉からも攻撃を受けたが、
一度も落城したことが難攻不落の城。
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こんな不便な土地でも城を造り、戦さの準備をしていたのが戦国時代だから。

ここの駅には転車台がある。
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冬は豪雪地帯、ラッセル車が通る。ここ美作河井駅が標高としては一番高いので、鳥取県から
除雪して来てここで転換して方向を換えたのだ。よく見ると、転車台の下にはレールがあって
車輪で簡単にチェンジ出来る。
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御覧のように、集落もない。点々と家屋があるのみ。こんな駅を利用する乗客がいるのだろうか?
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電線がないので非電化、ディーゼル機関車が走っているのだろう。電車ではないですよ。
線路も単線。
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駅の奥へ行って見たら、神社があった。若宮神社という。
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誰もいない。乗客も来ない。もちろん無人駅。岡山県最北端の駅。
それにしても静か。鳥の声だけしか聞こえない。ここまで対向車もなかったのだ。
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加茂川に架かるこの橋梁も古い。鉄道遺産になっているほどだから。
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というわけで、まずはトップバッターに「美作河井駅」を紹介しました。明日は、さらに南下し
秘境駅の一つ「知和駅」へ。さらに「美作加茂駅」、「三浦駅」、そして「男はつらいよ」寅さん
最後の作品の駅となった「美作滝尾駅」へと向かいます。
それでは、また明日!

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ついに宮本武蔵の生地へとやって来た。元祖二刀流、本家本元、北海道日本ハムファイターズ
の大谷選手の元祖、佐々木小次郎との巌流島での戦い生涯60戦無敗
宮本武蔵、ついに会えます!

場所は、岡山県北東部、もとは美作の国、現在は美作市、旧大原町。
昨日は、智頭急行鉄道「宮本武蔵駅」のところで終了しましたが、今日はそこからスタート。
まずは、もう一度「宮本武蔵」の名が付いた駅表示。カッコいいですね!
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昨日紹介した「大原宿」のある大原駅の隣の駅。
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駅周辺には、温泉、武道館、神社、資料館などさまざまな施設があるが、まずは生家へ。
駅舎には、何と!早くも武蔵登場!
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すごいぞ!武蔵!ここは何から何まで武蔵、ムサシ、むさし!
人通りも少ない農村風景の中を歩いて数分の場所に生家がありました。
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奥の家が生家。もちろん何度も建て直しをしているが、ここで少年時代を過ごしている。
子供のころは不遇でした。
父、平田無二斎は下級武士の郷士で剣術師範。生母お政は武蔵(幼名弁助)を出産後、亡くなり
ます。時代は織田信長が本能寺の変(1582年)で殺害されてから2年後、秀吉が天下統一する
あたりに誕生している。1584年の生まれらしい。はっきりは不明。
父は、武蔵の養母をもらうが、離縁する。彼女は田舎へ帰り再婚するが、武蔵9歳の時その
育ての親である養母に会いたくて家出をする。
しかし、父の追手により連れ戻される、という悲しい話しが残っている。父子家庭の中で育ったん
です。
武蔵、幼少時代は辛かったのですね。生みの母はすぐ亡くなり、育ての母は離縁される。きっと
父に対する反発の気持ちは強かったでしょう。
そんな武蔵に、父は剣術を厳しく指導。やがて武蔵は、体格も大きく周辺の暴れん坊になっていきます。
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今も子孫が住んでいるので、柵がありここまで。
210



















武蔵ゆかりの地、とあります。
彼は決して武人だけではなく、水墨画を描き工芸品を作る文化人でもありました。
その作品は重要文化財に指定されているものもあります。
まさに文武両道のお手本のような人。
そういえば、「五輪の書」も書いていますね。
212


































武蔵ファンが寄付を集って、作成したのでしょう。「宮本武蔵生誕の地」の碑。
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こちらも、確か親族の方の家だった?はず。旅後、一月以上も経過して詳しくは忘れてしまい
ました。生家のとなりにありました。
武蔵は神となっていて、武蔵神社があります。そこまで歩きます。
途中、マンホールを見つけた。ここにも武蔵発見!
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「美しい自然と水 武蔵の里」とある。真ん中には二本の剣が描かれている。さすがに二刀流!
「岡山 大原」とあるのは合併前のマンホール。
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小高い丘に武蔵神社があった。鳥居をくぐり、苔むした階段を登って行く。
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左の巨大な絵馬に描かれている武蔵の顔は、よーく知られていますね。
彼と彼の両親の墓所もありました。
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左、武蔵。右は無二斎とお政の両親。
墓所は、熊本市北区にもあるらしい。晩年は肥後藩細川氏に招かれて過ごしていたから。

亡くなったのは、1645年6月13日。江戸時代が始まり43年、3代将軍家光の時代で、幕藩体制が
確立した時代だ。もう剣で争う時代ではなくなっていた。
218



















あちこちに武蔵の像が建っている。
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ここは、村の鎮守の神。
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武蔵が誕生した時代は、まさに戦国の世。秀吉の天下となった時だけど、まだ剣の技術が
左右していた時代。
それが、晩年天下泰平の世の中となって、彼は剣から筆へと持ち替えたのだろう。
60年の生涯、幼少時代過ごした武蔵のふるさと、今も静かに武蔵ファンを待ち受けています。

というわけで、武蔵の里をじっくりと探訪しました。ここの雰囲気、とっても良かったですよ。
この日は、宮本武蔵駅にて車中泊。夜中またしても大雨。大粒の雨が屋根を叩く音も子守唄。
ぐっすりと寝たか?というとそうではなく、朝方はぐっと冷え込んだ。山間部だからまだまだ寒い
のだ。
朝6時起床。吐く息は白い。冬のような気温。手がかじかむ。もたもたしていたら、車が1台やっ
て来た。「おはようございます。寒いですね」と云ってすぐに階段を登りプラットフォームへ。
毎朝、通勤しているサラリーマンか?駅の駐車場に置いて列車で通勤しているのですね。
「ご苦労様!です」と声を掛けて、自分の出発の準備。今日は、因美線の木造駅舎の秘境駅
を探訪して城跡のある津山市へと向かう予定。

それでは、また明日!

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鳥取県南東端の町、智頭町から県境を越え岡山県入りした最初の町が西粟倉(にしあわくら)村
道の駅「あわくらんど」で休憩後、さらに南下。美作市へと。美作(みまさか)とは、昔の国。

岡山県は、北部の美作、瀬戸内海に面した南東部の備前、西部の備後と三つの国がある。
その北部山間部に位置するのが、美作市。人口3万人。岡山県15市の中では最も少ない。
美作地方の中心都市は、後ほど訪れる予定の津山市だ。人口10.6万人。

その美作市の北部に、かつては大原町があった。現在は吸収合併されたが、因幡街道の宿場町
播磨の国(兵庫県西部)と因幡の国(鳥取県東部)を結ぶ街道で、江戸時代は鳥取藩主の参勤交代
の道となっていた。

まずは、昨日紹介した「恋山形駅」。どこまでもピンクにこだわる、第3セクターの智頭急行鉄道が
運営する無人駅。ここから、さらに山間部へと峠を越える。
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西粟倉駅もまた無人駅。駅舎の中では、列車を待つ高齢のご婦人二人がおしゃべりしていた。
良いですね、のんびりした田舎の光景。
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そして、次の駅の「大原駅」。
191



















周辺の駅の中心的存在。委託された女性の駅員さんが仕事をしていた。
ここには、車両基地があって整備も行われている。
192



















ちょうど桜が満開の季節だった。山間部は、都心部よりは1~2週間ほど遅れて咲いている。
相変わらず天気は悪い。毎日雨が降る。この日も曇天、時々雨の空模様。
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駅の駐車場に車を停めて歩くことにした。
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いきなり江戸時代にタイムスリップしたかのようだ。
まず、電線・電柱がないのが良い。路面こそ石畳のきれいな道だが、、左のナマコ壁の屋敷と
いい、奥の蔵といいとても素敵な街道だ。歩くのが楽しくなる。街灯だけが現代を思わせる代物。
195



















大名や幕府の要人が本陣に宿泊した時、重臣の宿舎として、ここ脇本陣が利用された。
平常は、第一級の旅籠(はたご)として営業していたそうだ。
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ここだけ西洋風の建築物。それもそのはず、大正時代に建てられたそうで大正ロマンの香り漂う
建物だ。これだと、函館の建築物と似ているところがあり、少しだけホットした。
かつて、銀行として使用されていて当時の金庫が残っているとのこと。今は司法書士事務所とし
て活用されている。
197



















ここは本陣。第一の利用者は、因幡の国と伯耆(ほうき)の国、つまり現在の鳥取県を支配した
32万石の御殿様、鳥取藩主の池田候
198



















見ただけで圧倒されそうな建物だ。
199


































地図を見ると、西粟倉村と旧大原町だけの部分だけが岡山県で、大原を南下するとそこは
もう兵庫県。西粟倉村の北は鳥取県で、3つの県が隣接している。
200



















それにしても風情があるし、宿場町としてのいい雰囲気を醸し出している。宿場町なんて北海道
にはないですからね。もちろん、城下町だって松前町だけだし、門前町もない。
西日本を旅していると、歴史の教科書に登場することが目前にある。古くから形成された町である
ことが分かり、歴史のあるところだなぁ、と本当に感心する。
201



















この一帯の名は古町。かつては小原宿(おはらじゅく)と呼ばれていて、本陣や脇本陣だけでは
なく問屋もあったそうで、明治維新以後も「運輸交通頻繁にして旅客の本村(大原村)に宿泊する
もの日々平均八、九十人下らざりし」と当時の郡史(英田郡)に書かれている。
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吉野川の風景。桜並木が続くが、昔はこの川で大事な牛を洗っていたそうです。
203



















オオサンショウウオの生息地でもあるそうだ。

そして、ここへ来たかった。その駅名がこれ。
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何と!「宮本武蔵駅」。
駅前には、若きころの武蔵が遊んでいる。
204



















そう、ここ大原は宮本武蔵の出身地。彼はここで誕生したのだ。
駅のプラットフォームは、一段高い場所にあり集落を見下ろすことが出来る。
205



















武蔵は、ここで生まれ育ったのか!
明日は、ここ生地、いやムサシファンにとっては聖地だ。ここをゆっくりと歩きまわりたい!
ということで、また明日!

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智頭町山形集落を南下すると、第3セクターの智頭急行鉄道恋山形駅がある。
ここは、全国に4つしかない恋のつく駅名。
しかも、ハート型の駅看板。 まして、看板も手すりも柵もすべてピンク色!
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駅舎はないが、雨よけの屋根までピンク色。何から何までピンク!ピンク!ピンク!
182



















これには、誰もが驚き、恋してしまう。
181



















無人駅のため、ここでは販売していないが、智頭駅では絵馬を売っている。その絵馬まで
ハートの形
184



















左の時刻表を見て分かるように、ほぼ1時間に1本の列車。昼間の時間帯は2時間待たなくては
いけない。
多分、周辺の列車通学生のためのダイヤか?
日本に4つの恋の駅、とある。
183


































北海道では、室蘭駅の東隣の駅である「母恋(ぼこい)駅」がそうだ。母の日のプレゼントに、
母恋駅の入場券をカーネーションの花と一緒に送るのが、一時流行ったけど、今も続いてい
るのかな?
三陸鉄道の「恋し浜駅」。ここは、私のブログでは何度も登場しているからお分かりでしょう。
岩手県大船渡市小石浜にある駅。駅名をわざわざ「恋し浜」に変えたのが良い。
しかも小石浜漁港の名産品であるホタテの貝殻に、願い事を書いて小さな駅小屋に吊るして
いる。2013年10月のブログを見ると登場しますよ。
震災以前は、恋の願い事が圧倒的だったが、以後は震災復興と被災者を思う気持ちが多く
なった。何色かのマジックペンとホタテの貝殻は箱に入って用意してあります。
是非、三陸の無人駅を訪れて願い事を書き、吊るして下さい!
ここでは、3回の旅で車中泊した思い出深い駅の一つ。いや旅の思い出としては、トップクラス
の駅だ。
もう一つの西武鉄道「恋ケ窪駅」は訪れたことがない。いつかは、訪問してみたいな!
185



















三ケタ国道の373号線から左折するのだが、すこし分かりづらかった道のり。でも何とか
ここへは来たかった。この派手なピンク色の駅を見たかった!
188



















恋がかなう駅なんて、第3セクターの鉄道会社だから出来ること。これがJRだったら、ここまでは
出来ないでしょう。第一駅にピンク色を配色するなんて、絶対反対されてその計画はつぶされて
しまうでしょうね。
もちろん、ここの駅でも反対があったことでしょう。以前の、何もない普通の駅(以前の写真があり
ましたね)をチェンジする時、地域の、特に多い高齢者の人はどう思ったでしょう?
でも、こうして一部の旅変人を来させるのだから、それだけでも成功。ペンキ代には相当費やした
でしょうが、地方ではこのくらいやらないとダメですよ!

たまたま急行がやって来た。智頭急行という名だけあって、ここは素通り。
187



















ただ残念なのは、ここでゆっくりとランチを兼ねて1時間を滞在したが、訪問者はたった一人。
米子ナンバーのバイクに乗った若者が来て、写真を撮って、さっさと帰ってしまった。平日で天気も
悪かったからかな?
停まった普通列車は2本。その内1本からは地元の女子高校生が一人下車。スマホを見ながら、
これまたサッサと踏切を渡り集落へ歩き去った。
昼時だったから、何かの行事で学校は半ドンだったのかな?
やっぱり過疎の土地。でもこの駅のようにピンクで盛り上げよう!との気持ちは大いに伝わる。
ここを訪れた人が、「面白い駅だよ」と発信すれば誰かが訪ねるかも知れない。
何もない駅だったら、誰も来ないですよね。

というわけで、全国に4つしかない恋のつく駅「恋山形駅」を紹介しました。
明日は、さらに南下、鳥取県から岡山県へと向かいます。ここでも訪ねたい場所があったのです。
そして、ある人物に逢いたかった。その方、もう故人となっているので直接お話し出来ませんが、
彼のスピリットを感じたいのです。お墓へ行って拝んで来たい。
では、また明日 

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4月に旅した春の旅を振り返り、デジカメで撮影した写真を下に総集編を創っています。
スマホで、リアルタイムに作成したものとは違い、スマホでは撮影出来なかった超望遠
など高性能カメラを駆使して、仕上げてブログを創っています。今日はその第13回目。

智頭町の続きから。
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智頭町は、鳥取県南東の山間部に位置する人口8000人ほどの小さな町。面積の93%が森林
です。だから、林業が盛ん。杉玉があるのもそのせいです。
鳥取(因幡の国)と姫路(播磨の国)を結ぶ因幡街道沿いにある宿場町です。
これは米原邸。いつ頃建てたのだろう?



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ここは、国登録有形文化財となっている中町公民館
よく見ると、ここの玄関にも杉玉がある。

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諏訪酒造は、マンガ「夏子の酒」で大吟醸酒”(おおとり”が登場している蔵がある。

杉玉を作る工房まである。
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ここは、西河克己映画記念館
伊豆の踊り子」、「絶唱」、「青い山脈」などを監督した西河克己氏の映画に関する資料を
展示している。入場無料。

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懐かしい!山口百恵が写っているぞ!
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塩屋出店は食事処。ここも無料で見学できる。

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塩屋出店の日本庭園が美しい。ここの一画に映画記念館があります。
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江戸時代、参勤交代で大名が宿泊した場所なのでしょうね。
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見るもの見るものすべてが興味深い。北海道では、決して見ることが出来ない建物ばっかり。

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土塀が一部崩れている所もあるが、所有者が亡くなったりして維持管理が出来ないそうだ。
もったいないですね。時代劇にも使用されそうな玄関と塀。

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智頭小学校。入り口の桜が満開。素敵な校舎です。
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智頭町の宿場町となっているエリアを後にして数キロ行くと、山形という集落へ。
そこにあった閉校した山形小学校の木造校舎。

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現在は、山形地区の公的機関が入っていますが、随分と年季が入った建物です。
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玄関前に、ダンプがおかれている。ダンプと書いてダンプカーを想像する人は雪国の人じゃない。
ダンプとは、雪を排除する雪かきのこと。プラスチックの赤い物が見えるでしょう。
我が家にもありますから分かります。雪国の必需品ですね。

というわけで、智頭町終了。明日は、ここ山形集落のある場所へ行きます。そこには、全国で4か所
しかないあるものを見たかったからです。それは何か?
北海道に一ヶ所、岩手県に一ヶ所、埼玉県に一か所、そしてここ鳥取県に1か所あるものとは?
明日をお楽しみに!

ここは、函館市内の、とある病院。
ひとつ前のブログに書いたように、家内が先週土曜日の夕方、突然腹痛を訴え苦しみだした。
脂汗を掻き始め、声も発することが出来ない。本人はうなずくだけだったが、救急車を呼ぶ
ことになった。生まれて初めて救急車に同乗する。3人の救急救命士が駆けつけ、頼もしい。

サイレンを鳴らしてわずか5分で病院へと到着。当日の救急当番医が家の近くで良かった!
そこはK病院、診察の結果、即入院となった次第。
詳しいことは省きますが、ここはその入院した病院の5階、東病棟。東側は函館競馬場が
まじかに見える。競馬ファンには、特等席。まさにリングサイドだ。

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6月から開催されるJRA中央競馬に備えて芝生を養生している。
キレイな芝生ですね。青い空に緑色が映えている。

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巨大な噴水のように散水して枯れないようにしている。使用する水の量もすごい!

そういえば、昨日5月17日、日曜日東京競馬場のG1レースですごいことなりましたね。
第10回ヴィクトリアマイル芝1700m、春の古馬牝馬女王を決める一戦は18頭が出走。
1位に5番人気のストレイトガールが入りG1初優勝。2位には12番人気のケイアイエレガント
そ、そして3位に入ったのが18番人気、つまりもっとも人気のなかったミナレットが入る。
5ー7-ー18の3連単は、なんと!なんと!!20,705,810円。100円で買って2000万円。
もし、もしもですよ!1000円券を買っていたら2億円!
そんなG1史上最高の超万馬券が出ていたのです。
時間は、ちょうど私の家内が救急車で運ばれる時間でした。

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ズームして見よう。1周1800mのトラックの向こう側は湯の川温泉街。10階建て以上の高層
ホテル群が見えますね。
我が家は、その近辺。望遠鏡があれば、見えるかも知れない?
どこのホテルも、最上階に展望露天風呂を構えていて、我が家からも人が歩いている
様子が見えるが、もちろんはっきりと見えるわけではないし、見るつもりもないが。
ドローンを使って撮影しよう、なんていう輩(やから)がいるかも知れない?最近のドローンの
使用をめぐって、いろいろな事件が起きているが、そんなスケベな奴が出来こないともいえな
い時代だ。
まったく、プライバシーなどドローンと消えてしまいかねない。
下らないダジャレをいっている場合じゃないですね。

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北側を見ると、道南最高峰も横津岳(1167m)連峰が見える。さすがにほとんど雪が融けて
いるが、行って登って見ると残雪は多いのだ。

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そんなわけで、春の旅を再開して3日で終了せざるを得なくなり、その代り毎日荷物を持って、
見舞いに行っています。幸い自転車で10分ほどの距離だし、命にかかわるわけではないが、
それでも心配です。今週は検査漬け、来週手術の予定が決まるとのこと。
道内を旅するのは、しばらくお預けです。

出来れば、せたな町辺りで「日本一周原付リヤカー時速25キロの旅」さんに逢いたかったの
ですが、それも無理。彼のブログを読むと面白く、感心するばっかり!
それぞ、旅だ!というブログですね。ダントツの1位に輝いているのが理解出来ます!

しばらく家内の病気が完治するまで家でじっとしていて、毎日看病に行きます。

というわけで、4月に旅した総集編の続きをそのうちアップしますので、よろしくお願いします!
では、また!

昨夜は、ユニークな外国人と旅先で会ったところで終わってしまいましたが、彼の趣味は漁業で使用するガラス玉を収集すること。
彼から、お土産だと半ば強引にガラス玉をプレゼントされました。
これです。

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出版会社の社長さんをしていて、日本にはもう30回ほども来ているとのこと、ただし日本語はほとんど出来ず、身振り手真似で何とか
通用してきたと。

さて、それまでの間自分は函館本線の秘境駅を訪ね歩いていました。

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まずは、姫川駅。名前は素敵なネーミングの駅ですが、ここに辿り着くのに一苦労。こんな道を行くのです。

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ダートの道を行くこと約1km。しかもそこへたどり着くまでの案内はない。幸いナビの力を借りて何とか到着した次第。
ホントに秘境駅だ。牛山さんのホームページでは確か20番台にランクインされる秘境度。
国道5号線から近いのだが、国道へは行けない。車の騒音だけは聞こえるけど、道がないのだ。

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続いて、その隣の駅の東山駅。名前を聞いただけだとありふれた名で、どこでもありそうな駅名だけど、ここも道路から歩かなければ辿り着けない。

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線路に沿ってフェンスがあるが、以前は何もなかった。線路沿いを歩くのだから、もし貨物列車が通過中だったら、非常に危険!そんな道を200mほど歩いて駅へ。といっても、何もない駅。駅舎もなければ、もちろん鉄道マニアのノートすら置いていない。
枕木で造っただけのプラットフォームだけの駅なのだ。

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さらに続いて、駒ヶ岳駅。名前の通り、駒ヶ岳が目前にあるのだが、この日はガスの中。
駅舎はかわいい🎀

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しかし、駅前には何もない。少し歩いたところに廃校になった駒ヶ岳小学校があった。

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開校百周年の記念碑があったけど、それは平成元年の時、もう既に廃校になって何年が経過したのか?古い木造の体育館が超レトロ❗

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さらに続けて、赤井川駅へ。

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ここも国道5号線から、山間部へと道を進める。どうしてこんな場所に駅があったのか?きっと駅が完成したとき、それは戦前の話で、当時は車がほとんどない時代。
国道が出来る前で、鉄道が開通した時は駅の周辺に農家が数多くあったのでしょう。農産物の出荷で駅が利用されていたのですね。
だから、畑のど真中にあるのだろう。何度も噴火をした駒ヶ岳の火山灰が覆う土地だから、稲作は難しい。野菜や果物などの畑作が行われている。

最後に、有人駅の森駅。周辺の無人駅を管轄しているのが、ここ森町の中心駅の森駅。
駅構内にピザで有名なテンフォーが入っている。

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駅の近くには、いかめしで有名な柴田商店がある。

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イカの内蔵を取りだし、内部に醤油味のご飯を詰めるイカメシ。
森の名物です。これを戦前から生産していて、森駅の駅弁として販売している。
道南の名物でもありますね。

この森駅で、シアトルから来たアメリカ人のウオルトピッチさんに、またしても会う。
函館のホテルに戻るという彼を連れて、一旦函館に帰ることにしました、という次第です。

帰ったら、今度は大変なことに。今日の夕方嫁さんが入院することになり、当分旅には行けないはめになってしまった。
しばらく嫁さんの介護をしなければいけません。
というわけで、時間があるときに九州・中国地方を旅した春の旅の総集編をアップしますが、毎日は無理かも?
では、またごきげんよう‼

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