函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めた車中泊中心の「ぼうけんの旅」は今年で13 年目に突入。 車中泊の貧乏旅行の旅、今年で74歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 今年2026年も「ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです! 今年も「ぼうけんの旅」をよろしくお願いいたします。

2026年が明け今年は74歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!時々は自転車を積んでの軽バン一人旅の始まりです。

2015年06月

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月日が経つのは早いもので、今日6月30日で今年前半が終了します。このブログ2015年4月
に旅した鹿児島県甑島の思い出を綴っていますが、もう旅を終えてから2か月が過ぎようとして
います。
でも、甑島での出来事はつい昨日のようで、強烈な印象を残しています。甑島での3日間は、
我が人生での素晴らしい日々でした。それほど最高の島、それが甑島です。

昨日、神戸の方からコメントが届いていましたが、「甑島、良いですね!」と。
ほとんどの旅人は、甑島の場所さえ分からないと思います。観光地としては、超マイナーな島
ですが、離島の旅を好きな人は知っているはず。
それと自分のような、1流の観光地を拒否して天邪鬼のように知られざる土地を旅する者に
とっては、甑島は最高の地の一つです。
それにしても、甑島、良かったです!

下甑島へ上陸したこの日、旅始まって以来の民宿を予約。最初で最後の民宿泊となりました。
それ以外は、すべて車中泊。どんな豪雨の夜でも、車の中で寝袋にくるまって寝ていましたが、
甑島では、民宿に泊まろう、と決めていました。
瀬々野浦では2軒しかない民宿、1軒は当日営業しないとのことで、この1軒に宿泊。
その名は「浦島」。
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食堂も兼ねている民宿です。
ここに、荷物を置いて集落巡り。まずは、小学校を紹介しましたね。狭い集落を歩きます。
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最盛期の人口の10分の1以下になった集落には、廃屋が目立つ。更地もあちこちにある。
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高台にある西山小学校から周辺の家屋を見ると。
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ほとんどの家の屋根は瓦屋根。
家を建てるにあたっては、資材は九州本土から運んでくるのでしょう。大工さんたちも本土から
来て民宿に泊まりながら作業していくのでしょうね。
だから、建築費は高くつくはず。
もっとも、以前は集落の人々が力を合わせて家屋を造っていたとのこと。離島の、しかも船でしか
交通手段がなかった時代だからこそのものですね。
集落の住民がすべて家族のように暮らしていたのです。
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赤い屋根は郵便局。一目でわかる建物です。
人口105人の集落でも、郵便局は大事な存在。なくせないです。鳥居も見えますね。
大帯姫(おおたらひね)神社です。大昔、朝鮮半島の三韓(馬韓、弁韓、辰韓)征伐の際に、ここ
甑島へ難破し再び出兵した神功皇后(応神天皇の母で、別名が大帯姫)が祭神として祀られて
います。
もっとも「古事記」や「日本書紀」に記載されていることで神話の一つですね。

上の中央にあるのは、瀬浦大明神
もう一つあって、見えないけど大帯姫神社の裏側に「恵比寿神社」があります。

民宿の2階食堂から見た夕方の風景。
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右側の中央の2階建てコンクリート造りのフラットな屋根は、それこそ「Dr.コトーの診療所」。
昨日、函館中央図書館へ行って読んで来ました。全部で25巻もあるのですね。第1巻の冒頭
からナポレオン岩が登場してうれしくなりました!

ナポレオン岩をズームして見よう。
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何度見ても見飽きない。圧巻のナポレオン岩!
夕食です。
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近海の海の幸がいっぱい!民宿の奥さんは山形県出身とのこと。東京で働いていた時に、
島出身のご主人と結婚し、しばらく東京で生活した後、数年前に民宿を開いた、と云っていました。

陽が沈む東シナ海。
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翌朝、6時起床。車中泊の生活リズムが抜け出せない。どうしても早起きしてしまう。
海岸を散歩してみました。
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波打ち際には、黒くて丸い石がたくさんあって庭石に持ち帰りたいくらいほどだ。
2,3個持ってきたけど、無数にある。
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白い石や青っぽい石もあるが黒い石がとてもキレイ!

朝のナポレオン岩。
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やっぱり、イイですね!
他の石よりずーっと良い!
近くにあった他の巨岩。
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てっぺんが、まるで城の要塞のようで、防御壁が造られているみたい。

最後に、歩いていて偶然見つけたシーサー。
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沖縄の守り神シーサーだ。ここでも同じように信仰されているのかな?
昨日、歩いていて島のある方と知り合いになりました。
長いこと東京で働いていて、退職後ふるさとの島へ戻った方です。その日は、30分ほどお話し
しましたが、島のことを知りたくて民宿のご主人に話したら、電話してくれて翌朝お会いすること
になりました。中村さんという方で、彼の家の招かれ島の資料を見せていただいた上に、何と
島を案内していただきました。

そのことについては、明日詳しく紹介しますね。
では、また明日!



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太陽が海から昇り海に沈み、様々な色に輝くことから、かつては「五色(ごしきじま)島」と呼ばれて
いた甑島。先人たちが見た五色の光に照らされる美しい島の風景は、今も変わらない。
そんな甑島は薩摩半島から西方へおよそ30km。島へのアクセスは船しかない。
三つの島には空港がないのだ。滑走路を造れるだけの平坦な土地がない。島は連綿と山、山、山が
連なる。

下甑島の瀬々野浦という集落へと峠を越える。フェリーが着いた長浜は九州本土に面した内海側。
一方、これから行く瀬々野浦は東シナ海に面した外海側。気候も潮の流れも全然違う。
舗装こそされど、クネクネと曲がりくねった細い道を行く。標高500m前後か、峠を越えて20分くらい、
やっと瀬々野浦の集落が見える展望台に着いた。
前の平展望所。そこから見た集落。
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現在の住民は105人。全盛期の頃、昭和30年代は1000人以上もの人々が生活していた。
背後の山を見てほしい。
かつて集落では、段々畑を作り、ほぼ自給自足の生活をしていた、という。よく見ると、山にその
名残が見える。山の山頂付近まで耕していたのだ。

反対側に眼を写すと、ありました!ナポレオン岩
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東シナ海、瀬々野浦沖合約500mの海上に突き出た高さ127mの奇岩ナポレオン岩。
ズームして見よう。
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上に帽子のような松の木が生い茂っている。
横には鼻が突き出ているし、眼もある。これぞ、フランスの皇帝ナポレオン・ボナパルトの顔!

かつてここ瀬々の浦の西山小学校に赴任した校長先生が「皇帝ナポレオンの横顔に似ている!」
と叫んだことから、ナポレオン岩と名付けられたとか。

展望所からの肉眼では、遠くに見える。こんな感じ。
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やっぱり、沖合500mでは遠くに見える。夏だとクルーズ船が出ていて岩の麓まで行けるのだが。
しばしの間、興奮していた。
落ち着きを取り戻して、それ以外の岩も見る。
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それぞれ絶海の東シナ海に屹然と立つ巨岩だが、やっぱりナポレオン岩はすごい!一番だ!
集落へ下り、海岸からもう一度!振り返る。
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東シナ海の荒海とナポレオン岩、実に絵になる!
マンガ「Dr.コトーの島」のモデルとなった瀬々野浦。診療所の先生も毎日ナポレオン岩を眺めて
いたのでしょうね。
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感動のひと時を過ごさせていただきました。ありがとう!下甑島。

集落を歩いて見ました。
地元の人は、ここ瀬々野浦をシンヌウラと呼んでいます。
まずは、閉校となった西山小学校へと歩く。
570



















確か5年ほど前に、NHKの特集でこの小学校が登場したことがあった。わずか、5人の小さな
小さな小学校。
でも、2年前の平成25年(2013年)3月に閉校になってしまった。

いいなぁ!ここの子供たちは、毎日ナポレオン岩を見ながら授業を受けていたんだな!
572



















明治13年(1880年)に開校しているから、2013年までの間、133年の歴史を持っていたのだ。
平成12年ナポレオン留学制度開始とあるが、これは辺地の小学校が学校を維持するため
都会から子供を預かる、というシステム。自然豊かな土地での情操教育を謳って募集するが、
それでも過疎化が急速に進行して、ついに閉校となってしまったのか。
573



















昭和10年(1935年)最多児童数353名とある。ということは、各学年50名ほどだから、学年
2クラスか?それとも1クラスでギュウギュウ詰めだったのか?それにしても子供たちがたくさん
いたのだ。
きっと、戦争直前の「産めよ!増やせよ!」の時代だったのだ。その頃の人口は、軽く1000人を
越えていたんだな、と思う。
それだもの、野菜や穀物を耕すために山のてっぺん近くまで土地を開墾したのだろう。
戦時の苦労が偲ばれる。

この校舎には中学校も併設されていた、という。
574



















最後に、シンヌウラ集落の人たちみんなで手積みした学校の石垣を紹介します。
奥に体育館が見えますね。
577



















一人が積み始めた石から始まり、最後には集落全体の力を集め、9年の歳月をかけて積みあげ
られた歴史のある石垣です。

とうとう、やって来ましたナポレオン岩。これを見るために函館から軽自動車で青森に渡り、南下
して本州を縦断、九州も険しい九州山地を南へ、鹿児島県いちき串木野市からフェリーで、ここ
下甑島へ。
実に長い時間をかけて、自分の夢の一つが実現しました。
ナポレオン岩と甑島、そして瀬々野浦集落。

明日はここ瀬々野浦と下甑島の他の集落を歩き訪ねて紹介します。
それでは、また明日!


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道の駅「樋脇」での車中泊は、一晩中雨が降り続いていて十分な睡眠はとれなかった。
それでも、いつものように朝6時前には起床。
今日は、フェリー乗り場のあるいちき串木野市へ行く。今回の春の旅最大の目的地、甑島
渡るためだ。
ただ、気になることが。それは雨は小降りになったが、風があることだ。風が強いとフェリーの
航行に支障が出て、欠航となる恐れもあるからだ。

まずは、港に到着。
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風が強く、波もある。ここは、547フェリー乗り場。




















路面が濡れているのは、今朝までの豪雨。朝方になって、やっと小降りになったが・・・。
赤い門構えのようなものの上を御覧下さい。吹き流しが真横に流れています。
かなり強い風が吹いていることが分かりますね。

東シナ海は、大荒れ。果たしてフェリーは動くのか?乗組員に聞いても「分からない?」と云う。
欠航する時もあるし、強硬して運行する時もあるという。
548



















フェリー「ニューこしき」は串木野港を午前11時20分に出航予定だが、それは10時に決める、
と云う。ここで、2時間以上も待たされるはめに。その間、ここまで来て甑島へ行けなかったら、
何のために旅してきたのか?心が折れそうになる時間帯だった。
荒天でも運行して欲しい!と願う。車の中で、待合室で祈るばかりだった。
550



















10時、窓口が開いて運行する、という。「良かった!」と思ったが、それは甘かった。
この写真。船上では、このたった1枚のみ。それも港内を離れてたった100mほどなのに、これだけ
荒れている。この後、客室の窓を濡らすほど波が押し寄せる。
舟は揺れに揺れ、大きく傾く。ほとんどの人は横になり、島に到着するまで我慢する。
船に酔ったことがない自分だが、さすがに弱り果てた。キャビンで横になり体を休める。
目をつむり、じっと耐えるしかなかった。
デッキに出るなんて自殺行為。あっという間に、東シナ海の藻屑になりかねない。

1時間20分後、上甑島の里港へ入港、天気の良くなり波も穏やかだ。
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甑島は、三つの大きな島と小さなくつもの島で構成される。九州本土から、30km離れた東シナ
海の孤島だ。
海上保安庁の方たちが、仲間を出迎えている。この時期、観光客は少なく、逆に本土と島を往復
する人たちだろうか?地元の人たちだと分かる。病院か?買い物か?子供の学校か?でしょう。
島の子供たちは、中学を卒業すると対岸の本土、いちき串木野市や薩摩川内市、または鹿児島
市の高校へ通います。保護者の方は、休みを利用して我が子に会いに行っていたのでしょうね。
553



















孤島からか?漫画「Dr.コトーの島」の地でもある。
三つの島とは、北から上甑島、中甑島。この二つは橋で繋がっている。
それと一番大きな下甑島。今回は、この下甑島へ渡るのだ。
里港を離れ、次の港である下甑島の鹿島へと。
552



















15分後フェリーは離岸し、次の停泊地である下甑島鹿島へと向かう。
いちき串木野市を出港した時は、大荒れだった海も穏やかになり太陽も顔を出してきた。
554



















遠くに小島も見える。
里港から1時間ほどで、下甑島の鹿島港へ到着。
556



















さらに、出港して長浜港へと。
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午後2時半、大荒れのいちき串木野港を出てから実に3時間以上かけて、やっと下船できる。
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午後になって、港内は凪状態。気温も上昇し、暖かい。
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ついに、目的地の下甑島に上陸だ。
561



















そして、この日の内に眼に焼き付けたいのが、これだ。
560



















県道349号線を左へ向かい、さらに山を越えて11km。
そう、ナポレオン岩 だ!

今から20年ほど前になるだろうか?図書館で、平凡社から出版されている雑誌「太陽」の別冊
日本の秘境100選」を読んだ。読む、というより見たといった方が良いだろう。ほとんど写真集
のようなものだったから。
その最後のページにあったのが、鹿児島県下甑島のナポレオン岩。ナポレオンの横顔のような
巨大な岩。
その写真を見た時は、頭をガーンと殴られたようなショックを感じた。
日本でも、こんな秘境があるのか?と。
それから、20年。やっとフリーの立場になって見ることが出来る。
ナポレオン岩、一体どういう岩なんだ?さぁ、会えるぞ!

ナポレオン岩との対面、それは明日詳しくお伝えします。

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最初に訂正があります。昨日のブログで「薩摩横川駅」と伝えましたが、間違いでした。
申し訳ありません。「大隅横川駅」でした。もうすでに、ここは大隅の国、同じ鹿児島県でも
西が薩摩の国、東が大隅の国で駅がある霧島市は大隅地方なんですね。
538



















女子高校生が、学校を終えて駅で親の車を待っています。地方では、「汽車通学」といいますが、
都会の頻繁に来る電車通学と違い、本数も少ない汽車で通学、自宅も駅からは遠く親の車で朝と
帰りに送り迎えしてもらっている、そんな生徒を「汽車通」といいます。
スマホで、親に迎えに来てもらうように連絡しているのかな?

明治36年、1903年1月15日に、最初は「横川駅」として、明治政府の鉄道院が開設しています。
もう、112年経っていますね。
太平洋戦争時、機銃掃射を受けて、ホーム上の柱には撃ち抜かれた痕跡が残っています。

たまたま特別列車が入って来ました。
535



















急いで、プラットフォームへ。
536



















はやとの風」号。
「いさぶろう・しんぺい号」と同じキハ47形の特急列車です。
ここで、10分間停車。やっぱりこれもにアテンダントさんが乗車していて、乗客に駅舎を案内して
います。
列車内に入り、パチリ!椅子席が、カッコいいですね。
537



















シンプルな木製の椅子は素敵ですね。

続いて、さらに南の嘉例川(かれいがわ)駅へと行く。
539



















大隅横川駅から植村駅、さらに霧島温泉駅を経て、嘉例川駅。
ここも、1903年(明治36年)営業開始。当時は駅長の他に5人の駅員がいたそうです。
今は無人駅。
540



















1920年(大正9年)3月、と当時の皇太子(後の昭和天皇)が乗降している。同行したのは東郷
平八郎。日露戦争でロシアのバルチック艦隊を破った海軍の指揮官。
元薩摩藩士。

しかし、明治時代から維新の功労者としてか鹿児島県と山口県の、つまり薩長の志士ばかりが
登場するのは、あまり面白くないですね。今の首相も長州も出身。
150年以上も経過しているのに、いまだに薩摩・長州が続くのか?
541



















非電化なので、上空には余計な電線がない。
単線。今は1車線だ。向かいのホームは使用されておらず、草茫々。
542



















かつては、複線だったのです。草が生い茂る場所に、線路がもう1本あったのですね。
543



















2003年(平成15年)に、駅舎が国の登録有形文化財に指定されています。
しかし、西日本は趣のある駅舎が多いこと。訪問していて、うれしくて!楽しくて!感動のしまくり
です。北海道の駅舎は、冬の豪雪・凍結の心配もありますが、貨車を再利用したような駅舎で
殺風景なものばかり。
特に肥薩線は、開業以来の木造駅舎が多く感動モノです!
544



















やっと、来ました。嘉例川駅。
545


































この後、明日フェリーで甑島へと渡るために西へ。フェリー乗り場のあるいちき串木野市へと
行くが、その途中に道の駅を見つけ、そこで車中泊することにする。道の駅「樋脇」。元樋脇町、
今は薩摩川内市。
ところが、夕方からまたしても雨、雨、雨。土砂降りの雨となった。
調べて見たのだが、北海道と鹿児島では年間降水量が全然違う。2倍、3倍も降るのだ。
北海道の場合、年間だいたい1000mm前後。梅雨もなく、冬の降雪も乾燥していて軽い。
それに対して、鹿児島は2000mm~3000mm前後。雨が多いはずだ。
今日のニュースを見ても、降り続く鹿児島の雨は今月だけでも1500mmとか。北海道で1年間に
降る雨の量をはるかに超えていますよ。
春の旅、毎日のように雨が降ったけど、うなずけますね。雨の量が半端じゃないのだから。
慣れていないかったのです。これだけの降水量に。

さて、明日は晴れるのか?晴れて甑島へと渡れるか?

いよいよ、明日は最大の目的地東シナ海の孤島、鹿児島県甑島へと!

ではまた明日!


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熊本県最南端の矢岳駅から宮崎県の真幸駅までのルートは、鉄道ではたったの5kmか6km
ほどで、時間は20分もかからないでしょう。しかも矢岳トンネルなど5つのトンネルを通過する
ので、あっという間に県境を越えて到着するはずです。

しかし、車で道路を走るとなると大変。まず、矢岳駅から通過してきた大畑駅まで戻り、県道
189号線で国道221号線にこれまた戻ることに。南下して人吉ループ橋を通り3km以上もある
加工藤トンネルを越えて宮崎県えびの市へ。
雲海トンネル周辺を2回ループして国道268号線へ。さらに、吉都線(吉松と都城を結ぶ)
京町温泉駅付近で国道447号線へ。
登ること6kmほどで真幸駅へ到着。時間にして少なくても1時間30分以上はかかる。
522



















逆光で見づらいですが、左の大木はここ真幸駅のシンボルツリー。
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真の幸せと書いて真幸(まさき)駅。
524



















明治44年開業以来の木造駅舎。
長い歴史の中で悲惨な過去を持つ。戦後間もなくのこと。復員軍人を乗せた満員列車が、トンネル
の中で立ち往生し、蒸気機関車の吐き出す煙に人々は外へ出る。レールの上を歩きだした53名に
後退した列車がぶつかり轢死(れきし)事故となった。
27年後の昭和47年、今度は集中豪雨による土石流が周囲の人家を巻き込む。人家は全滅し、無住地となった。それでも駅は高台にあったからか、駅舎だけが奇跡的に残った。

そんな不幸な歴史を歩んできただけに、訪れる人の幸せを祈り安全を祈願した鉄道職員たちによって
幸せの鐘」がプラットフォームに設置された。
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ここも、スイッチバックの駅としても知られる。
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たまたま、矢岳駅に続いて特別列車がやって来た。
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いさぶろう・しんぺい号」だ。矢岳駅のと同じ列車だが、これは下りで人吉駅から来たもの。
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やはり、同じように満員の観光客を乗せて運行していて、ここでも10分間ほど停車。
アテンダントの女性もいたが、矢岳駅とは違う方たち。
ほとんどの人は、鐘を撞く。1回でいいものを何回も撞くおばさんがいた。
まぁ、おばさんはどこでもいっしょですね。
529



















その後は、さらに南下して木造駅舎の西の横綱である鹿児島県霧島市の「薩摩横川駅」へ。
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1903年(明治36ねん)に開業された、まさに登録有形文化財に指定されている駅舎だ。
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開業112年のまさに年代物の木造駅舎。
534



















ここでも列車がやって来た。今回は普通の列車。
533



















というわけで、薩摩横川駅。いいでしょう!

明日は、今度はもう一つの横綱の嘉例川(かれいがわ)駅へ。

ではまた!

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昨日は、肥薩線の最初の秘境駅「大畑駅」を紹介しました。日本で唯一、ループ線の中にある
スイッチバックの駅。開業は何と、明治42年12月26日。1909年のことです。日露戦争(1904~
1905)に勝利した大日本帝国は、さらなら領土獲得に向けて九州最南端鹿児島への交通路線
を確保するために、大急ぎで肥薩線(当時は鹿児島本線)の建設をしたのでしょう。
それは、人員確保と資源供給。つまり、兵隊の補給と筑豊の石炭を輸送するため。

急勾配を克服するうえで、当時の技術では長いトンネルを建設することが出来なかったため、山
の形を崩すことなく自然と共存するような線路が敷かれたのです。
周囲には、人家はまったくない。それまでの農道沿いに数軒あったのみで、駅の周辺にはない。
むしろ大畑駅は、乗り降りする人の利便よりも運行上の拠点だったのです。

そして次の駅「矢岳駅」。
512



















昨日、最後にお伝えしたように肥薩線最高所の536.9m。駅に着くまでの道のりは、まさに農道。
駅の周囲には人家はない。駅までの道沿いには農家が数軒と閉校となった矢岳小学校の校舎
のみの風景。
高原のすがすがしい風がさわやかに吹く矢岳駅。大畑駅からさらに細い農道を登った、まさに
どん詰まりの場所。
開業は、大畑駅と同じ明治42年(1909年)だが、一月ほど早い11月21日。

人吉市SL展示館があったので行って見た。
513



















矢岳越えをしていたD51-170が保存されていた。いわゆるデゴイチ。
たまたま列車がやって来た。電車じゃないですよ。全線非電化ですからデーゼル車。
514



















観光列車「いさぶろう」「しんぺい」号です。
「いさぶろう」は人吉駅発の下り専用。「しんぺい」は吉松駅発の上り専用だから、この列車
吉松方面からやって来たから「しんぺい」号だ。
しんぺいの名の由来は、肥薩線開業当時の鉄道院総裁であった後藤新平から来ている。
一方、いさぶろうは当時の逓信大臣の山縣伊三郎から来ている。
2両編成の全席座席指定の普通列車。
515



















ここで、しばらく停車するので内部を拝見することに。(乗客でもないのに、乗り込んでいいのかな?)
でも、図々しくカメラでパチリ!
かなり豪華。
516



















レトロな造り。背もたれや床が木製。テーブルまである。
517



















乗って見たい気がしてきた。ほとんどの乗客は、ここで降りてSL展示館へ行っている。
この列車には、アテンダントさんも二人いて接待している。
519



















これまた乗客でもないのに、ありがとうございました!
若くてキレイな、そして素敵な方でした。乗客でもないのに、いろいろと話しかけてくれてうれしか
ったですよ。
この特別列車が到着する時だけ、地元の方がここで商売している。グッズや地元のフルーツを
売っているのだ。マンゴーが一袋200円で売られていたので、買って食べてみた。梨のような感触
だった。
その方とお話ししたが、元国鉄マン。退職後に、ここで半分ボランティアで観光客へ販売している
とのこと。
函館から軽自動車で来たことに、ビックリしていた。札幌ナンバーは見たことあるけど、函館ナン
バーは初めてとのこと。そりゃ、そうでしょう。函館ナンバーが九州を走ることなんて、ほとんどない
でしょうね。ただでさえ、登録台数が少ない地域なんんだから。
特別列車は10分ほど滞在した後、去って行った。
520



















6枚上の写真で車窓から手を振る女性たちの3人組は、大阪から来ていた。わぁー、わぁー、
きゃぁー、きゃぁーと10分間騒ぎまくり、函館ナンバーの軽自動車を見て「北海道から来ている!」
と大騒ぎ。ほとんどの乗客が覗き込んで、「自転車もある!」と大声を出す。
さすがに、「それ自分のです」とは云い出せず後ろに引っ込む。
さすがに、関西のお姉さまたちは強い!
521



















というわけで、矢岳駅で1時間以上過ごす。昼飯もここで作り(といってもラーメンですが)
食べ、誰もいなくなった静けさに落ち着きを取り戻す。
いいなぁ、だれもいないここの駅は!

次の訪問地は「真幸駅」それについては、また明日!
行くのが大変だった!

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ご無沙汰しています。いろいろと家庭の事情がありましてブログの更新遅れていることお詫び
します。
もう6月も24日、夏の季節なのに「春の旅」とは?
でも、このブログは4月に旅したことを、じっくりと思い出しながらカメラで撮影したものの中から
選び抜いて創っているわけで、2か月遅れとなっていますが、その点ご承知願います。

さて、前回は熊本県人吉市の人吉城跡を紹介しました。今日は、ここから鹿児島県・宮崎県の
県境の山中へと行きます。
鉄道マニアなら垂涎の的、肥薩線の各駅訪問です。とりわけ、秘境駅連続するこの線、まず最初
に大畑駅を訪ねます。大畑駅、矢岳(やたけ)駅、真幸(まさき)駅、そして鹿児島県に入り木造
駅舎として明治時代から保存されている薩摩横川駅と嘉例川駅を訪問します
駅好きの旅人には、絶対訪ねたい駅が続きます。

それでは、まずは大畑駅から。
502



















この木造駅舎を見ただけでもうれしいですね。
ここまでは、人吉市から国道221号線を登り大畑町の市街地から左折し県道189号線を行く。
道はほとんど農道に近く、1車線の狭さ。対向車が来たらどうしようか?と迷うくらい。

駅舎の内部に入ると。
503



















まるで、幸福駅みたい。北海道の十勝、帯広市の南、旧広尾線の駅だった幸福駅は今でも
駅舎の中、外、隙間がほとんどないくらいこの大畑駅のように名刺や期限の切れた定期券、他
様々なプリント類で飾られています。
ここは、その幸福駅を上回るくらいのボリューム。

プラットフォームへ行って見よう。
504



















何と!外側にも貼られている。
505



















ここは、スイッチバックの駅としても有名。
人吉市から登ってきた列車は、トンネルを抜けて大畑駅へ。次の矢岳駅にはいったんバックし、
その勢いで再び前進してループを描いて高度を稼いで行きます。

肥薩線は、熊本県八代駅と鹿児島県隼人駅を結ぶ全長124.2kmの全線非電化のJR九州の
ローカル線。もともとは、鹿児島本線だったが、1927年(昭和2年)に八代・鹿児島間の海岸沿い
に新線が開業すると、肥薩線と名を改められたのです。
しかし、その鹿児島本線は2004年3月に新幹線が開通すると肥薩オレンジ鉄道の私鉄になります。

八代・人吉間の急流球磨川沿いの風景、人吉・吉松間のスイッチバックとループ線、日本三大車窓
風景の矢岳越え、古くから残る駅舎など今は、観光資源にもなっているほどです。

ちなみに日本三大車窓とは、北海道根室本線の狩勝峠、長野県篠ノ井線の姨捨駅と肥薩線の矢岳
駅越えです
506



















ピンク色の芝桜が、とってもきれい。

プラットフォームにあるこれは、何だろう?かつては、水をたたえていて顔を洗えるようになって
いたはずだ。
多分、人吉市からトンネルを4つくぐり抜けて大畑駅まで来る間に蒸気機関車の吐き出す煙で顔
が真っ黒になったからでしょう。(?)
507



















ここに停まった後に、いったんバックしてから再び前進します。
508



















これは、蒸気機関車への給水を行った給水塔
509



















それにしてもすごすぎる駅です。

そして、さらに農道を登り矢岳駅へ。肥薩線で最も高い場所にある駅で標高536.9m。
510




















511



















明日は、ここ矢岳駅を詳しく紹介します。
それでは、また!

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菅原道真の子孫が生き続ける左座(ぞうざ)家を見学後、国道445号線をさらに南下。
椎原(しいばら)という五家荘の一つである集落に出る。
そこには、平家の落人が今も生活している緒方家があって、一般開放している。
494



















1185年3月、源氏平氏最後の戦いが壇ノ浦で行われた。ここで平家は滅亡するが、しかし、
平家一党のうち、平清経は源氏の追討を逃れ四国は伊予今治へ、さらに阿波の祖谷(いや)
へ、さらには九州へと渡る。豊後鶴崎港を経て、湯布院へ。
湯布院では竹田領の士族緒方氏の招待で、しばらくその館に居住する。その後平姓を緒方姓に
改めて九州山地の山奥、五家荘の椎原に住んでこの地を支配。
その代々生活した家が、この緒方家住宅で現在は51代目の方が所有している。
495



















この建物、実は300年前に建てられた、という。江戸時代5代将軍綱吉の時で、大坂・京都といった
上方中心の文化が栄えた元禄時代のころ。
茅葺屋根の屋敷には、万が一に源氏が追っかけて来ることを予想して屋根裏部屋まで用意し
ている。
492



















6畳2間の隠し部屋だ。
493



















それにしても、よくこんな人里離れた山中に何百年も人々が生活し、定着したことよ。
深い渓谷、急傾斜の山々、一雨降れば土砂崩れも起きるだろうに。
まさに自給自足の生活を何代にもわたり、平氏の誇りを維持して生きたきたのだろう。
感心するばっかりだ。まさに平氏の矜持が垣間見られる。

その夜は、五木村へ。五木の子守唄で知られる村。そこの道の駅「子守唄の里五木」で
車中泊。
その夜も雨。それにしても毎日雨にたたられる。晴天の日が続くことがない。雨続きだと
気分が滅入り、楽しくなくなる。
それでも翌朝、ガスが深く垂れこめる山を見ながら南下し、人吉市へ。

人吉市と云えば、川上哲治さんの出身地。プロ野球ジャイアンツの監督として9連覇した
偉大な監督にして名打者。「打撃の神様」の異名を持つ。
子供の頃、函館千代台球場へ巨人軍が来た時に見ている。国松選手がホームランを打ち、
自分の座っているライト側の席近くに飛んできたことを、子供ながらに記憶している。
その時の監督が川上さん。3番王貞治、4番長嶋茂雄。
当時の北海道は、巨人一色。ほとんどの人はジャイアンツを応援していた。
今はファイターズ。隔世の感がある。

昨日(6.19)は、ホークスに敗れ残念!(3ー4 リリーフした増井が打たれてサヨナラ敗け)
その人吉にある人吉城跡
496



















球磨川が東から西へと流れている。ここまで来ると山地から解放され盆地となって広々とした
土地に都市が形成される。ここ人吉は、人口3.5万人。人吉盆地の中心地だ。
498



















そして、この人吉城は相良(さがら)氏が明治維新まで本拠地とした城で、見ての通り平山城
町を見下ろす高台にあり、球磨川を天然の要塞(堀)として建てられている。
もっとも天守閣はないし、整備も不十分。入場は無料、というより誰でもどこからでも入れる。
499



















一応、ここが正門かな?
500



















力石なんて、どこでも力自慢がいたんだなぁ!この大きな石を持ち上げるか、競ったのだな。
見た目80kgくらいはありそう。腰を痛めそうで、無理。
501



















裏に回ると石垣は崩れ、雑草が伸び放題。きちんと整備すれば観光資源になるのにね。
広さは結構あって、城好きの観光客には人気が出る、と思うのだが。

この日、久しぶりにコインランドリーで洗濯。それと「温泉博士」の5月号を購入。
駅中の観光案内所で、市内マップをいただき聞き出す。周辺のコインランドリーと本屋さんを。
洗濯は近くで行えたが、本屋は市内にはなく郊外のイオンモールにあるという。
地図を見ながら辿り着いて「温泉博士」をゲット。
その後は、訪ねたい駅舎に行く。
肥薩線の大畑(おこば)駅、矢岳(やたけ)駅、真幸(まさき)駅の3駅。それぞれ秘境駅や木造
駅舎として有名な駅だ。
再び山へと向かうが、詳しくは次回。
ではまた!

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家庭の事情(妻と母が入院中)で、毎日ブログを創ることが出来ずに悔しい思いで過ごして
います。次の旅は、まったく未定です。

春4月に旅した九州、甑島への往復の旅。それは、函館から青森へフェリーで渡り、本州を
縦断、中国地方を1週間旅した後に九州へ、さらに南下して鹿児島県へ。薩摩川内市から
フェリーで東シナ海の孤島、甑島への長い旅路でした。

リアルタイムでは、スマホからブログ作成していましたが、家に戻り資料を紐解いてじっくりと
検証すると、さまざなな出来事が思い出されてきます。

今日お伝えすることもその一つ。
菅原道真は、日本史で登場する人物として有名ですね。
特に、984年の遣唐使廃止。「白紙(894)に戻った遣唐使」と覚えたものです。
実は、その道真の子孫にお会いしたのが、今日の最大の出来事です。
さて、前回の続きから。
477



















平家の里資料館前の建物。
広島県宮島の厳島神社の社殿を再現していますね。ここは山の中ですので、海の代わりに池で
代用している。
厳島神社は古くから航海の神として信仰されていたが、平清盛の時代に平家一門の崇拝を集めて
いる、まさに平家の神が祀られている場所。そのミニ版。
資料館に入って見よう。入場料は大人410円。
478



















地元の古老がボランテイアとして、ワンツーマンで詳しく説明してくれました。
479



















このお方が平清盛。
平家の落人部落に関しては、とても興味がありあちこちと訪ね歩いた。2年前の福島県桧枝岐村、
徳島県の祖谷地方、栃木県奥日光の川俣地区、能登の時国家などを歩き、とても興味深くその
歴史を読み解くことが出来た。

そして、ここ九州山地の五家荘はその最大の地。何としても訪れたかったのだ。

実は、函館の郊外、旧石崎村も平家の落人が来ている。それについては、今年2月頃のブログに
掲載していますので興味のある方は是非お読みいただければうれしいです。

このコーナーは久連子(くれこ)集落に伝わる古代の踊り。
480



















平家の里ではあるが、実はここ樅木は菅原道真の落人の里なのだ。
こことこれから向かう仁田尾の左座家が菅原家の子孫の地区。
481



















今から1100年以上も前のことです。
遣唐使として唐に派遣されたこともある菅原道真は、唐衰退の報告を聞き894年遣唐使を廃止
します。5年後(899年)左大臣に就任するも、2年後(891年))それを妬む藤原氏から地方機関
の閑職である大宰府へと左遷されてしまうのです。

首都であり国の中心地である京都から、遠い異国の地である九州へと。さらに菅原家の人々へ
の追い討ちが藤原家から続きます。道真には二人の子供がいたのです。
兄弟は父のいた九州へ、支援者がいたのです。さらに九州山地の山奥、五家荘へ。弟はここ樅木
に住み着きます。
482



















兄は五家荘の仁田尾のさらに山中へと逃げ延び、そこに住み着いて左座(ぞうざ)太郎と名乗り、
仁田尾の支配者となります。
左は中国語で、「ぞう」と云うそうで、さすがに道真自身も遣唐使で、中国のことを学んで来た
からですね。
483



















お昼を過ぎたのでお腹が減って来ました。ここで、注文したのが平家御膳。山菜をメインに
おかずたっぷりのランチ。
484



















上に鮎の塩焼き。豆腐も自家製。鹿肉のソーセージ。イタドリの若芽の漬物。タラノメ、ウドの
てんぷらなど盛りだくさんです。

昼食後に、再び国道445号線に戻り仁田尾へ。
485



















ここは紛れもなく昔の面影が残っています。道真の子孫が今も生活しているのです。
子孫の方は、現在民宿を経営しています。
489



















民宿で見学の手続き。奥さんが一人でやっています。
486



















入場料は200円。玄関を入りましょう。
487



















内部は、1階に、囲炉裏の部屋と土間の台所。
488



















裏がすごい崖ですね。何年か前の集中豪雨の時は、近くで土砂崩れがあって危なかった、と
聞きました。
ここ数日も九州は、豪雨が続き土砂災害の心配が懸念されていますね。ここは、一雨降れば
災害の起こる場所なのです。
490



















杉の木は、最近(戦後)植えたものだそうで、それ以前はこんなすごい斜面で粟(あわ)・稗(ひえ)
などの穀物を栽培して自家食用にしていた、といいます。
ほとんど自給自足の生活だった、と。たまに山を越えて(もちろん歩いて)富山の薬売りが来たそう
です。学校へ通うのも歩いて山を越えて通学していた、と。
いろいろなことをお話しして下さりました。

この後は、さらに南へ。今度は平家の落人の緒方家へと向かいます。
それについては、次回で!



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五家荘(ごかのしょう)とは、現在は熊本県八代市(旧泉町)の九州山地の山奥にある5つの
集落、葉木(はぎ)、樅木(もみのき)、仁田尾(にたお)、久連子(くれこ)、椎原(しいばら)を指す。

1185年3月、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の落人が住み着いたと伝わる3つの地区と、901年摂政・
関白を独占していた藤原家により左遷された菅原道真の末裔が流れ着いたと伝わる2つの地区
の5つの集落。

いずれも人里離れた山奥の斜面に集落がある。
466



















狭く険しい国道445号線から離れ県道159号線へ道を進む。ほとんど1車線の幅は、対向車が
来たら、どう交わすか心配するほどの道。
深い谷底を挟んで、向かい側に何軒かの家が見えた。どうやって、向こう側へ行くのだろうか?

2年前に訪れた長野県飯田市、旧上町の天空の里「下栗」を思い出す。
西日本の四国、高知県や愛媛県の山中もそうだが、人はこんな山の斜面でも生活できるのか?
ということを思い知らされる。
北海道のような平坦な広大な原野が広がるところなら農業の可能だが、斜度20度以上のある、
いやもっと急傾斜の場所で細々と農業を営んでいる人々がいることに驚くのだ。

ズームして見る。
467



















段々畑が見える。棚田のような決して美しい景観ではないが、人の営みのすごさをまざまざと
見せつけられた。

学校があった。廃校ではない。現在も子供たちが通学して来ていて、授業が行われている。
468



















八代市泉第八小学校。旧泉町の五家荘の小学校はここだけが開校している。他の地区の
小学校はすべて閉校となってしまった、と集落の古老は云う。
469



















体育館から子供の声が聞こえてきた。6学年合わせて5人の子供が通っていて、もちろん複式
授業。当然だが、先生方は八代市内から通勤しているわけではなく教員住宅に住んでいる、と
いう。土曜日には帰宅して日曜日の夜戻る、という生活をしている。
それにしても大変な通勤ルートだ。距離はそう長くはないが、山道の険しい困難な道のりはドラ
イバー泣かせ。
470



















30周年や100周年の石碑がある。最盛期の頃は、どれだけ子供たちがいたのだろうか?
古い写真を見せてもらったが、学校には100人を越える子供たちが学んでいた。
昭和30年代がピーク。平成に入ると、どんどん人口が激減し、今では高齢者ばっかりに
なってしまった、という。

ここにも吊り橋があった。
樅木の吊り橋。
471



















遊歩道があって、谷底へ降りられる。そこにも新しい吊り橋があった。
472



















幸い雨は上がり、底板は乾いていて滑ることはないが、それでもこの高さは高所恐怖症の人には
恐いだろう。
473



















ユラユラと揺れる。風はなかったものの、吊っているだけの木製の橋なので真ん中辺りは揺れて
くる。ソローリ、ソローリと慎重に足を進める。対岸に着いた後に、もう一度戻る。
474



















「平家の里」に到着、ここは山菜食堂。あとで、食事したのでその時にメニューとともに詳しく
紹介します。
475



















資料館へと急ぐ。
476



















さすがに平家だけあって赤色の建物。
21世紀の今でも源平の戦いを引きずっているのが小学校の運動会。
赤勝て!白勝ての応援だ!赤は平家、白は源氏。
紅白歌合戦もそうだ。

さて、ここ「平家の里」に関しては明日、また詳しくお伝えします。
それでは!

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通潤橋での車中泊は、まるで春に台風が上陸したかのような暴風雨でした。
それでも、朝方は雨も小雨へ。今日は、平家落人部落の里である「五家荘」へ行くか?
どうか迷ったが、例え土砂崩れで途中で通行止めになっていても、行くべし!と予定通り車を
走らせる。
449



















雨の降る中で見つけた「シャガ」というきれいな花。
湿り気のある半日陰や樹木の下で、育つアヤメ科の花。我が家の向かいの家の花壇に
キレイに咲いているから、知っていた。

国道445号線に入る手前、国道218号線にある霊台橋。全長90mの単一アーチ橋としては
日本1だそうだ。
450



















何と、江戸時代の末期1847年に完成したそうな。
451



















下を流れる川は、緑川。熊本市へと流れる。
橋を歩いて見た。欄干が低く、恐くて縁(へり)に寄れない。
452



















渡り切って後ろを振り返る。左の鉄橋が現在の国道。ここは歩行者専用。
でも、小さな子供はオッカナイ、じゃないかな?
453



















石造りのすごい橋ですね。もう一度渡り、車のところへ戻る。
454



















そして、国道445号線へ。
455



















これから行く方向を見ると、険しい山々は連なっている。ここは、九州山地のど真ん中!
456



















高度をかせぐ。雲海が下に見えるまで上がってきた。標高1100mの二本杉峠まで、細く曲がりく
ねった道を登る。それでも、ほとんどが舗装路。時折、対向車を交わす時は要注意!

やっとのことで、二本杉峠へ到着した。
458



















峠とは、よく云ったものだ。山の下から上へ上り、今度は下へ下りて行く。
雨空の中、路面は濡れていて慎重に走る。カーブの曲がり角は、特に注意してハンドルを曲げる。

峠を下りて、最初に着いた集落が葉木(はぎ)。ここを含めて5つの集落を五家荘という。
459



















山が深い。北海道の山とは全然その風景が違う。まず、山が急斜面なのだ。
北海道の山に、これほど急斜面はほとんど見当たらない。北海道の山々は広大なのだ。
広々しているのが北海道の山。
谷底が深い。
460


































下に橋が見えた。険しい峡谷だ。
461




















462



















葉木にある梅ノ木轟(とどろき)公園吊り橋を渡る。
最近、吊り橋を渡る機会が多いなぁ。
463



















ここは、揺れずそれほど怖くはない。ただ、相変わらず雨が降っていて路面は濡れているし、
左手は傘を差しているし、右手はカメラを持っているしでバランスを保ちながら、ゆっくりと歩く。

20分ほどかけて崖を上り下りして辿り着いたのが、梅ノ木轟の滝
464



































465



















そして、これから行くのがすごい山道の樅木(もみのき)集落。
それは、また明日詳しく紹介します。

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ついに、大分県から熊本県突入。最初は、阿蘇でしたね。
まずは、日曜日とあって多くの観光客で賑わう阿蘇駅。阿蘇観光の拠点ですものね。
430



















特に大きな声で話す中国人や台湾人が目立ち、東南アジアの観光客も。最近は欧米人よりも
アジア系の観光客が多い。
まぁ、どんどんお金を落していって下さいね。爆買して、日本でたくさん消費して下さい!


今夜の寝床は、阿蘇から離れた山都町の道の駅、通潤橋。
この石橋、見覚えあるでしょう。
431



















ここには、こんなものも。
432



















サスケや雪のアナ姫。
433



















地元の野生の竹や棕櫚(しゅろ)、さらには杉の皮などを使い創作している、とのこと。
すごいですね。

となりには、古民家も公開していました。
434



















奥がトイレ。何度もこの前を通過。
しかし、夜になって小雨が土砂降りへ。やがて風も強まり暴風雨へと。
435



















軽自動車だから揺れる、揺れる。怖い思いがした深夜、思い切って道の駅の庇が3mほど出て
いたので、そこへ車を入れることに。
ちょうど、雁木のような屋根のでっぱりは、軽自動車ならカーポートのような感じ。
朝早く出るので、利用しました。台風のような暴風雨の一夜を、なんとかしのぐことが出来ました。

早朝の5時起床。小雨に変わった中を、傘を差しながら周辺を散策。
436



















このお方、江戸時代の末期1854年というから開国の年、前年ペリーがいきなり来日して開港を
迫り、この年に日米和親条約が結ばれ長年続けてきた鎖国が解かれた年です。
地元の庄屋をしていた布田保之助なる人物がこの銅像。
かれは、水不足に苦しむ農民を助けるために水路を建設したのが、この通潤橋。
437



















高さは、20.2m。長さは75.6m。近づくと大きい!
438



















放水しているとうれしいが、スケジュールが決まっていて月曜日のこの日はお休み。
G・Wは毎日放水するとのこと。残念!

上に出ました。歩きます。
439



















ここ寅さんも歩いたのですよ。
阿蘇の内牧温泉でもお話ししましたが、第21作品目「男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく」で、
最初の時間帯、ここを歩くシーンがありました。

橋の上から見ると棚田がある。
440




















441



















この橋には、3本の水を流していて、現在でも利用されている。すごいですね。江戸時代、肥後の
石工たちが手作りで作り上げた今では国の重要文化財。
日本最大級の石造りアーチ水路です。
442



















布田神社とあるから布田保之助を神様として祀っている神社。
443



















ピンク色のシャクナゲの花が咲いていた。きれいですね。
444


































水は豊富なのだ。もっとも、昨夜は大量の雨が降ったのだけどね。
445



















撮影した場所は、この吊り橋から。
446


































下は、50mくらいあるかな?濡れているので少し怖い。
447



















裏側に出た。左は古城になっていて、岩尾城という。
448



















今日は、この辺で失礼します。また次回へと続きます。

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昨夜のプロ野球、北海道日本ハムファイターズがセリーグ1位のジャイアンツに対し3-2で
勝利、うれしかったです。かつては、巨人一色の北海道、なにせプロ野球のテレビ放送といっ
たら巨人戦しかなかったのだから。
それが、昨日の札幌ドームを見たら、巨人の応援団は右翼席側の一画だけで、9割はファイタ
ーズファンで埋められていました。11年前に北海道に移ってきてから着実に道民球団となって
います。
今朝の新聞では、高橋知事が稲葉篤紀さんからラベンダーカラーのユニホームを贈られて、
それを着た知事は「ファイターズの一員です。しっかり応援します。」と。
やっぱり、地元密着のチームでなくちゃね。今日もテレビの前で、応援しよう!

さて、豊後森の駅からスタートです。所は、大分県玖珠町。進路は南へ。
414



















名もなき集落で見た光景。九州は、杉の森がホントに多い。
415



















九州山地は、杉の産地であることが理解出来た。
1984年に廃線となった旧国鉄の宮原線沿いを走る予定だ。
全距離26.6kmの宮原線は、久大本線の恵良駅を出て南下し、小国駅までの非電化・単線
のローカル鉄道だった。
が、超赤字路線ゆえ廃線へと追い込まれた。終着駅だった小国駅は、現在道の駅「小国」
あって、一部だけど
国鉄があったことを偲ぶのもが残っている。

そして、ここはBS・NHKの火野正平さんが自転車で巡る旅番組の「こころ旅」で訪ねた場所。
放送を見ていたら行きたくなって、それで寄って見たわけです。
416



















それが、これ。駅表示の看板。一つ前の駅「きたざと」は生物学者の北里柴三郎の生家が
あったことで駅名となった。北里大学の名の元にもなっている。

肥後小国となっているのは、山形県に同名の小国町があり、JR東日本の米坂線の駅名が
「小国駅」だから、肥後を付けている。
肥後ということは、もう大分県から熊本県に入った、ということ。

ところで、町の名は何か所にも同名の町があります。例えば、森町とか私と同名の大野町など
全国に何か所も。朝日町など結構ありますね。
でも、都市に同名はなし。だから、Jリーグの強豪「鹿島アントラーズ」の地元は鹿嶋市なのは、
先に佐賀県に鹿島市があったから、鹿島町から市へ昇格した時に、島の字を嶋へ変えたわけ
です。
それと、同名を避けるために、もともとの地域の名に東西南北を付けているケースもありますね。
北海道には北広島市、埼玉県には東松山市、東京でも東久留米市や東村山市がありますもの
ね。松山市は愛媛県の県庁所在地、村山市は山形県。でも、本家村山市は人口2.6万人。東京
の東村山市は15.1万人。人口では逆転している。
417



















奥の丼をひっくり返したかのような形の建物が道の駅。
中に入って見たら、地元FM局の生放送が行われていた。
418



















午後になって、天候が怪しくなってきた。ポツリポツリと小雨が降り出してきた。
その中を阿蘇へと、標高をかせぐ。
阿蘇の外輪山の山頂付近には、牛が放牧されていた。
419



















もう、高い木々がない。森林限界なのだ風が強いこともあって、草が生えるだけ。だから放牧
には良いのかも。
420



















肉牛だから、いずれ食べられちゃうんだね。少し可哀想。

そして、山頂へ。阿蘇北側の外輪山の山頂の大観峰(935.9m)。
421



















内輪山が良く見える。阿蘇盆地の中の町も。
422



















涅槃像に例えられるけど、仏様が寝ている姿。左が顔、凹んでいるところが首、胸があって、
上の写真が下半身。

全体像が下の写真。どうかな?
423



















盆地へと下りて行きます。
途中の展望台で。上を見ると、やっぱり火山だということが分かりますね。溶岩が冷え固まった
山。
424



















内輪山は、今も活発に活動中。
425



















麓の内牧温泉へと行く。
426



















なぜか?というと、内牧温泉は16年前にレンタカーを借りて訪れている場所。思い出の場所も
あるので訪れたかった。
427



















そして、大観峰も温泉街も寅さんが撮影された場所。
第21作品目「男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく」で、ここ阿蘇は出て来る。
その証拠に、内牧温泉にはこんな看板が。
428



















マドンナ役に木の実ナナ、共演者は武田鉄矢。1978年公開の映画。

最後に、ここを訪ねたかった。何人もの地元の人に聞いても分からず、最後は古くから営業して
いる酒屋さんに聞いて分かった地元の公民館。
429



















実は、16年年前のことです。出張で宮崎へ。何日か有給を取っていたので、宮崎でレンタカーを
借りて九州ドライブ。ここ、内牧三区公民館は1泊1000円で宿泊出来ることをバイク雑誌で知って
いたので訪ねた。
近くの中華料理屋の主人が責任者で、彼からカギを借りて宿泊。中には毛布など寝具がありました。
そして向かいに100円で入浴できる共同浴場があったのです。
それはそれは超レトロな、まるで昭和初期の温泉という感じ(もっともその時代には生きていません
が)。2泊して朝・夜の2回ずつ入浴し、地元の人たちとお話しして交流を深めた場所でもありました。
残念ながら10年ほど前につぶれた、とか。

でも、思い出の場所を訪問で来て良かったです。
今日は、16年前の旅の思い出を語らせていただきました。

では、明日!

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日田市豆田町の町並み散策を終えて、次へ向かう。
今度、日田市を訪ねる時は、近くの道の駅で車中泊して市街地に入ることにしよう。
島根県出雲横田といい、日田市といい、深夜熟睡中に叩き起こされるのはもうこりごりだ(怒り)!

さて、日田市の郊外、さすがに天領12万石、森は豊かだ。杉の森があちこちにあり、それだけで
森林資源が豊富にあることが理解出来る。
403



















豊後森に行く途中で見た石の柱が林立していた場所。
404



















名もなき場所だが、幹線道路を外れて県道や町道を走ると、思わぬ光景に出くわすことが
ある。これもその一つ。
ただ、天気がすぐれず、曇り空なのが残念。好天には恵まれず。

豊後森(ぶんごもり)駅へ。
406



















ここは有人駅。駅員さんがいる。
プラットフォームに「童話の里」の鳥居がある。405




















そして、ここは2011年に亡くなった映画監督森田芳光さんの遺作である「僕達急行A列車
で行こう
」(2013年公開)の舞台ともなっている蒸気機関車の機関庫と転車台がある場所。

「僕達急行A列車で行こう」は、主演松山ケンイチ瑛太の二人の若い鉄ちゃんがここや
全国を旅して友情を深めるコメディー映画。マドンナに貫地谷しほり、他に伊武雅刀、伊東ゆかり、
星野知子松坂慶子ピエール瀧笹野高史(寅さんシリーズには何度も出演している!)らが脇を
固めている。

駅員さんに教えられて300m離れた場所へ歩く。
見えてきました。
407



















巨大な扇形の蒸気機関車を入れる車庫である。21台もの機関車を収容出来たという。
近づいて見よう。
408



















車庫入れするためには、重量のある蒸気機関車を動かさなくてはいけない。それが転車台。
円形の中にレールがあるが、これに載せて入れる位置に回転させるのだ。
409



















それにしても、すごい機関庫だ。ガラスは目茶苦茶に割れているけど、歴史を感じさせる建築物
なのは間違いない。
410



















ここは、1934年(昭和9年)に久大線の開通とともに完成している大分県玖珠町にある巨大な
モニュメント。鉄道ファンのみならず鉄道好きの人なら知られている場所だ。まさに聖地!

終戦間近の1945年(昭和20年)8月4日、米軍機の機銃掃射で職員3名が犠牲となっている。
当然、アメリカは重要な交通機関の中心であるここを狙ったのでしょう。

44年前の1971年(昭和46年)、蒸気機関車からディーゼル機関への移行が進み、ここは廃止
された。つまり、役目を終えたわけだ。

しかし、これだけの設備を放置するのはあまりにももったいない。
21世紀に入り、ここは国の登録有形文化財に指定されているし、近代化産業遺産にもなっている。
412



















たまたま、ディーゼルがやって来ました。電車じゃないですね。車両は赤い、先のホームに
停まっていたのは黄色。いろいろなカラーの列車があるのですね。
413



















最盛期の写真と歴史を紹介しています。
戦前、軍事色が強まる中にここが建設され、蒸気機関車を21台も収容する大規模な機関庫と
蒸気機関車を回転させて入庫させる転車台が出来たのです。
戦後もしばらくの間は、活躍していたことでしょう。たくさんの鉄道マンが働いていて、町は活気に
満ちていたはずです。

今、豊後森の駅周辺は、ひっそりとしてかつての賑わいなど、どこかの出来事のようなたたずまい。
廃墟になった機関庫と転車台を見て、最盛期のにぎやかさを想像するのは難しい。
この写真と現実を見て、大きなギャップを感じるのみです。

映画の舞台と鉄道ファンの憧れの地を見て、感動しました。
日田市の深夜のイヤな出来事は、すっかりと忘れ捨てることが出来ました。

では、また明日!


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深夜、熟睡中を強制的に起こされ尋問までされては当然朝まで寝付かれず。気分は最悪。
楽しみにしていた日田市の散策も、とてもじゃないがエンジョイ出来るわけがない。
最初は、サイクリングして旧市内や郊外を見てやろう!と思っていたが、走る気にもならな
かった。
それでも、7時には市内中心部の駐車場へ到着。せっかくだからと、歩いて見学へ。
384



















昔、城郭があった月隈公園の北口駐車場(無料)に車を停めて、歩くこと5分。花月川に架かる
橋に出た。

そういえば、ここを寅さんが歩いたんだ、と思い出した。
第43作品目となる「男はつらいよ 寅次郎の休日」は、ここ日田市が舞台。寅さんの甥っ子満男
君の恋人、泉ちゃん(後藤久美子)の父親(寺尾 聡)が母(夏木マリ)と離婚して別な女性(宮崎
美子)と暮らしていたのが日田市だった。

父会いたさに泉ちゃんは訪ねるが、父と生活する女性を見て静かに立ち去る。
満男君と泉ちゃんの恋、それを心配する寅さんの余計なおせっかいは、泉ちゃんの妖艶な母親を
連れて葛飾柴又から日田市を訪問する。
そんな寅さんとママの二人連れが、捜していた満男君と泉ちゃんにバッタリ遭遇するのが、この川
のほとり。
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夏木マリの母親に恋した寅さんは、いつものように沈没する。

橋を渡り、南へ向かうと旧町並み。
江戸時代の1686年以降は大名が支配することなく、明治維新まで幕府の支配地で、天領だった。
幕府からの代官が赴任し、郡代と呼ばれる役人がトップに就く。
記録によれば、その支配地の石高は12万石で、幕末には16万石になっていた、というから中堅ク
ラスいやそれ以上の大名の力を持つ地域だったのだ。
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景観を邪魔する電柱や電線がないのは良いこと。こういう町並み保存は、まずコストをかけても
電柱・電線を撤去することだ。
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朝7時過ぎに歩いているので、観光客は誰一人歩いていないし、土産物屋も開いていない。
それがかえって良かった。人通りがまったくない、道は歩きやすい。
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町の名は、豆田町。重要伝統的建造物群保存地区に指定されていて、さすがに古めかしい建物
が続く。江戸時代中期からの町屋が残る町並みだ。
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ここは、草野家の住宅。
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製蝋業を営んでいた商屋だから、蝋(ろう)造り、つまりろうそくを生産していたのか。
現在の当主は開業から20代目、日本のひな祭りイベントの発祥の地でもある。
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イイですね。こんな小さな水路で鯉が泳いでいる。津和野を思い出すが、西日本ではこのような
光景はあちこちにありますね。
北海道にはない。冬凍結して鯉も死んでしまうものネ。
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まるで、津軽の五所川原のような雁木だ。今回の旅では、鳥取県若桜町のカリヤと同じ雪よけ
の歩道。ここ日田市はそれほど降雪はないはずだけど、雨除けでもあるのかな?

ふと下を見る。
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そういえば、鵜飼いでも有名な町だった。鵜飼いと云えば岐阜市の長良川が思い出されるが、
これまた西日本では各地にありますね。
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日本丸館(にほんがんかん)
薬屋さんです。下に岩尾薬舗とあるように、明治時代から昭和初期にかけての製薬資料や
生活遺産品などが展示されている。
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木造3階建て。白塗りの漆喰の壁。まるでお城だ。
国の登録有形文化財にしてされている。
見てお分かりのように、誰一人歩いていないでしょう。いつもはたくさんの観光客であふれて
いる豆田町の通りも、朝早くだと誰も居らず堂々と町の真ん中を歩ける。
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久しぶりに杉玉を見た。鳥取県智頭町以来。
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橋の写して振り返ったら、酒造会社の大きな煙突が見えた。
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薫長(くんちょう)酒蔵資料館だ。もっとも朝早すぎたので、どこの資料館も開いていないので
見学出来ず。
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1時間近く歩いて月隈(つきくま)公園へ戻る。
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江戸時代初期の1601年には城が築かれたが、天領になって廃城とされ、今は一部の石垣や堀
だけが残っている。
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天然の石垣をくり抜いて祀っている。何の神様?
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というわけで、深夜2時48分に警官から職務質問されてから寝れず、寝不足のまま日田市内を
散策しましたが、素敵な街並みでした。もっともベストコンディションで歩きたかった。
良い街並みなので、少しは日田市の印象は良くなったが、最初はサイテー。
街中の公園で車中泊した自分が悪いのだが、どうしてあんな時間にパトロールするのか?

でも、古い街並みに少しは気持ちも上向きに。
まぁ、良いこともあるし悪いこともあるのが一人旅。気にせずに旅を続けよう。最大の目的地、
鹿児島県 東シナ海の離島 甑島へ行くために!

では、また明日!


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