函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めた車中泊中心の「ぼうけんの旅」は今年で13 年目に突入。 車中泊の貧乏旅行の旅、今年で74歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 今年2026年も「ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです! 今年も「ぼうけんの旅」をよろしくお願いいたします。

2026年が明け今年は74歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!時々は自転車を積んでの軽バン一人旅の始まりです。

2015年06月

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田川市石炭歴史博物館は、たっぷりと見応えあり満喫することが出来ました。
特に、「山本作兵衛コレクション」は事前に本を読んで、その作品に触れていただけに、
本物と対面した時には、感動モノでした。
まったくの素人なのに、細かいところでの筆タッチや人物の表情が豊かなところ等、素晴
らしい作品でした。
さすがに、ユネスコの世界記憶遺産に指定されたことはある、と思いました。

さて、田川市を後に、さらに南下。

彦山駅へ。
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日田彦山線の名前の由来ともなった「彦山駅」。
「神話と伝説 森林浴の玄関口 彦山駅」とある。
英彦山(1199m)登山口でもある。ここは、山伏の修験場でもあり、山頂には英彦山神宮の
社も建てられている。
麓には、雪舟が築いた旧亀石坊庭園があり、歴史は古い。

プラットフォームに出て見よう。
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この日は、久しぶりに午後から晴れて来た。やっぱり、太陽が拝めないと。、毎日雨ばっかり
だと旅は面白くない。
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山の名前は英彦山(ひこさん)、「英」という字が書かれているが、駅名は「彦山(ひこさん)」で、
「英」の字はない。この違い何なのだろう?ついでに、JR九州の線名は「日田彦山線」だ。
駅の場所は、田川郡添田町。

福岡県最南端の村「東峰村」の宝珠山にある温泉施設「いずみ館」で温泉博士を使い入浴。
このところ3日連続温泉博士を利用している。とてもありがたいです。

大分県に入りこの日最後の訪問地「夜明駅」。ここも木造駅舎100選になっている有名な駅だ。
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夕方訪れても夜明(よあけ)、もちろん夜でも昼でも夜明け。珍名の駅でも知られている。
たまたま黄色の列車がやって来た。
列車であって、電車ではない。車両の上にパンタグラフがないですね。
久留米行き、ここはもう久大本線。久留米と大分を結んでいる九州を瀬戸内海から有明海
の手前の久留米駅まで東西に走っている。まさに、九州横断鉄道。
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駅のプラットフォームには、「夜明けの鐘」がある。時間は5時過ぎの夕方だったけど、
鐘は撞きましたよ。
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素敵な駅の「夜明駅」。
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この後、寝床を探して日田市吹上公園へ。キャンプ場もあり、と案内板に出ていたのでトイレも
ある駐車場で車中泊。夜中には星も瞬いていた。

午前2時48分、熟睡中。突然、窓ガラスを叩くノックの音が、と同時に眩しいくらいのライトが。
眠気眼(ねむけまなこ)で起きて、ドアを開けると警察官二人が厳しい顔で尋問してきた。
「免許証を出して下さい。車内拝見します。車検証を見せて!」と矢継ぎ早に質問、尋問する。
こちらは、ぐっすりと寝ていただけに訳が分からず、おどおど状態。

結局、ここはキャンプ場ではなく、公園の駐車場だから深夜に停まっているのが不審だから、
という理由で職務質問されたのだ。
すぐに解放されたが、3時近くに再び寝ることは出来ず、悶々として朝を迎えることに。

ということで、島根県出雲横田での出来事から再び大分県日田市でも同じように深夜警察官から
尋問されました。
まったく、午前2時48分にパトロールなんてご苦労様です。よく、そんな時間に巡回してますね。

北海道、東北や東日本では今までなかったこと。町中の公園の駐車場で寝ていても無人駅の
駐車場で寝ていても、まったく注意されることもなかったのに・・・。
これからは、道の駅で寝ることにしよう。特に都市部の公園はダメですね。

教訓 「寝る場所は、道の駅かキャンプ場。または、電波が圏外の山中、人里離れた海岸。
都市公園の駐車場は絶対ダメ!」

では、また明日!

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昨日は、田川石炭歴史博物館の前庭から見た光景を紹介しました。
特に驚いたのは、香春岳の一の岳。石灰石を採掘して、山頂が真平らになった山にはびっくり
です。
奥の二の岳、三の岳は山らしい姿でしたが、最初一の岳は山に見えなかったのです。
長い間かけて石灰石を採り尽くして今の姿に変わったのですね。
ボタ山にも驚きました。高さ60mほどにも積み重なった捨てられた石の山。

子供たちがたくさん来ていました。土曜日とあって、多分幼稚園か保育園の遠足かな?
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残念なのは、保護者、特に母親の一部がまるで高校生が喫煙しているかのように、隠れて
煙草を吸ってたこと。子供たちの目の前なのだから、半日くらい我慢できなかったのだろうか?
公園や子供たちの前では、全面禁煙ですよね!
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子供はどこでもに登りたがる。危ないけど、ケガして少しずつ危険を知っていくのだ。
「あぶない!」と母親が叫んでいたけど、このくらいは大目に見てあげないと。
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ここは産業ふれあい館。明治・大正・昭和の炭坑住宅を再現している。
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田川市石炭歴史博物館の観覧料は210円。安い!
夕張の石炭の歴史村は1000円でした。内容は違えど、210円は多くの人に見て学んでもらえる
値段に設定している。1000円だと、少ししか関心のない人には躊躇する価格ですよね。
210円だと、気軽に入館できるし子供連れでも入れますね。

山本作兵衛について説明します。
1892年(明治25年)福岡県嘉麻郡笠松村(現在の飯塚市)に生まれた山本は、父親が炭坑夫と
なったことで、彼もまた12歳で弟子入りします。その2年後14歳で入坑、本格的な炭坑生活が始
まります。
義務教育も受けなかった彼ですが、漢和辞典を書き写して読み書きを覚えます。
筑豊各地の炭坑21か所で働きながらも、得意な絵筆で炭坑の記録を残します。
それは、彼の所有していた日記や手帳に描かれていました。
1955年(昭和30年)、63歳の時、最後の職場となった炭坑が閉山となるまで、半世紀にわたり
墨画として、時には水墨画として絵を描き続けました。

今、それらの作品はユネスコの世界記憶遺産として登録されています。
学もない、名もなき一人の炭坑労働者が自らの体験をもとに、日本の近代化を支えた筑豊炭田
の姿を描いた作品、それが山本作兵衛コレクションです。
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一部ですが、作品を見ていきましょう。 作品は、本になったりポストカードにもなっています。
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山本作兵衛コレクションは、697点。 内訳は、 ・炭坑住宅記録画585点(墨画306点、水彩画279点) ・日記6点 ・雑記帳、原稿など36点 ほか、となっています。
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山の道具など、細かく描写した作品もあります。
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これらは、ほんの一部です。彼が書き残した作品は、生涯で1000枚を越える、といいます。 ユネスコの世界記憶遺産には、フランス革命のフランスの人権宣言(1789年)、ベートーベンの交響曲第9番、アンネフランクの日記、ショパンの名曲、アンデルセンの原稿などそうそうたるメンバーの中で、名もなき炭坑労働者の山本作兵衛の絵画が選ばれていることに、日本人として誇りを持ちます。 うれしいですね。 底辺の労働者が、世界の記憶されるべき遺産になっていることを! では、また明日❗

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私が子供の頃の暖房には、薪(まき)が使用されていた。小学生のころ(1958年~1964年)は、
秋になると毎日薪割をさせられていた。
夏が終わり、暑さも一段落した時を見計らって町内に、直径30cm、長さも30cmほどの太い木を
切った薪割用の木を売りに来る馬車が来ていた。冬は馬橇(ソリ)になる。馬橇に乗っけてもらって
登校したこともありましたよ。

各家庭では、それを購入しストーブにくべるために、さらに細く切らなくてはいけなかった。
それが、子供の仕事。まるで、マサカリ担いだ金太郎さんのように、すぐに焚けるように細か
く薪割をしたのだ。それを、何日もかけて割った薪を家の壁に積み重ねていく。手が届く位置で、
壁が見えなくなるまで並べる。それも、子供たちの仕事だった。

中学生ころ(1965年~1968年))になると、石炭が普及した。石炭売りのトラックが来て、物置の
石炭置き場に、今度はスコップで運ぶのが子供の仕事。煤(すす)で顔を真っ黒にしながら、運ん
だものだ。

小・中学校や高校は、石炭ストーブ。係りが決められていて、大きなバケツを持って石炭小屋に
行き、スコップで積んで教室まで運ぶのが役目。階段を登るのがきつかった。
ストーブの周囲だけ熱すぎて顔は真っ赤、ところがストーブから離れた位置の生徒は寒くてブル
ブル。窓際の生徒は、隙間から入り込む雪で、寒く震えていた。

そんな石炭を知っている人や使用していた人は、おそらく50代後半以降の人。若い人たちは知ら
ないでしょう。見たことも、もちろん使ったこともないはずです。触れたこともないでしょうね。
今日は、1960年代まで家庭では暖房用に使用していた石炭についてお話しします。

まずは、昨日紹介した九州は、福岡県田川市石炭歴史資料館の前庭にあった炭坑節発祥の地
の記念碑。
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月が出た出た 月が出た 三池炭鉱の上に出た あんまり煙突が高いので さぞやお月さん
 煙たかろ サノヨイヨイ
」で始まる炭坑節。
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ここは、1970年代まで北海道と並らぶ筑豊炭田の中心地だった。石炭は全国各地で採掘
されたが、特に北九州の筑豊・長崎(それこそ世界遺産になる予定の軍艦島が有名)・大牟
田市などは大生産地だった。
筑豊とは、筑前の国と豊前の国を合わせた地区。田川は豊前の国。
遠賀川(おんががわ)を利用して石炭は運搬された。

遠賀川といえば、高校生の頃五木寛之の小説「青春の門」をよく読んでいたから名前は知って
いた。恐い土地柄のイメージが残っていたが・・・。

そういえば、1970年代「STBのすすめ」という貧乏旅人のバイブル的な本があったが、この本の
中で、「筑豊の元炭田地帯の駅では、絶対ステーションビバークしないで!」と出ていた。
つまり治安が悪く、夜駅で寝ていると非行少年などに強盗される恐れあり、と。
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炭坑夫の像の下には石炭が置かれている。

公園となっている広場の遠くに二本の巨大な煙突が見えた。
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近づいて見よう。
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旧三井田川鉱業所 伊田堅坑第一・第二煙突。通称二本煙突と云われる高さ45.45mの巨大な
エントツ。国の登録文化財に指定されている。近代化産業遺産にもなっている。
蒸気機関の排煙用のエントツで1908年(明治41年)に築造された煉瓦造りのエントツで炭坑節
のモデルにもなった。
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当時は、絶えず黒煙を吹き上げていた、というから空は真っ黒になっていたのだろう。
昭和39年(1964年)には使用禁止されているから、意外と早い段階でストップしている。
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遠く北の方向の山(右側のこんもりした山)に注目して下さい。
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香春岳(かわらだけ)の三つの山。奥から三の岳(511m)、二の岳(468.2m)、そして真平らに
削られているのが一の岳(250m)。昨日訪れた「採銅所駅」が麓にある。
ズームして見よう。
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何と、セメントの原料である石灰石を採掘するために、以前600mあった山が半分以下の高さ
に削られたのだ。
「ひと山、ふた山、み山越え~」の炭坑節にも唄われた香春岳だが、メインの一の岳は無残な姿
を見せている。高品位の石灰石で出来た山なだけに昭和初期から採掘が行われたのだ。
当時は、環境保全などはまったく考えなかった時代だった。

手前の二つの緑生い茂る山は、ボタ山です。
石炭を掘った際に出て来る使えない捨石(ボタ)を捨て続けて出来た円錐状の山。北海道では、
ズリ山という。
廃鉱となって半世紀、今では草木が生い茂り自然の山のように見えるが、捨てられた石の山なの
だ。住宅街の近くにあるが、住宅の方が新しい。
以前は、ボタの中に混じっていた石炭が自然発火してボタ山が燃えることもあった、という。
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旧三井田川鉱業所 伊田堅坑櫓。これも国登録文化財に指定されていて、近代化産業遺産
にもなっている。
地下深部の石炭を採掘する堅坑の巻き上げ機。1909年(明治42年)の完成。
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田川周辺の石炭採掘の歴史は、記録によれば1623年というから江戸時代2代将軍徳川秀忠の
時代。小倉細川藩の文献に残っている。
石炭の運搬には、遠賀川を使い川船が用いられ下流に運ばれていった、という。

石炭は、今国内ではまったく生産されていないが、最盛期の三倍もの量を毎年輸入している現状
を忘れてはいけない。火力発電所や鉄鋼所などで産業用に、オーストラリアや中国などから輸入
しているのだ。

最盛期は、戦前から戦後すぐ。最後は1970年代まで。
戦前は、韓国併合(1910年)後、朝鮮半島からたくさんの若者を強制労働させるために移入させ
ました。北海道でも、常紋トンネルなどの建設現場で働かせ、時には人柱(山の神を鎮めるために
生きたまま埋める)までさせた、といいます。その証拠に、人骨が今でも出土しています。
ここでも、韓国人を強制労働させた負の歴史がありました。
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韓国人徴用犠牲者の慰霊碑。多くの若者が強制的に連行されて、地下深い危険な現場で
働かせられ、捨てられていったのです。悲しい歴史もあるのです。

明日は、その現場で働き、それを絵に描いた「ユネスコ世界記憶遺産」にもなった山本作兵衛
(やまもと さくべい)さんの作品を中心に炭坑住宅などをに紹介します。

それでは、また明日!

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広島市に隣接する安芸太田町の道の駅「来夢とごうち」で車中泊したが、一晩中止むことなく
雨が降り続いていた。中国地方の一週間は、1日中晴れた日はわずかに1日だけ。あとは、
1日のうち何時間かは雨が降っていたり、24時間雨が降ったりで、九州では毎日晴天を祈り
たい!
が、それも無駄だった。毎日のように雨が降ったのだ。誰かが雨乞いの儀式をしているのか?
それとも4月は、西日本では雨季なのか?それほど雨が続いたのです。

さて、この日は曇り空。朝起きたら雨は止んでいた。でも、つい先ほどまで降っていたのか、
道路は濡れていて山には低く雲が垂れこめていた。

7時過ぎには、中国自動車道に入った。日曜・土曜は3割引きを利用して、高速で一気に九州
へとの目論見。土曜日だが早朝のためか渋滞はない。それどころか、目に止まる風景は山また
山で、緊張することなく、とても快適なドライブだ。
早くも山口県へ。
それでも、山口ジャンクションで山陽道と合流すると車の台数は一気に増えてきた。
下関市の壇ノ浦PAで休憩。駐車場は、ほとんど満車に近い状態。たくさんの観光客が来ていた。
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今日の1枚目。壇ノ浦PAから眺めた関門大橋。対岸は福岡県北九州市の門司。
狭い関門海峡は流れが速い。多くの漁船が漁をしていたけど、今は何が獲れるのかな?

ここ壇ノ浦は、源氏、平氏の戦い最後の決戦の地。
830年前、1185年3月ここで源義経は平氏を滅ぼした、そんな歴史的な場所。義経は、潮の
流れを読んで勝利をものにした。
ウーン、義経強いぞ!
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北九州市は、門司市・八幡市・小倉市・戸畑市・若松市の5市が合併して100万都市となった
のは、50年以上前の1963年。
私が小学校5年生の時。当時、切手のコレクションをしていて、北九州市成立記念切手を手に
入れるため、雨の中郵便局で濡れながら並んで購入した記憶がある。
九州最北端の、三大都市圏以外で初の政令指定都市となったのだ。福岡市よりも早かった。
福岡市は1972年4月1日、北九州市に次いで九州2番目の政令指定都市へなる。
しかし、北九州市は炭鉱の相次ぐ閉山で人口は伸びず、現在は福岡市は150万人を越え、都市
では、横浜市、大阪市、名古屋市、札幌市に次ぐ日本第5位となっている。
そして今、北九州市は100万人を割ってしまった。
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相変わらず天気は良くならない。一部で陽が射しているところもあるが、低く垂れこめた雲
からは雨が今にも落ちてきそう。
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門司市にも寄りたいところだけど、先を急ぐ。
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あっという間に、橋を渡る。
関門自動車道から九州自動車道へ。下りたのは、小倉南IC。国道322号線を南へ。
並行してJR九州の日田彦山線が走っている。

記念すべき九州上陸最初の1枚目の写真は、田川郡香春(かわら)町。
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素敵な木造駅舎の「採銅所駅」。文字通り、銅を採掘していた駅だ。
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ちょうど100年前の大正4年(1915年)3月、建設された、当時の私鉄小倉鉄道が開通した時
からの現存する唯一の建物だ。
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瓦屋根が良い味を醸し出している。もちろん無人駅。
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小倉駅と日田駅を結ぶ日田彦山線は、途中英彦山を通過するから名付けなれた。
見ての通り、電車ではありません。ディーゼル機関車が走っている。
駅前に駅を紹介する碑があった。
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ここは、駅を取り上げた本「木造駅舎100」で紹介されていた駅で、訪問したい!と思っていた
だけに感動です!
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「採銅所駅」で、のんびりした後に、見学した博物館があった。それは、田川市にある。
まず、田川駅へ。
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田川伊田駅」とある。駅ビルになっている。ここからその博物館を探すのに苦労した。
地図を見たり、人に聞いたり、車で走っていたら一方通行になったり、通行止だったり、
全長3.4mの小さな軽自動車だから小路を走れたけど、大きな車だったら小回りが利か
ず、難儀したことだろう。
やっと、地元の中学生に教えられて到着したのが、ここ。
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田川市石炭歴史博物館。夕張の「石炭の歴史村」と比較したかったのだ。
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ここは、炭坑節発祥の地でもある。
北海道と福岡、1960年代までは石炭がエネルギーの中心として採掘されていた。
繁栄、衰退、そして閉山、多くの人が炭鉱爆発の事故で亡くなっている。そんな共通する歴史を
知りたい!
詳しくは、明日紹介します。

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昨夜は、熟睡している中をパトロールしていた警官に起こされ、まして不審者扱いまで
されて眠気は冷めて寝付かれず、さらに追い打ちをかけるように予報通りに雨が降り出し、 
気分は最悪。
それでも朝6時過ぎ、いつものように起床。雨の中をさらに西へ進む。進まなくては九州へ
は渡れない。 
印象の悪い思いが残る(ホントは駅舎といい、町の雰囲気は良かったですよ。今度来る機会
あったら、何処か道の駅に泊り、ゆっくりと街並みを散策してみたい。)そんな出雲横田から
中国山地を南へ。標高は高くなっていく、と同時に雨音はドンドン激しくなっていった。
スイッチバックで有名な「出雲坂根駅」。
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無人駅で、新しい駅舎はログハウス風。「延命水の館」とある。湧水があるのかな?
まずは、プラットフォームへ。
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標高564m、「JR西日本で一番高所にある駅です」の看板がある。
地図を見ると、いったんスイッチバックしてから高所へそしてトンネルを幾つか潜り抜けて
S字を描くように何度のカーブして木次線、島根県の最南端の駅「三井野原駅」へ。
峠まではあとわずかの駅。峠を越えると広島県庄原市だ。

駅の横には、延命水が流れていた。売店まであって、地元の高齢な方が軽トラで乗り付け、
店を開こうとしていた。
こんな土砂降りの雨の中でも、商売になるのかな?と心配したけど、おばあさんは「開くだけ
でもいいのよ」と楽天的に笑顔で答える。働けるだけでもうれしいのだ。
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空になったペットボトルに島根県の水を入れ、道の駅「奥出雲おろちループ」へ向かう。
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これまた地図をよく見ると、国道314号線はダブルに円を描いて峠へと向かっている。
閑散として、誰もいない道の駅。当たり前です。土砂降りの雨の中、朝もまだ7時台、しかも
交通量が極端に少ないルートだから。広い駐車場に、函館ナンバーの軽バンが1台。

深い谷底を挟んで、向かい側には木次線の線路が見える。
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すごい場所を走っているんだな、と感心する。事故が起きたら、どうやって救助するのだろう?
車が入れる林道でもあるのだろうか?
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三井野原道路の碑があった。「奥出雲おろちループは、日本一の雄大な二重ループです
のプレートも。
晴れていれば、左の写真のようにキレイに見えるはず。
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役に立たない傘を差しつつ靴を濡らしながらも、歩道橋を渡り展望台へ。 
駐車場の白い車が私の軽バン。ダイハツハイゼット。パートタイムだけど4WD。

道の駅から見えた博物館だが、朝早いから閉まっているはず。
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さらに南下して峠へ。トイレのようだけど、ここが三井野原駅舎。
やっと広島県との境へやって来た。
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峠の両側には、三井野原スキー場があり民宿やロッジが何軒かあったけど、いずれも潰れて
いた。多分、スキー場はバブルの頃に建設され地元の人々が民宿を経営していたのだろう。
でも、どう見ても冬期間、長い間スキー場を開けないだろう。それだけ雪が積もらないはず。
まして温暖化で降っても融けてしまいスキー場を維持出来ない、と思う。
バブルの宴の跡か?
たくさん人が集まるリゾートを夢見て建設したが、泡が弾けて・・・どこにでもあるような風景。

雨が続く中、さらに西へ。三次(みよし)市で、ランチと図書館。時間をつぶすことが出来た。
夕方、「温泉博士」を活用して閉校になった校舎を利用した温泉施設「田原温泉五千年風呂
に入浴後、広島市の西隣の安芸太田町の道の駅「来夢とごうち」で車中泊。
朝から依然として雨が降り続いている。
明日は、土曜日。高速は3割引になる。一気に本州を離れ九州へと向かおう。
今日1日、雨が止むことなく降っていた。気持ちもブルー。
明日は、文字通り明るい日になることを祈り、国道191号線と国道186号線の交差点にある
道の駅で眠りにつく。
目の前が「戸河内IC」だから、”朝、中国自動車道で下関まで行って、関門海峡を渡り、いよいよ
九州上陸!”と、夢見て。

では、また明日!



今日の記事は、思い出しても気分が悪くなること。それは、タイトルにもあるように、深夜いつ
ものように車中泊していて、グッスリと睡眠中の午後11時半過ぎにパトロール中の警官二人
に起こされたこと。
つまり、不審者だと思われて職務質問されたのです(怒)。函館ナンバーを見れば、旅行中だ
と気づくはずなのに、北海道から逃亡してきた犯人か?のように、最初は取り扱われたのです。
これには、思い出すだけでもホントに腹が立つ!
詳しくは、後ほど。

さて、昨日の続きから。
島根県安来市から峠を越えて雲南市に入った最初の集落「久野(くの)」の今年閉校となった
久野小学校をお伝えしました。
今日の1枚目。素敵な木造駅舎の「下久野駅」。
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長閑な地方の駅です。木次線の無人駅で、まさに山間部にあるのんびりとした駅舎です。
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木次線は、島根県の山陰本線にある宍道(しんじ)駅(松江市)を起点として山間部を通過して
広島県庄原市の「備後落合駅」までの中国山地を南北に走るJR西日本のローカル鉄道。
ここは、単線・非電化の農村の中を走る線路。
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木次(きすき)の名は、島根県雲南市の市役所がある木次町から来ている。
木次町は、三刀屋(みとや)と云ったほうが覚えている人が多いのでは?自分はかつて甲子園
に三刀屋高校が出場していて、それで記憶がある。

その木次駅。
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ここは、もちろん有人駅。駅員さんがいます。駅のそばの斐伊川(ひいがわ)の堤防沿いには
桜が満開で、斐伊川堤防桜並木として「桜100選」にもなっているほど。
多くの花見客が来ていました。斐伊川が宍道湖へと流れている。
3時過ぎ、「温泉博士」を活用して、奥出雲町の「長者の湯」へ。ゆったりと湯に浸かり、最後に
面白い駅舎の「出雲横田駅」へ。
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この写真見て分かりますか?神社ではないですよ。巨大な注連縄があるから、まるで出雲
大社の分社かな?とも思われる建物です。右の赤いポストがイイ。
近づいて見よう。
335



















大きな板に「出雲横田駅」と書かれていて、駅であることが分かります。いろいろな面白い駅
も訪問したと思い、ここもそのリストの一つだったのでうれしい!
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列車が来ていないので、プラットフォームでパチリ。

時間は、午後6時を過ぎていた。地図を見たら、近くに横田公園があり車中泊できそう。
数分で公園へ。ただ、そこは奥出雲町立横田中学校の近くであった。
グランドで珍しい女子ホッケー部のトレーニングする姿を横目で見ながら、夕食を取る。
暗くなってから、ブログ創り。リアルタイムでスマホで作成。それは、4月のブログにあり
ます。
明日の天気をチェック、明日は雨模様だ。また雨か・・・。
そして9時前には寝袋に入っていた。

夜、車の窓ガラスが明るい。眩しいくらいだ。ドンドン!とドアを叩く音がして目が覚めた。
眠気眼(まなこ)で、起きると「警察です」との声が聞こえた。ドアを開けたら免許証の提出
を求められ、部下の若い警官がパトカーで調べている。
何もないのに、いきなり何なのか?
目覚めが悪くて、何が起きているか?分からないうちに「深夜に自販機荒らしがあったり、
不審者がいないか?捜索しているのです」と説明されて、解放された。
「寒いから、ドア閉めてオヤスミナサイ」だと。
後から、腹が立つやら気分は最悪!

これって、私が町の公園、しかも中学校の近くの公園で車中泊をしたことが悪いのか?
はたまた「函館ナンバー」でパトロール中の警官からしたら、どうして北海道の車が駐車し
ているのか?と疑問に思ったのか?逃亡者?盗難車?
どちらにしても、その後はほとんど寝ることは出来ず、悶々とした時間が過ぎた。
この時のことを学べば良かった。「町の公園で車中泊をしない」と。
しかし、同じ間違いを今度は九州、大分県日田市で繰り返す。
私って、大馬鹿です。そのことは、またのちほど日田市の記事で紹介しますネ。

案の定、まもなく0時を過ぎてから雨が降り出して来た。屋根を叩く雨音。
運の悪い男、いや車中泊の方法を間違ったからだ、どちらにしても気持ちを落ち着かせな
くては。
そうこうして夜は明けていく。

では、また明日!

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