函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めた車中泊中心の「ぼうけんの旅」は今年で13 年目に突入。 車中泊の貧乏旅行の旅、今年で74歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 今年2026年も「ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです! 今年も「ぼうけんの旅」をよろしくお願いいたします。

2026年が明け今年は74歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!時々は自転車を積んでの軽バン一人旅の始まりです。

2015年12月

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。



いよいよ、今日で2015年は終了。明日からは2016年が始まりますね。
さて、冬のプチ旅の再開です。前回に引き続き再び南茅部町から。12月24日のクリスマス・イブ
のこれまた青天の日に出掛け、取材・調査をしてきましたのでアップします。

我が家を出て1時間、雪のない川汲峠を越えて川汲(かっくみ)の集落に到着。早速川汲漁港へと
行きました。
DSCF3599



















前回同様、この日も快晴。空には雲一つなく、海はまったく波もなく穏やか。
DSCF3585



















北の方向を見る。左の山は熊泊山。何度も登場している山だが、かつての硫黄鉱山があった
ことは、今はほとんどの人は知らない。
地元の人に聞いても、知っていた人はいなかった。何せ、明治時代のことだったから。

沖合を見ると、大謀網(だいぼうあみ)が仕掛けられている。
DSCF3584



















定置網の一つで、岸近くから沖にかけて張る垣網と魚の入る網口を開けた楕円球の身網とから
なり、沿岸を回遊するブリ・マグロ・イワシ・ニシンなどを捕獲するのが目的の漁獲方法の一つ。
垣網の長さが1500mにも及ぶものがある、という。

垣網とは、漁群を本網などに導くするために水中に垣根のように張る網のこと。いわば魚を誘導
する道のこと。一方、身網は魚を確保する網のことですね。
DSCF3583



















ズームすると、一人乗りの船外機付き小舟で漁をしているのが見える。

実は、江戸時代の末期1839年に、地元の漁師たちが考えたがやり方が分からない。そこで、
尾札部の網元である飯田屋の三代目与五左衛門が、南部(今の岩手県)の漁師である田鎖
丹蔵(たぐさり たんぞう)を招いて、尾札部集落の外れにある黒鷲岬の沖合にマグロの大謀網
を建てたのが始まりで、その後全国へ広がっていった、という。

同時期に、臼尻地区の小川屋幸吉が辯天島でも行っている。
臼尻地区もまた、何回も出てきた集落だし辨天島は北大の実験所があった場所ですね。

その大謀網の網と浮きが陸揚げしてあったので近くで見ることにした。
DSCF3596
DSCF3584






































かなり大きな浮きで、大きさはバスケットボールよりも大きい。かなりの臭いがする。潮の臭い
というより、少し腐敗物っぽい臭い。
DSCF3597



















網というより、綱引きに使われるような太い網で、その網にびっしりとカラス貝が付いている。
DSCF3598



















そのカラス貝の実を食べにカラスが何羽もいる。近づけばカラスは逃げるが、遠ざかると、
またやって来て実を食べる。まったくカラス貝とはよく言ったものだ。

ということで、今回からは南茅部町の南半分を紹介していきます。

さて2015年も終わり、明日からは2016年です。今年は何処へ行こうか?
また来年もよろいく応援お願いします!

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。


27日から始まった、大阪花園ラグビー場での全国高校ラグビーは、いつ見ても面白いですね。
地区によってレベルの差こそあるけれど、楕円球を追う高校ラガーメンのひたむきさはいつの
時代も変わらない。大差がついたゲームもあったり、最後のPGで逆転したり、でも決して最後
まであきらめない、その気持ちが高校生にはあるのです。

だから、ラグビーは面白いのです!

さて、南茅部町を旅した冬のプチ旅の第1回目は、今日で終了。一気に南茅部町の良さを紹介
していきます。

まずは、旧道道から。
DSCF3551



















1967年開通した元の川汲トンネルにより、川汲川の左岸に出来た新しい道道により右岸に
あったこの旧道道は廃止されてしまったが、当時の道標は残っていた。

道幅の狭い道だが、草葉の陰の中で半世紀近く放置されていた距離表示の道標。
函館まで37km、湯の川まで30kmとある。

この距離は、旧川汲山道の距離。1950年(昭和25年)に山道の大改修が行われて、函館バス
の定期運行が始まった時の道で、トンネルが開通する以前は台場山の山頂付近の川汲峠を
越えて、ここへ下りてきたのだった。
DSCF3550



















道は狭く、日陰が多く先日の雪がまだ融けずに残っていた。この先は雑草や木が生い茂り
通行は出来ない。歩いていけば可能か?

この道を行けばどうなるものか 
危ぶむなかれ 
危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり
その道が道となる

迷わず行けよ
行けばわかるさ

どこかで聞いたことがありそうな詩ですね。誰かがリングの上でマイクを持って、得意そうに
叫んでいましたね。

1・2・3ダァッー!  と。

さて今日は、南茅部町川汲の寺町を紹介します。
まず、一つ目は曹洞宗の曹覚寺
DSCF3548



















明治3年というから、1870年。箱館・五稜郭の戦いが終わった翌年に創建されている。
DSCF3549



















今の建物は戦後、しかも平成に入ってからの建築だろうが、歴史は古い。森町鷲の木に上陸
した旧幕府軍の土方歳三も、このお寺のすぐそばの道を歩きて川汲峠へと急いだのだろう。

峠の頂上に「川汲山道のおいたち」という案内板が設置されている。その中で、
「1868年(明治元年)箱館戦争の時、新選組副長の土方歳三が額兵隊士ら四百名余りを率いて
雪の川汲峠で官軍を破って、五稜郭へ入場しました。」とある。

足袋に草鞋という、軽装で雪深い川汲峠で戦いに勝利し、箱館入りしたのだ。当時を想像する
ことなど困難だが、舗装もされていない雪の山道を歩いて通るなんて、強い精神力の持ち主
だったのだろう。
当時の人間のメンタリティーに感服する。
DSCF3552



















続いて、となりのお寺へ。
DSCF3553



















ここには、川汲峠の観音霊場の俳句が紹介されている。
そういえば、峠には三十三観音像が置かれていた。そのことを詠んだ句だ。

山道護る 菩薩の慈悲や 手向け花

峠守る 大乗佛や 渓閉古」などなど峠に関して詠まれたている。
DSCF3554



















峠の道々にあったものを移したのだろうか?
DSCF3555


































右側には、無縁供養塔がある。マントを巻いたこれらは無縁仏の像か?
または、海で亡くなり遺体が発見されていない人達か?
DSCF3556



















鯨塚もあった。今でも噴火湾ではクジラがいるし、室蘭港からはクジラ・ウォッチングが行われて
いるから、昔鯨漁で獲った骨を埋めたのだろうか?
DSCF3558



















加我(かが)さんは、ここの地域に多い名前。以前川汲から通学してきている生徒が何人もいたが、
ほとんど加我さんだった、ことを思い出した。
冬のバス通学は大変だったはずだ。
DSCF3557



















魚族供養塔とある。魚が大漁だったので、それを感謝して供養したのかな?
DSCF3559


































下にあるのは、クジラの骨だ。大きくて太く骨が何個も無造作に置かれている。

南茅部高校へと行く。
DSCF3560



















北海道森高校臼尻分校(定時制)、通称臼尻漁業高等学校として、戦後の1949年(昭和24年)
に設立された。
現在は普通科のみで、1学年1学級。
DSCF3562



















校舎は立派だが、空き教室が多いはず。今は少子化でどの学校も教室が余り、特別教室と
なったり、空いている教室が多いのだ。
私が勤めていた学校でも同様で、二つ繋いでコンピューター教室になったり、卓球部の練習場
にしたりしていた。
DSCF3561



















16年前に50周年を、迎えているその記念碑。

続いて旧南茅部町役場
DSCF3563



















今は函館市南茅部支所。
DSCF3567



















その前庭にあったのが、この碑。
DSCF3565



















白口浜 真昆布 顕彰の碑だ。
DSCF3564



















南茅部町の漁業の歴史については、後日再び訪問し再調査したのでその時に詳しくお伝え
します。

というわけで、冬では珍しいくらいの快晴の1日に、南茅部町の北半分を訪れて調べてきました。
後日南半分を訪れましたが、それはまた明日以降に、ということで。
みなさん、年末の慌ただしい中で風邪をひかぬようお過ごし下さい。2015年もあと今日を入れて
3日です。お元気で!!



にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。

朝起きると、ものすごい雪が積もっていました。昨夜9時過ぎに再度雪掻きをしたにも関わらず、さらに夜にかけて降雪があり1日で30cm以上もの積雪となりました。

image


鳥の餌台の雪を見ればお分かりになるでしょう。
餌を置く場所だけ雪をかいたところ、あっという間に雀たちが集まってきた。やっぱり、冬は餌が見つけられずに、お腹を敷かしていたのだろう。
たくさん、食べてネ!

今日の午後2時から全国高校ラグビー1回戦、函館ラ・サールVS長崎北陽台の試合がありました。

image


地上波では入らないけど、CSのJスポーツでは全試合放送されます。
函館では、ケーブルテレビのncvが放送していて、テレビの前で応援しました。

フォワードの体重差はあまりないけど、モールになると押されてしまう。体つきを見ても長崎の高校生は、がっしりしているし重そうに見える。

ファースト・チャンスはラ・サールにあった。いきなり、ペナルティ・ゴールのチャンス。しかし、楽な場所だったが緊張のせいか、キッカーは外してしまった。

image


2トライをあげたが、長崎は7トライ。
後半のトライシーン。

image


最終的には12ー42の30点差だったが、内容的には善戦していた。決して一方的なゲームではなく、30分ハーフの1時間の試合、すべての時間手に汗握った試合内容だった。

image


解説者の藤島大さんのウイットに富んだお話しは、とても面白くラサール高校への賛美があって楽しく応援出来、あっという間の1時間でした。

残念ながら試合には敗退しましたが、良くやった!と思います。

3年生の皆さん、ご苦労様。でも来年が楽しみです。
16年ぶりの函館勢のラグビー出場。かつては、北海道のラグビーといったら、函館だったが、いつの頃からか札幌山の手高校へとなってしまった。

でも、これからは函館の高校が花園へ出場しますよ!

image


ということで、函館ラ・サール高校ラグビー部の頑張りに拍手(*’ω’ノノ゙☆パチパチです!✌

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。



冬のプチ旅に出かけた12月14日は、滅多にない快晴の日でしたし、後日もう一度調査・取材に
出掛けたクリスマスイブの24日も晴天でした。

しかし、年末も迫った本日27日、外は猛吹雪。視界は50mもない。窓には、横殴りの風が運ん
だ雪がへばりついている。朝起きた時に雪かきをしたのに、2時間後再びしなくてはならない。
image
image

それほど、激しく雪が降り続いている。

今まで温暖だった冬も、ついに本格的に真冬となると雪と寒さはいつもと同じで、目に映る光景
は真っ白の銀世界。
image


ところが、本州の南、大阪は晴れ。雪もない、スポーツ日和。花園ラグビー場では、95回目となる
ラグビー全国高校大会が開かれている。暖かくて、最高の開会式だとテレビでは伝えていた。
今年は、函館から函館ラ・サール高校が初出場、どれだけ出来るのか?期待したい。
オールウエイズ アタック!全力でぶつかって欲しい!

さて、臼尻漁港から。港内は波もなく穏やかそのもの。冬にもかかわらず暖かな日差しが注ぎ、
春が訪れたかのよう。
DSCF3543



















手前の一人の利用の船外機付きの小舟は何を採るのか?

昆布だ。昆布を船から揚げている。昆布について調べてみました。
DSCF3542



















昆布という商品は、江戸時代から確立した格式が尊重されてきている。お祝いごとに使う材料
だけに穴や汚れや湾曲も許されない品物もある、という。
品質検査は、とても厳しいのだ。

そんな中で、函館市沿岸の亀田半島一帯の昆布は、真昆布(マコンブ)と云われ国内では最高
級品のブランドとなっている。
道内では、日高のミツイシ昆布、利尻島のリシリ昆布、羅臼のオニ昆布と共に特上クラスの
昆布だ。

昆布の生産は、北海道は全国の95%。ほとんどが北海道産ということ。

真昆布は、「白口浜」のブランドで知られ、大部分は大阪へと運ばれ”だし昆布”として使われる。
DSCF3544



















江戸時代、日本海航路の北前船は別名昆布ロード。富山の薬売り商人を介して薩摩へ運ばれ、
琉球へ、さらには中国へと運ばれていった。

実は、北海道の昆布消費は全国的にもかなり低い。生産地が少ないのはなぜだろう?
消費のトップは富山県。昆布がまったく獲れない沖縄県の消費量は第2位。豚肉や野菜と炒め
たり、煮コンブとして食されている。

関東地方は、江戸時代から昆布ロードから外れていたために食事には利用されず、消費量は
少ないらしい。
DSCF3545



















ところで、ガゴメコンブをご存知ですか?
昔は「浜の嫌われ者」だったガゴメコンブ。最高級品のマコンブの生育域と一部重なり、マコンブ
生産にとって邪魔とされ、採ってもほとんどは捨てられていた。

冷たい海流がある岩礁を好み、長さ1.5m~2.5m、幅20cm~50cm。葉前面に独特の雲紋状
凹凸があって、中央部はアイヌ文様に似ている。特別なのは、食物繊維からなるネバネバ成分
フコイダンと呼ばれる成分が昆布の中で最高にあり、美容と健康への効果があることが明らかに
なっている。

現在、地元函館では料理に欠かせない味になっているし、今や函館の立派な人気者でもある。

そんなガゴメコンブに価値を見出したのが、北海道大学大学院水産化学研究院の安井 肇さん。
DSCF3546



















先日「北海道新聞」の「ほっかいどう 知究人」で特集されていましたので、その中から紹介します。

最初は、気の荒い漁師たちに相手にされなかったそうだ。
「ガゴメ?一体誰が買うんだ!」と喧嘩腰に怒鳴り込んだという。

安井さんは、京都生まれの人懐っこい言葉と笑顔で、昆布の歴史や特性などを、それこそガゴメ
コンブのようにネバネバと粘り強く話したら、次第に「ガゴメも面白いかも?」と変化の兆しがあった
そうだ。

その安井さんが勤めた場所は、函館市の北大水産学部。調査して研究していた場所が、ここ臼尻
の実験所。

現在、ガゴメコンブから作られた加工品は200種類以上あり、乾燥昆布の他に醤油・サプリメント・
肉や魚の加工品など幅広く開発されています。

ということで、今日はコンブのお話しでした。
明日、川汲(かっくみ)へと向かいます。

冬は、ラグビーの季節。とりわけ、土曜・日曜は集中している。トップリーグはリーグ戦が終わり、
決勝トーナメントへ。五郎丸選手のいるヤマハはBグループ1位通過。五郎丸は得点王へ。

学生選手権も面白くなってきたし、高校選手権はどこが優勝するのか?楽しみです。皆さんの地元
からは、どの高校が出場していますか?ラグビー面白いですよ!

今年もあと5日。2016年は何処へ行こうか?今から計画を練って備えています。2016年春の旅
お楽しみに!


にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。


南茅部町史」を読むと、臼尻漁港が整備される以前の1913年(大正2年)の写真がありました。
その写真をよくよく観察すると、今は陸続きとなっている北海道大学の臼尻水産実験所と厳島
神社が位置する場所は、実は岩がゴツゴツとある岩礁だったのです。

太平洋の波に洗われた巨岩が何個もある大きな岩が波打ち際から沖合数十メートルにかけて
ありました。100年以上も以前のことですが、写真を見た時は驚いてしまいましたよ。

まずは、カモメドームのそばにある漁船の造船所。
DSCF3527



















一人乗りの小型船からイカ釣り船まで陸揚げされて修理・修繕されています。
そのとなりの建物が北海道大学の北方生物圏フィールド科学センター臼尻水産実験所
DSCF3529



















北大水産学部の付属施設ですね。
北海道大学は、札幌市にある旧帝国大学の総合大学。水産学部の1,2年生は札幌市の
キャンパスで一般教養を学んだ後に、3,4年生の時に函館へやって来ます。

それもそのはず、札幌には港がありませんからね。
そこは、日本で歴史が古い開港都市函館、3,4年の2年間専門に学べる学部があるのです。

海洋系の研究機関は他の大学にもあるが、旧帝大で農学部から独立している大きな学部を
持つのは、北大だけ。どこも農学部の中の水産学科で定員は15人か30人程度だが、北大は
おしょろ丸」や「北星丸」の大きな練習船を持っているし、予算もかなり多いらしい。

学生時代からベーリング海や太平洋、世界中を何か月もかけて回れるそうです。
よくコメントしていくれるプロレス亭卍楽さんは、北大の練習船に乗っていた方でよくご存じ。

12月24日のコメントにも「12月22日のブログの4枚目の写真は「うしお丸」。その練習船うしお丸
の接岸岸壁があります。」と載せています。

その近くから臼尻漁港をもう一度見ましょう。
DSCF3530



















全天候型のカモメドームが遠くに見えますね。
DSCF3531



















陸地側にも屋根の架かった岸壁が見える。
裏を振り返ると、大鳥居が見えた。
DSCF3540


































参道が海へ向かって続く、その名は辨天島鎮座 厳島神社
厳島神社といったら、海の守り神。広島の瀬戸内海にある宮島にある神社だ。
DSCF3541


































1718年(享保3年)臼尻村開村の時、当時島だった辨天島に海上安全の守護神として松前藩士
であり、尾札部場所の知行主(南茅部地区の監督官みたいな人物、知行とは武士の俸禄として
支給された領地のこと)の新井田金右衛門が神社を建てている。

その25年後の1753年(宝暦3年)、臼尻厳島大明神が創建された。それは、村民の代表が安芸
(広島県)の宮島へ至り要請したから。
すごい!ですね。当時の漁民たちがお金を出し合い、代表を広島まで派遣しているのですから。

もちろん、海を渡る以外はすべて歩いて行って、歩いて帰って来たのです。
まさしく、江戸時代のぼうけんの旅でした!

そんな歴史のある厳島神社。
DSCF3532



















狛犬も相当年季が入っている。
厳島神社が創建された当時、ここは当時辨天島という名の岩礁。
DSCF3539



















ところで、島とは何か?
日本の海上保安庁では、島を次のように定義している。
満潮時に海岸線の延長距離が100m以上の陸地」と。一方、国土地理院は「航空写真に写る
陸地を島」としていて、それ以外を暗礁、または岩礁。

世界的にはどうだろうか?
海洋法に関する国際連合海洋法条約121条では、
1 自然に形成された
2 水に囲まれていること
3 高潮時に水没しないこと

だから、島と国際的に認められるために日本最南端の地である沖ノ鳥島では消波ブロックを
何万個も設置して水没を防いでいるのですね。

昭和8年(1933年)12月23日、皇太子生誕を祝った石碑がありました。
DSCF3533


































そう現在の平成天皇のことですね。12月23日は天皇誕生日。
3日前に83歳になられましたね。誕生日を祝うために、一般参賀が行われていましたね。
DSCF3534


































本殿へと行きましょう。
DSCF3535



















市杵嶌太神とは?市は(いち)と読むのか?杵は(きね)?嶌は(しま)?太神は(たいじん)?
良く分かりませんね。
DSCF3536



















彫り物がすごい!鰐口はなく大きな鈴がある。
DSCF3537



















「伊藤正光」とは誰?この彫り物を彫った人物?それとも寄贈した人?
DSCF3538



















ということで、100年前は島(岩礁)だった辨天島にある300年の歴史がある厳島神社と
北海道大学の実験施設を見学してきました。といっても北大の施設は、部外者立ち入り
禁止だったので、内部は見れずじまいでしたが。

明日は、さらに南の集落である川汲(かっくみ)へと向かいます。
では、また!


にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。


イカ釣り船が停泊しています。
というのも、船を見るとたくさんの集魚灯がついているのでわかりますね。
DSCF3515



















南茅部の漁業の歴史を見ると、江戸時代の前半から始まっています。18世紀初め、というから
6代将軍徳川家宣の時代の時代です。

1677年に能登(石川県)で生まれた飯田屋与五左衛門尾札部移住からスタートしています。
当時、蝦夷と呼ばれた北海道では、アイヌ民族VS松前藩の統治の対立が起こり、1669年
シャクシャインを中心としたアイヌ民族の大規模な戦いが起きています。

そんな時代に彼は尾札部(南茅部町の南東部)で、浜に押し寄せる魚の大群を見てアイヌ人を
指導。魚の採取を教えたのです。
松前藩は、姑息な手段でシャクシャインを捕らえ殺害し、アイヌ民族の抵抗をつぶしますが、彼は
アイヌ人に対して魚の獲り方を教えていたのです。
その結果、集落は大漁で大いに賑わったといいます。
DSCF3516



















1艘の小舟が出航していきますね。一人乗りの船外機だけが付いた船、というより舟。
沖に設置した定置網へと行くのかな?
DSCF3517



















防波堤では、多くの釣り人が竿をおろしています。今の時分はチカ釣りかな?
DSCF3518



















5mほどの竿でサビキ釣り。赤いバケツには餌が入っいて、時々撒き餌をしている。
時には20cmクラスのチカが100匹以上も爆釣出来ることもありますからね。

熊泊山の方向を見る。この日は、雲一つない好天気で、暖かいな日差しがある。
遠くまでクッキリと眺望できる。
それにしても、家々は険しい崖沿いに1軒ずつ並んでいて、いかに平地がないかが分かる。
DSCF3519



















200mほど離れた場所に、北海道大学の臼尻漁業実験所が見えた。ここで魚貝類や水産資源の
調査をしているのでしょうか?
DSCF3520



















イカ釣り船に近づいて見よう。
DSCF3522



















イカ釣りは、このオレンジ色のコマみたいなものと下にある糸を巻き取る機械。糸にはイカを吊り
上げる釣り針が付いている。
夜、漁場で煌々と灯りをともしてイカを吊り上げるのですね。
(多分です。もし間違っていたらごめんなさい。専門知識がなく、誤っているかもしれません。)
DSCF3521



















昼間の停泊している時間帯だからか、船の燃料である軽油(ディーゼル)だろうか?、タンクローリー
から給油している。
DSCF3523



















かなりの燃料を消費するだろうな。船を動かすだけではなく、灯りの消費もあるからね。
いくらLEDになったからといっても、電気代が相当かかるでしょう。
電気を灯す燃料は、海の上では石油です。ガソリンではないでしょうから、きっとディーゼルです
よね?

この小舟は昆布獲りの舟か?タモが付いているのは何だろう?
DSCF3524



















ここは、全天候型の岸壁で晴れている時には上からの眺望がキレイ。先ほどまでの写真は
上から写したもの。観光客に上がって見てもらうために、さらには雨の日には屋根の下で作業
出来るように造られている。

その名は、カモメドーム
DSCF3525
DSCF3528






































横から見ると、かなり長い。上へ上がれる階段も何か所かにある。
DSCF3526



















臼尻漁港、なかなかいいですね。歩いていて楽しいです。
明日もここ臼尻からお伝えします。



にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。


南茅部町は、函館市に編入される2004年までは漁業を主とした独立した町でした。
しかし、人口減少による過疎化や急激な高齢化により、周辺3町村(戸井町、恵山町、椴法華村)
とともに函館市と合併しています。

南茅部町が出来たのは1959年(昭和34年)。それ以前は北西部に臼尻(うすじり)村、南東部に
尾札部(おさつべ)村の2つの村があり、両村の合併により南茅部町となっています。

町名の由来は、アイヌ語の「カヤウンベシュ」(帆の崖)から来ています。
亀田半島北東部に位置し、北部は噴火湾に面している北西から南東へ延びる海岸線沿いに
集落がある。

海岸段丘が続き海抜50m~100mは緩傾斜の台地となっているが、海に面したところは平地が
少ない。人家は海に沿ってほぼ直線に立ち並んでいて、民家が密集しているところはない。

その中でも臼尻集落は、さすがに以前は村役場があった臼尻村の中心地。漁港は大きいし、
商店も何軒か存在していた。

漁業が盛んな南茅部町、とりわけ特産品は昆布

というわけで、漁港へ行って見ましょう。
大船遺跡から南東へ、波打ち際沿いに走る細くクネクネした国道278号線を走る。
途中、古風な民家発見。
DSCF3501



















昔、網元でもやっていたのだろうか?二本柳旅館の看板がかかっている手打ちそば屋さん。
以前に、家族でおそばを食べに来たことがあった。が、今日はお休み。臨時休業の看板があった。
DSCF3502



















前庭には、何やら飼っているお犬様がいる。
DSCF3503



















サモエド犬で、大福という名前。
こっち、見て!
DSCF3504



















おっ!男前だな。オスかどうかは分からないけど、一応イケメンの面構えしていますね。

ご覧のような、昔風の造りの家が何軒か点々とある。
家の裏側が急峻な崖で、それこそ道路沿いに1軒しか建てれない狭さ。道路の前は海だ。
DSCF3505



















そして到着した臼尻漁港
DSCF3506



















20年も前になるだろうか、ここには臼尻劇場という名の映画館があった。
それは、何とも昭和の香が漂う劇場で、映画以外にも演劇のステージも行われていた。
今は、完全に解体されてなくなったが、以前の建物はフイルムカメラには収めている。
DSCF3507



















山がすぐ背後にあることがお分かりになるでしょう。
でも、漁業が盛んな地域は何処も同じかな?三陸海岸の集落も同様でした。
DSCF3509



















イカ釣り船が出航していきました。出港でいいのか、出航なのか?どちらが正しいのか?
DSCF3511



















手前は定置網。大謀網(だいぼうあみ)、いわゆる大型定置網漁法
回遊してくる魚を定位置に仕掛けた網で、漁獲する方法だ。
DSCF3512



















たくさんの灯りをぶら下げているから、これはイカ釣り船でしょう。今では、LEDで灯りをつけて
いる。
実はこのイカ釣りの技術を持つのは、東和電機という函館市の会社。
何と!世界のイカ釣りの機械の70%以上を生産していて、海外にも輸出している。

以前、週刊誌でニッチな分野での世界的な会社として紹介されている、その分野では超有名な
会社だ。
DSCF3510



















午後のなって一隻、二隻と港から出ていった。これから夜にかけてイカのいる海を探すのでしょう。
今は漁業探知機で、イカが密集するエリアが把握できますからね。
DSCF3514



















遠くに、日高地方の陸地が望める。距離にして100km以上も離れているけど、この日はとても
空気が澄んでいた。

明日は、漁業の町南茅部町を、もっと詳しく見学することにします!


にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。


いよいよ縄文時代中期の、今からおよそ5000年~4000年前の集落があった大船遺跡を
訪ねることにします。

場所は大船川の左岸、地図を見ると北側にあり、波打ち際を走る国道278号線から坂道を
山側へ少し登ったところにあります。

海抜50mくらいか?縄文時代中期は、氷河期が終わり地球全体が温暖となって海面が上昇し、
時代によって違うが、海抜50mから80mくらいが海岸線へと変化しています。

だから大船遺跡は海を見下ろす高台にあるのです。
最初に目に留まったのが、竪穴式の住居
DSCF3460



















まずは、函館市大船遺跡埋蔵文化財展示場へ行ったが、残念ながら閉館
11月いっぱいで終了とのこと。北海道では、冬の維持管理が困難で冬期間はクローズしている
所が多いが、ここもそうだった。
DSCF3445



















駐車場に車を停めて、散策することにした。
まずは、展示場のすぐ脇にあったのが石皿。木の実や肉をするつぶす道具とのこと。
肉とは、海からはクジラやオットセイ、鮭など、陸からは鹿、熊、ウサギなど。
DSCF3446



















説明する看板もあった。推定だが600軒の住居があった大規模な集落跡で、1996年(平成8年)に
行われた発掘調査で注目され、2001年(平成13年)には国の史跡に指定されている。

しかし、後で最新の調査では1500軒以上の竪穴式住居があったことが想定される、との記事が
あった。(函館市教育委員会 生涯学習部 文化財課 埋蔵文化財担当 函館市縄文文化交流
センター)
DSCF3447



















北西を見ると、何度か登場している熊泊山が見えた。あの山の山麓で明治時代、硫黄鉱山が
営まれていたのだ。
しかし、今日はそれよりもはるかに古い時代の紀元前3000年前。今から5000年前の人々の
営みを見るのだから、これはすごい!ことになるぞぉ!
DSCF3448



















まずは、竪穴式住居へ行って、間近に見てみよう。入場はもちろん無料。
DSCF3450



















直径8m~11m、高さは2m以上もある深い竪穴が掘られている。
DSCF3451



















柱がない竪穴だけの部分を見ると。
DSCF3452



















床には炉が設けられていて何を調理したかというと、サケ・タラ・マグロなどの魚類をはじめ
ウニ・カキ、さらにはクジラやオットセイの骨なども出土している。

植物では、クリ・クルミ・トチ・ブドウなどの種子が出土していて当時の食生活をうかがい知る
ことが出来る。
だから、当時は温暖な気候の中で豊かな自然の恵みを受け取っていたことがしのばれる。
DSCF3449



















竪穴の中にいる人と比較しても、深いことが分かるでしょう。

海からは水平距離にして300mくらいか、海抜は50mほど。
貝塚も発見されていて、様々な魚介類が食べられていた。
DSCF3453



















遺跡の面積は72000㎡あり、1500軒以上もの竪穴式住居があっただから、ここだけではとても
想像しにくい。

この1500軒という数字は、思ったよりもはるかに大きい。なぜならば、当時の家族構成を見ると、
縄文時代の平均寿命は約30歳。人口を維持するには、女性が14歳で結婚し8人の子供を産まね
ばならない。つまり2年間隔で出産し続けて、やっと人口を保つことが出来る。
(「日本史資料集~縄文時代の遺跡」から)

で、計算すると1600軒×10人(夫婦2人+8人の子供)=16000人となるが、こんなに多くの人が
生活していたのだろうか?
DSCF3455



















住居は重なり合うようにたくさん存在している。

縄文時代中期の日本の人口は、約26万人。その多くは関東地方から長野県、東北地方一帯に
まで広がっている。
青森県の三内丸山遺跡は有名ですね。

それにしても、16000人の数字には無理がある。それだけの人間の食を満たす量は不可能の
はず。
もっとも、生活していた人の数は不明だが、遺跡の人たちは歴史の中で淘汰されていったのだろう。
例えば、寒冷化によって動植物が獲れなくなったことや寒さで亡くなるとか、いつのころからか
大船の集落は忘れ去られて5000年の歳月が流れた、ということか?

それが、21世紀の幕開けとともに明らかになっていったのだ。
DSCF3456



















最初の案内板には600軒を越える竪穴式住居があった、と書かれていたが調べるうちにもっと
多くの住居跡が発見されている。石皿も1年間の調査で2000個も出土している。
どうやって、クジラを捕まえたのだろう?
DSCF3457



















北側にはシカの落とし穴、南西側には貯蔵穴や100基以上の土杭墓群も発見されている。
上の写真も「盛土遺構」からは、大量の遺物が出土している。

そこは、いわゆる捨て場=ゴミ捨てだけではなく、日本人のアニミズム的な観念(例えば、手足
の関節を折り曲げて埋葬する屈葬・成人になる前の通過儀礼の抜歯土偶など)なのか?
DSCF3458



















確かに縄文時代の習俗には、土偶・抜歯・石棒・屈葬など呪術的な風習が見られる。人々は
呪術により、豊かな収穫を祈ったり自然の災難から逃れようとした。
自然界に霊の存在を感じて、畏怖し崇拝し信仰するようになっていったのではないだろうか?
DSCF3459



















函館近辺では、空港敷地内の中野遺跡は青森の三内丸山遺跡をしのぐ数千人が生活した
大規模遺跡だったが、残念ながら滑走路の拡張工事で埋め立てられてしまった。今は滑走路
のアスファルトの下になり、見ることは出来ない。
DSCF3460



















ここ大船遺跡は、しっかりと調査・保存して子供たちが学べるよう、未来のために残していって
欲しい!と願わずにはいられない。

そんなことを感じた大船遺跡でした。


にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。



雲一つない快晴の日だったので、海岸に出ると対岸がくっきりと見えた。
DSCF3497



















これは、標準で写したもので、噴火湾を挟んで対岸に蝦夷富士の名を持つ羊蹄山がはっきり
見えますね。画面左側にあるまさしく富士山そのものの形。
5合目辺りから雪をかぶっていて、きれいな形をしている。

成層火山とはよく云ったもので、世界の火山の7割以上は成層火山(コニーデ型火山)です。
世界の7%の火山は日本にあり、富士山に似た山は各地に点在している。

北海道だけでも、羊蹄山のほかに利尻岳(1721m)、阿寒富士(1476m)、北見富士(1291m)、
駒ヶ岳(渡島富士 1131m)などあり、さらに小さなものを入れるともっとある。

ズームして羊蹄山を見よう。
DSCF3495



















よくよく見ると、5合目どころか山裾まで雪、半分から下が黒く見えるのは手前の山だ。南茅部町
から真北を見ると、有珠山(733m)や昭和新山(398m)があるので、多分そうだろう。
水平線上の左側の白い塔は、伊達市にある北海道電力の火力発電所だ。

もっと西側を見ると、ニセコ連峰の山々。羊蹄山とは直線距離にして10kmも離れていない。
ニセコアンヌプリ(1308m)を中心に、チセヌプリ(1135m)、雷電山(1211m)などがある。
30倍くらいにズームして写しているので、やっぱりぶれる。カメラの腕がない下手くそだと分かり
ますね。
DSCF3496



















一方、目を東に転じると苫小牧方面も見えた。これは珍しい。冬の冷たく空気が澄んだ日だから
こそ見える。手前の定置網の沖合100km以上もハッキリと見える。この写真はズームして写した
が、肉眼でも見えたのだから。
ホロホロ山(1261m)や樽前山(1041m)だろうか?

この先の日高地方も見えたが、さすがに、ズームを100倍近くにしないといけないので、ぶれすぎて
写せない。三脚を持って来てれば、立てて写すことが出来るが持って来てない。
堤防の護岸に、カメラを固定して写したけど、やっぱり遠くはぶれてしまった。
DSCF3493



















室蘭市の街並みも見えた。カモメが飛んでいる奥は、室蘭市の最高峰である鷲別岳室蘭岳
911m)か?地球岬がある断崖が見える。
DSCF3492



















本当に、今日は天気が良くてよかった。こんなに遠くが見渡せるなんて、そうあるものじゃない。
夏場は、亀田半島の東側はガスがかかっていて、視界が悪く対岸は見えない日が多い。

冬の空気が冷たい日だからこそ、こんなに遠くまでクッキリと見えるのだ。

さて、大船集落へ行こう。まずは、大船川をさかのぼって大船上の湯へ。
DSCF3436



















ここには、宿泊施設「ひろめ荘」があるし、日帰り入浴施設が二つもある。
隣接して、日帰りのみの建物を見たら閉まっていた。
DSCF3437



















カーテンが降りているのが日帰りの温泉。白濁した湯がとっても体になじんで湯上りがポカポカ
した記憶がある。露天風呂もあったけど、営業していないのかな?

宿泊施設のは、透明な湯でもちろん露天風呂もある。

それとここは上の湯だけど、ここより1kmほど下に大船下の湯があるが、そこは個人の所有。
上の湯は函館市の経営だけど、下の湯は個人が営んでいてとても風情があるが撮影禁止の
立札があり、ネットで流すのを禁止している。

多分、秘湯マニアが訪れてネット上に載せたのだろう。その結果思わぬことになって禁止の立札
を立てる羽目になったのかな?だから写真はありません。

次に、縄文時代後期の大船遺跡へ行くことにする。
その前に、事前学習をするために道の駅へ行く。
DSCF3434



















狭くてクネクネした海岸沿いの道から、山側に出来た広い2車線の直線が続くバイパスの国道278
号線を行くと「函館市縄文文化交流センター」がある。

ここに、北海道では唯一の国宝「中空土偶」が展示しているのだ。以前も見たが、それは素晴らしい
もので、周辺のたくさん点在した縄文時代の遺跡が紹介されている。

しかし、残念ながら「本日は休館日です」にガッカリ。そうか、今日は月曜日だったんだ。落ち込む・・・。
DSCF3435



















仕方がない。隣接している「道の駅 縄文ロマン 南かやべ」も営業していないが、トイレだけは
開いていたので利用する。

気を取り直して、大船遺跡へ行って見よう!
明日は、今から3500年前の縄文後期の遺跡を見学しに行きます。 因みに、パンフレットから写した、国宝の中空土偶です。
image

では、また!



にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。



磯谷温泉跡地の少し山側にあるのが、北海道電力の磯谷第一水力発電所。その高さに驚いた。
歴史が古く、1923年(大正12年)から発電している。1923年といえば、関東大震災があった年だ。
DSCF3475



















山の上から多量の水を流すパイプがあるが、その標高差は100mはあるだろうか?またその
長さは当然150m近くはあるだろう。
国土地理院の2.5万分の1地図を見ると、ここで使用された大量の水はさらにここからトンネル
を掘って数キロ海側へ流れて、再利用されている。

それが、第二発電所
DSCF3461



















この高さだ。一応立ち入り禁止のフェンスはしているが、外側から撮影可能。はるか下に双見の
集落と海が見える。

上を見ると、巨大なタンクがあった。
DSCF3462


































1枚目の第一発電所で利用された水が、トンネルを通じてこのタンクへ流れてきて、ここから
第二発電がされる。
この長いパイプの途中を見てみよう。
DSCF3487



















左の林道を下って来て、水力発電所を横切っている。パイプの一番上に先ほどのタンクがある。
さらに、180度回転して下を見下ろすと。
DSCF3488


































海側まで通じている。
すごい水力発電所を見たが、ここではどのくらい発電しているのだろうか?
高い場所から低い場所へ水は流れる。流れるところにタービンを置けば水の力で発電できるのだ。

水力発電は、まさに自然の力を利用した再生エネルギー
ただし、自然環境を壊さずに発電しなくてはならない点がネック。磯谷のようなダムを造らなくても
発電できる水力発電所をもっと活用できないのだろうか?

さて、海岸に降りてきました。磯谷川の左岸には旧磯谷小学校がある。
DSCF3489



















残念ながら閉校している。
校庭には、昭和56年(1981年)に開港50周年を迎えた記念碑があったけど、16年前の1999年
閉校し大船小学校へ統合されてしまった。体育館は、地元の体育館として再利用されている。
DSCF3490



















グランドの片隅には、かつて子供たちが毎日気温と気圧を調べていただろう百葉箱があった。
より正確に計測するために、確かに白ペンキが塗られているし、木造で作製されている。
風通しが良くするため、また日光や雨の侵入を防ぐために鎧戸になっている。

さらには、北向きで芝生の上、高さは地上1.2mの場所。すべて世界気象機関の規則に合致した
百葉箱だ。
DSCF3500



















でも、利用する子供たちは誰一人いないのが寂しい。

さて、次に北海道で唯一の国宝となった中空土偶が発見(1975年 昭和50年、8月24日)された
大船遺跡へと向かいます。
磯谷から大船までは南下すること5kmくらいか?
遺跡までの坂道の途中にあったお地蔵さん。
DSCF3438


































寒いからかフリースのマフラーとベストを着ている。
高台になっていて、海側を見下ろす。
DSCF3439



















北の方向、奥の台地の向こう側に磯谷温泉がある双見地区がある。
一方、南側を見ると恵山方向。ただし、活火山の恵山は見えない。もっと、南下しないと見えない。
DSCF3440



















この高台の少し上に、あるお寺があった。
DSCF3441



















裏側に墓地があったから、お寺。境内を散策したら、思わぬ石碑を発見した。それがこれ。
DSCF3442


































1909年(明治42年)3月29日、年熊泊鉱山で崩落事故が発生し、死者が31名が出たことを
慰霊する石碑だ。
裏側を見る。逆光でまったく読めないが、後日熊泊鉱山の歴史を調べたので紹介します。
DSCF3443


































1903年(明治36年)磯谷川の上流、熊泊山の東山麓に硫黄鉱が発見された。
1904年(明治37年)から硫黄に採掘のため操業、その5年後に大雪のため崩壊事故が起きて
31名の死者が出た。しかし、会社はその後も存続し、1916年には硫黄の産出は日本1位となっ
ている。

函館港まで運び、アメリカやオーストラリア、ロシアにまで輸出する重要な輸出品となっている。
主に、漂白用として使用された。例えば、羊毛の漂白。さらに火薬、マッチの原料、肥料などへ。

函館港への運搬は、馬車ではなく磯谷川の右岸に積み出し桟橋が出来て、3000トン~4000トン
の汽船が停泊出来るようになり、船で運ばれたそうだ。
そして、函館港から世界の港へと輸出されていった。

操業は、1953年(昭和28年)まで続けられたが需要がなく、閉山。最盛期は小学校まであった。
そして、その経営者の名を知り驚いた。

横浜の鉱山経営者、押野常松。彼は明治の時代、全国の鉱山を営んでいる。函館近辺では、
恵山の古武井川上流の硫黄鉱山、ここも最盛期は東洋最大の硫黄の鉱山だった。
他にも日本各地で金になるなら、どこでもどんなやり方でも試みた、いわば山師だ。

安全や環境保全を怠り、とにかく日本中の山を掘った人物で明治期の鉱山には必ずといっていい
ほど登場する鉱山主。各地で事故を起こしては犠牲者が出ていた。

なお、上の写真は忠魂碑。これは、全国各地で見られるもので郷土出身の兵隊が戦争で亡くなった
時に祀られているもの。

熊泊鉱山の慰霊碑の裏側には、有志が刻んだ文字が見えた。
DSCF3444


































大正14年とある。1925年に建てられた石碑。今から90年前のことだ。
明治42年に死者31名を出した事故があったこと、さらには昭和4年6月17日には駒ヶ岳の大噴火
により大量の降灰があって、操業も危ぶまれたこと、それでも昭和28年まで続けてきた熊泊鉱山、
そんな歴史を初めて知りました。

知らないことはたくさんあります。
古代ギリシアの哲学者ソクラテスは「無知の知」を呼びかけます。無知であることを知ろう。
つまり、真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まる、ということ。

この年になって(63歳)、知らなかったことはたくさんあるし、知りたいことも無限にある。
行きたい場所は日本中、世界中に無数にある。だから旅を続けるし、調べて納得するのです。

知を得る「ぼうけんの旅」まだまだ続きます。


にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。


昨日お伝えした磯谷温泉跡地。周囲を見渡してみましょう。
人家はもちろん1軒もない原野の真っただ中、しかもヒグマの生息エリア。
DSCF3473



















磯谷川に架かる、使用不能となった橋があった。その奥には、きちんと整備された石垣がある。
以前は、この橋を渡りさらに山中へと向かう道があったのだろうか?

明治時代、熊泊山山麓では硫黄の鉱山があって500人以上もの鉱夫が働いていたが、そこへ
通じる道なのか?

行って見たい気がするが、しかしここは源泉へと行かねばならぬ。
まずは林道を少し戻り、車を停める場所を探す。道の片側に何とか停めて周辺を探すと、あった!
人が歩ける道らしきものが。
DSCF3476



















中央より右側の道がそう。枯れ葉で覆われた道で一部ぬかるんでいる。
この道を歩くことにする。

地面の固い部分は、霜が降りて落ち葉は凍っているが、湯が流れてきている場所は泥んこ
の沼地が出来ている。
DSCF3472



















トレッキングシューズを履いてきたが、ローカットで泥が付き歩きづらい。
しばらく歩くと前方に温泉の湯気らしきもの発見!多分、源か?
DSCF3477



















枯れ葉を踏みしめて歩く道は快適のように思うけど、実際は泥沼があったりして何度か迂回
している。

そして、ふたをした場所へ。
DSCF3478



















縦横2mほどの屋根だが、プラスチックの波板は半分崩壊状態。
地面からの高さは30cmくらいで、覗くことが出来る。
DSCF3479



















コンコンと熱い湯が湧き出るている。ここが、源泉地だ。
ネットで「磯谷温泉」を検索すると、いろいろと出てくる。中には温度計を持って行って調べる人も
いた。それによりと、源泉は70度くらい。
熱いはずだ。手で触れても熱い!

ここから、何処へ流れて行ってるんだろう?
DSCF3480



















数メートルは地下に潜り、そのあとに地上に出て流れ、小さな滝を形成してさらに下に落ちて
いる。
DSCF3482



















辺りを見ると、すごい湯華が出来ていた。
この土の塊みたいのが湯華。踏むとふかふかし、まるで布団の上を歩いているみたい。

これを採取して、家の風呂に入れれば自然の入浴剤になるかな?それとも排水溝のパイプが
目詰まりするかも?
DSCF3481



















それにしても、すごい湯量だ。何百年にもわたり流れ出ている湯は、ものすごい湯華を形成して
いる。硫黄の臭いもキツイ!確か有毒のはず?長時間滞在すれば体には良くない。
DSCF3483



















最後に、もう一度源泉を見て引き返すことにしょう。
DSCF3484



















70度じゃ、とても熱くて入浴など出来ない。ここから流れ出て、昨日見た滝となって流れた場所が
50度だから、少し冷ませば入ることは可能か。

しかし、ここは熊のエリアだ長時間いることは危険だ。
車に戻る途中に、こんな小さな洞窟らしきものも発見した。
DSCF3486



















もしかしたら、ヒグマの冬眠場所?だとしたら、今は冬眠前?それとも冬眠中?
まだ雪が積もっていないからヒグマを冬期間の食料を求めて行動中?

北海道のヒグマは、最近増加傾向にあるそうだ。20年ほど前は、道内には4000頭とも云われて
いたけど、先日の新聞を読むと12000頭にまで増えているそうだ。

ハンターの高齢化による引退、若い人のなり手がない、保護地域の設定などが増加の理由か?
最近は「穴持たず」という冬眠しない熊がいるらしく、冬でも行動している。

思い出すのは、100年前の1915年(大正4年)12月9日~14日にかけて留萌管内の苫前町三毛別
で起きた三毛別(さんけべつ)羆事件だ。

体重340kg、体長2.7mのヒグマが数度にわたり民家を襲い、死亡者7名・負傷者3名を出した事件
は余りにも有名だ。今年で百年を迎える。

私の知人も熊に殺されている。20年ほど前になるが、渡島管内の木古内町、そう函館から40kmの
距離にあり、北海道新幹線が最初に停まる駅がある木古内。
その山中で渓流釣りをしていて、ばったり熊と遭遇して亡くなっている。

毎年のように、山菜取りで山中に入った人に犠牲者が出ている。
もう、帰ることにしょう。
DSCF3485



















熊さん、静かにしてネ。起きないでヨ。大きな声を出して起こさないからね。

ということで、磯谷温泉跡地の源泉を巡る「ぼうけんの旅」ひとまず終了します。
寒いけど、冷や汗をかきました。
では、また明日も南茅部町を紹介します。


にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。


戊辰戦争の時は、土方歳三らは歩いて台場山の砲台を攻めて勝利し、川汲(かっくみ)峠を越えま
したが、現在は峠の下にトンネルが二つあります。
戦後の昭和25年には、馬車しか通れなかった川汲山道が改修されて自動車道へとなり、函館バス
(株)が定期運行しています。

といっても、険しい山道でおまけに狭いとくる。かわすのもやっという一車線の砂利道は、相当難儀
した道でドライバー泣かせの道路だったはずだ。

私が小学校4年生の時に、父の知人の車で峠を越えたが、それは怖い道だったことを記憶している。
それも夜間だったし、道の片側は険しい崖で片側は山の連続で、いつまで続くのかと恐怖におののい
て、後部座席で縮こまっていたんじゃないかな、と想像する。

1968年(昭和43年)トンネルが完成する。さらに平成に入り、数年前にさらに下にトンネルが出来、
今では楽に峠を通過することが出来るようになった。

その峠を降りきった場所にあるのが、川汲温泉
DSCF3429



















清らかな流れを見せる川汲川の左岸にある、木造2階建ての古風な旅館。

川に架かる欄干もない橋を渡ると、すぐに日帰り入浴施設へ行くことが出来る。
DSCF3430



















左の窓が男性用の脱衣所で、奥が浴槽。窓を開けると川のせせらぎが聞こえる。
DSCF3431



















営業していると思うけど、実に閑静なたたずまいの温泉旅館だ。
DSCF3432


































ここで、温泉に入るわけではないが、道道沿いにありながらこんな静かな雰囲気の湯治場が
あるのも南茅部のいいところ。
DSCF3433


































本当に川は澄み切っている。

さて、タイトルにある磯谷温泉跡地へと行く。南茅部町の最北端の集落である双見(ふたみ)へと、
噴火湾沿いに北西方向へ走る。
やって来た場所は、磯谷川の河口。
DSCF3499



















奥に見える川の濁流は、水力発電のダムから流れ出た大量の水で、それに関しては後で触れます。
この磯谷川の上流に目指す磯谷温泉があったのだ。
DSCF3498



















そこで、左岸にある砂利道の林道を走る。急激な坂道を登るので、今までの後輪駆動から四駆へと
チェンジする。
私の車は、軽バンだが普段は後輪駆動だが、いざというときは四輪駆動へとボタンを押すだけで変
われる。だから、急な坂道を走る手前に四駆で登る。

もっとも冬場は、常時四駆で走っていますよ。

九十九折りの道を標高にして100mも登ると、左側が磯谷川の峡谷になっている狭くて険しい道に
なる。一歩間違えると、断崖絶壁の道から真っ逆さまだ。慎重にゆっくりとハンドルを握る。
そうこうして数キロメートル行くと。
DSCF3463



















道を横切るように温泉が流れている。
ここぞ、磯谷温泉跡地だ。
DSCF3464



















今でも、大量の暖かい湯がこんこんと流れて磯谷川に注いでいる。
車を停めて、周辺を歩くとつぶれたお宮のような建物が見えた。
DSCF3465



















きっと、ここの温泉の守り神だったのだろうか?二つの灯篭がしっかりと立っている。

実はここ磯谷温泉は、相当古くから知られていた湯治場らしい。
江戸時代末期の1845年、探検家にして浮世絵師の松浦武四郎が訪れていて、彼の著「蝦夷日誌
に「粗末な笹小屋がある湯治場。人家は2軒、アイヌ人の家も1軒。」と書かれている。

また、箱館在の赤川村より「磯谷道」が出来ていた、と江戸時代文化年間(1804~1817)の絵図にも
描かれている。その絵図には稲荷社も祀られている。だから、多分そのお宮なのかな?

それによれば、磯谷川の河口の海岸から山へ入ること16町(町「ちょう」は尺貫法の長さで109.09m)
だから、16町は約1744m。
実際は、それより相当林道を走っている感じがする。

3mの高さの石垣の上から、こんこんと大量の湯が流れ出ている。
誰か持ってきたのか、ステンレスの浴槽が置かれていた。入ろうとしたのですね。
DSCF3466



















先日、図書館で分厚い上下2冊の「南茅部町史」を調べたら、
1872年(明治5年)に熊泊村の川内庄三郎が温泉場を整備した。
1902年(明治35年)後の熊泊鉱山主となる横浜の押野常松が温泉場の家屋を改造し拡張している。

熊泊村とは、明治時代にあった熊泊山(817.9m)の東麓にあった村落の名で、硫黄鉱山があった村。

大正時代に入ると、浜谷きくさんが2階建ての温泉旅館「はまや旅館」全11室を建てている。
1932年(昭和7年)磯谷温泉 朝日旅館となる。

先ほどお伝えした私が子供の頃の記憶だが、川汲峠を越えて朝日旅館に宿泊したようだ。
峠の道もすごかったが、温泉に行く道はさらに険しく大変な道だったそうだ。(生前の父の話)

電気も通っておらず、ランプの灯りの下で食事したらしい。

しかし、残念ながら1973年(昭和48年)、旅館は東海不動産の所有となり、1985年(昭和60年)解体
されている。
DSCF3467



















流れ出ている口に手を当ててみると、湯温は50度くらい?に感じる。
流れ出る道沿いに形成されている湯華がすごい!
DSCF3468


































辺りは、車1台通らずまさに熊の生活エリアで、熊泊村とはよく言ったものだ。
鉱山があった明治時代は、人口は500人を越えて学校まであったというから今では考えられない
地域で、現在は山間部には一人も住んでいない。
DSCF3469



















滝のように流れ出る湯の源は、この奥にある。この石垣を登ることは出来ないので、この奥へ行く
道を探すことにする。

明日は、この磯谷温泉 朝日旅館の跡地の源泉へと向かいます。
幻の磯谷温泉跡地を見て、そして源泉へ、まさしく「ぼうけんの旅」いよいよクライマックスへ!



にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。


にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。


北海道新幹線は昨日で、開業まで100日となり今日はあと99日。連日新聞やテレビで騒がしい。
昨年は、何もなかった新函館北斗駅の駅前広場も少しずつ整備されてきて、開業日には新幹線
の駅らしく賑やかになることでしょう。

そんな新幹線開業で話題の北斗市とは、真逆の方向に当たる亀田半島の東側の町である
旧南茅部町、鉄道もない高齢者だらけの過疎地ですが、そこに魅力を感じて出かけてみました。

雪が完全に融けた12月の快晴、空気が澄んで遠くの山々もくっきりと見える日を選んで日帰りで
出掛けたプチ旅。

ということで、今日からしばらくは亀田半島の北東部に位置し、南東部は太平洋に北西部は噴火
湾に面した漁業の町、南茅部をミニ旅した「冬のプチ旅」をお伝えします。
DSCF3573



















我が家を出発し、鉄山町へ。文字通り昔鉄鉱石の鉱山があり「タタラ」もあって、小規模な製鉄が
行われていたそうだ。
「タタラ」とは、「たたら吹き」という日本古来の鉄つくりの技術で、砂鉄を原料に大きなふいご(たた
ら)を足で踏んで空気を炉に送る和製精錬法のこと。

道道83号線を北東方面へと進む。川汲(かっくみ)は、峠を越した南茅部町の集落の名前。

ここ鉄山は、今は採石場が道の左右にある。左側を見ると。
DSCF3574



















山が幾段にも削られて砂利を採取している。山の高さは100mほどか?道の右側を見る。
DSCF3575



















ここも同様だ。

さて、南茅部町は2004年12月1日に周辺の恵山町、椴法華村、戸井町とともに函館市に編入されて
いる。合併当時の人口は7278人。11年経った今は、恐らく5000人を切っているはずだ。
昭和40年代の最盛期は10000人を越えていたが、半減し今は準限界集落になっている。

川汲峠への途中に、汐泊川をせき止めた矢別ダムがある。
DSCF3568



















1976年完成の函館市の3つ目の水道を供給する水源地でもある。一つは横浜に次ぐ、日本で2番
目に古い貯水池の笹流ダム(赤川ダム)。二つ目は赤川ダムと同じ亀田川のさらに上流に出来た
中野ダム。

日の当たらない部分は凍結していた。
DSCF3569



















道路を挟んでダムの北側を見ると、林道があってお地蔵さんが置かれていた。
DSCF3571



















スノーモービル禁止の標識がある。積雪期に滅茶苦茶走るまくり、木々を倒し自然界を荒らしまくる
ので立ち入り禁止となっている。それでも、侵入者はいる。

お地蔵さんは、寒くて頭と胴体を覆っている。
DSCF3570



















さて、ここからは人家も稀な峠道。そしてクマ出没エリア。
こんな看板もあった。ヒグマ出没中!
DSCF3572



















そうなのだ。ここは、熊街道!
DSCF3426



















「この道 熊街道 注意!」 とあるけど、実際道路を横切る時もあるのだから怖い!

市内は暖かかったが、郊外に来ると空気は冷たく、日陰は霜が降りて落葉した葉っぱや草が凍って
いる。
DSCF3425



















バス停を発見。周囲には人家は1軒だけで他には見当たらず、利用者はいるのかな?と不思議
になる。
DSCF3427


































バス停の名は「紅葉山(もみじやま)」。奥の緑色の屋根、赤レンガの建物は無人。
道の反対側に藤野さんの夏季の住宅が1軒あるのみの場所。
それでも、バスは上り函館駅へ6便、下りは4便運行されている。
DSCF3428


































藤野さんのおじいさんは、ここ紅葉山周辺の所有者で、1920年代の大正時代に南茅部に至る山道
を開削し、その中間地点にあたるここ紅葉山に駅逓(えきてい)を造った人物。

駅逓とは、車のない時代の山道に休憩または宿泊するための建物で、人馬に対しての水や食料
の補給、荷物の預かりなどをしていた。

おじいさんは、1926年(大正15年)から1940年(昭和15年)まで15年間駅逓の取扱人をしていて、
お孫さんは、1991年(平成3年)初代の業績を偲び当時の写真や設計図を基にして駅逓を完全復元
した。
それが、「川汲山道驛逓所」。
DSCF3424



















藤野さんは、市街地の湯の川の住まわれていますが、ここはいわば別荘みたいなもので、
この駅逓の下に生活する家、それと農地と牧場がある。もちろん車で通勤(?)している。

自動車道が開通すると、おじいさんは湯川藤野自動車部を創設し、乗り合い自動車の運行を
始めている。
資料室の写真を見ると、何とフォード・シボレーを使用している。当時数少ない舶来品を使い、
何と豪華でモダンな事業を起こしたことか!

藤野自動車は、積雪期を除き1日2回と川汲と湯川の間を運転していて、それは1949年(昭和
24年)函館バスが運行し始める時まで続いた。
DSCF3423



















なおここは幕末、土方歳三ら旧幕府軍が峠の上の台場山の陣取る新政府軍を破り、五稜郭へと
進軍した道でもある。

峠の山頂にある「川汲参道のおいたち」にも書かれている。
「明治元年の1868年冬、現在の森町鷲の木に上陸した土方以下400名余りが峠を越えて、雪の中
官軍と戦い勝利して五稜郭へ入場した」と。

というわけで、峠を越えて旧南茅部街へと行きます。
ここは、まさしく熊街道。
20年前になるが、オフロードバイクでツーリングしていた時、林道で50m先にヒグマと遭遇したことが
あった。バイクだからすぐにUターン出来たら良かったけど、歩きだったらかなりやばかったと思う。

もちろん、歩きでは行きませんけどね。
大きなエゾシカと出会ったこともあった。まるで馬のような図体で巨大なエゾシカだった。

明日は、峠を降りて旧南茅部町へと入ります。



にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。



昨日お伝えした、函館の姉妹都市であるカナダのハリファックス市から運ばれたクリスマス
ツリーは、「幸せを呼ぶもみの木」として、その小さな葉っぱはラミネートされて栞(しおり)に
なって、翌年市民は手にすることが出来ます。
image
image


そのクリスマスツリーをもう一度別角度から見ましょう。
DSCF3372



















手前には、小さな可愛らしい教会があります。
DSCF3360



















モミの木の妖精の教会と呼ばれるミニ教会。内部を覗いて見ると。 カップルがしばらく入ったきりで、
なかなか出てきませんでした。何していたんだろうね?
DSCF3371



















そんな思わずニンマリさせるミニチャーチは、クリスマスファンタジーの期間中だけの限定。

ここは、二人だけのベンチ。狭いから二人座れば、くっ付いてしまう。それが狙いの幸せのベンチ。
DSCF3368



















下の黄色い塊は、船のロープを括り付けるための固定されたブロック。昔はここも港の一部で
船が停泊していました。
並びには、スターバックスがある。
DSCF3365



















手前の小さな青色2階建ての小屋は、ゴミ箱ではありませんよ。中にはクリスマス関連の小物類が
置かれていて、見る人をほんわりとさせてくれます。
そのとなりには、一番新しい店舗のラッキーピエロ ベイエリア本店。
DSCF3363



















市内と周辺の北斗市と七飯町合わせて17店舗。1年間のお客さんは180万人を突破した、との
こと。
DSCF3367



















12月25日は、年に一度のクリスマス ユニセフ ボランティア・キャンペーンで当日10円以上の
募金をすれば、オリジナルカレー、またはラッキーシェイクが無料になる。
みんなで一緒に善いことしよう!」と呼び掛けて、今年で19回目を数える。

日本中に誇れる地元限定のお店があるのは、市民としてとってもうれしいですね!

12月25日の無料キャンペーンは、すべてのお店ではなくカレーは10店舗、シェイクは7店舗。
各店先着500名限定とのことですので、事前に調べてから行った方がよろしいです。

それにしても、無料のカレーは5,000名、無料のシェイクは3500名だからすごい!
毎年何かしらの表彰されていて、今年はトリップアドバイザーエクセレンス認証を受賞しています。

ここのチャイニーズ・チキンバーガーは超人気商品で日本1の味、1年間で30万個売れていて、
まさしくラッピ(ラッキーピエロ)は地元の誇りです!
DSCF3361



















朝早い(9時頃)のにも関わらず、中国人や台湾人は元気だ。
DSCF3362



















慣れない凍結した道をおっかなびっくり歩いている。それでも、声は人3倍。大声で話しているから
直ぐに分かる。
DSCF3369



















紫色の浮き桟橋は地元企業の富士サルベージ。1951年創業の海難救助、海洋汚染防止を主事業
として日本各地で活動している。

船舶の救助、船骸撤去、流出油の防除などを行い、今年夏の苫小牧沖の大型フェリーの火災の際
も活動していたことは、テレビでも知っていた。

この会社も、地元企業として全国に誇れるものです。

七財橋へ向かう。
DSCF3373



















橋の途中で撮った赤レンガ倉庫。ここにもサンタさんが壁をよじ登っている。

幕末の開港時、倉庫建設の立役者となった石川七財からその名が付いたそうな。
運河が出来ていて、掘割の防波堤の役割も兼ねている。石垣造りの緩やかなアーチ型の橋。
その上から見た運河。
DSCF3374



















と逆の函館湾。対岸に見えるのは、人口の島である緑の島。
DSCF3375



















函館山方向を見る。
DSCF3376



















赤レンガ倉庫群の中には、観光客も来ないひっそりとした小路もある。
DSCF3379



















如何にも重たい扉は、がっちりと閉まっていて錆び付いている。ここはお土産売り場などに利用されて
いないのですね。
ショッピング・モールやイベント会場などに活用して、多くの観光客を集めている倉庫もあるが、ここの
ようにまったく利用されていないのもあります。

というわけで、あと1週間に迫ったクリスマスで賑わう函館クリスマスファンタジーの会場からお伝えし
ました。



にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。



1998年に始まった函館クリスマスファンタジーが今年も11月28日からスタートし、12月25日まで
行われます。
そこで、会場となったウォーターフロントの西部地区へと出かけてみました。
やっぱり、クリスマスというくらいだから雪がないといけませんね。だから、雪が降って積もった日を
選びました。
DSCF3349



















赤レンガ倉庫群が立ち並び函館湾に面する西部地区には、早速いくつものクリスマスツリーが
ある。夜だとイルミネーションがきれいに輝くのだろう。

街路灯もカッコいい。トナカイに曳かせたそりに乗ったサンタクロースの飾りがこれまた素敵だ。
DSCF3350


































道は凍結していて歩くのには慎重になるけど、やっぱり雪が似合う。
12月初めの降雪した次の日を狙っていました。
今日12月16日は暖かくて雪はまったくなく、まるで春のような雰囲気だから、今日行ったらミスマッチ
だっただろう。
DSCF3351



















正面に高さ20mの巨大なモミの木が見えてきた。
このツリーは「幸せを呼ぶモミの木」でカナダの東海岸、大西洋に面したノバスコシア州の州都
ハリファックス市から届いたもの。
18000kmもの距離があるのに、長い時間をかけて運ばれて来ました。
DSCF3352



















ハリファックスとは、星の形をした城塞がある縁で姉妹都市の関係があります。
五稜郭の形をした城があるのですね。
DSCF3353




















ちなみに、ハリファックスは「赤毛のアン」の作者モンゴメリーが学生時代を過ごした町ですし、
旧市街地のルーネンバーグは世界遺産になっているなど、函館同様に観光都市でもあるのですよ。
DSCF3354



















一青窈の代表曲「ハナミズキ」は、2010年の映画「ハナミズキ」となりハリファックスでもロケーション
が行われました。
ベギーズコープの灯台があって、主人公の稲垣結衣と生田斗真が登場してましたね。
主に釧路で撮影されていましたが、ハリファックスも舞台の一つだったのです。
DSCF3355



















街並みは、北海道遺産に選定されているし、重要伝統的建造物保存地区でもある。

この場所、幕末には造船所や外国人居留地があった埋立地で、1872年(明治5年)開拓使の官吏
であった福士成豊により、日本人による最初の気象観測が行われた場所でもあるのです。
DSCF3357



















そんな幕末の1863年(文久3年)に大分県出身の渡邉熊四郎が、長崎県より開港して8年目の
箱館に渡り、6年後の1869年(明治2年)金森森屋洋物店を開業したのが、赤レンガ倉庫の起源
だそうです。

同年は、戊辰戦争最後の戦いである箱館・五稜郭の戦いがあった年で、榎本武揚や土方歳三らの
旧幕府軍が洋装の新政府軍に敗退するのを見て、「洋服の時代来たる!」と確信して洋服屋を始
めたそうで、先見の明ありですね。
DSCF3358



















屋号は森屋。曲尺(かねじゃく、と読む。金にもかけています。)に森も字をトレードマークにした
商標は開業時からのもの。
曲尺の記号には、律義で真っすぐという意味があって、商売には駆け引き無用の初代の心意気
がしのばれます。
倉庫群は、1887年(明治20年)より営業を始めたそうで、その倉庫も不要となっていたものを
買い取ったらしく、それまた先見の明があります。
なぜなら、1890年頃より海運業が栄えて、それまでの不振だった倉庫業が一転し倉庫の数が不足
するほどだったらしいです。
DSCF3359



















背中のリュックには、何のプレゼントが入っているのかな?
DSCF3364



















午前中にもかかわらず観光客が大勢来ていました。それも中国語が多い。多分台湾からの人たち
だろう。自撮り棒を持って、盛んにスマホのシャッターを押している。
DSCF3366



















このサンタさん、もう少しで屋根に届きそう。屋根の上の煙突か中に入るのかな?
黒長靴が似合っていますネェ!

最後に、もう一度ツリーを見ましょう。
DSCF3356



































DSCF3378



















夜になると、20万個のLEDイルミネーションが輝くとか、夜の方が絶対見る価値あり!
赤レンガ倉庫群も点灯しますよ。

というわけで、1998年から始まり今年で18回目を迎えた函館クリスマスファンタジーを紹介しました。
明日は、クリスマスファンタジー会場の周辺を紹介しますので、続きます!



にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。

↑このページのトップヘ