いよいよ、今日で2015年は終了。明日からは2016年が始まりますね。
さて、冬のプチ旅の再開です。前回に引き続き再び南茅部町から。12月24日のクリスマス・イブ
のこれまた青天の日に出掛け、取材・調査をしてきましたのでアップします。
我が家を出て1時間、雪のない川汲峠を越えて川汲(かっくみ)の集落に到着。早速川汲漁港へと
行きました。

前回同様、この日も快晴。空には雲一つなく、海はまったく波もなく穏やか。

北の方向を見る。左の山は熊泊山。何度も登場している山だが、かつての硫黄鉱山があった
ことは、今はほとんどの人は知らない。
地元の人に聞いても、知っていた人はいなかった。何せ、明治時代のことだったから。
沖合を見ると、大謀網(だいぼうあみ)が仕掛けられている。

定置網の一つで、岸近くから沖にかけて張る垣網と魚の入る網口を開けた楕円球の身網とから
なり、沿岸を回遊するブリ・マグロ・イワシ・ニシンなどを捕獲するのが目的の漁獲方法の一つ。
垣網の長さが1500mにも及ぶものがある、という。
垣網とは、漁群を本網などに導くするために水中に垣根のように張る網のこと。いわば魚を誘導
する道のこと。一方、身網は魚を確保する網のことですね。

ズームすると、一人乗りの船外機付き小舟で漁をしているのが見える。
実は、江戸時代の末期1839年に、地元の漁師たちが考えたがやり方が分からない。そこで、
尾札部の網元である飯田屋の三代目与五左衛門が、南部(今の岩手県)の漁師である田鎖
丹蔵(たぐさり たんぞう)を招いて、尾札部集落の外れにある黒鷲岬の沖合にマグロの大謀網
を建てたのが始まりで、その後全国へ広がっていった、という。
同時期に、臼尻地区の小川屋幸吉が辯天島でも行っている。
臼尻地区もまた、何回も出てきた集落だし辨天島は北大の実験所があった場所ですね。
その大謀網の網と浮きが陸揚げしてあったので近くで見ることにした。


かなり大きな浮きで、大きさはバスケットボールよりも大きい。かなりの臭いがする。潮の臭い
というより、少し腐敗物っぽい臭い。

網というより、綱引きに使われるような太い網で、その網にびっしりとカラス貝が付いている。

そのカラス貝の実を食べにカラスが何羽もいる。近づけばカラスは逃げるが、遠ざかると、
またやって来て実を食べる。まったくカラス貝とはよく言ったものだ。
ということで、今回からは南茅部町の南半分を紹介していきます。
さて2015年も終わり、明日からは2016年です。今年は何処へ行こうか?
また来年もよろいく応援お願いします!
























































































































































































