昨夜のファイターズは、ライオンズの岸投手の前に手も足も出せずに完敗でした。
でも、残すところ2試合となった今夜は、満を持して大谷投手が投げます。きっと、
いや絶対に勝利するはず。今夜で優勝を決めよう!
さて、太田集落の太田山神社のある円空像です。
円空は、江戸時代前半のお坊さん。1632年~1695年というから63歳の、当時としては
長寿の人生を送った人です。

生涯に約12万体の仏像を彫ったと推定されていて、北は北海道から南は三重県や
奈良県にまで及んでいます。
現在までに5300体以上の像が発見されています。生まれは美濃の国、現在の岐阜県。

1666年、彼は弘前城を追われて蝦夷地・松前に渡ったそうです。北海道の円空像は、
道南地方に多く分布し、ここにあるのもその一つ。
旅の宿代や食事の支払いに、仏像を彫って置いていく。彼の旅は究極の放浪の旅。
北海道に渡った時は、34歳の時で旅するには最高の年代だった。
とにかく、すごい旅人で我々の大先輩にあたる人物です。
左下に鳥居が見えますね。そこから登り始めて、荒々しい岩肌が見える山頂付近に
洞窟があって、そこが神聖な祈りの場です。
険しく急傾斜の登りが連続して、誰もが気軽に参拝できるわけではない。
だからこそ、日本一危険な神社の異名を持つのでしょうね。

左端が尾花岬で、北海道最西端だが、長いトンネルで通過するだけ。岬の突端に行く
ことは出来ません。
海岸線に太田集落があって、現在は漁業中心の十数軒の人家が海に沿ってならんでいます。
高台には、2001年廃校となった太田小学校の校舎が今も存在しています。
1993年春、沖合で大地震が発生しました。奥尻島などを襲った大津波は、ここ太田集落にも
達し、犠牲者も出ました。せたな町に合併された大成(たいせい)町では、最大30メートルを
越す津波が押しよせた、といいます。
太田神社の横には、彼らを悼む慰霊碑もありました。

村社となっていて、文字通り太田集落の守り神。太田神社と太田山神社の二つの名前が
付いていますね。どちらでもいいのかな?


15世紀には、すでに神社が創建されています。
美濃の国の僧、円空が大日如来像を奉納したことも書かれています。

電気のない時代、灯台の代わりにこの常夜灯を灯して、船が座礁しないように目印に
したのです。
それにしても背後の断崖絶壁の崖は、余りにも険しすぎる。よく登山道を切り開いた、と
感心するとともに、信仰の力は大きいと感じました。

そんなわけで、ここから3時間ほどで帰宅。夏の旅は、無事終了。
さて、2016年秋の旅は南へ向けて、10月にスタートする予定です。
目的地は、南。何処へ行くのか?それは旅が始まってからのお楽しみ、ということで。
では、また!

















































































































































































































