函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めた車中泊中心の「ぼうけんの旅」は今年で13 年目に突入。 車中泊の貧乏旅行の旅、今年で74歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 今年2026年も「ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです! 今年も「ぼうけんの旅」をよろしくお願いいたします。

2026年が明け今年は74歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!時々は自転車を積んでの軽バン一人旅の始まりです。

2016年09月

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昨夜のファイターズは、ライオンズの岸投手の前に手も足も出せずに完敗でした。
でも、残すところ2試合となった今夜は、満を持して大谷投手が投げます。きっと、
いや絶対に勝利するはず。今夜で優勝を決めよう!

さて、太田集落の太田山神社のある円空像です。
円空は、江戸時代前半のお坊さん。1632年~1695年というから63歳の、当時としては
長寿の人生を送った人です。
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生涯に約12万体の仏像を彫ったと推定されていて、北は北海道から南は三重県や
奈良県にまで及んでいます。
現在までに5300体以上の像が発見されています。生まれは美濃の国、現在の岐阜県。
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1666年、彼は弘前城を追われて蝦夷地・松前に渡ったそうです。北海道の円空像は、
道南地方に多く分布し、ここにあるのもその一つ。

旅の宿代や食事の支払いに、仏像を彫って置いていく。彼の旅は究極の放浪の旅。
北海道に渡った時は、34歳の時で旅するには最高の年代だった。

とにかく、すごい旅人で我々の大先輩にあたる人物です。

左下に鳥居が見えますね。そこから登り始めて、荒々しい岩肌が見える山頂付近に
洞窟があって、そこが神聖な祈りの場です。
険しく急傾斜の登りが連続して、誰もが気軽に参拝できるわけではない。

だからこそ、日本一危険な神社の異名を持つのでしょうね。
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左端が尾花岬で、北海道最西端だが、長いトンネルで通過するだけ。岬の突端に行く
ことは出来ません。

海岸線に太田集落があって、現在は漁業中心の十数軒の人家が海に沿ってならんでいます。
高台には、2001年廃校となった太田小学校の校舎が今も存在しています。

1993年春、沖合で大地震が発生しました。奥尻島などを襲った大津波は、ここ太田集落にも
達し、犠牲者も出ました。せたな町に合併された大成(たいせい)町では、最大30メートルを
越す津波が押しよせた、といいます。

太田神社の横には、彼らを悼む慰霊碑もありました。
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村社となっていて、文字通り太田集落の守り神。太田神社と太田山神社の二つの名前が
付いていますね。どちらでもいいのかな?
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15世紀には、すでに神社が創建されています。
美濃の国の僧、円空が大日如来像を奉納したことも書かれています。
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電気のない時代、灯台の代わりにこの常夜灯を灯して、船が座礁しないように目印に
したのです。

それにしても背後の断崖絶壁の崖は、余りにも険しすぎる。よく登山道を切り開いた、と
感心するとともに、信仰の力は大きいと感じました。
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そんなわけで、ここから3時間ほどで帰宅。夏の旅は、無事終了。

さて、2016年秋の旅は南へ向けて、10月にスタートする予定です。
目的地は、南。何処へ行くのか?それは旅が始まってからのお楽しみ、ということで。
では、また!

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ついに、ファイターズ、マジック1となりました。昨日はバッファローズとの一戦、薄氷の勝利
でしたが、ホークスが延長で敗退。今日、西武ドームでのライオンズ戦で勝利すると優勝!

でも、投手が吉川なのが少し心配です。ですが、きっと今日は彼も大丈夫。チームワークで
乗り切ったこの一年、みんなで優勝を勝ち取ることを期待します。

今夜6時から、今日もBS・NHKで応援します。

さて、ここは道南せたな町北桧山区太櫓(ふとろ)集落からせたな町大成区太田集落への
途中の海岸線。
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長い間海岸線を走る道はなく、内陸部を走りかなり迂回しなければ両地区はつながら
なかったが、3年前の2013年5月24日、両地区の住民の願いが叶い海沿いを走る道路が
完成しました。
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北海道最西端の尾花岬を通る道道740号線の道で、長いトンネルで結ばれました。
やがて、太田集落へ到着。

ご覧のように、険し断崖絶壁の海岸線。とても荒々しい場所で、道路の開通が出来なかった
ことをうかがわせます。右側に漁港があり、十数軒の集落が存在します。
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ここにあるのが太田山神社。この急傾斜の階段を見てもお分かりのように、ここは
日本一危険な神社」としてテレビやネットで知られています。
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江戸時代の旅人、菅江真澄も訪れているんですね。
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神社の由来は、この説明をお読みいただければ分かります。
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江戸時代前半に、孤高の漂流僧円空も訪ねて来て、山頂の洞窟にこもり仏像を刻んで
いるし、江戸末期には北海道の名付け親である松浦武四郎も来ているんですね。

たまたまライダーが来て登り始めました。
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狭くて険しい階段は、ロープが付けられていて、特に下りは怖い。自分は2度登っているが、
今回はパス。
ライダーの彼には、ゆっくり歩いて1時間弱などいろいろと伝え気を付けて登ってらっしゃい、
と激励した。

少しすると、地元消防隊の救助隊のトレーニングが始まった。
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右端の隊長さんの話では、先日山頂付近で動けなくなった登山者がいたので、それの
救助訓練だそうで、20代の若い重装備の隊員たちが登っていった。

さすがに訓練しているだけのことはあります。ヘルメット、びっしりと道具が詰まった重い
リック、肩にはザイル、先の三人は担架まで持って軽々と歩んでいきました。
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あっという間に、この急階段を登って山道へと。ご苦労様です!

それを眺めていたら南からリヤカーマンがやって来ました。今朝に引き続き二人目の
リヤカーを引く旅人です。
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東京都青梅市の60歳を越えた方で、鹿児島県佐多岬から出発し宗谷岬まで行く予定
とのこと。
このリヤカーは、15万円で購入したアルミ製のものを自分で改造して旅仕様にしたもの。
様々な旅の話を聞かせてもらいました。
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自分と同年代の旅人で、この先の道のことを説明した後に歩き始めました。頑張って!と
云ったら「頑張らないよ。のんびりと、ゆっくり行くんだから。頑張ったらつぶれてしまうから。」
と。自分のペースで歩くのが一番いいんでだ、そうです。

1日30km平均で、気に入った場所でテントを張る。彼は、そんな最高の旅を楽しんでいました。

日本一危険な神社で、ステキな旅人と出会い感動!

これだから旅は面白い。いろいろな旅人がいてそれぞれ自分の旅をしている。旅のスタイルは
別にして旅を楽しんでいるな、と。

「Enjoy your trip?」 この言葉は、若い時分にオーストラリアを旅した時、大陸横断バスの
車内で高齢の老女から話しかけられた言葉です。

「旅を楽しんでいるかい?」

そう、旅は楽しいものです。そろそろ秋の旅に出掛けたくなりました。私も旅に出よう!
ファイターズの優勝を見届けたら出発することにしよう、っと。

では、また!

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いよいよマジック3となったファイターズ、優勝が見えてきました。今までは、強いホークスの
反撃に少しは怖さもありましたが、ここまで来れば大丈夫。

今夜もBSNHKで放送されるので、対バッファローズ戦きっと勝つでしょう。

さて、今日の1枚目は昨夜の車中泊した島牧村の運動公園。奥の建物が道の駅だが、
目の前がグランドで、外野の逆側に車を停めて車中泊したのでした。

リヤカーを引いている方は、幟に書いてあるように「リヤカーバトンで日本一周」をしている
埼玉県の金子さん。ここ運動公園でテント泊まりしていて、昨夜からお話うかがいました。
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リヤカーに必要な道具類を詰め込み、北海道を歩き本州で次の担い手に引く次ぐ、という
面白い発想で「リヤカーバトン」して日本中を歩きという。

実にユニークな方でした。

島牧から日本海沿いを走りせたな町へと。この辺りは、道南最高峰の山である狩場山
(1519.9m)の険しい岩場が、海に落ちている断崖絶壁が続く海岸線。
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長いこと道路の建設が出来ず不通区間だったけど、茂津多(もった)トンネルの開通、
国道229号線の舗装化で30年ほど前に開通した、今は快適な道です。
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茂津多岬の記念碑もあります。背後の崖は、狩場山の一部を構成する険しい崖。
せたな町の須築地区から一車線の林道を走り、茂津多灯台へ。
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ここは、まさにヒグマのテリトリー。ここから狩場山への登山道もある。
そして、ここは日本一高い灯台
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海岸から灯台の先端までの本一の高さです。それまでは、京都府丹後半島の経ケ崎
灯台(2015年春の旅で訪問)だったが、三角屋根を取り付けて日本一になったのです。
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残念ながら、霧が深く奥尻島は見えず。
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というわけで、どんどん南下してせたな町の三本杉海水浴場へ到着。
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海水温は、それほど高くはないし天候が肌寒いけど、短い夏休みの北海道では
数少ない海に入る機会です。

でも、よくよく見ると水着の人は誰もいない。砂遊びをしているだけですね。
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ということで、さらに南下してせたな町の太田集落へ向かうことにしました。
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明日は、太田集落にある日本一危険な神社へと行きます。そこで、再びリヤカー・マンと
出会うのです。その方は何と60歳代。島牧のリヤカー・マンは40歳代だったけど、太田で
あった彼は、退職後に始めに鹿児島県佐多岬から宗谷岬を目指すという日本縦断の旅、
です。

それを、明日は詳しくお伝えします。

では、また!

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昨日は、ファイターズ勝利してマジック5としました。優勝まであと5勝です。9月30日には、
最後の札幌ドームの試合があり、その時までに優勝が決定していれば、今年限りで引退を
表明している武田勝投手の最後の姿が見られそうです。

今日もゲームがあ、北海道のファンは祈るような気持ちで応援しています。何とか勝って
さらにマジック4へと!今日は高梨投手、頑張れ!

さて、小樽総合博物館の鉄道関連の施設。
2階から見ると、「しづか号」の雄姿が見れます。カッコいいですね。
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外に出て見ましょう。広い敷地内は、旧手宮鉄道施設
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国の重要文化財に指定された煉瓦造りの機関車庫、転車台、貯水槽、危険品庫などを見る
事が出来ます。
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この転車台は今も現役で、アメリカのH・Kポーター社製のアイアンホース号が客車を引いて、
構内の線路を走るのです。

これがそのアイアンホース号。明治42年(1909年)にアメリカで製造されて、北アメリカ大陸や
中央アメリカのグアテラマで走っていて、小樽にやって来ました。何と、御年107歳。かなりの
長寿!

夏季期間のみですが、転車台でぐるりと回転し乗客を乗せて走ります。それは、無料で運行
されるのですから、うれしいです。
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こちらは明治28年(1895年)、北海道炭鉱鉄道手宮工場で完成。純日本製の蒸気機関車
としては、第2号目。現在見ることが出来、走ることが出来るなかでは最古の蒸気機関車
です。

しづか号を手本にして外国人指導者から手ほどきを受けずに、日本人だけの技術で完成
した作品です。名前は、大勝号
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これまた珍しいディーゼル車キハ031。路面電車波の車体。
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屋外展示場のホームには、かつて北海道で活躍した鉄道車両が数多く並んでいます。
それにしても広い!真夏のの30度を越す暑さの中で歩くのはしんどいけど、普段目にする
ことなど出来ないものばかり。しっかりと目に焼き付けます。
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北海道鉄道開通起点標。いわゆるゼロマイルの標柱です。北海道の鉄道は、ここから
始まったことを示す地点です。
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時間となって転車台を動かすみたい。何人かの家族連れが乗車するようですね。
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再び屋内に入り、企画展を見ます。
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ゴールデンカムイ」の中の小樽、としてアニメの「ゴールデンカムイ」の特集がありました。
2016年マンガ大賞を受賞した作品で、週刊ヤングジャンプに連載中とのこと。

古き良き時代の小樽が描かれていて、歴史の勉強にもなりとても面白い作品ですね。
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小樽最後の写真は、北海道鉄道の父、アメリカ人のクロフォードの像。

ということで、小樽総合博物館は小樽市手宮1-3-6にあります。
入場料は大人400円、冬期間は300円になるのは外の施設が閉鎖されるからでしょう。

年間パスポートが1000円なのは、うれしい。地元に住んでいたら年間パスポートを買って
10回以上は行きますね。

その日の宿泊場所は、同じ後志(しりべし)管内の島牧村の道の駅のとなりの運動公園。
道の駅は、どうしても夜中にトラックがやって来て、エンジン音を切らずに一晩中鳴らして
いるので、出来れば避けたいからです。

ここは知っている地だから、いつも島牧に来ると運動公園で車中泊しています。
明日は、最後の日。どんな出会いがあるか?それを楽しみにします。

では、また!

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昨夜は前日に続きファイターズ、ホークスを破りパ・リーグ優勝へと大きく前進しました。
マジック6が点灯した今夜は、地元札幌ドームで楽天イーグルスと3連戦。

3連勝して逆転優勝へと、突っ走ってもらいたいです。一時期は11.5ゲーム差も離されて
いて、2位狙いか?とも揶揄されていた時期もありましたが、15連勝という球団記録を達成し、
一気に追いつくことが出来ましたからね。

さぁ、あともう少し!今年は広島カープと日本1の座を賭けて戦うぞ!

さて、廃止の噂高い札沼線の、しかし、ここから札幌駅までは絶対廃止されないはずの
北海道医療大学駅
ご覧のように電車です。電化されていて、屋根にはパンタグラフまでありますね。

ということは、札幌駅を出発したこの電車の終点がここだということです。なぜなら
この先は電化されていません。この先は単線非電化のディーゼル車が走っているから。
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駅に佇んでいたら、乗客はほとんどが若い男女で、今までのような高齢者は見当たらない。
それもそのはず、ここの大学で学んでいる学生たち。看護学校もあるから、女性が多い。

服装もファッショナブルで、あか抜けている。さすがに、もうここは札幌通学圏であり、通勤圏。
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これで学園都市線の愛称が付けられていることが分かりましたね。
背後には、いくつものビルがあってすべて大学の建物。
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多くの学生たちがいましたが、カメラを構えて写すわけにはいかない。不審者扱いされたら
たまったものじゃありません。山形県鶴岡市で、警察官から盗撮者扱いされたましたからね。
(2016年4月春の旅)。

ホントに女子大生が多かったです。今まで旅してきた土地とは、全然違う。

この日の最後は、石狩当別駅。大きな駅の建物です。入線する列車も数多く、札幌通勤する
ための駅です。サラリーマンや学生、高校生たちが利用するのでしょうね。
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駐車スペースを見つけるのも一苦労。この日は、近郊の新篠津村の道の駅で車中泊。
道の駅には、温泉施設もあり500円で入浴。汗まみれの体を洗い、自炊してのんびりと
時間を過ごしました。

翌朝、最初の駅は「石狩太美(いしかり ふとみ)駅」。
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朝7時前、カメラを構えていると通勤客が大勢やってきます。自転車で来る人や車で送って
もらう人も。この写真では分かりづらいですが、たくさんの通勤客がやって来たのです。

さて、帰宅も近づいてきた夏の旅、本日の目的地は小樽。小樽市にある総合博物館を訪ね
ます。
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ナビをセットして1時間30分ほど走り到着。でも、開館まで15分ほど時間がある。その間
周辺を散歩します。
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まずは、売店へ。鉄道ファン垂涎のグッズが売られている。欲しいものもいくつかりましたけど、
ここは我慢。

この日は、夏休みの一環で子供たちに科学の興味を引くイベントが開かれる予定で、関係者が
いろいろと慌ただしく準備していました。
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9:30オープン。400円支払い、第一号で入館。
主に、北海道の鉄道関係を知る博物館だが、他にも科学や小樽の歴史など総合的な博物館
で、それで名前を「小樽市総合博物館」という。
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上の写真は、蒸気機関車資料館。主に、小樽築港機関区で使用されていた工具・ゲージ
類と蒸気機関車の部品を展示している。

精密に作られた模型は、縮尺5分の1。
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ラッセル車も展示。
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なお、駐車料金は必要ありません。無料です。
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それでは、メインの「しずか号」を見ましょう。
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北海道近代化の初期に活躍した蒸気機関車の「しづか号」。北海道最初の鉄道「幌内鉄道
が1880年(明治13年)に誕生した4年後の1884年(明治17年)に、アメリカかで製造され、
翌年の1885年に小樽市手宮に配車された機関車です。

幌内(三笠市)と小樽市手宮を結ぶ路線は、日本で3番目に古い鉄道です。
新橋・横浜間、大阪・神戸間に次ぐものですから、いかに重要な鉄道だったか、が分かります。
それは主に乗客を運ぶ鉄道だった前の二つの鉄道と違い、重要なエネルギー資源の石炭
運ぶための鉄道として建設されたからです。

アメリカで製造されただけあって、一番前には「カウ・キャッチャー」がありますね。
牛除けのバンパーです。オーストラリアの郊外を走る車には、「カンガルー・バンパー」が
付けられているように、19世紀後半のアメリカ大陸横断鉄道には、牛を避けるための部品が
あったのですね。

内部を見ましょう。
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豪華な造りですね。まるで西部劇時代の鉄道みたい。
明日に向かって撃て」の主人公、ブッチとサンダースの二人が鉄道強盗をした時の
列車みたい。
あの時のロバート・レッドフォードポールニューマンの二人はカッコよかったですね。
音楽も良かった。「雨に濡れても」は最高でした。
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鉄道展示室には転車台の模型も。あとで、本物を見に行きます。
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三笠市の鉄道記念館(2016年6月 初夏の旅)も良かったが、ここは規模が全然違う。
ここで1日過ごせそう。
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というわけで、小樽市総合博物館を見学しています。明日もここで見たことをお伝えします。
では、また!

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さぁ、今日からファイターズは、福岡の地でホークスと首位決戦の2連戦が始まります。
この二日間で、今年のパリーグの優勝が決まる!と云っても過言ではない。

今晩は、午後6時からテレビの前で、しっかりと応援いたします!頑張れ!ファイターズ!
大谷選手、投げる方と打つ方の二刀流で勝利して下さい!


さて、石狩月形駅。月形駅は、日本広しといえどもここにしかないが、以前開業時に同音の
駅が存在したために、国名が石狩が付けられたそうです。

その「つきがた」駅が、何処にあったのか?調べたけど分からずじまいで、何処の駅だった
のでしょうね。
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駅から歩いて数分の場所にあるのが月形樺戸博物館。町立の博物館だが、見応え十分の
文化施設です。入館料は大人300円。午前9:30~午後5:00まで開館。
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スミマセン。また同じミスをしてしまいました。
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明治時代の1882年から大正時代の1919年にかけて、39年間月形町に樺戸集治監があり、
国事犯や一般刑事犯を収容していた施設でした。

月形町の名の由来となった初代典獄(所長のこと)月形潔は、江戸末期の福岡藩士で明治
時代の官僚。樺戸(かばと)と呼ばれていたここ月形へやって来て集治監、つまり刑務所の
建設を決めました。

逃げようにも石狩川の湿地帯があって、逃亡困難の地だったからです。
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網走でもお伝えしたように、明治時代の前半は薩長の独裁による政治に多くの人々が
叛旗を翻します。例えば各地で見られた士族の反乱、その最たるものが西郷隆盛を推した
西南戦争です。

さらに自由民権運動を起こした農民たち、秩父事件は余りにも有名ですね。
その彼らが政治犯として、思想犯として捕らえられ連れてこられたのが北海道です。

目的は道路の建設。そのために本州から連行された囚人たちは、寒さと飢えに耐え北海道
を開拓するための道を切り開いて行ったのです。
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前庭には、その月形潔の像が。
なお、樺戸集治監の剣術師範として赴任したのが、何と‼ 驚くなかれ、新選組永倉新八
でした。1882年から1886年まで4年間指導していたのです。

次の知来乙駅へと向かいます。それにしても、難しい名前の駅が続きますね。
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ホームの傍らに待合室があったけど、この時は工事中で車が何台か駐車していました。
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次が月ヶ岡駅
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駅の待合室を兼ねたログハウス風の建物は、立派だが利用されていないように見える。
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続いて、中小屋駅へ。
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新十津川駅から、ずっと同じ光景が続く。駅の東側、つまり石狩川の左岸沿いには水田が
広がり石狩平野の一部を構成している。一方右岸では、駅の西側にピンネシリ(1100.3m)を
最高峰として、最後は日本海にまで延びる暑寒別岳(1492m)まで続く増毛山地がある。

ピンネシリと聞いて、道北の天北線跡地を探って来た時に、敏音知(ピンネシリ)駅があり
ましたね。敏音知岳という山もありましたけど、同音同名です。
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東は田んぼ、西は山が延々と続いているのです。
石狩川は、かつてものすごい蛇行をしていた河川で、各地にその残りの河跡湖、三日月湖
がある。河川改修が進み、以前360kmあって日本第二位の長さを誇る川だったが、今では
100kmほど短縮され260km。それでも、信濃川、利根川に次ぐ第三位の日本を代表する
河川で、もちろん北海道1位。
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続いて本中小屋駅。本は「ほん」と読まず、「もと」と発音します。
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それにしても、町の中心部以外の駅はほとんど貨車改良型の駅舎で、殺風景だし
かなり錆び付いている。
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続いて石狩金沢駅
本家の金沢駅は、新幹線開通による斬新な駅が建設されたが、ここは貨車の箱。
同じ金沢でも、全然違う。
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駅の周辺風景は、今まで見てきた札沼線の駅と変わらぬ風景。
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ということで、非電化単線の札沼線を見てきました。明日は、今までと全く違う駅となる
北海道医療大学駅へ行きます。
そこは電化複線の都会型電車で、行きかう人々は大勢の若い男女たち。

今までと全然違う風景がそこにはありました。それについては明日!
では、また!

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下徳富(しもとっぷ)駅の次は、南下徳富駅。ご覧のように、田園地帯の真っただ中。
ホームのみの簡素な駅で、待合室もない。
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路線の名前が「学園都市線」となっていますが、実は札沼線の愛称が「学園都市線」。
なぜなのか?は後程わかります。

それにしても、見渡す限りの田んぼ。稲穂が青々として、立派に育っています。
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続いて於札内(おさつない)駅へ。小さいけど待合室があるのは、乗客にとってはうれしい。
特に、雨の日や冬の寒い日、吹雪かれたときなどは助かりますね。
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続いて鶴沼駅。線路と並行して走る国道275号線沿いには、道の駅「つるぬま」もあるし、
浦臼温泉の温泉施設もある。さらには、隣接して鶴沼公園キャンプ場もある。
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スミマセン。同じ写真を使ってしまいました。鶴沼駅もホームのみ。
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浦臼駅は、浦臼町の中心街にあり駅のそばには町役場もあってか駅の建物は大きい。
浦臼町の人口は、1985人(2015年国勢調査)で、5年前の2010年の2206人より、10%も
減少している。5年で1割だと、50年経つと人口ゼロになってしまう計算だ。

産業がないと、若い人たちにとっては働く場がない、ということ。高校を出ても地元に残れない。
札幌へと流れていってしまう。

札幌市の人口は、2015年で1,953,784人。間もなく200万都市へなることでしょう。市では、
横浜市、大阪市、名古屋市に次ぐ日本4位の都市。東京以北では最大の都市です。
5年間で4万人も増加しているのです。きっと、ここ浦臼町からも若い人達が何人も行ったこと
でしょう。
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昨年の秋の旅では、ここ浦臼の郷土資料館を訪ねましたが、ここは坂本龍馬の一族の
お墓がある町なのです。詳しくは、昨年秋の旅をご覧ください。
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続いて札的(さってき)駅
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次の駅の「おそきない」駅の名前が書かれていますが、「おそきない」って、どんな漢字を
当てはめているのでしょうか?もちろんアイヌ語の地名です。
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難読駅の一つの晩生内駅
アイヌ語で「オ・ショキ・ナイ」(川尻が高くなっている川)の意味。
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駅は、1935年(昭和10年)に開業しているので、駅舎は81年目。かなりの老朽化している
建物です。
1979年には、無人駅となっているからすでに37年。それでも、待合合室はきれいに掃除
されているのは、地元の方たちに愛されている証拠です。
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札沼線の愛称が学園都市線。なぜなら函館本線桑園(そうえん)駅を始発してからは
しばらく電化されていて、それは当別町の北海道医療大学駅まで続く複線路線。
それ以北は、非電化単線。

沿線に北海道教育大学札幌校があり(あいの里教育大前駅)、二つの大学があるから
学園都市線という名称がついたのでしょう。
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札幌通勤圏・通学圏の北海道医療大学駅までは電化複線で快適な電車だが、それ以北の
駅は、非電化単線でダイヤも1日数本。浦臼駅から新十津川駅までは1日1本だけです。

同じ路線でも、余りにひどい扱いです。かつては、駅前に商店街や輸送会社などがあった
のでしょうが、見て分かる通り広大な更地です。駅が出来てから81年、今や周辺住民は
数十軒のみ。
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続いて札比内(さっぴない)駅
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ここも晩生内駅と同じ雰囲気の駅。
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そして秘境駅として有名な豊ヶ岡駅
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国道から北西に農道を走ること2kmほど、さらに砂利道の細い道を数百メートル走り、
車を停めて歩いて駅へ。見てお分かりのように、線路には踏切があり車止めがしてある。

軽自動車ならUターン出来るスペースは何とかあるが、大きな車なら無理。
周辺には、人家はまったくなし。水田地帯から森の中に入って駅がある。
一体誰が利用するの?と思う。
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ホームも板張り。フェンスもなくネットが張られているだけ。エゾシカ除けでしょうか?
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周囲には、人の気配がまったくないことがお分かりでしょう。
まさに秘境駅です。

という事で、明日は石狩月形駅へと向かいます。
明治14年(1881年)に、北海道初の刑務所である樺戸集治監が置かれます。

その初代典獄(所長)になったのが、月形潔だったのです。
それは、明日詳しくお伝えします。では、また!

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新十津川町は、空知管内のほぼ中央に位置している農業主体の、人口6840人の町。
一昨日お伝えしたヒマワリの里北竜町、さらには雨竜町の南にあって、滝川市石狩川
で接しています。

滝川市が石狩川の左岸にあり、新十津川町は右岸にあります。地図を見ると新十津川町
は西、つまり地図の左にありますが、川は上流から見て右手側にあるので右岸。

一方、滝川市は東、地図の上では右に位置しているが左岸ということになります。これは、
京都市の左京区と右京区の位置関係と同じですね。鴨川の右岸に左京区、左岸に右京区
という具合に。

さて、その新十津川町の新十津川駅。
618



















木造の可愛らしい駅。時刻表を見ると。
619



















何と!
札幌方面から到着した最初の列車が最終列車で、9:28。これ1本のみ。
そして、その折り返しの始発列車が12分後に出発します。9:40発が始発にして最終列車。

えぇー! これだけ・・・?

そう、これだけなのです。日本一の超シンプルな時刻表です。これ以上の路線は、日本中
何処を探してもありません。

これじゃ、ここに列車でやって来ても日帰りは出来ない。ここに宿泊しなくてはいけません。
620



















かつては、石狩沼田駅までつながっていたから、ここの路線は札沼線という名前になった
のだけど、かなり以前に新十津川駅と石狩沼田駅間は廃止されています。昭和47年(1972年)
のことだから、もう44年も前のことです。

もう一度、素敵な木造駅舎の新十津川駅を見ましょう。
621



















左の空き地には、ポニーが飼育されています。

内部には、駅や町の案内が掲示されていて、見応え十分です。駅ノートを見ているだけで
1時間以上はかかりそう。

たった12分分の停車だけで出発するなんて、まるでJR北海道の嫌がらせみたい。
つまり、住民に「廃止するぞ!」と宣戦布告しているようです。
622



















新十津川町の名前は、奈良県十津川村から来ています。

明治22年(1889年)8月、吉野郡十津川郷一帯を襲った豪雨は、死者168名、負傷者20名、
流失・全半壊家屋610戸と、村が壊滅するほどの大惨事を引き起こしました。

人家や田畑を押し流され、生活の場を失った600戸2489名の人々は、新天地を求めて
北海道への移住を決意したのです。

その彼らが住み着いた場所が、現在の新十津川町でした。
そこで、その歴史を学びに、新十津川町開拓記念館へ行ってきました。
624



















この日も、気温は朝から30度越え。グングンと上昇しているのが分かります。やはり、冷房の
効いた建物の中がイイ!

駅から数百メートルの距離にある記念館は、赤煉瓦造りの素敵な建物。

内部は、母なるふるさとである奈良県十津川村のこと、移住と開拓の歴史、現在の新十津川町
の産業など、さまざなな展示がありました。

札沼線の展示もあって、廃止されて無くなった上徳富(かみとっぷ)駅中徳富駅の表示も。
623



















函館本線が走る滝川駅とは、石狩川をはさんで、わずか3kmくらいしか離れておらず、
さらに超赤字路線だから廃止の噂が常にありました。

そして、今年増毛・留萌間の廃止を始め、1日の乗客数が極端に少ない路線10ほどが
取り上げられて、廃止する方向へとJRは発表しました。
札沼線の浦臼駅から北の新十津川駅までが、その先駆けとして1日1便のダイヤに
したのです。

恐らく近い将来、電化されている北海道医療大学前駅より北は廃止されることでしょう。

敷地内には、原野開拓の記念碑もあって、当時を偲ぶことが出来ました。
開拓時代の苦労が、少しだけでも理解できたかな?と。
625



















続いて、次の「下徳富(しもとっぷ)駅」へ。
626



















1日1便では、レールも赤錆び付いています。それでも、鉄路は北へ伸びているし、
627



















南を見ると、稲穂が青々と成長している姿が望めます。
628



















この後、浦臼駅までは1日1便のダイヤの札沼線。
明日は、さらに南下します。

では、また!

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秋風が吹く天候の函館、雨の予報を覆して晴れ渡った青空の下、湯川温泉祭りの一環として、
北海道のローカルプロレス団体である北都プロレス(本部は札幌市)が、パチンコ・
パーラーパチパチの駐車場で開きました。
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午後3時開催で、集まったお客さんは、およそ200名くらいか?それほど宣伝活動をしていな
かったにもかかわらず、結構います。
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第一試合は、顔のペイントを施した小仲ペールワン選手が、会場の子供たちに寄ってきます。
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女の子は、怖がってお母さんに抱きついています。大丈夫ですよ!ご愛敬だから。
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第二試合は、女子選手とマスクマン。
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リング上の赤いユニフォームの人は、レフリー兼社長のクレイン中條さん。
中條さんは、釧路管内の鶴居村の出身。だから鶴=クレインです。

先日は、道内の民放で30分の特集番組が放送されていて、結構知られているお方です。
北都プロレスは、なかば彼の道楽みたいなもので、彼のもとに集まった選手たちによって、
道内各地で興業が行われています。 各地のお祭りの一つとして取り上げてくれていて、
今回は函館で2試合組まれています。

今日は、その初日。明日は、港町のショッピング・モールで行う予定です。 メインイベントは、
函館市湯川町在住の、それこそ地元のヒーロー、「カツオ」選手の登場!
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中央、ちょっとばかりメタボリックな体型の選手。

左側の大きな選手は、元新日本プロレスの大矢選手。
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リングサイドの脇は、路面電車が走る幹線道路で、観光バスや電車の窓から「何事か?」と
眺める人もいました。
何とかカツオの勝利! 最後は、お決まりのバトルロイヤル。全選手が参加!
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最後に勝ち残ったレスラーは、紅一点の女子レスラーでした。

愛でたし愛でたし❗

湯川温泉の電停のすぐそばだし、無料足湯のある場所なので、歓声を聞いて観光客も
大勢集まってきました。

ということで、3連休の中日の今日日曜日の午後は、北都プロレスでエンジョイしました。
では、また!

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駅の名前は「北一已」。何と読むのでしょう?

正解は「きたいちやん」。

は、(おのれ)の字でもないし、巳年(みどし)のでもない。巳と己の中間の字です。
599



















深川市にある駅で、留萌本線の深川から一つ目の駅。深川駅からら3.8km地点です。
画面左側の糸杉の木が素敵ですね。まるで、ゴッホの絵に登場するかのよう、と云ったら
云いすぎでしょうか?

周囲は田園地帯。北海道の美味しいコメが生産されています。
温暖化のせいもありますが、不味い!不味いと言われていた北海道の米は、美味しくなり
ました。

ゆめぴりか」は甘みがあり濃い味。「ふっくりんこ」は見た目も食感もふっくら。
おぼろづき」は粘りが強く、おこわにも向いているし、「きたくりん」は農薬の量を抑えて作ら
れていて、「ななつぼし」は甘みや粘りのバランスが良く、何にでもピッタリ。
きらら397」はチャーハンにもよし、丼物にするとタレが良くしみます。

今や、「ササニシキ」や「コシヒカリ」に勝るとも劣らないお米になっています。

上川管内の比布町にある道立上川農業試験場では、常に新しい品種作りを試みていて、
それは1年間に100通りも行われるとのこと。
600



















駅名の由来は、やはりアイヌ語で「イ・チャン」それはのこと。鮭や鱒が瀬に付き、川底に
産卵する場所であった、ことから名付けられたそうです。

「北」の字は、北海道の母なる河川である石狩川の北に位置していたから。
601



















開業は、1955年(昭和30年)のことで比較的新しい。まだ61年目。

この日は、秩父別(ちっぷべつ)町の道の駅「鐘のなるまち ちっぷべつ」で車中泊。
汗もどっぷりとかいたので、併設されている温泉に入浴。食事も自炊がめんどくさくなり、
温泉施設内にあるレストランで済ませました。

翌朝の秩父別駅。朝早くから、部活動の高校生たちが通学。駅前には、自転車が数十台
もの無造作に駐輪されていました。
602



















アイヌ語で「チ・クシ・ペッ」は、我らの越える川という意味。やはり石狩川を指しています。
先日の台風で、石狩川は氾濫し多くの田畑が洪水の被害に遭いましたが、ここも同様で
深川市や秩父別町でも、収穫間近の稲穂が泥水を被りました。

続いて、一つ北にある北秩父別駅。
603



















国道233号線のすぐそばにあるが、待合室はこじんまりした建物。中に入ったら、ムッと
して、まるでサウナ室みたい。虫が入らないように、戸を閉め切っているからでしょう。
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非電化単線の留萌線は、留萌駅へ向かって伸びているけど、ここも赤字路線の一つとして
廃止の方向に。すでに、留萌線の一部である留萌・増毛間は来年1月に廃止されます。

ここも時間の問題でしょうか?

続いて石狩沼田駅へ。
605



















ここから南下して、北竜町へ。
途中で、かつての駅逓所を発見。
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かなりの古い建物で、時代を感じさせる雰囲気を持っていますね。
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北海道の指定文化財で、「本願寺驛逓」と書かれています。
明治時代の開拓期、浄土真宗本願寺系の人々が道路を切り開き、駅逓を造ったのです。
同じような道路は、函館にもあり本願寺道路と呼ばれています。

当時の熱心な仏教徒は、開拓者精神にあふれていて道路を造り、集落を形成していった
のです。

北竜町と云えば、日本一のひまわり畑道の駅サンフラワーへ行って見ました。
これが、日本一のひまわり。
608



















見渡す限りのヒマワリ、ひまわり、サンフラワー、向日葵。
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応援大使の新垣投手中島選手。それとレアード選手の3人が選ばれています。
写真では、三人の間にある顔出しの部分に、背後のヒマワリが写っていて、まるで
マスクマンのように見えますね。
610



















ファイターズの選手たちは、北海道170以上ある市町村の応援大使を務めています。
すべての市町村は無理ですが、抽選で数十町村、それぞれに2~3人の選手を、これも
抽選で当てています。

これだもの、北海道はファイターズ一色。道内のテレビ局・ラジオ局すべてがファイターズの
放送や応援をしていて、北海道と云えば、北海道日本ハムファイターズ!

かつては、巨人一色だった北海道ですが、ファイターズがやって来て本当に良かったです。
まさに、おらがチーム。こんな(応援大使)ファンサービスしているチームは、ないでしょう。
611




















612



















朝から30度を越す暑さの中で、迷路を歩くゆとりはありません。
無料でも行きたくない。
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足が不自由な方に、馬車もあるし、レンタルサイクルもありました。
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マンホールは忘れましたが、街灯にまでヒマワリが描かれていました。
617


































ということで、明日はこれまた廃止の噂高い札沼線の新十津川駅へ行きます。
ここの駅は、日本一早い終電(実際は電車は走っておらず、ディーゼルですが)の駅として
有名です。何せ、始発が来て20分後に去るのが終電なのだから。

つまり、1日1本のダイヤなのです。これでは、通学・通勤は無理。その新十津川駅を
訪ねます。
では、また!

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昨日は、中秋の名月。夜は、雲一つない夜空に満月が輝いていました。
そんな1日、久しぶりに快晴となった函館。 9月は長雨が続き、前日までは気温21度ほどで、
夜は窓を閉めて寝ていました。

やっぱり、8月が終わると秋の気配が漂っているのか?と。 でも、昨日は朝方まで降り続いた
雨も止み、晴天の1日。気温もぐんぐんと上昇し、25度を越える久しぶりの夏日。 山頂が
はっきりと望める函館山へトレッキングへと行きました。
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まずは、まるで参道の入り口かのような、登山道を出発。巨木の杉が迎えてくれます。 高さ334メートルの函館山は、気軽に市民が
登れる初心者用の山。 ただ、朝方はまだ湿っていて、カメラを撮っている間に蚊がまとわりついて、
刺されてしまった。 各所に休憩所もあるし、1号目から印があって迷うこともない。
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100万年前は火山だった島で、当時の溶岩が固まった岩石が残っています。

その後に、漂砂現象で砂州が形成され、陸地と繋がります。だから、函館山の地形は陸繋島
なのです。
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先日の台風10号の爪痕が、あちこちに残されていて、何ヵ所かの登山道は閉鎖中。
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危険、立ち入り禁止のテープが張られいます。あちこちで、巨木が倒されているところもありました。
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今でこそ、日本一のロープウェイで登れるし、バスやタクシー、日中は車でも山頂駐車場まで行け
ますが、戦前までは登山禁止の山。 カメラを山へ向けたり、スケッチをするだけで逮捕されたそう
です。

その理由は、山に陸軍の砲台があったから。
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明治時代、ロシア帝国の南下に備えて、津軽海峡に向けて砲台を設置していたのです。
結局、太平洋戦争が終わるまで登山禁止で、お陰で自然は保たれましたが・・・。

函館山は、いくつかの山で構成されています。その山の尾根をトラバースして南へ。 途中、
市街地が垣間見られました。
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当初は、山頂の御殿山(左のテレビ塔が何本もある山頂で、函館山のピーク)に隠れていた
市街地も、徐々にその姿を見せて来ました。
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一番南へ来ると、下北半島が右に見える。左側は汐首岬が見える亀田半島。 ここにも砲台跡があります。
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休憩所で、ランチタイム。ここまで約2時間。 これから下山です。七曲りのコースで、
つづら折りの道が立待岬まで続いています。

ほどなくして下山終了。あとは、舗装された道を歩いて駐車場まで。
image
合計、4時間の楽しい時間でした。
でも、汗は夏のようにたっぷりと出て、着替えを持って行って良かったです。
そんな秋晴れの1日、心地よい汗を流しました。秋はスポーツの秋でもあります。

リオ・パラリンッピックで、函館出身の辻 紗絵(21歳 日体大)選手が陸上400mで銅メダルを
獲得!すごいですね。生まれつき右ひじがなかった辻さんは、ハンドボール競技の選手として
活躍、しかし、昨年陸上へ転向し、見事リオの地で3位に。

東京での活躍を期待したいです!


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石北本線の白滝駅の次に停車する駅は、峠を越えた上川駅だが、その間は37.3kmも
ある。新旭川駅を0起点として、上川駅は44.9km地点。以前は、その間に天幕駅中越
(なかこし)信号場、上越信号場、奥白滝信号場、上白滝駅があった。

信号場は、そのまま建物は残っているが乗客の乗り降りはしない。あとの駅は廃止され
てしまった。

だから、次に停車する白滝駅は82.2km地点だから、その間は37.3kmということになる。
これは、日本一長い駅間なのです。

峠を越えて、最初に中越信号所をやっとのこと発見!
碑を見ると、ここは第二次中越官設駅逓所の跡だったのです。
奥の建物は、現在保線区の方たちが利用。かなり年季が入った建築物だ。
580



















敷地内を歩いたら、「全通記念」の碑を発見。これもかなり古いものだ。
581



















かつては、駅として乗客もいたのだろうが、今は、周辺には人家はおろか車もまばらにしか
通過しない。なぜなら、旭川紋別自動車道が丸瀬布まで開通し、北見峠を長大トンネルで
楽に越すことが出来るからだ。
それに、無料というのもあるから、ほとんどの車はカーブが連続する国道273号線を走る
ことはない。
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天幕駅跡を探したが、結局見つからず上川駅へ。
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ここは、女子ジャンプの高梨沙良選手の出身地。2018年の韓国ピョンジャンでの金メダル、
期待しています。

続いて、東雲駅へ。「しののめ」駅ではな「くとううん」駅。
584



















ご覧のように、待合室もなく、ホームは民家の庭みたいな場所にある。最初は、駐車する
のに戸惑ったほど。
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まるで、目の前の人家の私的駅のよう。

続いて安足間(あんたろま)駅
586



















砂利が敷かれたホーム。周りは雑草が生い茂る草地と農地。背後は山。
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続いて愛山駅。国道のそばにあったが、利用者はいるのだろうか?自転車置き場もない
からだ。
588



















続いて中愛別駅。安足間駅から次の愛別駅までは愛別町のエリア。
ここには駐輪場はありました。
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たまたま、旭川方面からやって来た一両編成のディーゼルカー。
590



















誰も降りる人はいないし、もちろん乗る人もいない。乗客も数名だった。

次の駅には、観光目的で恋人同士や仲良し夫婦はやって来ないでしょう。
愛別駅。記念切符は売れそうにない?何しろ「愛」が「別れる」駅なのだから。
591



















離婚寸前の夫婦が、やって来て入場券を買う?そんな馬鹿な!
そんなキップやグッズは販売しているわけがありません。無人駅でした。

駅の名前は、アイヌ語で「ハイペッ」(いら草の皮)が訛(なま)った説とアイペッ(矢の川)
の二説ある。近くを石狩川の上流が流れている。
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どちらにしても、カップルで訪れない方がよろしいかと。

続いて、伊香牛(いかうし)駅
593



















ここもアイヌ語で、「イカ ウシ」(越すところ)の意味。牛を飼育する農家がある、からでは
ありません。ログハウス風の素敵な建物ですね。

続いて将軍山(しょうぐんざん)駅
594



















近くに「将軍山」という名の小山があって、そこから名が付けられた。
598



















明治時代の開拓期、永山武四郎将軍(薩摩藩士)がアイヌの案内で入植したことに因み、
屯田兵たちが駅名に将軍の名を付けたそうです。

明治時代初期は、薩摩出身のお偉い方が北海道を牛耳っていた。初代開拓長官の黒田
清隆は、酒と女狂いと金にまつわるスキャンダルまみれだった。
それでも、伊藤博文に次いで二代目の内閣総理大臣になっているには、薩摩藩士だったから。

この時代の薩摩藩出身者は北海道を我が物顔で、跋扈していた。

駅自体は、簡素。奥に見える小山が将軍山。
595



















続いて当麻(とうま)駅
596



















午後になると、気温はグングンと上昇してきた。駅そのものは、どうってことない建物だ。
中央の縦に長い板に「当麻駅」の文字があるが、読みにくい。

何と、気温は34度!3しか見えないけど、4の数字が薄いからです。暑い!暑~い!
597



















ということで、この先は暑さと旭川市街地に入って来たので、スルーし今夜の寝床である
秩父別(ちっぷべつ)町の道の駅へと急ぎました。

では、また!

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石北本線の起点は、旭川駅の二つ先の新旭川駅をスタートして、終点が網走駅
総路線距離234.0km、全部で36駅。全線非電化単線、開業は1912年で、全通したのは
その20年後の1932年。

旧白滝村は、オホーツク管内の一番西にあり上川管内と北見峠で接している。
かつて駅は5つあったが、今は白滝駅のみ。
今日の最初の駅である旧白滝駅は、今年3月26日に廃止されてしまった。
557



















小さな駅舎は、窓も扉も板で閉鎖され、駅標も外されているし、ホームも草が生い茂って
いる。駅舎は、他の場所へ移転する話もあったが、費用がネックとなり間もなく解体される
予定だ。

今年3月は、最後の高校3年生の通学駅として何度もテレビで紹介されていた。それも
終わって夏になると、閑散とした元駅があった風景となり、寂しい感じがする。
558



















左の電柱が見える場所を国道333号線が走っているので、車でのアクセスは良いが、
ご覧のように人家からは200m以上は離れている。それに皆、車を利用するので鉄道の
乗客にはならなかった。ゆえに廃止される運命だったのかも知れない。
559



















踏切はカバーで覆われ、農道は地元の方のみの利用で、普段は閉鎖されている。
周辺は農地で、トウモロコシが夏の陽を浴びながら、大きく成長していた。ここの
トウモロコシは、牛の飼料となるデント・コーンでしょう。

トウモロコシは、夏になるとグングンと成長する。1日に10cm以上も伸びることも。
だからか、高跳びする良い練習台になってくれる。我が家のスイート・コーンも、6月まで
は余り伸びず、せいぜい50cmくらいだったが、夏の到来とともに1mを越え、中には2m
以上になるものも。
ヒゲが白色から茶色へ、そして黒っぽくなると食べごろです。今年は美味しく頂きました。

甘いトウモロコシだから、カラスに狙われて10本以上もただ食いされてしまった。カラス
撃退法はないものか?キラキラテープを張っていた時は侵入されなかったけど、台風で
切られてしまってからは、カラスの餌になってしまった。

国道の北側へ、農道の突端へ行って見た。一面、牧草地が広がる。
560



















酪農家が多いから、牛の食べさせる飼料になる。多分、昨日の赤ちゃん牛も、今は母親の
ミルクを飲んでいるけど、大きくなるとこの草を食べるのでしょう。
決して、雑草を食べているわけではないのです。
561



















農家の一角に「白滝村開拓の碑」があった。第一号入植者を称える碑だ。
562


































第一号の石上藤蔵さんは、明治35年(1902年)にここへやって来て、7年間孤独に耐え
開拓していった、という。その開拓者魂に、恐れ入ります。
563



















やがて、白滝駅へ。無人駅だが、ここは廃止されずに健在。何せ、村の中心街なのだから。
564



















駅のとなりには「開通記念」の碑もあった。昨年訪れた時、ちょうど夕方で遠軽方面からの
列車が到着した。ここで下車する乗客が10名近くいて、利用者にとっては駅があって助かっ
ているんだな、と思った。車を持たない人にとっては、駅は大事な交通手段なのだから。
565



















廃止された上白滝駅へ向かう途中に、「合気道ゆかりの地」と書かれた看板を発見!
566



















一体なんで、こんな一面牧草地になっている場所にあるのか?と。
567


































合気道開祖植村盛平翁のゆかりの地?
説明を読んで、やっと理解出来ました。
568



















植村盛平氏は、和歌山県田辺市の生まれだが29歳の時にここに入植し、修行に励んだ。
道場を開いた場所は、京都府綾部市。21年後に茨城県笠間市へ移りそこで普及に努めた。

だから4か所が合気道ゆかりの地、なんだそうです。

でも、明治45年(1912年)当時の白滝村は、一面原生林でヒグマの恐怖と戦いながら開拓して
いったのでしょうね。まさに、生きることが修行そのものだったはずです。納得!

続いて上白滝駅へ。駅舎が建てられていた場所は、更地になっていた。
569



















昨年夏、車で訪問。さらに今年3月鉄道で再訪した時は、まだ駅舎はあったが、あっという間に
解体されてしまったのか?
570



















それでも、ホームはまだ残っていた。駅標は外されて蜘蛛の巣がかかっている。
奥の空き地が駅だった。

旧上白滝駅から、少し西へ行った場所に「旧白滝村立中学校跡」の門柱があった。
571



















三和小・中学校跡」と書かれた碑。この先北見峠に向かっては、人家一軒もない。
歴史を調べると、集落ごとに小学校があったが、統廃合を重ね、今は白滝小学校のみ。
572



















滝の上駅逓跡」の碑もあった。あちこちに残る石碑は、旧何々の碑。人がいなくなって
次々と廃止され、碑だけが残る。

奥のフェンスは、エゾシカ除けでしょう。
573



















国道から林道を入った場所にあった旧奥白滝駅。駅として1932年に開業したが、
2001年(平成13年)に信号所になり、乗客は利用できなくなった。
もっとも、周辺には人家は全くないので利用者もいないはずだ。
574



















写真撮影していたら、特急列車がすごいスピードで通過していった。
575



















今日(9月13日)現在、石北本線は運休中で、再開は10月中旬を予定している。代行バスが
動いているが、8月初めは、この特急オホーツクが、旭川・札幌方面へ運行していた。
576



















駅周辺にあった「奥白滝 開拓記念碑」。今は、上川町に至るまでの20数キロは、
人は誰一人生活していないが、かつては開拓の名の元にここや、さらに奥の地区
にも入植者がいて小学校もあったのだ。
577



















北見峠へ。ここが北見の国と石狩の国の境。
578



















山また山の地。見渡す限りの原生林。多くの観光客は、旭川紋別自動車道路を走り
峠は5km近い「北大雪トンネル」を潜り抜けるが、かつてはここがメインルート。
579



















数多くの囚人たちを強制労働に駆り立てて、ここの中央道路を開削していった歴史がある。
網走監獄博物館で学んだことが、今実際に現場を見て生かされる。

「百聞は一見にしかず」。Seeing  is  believing.

明日は、峠を降りて上川町へ、峠の西側の石北本線の各駅を巡ります。
では、また!

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私が訪れた8月初めの時は、雨こそ降れどまさか不通になるとは思ってもいなかった。
大雨で遅れてきた貨物列車はあったが、土砂崩れが発生し不通になることはなかった。

それが、8月後半から9月にかけて台風が立て続けに上陸し、甚大な被害を与えることに
なるとは、想像だにしなかった。

さて、旅していた時に運行していた旭川と網走を結ぶ石北本線石狩の国北見の国
つなぐ鉄道は、北海道の屋根である大雪山連峰の北側、北見峠を越える。

今日は、昨日の生田原駅の次の秘境駅として知られる生野駅から。
541



















ご覧のように、牧草地の真っただ中にあるホームだけの駅。待合室はない。かつては、
横の原っぱに廃車されたオンボロバスの待合室があったそうだが、数年前に撤去され
ご覧の通り何もない。
539



















ホームも仮設で、いつでも解体できる。国道242号線からは、数百メートル離れて
いて、国道沿いに住まわれている方の利用はないだろう。せいぜい地元高校生か?

遠軽高校へ7:35で通学し、帰宅は16:49。これじゃ、部活は出来やしない。
上り1本、下り2本だけのダイヤは利用するのも無理というもの。それに高校生もいるのか?
540


































もっとも、見渡す風景は牧草地と放牧地。それとトウモロコシ畑が広がる農地。
542



















右を見ても左を見ても同じような光景で、近くの人家までは200m以上ありそうだ。
543



















まさしく秘境駅の名に相応しい。私の車を停めている場所は、農地の一角でもちろん
道路に停めても邪魔にはならないと思うけど、一応幅が狭いので脇に寄せました。
544



















この先が、安国駅
ということで、ログハウス風の安国駅へ到着。
545



















右に写る女性が、毎日花壇であるプランターの整備をしていて美観が保たれている。
546



















生田原町や置戸町は林業の町。生田原駅には、かつて林業で栄えていた時代の風景が
展示されていたが、今は安い輸入材におされて手作り工芸品へと。

いわば、クラフト製品が盛ん。生田原には、その製品を集めた「ちゃちゃワールド」がある。
ここの安国駅にも、その一部が展示されていた。
547



















木のおもちゃ王国」。クラフトとは、手作り工芸品のことで、置戸(おけと)町も「置戸クラフト
で有名な町だ。

遠軽町に入り、駅は数日前に寄ったので素通りし国道333号線を西へ走ると、何か記念碑
が見えた。
548



















六號野驛逓跡」と書かれている。駅逓所があった場所だ。
場所は、遠軽市街地へと向かう場所と国道333号線の三叉路。

駅逓所は、鉄道が開通する以前に馬車の駅で、いわば中継基地を兼ねていた。
宿泊、人と馬の食事、水の確保、郵便物の集積所などまさしく集落と集落を結ぶ中継点に
あった駅だ。
549



















網走から旭川にかけて228kmの区間に、12~16kmおきに駅逓所が設置されていた。

そこで、網走監獄博物館で学んだ知識が生かされた。この道路を造ったのは、網走の囚人
たちだ。本州から連行された政治犯や思想犯、中には凶悪犯もいたけど、彼らの過酷な
労働の結果、道央と道東をつなぐ道路が開通したのだ。
550



















ヒグマの恐怖におびえ、寒さと飢えの苦しみに耐え、多くの犠牲者を出しながら
この道が開通したことを忘れてはいけない。

駅逓懐古の漢詩があるが、一字一字読んで見ると理解できる。
先人が熱き血で道を切り開いていった歴史がある。
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背後には、うっそうとした原生林の大木が残っている。「愛馬四号の碑」もあった。
家族同様に愛する馬が亡くなったことを悼む碑なのでしょう。
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今日の最後は、今年3月26日に廃止された8つの駅の一つである下白滝駅へ。
ここ遠軽町、合併前の白滝村の下白滝駅、旧白滝駅、上白滝駅の三つが同時に廃止
されたのだ。残っているのは、白滝村の旧役場がある白滝駅のみ。

あとは北見峠を越えて上川駅まで数十㌔駅はない。
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駅舎と周辺を解体するためにトラックと重機が入っていて、その作業の真っ最中だった。
間もなく解体され更地になるのだろう。
駅標も取られ、窓も塞がれている。
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ホームのコンクリートも壊され、芝生が張られていた。

最後に、「これ、何だろう?」と思う面白いものを、駅前で発見しました。
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国道333号線と駅の間にあった、酪農を営む方の土地にあった犬小屋風の箱。犬小屋に
しては大きい方だけど、大型犬の小屋なら当てはまる。でも、上に風を通す空間がある。
それが、100個以上もある。

一体、これは何でしょうか?

伝染病予防のため、無断で敷地内には入れないのでズームして箱の中を覗くと・・・。
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生まれて間もない牛の赤ちゃん。まだ子供といっても小さな牛ベイビーたち。
一匹ずつ離されて育てているのだろうか?集団で成長するには、時間がかかるということか?
この箱の中で与えられた餌を食べて、ある一定の大きさか時間が過ぎるまで隔離されるのか?

赤ちゃん牛には、耳にナンバープレートが付けられていた。
北海道に60年以上も生活しながら、初めて見た光景で驚きだった。

明日はさらに西の駅へ。先ほど紹介した廃止された旧白滝駅上白滝駅などを訪ねます。
では、また!

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今日は、先月から今月にかけて相次いで北海道に上陸した台風により、土砂崩れが
発生し運休中の石北本線の旧金華駅について特集します。

現在、札幌と北見・網走間は都市間バス「ドリーミントオホーツク号」が、1日10往復して
しのいでいます。幸い自動車道が札幌ー旭川ー丸瀬布まで完成していて、何とか鉄道
復旧まで人の移動は可能ですが、貨物の輸送はかなり支障をきたしています。

農産物の輸送は、トラックが代行していますが鉄道に比べると半分以下で、物流がかなり
滞っていて、価格高騰が懸念されています。

旧と書いたのは、今年3月26日にJR北海道が廃止したからです。廃止の話は、昨年から
あって、昨年の夏の旅でここ金華駅を訪れ、さらに今年3月の鉄道の旅でも廃止直前の
駅を見ることが出来ました。

そこで今回廃止後、駅はどう変化したのかな?と再訪問したわけです。

留辺蘂・温根湯温泉のキャンプ場で朝5:00に起床。太陽が顔を出していて、今日の晴れを
証明してくれた。
キャンプ場から国道39号線、別名北見国道を10kmほど東へ戻り、昨日最後の駅だった
西留辺蘂駅付近で左折し、国道242号線へ。5kmほど行き、右折すると金華駅へ到着。
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墨で大きく書かれた「金華駅」の看板は、無くなっていた。入口も封鎖されている。
窓もベニヤ板で覆われている。
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昨年訪れた時は、網走発金華駅止まりの普通列車が停車していたけど、今はすべての列車が
素通りする。
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レールの間にある島式ホームへ渡る階段があったけど、コンクリートで塞がれてしまった。
完全に駅としての機能は失われている。

昨年、訪れた一人暮らしをしているおばあさんを訪ねた。まだ元気に生活していて安心。
家の前で野菜を作っているおばあさんは、写真嫌い。カメラを構えたら怒られた。

駅周辺には、このおばあさん始め4世帯しか生活していない。

駅から歩いてすぐの高台にあった金華小学校跡地を示す碑。
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かつては、たくさんの子供たちで賑わった、という。
昔は、付近に鉱山もあり営林署もあったし、国鉄の官舎もあって大勢生活していたんだ、と。

いわくつきのトンネル「常紋トンネル」の犠牲者を弔う碑。多くの囚人たちが重労働の末、亡く
なっています。
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大正元年(1912年)から3年の歳月をかけて、囚人や本州から募集された人々の強制労働に
よって建設されている。工事の途上で、粗食、重労働、リンチにより100数十名が殉職した、と。
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今でも、ここのトンネル付近はその亡くなった人たちの亡霊が出る、という噂だ。
ネットでは、心霊スポットとしても有名。

そこへ行って見ます。道路は林道をさかのぼる。昨夜降った雨が、ところどころに水たまりを
作っている。
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ゆっくりと慎重に走れば、大丈夫。でも、ここは熊のテリトリーだ。
そして、トンネル付近へ到着。
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遠くにトンネルが見える。ネット上では、夜ここから草むらをかき分けてトンネルに行って
撮影している人もいるけど、恐怖はないのだろうか?
それにレールの上に降りることは、あまりに危険だ。

昔は、ここに集落があって子供たちは5kmの道のりを歩いて金華小学校に通っていた、
という。

しばらく走り、峠の上に撮影ポイントがある。先客がいました。
名古屋から来ている朝山さん。かなりの鉄道ファン。
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高級な一眼レフを2台構えて、間もなくやって来る貨物列車を撮影するという。
休みを取って、レンタカーで来ている。
場所は、こんなところで撮影には最高だ。
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予定だと10分後だけど、昨夜の大雨で遅れているらしい。結局40分後にやって来ました。
遠くからディーゼル列車の音が聞こえた。
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JR貨物の、長い長い、まるで蛇みたいな列車。
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ということで、撮影終わり。さらにこの林道を北へ。次の生田原(くたはら)駅へ。
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駅前は工事中。ここも図書館が併設されていた。
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駅標の「にしるべしべ」が新しいのは、以前は「かねはな」だったから。
こうやって、次々と駅が廃止されていくのは悲しい。

明日は、次の秘境駅として知られている「生野(いくの)駅」へ行くます。
では、また!

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