函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めた車中泊中心の「ぼうけんの旅」は今年で13 年目に突入。 車中泊の貧乏旅行の旅、今年で74歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 今年2026年も「ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです! 今年も「ぼうけんの旅」をよろしくお願いいたします。

2026年が明け今年は74歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!時々は自転車を積んでの軽バン一人旅の始まりです。

2016年12月

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。

今日は12月31日。2016年最後の日ですね。あと12時間ほど過ぎると新しい年である
2017年の幕開けで、当然年も1年取ります。

来年は、65歳という前期高齢者の仲間入りで時の流れを感じますが、もっとも本人は
高齢者と呼ばれることには、かなり抵抗をもっています。

なぜなら体も心もまだまだパワーがあるからで、「2017年も”ぼうけんの旅”を続けるぞ!」
の気持ちが大だからです。

といっても、若い時と違って無理は禁物、力をセーブしながらできるだけ何回も旅を出来る
ように、と思っています。

2017年、再び「春の旅」、「夏の旅」、「秋の旅」にご期待下さい!

さて、2016年「春の旅」総集編の23回目は、山形県置賜(おきたま)郡高畠(たかはた)町の
大聖寺(だいしょうじ)から。
DSCF4920


































日本三大文殊の「亀岡文殊堂」です。
昨日は、板谷駅で終えましたが、そこから国道13号線へ戻り西栗子トンネルを越え
米沢市市街地を過ぎて北上し、北隣の町である高畠町へと。

さらに少しばかり、宮城県境との山間部へ入った場所にあるのが大聖寺というお寺。
ここは、奈良県桜井市の安倍文殊院、京都府宮津市の切戸文殊と並び、日本の三大
文殊と呼ばれているお寺です。

つまり、亀岡文殊院は大聖寺というお寺のことです。
DSCF4921



















文殊とは何か?というと、知恵をつかさどる仏様=文殊菩薩を祀るお寺を指します。

ことわざに、「三人寄れば 文殊の知恵」とありますね。あれは、「凡人でも三人集まって
考えれば、知恵をつかさどる文殊菩薩に劣らないほどの良い知恵が出る、という例え」
(国語辞典 ベネッセから)です。
DSCF4922



















亀岡というのは地名。高畠町亀岡にあるからです。大聖寺は、正式な名で真言宗のお寺。

知恵をつかさどるから、合格祈願や学徳成就のための参拝者が多い。

創建は807年というから平安時代の初期。
知恵というのは、生きていくために必要なもので、だからか家内安全・商売繁盛・交通安全と
広く信じられています。

もっとも、訪問したのは4月だったので受験シーズンが終了したためか、受験生はいません
でした。
DSCF4923



















松尾芭蕉の句もあって
春の夜は 桜に明けて しまひけり」と詠んでいます。

芭蕉は、山形では5月27日に山寺(立石寺)に立ち寄り、「閑かさや 岩にしみいる 蝉の声
と有名な句を詠んでいますので、その前後かな?と思います。
DSCF4924




















なだらかな坂を登り、いくつものお堂を参拝しながら、本堂へ。
ここは「縁結び観音」。カップルが真剣に拝んでいました。

そして本堂へ。
DSCF4925



















本堂の正面、右側脇にある小さなお堂へ行きます。

かすれているけど、黒い墨で書かれた文字は「大黒天」。
大黒天は七福神の一つであり、福徳や財宝をもたらす神として知られる神として知られて
いますが、ここではその神が祀られています。
DSCF4926


































木の格子の中にある、まるでハチの巣のような木製の塊が見えますね。
両側には、ちょうど片手が入るほどの穴が開いていて両手でこの塊を持ち上げると
願いが叶う、と云われています。

そこで、チャレンジ。腕には少しは自信がありましたが・・・。
ところが、ちっとも持ち上がらない。重い!

手だけでは、上にあげることは出来ませんでした。願いは叶わないか、残念です・・・。
DSCF4927



















そんな場所が文殊山(552m)の麓にある亀岡文殊でした。

文殊と云えば、廃止になる福井県の原発がありますね。あれは、決して知恵を出した
わけではなく、悪知恵でもなく、単なる税金の無駄遣いをした知恵なし政治です。

ここの文殊とは、比べようなないアホ丸出しですね。

どうして寄ったのか?というと、旅の必需品である地図「東北10万分の1」の米沢市
周辺、高畠町に「亀岡文殊 日本三大文殊の一つ」と書かれていて、興味を持った
からです。
DSCF4928



















ここから北へ2kmほど行った場所にあるのが「旧高畠駅」。
ナビでは探せなくて、人に尋ねてやっとの思いでたどり着きました。
DSCF4929



















私鉄の山形交通の駅でしたが、この路線は1974年(昭和49年)に廃止されています。
奥羽本線の、今は新幹線も停車する駅である旧糠の目駅(現在の高畠駅)をスタート
して県境に近い山間部の二井宿(にいじゅく)駅までの10,6km、駅数9つ、全線電化の
路線でした。
1929年(大正9年)~1974年(昭和49年)まで45年間運行。

ここは糠ノ目駅から出発して3つ目の駅で、高畠町の中心部にありました。その証拠に、
町役場も病院も駅の近くにあります。

地図を見れば、名前を変えた(1991年、平成3年3月)高畠駅(旧糠ノ目駅)は、町の
外れに位置していて、山形鉄道が廃止され町の名前が消えてしまった高畠町には、
どうしても「高畠駅」の名が必要だったでしょうね。
DSCF4930



















それにしても、立派な石造りの駅舎です。地元の高畠石を使用して1934年(昭和9年)
に完成しているから、鉄道が敷かれてから14年後のことです。

今では築82年というから、驚きです!
当時は、数多くの乗客で賑わう大きな駅だったことでしょうね。
DSCF4931



















廃止された路線は「まほろばの緑道」としてサイクリング・ロードとして活用されて
いますし、桜が植えられて春は花見の道にもなっています。
DSCF4932



















公園内には、当時の機関車などが展示されています。

明日は、ここ旧高畠駅から新高畠駅へ、さらに道の駅「たかはた」で車中泊して
福島県へ行きます。

それでは、みなさん 良いお年をお迎えください!
来年が幸せな年になるように、祈ります。

では、また!来年!

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック ありがとうございます!

2016年もあと1日。明日は、とうとう大晦日です。

今日の高校ラグビー、ダントツの優勝候補である東福岡高校は、浜松工業高校相手に
何と!大会記録の139-0で勝利しました。

それまでは、137-0というから、それよりもさらに2点追加しての勝利。30分ハーフの
計60分の試合は、浜松工業の選手たちは、地獄のような時間だったことでしょう。

今日から2回戦で、シード校が出場してきて格差がかなり出た試合もありました。
やはり、ラグビーは実力通り=番狂わせがない、といいますが、ここまで点差が開くと
見ている側も、応援のしようがない。力の格差が大きすぎた一戦でした。

でも、弱いチームだって花園に出るだけでもうれしいものです。出たくても出れない数多く
の高校チームがあるのですから。

さて、峠駅を出て、板谷駅へ戻ります。
DSCF4908



















板谷駅に停まっていた車両は、何だろう?

ここも峠駅同様雪除けの屋根が架かっている。
奥の入り口から舗装された道を歩いて100メートルくらいは歩いてきただろうか?
DSCF4909



















一つ目のスノーシェッドを通過し、さらに横の道を歩き、二つ目の屋根へ。
DSCF4910



















ここで初めてホームと出くわす。ここまでどれだけ歩いてだろう?
これじゃ、乗客はいないはずだ。と勝手に想像したが、鉄道ファンらしき乗客が一人
ホームの奥で写真を撮っていました。
DSCF4911



















屋根の手前にあったログハウス風の駅待合室。
ここまで到達するのに、かなり歩いてきました。
DSCF4912



















ホームに立つと、駅名表示があって、昨日紹介した峠駅は一つ先。赤岩駅への道は
除雪されておらず行けず、ということはお話しした通りです。
DSCF4913



















それにしても、地元住民の方で利用する乗客はいるのだろうか?

ここの駅、近代化産業遺産だそうです。
DSCF4914


































少し駅で時間をつぶしていたら、二両編成の列車がやってきて先ほどの鉄道ファンは
乗車し、あっという間に出発!電車だから速い!
DSCF4915




















DSCF4916



















これはズームして撮影。奥羽本線は全線電化していて、電車なんですね。
今まで地方のローカル線ばかり撮影してきたので、全部ディーゼル車だったから
電車は久しぶり!音も静かだし、スピードも速い。

それにこれだけ電線が走っているのも珍しい光景。今までは屋根の上には電線は
なく空がはっきりと見えていた。それが、こんなに複雑に電気の線が交差している
ことに驚きです。
DSCF4917



















最後に、昨日紹介した米沢市立関根小学校板谷分校に、もう一度立ち寄り撮影。
これは、昭和50年(1975年)の創立百周年の記念碑。
DSCF4918



















1975年で100年だから、創立は1875年。明治8年のこと。5月には、ロシア帝国との間に
樺太・千島交換条約」が結ばれています。

すでに、136年も前に千島は日本領だったのです。ロシアと国際条約で日本の領土と
なっていたのです。

創立の明治8年は、昨日紹介した通り、板谷村の西光寺というお寺に板谷学校が出来た
年です。おそらく当時は、住民の手作りの学校だった、と思います。

なぜなら、1879年(明治12年)に教育令が出され、4年間で最低16か月の就学が義務付け
られますが、実際には半分程度の義務化でした。

板谷学校が出来た1875年では就学率45%。男子が50%で、女子が20%。
だから、地元の人たちは、行政に任せて学校が建てられるよりも、その前に自分たちで
学校を造ろうしたのです。

その校舎には、お寺を使用したのでした。
DSCF4919



















住民にとって、教育の必要性が大事だったのです。最低限「読み書きそろばん」は
学んで欲しい、との願いから学校が造られたのでしょう。

ということで、二日間にわたり板谷駅とその周辺を紹介しました。明日こそ、高畠駅へ。
でも、その前に寄るところがあったので、一か所ある場所へ行きます。

それは明日!
では、また!

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック ありがとうございます!

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック ありがとうございます!

飯坂温泉駅から県道313号線で西へ、国道13号線へ入り山形県へと進路を取って、
長大な東栗子トンネルを越えると福島県とお別れ。

でも、本当はその前に秘境駅としては6位とかなりの秘境度のある「赤岩駅」へ行きた
かったが、4月では除雪していなく通行禁止。

残念。もっとも、夏場でもかなりのラフ・ロードで大変らしい。鉄道ファンの知り合い
で訪問した方がいたが、厳しい道のりだった、と話してくれたことがあったのを思い出す。

板谷大橋を過ぎると山形県だ。すぐに国道から左折し、154号線へ。1kmほどしてから
右折し県道232号線へ。間もなくして見えてきたのが閉校した小学校。

DSCF4892



















米沢市立関根小学校板谷分校とある。本校の関根小学校は、10km以上も西、米沢市
寄りにある関根駅にあって、ここはまさに県境にある寂れた集落の分校だった。
DSCF4893



















創立は1875年(明治8年)のことで、当時板谷村の西光寺というお寺に板谷学校を
設置している。

1892年(明治25年)板谷尋常小学校と改名し独立して、1996年(平成8年)まで板谷
小学校の名は続いたが、その年関根小学校板谷分校へ。

それも少子化で、2005年(平成17年)休校式を行い閉じたままが続き解体されていない。
DSCF4894



















子供がいなくなって10年以上も経過、グランドは雑草が伸び放題。これじゃ、キャッチボール
もできない。
DSCF4895



















かつては、多くの子供たちの声が聞こえていた校舎も、いまは廃墟同然と化している。

板谷駅は、後程紹介するとして、まずは秘境駅として有名な峠駅を目指す。
DSCF4896



















県道と行っても名ばかりで、道は狭く険しい山道。対向車が来たらどうやって交わそうか?
と不安になる。やがて、長大な雪除けシェルターがある峠駅へ。
DSCF4897




















駅へは、道路の脇にある駐車場らしき空き地から歩くこと数百メートル。
DSCF4898



















やっと、ホームが見えてきた。ホームには待合室があるが、この建物自体が巨大な
待合室みたいなものだ。

トンネルでもないのに、これだけの屋根付きホームを造らなければいけないのは、
冬期間の豪雪だから。一体どれだけ積もるのやら?
DSCF4899



















なお、次の大沢駅への道は除雪しておらず通行止めで行けなかった。

ダイヤを見ると、上り6本・下り6本。
DSCF4900



















海抜624mと書かれた駅表示。ここの名物は、奥の建物、「峠の力餅」だ。
一度は訪れたかった場所で、だからここで遅れたランチにしました。
DSCF4901



















店の中にあった絵。肝心の餅は、写すのを忘れたみたいで、残っていません。
どうして写真を撮ってこなかったのだろう?
DSCF4903



















力餅は、10個入って1000円。美味しかったです!
DSCF4904



















創業は明治27年、1894年で日清戦争が開始された年。奥羽本線開業と同じ年だ。
奥羽本線は1984年12月1日だから、実際は一番列車がスタートする前に店が完成
している、ということだ。

力餅は、その7年後。
DSCF4905



















そして、ここは最上川の源流にあたる。山形県を代表する河川、というよりも東北を
代表する川である最上川。

長さで、東北最大の河川は北上川249km、2位は阿武隈川239km、3位に最上川229km
となるが、流域面積では北上川10150㎢、2位に最上川で7040㎢。
DSCF4906



















力餅を食べて、エネルギーを補給し午後の行動へ。先ほどの「大沢駅」へは行けず。
4月でも「冬期間通行止」で、それとも通年「全面通行止」なのか?
DSCF4907



















明日は、もう一度「板谷駅」へと戻り、米沢市経由で山形交通旧高畠駅へと向かいます。
それでは、また!

今日は12月29日。あと3日で今年も終わり。2017年の旅は、何処へ?

来年の旅のテーマとして、今勉強中なのが「ゴールデンカムイ」~2016年マンガ大賞
受賞した作品ですね。そこに登場するアイヌの人たち。そう、今年は「アイヌ文化を知る
をテーマに旅をしていきたい!と計画中です。

果たして、どうなることやら?答えは来年「夏の旅」のブログでお会いしましょう!

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック ありがとうございます!

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック ありがとうございます!

昨日最後に紹介した写真の「ほりえや旅館」を、もう一度見ます。
手前に「芭蕉と曾良入浴の地」ありますね。

今から327年前の1689年(元禄2年)、彼らは江戸は深川を歩いて出発したのが3月27日。
それから37日かけて、ここ福島の飯坂温泉へとやってきたのです。
DSCF4875



















旅の疲れを取るには、最高の温泉だったことでしょう。

この木造3階建ての旅館、全面はほとんど窓。日当たりはいいけど、正面はガラス面が
ほとんど。窓枠はアルミサッシになっているけど、昔は木の枠だったのでしょう。
これだけガラスの面積の多いと、冬の寒さと地震の時が怖いです。

なぜなら、ガラスは熱伝導率が高く、冬の冷気を呼ぶからです。おそらく1枚のガラスだけ
なので、冬期間は寒いのでは?とあらぬ心配をします。

それと、地震では建物を支え切れるのか?という不安もあります。
と、余計な心配をしてしまいました。でも、長年耐えてきたから大丈夫なのでしょうね。

彼らの足跡が説明されています。
DSCF4876


































「ほりえや旅館」は、内湯もあって日帰り入浴客も受け付けてくれます。
その手前には、「飯坂温泉発祥の地」の碑もあります。
DSCF4877



















その横にあった巨大な木の樽。これって、湯を溜める貯湯槽?
よく見かけるのは水のタンクですが、このような木製の樽は初めてです!
DSCF4878



















ここには、お湯かけ薬師如来像がありました。
DSCF4879



















薬師如来ということは、多分温泉につかることによって、病気を治そうとしたのですね。
温泉効果で病を退治する、昔から使われてきたことです。

そして鯖湖湯。入浴施設として木造建築日本最古の建物だったらしいです。
ここ飯坂温泉には、9つの共同浴場があって料金は200円。
DSCF4880



















ここで、温泉に入ればよかった!と後悔します。でも、背中のリュックには温泉道具は
入れておらず手拭すらなく、あるのは汗拭きタオルくらい。

それでもためらったのは、まだ午前中だったから。
でも今になって思うのは、やはり入っておくべきだった、と。悔みました。後悔先に立たず!

しばらく歩くと「旧堀切邸」と書かれた豪邸がありました。
DSCF4881



















豪農にして豪商だった堀切邸。入場は無料。
DSCF4883


































戦国時代からの豪商で、相馬藩・白川藩・福島藩などの御用商人をして財を成した
堀切家。

足湯があったので、たまたま来ていたデイサービスのお年寄りの方々と一緒に混浴。
DSCF4882


































かなり広い面積、蔵もある。
DSCF4884



















福島市では、訪れる人に無料で開放していますが、受付の方に尋ねたら年々訪問者は
少なくなる一方だそうです。特に、2011年の震災後の落ち込みは激しい、とのこと。

特に、震災に伴う原発事故の風評被害があるそうです。太平洋岸から、かなり隔たって
いるのも関わらずです。

そういえば、各地で福島県出身者への「いじめ問題」がありましたね。ひどい事件ですよ!
福島というだけで、いじめるなんて!
DSCF4885



















ただ、残念なことにこんな看板を見つけてしまった。
「除染をしています 放射線除染業務委託」と書かれた看板。
DSCF4888


































原発のある太平洋岸から遠く離れたここでも、除染作業が行われているのか!と。
確かに、今でも福島市の放射線測定値は高いのは事実。

うーん、現実は厳しい。5年経っても除染しなければいけないのか・・・。

駅へと戻る途中で見かけた共同浴場。ここにも木の樽が置かれていました。
DSCF4887



















これは、防火用水?それとも温泉の湯?
多分、前者と思いますが。

摺上川スレスレに建物が建てられていて、洪水の時など大丈夫?と心配しちゃいます。
DSCF4889


































特に、水位ぎりぎりの窓があって、大雨が降った時などとても心配です。

駅の近くに見つけた共同浴場。
DSCF4890



















立派な建物ですね。
ということで、飯坂温泉には共同浴場があちこちにあり、車中泊をする旅人には大助かり
の温泉です。しかも低料金。

有名な温泉街の中には共同浴場がなく、代わりにホテルの日帰り入浴をしようものなら
1000円くらい取られるところもありますよね。それに比べれば、ここは良心的。

そんなことを感じた飯坂温泉でした。

最後に駅。
DSCF4891



















福島駅から飯坂温泉駅までの、9,2km 駅数12の福島交通飯坂線
「飯坂電車」、「いい電」の愛称もある電車です。

地元住民にとっては、通勤・通学の足になっている路線で、25分で終点へ。
15分間隔で動いているので、地元の方にはとっても便利な乗り物ですね。

明日は、JR奥羽本線の秘境駅を訪ねて山形県へと向かいます。
では、また!

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック ありがとうございます!

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリックお願いします。

いよいよ今日から高校ラグビーが始まりますね。年末のスポーツの一つに高校生の大会が
いろいろとあります。まずは、バスケットボール。もうすでに始まっていますが、サッカーも
30日からスタートします。

その中で、ラグビーが一番面白い!北海道のチームは弱いですが、できれば2回戦へ勝ち
進んでシード校を破ってもらいたいです。

道代表の札幌山の手と旭川工業の2チームに応援しています!

さて、飯坂温泉です。
東北の三大名湯といえば、宮城県の鳴子(なるこ)温泉秋保(あきう)温泉、それと福島の
飯坂温泉です。

もちろん、東北にはそれ以外に素晴らしい温泉はたくさんありますね。青森県の酸ヶ湯温泉
秋田県の玉川温泉など数多くの名湯があります。
DSCF4863



















奥に見えるのは、私鉄飯坂電車の終点「飯坂温泉駅」。福島駅から20分ほどの距離。
橋は十網橋、下に流れる川は摺上川
DSCF4864



















木造の素敵な駅舎です。右側の丸いものは何か?というと。
DSCF4871


































パンジーなどの花。3メートルくらいの楕円のモニュメントにたくさんの鉢を置いて、
まるで花の球みたいな形にしています。

その周囲にも花、花、花。4月だから、咲き始めたパンジーがきれい!

松尾芭蕉の碑も建っていました。
DSCF4865


































1689年(元禄2年)5月2日、江戸から下ってきた芭蕉と弟子の河合曾良がここに一泊
しています。

その日、雨に降られた芭蕉と曾良は飯坂温泉に入り貧しい家に宿を取ります。土間に
蓆を敷き、囲炉裏のそばで寝たが、雨漏りがあったりノミや蚊に悩まされ、おまけに芭蕉の
持病も再発するなど散々な目にあった、と「奥の細道」に書かれています。
DSCF4867



















ぶらり湯のさと坂のまち ぶらぶら歩いてひと風呂あびて・・・

1689年3月27日、江戸は深川を発った芭蕉と曾良は4月1日日光へ、
あらたふと 青葉若葉の 日の光」と詠み、5月1日」福島へ、そしてよく2日に飯坂温泉入り
ます。翌日には早くも白河に行き、9日には松島へと。
DSCF4866


































橋が架かる前の昔、摺上川には渡し船があったんですね。
DSCF4868



















飯坂町を流れる摺上川を挟んで両岸には六十軒以上の旅館が並んでいる、といいますが
駅のボランティアをしていたご婦人とお話ししたときに、「全盛期の半分以下になってしまった」
と嘆いていました。

統計は古いですが、1973年というから43年前は177万人の宿泊客がいましたが、2009年
はその半分以下の81万人まで減少しています。
DSCF4869



















十網橋の歴史が書かれた説明板。かつての写真も載せてあります。
下は、現在の橋。ここから上流に向かって、狭い土地にホテル・旅館が林立しています。
DSCF4870



















川の流れは遅く、まるで止まったかのよう。緑色の水は、きれいには見えないけど・・・。

ふと下を見る。
DSCF4872



















マンホールには鳥の絵。
もう一つのマンホールには、「飯坂温泉発祥の地 鯖湖湯」が描かれています。
DSCF4873



















飯坂温泉は、古くは「鯖湖の湯」と呼ばれていたそうで、平安時代末期から鎌倉時代に
かけての歌人、西行(さいぎょう 1118~1190)もここを訪れて
「あかずして 別れし人の 住む里は 佐波子(さばこ)の見ゆる 山の彼方か」と詠んで
います。

実は、そこから「鯖湖」となって定着したそうです。

駅前の駐車場に車を置いて、町を散策します。古い建物が数多く残っていて、町全体が
街並み保存区域みたい。蔵もあちこちで見かけます。
DSCF4874



















木造三階建ての建物はいつのころに建てられたのでしょうか?
DSCF4875



















明日は、さらに飯坂温泉を歩き、日本最古の木造建築共同浴場である「鯖湖湯」を見学
することにします。

では、また!

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリックお願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリックお願いします

12月25日のクリスマス。先ほど終えたJRAの今年最後のレース「有馬記念」は
本命が1,2,3着と人気順にゴールし、配当金も少なく波乱はまったくありません
でした。

がっかりでした。大波乱を期待してたのですが・・・。

さて、相馬の道の駅で車中泊。朝は、かなり冷え込みました。寝袋に縮こまりながら
朝を迎え、まだまだ4月の上旬は寒いなぁ、と実感。
もっと、南へ行かないと暖かくならなにのかな。

今日の1枚目は、南相馬市原ノ町駅から。
昔、といっても30年前のことです。仕事で東京へ出張。その時、東京のホテルへ
自宅から自転車を郵送、仕事を終えた後に自転車で函館まで帰ろう!と考えていました。

だから、行きはスーツで飛行機に乗り、帰りはロードレーサースタイルで自転車で、と。

東京・青森間の初日は、ここ原ノ町駅のビジネス・ホテルで一泊したことを思い出し
ました。駅は、もっと簡素な建物だったと記憶していますが、「原ノ町駅」は思い出の
場所でもあります。
DSCF4843



















ちなみに、自転車の旅は二泊目が岩手県平泉。翌日夜には青森港へ着いていました。
700kmを3日間で走ったわけで、1日230km平均。確か、初日は250km以上も走った
と思います。
DSCF4844



















さすがに、相馬の野馬追。駅には、こんな銅像が。
相馬といえば、江戸時代は譜代大名の「相馬中村藩」が置かれていて、いわゆる福島県の
浜通り北部を治めた藩。藩主の名は相馬、地名は中村で相馬藩とも中村藩ともいわれます。

鎌倉時代からの領主で、戊辰戦争終結時(1868年)まで、実に740年間に割る長期間の支配。
このような統治は島津氏(鹿児島)相良氏(熊本・人吉)など極めて少数だそうです。
DSCF4845



















4月の時点では、相馬駅と原ノ町駅間しか運行されておらず、それより南は今での
運休中。北へは、先日相馬駅・浜吉田駅間が開通し仙台まで直通できることになりまし
たね。
だから、駅の案内板には、上りはなく時計の掲示板だけ。
DSCF4846



















南相馬市から東へ進路を取る。飯館村に入ると、除染された大きな黒い袋が山積みされた
光景が目に付く。

田んぼだった場所や、谷沿いに数百いや数千の除染袋が。これ、どうするのでしょう?
どこへ持っていくの?だれか考えているのでしょうか?
DSCF4847



















途中の集落で休憩。奥には茅葺の古民家が見えるし、手前には庚申碑
北海道と沖縄を除く全国に見られるもので、いわば信仰の対象物ですね。
DSCF4848


































文化13年9月とあるから、西暦1816年のこと。ちょうど200年前のことです。
11代将軍の家斉の時で、翌年にはイギリス船が浦賀に来航していて、鎖国を維持する
のが困難になりかけてきた時代ですね。

ツクシが伸びていて、やっぱり北海道とは全然違う。日中は暖かいです。
DSCF4849



















常念寺という名のお寺がありました。背後には、巨大なイチョウの木が。
DSCF4850DSCF4850





































































すみません。同じ写真を2枚使用してしまいました。

樹齢250年、樹高22メートルの高木です。
飯館村の指定天然記念物になっていますね。
DSCF4851



















漆喰の壁がむき出しの倉庫かな?
DSCF4852



















国道399号線を伊達市へ。最初に見つけた布川沿いにあった磨崖仏
DSCF4853


































道路に車を停めて、歩いて数分。
DSCF4854



















三十三の観音信仰の名残ですね。
DSCF4855



















巡礼に行けない人たちのために、地元に西国三十三観音を祀って信仰していたのです。
江戸時代は生きるのも大変な時代で、神にすがる農民たちの信仰心が篤かったのでしょう。
DSCF4856



















信仰の山」湯殿山(1500m)は、21世紀の今日でも頂上までのルートは作られていません。
山頂はご神体であり、人の踏み込めない聖地だからです。

先日、湯殿山を調べていたら知ったのです。同じ信仰の山である月山(1984m)は、頂上
までルートは開拓されていて山小屋もあるし、芭蕉の句碑もありますが、湯殿山は山頂を
迂回するルートだけです。それだけ神聖な場所なのですね。
DSCF4857


































湯殿山は、生身の人間が生きながら即身成仏する俗界とは違うところなので、人工の
社殿は造られていないのです。

だからこそ、人は湯殿山を神として崇めていたのですね。

やがて、伊達市保原駅へ。
DSCF4858



















ここは、三セクの阿武隈急行の駅。
福島駅から宮城県の槻木(つきのき)駅までの54,9km、24駅。

保原駅は、旧伊達郡役所を模した造りとなっていて、レトロな感じがしますね。
DSCF4859


































そしてここは、伊達氏発祥の地

サンドイッチマンの伊達さんも関係あるのでしょうね。
北海道の伊達市も福島県の伊達市も同じ漢字を使い同じ発音です。

同一名称の市で、同様な例は府中市(東京都と広島県)、若松市(福島県と福岡県
北九州市若松区)の3例があります。

北海道の場合は、仙台藩主の伊達家の家臣(分家)である亘理(わたり)伊達家
明治維新後に入植したが由来となっています。

一方で、鎌倉時代というから今から800年も昔、伊達郡の領地を与えられたために
伊達氏と改称したのが始まりらしい。

歴史を紐解くと、鎌倉時代の1189年、源頼朝が率いる大軍が平泉の藤原泰衡(やすひら)
を討つために鎌倉を出発、頼朝の家来だった中村氏はここで勝利し、ご褒美に伊達地方
を頂戴しました。そこで、中村氏は伊達氏と名を変えたのでした。
DSCF4860



















その伊達氏のフィギュアもありました。伊達巻きも販売しています。

長崎においてはカステラ蒲鉾とも呼ばれる卵料理の一つの伊達巻き。
その由来は、
①伊達政宗の好物だった。

②卵焼きよりも見栄えが豪華で、洒落て凝っている装いを意味する「伊達者」から
伊達巻きとなった。

そういえば、伊達者とは粋でオシャレな男性をいいますものね。
DSCF4861


































たまたま電車が通り過ぎて行きました。パンタグラフがあり電線が走っているから、
電車ですね。ディーゼルではないです。
DSCF4862



















ということで、福島県中通りの伊達市まで来ました。
明日は、県庁のある福島市の奥座敷である飯坂温泉へと向かいます。

それでは、また!

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリックお願いします


一昨日、今年の「秋の旅」の総集編を50回でもって、終えることが出来ました。
なぜ、総集編をするのか、というと。

リアルタイムの旅は、スマホで写した写真を当日の夜にブログにして発信しています。
が、実際に作業できるのは写真10枚から20枚程度で、文章も限りがあって、せいぜい
その日の報告という感じで収まっています。

と同時に旅している時、日によって違いますが、必ずカメラで1日30枚から50枚ほどは
撮影しており、それをもとに旅行中に集めた資料とともに旅を終えて帰宅後に、総集編
のブログを作ることにしているわけです。

その方が、より詳しく紹介出来るかな?と考えて実行してきました。
今回の「2016年 春の旅」、実は5月に16回目で中断していました。

なぜか?5月のブログは結構休みがあり、おまけに6月1日から「初夏の旅」に出発した
ので、完結しないまま放置されていたのでした。

それで、今回しばらく「春の旅 総集編」として、アップすることにいたしました。

そこで、復活「春の旅」は前回5月で中断した宮城県仙台市の伊達政宗公の眠る瑞宝殿
からお伝えします。
DSCF4826


































青葉城の駐車場は400円必要でしたが、その麓にある瑞宝殿の駐車場は無料で、20台ほど
のスペースがありました。

ただ、そこから坂道を登って行かなければいけませんので、足の悪い人には不便なところ
でもありますね。

瑞宝殿は、藩祖伊達政宗公と殉死した家臣と陪臣(家臣の家臣)20名の印塔(お墓)が
並んでいました。

前回はそこまで紹介しているので、今回は2代目藩主の忠宗公の感仙殿3代目の綱宗公
の善応殿を見学します。
DSCF4827



















伊達政宗の誕生した場所は、このブログで何度か紹介したことがありますね。
山形県の米沢市の米沢城です。

1567年の生まれですが、仙台城の建設は1601年から。つまり関ヶ原の戦い以後です。
青葉城は通称で、正式には仙台城。ナビでも青葉城と打っても出てきませんでしたからね。

それしても、この2代目の忠宗の感仙殿の豪華絢爛なこと!
DSCF4829



















全体の姿は、ご覧の通り。本殿両脇には殉死した家臣12名と陪臣4名の印塔がありますが、
当時はお殿様が亡くなると、一緒に腹を切って死んでいったんですね。

殉死とは、何と悲しき習慣だったこと・・・。
余りにも殉死が多く、4代目の将軍徳川家綱は、1663年武家諸法度を改め「殉死の禁止
をしています。

殿が亡くなるごとに、優秀な家臣が死に、さらにその部下の陪臣がさらに死ぬ、まるで殉死の
連鎖みたいなもので、そんなことが続いていたら藩は維持できませんものね。
DSCF4828



















そこ横には、善応殿があって、ここは3代目の綱宗公の廟。廟(びょう)とは、お墓であり
神殿のような神仏を祀る宗教施設ですね。
DSCF4830



















さすがに、家綱の「殉死禁止令」の後だっただけに殉死者はいませんが、代わりに
14名の家臣が剃髪して100日間の弔いを行っています。14名の一人は出家していて、
彼の没後は遺骸が善応殿の南側に埋葬されているとのこと。

殿が死ぬと、頭を剃り100日間も喪に服すなんて、今では考えられませんね。
まして、一緒に死ぬなんて・・・。
DSCF4831



















手前が善応殿、奥が感仙殿です。どちらもハデハデな装飾。
もっとも、戦災で全焼しましたが復元されて今の姿になっています。
DSCF4832



















これが、殉死した家臣たちの印塔ですね。それほど、殿が死ぬと一緒に死にたかったのか?
でも、それって21世紀の今でもあるかも?

長時間労働で過労死した職員がいた、超大手企業の「電通」の社訓には「死んでも放すな!」
とありましたよね。

命を懸けて仕事せよ!と、まるで江戸時代と変わらぬ社風は、殉死を当然としたサムライの
時代と何ら変わらぬかもしれませんね。
DSCF4833



















ほかに、戊辰戦争で亡くなった仙台藩士1260名の慰霊碑もあります。
そういえば、仙台藩も「奥羽越列藩同盟31藩」の有力な一つでしたね。
DSCF4834



















4月上旬の桜がきれいな季節でした。今の冬の季節とは、真逆で返って新鮮かも?
DSCF4835



















この階段62あるそうとか?そのわけは62万石だったからとか?
本当でしょうか?数えなかったから、正直言えませんが・・・。
DSCF4836



















駐車場のそばにあるお寺、瑞宝寺に寄ってみました。
DSCF4837



















彫刻が、細かく凝った作りですね。
ここも伊達政宗公の菩提寺なのでしょうか?

調べてみましたら、2代目藩主の伊達忠宗が藩祖である正宗公の廟である「瑞鳳殿」が
造営されたときに、1637年に創建されています。

さて、「春の旅」はここまで妻と一緒の旅。ここで仙台駅へ行き、彼女は10日前に開業した
ばっかりの北海道新幹線で帰宅します。

つまり、ここから私の一人旅がスタートするわけです。
そんなわけで、一人旅の1枚目が仙台空港の南に位置する亘理町の津波の被害を受けた
学校から。
DSCF4838



















遠くの防波堤の向こう側は、太平洋。まさに海のすぐそばに位置する学校でした。
黄色のハンカチが、たくさん吊るされているのは「幸せの黄色のハンカチ」からきている
のかな?
DSCF4839



















仙台駅から、ひたすら海岸沿いを南下して福島県へと。その途中で見た光景です。
DSCF4840


































仏舎利塔があることは、ここで多くの犠牲者が出たのですね。
合掌。
DSCF4841



















ということで、福島県相馬駅へとやってきました。
今夜は、駅から南へ5kmほど行った道の駅「そうま」で車中泊です。
DSCF4842



















国道6号線は、復興工事の大型トラックやダンプカーが24時間走っていて、とてもうるさく
この旅初めての車中泊には、最悪の場所。

それにとても寒かったのです。当たり前ですね。季節は、まだ4月の上旬。多くの車は
冬タイヤを装着したままで、夏タイヤに変えてきた自分の車がおかしく見える。

寒さと喧騒で、熟睡とはいかず朝を迎えました。
明日は、相馬市から南相馬市、内陸部の飯館村へと走ります。

10月の秋の旅でも、放射線想定値は高かったのに4月だったらもっと高かったことでしょう。
それでも、一度は見ておきたかったのです。

では、また!

←応援クリック お願いします。

←応援クリック お願いします。


10月に旅した「秋の旅」総集編も、今回を持って最終回となりました。
たまたまですが、今回が50回目となる、ちょうど区切りのいい数字でめでたし、めでたしで
終われそうです。

さて、宮古市田老の仮設商店街からが今日の1枚目。
DSCF7170



















国道45号線沿いの高台にあった古い田老の道の駅は閉鎖中で、市街地の低区に現在
建設中。

多分、年内には完成するでしょうから、来年度からは万里の長城と呼ばれた巨大防潮堤
の内側の住宅建設不許可区域の、国道沿いに新しい道の駅を発見できることでしょう。

ここでは、2階にある「ゆいとり工房」を訪れたかった。田老の仮設住宅で暮らすご婦人
たちが、手作りの工芸品を生産し販売する場所です。

仮設に居て、ただ何もしないで時が過ぎるよりも、自分たちの手で何か生産できないか、
と考えて始めた工房です。

それは、バッグだったり手提げ袋だったり、もうけはなくてもスタートしたのです。

ところが、震災から5年半が過ぎ、仮設で暮らす人たちが一人去り、とうとうここでの作業を
止めることになったのです。

来年は、高台に出来る新しい町で再スタートするそうですが、どうか今後もお元気で
工房を続けてもらいたい!と少しばかり購入し、お別れの挨拶をしてきました。

その後は、国道45号線をひたすら北上し、田野畑村の道の駅へ。
DSCF7172



















広い公園になっていて、木々の間から深い谷底をつなぐ大橋が見えます。
DSCF7171



















200m以上もある谷を跨ぐようにして完成した思案大橋という名の橋。
以前は、一旦谷へ降りてまた上がるという繰り返し。田野畑村へ赴任した役人や教員は、
ここで思案したそうです。

毎日の上り下り、これは大変だ、辞めて帰ろうかな?と。
DSCF7173



















それだけ深い谷がある田野畑村。
DSCF7174


































三閉伊(さんへい)一揆とは、ここ田野畑村を中心に1847年及び1853年に発生した百姓
一揆で、支配する南部藩に対する農民反乱のことです。

場所の由来は、三陸の野田通、宮古通、大槌通の3つからなる地区。背景には、幕末に
ロシアの南下に対して、幕府は南部藩に根室と箱館の警備を任せたことから、南部藩は
財政的に苦しくなった。

藩は、その財源を支配下の農民に求めて、過酷な税の取り立てを強行したのだった。
それに対して、ついに農民は堪忍袋の緒が切れて、史上最大ともいえる人々が立ち上がり、
最終的には勝利を勝ち取るのである。
DSCF7175



















その歴史を見るために、田野畑村の民俗資料館へと、足を延ばした。
DSCF7176



















先ほどの思案大橋から距離にして3kmほどの場所。村役場のある高台にありました。
DSCF7177



















田野畑村は、となりの普代村や野田村と並び、平成の大合併時に近隣の市町村と
合併せず、独立を保っている数少ない東北の村の一つです。

それも、歴史に残る最大級の百姓一揆を起こし、勝利したこととも関係があるのでしょう。
自主独立の精神、東北特有の粘り強さがあるから、と感じさせました。

指導者の像が建てられています。
参加者に中には、農民だけではなく漁民やその他の様々な生業をしている人々、女性も
多く年齢層も幅広かった、といいます。

今回の秋の旅では、岡山県真庭市の「山中一揆」を調べていた時に、指導者の子孫の方と
お会いしましたが、その方も、ここを訪ねています。

山中一揆は、51名の犠牲者を出して失敗に終わりましが、ここでは多くの犠牲者もあり
ましたが、最終的には南部藩が折れ、弾圧した家老も処分されていて一揆は成功したのです。

日本の歴史の中で、数少ない農民の勝利であり、権力に対しての勝ち取った反乱だった
のが、三閉伊一揆だったのです。
DSCF7178



















しかし、残念なことに日本史の教科書には掲載されていません。日本史では、国家に逆らう
者は反逆者として歴史から抹殺されているからです。

でも、歴史を直視すると日本の各地で、人間として生きる権利を主張して立ち上がった人々
はいます。

今回の旅でも、山中一揆を知りここ田野畑村でも勝利した農民を知りえました。

旅して、一番良かったことは景観の美しさや美味しいご当地の食べ物もありますが、
それよりもそこに生きる人々の歴史を肌で感じたことです。

食べることよりも、見ることよりも、そこでい来る人たちとお話しすること!そこに一人旅の
良さがあります。だから旅を続けることが出来るのです!
DSCF7179



















田野畑村で新たら発見をしたのち、隣の普代村へ。
ここは、三陸鉄道普代駅。
DSCF7180



















普代村といえば、東北楽天ゴールデンイーグルスの銀次選手です。

彼の本名は、赤見内(あかみない)銀次。1988年2月24日生まれの28歳。
下閉伊郡普代村の出身で、2005年高校生ドラフトの3巡目で入団しています。

駅のとなりにある、障がい者を雇用するレストランがあり、ランチタイムとしました。
DSCF7181



















明るい笑顔で接する彼らは、サービス精神も豊かで挨拶もしっかりと出来ていて、
楽しく食事しました。これで、確か670円でしたら大満足です。コーラもスープもデザートも
付いてですよ。

この後、野田村で生産している塩を購入し、お土産に。
その後は、一気に青森県入りし青森港まで。さすがにフェリーターミナルに到着したときは、
すっかり日も暮れていました。

結局、函館着は日も改めた翌日早朝。青森・函館間は、100km少々の津軽海峡越えで4時間。
これが新幹線だったら、ほんの1時間。正確には1時間と1分。

フェリーは4時間かかりますし、乗船するまで時間がかかるし、すぐには出発しない。
名簿も書く必要があります。でも、料金的には格安。

新幹線だと、新青森駅・新函館北斗駅間は普通車指定席で7260円。フェリーだと10月~
5月までは、大人(12歳以上)が1600円で、しかもHPからクーポンを見せれば1割引き。
1440円で済みますからね。

ということで、50回に渡って紹介した「2016年秋の旅」これにて終了です。
少し休んでから、「2016年春の旅」の総集編がたくさん残っていますので、旅に出れない
冬季間、紹介していきたいと思っています。

間もなくクリスマス、そして大晦日とお正月。

一足先にメリークリスマス! 

今日は、一年で一番昼間の時間が短い冬至でした。明日からは、日も長くなります。
場所にもよりますが、北緯42度の函館では1日のうち、朝1分と夕方1分、計2分ずつ
昼間の時間が長くなります。

現在は、夜15時間で昼9時間ですが、3か月後の春分の日には昼夜12時間ずつに。
そして夏至には、昼間15時間に対し夜は9時間。

早く春に、夏になって欲しいです。

「秋の旅」長らくお読みいただきまして、ありがとうございました!

それでは少しばかりの休憩と近いうちの復活を約束して、では、また!

←応援クリック いつもありがとうございます。

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。


昨夜はJR宮古駅で終えましたが、今日はそのとなりにある三陸鉄道宮古駅から。
DSCF7153DSCF7149







































すみません、JR山田線の磯鶏駅が出てきましたが、これは関係ありません。
削除したのですが、新しいパソコンではその方法が分からず、載せてしまいごめんなさい。


三陸鉄道宮古駅から次の駅へと行きます。市街地にある山口団地駅です。
山口という地名に団地があるのかな?と想像し向かいましたが、果たしてそこは
団地そのもので、団地の建物がいっぱい。
DSCF7154



















西方向の左側が山側で、斜面の上は住宅街、左側は3階建ての団地がいくつも。
名前の通りの「山口団地駅」でした。
DSCF7155


































駅表示板の上に、駅長室があって小鳥の巣が備え付けられています。
駅のキャッチフレーズが「黒森の鼓動」とあって、意味が良くわからないが、多分「自然が
いっぱいの駅」ということかな?

黒森神楽の絵もあって、昔から神楽の盛んな土地柄なのかな?
まるで、島根県の江の川沿いみたい!

いってらっしゃい」と見送るウサギさん。
DSCF7156



















おかえりなさい」と出迎えるウサギさん。
DSCF7157



















続いて向かったのが「一の渡駅」。ここへは、一度国道45号線に戻り5km以上も北上し、
山の中へ。周囲は山林だけという、不思議な駅。
DSCF7158



















この2枚の写真を見てもわかる通り、人家はありません。それだけになぜ?と疑問が
残る駅なのでした。
DSCF7159



















時間は、夕方で間もなく日が暮れそうです。次の「佐羽根駅」は明日にして、今日の車中泊の
場所を探さなくてはいけない。

そこで思いついたのが、春の旅で訪問した田老の町のビュー・スポットの三王岩の駐車場。
あそこで寝よう!と。

3つの岩、一つは左に見える男岩で高さは50m、二つ目が女岩23m、三つめが太鼓岩
17m。
DSCF7160



















三陸復興国立公園にある数多い奇岩景観の中でも、特に優れた一つです。
日も暮れて、暗くなる寸前の風景です。

この日は、ここの駐車場で車中泊。駐車スペースは20台くらいあるし、トイレがとても
きれいで、ウオッシュレット。震災後に出来た新しい施設です。

その夜は、満点の星空。三脚があれば天空の星を写せたけど、ご想像にお任せします。
さえぎる明かりがまったくなく、キラキラ光る無数の星空に感動しました。

翌朝の同じ三王岩。
DSCF7161




















今日もバッチリ快晴!
震災以前は、波打ち際まで降りることができたが、遊歩道は破壊されて今は行けません。
でも、3つの岩は津波に耐えて、今もその姿を見せています。
DSCF7162



















反対側を見ると、田老の市街地が見えます。田老町は、現在は宮古市と合併。
万里の長城にも例えられた巨大な防潮堤も、2011.3.11には耐えられず津波は押し寄せ
市街地を荒らし尽くしました。

その一つである「田老観光ホテル」を望遠で捉えました。
DSCF7163



















津波は4階まで来た、といいます。現在は震災遺構として保存が決まったホテルです。

さて田老の市街地へ戻り、復興工事のトラックが行き交う国道45号線を南へ、田老川を
上流へ向かう道へとたどります。

小田代(おだしろ)の分岐点を左へ、間もなくしてナビは佐羽根(さばね)駅周辺です、と
言ったが・・・。周囲に駅らしき建物は、まったく見えない。

車を停めてストップしていたら、若い女性が自転車を走らせて小さな川に架かる橋を渡り
通り過ぎて行ったのです。

もしかしたら、川の向こうか?と思い行ってみたらありました。
DSCF7164



















長い階段の先に、ホームらしきものが。
ホームの周囲は、深い森の木々で覆われて遠くからは見えなかったのです。
DSCF7165



















これじゃ、先ほどの道からは駅は見えないはずだ!と妙に納得。
森の中に駅が存在する、というくらい自然に溶け込んでいる駅で、ここはまさしく秘境駅。
三陸鉄道の秘境駅としては、「白井海岸駅」が知られるが、ここはそこよりも秘境度は高い。

確かに、集落があって人家は10数軒あったが、駅までの道を見つけるのが大変だった。
まぁ、白井海岸駅は国道から海のある谷底へ向かって急下降した場所にあって、周囲には
人家一軒もない秘境度たっぷりの駅だが、夏は海水浴客で賑わうことでしょう。

でも、ここは人を寄せ付けない雰囲気の駅。だから、自分的には秘境駅でもかなりランクは
高い!と思いました。
DSCF7166



















宮古駅を出発した列車がやってきました。
列車が来るまでの間、先ほどの自転車でやってきた若い女性と、少しの間お話し出来
ました。

佐羽根の集落のさらに山奥から毎朝自転車で通勤している、とのこと。朝6時台の列車
の乗って田野畑村方面へ行く、と云います。

田野畑村は、この先さらに20km近くあります。毎朝ご苦労さまのことです。
DSCF7167



















乗客は、彼女を入れても数名しかいなかった。北リアス線も集客には苦労しているけど、
何とか頑張ってつぶさないで欲しい!と祈ります。
DSCF7168



















右を見ても、左を見ても深い森の中。そんな中を次の駅である田老駅へ向かって走って
行きました。
DSCF7169



















ということで、三陸鉄道の秘境駅「佐羽根駅」終了。

帰りに、分かれ道を別な方向へ。というのも小田代冷泉という地図表記を見て、確かめたく
なったのです。
さらに山中へ行くと、人家10数軒の集落へ。地元方とお話しすると、集落の会館が温泉施設
になっていると。地元民は無料だが、ビジターは300円。

畑を耕していた方と、少しばかりでしたがいろいろとお話し出来ました。

明日は、さらに北の田野畑村へ。そこの民俗資料館へ行き日本三大一揆の一つである
三閉伊(さんへい)一揆を調べてきます。

それでは、また明日!


にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ応援クリック お願いします!

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。


昨夜のサッカー・クラブワールドカップ決勝は、鹿島アントラーズの驚異的な粘りで興奮
しましたね。2-2で延長戦に入った時は、もしかしたらPK戦で勝てるかもしれない、と期待
した時もありました。

残念ながら、ロナウドのハットトリックの活躍もあり2-4で敗退しましたが、世界のレアル・
マドリード相手に大善戦。鹿島に大あっぱれです!!

さて、ここは釜石市のJR釜石駅
DSCF7140



















2019年のラグビーワールドカップの開催地にもなった釜石です。かつては、新日鉄釜石
日本選手権で7連覇という偉業を成し遂げたこともありましたが、現在釜石シーウェイブス
は、サッカーでいうところのJ2にあたるトップチャレンジ参入マッチを戦っていて、12月11日
は関西の大阪府警に勝利。どうやら、来年はトップリーグの下位グループである2部リーグで
戦うことになりそうです。

出来れば、3年後の2019年はトップリーグに昇格してもらいたいですね。

そのとなりに三陸鉄道釜石駅があります。建物は、JRと比較して小さいけどしっかりと
運行しています。

昨日、紹介した南リアス線がそうです。大船渡市の盛駅まで毎日走っていますね。

ところが、JRは釜石駅から津波の被害がなかった内陸部の遠野駅花巻駅への
釜石線は運行していますが、沿岸部を走る山田線はいまだ運休中。
DSCF7141



















そんなわけで、JR山田線の駅を探しに旅に出ます。
まずは、お風呂へ。2日ぶりの温泉へと。
DSCF7142



















この日は、水曜日で多くの公共温泉施設はお休み。それで、探しあてた温泉が重茂
(おもえ)半島の山間部にある島田鉱泉

本来は25度以下が鉱泉だから、ぬるいのかな?と思って入ったら、ものすごい熱い温泉。
聞いたら、ボイラーで沸かして熱くしていて、それ以来客のリクエストで熱い温泉で通して
いる、とのこと。

ポッカ、ポッカに暖まりました。

山田町の豊間根駅から。宮古湾から5km以上も内陸部にあるため津波の被害は
なかったものの、駅舎は閉鎖。もう、5年9か月以上もの間運行されていません。
DSCF7143



















かつては、向かい側にも線路があったのですね。ホームは雑草が生い茂り、まったく
使われていない状態を示しています。
DSCF7144



















利用者がいれば、掃除もするし雑草も刈り取るのだけど、6年近くも放置すれば、
荒れ放題。
DSCF7145



















続いて、宮古市の津軽石駅。どうして名前が津軽なのだろうか?
建物の高さ1.5mくらいまで津波が押しよせたことを示すマーキング。
ここは、宮古湾から1kmくらいだし、津軽石川が流れていて、それに乗って津波が
押しよせたと思います。
DSCF7146



















ここも草茫々。
DSCF7147




















DSCF7148



















続いて市街地にある磯鶏(そけい)駅
DSCF7149



















ここも、駅の待合室の建物は半分くらいまで津波に襲われています。
DSCF7150



















線路は赤錆びていて、列車走っていないことを示しています。いつになったら走るのか?
JRは、線路を復旧させて三陸鉄道へ受け継がせたいと考えていますがそうやって、
赤字路線はすべて地元の三セクに任せるつもりなのか?

鉄道は利益追求だけではいけない!と思う。地方の赤字は中央の黒字で補うべきもの。
赤字=即廃止は、まるで地方切り捨てです。

このままじゃ、地方の鉄道はなくなってしまいます。
DSCF7151



















最後は、JR宮古駅
DSCF7152



















宮古駅からは、内陸部の盛岡駅まで鉄道が走っています。が、途中の岩泉線
廃止。それも線路が土砂崩れで運休していたが、工事はされずにそのままなし崩し
に廃止へ持っていきました。

明日は、JR宮古駅のとなりにある三陸鉄道宮古駅から北リアス線の各駅を巡ります。
今まで訪れることのなかった秘境駅も訪ねますが、それはまた明日!


では、また!


にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。

2016年もあと2週間、あっという間に過ぎた1年だったような気がします。今週末はクリスマス・
イブだし、来週は年末の大掃除と年越し、時間が経つのは本当に早いですね。

さて、今年の旅を振り返る総集編、10月に旅した「秋の旅」もいよいよ岩手県。
今日は、私が大好きな駅である「恋し浜駅」へ。

まずは、大船渡市の出発駅である盛駅から二つ目の綾里駅から。
DSCF7125



















JR盛駅のとなりに三陸鉄道盛駅があります。JR東日本は、大船渡線や気仙沼線の
復旧をすでに諦めたのか、BRTというバスに転換して列車が走るレールは撤去しています。

それに対して、三セクの三陸鉄道はいち早く復旧、南リアス線の完全復活は震災の2年後の
2013年春の事でした。

2013年4月4日、私は定年退職(2013年3月31日)後の直後で、真っ先に旅をする場所として
選んだのが三陸です。
旅した時、ちょうど大船渡市盛駅と釜石駅を結ぶ南リアス線が復活したのです。

クウェート政府からプレゼントされた新型車両とともに、再開した一番列車が走りだしました。
それを見ただけでも来たかいがあった、というもの。地元の方々と共に喜んだ記憶がよみが
えります。

あれから3年半。何度も訪れていますが、またしつこく訪問しました。
綾里駅のとなりの恋し浜駅へ。
DSCF7126



















途中、山越えのルートがあり越喜来(こきらい)湾が望めます。県道9号線といっても、
1車線の細くて険しい道。対向車が来たら、どうしようか?と心配になるルートです。
DSCF7127



















そして辿り着いたのが、小石浜。駅は恋し浜駅。名前の通り、浜で湾内では名物
ホタテの養殖が盛んな地。

駅に到着してすぐ、盛駅からの下り列車がやって来ていて、カメラの用意をしている間に
釜石方面へ出発して行きました。
DSCF7128



















駅の下は、子供たちのスクールバスの待合室。地元住民が小さな庭を造り、バラを
咲かせています。

ご覧のように、線路は高台にあって津波の被害はなく、沿線の中でここは無事でした
が、次の甫嶺(ほれい)駅は海岸のすぐそばに位置していたために被害甚大でした。
DSCF7129



















さて、それではここの駅を詳しく紹介しましょう。

まずは、高台に建つホームへ。ホームからは小石浜の集落が見えます。総戸数50戸
もないかな?小学校もありません。もちろんコンビニもなく、あるのは漁港とホタテの
作業場くらいか?

最近、駅の正面に喫茶店みたいなカフェが出来ました、私が訪れた時は毎回閉じていて、
普段は開いているのかな?と不安になったほど。

愛の磯辺 恋し浜」、夜はライトアップされます。
DSCF7130



















日本に4つある恋の駅が紹介されています。母恋駅恋山形駅は訪問しましたが、
恋ケ窪駅はまだ。東京へ行った時でも、少し足を伸ばして訪れようかな?
DSCF7131


































ホーム上にある小さな待合室には、恋の願いを書き入れた名物のホタテがたくさん吊る
されています。
DSCF7132



















初めて訪れた2013年4月は、壁面に吊るされていただけでベンチに座れましたが、
3年後の今はそれが二重、三重、四重にもなっていて、どれだけの人が訪れたのか
驚いてしまします。
DSCF7133



















クリックして拡大すると、何が書いてあるかわかります。恋の願いだけではなく、復興への
希望などたくさんの願い事が書かれているのです。


ここの待合室には、そのためのたくさんのホタテとマジックインクが置かれていますので、
手ぶらで訪れても大丈夫。

ここでは、毎年春・秋、駅の真下にある人家の庭先で車中泊していました。最初訪問した
時に、ここの方が親切に「うちの庭で泊まっていけよ」と云われ、毎回訪問するたびに泊ま
っていたのです。

黒やオレンジ色の浮き球が置かれている場所です。でも、今回はパス。
DSCF7134



















1985年に小石浜駅が誕生、2009年に恋し浜駅へと改称されていますね。
ホタテのブランド名が恋し浜なのです。
DSCF7135



















2013年は、急な階段を上り下りするしかなかったのですが、2年前から車椅子でも
登れるように、緩やかなスロープが出来、そこにも願い事が書かれたホタテが吊る
されるようになったのです。
DSCF7136



















イケメンな鉄道ダンシが御出向かいしているスロープ。
ジグザグな道を辿って下へ。ピンクのポストに投函すれば、願い事が叶うとか!?

あと5年もすれば、このスロープがすべて恋の願い事のホタテで埋め尽くされそうな
勢いです。
DSCF7137



















ということで、恋し浜駅素晴らしい無人駅でしたね。
DSCF7138



















横を見たら、「恋するホタテツリー」なるものがありました。子供だったら、喜びそう!
DSCF7139



















明日は、さらに北へ。

津波の被害を受けて運休中のJR山田線の各駅を巡り、重茂半島山間部の秘湯に
入ります。
では、また!

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。


気仙沼市の朝は、車がびっしり!渋滞の真っただ中で、国道45号線は少しずつしか
進まない。

公共交通機関のバスを使うよりマイカー利用の方が便利だし、高校生も保護者に
送迎してもらった方が楽だからバスに乗らない。

よって、朝の通勤・通学時間帯の道路は混み合う。さらに輪をかけて復旧作業のトラックが
ひっきりなしに走るのだから、渋滞は一層ひどくなる。

横の歩道を走る自転車が、颯爽と追い越していく。
だから、もっと朝早く出発すれば良かったのに、と反省するが後の祭り。

さて、今日の1枚目はJR東日本の上鹿折(しおり)駅から。
DSCF7112



















小さい駅舎のドアと窓は、べニア板で塞がれているのは、震災(2011.3.11)後、運休中
となっている。

津波は、気仙沼湾から5km以上も内陸部のここまでは来なかったが、気仙沼市街地や
北の陸前高田方面が被害を受けたから鉄道は運休中。

気仙沼駅から南の気仙沼線は、全く運行できずにいるのは、昨日の「大谷海岸駅」を
見てもお分かりの通り。

南三陸町の歌津駅志津川駅は流されてしまったし、陸前戸倉駅までのレールは寸断
されてズタズタ。

それでも、内陸部の柳津駅から石巻線と合流する前谷地駅までの西側は運行されていて、
何とか石巻方面や古河方面と繋がり仙台駅までは行ける。

しかし、柳津駅から海岸沿いは列車ではなく、線路跡をBRT(バス高速輸送システム)
走っていて、それは気仙沼駅から北の大船渡線も同じ。

気仙沼駅から北、陸前高田駅・大船渡駅・盛駅までBRTで代行されている。

だから、駅は震災後5年半以上が経過していても、閉鎖されたまま。
DSCF7113



















ホーム上の待合室も同様だ。
DSCF7114



















寂しいかな、雑草が茂りレールは錆び付いている。誰も利用者がいないのだから当たり前
なのだが、哀れな感じがする。

そんな上鹿折駅からさらに県道34号線を北上すると、鹿折金山資料館の看板を見つけた。
県道から逸れて少し行くと、小さな神社があった。

その名も「金山神社」。
DSCF7115



















となりの建物が資料館なのだが、その前にこの神社を見学する。
DSCF7116



















奥に見えた巨大な石は、なんと岩塩。モンゴルからの贈り物で、1580キロもある
世界最大級の代物。

3億5000万年前の地球の歴史を物語るもので、「神聖な塩」とも呼ばれるそうだ。

それでは、手に触れてみましょう。
DSCF7117



















確かに塩です。しかも巨大!1トン以上もあるのだから。注連縄を巻いていて、まさに神聖な
塩。

ざらざらしていて、石と変わらない。日本の塩は海水を蒸発して製造するが(例えばこの後
訪れる岩手県野田村の塩など。実際、製造現場を見学したが、薪を燃やして海水を蒸発させ
生産していた。)、これは海から遠い内陸部のモンゴルから出てきた岩塩。

初めて見た巨大な岩塩に驚きました!

それでは、金山資料館に入って見ましょう。料金は取りません。無料です。
DSCF7118



















世界遺産に指定された、あの平泉の中尊寺金色堂にも使われた金の一部は、ここで
生産されていたそう。
ここの砂金が献上されていた、との文献が残っている。

江戸時代も採掘されて、鉱山として発展したそうだ。

明治37年、1904年日清戦争が始まった年だが、何と金の含有率83%という自然石が発見
され、世界中で「ナゲット・モンスター(怪物金)」と称賛されたそうだ。
DSCF7119



















その怪物金の重さは、2.25kg、金の含有率83%。アメリカ、セントルイスの万国博覧会に
出展されて青銅メダルと大賞を受賞したが、その後行方不明になり、かろうじて6分の1の
塊だけが残り、それは厳重に保管されているという。
DSCF7120



















最盛期は600人以上もの使用人が働いていて、国内10大金山の一つだったそうです。
しかし、その後は採掘が小規模になり、1971年(昭和46年)今から45年前に閉山されて
います。

そんな歴史があることを始めて知りました。確かに、北上山地は金山が多く、砂金が
今でも採掘されるそうです。

義経も逃げてきて頼った奥州藤原氏の黄金文化、ここもその一つなのかと垣間見た思いが
しました。

さて、次の駅へと行きます。
DSCF7121



















県道は飯森峠(211m)を越えて険しい山道を辿るが、大船渡線はトンネルを越えて
岩手県へ。

岩手県最初の駅は、陸前矢作(りくぜんやはぎ)駅
ここは、バス停として利用されているから、駅待合室は閉鎖されていませんね。
DSCF7122



















上鹿折駅と陸前矢作駅の間は、10km近くあるが、それはその間に集落がないから。
峠を越えた最初の集落が矢作(やはぎ)。もとは矢作町として独立していたが、陸前高田市
と合併。
DSCF7123



















ご覧のように、線路の上もホームも雑草が生えて使用は出来ない状態です。
レールは錆び付いて、もう二度と列車は走らないのだろうか?
DSCF7124



















そんなわけで、陸前高田市へ。さらに大船渡市へ行き、この後はおなじみの三陸鉄道
南リアス線の各駅巡りをします。でも、それは明日!

では、また!

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。

二本松市から東へ進路を取る。しかし、浪江町への道は通行禁止。放射線の値が高い
からなのだろうか?

このような看板が、あちこちにあって太平洋岸への道は閉ざされる。
DSCF7106



















東への道は閉ざされ、北東方向へ行かざるを得ず、そこは飯館村
DSCF7104



















除染された土が黒くて大きな袋に入れられ、さらにその上から巨大なブラックシートで
覆われていた。そんな風景は、飯館村の各地で見られる。

その放射線測定値は、毎日新聞に出ていてやはり福島は高い。

飯館村の、ある場所での放射線測定値0.85
DSCF7105


































これは、どれだけの数値なのか?
新聞では、原発事故以来毎日の放射線測定値を報道していて、今日の数値を見ると。
image



いかに福島市が高いか、理解できると思う。通常0.03くらいだが、その4倍ある。
5年と9か月経過しても、この数値。震災当時はどれだけの数値だったのだろうか?

ここは、0.85だから28倍の数値。となりの自動販売機で購入する人はいるの?
と思わず疑問視する。
DSCF7107



















原発事故さえなかったら、長閑な農村風景なのだけど、今は住む人も少なく空き家が
目立つ。
先日のテレビで放送していたけど、飯館村の村長選挙はここだけではなく全国の避難
地区でも行われていた。

避難地区は、どんな状況なんだろう?と出来れば地元の方とお話ししたいな、と訪れた
けど歩いている人はなし。

見かけた人は、すべて除染作業員か工事関係者だけ。中には交通整理中の人もいて、
彼は1日中立ちっぱなしなのだろうか?マスクはしていても、大丈夫?と心配する。

洗濯ものでも干していれば人は居るんだな、と思うけどどこにもない。特にここは浪江町
に近い地区だからか?
DSCF7108



















そんなわけで、あっという間に相馬駅へ。先日5年9か月ぶりに、JR常磐線がやっと
北方面だけが開通したが、ここから南方面はいまだ開通の見通しはない。

この日、ここから自動車道で北上。車中泊の宿泊地は、宮城県気仙沼市大谷(おおや)
海岸にある道の駅。

夜、真っ暗な道を走って到着。これは朝の風景です。
DSCF7111



















かつて気仙沼線が走っていたホームに立つ。駅も列車も流されレールがあった場所は、
草茫々。遠くに見えるのは、南三陸町方面。

ホームには、「あの日を忘れない」の慰霊台が置かれていた。
DSCF7109



















道の駅だから、何台もの車中泊する車が停まっていたが、ここは復興工事の真っただ中で、
深夜も早朝も大型トラックやダンプカーが走っていて、騒音が絶えない地区。

一晩中車が走行していた。
DSCF7110



















ということで、飯館村ではあっという間に通過してしまい、避難地区の状況を見る、という
本来の目的は無理だった。当たり前かも知れないけど、現在も避難中の原発事故の地区
では、震災や原発事故(2011.3.11)の当時のままが続いています。

早く元通りに復旧して欲しいけど、それは無理なことかもしれません。
故郷を失った人々、汚染された土地、この先あと何年、いや何十年続くのでしょうか?

そんなことを考えた飯館村でした。

では、また!

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。


週末、札幌市は60cmを越す大雪に見舞われて大変なことになりましたね。除雪する
市電のササラ電車までが雪に乗り上げてストップしたり、千歳では飛行機が2日間も
飛ばなかったりで、ネット上では「これが冬の北海道だ」などと、取り上げられたりして
いました。

でも、あのテレビの報道はまるで北海道全体が豪雪に見舞われていたかのようですが、
道南では積雪ゼロ。道央圏に集中して降雪があったのです。

ちなみに、12月12日月曜日の道内各都市の気温と天気、積雪は下記の通りです。
image


北海道は広い!東北6県に新潟県を足した面積なのですか北と南では大違いです。

さて、下郷町の会津鉄道「運動公園駅」を出発して、本日最初の写真は羽鳥湖
DSCF7084



















鶴沼川をせき止めたダム湖ですが、朝日を受けた湖はとってもキレイですね。
別な場所から、もう1枚。
DSCF7085



















南の方向を写すと、天栄村鎌房山(1510.2m)の山麓にある羽鳥湖スキー場が見れます。
DSCF7086



















続いて、猪苗代(いなわしろ)湖へ。
DSCF7087



















雲がかかる磐梯山(1818.6m)を北に見える、南岸の郡山市湖南町の舟津浜にて。
DSCF7088



















さすがに広い!何せ湖の面積では日本4位なのだから。
1位琵琶湖(滋賀県)、2位霞ケ浦(茨城県)、3位サロマ湖(北海道)に次ぎます。
DSCF7089



















もちろん淡水だけど湖の周囲にはあちこちに海水(?)浴場がある。浜の名前があって
夏は、海ではないけど、湖水浴が出来るのですね。

福島県は、今太平洋側では泳げないから福島市や郡山市などの都市部の人々は、ここで
海水浴ならぬ湖水浴をするのでしょうね。

北岸の猪苗代町から国道115号線を通り、日本百名山の安達太良山(1699.6m)の山麓へ。
紅葉が進んでいました。
DSCF7090



















峠を降りた場所が、二本松市。ここでは、二本松城を見学したかった。
DSCF7091



















標高345mの白旗が峰に残る二本松城は、室町時代、15世紀中ごろの1441年に建てら
れた山城。築いた人物は畠山満泰(みつやす)氏。

しばらく畠山氏の支配が続いたが、豊臣秀吉が天下を取った1586年の天正年間、奥州制覇
を狙う伊達政宗に攻められて畠山氏は滅亡します。

西の方向を見ると、先ほど通過した山頂が雲に隠れた安達太良山が見える。
DSCF7092



















東の方向を見ると、二本松市街地。遠くに見える山の向こうは太平洋。
原発事故で、いまだ避難区域になっている浪江町や双葉町がある方向だ。
DSCF7093



















1590年より蒲生氏、松下氏、加藤氏と城主を変えるが、その間石垣を用いた近代城郭に
改修されて近代の城である平山城へと姿を変えている。
DSCF7094



















戦国時代の山城から、徳川幕府の天下泰平の世の中になると山の上で生活しなくても
よくなったからですね。
DSCF7096



















それでも、天守閣のある城までは、坂道を登らなければいけない。
天守閣のある城から二本松の眺めは、最高だったことでしょうね。

江戸時代の侍たちは、戦う必要がなく農民から年貢を収奪することだけを考えていれば
よかったのだから。それが200年以上も続いたのです。
DSCF7095



















1643年から丹羽氏10万石の居城へ。以後225年続くが、幕末の戊辰戦争で薩長中心の
新政府軍に攻め落とされ落城。
DSCF7098



















戊辰戦争の会津城陥落の悲劇といえば、白虎隊が有名ですが、ここ二本松城でも
12歳から17歳までの少年たちで編成された「二本松少年隊」が戦死しています。

2人のお侍さんが自尽した碑がありました。
DSCF7099


































戊辰戦争で敗北後は、城内の建物すべて焼き払われています。東北はほとんどの地域が
旧幕府軍を支持し、「奥羽越列藩同盟31藩」を結成するも、新政府軍と戦い敗れ、徹底的に
破壊されてしまったのです。
DSCF7097



















戊辰戦争最期の戦いが、箱館・五稜郭の戦いです。
DSCF7100



















1868年5月~7月、長岡城の戦いで落城、長岡藩家老河井継之助が戦死。
同年8月~9月、会津若松城陥落し降伏。8月23日白虎隊20名自刃。
DSCF7101



















逃走した旧幕府海軍副総裁の榎本武揚らと新選組土方歳三らは、箱館奉行所が
置かれていた五稜郭を占拠し「蝦夷共和国」を宣言するも、5月新政府軍に敗北。

五稜郭は開城し、降伏。土方は銃弾に倒れ、戦死します。
DSCF7102



















土方ファンとしては、ここは外せない場所の一つです。
二本松少年隊の悲劇を思いながら、城跡をしばらくの間散策したのでした。
DSCF7103



















ということで、二本松城終了。
明日は、さらに東へ。つまり原発で避難している浪江町方向へ行きますが、通行禁止の
道が多く断念。飯館村を西から東へ走り、相馬市へ。

いまだ原発事故が収まらない実態を垣間見てきます。
では、また!

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリック お願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリックお願いします。

渡良瀬川の上流へ向かって延びる、わたらせ渓谷鉄道。神戸(ごうど)駅でランチタイムを
取って次の駅へと。それが沢入と書いて、「そうり」と読む難解駅の一つ。

ダム湖である草木湖の末端に位置している駅です。
DSCF7073



















駅内には、郵便局があって若い女性が一人で勤務。1日中独りぼっちだと淋しいでしょうね。

駅とは別に、向かい側にあった待合室は苔むした屋根のある建物。
ガラス窓がなければ、まるで時代劇にでも登場してきてもよさそうな建物の雰囲気。
DSCF7074



















駅表示の看板に「沢入」、上にひらかなで「そうり」、下にローマ字で「SORI」とあるから
読めるけど、普通は「さわいり」駅かな?と読みますね。
DSCF7075



















神戸駅までは、渡良瀬(わたらせ)川の左岸を走っていたけど、草木ダムを過ぎて鉄橋を
渡り右岸へ。
渡良瀬川は、次の「原向駅」までは右岸に見えます。

渡良瀬川足尾銅山は、明治時代の社会問題となった「足尾鉱毒事件」で有名ですね。
渡良瀬川の上流、栃木県の足尾銅山では1885年ごろから廃棄された鉱毒を渡良瀬川に
垂れ流しして川は汚染、魚は死滅、流域一帯の耕地は荒廃しました。

地元出身の代議士田中正造は、議会で足尾鉱毒事件を問題化し、政府を追及しましたが、
銅山を所有する財閥の古河をかばう政府は操業を停止せず、大きな問題となりました。

田中正造は、1901年代議士を辞職し明治天皇に直訴を試みますが、果たせず。
多くの犠牲を出した足尾鉱山は、まさしく公害の原点となった場所なのです。

峠を越えて、栃木県に入り最初の駅は原向(はらむこう)駅
DSCF7076



















そして通洞駅へ。足尾銅山観光の入口にあたる駅でもあります。足尾歴史館など
当時の様子を知る場所もありますからね。
DSCF7077



















待合室には、観光客も何人かいて話に弾んでいますね。
聞いたら、宇都宮の女子大生と同じく宇都宮の老人クラブの集まり。老若男女が和気あいあい。

暗い影を持つ足尾も、今は遠い昔です。今の風情を、田中正造はあの世でどう思っている
でしょうか?
DSCF7078



















案内板に「わ鐵」の名称が大きく書かれていますね。

そして足尾駅へ。
DSCF7079



















わたらせ渓谷鉄道はこのあと終点の間藤駅まで行きますが、今回の旅ではこれにて終了。
この風情ある懐かしい駅風景を最後にお別れして日光の中心街へと向かいました。

DSCF7080



















時間があれば、さらに北上して間藤駅や足尾鉱山の本坑などを見学したかったのですが、
先を急いでいたのでここの駅が最後。

次の機会には、足尾銅山跡や駅周辺をゆっくりと見たいな!と。
DSCF7081



















その後は、日光市市街地を通過して、さらに北上し福島県入り。

その日は、南会津町会津鉄道の会津田島駅の広い駐車場で車中泊。駅のトイレは24時間
使用出来るし、夜間でも何台も駐車していて問題なし。

最後の写真は、となりの町である下郷町の「ふるさと公園駅」の風景。10月下旬の紅葉を
写しましたが、晴れていればきれいだけど、曇っていたらダメですね。
DSCF7082



















おまけに、その時通過した会津鉄道の列車を写しました。
DSCF7083



















ということで、「秋の旅」ついに東北へと。残すところあと宮城県、岩手県、青森県の3県。
明日は、福島県を西から東へ、太平洋へと向かって走ることにします。


では、また!


にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ←応援クリックお願いします。

↑このページのトップヘ