函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めた車中泊中心の「ぼうけんの旅」は今年で13 年目に突入。 車中泊の貧乏旅行の旅、今年で74歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 今年2026年も「ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです! 今年も「ぼうけんの旅」をよろしくお願いいたします。

2026年が明け今年は74歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!時々は自転車を積んでの軽バン一人旅の始まりです。

2017年01月

ここ数日PCの調子が悪く、というより自分がPCをよく知りもせずに、いろいろと
いじくりまわしおかしくしてしまった、といったほうが正解。


そんなわけで、ブログ作れずにいました。今も中途半端な状態なので、果たして
きちんと作ることが出来るのか?自信はありませんが再開に向けてチャレンジして
みます。

まずは、会津鉄道の東京方面から見ての玄関口である会津高原尾瀬口駅
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無人駅だったのでホームに立つ。
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始発の西若松駅からの距離は57.4km。開業は1953年(昭和28年)で、
当時は会津滝ノ原駅。昔は転車台もあった駅だ。

1986年に野岩鉄道会津鬼怒川線が開業し、会津高原駅へ。翌年4月に国鉄から
JR東日本へ。同年7月三セクの会津鉄道へ転換されています。
2006年に会津高原尾瀬口駅へと改称。
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続いて2つ目の駅である七ケ岳登山口へ。地図を見たら西へ直線距離でほぼ5km
くらいの場所に七ケ岳(1635.8km)がある。でも、それはあくまで直線距離で、林道を
5kmくらい走り、そこから歩いて登山だから結構きつい山のような気がする。

ログハウス風の素敵な駅舎だ。七つの峰が連なる東北百名山の一つなんですね。
国鉄時代は糸沢駅という名前だったそうです。
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続いて会津山村道場口駅。へんてこな名前の駅。ネットで調べたら、
駅周辺には会津山村道場と南会津町奥会津博物館がある、くらいしか
書かれていない。

歴史のある場所なのか?と思ったが、開業は2001年(平成13年)7月19日
で、比較的新しい駅。山村道場とは?一体何なのだろう?
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写真を見てお分かりのように、線路の上に電線が走っていることから
電車なんだ!と初めて知る。

普通地方路線は、ディーゼルが多いから電線が必要ないと思っていた
から驚いた。

会津鉄道の線路の左側に国道121号線が走り、さらにその左側、方向では
西に阿賀川が流れている。新潟県では日本海に注ぐ大河である阿賀野川
名前は変わるけど、福島県では阿賀川。またの名を大川

川は北へと流れている。
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続いて距離にすれば1kmも離れていない会津荒海駅

荒海とは、地名なのでしょうね。周辺には荒海小学校や荒海中学校があるけど、
10万分の1地図には駅周辺の名前には荒海という字はない。
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ブログの写真が拡大したけど文章を作成画面も拡大して、とても書きづらい。
どうもブログ設定の操作ミスで、おかしくなってしまいました。

修理したい!と思っていますが、何せPC初心者の60代半ばにさしかかった身では、
能力もないし知恵もない。時間がかかると思います。

ということで、しばらくはこんな調子で続きますが、悪しからずご勘弁をお願いします。
では、また!

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久しぶりに、昨年の春の旅総集編に戻ることにします。

福島県昭和村の道の駅「からむし織の里」での車中泊は、朝方かなり冷え込みました。
何せ、まだ4月の中旬で山は残雪、早朝は氷点下まで下がる盆地の地。

夜半から寒さに震え、スリーシーズンのポリエステル製の寝袋からマイナス15度まで
耐えれる羽毛の寝袋に替えたほどでした。

その昭和村を出発し、国道400号線を南東へ進み南会津町で国道121号線へ合流。
121号線を南下し、山王トンネルを越えると栃木県。

今日の目的は、秘境駅としても有名な野岩鉄道の男鹿高原駅
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国道から左折し林道へ。人家はまったく見当たらない。
どうしてこんなところに駅があるの?と首をかしげたくなる駅です。
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野岩鉄道はご覧のように、会津鉄道の終着駅である「会津高原尾瀬口」から始まり、
東武鉄道の終着駅の「新藤原駅」までが路線。
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野は下野(しもつけ)の国、今の栃木県。岩は岩代(いわしろ)の国、今の福島県東部で、
それぞれも国名を一つずつとって、野岩鉄道としているのですね。

本社は栃木県日光市藤原。全路線距離30.7km、9つの駅。
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福島県南会津町から峠を越えて、栃木県日光市に入った最初の駅だが、国道からは
数キロ山間部に入っているし、集落もない。
どうして駅ができたのだろうか?
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標高759.7mとあるように、まさに山の中。
写真を撮影していたら、列車がやって来ました。
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よく見ると、車両の上には電線があるから電車かな?
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電車でした。屋根にはパンタグラフがあるから電気の力で走りますね。
浅草行きとは!

新藤原駅から先は東武鉄道につながるから、そのまま浅草まで行っちゃうんですね。
すごい!福島県→栃木県→少しだけ群馬県→埼玉県→東京都へと走るのです。
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駅の外へ出ます。国道方面へ戻ると、何とヘリコプター発着場があります。
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男鹿高原駅前広場緊急ヘリポートとは!?
駅前といっても、駅から結構距離はあるし、緊急とは?人が生活していないエリアでの
緊急事態とは何なのだろう?

ということで、春の旅では唯一の関東地方へ足を延ばしました。

明日は、再び峠越えし福島県へ。野岩鉄道終着駅であり、会津鉄道の終着駅でもある
会津高原尾瀬口駅」から会津鉄道の各駅巡りと行きます。

それでは、また!

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昨日はPCの調子が悪く(というより、本人のPC操作能力のなさ)、中途半端な
状態で終了しましたことお詫びいたします。
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まして、タイトルが旧丸井今井百貨店操車塔の二つ紹介する予定が、一つだけで
終えてしまい本当に申し訳ありませんでした。

今日は、昨日お伝えするはずだった操車塔についてです。
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この左側にあるキノコ状の建物、1939 年(昭和14年)、交差点での電車信号現示と
ポイント切り換えを手動による遠隔操作をするために建てられたものです。

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現存するものとしては、国内最古です。1969年(昭和44年)市内には6基ありましたが、
全自動化により消滅。ここに残るのは、形態保存するために十字街電停に1基だけで、
全国的に見ても非常に珍しいものです。

さて、十字街電停を歩いていたらこんなものを発見。
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合格祈願の「すべりどめ砂」のお守りを無料配布中。
付近の建設会社が、凍結防止の砂をわざわざ学問の神様である天満宮でお祓いして
小さな袋に入れていて、その箱が一番上に置いていますね。

受験生の皆さんやご家族が、1個ずつ「すべらない様に」と持って行ってるとか。

隣には、こんなのもありました。冬季、道路が凍結する北海道ならではのものです。
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すべり止め砂の無料配布。ペットボトルに入って、誰でも持ち出し可能。

ということで、昨日お伝えしたかった操車塔でした。
では、また!

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現在は函館市地域交流まちづくりセンターとして、市民交流やNPOなど市民活動の
支援、観光案内を始め地域情報の発信をしている建物です。

実は、今から94年前の1923年(大正12年)、関東大震災のあった年ですが、札幌に
本店を置く丸井今井呉服店函館支店として建てられたものです。
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市電が走っている背後の濃い茶色の建物が函館市文学館で、そのとなりは北島三郎
記念館とホテル、レストランを併設したウイニングホール

昔の金森森屋百貨店で、1930年(昭和5年)7階建ては北日本最大のデパートでした。 
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電車通りを挟んだ向かい側には、函館博物館郷土資料館があります。
1890年(明治13年)、金森洋物館の2代目の店舗として建てられたもの。
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しかし、この日は休館日で、お休み。1907年(明治40年)の大火でも焼けずに残った
数少ない建築物です。和洋折衷の素敵な建物ですね。

館内の展示物のテーマは、「明治函館のハイカラ商い風景」。
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さて、函館市文学館へ。この建物は、クレジット会社のジャックスが本社として使用
していた建物。
全国企業のジャックスは本部を東京に置いて活動していますが、登記上の本社は
今でも函館です。
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石川啄木は、岩手県の生まれですが故郷を追われた人で、彼は「死ぬときは函館で
死にたい」と云ったほど愛着を持った町です。東京で死にましたが、お墓は函館。
函館山の南端部の立待岬のそばにお墓があります。
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館内は、石川啄木の像以外は撮影禁止。

函館生まれやゆかりのある作家たちの資料がいっぱい。
例えば、今東光・今日出海兄弟久生十蘭、亀井勝一郎、宇佐美真理、井上光晴など
有名な作家たち。

平成では、「そこのみにて光輝く」など数々の映画作品の原作者、佐藤泰志辻仁成
などは若者にも知られていますね。
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2階フロアーは、石川啄木で占められています。この規模は日本1だそうです。
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カメラはこの像だけなので、360度周って4枚写しました。
啄木の函館での生活、仲間たち、節子夫人のことなど自筆の手紙を含めてたくさんの
資料が展示されています。
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道内では、函館以外で札幌・小樽・釧路へ。
函館では、明治40年5月5日から8月に大火で職場を失い函館を離れるまでの4か月間、
文学を目的とする同士に囲まれて、函館山の麓にある青柳町の借家に妻子と老母を迎え、
束の間の安らぎを得ることが出来たのでした。
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ということで、函館市文学館たっぷりと堪能しましたが、撮影が出来ず啄木の像以外を
お伝え出来ないことが残念です。

意外と、多くの文学者を輩出しているんだな!と感心した次第です。
最近は、佐藤泰志の作品が映画化されてヒットしています。
「海炭市叙景」・「そこのみにて光輝く」・「オーバー・フェンス」など全国的にも知られて
いますからね。  

では、また!

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昨日のラグビー日本選手権帝京大学がトップリーグ優勝のサントリー相手に
かなり頑張りましたね。何せ、前半は21-21のタイスコアで折り返しましたからね。

結局、後半サントリーの意地が出て帝京大学敗退しましたが、面白い試合でした。
来年から大学勢が出場しなくなるなんて、もったいないです。せめて、大学決勝の
2校は出させてもらいたいですね。

さて、第4回目となった函館市北方民族資料館
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右上の楽器は、トンコリと呼ばれる弦楽器。素材は、イチイ(オンコの木)・エゾマツ・
ナナカマドなどで、弦はイラクサの繊維や動物の腱が使用されています。
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他にバラライカのような弦楽器もありますね。

左下のお盆はイタとよばれるもので、精巧かつ大胆に彫り上げるアイヌ文様が描か
れています。素材はカツラの木。

下の写真、右側の小刀はマキリと呼ばれるもの。ソリやスキーもありますね。
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発掘されたオホーツク式土器も展示されています。
弥生時代のなかった北海道では、B.C3世紀から紀元後4世紀までが続縄文時代
さらに700年代から1200年代まで、本州では奈良時代・平安時代までが、北海道では
擦文(さつもん)時代と呼ばれます。

擦文は北海道を中心とした独自の文化で、土器に縄文は付けず木片で表面を整えて
いました。
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2階の窓からは道路を挟んで向かい側に、明治時代の木造2階建ての洋館、相馬(株)
の建物が見えました。
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当時は、相馬合名会社で1910年(明治43年)から1916年(大正5年)にかけて新築
された建物です。

相馬哲平は、明治時代の豪商。彼は、旧函館公会堂など多額の寄付をした篤志家
です。

2時間近く見学した後、資料館の周囲を散策すると、内庭に巨大な煙突を発見。
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多分、日本銀行時代に造られたものでしょうか?暖房用かな?

明日は、北方民族資料館から歩いて数分のところにある函館市文学館へと向かいます。
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最後に、さらに「ゴールデンカムイ」に登場する人物を紹介します。

第5巻目の表紙を飾った人物の「谷垣源一郎(たにがき げんいちろう)」。
秋田県北秋田市の阿仁(あに)のマタギ出身の陸軍一等兵。
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アイヌの仕掛け弓による矢毒を受け致命傷だったところを、アリシパに救われ
彼女の村で傷を癒すことになる。そして、長い療養の後アイヌの人々と触れ合った
谷垣は、新たな使命とともに旅に出るのです。

もう一人。アリシパの父と極東ロシアのアムール川か移住したキロランケ。彼は第7巻目の表紙を飾っています。
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アリシパの父の昔の友人で、アリシパとは別の村に住み妻子がいる。
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日露戦争の従軍経験があり、第七師団に所属していた。主人公の杉本佐一・
アリシパとともに旅に出る。

そして、もっとも危険な殺人鬼である辺見和雄(へんみ かずお)。
ニシン漁に従事する「ヤン衆」と呼ばれる季節労働者として働いているが・・・。
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実は、彼のモデルとなった人物がヘンリー・リー・ルーカス(1936~2001)。
アメリカ17州で300人以上も殺害した男で、あの怖い映画「羊たちの沈黙」の主人公
ハンニバル・レクターそのもの。

そして、8作目に出てくる剥製製作者の江渡貝弥作(えどがい やさく)は、エド・ゲイン
(1906~1984)、アメリカの殺人者にして墓荒らし。1974年のオカルト映画「悪魔の
いけにえ」の主人公をモデルにしています。
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ということで、恐ろしい人物も登場し、ますます面白くなってきた「ゴールデンカムイ」。
二度目を読み切り、3度目に挑戦中。何度読んでも面白く、味わい深い。

登場人物を探し当てるのも楽しみになってきました。

では、また!

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今日は、暦の上では大寒で全国的に寒かったようですね。普段雪のない場所にも降雪が
見られたり、強風が吹いたり。でも、函館は快晴で日中はプラス気温で、暖かい1日でした。

例年に比べて雪も少なく、家の前の道路は雪かきをしていたせいか、アスファルトの路面も
見えています。このまま、春になって欲しいなぁ!と。

でも、それは無理でしょう。まだまだ寒い日がやってくるでしょうね。

さて、函館市北方民族資料館の第3回目。
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鮭の皮で作られた靴、チェプケリ。サケの皮を乾燥させ、糸で縫った靴です。
大人用1足にサケ3~4本分が必要。靴底は滑らないように、ギザギザした背びれ部分を
使う工夫をしていました。

産卵後のサケは、皮が厚く丈夫で長持ちしたが、火に弱いのが欠点だったそうです。

これはピアスです。耳飾りと書いてあるように、結構大きなものを耳に付けていた
んですね。でも、重そうで、痛そう・・・。
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鉢巻のような頭部を飾る装飾品。
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ゴールデンカムイのヒロインであるアイヌの少女アシリパも、身に着けていますね。
彼女の衣服は、オヒョウの樹皮を編んだものです。

オヒョウとは高さ20m、直径80cmに成長するニレ科の高木で、北海道全域に分布して
います。内側の皮の繊維は強靭で、水に強く通気性もあるため、衣服や袋などの素材
として用いられました。

棒酒箸(イクスパイ)と呼ばれる道具。アイヌが祈りを捧げるときに人間の言葉を神々に
伝えるもので、トゥキと呼ばれる盃とともに祈りに使います。
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アイヌの古老が祈っている写真を見ると、トゥキに満たした酒をイクスパイにつけ、上下に
揺らしながら神々に祈りをしています。
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左の木の人形は、ニポポ(木偶)。ニは木を意味し、ポポは赤ん坊。それが示すように
子供の玩具人形や子守りに使用されたようです。
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千島列島で生活してアイヌには、18世紀から南下政策や領土拡張のためにヨーロッパ
からやってきたロシア正教の関係者による伝道活動により、信徒になったアイヌ人もいた
そうです。そんな信徒となった彼らの十字架です。
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でも、北海道のアイヌの人たちは、自然界を始めこの世にあるすべてのモノに霊魂が
宿っている、と考えていました。

自然と共生する暮らしは、自分たちをを取り巻く森羅万象に霊魂が宿る、という信仰を
生み出します。

生活に不可欠なもの、それをカムイと呼びます。カムイ、それは神です。
それは、自然現象だったり、動物・植物、さらには鍋や臼、舟など人間が作った道具にも
カムイが存在する、と信じます。

カムイモシリ(神々の世界)  ←相互関係→ アイヌモシリ(人間の世界)

キムンカムイ(熊)は、「山の神」を意味します。キムとは、狩りをする山のこと。

制裁棒(ストゥ)は、村の中で男女間の不義密通や盗みなどがあった時に、人々が
集まって相談し、制裁のために使用した棒で、乱用は許されなかったそうです。
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そういえば、アシリパが使っていた場面もありました。
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最後に、「ゴールデンカムイ」に登場する脇役を紹介します。
名を家永カノ、入ったら脱出不可能な殺人ホテルの経営者。
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ホテルの名は、「札幌世界ホテル」。

これは、実際にあった事件です。アメリカ、シカゴの63番街、1892年に部屋数100を
超える3階建てのホテルを経営したH・H・ホームズ(1860~1896)、本名はハーマン・
ウエブスター・マジェッド。

彼は、宿泊者の内裕福な部上27名を殺害しています。実際は200名以上を殺害した
そうです。すべての部屋が迷路のような秘密通路でつながれていて、のぞき窓から
ガスが出たり、落とし穴があったり地下には拷問室まであったそうです。
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ゴールデンカムイにも同じような造りが登場し、アシリパたちも被害に遭いそうになり
ました。

なお家永カノは、16世紀末~17世紀初のハンガリーの伯爵夫人エリザベート・バートリー
をモデルにしたのではないか?と想像するマニアがいます。

美しさを維持するために、人の生血を飲み多くの住民を殺害した人物です。

そして、驚くことに!登場する人物たちは皆 Wikipedia に出てくるほどの有名な殺人者
なのです。

ということで、明日に続きます。

では、また!

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函館市北方民族資料館の第2回目です。1階フロアーには、極北の狩人アリュート
民族皮舟バイダルカ」が展示されています。
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アジア大陸と北米大陸の間にある70kmほどの狭い海峡であるベーリング海峡。その南側、
カムチャッカ半島とアラスカ半島から南西へ伸びるアメリカ領アリューシャン列島。さらに
南西に伸びるロシア領コマンドル諸島に挟まれた内海がベーリング海。その極寒の地で生活
するアリュート民族の皮舟です。

彼らは、ラッコ・アザラシ・トド・オットセイなどの海獣狩猟を主な生業としていました。
中でもラッコ猟は、「バイダルカ」と呼ばれる皮製の舟が使用されていました。

この3人乗りの皮舟は、1875年(明治8年)の樺太・千島交換条約締結の翌年に千島に
赴いた北海道開拓使の五等出仕(地位を示す職)であった時任為基(ときとう ためもと)
ら一行が中部千島の新千島で収集したもので、世界に現存する数少ない三人乗りの
皮舟です。

なお、時任為基はその7年後の明治1882年に函館県令(現在の知事)となる人物。
1869年に北海道に開拓使が設置されたが1882年2月8日に廃止、函館県・札幌県・
根室県の3県時代となるが、それも4年後の1886年1月26日北海道庁の設置により廃止。
函館県は、わずか4年間の出来事だした。

時任為基の名は、現在市内中央部の時任町として残っています。
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蝦夷錦(えぞにしき)と呼ばれる山丹服(さんたんふく)。

江戸時代を主として、中国とロシアの国境を流れる黒竜江(ロシア名アムール川)下流域
とサハリン(樺太)を舞台にして行われた、清朝(1644~1911)と北方民族の間の交易を
山丹交易といいます。

交易は、清朝が需要の高いテンの毛皮を得るために、北方民族に毛皮の貢納を義務付け
ました。

その代わりに中国製の衣服・装身具・鉄製品・食料などを与えています。
このようにして得た中国製品の中でも、特に清朝の役人の衣服や絹織物製品は「山丹錦」
と呼ばれ珍重されたのです。
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アイヌの色裂置文衣(いろきれおきもんい)。
寒さから身を守り、厳粛な祭りや儀式に臨むために着飾る衣服です。
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色とりどりの、独特な文様が施されたアイヌ民族の衣服が並んでいます。
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手前にある首飾りを見てみましょう。
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交易で手に入ったガラス玉のネックレス。本土(本州)から渡ってきた商人と交換した
ものでしょうか?
本土の商人は、このようなガラス玉や農耕を行うための鉄製品などを持ち込み、毛皮
などと交換したのですね。
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皮靴のことを、コリヤークと呼びます。やはり海獣の皮を利用しています。
同じものを、兵庫県豊岡市の「植村直己冒険館」で見ています。植村さんが北極圏を
単独犬ぞりで横断した時、アラスカでイヌイットと一緒に生活していました。

彼はアザラシの生肉を食べ、彼らの衣服を身に着けて靴を履いていましたからね。
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資料館では、アイヌ・ウイルタ民族文様の切り紙細工を体験できます。
所要時間は15分ほどで、随時受付ています。
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そんなわけで、函館市北方民族資料館の見学、明日も続きます。
知らなかったことがたくさんありますね。やはり、実際に訪ねて見て、触れて、読んで知る!

百聞は一見に如かず!ですね。

最後に、「ゴールデンカムイ」に登場する人物を紹介します。

まずは、第4巻の表紙を飾った「鶴見中尉」。彼は北海道に軍事政権を打ち立てる野望を
抱き、アイヌの金塊75トン、現代であれば8000億円を得ようと主人公の杉本佐一やアイヌの
少女アシリパと戦いを繰り広げます。


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鶴見中尉のモデルとなった人物は、須見新一郎(1892年、明治25年 3月30日~1977年、
昭和52年 4月15日)らしいです。彼は第7師団歩兵、第26連隊長としてノモンハン事件
従事しています。

ノモンハン事件は、1939年(昭和14年)モンゴル国境ので起きた日ソ国境紛争(満州と
モンゴル人民共和国国境)の一つで、結果としてはソ連の勝利で終わっています。

その戦いで、生き残ることが出来たわずか3人の連隊長の一人で、当時の精神主義だけの
上官を批判しています。

続いて、元七師団長を父に持つ孤高の山猫スナイパー、尾形百之助上等兵。 彼は第8巻の
表紙を飾っています。
彼の腕は抜群で、300m以内であれば確実に仕留めることが出来る。土方歳三の用心棒
として行動する。
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彼のモデルは、カルロス・ハンコック。スナイパーを描いたアクション映画「山猫は眠らない
の主人公トーマス・ベケットが扮する人物です。

彼は、1960年代から70年代にかけてのベトナム戦争で、アメリカ海兵隊として最も有名な
狙撃兵です。
彼の撃ち方は、「ゴールデンカムイ」の尾形百之助の撃ち方とまったく同じです。
「ゴールデンカムイ」では、まさしく歴史上や犯罪史上など、様々な人物を取り上げて名を変えて
登場させていますね。

この先も、どんな人物が出てくるのか?推理するのも楽しみになっています。
では、また!

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今年の夏の旅は、「アイヌ文化を知る」こと。そのために、今は勉強中です。
旅することは、自分にとっては予備知識を仕入れること、それが旅をエンジョイできる
と確信しています。

でも、いくら準備していても足りず、現地で新たな知識を仕入れることが多いですが、
それでも出来るだけ準備を怠らないこと!それが大切だと思っています。

もちろん、旅人の中にはまったく予備知識を持たずに旅して、それが楽しい人もいる
ことでしょう。それはそれでいいこと。

自分の場合は、出来るだけ旅する前に調べること。それが準備、だと思っています。
だから、今夏の旅は道内のアイヌ文化を知る! そのために今勉強中なのです。

早速、図書館へ行って借りてきました。アイヌの歴史、さらには明治維新以後の北海道
の本。今、それを読書中です。
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それと、実際にアイヌ文化を知ろう!と函館市北方民族資料館へ足を運びました。
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今日は、その訪問記の第1回目。
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世界に誇る北方民族コレクションとあります。

展示品は、北海道開拓使などが収集した市立函館博物館の旧蔵資料を始め、北方民族
の研究では世界的に有名な馬場修さんや元北海道大学名誉教授の児玉作左衛門さんが
収集したコレクションです。

国の重要有形民俗文化財に指定されているものなど、極めて価値の高い資料が展示され
ていて、見学することが楽しみです。

その前に、この建物はとても価値のある建築物なんですよ。
まずは、外観から。
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入館する前に、わざわざ電車通りを横切って向かい側から撮影しました。
3階建ての鉄筋コンクリート造り。

実は、ここ日本銀行函館支店だった建物で、1926年(大正15年)のもので、築91年。
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開設は1893年(明治26年)で、その後に今の建物となったのでしょうね。
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大正15年=昭和元年の1926年、全国33か所の支店の中で2番目に古い建築物だった
のですね。

もっとも、日銀函館支店は1988年(昭和63年)に、駅近くの市街地に新築移転しています。
それで、この建物は函館市が文化施設として活用することになり、翌1989年(平成元年)に
「函館市北方民族資料館・石川啄木資料館」として開館。

4年後の1993年(平成5年)に「函館市北方民族資料館」として独立しています。

入館料300円を支払い入ります。
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入ってすぐの場所にあるのがアイヌの12か月の絵。
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四季折々の絵が描かれています。
中央には、コロポックルの人形が置かれています。
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コロポックルとは、アイヌの伝承に登場する小人のことで、「蕗(ふき)の葉の下の人
の意味。

大きな蕗の葉の下に3人の小人たちがいますね。彼らがコロポックルです。

明日からは、展示物を詳しく見学していくことにしましょう。
それでは、また!

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温泉で汗を流した後は、縄文時代の遺跡がある只見町の考古館へ。入浴施設から
2kmくらいの場所。
この竪穴式住居は、東北・北海道ではよく見かけるもの。特に、北東北や南北海道では
縄文文化を世界遺産へと!今運動していますものね。
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ここで、日本の歴史を少し勉強し、峠を越えてとなりの村へ。
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1927年というから昭和2年に合併により新しい村になった昭和村へ。
昭和元年はわずか1週間しかなかったのは、大正天皇が1925年(大正15年)12月25日
に亡くなったからです。

だから1週間後は大正2年。ちょうどその時に北部の野尻村と南部の大芦村が合併する
話があって、新しい年号の昭和にしよう、と昭和村の誕生となったわけです。

二つの村の中間に、昭和村の役場が位置しているのは、長野県大鹿村と同じですね。
大鹿村も、大河原村と鹿塩村が合併したが、役場はその中間にありましたものね。

役場から南東へ2kmほどの場所にあるのが、国道400号線に面している昭和村の道の駅
からむし織の里しょうわ」。
その向かい側に「からむし工芸博物館」がある。
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実は、「道の駅 平成26年度版 1014」には掲載されていなかった道の駅。2015年度
以降に出来た道の駅なのですね。

最近は、どんどん道の駅が出来ていますものね。旅している途中でも建設中の道の駅を
何度も見かけています。

鉄道の駅は廃止されているのに、国道沿いの道の駅はますます増え続けているのは、
時代の流れか?
鉄道を利用する旅は少なくなる一方で、車を使う旅が増えているから。もっとも自分もその
一人だから何も言えないけど。
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最近できたばっかりの施設だから、何もかもが新しいのは当たり前だが、利用者が
ほとんどいないのが寂しい。
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食事処にも誰も居なかった。やはり、国道400号線という交通量の極めて少ない場所
だし、福島県の山間部だと旅人も少ない。まして、4月のまだ寒い季節。

やはり5月のゴールデンウイークまで待たなくては人は来ないでしょうね。

「からむし」とは何か?「からむし織」とは?初めて聞くことばでした。
そこで、博物館へ入りその名を確かめることに。
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織機がいくつも並んでいる。織物だから当然だけど、原料は何?「からむし」って、
虫のこと?

まったく知りませんでした。からむしとは、イラクサ科の植物のことで、いわば草ですね。
古くから植物繊維を採るために東アジア地域で栽培されていたとのこと。
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白い糸を巻いていますが、これがからむしの植物繊維。
いわば麻の一種かな?と思いますが・・・。
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若い女性が、糸を撚っていました。
ここで生産されたからむし織は、六十里越の峠を越えて越後へ。小千谷市へ運ばれ
小千谷縮布になるとのこと。

昭和村は、本州における唯一の原料の産地なのです。ということを、初めて知りました。

知らないことはたくさんあります。旅していると、今まで知らなかったことを知る機会が
多いです。だから、旅は楽しいですね。旅して知る、旅は知的行為なのです。

結局ここの道の駅で車中泊しますが、その前に時間があったので民俗資料館がある喰丸
(くいまる)小学校跡へ。
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ところが、ここは閉鎖されていたのです。
確かに、老朽化した校舎は今にも崩れそうな雰囲気。廊下を歩くと足を踏み外しそう・・・。
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明治6年に創立している歴史のある小学校ですね。
周辺を散策すると、まさに名前の通り昭和の村そのもの。
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漆喰の蔵もある。屋根が風通し良くなったいるのは昨日も見ましたね。
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昔、茅葺屋根だった農家も今は真っ赤な色のトタン屋根に。維持管理が大変ですものね。
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道祖神も見かけました。北海道では、ほとんど見る機会がないものです。
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これまた可愛らしいお二人。二人が一緒に並んでいます。
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そんなわけで、昭和村はのどかでいい雰囲気の村。でも、車中泊するにはまだ寒かった
のでした。やはり福島県の山間部。標高こそそれほどないが、朝は零度近くまで下がり
寝ている途中で、スリーシーズンから真冬用の羽毛の寝袋に変えたほどでした。

寒くて震えながら朝を迎えた道の駅。広い駐車場には、千葉ナンバーの軽バンが1台だけ
停まっていました。
話を聞くと、以前に仕事の関係で函館で生活していたとか。空港関係の仕事で3年間函館
で働いていたそうです。

二人で、「寒かったですね」と労わりあう。ホント寒かったです。

明日は、栃木県へ少し入り会津鉄道各駅巡りの旅へと。
では、また!

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会津塩沢駅の次の駅は、会津蒲生(あいづ がもう)駅
駅の背後には、会津のマッターホルンと呼ばれる蒲生岳(828m)がそびえている。
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山麓は、カタクリ公園となっていて、紫色した可憐な花が咲いていた。
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それこそ、以前はこの花の根が片栗粉の原料だったけど、今はジャガイモから。
もっとも、名称はそのまま残りカタクリ粉。

西日本でも見られる地域はありますが、多くは冷涼な地の東北や北海道の花。
4月から5月にかけて、雪解けの沢などに見れますね。
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3年以上も鉄道は使用されておらず、レールは完全に錆び付いている。
まだ、4月の初めの頃で雑草に覆われていないけど、暑くなると雑草は伸びて鉄路を
覆い隠してしまうでしょう。
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只見駅へ向かう途中で見た、叶津(かのうつ)番所跡の長谷部住宅。叶津は地名で、
長谷部は人名。戦国時代から江戸時代にかけて、越後と会津を結ぶ八十里越えの
関所となった場所です。
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国道252号線は、只見町の中心部を通り六十里越トンネルで新潟県魚沼市へと行く
ルートで、それはほぼJR只見線と平行していいます。

ところが、ここ叶津から国道289号線が西へと別れていて、新潟県三条市へと続く道
となる予定ですが、道は途中で未開通。その道が戦国時代からの八十里越えと呼ばれ
道。
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歩いて何とか越えれるが、一般向きではなく難コースのようだ。
地図を見ると、将来は開通出来るような道だが何時になるやら?峠道をトレッキングした
記録を読むと、かなりの厳しい道だ。
古道巡礼 山人が越えた径」(高桑信一 ヤマケイ文庫 980円+税)の「八十里越え
と「八十里越えの裏街道」。

この建物、何と1643年、江戸時代の前半に建てられたものだそうです。
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この蔵の屋根に注目下さい。湿気を防ぎ、乾燥させるために屋根が二重になって
風通しを良くしているでしょう。
多分、梅雨時の湿気除けだと思います。

それと、壁に不思議な目が描かれているけど、まるでネパールの首都カトマンズにある
ラマ教のお寺のよう。ラマ教のお寺にも目が描かれていますよね。
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昔、1975年だから42年も前のことだけど、ネパールへヒマラヤトレッキングをしたことが
ありました。その時にネパールの各地で見かけたチベット仏教のラマ教。そのお寺には
大きな目玉が描かれていたのです。それを思い出しました。

そして只見駅へ。
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駅には列車は来ていないけど、代行のバス輸送が行われているから駅員さんは
います。
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駅員さんに許可をもらってホームへ。となりの大白川駅は、峠を越えた新潟県魚沼市。
その前に田子倉駅という臨時駅はあるけど、あくまで臨時の駅で正式には大白川が
隣の駅になります。

現在は只見駅から西の新潟県へは列車は運行していますが、これより先の東側の
会津蒲生駅へは不通となっています。

会津川口駅から只見駅までが6年近く運行されていないのです。
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ここも、直江兼続ゆかりの地なんですね。地図を見たら、確かに只見駅の北に要害山
(705m)があって、そこに水久保城を築いていたのです。

上杉景勝が豊臣秀吉により、上越市の春日山城から会津へ移転を命じられた時、
直江兼続とともに六十里越を越えて会津入りしたのです。
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でもこの先は、豪雪地帯。4月半ばでも雪のため通行止め。国境(くにさかい)を見ると
深い雪山が行く手をふさいでいます。
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ここで、自炊してランチタイム。暖かいものを欲していましたのでラーメンを作る。
それとホットなスープとコーヒー。
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その後は、昨日に引き続き「温泉博士」を活用して入浴。
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国道289号線を東へ。只見町の「季の郷 湯ら里(ゆらり)」で入浴料は700円。
ここだけで、元は取れていますね。

明日は、となりの昭和村へと向かいます。そこの「からむし織の里」へ行きますが、
「からむし」とは何なのか?

それは明日お伝えします。では、また!

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会津大塩駅近くにあった説明板。江戸時代前半、只見川の支流である滝沢川に
堰(せき)を造り、新たな水田開拓に尽力した人物を称えています。
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でも、廃屋が目立つ地区で、この「〇〇道」と書かれた碑の背後の人家も人は住んで
いなそう。
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桜は満開だけど、何せ人がいない。せいぜい、軽トラを運転するおじいさんが農作業
しているだけだ。ほんとに過疎な地区だと実感する。
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さて、会津大塩駅の次の会津塩沢駅へ行く手前にあるのが河合継之助記念館。
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2年前に次いで、2度目の訪問。
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長岡藩家老だった河合継之助(かわい つぐのすけ)は、幕末期に新政府軍と幕府軍の
戊辰戦争が勃発すると、武装中立を宣言する。しかし、新政府軍は認めず北越戦争
発展。

彼は、その指揮を執るが敗戦。傷ついた彼は、長岡から八十里越えの峠道を通りここ
只見へ。そのさなかに亡くなりました。

只見の人は、彼の人徳を偲び記念館を建設しています。
当時、日本に3丁しかなかったというガトリング機関銃。
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長岡では、河合継之助については賛否両論があるようです。なぜなら、最初から
新政府軍に付いていれば町が焼かれることはなかったのに、という彼を戦犯とする
考え。

しかし、当時の新政府軍は薩摩・長州の一方的な政権で、「徳川許すまじ」と強硬だ
った。だから中立は認められず、彼は東北の雄藩とともに奥羽越列藩同盟に加わり
戦いへと突入せざるを得なかったのです。

一時は、奪われた城を奪還するなど活躍したが、圧倒的な戦力を持つ薩長に敗北する。
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ここは、河合継之助始め彼を慕う人や彼の資料が展示されています。
上の写真は、河合継之助の部屋ですね。

下の説明は、河合継之助の一番弟子であるアサヒビール(大阪麦酒株式会社)創業者の
外山修造(そとやま しゅうぞう)氏のこと。長岡の生まれで継之助とともに行動しています。
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何と、阪神タイガースの名前の由来は、彼の幼名「寅太」から来ているとは!
知りませんでした。

死ぬ間際に詠んだ俳句です。これは、有名な句ですね。
八十里 こしぬけ武士の 越す峠
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銃弾で負傷した彼は、峠を越えて会津へ逃延びますが匿われていた農家で亡くなります。
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記念館の隣には、「山塩資料館」がある。
そういえば、ここの近くの駅は「会津沢駅」だし、その手前には「会津大駅」だったのは、
塩と関係するからでしょう。
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海からかなり隔たった山間部なのに、塩が採れたのは山塩だったから。
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製塩記念の碑もありますね。
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ということで、今日の最後は会津塩沢駅。
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ここも、待合室は閉鎖されているし、線路の周囲は雑草だらけで、まったく手入れして
いないことが分かります。
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明日は、終点の只見駅まで行くことにします。

それでは、また!

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全国的に大雪の心配が予想される今日と明日ですが、函館も13日の金曜日は
朝起きると、一面真っ白の銀世界でした。

それまでは暖冬で雪もなく、アスファルトの路面が露出した道路が見え、まるで
初春のような暖かさ。それが一転し氷点下10度近くまで下がったのが昨日。

そんな時は、新雪の香雪園を散歩しよう!と。
早速、我が家から車で3kmほどの距離にある公園へ出かけ、公園内をウォーキング
して来ました。
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朝の最低気温がマイナス9,4度。それでも、陸別や幌加内などのマイナス29度に比べると
20度も違う。それだけ暖かい(?)のですが・・・。
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それでも、歩いているだけで痛さを感じる。時間は太陽が昇り、日が差してきた9時過ぎ。
日の光は暖かそうだが、空気は冷たい。呼吸をすると喉の奥が痛くなる。

慌てて持参したネックウォーマーを身に着ける。それで、顔の半分を覆うマスク代わり
にする。頭は、もちろんウールの帽子だし、手袋は昨年3月鉄道の旅の途中で旭川の
駅中イオンで購入した極寒用手袋。
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函館市の郊外、見晴公園内の一角にある香雪園(こうせつえん)は13haもある広さ。
もともとは、明治時代の道内有数の豪商だった岩船峯次郎氏の保養地。

つまり別荘です。彼は呉服商として当時、東京以北最大の町だった函館で財を成しま
した。
そして、1898年というから日清戦争(1894~1895)に勝利した後の明治31年に、当時
函館の豪商たちが別荘を建てていた湯の川温泉地区から、少し離れた閑静な山間部の
ここに庭園を造成しました。
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とにかく広い。散策路があちこちにあるし、30ch近く降った雪が歩くのを妨げる。
もちろん長靴を履いて散歩していますよ。

香雪園の名の由来は、大正時代に函館を訪ねた浄土宗知恩院の偉いお坊さんに
雪の中に梅香る園」と云われ、そこから香雪園となったそうです。
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カメラではよく写らないけど、松の木から落ちる細かい雪が太陽の光に反射してキラキラ
光っていて、とても幻想的な風景。
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カメラのシャッターを切るときは、手袋を脱がなくてはいけない。寒くて指がかじかんで
いるが、手袋をしていては写せない。

頬を撫でる風も冷たい。とにかく寒すぎる。
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所有者の岩船氏は、1927年(昭和2年)に市民に無料開放し、戦後は1959年(昭和34年)
函館市が土地を買収してからは、市を代表する庭園となり、今では外国人観光客も大勢
訪れるようになった場所です。
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今日も観光バスが停まっていて、中国人か台湾人か?よっぽど雪が珍しいのか、
大声ではしゃいでいました。
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あと4か月もすると桜が満開になる広場。今は枝払いされて裸の状態。真っ白い姿で
寂しく立っています。
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11月にお伝えしたときは、紅葉真っ盛りで赤、黄色、茶、緑と色とりどりだったけど
今は純白一色。
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上を見上げると、松の木の針のようなわずかな葉っぱにも雪が積もっている。
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最後に雪をかき分けて、茶室のある書院造りの園庭へ。
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2001年(平成13年)には、国の名勝に指定され、道内唯一の国指定文化財庭園
なっています。
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夏の間、見学できたけどさすがに冬期間は閉鎖中。
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ということで、極寒の庭園である香雪園を散歩しました。
雪があると、とても歩きづらくいい運動になりました。それにしても、この庭園は無料で
入れます。もちろん駐車場も整備されていますし、秋は「はこだてMOMI-Gフェスタ」が
開催されていて、毎日ライトアップされた公園内にある「見晴公園緑のセンター」内で
ミニコンサートもあります。

では、また!

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本日1月12日に北海道新聞朝刊の特集に「揺れる鉄路、上下分離~福島・只見線
がありました。ちょうど、ブログでも昨年春の旅として只見線を旅していましたので、
とても興味深く読むことが出来ました。

2011年7月の豪雨で5年以上にわたり不通になっている福島県のJR只見線の会津
川口駅ー只見駅(27.6km)が、駅やレールなどの鉄道施設を地元自治体で保有する
上下分離方式」で存続することになったのです。

JR東日本はバス転換を地元に打診していましたが、それは「地域の衰退につながる
として、あくまでも鉄路の存続にこだわったのです。

東日本大震災の4か月後の2011年7月、沿線一帯は豪雨に見舞われ、4つの鉄橋の流失、
土砂崩れによる路盤の崩壊の被害を受け、5年以上経過した今でも会津若松駅・小出駅間
の総延長135.2kmのおよそ20%にあたる会津川口駅から只見駅間の27.6kmが不通に
なっています。

たまたま、前回のブログではその不通区間の始まりである会津川口駅を紹介しました。
今日は、その次の駅の本名駅から。     
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桜が満開ですね。
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でも、ホームを見ると線路は錆び付いている。もう5年も鉄道は走っていないのだから。
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それに、待合室はべニア板で塞がれていて利用できない。
地元の人たちは、どう思っているのだろうか?
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会津川口駅から4kmくらいの場所だが、高校生は自転車で通学か?高齢者はバス?
で病院通いでしょうか?

本名駅のすぐ上流に本名ダムがあり、鉄道も国道も只見川の右岸を走る。もっとも、
鉄道はしばらくトンネル。国道252号線はダムに沿って上流へ。

8km近く進むと、会津越川駅だ。
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ここも、待合室は閉鎖中。いたずら防止で閉鎖中なのだろうか?
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来るはずもない踏切のある線路を横切り、向かい側の小高い山へ。
人家は数えるほどしかない集落だ。
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屋根が青色のトタンで覆われているのは、茅葺屋根の維持が大変だからだろうか?
茅葺は、数年ごとに取り換えなくてはいけないが、鉄と亜鉛の合金のトタン屋根だと
維持が楽だし、雪も落ちやすい。

続いて会津横田駅へ。
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すみません。同じ写真を2枚も貼り付けてしまいました。

只見線沿線は、各地に温泉がある。共同浴場もあれば日帰り入浴ができる旅館や
民宿もあり、しかも料金は安い。300円くらいから100円も。

因みに、会津川口駅から南へ5㌔の玉梨温泉共同浴場(45,9度 PH6,4)は200円、
本名駅の近くの湯倉温泉(60、5度 PH7、3)は200円。

ここ会津横田駅から次の会津大塩駅までの間にある、大塩温泉(38,6度 PH6,5)
は300円で入浴出来るのだから旅人には優しい。

駅から車で数分、「大塩中山城跡」の説明板があった。戦国時代の山城の跡だ。
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炭酸水も湧き出ていた。ヒシャクもあって、一口飲むと確かに炭酸の味がする。
ここで、ペットボトルに入れる。

ところが、その後はゲップがでるほどの炭酸で、のどを潤す水代わりにはならず。
とうとう、捨ててしまった。やっぱり、水分補給は清水のほうが良い。
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大塩天然炭酸水の由来が書かれた説明板。
明治時代は、慢性胃腸病・糖尿病・便秘に効くとして販売していたそうです。
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地図を見てもお分かりのように、会津横田駅と会津大塩駅のほぼ中間にありますね。

それでは、会津大塩駅へ。
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ここもべニア板で閉鎖中。単線非電化の鉄道だということが、わかりますね。
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大塩小学校の跡地です。この碑は100周年を祝って1974年に建てられたもの。
ということは、創立は1874年のことで、明治7年。

1879年(明治12年)教育令公布の前です。
ちなみに、1872年(明治5年)に学制公布がありますが、これはフランスの学校制度を
手本とした統一的な教育制度。当時の就学率は1873年で男子40%、女子15%、平均で
30%弱でした。

大塩小学校が創立された1874年は、子供たちの3人に一人しか学校へ通っていなかった
時代なのです。

もっとも1879年の教育令は、全国画一の学区制を廃止し、アメリカの学校制度をならい
小学校の管理を地方に移管し、義務教育期間を下等小学校4年間で最低16か月とした
ものでした。

就学率が100%に近いものになるのは、さらに30年先のことで、日露戦争終了後の1907年
(明治40年)、6年の義務教育制となり97%を超えたのでした。
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体育館だけは、残されていますね。
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イチョウの木と桜の木が記念樹として、今も学校跡地を見守っています。
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大塩小学校の校歌もありました。
昭和53年(1978年)に閉校されたのですね。先ほどの100周年の4年後のことです。

明日も、只見線の不通区間の駅を巡り旅は続きます。
ということで、また!
  
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なぜ、アイヌについて関心を持ったのか?
それは、昨年7月の夏の旅で小樽市の総合博物館を訪ねた時です。

小樽総合博物館は、かつては交通博物館として存在した建物。だから、鉄道関係を知ろう!と
訪問した。料金は400円。

日本で三番目、北海道で初めて鉄道が敷かれた当時の蒸気機関車アイアンホース号など様々
な鉄道資料が展示されていて、それはそれで感動しました。
詳しくは、2016年7月の夏の旅を参照して下さい。

その博物館の1室で特別展が開催されていました。それが「小樽が舞台のマンガゴールデン
カムイ』」でした。

その時は、面白いマンガだな、と感じただけで、特に印象はなかったのでした。

それが、今年の正月のこと。本屋さんを覗いたら、こんな題名の本が。

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今こそ知りたいアイヌ」と題して、「北の大地、そこに生きる人々の歴史と文化、漫画ゴールデン
カムイ・・・」とあったので、思わずあの小樽でのマンガを思い出して購入。

三栄書房から出版、824円プラス税。

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主人公は、アイヌ人少女のアシリパ。彼女と一緒に行動するのが、日露戦争に従軍した兵士の
杉本佐一
彼は、第1巻目の表紙を飾っています。

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何と彼の名前は、作者の野田サトルさんの曽祖父の名と同じ。しかも、曽祖父は屯田兵で
日露戦争にも従軍しています。

杉本は、アイヌが隠した金塊を探しアシリパとともに道内を旅します。

アシリパは、第2巻目の表紙。

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しかし、金塊を狙う他の連中もいたのです。
その中の一人が、あの新撰組の土方歳三

歴史上の彼は、1869年5月に箱館戦争で銃撃され死んだはず。でも、遺体は発見されて
いない。
そこがマンガのいいところで、彼は生きていた!しかも70才を過ぎた老人として描かれています。

でも、とってもカッコイイ!

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読み出して、これはマンガを買わなくちゃ!と強く心が動き、翌日再び本屋さんへ。

全9巻を買っちゃいました。1巻550円+税。

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私が大好きな歴史上の人物土方歳三は、第3巻の表紙に登場しています。

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登場人物はとてもユニークで、決して想像上の人間ではなく、土方以外にも歴史上の人物が
出てきます。

例えば、昨年の夏の旅で訪れた網走監獄。そこで、今でも印象に残っているのが脱獄王の
白鳥由栄(しらとり よしえ 1907年7月31日~1979年2月24日)。

彼は、「昭和の脱獄王」と呼ばれ、26年間の服役中に4回の脱獄を決行、逃亡年数は3年に
も及んでいます。

その実際に網走に投獄されていた白鳥は、白石由竹として登場しています。

これには、ビックリ!驚きました。
白鳥を知っていただけに、白石と名を変えて登場させているのです。

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何と!9巻目の表紙を飾っているのです。

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それ以外にも、力道山と闘った木村正彦の師匠だった牛島辰熊(1904年~1985年)は
講道館柔道9段。「鬼の牛島」と称されていたそうです。

彼は、牛山辰馬として登場します。そして第6巻の表紙に出てきます。

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そんなわけで、登場人物が歴史上のある人物と被るのです。これは面白い!

何と!あの映画「羊たちの沈黙」の主人公ハンニバル・レクターのモデルになった
ヘンリー・ルー・ルーカス辺見和雄という名前で登場するのですから。

今年の夏の旅は、「ゴールデンカムイ」の舞台を訪ね、さらにアイヌを知ること。
そのために白老(しらおい)と平取(びらとり)町の二風谷(にぶたに)のアイヌ博物館
は必見です。

このblogでも、時々「ゴールデンカムイ」やアイヌ文化について紹介していきたい、と
思っています。

今日は、そのさわりだけお伝えしました。
第10巻は2月下旬に発売予定なので、今から楽しみです。

2016年「マンガ大賞」受賞!
手塚治虫文化賞「マンガ大賞」ノミネート。
このマンガがすごい!2016(宝島社)オトコ編第2位。

何十年振りに見たマンガですが、大興奮しています。

では、また次回に!     

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