今日からブログの内容は、今年1月真冬の盛りだった函館西部地区を散策した時の
ことを取り上げていきます。
私の体も元気そのもので、当日マイナス10度とかなり寒い日でしたが、寒さをものとも
せず歩いた時の写真を掲載しています。
本日6月最後の日となる30日、明日から7月ですが、天気予報を見ると関東の内陸部は
35度を超える猛暑日になるとか、猛暑に苦しむ人たちには、この冬景色を見ると一服の
清涼剤になるかな?と。
それとも、この真夏の暑さの中で何と場違いな!とお怒りになる方もいるかも?しれませんね。
それでも、今年1月までは心臓は正常に動き元気だったのですから。
ということで、KYでしょうがマイペースでブログを綴っていきます。

1月のある日、快晴の朝9時ころ。気温はマイナス10度くらいで、吐く息は真っ白!
路面はツルツルで恐る恐る歩幅を狭めておっかなびっくりと歩きます。
場所は、函館山の麓にある「FMいるか」の駐車場から市内を写しました。
「FMいるか」は、地方ローカルFM局としては、全国で最初のラジオ局。
函館には、日本初というものがあちこちにありますね。
例えば、日本最古のコンクリート電柱とか、日本最初の洋式商用帆船「箱館丸」、
日本最初の洋式築城城郭「五稜郭」、日本最初のコンクリート製の寺院「東本願寺
函館別院」、日本最古の銀板写真、日本最古のストーブ、官立初の気象観測の地、
日本最初の正教会「ハリストス正教会」などなど。
設立日は、59年前の1958年6月12日で開局は1992年12月24日。今から25年
前のクリスマスイブの日でした。
1992年(平成4年)1月の放送法施行規則の改正により、コミュニテイ放送が可能となり、
その第1号として開局したのです。周波数は80.7MHz。
名前の「いるか」は、津軽海峡でよく見られます。私もフェリーで青森に渡るときは何度も
そのジャンプする姿を見ています。

背後を見ると、高さ334メートルの函館山がくっきりと見えます。
左にロープウェイが駅が見えますが、実は「FMいるか」の経営は函館山ロープウェイ
株式会社で、正式名称は「函館山ロープウェイ株式会社コミュニティFM事業部」。
その愛称が「FMいるか」なのです。
さて、とっても寒い中を歩いたのは目的があって、この日のテーマは「蔵」を見よう!
でした。1日の間にどれだけ「蔵」を見ることが出来るか?ということで、FMイルカを
からまずは南へと歩き始めました。

まずは、1番目の蔵。北海道には珍しい瓦屋根。もっとも、蔵はほとんど瓦屋根
ですからね。
場所は、護国神社坂の途中です。
よくよく見ると、写真の右端に護国神社の赤い鳥居が見えますね。
昔は、同神社の名前が「招魂社」と呼ばれていたので「招魂社の坂」とか「倒産坂」とも
云われたそうです。
なぜかというと、この坂の両側に家を建てる場合、坂に面して家の門を造ると招魂社に
不敬であり、罰が当たって「かまど」が潰れる=倒産する、から名付けられたとか。
招魂社は、1869年(明治2年)箱館戦争で亡くなった新政府軍の戦没者を祀るために
建てられた神社で、当時は招魂場といい1874年に招魂社へ、護国神社と改称された
のは1939年のことで、時代は戦争の道を走り始めた昭和14年の時でした。
昭和14年といえば、太平洋戦争が開始される2年前で、ヨーロッパでは9月ナチス・ドイツ
がポーランドを侵略し第二次世界大戦が開始された時でもありますね。
それにしても、この周辺を青柳町といいますが、立派な家が多いです。

2軒目の蔵。それにしてもこの雪、どう見ても今日6月30日には相応しくない写真ですね。
まさしく半年前のことですからね。
暑くて汗をかいている方は、この雪を見ると、少しは冷えますか?
なぜ、蔵が多いのか?
石川啄木が住んでいた明治40年ころ、1907年ですから今から110年前のことです。
ここ青柳町は、裁判所・税務署・財務省の支所などが建つ官庁街だったそうで、高級官僚
や有力商人が暮らすお屋敷が数多くあったそうです。
しかし、啄木が函館を離れた理由の一つは大火。明治以来数多くの大火があり、とりわけ
昭和9年(1934年)3月21日の大火は、数多くの犠牲者を出す未曽有の大火でした。
それでも、蔵は残りました。
厚い壁は燃えることなく残ったのです。さらにその後も建てられたものもありました。

北海道の木造建築の屋根は、ほとんど瓦屋根がありません。
その理由は、冬対策です。瓦だと積雪があってもなかなか落ちないし、気温が上昇し
雪が融ける→夜凍結する→瓦が割れる、そのために一般家庭では瓦屋根にしない、
のでないでしょうか?
もっとも、中には好んで瓦屋根にする家もありますが・・・。さすがにお寺は瓦屋根が
多いですね。


ということで、旅できない今、滑稽ですが真冬の1月に歩いたことを今頃になって
綴っています。
あの時は、元気そのものでした。
歩きづらくて滑るのを我慢しながら、歩いた記録です。
明日は、函館を代表する作家の亀井勝一郎や石川啄木が住んでいた周辺などを
見ていきます。
今日は、妻の友人でバラの栽培を手掛けて20年、素晴らしいバラ園の庭を造った
お家を訪問する予定です。
それもまた、そのうち紹介したいと思います。
では、また!

























































