三陸鉄道島越駅で一晩中雨の中車中泊したが、ラッキーなことに朝起きた時から雨が止んだ。
今日の訪問先は、まず宮古市田老の仮設住宅に設置されているたろちゃん商店街。
最初に槙木沢大橋から。

右は国道45号線。左は三陸北道路で、自動車専用道。巨大な橋です。
続いて三陸鉄道北リアス線の摂待駅。

ここから3kmほど行くと、旧田老町にあるグリーンピア三陸みやこに設置されている仮設住宅がある。

設置されてから、もう7年。大半の人々はここから出ているが、まだ住まわれている方もいます。
そして、その向かい側にあるのが「たろちゃん商店街」。

2013年春の訪問した時は、プレハブの建物すべてで営業していて、とても賑やかでしたが年々その
店の数は減少し閉店していき、2016年春に訪問した時は半分もなかったのです。
そして今回すべての店は閉店。多くは新しく完成した田老の道の駅や、山を崩して建設された新たな
住宅地に移って行きました。
毎回訪れている「ゆいとり工房」も閉店。新興住宅地で再出発しているとのこと。
「ゆいとり工房」は、田老の女性たちが着物などの古着をほぐして、トートバックや財布など小物類
を再生産している場所です。

「ゆいとり工房」については、次回詳しくお伝えします。
今日のメインは、旧田老鉱山。
以前の道の駅「たろう」から南へ1kmほど行った国道45号線から山側へ、最初の500mだけ舗装されてるがすぐに砂利道になる林道をおよそ5km入ります。
およそ5km一番最初に目に付いたのが、毒々しい色をした沼。排水を貯水しているのでしょう。

奥のダムで貯めているが、万が一決壊したらこの毒水が海岸へ流れ出ることもあるのではないでしょうか?怖いくらいの色。
そこから次に現れたのが廃墟となった炭鉱住宅。

何棟もあります。最盛期は1800人も勤めていたというから、この山奥に社宅を建設していたのです。
鉱山は山の中だから、町から離れた場所。夕張もそうだが、人里離れた場所に突然鉱山労働者だけの
町が出現するのです。

閉山は1971年(昭和46年)のことだから、すでに47年が経過している。
半世紀近くの年月が経つと、建物は草木に覆われもう人の住む状態ではない。

そこから、少し行くと山の斜面に巨大な施設跡が見えてきました。

これぞ、旧田老鉱山跡地。
ここは銅山。1919年(大正8年)にラサ工業によって開業。戦前の1930年代が最盛期。
従業員1800人ということは、その家族や関連施設(商店や小学校・中学校、病院など)を
含めると5000人以上の「町」が、ここに出来ていたのです。

現在は、明星大学理工学部の田老キャンパスになっていて、宇宙線の研究をする施設となっています。

川の向こう側は立ち入り禁止。林道沿いしか歩けません。車を停めて周辺を歩くことに。

この先の鉱山施設は、田老鉱山の廃墟の写真に詳しく出ているので、関心のある方は検索して
見ては如何ですか?
この日は日曜日だったせいか、誰も居らず。

この林道は、誰でも歩くことは出来そうですが、ロープも張ってあって建物には近づけません。
奥には、今も使用されている建物も見えますが。

皮を挟んだ向かい側に、何やら石碑が見えました。ズームして見ましょう。

田老鉱山の文字が見えます。その横には、鉱山の歴史が見えます。

ただ、ちょっと薄気味悪いので長居はしたくない。夜だと絶対来たくない場所。
山の斜面にある建物は何だろう?1800人も働いていたのだから、色々な施設があったのでしょうね。
会社の幹部の宿舎、迎賓館、事務所?
夕張にも不相応な迎賓館がありましたからね。

理工学部土木工学科橋梁研究室の看板がある建物ですが、板で塞がれています。
明星大学は、一体ここで何を研究しているのでしょう。宇宙線の研究なんて、ここでする理由は
何なんでしょうね?

これまた、へんてこな建物で何に使用されたのでしょう?

ということで、廃墟を調べると必ずトップ10に入っている田老鉱山跡を、ついに見てきました。
かつて栄えた場所も、採掘され尽くすと閉山し、そこは廃墟へと変わります。
2年前に訪れた北海道オホーツク管内の紋別市にあった鴻之舞鉱山、そこも数千人が働いて場所。
でも、今はヒグマのテリトリーになっていて、あちこちに熊出没中の看板が。
廃墟を見る、も私の旅の一つのテーマ。今回はすごいものを見せていただきました!
では、また!
















































































































































