函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めて「ぼうけんの旅」は今年で12年目に突入。 車中泊中心の貧乏旅行の旅、今年で72歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 いよいよ「2025 年ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです!

2025年が明け今年は73歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!軽バン一人旅の始まりです。

2018年09月

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まずは、昨日の夕方の銀山駅からの風景です。外輪山のてっぺんからカルデラのそこの部分が見えますね。
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夕方からかなり冷え込み、気温は10度を切り、寒さで途中もう一枚羽織りました。
朝の銀山駅。朝6時の列車に高校生たちが保護者の車で送られてきます。
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朝もやの中、駅からの風景。
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向かったのは、小樽。毛無山からの市街地です。
まずは、小樽駅のある方向。
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こちらは、東側の市街地。
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義経伝説の最後を飾る地は、ここ小樽総合博物館で迎えたかったのです。
ここに義経の名が永遠に残る歴史があるのです。
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400円を支払い入場。

まずは、「しずか号」が出迎えます。
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そう、義経・弁慶・静御前の3名は、明治の初めの蒸気機関車の名に残ってるからです。
義経伝説は、伝説としてですが北海道では信じられているのです。

369番目に製造された弁慶号。
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368番目が義経号。
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672番目がしづか号。
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そうです。北海道は義経伝説を信じ、北海道で一番最初に走った蒸気機関車の名に、義経、弁慶、静と付けたのです。
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当時走っていた蒸気機関車が復元されています。
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残念ながら、義経号は京都の鉄道記念館に、弁慶号は埼玉県大宮の鉄道記念館に送られていて、ここにはありません。
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もう一度、しづか号。H、K、ポーター製ですね。
1880年代にアメリカで製造され、日本に輸入された蒸気機関車です。
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最後に、うれしいことに「ゴールデンカムイ」の主人公アシリパと杉元佐一がいて、「応援しています!北海道」と。
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ゴールデンカムイを北海道で応援している!まるで、ファイターズやコンサドーレ、レバンガと並んで、今や北海道の代名詞みたいな存在です。いや、北海道のシンボル的存在かな?
ということで、義経伝説を追う!の最終回は小樽の鉄道「しずか号」で閉めました。
義経は、まさに北海道のLEGENDになっているのです!

午後から雨が降りだし、台風の接近がよそうされます。さて、これから帰ると夜には帰宅できそうです。

では、また!

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昨夜は、神恵内(かもえない)村の道の駅で車中泊。雲一つなく空には満点の星で、気持ちよく寝れました。

さて、今日は積丹半島を一周して義経伝説を追跡してきましたのでお伝えします。。
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まずは、昨日の写真から。道の駅から雷電海岸を写しました。
下の写真も昨日写したもので、泊村の兜岩。ここにも義経伝説があります。
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さて、今朝の快晴の神威岬をどうぞ!
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それでは、岬まで往復1時間余りのトレッキング開始。
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昔は女人禁制でした。その理由はのちほど。
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美しい海岸。積丹ブルーと云われる青さ。
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この道「チャレンカの道」と呼ばれています。岬の沖にさしかかった義経一行は、荒波にもまれて今にも難破しそうでした。
ところが、義経が海の神と風の神に祈ると、不思議なことに嵐はおさまり、無事通過。
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その理由は、アイヌの娘チャレンカが義経に慕って後を追い、船の行く手を阻むために身投げしたとか。
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チャレンカは、岩に化身して岬を守っています。
それ以来、女性が乗った船が通ると、チャレンカは嫉妬し恨んで必ず転覆させたとか。
それで、女人禁制だったのでした。
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それにしても、海はキレイ!
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神威岬の灯台です。360度までいかないけど、300度は見渡せます。地球は丸い!を実感します。
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続いて、積丹岬へ。ここにはシララ姫伝説があって、地元にも根付いていて、こんな温泉もありましたよ。
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積丹岬灯台。
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海岸がとってもきれい!この日快晴で良かった!台風接近のニュースは気になりますが、この日は最高の天気です。暑いくらい。
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シララ姫の小道と呼ばれる島武意海岸。
義経は、ここでアイヌの首長の娘シララに助けられます。荒波で傷ついた義経を介抱し、いつしか二人は恋仲に。

ところが、ここも義経にとっては安住の地ではなく、彼は船出します。
シララは後を追うものの、波に呑み込まれて、そのまま大きな岩になったとか。
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この岩でしょうか?
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下まで降りて見ました。帰りがキツかった!
でも、海は最高に美しい!キレイです。飲んでもいいくらい!ショッパイと思うけど。
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それにしても、義経モテますね!各地でアイヌの娘に恋されて、その都度彼は黙って去って行く。
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ということで、義経伝説の今日は、恋するアイヌの娘さんが岩に化身したというお話でした。

義経伝説、北海道のあちこちにありますよ。
明日は、義経と弁慶を探して、こんなところに名を残したのか!と驚きの場所へ行く予定です。
が、それも天気次第。

今夜の車中泊は、私の一番好きな駅である銀山駅でするつもり。
カルデラの外輪山のてっぺんで、函館本線の一番高い駅だから、朝は相当冷えそう。
でも、駅から見える景色は最高です!
では、また!

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これ、有名な弁慶の刀掛(かたなかけ)岩です。観光パンフにも記載されているほどで、知られていますね。
どれだけ弁慶は、大きかったの?

そういえば、雷電海岸の由来も義経に恋したアイヌの娘メヌカが別れを惜しむと、義経は「来年はきっと帰る。それまでの別れだ」と。
そこから「らいねん」が「らいでん」へと、まるでダジャレみたいな話があるのですから面白い!
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カヌーで刀掛岩の背後に回ろうとしている人たちがいますね。実は、この奥に、不落の洞窟という場所があって、そこには武器や財宝が眠っているというのです。

義経と関係のあったアイヌの首長チパが、隠したという伝説があるのです。
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山の中腹に見えるのが、弁慶の薪積岩。
衣川を脱出したのは4月、やっとの思いでここまで来たが、気温は低い。そこで、弁慶は薪を切って積み上げたものが化石となった、といいます。
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下には弁慶トンネルが見えますね。
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下に降りて、もう一度弁慶の薪積岩(まきつみいわ)。
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岩内町で、郷土資料館へ。館長さんと話すうちに、岩内の「義経・弁慶ロマンの会」のメンバーを紹介してもらいました。
その彼と話すと、岩内スキー場に「笹りんどうの隠刻岩」がある、といいます。
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源氏の家紋である笹りんどう、それが隠し彫りされている巨岩が岩内スキー場で発見された、と。

早速、地図をいただき現場へ。
スキー場にいた従業員は、「それ知っています。あの巨岩です。」と案内され、次いでに「道はなく、蛇やダニに注意して下さい。」と。
そこはススキの原野。フル装備して、藪こぎし辿りついて、巨岩の上へ。
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云われた通り、青色のペンキはありましたが、笹りんどうの家紋は見つからず。
巨岩の周囲を歩いたけど、何もなし。
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巨岩の上から、遠方に泊原子力発電所が見えました。出来れば、稼働せずにこのまま廃炉にしてしまえば宜しいのに、と願います。

最後に、藪こぎの疲れをとるために「HO」を使って温泉へ。
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温泉旅館で、800円のところ無料。
厚沢部でも「HO」を使って蛾虫温泉に入ったから、今回で2回目。

ということで、寿都と岩内でも義経・弁慶の伝説あり、その痕跡がありました。

突然雨が降って、止んだら虹が出て、とってもキレイ❗
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このあとは、積丹半島へと向かいます。

それでは、また明日!

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義経伝説を求めて日本海沿いを北上中です。昨日は、静御前最期の地である乙部町でランチ。その後は、八雲町熊石区で歴史資料館へ、ここでは義経に関するものはなし。
途中で見かけた親子熊岩は、義経とは関係ありません。
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その後、せたな町大成区で郷土資料館へ。ここにも義経に関する文献なし。
義経と弁慶は姫待峠を越えて噴火湾へと行ったのかな?そして再び日本海へと戻ったのか?
それとも、船で乙部から寿都へと行ったのか?
いずれにしても、熊石と大成には痕跡なし。しかし、ここには江戸時代に歴史に名を残す人たちが滞在しています。
最上徳内、菅江真澄、松浦武四郎さらには円空、木喰など。

秘湯「臼別温泉」で一風呂浴びた午後3時ころより雨が降りだし、夜は豪雨へ。今も降り続いています。

昨夜は、今年ヒグマが町内あちこちに出没して全国的に有名になった島牧村の道の駅で車中泊。
今朝の1枚目は。島牧村の江ノ島海岸。もしかして、義経は鎌倉の海岸を思い出して名付けたのか?と空想しましたが・・・。
晴れていれば、とてもきれいな海岸でメノウなどの石が発見されている美しい海岸です。IMG_20180928_071752
でも雨が降っていて、絶景も台無し。
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そして、寿の都と書いて、寿都(すっつ)町へ。ここには弁慶像があるのです。
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援軍を待ち望んで海を見つめていた弁慶。しかし、仲間はやって来ず北へ逃避行をします。
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弁慶岬の灯台です。日本海の沖合いは晴れているのに、こちらは雨!雨!雨!
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しばらくして豪雨へ。車の中から撮影しました。
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このblog、寿都町の道の駅で作成。しばらくして晴れて来ましたので、もう一度弁慶像へ。
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弁慶像の背後にある二つの丘、名を弁慶岬二つ森といいます。
弁慶が旅たつときに、お世話になったアイヌの人たちに「必ず二つ森に戻る」と、そして秘蔵の金の銚子と盃を埋めたそうです。「これを掘り出したものは、天罰が下る」と言い残して。
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やっと晴れて来ましたね。
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ただ今、午前10:12.。このあと、義経と弁慶は雷電海岸を北上しているので、追跡を開始します!
では、また!

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今朝の厚沢部町土橋キャンプ場です。
昨夜は、ライダー2名と品川ナンバーの車1台と私。朝は昨日よりは、さほど冷え込んでいなく朝食もここでとりました。
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江差町のとなり乙部町へ。早速発見!姫川の名は、義経の側室だった静御前から来ています。
由来をご覧ください。
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二級河川だから北海道が管理。その道が伝説とはいえ、記すのだからかなり知られている話ですね。
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続いて乙部岳(1016.6m)。乙部で暮らすこと2年余り、義経(判官九郎義経)は静御前とは逢えずに峠を越えます。その名が「姫待峠」。山の名を九郎岳(乙部岳)と名付けられた、といいます。
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姫川の上流です。とてもきれいな清流です。
姫待峠には、さすがにこの道を通って行くのは無理。
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この山の名は、竹森。頼朝に首を打たれた祖父の六条判官為義。義経は祖父の霊を弔うために小高い丘に碑を建てました。その山が竹森と云われているとか。
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乙部岳の山頂は、厚い雲に覆われていますね。静御前の涙が降っているのでしょうか?
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縁桂の樹があるというので、山道を歩くこと20分。癒される空間です。縁結びの樹だそうです。
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乙部町の元和台にある桂の古木。
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はるか奥州の地を望めるようにあります。
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そして、ここが静御前最期の地。

ということで、かなり眉唾物でもありますが、義経伝説はここ北海道でも浸透していますね。
このあとさらに義経伝説ととともに北上していきます。
では、また。

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今朝は、とても寒くて目が覚めました。気温を計ると10度を切っていて、やはり内陸部のキャンプ場は、もう晩秋の感じ。テントを張っているのはライダー、ただ一人。

さて、もう一度鴎島に戻り、昨日の白馬をみます。昨日は午後だったから逆光でしたが、今朝はバッチリ❗
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白馬が分かりますね。鴎島には、もう一つ義経伝説があり、それは弁慶の草鞋の足跡があある、とのこと。
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早速、鴎島トレッキング。まずは、灯台から。夕日がキレイだそうで、昨夜も赤く染まった夕日がきれいだったんでしょうね。
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歩くこと20分、弁慶の草鞋の足跡が見えますか?
どれだけ、でかい足?まるでアンドレ・ザ・ジャイアント・パンダみたい。(これ分かる人、相当プロレス通ですよ。根室プロレスの人気レスラーです)
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帰りに、もう一度白馬を!
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島にいた猫を!3日間コタローと会っていないので、どうしているかな?
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元江差郡役所は、現在郷土資料館を兼ねていて、ここと中村家と関川家の3つ合わせて500円で見学出来ます。
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昨日紹介した土方歳三の「嘆きの松」。開陽丸が沈んだことで嘆き、松をドンと叩いたら松がぐんにゃりと曲がってしまった、といいます。どれだけのパワーがあったんだ!
まるで、マイケル・エルガンみたい。(新日本プロレスの超怪力外国人レスラーです)
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ランチタイムは、ちょっと贅沢して上ノ国の道の駅で「てっくい漬け丼」1200円でした。
てっくいとは、上ノ国の方言で、ヒラメのこと。手を噛むくらい美味しい!」から手を食う、➡てっくい、となったそうです。
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食後は、昨年12月にリニューアルした花沢温泉へ。200円で入れるんですよ!
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では、また!

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昨日は、福島町を通り越して松前の道の駅で車中泊しました。朝方の風景です。津軽海峡越しに津軽半島が見えています。
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まずは、北海道で唯一の城下町である松前町の寺町にある光善寺へ。ここには、義経の痕跡があるのです。
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昨日紹介した知内町と福島町の境にある矢越岬は、義経が津軽の三厩から渡ってきた場所でしたね。

続いて義経は松前へ行き、無事に上陸したことで神仏に感謝し阿弥陀像を刻み、ここの光善寺に安置したといいます。

朝早かったので、寺の内部を見学は出来ませんでしたが、境内に残る義経山と刻まれた碑を探してみると。
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ありました。右の解説をお読みになってから。左の石には確かに、義経山の文字がありますよ。
義経が矢尻で彫ったと伝えられています。
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早朝の松前城。
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松前は、書道の町でもあります。
それは、この方、書の道では有名な金子鵬亭さん。松前の誇りだそうです。
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元学校だった建物は、郷土資料館。無料で、じっくりと学習させてもらいました。
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日本海沿いを、上ノ国町へ向けて北上。途中の漁港。
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平らな場所がなく、山の斜面に家が密集しています。右の大きな建物は小学校ですが、すでに廃校となっていました。子供がいないのです。
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これまた廃校となった小学校の校庭でランチタイム。昼食は、ビスケットとコーヒー、それとリンゴ1個。
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上ノ国の道の駅から、江差町の鴎島を遠くに見る。
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夷王山(いおうざん)は上ノ国のシンボル。北海道の和人の最初の上陸地点です。
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これから向かう鴎島。
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江差に到着。まずは、嵐に沈んだ開陽丸。榎本武揚率いる旧幕府軍の最新鋭の軍艦でしたが、ここ江差で座礁し沈没。土方歳三は、それを見て嘆いたそうです。嘆きの松があります。
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最後、江差町鴎島にある馬岩。
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逆光で見えにくいですが、白馬が首をあげていなないているように見える岩、それは義経の愛馬。今もなお帰らぬ主人を待ち構えているとか。

津軽海峡を渡る直前、白髪の老人から3頭の白馬を与えらます。それで、三馬屋→三厩の地名の起こりだそうです。

江差にたどり着いた義経は、愛馬を残して北へ。白馬はそのまま白い石になったそうな。

今夜は、厚沢部町のキャンプ場で車中泊です。
では、また明日!

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ついに秋の旅スタート致しました❗
今回は、衣川で自刃した源義経ですが、いまだにそれは影武者であり、義経は北海道へ逃げ延びたんだ!という説があります。

今回は、それを追跡するために、寒くなるけど北海道日本海沿いに旅し、その場所を検証するため旅することにしました。
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まずは、記念すべき1枚目は、北斗市の当別にあるトラピスト修道院です。
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さすがに、観光地だけあって今日の祝日は多くの観光客で賑わっていました。

ランチタイムは、道南いさりび鉄道の泉沢駅。
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花の駅だけあって、ヒマワリなど色々な🌻が
満開でした。

義経伝説第1号は、知内町の矢越岬。
津軽の三厩から船に乗って荒れ狂う津軽海峡を渡り、上陸しようとするも波は荒く困難を極めていたが、義経の矢の一発で海は静まり、見事上陸を果たしたという岬です。

知内町の小谷石集落が一番近い。
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以前は、小学校の校舎があったけど、4年前に解体し立派な地区の施設へ。
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開校百周年の記念碑と隣は学校の歴史を紹介する碑。

内部を見学したら、地元の画家のギャラリーがありました。
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矢越岬の反対側、福島町の行き止まりの集落である岩部へ行くと、そこは廃村になっていました。
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この先道はなし。
20戸くらい家はあったけど、生活している家は数軒のみ。昔あった小学校も廃墟どなっていました。

ということで、明日は松前町で義経伝説の第2弾を訪ねます。
今日は、北海道上陸の地、矢越岬でした。

今夜は、松前町の道の駅で、日本海のさざ波を聞きながら車中泊です❗

では、また。

今朝出発前に、コタローとお別れ。
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コタロー、しばしの別れじゃ👋😆💕
我慢せよ❗
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朝から遊んだから眠いよー。
でも、明日から遊んでくれる人がいないなぁー。誰と遊ぼうか?

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夏の旅は、今年2018年7月に旅した記録ですが、実は私が三笠市を訪れたのは7月24日火曜日のことで、その2日前の22日にこの写真にある三笠高校生レストランがオープンしたのでした。

オープニングには、卒業生である俳優の小日向文世さんが訪れてお祝いしてくれたり、道内のテレビ局が放送したりで、かなりの反響でした。

さて、この高校生レストラン、三笠市立三笠高校の生徒たちによるレストランなのです。
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場所は、道道116号線の岩見沢三笠線の三笠市街地のほぼ真ん中辺りで、市役所からも近い。

三笠高校生レストランは、道内公立高校で唯一の食物調理科の単科校で、生徒たちが調理および接客を担当して、料理やスイーツを一般客に提供するという、高校生が社会に出るための研修施設のレストランです。

レストラン名の「ESSOR」(エソール)とは、フランス語で「飛翔」という意味。生徒たちが大きく羽ばたいて欲しい!ことを願い、名付けたといいます。
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道路を挟んで向かい側には、三笠高校の校舎があります。
以前は、道立高校でしたが、6年前の2014年(平成24年)に市立高校としてリスタート。道内唯一の食物調理科だけ、内訳は入学定員40名の内、調理師コースが20名、製菓コースが20名で、1学年1クラスその3学年のこじんまりした高校です。

でも、校舎を見ると以前の道立だけあって大きな学校だったのでしょうね。でも、少子化と三笠市自体が人口減少で、その打開策として寄宿舎完備の市立高校で、しかも特色ある学科を設けたのでしょう。
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何と、オープンして3日目(7月24日)のこの日も、ラジオ局が来ていましたよ。HBC北海道放送のラジオ局です。
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こちらはキッチンスタジアムで、プロ仕様の調理設備が勢揃いしていて、レンタルすることも出来て、料理教室や料理コンテストなど催しの会場にもなるとか。
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ベーカリーオーブン、業務用冷凍冷蔵庫など、かなりの巨額を三笠市が設備投資していますね。
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こちらは「まごころきっちん」。三笠高校調理部の生徒たちが、調理・接客・コスト管理などを実践的に学ぶレストランで、基本営業日は土曜日、日曜日、祝日と春・夏・冬の長期休業期間中です。

この6年間で「調理技術コンクール全国大会」の北海道代表、「全国高校生食育王選手権大会」で優勝を果たすなど、数々の優秀な成績を収めているのだからすごい!
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時間的に遅かったので(午後4時に訪問)、料理は終了していました。午後2時ころには終わるとのこと。営業時間は11:30~14:00。

一方、こちらはカフェのCherie(シェリー)
製菓部の生徒たちが、こだわりのケーキやパンを製造し販売しているコーナー。Cherieとはフランス語で「愛されるもの」という意味。
ここでは、パンとジェラードが売られていて買いました。とっても、美味しかったですよ。

後で聞いたらここの製菓部は、菓子作り日本一を決める「貝印スイーツ甲子園」で優勝を果たしているんですね。これまた、すごいことだ!
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営業を終えた生徒たちがあと片付けをしていますね。
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こちらでは、明日に備えて洗い物したり。緑色のスカーフ(?)がカッコいいい!
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野菜を調理していますね。明日提供する具材なのかな?
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裏側は、テラスになっていて緑一面の芝生を見ながら食べたり、飲んだりできます。
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その向こう側には、三笠ドームの体育館があります。
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小さな市というより、町程度の人口の三笠。人口8000人規模ですが、かつては石炭の町だったけど、今は高校生の若いパワーあふれる町です。この高校生レストランが大成功することを祈り、三笠市の公園でこの日は車中泊。

頑張れ!高校生レストラン!
また、来ます。今度はレストランでゆっくりと食事をしたです。

では、また!

今夜のコタローです。
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夜寝るときは、いつもこの籠の中で寝るんだ。でも、お腹が減ると夜食を食べるために籠から出ていくよ。それにトイレにも行くからね。生後4か月にも満たないのに、きちんとトイレするんだよ。
オムツなんかしていないよ。
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今日も大いに遊んだし、食べたなぁー。さぁ、グッスリと寝ようーと。じゃー、お休ニャー!

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昨日9月22日土曜日は終日激しい雨でしたが、翌23日秋分の日は一転秋晴れの晴天で、むしろ夏が舞い戻ったかのような暑さで、半袖・短パンでも過ごせるような陽気でした。

今日からは、夜の時間の方が昼の時間よりも1日2分ずつ長くなります。もう、午後6時となると真っ暗ですが、外を見ると満月が煌々と輝いていて、明るい夜空だなと久しぶりに感動。

そういえば、あの地震の日の9月6日の午前3時8分過ぎに外へ出たら、天の川が見えるほど満天の星空だったことを覚えています。そう、あの日は北海道全域が停電で、灯りはまったくなくおまけに雲一つない夜空で、オリオン座の横三つの星がとてもきれいに見えていたのです。

さて、ここは旧幌内炭鉱施設の一つである変電所跡地で、数十年前の建物が残っています。
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1879年(明治12年)に開坑した北海道最初の大規模近代的炭鉱です。炭鉱閉山後、炭鉱施設の大部分は取り壊されましたが、一部現在でも様々な施設が残っていて見ることが出来ます。
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五稜郭の戦い、旧幕府側の大将で「蝦夷共和国」総裁を務めた榎本武揚が、明治維新後の政府で官僚となり、石狩炭田の開発に力を注ぎ、ここ幌内神社の扁額を書いたとか。
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今は、神社の本殿はなくうっすらとした森の中に石碑があるのみ。
山を守る神は、1880年(明治13年)から続いていたとか。それも、今から30年前の閉山によって、
その後は解体されたり、自然に帰っていったのでしょうか?
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ここは、1883年(明治16年)から1894年(明治27年)までの間、空知集治監の囚人たちが働かされ、1日800人~1200人が石炭採掘の作業に従事させらていました。

北海道で唯一、囚人たちによる炭鉱での労役を行われた場所であり、多くの囚人たちが命を落とした場所でもあるのです。彼らのお墓が、昨日お伝えした千人塚でしたね。

閉山は1989年(平成元年)9月のこと。
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この変電所は、1919年(大正8年)に建設されたとされています。この施設で、20km離れた南側の夕張の発電所から送られてくる高圧の電気を、炭鉱内の機械に使用できるような電圧に落としていたのです。

変電所が設置されたことで、電気が動く大型機械が登場し、石炭を採掘する効率が大幅に向上し、また炭鉱で働く人々の暮らしも電灯がついて文字通り明るくなったのです。
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99年前に完成した変電所跡。
ここへ来る途中、炭鉱住宅がいくつもありましたが、夕張同様生活している方はほとんど居らず、閑散としたものでした。
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この後は、三笠鉄道記念館へ。日本の鉄道史上3番目に開通した幌内鉄道の偉業を伝えるとともに、現在に至るまでの鉄道交通の歴史文化を紹介する鉄道記念館で、小樽の総合博物館と並び、道内最大規模の施設です。
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蒸気機関車は3台展示、廃線跡のレールを利用してトロッコ鉄道も3.8kmですが、走っています。
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鉄道マニアは必見!見応え十分です。
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ということで、ここは2回目の見学ですが何度来ても見飽きることはないほど。
この後は、三笠市街地へ戻り日本で初めての高校生レストランがオープンしたニュースを聞いたので
訪ねることにしました。
高校生による高校生のレストラン、それは次回!

では、また!

今日のコタローです。
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遊び疲れてゴロニャーンとひっくり返っているコタローです。
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体をゆすっても目を覚まさないコタローは、熟睡中。
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実は、コタローはね、今朝「塩」を舐めて泡を吹いたんだよ。
それを見た家のお母さんが、慌てて水を飲ませたり湿らせたガーゼで口に当てたり、大変だった見たい。
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塩を舐めるなんて、普通のネコはしないと思うけど、どうゆうわけか舐めちゃったんだよね。
何かな?と興味津々で、つい少しだけ口にいれたのが悪かったみたい。今日も失敗しちゃった!

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ここは、旧空知集治監典獄官舎レンガ煙突。典獄とは刑務所長のこと。
現在は、1890年(明治23年)に囚人たちによって官舎が改築された時のレンガ煙突のみが残っていますが、当時はここに刑務所長の官舎とさらにその奥に刑務所があったのです。
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1882年(明治15年)~1901年(明治34年)の19年間、三笠に設置されていた空知集治監。収容された囚人たちは、炭鉱など開拓のための労働力として使役されていたのです。
いわば強制労働。これは、空知だけではなく樺戸(月形町)でも、釧路(標茶)でも、網走でも同様奴隷同様に使役されていたのです。
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初代典獄の渡辺惟精(1845~1900)は刑務所長の他にも、市来知(いちきしり)村の戸長、警察署長、幌内坑業所所長、炭鉱鉄道事務所長も兼任、道路・水道・学校・橋・病院など次々と建設した人物でもありました。
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今は雑草生い茂る広大な空き地に、かつては刑務所、官舎などがあったのですね。
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レンガの積み方を見ると、これはイギリス式ですね。レンガを長手だけの段、小口だけの段と一段置きに積む方式がイギリス式です。
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ここも、樺戸監獄博物館(月形町)のように施設を建設するれば、観光客も大勢やって来るのにと思うけど、やはり建設するのも多額の費用が必要だから、三笠市には無理なのかな?
網走監獄博物館みたく有名になると、観光コースに入れられて全国的に知られていますけどね。

続いて達布山(たっぷさん)(143.8m)へ。ここには展望台があって、三笠市内だけではなく石狩平野を一望できます。
達布山は、アイヌ語の「タプ・コプ」が語源で、「頂上の丸い山」という意味。明治の開拓期には、本武揚・山形有朋・山田顕義など多くの要人たちが視察に訪れていて、幌内鉄道などの開拓計画を立てたと云われています。
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三角点もありますよ。
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展望台には、らせん状の階段を100段以上登り到着。見晴らし最高です!
まずは、東の方向を見ると三笠市市街地が見えますね。
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南側は、広大な農地で小麦畑が見えています。この辺りは水田がなく小麦畑が広がっているますよ。
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さらに南西側は遠くに札幌市も見えて、札幌ドームの銀色の丸い屋根も見えました。
この写真じゃ分かりにくいけど、確かに肉眼でも見えていました。
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北側は、山崎ワイナリーや滝沢ワイナリーのあるブドウ畑が見えています。
ここまでは道路があって、5台くらい停めれる駐車場もあるから楽に来れますよ。
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樺戸(月形町)から空知集治監まで直線の道路を敷くにあたって、ここから狼煙(のろし)を上げてみ印にしたそうです。石狩川の湿地地帯を横切る工事は難関を極め、多くの犠牲者が出たそうで、囚人たちは寒さに加え暴れる石狩川にも苦しめられたといいます。

今は、樹木が生い茂っていますが、当時は木々を倒して見やすくしたのですね。中央あたりの遠い方向に樺戸監獄があったのです。
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続いて、千人塚史跡公園へ。ここは多くの囚人たちが眠る墓です。
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空知集治監の囚人たちの墓がある史跡公園です。亡くなった囚人たちは一人一人墓に入れられましたが、1892年(明治25年)までに死亡した965人分の遺骨を集めて、1896年(明治29年)に「合葬之墓」が設置され、この頃から千人塚と呼ばれるようになったそうです。

左の碑には「自由党志士 原利八君碑」とあります。秩父事件で不当に逮捕され、ここ空知集治監に
収監されて無残にも亡くなった原利八氏の碑です。
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ということで、三笠は明治の開拓期には炭鉱や鉄道だけではなく、監獄まで設置された歴史があり、そして多くの無実の罪ではるばる遠方から連行されて来て、強制労働をやらされて亡くなった人たちがたくさんいた事実をいました。

明治維新後の10年間で、薩長の独占する新政府に対し日本各地で士族の反乱が起きます。
それは、薩長の地元でも萩の乱(1876年)、西南戦争(1877年)、肥前では佐賀の乱(1874年)、農民たちも徴兵令反対一揆(1873年)、わっぱ騒動(1874年)など。

やがて、農民や士族たちの間から自由民権運動が起こり、板垣退助を中心とした自由党が結成されます。
地方の農民や自由党党員により自由を求めて立ち上がる戦いが起こり、それが加波山事件・秩父事件(ともに1884年)へ。しかし、警察や軍隊には敵わず鎮圧され多くのものが逮捕、そして囚人として北海道へと連れて来られたのです。

悲しい歴史を知ることになりましたが、新天地の開拓にはつきものの歴史です。決してフロンティア・スピリッツだけの明るい歴史だけではないです。

明日は、囚人たちが強制労働させられた北海道最初の炭鉱である幌内炭鉱跡へと向かいます。

では、また!

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9月22日土曜日、久しぶりに夜半からの雨で畑にとっては、良いお湿り。今日は1日中雨とか。
でも、明日からは秋晴れでしばらく続いてもらいたいものです。

ファイターズ、今年はパリーグ優勝はほとんど不可能で、西武ラインズに間違いないでしょう。でも、2位は確保して欲しいのだが、何だかそれも怪しくなってきたような。

さて、国道452号線を北上し三夕トンネルを越えると、三笠市へ。ダム湖である桂沢湖の桂竜橋を左折、右折すると芦別へ向かいます。左折して道道116号線を西へ進むと、三笠市立博物館へ到着。
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入館料は450円だが、三笠鉄道記念館との共通券を購入。650円でどちらも見れます。
まずは、左の建物へ。日本一のアンモナイト博物館だそうで、テーマは「三笠一億年の歴史」。

1億年前の中生代白亜紀の北海道産「アンモナイト」を中心に1000点の化石を展示。
イカやタコの仲間だそうで、中生代の海で大繁栄していたとか。国内では、北海道から最も多く発見されているそうです。
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巨大なものは、日本最大の直径138㎝。
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恐竜も展示。
恐竜と云えば、福井県や道内ではむかわ町の穂別が有名だけど、ここ三笠でも出土しているんですね。
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アロサウロス」。ジュラ紀最強の肉食恐竜の全身骨格レプリカで、大腿骨化石は、実物で触れることが出来ますよ。
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子供たちが見学したら面白いでしょうね。
私の長男が子供の頃は、すべての恐竜の名を覚えていて、絵を指さすと正確に答えていたことを思い出します。子供の頃の方が、好きなものを記憶する能力は高いですよね。成人した今では、ほとんど忘れたとか。
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一方、右の建物は①郷土出身者の足跡、②北海道開拓と囚人、③炭鉱と人々のくらし、④森林資料展示室といろいろなテーマ別コーナーがあって、まずは北海道最初の近代的炭鉱で、1879年(明治12年)に開かれた幌内炭鉱について見学。

昭和期の炭鉱で使用された機器類を中心に、明治から平成の閉山の炭鉱の歴史を見ることが出来ます。
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ここでもっとも興味深かったのが、明治時代の開拓期における三笠市の郷土資料です。
実は、合併して三笠市になる以前の市来知(いちきしり)村には、1882年(明治15年)に空知集治監
(刑務所)が設置されたことです。
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監獄といえば網走が有名ですが、実は北海道に最初に出来たのは樺戸(現在の月形町)で1881年(明治14年)のこと。その翌年に空知集治監(明治15年~34年まで20年間設置)、さらにその3年後に釧路(標茶)に、1891年に釧路集治監網走分監が出来ています。

北海道に出来たのは、ロシアの南下政策に対抗するため開拓が急務となり、道路建設・炭鉱や硫黄の採掘に従事させるために囚人を本州から連れて来たのです。当然、空知集治監では囚人たちを幌内炭鉱で使役させたのです。

囚人と言っても、その多くは1877年の西南戦争などで捕縛された士族たち、さらには1884年の秩父事件などで逮捕された農民たちで、政治犯や思想犯の人たちでした。
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右下に五稜郭の戦いを指揮した「蝦夷共和国」総裁の榎本武揚の写真がありますよ。
彼は、死刑を免れ明治政府の官僚として生き延びますが、ここと関係があったのですね。
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北海道に多くの集治監が出来た背景は、出所後も現地に留まらせ、少しでも人口増へつなげるためでしたが、実際には過酷な奴隷のような強制労働で多くの者が亡くなっています。

明日、その空知集治監を紹介いたします。

博物館広場でランチタイム。その後は旧奔別(ほんべつ)炭鉱立坑櫓へ。
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1900年(明治33年)に開鉱し、立坑櫓は深部の採炭の開発や運搬などを目指し、1960年(昭和35年)に操業しています。だから、この櫓は58年前に建てられたもの。

高さ51m、深さは何と!735m、内径は6mあり操業当時は東洋一の立坑と呼ばれていたそうです。
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ということで、三笠の歴史を少しでも垣間見られた感じで、明日は空知集治監跡地へ向かいます。
なお三笠の名の由来は、空知集治監が設置された際、ここの山が奈良の三笠山(若草山)に似ていることから、「三笠山」と呼ばれるようになったそうで、1906年(明治39年)幌内村・幾州別村・市来知いちきしり)村が合併し、三笠村となっています。

現在の人口は8600人ほどで、最盛期は4万人(1970年)。
北海道最初の近代的炭鉱、最初の鉄道(手宮ー幌内間1882年)、最初の電話開通(手宮ー幌内間1833年)上水道の設置(ヌッパ水源地から空知集治監まで)が行われた地域で、「北海盆歌」発祥の地でもあります。

では、また!

今日のコタローです。
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早朝から遊びまっくて、疲労困憊。それに天気も悪いから、気分も最悪。
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こんな時は寝るに限る。ということで、おやすみ・・・。
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何だよ、人が(? ネコがでしょう!)寝ている時にカメラを向けないで欲しいなぁー。
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睡眠の邪魔をしないで! 噛みついちゃうぞ!
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地震の時以来晴天が続いてきましたが、明日22日土曜日は久しぶりの終日雨マークがついています。
9月は晴れの日が多く道内を旅してる方は、恵まれたのでは?
もっとも、その分8月は雨の日が多かったですけどね。

さて、来年春の廃止される予定の石勝線夕張支線。ここは、夕張市のかつての中心街の清水沢駅
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駅舎は大きいけど無人駅だし、窓はべニア板で塞がれていますよ。
待合室には「頑張れ夕張!!」の張り紙があって、石炭全盛時代の風景写真が展示されていますが、
恐らく昭和40年代が最後でしょうか?

その後の夕張は、観光路線を取ったが「石炭の歴史村」は失敗し、莫大な借金を抱えついには自治体としては赤字再建団体へ転落してしましましたね。
東京都から出向していた現鈴木市長は、今後の夕張については「5000人規模の自治体を目指して、コンパクトシティ構想」を考えていますが、果たしてどうなることやら?
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ホームにも雑草が生えていて、このままホームとレールは死に絶えてしまうのでしょうか?
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ホームから見た清水沢駅。
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駅前商店街は、ご覧の通りシャッターが降りた店がほとんどだし、営業数するにも人がいません。
ピークは12万人弱いたのが、現在は8000人台の夕張市。何と!15分の1にまで減少しています。
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清水沢から東へと、国道452号線を走り南部地区へ。
今は使用されていない、かなり老朽化した南部市民体育館がありました。
かつては、ここで多くのスポーツがおこなわれていたのです。例えば夕張の北炭野球部は、昭和40年代までは都市対抗野球の常連だったのです。
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殉職者慰霊碑は、奥のちょっとした空き地にありました。
石炭と云えば、何度も落盤事故や火災などで多くの犠牲者を出していますね。地下数百メートルも降りて作業するわけだから、ガス爆発などで事故が多発していました。
私が中学生や高校生の頃の新聞には、何度も炭鉱の事故が記事になっていました。

それでも、求人欄には「求む、炭鉱マン、学歴問わず、高給優遇、社宅あり」があって、普通のサラリーマンよりもずーっと給料は良かったことを、子供ながらに覚えています。
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1987年(昭和62年)7月まで、清水沢と大夕張炭山を結ぶ鉄道17.2km、「三菱鉱業大夕張鉄道」が走っていたのです。
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拡張したシューパロ湖のために、旧国道「夕張国道」は湖の下へ沈み、新しい国道が完成しシューパロトンネルを抜けると、湖全体を見渡せるビューポイントへ。

東の方向を見ると、遥かかなたに夕張岳(1667.7m)を中心とした夕張山地の山々が見えます。
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南の方向。20年以上前にオフロードバイクで、道道136号線(夕張新得線)で湖の周囲を走り、占冠村のニニウへ出たことがあります。かなりの酷い道で、オフロードバイクだからこそ行けた道。今の地図には「通り抜け出来ないダート道 熊出没」と出ていて、今はまったく無理でしょうね。
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北の方向を見ると、遠くに湖を横切り夕張岳へと向かう林道に架かる橋が見えますね。
なお、この道(国道452号線)を北上して三笠市へ向かいますが、それは明日ということで。
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林道の橋付近の公園には、湖に沈んだかつての鹿島東小学校の碑。
昭和53年とあるから、1978年のことで今から40年前の話です。
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同じく湖に沈んだ北海道立夕張東高等学校
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夕張市立鹿島中学校は、閉校が平成8年3月31日とあるから、1996年のことで22年前のことですね。
開校が昭和22年(1947年)だから、多分終戦で外地から大勢の人が引き揚げてきて、その方たちを受け入れたのが夕張の炭鉱だったのでしょう。その炭鉱マンの子弟たちが通った中学が、終戦から2年後の昭和22年に出来たのだと思います。
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ということで、明日はもう一つの炭鉱都市で、北海道で一番最初に石炭を掘った幌内炭鉱、そして北海道で最初の鉄道が敷かれた(しかも、それは日本で3番目という鉄道)三笠市へと向かいます。

では、また!

今日のコタローは、機嫌が悪いのか?なかなかカメラを向けても落ち着かなくて、いい写真が撮れませんでした。ネコの動いている間は、シャッターチャンスがなくて困っています。
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寝ている時が一番安心して写せますが、そればかりではね。欠伸をしている時などは、ほんの一瞬だし、いつ欠伸をするのかは分かりませんしね。カメラマン泣かせのコタローです。
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ボクの愛情表現で、いつも牙で足首とか腕を噛むんだけど、家のお父さんやお母さんは「痛い!痛い!」って、叫ぶんだ。軽く噛んでいるだけなんだけどね。本気で噛んだら大変なことになるのは知っているから、手加減して噛んでいるのに・・・。
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少しは反省しています。首を垂れてごめんなさい。

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ここは、安平町の追分駅を跨線橋から撮影。前夜は駅の裏側、この写真だと右手側にある鹿公園で車中泊。とても閑静な場所で、駐車場も広くトイレもきれいだしぐっすりと寝ることができました。

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ここは、室蘭本線と石勝線の2路線が乗り入れている駅だが、かつては夕張線からの石炭貨物列車が多く往来して栄え、それは広々とした構内にその面影をとどめています。

それが、これ。1898年(明治31年)には、扇形機関車庫が新設されていて、多分左奥の砂利が敷かれている辺りかと思います。
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現在は、2面4線で、ホームは2つ。跨線橋がつないでいます。でもよく見ると、一番左のホームは現在使用されていませんね。だから実質3線のみ。
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かつての貨物仕分け用引き上げ線が左側に残っていますね。幅の広い草地も追分駅の構内だから、
どれだけ広いか分かりますね。
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逆方向で、南側の苫小牧方面を望む。左の建物群は安平町の公営住宅か?
それにしても線路を横断するのは大変で、今撮影している跨線橋は、距離にして250m以上ありそう。
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キャンプ場側から撮影。この赤茶色の歩道を歩いて行くと、先ほどの跨線橋の上へ、駅方面へはさらに250m以上もあるくことになるから、高齢者はキツイ。
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来年廃止予定の夕張線の各駅を巡ろうと、道道462号線を東へ次の東追分駅を探しに行くが、駅はどこにも見当たらない。
ホームすらない。ということは、この駅廃止されたのだろうか?
ナビで捉えた駅周辺の畑です。見渡す限りの畑で、遠くに農家の人が見えたけど、遠すぎて尋ねる気もならず。行くだけで大変!
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次の川端駅はありました。空知管内の由仁町にある川端駅。建物は大きいが無人駅。
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左に見える跨線橋を渡ると、貨車があって、よくよく見ると草茫々の場所は、かつてのパークゴルフ場。
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反対側を見たら分かりました。だから貨車は休憩場かな?
所々に、ホールの旗があるから分かったけど、一見するだけだとただの雑草地。
誰も使用しなくなって十数年経過すると、こんなにも雑草だらけになるのか、と。

ということは、現在各地にあるパークゴルフ場は、10年後にはこんな姿になる恐れは十分ありますよ。
地方では高齢化のスピードが速いから、10年前にプレー出来た人も今は亡くなっているか体の自由が効かず、こんな風に雑草だらけになってしまったのです。

都市のパークゴルフ場も、そのうちこうなるかも?
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続いて滝ノ上駅へ。国道274号線を走りたどり着きましたが、ここは夕張郡栗山町。
ファイターズ栗山監督の町ですよ。ただ、ファイターズ、昨日もライオンズに大敗。
今年の西武ライオンズ強すぎ!打線が最強だから、打って勝利していますね。ファイターズは2位狙いに徹した方が良いかも?現在2位のホークスに勝って、CSは札幌ドームで行えればいいな!
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次の十三里(とみさと)駅を探したが、駅はなし。ここも廃止されたのですね。
それで、次の新夕張駅へ。ここはかつて紅葉山駅という名でした。
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駅の駐車場へ行くと、かつての駅標がありましたよ。
十三里駅は廃止、次の夕張線は現在石勝線の夕張支線の沼ノ沢駅。
ここは、さすがに有人駅。特急も停まる駅です。
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ということで、廃止寸前の夕張支線の駅巡り。まずは沼ノ沢駅へ。
ご覧のようにカフェ「おーやま」が同居。
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石炭全盛時代、ここから東へ北海道炭鉱汽船の真谷地炭鉱専用線が走っていましたが、1987年(昭和62年)廃止されています。それでは、道道750号線を走り真谷地へ行ってみましょう。

行ってみると、廃墟だらけの集落で立派な建物はこの公共浴場。
でも今は使用されていません。なぜなら住民がほとんどいないからです。
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見えるのは、夕張市の公営住宅。というより炭鉱住宅。ほとんど住んでいる人はいません。
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でも、まったくゼロではなく生活している方もいて、写真に見えるご婦人など数名はいるとのこと。
お話を伺ってみると、かつては商店街もあって多くの人が住んでいた。学校もあったんだよ、と。
でも、今は高齢者ばかりで買い物にもとても不便だと。
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若い人は見当たらず。ただ、道を変えて農道を走ると、丘の上にメロン畑があり若い人たちが農作業していました。夕張と云えば、今はメロンですね。このメロンが夕張を再生出来るのか?否か?
メロン栽培はかなりの労働力で、夕張に若い人がやって来るのか?という問題も。

かつて6校もあった高校は、現在夕張高校1校のみ。多くの生徒たちは卒業したら夕張を離れます。
進学する生徒はもちろんのこと、就職する生徒だって職場がないのだから。ここの残る生徒は何人いるのでしょうか?果たして一人でも残るのでしょうか?

続いて南清水沢駅へ。
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非電化単線のさみしい路線です。でも、ここの駅ももうじき無くなります。
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ということで明日は、かつて夕張の中心地だった清水沢駅へ。
そして今は湖の底に沈んだ鹿島地区を見るため、シューパロ湖へと向かいます。
では、また!

今日のコタローです。
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最近、眼付が鋭くなったコタローです。どんどん大人化してきていますね。
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ボクは、人間に例えたらもう5歳以上で、あと2か月で誕生してから半年。人間だと小学校に入学するあたりだよ。でも、ボクは学校なんかいかないよ。決して不登校になるんじゃなくて、食べて寝て遊びだけが猫の生き方。机の上で学ぶことなんてないよ!すべては生きていることが学びの場。
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鋭い爪でしょう。これで、網戸を一番てっぺんまで駆け上がるんだ。だから家の網戸はズタズタ。
虫が入って来るんじゃない。
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あーぁ、今日のいい天気。このところ日向ぼっこに最高の天気だね。ベランダで太陽の光に当たれば
ずーっと寝ていられるよ。
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じゃ、またニャーオ!

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二風谷から日高国道を南下すること5km、平取町の町役場などある中心地の高台にあるのが義経神社
ここにも、義経伝説があるのです。

源義経は源平の戦いで勝利後、兄頼朝に疎まれて奥州平泉の藤原秀衡のもとに身を寄せます。しかし、1189年、秀衡の子の泰衡に襲われ衣川の戦いで自刃したのが一応歴史上の事実となっていますね。

が、それは身代わりで彼はその後生き延びた、というのが判官びいきの日本人の大好きなところでもあり、義経は生きて北帰行をした、というのが伝説となっているのです。義経一行は、密かに津軽から蝦夷地福島へと渡り、西海岸を北上しアイヌ集落が栄えていたピラトリに一時居住し、住民を外敵から守りカムイ(神)として尊敬もされていた、と。

そういえば、津軽の三厩(現在の外ヶ浜町)には義経北行伝説の地である義経寺がありましたね。
日本各地に残る義経伝説。ここもその一つで、その後はサハリンからモンゴルへ、アジアからヨーロッパの一部を制覇した史上最大の独裁者チンギスハーンになった、という壮大なロマン?(世界最大のハッタリ?)もありますね。
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そうそう、函館にも義経伝説がありますよ。北海道最古のお寺である船魂神社には、弁慶の足跡が大きな石に残っていますからね。

ここ義経神社は、源義経公を御祭神をしていますが、実際は1799年、江戸時代の探検家で東蝦夷地・国後島・択捉島を探査した近藤重蔵(1771~1829)らが、1789年にこの地のアイヌ民族が義経公を崇拝していることを知り、義経公の像を造らせ寄進してこの地に安置したのが始まりだそうです。

1876年(明治9年)に村社となり、平取義経神社として全国にその名を広めて知られるようになった、といいます。
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母の常盤御前と、妻の静御前の碑までありましたよ。ウーン、ここまで来ると胡散臭いなぁー。
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もっとも、ここは馬の産地でもあるし義経は馬を大切にしていたことから、馬の神様としても知られていて、近くの馬産地である浦河・新冠・早来などサラブレット・競走馬を産出する地の経営者らがお参りに来ていました。
如何にも馬成金みたいな豪勢な車で乗り付け、多額の寄付をして禰宜からお祓いを受けていて、さすがはリッチだな、と。でも、成金趣味みたい(ジェラシーほとんど!)。
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義経伝説は、全国にあるけど北海道にも幾多ありますね。函館・船魂神社に始まり、江差の鴎島にある馬岩、寿都町の弁慶像に雷電海岸の弁慶の刀掛け岩、神威岬など。それにどうゆうわけか、十勝は本別町には義経像や弁慶像だけではなく「義経の館」という名の資料館までありますよ。
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社務所の隣には義経資料館まであり、入館料は200円。義経が愛用した甲冑や太刀、陣太鼓、錦絵など様々な義経伝説を裏付ける(?)資料が展示されていました。
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伝説に関しては、この地図。北海道と東北だけで数十あって、実に面白い。
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ということで、「義経北海道を走る!」これを秋の旅のテーマにしてもいいかな?とも思った次第です。まぁ、これから寒くなる一方の北海道、まだ9月は晴天の日が多いけど、10月は車中泊どうでしょうか?真冬用の寝袋持って行った方が良いでしょうね。

この後、むかわ町の道の駅の温泉に、「HO]を使って入浴。厚真町、安平町を通り、安平町の追分駅裏の鹿公園のキャンプ場で車中泊しました。

この旅は一月半前(7月中旬~下旬)にかけてのことで、その後まさかの大地震が厚真を中心とした安平・むかわ川町で起こるとは!思ってもいませんでした。

地震から13日目の今日、幸い電力は復活し節電することもなくなりましたが、未だ避難所暮らしをしている方が大勢います。どうか、真冬が来る前に架設住宅や公営住宅などに移れますように!と願うばかりです。

明日は、キャンプ場から夕張へと向かう予定でいます。
では、また!

今日のコタローです。
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トンネルが好きなコタローです。体が小さかった頃は、この箱は四角だったんだけど、図体が大きくなって五角に作り直してもらい、通り抜けられるんだよ。

隅っこや箱の中が好き。なぜかって?この中だと安全でしょう!これって、ネコ族の先祖からのDNAがボクの体にも流れているからだよ。天敵から身を護る術だヨ!と偉そーにどや顔のコタローです。
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でも、遊びすぎて疲れちゃったよー。高いところで寝るね。
これも知恵だね。じゃーお休みニャー!

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