函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めて「ぼうけんの旅」は今年で12年目に突入。 車中泊中心の貧乏旅行の旅、今年で72歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 いよいよ「2025 年ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです!

2025年が明け今年は73歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!軽バン一人旅の始まりです。

2020年08月

8月31日月曜日、天気は曇りで風は強く気温も朝方は20度くらいで、寒いくらい。本州ではまだまだ暑くて、岡山県高梁市では猛暑日が22日連続していて、こっちと比べて考えられない、とんでもんない暑さになっています。
同じ北海道でも、道東では最低気温が一桁台だなんて、それじゃストーブを焚かなきゃいけない温度で、日本は北と南では全然違う気候なんだな、と改めて思った次第です。

さて、我が家に2泊していたフランス人冒険者たちは11:30のフェリーに乗船するために旅立ちしていきました。
エラの自転車には前輪と後輪の両方に4個のバッグとさらに荷台に寝袋やマット。それとハンドルの下にフロントバック、合わせて40kgだそうでかなり重そう!
彼女の身長は157cmで、体重は恐らく50kgはなくスリムな体だから、よく運転しているな!と感心するばかりです。ほとんど日本人の若い女性と変わりないくらいの体型です。
坂にさしかかたら自転車から降りて押して歩いているんじゃないか?と心配しているけど、本人はまったく平気で今まで標高4000m以上の峠を登りきっているんだから、大したものです!
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一方、こちらは手前がマキシム、奥がメラニー。関係ないけど、ちなみにその奥のは私のママチャリ。
昨日は、マキシムの自転車の後輪のリムが今までの過酷なツーリングで痛んだため交換しなければならず、市内の自転車屋さんを2軒走る。1軒目には在庫はなく、2軒目の港町にある自転車屋さんでゲット。9000円近い代物だったが、偉いのはそれを自分一人で交換したこと。決して人の手に任せなかったのです。工賃もかなるけど、自分一人で直せなくてはダメですよね。
雨の中、カーポート屋根の下で、タイヤを外し、ギアも外して交換。手を真っ黒にしながら全部自分でこなしていました。

旅の道中、何度もメカトラブルに見舞われたけど、全て修理出来たというからすごい!
もっとも、修理に入る前に「YouTuber」を見て確認していたけど、それにしても偉い!相棒のエラのパンクは何度もあった、といっていました。
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出発する前に、二人は炊飯器を貸して!と。何をするのかな?と思ったら、持参している5kgのお米(それを持って走っているだけでもすごい!)を出して5合分ご飯を炊きたいと。それで、おにぎりを作りお昼と夕飯にするとか。
40分後、アツアツのご飯を両手で器用に作っていました。海苔と梅干しをあげるよ、と言っても「大丈夫、ゴマだけで🆗‼️」と。梅干しは苦手だそうです。
ホントに倹約・節約旅行しているな!と感心するばかりで、無駄に金をかけない合理的な旅の姿です。
来る前も、八雲町のゲストハウスで「働きながら宿泊すると無料になる」、そんな施設で泊まって来たといいます。尋ねたら「掃除、皿洗い、畑仕事などをすると無料」だと。そこでは他にカナダ人も働いていた、と。
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猫の「コタロー」も入れて、若い3人のフランス人冒険者たちと体の小さな日本人老夫妻。
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日本を旅した後は、エラとマキシムは韓国、ロシアを旅したいと。でも、コロナウイルスの感染拡大しているロシアは怖いみたいだ。
まずは、その前に西会津地方を走りたいと。
昨夜は、会津の歴史を軽くレクチャー。
日本は、大都市以外は大丈夫!と、もちろん油断はせずに旅しているけど、「日本はエンジョイしている!」と話していました。
中南米はコロナ感染の恐怖が高いから、行かないと言っていて、自由に旅できない現状を嘆いていましたが、それでも日本は自由に旅できるから楽しい!と。
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テントは、北海道では主にキャンプ場以外ではパークゴルフ場に張っていたとか。パークゴルフ場は、芝生の地面に大抵はトイレ、水道完備。たまには地元の老人に混ざってプレーしていて、楽しかったそうです。日本でも北海道に圧倒的に多いパークゴルフ。思わぬ良い場所を見つけましたね。
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フェリーは、昨日函館には2つのフェリー会社があり青函フェリーは以前貨物専用だったけど今は一般人も乗れるし安い、とアドバイス。早速ネットで予約していました。
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さすがに半袖ではないが、3人ともシューズは履かずサンダルのみ。昨日も夕方4時から西部地区の歴史的建造物を見に行ってくる、と言って小雨の中を自転車で走りに行ったほどです。それもサンダルで。
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4時間の乗船時間だから、3時半には青森着。今日は何処に泊まるのでしょうか?彼らのことだから、何処でも自由気ままにテントを張っていることでしょうね。
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もちろん、彼らもマスクは持参しているし、手洗いは何時もしているし体温も計って常温だったし、それに人混みには行かない、と。
この先、本州は暑い場所に行くけど、まずは北東北の青森県と岩手県は暑さは気にすることはないでしょうね。
宮城県、福島県に着く頃にはすでにもう秋?になりかけているから大丈夫かな?もっとも、暑さは日本以上のを体験してきているから余計な心配ご無用ですね。
彼らを見ていたら旅したくなりました。
彼らのような旅は出来ないけど、少しでも冒険者ならぬ「ぼうけんの旅」は出来そう?かな、と。
少し落ち着いたら今年の第2弾、道内の旅に出かけたい‼️と思っています。
素晴らしきなか!フランス人若者の旅。
今回は、彼らからいろいろなことをたーくさん学ばせてもらいました。
では、また!

8月30日日曜日、天気は朝から豪雨で警報も出ているほどだし、気温は長袖を着ないと過ごせないくらい寒い。昨日の29日は、今年最高気温を記録するもっとも暑い日だったので、1日で真夏から秋へと変化した、と思わざる得ないくらい激変の1日でした。
とにかく、昨日は暑くて暑くて、函館では32.7度を記録したし、隣町の北斗市では34度という史上最高記録だったし、暑くて暑くて外には出れない強烈な暑さでした。
そんな中、先月釧路の標茶町塘路湖のキャンプ場で知り合った、フランス人サイクリストのエラと彼女のご主人と、旅の途中で知り合った女性サイクリストの3人が我が家に到着、宿泊していきました。
左の男性がマキシム。28才。そのとなりのエラの夫です。中央の女性はエラ。26才。
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二人は、昨年3月にフランスはアルプス山脈の麓にある町、グルノーブルを出発。グルノーブルは皆さん知っていますか?1968年、冬のオリンピックが開かれた町。4年後の1972年は札幌で開催されましたね。
左の女性は、実はとっても身長が高い人で178cmもあり、モデルのような体型の方。名前はメラニー。何と!7年前にフランスはパリ近郊の実家からスタートし、インドに3年間も住んでいたとか。
北海道の後は、四国へ行きお遍路さんをやるとか!
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とにかく、旅の達人です。マキシムから旅の記録の写真を見せてもらいましたが、すごい!の一言!イランでは気温52度を体験しているから、昨日の暑さは全然平気だと。
フランス人は、冒険好きのアドベンチャーたち❗
昨夜は、そばをごちそう。今日のランチは我が家で採れたジャガイモの塩煮。その他、我が家の野菜をたくさん出しました。トマトは美味しい!と。イカの塩辛も食べるし、梅漬けも大丈夫。
もっとも、世界中を旅するなら好き嫌いがあったらダメですよね。
今夜はカレーライスの予定。
明日はフェリーで青森へ渡るそうです。
もう、一泊我が家に泊まります。今日1日すごい雨が降り続けていて、外出は無理ですからね。
では、また!

8月28日金曜日、天気は朝から快晴で気温は今年最高の31℃を記録する勢いで朝からムッとするくらい上昇しています。午後2時あたりは一番暑い時で、外に出るのがイヤになるほどです。
もっとも、真夏日は1年のうちに何度かあっても猛暑日はまったくなく、その点は本州の猛暑日連日という都市とは全然違い、まだ涼しい方なのかも知れませんが。
それでも、暑いのは事実で30℃という気温に体が慣れていなく、家の中にこもってエアコン利かせてゆったり・のんびりするのが賢明、と。運よく知り合いが訪ねてくれて、午後3時までいたので家の中で涼んでいました。外には出たくな~い!

さて、旧国鉄の士幌線跡を訪ねて昨日紹介した「東たいせつ自然館」を出発し、一路北の旧十勝三股駅へ。5kmも走らないうちに、早くも「旧士幌線橋梁」の看板があり、駐車場も完備していて歩いて現場へ。トンネルは、さすがに塞がれているけどその近くまでは歩いて行ける。
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糠平湖は、人口湖でいわゆるダム湖。自然の湖ではなく、主に農業用水確保とか水害防止または発電用にと多目的ダムを建設して、その結果出来た湖で、反面そのせいで湖の下に沈んだ集落もあることは事実。
ダム湖は、形を見ればすぐに分かります。まずは、ダムの突堤があるから、ある場所は直線になっているし、周辺の川から湖にいくつもの川が流入していて、写真の川もその一つ。
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中央奥に見えるのが糠平湖。道東最大の河川である十勝川の支流の音更(おとふけ)川をせき止めて出来たダムは、主に電源開発で水力発電のためのダム。1955年に完成しているから、1925年に開通した士幌線の後に出来たダムです。
北海道では、幌加内町にある朱鞠内(しゅまりない)湖に次いで2番目に面積の大きな湖のダム湖。
ヌカビラとは、アイヌ語で「人の形をした岩」と意味だそうです。しかし、その人の形をした岩はダムの底に沈んでいて今は見ることが出来ません。
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左の外側、赤錆びた鉄製の橋が旧士幌線で、右側の銀色の橋は観光用で鉄道の跡地を見学に来た人のための橋です。
1925年に士幌線は開通したけど、戦後の1955年に糠平湖が完成したため、ダム湖が出来る以前の士幌線は湖の底に沈んでしまったのです。だから、この鉄橋はダム湖完成後の1956年以後のものです。
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しかし、列車が走ったのは20年ちょっと。なぜなら・・・。
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ここを鉄道が走っていたのですが、それも1978年まで。かつては林業を中心とする人々を中心に人口1500人を越える集落だった十勝三股も今は2軒のみで、それはログハウスのレストランと道路管理の人の家のみ。
1978年からは列車運行を休止し、上士幌タクシーによるバス運行へと切り替わります。
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今回一番行きたかった場所の「タウシュベツベツ橋梁」が遠くに見えています。
ここは糠平湖の北で、ダム湖の堤からは一番遠い場所で、それこそ音更川の上流部分。
分かりやすいようにズームして見ましょう。
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コンクリート製の橋が見えてきましたね。これはダムが出来る以前の線路跡で、戦前に造られた橋です。
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1937年、戦前と云っても、第2次世界大戦のが始まる2年前のこと。もっとも日本は既にこの年に中国と戦争(日中戦争)を始めているし、それよりも前に柳条湖事件(1931年)から満州事変を起こしているさなかです。そんな状況下で鉄道建設が開始されたのです。
橋の長さは130m。利用されたのは20年もなく、戦後の1955年に糠平湖が出来てから使用されずに、「幻の橋」と呼ばれてきました。
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もうすでに崩壊寸前で、見えなくなる日も近い。
6月頃から沈み始め、10月には完全に沈み、1月頃に再び現れると書いてますが、今回見れたのは昨年の冬は降雪が極端に少なく、よって川の水量も少なかったからです。
実際、自分は夏に3回来ていますが、過去2回は川の底で見ることはかなわず、今回初めて見れたのです。
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国道の駐車場から歩くこと200mくらい。深い針葉樹林の森の中を歩いてきますが、あちこちに「熊出没!」の看板有り、ちょっぴり怖い。でも、結構見学しに来る人がいて安心。
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この道は、廃止以前に鉄道が走っていた線路跡。まっすぐに道は延びていますね。
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逆側もそう。この道をずーっとたどれば十勝三股駅跡へ行けますが、ここからさらにもっと北。
雨も降り続けているし、今回はここで断念。十勝三股駅跡へは次の機会としましょう。
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駐車場から60m、展望広場まで120mとあり、5の沢橋梁まで1.6km、3の沢橋梁まで3.8kmとあります。しかし、3の沢橋梁まで歩いたら1時間以上かかること必至。熊の生活圏のここで1時間も歩いたら出会うことも可能性大ありですよ。
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ということで、旧士幌線跡を訪ねてはこれで終了。念願のタウシュベツベツ橋梁跡を見れたことが最大の成果で、来たかいがありました。
明日は、さらに北海道拓殖鉄道という戦前の鉄道跡を追うことにします。
では、また!












8月27日木曜日、天気は朝から晴れで暑い!むわっとするような空気で、湿度も高く昼頃には30℃を越える気温だそうで、今年の夏の最高気温を記録しそうな勢いです。
それにしても、今年は暑いし湿度も高く過ごしにくい季節の夏になっています。今までだと暑い時もあったけど、函館の夏は旅するには最高の時期の一つだったのに、こんな暑さでは歩くのも苦痛の天気で、これも地球の温暖化が原因なんでしょうかね?

さて、ここは十勝・上士幌町のナイタイ高原牧場。ライダー雑誌では「ライダーの聖地」とも称される絶景ポイントなんですが・・・ご覧のように深いガスの中で遠望きかずの状態。しかもガスの中で小雨が降り続いていて、これじゃ見晴らしは悪く残念な光景となっています。
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ナイタイ牧場の観光客用レストランと展望台は、ここよりさらに上にあって、そこは一面深い雲の中で雨が降っているし、視界はまったくなし。ここは、そこからかなり下界へ降りて来た場所。それでも、こんな状態だから絶景は望めない。しばらく天気は曇天や小雨が続くようなので、明日も無理っぽいですね。
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場所は、上士幌町の中心街から国道273号線で北上し町役場のあるところから道道337号線を西へ、気球を上げるバルーンフェスティバルで有名な航空公園へ、そこで右折し道道803号線を北上したところです。
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雑誌などで紹介されているナイタイ高原牧場は、十勝平野を見下ろす高原にあって、それこそ晴れていれば地平線が見えるくらい!でも、この天気じゃ、何も見えない。
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せいぜい、牧場の雰囲気が分かるくらいの天気です。まぁ、いい天気の日ばかりではないので、こんな時もありますね。このナイタイ高原牧場をさらに進むと不二川迂回林道を通り、幌鹿峠という道内でも最も高い場所にある峠の一つに到着し、そこから南へ行くと然別湖、北へ進むと糠平湖へと向かいますが、さらに標高をあげると、もっと雨が激しくなり、雲海の中に突入することになるので、あきらめることにします。
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牧場の中をまっすぐに進む道。ほとんど通過する車もなく、何台かのライダーたちが辛うじて景色の良い場所でカメラを押している程度。出来れば晴れた日にもう一度訪ねたいものです。
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で、気を取り直して国道273号線、通称糠平国道を北上し、ダム湖である糠平湖へ向かうことに。なぜなら、沿線には士幌線の跡が見られるからです。
士幌線とは、旧国鉄時代の線路で起点は帯広市。終点は大雪国立公園の真っただ中にある十勝三股駅。全78.3km、駅数20。1925年12月に開業し、1987年3月に廃止されている全線非電化単線のローカル線でした。
糠平湖へ向けて走る途中に、早速ありましたよ。第3音更川橋梁。再生工事中でした。
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深い谷に架かる鉄橋ですが、廃止されて33年も経過した今、どうして再生工事しているのでしょう?
この橋、何に利用されるのだろう?サイクリングロード?自転車でここから先へ走るサイクリストなら国道を走ることもいとわないはずですが・・・。
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工事費用の募金に協力いただいた方にありがとうございます、の横断幕があったけど、橋梁を保存する会でもあるのかな?鉄道ファンの中では、この鉄橋を利用してトロッコ列車を走らすこともありかな?
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音更川を遡り糠平湖へ、何軒かのホテル・民宿・旅館がある糠平温泉郷があり、「ひがし大雪自然館」という名の博物館があります。入場は無料で、数々のパンフレットや資料が揃っていて、大雪国立公園を旅したい人は必見の場所です。
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ここで近くに鉄道資料館があることを知り、早速出かけることに。学芸員さんから、駐車場の下に旧士幌線のレールが残されていて、散歩道となっていて500mも進まないうちに到着するとのこと。
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で、歩いて行きました。深い森の中でいつヒグマが出てきてもおかしくないほどの鬱蒼としていて、ちょっぴり怖い。途中、親子連れの人たちがいたから少し安心したけど。
歩いて10分くらいか、昔の駅名が出てきました。
この先の幌加駅は、秘境駅の一つであり終点の「十勝三股駅」の5kmほど南の駅。原生林の中を走る国道273号線を西へ行く道はニペソツ山(2013m)登山口でもあり、3km西へ行くと秘湯「幌加温泉」に行くことも出来ます。一度宿泊したことがあり、まさしく秘湯に相応しい山の奥深い温泉でした。
ひがし大雪高原鉄道とは?多分地元の人たちが不定期に動かしているトロッコ列車でしょうか?
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この殉職碑は、工事中に亡くなった人のためのもので、難工事だったことが想像されます。
1925年開業というから、大正14年のことで歴史を見ると治安維持法が公布された年。多分、政治犯や朝鮮半島から連行した人々を酷使して鉄道が敷設されたのでしょうね。
目的は木材の運送で、十勝三股駅跡(跡地もないけど)にある唯一の食事処のログハウス風の建物には、最盛期の木材運搬のために多くの人が働いていた写真が飾られています。
もう1軒あって、それは道路監視のためのパトロールする人の宿泊小屋。実は昔オートバイでツーリング中、その方に許可をもらい家の庭にテントを張って一晩明かしたことがあります。
テントを張り終わり、寝ようかなとした時に、その方は、「昨日、この辺りをヒグマが通り過ぎたよ」と軽く言い放ったのを聞いて、「遅いよー!」と泣きが入ったことを思いだします。
ヒグマが歩くのはしょっちゅうだ!と。
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こんな感じのレールがある風景。深い森の中ですね。
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右の貨車の奥に鉄道記念館があって、確か100円だったか200円だったかな?十分見応えあり、そこでも最盛期の写真やビデオを見ることが出来ます。
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ということで、士幌線の跡地巡りの旅、次回も続きます。
では、また!

8月25日火曜日、天気は晴れで気温は25℃を越えて夏日なっていて、暑い日です。もっとも、本州のような猛暑日とは全然違い、過ごしやすい夏の1日です。
そんな今日、自分の愛用する自転車クロスバイクに乗ろうとしたら、何とパンクしていて修理することに。簡単に出来るさ!と思って、まずは百円ショップへ行って修理キットを購入した、までは良かったが・・・。
午前中悪戦苦闘すること1時間、簡単には出来ず諦めてランチタイム。30分の昼寝を挟んで午後にもう一度チャレンジして合計2時間がかりで成功し、試し乗りをしてOK!
久しぶりのパンク修理だっただけに、やり方をほとんど忘れていました。

さて、釧路管内標茶町の塘路湖キャンプ場で起床した時は雨。段々激しくなってくる雨は止むことなく降り続けていて、こんな時はどうするか?
そうだ!釧路と云えば「丹頂鶴だ!」と、釧路市立丹頂鶴自然公園へ。釧路市の市街地から西へ10kmほど、釧路空港の近くにあります。入場料は480円。
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1950年代絶滅の危機にあったそうです。それより前、江戸時代は各地でその姿を見ることが出来て、数々の民話にも登場していました。例えば、「鶴の恩返し」とか。
明治時代、乱獲などで個体数が激減しまったく姿が見られなくなった、といいます。
戦後の1952年(昭和27年)に、国の特別天然記念物に指定されて以後に、住民の保護活動などの運動もあり少しずつ増えて、1985年に300羽以上へ、2005年には1000羽越え、2015年では1600羽以上数えられています。
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頭の赤いのは皮膚で、頭には羽毛がないのです。「丹」とは赤いという意味だそうです。
ここへ来る前、塘路湖から国道391号線を釧路市街地へ向かって南下している途中、何と!道路の端を歩いている丹頂鶴をわずか3mの至近距離発見!しかも羽の色がまだ茶色の雛が2羽とその親でしょうか?親鳥が2羽の計4羽が、ゆっくりと列を成して歩いていたのです。ビックリですよ!
時間にすれば数秒で、カメラに収めることも出来ずに通り過ぎましたが、人里で、しかも7月の夏に見かけるなんて!驚きでした。
あとから、ここで飼育員さんかに尋ねたら「非常にレアなケース」とのこと。幹線道路のそばを、しかも親子連れで歩いているなんて、たまにしか見かけない珍しいケースだと話してくれて、実にラッキーだったんだな、と改めて感心。
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丹頂鶴は何を食べているのか?
それは園内には小川が流れていて、カエル、ドジョウ、ウグイなどの小魚、ザリガニ、カタツムリなどの生き物を食べる他、フキやスギナの葉っぱなども食べる雑食性の動物なんだそうです。
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この頭の赤いのは皮膚!確かに羽毛はありませんね。ニワトリもそうでしたね。
頂きが赤い(丹)で、丹頂。意味が分かりますね。怒ると、その部分が大きくなります。
くちばしの長いこと。これで、虫を捕まえて食べるのですね。
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一般に渡り鳥かな?と思われていますが、実は日本の、というか北海道の丹頂鶴は渡りをしません。それは、タンチョウの先祖が「渡りをしない」群(むれ)であったからと考えられているとか。
ちなみに、タンチョウはロシア・中国・北朝鮮・韓国にも住んでいますが、彼らは夏と冬とで生活場所を変えるために渡りをする、といいます。
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体重は4㎏~最大で10㎏くらいまで成長。
脚の指は4本指。物をつかむこと出来ないので、木に止まったりすることは出来ないそうです。
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フェンスはあるけど屋根はないですね。飛んでいきそう?
でも大丈夫。以前は羽を切らずに自由に飛ばせていたけど、現在は「鳥インフルエンザ」対策で、羽を切って飛べない様にしているとか。
タンチョウは2年に一度羽が抜け替わる、といいます。
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早春の始まる3月半ばになると巣作りへ、そして長さ10cmくらいの卵を1個か2個産みます。卵は親が交代で抱き続けること1か月、ヒナが誕生です!健気な親たちですね。オスもメスも交代で抱き続けて生まれるまで待つのですから!
丹頂鶴は偉い!
ヒナは、100日ほどで親と同じくらいの大きさになり、大空を飛べるようになり、冬になると給餌場に集まって来るとか。
自分が見た茶色のヒナ鳥は親とほとんど同じ大きさだったから、生後100日を過ぎていたのでしょうね。誕生が4月頃なら、7月には生後100日に近いなりますからね。
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展示室もあって、いろいろと丹頂鶴に関することを知ることが出来ます。
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羽を広げると2m以上に。羽は3列になっているとか。最初の列の羽は10枚で色は白、2列目は16枚で色は黒、3列目は6枚で色は黒。尾っぽは12枚で色は白です。
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鶴のことわざ。

その1、「鶴の一声」~大勢で議論している時に、否応なしに従わせるような有力者・権威者の一言。
それは鶴は首が長く周囲を威圧するように甲高い声で鳴くことから来ています。

その2、「鶴は千年、亀は万年」~鶴と亀は寿命が長い代表で、目出度いものとされているから。実際は鶴は20年から30年。亀は100年から200年とか。

その3、「掃き溜めに鶴」~汚いゴミ捨て場に、ひときわ美しい鶴が舞い降りた。
意味は、ゴミ捨て場に美しいものもあることから、色々な種類のものが寄せ集められているところ、だそうです。
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ということで、丹頂鶴の勉強が出来ましたね。
「鶴の恩返し」は、以前山形県を旅していた時、南陽市の私鉄「山形鉄道 おりはた駅」から歩いて5分くらいの場所に「夕鶴の里」という文化施設があり、地元の女性が鶴の恩返しの昔話を、実に分かりやすく優しくお話してくれたことを思い出します。
鶴は、やっぱり良い意味に使われる鳥なんですね。
でも、美しいけどくちばしは鋭い!
まるで花で言えば薔薇のよう。美しものにはトゲがある、かも?

では、また!






8月24日月曜日、天気は曇りで気温は23度くらいか?比較的過ごしやすく午前中ウォーキングして来て、少し汗ばむ程度。すでに道内の学校は2学期が始まり、最近はすっかり秋めいてきたこの頃です。
週間天気予報では、今週は明日以降30℃近い暑さが続き、夏の戻りか?を思わせる天候になるようですが、気持ち的には夏は終わり秋へと向かっている感じです。

さて、別海町の奥行臼、駅を見た後はリニューアルした駅逓所を見ることにします。場所は別海町から国道243号線、通称パイロット国道を南下して10kmほど、野付国道と呼ばれる国道244号線にぶつかる手前の道道930号線へ左折して、直ぐの場所。看板も出ており分かりやすい。もっとも、交通量はほとんどなく走りやすい道です。
国の指定史跡である「旧奥行駅逓所」オープン開館中の幟があります。
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明治時代の建物をよりアレンジし、洋風化して一般公開。入場料は確か200円だったかな?
学芸員の方が詳しく説明してくれて、より理解が深まり駅逓所の意味が分かりました。
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駅逓とは?ウキペディアによると、明治から昭和初期まで北海道僻地の交通補助機関として、宿泊・人馬継立・郵便などの業務を行う制度。その運営人は駅逓取り扱い人で、半官半民。
ピーク時には道内に600数十か所あり、すべて廃止されたのは戦後の1947年、昭和22年のことだったといいます。
今まで何度も駅逓は紹介しているので、お分かりですよね。

主な駅逓所は
旧島松(北広島市)、
旧ソーケシュオマベツ(喜茂別町→札幌市の北海道開拓村)、
旧幌向(南幌町)、
旧本願寺(沼田町)、
旧上藻別(紋別市)、
旧塘路(標茶町)、
とここ奥行臼(別海町)

以上は見学して来て、いまだ見ていないのは、
旭川市の旧忠別太駅逓所のみ。
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こちらは、馬小屋で馬一頭ずつ分けて仕切りがあり、全部で10頭以上収容できる建物のになっています。奥の建物も同様で、飼料の牧草も確保していました。
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台所や風呂、流しは共同ですが完備。部屋も10以上あり、畳敷きで大勢の人数が宿泊できる施設となっていて、旅人の安堵できる場所だったことが想像できます。
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学芸員の方が、力説していた屋根の突起物。盛んに説明してくれたのですが、ひと月以上経過した今、何のことだったかすっかり忘れてしまい、申し訳ない気持ちです。スミマセン。
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ライダーハウスみたいに宿泊できるのだったら、この日泊まりたかったけどそれはダメ。やっぱり、国指定の文化施設だから無理ですね。
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その後は、根釧台地の湿地帯に造られた道道をひたすら走り、厚岸町へ。道の駅「厚岸グルメパーク」で休憩。さらに釧路湿原を走り昨夜宿泊した塘路湖のキャンプ場へ。
そこで知り合ったフランス人の女性サイクリスト。
名門パリのソルボンヌ大学を卒業して交通機関のマネージャーをしていて、10年務めると1年間の休暇を取得できる制度を使い、今年2月に日本へ来たと云います。当時は数は少なくなっていたけど、まだパリと東京を結ぶ便があったそうですが、今はなく帰国は無理。予定通りに来年の2月まで日本列島を自転車で走るとか。
私の拙い英語が少しは通じ、不明なところはスマホの「翻訳アプリ」を利用し、会話は大丈夫でした。
翻訳アプリはすごいですね。何でも、世界中の何語でも翻訳してくれるのだから。

写真は翌朝の雨降りの中。彼女は新婚旅行中で、旦那とは少しの間分かれて一人旅をエンジョイしているそうで、今夜は釧路のホテルと落ち合うとか。雨の中でも明るく笑って出発して行きました。
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旅に出てると、よく外国人と出会うことがあります(コロナ以前ですが)。女性でも一人で自転車に乗って道内を旅する姿を見て、偉いな!すごいな!と感心するばかり。
自分も若い時(20代)に、海外を一人旅しましたが、それでも長くて3週間くらい。
旅している欧米人と話すと「短いね」とよく言われました。欧米では10年間働くと1年間の休暇がもらえて、それで海外へ長期旅する人たちがいるのです。
日本でそれをやったら、二度と会社に戻れませんね。もっとも、有給休暇ですらまともに取得出来ない日本の国。働く人たちが、のんびり・ゆったりと旅が出来るには何年かかるやら?
もしかしたらずーっと出来ないかも?

彼女には、私の住所とメールアドレスを教え、二人で函館来たときには我が家に寄って宿泊して!と話しましたが、予定では8月末に函館からフェリーで青森に渡り本州を南下して寒くなったら沖縄にも行くそうです。そのバイタリティーは、大したものですね。

ということで、この日は標茶町のキャンプ場で車中泊し、雨の中を釧路市を東へ。寄った先が道東名物のある動物が見られる場所へ。それは、また次回。
では、また!

8月22日土曜日、天気は晴れで気温は25℃くらいだが、太陽が出ている場所ではもっとあり、昼過ぎにウォーキングしたら汗ばむほど。もっとも本州の猛暑日と比べたら、湿度もなく過ごしやすい天候です。昼過ぎからはファイターズのテレビ応援!中田のホームランも出て4-1で勝利して、うれしかった!
夕方は涼しくなり、窓を開けて寝ると寒いくらいだから今日は閉めて寝ます。季節は少しずつ秋に近づいているんだな、と思う最近です。

さて、下の建物は駅ですが建てられてから実に90年近くのもの。1933年の昭和8年に根室本線の現在は根室市の厚床(あっとこ)駅から北へ敷設された標津(しべつ)線の最初の駅が、ここ奥行臼(おくゆきうす)駅だったのです。
87年前の建物です。もちろん、風雨・風雪にされされて傷みもあるから修繕したりしていますが、それにしても歴史を感じさせる建物ですね。
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詳しくは、こちらの説明板をお読みください。一度撤去された引き込み線を、平成になってもう一度戻しているんですね。職員用のお風呂は、春別駅で使用されていたものを移転させたとか。
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ここへ来る前に別海町で郷土資料館を見学、さらにとなりの加賀家文書館も見学。江戸時代末期に加賀の国、今の石川県からやって来た加賀家の人物が別海の基礎を作った、その歴史を紹介しています。
その後は、さらにそのとなりにあるコープさっぽろ別海店でお弁当を購入し、国道234号線をおよそ10km南下してここ奥行臼駅へ。駅舎の屋根から伸びる庇の下にあるベンチで食べたのです。
暑い日でしたが、日陰で誰も居らず閑静、もしかして遠くから列車が来るかも知れない線路(もちろん来ませんが)を眺めながら食べたランチは、とっても美味しかったのでした。
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厚床駅からは北へ10数キロ地点で、ここから別海駅までも10kmほどの中間地点。
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上り線と下り線の2本がホームにあり、右端のは引き込み線?お風呂は、左の奥にある木造建築の小屋です。右側は広大な牧草地。
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ここは、国道243号線から道道930号線へ少しだけ入った場所で、車も通らず静かな場所。道道の東側に奥行臼駅があり、その向かい側の西側にあったのが旧別海村営軌道風連線奥行臼停留所
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明治時代に開拓地の物資の輸送や開拓者の交通手段として殖民軌道が敷設されていて、ここの風連線は戦後の1953年(昭和28年)に運行され、1971年(昭和46年)まで運行されています。
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旧国鉄の軌道は1067mmですが、ここのはかなり狭い狭軌の762mmですね。車両が細面の馬面の顔をしていますから。ちなみに新幹線や世界の鉄道は広軌の1435mmです。
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内部はというと、ロングシートで、網棚もありますよ。定員は30人は乗車出来るかな?
手前の運転席のシートは、かなりボロボロだけど何せ廃止されてから49年、半世紀近くも風雨にさらされてきたのだから。
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オレンジ色の車両は8トン自走客車というんですね。気動車でレールバスの愛称も。
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一方、下の写真の右側は内燃機関車でディーゼル機関車です。で、後ろにあるミルクゴンドラ車を牽引していたのです。今では、ホクレンのタンクローリー車では運送しますが、当時は重たいミルク缶を馬車で駅まで運び、駅からはこのゴンドラ車に乗せてディーゼル機関車で工場まで輸送したのです。
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近くには転車台もありました。ここで機関車の向きを方向転換させるのです。多分、人力で行われたはず。人の力で少しずつ回転させたのです。
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ミルクゴンドラ車の奥には線路はありません。撤去されてほぼ半世紀。草木に覆われてしまい、線路跡を発見するのもおぼつかないし、ここはヒグマ出没中で深入りは禁物です。
もっとも、フキの生い茂る森の中に入る気は、まったくありませんけどね。
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ということで、日本でもっとも東の地域である根室管内の広大な面積を持つ別海町で、97年前に建てられた駅舎の奥行臼駅と49年前に廃止された別海村営の狭軌のレールバスやミルクゴンドラを見れて、鉄道ファンとして大感激!
次回は、これまた大感動の再建された駅逓の建物を見学します。リニューアルして一般公開された奥行臼駅逓のことです。
夏もそろそろ終わりかけで、秋の気配も少しずつですが漂ってきました。猛暑日が連続する本州と違って北海道は、残暑はあるけど「盆を過ぎると秋」の言葉通り、昨日は道北では最低気温が一けた台でした。稚内では6度とかで、ストーブが必要な温度ですよ。全道各地でも最低気温は10℃台になり、最高気温も昨日はすべての地域で25℃以下の夏日なし。今日は少しは暑かったようですが。

8月の下旬ともなれば、季節の変わり目ですね。気温の寒暖差に気を付けて生活しましょう!
では、また!

























8月21日金曜日、天気は曇りで気温は昨日までと打って変わって肌寒いくらい。朝方は冷えていたため窓を全部閉めて寝直したほどで、お昼過ぎにウォーキングに出かけたが、いつもは汗だく☀️😵💦だけど、今日はまったく汗をかきませんでした。久しぶりの曇天にして暑くない日です。
もっとも、本州では今日も猛暑日続出で、ニュースを見てると恐ろしいくらいの暑さです。猛暑のあんな風景を見てると、まだ冬寒い方がマシかな?とつくづく思います。寒かったら、家に中にいればいいし、防寒具を身にまとって外出するば良し!暑いと命にかかわります。本州の暑い地域の皆さん、北海道に移住したらいかがですか?函館あたりでは、夏涼しく冬暖かの気候ですよ。

さて、塘路湖のキャンプ場は2組だけのキャンパーのみで、車中泊は自分以外誰も居らず。朝8時には出発し、国道391号線、別名摩周国道を一路北へ。すぐに現れた湖は、シラルトロ湖。塘路湖同様に釧路湿原に存在する湿地帯の湖です。
昔、海だった場所が取り残された海跡湖ですが、水は淡水。釧路川が運ぶ土砂により下流一帯が湿地帯になり、土砂で囲まれてしまったのです。それは満万年もかかって出来た自然現象で、驚きですね。何せ釧路川の河口からは20km以上も上流にあるのに。
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水深は深くなく浅いですが、かなり広い湖です。湿原地帯だから、一周道路はなく道路は埋め立てて造られたものです。
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ズームすると、対岸は太古の昔からの原生林。エゾシカ、キタキツネ、ヒグマ、丹頂鶴などの動物たちの楽園ですね。
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標茶町の市街地を過ぎてパイロット国道の名を持つ国道243号線を走ると、見渡す限りの牧草地帯。道東でも、十勝を過ぎてさらに東へ行くと野菜を生産する畑も出来ず、酪農中心。牛たちを放牧し、広大な土地を牛が食べる牧草を生産するためです。
牧草ロールは、道内だけではなく本州にも輸送されるとか。それだけ、広い土地があるということです。何せ、根室管内に入って最初の地である別海町だけでも、日本最初の面積の県である香川県よりは少しだけ小さい面積を持つのだから。
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道東の市町村は、本州・四国・九州の1県と同じくらいの面積を持っているのだから、どれだけ広いか分かりますね。別海町は面積およそ1320㎢、香川県は1878㎢ですからね。日本1面積の小さな市は東京都狛江(こまえ)市で、面積はわずかに6.4㎢だから、別海町はその実に206倍!200倍以上ですよ。
もっとも、北海道は東京都の38倍の面積を持っているから当然でしょうね。
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牧草地ではエゾシカが群れでいますが、車には敏感で近づくとすぐに逃げます。ズームで撮影してやっととらえました。時には、夜間走行していると車に突っ込んでくる鹿もいますね。コワソー!
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で、たどり着いたのが別海町の西春別にある鉄道記念館と公園。9:30オープンに合わせて、ゆっくり走り到着。
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入場料は取らず無料でうれしい!内部は資料がたくさんあって、鉄道ファンには見応えたっぷり。
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旧国鉄時代の標津線、全長116.9kmの距離を持ち全駅は20。1933年12月1日に開業し、1989年4月30日に廃止されました。ルートは標茶駅(釧網線の現駅)と根室標津駅を結ぶ13駅中標津駅と厚床駅(根室本線の花咲線の現駅)を結ぶ7駅に分かれます。
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オホーツク海の面し、対岸が国後島の旧標津駅には若いころ、駅寝をしたことがあって思いで深い駅です。駅の前で岩手県のチャリダーとともに一緒に寝袋を広げて寝たのです。当時は許されたのですね。
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北海道を走る路線の半分以上は廃止されてしまい、鉄道ファンにはとても哀しいことですが、でもこうやって残されているのはうれしい!IMG_4231





















































外に出ると、蒸気機関車のお出迎え。
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客車もあって、展示中。
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トイレもあるし、芝生もきれいで、ここだと車中泊も出来そうですし、テントも張れそう。
近くにはJAのスーパーもあるから食料も確保できます。ちょっと離れた場所には、セイコマートとセブンイレブンのコンビニもあります。
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別海の一つとなりにある奥行臼(おくゆきうす)駅へは、このあとに訪問する予定です。
なぜなら、駅舎は現役で保存されているから。奥行臼には、鉄道駅だけではなく駅逓所もあるのです。絶対、行くべき場所です!
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別海町がどれだけ広いか、駅の数を見ても分かりますね。それも駅間の距離が長いから、どれだけ広大な町なのか!最も人口よりも牛の数の方が多い町ですけどね。
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奥は、小学校ですね。
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よーく見ると、校庭には土のトラックがなく白いコンクリートがありますよ。陸上競技で使用されるトラックではなく、これは冬のスケートで使用される走路ですね。
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冬、水を撒けばあっという間に凍結しスケート場へ早変わり。さすがに道南とは違い、道東は寒いから出来る技!
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それにしても、広い敷地ですね。
ということで、次回は別海町の中心街と奥行臼駅へと向かいます。

では、また!

8月20日木曜日、天気は晴れで気温は30℃で暑い!しかも湿度もあってか、蒸し暑くとても過ごしにくい日で、当然全国でも猛暑日続出のとにかく熱い日でした。岩手県の釜石市でも36℃と、三陸海岸は夏でも涼しいはずが猛暑日だなんて、日本列島全体が燃えているくらい暑い!
こんな暑い中に旅に出ると具合悪くなるばかりで、家の中に居てエアコンの効いている涼しい部屋で、図書館で借りて来た本を読むか録画した番組を見るのが一番。と、だらしない日を過ごしている最近です。
若い時だったら、暑くても本州へバイクでツーリングに出かけたりしていたけど、こう暑いと体が云うことを利きません。無理は禁物ですね。

さて、7月の夏の旅の11回目。ここは釧路管内の標茶町の塘路(とうろ)駅。白糠線を見た後に、釧路市内のホテルで「HO」を活用して半額で温泉に入り、ホテルのロビーでWi-Fiを使いブログを作成して、午後4時過ぎに塘路駅へと来たわけです。
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なぜかというと、ここにはキャンプ場もあるし何よりも町の博物館である「ニタイ・ト」を見学したかったから。入場料は220円で、70歳以上の方になると無料。あと2年後は無料になるから、また来よう!。
「ニタイ」はアイヌ語でを意味し、「ト」はを表します。そぐそばには風光明媚な塘路湖があるからです。森と湖、だなんて何て自然豊かな場所なんだろう!
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アイヌ文化を紹介しているコーナーや動植物を紹介しているコーナーなど、見ごたえ十分の博物館ですが、自分が見たかったのはここ旧駅逓
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旧塘路駅逓。駅逓とは、このblogで何度も紹介しているのでお分かりでしょうが、鉄道が敷かれる以前の明治時代から大正時代にかけての中継基地のことで、馬の休憩場、人の宿泊施設、郵便・荷物の預かりなど今でいうなら鉄道駅・道の駅・郵便局・ホテルなどを兼ねた建物で、全道各地に200か所以上あったそうです。
もっとも、現在残っているのは10数か所のみ。
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それと旧釧路集治監。集治監とは今の刑務所のことで、北海道では月形、三笠に次いで出来た刑務所で、明治時代に反乱を起こした不平士族や自由民権運動の志士たちが本州から送られて来たのです。
しかも、ここには刑期10年以上の重刑囚ばかりが収監されていたとか。
背景には、硫黄の採掘や道路建設など北海道開発での人出確保があったのです。屯田兵による開発以前の歴史です。

もっとも、この建物には囚人はおらず所長がいた事務所です。だから、立派な洋風建築。
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釧路と云っても、標茶に設置されたのは硫黄山(アトサヌプリ)が近いからでしょうね。それと内陸部だから、道路建設には都合が良かったからでしょう。なぜなら、ここから阿寒や屈斜路湖経由で北見、さらには後に出来る網走集治監(網走刑務所)へ近いからです。
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18500人以上の、主に政治犯が送られて来て過酷な労働をさせられたのです。
読んでみると分かります。
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もちろん、当時のものではなく建て直しされたもので、とてもきれいな内部。
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そして、こちらは所長室。標茶農業高校時代は校長室だったそうです。
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と云うのは、この説明文を読んだら書いてありました。すごい場所に校長室があったんだなぁ!
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となりは博物館で、左側の森の奥に釧路湿原国立公園の一つを成す塘路湖があります。
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ここが標茶町発祥の地だったとは!
集治監→駅逓→軍馬生産→町の形成となっていったのですね。
と云っても、町の市街地はもっと北で標茶駅は遠い!のです。ここは標茶町の南の外れ。
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ということで、標茶町の歴史を少しは知ることが出来ました。
この日は、博物館から数百メートルの塘路湖畔沿いにあるキャンプ場で車中泊。とても閑静な場所でグッスリと寝ることが出来ました。翌日は、ついに今回の旅の最東端の根室管内別海町へと向かいます。なぜなら、別海町にも駅逓が残されていて、公開されているからです。
それは明日か、明後日に!

では、また!

8月18日火曜日、天気は晴れで気温は昨日と同じくらい暑い。でも、3時を過ぎると海からの風が爽やかで、午前中は窓を閉め切ってエアコンをつけていたけど、窓を開けると涼しい!
毎日暑い日が続いていますが、北海道ではそろそろ終わりそうでしょうか?学校は既に始まっていて、夏休みは終了し気持ちは秋へとむかっているはずですが、今年はコロナのことで神経を使い過ぎていて、あっという間の夏だったようです。
と云っても、夏が本当に終わったわけではなく、この後8月下旬や9月初旬にも暑い日があるでしょうけど。
さて、忠類村のキャンプ場を出発し道道319号線を東へ行くと、「生花苗」と云うアイヌ地名の場所へ着きます。そこで、問題です。「生花苗」は何と読むのでしょうか?北海道の地名としては、かなり難読な地名です。
その前に、そこに至る途中で見た牧草地と牧草ロール。
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真っ白なロールに巻かれた牧草は、ビニール製。牧草を梱包して発酵させ冬期間の牛たちのために保存しておきます。
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北海道、とりわけ十勝は日本の乳業を支える酪農王国で、年間でおよそ400万トン、全国の約半分の53%を生産しているから大したものです。日本の乳業を支えている北海道の酪農は、幕末の1855年に箱館で始まったといいます。北海道の冷涼な気候が酪農にピッタリと当てはまったんですね。
背後は、日高山脈の山並み。何処までも広い!
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生花苗神社。生花苗と書いて、「おいかまない」と読むから難しい!
太平洋に面したところに、沼があり「生花苗沼」(おいかまないぬま)という名を持ちます。この辺り、太平洋の海だった場所が押し寄せる砂によってできた汽水湖がいくつもあります。生花苗沼もその一つ。
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何と、十勝開拓の父である依田勉三(よだべんぞう)のゆかりの神社だったとは!
戦後の昭和29年(1954年)に依田勉三は北海道開拓の神として北海道開拓神社の祭神として合祀されていると書かれています。
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ナウマン国道の別名を持つ国道336号線を東へ、豊頃町から浦幌町へ名前を変えるのは、石狩川・天塩川に続く北海道第3位の長さを持つ十勝川の川の中央部。全長156kmの大河です。
その十勝川を渡りしばらく走った場所にあった十勝小学校跡地。門と記念碑だけで、校舎は完全に撤去されています。周囲は完全に野に帰っていて、跡形もなし。周りに民家は数軒のみ。
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国道336号線は途中で途切れて道道1038号線へ吸収されますが、その手前に砂利道の農道があり、そこが絶景ポイントがある場所。
ライダー雑誌には、良く取り上げられている場所で「昆布刈石」と呼ばれる地名。そこの高台から見た景色です。
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十勝の海岸線は砂浜海岸が多く一直線に南端の襟裳岬へと続いていますが、南端部分は断崖絶壁が連続する黄金海岸と呼ばれることは知られていますね。難工事連続で、多額のお金を敷き詰めた工事費でそう呼ばれたのです。
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根室本線の厚内駅。駅舎の右側にかつてドアがあったけど、そこは駅舎に入っていたスナック。何と飲み屋さんが駅にあったのです。周辺の商店はほとんどがシャッターが降りっ放し。
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「うらほろ」・「おんべつ」と次の駅名があるけど、シールの駅名ですね。なぜなら、かつては厚内の一つ東の駅は「ちょくべつ(直別)」だったし、そのとなりは「しゃくべつ(尺別)」、厚内の一つ西の駅は「かみあつない(上厚内)」で、いずれも最近廃止された駅です。
だから、廃止に伴い新たに描くよりもシールを貼った方が安がりだからでしょうね。
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道道1038号線が国道38号線に合流する直前の直別川にかつてあった渡船場の説明板。
昔は湿地帯だったから、橋が出来ず船で川を渡ったのですね。
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直別駅跡へ行ってみました。確かに駅跡の看板有り。
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しばらく走り、白糠駅へ。そこから旧白糠線跡を探りに国道392号線を内陸部へ。途中に何か所もかつての線路跡が見えます。茶路川沿いに上流へ向かって走っていた白糠線。全長33.1kmは、1983年10月23日に廃止されました。
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手前が白糠線の鉄橋で、奥が農道の橋。こんな鉄橋が何か所も見えるなんて、37年も前に廃止されたとは思えないほどで、今からでも復活出来そう。でも、人がいないのです。
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終点の北進駅跡らしき場所で、数少ない民家の庭先。
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なぜなら、そこに時刻表が貼られていたのです。意外と何本も走っていたんですね。下りは13本もありますよ。下りはすべて釧路行きだけど、上りには帯広から急行へ変わり札幌まで行った列車もあったのです。
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途中で見た紫蘇畑。これだけの規模の紫蘇の畑は見たことがなくビックリしました!
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ここにも廃校跡の記念碑が。かつてここに北進小学校があったのです。
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今から23年前に廃校になったのです。かつて、ここは北の開墾の地。で、ここからさらに北へ進む!との思いから「北進」と名付けられたのですが、足寄駅までつながるはずの列車は、ここで終点。そしてそれも廃止されてしまし、悲しいかな今では集落そのものも廃村寸前になっているのです。
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ということで、何時かは訪れたかった白糠線跡を見学出来てうれしかった半面、廃止になった理由は明確で集落には人がいないのです。駅は廃止、学校も廃校。住む人は高齢者ばっかりという現実。
これが、田舎の実情です。いつかは函館もそうなる運命なのか?
道内では札幌に一極集中。日本では東京に人口は集中し、地方は廃れるばっかりで、この先どうなるのやら?
では、また!















8月17日月曜日、天気は晴れで今日も30℃の暑い日でした。浜松では、何と歴代最高気温タイの41.1℃という、とんでもない暑さになっていて、自分はとても生活できないな、と諦めの気持ちになりました。
体温よりも暑い!なんて信じられないくらいの気温です。もっとも、自分も働いている時に夏京都に出張があって、37℃を体験しています。その時は、南禅寺で名物の「湯豆腐」を食べて、暑い中で熱いものを食べるなんて!と岩手県から来た方と呆れていたことを思い出します。もちろん、食事した場所は冷房が効いていたけど、京都の歴史研修で訪れて暑い中を汗だくだくで歩き回っての昼食に「湯豆腐」とは?!
暑い時に旅はしたくない!

さて、ここは浦河町の国道236号線にある展望台から。日高に入って、目に付くのは馬の牧場。とにかくだだっ広い放牧地に如何にも足が速そうな馬が放牧されていて、この馬が将来はJRAで活躍し何億円も稼ぐのかな?と、馬=競馬のイメージです。
牧場といっても、広い土地に数頭の馬だけで、まったく密になっていない。人口密度ならぬ馬密度は、限りなく1キロ㎡辺り数頭でしょうね。
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海岸線の国道235号線沿いだけではなく、内陸部でも放牧地がたくさんあって、まさに日高は馬産地そのものです。ここから中央競馬で活躍する馬たちが生まれていくのです。
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浦河町最北部の翠明橋パーキング公園。橋を越えると、4500mを越える長大な野塚トンネルがあって、十勝へと向かいます。だから、奥に見える山並みは日高山脈。山頂は雲がかかって見えないが、険しい山が連続します。トンネル付近の駐車場では、数人の登山家の人達がこれから沢登りをするのか、大きなリュックを背負って準備していました。
くれぐれも事故には気を付けて、と同時に熊にも気を付けて登山してくださいと。
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別名「天馬街道」の名を持つ国道236号線。十勝管内に入り最初の町は広尾町。最初の集落で見かけた石碑は、昔農林水産大臣を務めた中川一郎氏の生誕の地。
国道沿いにあって、看板もあるから分かりやすい。
そういえば、中川一郎という十勝出身の大臣がいましたね。確か、彼は自死したはずでその息子は後を継いだが若くして病死。その後を嫁さんが継いだが、スキャンダルで落選と一族には悪い祟りがついてまわっているみたい。もっとも、衆議院で当選した石川氏も鈴木宗男氏がらみで逮捕され、代わりにその妻が立候補し当選という同じようなケース。
十勝では、この中川氏と石川氏の女性二人のポスターがあちこちに貼られていて、早くも次期選挙戦でしょうか?
二人とも、身代わり候補だけど、どうしても2世や妻が立候補することになるのでしょうね。総理大臣だって2世どころか3世なんですからね。このままいったら、関係者の一族で議員が占められるんじゃないでしょうかね。
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旧広尾駅があった場所は、現在駅舎は解体され新しくバス停が建てられています。
旧国鉄広尾線は、帯広から南へ84.3km、終点の広尾駅へ。途中に有名な「愛国駅」や「幸福駅」を通ります。昭和7年に出来、昭和62年まで55年間運行された路線でした。
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廃止されて今はバスが運行中。十勝バスがたまたま入って来ました。
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近くには鉄道記念公園があり、昔の鉄道遺産が少し残されていますが、それを覚えているのも年配者だけか?1987年に廃止されたから、もう33年も前のこと。若い人は覚えていませんね。
廃止される前は、「愛の国から幸福へ」の切符は爆発的に売れたんですけどね。自分も友人からもらって持っていました。
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広尾町では、太平洋側にある海岸沿いに造られたトーチカを見に砂利道を走り海へ。
広尾駅跡地からは、国道336号線を北へ3kmほど、道道1037号線を北へ10数キロ走り旭浜で海へ出る砂利道を走ると行けます。看板も出ているので分かりやすい。
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第二次世界大戦、太平洋戦争末期、アメリカ軍が上陸するかもしれない、とそれに備えて造られたトーチカですが一度も使用されることなく、今は崩壊寸前のコンクリートの塊で、砂に埋もれそうです。
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旭浜漁港から北へ1kmくらいで、遠くに日高山脈が遠望出来ました。
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この日は、大樹町を過ぎて現在は幕別町に編入された旧虫類村の道の駅で車中泊することに。
忠類村は、ナウマン象が発見されていて、ナウマン象記念館もあります。マンホールはナウマン象の骨。
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道の駅で寝ようと、と思って夕方散歩したら記念館の裏側にキャンプ場があることを発見。道の駅は国道に面しているから夜間はうるさいので、早速移動しキャンプ場の駐車場で車中泊しました。
同じような人が何人もいて車は10台以上あって、やっぱり夜間は静かな方が良い!

明日は、旧国鉄白糠線を探しに釧路管内へと向かいます。
では、また!

8月16日日曜日、天気は晴れで気温はかなり高く、30℃を越える函館にしたら滅多にないうだるような暑さ。
本州では40℃を越えて「危険な暑さ」で、明日も同様らしく、例年のことで真夏らしいけど今年はコロナに加えマスク姿で外出はさすがに厳しい。もういい加減涼しくなってもらいたいです。

甲子園で行われている高校野球交流試合では、今日帯広農業が関東NO.1チームの健大高崎に4-1で勝利!見ていて清々しかったです。まさに大金星の勝利で、ジャイアントキリングですよ!

さて、日高の旅では浦河町に入り荻伏地区へ。ここは明治時代に本州からの入植者が初めて入った場所。浦河町荻伏出張所の建物の横には、明治時代に開拓の狼煙を挙げた3人の像が建てられています。
一人は右端で、カメラワークが悪く頭の部分が削られていて、大変失礼な写真となりました。この人物である鈴木清氏に謝ります。ごめんなさい!
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3人目が澤茂吉氏で、鈴木氏同様に三田藩出身。
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一人は会津藩の出身ですが、あとの二人は兵庫県の三田藩出身で、はるばる関西からここ日高の荻伏までやってきたのです。最初の人物である鈴木清氏は、明治13年に開拓会社「赤心社」を設立し、日本最初の牛肉缶詰業を手掛けていて、社長になっています。
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こちらの建物が荻伏出張所。でも、この日は日曜日なのでお休みでした。
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鈴木清氏は、敬虔なクリスチャンでプロテスタントの信者でした。この建物は出張所の隣りにあった教会。当時の建物ではありませんが、彼らは農作業の傍ら熱心に信仰の道も歩んでいたのでしょうね。
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時間は午前10時過ぎで、たまたま礼拝の時間。遠くから教会の姿を撮影しましたが、なかなか素敵な教会ですね。
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赤心社とは、かの3人を中心に北海道開拓を目的に、農業・牧畜・林業・商業などの事業を営むかたわら、学校を建て教育や文化活動もしていて、まさにフロンティア・スピリットを持った会社だったのです。
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Sは赤心社の頭文字で、上を指した矢印は天でしょうか?それとも常に前向きにの精神から?
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この建物、明治21年6月1日に建てられたもので、1889年のこと。今から131年前のことです。今でも立派で頑丈な建物は、資料館として公開されていて、自分は昨年訪れた時に見学しています。
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すごいものですね。明治の時代は、北海道開拓で本州から多くの開拓者たちがやって来ています。この後訪れる十勝では、依田勉三氏が「晩成社」という団体が十勝開拓をし帯広市を開いています。
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すぐ近くにあった「澤吉夫先生顕彰碑」。荻伏の学校「愛萩舎」を最初に造った人です。
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その学校跡地。どこもそうですが、学校の広さがあればちょうどパークゴルフ場にぴったりで、ここもそうなっていました。でも、日曜日の午前中にも関わらず誰もプレーする人はおらず。ここも超高齢化が進んでいるんですね。
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同道348号線を北へ1kmほど行くと日高本線荻伏駅があり、その近くに1本の巨木があります。その脇にある「赤心社創業百周年記念碑」。
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当時からある木。もっとも、当時はうっそうと茂る原生林の森だったはず。それこそヒグマも出没する土地だったでしょう。
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そこからさらに北上し、野深(のぶか)地区へ。ここにも学校の跡地が。
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公園となっていて、校舎は改築されて「柏陽館」の名で、公共施設になっていました。たまたま子供たちがサイクリングで来ていて、体育館でバスケットをする、と話してくれました。
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手前の芝生ではキャンプも出来るし、バーベキューも施設もあるし、奥の体育館ではスポーツも出来ます。手前の建物では様々な学習活動も出来て、子供たちにとっては楽しい建物になっているみたい。
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芝生を歩いて見たら、ステージもあって恐らく夏のお祭りにはここで歌や踊りが披露されるのかな?でも、今年は中止になったのでしょうね。
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こんな素敵な場所なので、ここでランチタイム。レトルトだけどカレーとライスを作って腹ごしらえ。
昼食後はのんびり過ごして、いよいよ日高から十勝へ、北海道の屋根の一つである日高山脈越えをします。
それは明日!では、また!






























8月14日金曜日、天気は朝方曇りだったが、9時を過ぎてから雨が降り出してきて、今日は1日雨が降りそうです。気温は25℃前後で昨日に比べると暑くはなく、本州の猛暑日とは全然違い過ごしやすい気温になっています。朝は、ウォーキングするにはちょうどいい気温でした。

さて、夏の旅は日高から。函館を出発し、高速に乗って一気に日高管内へ。その日は、新冠町にある判官森森林公園キャンプ場で車中泊。
さすがに7月中旬のことで、キャンパーたちも多くてテントサイトはいっぱい。道内ナンバーの車であふれていました。
以下、翌朝からの行動です。まずは、新冠町の日高本線新冠駅から。「出会いと憩いのセンター」と書かれた建物が駅舎も兼ねています。
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この日高線は、昨日の新聞で廃線が決まったことが書かれていて、とても残念な思いです。
確か、数年前台風だったかな?海水が海岸線を削り取り、波打ち際を走っていた線路が崩れて以後不通に。JR北海道は修理工事費が出せないとの理由で放置し、今に至ります。結局赤字路線の地方ローカル線は廃止の道をたどるのです。
自分が旅に出た期間(2013年から)でも、すでに江差線、札沼線、夕張線、日高線と次々と廃止されていっていて、JR北海道は地方の路線は維持しない方向なんでしょうね。札幌中心の通学・通勤電車と北海道新幹線だけに力を入れていることが見え見えです。
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駅から歩いて200mほど、国道235号線沿いにある新冠町の道の駅「レコード館」。その入口です。
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さすがに馬の産地、それもサラブレットの産地だけあって、馬の像が多く、特にこれはあの名馬「ハイセイコー」です。競馬に興味がない人でも、名前だけは知っていいるでしょう。
奥は、日本各地から集めたレコードを展示し聴かせることも出来る施設のレコード館で、入場料は350円だったかな?無料ではありません。レコード・ミュージアムになっています。新冠の物産を売る道の駅は、その隣り。
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国道235号線沿いは馬が放牧されている牧場が連続していて、日高は馬産地だけあるな、と感心!
しかも、町を歩くと街路灯やマンホールなどに馬が描かれているし、道の駅まで馬のタワー。
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マップをご覧ください。判官森森林公園は町の西側の森林地帯にあって、とても閑静な場所でおススメです。市街地にはコンビニ、ガソリンスタンド、郷土資料館もあるし温泉もあるので旅人には時間をかけて散策できる町です。
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中央競馬で活躍した名馬たちの記念碑が並んでいて、その名を見ると競馬ファンには懐かしいでしょうね。
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となり町の新ひだか町へ。旧三石町の道の駅「みついし」の高台から撮影。ピンク色の建物が道の駅。国道の向かい側は、馬の牧場。
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背後は日高山脈の前衛峯の山並みで、標高数百メートルの低山の山が見えています。2000m前後の山脈は、そのさらに奥。この日は、午前中雨が降ったので山は曇っていますね。
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こちらは温泉。宿泊も出来るみたいですね。
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後ろを振り返ってみると、波打ち際沿いにオートキャンプ場でバンガローもありますね。
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ということで、天気はあまり良くなかったけど、再スタートした2020年夏の旅、この後は日高地方を走り十勝へと向かいますが、日高もいろいろと見どころもあって楽しめます。
コロナで自粛期間が長引いたからか、7月に入り自粛解禁されると、一斉に旅に出たのか?多くのドライバーがいて、その多くは道内ナンバーでしたが、それが十勝に入りと本州ナンバーの車が結構多くて、関東地方や遠く関西の車を見ると驚きでした。
今の状況では、とても本州へ渡れるような雰囲気ではないけど、関東や関西から逃げ出してきたのか?札幌を避けた北海道の地方なら大丈夫?の思いで旅に出たのでしょうか?それとも避暑を兼ねて旅に出たのか?どちらにしても、意外と多かった本州ナンバーの車。各地で彼らと会い話をすることになったのです。
次回は、浦河町から。では、また!

8月13日木曜日、天気は晴れで気温はかなり暑く30℃を越えること間違いなしの真夏日です。道内でも30℃を越えるどころか35℃の猛暑日になっているところも出ていて、外で作業をしていたら熱射病になりそなくらい暑い日です。
昨夜、流星群が見られるということで、午後10時過ぎからベランダで南の空を見ていたけど、町の灯りと近くのホテルの灯りが強すぎてか、まったく流れ星は見えず。午前1時ころにもう一度ベランダに出たら、今度は空の半分以上が曇っていてこれまた流れ星は見えずで、結局一つも見えませんでした。
まぁ、函館は田舎だと云っていても25万人が住む都市で、夜景がきれいな街だから星空はきれいに見えるわけがないですね。
2年前の9月6日、あの胆振東部地震で道内全域で停電になった午前2時40分過ぎだったかな?外へ出て見たら、素晴らしい満天の星空だったことを覚えています。あの時は、不謹慎ですが大揺れしたことや停電になったことよりも、真っ暗な空にちりばめたような星の数々が特に印象に残っているのです。

さて、車中泊したせたな町北桧山区の玉川公園の隣りの閉校となった玉川小学校。立派な校舎ですが、今は誰一人通う児童はおらず、利用されない建物となっています。
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北桧山地区の丹羽(にわ)集落で、丹羽という名は美利河ダムで紹介したように、明治時代の前半に戊辰戦争で敗北し新政府から弾圧された福島県会津地方の人々が開拓の名の下でやって来ましたが、その代表の人が丹羽五郎氏だったからです。
校庭には、その丹羽氏とともに開拓をした同志の大関氏が初代校長になりましたが、その像が建っています。
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冬は会津と同じように雪は降るけど、寒さは経験したこともないほどの氷点下で難儀したことでしょうね。断熱もしていない板切れ1枚の建物の中で、どうやって冬を過ごしたのでしょう?
「大志」の文字がありますが、大きな志を持って大地を耕して行ったのでしょうね。
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玉川神社の下に、玉川里 丹羽村の文字がありますね。「堂々男子業」と昔風の言葉も。
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国縫から11里33丁20間、瀬棚から3里2丁40間、今のようなkm表示ではありません。里・丁・間で示しています。
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今金の市街地へ戻り、折り畳み自転車を組み立ててサイクリング。後志利別川の右岸を走るサイクリングロードを走って見ました。広い河川敷で川の水が見えませんが、遠くに水色の橋が見えていますね。河川敷は広大なパークゴルフ場になっていますし、その隣は野球場にもなっています。
遠く左の山並みは、小川高原で牧場が営まれています。
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パークゴルフ場は一人だけ利用者がいましたが、やっぱりコロナの影響でプレーする人はいないのか?それとも今金も超高齢化でプレー人口がいなくなってしまったのか?どちらでしょうか?
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支流の川には巨大な水門があって、洪水を防いでくれるのでしょう。
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この日はいったん自宅へ戻る日で、八雲地方への帰り道はいくつかある道道の内、普段通ったことのない険しい道を走ることにしました。その途中で見た牧草地。冬に食べる牧草を育てていて、暑い夏に牧草ロールを作るのです。
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とにかく広い牧草地。
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この大型機械で牧草を刈り取り、巨大なロールを作るのですね。
直径1,5mほどのロールは、1個の重さは400㎏~800㎏ほどあり、それを積み重ねて冬期間牛たちの食料として保存するのです。
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ということで、家の事情でこの日はいったん家に戻りました。
2日後に、もう一度今度は道東を走るぞ!と意気込み、もう一度夏の旅カムバック!とばかり出発することにしましたが、それは明日から詳しくお伝えすることにします。

では、また!

8月11日火曜日、天気は曇りで蒸し暑く気温は30℃まで上昇するとか。本州、群馬県では40℃を越え、東京でも39度の場所もあり全国的に猛暑の日で、例外なく北海道も35℃以上の町もあって、通りで函館でも暑くてむしむしする1日でした。
猛暑にコロナとダブルパンチの日本、いや世界はこの先どうなっていくのでしょうか?いくらワクチンが開発されても、それまでに一体何人が亡くなるのか?それにこのウイルスは収まるのでしょうか?
今は夏だけど、涼しくなり寒くなったら、もっと猛威を振るうようになりそうで、怖いです。
早く収束して、徐々に終わりに近づいてもらいたいですね。

さて、八雲の乳牛育成牧場の展望台を出て、下山しミルクロードを走っていると、「トコタンの丘」なる場所へ。
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漢字で書くと「常丹」で、市街地の近郊で航空自衛隊の滑走路がある付近です。背後には自衛隊の広大な敷地が広がっています。
意味は調べましたが、分からず。多分、アイヌ語でしょうね。
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続いて、国道5号線を北上し函館本線の黒岩駅へ。無人駅ですが、となりに清潔なトイレがあります。地元のパークゴルフ場があって、プレーヤーのためのトイレでしょうが、高齢化が進んでプレーする人もいないみたい。そうやって、パークゴルフ場も廃棄され草茫々へとなっていく地区も結構あるのです。まして、以前流行ったゲートゴルフ場などは、今はほとんどやる人はおらずで、各地にあったあの四角い場所もなくなりつつありますね。
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続いて長万部町に入り、国縫(くんぬい)駅へ。以前はここから瀬棚線が今金・瀬棚方面に向かって列車が出ていましたが、民営化に伴い廃止。有人駅だった国縫駅も無人駅へ。
長万部駅もそうですが、国鉄時代は大勢の国鉄職員が住み賑わっていた町も、今は空き家が目立ち駅前と云えども閑散としています。駅前だから廃れていく時代なのかも知れませんね。
大都市と違い地方では車社会だから、広い駐車場を持たない駅前は車では来れないから、郊外に大規模な駐車場を完備した大型ショッピングモールが出来るのです。だから、駅前商店街はシャッター通りになりますます廃れる一方なのでしょうね。悲しい現実です。
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こんな大きな建物なのに、駅さんは居らず無人駅なのです。現在は函館本線の普通列車のみで、多分上下とも下の写真の線路を使って走っているのでしょうね。
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このホームの左側、こちら側から瀬棚線が出ていたのでしょうか?
それでは、その瀬棚線を終点に向かって走って見ましょう。まずは、長万部町の最西端にあった駅である茶屋川駅へ。
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国道230号線沿いを西へ向けて走り、茶屋川集落付近をゆっくりと見ていたっが、道路沿いに民家は数軒しかなく、それも廃屋っぽい民家。とても駅が何処にあったのかは分からず。そのまま走り続けたら、今金町へ入りピリカ湖まで来てしまいました。ここはダム湖で、美利河ダムがある場所。
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日本1の清流の一つである後志利別川の上流に建設されたもので、1975年に工事開始し、完成は1991年だから16年もかけたのですね。左に延びる堤は長さは、何と!1480mもあって河川を横断して建設されたダムとしては日本1位だといいます!高さは40mもあります。
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このピリカ湖は、流域面積は115平方キロメートルで、その大きさからいったら摩周湖よりは少しだけ小さく、長野県の諏訪湖や栃木県の中禅寺湖よりも広い湖なんです。
主に、洪水調節・灌漑、それと発電もしていてピリカ発電所があり4000㎾発電しているとか。

でも、橋げたの像のアシカ?アザラシ?トド?は内陸部の今金町と何か関係があるのでしょうか?
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こちらは美利河小学校跡。比較的新しい校舎のように見えますが、以前はダム湖の底にあって、ダムの建設に伴ってここに建設されたけど、児童数減少になり閉校されたのです。山村留学など、いろいろと努力して継続しようとしましたが、子供がいないのですから仕方がありませんね。
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開校100年を祝う記念碑もありましたが・・・。
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こんな立派な校舎を何かの役に立てれないものか、と思いますが、人もいないのだから使えないのですね。この先の奥美利河温泉へ行く道である道道999号線、美利河二股自然休養村線は通行止め。
素敵な露天風呂を持つロッジ風の温泉施設も、今は行けないのです。
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明治25年(1892年)に会津から入植して、開墾された土地なんですね。せたな町の旧北桧山地区の丹羽集落の語源となった丹羽五郎氏も関係していますね。
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ということで、1932年11月1日に全通、1987年3月16日に廃止、全48,4km、駅数11の旧国鉄時代の瀬棚線各駅巡りの旅は、このあとに今金町市街地へとさらにせたな町へと向かいます。

では、また!

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