函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めて「ぼうけんの旅」は今年で12年目に突入。 車中泊中心の貧乏旅行の旅、今年で72歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 いよいよ「2025 年ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです!

2025年が明け今年は73歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!軽バン一人旅の始まりです。

2020年10月

10月31日土曜日、天気は1日中晴れの、気温もウォーキングするのは最適な温度で、最後の秋晴れの日か?と思わせるくらいの良い天気でした。

さて、横手市増田の町屋ですが、下の写真を見てお分かりのように、街道に面したお店は間口こそ狭いが奥行きが長い、ウナギの寝床のような家がほとんどです。中には、奥行きが100m以上もあったりで、その中に蔵があるのだから驚きです。
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ここは蔵の駅になっている旧石平金物店。増田観光物産センターになっていて、若い係の人たちが何人もいて丁寧に説明してくれます。入場は無料。中には300円ほど入場料を取るところもありますが。
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それが、ここ。入場料300円でしたが、見ごたえたっぷりの佐藤家住宅で、現在も居住していて、住まわれている方は何と!12代目で、史料では江戸時代中頃の1752年には、現在地に居住。

明治25年(1892年)ごろには荒物商を営んでいたほか、味噌・醤油も販売、増田のナンバーワンの販売高だったそうな。
3年後の1895年には増田銀行創設、これがのちの北都銀行へとなっていきます。
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奥行きが長いことがこれで証明されますね。ずーっと奥まで続いています。
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その中に蔵があるのです。
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蔵の内部は資料館になっていて、増田の繁栄していた時、どれだけすごかったかが理解できます。
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庭の木々を見たら、柿が実っていました。まだ、青っぽかったけど、真っ赤になったころは美味しそう。
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近くには、増田城跡もあって、室町時代の2代目将軍足利義詮の時代に築城されています。
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でも、今は増田小学校のグランドになっていて、訪れた時は運動会の準備中で児童たちがトレーニングのさ中でした。全校児童が整列して校長先生のあいさつ、その後はランニングでとても周囲を見学することは出来ず。遠くからパチリがせいぜいでした。
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その後は、県道57号線を西へ。羽後町日本語晴れ入り、由利本荘市へ行く途中で見かけた西馬音内城址。何と読むのでしょうか?説明板にはフリガナなし。そこで調べると(こんな時にスマホがあると便利!すぐに検索しました。)「にしもないじょう」と読むのです。
西馬音で「にしも」とは!とても読めない!もしかしてアイヌ語かも?
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城よりも興味を引いたのが、これ。羽後交通の列車が保存されていて、建物の外から見ることが出来ました。
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ただ、中に入ることは出来ず。鍵がかかっていて外からのみ。
カメラに収めようとしても、ガラスに反射して写りが悪く撮影できずです。
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しばらく走っていくと、「鈴木家住宅」の看板があり、脇道して寄ると。国指定の重要文化財だとか。
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そして、鈴木姓の発祥の地とか。日本で一番多い名字の鈴木さんはここが始まり?それとも東北ではここからスタートしたとか?
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それにしても、すごい茅葺屋根の大きな家で、江戸時代は豪農だったのでしょうか?
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良ーく観察すると、今でも生活していて、鈴木さんはお住まいなのでした。
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庭には、「日本1太い〇〇の木」があって、何の木だったかは、忘れました。
ということで、秋田県の観光地じゃない地方を走ると、思わぬ発見もあって面白い!
次回は由利本荘市の城跡へ行きます。
では、また!







10月29日木曜日、天気は晴れたり雲ったりの繰り返しで、函館弁でいうなら「あずましくない天気」。
「あずましい!」は、「居心地がいい」とか「落ち着く」という意味で、「あずましくない」は落ち着かなかったりする場面で使う言葉だから、今日の天気にピッタリの方言です。
風もあって、気温も低下しつつあり外を散歩していても寒いくらいで、次からは手袋をしなきゃならないほどです。

さて、陸前高田市からは北上山地を峠越えして岩手県の中央部の奥州市へ。奥州市は、2006年2月20日に水沢市・江刺市・前沢町・胆沢町・衣川村が合併してできた県南部の人口12万人の町。県庁所在地の盛岡市(29.2万人)、一関市(12.1万人)に次ぐ県番目の大きな町なのです。
そこで、皮膚科を受診。なぜかというと、旅に出てからずーっと右膝の周辺が痒くてかゆくてなかなか夜に寝付けなかったのです。それで、思い切って「ぼうけんの旅」始まって以来のクリニック受診となったわけです。
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陸前高田市から国道340号線で北上し、住田町で国道107号線へ、さらに国道397号線で姥石峠(630m)を越え、水沢駅付近へ。マップで探した最初の皮膚科は、人気があるらしく午後1:30で待合室で10人待ち(午後再開は2:00)。それで、車で10分ほどの次の皮膚科へ。1:45着でしたが、待合室では幸いなことに1番目。でも、続々と患者さんが来て早い時間に着いたことがラッキーでした。
そこで、見てもらい飲み薬2週間分と塗り薬50gくらいを処方してもらい旅を続行することに。
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その後は、国道4号線を北上し北上市から左折し西の方角へ。国道107号線を走り、西和賀町ほっとゆだ駅へ。ここは駅に温泉がついている珍しい駅の一つで、湯船の上に信号があるのです。列車到着30分以上ある時は青信号。30分以内15分までが黄色信号。到着15分前からは赤信号で、早く風呂から出なさい!の合図なのです。
温泉を出た後は、岩手県と秋田県の県境となっている奥羽山脈を越えて横手市へ。国道13号線を南下して旧十文字町の道の駅「十文字」で車中泊。幹線道路なので夜通し車はひっきりなしに通るし、トラックのアイドリングも夜通しでうるさいったらありゃしない!
でも、耳栓をしてぐっすりと寝ることが出来ました。これも、8年間の「ぼうけんの旅」の成果で、どんな場所でもどんな状況でも寝なきゃならないときには寝れるようになったのです。神経が図太くなったのでしょうか?
因みに、十文字町は2005年10月1日に横手市を中心にして、平鹿町・雄物川町・大森町・大雄町・山内町・増田町と合併し、人口9.3万人の秋田県では県庁所在地の秋田市(31.4万人)に次ぐ県第2の町となっています。
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ところで、ここは旧増田町のリンゴ農園。ちなみにリンゴの産地の1位は何といっても青森県で41万トンで日本全体の57%を生産していますが、2位は長野県、3位は山形県、4位は岩手県、5位福島県、6位秋田県が入ります。全体に寒い地方で北国にして雪国ですね。北海道は7位の群馬県に次ぐ8位でした。
秋田県では、ここ増田町は有名らしくあちこちにリンゴ農園があって、ちょうど今(10月)が旬でした。
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国道13号線を南下してすぐに左折して増田の町へ。ここには商人の町として栄えた多くの建物が残っていて、それらのほとんどが明治・大正・昭和のもの。しかも、それは今でも日々の生活で使われているとのことで、そんな増田の町を散策して見ました。

まずは、日の丸醸造の倉庫。
増田の唯一の醸造元。蔵元だけで販売されている限定酒は好評らしい。
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酒を生産しているだけあって、大きな杉玉が吊るされていますね。
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江戸時代から商人の町として栄えた増田は、明治期以降銀行や電気会社などが設立され、商業活動が活発になります。現在残っている増田の町並みは、往時の勢いをそのまま残していて、それは国の選定した重要伝統的建造物群保存地区に指定されているほど。

こちらは、水路が流れていて「下夕堰」と云われています。
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今は、生活に使用されていませんが、かつては女性たちの社交の場だったとか。ここで、洗濯したり野菜を洗ったりしたのでしょう。
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電柱は地下に埋められていて、景観を邪魔してなく歩きやすいし、撮影もしやすい。
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佐藤多三郎家は地織りの反物を商う商人でした。ここはその内蔵。
ほとんどの家は、京都の長屋みたく道路に面した間口は狭い。せいぜい2間か3間。しかし、奥行きがあって、長さは中には100m以上ある家もあるのです。まさにウナギの寝床みたいな感じ。
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何か所かに駐車場があるし、観光案内所もあります。駐車場は無料です。増田蔵町通り(中七日町)は400mほどで、1時間から2時間あればゆっくりと散策して見学もできます。
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こちらは珍しい洋風建築物。でも奥の木造建築物は和風。
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石田薬局。2階の雨戸は、北海道にはない仕組み。自分が初めて函館を離れて東京で一人暮らしの下宿生活を始めた時、雨戸の存在を初めて知りました。最初は何のためにあるのか分からず。でも、同じ下宿の仲間から聞かされて、なるほど!と。昔はガラス窓がなく紙の障子だけだったから、夜や雨のときなどに雨戸を閉めれば濡れずにすみますものね。
なお、掘りこたつも初めて体験しました。
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満福寺へ。ここには、面白いモノが祀られているのです。
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それが「ころり地蔵」。よく見えませんが、お地蔵さんが真ん中と右端に、それと左端にもあるのですが。コロリとは?後から聞いたのですが、コロリとやっつけるのではなく、苦しまずにコロリと亡くなるの意味。年とってから病に苦しめられずに、コロリとすぐに亡くなることで、ここで拝めば叶うといいます。
コロナをコロリと、退治してくれるわけではなかったのでした。
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こちら木造3階建ての旧石田理吉家。1819年(文政2年)というから江戸時代の後半、石田久兵衛家から分家し、戦前までの120年以上酒造業(銘柄は金星)を営んでいました。県内でも非常に珍しい木造3階建て住宅で、現在も生活しています。
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ということで、まだまだあります増田の町並み。それは次回のお楽しみに!
では、また!


10月28日水曜日、天気は晴れで朝から秋晴れの上天気で家の中で巣ごもりしているのは、もったいないくらいの天気でした。
お昼過ぎに、大森浜を散歩。津軽海峡をはさんで対岸の下北半島はもちろんのこと、津軽半島もくっきりと見えて岩木山(1624.6m)までもが、その津軽富士の名の通りに三角形の形ではっきりと見えていました。
そして、夜。南の空に満月に近い形のお月さんがきれいに、ハッキリと見えてて空気が澄んでいるんだな、と強く思いました。最近は湿度が夏に比べて低くなり50%を切る日も多く、乾燥した空気だからお空もクリアになっているんですね。

さて、今日は陸前高田市の市民の森にある「気仙大工・左官の伝承館」を紹介します。
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この素敵な茅葺屋根の建物は、明治時代初期の気仙地方の民家を想定し、当時の建築様式により気仙地方の大工さんや左官さんたちのよって、震災前に建てられました。材料はすべて地元気仙杉を利用。
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しかも、ここ無料で見学できるのです。
ただ、市街地から離れているので、行くときはあらかじめナビで検索してからお出かけになった方がよろしいです。
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囲炉裏もあって、わざわざ係の方が火を点けてくれました。
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この建物、震災でもびくともしなかった、と云います。釘一本使わず建てられた伝承館は、気仙地方の大工や左官の優れた建築技法を後世に伝えるために建設されたのです。
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気仙というと、思いつくのは気仙沼。でも気仙沼は陸前高田市の隣ではあるけど、岩手県ではなく宮城県。それを尋ねると、「気仙地方は東北の太平洋岸で南三陸から福島県の相馬あたりまでを差す地域で、県の分け方は明治以降であって、それ以前の江戸時代やそれよりも前は広く気仙と呼んでいたそうです。
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が、気仙大工は、陸前高田市の大友町が発祥の地と云われる気仙地方の大工さんたちの集団です。
その足跡は江戸時代に農民が生活を支えるために、特に冬期間の農作業が出来ない時間に建築関係の仕事に従事し、次第に独特の技能集団が形成されていったとか。
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そして、家大工でありながら神社仏閣の建築も手掛け、さらには建具や彫刻までもこなす技量を持ち合わせ全国で活躍、その技術力の評価は折り紙付きなのです。
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母屋は木造平屋建ての茅葺で、大黒柱や梁は太い材料を使用、広々とした間取りは当時の豪農の家を想定したものだったのでしょうね。神棚も立派。
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障子を開けると、前庭も素敵です。
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スタッフの方がまた親切で、方言交じりに説明してくださり、とてもありがたかったです。
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となりの蔵は、使用したのこぎりや金づち、かんななどの大工道具を展示中。
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いろいろな種類の道具があって、しかも昔はすべて手作業。今のような電動工具がなかった時代です。
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庭の右隅には、1995年1月17日の神戸の震災の復興の灯が今も点いています。
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場所的には、市街地の東側にあって標高445.6mの箱根山(あの箱根駅伝の箱根山と同じ名前です!)の山麓の市民の森の一角にあります。見えている海は広田湾
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茅葺屋根の伝承館の手前に食堂や売店のある建物があり、資料室も兼ねています。
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気仙大工の傑作群として、京都や奈良の神社仏閣があって、
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出稼ぎに行ってたんですね。
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こんなミニチュアまでありました。
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ということで、この気仙大工左官伝承館は、9:00開館し16:00まで。休館日は毎週水曜日。何よりも観覧料は無料というのがすごい!
陸前高田市に来たら、是非見学していってもらいたい施設です。

では、また!



10月26日月曜日、天気は午前中は晴れ、午後は曇りのち小雨の秋らしく目まぐるしく変化する天候でした。今週で10月は終わり、11月ともなればもう初冬です。すでに横津岳(1167m)は初冠雪しており、11月半ばにもなれば市内にも雪が降ることでしょうね。その前にタイヤ交換もしておかなきゃ。

恋し浜駅での車中泊は、とても閑静な場所だっただけにグッスリと寝れる予定でしたが、夜中は寒くて寝れず何度も起床。一時は満天の星空の時もあったけど、朝5時は薄曇りで肌寒い天候でした。
まずは、となりの綾里(りょうり)駅
面白い形をした駅舎です。左側は、道の駅のように地域の物産を販売するスペース。
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駅前の右側にあるのが「津波てんでんこ」。津波が来たら、各自勝手に逃げよ!という地元の古くからの言い伝え。
釜石の子供たちは、この教えを守り一人も犠牲者が出ませんでしたね。逆に、高齢者の方の方が「このくらいだったら、津波は来ないべぇー」と家にとどまった人が何人も犠牲となっています。
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綾姫の里の綾里駅。一つ北にあるのが「恋し浜駅」です。
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駅前に、綾里大権現の看板がありました。この写真から見ると、相当大きな獅子舞ですね。
歴史を見ると、江戸時代末期頃から始まったとか。様々な災難が人々を襲ったときに、獅子が踊ることで退治してくれると。英語で言うとライオンズダンスというらしいです。
今、コロナが流行っていて人々を苦しめているから、獅子舞でやっつけて欲しいです!
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この獅子、2m四方あり重さは1000㎏、つまり1トン。人間の力では無理で、動かすのはクレーンを使用するそうです。
とても、この獅子を被って踊りを舞うなんてことは出来ないですよね。クレーンなど重機や電機の力を借りて動かすしかないようです。
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こちらは、重さ200㎏と書かれているけど、紙の兜が200㎏もあるわけない。紙ならせいぜい200gくらいだから、本物は貸し出し中なのでしょう。
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道路沿いに「綾姫の里」らしく、その伝説が書かれた看板がありました。
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ウーン、難しい!要するに、綾を織る姫がいたのでした。
次の看板にも、綾姫と申す姥、つまり老女が綾羅りょうら、意味は綾衣と薄衣。または美しい衣服を織ることを仕事にしていた、と書かれいますね。
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大船渡市の市街地を無料の自動車道を走りスルーし手、一気に陸前高田市へ。震災直後とどう変化していったか見たくてやってきました。土地を10mかさ上げしている様は、毎年来ているのでわかっていましたが、昨年よりもさらに変わりつつあります。
まずは、海側の低地は人が住めなく、その代わりに田んぼに変わっていました。
来年3月に「農業テーマパークがオープン」だなんて!?
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山側に10mかさ上げした商業地区、手前海側が「ワタミオーガニックランド」って、あの居酒屋チェーンの和民がテーマパークを造るのですか?
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ズームして見たら、4階のビルのてっぺんまで津波が押し寄せたけど、所有者が柱にしがみついて助かったというビルが見えました。このビルだけ解体されずに済んだのか?はたまた解体を拒んで残したのか?
行ってみましょう。
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かさ上げした土地から後ろ側を撮影。青く見えるところが津波の最高到達地点で、どうやって命を生きのびられたのか?不思議な感じがしますが、それでも助かったのです。テレビで見ていて感動したことを覚えています。
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では、陸前高田市の東日本震災津波伝承館へ入って見ましょう。入場は無料で、9時オープン。それまではエントランスの中で待機。素晴らしくキレイなトイレと待合室があります。
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そして、待合室にはデスクと椅子があって、おまけにfreeWi-Fiが効いているからblogを作って時間を待ちました。
たまたま、中学校や小学校の修学旅行と出会い、子供たちが見るビデオも同時に鑑賞出来て良かったのでした。 
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実は、この建物となりに道の駅が同居していて、そしてその周囲は高田松原津波復興祈念公園になっているのです。こちらは震災津波伝承館の一角で、様々な展示室があります。
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外に出て見ましょう。追悼広場があって、海を臨めます。こんなに穏やかな広田湾も、あの時2011年3月11日午後2時46分には、怒り狂ったかのように大荒れしたのです。
松原があった場所には、今何かを植えていますね。多分、松を植えたのかな?数十年経ったら、また再び以前の松原を見ることが出来るでしょうか?献花が一つ置かれていました。
ここの防潮堤の高さは12.5m。
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振り返ると、伝承館と道の駅が遠くに見えています。150mくらいも歩いてきたのかな?一つの建物のように見えますが、右が伝承館で左が道の駅。手前、川のように見えるのが古川沼。
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ズームして、昔の道の駅、現在はタビック45という震災遺構になっている三角形の建物が見えますね。ここも含めてとても広大な公園になっているのです。
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眼を南に転じると、奇跡の一本松とこれまた震災遺構となった旧高田松原ユースホステルの建物跡。
実は49年前、私が19歳の時のことです。1971年3月に自転車で東京を出発して函館の我が家に帰る途中に、ここのスースホステルに宿泊したことがありました。
東京は桜も咲き始めて暖かかったのですが、北上するに連れて寒くなって来てキャンプは無理で、前日は南三陸町で民宿泊まり。翌日にここに来てユースホステルに宿泊したのでした。
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低地は、今後田んぼにしていくんですかね?低い土地は水田にして、人が住む市街地や住宅地は10mかさ上げした土地に。どんどん変化していく陸前高田市。この後も毎年のように来てみていきたいです。
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ということで、奇跡の一本松は残ったけど(といっても、本物の木ではなくレプリカとして残したのですが)、陸前高田市は以前の様子とまるっきり違った町になるみたいです。

では、また!


10月25日日曜日、天気は曇ったり雨が降ったりの空模様で、たまに太陽がかを見せてもすぐに泣いてしまい(雨が降って)、休みの日としては良くない天気でした。
今日は、久しぶりに大型電気店へ最近のテレビとスマホをチェックしに行きましたが、液晶テレビの上を行く有機ELテレビの画像の素晴らしさには目を見張るばかりでしたし、スマホも最新型は多機能で欲しいものばかり。というのは、我が家のテレビは2010年製ですでに10年経過だし、スマホは来月で2年目を向かえます。まぁ、当分変えるつもりはないですが、テレビは何時壊れるかもしれないので、調べに行ったのでした。

さて、ここは陸中山田駅。山田駅というは全国各地にあって、例えば、東京都八王子市の京王高尾線にあるし、岐阜県郡上市の長良川鉄道の越美南線にもあるし、大阪府の吹田市阪急電鉄千里線大阪モノレールの駅にもあります。さらに〇〇山田駅も各地にあります。例えば、三重県伊勢市の近畿日本鉄道宇治山田駅とか。

で、ここは三陸鉄道の陸中山田駅です。
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たまたま三陸鉄道の豪華客車が入線中でした。
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複線化していて、駅も最近完成したばっかり。以前はJR東日本の駅でしたが、三陸鉄道に払い下げ(?)して、おかげで岩手県の三陸海岸は北の久慈市から南の大船渡市まで一本につながったのです。
それまでは、北リアス線は久慈市から宮古市、宮古市から釜石市まではJR山田線、釜石市から大船渡市までは南リアス線だったので分断されていました。
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駅の待合室はfreeWi-Fiが効いているし、テーブルもあって、休憩できる良い場所です。
山田駅から船越半島へ。わずかな土地が半島と繋がっていて、遠くに見える堤防が左の本土側との境目です。右奥に見える山は、昨日お伝えした重茂半島。右側が船越半島。
海はきれいな海岸で白い砂浜です。夏は海水浴場になるみたい。
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これから行こうとする荒神社は、閉伊頼基(へい よりもと)は平安時代末期から鎌倉時代前期の武将で、源為朝の三男を名乗っているがそれを示す証拠はなく怪しいが、そこに墓所があるようです。
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ここは社務所みたいですが、誰もいません。
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そして荒神社へ。
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ここは、「こころ旅」で火野正平さんが訪れた場所。目の前がきれいな海で、駐車場から海岸線を歩いていかなければいけないところ。
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杉の巨木が何本もあって、静寂そのものの境内。
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御祭神の宝剣といっても、看板だけで他に何もありませんでしたが・・。
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で、この日の寝床は大船渡市の三陸鉄道の恋ヶ浜駅
このblogでは何度も登場している駅で、いつもここでは駅の真下で車中泊しています。というのも、1回目の2013年4月ここを訪れた時、ここの所有者が「ここで寝ていいよ!」と言ってくださったので、毎年お世話になっているからです。
漁具置き場ですが、建物の左側に住居スペースがあって、一人で住まわれていましたが、この日親戚の方が訪れていて今は施設に入られているとのこと。
元気に暮らしていれば良いのですが、来年からは泊まれないですね。
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列車が入ってきましたね。電車ではなくディーゼルの列車です。
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小さなかわいい駅舎には、駅ノートもあるし。
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願い事が書かれたホタテの貝が、たくさん吊るされています。でも、かなり処分されたみたい。かつては、この駅舎が埋まるくらいあったし、となりの屋根付きスロープにもたくさん吊るしてあったけど、今回来てみたらすべて無くなっていましたから。
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神奈川県の小学校から贈られた千羽鶴で文字が書かれた一部ですが、何を書いてあるのでしょうか?
これは「い」ですが、いくつかの文字が組み合わさって作られた言葉ですが、果たして?
「い」の入る適当な言葉で、5文字くらいが思いつきません。どなたか教えてください!
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戸数数十軒の小石浜の集落。小石浜が正式名ですが、駅名は「恋し浜」。洒落ていますよね。
真下のホタテ小屋ならぬカキ小屋は、営業しておらず。隣りも閉めたままです。
でも、きれいなトイレもあるし、水道もあります。
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愛の磯辺の「恋し浜」。
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三陸の藍(愛)の磯辺の 小石(恋し)浜 かもめとまりて 汐風あまし

ここを作った人に感謝ですね。
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「この短歌は、1985年に地域住民の熱い願いが叶い、三陸鉄道「小石浜駅」が誕生した際、地元の方が駅の誕生を喜び、祝い、詠まれたものです。」と書かれています。

地元愛溢れる恋し浜駅の真下、満天の星空の下で寝れるなんて何て幸せなことなんでしょう!

では、また!

10月24日土曜日、天気は晴れのち曇り、そして夜になって雨の、秋らしく変化する天候。気温も徐々に寒くなってきて、日が暮れてから暖房を点けました。

ここは、宮古市田老の真崎海岸の近く。遠くにトンネルが見えるけど、そこに至る道は未だに未開通のまま放置されて9年。津波の被害があっても、利用客が少ない場所は放置されたままです。
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奥が、真崎という岬で、その手前に展望台があるのですが、そこへは道がないので行けません。
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前夜、宿泊したトイレのある駐車場から北に走り、海岸に降りる道があったので降りたけど、ご覧のように9年前の津波によって崩壊したままの姿を今もとどめています。
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国道45号線に戻り、グリーンピア三陸みやこへ。ここには2013年から毎年のように訪れていて、ここにたくさんの仮設住宅が設置されていましたが、2年前からは少しずつ撤去されてきて、今は残っておらず雑草が生えて草ぼうぼう。
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仮設商店街も営業しているお店はなし。私は、毎年「ゆいとり工房」という、主婦の方たちが半端な端切れを工夫して、バッグとか小物入れに直し販売しているのを応援して買い取りしてきましたが、そのお店は今、田老の山を削って平らな土地にした新興住宅街の丘に引っ越しています。
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再び、田老の市街地に戻り「田老観光ホテル」跡地へ。ここには震災遺構となった4階まで津波の被害を受けた建物が残っています。
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以前は、田老を代表する立派なホテルでしたが・・・。
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この辺りでは、土地そのものが海側に移動したのですから、どれだけすごい破壊力のある地震だったかが分かります。
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移動した距離は東南方向に2.18m、そして0.31m地盤沈下しています。もっとも、酷い場所は宮城県の牡鹿半島(石巻市と女川町)で、5.3mも移動し1.14mも地盤沈下したのです。
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万里の長城のように従来の防潮堤からさらに上乗せして巨大な防潮堤が建設中。
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宮古市の市街地を過ぎて、重茂(おもえ)半島へ。岩手県の一番東側にあり、本州では最東端に位置している半島です。ただ、道が整備されてなく険しい山道が続きます。そしてたどり着いたのが半島の北にあった廃校となった小学校。
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道が途切れる場所まで行こう!としてたどり着いた場所にあった「大津浪記念碑」。
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この地区では、死者行方不明者合わせて50名を数えるのですね。
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半島の一番北の岬である閉伊崎(へいさき)へ行こう!としたが、道路はない。最後の集落のある一軒家、それこそポツンと一軒家のおばあさんと話すと、「歩く道しかないし、それに整備されていないから草ぼうぼう。熊も出るよ!」と。
それでは諦めるしかなく、車で行ける漁港まで行くが、そこも津波の被害を受けたままの状態でした。
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最東端は、トドケ崎ですが、そこは2013年に訪問しているので(歩くこと1時間)、今回はスルー。
千鶏(ちけい)集落の小学校へ。ただ、以前来た時は校舎は残っていたけど、今回は体育館だけ。それでも、児童たちの手形がありました。
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多分、津波の被害で学校は廃校へ。残っていた子供たちは、スクールバスで山田町の大きな小学校へと通学しているのでしょうね。
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元の校舎には、地震のあった午後2時46分で停止したままの大時計がありましたが、校舎解体とともに撤去されたのでしょう。立派な体育館は、集落の体育館として利用されているのかな?
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港も整備されつつありますが、こんな高台にある小学校にまで津波が押し寄せるなんて、すごい力だったんですね。
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明日は、復興された山田町の市街地とJRから三陸鉄道の駅となった山田駅を訪問します。
では、また!


10月23日金曜日、天気は朝から雨。今日いっぱい雨が降るみたいで、1日外出は出来ない憂鬱な日です。こんな時は家の中で本を読むか、ため込んでたビデオを鑑賞する日にしますか。

それと、今月の「秋、東北の旅」のblog作りをすることです。
ということで、2日目の朝は道の駅「よこはま菜の花プラザ」で朝を迎えましたが、本日みたいな朝から雨の天模様でした。
道の駅は国道279号線沿いにあって、車中泊の車の結構多く20台以上はいました。建物はWi-Fiが効いていて、助かります。ただ夜を明かすには耳栓が必要で、前回はトラックが1日中アイドリングしていてうるさかったことを覚えています。
今回は、トラックこそ駐車していなかったけど、夜通し車の往来があって、やっぱり耳栓は必需品でした。

最初の1枚目は、南下して野辺地町のさらに南の東北町に入ってすぐ、秘境駅の一つである第3セクターの鉄道である「青い森鉄道」の千曳(ちびき)駅の近く、県道8号線沿いにある「日本中央の碑」発見地から。
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千曳駅からは1kmほどで、県道8号線を走っていれば看板があるからすぐに分かります。
「日本中央の碑」とは何か?というと、1949年に発見された高さ1.5mの自然石に「日本中央」と刻まれた碑のことです。その石碑は、現在国道4号線沿いの「日本中央の碑保存館」に展示されています。
つぼのいしぶみ」とは何か?はこの説明板を読むと分かりますが、以前保存館で「日本中央」と刻まれた石碑を見ましたが、いかにも偽物と思わしきもので、Wikipediaでも偽物と書かれていますが・・・。
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雨の中か差を差しながら階段を下りていくと、ここで発見されたんだ!という木の柱が立っていました。でも、かなり信ぴょう性がない気がしますが・・・。
以前、津軽地方でもあった「偽物事件(東日流外三郡誌 つがるそとさんぐんし)」を巡る本物か偽物化の論争みたいなものでしょうね。興味のある方は、Wikipediaをご覧ください。
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その後は、東北町の道の駅「おがわら湖」や小川原湖のキャンプ場に寄りさらに南下して、八戸市へ。ここは八戸市の太平洋側。海岸沿いには「捕鯨会社襲撃事件」なる看板が。
1911年(明治44年)に、鮫村(現在の八戸市)の漁民1000人が東洋捕鯨株式会社を襲撃し、放火・破壊した事件で、原因は漁民の声を聞かずに強引に事業を行い、それに対し漁民が打ちこわしに至ったという事件です。
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場所は、JRは八戸線の鮫駅から県道1号線を北東の方向に行った先で、道路からはウミネコ繁殖地の蕪島が見えるところです。
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ズームして見ましょう。いつもは無数のウミネコで島がいっぱいになっていますが、秋はいないのかな?姿はなく見当たりませんね。
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雨は降り続いていますが、海岸線はキレイ!
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ここは種差海岸で、蕪島から大久喜駅までのおよそ5kmの間、巨岩と砂浜が連続していて美しい海岸です。
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説明板もありました。ここには環境省の情報センターなどの施設もあって、雨の中では一休み出来ました。Wi-Fiもあって、美味しい冷たい水も湧いていてしばし休憩。
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葦毛崎展望台や渚100選になっている大須賀海岸、さらには天然芝の種差海岸など見どころはいっぱいなんですが、何せ雨の中ではね~。
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左上、道路の上に鮫角灯台が見えていますね。
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ここは葦毛崎展望台で、駐車場とトイレもあるから夏の間は車中泊が出来そう。それとトレッキング道が見えますが、三陸海岸を北から南へ通して歩ける道です。歩くのに自信がる方はチャレンジしてみては!
調べてみると、正式名は「みちのく潮風トレイル」といい、青森県八戸市の蕪島から岩手県・宮城県を経て福島県の相馬市松川浦まで続く太平洋岸の約1000kmの日本最大のトレイルルートで、チャレンジは相当の覚悟が必要なのですね。
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岩手県に入り、最初の町の洋野(ひろの)町。2006年1月1日に種市町と大野村が合併して洋野町が成立していて、ここの駅は町役場のある種市駅から一つ南の玉川駅です。もちろん無人駅。
三陸鉄道には、野田玉川駅という名の駅もあります。
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この日は、宮古市まで南下して宮古市田老で、新装となった国道45号線沿いにある道の駅「たろう」ではなく、私が愛用している(?)車中泊好適地の三王岩の駐車場で宿泊。そこから三王岩を撮影。3つの岩、男・女・子の岩が分かりますか?
男岩は高さ50m、女岩は23m、右の太鼓岩と呼ばれる子供は17m。1億年もの歳月をかけて三陸の波と海風が形作った美しい自然の造形です。
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とってもきれいなトイレや水道もあって、それにとても閑静なのです。駐車スペースは20台以上あります。夜は満天の星空には遠かったけど、3割方星も見えて明日は晴れるかな?と予想され、実際雨は止み寒かったけど晴れてきました。
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散歩道がついていて、三陸の海はとってもキレイで、撮影ポイントがたくさんありますね。
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ただ、散歩道にしては階段の上り下りが激しく、かなりしんどいですが。
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ということで、3日目の朝を迎えて、この後は南下して宮古市と山田町を目指すことにしました。
山田町は2013年から毎年のように訪れていて、どのように変化していってるのか?を見たかったからです。
それは次回のお楽しみにして。では、また!

10月22日木曜日、天気は雨の予定だったけど晴れたり曇ったりで、少しは雨が降ったみたいだけど暖かい秋の日でした。
天気予報では雷注意報も出ているけど、今日は雨が降らない気がします。

さて、昨日の21日水曜日は良いお天気だったので、ハイキングがてら旧戸井町のムイの島展望台までドライブし、歩いてきました。
漢字で書けば武井の島なんですね。看板が出ていました。駐車場は20台くらい停めれるスペース有り。
函館・湯川から国道278号線を海沿いに東へ。戸井で1つの短いトンネルを越え、2つ目の長いトンネルを越えてすぐ左折します。
10月2日の「こころ旅」で、雨で強風の日に火野正平さんが自転車で訪れた閉校となった小学校への道です。
舗装された道を300mほど登れば駐車場に到着です。
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ホントは、戸井の市街地のあるバイパスから「ムイの島展望台」への道をたどれば良いのですが、何せ砂利道の山道で慣れない人には怖いでしょう。自分は、その道を通りましたが初めて行く方は、トンネルを越えてから行った方がよろしいです。
展望台まで350mの表示を見て、歩くとすぐにたくさんの柏の葉っぱが落ちていて、上を見ると柏の木がいっぱい。
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ところどころで、階段があり登り降りして行くと到着。
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1つの大きな岩と3つの小さな岩の4つの岩山で構成されているムイの島。凡そ20kmほど津軽海峡の向こう側には下北半島がクッキリ!目を左に向けると尻屋崎も見えました。ちょうど今、blogで「秋、東北の旅5」では尻屋崎を特集していましたから、グッドタイミング!
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ズームして見ると、よく分かりますね。手前の岩山には鳥居がありますね。防波堤もありますよ。こちらからは、200mはないでしょう。150mくらいか?泳いで行ける距離です。今は無理でも夏の暑い日だったら楽しいかも?
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ここからは東に太平洋、西に日本海の2つの海が同時に見える日本で唯一の場所です。函館山からもそうですが、函館は太平洋と日本海の2つの海への入口と出口なのですから。
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東へ目をやると、原木集落が見えます。右の岬を越えると、旧恵山町。その手前までが旧戸井町です。原木には、温泉とキャンプ場があります。
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西へ目をやると、戸井の市街地。旧役場や中学校等が見えますね。
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津軽海峡の東側が下北半島、西側にうっすらですが津軽半島も見えています。
波も荒れていなく穏やかそのもの海。
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帰る途中、原木集落の小学校跡をズーム。体育館と小さな校舎が見えました。
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「こころ旅」で、火野正平さんが自転車で訪問した放送日は10月2日で、ちょうど私が「秋、東北の旅」に出発した日。朝7:45からBSで15分間拝見し、夜の部はビデオに録画して帰ってから見ました。
ここの出身の78才の方が投稿していて、ムイの島も取り上げていました。

自分も、ここの小学校は30年以上前に偶然発見し、その時は運動会が開かれていたときで、ずいぶん賑や化だったことを覚えています。
その後、戸井が函館市に合併される前に閉校になり、今も校舎が残されているわけです。
ただ、戸井ではこの日訪れた旧汐首小学校は、校舎は解体されて更地になっていただけに、校舎が残っていることに少しは安堵しました。

ということで、今年も後2ヶ月と10日のみ。外を歩ける日は、後どれだけ残っているでしょうか?
貴重な晴れた日には、出来るだけアウトドアを楽しみたいな!と思ったのでした。

では、また!

10月21日水曜日、天気は晴れで今日まで秋晴れの晴天が続きました。明日からは雨が連日降るようなので、しばらくは晴れの日がないでしょうね。少しずつ冬に向かって近づいていっている昨今です。

さて、いきなり馬の顔のドアップ!馬の種類は、寒立馬(かんだちめ)で粗食や寒さに強いのが特徴で、まさに下北半島の真冬を生き抜く力を持っている労働馬です。
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左は母馬でしょうね。仔馬は何歳でしょうか?
ここは、ゲートで仕切られた放牧地で、ゲートの開放時間は5月から11月までが午前7:00から夕方の16:45まで。4月だけが8:00から15:45までで、12月から3月までは寒立馬は尻屋崎から徒歩30分の距離にあるアタカ越冬放牧地へ移動されるそうです。
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ゲートに到着した時間は午後2:00くらいで、閉じられるまではまだ時間があります。ゆっくりと尻屋崎を散策しましょう。
ここは、まさかりの形の一番東の北端で、函館から見ると津軽海峡の最も東、右の端っこに見える位置です。
母親馬と仔馬は、これからやって来る冬の厳しさに耐えて来春を迎えるのでしょう。
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車で走って数分、尻屋崎の灯台に到着。実は4月下旬から11月上旬まで灯台は一般公開されており、料金は300円。37mの高さのレンズ真下(バルコニーのフロア)まで階段を登ることが出来るのです。
公開時間は9:00から16:00まで。
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歴史的・文化的にも日本では貴重な灯台で、1876年(明治9年)の初点灯から船の安全を見守り続けています。レンガ造りの灯台としては日本1の高さです。
イギリス人技師のR・H・ブラントンにより建設された東北では最古の洋式灯台だそうです。
まっすぐ伸びた塔は、レンガ壁の二重構造で、それは後でお見せしますね。
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日本の灯台50選の一つになっていて、国の登録有形文化財にも指定されています。
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階段の数はいくつだったか忘れましたが、螺旋階段で目が回るくらいの数を上り詰めます。
そして、吹きっさらしのバルコニーへ。こちらは、北の方向で北海道が見えます。恵山を始めとする亀田半島の地が見えました。
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こちらは南側で、奥の山は桑畑山で標高はキッチリの400m。
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東南側を見ると、太平洋が広がっています。
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そして、一番風が強い東側。まさに海だけしか見えないけど、フェンスの上から真下を見ると吸い込まれそうで、怖い!帽子が吹き飛ばされそうなので、手に持ってカメラを構えて撮影しましたが、強風で体が揺れるし、おっかなびっくりの姿勢で写したので、はっきりと写っていたかどうか?怖かったです。
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これがレンズですね。
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レンガの二重構造であることが、これを見ると分かりますね。奥のレンガと手前のレンガの間に隙間があります。レンガは、白く塗装されていて外からはレンガ造りには見えませんね。
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様々な指定を受けているんですね。土木遺産とか近代化産業遺産とか。
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1876年からだから、今年で144年も灯りを灯し続けています。その光の届く距離は35kmだから恵山のある椴法華地区にも届いているはずです。
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最後に、ここ下北郡東通村のマンホールは、寒立馬と能舞。
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下北の能舞は、国の重要無形民俗文化財に指定されていて、下北地域とその周辺に伝わる山伏神楽の一つ。もともとは修験者が伝えたもので、修験者の行法などが芸能として保存されていて、日本の中世芸能の面影を色濃く残しています。

東通村には、獅子舞神楽、餅つき踊りなどが民俗芸能として受け継がれてきているのです。

その後は、下北半島の太平洋側を南下して、険しい峠道を横断し陸奥湾の横浜町へ行き、道の駅で車中泊。翌朝は雨の中をさらに南下し小川原湖、さらには再び太平洋側へ移動して海沿いに南下します。
では、また!

10月20日火曜日、天気は晴天で絶好のドライブ日和。そこで、七飯岳の中腹を走る城岱スカイラインを走り紅葉真っ盛りの大沼へと行きました。

まずは、城岱展望台から函館平野を見下ろす。函館山がクッキリ見えて、陸繋島だということがはっきり分かりますね。
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横津岳(1167m)もきれいに山頂が見えています。紅葉はピークですね。
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ここは七飯町の町営城岱牧場。大沼牛のブランドは有名ですね。牛たちも放牧されていて、草をムシャムシャ食べていました。
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こちらは、北斗市の峨朗鉱山方面。セメントの原料の石灰岩が採掘されていますね。
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峠を降りると、秀麗 駒ケ岳がキレイに見えていました。大沼側から見ると女性的。森側から見ると男性的ですね。
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ズームすると、富士山の形に似ていますね。だから、渡島富士という名を頂いているのですね。
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お昼は、大沼湖畔のランバーハウス。ログハウスで、ここのピザは有名。何度も食べに来ています。
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とてもボリュームがあって、美味しかったのです。
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東大沼キャンプ場へ行くと、季節外れにも関わらずテントが10以上も張られていて、朝は寒くないのだろうか?と心配になります。
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他にキャンピングカーも3台あって、夜間・早朝は寒そう~!と思うけど、今はキャンプが流行していますからね。寒さなんて、吹っ飛ばせ!なんですかね。
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車中泊でも寒そうだけど、今もテント生活なんてそれなりの準備してきてるんでしょうね。バイク乗りもいて、バイクはシートが掛けられていて、多分長期滞在者でしょう。
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ということで、今日は紅葉の見頃の大沼へドライブに行ってきました。
では、また!

10月20日火曜日、天気は昨日同様に秋晴れの晴天で、家の中にこもっていてはもったいない天候で、今日は秋の大沼へとドライブしに行きました。それについては、別にblogにアップする予定ですので、ご覧いただければうれしいです。

ここは、恐山。行政区域はむつ市で、県道4号線で登り、標高350mの湯坂を峠越えして恐山に向かいます。周囲は外輪山で、その下にカルデラ湖の宇曽利湖があります。
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まずは、入山料500円を門で支払い入山。
ここは、日本三大霊山の一つと云われ、火山性の荒涼たる風景は、まさしく霊場にふさわしい雰囲気そのもの。特に、夏ここで「イタコ」が行う口寄せは有名ですね。
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と同時に、ここは自然豊かな地でもあり下北半島国定公園にも指定されています。
上の写真で、左に見えている建物は地蔵堂。

下北の住民にとって「死ねば恐山(おやま)さ行く」という地域信仰の場所でもあり、また全国各地から人々が訪れる信仰の山でもあるのです。
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火山活動で形成されたカルデラ地形の大地で、宇曽利湖は酸性度の高い湖。周囲は恐山山地で、2番目に高い山が、右に見える朝比奈岳(874m)。
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今から1200年前というから西暦800年ころの平安時代初期、慈覚大師円仁(じかくたいしえんにん)によって開かれた霊場です。
今も火山ガスが噴出していて、その岩肌一帯は地獄に例えられ、宇曽利湖をとりまく白砂の浜は極楽になぞえられ、信仰と祈りの場としての長い歴史があるのです。
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雨も降って来て天は暗くなるし、風も強く気温も低下し、まさに雰囲気は霊場にふさわしく気持ちの良いものでありません。恐れる山そのもので、昼時にもかかわらず恐怖が先立ちます。
決して、楽しい場所ではありませんので「観光地 恐山」を求めて行かないように!

風車は、子供たちのおもちゃを象徴するものとして、遺族が持参し置いて行ったものです。親より先に亡くなった子供のことを思い、風車をいくつも置いていくのです。
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今年は中止されましたが、例大祭は例年7月20日から24日まで。寺の名前は、恐山菩提寺。
なお、宿坊もあって、宿坊「吉祥閣」は1泊2食付きで一人12000円だそうです。
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体も冷えるし心も冷え冷えしたので、温泉に入って暖まろう!と無料の男子用のお風呂へ。女子用のお風呂もあるので、女性の方も安心です。決して混浴ではありません。
ちょうどいい湯加減で、ゆっくりと入りたかったのですが、注意書きがあって「入浴は10分まで、飲料は不可」とのことで、5分ほどつかりすぐに出てきました。
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こちら、白砂の浜。湖は宇曽利湖。
遠くに赤い橋が見えますが、太鼓橋の名で、三途の川を渡る橋だそうです。こちらはあの世の世界。橋の向こうは、現生で俗世界。
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酸性度が高というから魚は住んでいないのでしょうね。もっとも、ここで釣りをする人はいないでしょう。罰が当たりそう~!
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恐山山地でもっとも高い山は、釜臥山(878.6m)でここからむつ市を一望でき、夜景は特にキレイですが、むつ市の大湊からは通行禁止で、むつ恐山公園大畑線の県道4号線の途中からパノラマラインを通り山頂へと向かいます。
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恐山からは、県道を通ればいいものの、一度は通れずにいた正津川林道を走ろう!として、実際走ったのですが、それはそれは険しく厳しい林道で、かろうじて軽自動車だからこそ幅の狭い道を走れたし、オフロードタイヤを履いていたから通過できたタフでラフな林道でした。

国道279号線に出て、津軽海峡に面した海側を西へ走り、旧大畑町の市街地へ。旧大畑駅を見たかったのです。
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下北交通大畑線は2001年4月に廃止、むつ市の下北駅と大畑駅の間18.0kmを結んでいました。
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車両基地もあるし、線路も19年経過しても、いまだに健在。当然走っていないから、錆び付いているけど、残っているだけでうれしい。
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駅板も残っていました。前の駅は、林道を走ってきた正津川駅。
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信号も残っていました。
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薬研温泉に行きたかったけど、再び山道を走るのは御免!と断念し、この後はまさかりの形の右上の位置に当たる尻屋埼へ行くことにしました。
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その前に、大畑の町を歩くと八幡宮を発見!
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江戸時代初期からの八幡宮の歴史がありますね。
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大畑のマンホールは、イカとカモメ、サケとエコタウンの町をアッピールしていますね。
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ということで、東北の旅の2日目は下北半島を南から北へ、西から東へと走りこの日は3つの厳しい林道を走ったのでした。一つは、薬研温泉へ行くあすなろラインという土砂崩れが発生し工事中の道、二つ目は恐山から正津川林道、そして三つめはこれから向かう太平洋側から陸奥湾の横浜町へ向かう峠道。それについては、またのちほど。

では、また!

10月19日月曜日、天気は晴れで東北の旅から帰って来てから毎日晴天が続いています。旅している間は悪い天気が続いただけに、がっかりです。このような晴天が続いてくれれば、旅はもっと行けたのに!と悔やんでも後の祭り。今年はもう出来ないだけに、あとは来年の計画を練ることだけです。

さて、脇野沢村時代のマンホールです。
猿とイノシシとカモシカと鯛島が描かれていますね。まさに、脇野沢を象徴する野生動物たちと島です。
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と、道路に出ていた猿たち。逃げ遅れた猿の一匹を、やっとパチリ。こんな崖も走って逃げるのですからすばしっこい!
脇野沢の猿は、人間を除いて霊長類の中で地球上最も北に住む野生の猿で、「北限の猿」と呼ばれています。種類は「ニホンザル」で、国の天然記念物。野山だけではなく、民家や畑にも頻繁に出没するだけに、地元民にとってはやっかいな猿なのです。
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翌朝、脇野沢八幡宮へ。港の近くにあり、港の駐車場に車を停めて歩いて見学。
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黒い眼と赤い唇の狛犬。
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境内にあった鳥居には、「安政五年」の文字が刻まれていて、西暦1858年のこと。井伊直弼が大老になり、日米修好通商条約を締結して、反対派を安政の大獄で逮捕しています。翌年には吉田松陰らを死刑にしている、そんなきな臭い時代でした。

旧脇野沢村から旧川内町へ。その途中、蛎崎(かきざき)という地名で発見した「錦帯城跡」。
菅江真澄が訪れている場所ですが、それよりも蛎崎という地名は、実は松前藩の城主だった蛎崎氏はここの出身だったのです。それに気づいて驚いた次第でした。
江戸時代になって、徳川家康公から松前氏の名前を頂戴し、松前藩を名乗りましたが、それまでは蛎崎氏だったのです。ここからとは!知らなかった。
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もともとは、若狭の国というから今の福井県若狭地方。そこの若狭武田氏を祖として、室町時代の中ごろの1451年に、若狭からここ下北半島の川内に移住し、その後に北海道に渡ったといいます。
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この石碑に書かれていますが、1451年の数字も見えますね。























城跡と云っても、何もなく閉校となった小学校があるだけ。でも、ここが蛎崎という地名だったことがうれしいのでした。
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これが閉校となった小学校。こんな風景は、田舎を走ると何処でも見ることが出来て、悲しいやら侘しいやらで、本当に子供の数が極端に少くなってきているんですね。
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新築記念の二宮尊徳像。新築されたのは、いつのことやら?
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国道338号線と別れ、県道46号線のカモシカラインを走り北上し、湯野川温泉を目指します。その途中で見つけた大イチョウの大木。
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500年以上の樹齢を持つ銀杏。ここの地名は安部城(あべしろ)。昔、バイクで旅した時、ここで無料で入れる掘立小屋の温泉があったのです。それを見つけにウロチョロ。結局発見できず。住民に尋ねたら、廃止されたとのこと。残念でした。
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川内川渓谷大滝
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竜神が住むと云われる大滝ですが、住民は、いつもと違って今年は積雪量が少なく雨も少なかったせいか、滝の流れが穏やかだ、といいます。でも、滝壺には絶対魚がいそうな雰囲気。渓流釣りをする人は、竿を1本持参した方が良さそうです。
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サクラマスが登るんですね。それと下北ジオパークの一つでもあるんですね。
鉱山跡もあったなんて、今となってはもう遅いけど、次の機会にはもっとゆっくりとみて見たい!
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ということで、脇野沢から川内へ。このあとは湯野川温泉へ、「あすなろライン」という名の険しい山道を通り薬研温泉へ行く予定でしたが、そのあすなろラインは土砂崩れが発生していて、途中で工事中。工事現場の方から、軽自動車では無理と云われて引き返すことに。

出来るだけ、山道を走るつもり出来ていたので、こんなこともあるさ、と40kmの道をUターンして再び国道338号線に戻り、恐山へと行きます。それは、明日のお楽しみ!ということで。
では、また!

10月18日日曜日、天気は晴れで、最近は気持ちの良い秋晴れの日が続き、再び旅に出たい気持ちにさせるが、朝晩は寒く起床したときにすがすがしく起きれるか?と問われると疑問符がありますね。
やっぱり、朝は最低でも15℃くらいないと!

冬でも旅している人はいますけど、寒さには強い方ではない自分としては今年の旅は今回で終了としておきます。よって、今年はカメラで収めたものを使って総集編をお伝えしていきます。

ここは佐井村の願掛岩(がんかけいわ)。海抜100mを越える巨大な岩が2つ、それは男女が寄り添うように鎮座していることから名付けられたといいます。左が男、右が女。
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左はいかにも険しく高さも右寄りは高い。岩の上には天狗の社があるといいますが、それを見に行く勇気はありませんね。怖いです!
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こちらはいかにも女性的。こちらだと歩いて行けるコースになっていますね。
昔は女人禁制だったとか。
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この2つの岩の間にあるのが、この念結びの願掛け。カップルがカギをガッチリかけて結ばれ、以後別れないように!と願うのでしょうね。奥のフェンスにはたくさんのカギがかかっていましたが、中には錆び付いているものもあって、この場合はどうなんてしょうね。錆び付いてカギを開けることが出来ない=これまた絶対別れない!から良しなのかな?
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この日の最大の目的は、この山「縫道石山(ぬいどうせきざん 626m)」を間近に見ること。
20年以上前に、地図を見て興味が湧いてきてオフロードバイクで接近、すごい山だなぁ!と思いました。本州へ旅するたびごとに、フェリーの上から下北半島の稜線からくっきりと突き出た巨大な岩山が目につき、そのたびに「あれが縫道石山だ!」と思いつつも、行けずにいましたが、今回は一番近くまで来ることが出来てうれしい!
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道は、佐井村の歌舞伎の里で有名な福良(ふくら)集落から国道338号線と別れて村道へ。でも、全面舗装されていて安心しました。かつてはかなりのラフな砂利道で、しんどかったことを思い出します。
岩山の高さは100m以上はありますね。もしかしたらそれ以上かも?
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山道の峠にさしかかった場所で、少し引っ込んだところに5台くらい置ける駐車スペースがあり、登山者が利用できるようになっています。が、ここも「熊に注意!」の看板が!
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中には、ロッククライミングするクライマーもいるのかな?確かに登りごたえはあるけど、垂直の壁をどうやって登るのでしょうか?想像しただけで怖そう!
それと特殊植物群落があって、もちろん採取は厳禁!です。
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見るからにすごい岩山ですね。登山ルートは、どこを通るのだろうか?
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5kmほど離れた場所から撮影しても、すごい山です。
この山、どこかで見たことあるな? そういえば、アメリカのロッキー山脈山中のグランドティートンという岩山に似ているかな?確か映画「ET」に登場した山だったはず。
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村道から下山し、再び国道338号線に戻り、次に県道53号線で東の方向へ。道の駅「かわうち湖」をめざします。ここはダム湖のかわうち湖。
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かわうち湖畔にある道の駅ですが、ここはWi-Fiなし。今やほとんどの道の駅にはWi-Fiありますが、地方の利用客の少ない道の駅はWi-Fiないところもありますね。この日の寝床になった旧脇野沢村の道の駅「わきのさわ」もそうでした。
ただ、ここは通行する車が極端に少なく、どうしてこんな場所に道の駅が出来たんだろう?と疑問に思う場所。きっと、旧川内町時代に出来たんでしょうね。今は、川内町も脇野沢村も、それと大畑町とともにむつ市に合併されています(2005年3月14日)。
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再び、国道338号線に戻り旧脇野沢村に行くために南下します。ここは海沿いを走るのに、海峡ラインと呼ばれる険しい山道。
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下北半島の西海岸は断崖絶壁が連なる険しい場所で、仏ケ浦のある佐井村牛滝集落からは一つも集落はないのです。それだけ人が住めない断崖が連続しています。だから、道も海岸から内陸に3kmほど離れた山中に造られています。左上にその道の一部が写っていますので、どれだけ厳しい道かお分かりでしょう。
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脇野沢に到着し、さっそく海岸へ。1km沖合に見える島は「鯛島(たいじま)」。別名弁天島ですが、どちらかというと、鯨のような島に見えなくもない。
奥の陸地は、野辺地町がある下北半島の付け根の部分。斧の形の手で握る部分ですね。脇野沢は、斧の刃の下で、大間が上、佐井村は刃の中心部。
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道のない突端まで来てみました。ここは脇野沢の西端の漁村である九艘泊(くそうどまり)集落。
この先は北海岬で、歩いてもあとわずか。
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猿の住む海辺公園とありますが、野生の猿はそれまでに何回も見てきました。でも、カメラを構えると逃げるので、写すことはなかなか難しい。猿はすばしっこいのです。
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民家は30軒くらいか?住民はおそらく100人はいないでしょう。道のどん詰まりの集落です。
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ここを少し歩いてみたら、一番奥に小学校の閉校した校舎がありました。「脇野沢村立九艘泊小学校」の文字が見えますね。
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グランドは草ぼうぼう、体育館も使用されることなく放置されっぱなし。誰も利用しないでしょうね。
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この日は、道の駅「わきのさわ」に戻り、歩いて100mの脇野沢温泉へ。湯船一つだけの小さなお風呂で、入浴料は350円。自分以外は誰もおらず、一人ぼっちの車中泊の初日を迎えたのでした。

明日は、下北といえば、恐山!あの恐れ恐れる山の恐山へ向かいますが、それに立ちはだかるのが険しい山道。それはまた次回へ!
では、また!

10月17日土曜日、天気は晴れで気温も20℃近くまで上昇し、気持ちの良い秋晴れの日。散歩をするのは持ってこいの天候で、久しぶりにウォーキングし6000歩を記録。
13日間の旅で食事を節制したせいか、体重が70㎏を切り69㎏台へ落ち、体が幾分軽く感じます。旅は節約するとともに、体のぜい肉も落としてくれてうれしい限りです。

さて、10月2日から14日までの秋の東北巡りの旅、今日から総集編としてカメラで撮影したものをアップしながらblog作成していきたいと思います。
まずは、朝9:30発函館から大間行きのフェリーです。
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10月から料金が安くなるため、ほぼ満車状態で乗客は車以外でも大勢乗船していました。ネットで予約しましたが、10日前でも1日は予約できず、2日だけ残り1台という状態。かろうじて2日午前のフェリーに乗れたわけです。
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函館山裏の穴間が見えていますね。ここも、義経伝説があって「岩手県の龍泉洞の洞窟から歩いて行くと、函館の穴間に通じて逃げ延びた」などという信じられないようなお話もあるのです。

フェリーの乗り込んだ車のナンバーを見ると、広島、神戸、大阪など9月まで北海道を旅した車が多く、そのほとんどは車中泊仕様の車。私のような軽バンやハイエースのように2人乗りの車中泊車、さらにはキャンピングカーまで、結構な台数でした。
やはり、今年はコロナ自粛で6月までは「ステイホーム」でしたからね。秋はその反動でしょう。
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函館山最南端の大鼻岬が見えてきました。最南端が立待岬だと思っている方が多いですが、正解は大鼻岬で、立待岬は1km北にあります。市街地からは一番南に立待岬が見えるので南だなと思うけど、地図を見ると、市街地からは全く見えない大鼻岬の方が南なのです。
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函館湾を出る辺りで、波もなく凪状態の津軽海峡。気持ちの良い朝を迎えています。
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遠くに駒ケ岳も見えていますね。
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大鼻岬を越えると、大森浜側の市街地が見えるし、立待岬も見えてきました。湯の川温泉街のホテルも見えてきましたね。
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で、90分経過して本州最北端の青森県大間町へ到着。運行は、ほぼ時間通りでした。
函館山が看板の右側にチラッと薄いけど見えていますね。
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大間と云えばマグロですが、実際のところは津軽海峡を周遊しているマグロ。戸井でも獲れるし、松前でも福島でも。だから、大間だけではないはず。それが、マスメディアは、大間ばかりを宣伝して大間のブランド力を上げているけど、津軽海峡に面している港は皆同じマグロを獲っているいるのですよ。
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でも、実際の本州最北端は無人島の弁天島。島には、大間埼灯台があります。
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ここからすぐのキャンプ場では、「Youは何しに日本へ?」の取材チームが来ていて、外国人探しをしていました。今は外国人が来日できず番組が成り立たなくなってきていますからね。だから、在日外国人相手に取材している現状。本州最北端の大間まで来て、外国人を見つけようとしているんですね。
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国道338号線の海峡ラインを南下して、佐井村へ。ここは佐井村の観光拠点の津軽海峡文化館アルサス。2階には佐井の歴史文化を伝える海峡ミュージアムがあります。
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上は、明らかに京都祇園祭の影響を受けた山車だし、下は青森のねぶたと同じですね。
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箭根森(やのねもり)八幡宮の例大祭で使用されるねぶたと祇園のような山車は、毎年9月14日から16日まで開催。でも、今年は中止になっていますね。
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300年以上続く例大祭は、神楽と山車で行列を組み、村内を練り歩きます。祭り拍子などに京都祇園祭の影響があって、昔から京文化が伝わっていたのでしょうね。
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それは、北前船の影響もあるし、アイヌの文化の伝播もあるでしょう。
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ということで、今日から始まる総集編、明日以降もお伝えしますので、この秋の夜長はこのブログでお楽しみに!
では、また!

10月14日水曜日、天気は曇りのち雨で気温は低くとても寒い。車内に設置している温度計は7度で、息を吐くと白くなるほどで、この旅で一番寒い。

昨夜は余りの寒さで、使用せずに積んでいた使い捨てカイロを何個も使ったほど。それでも寒くて、持ってきた服を重ね着して寝ましたが、何度も目が覚めました。
もう、今年の旅の終わりだ‼️と思い朝早くに青函フェリーに電話して、予約変更してもらい、今日の午後6時の便で帰宅することにしました。よって、これが今回の旅の最終回となります。

まずは、1枚目。宿泊したキャンプ場に近いところにある川倉の賽の河原 地蔵堂。
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ここは、亡くなった人を葬る場ですが、例えば子供さんがなくなった場合、せめて我が子が結婚して欲しい!と願うのは親としては当たり前ですね。そんな心境を、このお堂は極楽で結婚を叶えてくれるのです。
それで、架空の花嫁さん、女性の場合は花婿さんを作り人形の形で納めているのです。
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亡くなった方のお地蔵さんがたくさん置かれています。遺族の方は、ほとんどが津軽の人ですが、寒いからと服を、足が冷たかろうと靴を持ってきて、地蔵堂に置いていきます。
ちょっと、怖かったけど写真に撮りました。係の人がいて話を伺うことが出来ました。
ここはイタコが来て、亡くなった人の口寄せをするといいます。
例えば、津波で亡くなった岩手県の親御さんが、子供の声を聞きたい、と。イタコは
子供の声を口にして親御さんに聞かせるのです。
津軽は、イタコがあちこちのお堂で聞けるのです。決して、恐山だけではないのですね。
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金木と云えば、太宰治の斜陽館。ここは2度見学しているのでスルーしました。
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金木と云えば、太宰治ですよね。
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寒いけど、十三湖へ。シジミの産地ですね。北の十三湖、西の宍道湖です、シジミの産地は。
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十三湖のほとりにも地蔵堂がありました。
亡くなった人の霊を、慰めるのは生きている者の務め、というのが津軽の人たちの考えなのか、あちこちにこのような地蔵堂があって、お地蔵さんが並べられているのです。
あの世とこの世を結ぶのが地蔵堂で祈ること、だそうです。
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道の駅の展望台から十三湖と岩木山。岩木山がはっきり見えました。
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中世の津軽の支配者だった安藤氏は、十三湖を中心に拠点を構えます。その一つだった福島城跡。
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資料館へ行き学習しようと、まずは十三湖の中にある中島へ歩いて行きます。この橋を渡ります。
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木造の橋で、風が強く帽子が飛ばされそうになります。十三湖は水深が低く汽水湖だからシジミが採れるのでしょうね。
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中島にも深い歴史があります。
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午後は、つがる市の木造(きづくり)へ。
昔、木造町を「もくぞう」と読むのかな?と思っていたけど、夏の甲子園に木造高校が出場して「きづくり」と読むんだ、と。
ここの名物は、何といっても「遮光器土偶」。日本史の教科書にも登場する縄文時代の土偶ですね。
ここで出土したので、つがる市となった現在、市の資料館へ行って見たかったのです。
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今日は、2ヶ所の資料館で学習の時間が多いですね。寒いから外を歩くのを避けたいのと、建物の中は暖房が入っているから暖かいのです。
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縄文人たちが生活しています。彼らの音声が聞けるのですが、今の日本語ではない。もしかして、津軽弁のルーツ?
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駅も土偶です。
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ということで、青森湖へ行く途中は土砂降りの雨。それでも、青森港フェリー乗り場に到着したら雨は上がりました。

13日間で3000Kmの旅、これにて終了です。
では、また!

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