10月31日土曜日、天気は1日中晴れの、気温もウォーキングするのは最適な温度で、最後の秋晴れの日か?と思わせるくらいの良い天気でした。
さて、横手市増田の町屋ですが、下の写真を見てお分かりのように、街道に面したお店は間口こそ狭いが奥行きが長い、ウナギの寝床のような家がほとんどです。中には、奥行きが100m以上もあったりで、その中に蔵があるのだから驚きです。

ここは蔵の駅になっている旧石平金物店。増田観光物産センターになっていて、若い係の人たちが何人もいて丁寧に説明してくれます。入場は無料。中には300円ほど入場料を取るところもありますが。

それが、ここ。入場料300円でしたが、見ごたえたっぷりの佐藤家住宅で、現在も居住していて、住まわれている方は何と!12代目で、史料では江戸時代中頃の1752年には、現在地に居住。
明治25年(1892年)ごろには荒物商を営んでいたほか、味噌・醤油も販売、増田のナンバーワンの販売高だったそうな。
3年後の1895年には増田銀行創設、これがのちの北都銀行へとなっていきます。

奥行きが長いことがこれで証明されますね。ずーっと奥まで続いています。

その中に蔵があるのです。

蔵の内部は資料館になっていて、増田の繁栄していた時、どれだけすごかったかが理解できます。

庭の木々を見たら、柿が実っていました。まだ、青っぽかったけど、真っ赤になったころは美味しそう。

近くには、増田城跡もあって、室町時代の2代目将軍足利義詮の時代に築城されています。

でも、今は増田小学校のグランドになっていて、訪れた時は運動会の準備中で児童たちがトレーニングのさ中でした。全校児童が整列して校長先生のあいさつ、その後はランニングでとても周囲を見学することは出来ず。遠くからパチリがせいぜいでした。

その後は、県道57号線を西へ。羽後町日本語晴れ入り、由利本荘市へ行く途中で見かけた西馬音内城址。何と読むのでしょうか?説明板にはフリガナなし。そこで調べると(こんな時にスマホがあると便利!すぐに検索しました。)「にしもないじょう」と読むのです。
西馬音で「にしも」とは!とても読めない!もしかしてアイヌ語かも?

城よりも興味を引いたのが、これ。羽後交通の列車が保存されていて、建物の外から見ることが出来ました。

ただ、中に入ることは出来ず。鍵がかかっていて外からのみ。
カメラに収めようとしても、ガラスに反射して写りが悪く撮影できずです。

しばらく走っていくと、「鈴木家住宅」の看板があり、脇道して寄ると。国指定の重要文化財だとか。

そして、鈴木姓の発祥の地とか。日本で一番多い名字の鈴木さんはここが始まり?それとも東北ではここからスタートしたとか?

それにしても、すごい茅葺屋根の大きな家で、江戸時代は豪農だったのでしょうか?

良ーく観察すると、今でも生活していて、鈴木さんはお住まいなのでした。

庭には、「日本1太い〇〇の木」があって、何の木だったかは、忘れました。
ということで、秋田県の観光地じゃない地方を走ると、思わぬ発見もあって面白い!
次回は由利本荘市の城跡へ行きます。
では、また!
さて、横手市増田の町屋ですが、下の写真を見てお分かりのように、街道に面したお店は間口こそ狭いが奥行きが長い、ウナギの寝床のような家がほとんどです。中には、奥行きが100m以上もあったりで、その中に蔵があるのだから驚きです。

ここは蔵の駅になっている旧石平金物店。増田観光物産センターになっていて、若い係の人たちが何人もいて丁寧に説明してくれます。入場は無料。中には300円ほど入場料を取るところもありますが。

それが、ここ。入場料300円でしたが、見ごたえたっぷりの佐藤家住宅で、現在も居住していて、住まわれている方は何と!12代目で、史料では江戸時代中頃の1752年には、現在地に居住。
明治25年(1892年)ごろには荒物商を営んでいたほか、味噌・醤油も販売、増田のナンバーワンの販売高だったそうな。
3年後の1895年には増田銀行創設、これがのちの北都銀行へとなっていきます。

奥行きが長いことがこれで証明されますね。ずーっと奥まで続いています。

その中に蔵があるのです。

蔵の内部は資料館になっていて、増田の繁栄していた時、どれだけすごかったかが理解できます。

庭の木々を見たら、柿が実っていました。まだ、青っぽかったけど、真っ赤になったころは美味しそう。

近くには、増田城跡もあって、室町時代の2代目将軍足利義詮の時代に築城されています。

でも、今は増田小学校のグランドになっていて、訪れた時は運動会の準備中で児童たちがトレーニングのさ中でした。全校児童が整列して校長先生のあいさつ、その後はランニングでとても周囲を見学することは出来ず。遠くからパチリがせいぜいでした。

その後は、県道57号線を西へ。羽後町日本語晴れ入り、由利本荘市へ行く途中で見かけた西馬音内城址。何と読むのでしょうか?説明板にはフリガナなし。そこで調べると(こんな時にスマホがあると便利!すぐに検索しました。)「にしもないじょう」と読むのです。
西馬音で「にしも」とは!とても読めない!もしかしてアイヌ語かも?

城よりも興味を引いたのが、これ。羽後交通の列車が保存されていて、建物の外から見ることが出来ました。

ただ、中に入ることは出来ず。鍵がかかっていて外からのみ。
カメラに収めようとしても、ガラスに反射して写りが悪く撮影できずです。

しばらく走っていくと、「鈴木家住宅」の看板があり、脇道して寄ると。国指定の重要文化財だとか。

そして、鈴木姓の発祥の地とか。日本で一番多い名字の鈴木さんはここが始まり?それとも東北ではここからスタートしたとか?

それにしても、すごい茅葺屋根の大きな家で、江戸時代は豪農だったのでしょうか?

良ーく観察すると、今でも生活していて、鈴木さんはお住まいなのでした。

庭には、「日本1太い〇〇の木」があって、何の木だったかは、忘れました。
ということで、秋田県の観光地じゃない地方を走ると、思わぬ発見もあって面白い!
次回は由利本荘市の城跡へ行きます。
では、また!









































































































































































































































