函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めた車中泊中心の「ぼうけんの旅」は今年で13 年目に突入。 車中泊の貧乏旅行の旅、今年で74歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 今年2026年も「ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです! 今年も「ぼうけんの旅」をよろしくお願いいたします。

2026年が明け今年は74歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!時々は自転車を積んでの軽バン一人旅の始まりです。

2021年03月

3月31日水曜日、天気は快晴に近い晴天で気温も15度以上に上昇し、上着なしでも歩くけるほどの暖かさ。でも、黄砂のせいで視界が悪く、遠方はかすんで見える日でした。
そんな3月の最終日、市内はすっかりと雪が解けていて、自分のマイカーも冬タイヤから夏タイヤへチェンジし、服装も春めいたファッションで、もう一度西部地区のやり残した場所へと出かけたのでした。
まずは、市電終点の弁天町にある「函館どつく前」から函館湾側へ歩くと。以前紹介した水色の3階建て歴史的木造建築物のとなりに、黒色の古民家があるのに気付いたのです。しかも、玄関には杉玉もある歴史的建造物です。奥行きも結構ありますね。
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この道を歩く、さらに水色の倉庫が。倉庫には名前も書かれています。ここはレンガ造りではなく、トタンで壁が覆われていますが、元々はレンガだったのでは?と思われる倉庫です。なぜか、となりのマンションとは対照的。
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実は、今回の最大の目的はここ。1階は和風、2回は洋風の和洋折衷の建物。名は野口商店といいます。
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横を見ると、白い下見板張りの壁。住民用の玄関もありますね。
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逆側の横から。
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3月27日の夜11時から地上波NHKで放送された「函館でまわりみちを」の舞台がここなのです。
ここは、若者たちのシェアハウス「わらじ荘」です。主人公は、今年函館の大学を卒業した女性(23才)で、在学中から西部地区に残っている古民家をリノベーションし、若者たちの住処にして数々の発信をしている金沢出身のパワフルでエネルギッシュな人。
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テレビは40分番組で、卒業して大企業に勤めるより好きなことをして生きたい!人、カメラが大好きで函館の絶景を撮影している人、ギター片手に歌で人生を表現した人など、様々な若者が紹介されていました。
型にはまらず、人生を好きなように生きたい姿勢が若者から発信されていて、取材した札幌の瀬田アナウンサーも肩肘張らずにソフトに対応して、とても素晴らしい番組でした。
となりには、蔵もありましたよ。レンガやモルタルではなく、珍しく木造の壁。
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わらじ荘の奥には、ギター青年がスタジオにしようとした蔵。大音響でも近所に迷惑は掛からないし、それに蔵の室内の音響効果は抜群じゃないでしょうか?
手前の小舟が、またいい味を出していますね。でも、どうしてここに舟があるのでしょうね?
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ぐるーっと一周してまた先ほどの青い壁の倉庫へ。となりは小公園になっていますね。
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周辺を歩くと、何とイギリス積みの煉瓦壁の民家があって、ビックリ!築何年だろう?
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そして、わらじ荘に次いで2軒目のシェアハウス。ここも和洋折衷の建物ですね。
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ここは幸坂。ずーっと上は、以前紹介した山上大神宮。その少し下には旧ロシア領事館もありました。
船見公園は、廃校となった常盤小学校跡地。
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ちょうど角地にあり、ここの管理人はギター青年でした。彼は函館のNPOのような組織で今年から働き始めていて、函館に根を下ろして住み続けるようです。五稜郭の19建ての商業施設シエスタで、路上ギターをして投げ銭を稼いだりしていたけど、大丈夫!若者は独り立ち出来そう!
そんな、若者が函館で遠回りして生きていければうれしいです。
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大学→大企業→結婚→家族を持って、といったレールを敷いたような人生よりも、わらじ荘にあった「まわり道」の人生の方が生きている!と実感させる道の気がします。応援したくなる若者たちです。
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リノベーションも若者たちが自分たちで作っていて好感が持てたし、地域住民も協力的で、ここを貸してくれた高齢者の方、おにぎりを20個も差し入れしてくれたおばさん、数少ないけど子供たちが寄り付いたり、実に感動的な番組でした。

となりは、ライダーハウスの「ミートハウス」。毎年夏になると若者、最近は中年もオートバイや自転車に乗った旅人が相部屋で寝泊まりする格安の宿です。
毎年8月の港まつりは、みんなで踊りに加わっていましたが、昨年はコロナで祭り自体が中止でしたし、今年もあるのかどうか?
でも、緑の島から上がる花火大会は、ここで見れたら最高でしょうね。
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ということで、明日から4月です。
コロナは収まるどころか、大都市圏ではどんどん増加傾向にありますね。幸い、函館は毎日のように感染者は出ていますが、それもせいぜい2人とか4人程度で、クラスターはありません。市内では観光客もボチボチ見られるようになってきて、それまたチョット心配でもありますが。
いつになったらワクチン打てるのか?は全然不明とのこと。病院でも分からない、ということでワクチンを打ってから春の旅に出たい!と思っていただけに、ワクチンも旅も何時になることやら?

もちろん、密にならずに生活し、マスク着用、手洗い励行は当たり前。宴会などはしばらくご無沙汰です。皆さんも十分気を付けてお過ごし下さい。

先週で、総訪問者数が25万人を越えました❗7年かかってですが、それでもうれしい😆⤴️💓です。
では、また!

3月29日月曜日、天気は曇りのち晴れで気温は14度近くまで上昇し、とても暖かい日でした。
2月下旬に函館山登山した記録は、今日で一応終了です。最後までお読みいただきありがとうございます。もう撮影した写真は残ってなく、明日からはblogどうしようかな?と思案中です。
まぁ、函館にはもっと観光資源があるし、西部地区だけではなくそれ以外にも紹介できる場所がたくさんあるので、自分が実際に訪れて写真撮影してblogにアップすればいいのです。
ですので、近々58~が完成できると思います。4月から、気長にお待ちくださいね。

さて、七曲りコースの終点は千畳敷広場で、トイレも休憩場もありましたね。そこから撮影した市街地です。左の潮見山の尾根が邪魔して函館湾が見えませんが、津軽海峡側はハッキリと見えています。
函館の地形は陸繋島で、数千年前に、漂砂現象で島だった函館山と陸地がつながった地形です。
くびれた場所はわずかに1kmもない細いところで、市街地は扇形に広がっています。両側が海であることが絶景で、特に夜景は世界三大夜景に数えられるほど。
それは、この陸繋島の地形である函館だからこそ成しえるからだと、自信を持って断言できます。
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下山するために尾根上を歩いていくと、お地蔵さんがあります。いわゆる函館山三十三観音で、ここはその第九番。1から33までしっかりとそろっていますので、これもそのうち紹介したいな!と思っています。
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もう一度昼の函館山からの景色。遠くの山の稜線がクッキリと見えていませんね。時間帯にもよるけど、日の出前の早朝、いわゆるモルゲンロートの時間帯だと美しいのですが、それを撮影するには夜に登山して朝を迎えなきゃいけないので、ちょっときつい。
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ズームして見ましょう。青柳中学校の校舎とグランドが見えますね。
実は、このグランドは太平洋戦争直前、市民野球場(1940年8月1日完成)と云われていて、プロ野球(1941年6月11日、阪神8-7巨人)も行われています。
戦前は、日米野球が函館で行われた(1934年11月8日)のですから、当時の函館は人口も多く、それだけ観客も集まったのでしょうね。
日米野球に関しては何度も紹介していますが、ジャイアンツの沢村栄治投手やスタルヒン投手、さらには函館オーシャンの久慈次郎捕手、アメリカ側ではベーブルース選手やルーゲーリックらが参加しているから、すごい顔ぶれだということが分かりますね。

戦後も、1948年8月に公式戦が開催され、7日はタイガース4-3金星、8日はタイガース0-8巨人。
1950年7月4日は、タイガース3-5中日、だったそうです。
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帰りの道をたどると、正面右側にテレビ塔がいくつかある山頂が見えますね。
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途中、函館山散策コース案内図がありました。この図で見ると左側の登山道(青色)を登って尾根道に出て、尾根沿い(赤色)に右へ歩いている途中です。現在地が今の場所です。この後は黄色のコースをたどって下山します。
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私が登ってきた道が分かりますね。下の市街地から登って電波塔のある尾根に、そこから尾根沿いにトラバースしてきたのです。
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市街地の南側、津軽海峡側が見えますね。漁港は、住吉漁港。湾曲している海岸は石川啄木の詩にある大森浜です。
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第八番のお地蔵さんを拝んで、無事下山できますよう!と。
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途中、何人かの登山者に出会い、中には女子大生二人組に出会って挨拶を交わしたり。女子大生が汗を流して登山するなんて、珍しいですね。それとも登山女子は流行りなのかな?
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帰りは、こんな尾根道。
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険しくはないけど、両側が崖になっています。もちろん、道を踏み外すことなどないけど、斜度は40度くらいはありそうかな?
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段々と下山するにつれて市街地が大きくなり、車の排気音や市電の音が聞こえてくるようになります。
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で、護国神社の境内へ。この朱色の大きな鳥居の前へ下山して無事終了。
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鳥居の前は護国神社坂です。ここを降りると、高田屋嘉兵衛の像がありましたね。
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ということで、この回終了です。この回というのは、西部地区の紹介ですが、それでも紹介漏れのところもいくつかあるので、それはまたそのうちに。
少し休んで、また市内の隠れ家的存在の場所を紹介していきます。

早く、コロナのワクチンを打ちたいのですが、どうやら5月を過ぎそうですね。65歳以上の高齢者は優先的に打てれる、ということですがいつ?どこで?もわからず知らされてもなく、まして函館にワクチンが届いているのかすら不明ですからね。
もっとも、ワクチン打ったとしてもマスクは着用しなくてはいけないし、密になる行動は避けるのは当然で、今までと同様の生活を余儀なくされるから何も変わらないけど、それでもワクチンは打った方が良い!と思いますが・・・。

では、また!

3月27日土曜日、天気は晴れで暖かい日でした。今日は午前中は畑仕事で、ジャガイモの種芋を植える作業。ホームセンターで種芋「キタアカリ」5㎏を購入し、大きいのは半分に切り、しばらく天日に当てて乾燥すること1週間、暖かい今日植えることにしたわけです。
畑は電気耕運機で2回耕していて、ジャガイモ以外の場所には酸性土壌を中和するために、石灰を散布。牛糞も撒いて肥料たっぷりだから、今年も豊作を祈って農作業したわけです。
まだ春の旅に出れないので、当分の間は慣れない素人の農作業です。まぁ、腰を痛めないように腰痛ベルトをしてのんびりと畑仕事をすることにします。

さて、函館山登山の七曲りコース。登り口は立待岬の近くで、まだ車の通行止めが続く道路から登山開始。ここが入口です。
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2月下旬は、まだ山には雪が残っていて登山道はご覧のあり様。それでも、市民の散歩コースとあってか登山者の踏み分けがあるから楽に歩けます。冬は登山靴ではなく、長くつが一番いいですね。それも、北海道仕様の靴の底がギザギザ模様の滑り止めタイプがグッド!
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周りを見ると、真っ白い雪の原。空は乾いた透き通った青空。
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向こうに地蔵山が見えていますね。ほぼ同じ高さで、標高100ⅿくらいか?
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雪原に、野生動物の糞発見!何だろう?大きさからいって鳥ではないし、函館山にはヒグマはいないし、エゾシカもしない。いるとしたら、キタキツネ、タヌキ、犬?猫?これって、キタキツネかな?しばらく時間が経っていて、糞が乾燥していますよ。
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南斜面は雪が解けてが見えだしています。今は、ここに福寿草フキノトウが出ているはず。そして、4月になると野の花が一斉に咲き始めるのです。その時は、また登山して写真に撮って紹介しますね。
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市街地が見えて、遠くから市電の通行する音が聞こえます。そして陸繋島らしく一番細い部分、両側の海が見えますね。左は函館港で、右側は津軽海峡に面する大森浜。その間は1㎞もありません。1キロ通りなんていうストリートもあるくらいですから。
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先ほどの地蔵山が眼下に見えます。山頂には旧日本軍の砲台跡があります。今は立ち入り禁止になっていますが、20年以上前に訪れた時は、その砲台跡を隈なく探索したことがありました。
市街地に続く陸地は、旧戸井町方面に伸びる亀田半島で、最南端は汐首岬。下北半島の本州最北端の町である大間町との距離は、わずか17㎞。本州・北海道架橋の夢物語もかつてありましたが・・・。
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砲台跡をズーム。石垣があるのが分かりますね。日露戦争(1904~1905)時、津軽海峡を通るロシア海軍の軍艦を狙ったらしいけど届かなかったみたいだし、太平洋戦争(1941~1945)時にアメリカ軍の飛行機を撃つためにも設置されたようだけど、使用されることがなかったみたい。終戦間近の1945年(昭和20年)7月14日と15日に米軍機の空襲があったけど、まったく役に立たなかったようです。
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七曲りといっても、7つだけではなく30か所以上ものカーブがある九十九(つづら)折りの道です。99はないけど、かなりのコーナーがある登山道です。
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ということで、千畳敷休憩場に到着。時間は1時間はかからなかった、と思いますが。
市街地がきれいに見えていますね。
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中央の高い山が御殿山で、函館山山頂(334ⅿ)です。山頂にはテレビ塔などがあって、もともとは、もっと高く340ⅿ以上はあったとか。確か8ⅿほど削って平らにして塔やゴンドラの基地を造ったそうです。
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雪が積もった丘の上が千畳敷で、名前の通り1000もの畳を敷いたくらいの広さの緩やかな斜面で、戦後30年代まではスキー場になっていたとか。「若いころに滑った。」と母(御年95才)が昔話していました。もちろん、リフトのない時代でここまで担いできて、降りたら歩いて上るという繰り返しです。
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ここは広場になっていて、トイレもありますが冬期間は閉鎖。
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その代わり、簡易トイレがあります。
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屋根付きの東屋もあって、隣には水道もあるから夏場だったらここで寝ることも可能です。広場は芝生だからキャンプも出来そう。テントを張れば一晩過ごせそう。でも、函館山でのキャンプは禁止でしょうか?ダメかも?
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ということで、2月下旬に登山した函館山でした。
昨日、紹介した道南リングのプロレスラーカツオ選手によるクラウドファンディング(目標金額200万円)は、募集締め切りまで残り30日で、現在の支援総額149万2500円。支援者数は118人。(3月27日午後8時44分現在で)
4月下旬まで続けますので、残り50万円ほど集まれば良いのですが。読者の皆様のご協力をお願いいたします。

https://camp-fire.jp/profile/katsuo1985

3月26日金曜日、天気は晴れで気持ちの良い春の日差しがそそぐ暖かい日でした。

さて、昨日のblogでも紹介しましたが、私の次男でプロレスラーのカツオが道南リングを立ち上げて5年。2019年は道南の小さな町村でプロレスを行い地域を元気にしてきましたが、昨年からコロナのせいで全く行うことが出来ず、ピンチに陥っています。

そこで、クラウドファンディングを行い、資金を集めよう!と。
詳しくは、下記をクリックすると出てきて、さらにクリックをして現在の集まった金額が分かるようになっています。

https://camp-fire.jp/profile/katsuo1985

カツオの写真と、その下に「プロジェクトオーナー」の場所があって、そこをクリックすると
道南のプロレスの灯を消したくない!」
があって、そこを押すと今の状況が分かります。


目標金額200万円のところ、スタートして3日目で70%の140万円を突破。でも、スタート直後は良いけど、その後は中だるみするとか。

そこで、読者の皆様にご協力をお願いする次第です。
最低は、子供用の500円から。大人用には3000円からあり、5000円、1万円、5万円、企業向け広告の10万円、30万円、50万円とあります。
見返りには、カツオ選手のTシャツ👕や最前列のチケット、トートバックなどいろいろ。
是非、道南リングのHPをご覧になってクラウドファンディングにご協力いただけますよう!よろしくお願いいたします。

3月25日木曜日、天気は曇りですが気温は14度まで上昇し、暖かい日です。
今日は、下の写真「碧血碑」から。碧血とはみどり色の血で、熱血誠忠の士が流す血で、忠誠心の極まるところという意味。古代中国の周のある士が君主をいさめるために自殺したところ、その血が塊り碧玉になったという故事から来ている言葉です。
つまり、忠義を貫いて死んだ者の流した血は、3年経てば地中で宝石の碧玉と化す、という伝説から来ていますね。
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箱館戦争で戦死した土方歳三たち旧幕府軍の戦死者(約800名)は、戦闘終結後しばらくは埋葬されずに市街地に腐敗するまま放置されていたのです。もっとも、土方の遺体は発見されていませんが。
哀れに感じた市内の任侠である柳川熊吉は遺体を回収して埋葬したのでした。
この碑は、明治になって8年後の1875年、箱館戦争終結後6年、生き残った旧幕府軍の榎本武揚大鳥圭介らの協賛を得て、伊豆の石材を運んできた建てたものです。
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こんな2月(撮影したのは2月末)の寒い時期でも、訪れる人は絶えず千羽鶴や花が添えられているのです。
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土方が亡くなったのは、市内中心部の若松町で、そこには「土方歳三最期の地碑」があります。(駅から歩いて5分~10分ほどの場所にある函館市総合福祉センターの敷地内。)ただ、先ほども書いたように、戦闘後の遺体はないのです。仲間うちで遺体を回収して敵側に取られないようにしたのでしょうね。きっと、市内のどこかに埋められているはずです。
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ボロボロになった碑も。何が書かれているのかは分ほど不明です。
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明治八年三月の文字が左側にあります。
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宮田登輔でしょうか?それらしき文字が見えています。多分、800名の仲間の一人だったのでしょうね。
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敷地内には、榎本武揚を紹介するモニュメントが。彼は何といっても、選挙で選ばれた「蝦夷共和国」の総裁。いわば、明治政府と独立した北海道の独立国だったのですから。そして、日本初の選挙が行われたし、その共和国の大統領だったのです。(ただし、女性には選挙権はなかったし、当時の箱館の住民に選挙権があったのか?といったら疑問符ですけどね。)云わば身内で選んだ大統領。
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歴史に「もし?」はないのですが、もし開陽丸が沈まなかったら?もしフランスが蝦夷共和国に協力していたら?とかいろいろありますが、いずれにしても幻のえぞ共和国に終わったのです。
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こちらは、柳川熊吉の碑です。
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五稜郭築城の請負業とあるから、今でいう土建屋さん?市内では任侠だったそうで、暴力団?それとも反社会的勢力だったのでしょうか?
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花が添えられていますね。でも、良いことをしたのです。
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花を持って訪れる人がいるのです。以前の来た時(夏の盛り)は、やはり東京から来た女性がいて、
ここまでの道を教えたことがあります。土方歳三のファンが多いのですね。イケメンはうらやましい!
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旧谷地頭小学校跡地に建てられた「ふるる函館青少年宿泊研修センター」で、建物は以前の建物そっくりに造り替えられています。
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市内の小学生・中学生・高校生が合宿して研修をするための施設で、格安の値段で宿泊できるのです。
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車は冬期間通行禁止の道路を一人歩いて・・・。
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ズームしたら、函館公園内の旧図書館が見えました。
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こちらは五稜郭タワー。
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塹壕跡もあります。戦前は市民立ち入り禁止の山だったのです。
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次回は、この後に函館山の南側から登山するルート七曲がりコースをたどって山頂まで行きます。

さて、私の次男のプロレスラーカツオ選手が、道南リングを立ち上げたのが3年前。2019年は順調に道南各地を興行していったのですが、昨年からのコロナによって、財政的のも困難になりました。
そこで、彼はクラウドファンディングを思いつきました。下記をクリックして下さい❗
https://camp-fire.jp/profile/katsuo1985
検索すれば、彼の思いとそのクラウドファンディングの方法などが出ていますので、是非検索していただければ嬉しいです。
道南地方にお住いの皆さんは、今年リングに立つカツオと会うことが出来ますように!と祈ります。
では、また!

3月23日火曜日、天気は晴れで暖かい日です。最高気温は10度まで上昇していて、洗濯ものを外に干すには最高の天気だったのでは?でも、3時を過ぎたらさすがに冷えてきましたね。
もう、春分の日を過ぎたので朝6時には太陽がサンサンと輝いていて、日が沈むのも遅くなりました。
朝は5時でも明るくなってきていて、やっぱり春分の日を境に日差しが違うなぁ~!というのが北国に住む者の実感です。そろそろ南の国に旅たちたいな!と思いますが、宮城県がコロナ感染者増で心配になってきました。
春の旅は、東北を予定していただけに、宮城・山形が警報を鳴らしていれば通過するのも気を使います。何とか、4月末までには収まってもらいたいが、どうなることやら?

さて、ここは函館八幡宮の本殿。前回紹介した「大正式八幡造り」の建物だそうです。
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大正式というくらいだから、建築は1913年(大正2年)で、完成は大正7年だから1920年。100年を超える建築物です。もっとも、本州では100年なんてまだ若い!200年、300年、数百年超えの建物だってざらですからね。そこが、北海道と本州の違いでもありますね。右の狛犬。
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こちら左の狛犬。
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右の狛犬の奥には神輿を収納する建物があります。以前、開放していた時に見せてもらいました。
神輿の巡幸は2年に1度で、写真を見ると、あの108段の階段を神輿を担いで登る勇壮な祭りになっています。
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バックには函館山があって、暖かくなると山鳥たちが鳴くから、自然豊かな場所だということが分かりますね。
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写真を撮影したときは2月だったので、多分お正月の初詣に来た時に絵馬を吊るしたのか?多くの絵馬がありました。
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こちらの社務所で購入して絵馬を吊るすのでしょうね。ほとんどは合格祈願でした。
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こちらはおみくじ。
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となりには、稲荷神社が。赤い鳥居と赤い本殿。赤というよりは朱色と云った方が正確ですね。
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そして境内はバートサンクチャリになっていて、まさに野鳥の森です。
4月になれば、双眼鏡片手に鳥たちを追う野鳥好きの人たちもトレッキングすることでしょう。
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しばらく歩くと、妙心寺というお寺。日蓮宗の寺です。
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だから、この方は日蓮上人?日蓮と云えば佐渡を旅した時に、日蓮が島流しにあっていたことを思い出します。佐渡は多くの流人がいて、歴史上の大人物もいたのです。詳しくは、2018年のblogを見ていただければうれしいです。佐渡の旅は6日間で、すべて晴天。しかも、車中泊はどこでも出来て、トイレもあって、旅人の聖地みたいな島でした。佐渡はもう一度行きたい!
ちょっと残念なのは温泉が少なかったこと。もっと東北のように各地にあれば良いのにな!と思った次第です。
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お地蔵さんたちも毛糸の帽子を被って寒さ除け?
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で、次回はこの上に行くと土方ファンが聖地と崇める碑があるのです。
土方(ひじかた)と云えば、土方歳三!全国に多くのファンがいますね。亡くなってすでに152年も過ぎたのに、今も彼を慕う、特に女性のファンが函館を訪れています。
何といってもイケメンですからね。新選組の総長の近藤勇は、どちらかというとブサイクに近いけど、土方は写真写りが良いのか?もともと整った顔立ちなのか?どちらにしても数少ない生前の顔は凛々しく、かつ若くして亡くなっているから、なおさら女性ファンにはモテるのでしょうね。

では、また!

3月21日日曜日、天気は朝から雨でこれから激しくなるとの予報。外には雪はないけど、気温も寒く暖房を入れています。
さて、青柳町の青柳坂で、一応函館山山麓の西部地区の坂をすべて紹介しましたが、それ以外にも坂がないわけでなく、青柳坂よりもさらに南側へと歩いて行き名もなき坂をお伝えしたいと思います。
まずは、青柳坂の上にある青柳中学校から。以前の名前は潮見中学校。それが西中学校が閉校したために、西部地区で唯一の中学になったことから校名変更へ。それで、潮見から青柳へとなったわけです。
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別に校名変更しなくてもいいんじゃないか、とも思うのですが。
なお、私が歩いた日は2月下旬のある晴れた日で、雪も結構残っていました。現在は、市内には全くと言っていいほど雪はありませんが、この時はまだ残っていました。
中学から歩いて数分、眼下には谷地頭グランドが見えてきました。広大なグランドで、野球場に使用されていましたが、野球をする子供もいなくなって、今はただの原っぱになっていますね。
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函館山は護国神社のある場所を境に、こちら側は南側になっています。つまり、護国神社周辺が北西側の尾根があって、それより南側は谷側となっているわけです。PCのblogの表紙の写真を見れば分かると思いますが。
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右側が尾根部分。坂(名前がないが、函館公園に沿っているので、仮の名を函館公園坂とします。)を下りていくと、函館八幡宮に着きます。
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以前、日本1の坂「八幡坂」を紹介しましたが、それは江戸時代の1804年に八幡宮があったから。
もっとも、初めは室町時代初期の1445年に、箱館に館を築いた河野政通(こうのまさみち)が、八幡宮を館(基坂)の東南隅に祀ったの始まり。
その後は、アイヌ人の蜂起により移転したりしたが、大火によって1880年(明治13年)にこの地へ。あとから紹介しますが、本殿は1915年(大正4年)に完成した大正式八幡造りと呼ばれる優雅で壮麗な建物です。
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ここから市電の終点「谷地頭」まで続く坂。名前はないけど、「八幡宮坂」とでもしますか?
左に先ほど紹介した谷地頭グランド、距離にして300mほどで市電電停に到着します。
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階段を上って行くと、左側にある建物が。
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八幡宮研修道場で、剣道や居合道を教える神威館という道場です。
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立派な建物で、中に道場があるのでしょう。剣道という競技は、勝っても負けても声を出してはいけない競技なんですね。戦っているときは声を出しても、勝利したときにガッツポーズを取って、「やったぜぇー!」なって声を出したら負けになるとか、そんなことを聞きましたけど。確か、弓道もそうですね。日本古来からの武術(欧米生まれのスポーツじゃない?)は礼を重んじるから?
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階段の途中で、神職の方が榊の葉っぱを採っていました。青い裃が見えるでしょう。長い棒の先にははさみが付いていて、それで榊の枝を採って葉っぱを神事に使うのでしょう。
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上った段数は108段。これって、大晦日の除夜の鐘と同じ数。死(4)と苦(9)現在・過去・未来の3つの世界をかける。4×9×3=108ですからね。
でも、ここは神社。でも、仏教と共通するものがあるのでしょうね。
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この石は御神石?
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こちらは御神木。
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池もあって、こちらの名は「勾玉(まがたま)の池」。北海道では珍しい絶滅危惧種のエゾヒキガエルの産卵場所です。周辺には「カエルロード」の名もあって、カエルには気を付けて!ということですね。今は完全に凍結していて、カエルたちは冬眠しているのかな?
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筆塚もありますね。使用した筆を祀っているのでしょう。
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手を洗う、口をすすいで身を清める手水舎てみずや、またはちょうずや)は、完全凍結。ガチガチに凍っていますが、一か所だけ水が流れていますよ。手を洗ったら、冷たくて冷たくて、思わず「しゃっこい!」と函館弁。「すごく冷たい!」という意味です。
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ということで、函館市の超強力パワースポットの函館八幡宮。なぜならば、風水では函館山に集まった気をここですべて受けてパワーを放っているとか。
そして、ここは「開拓」・「航海」・「漁業」守り神とか。次回は、この神社を詳しく見ていきます。
では、また!





3月19日金曜日、天気は晴れのち曇りで、最初は暖かくなりそうで太陽も顔を出していたけど、徐々に雲がかかってきて寒くなった1日でした。
朝9時過ぎの段階では日差しもあって暖かかったので、自転車で千代台のスポーツ施設へと見学がてら出掛けたのですが、さすがに自転車で風を切って走るのはまだ早く、風は冷たかったのでした。

まずは陸上競技場から。収容人数は1万以上で、かつてJリーグのコンサドーレ札幌がプレーしたこともある競技場です。
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函館から2人のオリンピック選手が選出される可能性大です。一人は、走り幅跳びの城山正太郎選手。もう一人は、金井大旺選手。城山くんは函館大学有斗高校→東海大学→ゼンリン所属、金井くんは函館ラサール高校→法政大学→ミズノ所属で、二人とも子供の時からここのスクールで学んでいたのです。
城山くんは走り幅跳びの記録は8m40㎝で、日本新記録ですし、金井君は110mハードル13秒36は、これまた日本新記録なのです。すごーいですね!
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自分のマラソンをやっていた頃は、ここからスタートし、ハーフマラソン(21km)を完走!したこと何回もあります。フルマラソンも走りましたが、ベスト記録はハーフで1時間21分。フル(42km)で3時間24分。ハーフの2倍というわけにはいかないのが、フルマラソンの辛いところです。後半、がくっと落ちるのです。
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隣はプール。手前は25mプールです。勤めていた最後10年間は水泳部の監督で、生徒を連れてよくここへ来ていました。自分の水泳の記録は全然ひどいですが、長ーく泳ぐことはできます。ゆっくりと、2000メートルくらいは何とか泳げますが、最近は行ってないので泳げるかどうか?
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奥の銀色の建物が50mプールです。手前は高齢者用のゲートボール場になったりする多目的広場。奥は閉校した中学校で、その内に何かのスポーツ施設に変わるでしょう。
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そして野球場。通称、オーシャンスタジアム。毎年のように、北海道日本ハムファイターズが公式試合をしていたのですが、昨年と今年はありません。どうして来ないんだろう?
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正式名称は、千代台公園野球場ですね。そういえば、今日から甲子園、春の高校野球がスタート。第1試合で、北海道代表の北海高校が出たけど、延長戦で1-2で敗退してしまいましたね。残念です。
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手前が野球場で、奥が陸上競技場。どちらもオープン前でした。除雪はしているし、これからグランドを整備かな?
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公園の一角に久慈次郎選手(函館オーシャン所属)の像があります。社会人野球で久慈賞というのがありますが、戦前の野球界で、久慈次郎は有名な方。キャッチャーをしていました。
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日本代表にも選ばれ、元ジャイアンツの沢村栄司投手(京都商業高校卒)の球を受けたこともあったのです。
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函館はかつて野球の町でもあったのですが、最近はさっぱりダメですね。甲子園からも20年以上も遠ざかっているし、有力選手は札幌へ行ったり、本州の有力高校へ行ったりで、地元に残らないです。
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足元を見たら、函館市消防本部のマンホール。
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テニスコートもまだオープン前。全部で10面、全天候型のコートがあるのですが、4月から使用できるのしょうね。
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そのとなりは、弓道場。でも、扉は閉まっていますね。ここも4月からオープンかな?
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的はあるのに。
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弓道場のおtなりは青年センターの体育館。今日は金曜日だったけど、卒業した中三や高三の子供たちが来てバスケをやっている声が聞こえてました。
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ということで、市内五稜郭の近くにあるスポーツ施設が集中している千代台へ行ってみましたが、どこも3月いっぱいまでは冬眠中なのですね。
春は、やっぱり4月からか?

我が家の庭には春到来です。福寿草があちこちに咲き始めていて、日毎に成長しています。
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そして、クロッカスも咲いてきました。
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今日は可愛らしい黄色の3輪のクロッカス。
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野外で行うスポーツは、まだ北海道では無理みたいで、使用出来ないみたいです。でも、ランニングしているランナーは結構いるし、これからはスポーツの季節。
いよいよプロ野球の始まるし、サッカーやラグビーは面白くなってきているし、テレビでもバンバン放送していて楽しみです。

では、また!

3月18日木曜日、天気は曇りで肌寒く、冬の戻ったかのようで、一度は仕舞った冬服を戻したほど。
今日は、とても悲しい日でした。実は私の教え子で、プロレス好きなM君が16日に44歳の若さで心筋梗塞のため亡くなり、今日通夜に行ってきたのです。
まだ10歳未満の女の子の子供さんが2人いて、とても可哀想で辛かったです。自分より20年以上も若く亡くなるなんて、なんて神様は非情なんでしょう。彼とはプロレス観戦が共通していて、1.4東京ドームにも行ったくらいで、勤めてからも何度も道南リングのプロレス会場で会っていました。
昨年も6月に教え子が55歳で亡くなっているし、悲しみが絶えませんが、自分はせめて父親の亡くなった79歳を超えてまで生きたいな!と。
でも、65歳の時に一度あの世に行く寸前でしたので(臨死体験もしました。詳しくは2017年7月の手術やその後をblogで発信しています。)、今後の人生は一度失った命、後悔はしないように生きたい‼と心から思って1日1日生きているのです。

さて、本日は銀座周辺、宝来町辺りで旧蓬莱町遊郭の跡はないか?とテーマに散策したことをお伝えします。
まずは、銀座の裏へ行くと質屋さんがありました。
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かなり年季の入った建物です。きっと、ここの質屋に多くの遊女たちが通ったのでは?と勝手に想像しましたが。啄木または奥様の節子さんも来たかな?

東京以北最大の花街だった函館蓬莱町。前回の銀座でも紹介しましたが、ここには料亭、カフェ、映画館、劇場が建ち並び栄華を誇っていた時代があったのです。昭和初期の最盛期には4つの検番に200人の芸者さんたちがいたそうです。
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旧花街で共通することは、必ずと言っていいほど質屋さんがあること。逆に言えば、質屋さんがある場所はかつて花街だったことも?

歩いていたら、日本舞踊の教室もありました。踊りはつきものですから、当然芸者さんたちに踊りを教えていたのでしょう。でも、建物はそう古くはありませんね。どう見ても平成の時代の建築物です。
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裏道に入って歩くと、何やらかなり老朽化した建物が見えました。形からして、相当古い!
そして、門が一般家庭の家とは違いそう。
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函館市史」通説編4によると、終戦後の昭和20年(1945年)10月28日付けの北海道新聞の記事ですが、「新聞の広告欄には占領軍の来函直後から、大森遊郭(現在の松風町)の楼主の他に湯川宝来町の旅館や料理割烹店あるいは個人名で、「接待婦」・「芸子及び接客婦」・「慰安接客婦」を「急募」、または「至急急募」している広告が繰り返し掲載されています。

実は蓬莱町の遊郭は、1908年(明治40年)の大火で函館駅方面の東部にあたる大門遊郭(大森遊郭)へ移転しているのです。東京、吉原にある国内最大級の遊郭は巨大な門がそびえていたことから、大森町の遊郭にも巨大な門を造り、それで大門と呼んだとか。

ということは、ここ蓬莱町の遊郭跡を探すということは、110年以上前の建物が残っていないか?を発見することだから、ほとんど無理に近いことです。

でも、それらしき建物もありました。正面の2階の窓には格子が入っていることに注意!
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この料亭?旅館?それらしき建物のように見えますが・・・。今も営業しているのでしょうか?
となりの家とは、屋根が重なり合っていますよ。今の建築法とは違って、昔は許されたのでしょうか?
左の建物の2階の窓を見てください。
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こちらも、1階と2階の左側の窓。格子が入っていて、まるで刑務所みたいな窓格子はもしかして?遊女たちが逃げないようにしていたのか?などと、よからぬ想像をしてしまいました。
一部アルミの窓もあるけど、大部分は木枠の窓です。断熱材も入っていないような相当古い建築物で、築何年ものなのか?
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電停は「宝来町」電停。やはり、昔から住んでいる方たちは、「蓬莱町」の意味することが嫌いなのか?イメージダウンを恐れて改名したのでしょうか?
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市電通りを歩くと、ここにも立派な蔵があります。
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この建物、ネットで調べたら2003年というから、今から18年前の姿が撮影されて公開されていました。当時も無人でしたが、窓ガラスは割れておらず、ちょっと前まで営業していたかのような建物でした。
ネットでは、「菊水」と書かれた屋号が紹介されていました。
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昭和初期の建築物らしき建物もあって、裏通りに入ると下見板張り、木枠の窓の木造建築物がいまだに残っています。さすがに、市電通りには近代的なホテルや商店がありますが。
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いろいろ歩いて再び銀座へ。左側には銀座の古き良き時代を伝える写真の看板も見えます。
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屋根が崩壊した建物も。これは単なる廃屋でしょうか?
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ということで、蓬莱町遊郭の形跡はほとんど残っておらず。もっとも、110年以上も前のことですから、建物自体が老朽化していて解体されているはず。それでも、それらしき建物もあったような?

次回からは、さらに函館山山麓の南側へ!写真は2月もしくは3月初めですので、まだ雪が残っていたので悪しからず。今は市内にはほとんど雪はありません。というよりは、全くなし!といってもいいでしょうね。
では、また!




3月17日水曜日、天気は朝から雪が降っています。
日曜日は16度まで上昇し、春本番かな?と思わせる好天気だったのに、今日は冬に逆戻りで数日前まで花が咲いていた外は真っ白!
2階から撮影した隣家の屋根と我が家の畑。

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せっかく畑の土起こしをしたのに、また雪原になってしまいガッカリです。もっとも、午後には解けるはずでしょうが、こうやって三寒四温で春に近づいていくのでしょうね。
日曜日の暖かい日には、クロッカスの黄色の花が咲きました。
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となりには福寿草もどんどん咲き始めています。
左側の赤い芽は、夏に大きな花を開くシャクヤク(芍薬)。赤いさきっちょが土の中から出てきています。
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ニュースでは各地から桜の開花の話が出ていますが、こちらでは雪の花がキレイに咲いています!と
かなり自虐的な独り言をつぶやいてストレス発散。
まったく、春の季節、特に桜の話では、南の地方にジェラシーを感じ、北国に住むことに諦観を覚えます。いっその事、冬は南国で過ごし夏は北海道で過ごす!そんな生活を一度はしてみたい!と思うのは北海道に住む人間なら一度は思ったことがあるのではないでしょうか?

さて、今日は昔東京以北最大の銀座!と云われた函館西部地区の十字街地区。ここは、市電通りの十字街電停です。正面左側のガラス張りの建物は、函館市水道局の建物でアクロス十字街
中央奥のレトロな建物は、旧丸井デパートで現在は函館市地域交流まちづくりセンター
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銀座と呼ばれた通りは、市電の通りの1本手前側(函館駅寄り)の道で市電谷地頭線と並行してあります。まずは、その市電通りに面した角の建物から紹介します。現在は「はこだて工芸舎」ですが、元々は食料品・雑貨・酒類などを卸売りする梅津商店の建物。梅津福次郎氏は茨城県常陸太田市の出身で、明治半ばに函館へ来て4度の大火を経験し、4度目の1934年(昭和9年)後の1935年(昭和10年)に、78歳の時に建築した実に築86年目となるレトロな建築物です。
コンクリート製に見えますが、実は木造建築物です。
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梅津氏と云えば、私の母校の函館東高校(現在は市立函館高校)に梅津記念館(?)なる講堂があって、函館の豪商だった梅津氏が寄付したもの、と確か覚えています。間違っていたら御免なさい。
私が在学して時代は1968年で4月~1971年3月までですが、当時の校舎は物資不足の戦中に建築された木造校舎で、かなり古くて1968年5月の函館で震度5を記録した十勝沖地震では、校舎が潰れるのでは?と2階校舎から逃げているときに恐怖を感じたほどでした。現在は、鉄筋コンクリート製の立派な校舎へ生まれ変わっています。
ここには、その梅津氏が昭和初期に建てたものがいまだに残っているのですね。
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通りを歩いて見ましょう。まずは古臭いレトロな3階建ての建築物が目につきます。ほとんどは、昭和9年の大火以降に建てられたものでしょう。
市電でめぐる函館100選」によると、「大正から昭和初期にかけての全盛時代には、北日本最大のカフェ街として名をとどろかせました。通りの両側には、鉄筋コンクリート造り24棟、コンクリートブロック造り19棟、レンガ造り15棟など66棟の耐火建築が並び、当時最先端のビル街でもありました。」

右手の建物は梅津商店の倉庫で、かつては公証役場だったそうです。「大山」の看板は、お酒の名前ですね。
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中央に見えるのは函館のソウルフーズとも云えるラッキーピエロ十字街店。市内に20数店舗を構えるラッキーピエロは、中国人のさんが1987年(昭和62年)に創業。比較的新しい飲食店ですが、今や函館観光に欠かせないほどの人気で、若者はラッピで食べることを目的に札幌から車で飛ばしてくる、そんな人気のお店です。もちろん今や全国的な人気で、一時は函館に進出したマクドナルドが一度は撤退したくらいの人気メニューのハンバーガーを売りにしています。
1987年開業した年に、「ハンバーガー愛好会金賞」を受賞、2009年「日本経済新聞」の日経プラス1何でもランキングでご当地バーガーのNO.1に選ばれています。
ハンバーガーだけではなく、カレーやオムライス、かつ丼、ラーメンなどメニューは豊富でどれもボリューム感があります。お店は各自の店で工夫を凝らしていて、ここはサンタクロースのオンパレード。店内は年中クリスマス一色で、サンタクロースがたくさんいます。
もっとも、建築当時は理容院だったとか。
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そのラッキーピエロ側から向かい側の鉄筋コンクリート造りの旧ホテル「中央荘」を撮影。今は、閉鎖されていますが。実はここ幽霊が出るとの噂の心霊スポットになっている建物です。ネットで偶然発見したのですが、結構有名な建物です。
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その並びにある「函館たばこ会館」と「銀座魚菜市場」。今でも銀座の名前を用いていますね。
たばこ会館の1階には、数年前にピザ屋さんが開店し、人気があってとても美味しい!
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その向かい側で、市電通りに出る脇道の通り。雪や雨を避けるアーケードがありますね。でも、シャッターが下りている店が多い。十一屋は衣料品を販売する店ですが、今は郊外に広い駐車場付きの大型販売店がいくつも出来て、若者は寄らず。この周辺は高齢者だらけだから、購買意欲もなく売り上げは激減しているのでしょうね。となりはかつては本屋さんだったけど、本屋さんは大型店以外はあちこちで閉店していますね。今は本を読むのではなくネットで読むものに変化してきていますからね。退職前でも、生徒からはスマホで読書しています!とよく言われて、すごいショックだったことを覚えています。
本だけではなく新聞・雑誌など紙媒体は、衰退の一途をたどることでしょうね。
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横から見た建物ですが、南面しているにも関わらず窓は全部閉鎖。というより、コンクリートで固めてしまっています。ウッドローズというイギリス風のお店ですが、シャッターが降りていますよ。
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旧町名は恵美須町。銀座と呼ばれた通りには、今は大規模な5階建て眼科専門の病院が建築されていて、周辺には駐車場も完備していて商店街の雰囲気はまったくなし。
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左から大正時代に建てられたカフェ、左の白い建物は蕎麦屋さんの「天満つ」。ともに閉店しています。
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右の宝来パン本店は、老舗のパン屋さん。3回の屋根の装飾がカッコイイ!そのとなりは質店。
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紫色の建物もレトロだけど、左の建物の屋根壁にはこんなマークが。何だろう?
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少し歩いて、美容室が。「美容室あみん」ですが、ここでクイズでしょう。
かつては、ここ何だったでしょうか? 答えは2つ下に書いてあるので、まずは考えて見ましょう。
ヒント~玄関が2つありますね。どうして?
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小野寺住設」とい3階建てモダンなコンクリート造りの建物です。屋上がバルコニーになっていて、展望が良いのでしょうね。夏に函館港で開かれる花火大火では格好の見物場所になりますよ。見物料金を取ってもいい場所です。
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さて、先ほどの美容室は1921年(大正10年)の建築だから、今年でちょうど100年目!
アーチ形の入口が2つあるデザインでお分かりの人もいたでしょう。ここは銭湯の「衛生湯」でした。
参考は、「函館市公式観光情報はこぶら」
こんな素敵な建物が銭湯だったのです。
昔の写真集を見ると、他にも劇場や映画館、さまざまな建築物があって、それは大いに賑わっていた通りだったことが分かります。
銀座の名前に相応しい通りだったのです。かつての栄光ですが・・・。

次回は、蓬莱町遊郭の形跡は少しでもあるのか?残っていたら?と探してみました。
では、また!

3月15日月曜日、天気は晴れで最高気温が16度まで上昇して、とっても暖かい日でした。午前中は畑の土起こしをしましたが、日差しが強くて半袖で十分。体を動かすには、冬服はもう終わりで夏服の用意をしなくちゃんらなくなった気温でした。
夜になっても空は晴れ渡り、午後7時外に出て見たらオリオン座の3つ並んだ星とその外枠の4つの星が、市街地でもクッキリと見えていました。

さて青柳坂を下ることにします。「はこだて歴史散歩」を読めば、ここの坂は「聖天坂(しょうでんさか)」と紹介されていて、またの名を春日坂とも呼ぶと。
それは、青柳小学校の向かい側に天台宗の天祐寺という寺があり、そこに聖天様が祀られているから、だそうです。聖天とは、仏教の守護神

小学校の向かい側に、シャレた建物の青柳町会館がありました。
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なかなかお洒落な木造建築物で素敵です。南側には青柳小学校。1878年(明治11年)の開校で、当初は住吉小学校と呼ばれていたが、翌年の1888年には青柳小学校と校名変更。1934年(昭和9年)の函館大火で焼失し、鉄筋コンクリート校舎へ。
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ネットで拝見すると、素敵でレトロな階段や丸いアート状の廊下など内部を見学したくなります。
でも、訪れた時は授業中でしたので無理。
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詳しく知りたい方は「函館市青柳小学校」で検索すると、出てきます。
3階建てですが、子供の数は少なくまもなく閉校となります。西部地区は弥生小学校1つに統一されるようで、ここのような歴史と伝統ある学校がまた一つ閉校されるのは、寂しい感じがします。
函館市の再編対象校として、弥生小学校と青柳小学校が一つになるとのこと、つまり青柳小学校は閉校になる可能性は非常に高いのです。
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石川啄木が住んでいた当時は、この辺は高級住宅街で裁判官や高級官吏などが住み、ハイカラな町だったそうです。でも、今は超高齢者ばかりの地区で散策してても子供と会うことはありません。
函館の西部地区は、完全に若者には住みづらく昔から住んでいる高齢者だらけの地区になりつつあって、これまた寂しい限りです。
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その斜め向かい側にあるのが天祐寺。
江戸時代末期の1850年に現在の福島県相馬市から、お坊さんが来て聖天様を祀ったのが始まりだそうです。聖天様を調べたら、いろいろ書いてましたよ。
「聖天様は宇宙の最高仏「大日如来」の化身で、あらゆる願いを叶えてくれる神様」とか「象はインドのガネーシャという神様で、日本の名前が聖天様」とか。
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はこぶらデータベース」によれば、ここのお寺は函館山七福神の布袋尊が祀られているとのことで、9月に行われる大根祭りは地域住民の親しまれていろそうです。
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薬師如来のことが書かれていましたが、雪に埋もれていて読めず。
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ガラスケースの中が薬師如来なのか?どうか。寒いからか、赤い帽子を被っていました。
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結局、本堂に入ることもなく帰ることに。門柱を見たら、昭和31年というから1956年のこと、今はなくなった棒二森屋デパートからの寄付で建てられた門柱でした。
このblogでは、何度も登場している戦前までは東京以北最大の百貨店で、その歴史は江戸時代末期の1863年。大分出身の初代渡邉熊四郎が1869年(明治2年)に北海道初の洋品店「金森森屋洋物店」を開いたのが始まりで、1882年(明治15年)に滋賀県出身の荻野儀平が開いた「棒二萩野呉服店」と、1936年(昭和11年)に合併して「棒二森屋」を設立したのでした。
昭和31年、当時は景気が良かったのでしょうね。
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昔の町名は相生町
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ということで、青柳坂降りてきました。上を見ると真っ白な雪で覆われた坂道。裏を振り返れば、市電通りです。
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で、一つ坂を忘れていました。谷地坂です。市電通りを歩いて戻ると「谷地坂」の表示がありました。
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行き当たりまで歩いて上ったが、何もなく空振りでした。ここは短い坂。
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最期に市電通りを坂で歩いていたら、あるお店の前に昭和初期の十字街と銀座通りの写真がありましたので紹介します。レトロな市電が走っていますね。
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お店は、旧渡辺美容室で、創業は1955年(昭和30年)だから、まだ賑わっていたころです。
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銀座は日本国中どこでもあるし、函館でも数か所に〇〇銀座とあるけど、戦前は東京の銀座に見劣りしないほど栄えていたここ銀座、十字街。
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次回は、銀座と呼ばれたここの通りを、その形跡はあるのか?どうか、探してみることにします。
では、また!


3月13日土曜日、天気は晴れで日中はとても暖かい日でしたが、天気予報通りよりから雨。
午前中は、太陽がサンサンと照りつけていたから、今年初めての土起こし。ネットで購入した電動耕運機で畑の土を耕しました。
明日は、石灰を買ってきて畑に撒くつもりです。酸性土壌だから、石灰で中和して弱アルカリにしなくてはいけませんからね。

その作業をする前に、いつものウォーキングで海へ。ここは函館湾の逆側の南に面した大森浜。啄木の詩にも登場する砂浜です。
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函館山もくっきり!山の雪もかなり解けて減りましたね。波も穏やかで、静かに寄せては返すの繰り返し。
カモメたちも波の上でのんびり!
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モデルになってくれるカモメもいますよ。近づいても逃げません。
波打ち際を歩くと、砂が引き締まっていて歩きやすい。逆に濡れていない写真左側の内側は、砂が乾燥していて靴が埋まり歩きにくいのです。
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ここをずーっと歩いて行くと亀田川の河口まで行けます。距離にして6km近く。
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でも、今日はそこまで歩かず、3km地点で戻ります。
本日のコロナ感染者数は、道内では58名とか。連日50名を越えていて心配の日が続きますが、いつ収まることやら?
ワクチンだって、4月中は無理みたいで、いつ打てるのか?それでも、密にならずに人気のない海を散歩出来るのは幸せなこと。
首都圏の海をテレビで見たら、人であふれかえっていて、あれじゃ三密の極致のようで、そう考えるとここは普通にソーシャルディスタンスが保たれています。
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晴れていたけど、遠くの方は見えずで、下北半島や津軽半島は見えませんでした。
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ということで、今朝のウォーキングは終了し、家に戻ると、庭ではフキノトウがちょこっと恥ずかしそうに顔を出していました。
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探してみると、1個、2個とあちこちにフキノトウが!こちらも春を告げる野の花です。
函館にもうれしいことに、春がやって来た~‼️

3月12日金曜日、天気は晴れで最高気温は12度まで上昇するとか。市内の積雪はすでにゼロで、北海道内では一番雪解けが早かったです。さすがに、道南で一番南にある都市ですからね。早く春にならなくては!といっても、道内、幌加内町の朱鞠内ではまだ積雪2mとかで、いつになったら零になるのやら?
昨日は東日本大震災から10年。10年前のあの時何をしていたのか?私はまだ勤務中で6時間目の授業中でした。函館は震度5強の激しい揺れで、生徒たちはパニックに。何とか収まって校舎もつぶれず生徒のケガもなく冷静になれましたが、生徒たちを帰した後にテレビで見た津波には言葉を失いました。

それ以降、退職したら三陸へ行こう!と決意し、2年後退職した直後の4月に「ぼうけんの旅」がスタート。岩手県、宮城県を南下して南三陸町で5日間ボランティア活動したのがきっかけで、毎年のように東北を訪れています。
今年も4月になったら出かける予定でいますが、コロナはどうなるのか?それが気がかりです。

さて、あさり坂から今日はお伝えします。
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1878年(明治11年)、「コロナ禍の函館42」で紹介したイギリス人お雇い外国人で地震学を教える東京帝国大学教授のジョン・ミルンとアメリカ人動物学者のエドワード・モースが函館に来て、在住のイギリス人貿易商にして博物学者のブラキストンと協力して貝塚などを発掘調査します。この坂の周辺でも調べたら、縄文人たちが食べたアサリの貝殻が数多く発見されたのです。それで、名付けられたのが「アサリ坂」。
坂の下、市電通りには1901年(明治34年)開業したすき焼きで有名な1階に牛肉屋と、2階にレストランを構えた「阿佐利本店」があります。名前は、坂の名から名付けたのでしょうか?
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昔、ここで夕食(すき焼き)を食べたことがありますが、値段もそれなりでしたが、確かに美味しい!
それ以来行ってはいませんが、もう一度食べたい味であることは確かです。
それにしても、歴史ある建物 というよりは、かなり古い木造建築物です。
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坂を少しばかり上がると、地元では有名な手作り豆腐のお店「佐々木豆腐店」があります。ここの豆腐、とっても美味しいんですよね。
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ロードヒーティングは全く入ってなく、全面雪だらけの坂道。
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上って突き当りの右側にあった小公園にある「亀井勝一郎文学碑」。
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「人生 邂逅し 開眼し 瞑目す 亀井勝一郎」
1907年(明治40年)函館元町に生まれ、弥生小学校、函館中学校、山形高等学校、東京帝国大学文学部で学び、評論家、思想家として活躍。若い時は共産主義に傾倒して、治安維持法で検挙されたことも。日本プロレタリア作家同盟に参加も。
函館にはあまり帰らなかったが、終生函館弁を話し、故郷の味を好み、終生函館を愛した作家でした。
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この小公園がある場所は複雑な道で、護国神社坂とアサリ坂を結ぶ横道が斜めになっていて、小さな直角三角形の場所にあるのです。で、ここも周囲を見渡せば蔵があちこちに見られます。
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横道を歩き、最後の坂の青柳坂へと向かいます。が、その途中でも蔵。壁がちょっとはがれていますが。
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青柳坂の手前にあった「石川啄木居住地跡」。この辺りに彼と彼の家族、妻節子さんと娘京子との親子3人水入らずの、貧しくとも幸せな1か月の生活を送った場所なのです。
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といっても、1907年(明治40年)5月5日に函館に来た啄木は、8月25日の大火で避難。その後も函館は何度も大火に見舞われているので、この周辺は当時と大きく様変わりしているはずです。

函館の 青柳町こそ 悲しけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花
こころざし 得ぬ人々の あつまりて 酒飲む場所が 我が家なりしかな
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ここにも蔵。奥に見える校舎は、最近校名が潮見中学校から青柳中学校へと変わった、西部地区では唯一の中学校。西部地区では、すでに愛宕中学校、船見中学校、この2校が合併した西中学校までが廃校しています。
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ということで、最後の坂である「青柳坂」へ。
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ご覧のように、北西側の魚見坂から始まって、今は一番南東側の青柳坂まで来ました。
船見坂ではピンク色の銭湯「大正湯」を、幸坂ではロシア領事館跡を、姿見坂では江戸末期からの遊郭「山上遊郭」を探したけど全く形跡はなし、弥生坂では函館の学習院と呼ばれた弥生小学校を、基坂では公会堂、旧イギリス領事館を、日和坂では伝統的建築物をたくさん見て、八幡坂は京都の三寧坂や長崎のオランダ坂といった超有名な坂に勝り日本の坂第1位でしたね。
大三坂は、元町カトリック教会など教会群のある日本の道100選の坂でした。二十間坂はコンクリート製の東本願寺の寺院を見て、南部坂は戦前からある超レトロなエレベーターのある旧丸井デパートを、
そしてここ数日は護国神社坂、今日はアサリ坂と。いよいよ最後の坂の青柳坂です。
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坂の由来は、ここに書かれている通り。
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次回は最後の坂「青柳坂」をゆっくりと下って紹介していきます。
では、また!


3月10日水曜日、天気は晴れ。気温は+8度まで上昇し、家の中にいれば暖房はなくても大丈夫。
やっぱり、3月は春なんだ!と感じる季節です。
そんな中、昨日中央図書館で本を返さなくていけないし、借りたいものもあるし、で五稜郭公園まで自転車で出掛けました。
風はちょっと冷たかったけど、堀に近づくと何と!いまだに凍結しています。
こちらは南東側だけど、多分左の高い松の木々が日陰を作っているので堀の水が凍っているのかな?
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で、北東側を見ると、こちらも凍結。
昔、といっても戦前の写真を見ると、ここでスケートが滑れたそうです。夏は、水泳も出来たとか。氷を取って売り物にしていたのです❗今より、ずーっと寒かったのでしょうね。
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日の当たる場所は、さすがに氷は解けているところも。
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冬の間は、降水量が少なく、降雪量もそれほど多くなかったので、水位が低いですね。
北海道の雪は、軽い粉雪だから水分は思ったよりはかなり少ないのです。
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夏の時期は、今よりは1m以上は水位が高いですね。今は一部ですが、底が見えています。
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一周1816mの五稜郭公園の堀、ぐるっ~と廻ってみます。こちら側も凍結。
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北に見える1000級の山々は、真っ白!桜はまだツボミにもなっていなく、桜の花が咲くには後1月半以上かかります。今年の予想では4月25日前後か?
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人々が歩いたり自転車に乗れる舗装路は乾燥していますが、芝生にはまだ雪が残っているのです。
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橋の下も凍結。堀にいる鯉や亀、他の魚たちは氷の下で生きているのですよね?
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太陽がサンサンと当たる部分は乾燥していますが。
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芝生の上は、まだ雪。
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2月20日に紹介した我が家のクリスマスローズでしたが、17日経過した昨日は?
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花がいくつも咲いています。
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そして今日。太陽の光を受けて思いっきり開いています。
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昨日の福寿草です。やっと、芽が出て花はまだ萎んだままでしたが。
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今日は咲き始めました。それも一輪だけではなく2輪、3輪も!
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これが20cmくらいまで伸びていくのです。まさに、春を告げる寿の花!
中央上の丸い玉は椿の種。北海道でも椿は咲くのです。
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最後に、畑のやぐらネギ。冬の間は深い雪の下でじっくりと寝ていたけど、雪が解けてからは少しずつ顔を出して来ました。5月過ぎには、これが30cm以上にも成長して食卓に上るようになるのです。
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ということで、今日は西部地区ではなく五稜郭と我が家の庭の花を紹介しました。春が来た‼️と感じる日です。
明日も晴れの予報です。3月は長い冬が終わりを告げて、野の花が咲き始める時。そして4月になれば一斉に花の季節に!

では、また!

3月9日火曜日、天気は晴れで朝から快晴。気温も陽が上がるにつれて暖かくなっています。道路の雪もほとんど解けて、まさに春本番へ!といった今日の天気です。

さて、護国神社坂の下に箱館発展の土台を築いた高田屋嘉兵衛の像がありましたね。
その像のあるグリーンベルトの中にある「日露友好の碑」。
高田屋嘉兵衛は1812年クナシリ沖にてロシア帝国の軍艦に拿捕されますが、それは前年にロシア海軍の艦長ゴローニンが千島列島を測量中に幕府の役人に捕れられた報復でした。
しかし、嘉兵衛は言葉の壁を乗り越えて、1813年にゴローニン釈放をし日露武力衝突の危機から救ったのです。ゴローニンは松前に護送される前、箱館で幽閉されていたのでした。
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だから、ここに高田屋嘉兵衛の像と友好の碑があるのですね。左奥に、石川啄木の妻節子が足繁く通った旧入村質店(現在はカフェ「ひし伊」)の真っ黒い蔵が見えていますね。

市電通りの角にあるのが、函館1の和菓子の老舗「千秋庵総本家」があります。
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ナマコ壁の店。「市電でめぐる函館100選」によると、「1839年、秋田で生まれた佐々木吉兵衛が関東で製菓業の見習い後、1860年箱館末広町で創業」とありますから、161年の歴史を誇る、まさに北海道最古の和菓子店といってもいいでしょうね。
会社のHPによると、主なメニューは、せんべいの「元町山親爺」やどらやき、栗饅頭、高田屋嘉兵衛最中まであります。
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     1901年根室で生まれ函館日日新聞社に勤めた高橋掬太郎は、1931年に「酒は涙か溜息か」で作詞家デビューします。その歌碑もあります。
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酒は涙か溜息か」は、作曲は古賀政男、歌は藤山一郎なんですね。他に「私この頃躁鬱よ」は同じく古賀政男作曲で、歌は淡谷のり子なんですね。
若い人はご存じない名前でしょうが、60代以上の方にとっては、超有名人の名前です。
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市電通りを挟んで向かい側にあるのが「函館さのさ」の碑。
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作詞、作曲は不詳で、恥ずかしながらこんな碑があることすら知りませんでした。

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グリーンベルト沿いには、「蕎麦百年碑」なるものも。
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現在は宝来町ですが、旧名は蓬莱町。確か、江戸時代末期に姿見坂の上に山上遊郭があったけど大火で焼失後は、ここ蓬莱町へ移ったとかで、遊郭跡があるかどうか?後程探して見ましょう。
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高田屋嘉兵衛の屋敷跡。1845年に訪れた松浦武四郎によると「高田屋の屋敷跡は、敷地東西50間(約90m)余り、南北80間(約144m)」もあったとか。「全盛期は5万坪の土地だった」(「市電でめぐる函館100選」)とか、いかにすごい豪商だったかが分かります。
ちなみに、東京ドームは約1万5000坪だから、その3倍以上! 大きな野球場が3つ以上もある広さですよ!
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市電通りから1本中に入った十字街銀座通りで、明治・大正の頃は東京以北最大の銀座!と云われたそうです。今ではその名が恥ずかしいくらいですが、ここもその形跡をあとから探してみます。
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その形跡を少しでも示すのが、ここ小池カレー店。現在は2店舗ありますが、創業は戦後すぐの昭和23年、1948年のことですから73年目。
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黄色のカラーで彩られたお店は何度か食べたことがありますが、とても美味しい!ことを覚えています。
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左の人物、小池義次郎さん。
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明治39年に東京で生まれて、戦後に函館へ。
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函館でカレーと云えば、五島軒か小池か、というくらい有名なお店。
五島軒は、1879年(明治12年)に創業した北海道最古の西洋料理店ですが、カレーも有名。その五島軒と並ぶカレーのお店です。

ということで、今日は箱館と函館の新旧著名な人(高田屋嘉兵衛、高橋掬太郎、小池義次郎)と老舗和菓子店の「千秋庵総本家」を紹介しました。
歌と食に関しての有名なお方でしたね。
次の課題は、「蓬莱町の遊郭跡はあるのか?」と「銀座の形跡はあるのか?」この2つをテーマにそのうち紹介します。
では、また!

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