函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めた車中泊中心の「ぼうけんの旅」は今年で13 年目に突入。 車中泊の貧乏旅行の旅、今年で74歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 今年2026年も「ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです! 今年も「ぼうけんの旅」をよろしくお願いいたします。

2026年が明け今年は74歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!時々は自転車を積んでの軽バン一人旅の始まりです。

2021年05月

5月31日月曜日、天気は朝5時前の段階で快晴です。今blog作成している時間は午前4時52分。実は昨日午後8時過ぎに寝てしまい、おまけに昼寝もたっぷりしていたので午前4時前に起床したのです。それで、まだ朝刊も来ておらず、ならばblog作成には持ってこいの時間だな、とばかりにキーボードを打っているわけです。
今日で5月が終わり、明日からは6月です。昨年1月から続くコロナ禍は2年目に入った今年も猛威を振るっていて、感染者数は昨年以上になっているし、ちっとも良くはなっていません。高齢者ワクチン接種は少しずつ進んでいるといっても若者に行き渡るのは年内は無理でしょうね。そんな状況下でオリンピックを半ば強制的に開催されようとしています。開始されテレビで放送されれば、コロナも忘れて夢中で画面に釘付けされるでしょうが、それでいいのかな?と疑問があります。
誰もいない観客席(多分無観客か制限あり)のスタジアム、マラソンでは声も出せない応援、道路に出て来るな、とか。まして外国人選手との交流は一切なし。「平和の祭典であるはずのオリンピック」、何か変だな?と。

さて、北海道東照宮の第2弾。いよいよ社殿へと向かいます。二人の女性が参拝していました。
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灯篭や狛犬が比較的新しいのは、1992年(平成4年)に移転したときに新調したからなのでしょうか?
社殿の屋根の上には葵のマーク。さすがに徳川家の印ですね。これって、あの助さん角さんを伴った「水戸黄門」でよく出て来る印籠ですよ。
っていうか、三つ葉葵は徳川家の家紋ですけど、「水戸黄門」の方が有名になりすぎて黄門様の印になってしまった感がありますね。
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由緒が説明されています。関心ある方は、拡大してお読みいただければと思いますが。
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左側には「龍石」が。これって、我が家の庭にもある石のようで、珍しい石なのかな?
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右には「惚け封じ」の急須みたいなものが。これで、ボケが封じ込められるのでしょうか?
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賽銭箱の上を見たら、東照宮の扁額と鈴。鈴の音は邪気を祓い清める効果があるとか。
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魚貝塚」は、鮨屋さんたちが建てたもので、お魚のお墓みたいなものですね。「毎日美味しい寿司を提供してくれてありがとう!」と。
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この松の木は、「高松宮妃殿下のお手植え樹」
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こちらは「秩父宮妃殿下のお手植え樹」。
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ここの神様は、「必勝」や「安産」・「子宝」・「航海安全」・「商売繁盛」・「運気向上」などと盛りだくさん。随分たくさんあって、こんなに神頼みして大丈夫なの?と少しは心配にならないのでしょうか?
ここは龍が天に昇っている場所だからパワースポットだそうです⁉
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戸を開けて内部を撮影。
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こちらが、前回説明した戊辰戦争時に焼失した東照宮から、旧幕府軍兵士が持ち出して難を逃れた扁額ですね。
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広い境内には、他にも小さな祠があって、興味深いものも。それについてはまた次回に紹介いたしますね。
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きわめてプライベートなことですが、明日6月1日は私の誕生日。1952年(昭和27年)生まれだから、ついに60代最後のバースデーになりました。来年からは70代か、と思うとちょっとショック。
当たり前ですが、年は1年ずつ過ぎ去るもの。それが、もう69年も経過したのかと思うと早すぎる!
やり残したものがたくさんあって、後悔の連続です。よく「我が人生に後悔なし」なんていう人がいるけど、そんなことあるのかな?と思います。
自分は後悔だらけの人生です。99%は失敗の連続でした。
恐らくこれからもそうかもしれないけど、それでも、1%の成功だけでも良いのかな?と思うようになったこの頃です。あと何年生きられるのか?それは分からないけど、少しでも悔やむことのない道を歩きたいですが・・・それでも失敗した後で後悔するんですね。
とりとめのないことを書きましたが、朝早い時間に起きると空はきれいだし鳥たちの鳴き声が聞こえてきて清々しい気分になりました。
今日も自分や皆様に良いことがありますように!

では、また!

5月29日土曜日、天気は今blogを作成中の午前9時半では曇りですが、昨夜から強い風を伴った激しい雨が降っていました。スマホがアラームを鳴らして警報を伝えていて、今日も明日も天気は悪そうです。

コロナ禍で世の中暗いことばかりでしたが、函館にもグッドニュースがありました。それは「北海道・北東北の縄文遺跡」がユネスコの世界文化遺産に認定される!との報道です。
函館には、南茅部地区に大船遺跡垣ノ島遺跡があるから、青森の三内丸山遺跡や伊達の北黄金貝塚公園の遺跡などと並び、訪問客が増加するのでは!と期待しました。
が、市の広報では「緊急事態宣言中は閉鎖するとのこと」で、せっかくの明るいニュースなのに水を差された感じで残念です。いずれこのblogでも紹介したいと思っていますが。

さて、昨日お伝えした幕末に旧東照宮があった神山町。今はそこには神山稲荷神社があるだけで、昔あったという説明板があるだけ。それでは、北海道に1ヵ所しかない東照宮はどこにあるのか?それを探しに市の北東部、陣川町にある北海道東照宮を訪ねてみました。訪ねた日は2日前の5月27日です。今回はカメラに日付を入れてますので、訪問日が分かりますね。
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場所は日本で2番目に上水道が完備した時の貯水ダムである笹流ダム(赤川ダム)からダム沿いに荒いオフロードの砂利道を上がること2㎞。そこは道路の森からヒグマが出そうな?ところです。
「ヒグマ出没、注意!」の看板もあり、市街地からは車でなければ来れそうにない場所です。
真っ赤な鳥居の奥の森がそうです。
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広い駐車場に車を停めて真っ赤な大鳥居をくぐると、最初に目についたのがこの説明ポール。
小出大和守(1834~1869)本名は小出秀実(こいでほずみ)。江戸生まれの江戸育ち、旗本出身。土岐家の生まれで小出家へ養子へ出されて小出姓を名乗りました。
幕末、1862年に箱館奉行に任命され、1864年6月15日に函館山山麓の、現在の元町公園から新たに完成した五稜郭内の新奉行所に移り、翌1865年には五稜郭の守り神となる徳川家康を祀る東照宮を上山村に建立した人物です。
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「みなみ北海道 最後の武士たちの物語」として、ここで取り上げているのが東照宮を造営した小出大和守です。
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北海道には東照宮はここにしかありませんので、ここは函館東照宮というよりは北海道東照宮なのですね。
上村の東照宮は、蝦夷日光と云われるほど、日光東照宮のような豪華絢爛の神社だったのでしょうか?箱館戦争時に新政府軍により焼失されたので、当時のことは分かりませんが。
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その下に、手水舎(ちょうずや)の写真がりますよ。
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それを造った石工は、備前というから今の岡山県出身の喜三郎(1809~1861)さん。彼は石工棟梁として五稜郭や弁天台場の石垣工事を請け負っていたんですね。
さらに読むと、前回紹介した神山稲荷神社の鳥居も造っているし、亀田八幡宮と箱館招魂場(現在の函館護国神社)の狛犬も造っている、まさに石工職人、スペシャリストですよ。
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この写真でしたね。昔は神山東照宮の参道だったのですね。東照宮があった場所に稲荷神社が建てられたのです。
その下の「東照宮」の扁額は、後に説明します。
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数歩進むと、手水舎が参道の左手にありました。
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大阪の御影石を使用した手水石。社殿は焼失したが、手水石や狛犬が残り、その後宝来町に移転後に
東照宮が再建されて使用されていたそうな。
函館奉行の下に藤原実とありますが、まず当時は箱館であり、函館の名はなかったし、姓が藤原とは全く分かりません。名前の実は別名で使用されていたそうで、それはいいのですが藤原の名が何処から出てきたのか?多分、ここの東照宮の間違いではないでしょうか?
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よ組 三番組とあるのは当時の町火消しで、神山村から宝来町に運んだ記念に刻んだものとか。
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明治19年11月5日 神山村ヨリ是運搬 と刻まれていますね。三番組 中 よ組の文字もありました。
これ、弾痕の跡を探したのですがなくて、「よ」の文字でした。
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確かに、箱館奉行 小出大和守 とありました。
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歴史を調べると、箱館の東照宮は箱館戦争後に社殿は焼失と何度も書きましたが、その後何処へ行ったのか?当時の函館市民は神山村は遠くて(市街地からは10㎞以上)歩いて行ける場所へと、山麓へ再建して欲しい、とのことで。
1874年(明治7年)に谷地頭に移転。谷地頭は、函館公園付近にある山麓の低地ですね。
1878年(明治11年)元町に移転。元町公園のある辺りでしょうか?
1879年(明治12年)宝来町に移転。しかし、1934年(昭和9年)3月の函館大火で焼失し、9月には再建   
されていて、戦後も継続し60年近く宝来町で営まれます。
宝来町は、市電の電停でも紹介しましたが、函館山山麓の一番下にあたる部分で、大火前には遊郭があった場所。東京以北最大の商業地区だった銀座通りの並びでもあります。
その宝来町の津軽海峡に面する大森浜に近い場所に東照宮があったことは覚えていて、自分は何度も訪れています。結婚式も行われていたり、大きな神社だったのですが、車社会になって駐車場は少なく手狭なこともあったのでしょか?
1992年(平成4年)に現在の市街地からは10数㎞以上も北東部の山側にあたる陣川町、神山町からも3㎞、四稜郭からも2㎞北東側の、今から30年近く前の当時は自然の森が広がる人が訪れることもまばらだったと思われる陣川町に移転したのでした。
次回は、さらにこの東照宮を見学することにします。
では、また!


5月27日木曜日、天気は午前中は晴れで午後からは曇り、夜になると雨とのこと。昨夜は、晴れ渡った夜空にスーパームーンの満月の皆既日食が見事に見えました。
東京辺りでは曇っていて見えなかった、というネットの記事がありましたが、函館では最高の夜空でハッキリと見えていて、最初は三日月ような形からドンドン新月のように消えていき、やがて赤い巨大な月へ、その後は少しずつ明るくなり最後は満月へと変化。
晴れ渡った夜空の天空ショーは素晴らしかったのでした。
知り合いの台湾人からライン届いて「中国の昔はなしでは、赤い月が現れると縁起が良い!」と。
しっかりと見れたから、きっと良いことがありそうな予感!がします。


さて、ここは神山町の旧東照宮と権現台場跡。江戸時代後半、ここに東照宮が置かれる前は上山村でしたが、江戸末期に東照宮が出来ると村民は「神が来るのだから神山村としよう」と。それで、今も神山町の名があるのです。
なお、「」とは「仮の」という意味で、仏が神の形をとって「現れた」ことから、まさに家康でも秀吉でも信長でも、さらには武田信玄でも、上杉謙信でも神になるのです。まさに日本は八百万(やおおろず)の神の国(!?)、誰でも神になれる可能性がある!のですよ。
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東照宮とは、江戸幕府を開いた徳川家康を神と祀る神社で、1864年に五稜郭が完成した時にその鬼門の方角である北東に守護神として東照宮を造ったのです。それは蝦夷東照宮の名にふさわしいものだったとか。その場所がここだったのです。
その時に、蝦夷三官寺の一つである日高管内の様似町にある等澍院という天台宗のお寺にある東照大権現を分けてもらったそうです。

神山開基三百年碑がありました。
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1684年というから江戸時代の前半に、ここ神山(当時は上山)の地に、現在の青森県七戸のお百姓さんである佐四郎が鍬を入れたのが始まりとか。そんな古い時代からここに入植者がいたんですね。
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東照宮があった時代に砲台も造られたので、ここを権現台場と呼んだそうです。
それは、箱館戦争時の1869年(明治2年)、旧幕府軍が本拠地の五稜郭とその背後の備えで急増した四稜郭との間にある箱館東照宮に砲台を設けたから、そう名付けられたのでしょう。
しかし、同年に新政府軍の攻撃を受けて東照宮は焼失します。その後は何か所か転々と移転しますが、東照宮に関しては次回のblogで紹介します。
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大鳥居は無事に残っていて、向かって右の柱には「元治二年」の文字が彫られていました。1865年のことです。といっても、この年の2月には慶應という元号に変わるので、1月か2月の初めに鳥居は造られたものです。
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向かって左の柱には「四月十七日」の文字が見えますが、これは旧暦のことですね。
なお、この鳥居を造られた石工は、五稜郭や弁天台場の石垣つくりを担当した者で、箱館戦争の破壊されずに今も残っているのです。その石工は誰なのか?はそれも次回の東照宮のテーマで見て行きますね。
参道をふさぐように変な形で伸びている松の木がありますね。
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現在は、神山稲荷神社が建てられていて、建物は比較的新しそうに見えます。
が、創建は神山に入植した佐々木佐四郎が、1686年(貞亨3年)故郷である青森県(当時は南部藩)七戸から蝦夷地に移住するにあたりご神体を持ってきたそうで、ここにそれを奉納し祠を建立したのが始まりです。1864年入植しているから、その2年後ですね。
なお、当時の将軍は5代目の「犬将軍」と呼ばれた、あの悪法の「生類憐みの令」を出した徳川綱吉の時代です。
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初代の社殿が来たのは、1796年(寛政8年)だから、祠の時から100年以上も後のことです。建てたのは亀田八幡宮の宮司だったそうです。そんな歴史を見れば、函館山山麓の当時の箱館の他、五稜郭がある亀田地区やさらに北東の上山村にも結構な人々が本州から渡って来て開墾していたのですね。
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今は住宅街に変わってしまっていますが、当時は完全な農村地帯でヒグマも出るような場所だったのではないか?と思われます。
これは例大祭の時の舞台でもあったのかな?お祭りのステージで、カラオケでも行われたのでしょう?
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変形松の木が目立ちますね。
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後でネット検索したら、「神山稲荷神社裏手には台場があった当時の土塁の一部が残っています」という記事を見つけ、この時に発見できなかったことが悔やまれます。次回訪れたら是非見つけたいです。
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道を挟んだ場所に「忠魂碑」発見。戦争で亡くなった兵士たちの碑ですね。神社には、つきものの碑です。
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ということで、四稜郭から始まり東照宮跡、権現台場跡、神山稲荷神社と。それでは、現在の東照宮はどこにあるのか?と。
疑問をそのままにしておくのは嫌なので、次回は東照宮へと足を運びます。
函館には、いろいろな歴史の足跡があるのですね。これだから調べるのは面白いのです!
百聞は一見にしかず!」読んで調べて、実際に行って見て、聞いて納得!が「ぼうけんの旅」のモットーで、それが自分のスタイル!

では、また!

5月26日水曜日、天気は晴れで気温も20℃まで上昇し暖かい日です。昨日の9時過ぎから太陽が顔を出して、やっとこれから初夏らしくなりそう。
5月末から6月にかけての北海道は花の季節だから、天気は晴れでなきゃいけません。
本州では梅雨の季節でじめじめした時期が続きますが、北海道は桜が終わりと、次々といろいろな花が咲き始めるのです。
今まで紹介したように、ライラック、フジ、ツツジ、シャクヤクそして7月に入りラベンダーと。我が家の花壇でも、スイセンとチューリップが終わってから次の花が咲いてきています。それらは、そのうちにアップする予定でいます。

さて、四稜郭の続きです。土塁の高さは平均で2mくらいでしょうか?これだったら、簡単に乗り越えられそうな高さです。
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空堀もありますが、この程度だったら敵が押し寄せた時は怖かったでしょうね。遠くに函館山が見えています。北東側の端っこから撮影しています。
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ズームして見ましょう。五稜郭タワーが見えますが、五稜郭は「蝦夷共和国」の首都であり、総裁に選ばれた榎本武揚が陣を構える場所で、いわばホワイトハウスに相当する奉行所があります。そこから北東に約3km離れたここが敵の進撃を抑える砦だったのです。
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ここは急きょ造られた砦で、士卒役200名と地元の農民100名がいわば強制的に駆り出されて、わずか数日で完成したものです。内部には建物は造られなかったそうです。
ここを守備した兵士たちは、こんな場所で敵兵を迎えるのは恐怖以外なかったでしょう。これじゃ、簡単に攻撃されそう。
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ここに立てこもったのは、旧幕府軍で新選組の連中や江戸から船で逃げ延びてきた脱走軍。
図書館から借りてきた本「戦塵 北に果つ~土方歳三戊辰始末」(甲斐原康 著 学研)には、次のように書かれていました。
「「大店や遊女たちまで出るとはなぁ」
四稜郭は五稜郭北方、やや東より一里足らずの陣川に建設中だ。五稜郭に似ているが名の通り四つの稜でずっと小さい。これらの修造や建築に市中の住民が狩りだされているのだ。」と。
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案の定、簡単に新政府軍にやられてしまったのです。四隅の角から撮影していますが、どこから見ても同じ内部ですね。建物もないこんな場所に立て籠もっていたら、不安で発狂してしまいそうです。
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横には松の木々がありますが、当時はヒグマの出没する原始林だったのでは?
道もなく、食糧も不足、それに水もなかったはず。水は雨水をためたのか?それとも近くを流れる川の水を飲んだのか?
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南西側から撮影。付近の住民が犬を散歩中。
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西側に来たら入口がありました。別に入口を作らなくてもどこからでも侵入できるのに。見て分かるように、土塁を乗り越えるのは楽ですからね。
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内部は平坦で、ここに詰め所でも作ろうとしたのかな?それとも武器庫や兵隊たちの宿舎とか?
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だけど、この高さだと大砲一発でやられそうです。新政府軍の岡山藩、徳山藩、福山藩が攻撃!旧式の武器しか持たない旧幕府軍は簡単に敗北してしまいそう。
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入口を出たら、そこに説明板がありました。長州藩がここの下の権現台場を占拠したため五稜郭への退路が遮断されたために敗走したと。
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長州藩が占拠した権現台場とは?次回はそこを紹介いたします。
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今は、のどかな公園になっている四稜郭。今から152年前はここで銃撃戦が行われ、死傷者も出たであろう戦場だったのです。
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ということで、四稜郭は即席で造られた城というよりは砦と云った方がいい簡単な陣地だったのです。これじゃ首都を防御する役目は果たせないなぁ!と思った次第です。

で、次回は権現台場へと向かいます。

では、また!


5月24日月曜日、天気は曇り空でどんよりした空模様。気温も20度には達せず、今日1日ぱっとしない天気です。
コロナのせいでくらいニュースが多いですが、昨日は久しぶりに感動した出来事が。それはラグビー。日本選手権の決勝、パナソニック対サントリーをテレビで見ました。
パナの福岡選手は、医師になるため28才で大学入学したため、今回でラグビー人生は終了。最後の試合でした。彼はトライも決めて、まさに
有終の美を飾ったのです。

ラグビーファンとしては引退は惜しいですが、それは彼の人生。好きな道を歩むなんて、まさに最高です。試合は2時間、涙が出るほどの感動でした。
ラグビー最高!福岡堅樹選手、感動をありがとう‼️

さて、我が家の畑です。ジャガイモがすくすく育っています。3月下旬に種芋を植えてから2ヶ月、7月下旬には食べ頃でしょう。
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畑の片隅にあるウド。ウドは手入れが必要なく、毎年育ってくれるから、ずぼらな自分にとってはありがたい野草です。
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実は、妻が白内障の手術のために22日から今月一杯入院・手術します。それで、当分の間は一人暮らしを余儀なくされ、食事も自分で作らなくては行けません。
そこで、ウドの葉っぱを採って来て、天ぷらへ。天ぷら油が少なかったけど、何とか食べる分は揚げることができました。
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冷蔵庫の野菜室にあった残り物の野菜、タマネギ、ニンジン、ピーマンも一緒に揚げました。
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たくさん揚げたので、その一部をランチ。
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炊飯器で炊いたご飯とその上に梅干し。梅干しは大好きです。後は冷蔵庫の有り合わせの漬け物と一緒に。
右下のは、タマネギスープ。上は、平取の「ニシパの恋人」という名のトマトジュース。
ミニトマトとキュウリは7月になると畑でも採れるのですが、今回は市販のもの。
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天ぷらには、醤油。利尻昆布の醤油ですが・・・。
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よーく見たら、生産地は礼文島で、製造は函館の道南食糧工業でした。なんだぁ~、地元産とは。
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一昨日の夕食も手作り。賞味期限が間近な肉と残っていた野菜で、肉野菜炒め。
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ということで、今回は私のわがまま自分勝手流、セオリー無視の手作り料理をアップしました。
誰が見ても、自分以外は「美味しい!」とは思わない料理ですが、自分としては何とか食べれた最低限の合格点の食事です。
レシピもなく、自己流に適当に作りました。
さて、今日も明日も作りますが、どうなることやら?
もっとも、これ以上は人様にはお見せできない料理なので、私の料理はこれにて終了し、次回からは今までのように函館の歴史と地理を紹介していきますね‼️
では、また!

5月23日日曜日、天気は朝方は小雨で日中は曇りのあまり良くない天気です。ここ数日晴れの日がなく、ぐつついた天候が続き五月晴れじゃない、まるで梅雨のような空模様です。北海道にも蝦夷梅雨があるんだ!と感じさせるような日が続いていて、コロナの感染者激増とともに気が滅入います。
早く晴天になって太陽が見たいし、コロナも収まって欲しいけど、一体いつになったら前のような状態に戻れるのか?それともアフターコロナは今までとは別な世界になるのか?それを考えると不安であり、ものすごい心配ではあります。

さて、ここは史跡四稜郭。五稜郭ではありません。4つのコーナーがある城跡です。
ということで、今日からblogは、今までの西部地区から一転市の北東部へ移りました。
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場所は、五稜郭の3kmほど北東の高台にあり、周辺は畑が広がる地域です。
目的は、1869年(明治2年)に新政府軍の北海道上陸に対し、本拠地である五稜郭を防衛するための砦で建設されたものです。別名は、新台場、神山台場、新五稜郭とも。
大きさは東西約100m、南北70mで、五稜郭に比べたらかなり小さい。
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陸軍奉行 大鳥圭介(1832~1911)の説明がありますね。「おおとりけいすけ」と云ったら、年配の方は関西のお笑い芸人の鳳圭介を思い出す人が多いでしょうが、こちらは戊辰戦争時の旧幕府側軍人で、榎本武揚土方歳三らとともに新政府軍と戦った人物。
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大鳥圭介は江戸時代の末期の医師にして蘭学者、軍事学者でしたが、ここ箱館で四稜郭を設計した可能性は低いと書かれていますね。四稜郭は蝶が羽を広げたような形と形容していますが、それは空から見た形で、地上からはそんな風に見えるのでしょうか?
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フランスの軍人のジュール・ブリューネ(1838~1911)の説明もあります。箱館戦争時には旧幕府軍の軍事顧問として指導にあたりますが、敗北後は帰国していますね。
戦争時に、フランスが積極的に旧幕府側=蝦夷共和国を支援していくれれば、という歴史上の「もし?」がありますが、結局北海道は明治政府の支配下に入り、開拓が開拓使の手で進められることになったのです。
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この写真は有名な1枚ですね。フランス軍事顧問団と旧幕府側軍人。後ろの日本人は右端の人に比べ、随分背が低いですね。頭一つ以上低い。
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ブリューネの出身地である「美しい要塞」の名を持つベルフォールの城が四稜郭に似ているらしく、ここの設計に携わったとのことだそうです。
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確かに蝶の羽を広げたように見えなくもないけど・・・。
五稜郭は5つの角がある星型に対して、四稜郭は四国のような地形です。
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それでは、入口から入っていきましょう。高さ3mくらいの土塁が見えていますね。その手前に空堀があって・・・やっぱり五稜郭とは比較にならないほどの規模で、これじゃ簡単にやられたことが一目で理解できます。
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北側は、山頂部分に雪が残った横津岳連峰が見えています。もっとも、撮影は4月中旬でしたので今から一月以上も前のことで、山に残雪があったのは当然です。
それにしても広大な畑で、ジャガイモかな?それともトウモロコシか?
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山をズームして見ましょう。左の尖った山は烏帽子岳(1078m)、右の一番高いところが袴腰岳(1108.3m)。20年以上前のことで昔の話ですが、雪のない季節に縦走したことがあります。
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そして、左に眼を移すと連峰の最高峰の山である横津岳(1167m)。山頂には自衛隊の航空レーダー基地がありますが、これは1971年7月3日の「ばんだい号墜落事故」で乗客乗員全員68名が死亡して以後に建設されたものです。白い雪原は、かつてのスキー場跡。
登山するには、9合目まで舗装道路が出来ていますが、レーダー基地までは行けずゲートが降りています。駐車場に車を停めてからおよそ1時間ほどで山頂へ行けます。
なお手前にあるこんもりした山は庄司山(670.4m)。松前藩11代藩主の邦広が松前から城を移そうと計画したことがあったそうです。でも、彼の死去(1743年4月)移城が立ち消えになったとか。
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眼を右へ転じると、左から雁皮山(743・4m)、蝦夷松山(667m)の山々が見えています。
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で、次回は四稜郭の内部に入っていくことにします。内部はどうなっているのか?
北海道のコロナ感染者数は、東京を越えて47都道府県の中で最大になりました。多くは札幌市や石狩管内ですが、函館市でもここ数日は数人とゼロになることはなし。
変異株も増えてきているし、不安材料が多すぎる!
どうなる日本!緊急事態宣言下でもオリンピックは開催できるのでしょうか?
心配なことばかり続いています。自分で気を付けて行動するしかないのでしょうか?

では、また!

5月21日金曜日、天気は朝から雨ですが、それ程の降水量ではありません。ニュースを見れば熊本県の球磨川ではあふれるくらいで洪水が心配されていますが、北海道は降水量は日本全体の中ではかなり少ない方で、川の氾濫はそうありません。
年間降水量で見ると、北海道は道内各地で差はありますが、大体1000mm前後から1200前後で、冬の雪も乾燥していて水に換算すると大した量ではないのです。因みに函館は年間1150mm、札幌は1100mm。
それに比べると、本州、特に九州は2000mmから3000mm前後(熊本1986mm、宮崎2509mm、奄美2838mm)で北海道の2倍から3倍近く、とりわけ梅雨の時期や台風の時期の雨の量は北海道の人間が想像つかないほどですし、それと地形が全然違います。
月別の降水量最大は、函館8月154mmに対し、宮崎の6月429mmで、函館の6月73mmに比べると梅雨の時期は6倍の降水量であることが分かります。
北海道の土地の大半は大平野や大平原の大地ですが、九州は一部の大都市(福岡、熊本、鹿児島など)以外の地は急峻な山岳地帯や丘陵地帯で、川はそんな山地の間を縫うように流れているのです。面積でいえば、北海道は九州のほぼ2倍、人口はほぼ3分の1(北海道527万人、九州・沖縄で1454万人)で、それが自然災害の差にも表れているのではないかな?と思うですが。
もっとも、5年前の2016年には十勝川が氾濫してかなりの被害を出しましたが、滅多に上陸しない台風が4度も来て、大氾濫したのです。最近は歓迎されない台風も来るようになりましたが、それでもパワーは九州に上陸するのと比べて衰えてからの上陸です。
北海道は、冬の暴風雪のかなり厳しいものですが、夏・秋の大雨や台風の被害はかなり少ない地なのです。

さて雨の話はこれくらにして、護国神社の新政府軍戦死者のお墓へ行きましょう。
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お墓が50基以上ありますね。右奥には奥津城とあるから、神道式の墓のことですね。
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函館護国神社祀職 真崎家之奥津城とありますので、代々の宮司であった、または神職の方だった真崎さん家の方々のお墓です。
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一つ一つお墓を見ていきましょう。ここは弘前から従軍した竹中さんのお墓。弘前藩=津軽藩は戊辰戦争で当初は奥羽越列藩同盟に加わり新政府軍と戦いますが、途中で新政府側につきました。箱館戦争には1年間にわたり戦いますが、箱館では25人の戦死者を出しています。竹中さんは、その一人だったのでしょう。
お墓は、ここ旧箱館招魂社以外に江差の招魂社にも墓石が建てられています。
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こちらは大野藩というから福井県ですね。越前大野藩は現在の大野市に存在した石高5万石の藩で、江戸時代は越前松平家だったから親藩だったのですが、1682年に移されて土井家の地となり幕末まで続きます。
譜代大名だった土井家は、徳川家の幕府を支えるのかな?と思うけど、新政府側につくのです。
親藩でも譜代でも、戊辰戦争では幕府につくのは少なかったですね。越前大野藩もその一つでした。
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こちらは備後福山藩の兵士の墓。備後福山藩は、広島県東部の福山市に城がある石高10万石。
江戸時代は長州毛利家に対する防御の地として、幕府は明治維新まで有力な譜代大名を配置し水野家松平家、阿部家と続きます。大政奉還後に長州藩に攻められて敗北し、恭順。それからは新政府軍として箱館へも来て藩兵500人が上陸します。箱館戦争では死者25人、負傷者28人。
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この3つの藩以外に、奥には薩摩藩の戦死者の墓もありました。遠路はるばる鹿児島から箱館やってきたのです。
もちろん、船で来たのですが青森まではどうやってきたのでしょうね。それも船でしょうか?
弘前の津軽藩以外は船でしょうか?それとも馬で?歩いて?どれだけ日数がかかることやら?
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明治政府の海軍の戦死者の墓もありました。
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五稜郭の戦いとも云われる箱館戦争は、1868年(明治元年)10月21日から翌年の1869年(明治2年)5月18日まで続いた戦争です。

なお、新政府軍の各藩の出兵数は、陸軍のみですが、弘前の津軽藩2207名、松前藩1684名、長州藩781名、備後福山藩63名、熊本藩396名、徳山藩300名、薩摩藩293名、築後藩24名、水戸藩219名、津藩199名、越前大野藩170名などでした。
およそ9500人の戦力で臨んだ新政府軍で、戦死者はおよそ300人。それに対し敗北した旧幕府軍は3500人の戦力に対し戦死者は1000人でしたので、圧倒的に新政府軍の完勝と云ってもいい戦いでした。
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最後に、ここが箱館戦争の新政府軍戦死者の墓地であることを示す招魂場の碑。護国神社になる以前は招魂場また招魂社だったことは、何回か前のblogでもお伝えしました。
明治維新前後から、また以降に国家のために殉難した死者を奉祀した各地の神社が建てられましたが、それが招魂場(招魂社)です。そして、ここ函館(当時は箱館)で明治維新が完成(=旧幕府軍の敗北)したのです。
だから、明治新政府軍として戦死した兵士たちを祀る場が必要だったのです。それがここでした。
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ということで、箱館戦争のもう一つの舞台でもあった招魂社跡の護国神社。
全国から兵士たちが箱館やって来て、戦いが行われたのですね。その一方で、箱館で一儲けを狙う人たちもやって来ていたのです。それは、今までお伝えした明治期の豪商たち。
当時の箱館は、まさに歴史の大きな1ページを飾っていたのです。

では、また!

5月19日水曜日、天気は晴れで朝から暖かい日です。最近は、世の中暗いニュースばかりで、ちっとも明るい話が出てこないですね。もちろん、一番はコロナのせいですが。
スポーツの世界でも、我が北海道のチームは低迷状態。まずはプロ野球日本ハムファイターズですが、パリーグで最下位を独走していて、5位とはかなりの隔たりの位置にします。それに主砲の中田翔がベンチにも入っていないとは!
サッカーのコンサドーレ札幌も成績はぱっとせず、J2へ降格するかもしれない順位です。バスケットBリーグではレバンガ北海道は最下位に終わり、入れ替え戦で敗退したら2部リーグに落ちるかも?
コロナ前だったら、オリンピックは今年最大の楽しみだったのですが、あと60数日に迫った今、開催できるのでしょうか?しても無観客とか?

政治の世界も経済の世界もいずれも下落傾向で、どうなる日本!

さて、blogだけは順調に進めていきましょう。ここ護国神社の境内の2回目。さすがに護国の神社で、戦没者を祀る鎮魂碑がありました。
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南太平洋で戦死した兵士たちを祀る石碑ですね。第2次世界大戦では、多くの若者が亡くなりました。
今は戦争のない平和な国ですが、二度と戦争を賛美し若者たちが命を落とす社会になってはいけません。平和を永遠に祈りたいです。
南太平洋の島々での戦いは、兵士たちにとって大変苦しかったしょうね。特に暑さに弱い北海道出身者は30℃をはるかに越す蒸し暑さ、マラリアやなどの伝染病、飲めない水など、そして超強力な武器を持つアメリカ軍との戦いなど地獄のような地だったことでしょう。
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大地への献身」という碑は、戦争中に北海道で開墾事業を展開した若者たちを称える碑。「学徒援農」の名で、20万人の学生たちが北海道へ渡り、食糧増産に努めたのです。
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全国学徒援農の歌である栄えなる大地という歌も作られたのです。
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良縁むすび守、かなう守・・・都合のいいお守りもあるのですね。まさに神頼み! 
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このフクロウ、なでると福来る!?フクロウは不苦労だから、苦労が来ない!?それとも福来り!
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青空に杉の木、函館山の麓の護国神社。
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その横に、「新政府軍の墓地」あり。
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明治2年の1869年、戊辰戦争最後の戦いが箱館の地で行われ、旧幕府軍は敗北。もちろん、明治新政府側も犠牲者を出しました。ここは彼らの墓地。
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ということで、次回は新政府軍の墓地を見学し詳しくお伝えしたいと思います。
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朝刊を読んだら「高齢者、朝から並ぶ行列!」とワクチン接種を求める高齢者が、とある病院の前で大行列の写真がありました。自分も高齢者の一人ですが、どうしてこうも行列が好きなんでしょうね?
ネットが出来ないとか、電話してもつながらないとか、早く打ちたい気持ちは分かりますが、密になるほどの行列には何ら警戒もしていない。
もう少し余裕を持てないものか、と思ったのですが。
なかには「私はスマホ音痴で何もできない」とか「行政がすべてやってくれるのかと思っていた」とか、あまりにも人に頼りすぎでいて、自分では何もしないのか!と情けなる高齢者もいましたが・・・。
自分はそうなりたくない!と思った次第です。
先行き不透明の世の中、どうなるのか日本!不安材料ばっかりで明るい話がありませんね。
でも、少しでも光を灯すblogになりたい!と今は函館中心ですが、隠れた名所を紹介していきたいです。

では、皆さんもコロナに感染しないようにお気をつけて生活しましょう!


5月17日月曜日、天気は昨夜からの雨が降り続いています。気温は20度を越えていて、とても蒸している湿度の高い日です。今日1日こんな湿った天候でしょうね。

さて、昨日の日曜日に30分ほど家の周りを歩いてみたら、春の花があちこちで咲いていて、心が落ち着きましたので紹介したいな、と思いスマホのカメラに撮りました。
まずは、北海道の花の一つであるライラック。
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フランス語でリラ。赤紫色の花が咲いていますね。
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花の塊で、アジサイのよう。アジサイは本州では咲き始めているでしょうが、北海道では夏の花。8月にならないと咲かないでしょう。
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バックにサクラがまだあって、ピンク色と青紫色の共演です。
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続いて、八重サクラ満開の、とある家のお庭。
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今が満開の時で、とてもキレイ!
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タイミングよく、太陽が顔を出してくれてサクラの花びらが美しい!
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キレイに撮れてうれしい!
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その家の向かい側には、フジの花が開いていました。
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紫と色の花が競い合うように咲いていて、これまたキレイですね。
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そして、芝サクラ!花壇一杯に広がっていて、これも美しいです。
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最後に、スズラン!
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スズランの花が可愛い!
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ということで、町を歩くと春の花があちこちで咲いていて、目を楽しませてくれて癒されました。
長く続いているコロナ禍の時ですが、少しでも心が落ち着くことがあれば、少しは安心します。
コロナで人々の心が荒んでいますが、もう少しの我慢でしょうか?それにしても長く続いていて、我慢を強いられるのもいつまで耐えれるのか?
ワクチン接種が全員に行き渡るのも何時になることやら?
先行き見通しが暗くなる一方ですが、もう少しの辛抱と思って頑張るしかないですね。
では、また!

5月16日日曜日、天気は曇り。
ついに、北海道にも緊急事態宣言が発令されましたね。ここのところ、毎日500人超えで、先日は700人をオーバーする日もあって、特に札幌市は道内感染者数の大半を占めていて怖いくらいです。函館は毎日数人程度ですので札幌や旭川に比べると少ないのですが、逆に「函館は大丈夫だ」と安心して道内各地から観光に来るから、地元民にとってはそれまた怖い感じがします。
コロナワクチンも、あるところでは余っていて高校生にまで打っている自治体もあれば、高齢者の接種が7月どころか9月になっても終わらない自治体もあります。一体どうなっているのやら?こんな状態ではオリンピックに海外から選手たちは安心して来るのでしょうか?このままいったら収束なんて、いつになるやら?見通しは暗い!終わりが見えない!

さて、函館公園を終わりとなりの護国神社へ行きます。何度か紹介していますが、今回は詳しくお伝えしたく特集しました。まずは、函館山を借景にした護国神社。
1869年(明治2年)5月に戊辰戦争最後の戦いである箱館戦争が終結し、旧幕府軍が敗北し新政府軍は勝利しました。
新政府軍は5月21日に大森浜で戦死者の招魂祭を行っています。そして、旧幕府軍の捕虜の一部を使役して函館山山麓に招魂場を造らせました。それが函館招魂社と呼ばれ、1939年(昭和14年)に函館護国神社となったのでした。
写真に写る社殿は1942年(昭和17年)に建築されています。戦時中の造営なんですね。
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近年は縁結びのご利益があるとか。
右の白い建物は社務所で、破魔矢とかおみくじ、お守りなどを販売しています。
函館山山頂(334m)が見えていますね。ロープウェイのケーブルも見えています。
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入口は2か所あって、こちらは南側でこの下に車を停めています。鳥居の向こう側200mほど南に函館公園があります。
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境内にはいくつもの石碑があって、それこそ護国神社の名の通り戦争で亡くなった人たちのが多いです。これは、少年海員の碑。海軍少年兵の戦没者でしょう。
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こちらは帝国海軍駆逐艦 橘鎮魂之碑
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函館にも空襲があったのです。終戦間近の1945年(昭和20年)7月14日午前5時、アメリカ海軍の100機が函館港停泊中の青函連絡船などを目標に空襲したのです。
護衛の任務に当たっていた駆逐艦「橘」は敵機を撃破するものの、沈没し乗組員280名中半分の140名が戦死し戦傷者は31名でした。
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この碑は何だったか?忘れてしまいました。
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こちらも同様で、ごめんなさい。2つとも戦争と関係なかったような?
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手水舎は水が出ておらず、どうしたものか?冬ならいざ知らず春になっても水が出ないとは!情けない。今の時代、手洗いは絶対必要でしょう!(怒)
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こちらが正面の鳥居で、冬に訪れて紹介していますね。
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この鳥居から見下ろした坂が護国神社坂でした。左の建物は函館山ホテル。花火大会では部屋からバッチリ見えるでしょうね。と云っても、昨年は中止で恐らく今年も中止になることでしょう。
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童謡「チューリップ」の歌碑がありました。
日本人から誰でも知っている童謡のチューリップ。
咲いた 咲いた チューリップの花が ならんだ ならんだ 赤 白 黄色 どの花見ても きれいだな」はあまりにも有名ですね。
東京都世田谷区に住む近藤宮子さんというおばあさんが、1930年(昭和5年)に作詞したものです。
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作曲は井上武士さんで、東京芸術大学や立教大学、東京音大の先生でもあったお方です。
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函館と何か関係があるのかな?と。

次回は、さらに境内を散策してみます。
昨年の5月も全国的に緊急事態宣言で、公的機関がすべて休みでしたし、旅行にも出れず悶々とした日々を送っていたことを覚えています。そして、マスクが市場から消え、高価な値段で取引されていたことも。
アベノマスクなどという、今では全く使用されなくなった無用の長物にして税金無駄使いの代物もありましたね。あれから1年経って、まったく良くなっていない、それどころか悪くなる一方の毎日。
日本はどうなるのか?国産されないワクチン、ワクチン接種に関しては後進国にして最低の国に見られている日本です。
全然進んでいない状況、いつになったら良くなるのでしょうね。

では、また!


5月14日金曜日、天気は晴れで気温も20度を越え、日の差す場所では暑いくらい。
天気も良かったので、1年ぶりの山菜採りへと函館市郊外の山へと車を1時間走らせました。
まずは、舗装された道道を走り、砂利道の林道へ。さらに山への道は土の道で、両側には伐採された木材が山積みされていて走り辛い。この道など車1台がやっと通れるくらい。
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昨日降った雨で日の当たらない場所は、水が溜まり車はドロドロ!
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こんな山道を走ること1時間。我が家から片道37km地点でした。誰もいない山で、まさにここはヒグマのテリトリーです。
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「ひぐまさん、こんにちわ~!お邪魔しますので出てこないでね。」と挨拶して、山へ入ります。
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山の山頂付近では伐採が行われていて、こんなはげ山へ。
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さらに登ること、やっと尾根の上に達し、適当な場所に車を停めて山菜を探すと・・・。
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特に山側の左側にあるある、あるある!右の谷側にもあるある、あるある。
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山側にはウド、フキ、タラの芽など。谷側にはワラビもいっぱい!
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ウドやワラビがあるのがお分かりですか?
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ワラビは、グー・チョキ・パーのグーを開いた状態で片手のグーが良いとされています。グーが3つもあるのは日が当たりすぎて成長過多。
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というわけで、ヒグマさんには30分ほどおとなしくしてもらって、山菜採り完了!
バケツには、ウド、ワラビ、フキなどたくさんあります。
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今晩は、天ぷらやキンピラなど山菜料理が並ぶことでしょう。
我が家に帰ったら、愛猫の「コタロー」はベッドの上で腹を出して寝ていました。
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まさに、天下泰平!コロナなんぞは関係ない!我輩は猫である!寝るのだ💤😭💤のだ❗と。

今晩の山菜料理です。ウドはニンジンと一緒に炒めてきんぴらに。
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ウドがみずみずしくて、水分を飛ばして、とっても美味しそうです‼️
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ワラビはゆでて。
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たたきにして、酢醤油かワサビで食べると美味しい‼️
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ウドの葉っぱは天ぷら、でも今日はなし。明日以降のお楽しみ‼️
フキは後日、煮物にします。
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おまけがあって、息子のプロレスラーのカツオが知内町でカキを買って来ました。1個が大きくて実がプリっプリっ‼️、それに安い!なんと!1個130円ですよ❗
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ついでにアスパラ、バター炒めで美味しい‼️
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では、また!

5月13日木曜日、天気は曇りで夕方から雨のマークがついていて、今夜は雨になりそう。
昨日は晴天だったから、久しぶりに自転車で市内をサイクリングしたら、五稜郭では修学旅行生が結構来ていたのにはびっくり!バスを見たら旭川など道内の中学生で、確かに函館は感染者数が少ないし、札幌から見れば安心(?)かなと思ってきているのでしょう。
実際、市内をはしている車のナンバーも札幌辺りが多く、ホテルの駐車場は道内ナンバーやレンタカーが多く見られます。
でも、大丈夫なんでしょうか?マスクをしていても食事の際は外すし、旅で出てれば会話だってはずむはず。まぁ、神経質になっても楽しくないけど、ちょっと心配な面もありそうな。もっとも、家にばっかり引き籠っていては、苦痛になってきて外出したい気持ちは十分理解できますけどね。

さて、函館公園の外回りをしている続きです。グルーっと周って遊園地にやってきました。見てお分かりのように、このくらいのフェンスだったら侵入できそう。夜間立ち入りを禁止ていますが、フェンスを乗り越えて入ってくる人がいないでもないけど、今までそんな事例はなかったのでしょうね。
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道路沿いの家で、蔵を備えているのを発見!塀沿いの奥に立派な蔵がありますね。何が収納されているのでしょうか?興味はありますが、埃だらけとか?見ない方が良いかな?
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青柳町電停付近にある正面入口へ。ちょうど、遠足の小学生たちと出会いました。遠くからパチリ!市内の小学生で電車を利用できる距離にある学校だったら、ここへきて1日遊べますね。
無料の小動物園もあるし、遊具は有料だけど芝生もあるし遊ぶには十分な広さです。
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正面入口からの坂。右のマンションの並びに市電「青柳町電停」があります。手前のシャレた洋風建築の建物は何でしょうか?
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唐草館」という名。以前は、全体をアイビーの葉やツタが絡まる建物でしたが、全部取っ払って白く塗装したらとても素敵な建物に変身!カッコイイですね。
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唐草館の左側の道を進むと、青柳小学校へ。確か今年限りか、ここ数年で閉校される学校です。西部地区は子供が激減し、逆に高齢者が増え続けていて、学校は閉校しています。
小学校だけでも昭和の時代から見ると、閉校したのは谷地頭小学校、常盤小学校、幸小学校、西小学校。中学校は船見中学校、愛宕中学校、西中学校ですからね。
結局、来年以降は函館山麓の西部地区には小学校は弥生小学校、中学校は潮見中改め青柳中学校の各1校ずつのみとなってしまうようです。
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角地にあった「函館工業教育発祥の地」の碑。
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明治40年の大火後、函館の復興と地域の工業の発展を促進するため、明治44年に函館区工業補修学校の設置を決めた、と。この地には旧住吉小学校(現在の青柳小学校)があったが、その校舎を仮に開校したのでした。
現在の函館工業高校の前身にあたりますね。
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一部3階建ての立派な校舎ですが、東側から見ると戦前の古い校舎で相当な年代物です。
卒業生で会った私の妻に聞くと、「空襲を避けるために、校舎にコールタールを塗って黒くして目立たなくしていた」と、もちろん妻は戦後生まれですが、戦時中の残りがいまだにある小学校なのです。
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となりは、西部地区に合わせて景観を重視して建てられた道営住宅です。なかなかカッコイイ建物ですね。
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左は函館公園で、その横の坂は「すりばち坂」。谷地頭がすりばちの底になるから名付けられたのでしょうか?
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最後に、公園横で青柳中学校前の広大な空き地。以前は裁判所の裁判官たちの官舎があったとか。
撮影は4月初め頃でしたので、フキノトウが咲いていますね。
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相当広い!市街地を見下ろせ海が見えるこの地、結構な値が付くと思うのですが?かなり以前から空き地のままです。何か利用方法がないのでしょうか?もったいない土地です。
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ということで、函館公園をしばらく見てきました。次回からは、青柳中学校の横にある護国神社を詳しく見て行きます。

では、また!

5月11日火曜日、天気は曇りのち小雨で、気温は13℃前後の少し寒く感じます。道東の方では雪も降ったとか。まだまだ夏には遠すぎる季節です。
コロナワクチンですが、ネットも電話もつながらなかったのですが、かかりつけの病院(4年前に人生初の入院と手術を行った国立函館病院、詳しくは2017年のblogを見れば分かります。)へ電話したところ、次の診察日である7月1日にワクチン接種が出来るとのこと、まだ一月半もあるけど、まずは接種出来ることに一安心しました。
ワクチン接種は各自治体によってまちまちですが、接種の整理券をもらうために徹夜で並ぶ高齢者がいたり、中にはズルをして早く打てるように手を回してそれが公表されたりで、いろいろありますね。

この分で行ったら国民全体に行き渡るのは今年いっぱいでは無理でしょうね。若い人たちの分は年を越しそうです。高齢者だって、2回接種は秋以降になりそうな状況です。
どうなるんだ、日本は?こんな状況下でオリンピックは開かれるのか?

さて、函館公園の続きです。まずは、博物館前に戻ります。
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そして、旧博物館2号館前へ。
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一旦、外へ出て公園の周囲を歩いてみましょう。
ここは、右側に通行禁止の一方通行路のマークが一部だけ見える函館山道路の下山専用路の一番下に位置する場所。その角地にあるジャズ喫茶「想苑」。創業は1959年というから、今年で62年目。始めた時はクラッシク音楽や映画音楽をかけていたが、60年代のモダンジャズブームとともにジャズ喫茶へと変わっていったそうです。
名物は、昭和7年創業で北海道で一番古い珈琲店で全国的にも人気のある「函館美鈴」のコーヒー豆を使用した想苑オリジナルブレンドコーヒーです。
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さらに歩くと、遠くに谷地頭温泉の建物が見えてきました。元市営でしたが、民間へ払い下げられましたが、昔と同じ茶色の温泉でタオルを入れると茶色に変色します。露天風呂が五稜郭の形をしていることでも有名で、観光客も入浴に訪れています。
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左は市電終点の谷地頭電停のある場所で、低地になっていることがお分かりでしょう。谷地の名前が付けられたことからも、湿地帯だったのです。函館山に降った雨水が集中する場所なので、よく洪水も起きたところです。
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北海池では、親子連れが亀でも見ているのかな?
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南側にある函館公園入口。何か所かある入口の一つです。高台にあるのは旧図書館。
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ぐるーっと周ると小動物園入り口へ。
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駐車場が見えますね。市電通りの手前の駐車場は20台くらい。奥にさらに駐車場があります。市電の線路をまたがなきゃいけませんが。
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奥の一番高い場所にある青柳町電停。そこから谷地頭電停までは下り道です。
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小動物園のある場所沿いを歩いて行きます。函館山の山頂が見えていますね。
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この辺りは登り道で、坂がありますが特に名前があるわけではない。とにかく函館の西部地区は函館山の斜面だから坂だらけなのです。
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ここも小動物園のゲート。何か所入口があるんだろう。もっとも、低いフェンスを越えて入ろうと思えばできるから、ゲートを封鎖しても入れそうですが。でも夜間は閉鎖しています。
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ここにも小動物園の入口。フェンスは低いでしょう。
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市立函館図書館と書かれているけど、かなり昔のままです。奥はクジャクの部屋。
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ということで、公園入口はまだまだあるので続きは次回へと!
大阪ではコロナの死者数が最多で55人とか。人口比で行ったらインドを越えているそうです。
ワクチンを打っても安心できるわけではなく、これまで以上に気を付けて生活しなくてはいけません。
いつまで続くコロナ!北海道は感染者数が激増して毎日400人超えです。もっとも札幌市や石狩管内でその7割以上で、札幌はかなりのアラームが鳴っています。
GW期間中は、札幌ナンバーの車の多いこと、多いこと。たくさんお金を落として帰るのは良いのですが、コロナのお土産を置いて帰るのは御免被りたい。
安全・安心の日本、世界になるのはいつのことやら?
いつも通りに気を付けて生活するしかないのですね。

では、また!

5月9日月曜日、天気は曇り。函館市では今日から高齢者向けにワクチン接種を受け付けており、早速私も予約しようと、ネットや電話でつなげようとしました。が、ネット・電話は繋がらず、かかりつけの最寄りのクリニックは「ワクチン数は少なく対応できません。」と無碍なく断られ、しまいにはネット受付は今回は満員。次回5月19日から」の文字が・・・。ショックです
こうなることはある程度想定していましたが、小さな町村と違い都市部になると高齢者は数万人もいるから、一度に会場で接種することは無理なんですね。こうなると、気長に待つしかないのかな?

さて、函館公園にある「どうぶつ慰霊碑」から。長い歴史の中で多くの動物はここで亡くなったのもおるでしょうから、慰霊碑が建てられたのですね。
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函館博物館の歩みの説明。
1879年(明治12年)に、開拓使函館支庁仮博物館として開場したのが始まりとか。
当時のお雇い外国人のアメリカ人のホーレス・ケプロンが、設立を提言したことによる、と書かれていますね。ケプロンと云えば、札幌農学校(現在の北海道大学の前身)開学の立役者で北海道開拓の歴史で、道内の教科書に登場する人物。ライスカレーの言葉を最初に使用した人物としても知られていますね。
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場所は、護国神社碧血碑のほぼ中間です。護国神社が新政府軍の墓として正式に政府公認に対して、碧血碑は民間人が建てた非公式の墓。手厚く葬られた新政府軍兵士に対し、旧幕府軍兵士は戦場に放置されたままだったのです。それを市内で任侠をしていた柳川熊吉が葬ったのです。
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横文字で書かれた墓がありました。
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1874年(明治7年)に函館に着任したドイツ領事のルードヴィッヒ・ハーバーが、排外思想=攘夷の考えを持つ旧秋田藩士田崎により惨殺されたことがありました。
明治の初め頃は、幕末の偏った思想の攘夷思想を捨てきれない日本人もいたのです。
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博物館裏にあるこのコンクリートの塊は何でしょう?
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明治時代のレンガ積みマンホールで、電話の地下ケーブルを収容する設備だそうです。
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公園では、のどかに子供たちが遊んでいました。
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春休み期間中だったので、小学校の高学年かな?それとも中学生の女の子かな?そろって学習するために図書館へ行こう、としているのでしょう。後姿なら撮影しても大丈夫でしょう。
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博物館裏にある「虫塚」。動物慰霊碑と同じものですね。
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どうやら左がオットセイ?右がカブトムシ?
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横から見るとそうでした。
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博物館の高台から旧図書館を見る。
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ということで、函館公園に関してはもう少し続きます。
道内では、コロナ感染者数はおとといに400人台に達したら、昨日は一気に500人台へ。その大部分は札幌市とその周辺ですが、徐々に道内各地に広がりつつあります。
怖い気がしますが、自分で出来る予防できる手段は限られているので、この先どうしたらいいのでしょうか?頼みのワクチン接種もいつになることやら?

blog読者の皆様の中で高齢者の方は、ワクチンお済ですか?
もっともワクチン接種しても安心はできませんが・・・。
どうか、お気をつけてください。

では、また!


5月7日金曜日、天気は快晴で気温も22度以上の暖かい日、というよりは太陽が出ている部分は暑いくらいの日でした。
午後、本を借りるために五稜郭になる中央図書館へ。何と、前庭のサクラは満開でした!IMG_20210507_150735

例年、五稜郭公園の堀を囲む桜よりは、1週間くらい遅く咲くのですが、今年もそうでした。図書館の建物を囲むように10数本の色々な種類の桜があって、いずれも満開!
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道路に面した側が正面玄関。いつもは我が家から自転車で15分くらい。さすがに、冬の間は車で来てましたが、暖かくなると自転車が最高!
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実は、午前中は5年ぶりの免許の更新。次は2026年になりますが、次が最後か、それとも今回で最後か?早めに返納も考えていますので、コロナが収まった後は出来るだけ「ぼうけんの旅」で、未知の地を早く訪ねたいのです。
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ご覧のように、白い八重桜が満開です。
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こちらはピンク色の垂れ桜。
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道路を挟んだ向かい側が五稜郭の堀で、1000本以上の桜のほとんどは散っていました。
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これは、珍しい淡い緑色の八重サクラ。
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図書館の煉瓦の壁に合いますねぇ~。
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こちらはピンク色の八重サクラ。
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帰り、堀の周りを走ると、散ったサクラの花が風で運ばれ、流されて1ヶ所にたまっています。
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1週間前まで満開だった五稜郭のサクラも今は花は散って、ごく一部のサクラだけしか咲いていませんね。
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今年は、昨年に比べるとかなりの花見客が訪れたとか。昨年は花見だけでも禁止でしたからね。でも、飲食は禁止で黙って歩くだけ。それでも、サクラはキレイでコロナに疲れた人々を癒してくれました。
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この通りも、10日ほど前に撮影した時は大勢の花見客がいて満開でしたが・・・。
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最後に、サクラの花のじゅうたん。
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花は散って、地面を覆い尽くしてピンク色に!
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ということで、図書館のサクラが満開でうれしかったのでした。
では、また!

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