函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めた車中泊中心の「ぼうけんの旅」は今年で13 年目に突入。 車中泊の貧乏旅行の旅、今年で74歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 今年2026年も「ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです! 今年も「ぼうけんの旅」をよろしくお願いいたします。

2026年が明け今年は74歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!時々は自転車を積んでの軽バン一人旅の始まりです。

2021年06月

6月30日水曜日、天気は早朝から晴れで、気温は25℃まで上昇だから過ごしやすい夏の日です。
今日で今年の前半が終了し、明日からは後半が始まります。早いもので、もう2021年の半年が過ぎたのです。なんか、今年も昨年同様にコロナで半年が振り回されたような気がして、落ち着かなかったなぁ~、という気持ちです。年末までには、何とか収まって欲しいのですが・・・。

さて、今まで4回夏の旅として七飯町のことを特集していましたが、香雪園を紹介する写真が1回分残っていましたので、夏の旅をちょっと中断して、お伝えいたします。

温室の向かい側にあるのが板倉と呼ばれる倉庫です。ここは内部を見学できるので入って見ましょう。入口で靴を脱がなくてはいけません。
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板倉は、園内の樹木・植物等の維持管理に必要な工具・資材等を保管するために建設されたものと考えられる。築造されたのは、香雪園が再整備された大正初期頃と考えられ、下屋の間仕切り壁が変更されている他は大きな改造は行われていない。
今回の修理では下屋に引き違い戸が付加された昭和初期頃の姿での復元を行った。」とあります。
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ピンボケの写真で申し訳ありません。ここは、道具類が展示されていますね。のこぎりとかはさみとか。
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懐かしい園亭写真とあります。昭和初期あたりか?当時の様子が分かります。
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その向かい側にあるのが緑のセンター。展示室や、秋には毎夜コンサートなどイベントが行われている小ホールがあります。秋は、ライトアップされた紅葉の木々が夜見れるからです。
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こちら板倉ですね。それにしても、サクラや松の木々がたくさんあって、どれだけの樹木が植えられていることか!
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展示室には、エゾリスや様々な風景の写真が展示中。
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香雪園のいわれが書かれていますね。以前に紹介したように、豪商岩船峯次郎氏の別荘だったここが市民に開放された公園です。
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ホントにすごい庭園で、これが無料で開放されていることが函館市民としては誇りなのです。
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ここの松並木もきれいですね。
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これはエンレイソウですね。茶色の花びらのように見えるのは花ではなく、ガクの変形です。ガクとは、花のもっとも下(外)側に生じる器官で、葉の変形したもので、葉っぱなのですね。と、「北海道植物教材図鑑」に書かれていました。でも、葉っぱは緑色の大きなのもあるみたいだけど・・・。
北海道を代表する野の花の一つですね。
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今回はエゾリスの撮影が出来ず、残念でした。過去の香雪園を紹介したblogでは、エゾリスがアップで写っていますので、探してみてください。
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ということで、秋の紅葉の時期は素晴らしいけど、春のサクラの時期も見応え十分で散策するには最高の公園でした。
再び香雪園を紹介するのは、4か月後の11月の紅葉の時期。今回見た緑の色からどう変化するのか?
そして、1月・2月の真冬の時期の真っ白い庭園もきれいです。

では、また!

6月29日火曜日、天気は曇りで夜から雨マークが出ていて、今日は1日中曇り空のようです。
さて、ここは歴史館前の森。昨日紹介した倉山卯之助が植えた杉の木でしょうか?今も健在で、うっそうとした森となっています。
この中にベンチがあり、森林浴をしながらランチタイム。
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背後に見える歴史館は無料で見学できるし、七飯町は自然が豊かでしかも函館市内へはこれまた無料の自動車道を走れば30分以内で中心街へ、函館空港までも30分で行けるのですから、函館市のベッドタウンになっているのも分かります。
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三島神社の前はグランドで、運動会の練習かな?七重小学校の子供たちが行進していました。小学校の名前は七重。中学校の名前は七飯で、小学校は七重村と飯田村の合併前からあったからなのか?
なお飯田村の由来は、1858年に移住した八王子千人同心の飯田甚兵衛が開墾した土地は、飯田郷と呼ばれたそうで、そこから来ています。1879年(明治12年)に田村と重村が合併して七飯村となったのでした。それにしても、七飯を「ななえ」と読むのはかなり厳しいですね。
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三島神社のすぐ下を走る国道5号線を北上すること約1㎞で、桜町にある曹洞宗のお寺宝琳寺へ。
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実は、このお寺の裏手に箱館戦争の新政府軍戦死者のお墓があるのです。
1868年(明治元年)10月22日峠下で戦いの火ぶたが切られた箱館戦争は、七飯町各地を舞台に戦場となりました。
八王子千人同心のメンバーは、徳川家に仕える身でありながらも旧幕府軍へは加わらず、官軍側へと付き箱館府守備隊として戦うのです。仲間の中には恩顧ある主君徳川家のために、榎本武揚率いる旧幕府軍に参加しようとした人もいましたが、密告もあって失敗。
なぜ、新政府軍へ参加したのか?それは幕府側が脱走軍だったからか?それとも主君の15代将軍の徳川慶喜は大政奉還をして、すでに将軍ではなかったからなのか?
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どちらにしても、旧幕府軍が上陸する前に箱館奉行所は新政府側へと変わり、箱館府知事清水谷公考が五稜郭へ入っていました。知事の清水谷は旧幕府軍と戦う決意で、大鳥圭介の旧幕府軍とは話し合いをせず、10月20日峠下村の旅籠で宿営していた大鳥軍部隊を襲撃します。かくして、この日から半年間(1869年5月まで)以上にわたる箱館戦争が始まったのでした。
が、戦いは歴戦練磨の旧幕府軍の勝利で、多くの戦死者を出しましたが、戦後に彼ら新政府側の兵士たちは丁寧に葬られたのです。
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こちらは、飯田甚兵衛の地蔵。たくさんの地蔵さんがありますね。
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1868年(明治元年)10月24日に戦死した秋山幸太郎のお墓。秋山は八王子千人同心で、七重地方の世話役で頭取を務めていたリーダーでした。
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奥の墓かな?と思ったら名前が違い、よく見たら手前の小さなお墓でした。
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白い柵の囲みの中は箱館戦争戦死者墓碑群
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5つのお墓がありました。
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奥には、草ぼうぼうとなってる中に「荒井信五郎の墓」。
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備後福山藩の兵士、橘高助五郎の墓。わざわざ広島の福山から出兵してきたのですね。そういえば、函館護国神社の裏手の墓地群の中にも福山藩出身者のお墓がいつくもありましたものね。
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国道5号線を走り藤城地区へ。ここには「史跡藤城地蔵堂」と呼ばれる建物があります。
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子安地蔵尊(1849年建立)、三界萬霊塔(1848年建立)、馬頭観音像(1865年建立)の3つ説明されています。中に入って見ましょう。
子安地蔵尊には、村中世話人12名と石工の名が刻まれています。
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昭和初期のものと見られる洋風の絵、特に馬の絵が大量に奉納されています。ネット検索したら「妖怪が住んでいる」とか怪しげな記事もありますが、山の中でもないし付近には家も多いのですが。
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赤松並木の国道5号線。現在の5号線沿いには1400本の赤松が植栽されています。この道路、日本初の西洋馬車道として1872年(明治5年)に開拓使が開削し翌年に開通したもの。1876年には明治天皇行幸を記念して、七重御薬園(静観園)時代から育ててきた松・杉・ヒノキなどの苗木を植栽し現在に至っている道です。
1986年に「日本の道100選」、平成8年には「歴史国道」に指定されています。
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左が国道5号線。無料の自動車道が出来て以来、ここを通行する車の量は激減し、通る車は少なくなりました。
隣りの農家の家が立派ですね。

次回は、七飯のここをもっと詳しく知りたいので、七飯町道の駅「なないろななえ」へ行きます。
では、また!

6月28日月曜日、天気は今日も晴れで素晴らしい夏の太陽が空の上で輝いています。気温は最高で23℃とあったから、日の下で26℃くらいか?過ごしやすい快適な1日となりそうです。

さて、七飯町を巡る夏のミニ旅は七飯歴史館から。
七飯町の歴史を語るには、江戸時代後半からの八王子千人同心の活動を抜きにしては語れません。昨日のblogで一部紹介しましたが、箱館が開港(1854年日米和親条約で下田とともに開港)後の1856年から移住してからです。
開拓をする目的で津軽海峡を渡り、2年後の1858年には秋山幸太郎らが蝦夷地在住を願い出て、箱館奉行の指揮下で子弟・家族合わせて50名程度が入植しているのです。
同年に箱館奉行所が幕府直轄の七重村御薬園(静観園)を設置すると、栗本鋤雲が管理し八王子千人同心のメンバーも一緒に仕事をしています。
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左の人物が栗本鋤雲昌平坂学問所、今でいえば東大でしょうか?そこで優秀な成績を修めて表彰されているほどの秀才で、徳川家の医師の家系である栗本家を継ぎ将軍お抱えの医師をしていました。
先輩医師の嫌がらせで謹慎し左遷され、1858年に蝦夷地、箱館に赴任します。このことは明治の小説家の島崎藤村の作品「夜明け前」でも栗本鋤雲を登場させているほどです。
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当時の薬研(やげん)ですね。こうやって野草を粉々にして薬とする漢方医学です。当時は漢方が主流だったのでしょうね。
西洋医学と云えば、ドイツ人医師のシーボルト(1796~1866)が有名ですが、彼は1823年に長崎で出島の商館に勤務しながら鳴滝塾を開き、高野長英ら多くの蘭学者を育ていてます。
が、それ以前にも西洋医学を学んだ日本人もいたのです。前野良沢杉田玄白らは臨床実験を重視し、ドイツ語医書のオランダ語版を「解体新書」として翻訳したのは1774年のことです。
ただ、幕府は鎖国政策をかたくなに堅持して、洋学に対し弾圧をしていたので規制が強く一般的ではなかったのです。
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箱館戦争時の新政府軍側の戦死者ですね。右は弘前藩、中央には福山藩、箱館在住の方もいます。
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テーマは大きく変わって、リンゴの話。明治時代にいち早く西洋農法が取り入れられ、お雇い外国人の指導下で七飯リンゴは西洋リンゴ発祥の地になったのです。
町内には多くの果樹園があり、リンゴが生産者から直接販売されているところもあるから、新鮮で安い!私も知り合いの農家さんから毎年格安でリンゴを購入しています。リンゴは果物の中で一番好きです!
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歴史館を見学後歩いて散策。坂の下には七飯町町役場があります。昨日もお伝えしましたが、1000ⅿを超す山の斜面に発達した扇状地に町が発展しているため、坂が多い!のです。
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高い塔を持つ役場庁舎。玄関には七飯町出身(函館の中学卒、高校は本州、大学は日本体育大学)のパラスリート・陸上競技の辻沙絵(つじ さえ)選手を応援する垂れ幕が掲げられていました。
他にスポーツ選手としては、プロ野球巨人のピッチャー鍵谷選手やプロバスケットB1の元レバンガ北海道の野口選手も紹介されています。
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さらに坂を降りると、三島神社へ。道路沿いにあるのは社務所。
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御鎮座五百年とありますが、創建は1532年の室町時代、13代将軍の足利義晴の時代です。
甲斐の国では武田信玄が父信虎を追放したり(1541年)、斎藤道三が主人の土岐氏を追放(1542年)する下克上の時代になりつつあったころです。
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左の狛犬ですが、神社側から見れば右に位置している狛犬。右足の下にボールみたいなものがありますね。何だろう?
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右の狛犬。左端のサクラの木は、縁結びのサクラだとか。ここで結ばれたお二人が何組もあるとかで、詳しく知りたい方は、どうぞ現地へ!
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お神輿を格納する倉庫もあります。お祭り、今年も中止したのでしょうか?どこでもお祭りは中止ですね。それなのに、オリンピックだけでは強行するのでしょうね。
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この水、横津岳の伏流水で、他にも流れていて地元の人が水を汲みにきていました。自分もペットボトルや5リットル入るタンクに、冷たい弱アルカリのミネラルたっぷりの水を汲みました。
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こちらは300年記念の碑。300年というと1830年代のこと。まだ、江戸時代で八王子千人同心がやって来る以前のことです。
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境内のある「倉山卯之助」の杉の木。
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1808年に七重村在住の百姓の倉山卯之助は、箱館奉行から土地を借りて南部地方(岩手県)から取り寄せた杉の木と様似から取り寄せたトドマツを植栽します。それを箱館山に杉2万本、赤松2千本を植えたのです。その余りが今も残っていて、それが背後に見える森です。
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今、函館山は緑豊かな山で植物も、野鳥も豊富なのは、200年ほど前に汗水流して卯之助さんが植えたからなんですね。感謝です。ありがとうございました。
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ということで、七飯町は面白い!見どころいっぱいです。次回は、箱館戦争の戦死者のお墓があるお寺へと足を運びます。
では、また!

6月27日日曜日、天気は晴れで気温も25度以上にまで上昇し、真夏のような暑さです。といっても、本州のような30℃を越え湿度の高いムシムシした暑さとは違い、湿度50%以下のカラッとした夏日で、日陰は涼しく過ごしやすく快適な夏の日でした。

さて、一昨日と昨日2日間、函館のとなり町である七飯町を旅した今年最初のミニ旅を紹介します。
まずは、木が雑然と生い茂っている中に看板があります。「この庭園は個人所有・・・大和静観園」と。
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場所は、七飯町の大川。結構山の奥で車でなければ行けない場所です。
実はここ、江戸時代末期の徳川将軍家へ献上されていた薬園だった場所です。
幕末の安政年間、栗本鋤雲(くりもと じょうん)や八王子千人同心の子弟によって、開拓が行われた領地に立つ薬園だったのです。
1858年13代将軍の徳川家定のお抱え医師だった栗本鋤雲は、蝦夷地には本州にない種類の薬草が繁茂していることをアイヌ人から知り、ここに七重薬園を開設しました。
その後、ここは明治時代に実業家によって日本庭園として開かれます。その時の名が静観園。その後は所有者が次々と変わりますが、手入れもせず放置されたまま現在はうっそうとした森のように成り果ててしまったのです。

付近で畑仕事をしていたおばあさんがいたので、いろいろと話しました。80歳代後半から90歳代に見えたおばあさん、「私が嫁いだ60年ほど前はきれいな庭園で、町内会の運動会も行われたんだよ。それが全然手を付けなくなって、今はひどい状態になり中に入ることも出来なってしまった。」と。
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江戸時代末期の歴史のある由緒ある場所なのに、周囲は草木が生い茂って中を覗くことも出来ないほどで、ここが薬園だったことなど分からない状態になっていて、ガッカリでした。個人所有の広い土地なので、七飯町が管理するわけにもいかずこのまま放置されていくのでしょうか?

そこで、七飯歴史館へ行き七飯の歴史を知ろう!と。立派な建物で、入場は無料。
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向かい側には七飯文化館。ここはコンサートホールや集会場などあって、文化活動の建物です。
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まずは、七飯(ななえ)の名前から。最初は七重(ななえ)村でした。1879年(明治12年)に飯田村と合併して七飯村となりました。でも、どう見ても「ななえ」とは読めませんね。大抵は「ななめし町?」と読まれます。
農業が盛んで、1870年(明治3年)に、アメリカやヨーロッパの農法を試す試験農場として七重農場が造られ、ケプロンエドウィン・ダンといったお雇い外国人指導者が洋式農法について指導しています。日本で一番最初に西洋リンゴが栽培された地でもあるのです。青森が一番ではなかったのです。
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昔の農家の家を再現していますね。
もっとも、現在の七飯町は人口2.8万人あまりで、函館のベッドタウンであり函館市内への通勤・通学している方が多いのです。
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七飯町の牛の数は肉牛16400頭、乳牛2150頭で、牛だけでも18500頭ほど。美味しいソフトクリームががあったことからも、乳製品を扱う牧場も多いのです。牛肉は大沼牛としてブランド化しています。

ここは、昭和の時代の農家の部屋。障子とちゃぶ台に、手前には赤ん坊をあやす籠?。鉄瓶に火鉢もあるし、箪笥は如何にも年代物ですね。昔懐かしい風景です。
熊の彫り物が北海道らしい。
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道南は、あちこちに縄文時代の跡があり、ここでも縄文土器が発掘されています。
そういえば、うれしいことに!北東北(青森県・秋田県・岩手県)と南北海道の縄文文化遺跡がユネスコの世界文化遺産に指定されそうですね。
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七飯町は、横津岳(1167ⅿ)からの斜面では扇状地が多く、果樹の栽培や花などの園芸農業が盛ん。平坦な函館平野では水田地帯が広がっていて、北海道では最初の稲の栽培がおこなわれた地でもあるのです。
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もちろんアイヌ文化も。
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さて、何度か「八王子千人同心」という言葉が登場しています。
もともとは戦国時代に甲州の武田家武士たちでしたが、織田信長によって武田家が滅ぼされると(1575年 長篠の戦い)、徳川家康の支配下へ。八王子の千人町に移転し半農半士の生活だったが、家康に仕え大坂冬の陣、夏の陣に参戦。その後は日光東照宮の警備を担当。
江戸時代後半の1800年、苫小牧の勇払(ゆうふつ)や釧路の白糠(しらぬか)に開拓を志して入植。末期の1858年に150名程度が七重村へ入植。一部は七重薬園(静観園)にも入植したのでした。
箱館戦争では、旧幕府軍ではなく新政府軍(官軍)として交戦、榎本武揚軍と交えたのでした。
下の刀は、箱館戦争に使用されたものです。
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ということで、七飯町の歴史を知れば知るほど興味が湧いてきました。次回は、歴史館をもっと探り、七飯の町中へと出て行きます。
八王子千人同心の地区は、武蔵の国で江戸の西部。新選組の組長だった近藤勇、さらには土方歳三も同じ地区の出身なのです。これは面白い関係です。
土方から見れば、箱館戦争では出身地の人たちが敵味方に分かれて戦うことになるとは、さぞ驚いたことでしょうね。

では、また!


ついに今年初となる旅、1泊2日の車中泊の旅をしてきました。場所は、函館より北へ30kmほど行った七飯町(ななえちょう)の大沼国定公園東大沼キャンプ場。無料のキャンプ場です。
まずは、湖畔から西を撮影。遠くに見えている山は仁山。スキー場がある山です。波はほとんどなく、湖面は鏡のよう。
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午後3時前後でテントはまばらでしたが、金曜日だったせいか、夜になってどんどん押し寄せて来て、駐車場は満杯状態。車を見ると、ほとんど函館ナンバーで、数台が札幌ナンバー。宇都宮と所沢ナンバーもありましたが。
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3時から自転車を組み立てて湖畔一周のサイクリング。途中、渡島富士の名を持つ駒ケ岳(1131m)が山頂部分をちょっと隠していますが、キレイに見えました。
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時間が過ぎるとともに、雲は消えて山頂もクッキリ!現在は火山活動があるために山頂部分までの登山は禁止で、平らになっている馬の背までです。
何度も爆発して今のような形になりましたが、以前は富士山のようなきれいな円錐形の山で、噴火してなければ2000m級の山だったとか。
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大沼・小沼には噴火した後の溶岩が島となって出現。その数126個もあるとか。風光明媚なところで、昭和の初めに「新日本三景」に選ばれています。
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翌朝、つまり今朝のキャンプ場。ところ狭しとたくさんのテントが張られていますね。
自分は、駐車場の車の中で寝ましたが、マイ枕を忘れたことや今年初ということもあってか、あまり寝れず寝不足気味。夜空は満天の星でした。
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ある場所から。スイレンが咲いていますね。
朝6時に起床しましたが、3時過ぎでも明るくなっていて、さすがに北国の夏至の時期は陽が上るのが早い!日没も遅く午後8時近くです。
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絵画では「モネのスイレン」を思い出すけど、大沼の睡蓮も実際に見るとキレイに咲いています。
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昨日はかなり歩いたり、自転車で2時間走り回ったりで、おまけに寝不足もあったりで、早めに帰宅することにします。
大沼といえば、山川牧場の牛乳とソフトクリーム。美味しい!市内のあちこちで売られているものとは味が全然違います。
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バックは、記念撮影用のモニュメントで高さ2m近い代物。
ソフトクリームは、やっぱりバニラで食べるのが通!ですよね。チョコ味や抹茶味では誤魔化しがききますから、鮮度が分からなくなります。
ミルクの濃さと鮮度!何せ、となりが乳牛の飼育場なのですから。

後日、このミニ旅をblogで詳しく載せますのでお楽しみに!
では、また!

6月25日金曜日、天気は晴れで気温も23℃まで上昇するようです。
ここは函館市の郊外、市電終点の「湯の川」から北へ1㎞ちょっと行った場所です。
撮影は4月下旬のサクラ満開の頃ですので、今から2か月ほど以前のこと。
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ソメイヨシノのサクラの花が見事に咲いていて、青空とマッチして美しい景色になっていますね。
公園内には道内産の樹木以外に、遠くは埼玉県や愛知県など本州産の樹木も植栽されていて、約150数種の樹木が鑑賞できるといいます。
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公園内で見られる野生動物としては、エゾリスです。冬眠をしないので1年中公園内を走り回っていて、その姿は眼を凝らすと見ることが出来ます。エサもドングリやクリなど豊富だから困ることはないでしょうね。園内にある「緑のセンター」では、エゾリスの写真がたくさんあるので、是非訪れた際には見て行ってもらいたいです。
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エゾシカは不近には出没しているらしい。近くには畑もあるし、天敵の人間も少ないし農作物が豊かなだから、エゾシカにとっては天国みたいな場所。でも、さすがにヒグマは出ないでしょうね。と思うけど・・・。公園内にヒグマ出没なんて、あったら怖いですよ!
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雲一つない透き通るようなキレイな青空です。
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お弁当と本を持って来て、昼寝をして1日ゆっくりと楽しめそう。
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野菊が咲いていますね。ここは芝生の上に寝そべって、カメラを地面すれすれに構えてシャッターを押しました。
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この花の木は何でしょう?
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明治41年に完成した旧式の温室で、レンガ造りの温室で現存するものとしては大変貴重なものだそうです。
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残念ながら入室は禁止でした。でも、ガラス越しの内部は冬でも暖かそうです。
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木造建築ですが一部レンガ造りで、横を見たら確かに煉瓦が使用されていました。
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明治41年は西暦でいえば、1908年。日露戦争に勝利した日本は大陸侵略を進めます。韓国併合の方針を決めた翌年1909年にはハルビンで伊藤博文が射殺される事件も起きていて、そんなきな臭い年にここの温室が出来たのです。
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盆栽も展示中。
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ということで、香雪園は素晴らしい市民の公園になっています。
2年前までは、無料ということもあってか、インバウンドの方たちが四季折々毎日のように訪れていて、特に秋には大きな歓声を上げて盛んにカメラを写していました。
なぜなら、台湾や中国南部では紅葉がないからです。秋の紅葉の季節は、それは見事に赤、黄色、緑、茶色など様々な色に変化するのですから。

今は市民が訪問するだけ。逆にとても静かで落ち着いた雰囲気になっています。

では、また!

6月24日木曜日、天気は早朝5時の段階では激しい雨で、まさに豪雨。それが曇りとなり8時を過ぎたら久しぶりに太陽が顔を出してきました。やっぱり、夏はまぶしいくらいの陽の光が欲しいです。暑い!と云わせるほどの日差しと輝き、それが夏!
明日からは晴れマークが付いているから、楽しみです。

さて、ここは香雪園、別名は見晴公園。撮影は桜満開の4月下旬ですので、2か月ほど前のことです。ミズバショウの咲く水辺を歩いていたら、「ホタルのおいたち」と書かれた説明板と池。ホタルの繁殖地です。ヘイケホタルで、冬は氷点下になる函館でもホタルが繁殖できる環境になったんですね。
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あまりキレイではない池ですが、この濁った池でホタルが夏7月から8月にかけて見られるのです。
ホタルは本州では見たことがありますが、今まで北海道では見たことがなかったけど、上手に育てればホタルが見れるようになったのです。
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傍らには紫色の可愛らしいカタクリの花。
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どうやら、日陰になっているこの北側の斜面にカタクリの群落がありますね。
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花の裏側を見ると、キレイな形。6弁の花びらと1つの花びらには三つの、まるでチューリップの形みたいな模様。
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ミズバショウが咲いてきた清らかな小川と比べると、水の色はよどんでいて透明度はなく臭いもするような池。この環境の方がホタルには良いのでしょうか?「水清ければ魚住まず」というけど、ホタルも濁った池の方が餌となる虫、または水苔や水草があるから良いのかな?
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魚は確かに住んでいました。鯉かな?冬は氷の下で越冬したのでしょうか?
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結構な広さの池で、周囲には遊歩道が整備されていて、ゆっくりと観察しながら歩けます。
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カタクリの咲く斜面の階段を登って行きましょう。
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途中で、沢を挟んで向かい側にここ香雪園を造園した明治時代の豪商である岩船峯次郎氏の別荘が見えます。明治時代、函館屈指の大呉服店と称されていた老舗の岩船呉服店。そこの3代目が峯次郎でした。
初代峯次郎は、越後の国・新潟県の岩船郡というから現在の村上市の出身で、出身地から岩船を姓として幕末に箱館へやってきます。当時の箱館はフロンティアの幕開けのような将来性ある町で、本州から多くの人が箱館で一旗揚げよう!とやってきたのです。初代は飴や駄菓子で行商し財を成し、呉服店を営むようになります。それがその後箱館1の店へと発展するのです。
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3代目峯次郎は明治31年から別荘として、湯川郊外の地に庭園を造りますが、なぜここが香雪園となったのか?というと・・・。大正期に岩船家が浄土宗の檀家の総代となり、その縁で京都から浄土宗総本山の知恩院から偉いお坊さんが函館に来ます。そこでここを見て、「雪の中に梅香る園」という意味で名付けたそうです。
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その面積は46ヘクタールで、坪数にするとおよそ14万坪。かなり広い公園なのです。
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4月末だから、サクラ満開で、しかも快晴の日だから青空もクッキリ!
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暖かい日差しに誘われて多く市民が花見に来ていました。
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なお、岩船氏は「商売繁盛は住民の皆様のおかげ」だから、昭和2年に市民に無料で見れるように開放、公衆トイレや芝生広場も造ったのです。
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広い公園だからトイレは4か所もあるし、水飲み場や東屋もあります。そして、温室も造ったのです。
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で、次回はその温室を中心に見ていくことにします。
では、また!

6月22日火曜日、天気は曇りですが午後からは晴れ。でも、明日からは2日間は雨のマークもあって先週からパッとしない天気が続いていて、気分も青空のようにはなりません。
そこで、今日から数回ですが、4月末に撮影した函館市近郊の私のblogでは何度も紹介している香雪園(こうせつえん)という広大な公園のサクラを中心に春の花々を紹介していきます。
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今年は4月下旬が満開で、例年はゴールデンウイーク前後だから、かなり早かったのでした。ニュースでは統計を取り始めて2番目に早い!とか。
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函館市の郊外というよりは市電終点「湯の川」から距離にして1㎞ちょっと、我が家からは自転車で15分くらいで来れる香雪園(こうせつえん)は、無料で見学できる公園です。

さて、20日の日曜日にワクチン接種をしましたが、打った時は痛みもなく刺した感覚もまったくないほどリラックスしていましたが、帰宅後6時間してから打った周辺が筋肉痛になってきて、以後1日ずーと筋肉痛でした。でも、昨日からはそれも取れて、今は平常時と変わらずで腕も上がるし運動も通常通りしています。
人によっては高熱が続いたり、腕が上がらないとか副作用がある人もいるみたいですが、自分は何ともなかったからワクチン打ってよかったです。2回目は7月11日の予定です。
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実に広々とした公園でしょう。
ところで、前回の記事で歴史上の人物の名が町名になっている町をいくつか取り上げましたが、読者の方からのコメントもあり、調べてみたら他にもありましたので紹介いたします。
人見町人見勝太郎(ひとみ かつたろう)という幕臣で幕末に榎本武揚と一緒に箱館へ来て、「蝦夷共和国」では松前奉行をしていました。
堀川町~浄土真宗本願寺派の僧侶の堀川乗経(ほりかわ じょうきょう)から。幕末に箱館で北海道最初の本願寺派の寺院を建立し、松川弁之助と知り合い飲料水の確保のために治水工事をした人物です。
乃木町~乃木神社があったことから町名へ。日露戦争の将軍である乃木希典から。
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100台以上の駐車スペースがある駐車場は、もちろん無料。野球場は市の許可制になっていますが、普段使用していない時は誰でも使っています。
天然芝の野球場で、この時は少年野球の大会が行われていました。
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青空にソメイヨシノの桜。絵になる風景ですね。2か月前のことですが、サクラはやっぱり日本人のスピリットを表現する木です。
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静かな公園に子供たちの声がこだましていて、こちらも元気をもらいます。
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ミズバショウがきれい!
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こちらは一輪草ですね。花言葉は「追憶」だそうです。
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きれいな小川が流れていて、そこの水辺にミズバショウが咲いています。
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野球場の外野のすぐそば。たまにボールが落ちています。
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戦前は野球が強い都市だった函館。市内からは高校野球も甲子園へ何度も出場していたのに、ここ20年以上まったくなし。この子らが函館の高校へ進学して甲子園出場を果たしてもらいたい!のですが。
ファイターズの新人にして、新人賞候補の一人になっているセ・パ交流戦でピッチャー部門で防御率と勝利投手でそれぞれ1位となった伊藤大海(いとう ひろみ)投手は函館近郊の漁業の町鹿部町出身ですが、高校はわざわざ苫小牧へ。楽天イーグルスの田中将大投手がいた駒沢大学苫小牧高校へ進学しているのですから、もったいない。子供たちには、なんとか地元に残って欲しいのです。
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イチリンソウの群落!
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ミズバショウもたくさん咲いているし、水もきれい!

では、また!

6月21日月曜日、天気は朝から雨が断続的に降っていて、ここ1週間は太陽が顔を出す時間が先々週に比べると極端に少なくなっています。6月前半は快晴が続いて上天気でしたが、それがピタッと止まったような感じです。水曜日まで雨模様の天気で、梅雨のような気分が落ち込む天候です。

さて、奉行所を後に五稜郭を出ることにしましょう。
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一の橋を渡って五稜郭タワーへ行く手前にある説明板。
結局、旧幕府軍は薩長中心の新政府軍と戦う大義名分が欲しかったのでしょうね。それは「徳川家の存続をかけての戦い」をするためだったのです。だから新選組残党の土方歳三も、はるばる蝦夷地にやってきたのです。
でも、「新しい時代が始まった」とありますが、権力者が徳川家から薩長中心に代わっただけで、下々の人間は相変わらず虐げられる時代が続いたのですが・・・。
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函館山からの夜景は、世界三大夜景にもなるほどだから昼の風景を含めてミシュランは3つ星を付けていますね。
ただ残念なことは、「自然一流、食事も一流。だが、おもてなし二流、意識は三流。」という自虐的な言葉が北海道にありますが、それは道民の観光客に対しての意識の低さです。
特に、函館に関しては地元民が函館の良さを知らなすぎます。子供の頃、小学校で函館の歴史を学び観光に関しての学習もしているのに、観光客に対し「ここは何にもねぇとこだ。」とか、尋ねられても「歴史など分からねぇ。」と答える地元民がいることが、あまりにも悲しい。
素晴らしい観光資源があるにも関わらず、「何もない」とはひどすぎます。もっと、函館の良さを知ってもらいたい!と強く望みます。
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ここにもモニュメントが。土方歳三と大鳥圭介ですね。二人の説明はもういいでしょう。今までに十分取り上げて来ましたからね。
そういえば、先日NHKの「ブラタモリ」で北海道特集があり、函館も紹介されていました。函館山は火山の島だったこと、砂州によってつながった陸繋島であることなど。地元にしてみれば、とてもうれしい番組でした。
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堀の外側にも小さな堀がありましたけど、これは何?よく見ると水門みたい。ここで水の量を調整していたのかな?
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箱館戦争供養塔もありました。旧幕府側だけではなく新政府側にも、多くの戦死者も出ましたからね。
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五稜郭タワー内部を見学しよう、としたけど臨時休館中。20日まで閉じていましたが今日から再開しますが、残念なことに今日は雨で、それに悲しいことに観光客は極めて少ないのです。例年だとインバウンドが大勢来ているのに。
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ガラス越しに土方歳三と当時使用された大砲。徳川家と錦の御旗の2つ幟がありますね。
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堀の周囲を散策します。ここは1周1815ⅿ。ランニングしている人もウォーキングしている人も多いです。泳いでいる人は? いませんね。ここは遊泳禁止です。
昔、戦前のことですが、付近に旧制の函館商業中学があって、そこの学生たちがここをプール代わりに泳いでいた写真がありました。昔は冬期間氷を採って販売していたし、水がきれいだったのでしょうね。
今は、誰かが外来種の魚のブルーギルをリリースしたらしく、それが繁殖し年に何回か外来種を釣るボランティア活動が行われています。鯉と亀は以前からいますけどね。
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五稜郭築城工事を残場監督した松川弁之助の記念碑です。
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越後の国、今の新潟県三条市で大庄屋の六男として生まれた弁之助は、50歳を過ぎてから蝦夷地に渡り五稜郭建設工事に携わったのです。五稜郭付近に「松川町」の名がありますが、それは彼から取った町名なのです。土台が五稜郭の形をしていてカッコいいですね。
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函館には、他に町名として榎本武揚から取った「榎本町」、中島三郎助(江戸幕府浦賀奉行与力から蝦夷共和国箱館奉行並)から中島町、タレントの時任三郎の曽祖父で維新後の函館県令を務めた時任為基(旧薩摩藩士)から取った時任町などがありますが、さすがに土方町はないですね。残念・・・。
梁川町という町がありますが、碧血碑を建てた幕末の任侠である柳川熊吉から来ているのかな?と思ったら榎本武揚の雅号に由来するそうで、違いました。

他に町名を調べると、木の名前がありますね。杉並町、松川町(弁之助から取ってますが
)、松陰町柏木町、松風町、柳町など。
川の名がついた町名も多いです。私が住んでいる湯川(ゆのかわ)町、上湯川町、大川町、石川町、堀川町、新川町、豊川町、東川町、吉川町、赤川町、陣川町など。

ということで、五稜郭に関することはこれで終了です。次回からは別な地を紹介していきます。
では、また!

6月20日日曜日、天気は曇りのち晴れ、夕方小雨と目まぐるしく変化した天気でした。
今日、第1回目のワクチン接種してきました。注射はまったく痛くなく、刺した時も肩に触れた程度で、その後の後遺症もなし。風呂にも入れたし、動いても大丈夫でした。3週間後に2回目の接種がありますけど、その前にミニ旅が出来そうです。

さて、今日は我が家の花壇や畑の花を接写して大きく花だけを写しました。いくつ名前を当てることが出来ますか?さぁ、チャレンジ‼️
答えは、写真の下に書きました。
まずは、初心者🔰向けに。
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これも分かりますね。
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1枚目の答えは「プリンセス・オブ・スウェーデン」という品種のバラでした。
2枚目は、同じような品種のバラですが、1枚目とは名前が違いますが、名前は調べていて不明。
では、これは?
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ムシトリナデシコ
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カリフォルニアポピー
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モモバキキョウ
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マーガレット・ソレミオ。菊科の仲間で、かなり品種は多いです。
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同じく菊科のマックスマム・夕焼けレッドという名前。
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オステオスペルマムという名前で、紫色の花が綺麗!
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ラムズ・イヤー(羊の耳)という名前の花。羊の耳に赤紫色の小さな可憐な花が咲いて来ました。
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ラベンダー
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シラン
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パープル・セージ
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ジャガイモ「キタアカリ」の花
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ドクダミ
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黄ロウバイ
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ナデシコ
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ロベリア~紫。
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ロベリア~白。
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アリッサム
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白色のモモバキキョウ
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小松菜の花です。
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ジャガイモにトマトが生る?
いいえ、ジャガイモにこんな実が生るのです。食べられませんが。
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アサツキの花。
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ガザニア
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これは分かりますね。パンジーです。
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シャクヤク
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アルメニア
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ラベンダーをもう一度。もっと、大きく花が咲きますよ。
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ラミウム
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デージー
ここからは、ベリーの実を当てて下さい。
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ジューンベリー
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ブルーベリー
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最後に、これはブラックベリー。大きさは大人の親指サイズまで成長し、真っ黒い実になります。
ということで、いくつ答えれましたでしょうか?
6月も後10日で終了し、来月は7月。本格的な夏到来です。花も野菜も収穫の時期で、これからが楽しい‼️季節です。
今年は成長期の4月と5月が晴天が多かったので、大豊作が期待出来ます。
では、また!

6月19日土曜日ですが、今の時間は午前1時の深夜ですので真っ暗。昨日の天気は午前中曇り空が広がっていましたが、10時過ぎくらいからは晴れてきて気持ちの良い初夏の天候でした。
昨日朝からニュースで大騒ぎだったのが、札幌市東区でのヒグマ市街地暴走!
札幌市はかなり広い面積があって、南区では山域が広大だから熊はよく出ていました。南区でも住宅街の外れで家庭菜園をしている家に出没する、なんていうのはよくあるニュース。
でも、今回は東区で丘珠空港もあるし、地下鉄も走っている市街地です。道路を突っ走る姿にびっくりしましたね。幸い死亡する方がいなかったのですが、北海道では野生動物ではやっぱり熊が一番怖いです。
でも、本州と違ってイノシシと猿は出ないのです。イノシシと猿は野生では生存していないからです。本州のイノシシと猿が人を襲ったりするニュースは、よく見にしますが北海道ではありません。
逆に、ヒグマの出没やエゾシカの被害が多く、エゾシカにはついては木の皮をはいだり、農作物を荒らしたりして、有害獣として駆除されています。
さすがに我が家の畑には出ませんが、函館市の近郊農家さんの畑には出ていて被害もあるといいます。

さて、ここは五稜郭の奉行所。奉行所を出ると目に留まったのが井戸跡
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上水道はない時代だったから、この井戸から飲料水を汲んでいたのですね。
こちらは奉行所の北側。復元されていませんが、150年前は現在の建物の3倍はあったのです。それを示しているのがこの地です。
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図面の青色が復元された建物ですが、黄色の部分は当時あった建物。
当時の建物合計の面積は2680平方メートルで、およそ812坪。ヒバ、マツ、スギ、ケヤキを用いて建築されました。
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屋根に付けられた鬼瓦が意外と大きいのに驚きます。瓦はすべて越前、福井県の瓦です。屋根は杉の柾板を使用。
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罪人を拘置した牢屋跡
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窓もなく、真っ暗な部屋に閉じ込められていたのでしょうね。
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こちらは馬の飼料を保管した建物跡。
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結構広いから、100頭以上の馬を飼育・管理していたのでしょう。周囲はすべて桜の木。
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芝の手入れや木の管理など、1年中仕事があるのです。サクラの木の剪定や冬期間は雪かき、秋は落ち葉拾いなど観光名所の維持管理は大変です。
旧イギリス領事館にはバラ園がありますが、函館市内には洋風庭園の庭師さんがいないのか?最近はバラがみすぼらしく見えてきていて観光客はがっかりしたとか。でも、ここは和風庭園だから庭師さんたちが働いています。
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ここは、奉行所を訪れた人の従者が待機し建物があった場所です。今はないですが。
位置的には奉行所の前真ん前です。身分の低い者は奉行所に入れなかったのでしょうね。
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松の木の前の部分ですね。
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地元の保育園児たちが来ていて、集合写真。コロナ前だったら、大勢の中国人や台湾人たちがいて大きな声で話していたのに。今では逆に彼らの大声が懐かしい!
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松の木の伐採?それともカラスの巣の撤去?
実は、3日前に西部地区の豊川稲荷神社を訪れた時、カラス2羽から攻撃されたのです。巣があって子を守るためとはいえ、私を狙ってしつこく頭上から空襲!何度も攻撃されて怖かったのです。逃げても追ってくるし、帽子を被っていましたが背後から頭を狙ってすごいスピードで下降してきて、怖いのなんのって!100ⅿ以上走って逃げて難を逃れましたが、老人で走れない人だったらケガしたかもしれませんね。
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こちらの花壇も整備中。ツツジの花が見えていますね。
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ということで、奉行所見学後も五稜郭は見所いっぱい。
次回は、奉行所関連以外の周辺を探って歩いてみたことを紹介します。

ヒグマは本州にはいないけど、熊はいますね。石川県でしたが、市街地のスーパーに入店した熊がいたニュースがありましたね。東北や北陸では山菜取りの人が襲われたり。
オオカミが絶滅した日本では、最大の猛獣は熊です。キツネやタヌキ、シカは遭遇した時は何とか対峙して撃退できそうだけど、熊はそういかないです。
でも、イノシシや猿は怖そう!それがない北海道ですが、やっぱりヒグマは怖い!

では、また!


6月18日金曜日、天気は曇りで朝方はひんやりしていますが、昼からは太陽が顔を出して暖かく模様です。
2日前に、妻の友人宅を訪問。バラを育ていて、今がピークとのことでゆっくりと見学してきました。
晴れていれば青空に映えて最高なんだけど、でもそこは素晴らしいバラ庭園でしたので、是非blogで紹介したいな!と。
当日は残念ながら曇り空の肌寒い天気でしたが、色とりどりのバラを拝見したら、胸いっぱい!
では、素晴らしいバラ庭園をご覧ください!
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暖かい日には、ここでバラを見ながらティータイム。だなんて、何て素敵なんでしょう。
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2m以上にも伸びたバラ。バラに香りに包まれています。
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家の中が素晴らしい!バラを見ながら食事が出きるし、毎日がバラに囲まれた生活!なんて洒落ていることでしょう!
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こちらは黄色のバラ!
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こちらはオレンジ色のバラ!
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バラ一色の庭園で、でもバラの木の下には季節後との花が咲いていて、これまた美しい!
まるで額縁みたい‼️
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ということで、感動したバラ庭園でした。
でも、手入れが大変そう。花が終わったら、剪定もしなきゃならないし、肥料もあたえなくてはいけないし。それに虫もつくこともあるでしょうね。
それでも、こんなにたくさんのバラに囲まれた毎日は心が癒されますね。
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ティータイムには、地元の美味しいケーキを!
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ということで、充実したバラ・タイムでした。
我が家に戻り、小松菜の畑を見たらカタツムリが貝から体を出して精一杯背伸びをしています。
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つついたら、落ちて貝の中に身を入れて安全確保。しばらく固まったままでした。
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数日天気が良くなく、雨も降ったりしてカタツムリも散歩したくなったのでしょうね。
小松菜は大きく育ち食べ頃で、我が家二人では食べきれなく、知人・友人・ご近所の方にお配り致しました。
農薬を使用してないから所々に穴が開いていていますが、それは虫も美味しい、と食べた跡。もぎたて新鮮な野菜は、すぐに食べるのが最高!収穫して1分で茹でて、すぐに調理して食べるなんて、何て贅沢なことか。
売っているのと全然味が違います。
今朝は、朝もぎたてのベビーリーフを生で、オリーブオイルと塩をちょこっとかけて、食べて最高!でした。

では、また!

6月16日水曜日、天気は曇りで最高気温は20℃と出ていましたが、肌寒い天候です。しばらく晴天が続きましたが、今週は曇り空が多いみたい。
旅に出れない日が続いていて、時々テレビで旅番組を見ると「旅に出たい!」と強い思いが湧いてきます。「Youは何しに日本へ?」とか「こころ旅」を見るたびごとに、旅への思いが沸々と出てきて、やっぱり自分は旅が好きなんだな!と改めて思った次第です。
20日に第1回目のワクチン接種をした後で、1泊か2泊程度で近辺を車中泊のテスト旅をしたい!と。

さて、奉行所の3回目です。「歴史再現ゾーン」はいよいよクライマックスへ。
その前に、五稜郭の完成までの歴史をおさらいします。
1857年5月 武田斐三郎が五稜郭の測量開始。
   8月 松川弁之助が土塁築造工事開始。
1862年11月 奉行所建物の建設工事開始。
1864年4月 箱館奉行所庁舎や5か所の橋など五稜郭築造工事がほぼ完了。
   6月 4代目奉行の小出大和守が函館山山麓から五稜郭へ移転し、業務開始。
1865年4月 五稜郭の鎮守府とするために上山村に東照宮を造営。
1866年4月 5代目奉行となる杉浦兵庫頭と交代。
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1867年10月 大政奉還で徳川幕府が崩壊。
1868年4月 杉浦兵庫頭から明治新政府へ五稜郭を引き渡す。清水谷公考総督が奉行所庁舎で対面し          新政府の箱館裁判所が設置される。
同年10月 旧幕府脱走軍が鷲の木に上陸し、五稜郭を占拠。
  12月 榎本武揚を総裁とする蝦夷地仮政権=蝦夷共和国が樹立。
上の写真では、選挙で榎本武揚が総裁に選ばれ、他の役員も決まったことが分かりますね。
土方歳三は陸軍奉行並となります。

使用された銃や大砲の弾。新政府軍の武器はイギリス製の最新鋭のものでしたが、旧幕府軍のは旧式のもので武器の差も大きく戦力に影響しました。
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1869年 五稜郭北東側3㎞の丘陵地に四稜郭を急造します。
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土方歳三最期の地は、函館駅付近の一本木関門辺り。
同年5月18日 五稜郭が明け渡されて箱館戦争は終わりました。
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やっぱり、土方歳三はイケメンですね。だからこそ、亡くなってから150年以上経った今でも花束が添えられたり千羽鶴が飾られたりしているのです。
悪いけど、新選組局長の近藤勇さんの芋顔(失礼!)とは全然違います。
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奉行所屋根の両端に、それぞれ鬼瓦が使われていました。
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1858年9月 美濃の陶工である岩次と為次が、谷地頭で箱館焼を開始している記録があります。
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甕が発見されています。甕が埋められたのは音を反響させるためとか。能舞台があったとか。
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太鼓櫓への階段と太鼓。
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見晴らし台だけではなく、時を知らせる太鼓でもあったのです。当時は時計などなかったから、太鼓の合図で時間が分かったのでしょう。
でも、逆の港からも見えたので艦砲射撃の標的にもなり、命中した記録が残っています。
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5階分の高さに相当する高さに太鼓櫓がありますが、港が見えたほど見晴らしが良かったのでしょうね。当時は高い建物がなかっただけに、広く箱館市街地が見渡せたことでしょう。
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この太鼓を打って知らせたのですね。
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図面でもお分かりのように、かなり急階段です。それを5階分駆け上って、太鼓を打ち馴らして知らせたのです。
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その後はどうなったのか?というと。
1871年(明治4年)1月 開拓使本庁の札幌移転に伴う木材調達の目的で、五稜郭内の奉行所庁舎などの建物を解体します。なお、解体材の大半は函館市内へ払い下げとなっています。
中川嘉兵衛なる人物が、冬凍結する五稜郭堀水から氷を採ることに成功し、「函館氷」として東京方面へ売り出されたそうです。
1914年(大正3年) 前年の1913年に函館区(当時は市ではなかったのです)が管理する陸軍省に無償貸与を請願していて、1年後の1914年に五稜郭を公園として一般に開放されたのでした。

今は凍結はしても水は決してきれいではないし、とても氷として使用できないほど汚れています。それに凍結しても薄くて、人間が氷の上に乗ったら割れてしまいます。厚さは当時よりはずーっと薄いはずです。

10年ぶりの奉行所見学でしたが、オープンした直後とほとんど変わらず色あせたところなどなく、10年経っても新しいままの奉行所再現だったのに驚くと同時に維持管理も大変な作業だったのでは?と感心しました。
これからも、復元されていない場所も少しずつ復元できれば!と思いました。

では、また!


6月14日月曜日、天気は午前8時の段階で曇り。海霧が空を覆っていて青空が見えませんが、陽が上るに連れて霧も消えて晴れ渡ることでしょう。今日も暑くなりそう!

さて、我が家の夏の花が咲いて来ましたので紹介いたします。
まずはトップバッターとしてシャクヤクの花から。大きな真っ白い花が咲き始めました。
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続いてバラ。品種の名前は「プリンセス・オブ・スウェーデン」とか。ピンク色の花がとってもキレイ!
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まだ蕾の段階がたくさんあって、これからたくさん咲くことでしょう。
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こちらは真っ赤なバラ!
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シランがキレイに咲いています。
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今がピークとばかりに咲き誇っていますね。紫色の可憐な花が可愛い!
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モモバキキョウも紫や白い色の花を咲かせてきました。
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こちらは、ムシトリナデシコ。
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カリフォルニアポピーの黄色の花がキレイです。
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ラベンダーの花も大きくなっていますが、もっと大きくなりますので、これは今月下旬にもう一度お伝えします。香りがとっても良いのです。マスクに擦り付けると、素敵な香りで気分爽快。
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パープルハーブの紫の花。葉っぱは紅茶に入れると良い香り。
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黄ロウバイの花も咲き始めました。
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アサツキの帽子が花に変化。まるで赤ツメクサの花みたいですね。
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石楠花の花も咲いています。
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よーく見たら、ドクダミの花も。名前が良くないけど、花は可愛らしい。
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農園に行くと、トマトの花も咲いてきて、でも実が成るのは8月ころか?
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こちらはキュウリの花。
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ブラックベリーは今年大豊作が期待できそう。
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でも、よく見ると虫が卵を産み付けています。
農薬を使用しないから、いろいろな野菜にこのような泡みたいな卵が産み付けられているのです。
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ブルーベリーの花が終わり、実がつき始めました。あと一月もすれば、青い実がびっしりとつくことでしょう。
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ということで、6月になって暑くなり農作物もどんどん成長しています。
これが、35度を越えるような猛暑日なると農作物は猛暑に負けて死んじゃうそうです。
数年前になりますが、神戸の旅人さんの「テント虫おじいさん」が、そんなことをコメントに書いてくれました。
だから、函館くらいの暑さ(夏の平均気温22度)がちょうど農作物には良いのでしょうね。
最高で30度まで上がることもあるけど、だいたいは25度前後。
暑さもほどほどが良いのですよ。

収穫の時期になったら、またお伝えします。
では、また!

6月13日日曜日、天気は晴れで気温は25度以上に上昇し、真夏のような暑さです。恐らく今年一番の暑さでしょう。外の作業は午前中はまだ出来たけど、午後からは無理。家の中では涼しい潮風が入り過ごしやすいけど、太陽の下を歩くのは苦行みたいなもので、のんびりと家の中にいます。
もっとも、函館辺りで「暑い!暑い!」なんて言っていては、とても真夏の本州を旅することなんて出来っこありません。それに道内内陸部の方が函館よりもズーっと暑いのだから、このくらいの暑さは大したことはありません。

さて、奉行所内部の2回目です。大広間を見て武器置所を経て廊下へ。
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中庭の説明があります。採光や汚水処理を目的としているとか。ここから見える太鼓櫓の高さは16.65ⅿあると。高さにすると、5階建て以上の高さになりから見晴らしは良好ですね。
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うーん、いかにも高い建物です。ここで、敵を発見して太鼓を鳴らして知らせたのですね。
復元した建物の屋根には、3万8千枚の瓦が使用されたそうです。発掘調査では築造当時の瓦は、越前産の赤褐色の瓦で葺かれていたことが分かっています。それを忠実に再現しているのですから、すごーい!
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御役所調役の部屋。一番広い部屋で、45畳あるそうです。大広間は4つの部屋で合わせて72畳ありましたが、ここは1部屋で45畳もあります。それが4部屋続いていて、ここはその1つ目。
今は、ここを歴史発見ゾーンとして展示室になっていて、箱館や五稜郭の歴史を学ぶことが出来ます。
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外から光が漏れていますね。縁側を挟んで外庭が見えます。
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ここの部屋、横幅は9ⅿもあって、部屋を支えているのは長さ10ⅿ直径60㎝の松の木の梁在本が架けられているとか。
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御役所調役の部屋とは?奉行・組頭の次に位置する、いわばNO.3の役職の仕事部屋ですね。
一番下っ端が足軽で、その次が同心、その上が与力だから、江戸時代の時代劇を見るとその通りの順列なんですね。
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復元されたのは3分の1で、外庭にはかつてあった建物の跡だけが記されています。ここは、相当広い建物であったことが分かります。
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それにしても、松の木が良い絵になっています。
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青い図画が復元された建物で、黄色の図面はかつてあった建物。だから復元されたのは3分の1しかないのですね。やっぱり、全体を復元するとなると、かなり予算が必要になるし、人手もかかるからでしょうね。
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先ほどの梁の様子が分かります。長さ10ⅿ幅60㎝の松の木を梁材として2本使用。この梁材、見るからにかなり重そうです。
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さて、歴史を見ていきます。
1854年3月に江戸幕府はアメリカと和親条約を締結し、伊豆の下田と蝦夷の箱館を開港します。鎖国が終わりました。
4月に早速ペリー艦隊が箱館港に入り、函館山や港の調査をしています。
それまでの箱館は、松前や江差よりも小さな漁業主体の寒村だったのです。
開港して外国人が大勢やって来るのに対し、幕府は函館山山麓に奉行所を設置し、初代奉行に竹内下野守(たけのうち しもつけのかみ)をに任命します。
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函館山の麓、現在の元町公園に初代奉行所を建てますが、さっそく箱館奉行は「ここでは船から大砲で攻撃されるから、奉行所を内陸部の亀田地区への移転、と港出入りの船を監視できる弁天台場を設置すること」を幕府へ申し出ています。
1854年7月には2代目の奉行である堀織部正(ほりおりべのしょう)赴任します。
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地図を見ると、弁天台場の位置と奉行所の移転が分かりますね。
1856年7月3代目奉行の村垣淡路守(むらがき あわじのかみ)が任命され赴任します。奉行が3名体制になったそうです。
1857年5月、武田斐三郎が亀田で測量を開始します。8月には松川弁之助が築造工事を開始しています。
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武田氏や松川弁之助は、やること早い!随分とスピーディーに事を進行させますね。それだけ、北の守りは大切だったということでしょうか?外国から国を守る必要に迫られていたから?費用も相当掛かったことでしょうね。
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1860年11月には、五稜郭の北側に役所の住宅、今でいうなら官舎が30軒完成しています。
     亀田川から水を引き、五稜郭の堀へ給水する上水道工事が開始されます。
1862年、五稜郭内の奉行所建物の建築工事が開始。

ということで、どんどん事は進行していったのです。

次回は、3回目となる箱館奉行所。では、また!

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