8且4日水曜日、天気は晴れのち曇りで気温は今日も30℃超えの真夏日。何日連続で30℃を越えているのだろうか?毎日エアコンを使用していて、例年だと1年に10回くらいしか使わないのに、今では必需品になっています。しかも7月から使い始めたなんて今までになかったのに・・・。それだけ今年は異常な暑さです。それに加えて、降水量の少なさも異常。留萌管内では例年の4%しか降っていないとか。函館でも例年の30%弱とかで、こんなに雨が少ない年もありません。
今日は午前中に畑仕事をしましたが、その時の気温は何と!40℃超えです。太陽の当たる場所で仕事をしていたら熱中症で倒れてしまうんじゃないか?と思うほどの暑さ。

湿度こそ少ないけど、30分で止めましたが、来ている服は汗でびっしょり。体中の水分が出たんじゃないか?と思ううほどの汗で、すぐにシャワーを浴びて水分補給。しばらく冷房の効いた部屋で引きこもりします。
さて、ここは広い岩場です。沖合は日本海で、晴れていれば奥尻島が見えるのだけど、この日は見えずじまい。

テカエシ台場跡で、幕末に外国船に対し手大砲を設置して警戒していたのです。

そんな場所でテントを張っている人も。駐車場から荷物を運んでくるなんて、大変だったことでしょう。鴎島は島のほとんどがキャンプ場になっていますが、駐車場に車を停めて、荷物を運ぶこと数百メートル。しかも、階段や坂を登って運ばなければならず、きついのです。その代わり、夜間は閑静だし灯りも最低限しかないし、晴れた日には満天の星空が見えるし、何よりも海風があって涼しいテントサイトなのです。

各地にある千畳敷ですが、ここは海風や波によって削られて平坦な岩場になった場所です。
下の絵は、江戸時代中期の「江差屏風」で、サクラの木を運んで宴を開いている場面。
江戸時代だと、ニシン漁で潤った網元が贅の限りを使ったのでしょう。今ではあり得ない贅沢三昧の宴です。

鴎島灯台は江戸時代に灯りを灯して造られてから、1889年(明治22年)に近代的な灯台へ。現在の鉄筋コンクリート製の灯台は、戦後の1951年(昭和26年)に建て替えられています。もう築70年目です。

階段があって、後から登って江差の町などを撮影しています。景色は抜群!

「江差の5月は江戸にもない」と書かれていますね。なぜ5月なのだろう?北前船が海流と風によって、南からやって来たのが5月だからでしょうね。その時に大坂や京都の物産がもたらされ、京文化が伝えられたのです。江差が最大に繁栄したは、江戸時代後半だったのでしょうね。今では人口は最盛期の6分の1にまで減少してしまっているのです。


日本海に向かって「幸せに鳴る鐘」。二人で鳴らしても、幸せになれるか?どうか、その答えはカモメしか知りませんね。

奥に見える南側。そこにも大砲が設置されていました。

前回訪れた時は一番南側に歩いて行きましたが、岩場には「弁慶の足跡」なる大きな足跡のような形をした水たまりがあったのです。まさに、巨大な足の弁慶が岩場を踏みしめた跡?

ちょうど、奥尻島行きのフェリーが出航。でも、値段が高いのです。軽自動車でも2万円くらいして、往復したら4万円。もう少し安くなって欲しい!

一面芝生の快適なテントサイト。以前、奥には民宿があったのですが解体されていました。
左側には「エ差追分」や「ソーラン節」を歌う野外ステージ。晴れた日にはコンサートもあったのでしょうね。

奥にうっすらと見える上ノ国町。そこから20インチの折り畳み自転車で、エッチラオッチラ、汗かきかき、およそ1時間かけてここまで来たのです。

左奥には清潔なトイレや水場。どこでもテントを張れますが、やはり荷物を運ぶのが大変だから、キャンパーは少なかったのです。今は、車で乗り付けるオートサイトのキャンプ場が人気ですからね。
ここは昔ながらのテント場です。


ということで、江差の町は見応え十分。次回も江差の町を紹介していきます。
それにしても暑い!明日から始まる札幌市の競歩、マラソン、大丈夫なのでしょうか?しかも札幌市はコロナ感染者数が激増、今日は240人超えだそうで、北海道全体でも364名。函館も最近は増えいていて13名。暑い夏になって、日本全体で増加傾向にありますね。今日の東京は何人でしょうか?
自分はワクチン接種しているけど、今後の日本を想像したら怖い気がします。
皆さんも、感染対策万全にして、十分気を付けて行動してください。私も人ごみには行かないように、外出時はマスクは必ず着用。それでも、心配になってきたこの頃です。
では、また!
今日は午前中に畑仕事をしましたが、その時の気温は何と!40℃超えです。太陽の当たる場所で仕事をしていたら熱中症で倒れてしまうんじゃないか?と思うほどの暑さ。

湿度こそ少ないけど、30分で止めましたが、来ている服は汗でびっしょり。体中の水分が出たんじゃないか?と思ううほどの汗で、すぐにシャワーを浴びて水分補給。しばらく冷房の効いた部屋で引きこもりします。
さて、ここは広い岩場です。沖合は日本海で、晴れていれば奥尻島が見えるのだけど、この日は見えずじまい。

テカエシ台場跡で、幕末に外国船に対し手大砲を設置して警戒していたのです。

そんな場所でテントを張っている人も。駐車場から荷物を運んでくるなんて、大変だったことでしょう。鴎島は島のほとんどがキャンプ場になっていますが、駐車場に車を停めて、荷物を運ぶこと数百メートル。しかも、階段や坂を登って運ばなければならず、きついのです。その代わり、夜間は閑静だし灯りも最低限しかないし、晴れた日には満天の星空が見えるし、何よりも海風があって涼しいテントサイトなのです。

各地にある千畳敷ですが、ここは海風や波によって削られて平坦な岩場になった場所です。
下の絵は、江戸時代中期の「江差屏風」で、サクラの木を運んで宴を開いている場面。
江戸時代だと、ニシン漁で潤った網元が贅の限りを使ったのでしょう。今ではあり得ない贅沢三昧の宴です。

鴎島灯台は江戸時代に灯りを灯して造られてから、1889年(明治22年)に近代的な灯台へ。現在の鉄筋コンクリート製の灯台は、戦後の1951年(昭和26年)に建て替えられています。もう築70年目です。

階段があって、後から登って江差の町などを撮影しています。景色は抜群!

「江差の5月は江戸にもない」と書かれていますね。なぜ5月なのだろう?北前船が海流と風によって、南からやって来たのが5月だからでしょうね。その時に大坂や京都の物産がもたらされ、京文化が伝えられたのです。江差が最大に繁栄したは、江戸時代後半だったのでしょうね。今では人口は最盛期の6分の1にまで減少してしまっているのです。


日本海に向かって「幸せに鳴る鐘」。二人で鳴らしても、幸せになれるか?どうか、その答えはカモメしか知りませんね。

奥に見える南側。そこにも大砲が設置されていました。

前回訪れた時は一番南側に歩いて行きましたが、岩場には「弁慶の足跡」なる大きな足跡のような形をした水たまりがあったのです。まさに、巨大な足の弁慶が岩場を踏みしめた跡?

ちょうど、奥尻島行きのフェリーが出航。でも、値段が高いのです。軽自動車でも2万円くらいして、往復したら4万円。もう少し安くなって欲しい!

一面芝生の快適なテントサイト。以前、奥には民宿があったのですが解体されていました。
左側には「エ差追分」や「ソーラン節」を歌う野外ステージ。晴れた日にはコンサートもあったのでしょうね。

奥にうっすらと見える上ノ国町。そこから20インチの折り畳み自転車で、エッチラオッチラ、汗かきかき、およそ1時間かけてここまで来たのです。

左奥には清潔なトイレや水場。どこでもテントを張れますが、やはり荷物を運ぶのが大変だから、キャンパーは少なかったのです。今は、車で乗り付けるオートサイトのキャンプ場が人気ですからね。
ここは昔ながらのテント場です。


ということで、江差の町は見応え十分。次回も江差の町を紹介していきます。
それにしても暑い!明日から始まる札幌市の競歩、マラソン、大丈夫なのでしょうか?しかも札幌市はコロナ感染者数が激増、今日は240人超えだそうで、北海道全体でも364名。函館も最近は増えいていて13名。暑い夏になって、日本全体で増加傾向にありますね。今日の東京は何人でしょうか?
自分はワクチン接種しているけど、今後の日本を想像したら怖い気がします。
皆さんも、感染対策万全にして、十分気を付けて行動してください。私も人ごみには行かないように、外出時はマスクは必ず着用。それでも、心配になってきたこの頃です。
では、また!






























