函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めて「ぼうけんの旅」は今年で12年目に突入。 車中泊中心の貧乏旅行の旅、今年で72歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 いよいよ「2025 年ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです!

2025年が明け今年は73歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!軽バン一人旅の始まりです。

2021年11月

11月30日火曜日、天気は曇りで夜から雨の予報。気温は10℃以上にまで上昇して生暖かい日です。
さて、ここは津軽市の北部で旧車力村の日本海に面した七里長浜という名の白砂青松の砂丘地帯。
昨日は高山稲荷神社の千本鳥居を見ましたが、今日はいきなり十字架の登場です。
十字架というとキリスト教徒のお墓?
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慰霊碑と書かれていますね。下には詩も書かれていて、何でしょうか?
ここで亡くなった方、それも外国のクリスチャン方々の慰霊碑ですね。
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実は、ここは明治22年というから1889年。交易で来航中のチェスボロー号という船が遭難し19名が亡くなったのですが、地元の漁師さんたちが危険を顧みずに4名を救助した、そんな歴史がある場所なのです。
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背後に展望台の一部が見えていますね。登って見ましょう。
まずは北の方向を見ると、遠くに小泊半島が見えています。後から行きますので、その時に紹介します。さらにその奥には北海道、松前半島の一部が見えています。そう、ここからは北海道が見えるのです。
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ズームしましょう。小高い山が細く西へと延びているのが小泊半島です。
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一方、西の日本海を見ると島が見えますね。この島、松前の渡島大島です。青森県には南部の秋田県との境、沖合30kmに無人島の久六島(きゅうろくじま)がありますが、北部のここからは見えません。
もっとも、渡島大島も無人島。もっと晴れていれば、そのとなりに渡島小島も見えるのです。小島も無人島です。火山島です。
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真下に、チェーズボロー号の慰霊碑が見え、その奥に昨日の高山稲荷神社の社務所が見えています。
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続いて北の十三湖の方へ走ると、呑龍岳という小さな小高い山の上に展望台がありました。日本海沿いを走る県道を北に進むと、偶然ですが「呑龍岳展望台」の看板を発見し、右折して最後は砂利道を走ってここへ。
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木製の展望台を登って見たら、十三湖がクッキリ!南から北を見えて居m須。小泊半島も見えるし、集落の町並みも見えていますね。
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北東側を見ると、平野部と風力発電所のプロペラが。十三湖は岩木川の河口部にある汽水湖(淡水と海水の半々)で、元々は海だった場所。岩木川が岩木山から土砂を運び、河口に堆積して広大な湖が形成されたのです。いわば湖の種類としてはラグーン(海跡湖)です。そして、室町時代は東北の豪族である安東氏支配の国際貿易港として繁栄していた町だったのです。
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海抜は0メートル、海と同じ高さで、一部は海と繋がっています。深さは最大で3mだから、非常に浅く、それでここではシジミの養殖が行われています。シジミは、東の十三湖、西の宍道湖・中海といずれも汽水湖のラグーンで行われていますね。
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やっぱり、日本海に面した場所は冬期間は風が強く、だから風力発電所が多いのは北海道も同じです。
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最後、3つ目の展望台は十三湖の北に位置する道の駅「十三湖高原」。
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まずは南側。十三湖の奥に岩木山(1624.6m)が見えています。
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東を見ると、牧草地に黒牛が放牧されていますね。乳牛じゃなく肉牛ですね。
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北側は山。一番高い山は四ツ滝山(669.7m)。5,600メートルクラスの山々の連峰です。
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最後に真下を見ると・・・。ここでは車中泊が出来る道の駅です。過去に自分もしましたから。夜間は車の通りはほとんどないし、トイレはきれいで24時間オープン。道の駅はfreeWi-Fiだから、車中泊には持ってこいの道の駅です。夜空の星空はきれいでしたよ。
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ということで、今日は津軽の西側、3つの展望台から津軽半島を眺望いたしました。
次回は、さらに北へと向かいます。
では、また!

11月29日月曜日、天気は晴れのち曇りで、気温は10℃まで上昇し先日降った雪はまったく消えてしまいました。
土曜日夜の日本シリーズのヤクルトVSオリックスの試合、面白かったのですね。延長12回でヤクルトが勝利し優勝しましたが、近年にないほどの盛り上がりで、ここのところパーリーグが覇者になっていましたが、久しぶりにセリーグが日本1へとなりました。
それと、同時間の番組で予約した「グレートトラバース3」最終回を本日朝見ましたが、これまた感動!田中陽希さんが4年がかりで日本300名山を登山、しかもすべて人力で!最後は利尻山で、北海道の山々を登りきるという実に感動極まる番組でした。
それとそのあとに放送された「アントニオ猪木、最後の闘魂」も面白かったです。病に伏せながらも声を枯らして「元気ですか!」と叫ぶ猪木。あの猪木が?弱弱しい姿で声を震わせて叫ぶのです。本当に人生最後の闘魂を奮わせながらの90分。これまた感動でした!BS・NHKで、プロレス関係者を放送するようになって、とってもうれしいです。
もっとも、見てない人や興味のない人にはどうでもいいことですが・・・。

さて、五所川原市金木町の芦野公園キャンプ場です。
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一晩中雨が降っていたけど、朝起床したら快晴!太陽が輝かしい!ここオートキャンプ場ですが無料なんですよ。こんな素敵なキャンプ場、首都圏だったら3000円以上取られますね。
東北や北海道のキャンプ場には、施設は炊事場とトイレの最低限しかなくて質素だけど、自然あふれる素敵なキャンプ場が500円以下の低料金かまたは無料でたくさんあるのです。
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前日は雨だったので、自分含めて3名のみ。奥には八戸ナンバーのハスラーで車中泊の男性。私の奥には宮城ナンバーのテント泊の男性。いずれもソロです。
コーヒーとパンの朝食後、朝7時には出発。津軽平野を西へ。まずは日本海へ。
途中、南に津軽富士の岩木山が見えました。
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刈り取りが終わったばかりの田んぼ中に悠然と立つ岩木山。まさに、津軽の主という存在で、カッコイイですね。途中で岩木川を渡った時点で、つがる市へ入ります。
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辿り着いた場所が高山稲荷神社。こちらは社務所兼宿泊場所の立派な建物。
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これから向かうのは、千本鳥居。この地図を見ると、ずーっと奥ですね。
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ここの説明です。鎌倉時代から室町時代の創建されたらしく、江戸時代はかなり賑わっていたそうです。でも、見たところ建物自体は比較的新しいものが多いですね。
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団体のバスが到着して年配客が参拝に訪れていました。でもこの階段登るのは大変じゃないかな?この後にも同じような階段があって、その後に千本以上の鳥居をくぐるのですから。
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これが本殿。ここまで来るのにかなりの階段を登ってきました。ここで参拝した後に、今度は階段を降りて1本目の鳥居の前に行かなければいけません。
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で、鳥居の前にとうちゃこ!
これ売り物で誰でも買えるのです。というか、信者の方が1本30万円で購入できるのです。
最新のは木製ではなくプラスチック製。合成樹脂で出来ているんですね。
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横は公園。1本の間隔は1mから10mほど。
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数えはしなかったけど、1000本以上あるのかな?ここへの入場料入りません。駐車場も入場も無料です。
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ずーっと向こうの奥から歩いてきて、小高い丘の上へ。
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ここが最後の鳥居でした。時間にすれば10分もかからなかったかな?でも年配の方には上りだから、もっとキツイかも?
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丘の上には別な神社があって、その奥の低地には沼。多分、ため池みたいな水の確保するための沼でしょう。または、昔は海で、砂州によって一部が沼になったところかも?
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沼に向かって、たくさんのキツネが並んでいました。
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さすがに稲荷神社だけあって、キツネさんが狛犬。でも、いったいこれだけのキツネ、何処から集めてきたのだろう?かなりの数です。

ということで、さらに北へと向かいました。
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11月28日日曜日、天気は晴れで気温も日中は10度以上にまで上昇、歩く分には寒くはない日でした。もちろん朝夕は寒い。朝新聞を取りに外に出たら、バケツの水は凍っていたし、夕方日が傾いてからはグッと冷え込んできます。それでも、今日の昼は太陽が明るく眩しいくらい!

そんな日曜日、市立函館博物館郷土資料館へと出掛けました。このblogでは何度も紹介している旧金森洋物店ですね。
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理由は、この人の講談を聞きたかったから。
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郷土資料館において、月に1回のペースで開催される「荒到夢形(こうとう むけい)」さんの講談会です。内容は地元に関することで、今回は前半に丸井デパートの歴史、後半は厚沢部町の松前藩の館城(たてじょう)跡の歴史に関するもの。
いずれも興味深く、前半後半合わせて1時間楽しく聞かせてもらいました。
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明治13年(1880年)に建てられた和洋折衷2階建ての旧金森洋物店は、下の写真のような建物でした。
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かつての賑わいは、ミニチュアの人形で表現されていて、当時を偲ぶことが出来ます。
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中国人がいたり、西洋人がいたりずいぶんと繁盛したお店だったんですね。
何せ、当時の函館は開港時から外国人が来航し、日本各地からも新天地で一旗上げよう、と野心家がたくさん集まったのです。
ここの所有者の渡邉熊四郎もその一人。
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明治時代は、全国で10大都市の一つだったし、東京以北では最大の町だったのですから。
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人力車が走っていますね。この後、鉄道馬車が走るし、その後路面電車も走るのです。
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函館山山麓の西部地区は町の中心街として賑わい、当時の最新の建築物が立ち並んでいたのです。
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「よみがえる金森洋物店」として、平成10年(1998年)から2年間かけて、老朽化して危険だった建物を解体復元工事した展示です。
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その時の様子が展示されています。
屋根は瓦葺きで、セメントで固められていますね。石灰石を利用してセメントを作る技術は、紀元前の古代エジプト文明の時からありますから、江戸時代も明治の頃も当然接着剤の役割を果たしていたのです。
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一番下の板葺きの上に煉瓦。その上に粘土、その上に瓦というかなり分厚い屋根だったのです。
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レンガは明治の初め頃に製造されたもの。場所は現在の北斗市茂辺地。そこに公設の煉瓦工場があったのです。よっぽど、土が良かったのでしょうね。
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よく見ると、「明治七年」の文字が見えますね。
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詳しくは、こちらの説明をご覧ください。
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解体したレンガには、落書きも発見されたとか。
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函館は大火が多発していて、建物は土蔵造りで壁も分厚く、ご覧のように厚さが30cm以上ありそう。現在の断熱材入り新築の家よりも分厚く、しっかりと断熱・耐火出来そうです。ただ窓ガラスは薄い1枚ですね。
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北側も南側も同じような壁でした。
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ということで、陽気に恵まれた11月最後の日曜日は、講談を聞きに出掛けたのでした。

では、また!

11月26日金曜日、昨夜はプロ野球日本シリーズでオリックスが勝利して大興奮!ヤクルトの山田選手が8回裏にスリーランを打って同点になった時点では「こりゃ、無理かな?」と思ったけど、AJのホームランで1点差に。9回裏を抑えて勝利!それにしても今年の日本シリーズは近年にない面白さで、特にセリーグを制したヤクルトが頑張っているので見ていて楽しいです。
こんな楽しい野球の試合は久しぶりで、土日が待ち遠しいです。

天気は晴れで朝から太陽が顔を出していますが、昨夜寝るとき(午後10時)に外を見たら猛吹雪でした。案の定、朝起床してカーテンを開けたら外は一面真っ白!

まずは、昨日の写真から。朝から雪が降りだしてうっすらと雪が積もりました。我が家の畑ととなりの空き家の屋根。
でも、昼間には暖かくなり、日陰を除いて溶けたのですが。
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しかし、昨夜からの降雪は5cmほど積もっていました。道路もこの通り。
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となりの駐車場も真っ白!朝8時の段階では、まだ出勤者はいませんね。近くの生協のテナントのダイソーに勤めるお姉さん方は一人も来ていません。
9時15分になって、やっと来ました。昨日までは夏タイヤだったから、急きょ冬タイヤに変えて遅くなったのかな?
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木々の枝も一部凍結して樹氷となっていて、太陽の光が当たってきれい!
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ツツジの枝に重たい雪が積もり、垂れ下がっています。今頃の雪は湿っていて、重たいのです。もっと寒くなると軽い雪で、雪玉も握れないほどのサラサラ雪になるのですが。
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花壇のガザニアにも雪が積もっていて、黄色の花が隠されていますね。
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マリーゴールドもご覧の有り様。
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今日は最高気温でも4度。最低は0度。外においていたバケツの水は表面は凍結していました。外の水道はすでに凍結防止のために、水抜していて使用していません。
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ということで、ついに函館にも冬到来!雪の季節になりました。
外をウォーキングする時は、毛糸の帽子、手袋、ダウンの上着を来て、さらに冬用の滑らない底がギザギザの靴を履いて歩きます。スニーカーじゃ滑って危ないからです。
それにネックウォーマーもして。マスクはメガネが曇っちゃうから外して歩きますが、もちろん人混みでは着用します。

さあ、明日と明後日の日本シリーズ楽しみですが、明日はサッカーJ1の北海道コンサドーレの最終戦で、5年間在籍したジェイが本国イギリスへ試合後帰国するので、是非とも勝利してもらいたいです。
さらに、夜は田中陽希さんの4年間かけた「グレートトラバース3」の最終回もあって、楽しみいっぱいです。

では、また!

1時間後です。
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雪が降っても積もっても、寒さの中でけなげに花は咲いています‼️

11月25日木曜日、天気は晴れで気温は低いが太陽が出ている場所では暖かくて暖房要りません。「北海道は積雪80㎝越え」とかと報道されているけど、それは道北の日本1寒い幌加内村朱鞠内で、道南は山岳部を除いて積雪はゼロ。昨夜降った雪もまったく残っていません。
同じ北海道でも、北部と南部では気候は全然違うのに、報道では北海道は豪雪!などと報道されると、それって違うんだよな、と首をかしげたくなります。東北6県よりも広いのだからせめて東西南北に分けて報道してもらいたいです。

さて、昨日の続きです。丹生川上神社の境内を歩くと、まるでオバアちゃんのおっぱい(すみません)みたいなものがいくつもぶら下がっている、こんな面白い木がありました。
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神社の本殿そのものは小さく、こじんまりしたものでした。
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狛犬ならぬ狛馬!
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その手前には、手拭いでほっかむりした狛犬。周囲は銀杏の木ですね。
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嘉瀬駅近くで見かけた「天明の大飢饉餓死者の供養塔」。天明の大飢饉は、江戸時代後半ごろの1782年から87年までの間で、全国各地で大飢饉に見舞われたのです。特に、1783年浅間山の大噴火で関東地方が大凶作、さらに1786年東北地方の被害は甚大で、津軽藩などでは餓死者が数十万人にも及んだのです。飢饉により荒廃した村々では百姓一揆が起こり、都市部では打ちこわしが頻発した時代だったのです。
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「いごぐ穴」跡。「いごぐ」とは津軽弁なのか?いろいろと調べても来ませんが・・・。
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調べた中で五所川原市の観光案内がヒット。
この辺りは天明の大飢饉時は村人全員に近いくらい餓死者がでて、地獄絵図のようだったそうです。毎日餓死者が出て道路にもあふれ、埋葬する時間もなかったといいます。それで、各所に穴を掘って死体を埋めたといいます。直径2.5m、の井戸みたいな穴、それが「いごぐ穴」だそうです。
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保食宮という名の神社。食べ物を保つ、多分これは天明の大飢饉のころ、ここの人たちが命をつなぐ大切な食べ物を祀ろう!としてこのお社を建てたのでしょうね。
馬の像もあり、馬頭観音も祀っています。この辺りのお百姓さんたちは、農作業に役に立つ馬まで食べて生き延びようとしたのでしょう。
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津軽鉄道嘉瀬駅から200mほどの場所でした。駅へ行って雨宿り。
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暗いですけど、駅舎の中は、昭和の時代そのもの。看板が古くて、懐かしい!
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続いて嘉瀬の稲荷神社へ。グーグルマップをあてに行っても発見できず。雨の中を必死に歩いてついに見つけた神社でした。駐車場がなく、何とか車をける場所から歩き、まずは境内へ。
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ありました!真っ赤な力士像。ホントに面白い風習ですね。こんな力士や鬼が飾られた神社があるなんて、初めて知りました。
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続いて磯崎神社へ。本で調べて、それを昭文社の10万分の1地図でさらにマーキングして、さらに現地でグーグルマップで調べて、何とか辿り着くという方法しかなく、ナビにも出てこない神社がたくさんあったのです。
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ここのは、石で出来た鬼さんでした。ひもで縛っているところを見れば、石製の鬼を鳥居に縛ったのですね。
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この真っ赤な鬼さんは、どこか?というと。これまた行くのにかなり難儀した高おみ神社。
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「おみ」という漢字は、雨冠に龍。出てきませんでした。
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最後に、八幡宮。ここも辿り着くのに苦労しました。ナビには出てこないし、スマホのグーグルマップにもない。ここは自分の感で発見しました。
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写りが悪いですが、ここも石の鬼さんでした。
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 ということで、10月の旅初日にしてビショビショになりながらも何とか数か所の力士像や鬼さんを発見!ところがこの夜に震度5強の地震!自分は全然わからずぐっすりと寝ていましたが、恐らく地元の方たちは怖かったはずです。函館からもメールが入ってましたからね。
宮城から来て芦野公園でキャンプしていた人は、宮城が震源地と心配していました。
で、次回お伝えする2日目は素晴らしい好天に恵まれたのでした。
では、また!

11月24日水曜日、天気は朝から雪!風も強い!
ついに今シーズン初の雪を見ました。気温が最高で5℃くらいだから積もることはないけど、日陰や土の上では解けずにうっすらと真っ白い雪が残っている場所もあります。それでも、太陽の日差しが出て来たら、間もなく解けることでしょう。
これから2月末までは、北海道は真冬の季節で寒いシーズンです。若い時ならスキーに行けるぞ!と寒さを喜んでいたことでしょうが、今の年齢では「寒いなぁ~、早く春になって欲しい!」と嘆き、早く3月にならないかな、と思うのは年を取ったから?

さて、今日からしばらくの間は先月の10月、東北6県を旅しカメラに収めた数多くの写真をもとに「10月の旅 総集編」としてblogにアップしていくことにします。
まずは、出発当日の10月5日から。青函フェリーで函館から青森へ。青森市内から津軽地方へと向かいましたが、天気は雨。雨の中で傘を差しつつカッパを着て歩きました。
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ここは津軽半島南部の青森市のとなり町である五所川原(ごしょがわら)市金木(かなぎ)町。その金木の中でも喜良市(きらいち)地区。かつては喜良市村でしたが、金木町、嘉瀬(かせ)村と合併して金木町へ(1955年3月1日)。そして平成の大合併時の2005年3月28日に五所川原市と合併しています。
その喜良市地区の熊野宮という神社が今回の第1号。鳥居に力士像がありますね。
3俵の上に力士、これは何を意味するのか?
勝手な想像です。津軽は米どころですが、かつては凶作の時も。江戸時代には飢饉もあり多くの餓死者も出ました。そこで、お米を守るために、力の強い力士を凶作除けガードマンとして飾ったのでは?と思ったのです。「力士様、どうか寒さや害虫、水不足などから我々を守り、今年も豊作にさせてください!」と。実際、津軽は相撲取りが数多く出ていますからね。
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あくまでも自分勝手な想像です。境内には、金木町名木の大きな銀杏の木がありました。
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銀杏がたくさん落ちています。これだけの銀杏、見たことないです。
銀杏があるということは、オスとメスの木があるからこそ。北海道ではこんなに実がついた銀杏の木は見れないのでは?
と思って調べたら、確かに北海道の銀杏の木は雄ばかりで、雌の木が少ないということです。だから北海道では、銀杏がなっている銀杏の木を見る機会はほとんどないのですね。
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本州へ渡ると、植物や動物が北海道とは違いがある、ことが分かります。例えば、本州で時々見かける猿やイノシシは北海道にはいません
江戸末期に箱館にやってきたイギリス人ブラキストンは色々調べた結果、津軽海峡を境に生物の境界線があることを発見します。これをブラキストン・ラインと呼んでいて、確かに津軽海峡は動植物の境界線になっているのです。

狛犬も大雨除けにほっかむり。
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旅初日から豪雨です。傘を差していても、合羽を着ていても濡れます。特に靴は濡れて靴下はビショビショ。とうとう靴下を脱いで裸足で靴を履きますが、それでもスニーカーはビショ濡れ。
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旅に出たきっかけは、春に図書館から借りた本です。東北を旅した人が、田舎の神社の鳥居に力士像や鬼の像が飾られている、と写真付きで紹介していたのです。それと秋田県では巨大な藁人形がある、と。
それを見たくて、今回は旅に出たのですが、のっけから雨とは!やっぱり、自分は雨男か?
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続いて嘉瀬地区へ移動。移動は車で移動ですが、距離にして数百メートル。歩いても良かったのですが、雨が強すぎて・・・と弁解します。
嘉瀬の稲荷神社は、津軽鉄道嘉瀬駅から歩いてすぐの場所。ここにも米俵の絵がありますね。
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そして鳥居の守り神として鬼さんがいますよ。
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大きな角を生やした鬼!左右から出ている犬歯が怖そう!
それしても腹が出ているなぁ。ちょっとメタボな鬼さんでした。
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続いて丹生(にゅう)川上(かわかみ)神社へ。
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ここは真っ赤な顔と体の力士!頭は真っ黒けの毛。
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ということで、大雨の中10月の旅はスタート。津軽ではこの力士や鬼っ子鳥居を探しにあちこちを歩き回りました。初日から大雨で、この日は金木町芦野公園のオートキャンプ場で車中泊。
平日でしたが、他に車中泊は八戸ナンバーが1台と、宮城ナンバーの車で来た方がテント(!)で、と私を含めて3人。夜通し雨は降り続け、翌日テントの方に聞いたら「かなり浸水していていた」と。
それよりも、深夜午前2時ころに大きな地震があったのです。三陸沖を中心に震度5強の大きな揺れ。
でも、自分はぐっすりと寝ていて、気が付かず。翌朝にスマホを見て気が付いた次第。

そんなわけでスタートしました。次回をお楽しみに”!

11月22日月曜日、天気は曇りですが午後からは雨の予報。でも、blog作成中の10:35からは横殴りの雨が降ってきました。
昨夜は函館で初雪が観測されていて、寒かったのでしょう。函館気象台は我が家からは北の方向にありそこで観測されたというけど、我が家のある湯川地区は温泉があって地面の温度が暖かくまだ雪は見られず、生活している分には冬の到来はまだ、という感じです。
でも、道内各地で雪が降ったり積もったりで、冬型の事故も相次いでいるから冬に備える意識をしっかりと持たなくてはいけないですね。
昨夜の日本シリーズはヤクルトの高橋投手の気迫ある投げっぷりに感動!2-0で勝利しましたが、オリックスの宮城投手だって5回までは完全試合でしたので、どちらも素晴らしい投手戦でさすがは日本1を決定する試合だな、と感心しています。

さて、9月に旅した道東を巡る旅の最終回です。スマホでは当日にblogにアップしてますが、カメラに収めた膨大な写真をもとにして、総集編として送っている秋の旅はこれが最後です。
まずは、せたな町大成区平浜地区。夏は海水浴場として賑わっているこの砂浜も、この2年間はコロナのせいで閉鎖中です。キレイな砂浜が広がる海なんですが、利用できないなんて残念です。
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日本海沿いに南北に走る国道229号線沿いにあるのが道の駅「てっくいランド大成」。「てっくい」とは魚の「ヒラメ」のこと。同じ桧山管内の上ノ国町の道の駅「上ノ国もんじゅ」にも「てっくい丼」というのがありましたが、この沿岸ではヒラメがよく獲れるんですね。
ここの道の駅は営業こそしていませんでしたが、トイレは24時間オープンでした。道の駅でトイレまで閉鎖なんて、いくら緊急事態宣言下でもあんまりですよね。
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となりには閉鎖された立派な校舎を持つ小学校。昔は、この辺りには子供たちがいっぱいいたのでしょうが、今は子供の姿は全く見られず。逆に目につくのは高齢者ばっかりです。
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今いるのは、どのあたりか?よく本州の方でblogを読んでいらっしゃる人から質問されますが、この地図をご覧ください。下に北海道全図があって、渡島半島は道南ですね。その西側の日本海沿いが桧山管内。その北部にせたな町があって、もともとは瀬棚町、北桧山町、大成町が合併(2005年9月1日)して広大な面積を持つせたな町へとなったのです。
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さらに、大成区ともっと拡大して見ていきましょう。南部の大成区の国道229号線と自分が走ってきた海岸沿いの断崖絶壁が連続する道道740号線が合流するあたりに道の駅があります。現在地のマークがそれですね。
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しばらく南へ走ると親子の熊の形をした岩が見えてきました。奇岩「親子熊岩」とありますね。
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説明を読むと、これはアイヌ伝説ですね。
昔、山奥に親子の熊が棲んでいたが、飢えを訴える子熊を連れて海岸に行き、母親熊は海岸のカニを食べさせていた、と。ところが、子熊は岩を滑って海の中へ落ちた。母親クマは溺れる子熊を助けるために手を伸ばすが、濡れた岩に足を取られて海へ落ちてしまう。
それを見ていた海の神様は、子を思う母の愛の深さに心を打たれて親子を救いそのまま岩に変身させた、と。
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よーく見ると、確かに親子熊の像ですよ。それにしてもよくできた自然の岩ですね。風や波に削られて、こんな形になったのでしょうが、もしかしたら本当に神様が造ったのかも?
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遠くには、奥尻島がハッキリと見えていました。
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この辺の岩場には、他にマンモス象や窓岩、いろんな岩の造形があって、見飽きないです。奥の陸地の海岸沿いに走ってきたのです。でも、断崖がいくつもあるから、トンネルは連続してありますよ。
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そして、乙部町へ。
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ここは道の駅「ルート229元和台」がある場所。ここの道の駅は、営業していてトイレも24時間オープン。高台にあって眼下に海のプールが見えますね。でも、この2年間は閉鎖。
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乙部町は北緯42度の町。
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海のプールの隣は漁港で、奥に変な形の巨岩があります。プードルみたいなリスみなたい、顔の部分が今にも崩れそう。
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9月の青い海と青い空!
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遠くに見える白い岩肌の海岸が夏の間に崩壊して国道は通行止め。そのう回路として山側をかなり遠回りして走らせられました。11月現在、今でも開通の見込みはなし。南側の遠くに見えるは、江差町や上ノ国町。
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元和台のレストランは珍しく営業中。何回か来ましたが、しばらくの間閉鎖していたのに。
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ということで、この後は厚沢部町を経て中山峠を越えて函館平野へ入り、北斗市から函館市へと。無事に帰宅することが出来ました。
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9月に旅、これにて終了です。次回からは10月に旅した東北の旅を、それこそカメラに収めた膨大な写真をもとにお伝えしていくことにします。
寒くなってきたこの頃です。コロナも少しずつ収束に向かっていますが、寒さがきついと換気も億劫になります。また12月は何かと人が集まりやすい季節です。密にならずにマスク着用、手洗い励行し、部屋の換気もして、今年の冬を乗り越え来年2022年を元気に迎えましょう。
元気があれば何でも出来る!そう思ってもう少しの辛抱です。

では、また!

11月21日日曜日、天気は朝方は晴れですが徐々に曇りへなっていく予報で、明日は雨マーク。雪よりはまだましだけど、11月は天気が悪く北国には夏のような日差しが欲しい!と願います。
昨夜はプロ野球日本シリーズに大興奮!オリックスバッファローズが9回裏に大逆転して勝利!思わずテレビの前で叫んでいました。ヤクルトスワローズも、2年目の奥川投手がオリックスの山本投手と投げ合い、前半は完全に投手戦でしたし見応え十分でした。後半は打撃戦でホームランも出たし、とっても面白い試合でしたね。
出来れば第7戦まで続いて、野球ファンを楽しませて欲しいです。

さて、ここはせたな町の北檜山区太櫓(ふとろ)地区。遠くに見える山は狩場山。
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ズームして見ましょう。山頂は雲に隠れていますね。日本海側は風が強いから風力発電のプロペラがたくさん見えています。北海道の北も南も、日本海側ではあちこちにこの光景は見られます。さらに、最近は洋上にも建設されるとか。日本海に突然現れる巨大プロペラ、すごい光景がこの先見られます。
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南側を見ましょう。西の海上には奥尻島、陸地のもっとも右側は北海道本土の最西端の尾花岬が見えます。これからさらに南下して、その岬まで行きます。それにしても海のキレイなこと!美しい海です。
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いつかは行きたい奥尻島。近くにあって遠い存在です。
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太櫓も、この先の新城も小さな漁村ですが、昔は小学校があったのですが、いずれも少子化で閉校となっています。子供の姿はなく、見た人々はみな高齢者ばっかり。これが過疎地の現実です。若者がいないのです。
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いくつか長大トンネルを越えて日昼部(にっちゅうべ)地区へ。かつて、ここには小さな漁村があって小学校もあったのですが、昭和30年代に大水害が起きて部落が壊滅し、消滅した歴史があります。
断崖絶壁が海に迫り、こんな場所に集落があったのか?と思うでしょうが、漁村地区では崖にわずかな隙間に家を造り生活している地区がたくさんあるのです。ここもそうでした。
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太田地区へ南下して、やっと人家が30戸ほどあって、その200mくらい先にあるのが「日本1危険な神社」である太田山神社があります。左の急な階段を見れば分かりますね。
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どれほど急傾斜なのかは、登るのにロープをつかまなくてはいけないほどだから、いかに傾斜が急であるかが分かると思います。階段を登ると次からは登山開始。急ながれ場をおよそ1時間近く、標高500mくらいまで登るのです。太田山の山頂は485mで、山頂付近の掘った洞窟に神様が祀られていて、そこへは90度の直角な岩場を鎖につかまりながら10mほど登るのです。
YouTubeなどでも紹介されていますので、鍬悪しくお知りになりたい方はそちらを見てください。
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開基は15世紀中ごろ、松前藩の祖である武田信広。江戸時代前半、ここを訪れた円空上人は洞窟にこもり仏像を刻んだとか。江戸時代後半の民俗学者にしてた旅人の菅江真澄も登山しています。
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菅江真澄の詩ですね。
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達筆すぎて読めないので、右に現代風に分かりやすく書かれています。
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円空仏が江戸時代の灯台にあたる定灯篭は、以前見学したので今回はパス。
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さらに南下して、乙部(おとべ)町までやってきました。
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奥尻島が遠くに見えています。断崖絶壁が連続する海岸線を南へ、南へと走ってきたのです。
ということで、次回は9月の旅の最終回で、乙部町を紹介して終わることにします。
では、また!









 

11月19日金曜日、天気は雨時々曇りで、気温は最高で15度くらいまで上昇するとか。今週は雪のマークはなかったけど、来週あたりからはかなり冷え込んできて降雪の日があるかもしれないです。それだけ冬に一歩ずつ近づいてきている、ということですね。
さて、朝素晴らしいニュースが入ってきました。大谷翔平選手が、メジャーリーグのMVPに満場一致で選出されたことです。投手として9勝、打者としてホームラン46本、打点100点、盗塁26個は世界中の誰もが出来ない成績です。当然の最優秀選手でしょうが、まさに称賛に値すること!来年もケガしないで今まで以上の成績を上げることを期待します。

もう一つ、個人的なことですが、うれしいニュース。それはこのblogの総閲覧者数が27万人を越えたこと!2013年2月から8年と9か月で達成しましたが、実に亀のごとくゆっくりと、平均毎日100人前後くらいのペースで閲覧していて、それの合計が27万人になったわけです。いつまで続くか分かりませんが、体の出来る限り継続していきたいです。「継続は力なり!」をモットーに来年も旅してblogにアップしたいです!

さて、ここは今金町神丘にある旧神丘小学校。北海道の地名はアイヌ語由来のところが多いのですが、今金は違います。町の名前は、1893年(明治26年)に、同地に入植した2人の人物、それは今村藤次郎さんと金森石郎さんの、それぞれの名字からひとつずつ取ったものです。
今村さんの今と金森さんの金から今金と名付けられたのです。神丘の地名は、前回のblogにあったように昔は「インマヌエル」だったのですが、それが神の丘という風に変更されています。
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1898年(明治31年)、現在の校舎のある地点から南へ1.9km離れた場所に仮校舎が建設され、子供たちが通学し始めたといいます。5年後に現在の地へ移転します。昭和の初め頃は今縫留(インマヌエル)尋常小学校、それが1933年(昭和8年)に神丘小学校と改称されています。
現在の校舎は、1969年に火災で全焼後、現在地に再建されていますから、今年で52年目の建物です。
2008年(平成20年)に子供数が減少したことから閉校し、現在は神丘連合自治体が管理して地域住民に活用されているとのことです。
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校章をご覧ください。神丘の文字がありますが、それの上下左右にあるのは十字架です。やはり、ここは神の丘。キリスト教精神がここにも生きていたのです。
戦時下では、はっきりした十字架は使用できなかったので、膨らみを持たせたペン風の十字架になっていますが、神の丘の名にに相応しい校章ですね。
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庭を見たら「創立80周年記念」の碑がありました。1978年(昭和53年)に造られたものですね。
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一方、こちらは100周年。1998年(平成10年)のものですね。
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さらに北へと向かいます。神丘の北の地名は鈴岡。さらに小倉山へと続きますが、鈴岡で見かけた石碑。拓水魂とあります。多分、原生林を切り開き、水利を設けたのでしょう。その先人たちの魂を今の人たちは受け継いでいるはずです。
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これも同じで、ここを開拓した人たちは苦労したことでしょう。
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神丘と違って、ここはキリスト教開拓者の人が開拓したわけではなく、本州の各地から入植した人たちが切り開いたから、「〇〇神」の文字が見えますね。
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それにしても広大な農地。真っ平というわけではないけど、丘陵上の地を農地へ変えていて、今では大規模大型機械化農業をしており、まさに北海道の農業の代表的な地の一つです。ここではコメの生産ですね。江戸時代はコメの生産が出来なかった北海道、明治以降も北海道のコメは不味い!との悪評があったけど、平成になってからは美味しい特一等米の生産が出来るようになって来たのです。
それは、どこかの老政治家が言う「温暖化のせいで北海道の米は美味しくなった」のではなく、生産者の血のにじむような努力があったからなのです。寒冷地でも育つ品種の改良など長年の努力が文字通り実ったのです。
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こちらは、葉野菜ですね。遠くの山の麓までずーっと続いています。
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珍しいサイロ!最近はほとんどサイロは壊されていて、牧草ロールの倉庫で賄っていますが、きっと昔からあるものでしょう。
一番奥に見える山は狩場山(1520.2m)、右の山はメップ岳(1147.5m)。
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山々の稜線は、桧山と後志を分ける境界線。山を越えると後志管内です。山の南側が道南です。
しばらく走り後志利別川の支流である利別目名川を越えて西へ行くと、今金町からせたな町の小倉山地区へ。ここで小学校発見!小倉山小学校です。
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6,7年前にここを通過した時、ここの子供たちが自転車で走っていたのを見かけました。その時は、まだ学校は健在だったのですが・・・。
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調べたら、2015年(平成27年)3月31日に閉校していたのです。明治38年に「小倉山簡易教育所」として認可を受けてから、明治42年「小倉山尋常小学校」、戦後の昭和22年に「小倉山小学校」へ。
小規模校ですが、特色ある学校経営をしてきたのです。それも少子化の影響で閉校となったのです。
立派な校舎と体育館、何かに役立てないかな?と思うのですが・・・。

では、また!

11月17日水曜日、天気は晴れ。でも、気温は最高でも8℃で寒い日です。それでも、晩秋の太陽が輝いていて、午後3時過ぎに西日に向かってウォーキングしたらまぶしく、気持ちの良い時間を持てました。道北や道東は雪が降っていて、地面は真っ白。札幌市内は降雪はないけど、テレビを見たら市内へ行く途中の中山峠は真っ白でしたね。もうじき、道南にも真冬到来です。

さて、せたな町瀬棚区。ここは旧国鉄瀬棚線の終着駅「瀬棚駅」があった場所。瀬棚線の各駅が表示されています。太平洋の内浦湾(噴火湾)から日本海までの50km弱のローカル線でした。
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公園は広い駐車場になっていて、その奥にある女性の像が建っていますね。日本初の女医さんだった荻野吟子さんの像です。
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北海道の形に似た石に彼女のことが書かれています。
幕末の1851年3月3日、埼玉県熊谷市に生まれたというから、まさしくひな祭りの女性の日に誕生したのですね。亡くなったのは1913年6月23日だから、62歳の生涯だったのですね。
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1896年(明治29年)5月、再婚相手のキリスト教徒の志方之膳(しかた ゆきよし)が単独で開拓した今金町で同居しますが、翌年彼女は瀬棚で診療所を開業するのです。それが、ここの場所でした。
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その後札幌へと移りますが、志方は瀬棚で自給伝道を志すも病に倒れ1905年9月23日瀬棚で死亡。吟子はその後再び戻り、3年間瀬棚で診療を続けています。
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1908年に帰京し医院を開業するも1913年(大正2年)62歳で亡くなりました。
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せたな町と今金町の境に近い今金町神丘へ行くことにしました。奥に見える山々は、狩場山山系で左からカスベ山(1049.5m)、メップ岳(1147.5m)。
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ずーっと奥に道南最高峰の狩場山(1520.2m)が見えます。
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インマヌエルとは、旧約聖書に登場する人物でもあり、ヘブライ語で「神はわれらとともに」という意味。
1892年より志方始め、埼玉県などからキリスト者家族が開拓地を求めて移住。この地における信仰の基礎が築かれた数少ない農村教会の一つです。
1933年、現在の地名である神丘と改名を余儀なくされるまで、この地の正式名称はインマヌエルと呼ばれていたのです。
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現在の聖堂は1968年の落成しているから今から53年前のこと。この教会、建てられてからもう半世紀以上も経っているのです。北に秀峰、狩場山が見え、南には日本1の清流である後志利別(しりべし としべつ)川が流れています。
明治の時代、ここはヒグマの生息する奥深い原生林だったことでしょう。うっそうと生い茂る針葉樹の森、道路もなければ鉄道もない。冬になれば凍てつく寒さ。今からは想像も出来ない中で、どれだけ寒かったことか。
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でも、吟子は医師として活動する他に、夫とともに伝道活動を続けたのでした。
現在は函館聖ヨハネ教会が嘱託司祭として派遣されているようです。だから所属は日本聖公会に属する一応プロテスタントの教会です。ただし、聖公会のHPを見ると「イングランド教会を母体に、世界160ヶ国に広がる信徒6500万人の教会で、ローマカトリックとプロテスタントに大別される西方キリスト教会の中で、聖公会は両者の要素を兼ね備え、その中間に位置している」と。
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現在は、道南屈指の農業地帯として今金名産の「男爵イモ」始め、牧畜、酪農など大農業地帯となっています。
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それにしても、この風景、素晴らしいですね。道路を挟んで教会の向かい側に、牧草地に2本の大木。吟子の時代からあったのでしょうね。
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次回は、北の農地へ向かって走っていきます。
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今金町でジャガイモの栽培が始まったのは1、891年(明治24年)とかなり古いのです。ちょうど、吟子や志方が伝道活動を始めたころと合致します。1953年に町内のジャガイモ生産を男爵イモの1品種に統一しています。現在は種イモを厳密に管理し、デンプン含有量13.5%以上にするなど徹底した品質管理で「今金男爵イモ」のブランドを確立。
その結果、大手スナック菓子メーカーの湖池屋の限定商品のポテトチップスにも採用され、全国的にその名が知れわたるようになったのです。

では、また!

11月16日火曜日、天気は曇りで気温は最高でも8℃と一桁止まりの肌寒い天候です。それでも、朝40分ほどウォーキングしてきたら体の中からホッカホカで、暖かくなりました。

昨日、帰国している大谷翔平選手の1時間以上ものインタビューがテレビで放送されましたが、しかし大人になったなぁ!と感心するばかり。5年前にファイターズからアメリカに渡りましたが、野球の実績だけではなく人間としても大きく成長したな、と感じさせる1時間でした。
さすがです。もっと、もっと大きくなって欲しい!メジャーリーグに日本人あり!と証明して、歴史に残る選手になれる!と信じています。もっと、頑張って!!と。

さて、ここは島牧村の日本海に面した海岸。国道229号線を北から南へと走っています。前夜は島牧村の道の駅「よってけ!島牧」での車中泊。ここでは何度も車中泊していますが、とてもいい場所です。国道に面してるとはいえ、夜間は交通量は非常に少なく閑静だし、トイレは24時間使用出来るし、Wi-Fiも使えるのです。ただ、ここでも「ヒグマ出没、注意!」の看板があって、さすがに島牧村!だと。昨年は村のあちこちに出没し、畑を荒らしまわり全国ニュースにもなったほど。ちょっと山に入ればクマの糞は発見できますからね。
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それにしても波はなく穏やか。まったくの凪状態ですね。でも、冬は波の華があちこちにみられるほど風が強く、それを利用した風力発電所がこれまたあちこちにあります。
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それと道南最高峰の狩場山(1520.2m)が海岸線のすぐそばにまで迫っていて、海岸は断崖絶壁の場所が多く、だから道路もトンネルでつながっているルートが多いのです。おそらく半分近くはトンネルのはず。その長さも2000m以上のトンネルがいくつもあるのです。さらには写真のような落石防止や落雪防止のための片側がトンネルのところも。
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この写真のように、すぐそばまで山がせまっていますね。だからトンネルを造らねばせたなまでは行けないのです。かつては通行できず、知床半島雄冬岬(現石狩市浜益地区と留萌管内増毛町を結ぶルート)と並ぶ道内3大通行困難地域だったのですから。
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干潮時だったのか潮が引いていて大きな岩盤が見えています。釣り人が朝早くから来ていて、危ない場所で釣りをしています。
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何個もトンネルを越えて、道南桧山管内のせたな町へ。ここは旧島歌小学校。
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立派な校舎と体育館がありますが、閉校されています。
今から13年前の2008年、ここの臨時職員(男性 22歳)が学校経費を着服し、その発覚を恐れ事務員の女性(24才)を殺害した事件がありました。
自己中な身勝手な事件で、何の罪もない若い女性が刃物で殺されるという、しかも田舎のさらに田舎の漁村の小さな学校で起きた事件で、おそらく集落では天地がひっくり返るほどの騒ぎだったはずだし、何よりも子供たちに与えた影響を大きかったことでしょうね。
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海はとってもきれい!この岩、窓が開いているみたい。
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向こうに見えるのは島牧方面。北ら南へと海岸線を下がってきたのです。
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海の底を見ると、茶色いものが見えますが、これ全部ウニ雲丹ですよ!
でも、1個でも採ったらダメ!密漁になります。昔は1個、2個くらいは平気で採っていたし食べていたけど、今は1個でも密漁で捕まりますね。
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ここが島歌集落。大きな岩の裏側、写真の右側の沢沿いに小学校の校舎があります。
恐らくほとんどが漁師さんで、民家の数は30軒ほどか?
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さらに南下して、せたな町の中心街へ。ここの公園で一休み。奥に見える「やすらぎ館」はここの地区の温泉です。「せたな」の駅表示は、かつて国鉄瀬棚線の終点である瀬棚駅があった場所。長万部町の国縫駅から48km地点ですね。
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次回は、ここの公園を詳しくお伝えします。
では、また!






 

11月14日日曜日、天気は朝から雨。それも大雨で警報が鳴るほどの豪雨。11月に入って雨の日が続いていて、晴れの日が少なく気分は少しブルー。やっぱり、太陽がサンサンと輝いている日の方がメンタルにも良いし、外出しやすいですよね。

さて、ここは安平(あびら)町。昔は追分町でしたが、早来町と合併して2006年3月に安平町になりました。その旧追分町の鹿公園。ここは広大な公園でキャンプ場があって、9月16日はそこの駐車場で車中泊したのでした。最初は私の車1台だけでしたが、夜遅くなってきたのか朝起きると所沢ナンバーの車が1台駐車していました。本来はここもキャンプ場閉鎖ですが、広い駐車場は開放されているし、清潔なトイレも24時間オープン。それに、ここにはドッグランのコースがあって、夕方も朝早くからもワンチャンを連れた地元の愛好家が車でやってきているから閉鎖していないのです。
公園を散歩すると、名前の通りにたくさんのシカがいる公園でした。
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逃げ出さないように、と人を傷つけないようにとネットはしているけど、すぐ近くで見れますし、エサもやれます。ただ、オスの角には注意。今日の新聞には、道内で中年男性が鹿の角が腕に刺さり、貫通して大けがを負った記事がありましたからね。
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このどっしりと構えた雄の鹿はここの主?仕切っている親分かな?角の立派なこと!こんな角が刺さったら怖いですよね。スピードもあるから突進してきたら鹿といえども恐ろしい!
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こちらはメス鹿か子供かな?このくらいのサイズだと可愛らしいです。
でも気になることが、それは臭い!糞もするし、体から発する臭いかな?プンプン臭っています。
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ところ変わって、ここはとある湖。何処だかわかりますか?向こうに閉鎖されていますがキャンプ場が見えていますね。ここは普段だと札幌市から車で1時間ほどの人気キャンプ場なんですが、緊急事態宣言下で閉鎖されていました。
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かなり大きな湖ですね。ここは支笏(しこつ)湖です。カルデラ湖で、面積では日本8位、深さでは360mで田沢湖に次いで日本第2位。日本最北の不凍湖です。マイナス30℃にもなる極寒の真冬でも凍らない湖なのです。それは、温かい水が湖の深部に残存していて、水面を暖めることにより湖面の水温が下がりにくくなっているからです。
もっとも、1978年と2001年は全面結氷しています。また、透明度は世界1位のバイカル湖(ロシア)や摩周湖とも匹敵するとか。環境省の水質調査では日本1に何度もなっているのです。それほどキレイな湖なのです。
安平町から、千歳市、さらには支笏湖を経て伊達市へと向かい、倶知安町へと向かうためにこのコースを選んだわけです。
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そして、美笛峠を越えて伊達市大滝区へ。道の駅はあるものの長い間閉鎖されていて、そのとなりには巨大民間レストランがあって、そこで名物の一杯100円のキノコの味噌汁を飲んで、ここにある日本1の名水を汲みたいから立ち寄ったわけです。湧水ホロホロの恵みとありますね。
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海抜550mのここ。軟水なんですね。その硬度は何と!14㎎/リットル羊蹄山の湧き水ですら18㎎です。北海道の水道水は33㎎、全国平均の水道は50㎎だから、いかに柔らかい水なのかが分かりますね。それに弱アルカリ性で、PH7.4
ちなみに調べたら東京都の水道水の硬度は60㎎だから、ここのはかなりの軟水であることが分かりますね。
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巨大な恐竜がお出迎え。横を走っているトラックと比較しても大きいですね。「プレミアムキノコ汁」の看板も!
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そして、羊蹄山(1898m)の麓の町である喜茂別(きもべつ)町へ。ここで調べたかったことがあったのです。もっとも右に見える山は羊蹄山ではなく尻別岳(1107m)です。
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かつて走っていた国鉄胆振線の旧鈴川駅を探したかったのです。鈴川集落を歩いていても人はおらず。たまたまおばあさんが歩いていたのを発見し、尋ねるとこの辺りだと。現在は町営住宅になっている一軒家周辺に駅があったといいます。1986年11月に廃止されていますから、35年前のこと。もう線路も駅舎も跡形もなくなっていました。
それにしても、この建物が町営住宅とは!庭も広いし駐車場も数台置けるし建物の広さもあって、さすがに北海道の土地の広さが理解できますね。
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羊蹄山は山頂を隠していますね。
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倶知安(くっちゃん)町の公園でストレッチしたりランチタイムを取ったので、となりの岩内町の温泉施設(午後2時から5時まで閉館)には2分間に合わずで、入浴出来ず。のんびりしすぎたのでした。
そこで、岩内町から積丹半島南側の神恵内(かもえない)村へ。そこの温泉へ行こうと海岸線を走りましたが・・・。
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ところが、神恵内村の温泉施設は住民のみで、それに加えて道の駅はトイレも間で閉鎖。これでは車中泊は出来ません。そこで南下して寿都(すっつ)町へ行こうと。
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で、かつて寿都鉄道があった寿都町へ。駅名は「すつ」なんですね。
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ここは、町役場の建物。あの核廃棄物の受け入れを決めた町長のいる町です。
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ここの町営温泉へ入るぞ!と行ったものの、ここでも地元住民以外お断りのポスターがあって、入浴する際は運転免許証や保険証など示すように!と。
これじゃ、入れない。仕方がない!この日は入浴出来ずで、車中泊はさらに南の島牧村の道の駅へ。
道の駅は閉鎖されていたけど、トイレは24時間オープンだったので一安心。
ということで、何とか函館へ近づいたのでした。

では、また!
 

11月13日土曜日、天気は曇り時々晴れで、最高気温は13℃だから少し肌寒い天候です。でも、太陽が当たる場所では暖かく、歩いていると体がほっかほっか。手袋していたけど必要なくなりました。
でも、来週は寒くなって初雪が降る予報が出ていますが、道南はまだまだでしょう。同じ北海道での北と南じゃ大きく天候は異なりますからね。

さて、国道452号線で三笠市から三夕峠のトンネルを抜けて夕張市へ入り、夕張川沿いに南下していくと巨大なダム湖のシューパロ湖へと。遠くに高く尖った山が見えますが、あれが夕張岳(1667.7m)。
夕張岳は「花の名山」として知られ、北海道の山岳にあるほぼすべての高山植物が見られる山なのです。花の100名山、日本200名山、北海道100名山にも選定されている北海道を代表する山の一つです。
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それを説明する看板がありました。左の山は滝ノ沢岳(1352.8m)、左の山は屏風山(1260.8m)。
夕張岳へは、林道の終点から4時間半ほどかかる中級者から上級者向けの山だし、ヒグマの生息地域でもあるので単独登山は危険。もちろん、私は登山しませんが。
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湖の向こう側へ渡る橋が架かっていますね。あとから渡るのですが、その前にこの見晴らしが良い場所にいくつかの石碑があったので見ていきます。鹿島東小学校の閉校記念碑です。きっと、湖の底に沈んだのです。
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鹿島小学校の石碑。これも同様でしょう。1962年に石狩川の支流の夕張川をせき止めてシューパロ湖が出来、さらに2015年に夕張シューパロダムの完成でさらに水域が拡大。面積では、日本第2位の人造湖となったのです。ちなみに第1位は幌加内村の朱鞠内湖。日本屈指の巨大な人造湖です。
ここの公園は、かつての夕張東高校の跡地ですが、かつては夕張市には6校もの高校があったのです。現在は夕張高校1校のみ。
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湖に架かる橋の上から撮影。写真のほぼ真ん中に注目!かつての下夕張森林鉄道のアーチ型の橋が顔を出していますね。9月は渇水期だからダムの水量も低く枯れた木々もハッキリと見えるし、昔の林道も見えますね。
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かつての国道が北へと延びていて、その隣には大夕張鉄道の鉄橋も見えます。この周辺にはたくさんの炭坑があって、大勢の人が生活していたのです。夕張の最盛期の人口は11.8万人。およそ12万人近く住んでいたのに、今は7000人台。9割以上減少したのですから。
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この辺りは、かつては森だったのでしょう。その周辺には鹿島地区の町がいくつもあったのです。地図を見ると、緑町とか春日町、常盤町、錦町など書かれています。炭鉱がつぶれ、多くの人が出て行ったのです。
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橋を渡った東側、夕張岳側です。少し行くとかつての白金地区。シューパロ湖の東側は誰一人住んでいません。夕張岳へ続く林道があるのみ。かつて住んでいた人々によって「白金望郷之碑」が建てられていました。この石碑の裏を見たら、ヒグマの糞が!結構前に落としていったものでしたが、この辺りには何頭もいるのでしょうね。
たまたま、歩いて登山する若者がいて少し話をしました。グレートトラバースをして日本300名山を登山した田中陽希さんに憧れて、同じような旅をしたい!と言っていましたが、「気を付けてくださいね」と言うしかありませんでしたが・・・。
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戻る途中で三菱石炭鉱業大夕張鉄道の鉄橋を、もう一度撮影。起点はかつての国鉄、その後はJR北海道の旧夕張支線の清水沢駅(廃止されています)から大夕張炭山駅までの17.2km、全駅8,全線非電化単線の1987年7月に廃止された私鉄でした。
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しばらく走るとその鉄道が展示されていました。先頭はラッセル車ですね。ワイパーのついた丸窓が特徴です。車のようなワイパーだとスピードもあるし凍り付くから役に立たず、列車はグルグル回転する丸い窓が必要なのです。運転手はその丸窓から前方を見て運転するのです。
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客車に乗って内部を見学。保存会の人たちが活動を報告していました。高齢化が進行していますが、かつて働いていた人たちが今も活動しているのです。でも、周辺には住んでいる方はごくわずか。
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昔、このような椅子に座って旅したことがあるなぁ!背もたれが木製で、しかも直角。
そういえば、高校の修学旅行(1969年10月)はこのような列車で、青森から東京まで夜通し走ったのです。網棚で寝た男子生徒。自分は学校からゴザを持たされましたが、それは床に敷くため。みんな床に敷かれたゴザの上に男女生徒とも制服姿で寝たのです。寝台列車の時代ではなかったのです。
その後の修学旅行は、妹の時代では寝台列車、私が勤めた時代は飛行機で一気に東京へと。今は新幹線で4時間かからず東京へと行っています。時代はかわりますねぇ~。
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左のは冬期間のストーブを置くスペースでしょう。まるで、津軽鉄道のストーブ列車みたい。
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駅名は「南大夕張駅」。となりの明石町は地図にもあったシューパロ湖に沈んだ町です。遠幌町はここから西へ3kmほど行った町で、今も名前は残っています。
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こうやって残してくれるのは、ありがたいことです。
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夕張シューパロダムの上に来ました。渇水期だから満タンの時よりも10m近く低い。4月や5月の雪解け水でいっぱいの時は、あふれるくらい貯水出来るのでしょうね。
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かつては、この辺りも多くの住民が生活していたはず。夕張川に架かる橋はダム湖が完成後に出来たのでしょう。
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巨大なダムでした。
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かつての商店街を散策していると、「殉職者慰霊碑」発見。炭坑は何度も爆発して、大勢の犠牲者を出していますからね。今でも、慰霊に訪れる方もいてドリンクなどは新しいものでした。
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南夕張体育館は、かなり大きい建物。でも、今は使用していない。危ないから使用禁止になっているのでしょう。昔は、炭坑地区の町は野球はじめいろいろなスポーツが強くて、全国大会へ出場したりしていましたからね。
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ということで、かつて石炭産業全盛期の頃の夕張の一部を垣間見れたのでした。
では、また!

11月11日木曜日、天気は朝早くは雨、次第に曇りから晴れへと、まさに秋の空模様でした。気温は15度にも達しない肌寒い天候で、夜は暖房を入れています。
昨日から、プロ野球のクライマックスシリーズが始まりましたね。パリーグは、優勝したオリックスが勝利、セリーグは同じく優勝しヤクルトが勝利しています。
やっぱり、当然ですよね。優勝したチームが日本シリーズを戦わなくてはいけないはず。それが例えばセリーグ3位の、しかも勝率5割を切っているジャイアンツがセの代表として日本シリーズに出場なんておかしい、と思うのですが。
自分としては、パリーグが好きですのでオリックスに日本1になってもらいたいです。もっとも、ロッテに勝たなくてはいけないですが。
来年は、ファイターズが何処まで勝ち進むか?ビックボスの新庄剛志監督の采配次第ですが、少し心配なところもありますが、今までにない新しい試合展開を期待したいです。
何をするか分からない?そんな試合が待ち遠しい!稲葉・新庄タッグに北海道の夢をかけたいですね。

さて、芦別市の南端で国道452号線、別名夕張国道を南下していくと、芦別川上流に三段滝という名所があります。
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昭和初期には鮭の大群が水しぶきを上げながら滝を遡っていったとか。そんな時代もあったのですね。
今はウグイやイトウが釣れるとか?ホントに幻の魚イトウが釣れるのかな?
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駐車場から歩いて階段を降りること1,2分。辺りはうっそうとした森。険しい岩場が続いています。
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釣りが出来るのは、この辺り?でも、ここまでどうやって行けばいいのだろうか?策を乗り越えない限り行けないですよ。
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滝を過ぎると、こちらは滝壺なのか、水深が深い。この辺りに魚がいるのかな?
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三段といっても、一つ一つの高さは5mもないくらいか?でも合わせると20mほどにもなるのかな?どこが三段なのかは分からなかったけど、マイナスイオンがいっぱいの、自然豊かな地だったことは確かです。
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ということで、芦別市と別れを告げて峠を越えて三笠市へ。さらに南下して夕張市へと南下します。
で、次回は夕張市の人造湖であるダム湖のシューパロ湖からお伝えします。
では、また!
 

11月10日水曜日、天気は曇りのち雨の予報。昨日も雨で、今日も雨。ここ数日天気は悪くて外出が億劫になる天候です。でも、外を見ると晴れ間もあって、午後から雨のマークがウソみたい。

さて芦別市ですが、市街地から南へ数キロ離れた場所に三井芦別炭鉱があり、三井芦別鉄道が走っていました。夕張市へ抜ける国道452号線をJR芦別駅から4kmほど南にある鉄橋です。
ここに、当時の列車が展示されています。
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上の写真の右側の小さな広場から撮影。ディーゼル機関車の正面が見えます。後には石炭車がが連結されているのに、蒸気機関車ではなくディーゼル機関車とは?
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ここは、日本遺産「炭鉄港」旧三井芦別鉄道炭山川橋梁なんですね。
三井芦別鉄道は、JR芦別駅を起点に終点は頼城(らいじょう)駅まで、全駅12、9.1kmの全線非電化単線の私鉄でした。開業は終戦から4年後の1949年11月、廃止は1989年3月で40年間走ったのでした。
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しばらく走ると、旧頼城中学校の校舎が見えてきました。
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草ぼうぼうで、これ以上は入れない。廃校となってから使用されていないようです。何せ生活している人間が少ないのですから。
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校歌がありましたね。芦別の渓流も深き緑泉の丘の上高く校舎そびゆ・・・
渓流とは、空知川の支流の芦別川のこと。空知川は石狩川の支流でしたね。石狩川は流域面積では利根川に次ぐ日本第2位の面積がありますから、支流をたくさん持っているのです。
開校は昭和22年5月1日、閉校は平成8年3月31日。平成8年は1996年だから、49年間存続した中学校だったのです。
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裏に詳しく書かれていますね。昭和38年には全校生徒数1040人と1000人を越えていたこともあったのです。学級数が21あるから、1学年7クラスだったのです。1クラス平均生徒数は50人ほど(1040÷21=49.5)だったのだから、どれだけ子供の数がいたことか!
それだけ炭坑が栄えていて働く労働者の子供たちがたくさん学んでいた、ということです。
それから33年経過して、炭坑も廃止(1992年 平成4年)され、その2年後に中学校も閉校となったのです。
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そのとなり、といっても距離は100m以上ありますが、頼城小学校跡がありました。
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が、現在は星槎大学のキャンパスとなっています。
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小学校の校舎は、珍しくレンガ造り(1954年築)で、その長さは100m以上(国の登録有形文化財)ありますが、残念ながら見学することが出来ず。無理に入って通報でもされたら困りますからね。でも、大学はここを道のように使用しているのでしょうね。
星槎大学は、私立の大学で主に社会人を対象とした通信制の大学で、学校法人国際学園が2004年に設立した新しい大学だそうです。
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体育館もいまだ健在だし、校地は広く芝生が青々していて、気持ち良いけど学生たちはここまでどうやって来るのだろう?車がなければ来れませんよ。宿舎も完備しているのだろうか?それと食事。コンビニなど何処にもありません。
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緑泉地区を散策していたら、公共浴場の建物がありました。炭坑町ではよくある風景。顔も体も真っ黒になってお風呂で洗うわけだから、浴槽は毎日清潔でなければいけませんね。ここも景気の良かった会社が造ったのでしょう。
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おばあさんが歩いていたので尋ねた聞いた「三井芦別駅跡」。この上を鉄道が走っていたのです。
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この広場が駅舎があったそうです。奥に商店街の跡が見えますね。看板もあったのですが、営業している店はなし。何軒かで生活している高齢者がいますが、その見分け方は必ずと言っていいほど家庭菜園をしていて、庭がキレイに保たれているのです。
不在の放置された家は、汚く汚れているし草ぼうぼう。一方住んでいる家は、庭がキレイなんです。少しでも野菜を作るために菜園を営んでいるからです。
もっとも、住んでいる方のほとんどはご婦人。おじいさんはなくなっているんですね。おばあさんは長生き!
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土が持っている線路跡へ登ってみました。ここから鉄道が走りこの細い道に線路があったのです。
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ということで、芦別の町まだまだ続きます。
では、また!

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