函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めて「ぼうけんの旅」は今年で12年目に突入。 車中泊中心の貧乏旅行の旅、今年で72歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 いよいよ「2025 年ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです!

2025年が明け今年は73歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!軽バン一人旅の始まりです。

2021年12月

12月31日金曜日、天気は朝から雪が降り続いていて、午後3時までにもう3回も雪かきをしました。気温は終日氷点下で最高でもマイナス4℃。最低気温はマイナス9℃とか。今日大晦日は今シーズンで最も寒い日です。
今日で2021年も終わりです。私のblog「函館発ぼうけんの旅」もこれが今年最後で、読者の皆様、今年1年間お読みいただき本当にありがとうございました。今年もコロナ禍でなかなか自由に旅が出来ませんでしたが、それでも何とか道内と東北を旅してきて少しは満足。でも、来年こそ、もっと!もっと!!旅がしたく、南へ行きたいのですが、果たしてどうなることやら?来年もまたコロナ禍の中での生活を余儀なくされそうですね。皆さんも感染しないよう、マスク直用、手指消毒、密にならないなど十分に気を付けてお過ごしください。

さて、陸前高田市の道の駅で車中泊する前に気仙川の右岸を訪れ、今泉天満宮を訪問。
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高台にある神社です。上の写真の左に見える住宅は、震災後に山を削り平坦な土地にしてから建てられたもので、皆新しい家ばっかり。かえって、古くからあるこの神社やほかのお寺が住宅の下にあるのです。
気仙地区は、「気仙町けんか七夕」で知られていて、七夕の日には山車同士でぶつかり合うという荒々しい祭りで盛り上がるのです。が、震災によって2012年は中止。最近は規模を縮小して再開したというニュースを見ましたが、コロナ禍でどうなったのでしょうか?来年は祭りに合わせて旅したいな!という思いもあります。
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で、車中泊した翌日は広田半島の荒々しくも美しい海岸巡り。まずは陸前高田市に2つある温泉で、前日はお休みだった黒崎仙峡温泉入口から歩いて5分の海岸へ。
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太平洋の南側は宮城県気仙沼市の海岸。
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そのあとに、広田崎へ。北に見えるのは大船渡市碁石海岸。
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何か所か駐車場があって、そこから歩いて海岸へ行くことが出来ますが、岩場の上を歩くから気を付けて行きます。ところどころに、こんな荒々しい岩場も。狭い海食崖に波が入る込み、しぶきのように上がってきます。普段見かけることにない光景に感動!
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一方、こちらの海岸は釣り場なのか?何人か釣り人がいますね。
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こちらもに。右下に釣り人がいるのがお分かりですか?結構危ないところで吊しているんですね。
たまたま駐車場に戻ったら、釣り人が帰って来て、成果を見せてくれました。40㎝くらいあるようなタイの仲間だそうです。見せてくれましたが写真に撮るのを忘れました。残念!
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正面右の岩に灯台があるのが分かりますか?あんな場所にも造るんですね。
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 で、広田半島巡りを終えて大船渡市をスルーして三陸鉄道綾里(りょうり)駅へ。
なかなか素敵な造りの駅ですね。売店は休日でした。駅は開放されていて、もちろん鉄道は休みはなく運行されていますが、駅の売店は休みとは!
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右に「津波でんでんこ」がありました。津波が来たら、各自勝手に逃げろ!
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奥の建物には、この地方の伝統的な鬼兜が飾られていたけど、子供たちが来ていて行けず。
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そして一つ北の駅である、私が大好きな駅の一つ「恋し浜駅」。ここの地名は小石浜。でも、駅名は小石浜ではなく「恋する浜の駅」にしよう!と地元の人が名付けたのです。なんている素敵なネーミング!
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地元の海で養殖して育てているホタテ貝が捨てられているのをリサイクル!ホタテ貝が手紙になって吊るされているのです。ここの駅にはホタテ貝とマジックインクがあるのです。
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毎年来て、駅の下にある猟師さんの小屋で車中泊していましたが、そこの所有者の方が施設に入り不在とのこと。昨年からは車中泊は出来なくなりました。
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恋し浜駅から見た海。ホタテの養殖が盛んに行われている越喜来(おきらい)湾。
漁港に行って見たら、キレイなトイレと駐車場があって、駅よりもこちらの方が車中泊に向いているかな?と。次回来た時はそこにしよう!
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下に見える三角屋根はきれいなトイレです。水道もります。左の白い屋根のある建物は自転車置き場。自転車旅行者はそこに宿泊するのも良しです。道路を挟んで向かいの建物はホタテを食べさせてくれる売店でしたが、閉鎖中。きっと客が来なかったのでしょうね。実際、ここは鉄道で来て下車しなきゃいけないし(次の列車まで2時間待ち)、または車で来るしかないのですから。

で、来年最初のblogは、三陸駅周辺からお伝えします。
では、皆さん良いお年を!来年もまた今年同様に、よろしくお願いいたします!

12月30日木曜日、天気は晴れで日中はプラス気温になり外を歩くと暖かいくらい。でも、日陰の路面は凍結していて滑りやすい。何度か冬に凍結した道路でこけたことがあったので、冬季の寒い日にウォーキングする時は、必ず靴の底に簡易アイゼンをして歩きます。鉄の爪が10個くらいついていて、凍った路面では滑らずに歩けるからです。

さて、温泉に入った後は道の駅に戻り日暮れまで周辺を散策することに。
まずは、奇跡の一本松!
ただ残念なことに、これは自然の松ではなく作り物。2011年3月以降に1本だけ残った松は、その後枯れてしまったのです。が、震災からの復興を象徴するモニュメントとして残すために幹を防腐処理し心棒を入れて補強。枝や葉っぱを複製のものに付け替えて保存しているのです。その多額の費用には賛否両論があったのですが、今1本だけでも残ってることに悲しみと強さの両方を感じるのです。
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足元を見たら、やなせたかせさんの描いた一本松、その名が「ヒョロ松君」の絵がありました。
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可愛らしいけど、なんとなくヒョロヒョロしているような1本の松。太陽に照らされてすくすく伸びていって欲しいなぁ!と思います。
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となりにあるこの残骸物は、旧陸前高田ユースホステル。私が学生時代に自転車で旅している途中で、宿泊した思いである建物でしたが、津波の被害でこんな有様に。海のそばだったから、酷い状態になっていますが、それでも津波遺構と残されているのです。後の見える階段を登って高台に行ってましょう。
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高さ20ⅿ位の防潮堤を兼ねた高台の遊歩道から気仙川と奇跡の一本松、ユースホステル跡を見る。
10ⅿかさ上げされた土地は、左の気仙川の右岸の山から削り採られ土が運ばれて出来たものです。山を削って平らにされた土地には、今住宅が造られていて新築住宅が目に付きます。
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防潮堤の海側には、かつてあった松原を再現しようと松の苗木がたくさん植えられています。その数、数万本?
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左に見えるのは広田半島、右は気仙沼市、その間の海は広田湾。
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遠くに道の駅の建物が見えています。奥の一番高い山は氷上山(874ⅿ)で、市民ハイキングの山にもなっていて、山頂からは陸前高田の町が見えるけど、山頂付近は雲がかかっているよう。
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かつては、およそ7万本の松が海岸にそって2キロにわたり茂っていたのです。それが津波により「奇跡の一本松」を除いてすべて倒壊しました。今は、植樹により4万本が再生されようとしています。
大きく育つには何年かかるのか?1年でも早くよみがえってもらいたいです。
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左の海岸に砂浜が見えるけど、そこは高田松原海水浴場で7月中旬から8月中旬まで開かれています。
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道の駅の正面にまで戻ってきました。白い建物の右は津波伝承館、左は物産館。
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三角形の建物は、震災前の道の駅で、そこにも津波の到達点が記されていますが、ほとんどてっぺんまで来たのです。川のように見える場所は海と繋がった池。
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ということで、この日の夜はここの駐車場で明かしたのでした。
道の駅の前には三陸海岸の幹線国道の国道45号線が走っているけど、さすがに夜間は通行量は少なく、うるさくて寝れなかった、ということはなかったです。それは多分山側を無料の高速道路である三陸沿岸道路が走っていて、そこを利用する車が多いからだと思うのです。
でも、車中泊して車は自分1台だけで、ちょっぴり寂しい。それでも24時間開放している休憩室とトイレには夜間でも人がいましたからね。もしかしたら自転車旅行者かな?灯りはあるけどベンチの上に寝ることは可能です。

次回は、岩手県沿岸部の三陸鉄道を北上していきます。
では、また!










12月29日水曜日、天気は雪。気温は今日も真冬日で、外を歩くには寒い1日。でも、降雪量は少ないし(せいぜい10㎝以内)、湿り気のない軽い雪だから雪かきも楽です。
まもなく2022年になろうとしていますが、新型コロナはそう簡単には収束しそうにないですね。オミクロン株が世界中で蔓延してきて、日本でも今後爆発的に増えそうな気配です。来年も、もしかしたらまた緊急事態宣言が出されたら、また旅の出るのもためらわれそうで怖いです。早く収まって欲しいけど、こればかりはどうなることやら?

さて、ここは岩手県太平洋岸の最南部の町、陸前高田市の道の駅「高田松原」です。
10月13日のこの日、スタート地は宮城県石巻市雄勝の道の駅、南三陸町、気仙沼市を通り北上し、午前中に陸前高田市へ。震災後に新装オープンした道の駅には「東日本大震災津波伝承館」が設置されています。
自分が入館した時に、たまたま小学生の研修旅行でしょうか?子供たちが来ていました。
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入場無料の伝承館には、当時の様々な遺品が展示されてるし、津波に関する資料はたっぷり。ここは見応え十分な施設です。特に子供たちには大きなインパクトを与える教育施設でもあります。
下のは、津波に流された消防車両。
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こんな大きな鉄の塊までグニャリと変形させているのだから、いかに津波の威力が大きかったことか!
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過去には、分かっているだけでも大きな津波がいくつも来ているのです。
右から、貞観(じょうがん)の時(859~877)の津波。左は慶長(けいちょう)の時(1596~1615)の津波。平安時代や安土桃山時代にもあって記録されているのです。
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最近では、1896年(明治29年)1933年(昭和8年)の津波も。昭和8年のは各地に石碑がありますからね。明治の時は死者が2万人以上も出て、2011年の時よりも多かったのです。
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伝承館のとなりには道の駅らしく地元の物産館もあるし、トイレや休憩室は24時間開放されていて、もちろんfreeWi-Fi完備だから、道車中泊には最適な場所です。国道に面しているが8時を過ぎた夜間は通る車も少なく、夜はぐっすりと寝れたのでした。
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津波に襲われた地域は、現在田んぼになっていて、将来は田園地帯に生まれ変わるようです。
奥は、10ⅿ土地をかさ上げした場所。
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そのかさ上げしたところから海側を見ます。正面の米沢商会のビルは震災遺構で、ビルの屋上ギリギリのところに青い看板がありますが、そこが津波到達地点。ここの社長はそこで生きのびて助かったといいます。まさに生死を分けたラインです。
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かさ上げした土地の土は、気仙川の右岸の山から削り取ってベルトコンベアーで運んで10ⅿ土地をかさ上げしたのです。その土地にあった陸前高田駅
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駅と云っても鉄道の駅ではなく、バスターミナルになっています。
三陸鉄道の最南端の駅である大船渡市盛駅から南へはBRTという、かつてはJR大船渡線の鉄道の線路を舗装しバス専用の道にしているのです。それは南三陸町まで続いています。
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図書館が入居している複合商業施設「アパッセたかた」や陸前高田市観光物産協会のある建物で温泉を尋ねたら、「玉の湯」を紹介してもらい車で向かいました。まずは、国道343号線で「世界遺跡玉山霊域」の大きな塔から右折して山へ。
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玉山地区は昔、金が採れたそうで、中尊寺の金色堂や奈良の大仏などは、ここの金を使ったとか。
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途中にある竹駒神社へ詣でます。
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金山の守り神です。平泉文化の奥州藤原氏ゆかりの地だそうですね。
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杉の森の奥深くに鎮座していた竹駒神社。誰もおらず、まさに鎮守の森の中にたたずむ神社です。
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で、いろいろ寄り道をして辿り着いた「玉の湯」。お風呂に入るには600円を支払いなければいけませんが、ここで「めんこい湯めぐり手形」という本を1000円で購入。岩手県を中心に秋田県・青森県の温泉ほぼ100軒が半額で入れるという、まるで北海道の「HO」みたいな旅人にとってはありがたい本。それで、ここは300円で入れました。
ここは、かつて大量の金が産出した「玉山金山」から湧き出た鉱泉を温めたお風呂で、メタホウ酸という物質が豊富に入っていて、眼に良い、腰痛に効くそうです。自分は腰痛持ちですが、入浴後はなんとなく良くなったみたい!
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玉山金山の名は、金が出るところには、玉(水晶)が出るということから、名付けられたといいます。
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だからか、水晶も展示。
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こちらは金のトランプ。ここは旅館もしていて、レストランでは「金箔ソフトクリーム」までありましたよ。
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他には、次の1万円の肖像画の渋沢栄一の顔も。そこにも金!
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水晶のカットしたお土産。
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ということで、2日ぶりに温泉(福島県の木賊温泉以来)へ入り、ゆっくりとくつろげたのでした。
そのあとは道の駅へ戻り、付近を散策して眠りについたのでした。
では、また次回!

 

12月27日月曜日、天気は晴れたり曇ったりで、気温は1日中マイナスの真冬日。でも、積雪は数センチ程度で、いつもと同じような冬景色です。
テレビで見たら、滋賀県や鳥取県では豪雪で交通がマヒしているとか。普段雪に慣れていない地域の人にとって、数十㎝の雪ではパニックになっていることでしょうね。ニュースを見てたら、冬タイヤを履いていない車もあった、とか。北国の人間にとって、冬はしっかりと準備するもので、特に地方では車は必需品だし冬タイヤ装着は当然のことなので、夏タイヤで走行するなんて、信じられないことです。数年前にも首都圏で豪雪があった時に、夏タイヤの車がパトカーに衝突する映像を見た時には、呆れたことがありましたが。
冬は雪が降るもの、積もるもの。四季の変化のある日本で、それぞれの四季に合わせた生活スタイルがあることを忘れてはいけませんね。

さて、10月の旅はよく雨に降られました。この日は10月13日でしたが、その前日も朝から雨。この日も朝から雨。画面を見ても道路が濡れているからお分かりですね。
ここは石巻市、東北最大の河川である北上川河口から4㎞の河畔沿いにある旧大川小学校跡地
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津波がやって来るのも分かりながら、避難せずに児童74名・教職員10名の計84名が犠牲となりました。自分は、2013年4月からここへ来るのはもう8度目くらい。春だけではなく秋にも来ているから、ここの景色がどんどん変化しているのが分かります。
でも、この校舎だけは変わらずに震災遺構として残ってくれました。
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グランドに50分以上も待たされ、挙句の果てに右端に見えている北上大橋へ向かって歩いていて被害に遭われたのです。
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山側には、立派な建物が。これは初めて見たもので資料館だろうか?トイレ?朝早かったのです閉じられていました。山の高さは100ⅿもありませんし、急傾斜というわけではない。
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グランド奥の沢沿いから登れば険しくなく、低学年の児童でも登れたはず。どうして当時の管理職の人は考えなかったのだろうか?校長不在のあの日、教頭や事務長、教職員が恐れていたのは、何だったのか?山に逃げた際にけが人が出たら自分の出世のマイナスになる、海から4㎞も離れているから津波はここまで来ないはず、と考えたのだろうか?
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復興工事にあたっていたトラックなどの工事車両の駐車場は、訪問者用の駐車場へ様変わり。きれいに整備されました。でも、犠牲者は戻ってきません。10年経過した今は、当時のことを学び、「津波、即高い場所へ避難!」を教訓としてもらいたいものです。
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太平洋沿いを北上し、南三陸町へ。まずは、名勝神割崎へ。
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地域がトラブっていた時、神が巨岩を割って解決した!という。
詳しくは、下の説明をお読みください。
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実際に行って見た2つに割れた巨岩。
一番下の波打ち際まで行けますが、波が荒く濡れてしまうので上から撮影。
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さらに北上し、南三陸町の市街地を過ぎて荒島パークへ。ここへ来たら、やっと雨が上がって曇り空へ。
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向かいの島へ道が出来ていますが、風が強いし、雨でぬれていて滑りやすいので渡らず。対岸には神社があるようですね。
南側の湾。対岸にはホテル。その向こう側が石巻市や女川地区のある牡鹿半島。
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海岸線が断崖絶壁の続くギザギザのリアス式海岸であることが分かりますね。リアは、スペイン語で「ノコギリ」。のこぎりのような形をした海岸、分かりますね。島が点在しています。
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地図を見ると、ご覧のよう。ここも晴れていれば素晴らしい絶景ポイントだし、トイレも完備しているから車中泊には最適です。
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左に、「モアイ岩」があるのでよく見てみよう!
場所は、下の地図を見るとお分かりですね。
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そういえば、三陸自動車道は八戸から石巻市まで全線開通した記事が最近載っていましたね。全線無料で走行出来ますが、高いところから高速で通過するのは面白くない。やっぱり、旅をするなら下道で地元と接する道を走らなければ!上から見下ろすよりも、同じ目線で旅をしなきゃ!と思うのですが。
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で、モアイ岩は見たが、どれがどれだか分からず。モアイの顔には全然似ていなかったのでした。
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ということで、この日は雨が降ったり止んだりの繰り返しで、寒い1日でした。そして、宮城県から岩手県へと入ります。
次回は、岩手県陸前高田市からお伝えします。
年末になり慌ただしい日々を送っていることでしょう。あせらず、あわてずのんびりと、そしてゆっくりと生活しましょう。もう4回寝るとお正月です!

では、また!

12月25日土曜日、天気は終日雪が降っていて、気温は最高でもマイナス4℃というとても寒い1日でした。今日はクリスマスですが、特に変わったこともなく普通に1日が過ぎました。子供たちも独立した今はケーキを食べることもないし、いつもと変わらぬ日でしたね。
BS・NHKの「こころ旅」は昨日の金曜日を持って、今年の放送は終了しましたね。沖縄県まで来ましたが、最後は島へ渡る予定が噴火した火山の軽石のせいで船が出なく、渡れず。コロナもあって関西地区はスルーするし、放送も2週間中断もあり、今年もきつかった1年でした。来年こそ、完全に走れますように!と祈りますが、それにしても火野正平さん、来年は75歳になるのかな?ヒーヒー言いながらも、自転車に乗って必死に頑張っていますね。

さて、ここは前日車中泊した金山町の道の駅「奥会津かなやま」から国道400号線を南東に5kmほど行った玉梨温泉地区の廃校になった小学校。
玉梨温泉には公共浴場があって、格安で入浴出来るし、とても素敵な温泉らしいけど、朝から雨のこの日は移動日に当てており、素通り。それに朝から温泉は動からないならいいけど、長距離移動するなら無理です。
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下郷町に雨の中県道を走っていたら、また廃校になった学校の校舎発見!素敵な木造校舎ですが、今は子供たちのための学校ではなく、地域の建物になっているようです。あちこちで廃校になった校舎の利用法があるが、老人ホームになってるケースも結構目につきますね。
今は子供よりも高齢車が圧倒的に多いですからね。だから高齢者施設があちこちにあるのですよ。
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川を見たら、一枚岩の滑(なめ)になっていて、なかなか素敵です。
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上流方向を見ても、一枚岩。晴れていれば分かりやすいけど、雨降りで曇っていたら写真では分かりづらいです。
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この通り、下野(しもずけ)街道というんですね。下野と云ったら、今の栃木県を指すけど、会津からの江戸へ行くにはここをかならず通過せざるを得なかったので、街道が出来たのですね。
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近くには、水場もあります。湧水があるのです。
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高倉山の湧水です。
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そして、宿場町だった大内宿へ。広い駐車場(料金は1日500円)に車を停めて、雨の中を傘を差しながら散策。観光客はおらず閑散としています。
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今でこそ、有名な観光地になって知られているけど、以前は家屋を維持するのが困難という理由で潰されそうになったことがあったのです。でも、残って良かったです。確かに藁ぶき屋根を維持するのは大変なことですが、ここ10数年は下郷町にとってはドル箱の観光資源ですからね。
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花で埋めてる水槽。とっても可愛らしい。こんなセンスの持ち主、優しい心の持ち主なんですね。
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お土産物屋さんや名物の蕎麦屋さんは、暇を持て余しているよう。以前は中国人始めインバウンドの人たちが大勢来ていて、お金を落として行きましたが、今は外国人は一人もおらず、日本人だって少ないのですから。
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それに天気は悪く、写真では分かりづらいけど、雨がしとしと降っているのです。
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見晴らしの良い高台へ。大内宿の全景が見えます。電柱や電線がなく、景観がスッキリしていますね。屋根はほとんどが茅葺屋根で統一されていて、とても素晴らしい景観です。
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ここにも桧枝岐村で登場した後白河天皇の第2皇子の高倉宮以仁王(たかくらみや もちひとおう)の伝説があります。平家との戦いは、京都宇治川で流れ矢に当たり戦死したとも云われますが、義経同様に生きていて逃げ延びてこの地へ来たそうです。
ここに立ち寄った際、都の風情によく似ていたところから、それまで山本村と呼ばれていたのを大内村と改めて、以後大内という名で来ているそうです。
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急な階段。見晴らし台には子安観音、弁天様など散策する場所がいくつもあります。下で引き返す観光客が大半ですが、ここに来る価値がありますよ。
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パンフレットを見て数えたら、全部で40軒ほどの古民家があって、宿屋、民宿、お土産物屋、食事処、お茶屋さんなどがあります。
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こちらは大内宿町並み展示館。昔から伝わる生活用具や農耕器具などの資料が展示されています。
大内宿のこの通りは車の通行禁止ですので、歩くのみ。
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詳しくはこちらを!
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ということで、この日は1日雨。それも時間を追うごとに激しくなってきて、この日の写真はこれが最後。
この日は、大内宿から東へ移動して国道4号線へ。福島最大の都市の郡山市→東北自動車道を走り、宮城県へ入り仙台市を越えて大崎市で降りて下道へ。観光客で賑わう松島を通過して石巻市から女川町の道の駅へ。うるさそうなので、もう一度石巻市に戻り旧雄勝町へと。出来たばっかりの道の駅「おがつ」で車中泊。屋根付きの駐車場で雨に当たらずにぐっすりと寝れたのでした。

次回は、10年前の2011年3月11日の大震災で多くの犠牲者を出した石巻市大川小学校跡からお伝えします。
では、また!
 

12月23日木曜日、天気は曇り時々雪で1日中マイナス気温の真冬日。外を歩いていても頬が冷たくなって、寒い1日でした。明日は今日よりも寒くなるとか。そして、明日はクリスマス・イブ。外は一面銀世界で、まさしくホワイト・クリスマスです。

さて、ここは桧枝岐村の歴史民俗資料館。入館料は無料でした。内部の展示資料は、村の歴史、歌舞伎、林業を中心にあり見応え十分です。たまたま、当日は環境省の新人レンジャーたち20名ほどへの研修があって、村の説明を一緒に聞けたことが良かったです。
環境省のレンジャーは知床や阿寒などでも活躍していてお話ししたことがありましたが、自然が好きでアウトドア大好き人間たちなので、これから大いに頑張ってもらいたいな!とエールを送りました。
ランチタイムには、蕎麦屋さんでもご一緒致しました。
自転車は、彼らのものでレンタルして村を散策していました。
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資料館の向かいには役場があって、資料館の隣には公共トイレがあるから、ここの駐車場は車中泊には最高!治安も良いし、トイレも清潔、商店街もすぐ近く。夜はとっても閑静です。
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近くの湧水地へ。山からのきれいな水がコンコンと湧き出ていて、美味しい!早速ポリタンクに貯水しました。
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安宮清水と云うんですね。以仁王(もちひとおう 1151~80)といったら、平安時代末期後白河天皇の第3皇子で、源頼政の勧めに応じて平氏打倒を計画し、諸国に挙兵を発したけど失敗。宇治平等院で敗死した人物じゃないですか。
説明板では、第2皇子になっているけど第3皇子の誤りだと思います。その彼が生き残って尾瀬から桧枝岐に落ち延びてきた、という伝説です。これって、義経伝説と一緒ですね。
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役場から南へ1kmほど行くと、ミニ尾瀬公園があって尾瀬を模した公園で気軽に散策出来ます。普段は入園料500円ですが、歴史民俗資料館ともどもコロナ禍でか無料で入園出来ました。
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実川を挟んで向かい側には、板倉群が見えていますね。村内に残る板倉を移築して保存しています。
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公園内には、山岳写真家の第1人者の白籏史朗さんの尾瀬の写真を展示した尾瀬写真美術館や。
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福島県二本松市出身の書道家、丹治思郷氏の尾瀬書美術館もあるし。
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尾瀬を愛し自然保護活動に尽力した理学博士の武田久吉氏の貴重な資料を展示した武田久吉メモリアルホールもあって、いずれも無料で見学できたのです。
ここの標高は、何と!980mもあるんですね。海からの高さ1000mの地にいるのです。
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遠くに見える山は燧ヶ岳(ひうちがだけ)で、標高は2356mもありますね。
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ズームして見ましょう。あの山はまだ桧枝岐村の地で、尾瀬に下山して尾瀬沼からは群馬県の領域になります。歩くとしたら1日では無理で、2日ないしは3日かかるかな?
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午後3時過ぎからは桧枝岐村の北の南会津町の木賊(とくさ)温泉へ。川渕にある無料の温泉へ。
ここ温浴なんでよ。男は、左に見えているボックスで服を脱いで入浴。湯船は2つ。
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右に見えているのは、女性専用脱衣所ですが、曇りガラスで戸を閉めて着替えることが出来ますが・・・。数年前に来た時、一人で入っていたら、若い女性が来て全身をタオルで体を隠していたけど、お風呂に入ってきてこちらはうろたえましたよ。
何しろこちらは裸で入浴しているから、着替えするにはタオル1枚でお風呂から上がらなければいけないですからね。
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この日は、たまたまオープン日。町の職員の方と地元の方が来ていて、話をいろいろ聞けました。
昨年の夏に川が氾濫して、風呂を破壊。1年かけて修復して再開できた!と。
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この川が洪水を起こして建物を壊したのです。その時の大きな石が目の前にあります。
でも、やっと修理して再開できたことに感謝です。もちろん無料で入浴出来ました。
温度はちょうどいいくらいで、外の風を浴びながら良い湯でした。

では、また!











12月21日火曜日、天気は晴れで気温は最高で7℃まで上昇するようで、昨夜降って5㎝ほど積もった雪はすぐに融けることでしょう。「雪が融ける」と打ち込むと、「解ける」、「溶ける」、「熔ける」、「説ける」などと出てきますが、正解は「融ける」でしょうか?それとも他にあるのでしょうか?それ以外は違う気がしますが・・・。

さて、ここは福島県奥会津の最深部の桧枝岐村。目の前の道路の国道352号線をこのまま辿り険しい山道を走ると峠を越えて新潟県へ。一方、道路はないが登山道を登り尾瀬湿原を南へ抜けると群馬県へと向かいます。そんな奥深い南会津の谷沿いにある人口1000人を切った農村地帯の桧枝岐村。
細い路地には「鎮守の森」・「歌舞伎の舞台」・「橋場のばんば」という案内板がありますね。
それでは、小さな鳥居をくぐり抜けて行って見ましょう。
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まず目についたのが、この大きなハサミ。左のはきれいに磨かれたいかにも切れそうなハサミに対し、右のは大きさこそ同じだが錆び付いた古い切れそうにないハサミ。その奥にはたくさんのハサミ。
一体何だろう?
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左側には、新しいハサミが針金で縛られておかれています。それ以外にもお酒やジュースにお椀も。
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となりに説明がありましたよ。ハサミを針金で結んでいるのは、縁を切りたくないから、という理由です。お椀は、頭にかぶせるといかなる願いも叶えてくれる、とのこと。
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数が多くなって、もう一つ作り、となりの建物にもハサミが置かれています。
こちらのハサミは、「縁をいつでも切れるぞ!」ということですね。ピカッ、ピカッの真新しいハサミがいくつも並べられています。お椀もあるのは、願いを叶えて欲しいからか?
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こちらは縁が長続きしますように!との願いからハサミの刃を針金で頑丈に縛り収めています。
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古い方の建物には、お椀がたくさん。お地蔵さんの頭の上にお椀が3個も。
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人間の欲望は、こんな形になっても現れるのですね。それは、この絵馬。絵馬には別れたい人の願い、それは「早く縁を切りたい!」とか「会社を辞めたい」、「家から出ていきたい」とか、それ以外にもとてもこのblogには書けないような毒々しい言葉が書き連ねていて、リアルと云えばリアル。絵馬が見事に真っ二つに割れていますからね。割れた絵馬なんて、初めて見ました!
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となりには、こんな像も。これはよくわからなかった。
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奥には、歌舞伎の舞台があって、神社の境内がそのまま座席になっています。
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ここが鎮守の森でこの奥に神社があります。桧枝岐村の歌舞伎は、毎年ここで演じられるのです。
野外で、満席になれば1000人は入るのでは?
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江戸時代に建てられたが、火事で焼失して明治の中頃に再建されたもの。年に3回演じられていますね。
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天井が高い!天井は藁ぶきの屋根。柱が頑丈で釘が使われていないよう。
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廊下も長く、ここでも演技されるのでしょう。
ここは2013年5月だったかな?最初の旅で訪れた時、最初は知らなくて、たまたまここの神社を見学していたら、お神酒をすすめられて地元の方とお話して、その時に「今夜歌舞伎があるんだよ」と云われて夜に見学。その夜は村役場の駐車場で車中泊したのでした。
もちろん、お神酒は「車で来ているから」と断っています。そしたらお酒の代わりにおこわをいただきました。
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神社の向かい側には、小さいけど歴史を伝える資料館があって、桧枝岐村の歌舞伎が紹介されています。
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いいですね、こんな山奥の村で長い伝統を維持してきているなんて!素敵です。
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そんなわけで、桧枝岐村は大ッ好きで、これで訪れるのは2度目。何度訪問しても素敵な出会いがあるのです。
次回は、この桧枝岐村をもう少し散策することにします。
では、また!

12月19日日曜日、天気は晴れで日が当たる場所では暖かく雪も溶けていました。さすがに日陰は寒かったです。
さて今日は、荒到夢形さんの今年最後の講談会。いつもの郷土資料館へと行ってきました。お題目は、前半は「イエス・キリストの誕生物語」で、年末クリスマスの時期にピッタリの題目。後半は、「江差の年越しソバ」。ニシンソバは、実は江差が発祥の地であることを証明したお話でした。
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それぞれ15分ほどで、休憩時間を挟んで11時過ぎには終了。面白いお話しで楽しかったです。来年は1月16日日曜日が第1回で、帰る時に早速予約してきました。
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資料館にあるもので、新しいもの発見!これはスイスのオルゴール。
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豪商、渡邉熊四郎が欧米を旅行した際に買ってきたものです。
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こんなに曲が入っているなんて、すごいものだったんですね。
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もう一つはサモワール。
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ロシアのお茶を入れる道具ですね。
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早く終わったので、クリスマス・ファンタジーが行われている会場へ行ってきました。
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昨日の雪が5cmほど積もっていて、ホワイトクリスマスだからうれしい!恐らく根雪になるから、来年3月までは溶けずにあるでしょうね。
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冬でも人力車が走っていて、お客さんを乗せていましたよ。さすがに服装は冬姿でした。
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いつもだったら、カナダの姉妹都市のハリファックスから届く樅ノ木なんですが、コロナのせいで地元産の針葉樹。夜になると数万個のLEDのイルミネーションで、とってもきれいなんですけど、昼間はないですね。
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七財橋の上から赤レンガ倉庫群と函館山も撮影。
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例年は、屋台がたくさん出て賑やかですが、これまた自粛。観光客の数の少なく見えます。
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モミの木妖精の教会は今年も健在!
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恋人たちが中に入って愛を誓うと願いが叶うとか?まぁ、勝手にやってください!
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赤レンガの壁には、今年もサンタが登っています。
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サンタさん、何人いるんだろう?
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新島襄さんもクリスマスを待ち遠しいのかな?
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東浜埠頭は、完成したようですが、まだ立ち入り禁止で塞がれていました。奥に見えるのは朝食日本1のホテル。ツリーが小さく見えています。
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波もなく凪ぎ状態。穏やかな1日でした。
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ということで、今年最後の講談を聞いて笑って帰ることが出来ました。
では、また!

12月18日土曜日、天気は雪が降ったり止んだりの繰り返しで、最高気温でもマイナス5℃の1日中真冬日の寒い日でした。今日も外を歩いて来ましたが、いつもは8000歩目標にしていますが、寒くて寒くて5000歩止まりで終わり。今日はたまっていたビデオを見たりして、家の中でゆったりと過ごした1日でした。
ニュースを見れば、札幌市や小樽市はたった1日で積雪50㎝以上で、前日までゼロだったのに雪かきに苦労した、と。幸い函館は積雪は数センチ程度で雪かきする必要もなし。ただ外は寒すぎる。家の中は暖かいですけどね。

さて、昭和村のマンホールは昭和の文字がなく鳥と花の絵だけで、一寸意味不明。
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奥会津最深部の桧枝岐(ひのえまた)村へ行くために、村を走る国道400号線からそれて401号線で南下。その途中でお地蔵さん発見!こんな可愛らしいお地蔵さんがところどころに見かけられます。きっと、江戸時代からお百姓さんがこしらえて道端に置いたのでしょうね。
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南会津町へ行く途中の山道で5つのお墓発見!湯殿山の石碑は、村の人間がお参りしてきて、そのご利益を石碑を造ることで村の人々に伝えたのでしょうね。
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左から2つ目の墓は、会津藩士戦死二人の墓とあります。
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会津藩は、戊辰戦争では薩長の新政府軍相手に戦い、多くの戦死者を出しましたからね。しかも降伏を許されず戦うしかなかったのですから。150年以上たった今でも山口県萩市からの姉妹都市の要請を会津若松市は断っているのは、頑固だけでないのです。
1987年というから34年も前のことですが、萩市は会津若松市へ友好都市の提携を申し入れたが市民の多くは「いまだ時期尚早である」「我々は恨みを忘れていない」と断っていますからね。
山口県の観光客が会津を訪れて旅館に宿泊した時、宿帳に「山口県・・・」と書いたら、「長州の人を泊めるわけにはゆきませぬ」と断ったとか。(ネットで調べたら出ていました。)
会津は、積年の恨みを決して忘れないぞ!の気持ちがまだまだ残っている地なのですね。
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舗装された国道だけど、あちこちに「熊出没」の看板ありで、まるで北海道の道路を走っているかのよう。3桁国道はこんな道が多いですね。
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新鳥居峠(840m)とあるから、多分新道が出来たのでしょう。旧道の峠だとかなり厳しい道だったはず。
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南会津町へ入り、さらに南下していくと「大桃の舞台」へ。
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農村歌舞伎のステージがあったのです。伊南村と書いていあるから、合併以前のこと。昭和51年とあるから1976年の説明板です。
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江戸時代のこと、お伊勢参りをしてきた人たちが江戸や大坂で歌舞伎見物を楽しみ、それを地元に帰ってから娯楽の少ない地方の住民に見てもらおう、と始めたのが農村歌舞伎の始まり。
私のblogの読書の皆さんは、今までも長野県大鹿村で見学してきたからお分かりですね。
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この神社の境内の一角にこしらえた舞台でした。
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さらに南下して桧枝岐村役場へ。役場の駐車場に車を置いて、まずは役場の前にある歴史民俗資料館を見学しある程度学習してから村を散策。
六地蔵がありますね。山深い里のため、昔から冷害に悩まされてきた桧枝岐村。凶作の時には餓死者が続出したそうです。それゆえ、働けぬ赤ん坊は「間引き」されるという悲惨な出来事も。この六地蔵の稚児像は「間引き」された霊を弔い母親の嘆きを慰めるために建立されたといいます。
奥深い奥会津、米も取れない桧枝岐の悲しい歴史を垣間見ました。だから、地蔵の前にはジュースやお菓子が置かれているのです。
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この先は、国道352号線は新潟県魚沼市へと行きますが、かなり険しい道。昔は道はなく、それこそけもの道を歩いて越後から来た人もいたのです。
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星家先祖の墓とあります。虫歯の神様になっていて、神に願い事を書く良いとか。星家は虫歯様と云われていたそうですね。
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墓地を見ると、星家・平野家・橘家の3つだけ。それはなぜか?
1200年前に平安京から都落ちしてきた藤原家の縁者は郷里の星の里から「星」を名乗ります。
800年前は源氏に敗れた平家の落人が住み着き一文字をとって「平野」を名乗り、400数十年前の戦国時代には落人になった楠木正成の子孫がここにたどり着き「橘」を名乗って住み着いたのです。
それだけ、超がつくほどの山深い里なのです。
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これが板倉集落。
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平野家先祖の墓。源氏に敗れた平家は全国各地の人里離れた場所へ逃げ延びますね。彼らは落人として住み着きますが、九州の山奥や離島、津軽の奥深くまで逃げて、その一部は津軽海峡を渡って箱館の郊外にまでやってきたのですから驚きです。
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次回は、もっと面白い桧枝岐村を紹介します。
では、また!

12月17日金曜日、天気は朝10時ころまでは曇り空だったが、それ以降は雪。天から真っ白いものが静かに落ちてきてます。今日は全国的に今年一番の寒さで、空模様も雪の予報が出ていますね。
もう、年末で来週はクリスマスです。そして再来週はお正月!早いものでもう1年が過ぎ去ろうとしているのです。
そろそろ年賀状も書かないと!と思うつつも、印刷を頼むのが遅かったのでまだ手元にないから書けないでいます。
さて、ここは山形県と福島県との県境。何度も山形から福島へ来たが、いつもは米沢市から喜多方市への国道121号線。今回は初めての県道2号線の西吾妻スカイバレーという名の観光ルートを利用。でも、標高1400m以上の峠道だから、愛車のターボなしの軽自動車ではあえぎあえぎ登ってやっとこさ辿り着いたのでした。峠の南側、木々の間の奥に桧原湖が見えています。
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ズームして見ると、分かりますね。
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県道の開通記念碑ですね。まさしく山を切り開いて開通。この周囲は、磐梯朝日国立公園内です。湖はいくつもあって、桧原湖のとなりには小野川湖秋元湖。その南には面積では日本第4位の猪苗代湖があります。
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峠の北側を見ると、西吾妻山(2035m)の山麓が見えていますね。
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白布峠(1410m)から、かなりの急傾斜のワインディングロードを下りて桧原湖へ。ここの標高は822mだから、峠からは588m、およそ600m近く下山したことになります。
桧原湖、小野川湖、秋元湖は磐梯山の噴火に伴って出来た堰止湖です。魚釣りのためのレジャー・ボートがいつくつもいて、この辺りは完全にリゾート化されていますね。
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リゾート基地化になっている様子は、さらに南下して国道49号線沿いにある道の駅「猪苗代」に来た時に完全に分かりました。この日は土曜日で快晴、東京からは高速を使えば3時間もかからずに来れるから日帰り圏内で、道の駅の300台以上は停めれる広い駐車場は、首都圏ナンバーが多くて満杯状態。建物の中も、人であふれかえっていたのですから。
ガソリンスタンドにも行列が出来ていて自分の車は4台待ち。人気のキャンプ場へ行こうとしたら、渋滞で行けず。
そんな人気の観光地は避けるのが賢明で、さっさとスルーして猪苗代湖の南側へ。さすがにここまで来ると、空いていました。奥には磐梯山(1816.2m)が見えています。
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湖がきれい!水が透きとおって見えていますね。正面は会津若松市の方向。
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で、この日は会津若松市を通過して奥会津へ。柳津町の秘湯、西山温泉に入りこの日の車中泊地の昭和村の旧喰丸(くいまる)小学校へ。
数年前に来た時は、この校舎は崩壊寸前に近いくらいボロボロでしたが、修理して今は情報センターへ。校舎内は見学出来て、もちろん無料。昔の教室を再現していて、懐かしい感じ。地域の情報も伝える大事な基地になっています。

左の銀杏の木が素敵!樹齢120年を越えるといいいます。まさに、昭和村のシンボルツリーです。西島秀俊主演の映画「ハーメルン」は、ここ喰丸小学校を舞台に撮影されていて、木造校舎の持つ空気感が魅力たっぷりに描かれていたそうです。
調べてみたら、この校舎は昭和12年というから戦前の1937年に建築されたもの。そして、平成30年2018年4月に交流・観光拠点に生まれ変わったのでした。
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で、この日は昭和村の道の駅で車中泊。道路沿いではあるけど、夜はとても閑静で、夜中は満天の星空!朝方は少し寒かったけど、ぐっすりと寝れた翌朝に周囲を散策。
昭和村は「からむしの里」で、「からむし」って虫の仲間かな?と思ったら麻の仲間でした。ramieと書いてあって、意味は苧麻(ちょま)といい、日本で一般的に見られる麻の繊維や布だそうです。
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この植物ですね。ここから繊維が採れるのですが、葉っぱでしょうか?茎?それとも根?これもまた調べたら、それは葉っぱでした。
イラクサ科の多年草で、ここ昭和村のからむし織は小千谷縮の原料に使用されているとのこと。
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この人が尽力したのです。まさに昭和村の立役者。道の駅の中には、繊維を採る道具もあるし、実際に試してみることも出来ます。
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村のあちこちに、からむしの畑がありますね。
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昭和村の名前は、1928年(昭和2年)に2つの村が合併して誕生しましたが、実はその前年の1927年(大正15年)12月25日に大正天皇が死去して、残りの1週間が昭和の年号となり元年となりましたが、それはわずかに7日間ほど。昭和村は新しい年号の名を採用して村の名を昭和村としましたが、残念なことに元年ではなかったのです。
わずか1週間では用意できなかったのですね。
次回は、昭和村を詳しく見ていきます。では、また!

12月15日水曜日、天気は晴れ時々曇りで、気温は日の当たる場所では10℃を超える暖かい日です。遠くの山々を見ると、5合目付近から上は真っ白で、標高の高いところと低いところでは違うんだな、ということが良く分かります。当たり前のことですが、低い地では雨でも高い地では雪になっていたのです。

さて、ここは白鷹町の荒砥駅から歩いて10分の場所。地元の神社ですね。見てお分かりのように雨。子この日は朝から雨で、次第に雨足は強くなって、傘を差しても濡れてしまうほど。
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駅からは、高さにして30mくらい高い場所です。実はここ昔に城があったところ。小高い丘の上だから、平山城ですね。小高い丘は、八乙女(やおとめ)城山と云って標高は212m。駅のある場所は海抜180mくらいの地であることが分かります。
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荒砥(あらと)城という城です。戦国時代は伊達氏の支配下で、最上氏の領土と隣接する国境付近に位置していて「境目の城」として重要視されていました。江戸時代には、米沢藩の5つの支城の一つに数えられていて、周辺を統治していた、わけだから歴史のある城であることが分かります。
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もちろん今は、その形跡はまったくありませんが、空堀の跡だけは残っていました。
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晴れていれば、じっくりと散策したかったけど、この雨じゃ歩くだけでも靴がビショビショになるから諦めて下山することに。
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現在は、町の公園になっていて、こんな桜の木も。4月末頃は桜満開だろうな!その頃にもう一度来てみたい!
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八幡神社と稲荷神社の2つの神様を祀っていた神社でした。
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帰りの道で熟した柿発見!最近では、函館周辺の道南地方でもカキが実るようになりましたが、やっぱりカキは温暖な地のもの。北海道ではミカンも実っている光景を見たことありません。西日本、四国とか九州ではいくらでも採れそうなほどミカンは実っていますけどね。
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そういえば、今朝の「こころ旅」では鹿児島県を訪れた火野正平さん、バナナの木を発見!鹿児島県でもバナナが実り食べれるんですね。葉っぱも大きくなっていて、テレビでしたが初めてバナナの花も見ました。どんどん地球の温暖化が進むと、そのうち北海道でもミカンが実る日もあるかも?
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1時間ほどの散策を終えて、荒砥駅へ戻ったら列車が出発する時間。乗客は数人でした。1日に20本もないから、乗客は時間を知らなくてはいけません。大都会と違って、行けば乗れて即スタートするわけにはいかないのです。
この列車のデザインは、山形名物、県の花に指定されている「紅花 ベニバナ」ですね。
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山形県を一気に南下します。まずは長井市へ。ここは道の駅で、「川のみなと長井」とあります。山形県を南から北へ流れる大河最上川のそばにあります。
ここの道の駅で車中泊しても良かったかな、と。国道沿いではあるけど、奥の方は離れていて静かな方だし、トイレも清潔でfreeWi-Fiも効いているから、次はここにしよう!
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米沢市をスルーして福島県は行く予定で、山形県最南部へ。徐々に標高を上げて行き、奥羽三高湯の一つの白布温泉へ。上杉謙信の家臣、直江兼次がここで鉄砲を造った遺跡があったのです。
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県道2号線を南へ、標高は500mを越えさらに上昇して1000m近くへと。ターボのない我が車はあえぎながら登り、後ろに付いた車がいたらすぐに譲ります。とにかくパワーがない。
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登っていくと、最上川源流部へ。道路開通記念碑もありましたね。
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こちらの山は、100名山の一つ西吾妻山(2035m)。たぶん、ここの沢が最上川の源流にあたるところでしょう。
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朝方は雨だったけど、長井市からは晴れ。そして快晴へ!北の方向はバッチリ!
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米沢盆地がクッキリと見えます。米沢の町は以前2度ほど訪問したので、今回はパス。
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そして、福島県との境の白布峠へ。標高は何と!1404mもあるんですね。
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 我が愛車もよく登ってきたことよ!あっぱれです。
この峠を越すと次は最終南下県の福島県へと入ります。
で、次回は福島県からお伝えします。

では、また!

12月14日火曜日、天気は晴れの時もあったり雨の時もあったけど、曇りが多かったです。気温は8℃まで上昇して昨日積もった雪はほとんど解け、道路は歩きやすい。横浜では初雪が降ったそうだけど、函館の今日は暖かい冬の日でした。

さて、ここは鶴岡市の羽黒山、国宝の五重塔です。
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特別記念物の杉並木の中に、ひっそりと建つ国宝の五重塔。均整の取れた姿は見ていて時間が経つのも忘れるほど。
高さは30m、正確には29.9m。前回にお伝えした通り10世紀前半の武将、平将門によって創建されたけど、現在の塔は14世紀の南北朝時代。
出羽三山詣ででは、羽黒山は現世、月山が前世、湯殿山は来世を表すとされます。ということは、ここで現在の世界を歩いているということ。
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この石の階段を登り羽黒山神社が鎮座する山頂まで行けるのですが、下山してきた人に尋ねたら「あと1時間はかかります。今日は暑くてご苦労様。」と。写真を見ても、子供でも登っているのに、自分は暑くてこれ以上登り続けるのは無理、と諦めました。
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ここではこの五重塔をじっくりと見ることに集中しましょう。
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近くにある天然記念物の「爺杉(じじすぎ)」。樹齢1000年と云われ、国の天然近物に指定。この近くに昔は婆杉(ばばすぎ)もあって、羽黒山名物だったが、今から100年以上前の1902年(明治35年)に暴風によって倒木してしましったそうです。
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真っ赤な神橋(しんきょう)と呼ばれる祓(はら)い川に架かる橋。昔、出羽三山に参拝する人々はこの川で身を清めて出発したそうです。
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帰りも辛い。登りの坂道がキツイ!行きはこの階段を下ってきたけど、帰りは登らなければ帰れないのです。参拝客のほとんどは五重塔でUターン。羽黒山山頂まで行く人はまれでしょうね。特にこの日の暑さの中では。午後からは25℃以上はあったような。特に日の当たる場所では。
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やっと戻り、キレイなトイレのある休憩所で一休み。建物の中は涼しい。ドリンクタイムでのどを潤す。国道112号線の六十里越街道を東へ。ここは月山ダムの前。この像、「月の女神」とあります。
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鶴岡市から寒河江市までは月山や湯殿山の山々を越えなければいけません。峠越えが必要。昔はトンネルもなく大越という峠(920m)を越えて行ってたのです。実は、半世紀ほど前の1972年(昭和47年)夏、自分はその大越を自転車で走ったのでした。当時は砂利道で、通行する車も少なく大変な難儀する峠越えだったことを記憶しています。でも、若かったのでしょうね。かなり無茶なことをしても平気だったのです。
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21世紀の今は、高速道路の山形自動車道があってトンネルをつないでいち早く山形市方面へ行けるし、また月山道路と呼ばれる国道112号線があってこれまたトンネルをつないで楽に行けるのです。
でも、自分は昔自転車で通過した旧国道の112号線を走ることにしました。
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クネクネと何度も曲がる細い道、ところどころには今は高齢者だけになった集落もある六十里越え街道。ススキの穂の奥、遠くに月山も見えました。
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何とか峠を越えて西川町へ。さらには寒河江市から南下して朝日町へ。ここのリンゴ温泉で入浴。300円で安い!そして白鷹町へ。
この日の寝床は山形鉄道フラワー長井線の終点荒砥(あらと)駅。駅舎のとなりに20台くらい停まれる駐車場があります。とても閑静だし、10時まではこの建物の清潔なトイレが使えます。
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1両だけのディーゼル車の車両。ほとんどは高校生。夜になっても長井市からの帰宅生徒が帰って来て、それを迎えに保護者の方が車でお出迎え。汽車通学はつらいのですよ。
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 ということで、暑かったこの日はここの駅での車中泊。
ここでは4度も車中泊しているのですが、どうしてかこの夜はなかなか寝付かれず、睡眠不足で朝を迎えたのでした。その朝は雨。で、次回は雨の中の荒砥駅周辺を散策します。荒砥城跡があったりして面白い発見もあったのです。

では、また!

12月13日月曜日、天気は雪。朝起きたら外は猛吹雪で、時々晴れ間も見えるがすぐに吹雪になり昨夜からの積雪は約10㎝で、早速今シーズン初の雪かきをしました。最高気温でも0℃だから、これまた今シーズン初の真冬日。
昨日の暖かい日曜日、畑に実っていた野菜を取ったので良かったです。最後の野菜として、寒さに強いビーツ、小松菜、水菜、ベビーリーフなどがあって結構残っていたのです。それを採ってご近所さんや知り合いに配り、今年の家庭菜園は終了。しばらく休み、また来年3月の土起こしから再開の予定です。

さて、鳥海山から下山して、といっても登山ではなく車で1000m地点から一気にゼロメートルまで下ってきただけですけどね。
ここは、遊佐町郊外の国道345号線で、刈り取りの終わった田んぼから北の方向にある鳥海山。山頂付近が雲に隠れていますね。下山してから1時間ほどですが、山の天候は変わりやすいのです。空の雲が秋の感じですね。
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日向川を渡り酒田市へ入り、郊外にある八幡神社
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特に有名な神社というわけではないけど、ここは田舎のよくある神社で、のんびりしたい気持ちにさせます。
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ここで、ゆったり。駐車場から見た鳥海山。
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ズーム。鳥海山という山頂はなくいくつもの頂があって、山全体を鳥海山と云います。一番高い山が新山で2236m、右の山頂がきれいに見える山は行者岳(2159m)だろうか?それとも七高山(2229m)だろうか?左の山々は雲の中です。
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酒田市から鶴岡市へ入り、羽黒山神社の入口へ。土曜日だったし時間も昼頃だったから、駐車場はいっぱい。でも、やっと軽自動車が停めれるスペースを発見。これで一安心。ここから歩きます。
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参拝者は皆一応にマスクだけはしていますね。大きな門からスタート。料金は取りません。ただ、羽黒山山頂(414m)までは有料道路で普通車は往復400円かかります。歩く分なら無料。
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門から入る前にいくつかの建物があります。羽黒山は出羽三山の中心をなす神社がありますが、他には月山(1984m)、湯殿山(1500m)。湯殿山は、山頂へは登山禁止で拝むだけ。山全体がご神体ということでしょう。
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ここは修験道を中心とした山岳信仰の山。いわば神仏混合の場所で、山というのは神様のいる場所、そこへ心身ともに鍛えてもらおうと修行をしる信仰があったのですね。もちろん今も続けられている方たちもいます。
キリスト教でも巡礼があるし、仏教でもお遍路さんがあるし、あちこちの山々でも観光登山ではなく信仰の道として、修行の道があるのですね。
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うっそうと茂るすぐ並木が続く参拝の道。全部で2446段もあるというから、造った人たちは偉い!
ただ、日が当たらない場所ではジメジメしていて、靴がスリップしてちょっと怖い。階段がいくつもあって上り下りが激しい。これだと足の弱い高齢者の方は無理じゃないかな?
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小さな祠?神社が何か所にもあって、一つ一つを拝んでいる方も。でも、大半は自分も含めて観光客で素通りで、手を合わせることすらしない。
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流れが少ないけど、小さな滝もあります。何か所かにお金を置く場所があって、1円玉から5円玉10円、中には100円と、コインが重なっている聖なる(?)場所も。さすがに、そこから罰当たりな賽銭泥棒みたいなことをする人はいないでしょうね。
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この日は朝方こそ涼しかったけど、日が昇るにつれて暑くなり、日中は半袖でも良いくらいで、歩いていると汗が噴き出す暑い1日でした。おまけにこんな階段の登山道。
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歩いて登って、五重塔へ。
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 東北地方最大にして最古の塔である国宝の五重塔。平将門(903~940)の創建と云われるが、現在のは約600年前に再建されたもの。高さは29m。1954年(昭和29年)に国宝に指定。杉の古いものは樹齢1000年を超すものもあるといいます。まさに、ここは聖地。

厳粛な雰囲気があり、声も出ないほど。次回はここをさらに詳しくお伝えします。
また吹雪いてきました。午後も雪かきが必要かな?

では、また!

12月11日土曜日、天気は午前中晴れで、午後から雨が降って、夕方は曇りになって目まぐるしく変化した天候でした。気温は10℃はあるから、寒くなく外を歩く分には十分でした。

さて、ここは山形県と秋田県との境にある東北最大の山である鳥海山(2236m)。地図をよくよく見ると、山頂部分は山形県遊佐(ゆざ)町にあります。で、自分は昨日紹介した前日に車中泊した遊佐町吹浦の日帰り温泉施設の「あぽん西浜」を出発して、山形県側の県道210号線、別名鳥海ブルーラインをドンドン登ります。
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で、最初に辿り着いたのが吹浦側の登山口。標高は1000mを越えています。日本海が見えていますね。
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ただ、遠くは霞んでいて良く見えない。クッキリと晴れていれば南西の方向に佐渡島が見えるはずなんだけど、見えていませんね。
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朝7時過ぎには出発したんだけど、ここの駐車場はほぼ満杯。そういえば、この日は土曜日だったから登山者は多いはずです。
ここから山頂目指すのですね。山頂までは、個人差はあるけどおよそ6時間以上。
自分は、登山するつもりはなくドライブを楽しんで来ただけです。登山するなら、もっと早くに来なければいけないですね。
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海抜ゼロメートルから、一気に1000mまで登るのは、かなりのパワフルな車でないとダメですね。自分の車は軽自動車だし、ターボがないから登りはからきし弱い!以前乗っていたのはターボがあったけど、ターボナシはこんなに弱いとは!次買う車は絶対ターボが付いた車でないとダメです。
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北の方向に見えた島影は、島ではなく男鹿半島。男鹿三山の山々が見えていました。
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標高1000m付近を等高線沿いに秋田県側の登山口へ。ここはにかほ市象潟(きさがた)町鉾立(ほこたて)展望台。ここの駐車場も満杯。道路にまで駐車している車があります。
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ここでも佐渡島は見えず。でも、遠くに酒田市の港湾地帯が見えていました。
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日本海をよーく見たら、ある島影が。ズームして見て見ましょう。
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平坦な島の飛島(とびしま)でした。飛島は酒田市に属していて、酒田市から定期航路がありますが、フェリーはなし。最高地点でも標高68mだから、ほぼ平坦な島であることが分かりますね。
人口はわずか270人ほど。面積は3キロ平方メートルもなく、2.73キロ平方メートル。漁業中心の島です。島全体が鳥海国定公園になっていて、豊かな自然に恵まれています。行きたいけど、なかなか行ける場所ではないです。本土側とは、およそ30kmくらい離れています。
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眼下ににかほ市の市街地が見えていますね。にかほ市は、2005年10月1日に仁賀保町、象潟町、金浦(このうら)町の3町が合併してにかほ市へ。市役所は象潟の町にあります。市だけど、人口は2.4万人と少ない。
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山小屋がありますが、周辺の駐車場はいっぱいですね。この時の時間は午前8時過ぎ。皆さん、朝早くから登山するのです。
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中央奥に見えているのが山頂。
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深い谷があって、下を除いたら怖いくらい。
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奈曽(なそ)渓谷と云って、その深さは400m以上あります。地図を見ても深くて険しい渓谷が形成されています。沢になっていて、滝もあります。もっと上から流れてきた水はやがて川を形成して、奈曽川という名で、日本海へと注いでいます。
冬には深く雪が積もり、夏でも残雪があるのでは?
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向かいの山は稲倉岳(1554m)。
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ここで5合目だから、まだまだありますね。6時間で着けるかどうか?自分は自信がなかったので登山は止めたのです。
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ここは、どうやらここから空へと飛び立つ発着台ですね。きっと、パラシュートのような風を利用して空を飛ぶものがありますよね。パラグライダーでしたっけ? 
でも、怖そう!自分は絶対やらないです。別に高所恐怖症ではないけど、こんな場所から飛ぶなんて!信じられません。だから、お金を出してバンジージャンプをやる人がいるなんて・・・。お金をもらってもやりたくないです。
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ということで、晴れた日の鳥海山、きれいな山でしたね。
 次回は、山形県羽黒山へと向かいます。
では、また!

12月10日金曜日、天気は晴れのち曇りの暖かい1日で、雪も降らず外を動くには最適で、今日もウォーキング40分。最近は夕食を抜いて1日朝食と昼食のみの2食で過ごしていて、さらに運動時間は1日最低でも1時間(体操とストレッチに30分、ウォーキング30分以上、時々筋トレ)以上。おかげで体重が落ち、さらには体脂肪率も低くなり良いことばっかり。歩いていても体が軽く感じられ体重減の効果が出たんだな!と。

さて、ここは男鹿半島の寒風山(354.7m)の山頂です。車で山頂まで登れるし、もちろん無料の道路ですよ。山頂には360℃回転する展望台レストランがありますが、利用はしていません。
寒風山はなだらかなアスピーテ火山(盾状火山)で、昔は妻恋山(つまごいやま)とか羽吹風山(はぶかぜやま)とも云われていました。
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ほとんど函館山の高さと同じくらいで、眺めは最高!まずは東側の八郎潟の干拓地を。南側は雄物川の上流からの土砂などの堆積物が河口へ流れてきて平野部を構成(堆積平野)し、漂砂現象と合わせての砂州が形成されて八郎潟が誕生しました。
もともとは男鹿は島でしたが、北と南からの2つの砂州によって繋がれた、まさしくここは巨大な陸繋島(りくけいとう)なのです。
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干拓された中央部には八郎潟調整池があって、これまた広大な池です。一部は堀となって日本海と繋がっています。それを船越水道といって人工的な堀で、当然海と繋がっているわけだから防潮水門もあります。左側は1960年代に誕生した大潟村の広大な水田地帯。
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一方北側を見ると、能代市を流れる米代川の土砂が砂州を形成しています。北側は風も強いから風力発電のプロペラが多く見られます。
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西側を見たら、男鹿三山がキレイに見れました。中央部が最高峰の本山(715m)でしょう。
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南西に男鹿市の市街地が見えています。
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ズームすると、海を埋め立てた地が見えています。昨日の道の駅はその中にありますね。
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渋滞する秋田市内を回避するために、高速を使い一気に秋田県南部の由利本荘市へ。まずは、偶然見つけたここの業務用スーパーで食料品を買い物。
そして本荘城跡へ。ここは平山城だった本荘城の高台にある資料館の展望室から市内北側を撮影。下に見える大手門の外に堀があります。
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立派な資料室で、ここは和室もあって休憩も出来るのです。展望台はこの上の屋上。
市内の高齢者でしょうか、おじいさんがここでお昼寝していました。読書に疲れたのでしょうね?手元に本が置かれていましたから。実にのんびりしたものです。
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東側を撮影。左の建物は市役所。周囲は市民の散策路にもなっていて、歩くには最高の場所。
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資料室には、昔の城の模型があります。江戸時代の大部分は六郷氏の拠点で、由利本荘市は六郷氏2万石の城下町として発展しました。
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本荘とという名前はどこから来たのか?というと。江戸時代初期、由利郡5,5万石を支配したの最上義光(もがみ よしあき)氏で、拠点は山形城です。その代官として赴任したのが楯岡氏。彼の元の姓が本荘氏だったので、城の名が本荘城となったわけです。その後、最上氏が改易(跡目騒動がからむお家騒動)されて楯岡氏も退去し、常陸府中(今の茨城県)から六郷氏がやってきたのです。
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無料の駐車場もいくつかあって、気軽に来れます。ただ残念なことに、明治元年の戊辰戦争で城は陥落して天守閣などの建物等は焼けてしまって今はありません。
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この日は由利本荘市の南、山形県最北部の町である遊佐(ゆざ)町の吹浦(ふくら)地区の公共温泉浴場の「あぽん西浜」の前の駐車場。
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日本海に面したここにはキャンプ場もあるし、吹浦駅の裏側にあたり、国道から離れていてとても閑静な場所。清潔なトイレも完備していて車中泊には申し分なし。北東側には東北最大の山である鳥海山(2236m)が見えています。車中泊車は5、6台ありました。
日帰り温泉は400円でサウナ、露天風呂も完備。隣りにはホテルもあるから車中泊が出来ない方は、どうぞホテル泊へ。
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何と、ここの駐車場には足湯もあって、朝はここで足を湯につけてまったり!
水道もあるし、最高の車中泊日となったのでした。次回は鳥海山の中腹まで車で行きます。天気は快晴で最高の眺めでした。

では、また!

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