函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めて「ぼうけんの旅」は今年で12年目に突入。 車中泊中心の貧乏旅行の旅、今年で72歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 いよいよ「2025 年ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです!

2025年が明け今年は73歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!軽バン一人旅の始まりです。

2022年02月

2月28日月曜日、天気は晴れで、太陽が顔を出して暖かい日になりそうです。明日からは3月ですが、春とは縁遠い風景が広がっているのは雪が全然溶けずに残っているから。例年だと3月になれば雪はほとんど溶けていて、地面からは新緑の芽がでているのに、今年は雪も多いし寒さも厳しかったからでしょう。
3月に入るのだから、少しは春を感じさせてもらいたいものです。

一昨日、学生時代の友人が奥さまと孫娘(大学1年生)を連れて3人で函館観光にやって来たのです。で、昨日の日曜日にあちこち観光してドライブ。もっとも、午前中は天気が悪くて雨が降ったり、ミゾレになったりで最悪のコンディション。実は今の時期は観光するには最低で、道路は雪でわだちだらけ、おまけに雨でぐじゃぐじゃ。排気ガスで除雪して山となっている雪は黒々で、景観も最低!
それでも、まずは西部地区へ。赤レンガ倉庫群を見て、新島襄の石碑へ。そこでわだちにはまり車は進めず。さらに函館山の坂道こそロード匕―ティングされて雪はないけど、その横道はハンドルが取られるグジャグジャな雪道で難儀。
それでも、超レトロなピンク色の銭湯「大正湯」や日本最初の市民公園「函館公園」、土方歳三の最期の地である若松町の「一本木関門」なども見学。
その後、五稜郭公園やトラピスチヌ女子修道院へ。その辺りから晴れてきて、旭ケ丘のアリエスの丘へ。車は駐車場までたどり着けず、雪を踏みしめ膝まで埋まりながら歩くこと10分。そこからの風景です。
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見覚えある風景ですね。過去にも紹介しているからお分かりの方もいるはずです。世界の有名な地が、ここからの方角と距離で示されています。
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まずは南の方向。下北半島がうっすらと見えています。
なお、3人は神奈川県湘南地方から来ていて、雪に埋もれて歩くのは初体験。歩くのも大変で、しかも雪山を歩くなんて、驚いたことでしょう!
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西の方向には、函館山が見えます。ロープウェイは午後4時から時間限定だし、もちろん冬季間は通行禁止だから車では行けず。歩いて登山は、グジャグジャの道では困難。今回は見るだけです。
なお、五稜郭タワーも閉店中。あちこちの店は閉じられていて、まさしく「蔓延防止期間中」なのです。
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北を見たら、雪を頂く山々。
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東も同様。
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次に向かったのは、日本に2ヶ所しかない温泉に入る猿たちがいる熱帯植物園。長野県湯田中温泉とここだけで、世界でも2ヶ所だけだそうです。
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いい湯だな!外はマイナス気温で寒いけど、ここは極楽だよ~!
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で、次回はここ熱帯植物園を詳しく紹介いたします。
では、また!

2月26日土曜日、天気は午前中晴れだが午後からは雨の予報。気温は早朝はマイナス1度だったが、昼には8度まで上昇し雪崩警報も出ていて、今年一番の暖かさになるとのこと。
それでも、今までに積もった雪はどれくらいか?というと。
北海道新聞では、夕刊に各地の積雪量を載せています。それを見ると、札幌では122cm、世界1の雪質を誇るスキー場のある倶知安は183cmと2m近い。函館は41cmといまだに40cm以上も積雪があるのです。
雪がない地はなく、一番少ない地で日高の浦河で7cmだから、今年は道内あちこちで過去最大の降雪があったのです。これも、地球温暖化の異常気象の現れでしょうか?
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で、我が家の畑。今までこの冬、積もりっぱなしで一度も雪かきをしたことがありません。暖かくなると溶けて、また降っての繰り返しで、下の方は氷のように凍結しています。
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プラスチック製の雪かきで歯が立たず、鉄製のスコップで雪かきをして、地面からの高さを計ると。
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何と‼️43cmありました。スコップで掘り起こしての作業だから、普段の雪かきとは全然労働量は違います。利き腕の右腕が痛くなるほど。
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それでも、3月には土を起こして、下旬には石灰を撒きたい!
それで、1時間ばかりの重労働で畑の半分近くを雪かき。
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でも半分は残っていて、これは後日やることにします。
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やっぱり今年は雪が多い!過去10年間のblogの3月・4月を見たら、年によって違いはあるけど、早い年では3月初めには耕して下旬にはジャガイモの種芋を植えていた年もあったのです。
もっとも、4月になってからも雪が降って積もった年もありましたが。
そういえば、4月中頃に東北・宮城県を旅していた時に、降雪があってスタッドレスタイヤで旅してて良かった!ということもありましたね。
まだまだ、冬が続く北海道!
でも、そろそろ春の訪れを感じたいです。

では、また!

2月24日木曜日、天気は雪で気温は終日マイナスの真冬日。毎日数㎝の降雪がありますが、雪かきするほどでもない。札幌やほかの道内の地域は、史上最高の雪で、すでに積雪は1mを超えている地もあって交通網が完全にマヒ状態。千歳空港からは飛行機は飛べず、札幌駅からは電車は動かずでまさに悲鳴が上がっています。函館はそれほどひどくはなくいつも通りに生活していて不便は感じていませんが、真冬日が続いていて雪が解けません。明後日の土曜日は最高気温がプラス8℃まで上昇するようなので、その日はかなりの雪解けで道路は水浸し、屋根の雪は雪崩のように落ちてくるかも?
それにしても今年の道内の降雪は例年にないほどひどかったのです。というか、3月になっても降るかも?

さて、汐首岬を後にして函館市街地へ1㎞程戻り、山側への細い道を入ると広い土地があります。
ここが汐首小学校跡地です。
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飛翔二世紀」と書かれた創立百周年記念の石碑です。左に戸井町立汐首小学校とありますね。
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創立は明治13年。明治13年は1880年のことで、今から142年も前のこと。前年の1879年(明治12年)に教育令が施行され、4年間で最低16か月の義務教育が法文化されています。1886年(明治19年)には尋常小学校4年が義務教育、その後の4年間の高等小学校が任意。その後1907年(明治40年)に義務教育年限を6年間に拡大しています。
が、当時の小学校就学率は汐首小学校が創立された明治13年で、男子60%女子は30%で、平均45%ほどで半分の子供たちは学校へ通えなかった時代なのでした。
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義務教育6年生が敷かれた1907年で就学率は90%。女子の中には20世紀になっても学校へ通学できない子供が1割いたのです。
やはり農村部や漁村部では、子供は労働力として学校へ通わずに親の手伝いをしなければいけなかったのでしょう。
戦後でもそう。実際、私が小学校へ通っていた時の昭和30年代、2年生だった頃の思い出として、田植えの時期の5月には学校を休んでいた同級生がいたし、女の子の中には赤ちゃんをおぶってきた子もいたのです。クラスで女の子同士でオシメを取り換えていた風景を記憶しています。
私が通っていた小学校は半分は住宅地だけど半分は農村部で、田んぼが広がり田植えや稲刈りの時期は休んで家の手伝いをする子がいたのです。
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グランドに続く道にはエゾシカの足跡。この辺りはエゾシカはよく出ますし、ヒグマも時々出没する地域。ほかにキタキツネタヌキなども。それと、もう一つ大型動物も。それは何かというと?それはのちほど。
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グランドはメガソーラー基地へと。
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道内だけではないですが、広くて日が当たる場所は太陽光パネルがあちこちで建設されていて、エコなはずが逆に自然破壊しているケースもあったりしている昨今です。
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この山へ登る予定だったのですが、途中で断念したのでした。だいたい中腹辺りまで登ったのですが、雪が深くなってきつくなったのでした。というより、こちらの体力不足かな?
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遠くに函館山が望めました。
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さて、帰りの道沿いにあった看板。これが先ほどの大型動物。「道産子」です。つまり馬です。それも北海道の農耕に適した足太のどっしりした馬ですね。こちらの山々で放牧されていたのですが、半分野生化していて、時々里へ下りてくるのです。
馬出没注意」なんている看板はめったにありませんよね。道路標識にも馬の絵があったりします。
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国道からそれて旧戸井線跡の、今は道路になっているところへ。一直線になっている道、ここが80年前に鉄道が敷かれる予定だったのです。
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振り返ると、汐首小学校周辺の山々。鉄塔の奥に見える山がそうです。
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旧戸井線をたどると、石崎地区にある石崎小学校が目につきました。
石崎地区は旧石崎村で、13世紀のころから漁業を営む和人たちが住み着いた集落。ここは平家の落人が津軽から流れついて住み着いた地でもあるのです。その証拠に、石崎稲荷神社には平家の人が残した鰐口が発見されています(現在は函館市立博物館蔵)。旧石崎村はその後銭亀沢村へ、さらには函館市に合併しています。
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体育館には「ありがとう石崎っ子 石崎小学校 いつまでも 輝こう!
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さすがに当日は平日で、学校は休みではありません。でも、新型コロナで休校になっているのかな?子供たちの声は聞こえてきません。
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令和4年3月閉校、とあるから今年4月からは子供たちは通わなくなるのです。というか、子供がほとんどいないのが実情で、地方では学校はどんどん閉校されていき、やがて廃校へ。今残っている子供たちはスクールバスで一番近い小学校へ通学するのです。
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悲しいかな、これが現実。地方では過疎化が進み超高齢集落へ、そのうち人がいなくなって消滅して廃村へなっていくのです。

朝から降り続いている雪は止みそうにありません。いつまで降るのか今年の雪は!
3月に入れば畑を耕す予定でいたのに、これじゃ無理!雪の下は凍結しているし、暖かくなるまで待たなくてはいけません。早く来い!来い!春‼

では、また!

2月22日火曜日、天気は晴れで昨日から昨夜まで猛吹雪で、しかも風が強くまさにホワイトアウトになり、100m先も見えないくらいの酷さ。隣町の北斗市では交通事故も多発するわ鉄道は動かずで、まさしく真冬の北海道の厳しさを実感した次第です。今シーズン一番の厳しさでした。
今朝も5㎝程積もり毎朝雪かきに追われています。

北京オリンピックが終わり、今は月曜日からオリンピック・ロスが続いていて、特にカーリングがもうしばらく見れないのかと思うと悲しくてなりません。野球のように毎日放送しなくてもいいけど、月に1回くらいはテレビで見たいな!と思うのですが、でも3月からはプロ野球、春の甲子園・高校野球、サッカー、ラグビーなどが放送されるから、やっぱり4年に一度しか見れないのかな?と思うと寂しい限りです。

さて、旧戸井線の汐首岬。ここは本州に一番近い場所。下北半島の最北端、本州で一番北にある大間町が見えています。
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右から大澗町、風間浦村、旧大畑町(現在はむつ市)と続き
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一番東の方向、画面左端は尻屋崎のある東通村
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ズームして見ましょう。下北半島の西側は標高600m級の山々が連なる山岳地帯ですが、旧大畑町の辺りは平野部でほとんど平坦で水平線が続いているように見えて、いったん土地が切れていて海があるように見えますね。
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大間町をズームすると建設中の原発が見えますが、今は裁判中で工事中断しています。函館市などは建設中止の訴えをしているからです。もし爆発すると直接放射能が函館方面に流れてきて逃げ場を失うからです。大町町周辺の海域には地震を引き起こす断層があるのです!
金のために危険を承知で建設した大間町。命を守るのか、金のために我慢するのか、それを考えたら原発はいらない!
だいたい「大間のマグロ」なんていうけど実際は津軽海峡のマグロであって、津軽海峡に面した市町村のものであって、決して大間だけではないのです。それが勝手に「大間のマグロ」なんて宣伝されているから、おかしくなっているのです。
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津軽半島が西に見えています。岩木山が見えることもあるけど、この日は見えず。
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現在は無人の灯台。もっとも全国の灯台は無人で、かつてのように灯台守が住んでいたのは昔の話。今日では無線などで遠隔操作され制御されていますが、いたずらなどもあってか管理している海上保安部では苦慮しているとか。
灯台は、船と人の財産を守る重要な施設であるとともに、見学する人に安らぎを与える役割を持つ国民の財産でもあるのです。
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建物の周囲を回ると、西の方角に松前半島の知内町矢越岬方面が見えました。その奥には真っ白な雪をいただく大千軒岳の山々。
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前回も書きましたが、以前ここを訪れたときはこの段々畑は灯台守やその家族の人たちの食糧確保のための畑かな?と思ったのでしたが、実際はここ汐首砲台で働く兵隊たちの畑であったとは!
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わずかばかりの緩斜面を段々にして住むための住居を建設して、食べるために畑を造り農作物を栽培していたのですね。
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それと最初はこの門はここに学校があったのかな?と思ったのですが、昔はこの西1㎞弱には汐首小学校があったから学校ではないな、と。何の門だったのか?考えるに砲台要塞基地の門だったのか?それとも、ここは灯台守の人たちと砲台基地の両方の人たちが暮らした場所だったのか?
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それと灯台の下には鉄道が敷かれ(実際には走ることはなかったけど)ていたから、保守点検する人もいたはず。彼らの建物もあったのかな?と。
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もちろん、戦前から漁師の人たちも住んでいたので海岸では漁が行われていました。昆布、ウニ、タコ、イカ、アワビなど魚介類は豊富だし、鮭やニシン、タラなど魚も大漁だったはずです。
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今でも崖っぷちの背後が険しい狭い場所に点々と民家はあります。ほとんどは漁師の方たちでしょう。それにしても、こんな崖に鉄道の路線を建設したとは!
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まさしく急傾斜の険しい崖を削って、一車両分の道を造ったのです。
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知内町方面をズーム。山は深い雪に覆われいますね。右に塔が見えますが、あれは北海道電力の知内火力発電所でしょう。煙突から煙が出ていますね。
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ということで、旧戸井線跡の汐首岬灯台周辺をお伝えしました。
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下に降りて鉄道が走る予定だったであろう場所。戦争があったから建設が始まり、戦争で物資不足で建設が中断されて、終戦。その跡地だけが残されたという地です。
今、日本のとなり(ロシア)の隣の国、ウクライナで戦争が起ころうとしています。戦争で傷つき亡くなるのは兵隊たちだけではなく、武器を持たない一般市民が罪も亡くなくなります。
戦争なんて永遠に無くなって欲しい!
平和が一番です。
では、また!

2月20日日曜日、天気は今のところ晴れですが、午後からは雪で明日は暴風雪になるとテレビの天気予報は伝えています。春になるのはまだまだですが、もういい加減雪はいいです。
早く桜の季節になってもらいたい!
さて、今日の10時からは北京オリンピック最終日、女子カーリングの決勝で、日本vsイギリスの試合が行われます。ついに金メダルにあと一歩というところまで来ました。ガンバレ!ロコソラーレ!北海道の誇りです。いつものあの笑顔と大きな声だしで勝利を!
冬のオリンピックは、北海道出身者が大勢いて応援に一段と声を出せるし、そして結果も出していてうれしいのです。スケートの高木姉妹もそうだし、ジャンプの高梨選手もそう。選手のかなりが北海道の関係者ですから、応援にも熱が入るのです。

さて、18日に出かけた旧戸井町。今日は旧戸井線跡地を巡ります。
まずは、汐首灯台へ。函館バスのバス停があります。30mほど高台に灯台が見えていますね。
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海の向こうには、松前半島の知内町方面がくっきり!
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マンホールを見ると、旧戸井町時代の絵柄です。イカ、昆布、ウニ、タコ、カニ、ヒラメが描かれていて、さすがい漁業の町だけあります。
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旧戸井線コンクリートアーチ橋です。戦時中の1944年(昭和19年)函館駅の一つ北の五稜郭駅から戸井駅までの29.2㎞の完成を予定して、8年前の1936年(昭和11年)に建設を開始した路線でした。
が、実際に走ったのはレールが敷かれていた五稜郭駅から湯川駅までで、それより東は資材不足もあり1943年(昭和18年)に工事を中断していて、その遺構だけが残されていたのです。もう80年にもなる鉄道遺産です。
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ここを走り戸井町の漁港まで行く予定でした。そこからは本州に一番近い港として下北半島の大間町までわずか17㎞、現在の青函トンネルよりは距離的には短かったのです。
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津軽海峡に面して本州と一番近い場所、それがここ汐首岬。鉄道の駅は同時に軍事基地としての要素が大有りで、その目的は軍事物資と兵員輸送だったのです。
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地図を見ましょう。こちらは渡島半島の南で東半分を占めるのが亀田半島。北に大沼がありますね。西に函館市街地、海岸線に沿って国道278号線が走っていますが、その一番南にあるのが汐首岬です。
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それでは、この線路跡、実際にはレールは敷かれませんでしたが、上まで行ってみることにします。
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傾斜30度近い急角度で、ジグザグに登る道が見えていますね。
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少し登って来るとコンクリート柱が間近に見えています。潮風に当たり風化が激しいでしょうが、今も立派に立っています。ここを鉄道が走る予定だったのですね。
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南を見ると、下北半島がくっきり!距離にして17㎞程。
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で、灯台へ。今は無人の灯台です。背後の山は、前回登ろうとして途中で断念した300m弱の山です。
ここ、終戦間近の1945年(昭和20年)7月14日にアメリカ軍の戦闘機による攻撃があり汐首灯台付近の鉄道ガードの一部が破壊されています。7月14日と15日は北海道全体がアメリカ空軍による空襲があった日で、北海道空襲と呼ばれていて、函館市内だけではなく港湾施設、さらには全道各地で空襲の被害があったのです。
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国際海峡である津軽海峡は、どこの船でも通過することができます。函館山には要塞基地があって、津軽海峡を監視する位置にあるのですが、日露戦争(1904~1905)時にはロシア帝国のウラジオストック艦隊を阻止することは出来なかったのです。そこで、ここまで鉄道を敷設して基地を設置することが、1922年(大正9年)高橋是清内閣の下で成立したのでした。
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最初ここを訪れたときは、灯台守の人たちやその家族が生活するためにこの段々畑で農作物を作っていたのかな?そして前の写真を見てお分かりのようにそこには家族が生活する住居があったのかな?と思ったのです。
でも、調べてみるとここは軍事基地で兵隊たちが働き生活して場だったのです。
1933年(昭和8年)3月には、津軽要塞汐首岬第一砲台が完成していて、1940年(昭和15年)6月には第二砲台も完成。まさに太平洋戦争の前年に要塞基地が出来上がっていたのでした。
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ここを通る敵国の艦隊への攻撃をするための基地だったのです。函館山からの砲撃は、実際には遠すぎるか、または性能が悪かったのか、まったく役には立たず一発も打つことがなかったといいます。
でも、ここからはどうだったのでしょうか?空からの攻撃にはまったく当時の日本は太刀打ちできなかったから、ここの役目を果たすことが出来なかったのではないでしょうか?
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で、次回はもう少し詳しくここを見ていくことにします。
では、また!

2月18日金曜日、天気は午前中は晴れだったけど午後からは雪。朝はばっちり太陽が顔を見せていたので、「今日は山へ登ろう!」と出かけた先は、我が家から距離にして約20㎞ほどの、本州に一番近い汐首岬の名もなき山(299.6m)。ほとんど300mに近い山で市内東部だから雪も少なかろう、と思って出発したのでした。
まずは、車が行けるところまで。この先は電波塔があり、立ち入り禁止の柵があるため歩きになります。
ヒグマ出没中」の看板!昨年の令和3年10月23日に出ていますね。多分、今は冬眠中?だろうから寝ていて出ないでしょう。と勝手に思い込み柵の横から入ります。
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車が入れるところは標高30m付近で、津軽海峡に面した場所。遠くに函館山が見えています。
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ズームして見ましょう。冬の空気は冷たくて澄んでいるから、遠くまで見通りばっちりです。気温はマイナス1℃くらいか?日が差しているから暖かいし、登るにつれて体も暖まります。
函館山の背後は函館湾の西側の北斗市や木古内町の山々で、直線距離にして30㎞以上離れているのにきれいに見えていますね。それにしても市街地は、ほとんど平坦です。
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手前のメガソーラー基地は、昔の汐首小学校の校庭です。この辺は旧戸井町で、2004年12月1日に戸井町、南茅部町、恵山町、椴法華村の4町村が函館市と合併していていて、今は函館市内になっています。
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背後の山を見ると、ここにも太陽光発電のパネルがありますよ。奥の山は標高284mの道産子馬の放牧が行われている丘陵地帯。
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今日の海は、なぎ状態で波がほとんどありません。これだとフェリーは揺れないから良いのですが、先日16日の猛吹雪の日は、フェリーは全便欠航しましたからね。
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少し登った場所から東に下北半島と、西に津軽半島が見えてきました。その間は、距離にして10㎞程の平舘海峡。
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ズームすると良く見えます。手前が下北半島、右に見えるのが津軽半島。一番手前が大間町。
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渡島半島の西半分は松前半島で、函館山の背後に知内町の山々、さらに奥には渡島半島南部の険しい山である大千軒岳(1072m)も見えています。
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ズームします。こちらは函館市街地。右側に函館空港のある海岸段丘の地が見えますね。
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こちらは松前半島の山々。千軒岳の連峰が見えています。雪がかなり深そう。
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さらにズーム。これで100倍くらいか?何とかぶれずに撮れました。
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で、結局雪が深くなって歩きづらく途中で断念。高さにして100mほど、距離にして2㎞ほど歩いたのですが一歩ずつが歩くのに時間がかかるし、疲労もたまり頂上までは時間がかかりそうなので止めたのです。
戻ってきて、メガソーラーを再度撮影。奥左の山は釜谷富士(228m)。富士山に似ていますかね?地図にもしっかりと「釜谷富士」と出ているし、「日本全国の富士山」という本にも、道南では駒ケ岳(1131m 渡島富士)、三森山(842.1m 亀田富士)とともに書かれています。
でも、全然似てないなぁ!
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中央に釜谷漁港。この辺は釜谷という地名。右の道路は旧戸井線跡を国道278号線のバイパスへしています。旧国道は海岸沿いにあります。
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ということで、この後は旧戸井線跡を探りに旧戸井町の奥へ。デープな戸井の町を見ていきます。
では、また!

2月15日火曜日、天気は雪時々曇り。朝は湿気のある雪が5㎝程積もり雪かきしましたが、新雪の下は凍結していた路面に気付かず転倒!思いっきり尻もち、そして左の手のひらを氷の地面について強打。痛くてしばらく氷で冷やしていました。氷の路面で転び、氷で冷やすなんて皮肉ですが、冬はそれがあるから怖い!気をつけなきゃ!
昨夜は、男子ジャンプ団体を見て、その一方でカーリング日本vs韓国を夜遅くまで見てました。韓国のメガネ先輩のスーパーショットで、日本の5-10の敗北にはショック!今日もイギリス戦応援します。

さて、前回は室町時代の城跡、というより砦跡の志海苔館を見学しましたが、ここは車を停めた場所。空港横の公園です。志海苔川の谷に落ちていくように造られた斜面は、冬子供たちの遊び場になっていてソリで滑っています。何人か子供がいましたが、さすがに子供の顔を写せず誰もいない坂を撮影。
右は滑走路。3000m級の滑走路を持つ国際空港ですが、2020年2月から海外からの便はなし。国内便のみ発着しているのみ。いつになったら国際便が飛ぶんだろう?台湾へは直行便があって、安くて気軽に行けたのに・・・。
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南側を見ると、左の携帯電話用のアンテナ基地の塔があり、その付近に志海苔館があります。
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滑走路の並びには、海上保安庁のヘリポート基地と建物。
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横には、高いボルタリングの練習壁。横にヘリコプターの発着地があります。以前勤めていた時、海上保安庁から職員募集と「ヘリコプターに搭乗しませんか?」の案内が来て、ここで一度だけですが乗ったことがありました。初めてのヘリコプター搭乗で、30分ほど体験したのです。とても面白くて自分でも操縦してみたいな!と思ったのでした。年齢的にも体力的にも無理ですけどね。
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その横にはグランドがあり、夏場は女子サッカーチームが練習していましたが。
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子供の遊び場もあります。
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で、もう一度汐泊川へ。汐泊川の由来は、江戸時代にこの辺りは塩泊村、潮泊村でその地を流れていることから汐泊川となった、とありますね。アイヌ語地名ではなかったです。
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ここには、旧戸井線跡を示す鉄橋跡があるのです。3本のコンクリート製の柱が今も健在。
津軽海峡防衛のために、日本国有鉄道が管轄して、五稜郭駅から戸井までの29.2㎞、駅数10、全線非電化単線の予定で工事が進められましたが、戦時下で中断し断念した未開通の路線です。
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ウキペディアを見ると、「建設労働者には朝鮮人と思われる人がいて汐泊川橋付近に宿泊し、タコ部屋労働と言われる過酷な労働環境で働く影の部分もある。」とあります。

そんな旧戸井線跡。川を渡る鉄橋の陸地側(西側)にはコンクリート造りの基盤もあります。
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廃屋になった建物の横から線路跡地に登れそう。膝まで埋もれながら、イタドリの枯れ枝を押しのけて
何とか登りました。踏み後は自分のです。下りた後に撮影。好き好んでここを登る人などいませんよね。
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ここを昔は鉄道が走る予定でしたが、実際に走ったのは五稜郭駅から湯川までの5㎞ほどで、それ以降は資材不足もあって線路は敷かれず、予定地だけが残ったのです。
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東側を見ると、ここも雑草だらけ。この先に鉄橋跡があるのです。
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汐泊川の中央から。左に鉄道跡地が、その延長線に鉄橋跡の柱が見えますね。東側では護岸工事中です。
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ズームして見ましょう。奥の山は亀田富士の名を持つ三森山(842.1m)。3回前の白鳥たちはこの奥、上流200m付近。次の橋まで400mくらいか?
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河口を見ましょう。左岸は護岸工事が終了していますが、右岸は自然堤防が一部残っていますね。昔は鮭がたくさん遡上していたのに、今は獲れるのだろうか?
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ズームして見たらカモやカモメががたくさんいる中で、白鳥も2羽いますよ。
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先ほどの旧戸井線跡をたどると雪捨て場になっていて行き止まり。振り返ると、鉄橋跡から一直線に延びてきてる線路跡が分かります。西の丘は切通しが造られていて、丘を削って平らな線路道が造成されています。
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ということで、旧戸井線跡をたどる旅は、もう少し暖かくなってから継続ることにします。
なかなか冬がおわりそうにないですね。今日から2月の後半なのに春はまだまだ遠い!
春さん‼早ーく来い、来い!

では、また!
 

2月13日日曜日、天気は晴れ時々曇りですが、昨夜から降り続いた湿った雪が5㎝程積もりザラメのように凍り付いていて、朝の雪かきは力を要したのでした。今までのような粉雪だと軽くて楽に雪かき出来たのに、重くて凍り付いた雪はスコップでかき出さなくてはいけないしパワーを使います。
北陸地方の雪は重くてたくさんドカ雪が降るから、きついな!と。それに比べたら雪の量は少ないし、こんなべた雪はそうあることではないから、大したことではないな、と20分ほどの作業で終了。札幌市内の雪の量と比較したら楽なもんです。道内各地では1mを超えて交通障害にもなっている今年の雪の中で、函館は冬温暖で雪も少なくて、のんびりと過ごしています。

さて、函館郊外の志海苔館(しのりたて)の2回目です。
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今までの復習です。14世紀ごろに蝦夷地へ渡って来た和人が築いた道南12の館の一つで、渡島半島ではもっとも東に位置するのが「志海苔館」。津軽海峡に面した函館空港の滑走路沿いにあります。
海抜25mの小高い丘の上に築かれた城というよりは砦にふさわしい館。周囲を最大で高さ4.5mの土塁で囲まれていて、西の方角には函館山を望み遠く本州の海を見渡せるし絶好の場所に立地しています。
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過去の発掘調査では陶磁器や金属製品が出土しているし、何よりも驚いたのが1968年(昭和43年)に付近で行われた道路工事のさなかに大きな甕に入った約38万枚の中国からの貨幣です。宋銭が国内最大級で出土したのです。
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山側の土塁の上から撮影すると、津軽海峡が見えて、最も近い下北半島まではおよそ20㎞の距離。この日はうっすらと見えていました。
手前の2つの石碑は志海苔館のことを説明した古い碑。
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土塁の上から東方向を見る。深さがある土塁で、水のある堀ではなく空堀。となりには民家や工場もあります。ここに来るまではところどころに吹き溜まりがあって、時には深さ30㎝以上ある膝まで埋まる雪で、長靴を履いて来て良かったのでした。
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西を見ると、沢(志海苔川)越しに函館山が見えます。この下海岸(亀田半島南岸)は海岸段丘が続いていて、小高い丘が連続。函館空港の滑走路は、その海岸段丘の丘の上に造られています。
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土塁から降りて、下にあるもう一つに区域へ移動。こちらはトイレや水道、東屋が整備されていて公園になっています。
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館が滅びた原因に、アイヌ民族の蜂起であるコシャマインの乱があります。1456年春、アイヌ人が志海苔地区の鍛冶屋に小刀(マキリ)を注文したところ、価格で争い鍛冶屋がアイヌ人を殺害したのです。それに怒ったアイヌ人たちは首長コシャマインを中心に翌年反乱、てここの館を攻め落としたのです。さらに進撃を続けて12館の内の10館を滅ぼしたのですが、1458年に後の松前藩の先祖となる武田信広によりコシャマイン父子が弓で射殺されるとアイヌ軍は崩壊。以後、蝦夷地は和人たちの支配下になっていきます。
もちろん、それ以後もアイヌ人たちの反乱はあって、江戸時代のシャクシャインの乱(1669年、新ひだか町静内にシャクシャインの像があります。)は有名ですね。
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慰霊碑がある敷地内には柵があって入ることは出来ず。柵の間から撮影しました。
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説明板にあるのは道南12館ではないですね。ここは最近建てられたものですね。令和元年と書かれていますからね。
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南津軽海峡に面した土塁から下に赤い鳥居と神社が見えたので何かな?と思い行ってみました。
竹駒稲荷大明神という名の神社です。国道沿いに面していて、奥に土塁の丘が見えていますね。
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真っ赤な鳥居。土塁のすぐ下に造られています。
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これまた真っ赤な神社。調べてみると、どうやら地元の漁師たちの豊漁と完全祈願のために造られたいるようです。
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となりにも小さな神社があったけど、雪が深くて行けず。手前の民家の横を通れば行けそうだけど、民家に進入するのもためらいがあり、ここは断念。
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ということで、我が家から一番近い道南12館の志海苔館を訪問したのでした。
 

2月11日金曜日、建国記念日の祝日です。天気は今日も晴天で、冬の太陽が朝から顔を出していて室内で過ごす分には暖房いらずで暖かい日です。
毎日北京オリンピックの放送を見て、喜んだり悲しんだりの興奮する日々が続いています。沙羅ちゃんの悲劇や羽生結弦選手の転倒もあったけど、ジャンプ小林選手の金メダルなど嬉しいニュースもあって、毎日がワクワクするオリンピックになっています。

さて、9日の寒いけど晴天だった日に出かけ、前回は渡りの鳥である白鳥を取り上げましたが、今回は城を紹介します。城といいても、天守閣などある江戸時代の城ではなく、砦といった方が相応しい場所。
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国の史跡に指定されている志海苔館(しのりたて)です。2017年(平成29年)には、続日本100名城に選ばれています。
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北海道の南部道南12館の一つで、室町時代15世紀中頃、十三湊を拠点に津軽を支配していた安東氏が南部氏に追われて北へ逃げ、道南に住み着きます。部下の武将たちを、12の館に配置して支配権を確立します。ここは小林氏によって造られた館。
しかし、1457年にアイヌ人の首長コシャマインの乱によって、12のうちの10の館が落城。ここも落城した館だったのです。
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天気は良いけど風がとても冷たく、ほっぺたが痛いから気温はマイナスでしょうね。深さ20㎝くらいの雪の中、誰か歩いた跡がありますね。散歩にしたら歩きづらいし、観光で訪れた人かな?日本200名城に指定されてから、冬でも訪れる人がいますからね。
ただ駐車場がなく、自分は200mくらい離れた場所にある公園に置いてきました。両側に空堀が見えます。
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内部に入る前に説明板が設置されています。内部は東西80m南北65mで、4100平方メートルの広さがあります。だいたい小さなサッカーコートかな?狭い野球場くらいでしょう。
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それでは内部へと入ります。両側が小高い丘になっていますね。土塁が造られていて、敵の侵入を防ぐためですね。
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結構な広さを持つ内部。ここにいくつかの建物が造られていて、軍事拠点だけではなく、アイヌ人との交易や本州との商業活動も行われていたのです。
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高さ3mほどの土塁の上に上がってみると、西の方向遠くに函館山が見えました。海からの風が冷たい。ここだと直接風が当たる場所ですからね。
西側の志海苔川、現在は函館空港の滑走路建設のために水路になってしまったけど、向かいの丘の間にある沢のことです。そこで、1968年(昭和43年)に能登半島の珠洲(すず)焼製の大きな甕3個が発掘され、その中に中国、宋の時代の銅銭が何と!38万7514枚発見されたのです。
日本国内で1か所から発見された古銭としては最大級の量だそうです。現在は市立函館博物館に所蔵されています。
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橋が少しだけ見えていますね。発見されたのは、あの辺りの小川のそばかな?
橋のある道は国道278号線です。
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北を見ると、奥に滑走路の一部が見えていて、空港の管制塔も見えますね。その手前に旧戸井線跡地を利用して道路が造られていて、その下に志海苔川が流れています。もっとも、橋の奥は滑走路の下に隠れてしまっていて、大部分が水路になっています。
左端の丘は、旧宇賀小学校跡地でしたが、最近はソーラーパネルが大量に立つメガソーラー基地になっています。
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内部を見ると、2つの石碑があり説明する板もありますね。奥には民家も並んでいます。
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南を見ると志海苔漁港が見えていて、うっすらとだけど下北半島も見えます。縄文時代の古代からアイヌ人が「しょっぱい川」と呼んだ津軽海峡。2000年以上前から古代人たちはこの「しょっぱい川」を渡って来たのです。すごいですね。
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東を見ると、汐首岬が少しだけ見えていて、岬までは亀田半島の300m級の低山が連なっているのが分かります。
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で、次回はさらにここ志海苔館を見ていきます。
では、また!
 

2月9日水曜日、天気は晴れだが気温は終日マイナスの真冬日。太陽の下でも暖かくはなく、北風は頬を刺し痛いくらいの冷たさ。それでも太陽が出ているから、家の中に閉じこもっているのはもったいないと外出しました。晴れていれば、アウトドア大好き人間ですので!
行った先は、「今年も来ているかな?」と越冬する白鳥さんを探すために市内東部を流れる汐泊川(しおどまりがわ)へ。
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我が家から国道278号線を東へ10㎞程走り、汐泊川河口に架かる橋の手前を左折して鮭・鱒孵化場へ。ここ数年は鮭が遡上していないけど、自分が覚えているのは30年くらい以前に鮭がものすごい量で遡上してきたこと。河口から500mくらい上流に簗を作り、そこに数えきれない鮭が上がったのです。
あふれんばかりで、岸には何匹も打ち上げられてピョンピョンとはねているのも。漁協の組合員さんが「持って行って良いよ」(当時はおおらかだったのでしょうね。今では考えられないことです。)と云うものだから、2匹拾い我が家で解体したら、1匹はメスでお腹の中から筋子が出るわ出るわで、数日家族全員で「イクラ丼」を食べたこともありましたからね。昔の良き思い出です。
あんなことは、もう二度とないのかな?それ以後毎年のように来ていますが、鮭の遡上は見られなくなりました。
その代わり、ロシアからの冬の使者「白鳥」が見れるようになったのです。
今年は少ないないなぁ、どこにいるのかな?探したら木の陰に4羽の白鳥。
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数年前の同じ時期に訪れた際に書かれたblogの写真は、幅20mくらいの川がたくさんの白鳥で埋め尽くされていて、中には子供の白鳥(色が灰色)も見かけたのですが、今年はずいぶん少ないようです。
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白鳥、英語ではswan。ロシアのシベリアやオホーツク海沿岸で繁殖して、極寒になる冬期間温暖な日本などへと渡りをして越冬する大型の渡り鳥です。現在、空を飛ぶ鳥の中では最大級の重量を有しているそうで、確かに重たいのは他に「ダチョウ」とか「エミュー」など存在しているけど、空を飛べるのは白鳥さんが最大なんですね。
ちなみに、体長は140㎝~165㎝ほどで、翼を広げると最大で200㎝を越すものもいるそうです。
一番大きな「コブハクチョウ」は最大級で16㎏、小さな子供と同じくらいの重さですよ。小さな「コハクチョウ」でも8㎏くらいあって、この重さで空を自由に、しかもシベリアから数千㎞も離れた日本へ飛んでくるんだから、白鳥の飛ぶ力はすごいのです。
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寿命は野生で最長20年ほどだそうで、飼育状態では20年から最大30年は長生きするとか。奥のは、まだ大人になりきれていない白鳥でしょうか?頭部と首が少し灰色の色をしていますね。
そういえば、オーストラリアにはブラックスワン Black swanもいるとか。黒い白鳥(?)ですね。映画にも「ブラックスワン」という作品がありましたね。
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体重は8㎏~11㎏くらいで、水中や水面の水草を食べたり、陸上では落ち葉や青草を食べることもあるとか。時には昆虫や貝類も食べるそうです。
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くちばしが先っちょは黒でその前が黄色。目は真っ黒ですかね?ダウンジャケットの羽毛は白鳥などから採取するのでしょうか?時々上流から氷が流れてくる冷たい川でも、スイスイと泳いでいる白鳥の羽毛は暖かそうです。
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で、ここでは4羽しか確認できず。帰りに河口に架かる橋から500mほど上流にある橋で集団発見!こちらは20羽近くいますよ。
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とってもきれいなハクチョウたち!上流に向かって泳いでいます。「泳ぐ」という言い方でよろしいのでしょうか?足でバタバタして漕いでいるのかな?
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一見おとなしいイメージに見られますが、子育て中の野生の個体は警戒心が強くなっていて、ヒナを捕まえようした人間を追い払ったケースも報告されているそうです。
日本では北海道から東北にかけて飛来しますが、中には茨城県牛久沼や島根県宍道湖でも見かけた例もあるそうです。主な地としては北海道の風連湖、ウトナイ湖、宮城県の伊豆沼、新潟県の瓢(ひょう)湖などが有名ですね。
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ただ少ないので、まだ飛来して来てないのか?それとも他の地にでも飛んで行ったのか?
もっと餌が豊富な地もあるのかも?
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上流方向を見たら1羽もおらず、河口のそばで冬を過ごすのでしょうね。
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ということで、寒い1日でしたが白鳥を見れて少しハッピーになれたのでした。
この日は、午前中この周辺を散策していろいろ撮影してきましたの、次回からはそれらを紹介することにします。
ワクチン接種3回目はきつかったことを書きましたが、これも個人差があって妹の友人は3日間熱が出て苦しんだとか。自分は1日だけ寝込んだ程度で済んだけど、もっと苦しんだ人も結構いるんですね。
これで半年後に4回目のワクチン接種を受けるのか?となったら、少し考えちゃいますね。副反応がきついのは嫌ですからね。

では、また!

2月7日月曜日、天気は晴れ。気温は終日マイナスの真冬日で、積もった雪は溶けずに残ったままです。それでも、函館は積雪がまだ30cmほどで交通障害にもなっていませんが、札幌は1mを越す大雪で、昨日も数十cm積もって飛行機や鉄道が運行できず、車も大渋滞が起こるなど大変なことになっています。
さて、前回はワクチン3回目接種をしてきて、当日は何ともなかったことを書きましたが、当日の夜から熱が出てきて、体がだるくなってきて、「これは前回2回と違うぞ!」と。
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昨日は、1日寝たきりで昼寝もたっぷり夜は7時に寝て朝6時半までぐっすり!お陰で今日はバッチリ!いつもように朝のウォーキングで、松林へ来ました。雪が積もったままの松林。
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その後、湯川漁港へ。
昨日の日曜日、熱は最高38度まで上がり、打った右腕は痛くて腫れているし、お腹は減っているけど食欲はナシ。横になっているしかなく、午前中はもちろん午後にも寝て夜も寝て、と。十分睡眠をとったお陰で今朝はスッキリして寝覚めて、いつもと変わらぬ1日を迎えたのでした。良かった!😌
漁港から見た横津岳連峰です。かつてスキー場があった横津岳。でも、今はつぶれてしまってその跡だけ。道路は除雪してるのかな?山頂に自衛隊のレーダー基地があるから除雪はしているでしょうが、一般の車は行けるかな?
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亀田半島の突端には本州にもっとも近い汐首岬が見えています。その距離17km。橋が架かっても良いのだけれど、冬は風が強いから通行止めの日が多いことでしょうね。
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少し前まで見えていた函館山は、あっという間にガスの中に入り見えず。左端に立待岬だけがチラッと見えています。
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ズームすると、沖合いで波消しブロックを設置しているのか?工事が行われていますね。最近は砂が波で削り取られて減少していて、波が岸辺に接近してきて危ないので、少しでも波を遠ざける工事が行われているのでしょう。
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函館山の方向、西は天気が悪化しているけど、東部地区は晴れ!渡島半島の東南部の亀田半島汐首岬は晴れで雪も少なく、いつもの冬の天気になっています。太平洋側は雪が少なく西の日本海側は雪が多い。道南は太平洋側と日本海側の2つの気候区を持っているのです。
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気温は多分-4度か5度くらいか?ほっぺたが痛いくらいの寒さ。特に日陰に入ると寒さがキツイ❗もっとも道北や道東に行くとマイナス20度を下回るのだから、函館辺りで「寒い!」なんて言っていたら怒られそう!
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それにしても、今年の札幌始め道内の降雪はとても多くて交通障害になり大変ですが、函館は例年とほぼ同じで少なくて良かったです。
このブログ書いていたら、晴れていた空があっという間に急変し空から雪が降ってきて、午後にはまたいつも雪かきかな?
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荒波寄せる津軽海峡。西を見れば日本海、東を見れば太平洋。同じ場所で2つの海を見渡せるなんて、なんて贅沢な地なんだろう!
地元の人たちはそんなことを考えたこともないだろうけど、海が見れるだけでも幸せなのに、2つの大海を同時に見れるなんて、そう滅多にない地域(日本で唯一です❗)であることを知るべきだと思いますが・・・。
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えてして地元の人たちこそ地元の良さを知らなすぎる!「函館は何にもないよ」とか云う人が多いけど、それは知らないだけ。知れば知るほど、函館の良さが分かってきますよ。歴史や地理など、世界に誇れるものがあるのに!

1日寝て、元気になって余計なことまで書いてしまいましたが、3回目はやっぱり副反応が少しはありました。でも、1日経過したら大丈夫。いつのように戻りました。
今夜は、高梨沙羅ちゃんのジャンプを見ることにしましょう。今夜は初種目の「混合ジャンプ」で昨日金メダルを取った小林選手と一緒にプレーします。彼女の頑張りに期待してテレビの前で応援することにします。

では、また!

2月5日土曜日、天気は晴れ時々曇りで、気温は今シーズン最低か、マイナス10度を下回りとても寒い日でした。昨夜からの雪も10cmほど積もり、恒例となった朝から1時間ほど雪かきで、汗を流しました。

朝の寒さを象徴するものは、窓に張り付いた氷の結晶。水滴が結晶となって、一番外側の窓ガラスに張り付いています。
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ちょうど、ホテル「啄木亭」から朝日が昇ってくる時間の午前7時前です。日が差し込む前だから一番寒い時間帯だったのでしょう。
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ホテル「啄木亭」は1月半ばまで宿泊者が多くて、ホテルの窓は夜中灯りのついた部屋がほとんどでしたが、最近は真っ暗!宿泊者がいないのでしょうね。駐車場にも車は停まっていないのです。それだけ、オミクロン株が大流行して感染者数が激増、旅行者が激減したからでしょう。今日は全国で10万人に達したとか。北海道だけでも初めて4000人を越えましたからね。
函館でも毎日200人を超えていて、心配な状況になってきました。
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冬は餌がなく我が家の餌台に群がるスズメたち。
今日は、クラスターが発生している国立函館病院で3回目のワクチン接種の日です。
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予定していた時間よりも1時間早く病院へ。多くの高齢者が来ていました。世間ではファイザー製のワクチンを打ちたい人が多いらしいけど、今は1日でも早く打たなくてはいけない状況です。それに抗体値は2回ファイザー、プラス3回目モデルナの方がかなり良い!のだからモデルナを打つのになんの抵抗もありません。
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30羽以上のスズメたち!
打った時は、前回の2回に比べて初めて「少し痛いな!」と感じました。前2回は打ったことが全然感じられないほどの注射でしたが、今回はしっかりと感じましたよ。
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少し注射した右腕がだるい感じがしていたけど、家に帰ってからは何とも反応なし。いつもと同じ生活をしていて、お風呂にも入っても何ともなし。
妻は、腕がだるくて痛いそうです。こちらの反応なしに、「鈍いんじゃないの?」なんて云われたけど、ホントに副反応はありません。

ということで、今の状況では3回目の接種は出来るだけ早く打つべきだと思います。
これで、少しホットした感じです。もちろん、今まで通りに日常生活では気を付けていきます。外出時にはマスク😷着用し、手洗い・うがいは帰宅後必ずして、手指消毒はどこでもします。密な場所には行かない!など。
皆さんも気を付けてお過ごし下さいね。1日でも早く3回目のワクチン接種が出来ること祈ります。

では、また!

2月3日木曜日、天気は晴れ時々雪で、気温は1日中真冬日の寒い1日です。昨夜からの降雪で朝に1回、昼にも1回雪かき。毎日のように雪かきして、今年は雪が多いのかな?と思ったら、昨日の新聞に例年とほぼ同じと書かれていて、ガッカリです。きっと、年を取ってきて雪かきの労働がきつく感じているのかも?ですね。

さて、香雪園を去ろうと思い駐車場へ行く途中で丘の上に明治時代に建てられた岩船氏の別荘が見えました。
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湯川温泉街で入浴後にここまでなんで来たのだろう?車のない時代だから馬車で?それとも冬場は馬そりで?歩きて来ることはないはず、と思うけど。それに当時は道路も開通していたのだろうか?明治の時代はヒグマのテリトリーにもなっていたはずで、もっとも今でも出るかも知れない地域ではありますが・・・。
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冬場は寒かったでしょうね。暖房は何を使用していたんだろうか?と考えます。薪をくべるストーブ?石炭ストーブなんて当時はあったんだろうか?今のような床暖房なんてない時代だし、それに建物も断熱材などは入っていない建物だし、衣服だって綿の入ったものしかない時代だったのでしょう。
それに今よりはずーっと寒かったはず。今は温暖化といわれるけど、当時の冬は今よりもグッと寒い時代だったと思います。
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野球場がありましたが、もちろん野球をやるのは4月に入ってからで、雪が融けるまで待たなくてはいけないです。それでも、結構の足跡があって、冬も子供たちが遊んでいるのでしょうね。
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車で5分ほど離れたラグビー場へ。松倉川を挟んで向かい側にはイオンがありますが、赤ピンク色の看板にはイオンの文字は見当たらず。
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ラグビーコートの内側はロープが張られていて、入れないから靴の跡が見当たらず、真っ白な雪がそのまま残っています。
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ホントは丘の上から撮影したかったのですが、階段が凍結していて滑り台のようになっているから丘に登れず。何度かチャレンジしたけど、滑るわ、滑るわで階段を登れなかったのです。
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湯川3丁目にありますが、名前は「根崎公園」。
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バックスタンドに来ました。ここだと正面の階段が見えますね。急な階段が凍結しているから登れないし、まして斜面はかなりの急勾配だからとても登れませんね。上から見ると良かったのですが。上の公園には見ての通り、バックネットがあるから野球場があるのです。それと奥のほうにはサッカーコートもあって、ラグビー場の奥にはアーチェリー場もあって、いろいろなスポーツのやれる一大公園になっているのです。
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松倉川の河川敷は一周3㎞の遊歩道があって、雪のない時期には散歩する人やサイクリングする人があますが、さすがに今は誰もおらず。
ということで、真冬の市内東部地区の紹介を終わります。まだまだ冬は続きます。もっとも北海道の冬は2月に入ってからが本番!さらに寒い日や雪の多い日があるでしょうね。

それにしても、オミクロン株のコロナの勢いすごいですね。今日も北海道は4000人近い感染者数だとか。札幌だけで2000人を超えたと昼のニュースでは話していました。
函館でも200人を超えていて、ちょっと怖いくらい。5日に3回目のワクチン接種が予定されていますが、その場所が国立函館病院で、先日からクラスターが起きているのです。病院従事者や患者さんなど毎日のように感染者が出ていて、そこに行って大丈夫かな?と心配です。
でも、毎日接種しているようなので大丈夫でしょう!?

では、5日に接種終了後に元気であったら報告します。もし、副反応がきつかったら6日以降にお伝えします。3回目は今までのファイザーではなくモデルナ製なので熱が出たりと副反応があるでしょうね。

では、また!
 

2月1日火曜日、天気は晴れのち曇りで時々雪。ここ数日の降雪で積雪は50㎝を超えていて、毎日雪かきに汗を流していて、良い運動にはなっています(これ以上は結構ですけどね)。
気温もここ3日ほどマイナス10℃を下回り冷凍庫の中のような寒さ。家の中にいれば問題ないけど、外は極寒の世界で、海に行けば「けあらし」が見られます。海水温が空気よりも15℃以上も高くて、まるで露店風呂で湯気が立ち上がっているような光景が見られます。海水も冷たいけど、それでもプラスだから外気とは15℃以上も差があるのです。

さて、香雪園には昔ここの所有者だった岩船峯次郎氏の別荘があります。
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すみません、同じ写真を2枚も使用してしまい申し訳ないです。
ここへ至る途中で、凍った坂道ですってんころりん。滑ってしりもちをついてしましました。幸い、別に痛みもないし何ともなかったけど、坂道は溶けて流れてきた水分が凍るのですから、坂道はスケートリンクのような状態で、滑るわ!滑るわで、おっかないのです。
それより少し前に、我が家の前で体操をしていた時に凍結した路面で滑り転び、右肘をついてかなりの痛みがあって、滑って転ぶは恐ろしかったのです。冬はいくらスパイク付きの靴を履いていて転ぶのです。まして坂道の石の階段で雪でスロープのようになっているから、なおさら怖いのですよ。
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この辺りは、杉林で樹齢100年近い杉の木が何本も空高く立っています。
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明治時代の豪商の岩船峯次郎氏は、1898年(明治31年)に湯川温泉の郊外に庭園を造成します。その広さは、46ヘクタール。野球場が40個以上ある広さです。
北海道では、唯一の国が指定した文化財庭園です。
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小さな門があって、体をかがまないと入れません。腰を低くして入りますが、見ての通り地面は凍結していて、滑りやすい。二度と転ぶのはごめんと、ゆっくりと慎重に歩きます。
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さすがに、冬場は建物内に入ることは禁止で、玄関は閉じられていましたね。
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南側に面した縁側が広く、太陽の光をたくさん取り入れていて、春になったら暖かそう。でも、冬はガラス1枚と障子1枚の戸だけだから寒そう!屋根は瓦ではなく茅葺屋根。内部は明治時代に造られているから当然でしょうが、全室畳敷きの和室です。
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庭には、沢の水が流れてきていて一部は凍結していませんね。チョロチョロだけど水が流れています。
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明治の時代は、函館には本州から多くの人一旗揚げようとが津軽海峡を渡ってきて、豪商になった人たちがいたのです。彼もその一人。新潟県岩船郡、現在は北部の村上市出身で、出身地から名前を採ったのですのです。函館有数の大呉服店を営んでいたのでした。
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ということで、このあとは駐車場まで戻り、ラグビー場へと向かいました。
香雪園はとても広く全部を回り切れないほどです。見晴公園の名で市民に開放していて、香雪園はその一部なのかな?とも思いましたが、明治の時代はおそらくこの辺はヒグマのテリトリーで、時々はヒグマが出没していたのでは?と思います。
いくら湯川温泉が近いからといっても、距離にすると2㎞はあるはず。今こそすぐそばまで住宅街が広がっていますが、当時は人里離れた場所でうっそうとした原生林が茂る原野だったのでは?と想像します。
そんな時代によくぞ庭園を造ったものぞ!と感心するばかり。

では、また!































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