函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めた車中泊中心の「ぼうけんの旅」は今年で13 年目に突入。 車中泊の貧乏旅行の旅、今年で74歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 今年2026年も「ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです! 今年も「ぼうけんの旅」をよろしくお願いいたします。

2026年が明け今年は74歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!時々は自転車を積んでの軽バン一人旅の始まりです。

2022年08月

8月15日月曜日、天気は曇りで気温は25℃に満たない涼しい日です。午後3時過ぎからは雨になり夜は豪雨になりそうで警報級の雨が降るとか。
今日は終戦記念日。太平洋戦争が終結して77年目の日です。戦争体験者は年々少なくなっており、日本の大半は戦争を知らない世代。それは戦後1945年からずーっと平和な時代が続いているから。
もし、戦争があったら旅をすることは出来ません。今後も永遠に平和が続くことを祈りたいです。

さて、洞爺湖有珠山のジオパークを見学した後は下山して洞爺湖畔へ。中島の背後に羊蹄山が見えています。
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右側の山の頂にあるのが、何度も伝えているサミットが開かれた時のウインザーホテル。
庶民とは縁のないホテルです。
そういえば、しばらくホテルには宿泊したことはないなぁ~。退職後の9年間、旅した日数はおそらく500日近くなるけど、車中泊とテント以外では民宿と旅館とY・H(ユースホステル)に5泊しただけ。それも嵐のような大雨の日、雪が降った日、離島に到着した日だけで、それらを除けば大雨でも車中泊していました。今後はいつまで出来るか?

自分としては、できれば80歳まで続けたいな!と。免許返納と同時に車中泊の旅である「ぼうけんの旅」を終わりたい!と考えているのです。果たして、そうなるのかどうか?
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東の方向、奥の山は徳舜瞥(とくしゅんべつ)岳(1309m)。
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この日は壮瞥町の道の駅「そうべつ情報館i(アイ)」で車中泊。
幸いトラックの夜通しのアイドリングもなく静かに寝れました。道の駅の車中泊は、どうしてもアイドリングしているトラックがいるか、どうかのめぐり逢いで決まりますね。夜通しのアイドリングは、夜になると遠くまで聞こえてくるので離れた場所でもうるさいのです。
出来れば、トラックの来ない人里離れた道の駅(そんなところはない!道の駅は幹線道路沿いが多いですからね)に車中泊したいけど、なかなかそう上手くはいかないものです。

壮瞥町の農道を走ると、昭和新山がまじかに見られる場所もあります。遠くに羊蹄山もチラッと見えています。
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ズームして見ると、こちらの方向からは岩手県の岩手山に似た形に見えます。どちらも蝦夷富士南部富士と呼ばれています。
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左には有珠山も見えています。この山、何度も噴火しています。自分が覚えているのは1977年(昭和52年)の夏のこと。大噴火したのを間近で見ました。その後も何度も噴火している活発な活動を続けている火山です。
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6月だったから、秋撒き小麦が越冬して春に育ち、初夏になってグングンと伸びてきています。8月の今では文字通りの小麦色になり、もう収穫の時期でしょうか?
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隣町の伊達市へ。伊達神社へ寄り道。
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ここは伊達市を切り開いた亘理藩主の伊達邦成公を祀る神社。他にも祭神はいますね。
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手水舎にはきれいに花で飾っています。センスいいですね!
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こちらが本殿。今回も旅の安全をお参りしていきましょう。どこの神社仏閣、教会でも旅の安全を祈ります。
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で、伊達市では今回ここを見学したかった。洞爺湖有珠山ジオパークの一つを構成する「史跡 北黄金(きたこがね)貝塚公園」。
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縄文時代の遺跡です。昨年は、北東北と南北海道の縄文時代の遺跡ユネスコの世界文化遺産に認定され、うれしいニュースとなりましたね。
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ここは無料で見学出来るのです。駐車場も広いし、たっぷりと散策できます。
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で、次回はここを詳しく紹介します。
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ということで、6月の旅は晴天に恵まれて旅を続けられたのです。
今年の道内、7月中旬から8月中頃にかけて、雨が非常に多かったです。1日で例年の8月の降水量を上回る雨が降ったり、晴れの日がしばらくなかったりで道内を旅している人は苦労しているのでは?と。
やっぱり、旅は晴れているに越したことはないですね。

では、また!

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8月14日日曜日、天気は早朝に雨が降ったが、7時を過ぎることから太陽が顔を出してきて9時までも蒸し暑い真夏の日になろうとしています。
昨夜は、前のblog「6月の旅1」を作成中に突然PCが真っ黒になり、こちらの頭は真っ白!一晩おいてから今朝PCを開いたら何とか大丈夫だったようで作り直したのでした。
では、6月の旅の2回目。長万部町から出発して豊浦町へ。そういえば、長万部町の飯生神社の敷地で温泉ならぬ水が30m以上もの高さに噴き出て全国的なニュースになっていますね。
あそこは何度も訪問していて、6月も7月も行った場所です。それが8月になって突然水が噴き出すなんて、何なのでしょう?

さて、ここは豊浦町の海岸です。
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西側は広い芝生のキャンプ場になっていますが、テントは一張りもなし。キャンプ場は閉鎖されているみたい。車中泊の車が2台だけ停まっていました。手前は清潔なトイレ。トイレは閉鎖されていないので使用できます。
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東側を見ると、右の建物は温泉で500円で入浴出来ます。山の奥、高台にあるのがサミットで使われたウインザーホテル。各国のお偉いさんが宿泊した超お高いホテルです。
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堤防で仕切られた海水浴場になっていますが、ここも閉鎖中。6月6日のことだから泳ぐ人はいないけど、夏休みは開放されたのだろうか?それともコロナ激増でいまだに閉鎖中?
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釣りには好適な場所かな?それとも、こんなところでは釣りには向かないかな?
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で、洞爺湖へ向かいます。有珠山の噴火で土地が変化している場所、洞爺湖有珠山ジオパークを見学します。左の建物は、以前は胆振管内の消防署があったのです。今もあるけど、消防署としても機能は果たせずに移転していて、今は火山資料館として一般開放しています。無料で見学できます。
今いる場所は、以前は道路だったところ。「道路が沼になった!」とありますね。奥の凹みのところに雨水がたまり沼になったのです。それでもは、およそ1時間のコースで見れる火山跡散策路を歩くことにします。
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無料で見学できますが、途中で案内所があってこのコースを維持するための募金箱があり寸志を入れます。火山の学習になるコースですので、大人はもちろんのこと子供たちにも見てもらいたいですから!
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噴火湾の海岸まで続く道路は、火山の地震に伴い道路はズタズタ!左の散策路は後に作成されたもの。激しい火山活動の地震でこうなったのでしょう。
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登ってきたら羊蹄山がクッキリ見えていますね。山頂部分だけが雲を被っているけど。
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この道「50㎞」道路だったのです。コンクリート製電柱は折れ曲がって放棄されています。
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枕木ロード沿いの地熱帯。海が見えますが、そこは噴火湾。ここは標高300mくらいの有珠山の一角を占める山の一部です。
2000年の平成12年あたりから地熱が90度を示すようになり熱いから歩けず。そこで枕木で散策路を作るようになったのです。22年前からです。
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この辺りは、お菓子の原料の豆が栽培されていたのです。洞爺湖のお菓子と云ったら、何といっても「わかさいも」。でも、芋と云っても、サツマイモは使われていないのです。もちろんジャガイモも使われず。何を使っているかというと、原材料は大福豆、手亡(てぼう)豆(小粒のインゲン豆)、小麦粉、醤油、砂糖などです。
だから、ここでは大福豆や手亡豆を栽培していたのです。
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ここ小さな火口跡。溝になているようですが、20年以上前の火口なのです。
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道路に火口が出来た!とありますね。
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ミニチュア地溝帯とありますが、まさに地塁と地溝が出来たのです。
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ここは、元幼稚園があった建物です。噴石によって地面が傾き幼稚園はボロボロになりました。今は安全な別な場所に移転していますが、それにしてもものすごい噴火した石が落ちて来たのですね。
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屋根も壁もボロボロに!
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いくら軽石と云っても石なんだから、屋根や壁に当たると穴が開きますからね。園児たちと先生方は事前に避難していて大丈夫でしたが、これじゃ使用できないですね。それに危険地帯ですから。
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スクールバスもご覧のあり様。
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20年の間に、木々が茂り校舎の中からも木が伸びています。
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廃園になった「とうやこようちえん」。
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で、1時間以上歩いて戻り、先ほどの元消防署へ。洞爺湖町火山資料展示室になっていますね。
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 まさに、火山列島の日本!いつどこでも火山が噴火するか分かりません。函館近郊にも、恵山や駒ケ岳といった要警戒火山がありますからね。
次回は、洞爺湖を巡り伊達市へと向かいます。
では、また!

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8月13日土曜日、天気は晴れで気温は30℃にもなる真夏日の、とても蒸し暑い日です。実は昨日のblogを書き終えた時から太陽が少しずつ顔を出してきて、午前10時ころからは晴れになったのです。久しぶりの晴れで、それが今日も朝から晴れ!うれしいですが、雨上がりとあってかなり蒸し暑い!湿度が高いのです。明日まで晴れですが、月曜、火曜とまた雨マーク。

関東では台風が襲来してすごい雨ですね。北東北も雨の被害が甚大です。自然災害の多い日本列島、被害に遭われた皆さんの一刻も早い回復を願います。

さて、今日からは6月の旅の総集編をお伝えします。6月5日からスタートして15日までの11日間の道内を旅した記録です。
それではスタート。出発した日は6月5日の午後。その日はせたな町の大成区にある道の駅「てっくいランド大成」で車中泊。日本海沿いの国道229号線に面しているけど、夜間は車通りの少ないとても閑静な道の駅でぐっすりと寝ることが出来ました。それに駐車場にまでWi-Fiが届き、車の中でもネットを見ることが出来て良かったのです。
で、1枚目は2日目の二股から。大成区から峠越え、といって長大トンネルでの峠越えです。北桧山区へ入り二俣地区にある廃校になった二俣小学校です。立派な校舎と体育館がありますが、使用している気配はなし。実にもったいないです。
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グランドは芝生が一面広がっているけど、何せ子供がいないのです。いるのは高齢者ばかりの地区。
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少し進んだところに大きな石に「拓進」の文字。きっと、開拓した時のことが書かれているのでしょう。
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二俣地区と小学校の歴史が書かれていました。
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続いて若松地区へ。なお、せたな町は2005年9月1日に大成町、北檜山町、瀬棚町の3町が合併して「せたな町」となっています。
若松という地名は、文字通り福島県の会津若松からの入植者が切り開いた地区。
ここは、今年の3月に閉校した若松小学校です。
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その近くになった記念碑。「わかまつ拓きて百年」。戊辰戦争では賊軍として徹底的に打ちのめされた東北の諸藩ですが、とりわけ京都守護職の座にして新選組を使って長州藩を叩いた会津藩へは厳しい仕打ちが待っていました。会津から下北の斗南藩へ移され、さらには北海道へ渡る人々も多かったのです。ここは、戦いに敗れ傷ついた会津の人たちが苦労して開拓した地です。
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どれほど苦労したことか。薩長によるイジメはどんなにひどいものであったのか!
その証拠に、今でも会津若松市は山口県萩市からの姉妹都市の持ちかけに断固拒否していますからね。
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若松神社へ!
明治以降、薩摩と長州は権力を独占し東北に対しては徹底的に弾圧しています。東北の県令(県知事のことで、県民が選挙で選ぶのではなく明治政府から派遣)は薩摩人が多い。野蛮な鹿児島からやってきた人が権力を握り東北人をいじめてきた歴史があるのです。北海道でも同じで、とりわけ北海道開拓使にして第2代の内閣総理大臣の黒田清隆などはまさに野蛮人です!
まぁ、勝てば官軍ですものね。
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もちろん、今の鹿児島の人々を悪く言うつもりはありません。過去の歴史のことです。
乳牛報徳之碑とは、酪農が盛んな地だからこそのもの。
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若松地区から山へ入り小川地区へ。ここは廃校になった小川小・中学校跡地。
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以前訪れた時は、このグランド跡に校舎の一部が残っていたのですが、すでに撤去されていました。
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それでも校門は残っていました。
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ここにも小川開基百年の石碑。ふる里は誰にとっても懐かしいものなのです。
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小川高原を登り詰めます。中央遠くに見えるのは、日本海に注ぐ尻利別川の河口付近。
この辺りは、牛を放牧している高原だけど熊の出没地域であちこちに「ヒグマ出没中!」の看板あり!
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で、この先は通応止めの看板あって行けず。戻ってからはものすごいダートの道を走り、何とか河口へ。そこには、「1993年の北海道南西沖地震」があったことの説明板。もう30年近い前の出来事ですが、あの時のことは今でもハッキリと覚えています。
函館でも夜に震度5強の地震。激しい揺れが続き、我が家のテレビが落ち本棚からはたくさんの本が落ちてきました。このまま家が潰れるのかな?と思うほどの地震でしたが、翌朝にテレビを見たら奥尻では津波と火災で大変なことになっていることに気付いたのでした。
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対岸では、たくさんの風力発電のプロペラが回っています。近いうちに洋上風力発電の風車がいくつも完成するとか。それだけ風の強い地域です。
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南側を見ると、先ほど走った小川高原の小高い山々が。あのてっぺんまで走ったのです。そして山裾の車1台やっと通れるほどの細さの、ものすごいラフでダートの道を通り抜けて来たのです。軽自動車だからこそのもので、少しでも大きな車だったら無理だったでしょう。
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最後に、長万部町の山奥にある茶屋川小学校跡地にある今にも崩れ落ちそうな校舎。廃校になって数十年。よくぞ持ちこたえているな!と感心するばっかり。たどり着くのも大変な場所にあって、数少ない地域の人も利用しておらず放置されている校舎です。
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ということで、2日目の6月の旅からスタートしていきます。この日は、道南の過疎地で多くの廃校となった小学校を見て悲しい思いになったのでした。次回は、胆振管内に入り海と火山を見ていきます。
では、また!

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8月12日金曜日、天気は雨で昨夜は警報が出て一部の地域では避難指示が出るほどの豪雨。いつまで続くのかこの大雨!しばらく太陽が見られてないが、お盆の時期でも暑さが回復せず夏らしいカラッとした日が少ない今年、このまま秋に突入するのでしょうか?と心配になるほどの悪天候です。
先ほど、松倉川の河口付近へ行ってきて安全を確保して撮影。昨夜はあふれるくらい降ったのでした。
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普段は底が見えていて清らかな水ですが、泥水の濁流が流れています。
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さて、5月の旅は最終回。前夜は、長万部町のキャンプ場で車中泊。テントは1つもなく自分ひとりの宿泊だったので静かな夜でしたが、しとしとと雨が降っていました。

一人で車中泊することはよくあることで、別に怖くもないし逆にボッチの方が楽しいです。道の駅では大勢の車が車中泊しているところもあるけど、中には一晩中アイドリングしていたり、音楽を鳴らしたり、ひどいのはキャンプ場と勘違いしてタープを張ってテーブルと椅子を出して、まるで自分の家でバーベキュー大会を開いているような車もいて、うるさい場所もあります。
それに比べたら、人里離れた閑静な場所で一人で寝られるのは最高で、だから道の駅を選択する時は①幹線道路を外すこと、②トラックの停まらない場所へ、③広い駐車場の端っこに、④都市部ではなく町村の道の駅で、を地図上から選んで行きます。
それでも、間違うこともありますが、その時は地図で調べ直して付近の駐車場とトイレがある公園へと移ります。それも出来るだけ早い時間に引っ越しします。

さて、長万部町から出発して今金町へ。最終回となった5月の旅、自宅のある函館に帰る時は、必ずと言っていいほど立ち寄るのがここ今金町神丘の地。
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広々とした牧草地があり、360度見渡す限りの農地です。
晴れていれば、南の方角に遊楽部(ユーラップ 1277m)岳が見えるのだけど、雨上がりの曇り空だから見えず。少し離れたところには、日本1の清流の後志利別(しりべつとしべつ)川が流れています。
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で、ここには北海道最初のプロテスタント教会の「インマヌエル教会」があるのです。
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1892年(明治25年)、埼玉県などからクリスチャン家族が開拓地を求めて移住、この地に於いて信仰の基礎が築かれたのです。現在日本ではクリスチャンはカトリックを含めても100万人ほどで、教会の所在地のほとんどは都市部にあり、その中では数少ない農村教会の一つなのです。
現在の建物は、1968年完成。プロテスタント教会でも、カトリックに近いイギリス国教会に属し、函館の聖ヨハネ教会から牧師さんが派遣されて祈りが行われています。
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当時の地名は「インマヌエル」、それは1933年「神丘」の改めるまで続いた名前でした。インマヌエルは「神と我々と共におられる」という意味。
日本初の女医さんだった荻野吟子(おぎの ぎんこ 1851~1913)さんは、教会のリーダーだった夫と共に入植したのです。彼女の歌が石碑にありますね。
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荻野吟子は1894年(明治27年)に夫がいるここへ来ます。そして近くの瀬棚町で診療所を開業しています。
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北の方角を見ると、晴れていれば道南最高峰の狩場山(1520.2m)が見えるのだけど、残念。
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明治の時代に入植した人たちは、原生林に囲まれヒグマなど野獣の声におびえて、冬は体験したこともない極寒に耐えて暮らしたのでしょう。今とは全く違う環境下でどうやって過ごしたのか?想像も及びませんが、かなりの精神力がないと耐えることは出来なかったでしょうね。
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こちらは、恐らくジャガイモの畑になるのでしょう。開墾されていて、これから種芋を植えるのでしょうね。今金町はジャガイモ、特に「男爵イモ」の一大産地ですから。
湖池屋のポテトチップスは、今金男爵イモを100%使用しています!
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この後は、八雲町へ出て、国道5号線を南下して無事に我が家へと帰宅したのでした。
ということで、5月の旅は完了!めでたしめでたし!!

次回からは6月の旅の総集編をお伝えする予定です。

それにしても、東北南部から西は猛暑日が連続(でも、台風の上陸が予想されていて、少し心配ですが)していて暑さも限界に達しているし、一方で東北北部から北海道は毎日のように雨、雨、雨。
どうなっているんだ今年の天気!これも異常気象のせい?おまけに日本、コロナは世界で最も感染者数が多いとは!国民の10人に一人以上感染していて、実際自分の息子も感染(無症状で普段とまったく変わらず)、自分も濃厚接触者になり自宅で5日間静養しましたが熱も出ずいつもと変わらずで、もう外には出ています。
素人考えですが、もうコロナはインフルエンザなどと一緒でいいのではないかと思うのですが・・・。
もちろん、冬に予定されている5回目のワクチン接種は受けるつもりですが。

では、また!

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8月11日木曜日、天気は曇りだが午後から雨の予報で、毎日雨が降り続いていて湿度がかなり高い。今日は昨日できなかった湯の川温泉の花火大会が行われる予定だけど、今夜も出来なそう。
青森県や秋田県では洪水も起きているし、いい加減雨は止んで欲しい!と切実な願いです。

さて、オロフレ峠からは麓の温泉に「HO」を使って入り、伊達市へとやって来ました。ここは、伊達市の道の駅「だて歴史の杜」の入口です。道の駅の物産館はこの巨大な門の右側にあります。
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広大な広場のある公園、いろいろな公共施設があります。こちらは「だて歴史の杜 カルチャーセンター」。
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そのとなりは伊達市総合体育館
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こちらは総合公園だて歴史の杜。その中に、ある古民家発見!
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三戸部(みとべ)家住宅とありますね。明治5年というから1872年のこと。郷里の仙台地方の建築様式で建てられた家で、1本の釘も用いていないと。すごい腕前の大工さん!まさに職人芸です。
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野草園には、薬となった野草が生えていますね。エゾリスも出るのでしょう。
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右の像は、多分伊達邦成公の像かな?北海道では珍しい竹林があります。さすがは、北海道の湘南とも云われる伊達市。暖かいから竹林も高く伸びています。
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こちら伊達邦成公の迎賓館だった建物。
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伊達邦成公は亘理(わたり)藩主だった人物。亘理町は仙台市の南に位置し阿武隈川河口の南側にあるイチゴ栽培が盛んな農業主体の町です。
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建物の屋号を見たら、これぞ伊達家の紋章です。それにしても伊達家の一族はかなり大きくて、道内を旅していろんな場所で遭遇しています。先日の石狩管内の当別町では岩出山藩の伊達邦直公、空知管内の栗山町角田では角田藩の伊達氏がそれぞれ開拓していってますからね。ここ胆振管内の伊達市は亘理藩の伊達邦成公が切り開いた地です。
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この今にも崩れそうな建物は何だろう?
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蔵でした。明治6年というから1873年に建てられた建築物。伊達家の先祖伝来の品々、伊達政宗公の資料関係や書物などが収められた蔵だったのです。
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こちらは何だろう?神社のような建物です。
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迎賓館は一部手直しもしている様子です。
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こちらが入口だったのですね。こちらから順番に見学していけば良かった。もちろん、無料で見学できます。
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一周して道の駅に戻り、だて歴史の杜ミュージアムへ。入館料は300円ですが見ごたえ十分な博物館です。
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ここに周辺の案内図がりました。道の駅の物産館前の駐車場は幹線国道の37号線に面しているから車中泊は厳しけど、奥の体育館の駐車場だったら閑静だしトイレもあるから車中泊は可能でしょうね。
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入館しましょう。まずは伊達家亘理藩の紹介から。700㎞の道のりを2700人の人々が船に乗り、そして歩いてやってきたのです。理由は、戊辰戦争での敗北。勝てば官軍、負ければ賊軍で敗者には厳しい処分が下り領土は没収されます。そこで生きるために北海道へと渡ったのです。
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こちらが伊達邦成公。チョンマゲは剃って服装も洋式。
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当時の正式な服装。堅苦しそう~。
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仙台藩の分類を見たら、なるほど~と分かりました。栗山町へ入植した角田藩は一門では筆頭だったのですね。でも、石高はおよそ2.1万石。亘理藩は2番目だけどおよそ2.4万石。当別町の岩出山藩は8番目で約1.5万石です。
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これを見ると。伊達藩は、今の岩手県南部から宮城県すべてを領地としていていて、まさに米どころだったのです。300ほどある藩の中でも最大級の石高を持つ藩の一つだったことが分かります。
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 斜めになっていて申し訳ありません。江戸時代の戦闘衣装ですね。
で、次回で5月の旅は終わります。次回は最終回でいつも行く場所へ。それは何処か?
では、また!

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8月10日水曜日、天気は昨日同様に朝から小雨で、16日まで雨のマークが付いている最悪のコンディション。ニュースでは、関東から西日本は猛暑日になり危険な暑さが続いているけど、北海道南部と東北北部は毎日雨、雨、雨。いったいいつになったら太陽を拝めるのか?カラッとした夏の暑さが欲しい!

さて、ここは月形町。月形なんて、人の名前みたい。あの「ゴールデンカムイ」に登場しそうな人物名のよう。
「ゴールデンカムイ」では月島軍曹
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だったけど、最終回の31巻目の舞台が五稜郭。網走監獄で囚人たち十数名の背中に彫られた入れ墨を集めるとアイヌ人が独立するために蓄えた金塊がある、その場所とは?
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何と!五稜郭だったのです!
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先日第31巻で完了した「ゴールデンカムイ」。漫画を見た人たちが聖地巡礼と称して五稜郭を訪れているとか。これまたうれしいですね!

さて、ここは月形樺戸集治監。現在の建物は、1881年(明治14年)に開かれ5年後の1886年(明治19年)に焼失したが、その後再建され1919年(大正8年)に監獄が廃止されるまで事務所として使用していた建築物。その後は1972年(昭和47年)まで役場庁舎として使われていて、翌年からは博物館になったそうです。
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入館料は大人300円。見学する前に周囲を散策。フランス式の煉瓦積みの頑丈そうな建物は何だろう?
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石油庫でした。今の刑務所は、最初は集治監、次に監獄、そして刑務所へと名を変えていった歴史があります。火災を引き起こすからこのような煉瓦造りの建物にしたでしょう。古い駅にもありますね。例えば、根室本線南富良野町の金山駅にもありました。
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こちらは裏側。屋根や壁は修理しているけど、内部はかなり古いもの。
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裏には、月形樺戸博物館本館があり、地下道路で本庁舎とつながっているから、ここからは入館できません。
有名な囚人が収監されていて、彼らのことも知ることが出来ます。
ただ残念なのは、ここは撮影禁止だから内部は記憶のみ。確か「ゴールデンカムイ」にも登場している人物がいました。
例えば、「海賊房次郎」の名で知られる15年の刑期の大沢房次郎。
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名前の云われは、水の上でも中でも巧みに体が使え、プロの潜水士にも負けないほどの潜りの名人だったとか。
同じく15年の刑だった僧侶の「大須賀権四郎」、スリの名人「玉木勘四郎」、さらには「五寸釘の寅吉」の名で知られる西川寅吉、偽札造りの名人の熊坂長庵など。マンガ本では「熊岸長庵」になっています。
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それと囚人ではないけど、剣術師範として赴任していた永倉新八
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彼は幕末、新選組の人物。戊辰戦争でも生き残り、1882年(明治15年)43歳になった永倉は典獄(刑務所長)に請われてここへ来ます。それは、看守たちに剣道の修練をするために。
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となりの建物は、農業研修室で月形の農産物などが展示。
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町の名前は、この人物。月形潔(つきがた きよし 1847~1894))で福岡藩出身。伊藤博文や黒田清隆の信頼が厚く抜擢されたそうです。
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なかなか見ごたえある博物館でしたので、時間はたっぷりと過ごせました。
この日は、石狩川を渡り南下し「HO」を使って南幌町の温泉に入り、さらに南下していつも宿泊する安平町鹿公園キャンプ場へ。ところが土曜日とあって、キャンプ場は満員。駐車場は満車状態で、これじゃトイレも使えそうにもない、と場所を変更し500m離れた道の駅へ。そこで一晩明かし、翌日はさらに南下してここオロフレ峠へ。
峠からは雪を頂く羊蹄山(1898m)がくっきり!その隣の山は尻別山(1107.3m)。
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オロフレ山(1230.7m)は雲の中。
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石碑があったけど、本物のオロフレ峠はさらに山道を走っていかなければいけない。でも、その道は通行止めで行けず。
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東の方向には洞爺湖が見えていました。
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ズームして見ると、中島が見える。ここはカルデラ湖の中で、再び噴火して島が出来た湖。島は4つあります。
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 で、午後からは伊達氏の歴史を学ぶために伊達市を訪問。道の駅に隣接して資料館があるからです。
そういえば、伊達市は福島県にもありますね。今回、甲子園に出てきた福島県代表の聖光学院高校の選手のユニフォームの肩には伊達市と書かれていましたからね。

毎日雨が降りジメジメしていて、カビが生えてきそう!除湿をしているけど、太陽が顔を出して欲しいです。日本列島は北は雨、関東から西は猛暑!二分されているみたい。

では、また!

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8月9日火曜日、天気は雨で、気温は27℃くらいまで上昇しかなり蒸し暑い日です。
昨夜は、文字通りバケツをひっくり返したかのような土砂降りの豪雨で、スマホはアラームが鳴りっぱなし。避難指示も出ていて、ツイッターを見たら付近の川が氾濫しているとか。我が家は少し高台にあるので大丈夫ですが、57年前の鮫川氾濫・大洪水を思い出しました。川が氾濫して付近一帯は沼のようになり我が家の近くまで来ていて、かなり危ない状況でした。それ以来の川の氾濫でしたが、幸い被害はそれほどでもなかったからよかったです。現在はだいぶ収まってきている様子です。

さて、ここは月形町。前回紹介した当別町の北に位置し、「5月の旅11」で登場した浦臼町の南にある町です。で、ここは皆楽(かいらく)公園のキャンプ場です。
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沼になっていますが、もともとは石狩川。橋にも「旧石狩川」とありますが、蛇行の激しい石狩川は出来るだけまっすぐに流れるように河川改修工事をして、残された曲がって流れる川はいわゆる三日月湖(河跡湖)の沼として残されたのです。
かつては、全長360㎞もあった石狩川。直線化した結果、現在は268㎞ほどで、100㎞近くも短くなったのです。長さでは、以前は信濃川(367㎞)に次いで長さ2位だったが、利根川(322㎞)に抜かれて第3位。
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北海道では、同じような川として天塩川(てしおがわ)があります。以前は320㎞ありましたが、現在は256㎞へ短縮されていて、それでも利根川に次ぐ第4位の長さを誇っています。
ちなみに、第5位は北上川(249㎞)です。
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沼の両サイドがキャンプ場ですね。対岸にも、こちら側にもテントが張られています。
自分は前夜は岩見沢市の北村キャンプ場で車中泊。そこからは距離にして10㎞弱のところです。
付近には温泉もあって、キャンプには最高の場所の一つでしょう。
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月形町では、訪問する場所がいくつかあって、まずその一つである月形刑務所へ。ここは凶悪犯など重い刑、B級受刑者といって量刑が8年以上で再犯や累犯など犯罪傾向が進んでいる受刑者が収監されていて、近寄ることは出来ずこの先立ち入り禁止です。。
函館には市街地の中に少年刑務所がありますが、そこはもちろん少年ではなく少ない年数の人が収監されている刑務所。ここは長い年数の人たちがいるのです。
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国道275号線からズームして撮影。こちら側は官舎でしょうか?窓にはフェンスがないからそう思えたのですが。ただ、高い塀が気になります。
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市街地に戻り、ある小さな山へ向かいます。ほとんど山頂まで車で行けて、駐車場も完備。展望台もあって、そこから撮影しています。月形町の市街地が見えていて、奥は石狩川が流れる日本有数の穀倉地帯の石狩平野です。ただ、遠くを見渡せる空模様ではなく、どんよりしています。
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この小山の名は、「円山(86m)」。以前、三笠市でお伝えした達布(たっぷ)山(143.7m)から、狼煙(のろし)を上げて直線道路を造ろう!とした歴史があったことを(5月の旅8)お話ししました。
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三笠と月形の囚人たちを使い、石狩川の湿地帯に道路を建設するために酷使したのです。
峰延とは、三笠の西部地区のことで達布山がある地区名。そこと月形を結ぶ道路建設に囚人たちを使ったのです。
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この日は、霞んでいて遠方は見えず。三笠の達布山との直線距離はおよそ18㎞だから、晴れていて空気が澄んでいればハッキリと見えるはずです。
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残念ながら晴れてはいるが、空気は澄んでおらず遠くの見通しは悪かったです。
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月形刑務所とは2.5㎞の距離だから、ズームしても見えました。かなり大きな建物です。何人くらいが収監されているのだろう?
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続いて、月形駅へ。名前は「石狩月形駅」。なぜ石狩と名が先に付けられたのかというと、ここが出来る以前に同音の「月潟駅」が新潟県にあったために、石狩の名を先に付けたわけです。
ただ、ここも残念なことに、札沼線の新十津川駅と北海道医療大学駅間が、2020年5月7日に廃止されたことに伴い駅の機能はありません。建物だけが残されているのです。
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ここも炭鉄港の一つですね。この日5月21日土曜日は、残されている線路を歩くというイベントがあって、30名くらいの人が集まっていました。9時スタートだったので誰もいないですが、分かっていれば自分も参加したかった・・・。事前登録でマスク着用ですので無理ですが、列車の来ない線路を歩くのは面白そう。
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駅舎の待合室には、かつての写真がたくさん展示。
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でも、列車が動かない線路は錆びついています。
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 で、なぜここが月形町なのか?月形という名はアイヌ語ではなく、人の名前のようですが、それは次回で分かります。
北海道初の監獄(刑務所)、昔は集治監と呼ばれていましたが、最初名前は樺戸(かばと)集治監。そこを見学して月形の名前の由来は知ることになります。

次回はお楽しみに!
では、また!

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8月8日月曜日、天気は朝方は曇りですが次第に大雨になる予報で、今週は毎日のように雨が降り続くみたいです。湿度は高くかなり蒸し暑い日で、外を少し歩くだけで汗が出てきます。

さて、石狩市から内陸部に入り石狩平野を東へ向かい当別町へ入ります。ここで見学したかったのが、ここ当別伊達記念館。当別にも伊達氏に関する資料があるのです。ありがたいことに無料で見学できます。
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1871年(明治4年)仙台に本拠を置く伊達藩の支藩である岩出山藩(現在は宮城県大崎市)の藩主である伊達邦直(くになお)が、北海道開拓するため石狩川をさかのぼり最初に上陸した地が浦臼町であったことは、「5月の旅11」で紹介しました。
しかし、浦臼は石狩川の中流域に当たり遠方であることから入植を断念し、当別の地で開拓の第一歩を踏みます。
ここ当別町伊達資料館は、その伊達邦直によって開拓の歴史が築かれた当別の歴史を知ることが出来ます。
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江戸時代全国に300もの藩(時代によって増えたり減ったりしています)がある中で、伊達藩は非常に大きな藩で62万石とも云われていて、藩祖の伊達政宗は家族や親族にいくつか領土を分けています。いわば、仙台が親会社なら、支藩は子会社みたいなもの。詳しくは、後に伊達市を訪問した時にお伝えします。
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当時の衣装や身に着けていた刀や槍などが展示。
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こんな衣装を身に着けていては農作業など出来ないですね。もっとも、まだ殿様の身分だったから重労働をすることはなかったかな?
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ここで伊達邦直のことを学んだ後に、となりにある伊達邸別館、当時のお殿様の家を見学します。
お殿様だけあって、北海道を訪れた明治期の様々なお偉いさんがここを訪問しているのですね。
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昔の木造建築物で由緒ある建築物を見ると、ほとんどに屋根に飾りがあるのです。これあちこちで見かけたけど、いったい何だろう?最初は避雷針かな?とも思ったけど金属ではないから避雷針の役割は果たせない。そこで調べたり聞いたりして分かったのが、これは飾りだということです。家のデザインの一つ。
壁は下見板張りで、窓が上下開きだから洋風建築物です。
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これがそう!歴史的建築物で明治期に建てられたものには、大抵この飾りがついているのです。
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内部へ入りましょう。ここは書斎と来客控室。邦直は、ここで読書したり文章を書いたりしていた部屋です。
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こんな洋間もあります。額に書かれている意味は何だろう?灯りはランプだったんですね。まだ電気のない時代だったから。
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こっちの和室は、完全に江戸時代そのもの。暖房は炭だけだったのだろうか?それだけだと冬は寒すぎるはず。家を見てもあまり断熱性能が高くない、いや低い建物だから真冬は相当寒かったことでしょう。
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見学した後は、近くにあった当別神社を訪問。伊達邦直公を祀る神社でしょうね。当別の開拓者であるお殿様を祀っています。
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その後は、当別町にある木造校舎としては先に紹介した増毛町の増毛小学校と並ぶほど北海道で最古の校舎を持つ弁華別(べんけべつ)小学校を訪ね、隣町の岩見沢市の北村キャンプ場でこの旅3回目の車中泊をしたのでした。
次回は、北海道で最初に出来た監獄(刑務所)の月形町を訪ねます。
では、また!

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8月7日日曜日、天気は午前中は曇りで午後からは雨のマークが出ています。気温は最高でも23℃くらいで涼しい夏の日となっています。

さて、ここは増毛町でも最南端の地区である雄冬地区。南の浜益(はまます)村(現在は石狩市浜益区で、2005年10月1日に、石狩市と厚田村、浜益村が合併して石狩市へ。)から道路が開通したのは、1981年のこと。それまでは陸の孤島で船便でしか人や物資は運ばれていなかったのです。
かつては、北海道三大秘境岬と云われていて、一つは今も道路が出来ていない知床岬。もう一つは道南の茂津多(もった)岬(ここは1976年道路が開通)。そして、ここ雄冬岬だったのです。
しかし、増毛側から長大トンネルが、さらに浜益側からも4㎞以上もの長大トンネルが掘られて完成して、やっと道路が出来たのでした。
雄冬岬展望台があって、くねくねした細い道を登るとここへ到着しますが、かなりの急勾配。
写真を見てもお分かりですね。
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駐車場からは、かなりの階段を登り展望台へと着きますが、結構歩くのです。向かい側には、柱状節理が見えていますが、ここは火山だった場所。大雪山の層雲峡でも見られますね。
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暑寒別岳の山塊がそのまま日本海に落ち込み、断崖絶壁がおよそ25㎞も連続する「西の知床」とも云われる海岸線です。だから、長いこと道路を造ることが困難だったのです。
写真奥は、北の方向で増毛町市街地方面。
十勝から襟裳岬を通り日高へかけての道路は「黄金道路」と呼ばれますが、こちらは「ダイヤモンド道路」と云われるほどの巨額の資金が必要だった道路なのです。どちらも人と金を要した道でした。
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深い谷が続いています。北斜面のところどころにはいまだに残雪が見えていますね。
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今は火山ではないけど、かつては火山活動が盛んだった暑寒別岳連峰。この谷を登り詰めれば雄冬岳(1197.7m)へ。さらに群別岳(1376.4m)、そして最高峰の暑寒別岳(1491.6m)へと続きます。
かなりの上級者コースで、ヒグマの出没地区でもあるから単独登山は危険すぎます。
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降りてきて、すぐ白銀の滝があります。暑寒別岳の雪解け水が日本海へ一気に流れ込んでいるところです。
似たような地区は、道南の島牧村からせたな町までの国道229号線の海岸線にも見られます。狩場山(1520.2m)からの山塊からの断崖絶壁があって、茂津多岬周辺では同じような光景が見られます。
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南下して石狩市浜益区へ。ここでは、庄内藩の陣屋を見学したかった。
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江戸時代末期ロシアの南下を恐れた幕府は、寒さに耐えれるだろうと東北6藩に蝦夷地警備を命じます。津軽藩や秋田藩、南部藩、伊達藩などが道内各地の警備につきますが、山形県庄内地方(現在の鶴岡市や酒田市周辺の庄内平野周辺)の庄内藩は日本海側を担当します。ここ浜益に陣屋を設けたのでした。
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海岸からは1㎞程内陸に入った場所の高台に、陣屋を建設しました。
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寒さに耐えれるといっても、当時の蝦夷地の厳しい冬とさらにはヒグマやオオカミの出没には怖い思いを何度もしたことでしょう。東北と北海道では、雪の質も違うし何よりも食料の確保が難しかったでしょう。
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門からは、海と市街地が見渡せるから、絶好の監視場だったはずです。
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浜益区送毛(送毛)地区へ。ここは新しく出来た国道231号線の旧道。今は4㎞もある新送毛トンネルで行けるが、かつては砂利道のクネクネ道路の送毛山道を通らねばいけなかったのです。
この道、すごい道で山道を走ったことのない人は通らない方が良いでしょう。かなりのラフでハードな道です。ここは、送毛の最果ての地。漁業しかない地区です。
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ここも昔は学校があったのです。明治27年に開校した尻苗小学校。送毛の隣の地区名が尻苗だから、子供たちは両方から通学していたのかも?
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左に体育館があって、右は多分教員住宅でしょう。校長始め、教員はアパートがないから住宅を用意しなければいけないですね。北海道の辺地の学校には、必ず教員住宅があるのです。
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比較的新しい校舎。もちろん今は使われていません。閉校したのですから。
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二宮尊徳の像があるなんて!昔は何処の学校でもあったけど。
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続いて隣の漁村地区の浜益区濃昼(ごきびる)へ。ここにも閉校となった小・中学校が。
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浜益村立濃昼中学校と書かれいますね。
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平成4年閉校とあるから、今から30年前に閉校となっています。
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海へ出ようとしたら、番屋がありました。すごい大きな番屋だったのでしょう。今は全く使われていないようです。
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ということで、増毛町から浜益区へ南下した道は、交通量は少ないしかなりのラフな激しい道でした。で、次回は石狩当別町へ向かいます。そこで、浦臼町で発見したある石碑の人物(歴史上の人)と出会うのです。
では、また!

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8月6日土曜日、天気は曇りのち晴れで気温は最高でも24℃くらいだから、比較的夏でも涼しい天候です。
今日は、77年前に広島に原爆が投下されて、7万人以上もの人々が殺された日です。そして9日には長崎にも同様なことが起きています。21世紀になった今でも、人間は同じ過ちをしようとウクライナで、最近では台湾でしようとしてます。愚かにも人間が人間を殺すという行為は、人類が誕生して以降繰り返されているのです。
このブログは「日本一周」で旅する人たちの平和なblogですが、平和は決して黙ってもたらされるものではないのです。旅が出来る喜び、それは平和であってこそ!のもの。平和であることを続けていかなければいけないのです。

と、平和の世の中に感謝しつつ、自分は70歳を過ぎた今でも旅をしていますが、それは子供の時から。小学校6年生の時に、自転車で遠くまでサイクリングして、それ以来自転車の旅を続けて学生時代には日本一周し、40代からはオートバイクの旅を、定年を迎える前頃からは車の旅で車中泊を!
blogを始めて10年!元気でいる限り、「ぼうけんの旅」は続きます!

さて、ここは増毛駅跡。駅舎はあるけど、JR留萌線の支線である増毛線は2016年12月5日に廃止されていて、もう既に6年近く経っています。そして今、深川・留萌間も廃止の方向へと向かっているのです。来年は、留萌に来るのも鉄道では無理になるかもしれないです。
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ここは、映画「駅 ステーション」の舞台にもなった駅。高倉健さん倍賞千恵子さんが主演した映画です。健さんは、この映画で日本アカデミー最優秀主演男優賞を受賞。このころの健さんの映画は大人の渋みを出してかっこよかったです!
1981年の作品で、今から41年も前のことだから、若い人は分からないでしょうね。
ホームの奥の高台に灯台がありますね。後から訪れます。
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この建物、映画でも登場したもの。左は旅館「富田屋」、右は「風待食堂」。
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風待食堂は、観光案内所になっています。灯台は左の道を上がった場所。
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その前に、増毛の町を歩きます。いろんなところに時代を感じさせる建物があって、それを見るたびに興奮します。
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マンホールは、鮭ではなく「サクランボとエビ」。どうして?その理由は後に判明!
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灯台へ。こんな市街地の高台になぜあるのか?
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増毛港は、古くから北前船を迎えたりニシンの千石場所として栄え、現在では沿岸漁業や養殖漁業の基地になっているところ。1890年(明治23年)に設置され、今でも日本海を通る船に灯りを送っています。
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で港を振りかえると、確かに港に入る船には必要な場所であることが分かりました。遠くは留萌市やオロロンラインの留萌管内の北部。
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その後は、暑寒別岳への登山道がある道路の終点へ。海岸線の国道から山へ入ること15㎞以上。途中は、まさにヒグマのテリトリー。
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やって来ました。登山口まで。
昨年は暑寒別岳中腹の雨竜沼湿原へ行く予定で、ゲートパークまで行ったものの、ヒグマが出ているとのことで断念。今回も登山は単独だからしません。
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立派な山小屋。たくさんの登山者を迎える施設です。
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階段を登って行くのは冬に大雪が降るからで、5月20日の段階でも残雪がありましたからね。
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ここまでの道路です。両側からは、いつヒグマが出てくるかもしれません。そういえば、昨日は苫小牧市の自動車道でヒグマが出て通行止めになったそうです。自動車に衝突して熊は亡くなり、車は横転していました。怖いですね~。それも日中のことで、夜行性で夜に出るばかりと思っていたら大間違い。朝でも、昼でも出るのですよ。
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先ほどのマンホールに描かれていたサクランボ!増毛はフルーツの町としても知られているのです。
こちらは🍎リンゴ
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そして🍒サクランボ!
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さすがに、この時期は実っておらず農家さんから直接買おうかな?と思ったけど無理でした。
昔、6月に東北を旅した時のこと。山形県の農道を走っていた時、サクランボの野良の木を発見。実がたわわに実っていたのです。それが道路にも枝が出ていて、取れるのです。
幾つか食べたけど、美味しかったです。野良のサクランボの木があるなんて、さすがは山形県!

次回は、かつて道路がなく船でしか行けなかった秘境「雄冬」へ行きます。
では、また!

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8月5日金曜日、天気は午前中は曇り、午後から晴れ。気温は最高でも23℃くらいで、風もあり涼しい夏の日です。東北から北陸、関西にかけては警報級の豪雨でものすごい雨が降っていて被害も出ているのに、こちらは晴れているし暑さもなくのんびりと過ごしているのが申し訳ないくらいです。

さて5月の旅、5月19日の午後は妹背牛(もせうし)町から山越えして日本海側の増毛(ましけ)町へと。
ここは誰一人住んでいない暑寒別(しょかんべつ)岳連峰の山の中。その一つの最北にある信砂(のぶしゃ)岳(927.2m)には、まだまだ雪がたくさん残っています。
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増毛町の御料(ごりょう)地区へ。明治40年には信砂尋常小学校の分教場の校舎完成とあり、大正期には児童数55名もいたそうです(blog「日本の過疎地」から)。
それが離農により減少。しかし、戦後は引揚者などが農業をするために20戸70名が入植。大半が大阪府の出身者の方たちだったそうです。大阪の人たちにとって、この地の冬は相当つらかったはずです。
しかし、台風の被害や豪雪、さらには不便な地もあり次第に離農する人が出、小学校は1977年(昭和52年)に閉校。今は定住者はおらず、学校の跡地すら不明になっている地です。
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この辺りで農業をしていたのでしょう。平地が広がっていますが、草が繁茂していて建物の残骸も発見できない。左の道路は道道94号線の妹背牛・増毛線。
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途中で、「仁奈良山道・仁奈良駅逓跡」の看板を発見して驚いたのでした。
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読むと、大正時代から昭和の戦前までは、増毛から石狩へ出るには船を使うしかなく、山道としてここの道が使用されていたそうです。まさにヒグマの出没に戦々恐々の道。だから駅逓が設けられて、そこで人休みし、安心して石狩川を下り札幌方面へと向かったのでしょうね。
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で、19日は留萌市の黄金岬キャンプ場で車中泊。新設された留萌の道の駅に寄ったが、国道232号線の往来の激しい幹線道路だったから道の駅での車中泊は断念。海沿いの閑静なキャンプ場は正解でした。
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左端の白い車が自分ので、トイレは左と右の両方にあります。中央に水道と炊事場。
海のそばで道路があるが夜間はほとんどなし。主に釣り人が来ていて駐車している様子です。
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日本海沿いを南下して石狩市へと向かう途中です。まずは、留萌市の最南端、増毛町との境界辺りにあるニシン番屋
江戸時代から昭和の初めころまでは、江差から増毛にかけての日本海沿いはニシンが豊漁でしたからね。
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留萌でも、江戸時代後半の1840年から出稼ぎが解禁され本州からたくさんのヤン衆がやって来ます。
明治30年頃が最盛期で戦後の昭和30年まで、およそ100年間ほど「ニシン漁」は続いたのです。
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佐賀家という経営者の番屋で、1844年から113年間続いたそうです。
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あちらは倉庫でしょう。国道231号線沿いで留萌市の礼受(れうけ)という地区です。
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増毛町のエリアに入り、信砂地区で山の中へ。少し入った場所に閉校した信砂小学校がありました。木造校舎の素敵な建物で、体育館も木造建築物。でも、この地区には子供はおらず、人家も数軒のみです。
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そして増毛町の中心街に。まずは木造建築物の学校としては、道内でも知られている増毛小学校校舎。現在は使用されておらず、別な場所に新たな増毛小学校が新設されています。
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設立は1878年(明治11年)のこと。144年の歴史がある学校です。この校舎は、戦前の1936年(昭和11年)11月に建てられ、今では北海道遺産として道の文化財に指定されているほど。10年前の2012年まで実際に使われていたとか。
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現存する建築物としては、北海道最古にして最大の木造校舎の学校です。ただ、公開はしておらず特別なイベントの時だけ一般に公開するといいます。
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体育館がまた素晴らしい! 自分が子供のころの体育館は、こんな木造のものでしたが、次々と最新になり今では残っている木造体育館は数少ないでしょうね。
ただ冬は寒そう~!よく10年前まで平成生まれの子供たちが使っていたこと!
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最後は増毛町のマンホールを見たら、この魚ニシンではなく鮭ではないでしょうか?
ニシン漁で栄えたのに、どうして鮭を描いているの?
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 で、次回は全盛時代の建築物が多く残る増毛町を散策します。
では、また!

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8月4日木曜日、天気は朝からカラッとした夏晴れで、気温は最高でも25℃くらい。風があって、畑仕事をしていても爽やかで過ごしやすい天候です。
東北では、豪雨によって洪水などの被害が出ていて、過去に自分が旅した場所もあってとても気がかりですが、どうか皆さんご無事でありますように!と祈ります。

さて、芦別市の名物と云えば、この巨大な観音様。前回の三井芦別炭鉱から市街地へ戻り石狩川の支流である空知川を渡ると、すぐに見えてきます。
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ここは、とある宗教法人の敷地です。関係者以外立ち入り禁止なので、だから道路からズームで撮影。
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道の駅のある市街地からは、大きな橋で空知川を渡ってすぐの場所です。
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もっと、よく見える場所へ移動。少し高台になってて、見通しが良いところで撮影。高さは88mもあります。
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ここが出来たのが1989年(平成元年)のこと。名を北海道大観音と云ったそうな。まさに世はバブル真っ最中の時代。内部はエレベーターで最上階の大仏さんの胸の所まで行けるとか。展望台から眺めることが出来たそうです。
今は登れるかどうか?興味のある方は、お問い合わせしてみてはどうですか?
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見終わって道の駅「スタープラザ芦別」に戻り、川を挟んで撮影。手前の川が空知川。右には五重塔の見えていますね。
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橋と五重塔。
道の駅の敷地には「星の降る里 百年記念館」があります。郷土資料館で、確か料金200円ほどを支払い見学。芦別の歴史と炭鉱の歴史を学べて、とても良かったです。星の降る里とは、夜星がとってもきれいだからですが、曇り空でよく見えない。
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もう一度赤平市へ戻り(距離は芦別市の道の駅から西へ15㎞程)、777段の日本1のズリ山階段を登ります。下に見えるのは赤平駅周辺の市街地。
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階段は、1段ずつ数字がカウントされていて、777段という数字は気が遠くなるほどの数。最初は一気に400段まで上り詰めたが、そこで一休み。ベンチがあって、たいていの人はそこで休むのですね。
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頂上には展望台があって、ベンチもあるから休憩出来ます。見晴はそれほど良くはない。
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ズームすると、茶色の建物の赤平駅が見えます。駅だけではなく市の施設も入る総合的な建物。まっすぐ伸びる道は国道38号線。
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下に降りてきました。ここは広い駐車場があって訪問者も多いのでしょう。でも、登り人はいるのかな?北炭赤間炭鉱のズリ山で、それだけ不純物を捨てた結果山になった、ということです。
それを観光資源にするなんて、少しは偉い!しかも無料。
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虹の見える町 日本1のズリ山階段 777段  偏見と独断ですが、これ見て登るぞ!と思う人は旅人で、あきらめる人は観光客。その違い分かりますか?   
奥には、当時の炭鉱跡が見えています。
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その後は、「HO」を使って妹背牛町で温泉に入り、近くの道民のためのコンビニ、セイコーマートでかつ丼を買って、美味しく食べる場所を考えたら、この駅までやってきました。
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北一已駅です。無人駅ですが、駅のベンチに座り、外の景色を見ながら食べるかつ丼はとっても美味しい!
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ホームの向かい側は、まだ青々とした小麦畑でした。
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 ということで、この日はもう一つ見たい場所があって、そこへ行くことに。それは残雪がまだまだある暑寒別岳連峰の麓の廃村になった場所。それは次回で紹介します。

では、また!
 
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8月3日水曜日、天気は曇りで気温は最高でも25℃止まりだから、今日は涼しい天気になりそう。昨夜は警報級の豪雨で、今日も雨かな?と思っていたら朝からどんよりした曇り空で何とか雨は降らないようで、少しは安心。

さて、昨日は暑い日だったので8月に入り初めての畑での収穫をしました。今までも、ジャガイモ、トマト、きゅうり、サンチュなどは収穫していますが、暑い夏になった8月にはもっと、もっといろんな作物が採れるのです。
まずは、インゲン豆から。
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たくさん種を植えたのですが、大繁殖した紫蘇によって育たず。わずか3粒だけが育ちましたが、それが今大きく伸びて食べごろになりました。
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20cm台のが10個ほど収穫。
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たまたま妻が生協で買ってきたのがほぼ同じサイズで、250円。
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我が家の畑で採れたもので調理します。担当したのは自分ではありませんが。
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まさに、取り立て野菜の新鮮なご飯のおかずになりました。
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こちらが、大繁殖した紫蘇。青いのや赤いのが畑を埋め尽くしていましたが、大半はコンポスト行きの堆肥になりましたが、残りを料理に使います。
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紫蘇味噌や天ぷらにも使ったけど、たくさんの葉っぱはジュースへ。
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200枚以上の葉っぱを10分間茹でた後に、リンゴ酢と砂糖を加えて冷蔵庫で冷やすと、栄養たっぷりの紫蘇ジュースへ。夏はこれを何回も作って栄養補給と水分摂取。
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きゅうりも育っていて、1日に1本ずつ採れます。これは形がいびつだけど、美味しさは変わらず。どころか、とても新鮮。
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浅漬けにして毎日のように食べています。
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ビーツは、「食べて飲む点滴  」とも云わるほどの栄養がもっとも高い野菜ですが、これは今までボルシチや天ぷらなどに使っていたけど。野球のボール⚾くらいにまで大きく育ちました。
茎と葉っぱはおひたしに。
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実は、牛乳、ハチミツ、ヨーグルトを混ぜて、ミキサーにかけてスムージーにして、シャーベットに!それを冷凍。
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夏は、これで最強の夏バテ防止の栄養剤になります。
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ピーマンも、10個以上採れています。もぎたてを料理。
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炒めて、朝パンに挟んでサンドイッチに!美味しい!
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ブルーベリーも毎週100個以上採れます。
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これも、ヨーグルトや牛乳とともにミキサーにかけてスムージーにして冷凍。
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美味しいシャーベットになりました。
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他にも、毎日トマトが採れるし。
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これは、毎日食べるわけではないけど大きく育ったパセリ。
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というわけで、酷暑の続く8月は旅に出なく畑仕事に精を出しています。熱帯夜の夜に車中泊するのはあまりにもつらい!もう少し涼しくならないと車中泊は出来ないです。

では、また!

 
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8月2日火曜日、天気は朝から晴れで昨日の雨は何処へ行ったのやら?その代わり雨上がりで湿度は高いし時間とともに暑くなってきました。おそらくは30℃を超える暑さになることでしょう。

さて、炭鉄港を巡る旅は空知管内の北東に位置する芦別市へとやってきました。
前日は、赤平市の旧住友赤平炭坑を見学した後、「HO」を活用して芦別市の温泉に入り上芦別公園で車中泊。とっても素敵なキャンプ場でしたが、当日は自分ひとりだけ。やっぱり、5月18日頃だとそんなに道内を旅している人はいませんね。寒い季節だと思ってるからかな?

芦別市では、まずは三井芦別炭鉱跡を訪ねたかったので、最初に三井芦別駅跡へ。JR芦別駅から出て南へ4.1㎞の地点にある私鉄三井芦別鉄道の駅でしたが、1989年3月26日に廃止されました。
でも、駅舎は今も残っていて、現在は市内のリサイクル会社の社屋兼作業場になっています。
作業員の車が数台停まっていますね。
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となりを見たら、廃墟となった保育園がありました。子供たちは、どこにもいません。炭鉱跡は、せいぜい生活しているのは高齢者ばかりです。
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駅の裏には、「芦別祈りの家」が。プロテスタントの教会だった建物です。
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かつては炭鉱で働く人々の中でキリスト教徒になった方もいただろうし、ネットで検索したら子供時代にここで英語を教えてもらった、とコメントしている方もいました。
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前年に訪問した時には、窓には板がはめられていなかったけど、今年は赤、緑、黄色、青の板で覆われていますね。昨年は窓越しに中の講堂を見れたのですが。煙突も外れていて、しばらく使用されていないみたい。
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駅前通りを散策したら、ほとんどが廃墟となっていて愕然・・・。
もちろん、誰も住んではいません。コンクリート造りの3階建ての建物ですが、かつては賑わっていたのでしょうね。駅から降りてくる客が大勢いたから、商売も成り立っていたのでしょう。
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芦別市の人口のピークは、1958年の7.5万人。現在は1.2万人まで減少。6分の1まで減っています。
駅前の建物の中には、つぶされたものもあって雑草に覆われています。
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鉄道の終点だった頼城(らいじょう)地区へ行くために南下。芦別川と炭山川の合流する場所には、当時走っていたディーゼル機関車と貨車が橋の上に展示されています。炭山川橋梁という名の橋で、高さは32m、橋の長さは94m。
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この橋梁、造られたのは終戦直後の1945年(昭和20年)12月だったとは!
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きっと当時は、戦後の復興を支えるために石炭を増産し運搬するという大事な橋だったのです。
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さらに南下して頼成地区へ。やはり住民は高齢者ばかり。目に付いた建物はこの共同風呂。
炭鉱にはつきものの共同浴場です。炭鉱住宅にはお風呂がなかったから、住民みんながここで仲良く入浴したのでしょうね。
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住民に尋ねると、終点の頼成駅はこの先の突き当りにあった、といいます。駅前の商店は軒並みつぶれていました。でも車があるのは住んでいる証拠です。生活している家は、まずは家庭菜園を持ち野菜などを栽培しているから、庭がきれいに整備されているのです。
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国道452号線を挟んで東側には、芦別市立頼成小学校の校舎が今も残っています。
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広い芝生のグランドに、壊れたバックネットと使い古した体育館。
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グランドの向かい側には、頼成中学校の校舎が今も残っています。
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校舎は、何と煉瓦造りの建物。
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ただ、現在は星槎大学のキャンパスになっていて住民は使用できません。
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この学校、開校は1908年というから明治41年のことです。歴史ある学校だったのです。
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以前は、木造校舎だったのですが1953年(昭和28年)に火災で校舎は全焼し、それで耐火建築物の煉瓦造りの校舎となったのです。当時は石炭産業全盛時だったので、炭鉱会社は建築資金を十分援助したのでしょうね。何せ、旧財閥の三井だったのだから。
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レンガは、フランス式です。短い段と長い段が交互に繰り返されていますからね。
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先ほどの石碑の裏側には、学校の歴史が書かれていました。2002年に閉校しているから20年前のこと。それまでは、ここの煉瓦造りの校舎は使われていたのです。
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ということで、芦別市も炭鉱があった町でした。
次回は、赤平市へ戻り前日に行けなかった777段もあるボタ山に登ります。

では、また!
 
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8月1日月曜日、天気は夜半から雨で朝方は豪雨。その分、気温は低く最高でも25℃止まりらしいが、湿度が高く80%を超えていて除湿のエアコンを入れて過ごしています。

さて炭鉄港を巡る旅は赤平市へ!かつて最盛期には人口6万人近くを有した町も、今は1万人を切り9000人台となっていて、ここも石炭産業の衰退が町に影を落としています。
ここは、赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設と奥に見え旧住友赤平炭坑立坑櫓
ガイダンス施設は赤平市の地域歴史博物館で、炭鉱に関する資料200点余りが展示されていて、無料で見学できます。炭鉄港の幟と旗がありますね。
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で、今回はとなりの旧住友赤平炭坑立坑櫓をガイド付き有料で見学してきます。確か料金は800円だったと思いますが、たっぷり2時間近くにわたり丁寧に説明して下さり、炭鉱に関しての知識が理解できたのでした。この施設、2018年7月にオープンしたもので、炭鉱に関する施設としては比較的新しい施設。
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総勢20名くらいの見学者で、全員ヘルメット着用で行動します。もちろんマスクもして。
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元炭鉱マンの方による説明は、分かりやすいし丁寧に説明してくれてありがたい!
語り部は、三上秀雄さんで、親は道内で最古の炭鉱であった後志管内の泊村にある茅沼炭鉱で働いていたのです。1964年に閉山すると赤平へ移り住み、本人もやがて住友赤平炭鉱で働くようになったのでした。
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手前のレンチは、大きいのは重さ40㎏もあるとか。片手では持ち上げることは出来ず、両手でやっと持てたが使いこなすのは大変な作業です。
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立坑櫓は、現在でも赤平市のシンボル的存在で市内のあちこちから見える建物。1963年(昭和38年)に完成した櫓は、高さ43.8m、直径6.6mの巻き上げ機で、地下深く650mまで炭鉱マンを送っていたとか。一方で、採掘した石炭を引き上がることにも用いていて、その費用はおよそ20億円を投じていたそうです。
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それらはもちろん電力を使うわけだが、それは1600kw。だから石炭を燃やす火力発電装置も用意されていました。
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上に上がって櫓を見ます。地下650mまでのエレベーターは、72名の人員を高速で輸送するもので、当時は「東洋1」だった、といいます。この立坑櫓の完成により、それまで1日100万トンから倍の200万トンとなり、夜間はネオンが灯り赤平のシンボル的存在として親しまれていました。
しかし、残念ながら1995年(平成6年)に閉山することに。この辺りの炭坑としては最後まで残った存在だったのでした。
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下に線路が見えています。
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このエレベーターが高速で、秒速12m、時速にすると43.2mのスピードで地下深くまで下るのです。
日の見えない地下深くで作業するなんて、自分にはとっても出来そうもない。
当時、炭鉱マンの給料は一般のサラリーマンよりはずーっと良かったけど、それだけリスクも大有りという危険な仕事。
自分が中学生や高校生の時に、よく「落盤事故で大勢の人が亡くなった」という新聞記事を読んで、危ない仕事なんだな、ということを感じたことを覚えています。
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櫓での説明は40分ほど。初めて見るものばかりで、驚きの連続でした。
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櫓の説明が終わると、今度は車で5分ほどの場所へ移動して倉庫での説明に。
ここでは当時の最新機器について説明します。これは掘削器で、先っちょのドリルを見てください。
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キャタピラーで動きますが、動かすのは人。リモコンではありません。
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この爪で石炭を掘っていくのです。なんだか、最新兵器のロボットの手みたい。
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石炭を掘りだすと体中真っ黒になり、まずはお風呂へ行きますね。鼻の中も、口の中も、肺にも粉塵が入り決して体には良いことはありません。いや悪いことだらけですが、それでも仕事だから働いたのです。
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ここだけではなく、赤平市には他にも炭鉱があって、市自体が大きな炭鉱だったのです。
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この先にあるのも掘削する機械。
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チェーンはかなり頑丈な特別なもので、一般のチェーンはすぐに壊れた、といいます。
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エレベーターだけではなくこんな小さな物に乗り込み、体をかがませて席に着き窮屈な状態で地下深くまで潜るのです。
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これも掘削器。爪を高速回転させて掘削します。
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地球の異常気象の原因に、「石炭など化石燃料を使用し二酸化炭素を排出するからだ」報道されているけど、石炭はわずかで%換算では極々少数だそうです。今でも赤平市の地下深くには石炭は埋蔵されていて、掘ろうと思えば可能だと。ただ、海外からの安い露天堀りの石炭が輸入されている現状では値段に折り合いがつかないそうです。
安全性に関しては、今ではロボットによる掘削などで危険はほとんどない、とも。
ただ、今の時代は石炭の時代ではなくなってきていることは確か。

今回はいろいろと学べ、自分なりに勉強になりました。
次回はとなりの芦別市へと移動して炭坑に関して学びます。
では、また!

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