函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めた車中泊中心の「ぼうけんの旅」は今年で13 年目に突入。 車中泊の貧乏旅行の旅、今年で74歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 今年2026年も「ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです! 今年も「ぼうけんの旅」をよろしくお願いいたします。

2026年が明け今年は74歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!時々は自転車を積んでの軽バン一人旅の始まりです。

2022年10月

10月31日月曜日、天気は今日も秋晴れの快晴で、気温の最高で16℃と外出して散策するには持って来いの天候。空気が澄んでいるから、函館山からの夜景も本州の2つの半島がハッキリと見えているからバッチリでしょう。
昨日はプロ野球日本シリーズ、オリックス・バッファローズが優勝!素晴らしいピッチャーの中継ぎが何人もいて見応えありました。その前日の土曜日は、ラグビー日本代表が世界1の強豪チームであるニュージーランドのオールブラックスと善戦しましたが、見ていて興奮しました。
やっぱり、秋はスポーツの季節!これからラグビーシーズンでもあるので、テレビを見るのが楽しみになります。旅に出れない間は、スポーツで満喫!

さて、ここは上川管内の南富良野町。根室本線の幌舞(ほろまい)駅と書かれていますが、実際の名前は幾寅(いくとら)駅。映画「ぽっぽや」(高倉健主演)の駅だったところです。
IMG_0665

























駅前には、映画で使用されたロケ場所の「だるま食堂」などがあり。
IMG_0666

























駅舎内には、映画のビデオや資料が展示しています。無人駅で、ホームに立つとラベンダーが満開で、とてもいい雰囲気です。
IMG_0667

























時期は7月13日で、道央の富良野地区ではラベンダーの紫色の花を開いていて、まさに花の季節です。
IMG_0668

























ところが、ホームから見た線路は錆びつき、レールは草ぼうぼう。列車が走っていません。数年前の土砂崩れでJR北海道は線路を修理せず放置したままで、そのままこの路線を廃止へと持っていくみたい。とにかくJR北海道は、赤字路線はすべて廃止し、維持するのは札幌圏と新幹線のみにしたのです。
IMG_0669

























このまま行ったら、道内の鉄道路線はほとんどが消え去るのみで、旅するなら車でどうぞ!と云っているのようなもの。鉄道はないですよ!と。
IMG_0670

























根室本線の鉄道が滝川駅から来ているのは、西隣の駅である「東鹿越駅」まで。その一つ東の「幾寅駅」へは通じてないのです。
そこで、その東鹿越駅へと向かいました。幾寅駅から西へ4㎞程。
IMG_0672

























たまたま列車が来ていて待機中。電車ではなく、ディーゼル車ですね。
IMG_0671

























ここも無人駅だからホームへ向かいます。
IMG_0675

























列車には「東鹿越ー富良野ー滝川」とありますね。つまり、ここが終点でとなりの幾寅駅へは行っていないのです。だからこの先にある「幾寅駅」とさらに東の「落合駅」は廃止し、レールも撤去されるのです。ついでに、赤字だからと根室本線の滝川駅と新得駅の間を廃止して、帯広や釧路へは千歳からトマムを通過する石勝線にする予定みたい。
IMG_0677

























ホームには、「石灰石」が置かれています。ここにはセメント工場があって、近くの山では石灰石が採掘されています。
IMG_0676

























マンホールは、カヌーと南富良野の文字。周囲の花はラベンダーではなく、何の花だろう?
IMG_0674

























実際、駅と道路を挟んで北を見ると湖が見えます。ここは人口湖のかなやま湖
IMG_0673

























で、次回はこの人工的な湖である「かなやま湖」へと向かいます。
今日で10月は終わり、明日からは11月。2022年もあと2か月余り。あっという間に月日は過ぎていくもので、自分も旅できるのはあと9年と勝手に考えていて、80歳には運転免許証を返納しようと!もっとも、それ以前に事故を起こしたら返納する!ことを決めているから、無事故で残りの9年余りを日本全国くまなく旅したいな!と。
そのためには、体力と気力。資金力は何とか年金生活で賄っていますが、それに少しの個人年金と蓄え。それでも野菜は家庭菜園で何とか確保していて助かっていますが。
やっぱり、体力です。毎日の体操とストレッチ、筋トレとウォーキングで1日最低でも1時間の運動。
気力は十分ありますが。

そして、2013年2月から9年間続けてきているblog「函館発ぼうけんの旅」も継続していきたい!と。そのためには皆さんの応援もよろしくお願いしたいです。

では、また!

にほんブログ村 ランキングに参加しています。よろしかったら応援クリックお願いします。  

10月29日土曜日、天気は。
前回は、十勝管内の浦幌町にある浦幌炭鉱跡地を見学しましたが、浦幌炭鉱と姉妹関係にあったのが、一山超えた先の釧路管内の尺別(しゃくべつ)炭鉱跡地です。
かつては根室本線の尺別駅もあり、駅前には商店街や住宅街もあったけど、今は廃止されていて駅前は廃屋だらけで住民の姿はありません。
その駅前から山中へ入ること10㎞程で、とある石碑発見!
尺別炭鉱閉山30周年とあります。旧音別町にあるのですが、今は釧路市へ吸収されている地域です。
IMG_0652

























昔は賑やかだった場所も、閉山後は誰も住む人なく石碑があるからその存在を知るのみ。
大正7年10月に炭鉱が開枯れれた、と書かれています。1918年のことです。その後は浦幌炭鉱と連携して増産に励んだと。しかし、昭和19年には一時操業を停止し、終戦間近には旧阿寒町の雄別炭鉱に一本化、1945年(昭和20年)5月には閉山に至った経緯があります。だから、閉山30周年とは1975年(昭和50年)のことでしょうか。
IMG_0651

























舗装路がある場所に、昔の鉄道があったことを示す建築物があるのみ。
IMG_0655

























舗装路が途切れてからは、どろどろの砂利道へ。それも水たまりが、というよりは泥たまりの道へ。
IMG_0653

























この辺りに炭鉱跡があったのか?その存在を示すものはまったくなく、これ以上進むのは危険と判断しここで引き返しました。泥の中でスタックしても、ここは携帯電話の圏外で何かあったとしても通じないですから。
IMG_0654

























その後は、再び十勝管内に戻り一気に西へ。ここは鹿追町。一面の小麦畑です。小麦の国内生産は十勝がほとんど。ここは日本1の小麦産地です。
IMG_0656

























こちらは一見すると笹のように見えるけど、見渡す限りの豆の種類の畑です。
IMG_0657

























鹿追町の道の駅で車中泊して、翌朝新得町の旧根室本線跡へ。ここは以前、国鉄三大車窓狩勝峠の駅だったところです。
IMG_0658

























新内駅とありますね。現在は別ルートの路線があって、今は使用されていない駅。今は公園になっています。だから、蒸気機関車が展示されていますが、観光客も来ないのか?蜘蛛の巣が張られていますね。
IMG_0659

























1907年(明治40年)に信号所として開かれ、2年後に駅として開設されています。駅周辺に50戸ほどが入植し、最盛期には200戸余りが居住。駅の乗降客も1日に100人ほどいたとか。
しかし、別ルートの路線が完成して1966年(昭和41年)に新内駅は廃止されたのです。
IMG_0660

























場所は、新得町から国道38号線を北上して狩勝峠への道を進んで5,6㎞程で左折して公園へ入った場所です。ここは清潔なトイレもあるし、国道からは離れていて閑静だし車中泊に向いています。
次来る機会があったら、是非とも車中泊したいな!と思った場所でもあります。
IMG_0661

























NHKの朝ドラの舞台が作られていますね。十勝が舞台、主人公の柴田牧場があって、確か「なつぞら」でしたね?
IMG_0662

























客車もあって、こちらはホテルになっているのかな?
IMG_0663

























鹿が迷い込んでいました。そういえば、このところエゾシカの交通事故被害が多いですね。特に道東はエゾシカが多数いて、薄暮時や夜間に車のライトめがけて突っ込んでくるのだから危険です。先日も志望者事故が起きています。エゾシカは全道に70万頭以上いるとか。ハンターの高齢化が進んでいて、狩猟が困難とか。農業や林業の被害もかなりあるのです。
エゾシカ、可愛い顔をしているから保護しよう、という意見もありますが、実際には被害が甚大で特に夜間の車に飛び込んでくるのは危険極まりないのです。やはり、ヒグマ同様に駆除が必要なのです。
IMG_0664

























ということで、この後は上川管内に入り南富良野町へと進みます。
では、また!
にほんブログ村 ランキングに参加しています。よろしかったら応援クリックお願いします。  
 

10月28日金曜日、天気は晴れ。でも夕方からは雨の予報。気温は昨日よりは暖かく上着1枚少なくても過ごせます。

さて、ここ十勝管内の浦幌町の山奥にある旧浦幌炭鉱。山間部で行き止まりの道の末端にあった炭鉱跡地。最盛期には3600人以上が生活していたが、現在は住民ゼロ。人工的な建築物などは廃坑後70年以上経過して、草木の中へと消え去り今は自然そのもの。
この写真は、商店街の全景と長屋です。多くの炭坑従業員が住んでいたのです。商店街もあったし、その中には食堂、理髪店、美容院、自転車屋、薬屋などもあったことでしょう。
IMG_0632

























昭和23年以降の炭鉱地区の地図を見ると、鉄道も走っていたし長屋がたくさんあったことが分かります。
IMG_0633

























今でいうスーパーマーケットに相当する購買会には、多くの商品が陳列しています。炭鉱が栄えて会社も資金たっぷり!大量に仕入れて安く販売していたのでしょう。
以前、留萌管内の羽幌町の羽幌炭鉱跡地を訪ねた時、購買会では世間よりもずっと早く昭和30年代前半には種の神器を迎えていたとか。それは何か?というと、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫
電化製品がバンバン売れてたのでした。
IMG_0634


























IMG_0635

























水道も整備され、電気だっって自前の石炭を燃やして自家発電していたのですから。
IMG_0636

























中学校の前では、鉱山で働く人々が運動会で仮装大会をして写真です。昭和30年代第1次ベビーブーム(戦後直後の昭和20年代前半生まれ)の子供たちは、昭和30年代には中学生となり校舎も増築されて1クラスに50人も詰め込んで、教室が生徒であふれるような事態だったのですから。
IMG_0637

























昭和14年に建設された協和会館は、いわば鉱山労働者への厚生施設として建てられた劇場(映画館)です。鉱山では、昔よく建設されたのです。
自分が旅して知った中では、秋田県小坂町は戦前日本最大の銅鉱山だった時代に演劇場が建てられ、それは今でも活用されているし、道東紋別市の鴻之舞鉱山、1973年に閉山されるまで金の生産日本1だったことも。そこにも2500人以上収容出来る大型劇場があったのです。(現在はありませんが、上藻別の旧駅逓が資料館になっていて、写真で見ることが出来ます。)
など、全国各地に鉱山町には劇場があったのです。
IMG_0638


























IMG_0639


























IMG_0640

























少し離れた場所にあった「浦幌炭鉱の歴史」を紹介する看板です。
昨日紹介したトンネルは、山を越えて釧路管内の尺別まで通じる予定だったようです。実際、尺別炭鉱とは姉妹関係だったとか。
実は、この後に尺別へ行く予定ですので尺別炭鉱のことは次回で触れることにします。
IMG_0641

























これが炭鉱労働者が生活したアパート。今は崩壊寸前。
IMG_0642

























1954年(昭和29年)に閉山しているから、その後68年経過。コンクリート製の建物は草木に覆われ、数年後には見えなくなることでしょう。
IMG_0643


























IMG_0644

























北海道の炭鉱はこのようにほとんどが消滅し、町も消えていきました。道内各地にあった炭鉱。
そこに住んでいた人達は何処へ行ったのか?多くは働く場のある道都の札幌市へと。札幌市が急激に人口が増加するのは昭和30年代から40年代、50年代、一気に100万都市となり、今では200万都市へと発展していますが、それは道内の炭鉱が潰れ、そこで働いていた人々が札幌へと移り住んだからなのです。
IMG_0645

























帰り道、深緑色の池とは別な場所でまた違った池を発見!
IMG_0646

























こちらは、川を渡ったところにあるので、ズームして撮影。長靴があれば渡って行けたかも?
でも、危険もありますからね。それに、ここはヒグマのテリトリーだから単独で歩くのは危険すぎる。
IMG_0647

























それにしても、池の中に立っている埋没林は100本以上あります。幹は枯れていて枝にも葉っぱはなく、ただ立っているだけ。まるで野付半島のトドワラを思い出します。
IMG_0648


























IMG_0649


























IMG_0650

























ということで、次回は山を越えて釧路管内の尺別へと向かいましたが、それが大変な道だったのです。雨の中、舗装されていない道はドロドロになっていて、ぬかるんでいるし道幅も狭く、もし対向車が来たら?と思ったけど、誰も来る人がいない地区だからその心配はなかったです。

では、また!

にほんブログ村 ランキングに参加しています。よろしかったら応援クリックお願いします。  

10月27日木曜日、天気は晴れですが気温は最低で3℃と朝はかなり寒い。数日前に今季初霜と初氷を記録してから毎朝冷え込んでいるけど、昼間は暖かく暖房を入れているわけではありません。でも、陽の当たらない家では、日中でも寒いから石油ストーブを焚いていることでしょうね。
幸い我が家は日中太陽が当たり、そのおかげで夜も暖かくて暖房費がかからずずに済んでいますが、石油を使用する家では、今年の灯油代高いから家計費がキツイはず。灯油1リットル100円を越えていて、中には120円という地域もありますからね。

さて、ここは十勝管内の浦幌町。町の市街地からはさらに北へ20㎞以上も山の中へ入った浦幌炭鉱跡地です。何もなくなった炭鉱跡地ですが、どなたかが昔、最盛期の頃の写真を説明板に載せて紹介下さっていたので、それをお見せしようと。
ということで、今日はこの板の説明板がほとんどのblogになりますのでご了承下さい。
まずは、尺浦隧道から。昨日の鉄道が走っていた頃、コンクリート製の壁がまだ残っていましたね。
それがこのトンネルのことではないでしょうか?
電気による鉄道が走っていますね。上にあるのは電線ですからね。下にはレールがあって、電気機関車による石炭運搬がされていたのでしょう。
IMG_0612

























続いて、メーデー、つまり5月1日の労働者の祭りの日。多くの鉱山労働者がデモ行進をしていますね。商店街には多くの人々がいたことが分かります。
今は、人の気配はまったくなく自然の姿が100%。ヒグマのテリトリーとなっていて、カメラを写している時でもおっかなびっくり!
IMG_0613

























山神社のお祭りの風景。でも、どこに神社があったのか?鳥居を探しても何処にも見当たらない。
それにしても、随分と人がいたんですね。
最盛期の1950年、今から72年前ですが、当時の人口は3600人を越えていたというんだから、この辺りは一つの町だったのです。たくさんの人がお祭りに参加しています。
IMG_0614

























山神社の社」とありますが、背後は鬱蒼とした森です。70年もの間に周囲は自然に戻ってしまったのでしょう。
IMG_0615

























神社の階段も何も見当たらりません。
IMG_0616

























病院の正面玄関とありますが、右側にコンクリート製の柱跡があるのみで、ここに病院があったなんて、とても信じられません。
それにしても、70年前までここが石炭採掘で栄えていた町だったとは!栄枯盛衰とはこのことですね。
IMG_0617

























なお、看板の右下にあるウォーク姿の絵は、ここが道内トレッキングコースになっているからです。
でも、こんなヒグマの出没する地域を単独で歩くのはちょっと怖い!
IMG_0618

























購買会とは、今でいうならスーパーマーケットみたいなもの。様々な商品が安く手に入る店です。炭鉱町では組合や会社が用意してくれていたのです。市街地まで20㎞以上離れているから買い物には行けない。そこで、地元で買い物できるようにと、このような建物を造り住民にサービスを提供していたのです。
IMG_0619

























共同風呂は、各長屋に風呂はなかったので、大きな誰でも入れる浴場を造っていました。お湯は当然タダで手に入る石炭。川の水を利用すれば、ふんだんに手に入るし、後は水から湯にするだけ。
IMG_0620

























この辺りは炭鉱住宅街。共同風呂も幾つかあったのです。3600人分の風呂だと、数か所造らねばいけないですからね。
IMG_0621

























浦幌町の役場の詰め所もあったようですね。当時の町の人口の半分はここでしたから。
IMG_0622

























当然お寺もあったでしょう。亡くなった人もいたし、そのお墓もあっただろうし、お寺も一つだけではなく各宗派のお寺があったことでしょう。
IMG_0623

























雨は止むことなく降りしきっています。道路はグジャグジャになり、砂利道はドロドロに、車は汚れるけど仕方がない。好き好んできているのだから。こんな観光地でもない場所に来る人、自分ですが、好きでないと来ないですね!
IMG_0624

























独身寮もあったんですね。小学校も。当然戦後ですから中学校もあったはず。
IMG_0625

























教員は、教員住宅に住んでいたはずです。アパートなどは無かったし、生活するには自治体側が住居を用意しなければいけません。校長は学校の片隅にある校長の住宅で暮らしていたはずです。
IMG_0626

























第一次ベビーブームの時代で、子供たちは大勢いたはずです。当時を想像すれば相当にぎやかだったと思います。
IMG_0627

























この写真を見れば、校舎に教室が10部屋ほどあったから、2クラス6学年で12教室はあったと思われます。それと真ん中に体育館か?左側の校舎は2階建て。2階からの避難階段も外に付けられています。
グランドも広く、運動会は町挙げて行われていたのでしょう。
IMG_0628

























川から望む小学校とありますが、川の向こう側は平坦ではありますが、建物があった場所とは全く想像が付かないです。このような説明板があるから想像出来るけど、何も知らずに来ていたらただの森にしか見えないでしょうね。
IMG_0629

























川も流れを変えて好きなように流れています。人工的な堤防がないから自然の流れそのもの。豪雨の時は強力な力で流れを変え、まっすぐなコースを選びます。緩やかな時は蛇行してゆっくりと流れます。
それが自然の力。だから、当時の川の流れとは全然違っていると思われますが。
IMG_0630

























本当に自然の流れに任せていますね。雨は降っていたけど、それほど強い雨ではなく傘を差さなくても良いくらいの雨。でも、大雨だとここには来れなかったでしょう。道路も軽自動車では走れなかったのでは。
IMG_0631

























 ということで、浦幌炭鉱跡地の旅はまだまだ続きます。
今回は、説明板が多くて、その背後の自然だけしか見えず、あとは見る側の想像に任しますが、70年も前にここに炭鉱町があったことは確かだったのです。
ここも「消えたマチ」の一つでした。

では、また!
にほんブログ村 ランキングに参加しています。よろしかったら応援クリックお願いします。 

10月26日水曜日、天気は今日も快晴で気温は最低気温は4℃、最高気温は14℃。このところ毎日のように晴天が続いていて、旅するなら最高の天気になっていますが、早朝はグッと冷えているので車中泊するには冬用の寝袋を用意するとか、相当の覚悟が必要です。

さて、ここは十勝管内の本別町の高台で、中央に見えるのは本別町の市街地。下は小麦畑です。
前回の旧阿寒町から西へ移動して十勝へ。本別町のキャンプ場で車中泊して、この日は浦幌町へと行く予定です。
IMG_0597

























本別町は豆の町としても知られていて、町内には広大な畑が広がっています。十勝管内の町、例えば足寄町や陸別町、本別町などは47都道県の最少の面積の香川県や大阪府、東京都などとほぼ同等の面積があるのです。それに比べたら人口は1000分の1以下で、人口密度は1㎞四方に数人程度。いかに広大な農地があるかが分かります。
IMG_0598

























市街地をズーム。自分が車中泊したキャンプ場は右奥の山の陰。無料で宿泊できるし、10分100円のシャワーもあるから大助かりです。
小麦畑は黄金色に色づき、もうすぐ収穫の時期。この日はあいにくと天気は悪く雨が降っていました。
IMG_0599

























本別町から道道56号線を南下して浦幌町の常室で東へ。次に道道500号線を山間部へと向かいます。途中で一休みしていたら野良猫が登場!こっちに近づいてきました。我が家で猫を飼っているから、猫の匂いがするのかな?
IMG_0600

























舗装路を走ること数キロで深緑色の池を発見!池には何十本の裸の木々が立っています。
IMG_0601

























道路のすぐそば、広さは幅は100mほどか?奥行きは数十メートル。多分50mもない。
IMG_0602

























路面は濡れていて天気も曇っているから、とても幻想的な風景です。これが太陽が顔をだしてカラッとした暑さの晴天だったら、どんな色の池だろうか?
IMG_0603

























何とも不思議な光景です。美瑛の「青い池」よりも衝撃的な風景かも?
IMG_0604

























そばを流れる川は自然の流れ。人工的な堤防はありません。
IMG_0605

























雨は降ているけど、流れはきつくない。この辺りはヒグマの出没地域で、鈴を鳴らしホイッスルを吹きながらの行動です。いつどこからでも出てきそうで、怖い!
IMG_0606

























舗装路が途切れて砂利道へ。雨で水たまりがところどころに出来ていて、走るたびに車は汚れる。
数キロ進むと、浦幌炭鉱があった場所へ。
まずは、行き止まりまで進んでみようと思い、雨でぬかるんだ砂利道を走り突端まで行きました。
今は草木に覆われていてここに人が生活していたなんて想像もつかないが、かつて幹部職員の住宅があった場所だったのです。
IMG_0607

























この橋を渡ったところで行き止まり。道は木々でふさがれていて通行は出来ません。
ここ十勝の浦幌町にある浦幌炭鉱は、今から127年も前の1895年から採掘が始まっている歴史があります。一時閉山時代もあったが、1933年に再び採掘開始し掘った石炭は馬車で、20km以上離れた根室本線の浦幌駅まで運ばれていたのです。
IMG_0608

























この橋の上を歩く大勢の鉱山労働者たち。多くの人が働いていたのです。橋は今はコンクリート製ですが、この当時は木造ですね。戦後の1948年には従業員は500人以上、生産量は22万トン。その2年後の1950年はこの辺りの町の人口は3600人を越えていたといいます。
IMG_0609

























常室川に架かる鉄橋があったのは、石炭を運搬するのに戦後に鉄道が敷設されたから。
IMG_0610

























こちら側は草で覆われてしまい、コンクリートの壁は全く見えないです。
道道500号線の看板も錆びついているけど、この道を通行する車なんてないから利用価値はないでしょうね。この先行き止まりの道へ誰が好んで走るのか?それこそ訪問者は廃墟マニアか浦幌炭鉱跡を調べたい人くらいでしょう。
IMG_0611

























結局、ここ浦幌炭鉱は1954年(昭和29年)に閉山されたのです。
 次回は、ここ行き止まりから戻りながら当時をしのぶ説明板があったので、それを紹介したいと思います。
深い森の中、誰も通らない道、降りしきる雨、舗装されていない道、人里離れた炭鉱跡地、そんな場所に誰が設置したのか当時の写真付き説明がたくさんあったのです。

では、また!
にほんブログ村 ランキングに参加しています。よろしかったら応援クリックお願いします。 
 

10月25日火曜日、天気は晴れで気温は朝6時の段階で5℃。でも快晴の空模様は昼間は12℃まで上昇する見込みです。昨日は最低気温が4℃で、函館では今シーズン初の霜と初氷が観測されました。ニュースを見たら遠軽町では雪が降っていて驚きでしたし、実際高い標高の峠では道路も雪道へなっていて、まさに冬化粧した道内でした。もっとも全国的に寒かったようでしたが。

さて、ここは旧阿寒町にある道の駅の裏側の郷土資料館「炭鉱と鉄道館 雄鶴駅」。無料で見学できますが、道の駅からは歩いて5分はかかるのでほとんどの人が来ない建物。せいぜい近くのキャンプ場利用者くらいでしょうしょうか?もったいない施設です。
IMG_0580

























内部へ入って見ましょう。雄別炭鉱が全盛時代、1960年代の写真です。石炭がエネルギーとして使われていた時代のことです。確かに、私が覚えているのは小学校(1958年~1964年)の頃は石炭ストーブだったし、中学時代(1965年~1967年)、高校時代(1968年~1971年)も石炭ストーブが焚かれていましたからね。自宅でも石炭ストーブでしたし。
IMG_0581

























雄別炭鉱は、阿寒町の市街地からは北へ10㎞以上の地域で、鉄道が敷かれていたのです。今は廃止されていて、バスの便すらない地域。人形のおばさんたちが暖まっているのも石炭ストーブの、通称「だるまストーブ」ですね。
IMG_0582

























この資料館で学んだ後に、雄別炭鉱のあった場所へ行きましたが、そこはヒグマのテリトリー。あちこちに「ヒグマ出没中」の看板がありましたから。
IMG_0583

























1920年(大正9年)から開発された雄別炭鉱、閉山は1970年(昭和45年)のことだから、50年間炭鉱があったのです。半世紀にわたって石炭が掘られていたんですね。
IMG_0584

























その地域にも資料館がありました。以前来た時は、休館していて見学できずで、今回はやっと見ることが出来たのです。
IMG_0594

























消えたマチ 雄別の記憶 歴史資料室 とありますね。この地区を車で走ると住民はいますが、ただ廃屋になっている家が目立つし、住民が歩いている姿がないのです。でも、わずかに生活してる方たちがここの資料室を運営して下さっているのですね。ありがたいことです。
IMG_0595

























ここは無料で見学できます。ありがたいことですね。
内部は、ものすごい写真で埋め尽くされています。大勢の人たちが働いていたのだから、当然町も活気があったし、病院まであって商店街もあったのです。
ウキペディアで調べたら、閉山時(1970年2月)でも3737人の作業員がいたとのこと。前年の爆発事故で作業を中止して閉山。あっという間に一つの町が突然のように姿を消したのだから、「消えたマチ」のネーミングは、まさにその通りなのでした。
IMG_0585

























ここの病院では、医師にして後に小説家となり、「失楽園」「化身など恋愛小説で一大ブームを巻き起こした渡辺純一(1933~2014)氏も働いていたことがあったのです。
IMG_0586

























小学校も中学校もあったし、多くの子供たちもいたのです。
IMG_0587

























高校まであったのです。左側の阿寒高校の布伏内時代。
IMG_0588

























江戸時代には、松浦武四郎まで来ていた(1858年3月25日)、とは! 布伏内とは、ここの地区名の一つです。
IMG_0589

























これを見ると、道内には各地に炭鉱があって1970年代まで炭鉱町として栄えていた時代があったことが分かります。でも、エネルギー革命によって、それらの町はあっという間に消滅して人口が大きく減少し、中には消えた町もあったのです。夕張などは何度も訪れていますが、最盛期には人口12万人、それが今では7000人を切っているのだから。
IMG_0590

























雄別鉄道はバス会社まで持っていたんですね。
IMG_0591

























阿寒町は現在は釧路市へ吸収されて合併。旧阿寒町市街地は釧路市街地から北西に20㎞ほど離れた位置にあり、道の駅「阿寒丹頂の里」は市街地の北、国道240号線沿いにあります。雄別炭鉱跡地はその阿寒町市街地からさらに北10㎞ほどのところにあります。道道222号線を北上していくと、今でもその跡地を垣間見ることが出来るのです。
IMG_0592


























IMG_0593

























立派な学校校舎も残っていますが、子供たちがいないのです。住んでいるのは高齢者がほとんど。それが炭鉱だった地の現状です。
IMG_0596

























ということで、次回も炭鉱跡地を訪ねます。それは十勝管内の浦幌町。浦幌と云えば、今は冬期間十勝川が太平洋に注ぐ海岸線で見られるジュエリーアイスが有名ですが、かつては炭鉱もあったのです。

では、また!
にほんブログ村 ランキングに参加しています。よろしかったら応援クリックお願いします。 
 

10月24日月曜日、天気は快晴ですが気温は朝の最低が4℃とかなり冷え込み、最高でも14℃までしか上がらず冬の訪れを感じる1日になりそうです。
20日夜に帰宅後、荷物の整理に追われさらには昨日23日には函館でお世話になった教会の牧師先生が87歳で亡くなり、その召天式があったので終日関わっていて慌ただしく過ごした日となり、ここ数日blog作成が出来ませんでした。
今日は、スケジュールは何もなくのんびりと過ごせそうなので、夏の旅の残っている写真を基に紹介していきたいと思います。

まずは、屈斜路湖で湖畔周辺の湧き出る自然の温泉に入った後の和琴半島から。
IMG_0562

























広い駐車場は無料で車中泊出来ますが、湖畔沿いのキャンプ場は数千円のキャンプ場使用料が徴収され、首都圏並みの高額料金が設定されているのにビックリです!
北海道で首都圏並みのキャンプ場料金を徴収するなんて、恐らく道民はほとんど利用しないでしょうね。せいぜい500円程度で、無料のところが多い北海道のキャンプ場で数千円は法外もいいところです。それでも利用しているお客さんがいて、多分首都圏から来ている観光客なんでしょうね。
IMG_0563

























カルデラ湖の屈斜路湖から流れ出る唯一の河川である釧路川。この辺りは流れがキツイ。
夏場は、よくカヌーで旅に出る人がいるんですよね。
IMG_0564

























釧路川の釧が消えかかっていますね。
IMG_0565

























ここが出口。遠くに和琴半島が見えますが、半島はもともとは島。カルデラ湖の屈斜路湖が形成された後に再び噴火しその火口が島となります。それが左側の山の扇状地から土砂が流れて島と結合して陸繋島となったのです。だから、ここは「小さな函館」みたいな地形です。
IMG_0566

























ズームすると分かります。中央の小高い山は高さにすると100mほど。一周散策路がありますが、時計回りにすると楽ですが、反時計回りだと急激な登りの坂があってかなりキツイ!時計回りだと緩やかに登り、急な下りが待っているのです。一周遅くても1時間ほど。
写真、左側に前回27回目の時に入浴した屋根付き無料温泉があります。
IMG_0567

























この日は、屈斜路湖畔の砂湯にあるトイレ付駐車場で車中泊。和琴半島は数十台の車が車中泊していましたが、砂湯は自分を含めて2台だけ。とても静かな夜を過ごしたのでした。
翌朝、屈斜路湖から南へ40㎞ほどの標茶町へ。「しべちゃ」と読みます。
そこの北海道遺産に認定されている「北海道集治監 釧路分監本館」へ。
IMG_0574

























内部は無料で見学できます。この建物、1885年(明治18年)に建てられたもの。その16年後の1901年(明治34年)に廃止されましたが、その後しばらくして標茶農業学校(現在の標茶高校)の庁舎として利用されていたのです。
内部を見ましょう。ここは、何と校長室だったとか。随分と立派な部屋だこと!
IMG_0568

























集収監とは、今の刑務所のこと。もちろん、ここは囚人たちのいる部屋ではなく職員庁舎だった建物です。
IMG_0569

























釧路分監といっても、釧路市からは20㎞以上も北にある地の標茶。北海道の集治監は、刑期10年~15年及び無期懲役の男性受刑者を収監する刑務施設だったのです。
明治初期の頃、武士の身分廃止による不平士族の反乱、自由民権運動により多くの国事犯が生まれます。つまり、それはほとんどが政治犯です。そして首都圏から遠く離れた流刑地としての北海道に重罪犯として連れてこられたのです。
IMG_0570

























日本国内では長期受刑者が急増して、1881年(明治14年)に樺戸集治監(現在の月形町)、翌年に空知(三笠市)、4年後に釧路(標茶町)を設置しています。
IMG_0571

























ここ標茶での受刑者は、屈斜路湖付近の硫黄山(アトサヌプリ)で硫黄鉱山での採掘、農地開墾など過酷を極まる重労働を強いられていたのです。
IMG_0573

























標茶町は、ここが発祥の地。標茶は、集治監の城下町として栄えたのです。
IMG_0575


























IMG_0576

























もちろんリノベーションをしていますが、当時の建物を復元していて、明治の時代の洋館建築物として北海道遺産の一つになっているのです。下見板張りの木造2階建て、上下開きのガラス窓。
右端を見ると、奥の建物はフェンスがしていて内部は工事中。
IMG_0577

























それは、旧塘路駅逓所でした。残念ながら工事中で内部は見学できず。
IMG_0572

























ここは標茶町の市街地から南へ20㎞程行った場所で、塘路湖(とうろこ)という釧路湿原の中の湿地帯が湖となったところです。
IMG_0578

























地図を見ると、周辺にはいくつもの湖があって、釧路川が湿原地帯を流れ太平洋へ注いでいる途中で土砂の流入などで堰き止められて湖を形成しています。
ここはキャンプ場で、2年前にはここの駐車場で車中泊していて、ここもとても閑静な場所です。
IMG_0579

























ということで、この後は東へ40㎞程走り、旧阿寒町(現在は釧路市に吸収されていますが)の山奥でで、是非見学したかった施設へと向かいます。
では、また!
にほんブログ村 ランキングに参加しています。よろしかったら応援クリックお願いします。 
 

10月21日金曜日、天気は午前中晴れだったが、午後からは曇りへ。気温は日中は20℃を超えて動いていると暑いくらい。
青森よりは函館の方が暖かい感じがするのは、きっと海に囲まれているからでしょう。
東北では内陸部の盆地になっている地では、昼間暑くなっても朝方は放射冷却現象で寒くなるからで、1日の寒暖の差が大きい。それに比べると、三方を海に囲まれている函館は寒暖の差が少ないからだと思うのですが。

さて、自宅に帰りゆったりと自分のベッドで寝た翌朝、いつもの習慣で朝は6時起き。
6時前には起床していましたからね。
そんな旅の疲労も残っているのに、久しぶりに畑の手入れを行ったのです。
まずは、収穫したミニトマト。大盛りあったのに半分食べてしまってからの撮影でした。たくさん取れたのです。
IMG20221021152856
やっぱり寒くなっているからか、伸びの具合は無理で、あとは残りものだけか?
IMG20221021153026
ピーマンは、2本だけしか植えなかったけど、1本からは数十個も採れるのです。
IMG20221021153002
左のも実がなっていますね。今後も期待できそう。
IMG20221021153008
ターサイはあちこちで成長。寒さに強いのでしょうね。小松菜は、ほとんど収穫して冷凍保存しているとか。
IMG20221021153045
2度目のサンチュは、やはり寒さのせいで伸びが遅い。葉っぱが15cmほどしか伸びていない。それでも、パンに挟んで食べれるからちょうどいいかも?
IMG20221021153050
ミョウガがもう採れません。今年は200個以上収穫したから十分です。
IMG20221021153141
庭の花々を見ましょう。
ガザリアは、まだ咲いています。
IMG20221021153213
ナスタチュームも。オレンジ色と赤い色の二色の花。
IMG20221021153219
寒くなって咲くのが、リンドウ。これから開花しますね。
IMG20221021153232
シュウメイギクは、まだまだ咲きます。たくさん咲いていますから。
IMG20221021153243
驚いたのは、ラベンダーが2度目の開花。茎も緑がかったシルバーカラーで、とってもキレイ!
IMG20221021153358
全面的に咲くのではなく、一部だけだけど、咲いてくれるのはうれしい!
IMG20221021153322
バラも二度目の咲き。こちら赤いバラ。
IMG20221021153414
こちらはピンクのバラ。
IMG20221021153510
ということで、我が家の畑はほとんど終わりに近づいてきていますが、中には11月まで収穫できるものもあります。でも初雪が降る頃には終わりでしょう。
そいいえば、作業中に雪虫がたくさん飛んでいました。
もう、冬が近づいて来ているんだな!を実感。服も冬モードへチェンジ。タイヤ交換も11月になってすぐにやらねば。

では、また!

にほんブログ村 ランキングに参加しています。よろしかったら応援クリックお願いします。 

10月20日木曜日、天気は朝方は曇りだったが、9時を過ぎてから晴れに。ただし、気温は寒く冬着が必要なほど冷え込んでいます。

まずは、朝のキャンプ場。岩木山の山頂には真っ白い冠がのっかかっています。昨日は雪が降ったのでしょう。
IMG20221020072800
キャンプ場周辺には散策路があって、素敵な木道があります。歩いてみましょう。
IMG20221020073343
途中で、小動物の死骸が。何だろう?モグラかな?
IMG20221020073519
湿地帯になっていて、公園化されています。沼もあって。
IMG20221020073535
落ち葉でいっぱい!もう晩秋という感じです。30分ほどの、気持ちの良い散歩でした。
IMG20221020073646
今日、最初に向かうのは道の駅つるた。途中で岩木山の雄姿を!津軽平野のど真ん中にデーンとそびえ立つ姿は、まさに津軽の象徴。
IMG20221020075754
道の駅の横に、農産物直売所があります。こちらは午前8時からオープン。
付近の農家さんが持ち寄り、安く販売しているところです。
IMG20221020083902
青森は農業県、まして津軽は農業主体だから農家の皆さんが丹精込めて作った農産物を朝持ってくるのです。
IMG20221020083956
何処よりも安く、新鮮なものを売っています。ここでリンゴや梨など果物をお土産に購入!
IMG20221020084047
そして、フェリーに乗る前にここへ。
三内丸山遺跡です。入場料は410円。
IMG20221020094757
縄文時代の後期、紀元前3900年から紀元前2000年頃の時代です。今から5000年以上前に、500人以上の人々が住んでいた集落があったのです。
IMG20221020100131
30年近く前に来た時は、発見された直後だったので柱くらいしかなく、無料で入れましたが、今はユネスコの世界文化遺産に認定されてから大きく変化。巨大な建物もあります。
IMG20221020100916
柱は直径2m、深さ2mの穴の中に入っていて、高さは20m近くもあって、見上げるような柱です。
IMG20221020101156
たまたまボランティアガイドの案内があって、一緒にくっついて歩きます。よーく分かりますね。
IMG20221020102146
竪穴式もあるけど、高床式の住居も。動物の侵入を防いだり、湿るのを予防するから食料の保管庫でしょう。
IMG20221020102804

IMG20221020104706
諸説あって、見張り台だったとか、灯台の役目を果たしたとか。
IMG20221020104722

IMG20221020105335
こちらは200人以上も入る大型住居。集会を開いたとか、寒さを防ぐために大勢で住んだとか。
IMG20221020110223
2階もあったのです。
IMG20221020105552
土器もたくさん出ています。
IMG20221020111314
ということで、最終日は晴れてくれて目立たし、メデタシ!
後は無事に帰宅すること。最後もしっかりと安全運転で帰路につきます。
フェリー乗り場に到着しました。
IMG20221020130457
今回は津軽海峡フェリーです。50周年記念で格安で予約出来たのです。いつもは青函フェリーですが、そこよりも安かったのです。

目指すは北⬆。2時20分出航です。函館着は6時。
IMG20221020130509
色々と学習になった青森市での2日間でした。これで、津軽には5日間滞在して、各所を回りたくさんのことを知りましたが、行けば行くほど面白いし、見るところもドンドン増えていきます。
これだから旅は楽しいし、面白い!

今年は、もう終わり。後はしっかりと心身・頭ともに充電して来年の2023年の春の旅に備えることにします。

そうそう、我が愛車、5月から乗り始めて今日で1万キロを超えました!
半年で10,000km。
今年も走ったな~!ちなみに燃費は20は超えて22kmくらいです。

では、また!

にほんブログ村 ランキングに参加しています。よろしかったら応援クリックお願いします。 

10月19日水曜日、天気は雨時々晴れで最高気温は12℃と寒い1日です。真冬のような格好で、ダウンを着ての行動。
まずは、車中泊した青森市浪岡のキャンプ場。雨が降った後だから虹が架かっていました。
IMG20221019061820
昨夜はかなり冷え込んでいてテントも一つだけ。雨の中でご苦労さんだったと思います。
IMG20221019061805
雨が上がって朝の散策。岩木山が池に映り逆さ富士のよう。この時点では晴れるかな?と期待したんだけど、やっぱり冷たい雨が何度も降ったのでした。
IMG20221019065924
このリンゴのコンテナ!すごい量ですね。
IMG20221019073416
たわわに実ったリンゴ、りんご。
IMG20221019073446
何回も思うのですが、下のは潰れないの?と。
IMG20221019073554
テントの人は雨でも片付けて出ていったようで、自分一人ぼっちのキャン場。
外を歩くのは寒すぎる!こんな日は建物の中に避難です。ということは、博物館や郷土資料館、美術館巡りに限ります。
IMG20221019074032
雨が降り続いてるので、今日は青森市の博物館をはしごします。まずは、八甲田山雪中行軍遭難資料館へ。
270円ですが、70歳以上は無料とのこと。ありがたいです。
IMG20221019095835
数少ない生き残りの後藤伍長の像のレプリカです。本物は八甲田山の中腹に像があります。
IMG20221019091423
左は明治時代の冬用装備、右は現代の自衛隊の装備で、ぜんぜん違う。藁の靴で雪山を行軍していたのです。リュック、当時は背嚢ですが、とても重い。
IMG20221019092836
外には亡くなった199名のお墓があります。210名中、199人が亡くなったのです。今から120年も前の明治35年の真冬のことでした。
IMG20221019100144
映画 八甲田山で有名ですが、改めて知ることが出来ました。
IMG20221019100411
続いて、北のまほろば博物館へ。郷土資料館が耐震で耐えられない建物になり閉館中。それで、ここは歴史を知る場所。ここも310年ですが、70歳以上は無料だからありがたや!助かります。
IMG20221019114547
青森市の歴史が古代から現代まで知れて、さらには青森市出身の人物も知れました。
IMG20221019111103
特に漁船コーナーは充実しています。北前船のレプリカも展示。
IMG20221019111147
青森出身の有名人って、わかりますか。
寺山修司、淡谷のり子、三浦雄一郎などたくさんいますね。
IMG20221019111418
続いて、森林博物館へ。ここは元営林署の建物だったとか。
IMG20221019123712
青森といえばヒバが特産ですが、ヒバを使ったテーブルやタンスなど展示。
IMG20221019124857
森林鉄道は興味深かったです。
IMG20221019125837
ランチ後、こちらが本命!ねぶたの家 ワ・ラッセ。青森駅の近くにあります。1時間無料の駐車場あります。
こちらは620円がJAF会員証を示せば550円で入館できました。
IMG20221019133226
まずは、ねぶたの歴史から。
IMG20221019134214
ねぶたを作った人々など。そもそもねぶたとは何か?とか理解出来ます。学習してから見ると、また違ってきます。
IMG20221019134542
巨大なねぶた展示。
IMG20221019134653
これはミニチュアです。
IMG20221019134704
名人もいるんですね。
IMG20221019134749
最優秀制作者賞の作品です。人の大きさと比べると巨大さが分かりますね。
IMG20221019134955
こちらは市長賞。
でも、高さでいったら五所川原市の方のねぶたが大きいですね。あちらは立ちねぶたですから。
IMG20221019135012

IMG20221019135242

IMG20221019135305

IMG20221019135341

IMG20221019135721

IMG20221019135728

IMG20221019135755
ということで、こちらは感動モノでした。
じっくり見学していたら時間があっという間に経過。
ガソリンを入れて、市内は165円平均。
秋の旅最終日は、今日も浪岡のキャンプ場。こちらがあちこちへ行くのに、一番良い場所なんですよね。今はFree Wi-Fiのある浪岡駅の休憩室でblog作成中。
この後は4度目のあのコーヒー色の温泉の浪岡駅前温泉へ。
その後は裏のキャンプ場へと。
では、また!
にほんブログ村 ランキングに参加しています。よろしかったら応援クリックお願いします。 

10月18日火曜日、天気は晴れ 。気温は最高でも14℃と寒いが、太陽が出ているところでは20℃近い。しかし、今日は風が強い!常に強風が吹きまくっています。
昨夜、車中泊した五所川原市金木のキャンプ場です。朝、6時すぎに太陽が顔を出し始めました。
昨日深夜トイレに起きた時、澄み切った南の夜空にオリオン座が見えて感動。3つの横並びの星の上に2つ、下に2つの独特の形をしたオリオン座です。
キャンプ場には5台の車とテントが1つ。夜はかなり冷え込みました。
IMG20221018062249
昨日は津軽半島の西海岸を走ったが、今日は最北端と東海岸を走ります。
中泊町の農道を走ると、白鳥の群れが!
IMG20221018080535
きっと、寒くなったシベリアからはるばるオホーツク海、日本海を渡ってきたのでしょう。
IMG20221018080544
稲刈りの終わった残り滓を食べているのでしょう。
IMG20221018080701
中にはまだ雛の段階の白鳥も、黒っぽいのは子供ですね。
何羽か飛び出す瞬間を撮影。
この辺りは日本海からの強風が吹く地域だから風力発電が盛んです。多くのプロペラが勢いよく回っていました。
IMG20221018080840
十三湖がよく見える展望台から。左に岩木山が見えますね。
IMG20221018084701
これから向かう北方向は、晴れているからうれしい!
IMG20221018084732
旧小泊村へ。北海道の松前方面が見えてきた。波も高く荒れています。
IMG20221018091812
高台から見えた北海道!まもなく帰れるのでうれしい反面、旅が終わるのかと思うと寂しい気持ちも。
IMG20221018094353
海の向こうに松前小島と、重なるように奥には渡島大島が見えていました。
IMG20221018094409
右に小泊半島、左には昨日走った七里長浜が見えています。
IMG20221018094420
津軽半島最北端の竜飛岬のさらに最北端へ到着。これ以上先は防衛省の所有地で立ち入り禁止区域。だから、ここが北端です。
IMG20221018101214
松前の町並みがきれいに見えています。
IMG20221018101231
対岸の下北半島の先には、函館山がぼんやりだけど見えていて郷愁をそそります。早く帰って来いよ!と呼ばれているような。
IMG20221018101323
竜飛岬灯台。
IMG20221018101603
下に降りると、いつも石川さゆりの津軽海峡・冬景色のメロディーが鳴る記念碑。この日も何度も聞かされました。
IMG20221018102452
本当の最北端は漁港の岩ですが、行けませんね。
IMG20221018102513
紫陽花ロードを走り、津軽半島最北端の駅である三厩駅へ。みんまや、と読みます。
IMG20221018110846
もう一つの津軽半島の突き出た岬の高野﨑へ。ここにはやさしいおじいさんが営むラーメン屋さんがあるのです。
IMG20221018113724
美味しいイワシの干した成分が入った焼干ラーメン。600円と良心的価格です。IMG20221018113925
こちらが高野﨑灯台。函館から津軽半島を見ると、2つに割れた半島に見えます。西が龍飛、東が高野﨑だからです。間は平地だから平坦な地。2つの山々の半島に見えるのです。
IMG20221018115320
キャンプ場はかなりの強風だったけど、テントは2つ。寒いのに頑張りますね。
IMG20221018115942
ということで、現在は道の駅たいらだて。
そこでblog作成中です。
道の駅の裏には灯台があります。
IMG20221018131204
対岸には、下北半島が。
IMG20221018131401
この後は、青森市へ戻り、何処かのキャンプ場へ行く予定です。
今日も浪岡駅前温泉です。350円!
IMG20221018153730

では、また!
にほんブログ村 ランキングに参加しています。よろしかったら応援クリックお願いします。 

10月17日月曜日、天気は曇りのち晴れ、時々雨の、まさに目まぐるしく変化する秋の天気。気温は最高で22℃だから寒くはない。
でも、早朝は寒さで目を覚まされました。午前5時で7℃ほどだったから、1枚上着を来てまた寝たのでした。
朝6時すぎのキャンプ場です。朝早く2台の車が出発して、自分一人ぼっちのキャンプ場です。
IMG20221017063750
キャンプ場の周辺を散策すると、りんご園があって、まさにしく津軽はリンゴ、リンゴ、リンゴ🍎です。
IMG20221017063852
大きな美味しそうに見えるリンゴたち。落ちているのもたくさんあります。
IMG20221017063918
キャンプ場の池に映る岩木山と逆さ岩木山。
IMG20221017064114
8時前に出発し、津軽半島巡りへと出かけます。やっぱり、りんご園と岩木山。
IMG20221017075552
こちらは刈り取りの終わった田んぼと岩木山。津軽平野のどこからでも岩木山(1615m)は見えます。まさに秀峰、津軽の富士山です。
IMG20221017080631
五能線の鳴沢駅で休憩。こじんまりした無人駅。こんな駅舎が素敵です。
IMG20221017084144
西の高野山 弘法寺。なぜ?
IMG20221017100407
高野山と言ったら奈良県南部にあるから北の高野山が正しいんじゃないの?と思いますよね。
IMG20221017092547
で、ここの住職さんに尋ねました。その答えは、後ほど総集編でお答えします。

海に突き出る道路。日本海に向かって走ります。
IMG20221017101621
実は、釣り人のための突き出た岸壁でした。
近くの釣り人に見せてもらいました。
IMG20221017101846
フクラギだそうです。大きいのは長さ40cmほどで、これは出世魚で成長すると、アレになるんですよね。名前が出てこない!函館でも最近たくさん獲れている暖かい海の魚。そう、ブリでした。漢字で鰤。
IMG20221017101945
七里長浜という名の砂浜海岸。右は鰺ヶ沢町から秋田県へと続く日本海沿岸。
IMG20221017102425
北は、小泊半島が見えていて、あそこまで行くと北海道の松前が見えます。橋の上から撮影しました。
IMG20221017102505
夏の間は海水浴場となる海岸も、今は寂しい。海に突き出た橋が見えますね。
IMG20221017103224
今は合併して五所川原市となった市浦村時代のマンホール。何の踊りだろう?
IMG20221017115125
ここはシジミで有名な十三湖。じゅうさんこ、と読みます。浅くて海水が混じる汽水湖だからシジミが採れるのですね。周辺にはシジミの味噌汁を食べさせる食堂が何軒もあります。
IMG20221017115910
湖の中にある中島へ渡る木造の橋。島には資料館がありますが、以前2回見学しているので今回はパス。
IMG20221017115936
時々、激しい雨が降って、まるで夕立みたいな豪雨。でも、それも10分ほどで収まります。今日の天気は気まぐれです。
この後は、五所川原市の金木にあるキャンプ場で車中泊する予定です。
温泉入ろう、と思って行ったら月曜日はお休みのところが多くであきらめました。
金木のキャンプ場で夕食作りました。
IMG20221017170138
唐揚げ3個入ったカレー🍛、左は秋刀魚の竜田揚げ、右は味噌汁と野菜スープ。右上は農家さんから頂いたイチジク。ほとんどレトルト食品で、温めるだけの簡単調理です。

では、また!

にほんブログ村 ランキングに参加しています。よろしかったら応援クリックお願いします。 

10月16日日曜日、天気は最初は曇りだったが午前9時を過ぎたあたりから晴れへ。最高気温は25℃まで上がり暑いくらい。
でも、昨夜に車中泊した北秋田市阿仁の比立内駅では朝5時40分、気温5℃を記録して寒かったのです。だから真冬用にと用意してきたヒートテックの長袖Tシャツを着て、羽毛の寝袋で寝たから大丈夫でした。
朝の比立内駅。今日は日曜日だったので通学性はいません。前回来た時は平日だったから、朝6時の始発から車で駅まで送ってもらった高校生が汽車通していたのです。
IMG20221016071517
50km離れた大館市へ。今日は大館市の緑の牧場教会教会へ行く必要があったのです。実は、函館の教会の牧師さんが2日前に亡くなる知らせを受けて、こちらの村岡牧師へお知らせしたかったからです。村岡牧師も高校時代に、私も44歳の時に洗礼を受けた増井牧師が逝去したことを。
村岡牧師はそれを知らず、たいへん驚いていましたが、早速祈っていただきました。
10時半からの礼拝にも参加してきて、終了したのが12時半。
IMG20221016120939
大館市では、ここへ行きたかった。花岡平和記念館。花岡は大館市の北部にある元鉱山。
IMG20221016134256
実は、戦前に巨大会社の鹿島と藤田が鉱山を営んでいましたが、戦時下で鉱山労働者が不足したために中国から大量の労働力を奴隷の如く連行してきたのです。
IMG20221016130412
つまり、強制連行です。
当時の鉱山の様子が分かります。数千人が住んでいたと言います。
IMG20221016130503
ところが、中国人に対する労働は過酷を極め、栄養失調を含めてたくさんの死者が出ていました。
IMG20221016130542
加えて、ここには外国人捕虜収容所がありました。この日、この時間にたまたまオーストラリア人の方が来て、父がここで収容されていたので詳しいことを聞きたい!と。
アメリカ、オランダ、オーストラリアなど連合軍の兵士たちも捕虜となっていたのですね。
IMG20221016130730
戦時下、日本各地135箇所で中国人が強制労働させられていたのです。この地図を見たら、函館でも行われていたことが分かりショックでした。
IMG20221016131046
中国からの連行船は、まるで奴隷船のようで船内で死亡する人もいたりで、鉱山で労働している最中に落盤事故で亡くなる人もいたそうです。
IMG20221016130750
終戦間近の1945年、昭和20年6月30日、あと一月半で終戦でした。多くの中国人たちが、祖国へ帰りたいと蜂起したのです。そして多くの人が殺されたのでした。それが花岡事件です。
IMG20221016131448
これは当時の地獄絵図。
IMG20221016130322
ズームして見ましょう。水をかけられている人。
IMG20221016131218
サーベルで刺されている人。凄惨を極める場面です。
IMG20221016131229
逃亡を図った1000人近い中国人が殺されたといいます。
IMG20221016131244
戦後に、日本人首謀者は戦犯として裁かれたのですが、死んだ人の命は帰って来ないのです。
IMG20221016131258
小さな板には彼らの名前が書かれ、下には彼らが履いていた靴のレプリカが置かれています。
IMG20221016130338
花岡事件については詳しくは知らなかったのですが、こんな事実があったとは!驚くとともに戦時下の悲惨な出来事があったことに戦争の非情さを感じたのです。
第二次大戦でのドイツのユダヤ人に対する大虐殺ホロコースト、21世紀の今でも、ウクライナでロシアが起こしている犯罪は酷いものです。

今は青森県青森市の旧浪岡町の駅でblog作成しています。駅前のリンゴの並木道でリンゴがたくさん落ちています。もったいないほど!
IMG20221016154509
道路にも。
IMG20221016154432
中には美味しそうに見えるリンゴ🍎もありますよ。
IMG20221016154449
この後は先週入った駅前の温泉、色がコーヒー色なんです。そこに入り、駅裏のキャンプ場で車中泊します。
では、また!
にほんブログ村 ランキングに参加しています。よろしかったら応援クリックお願いします。 

10月15日土曜日、天気は曇り時々晴れで、気温は最高で20℃まで上昇し半袖でもいい感じだったけど、夕方になったら急に冷え込んできました。やっぱり秋ですね。
昨夜は、由利本荘市の旧鳥海町の道の駅で車中泊。
朝6時起床し、7時すぎには出発。
まずは、トトロの森のような場所へ。
IMG20221015082301
諏訪神社の鎮守の森だが、ホントにトトロが出てきそうな森です。
IMG20221015082342
杉の木々に囲まれた場所に、ぽつんと神社がありますが、実はこの裏にある🌳木がこの辺りでは有名らしい。
IMG20221015082429
それが岩館のイチョウ。樹齢は300年以上で、幹周りは9.2mもあるとか。
IMG20221015082445
大きすぎて離れた場所から撮影。今回の旅で青森県鰺ヶ沢町の金沢の大イチョウを紹介しましたが、それに勝るとも劣らないほどの巨大さです。
IMG20221015082559
幹周りだって、結構ありますね。
良いものを見せてもらいました。
IMG20221015082703
今いる場所は東由利町で、マンホールは牛さん。きっと牛の飼育が町の産業なのかな?
IMG20221015082144
続いて、大仙市へ。大仙市と言ってもピンとこない人もいることでしょう。昔の大曲市、花火で有名ですね、が周辺町村と合併して大仙市となったのです。
少年野球発祥の地、だそうです。
IMG20221015092757
ここで見たかったのが、払田(はった)の柵。
時は約1200年ほど前の、平安時代初期の頃。みちのくへ勢力を拡大して、先住民のエミシを追放して大和朝廷の勢力下に置くための砦を築いたのです。それが、ここ払田の柵。
IMG20221015103004
かなり広範囲で、歩くだけでも一苦労したほどです。外郭が数キロもあり、内郭だけでも数百mもあり、それを高さ5m以上の高さの柵で囲っていたのです。
IMG20221015100206
内郭には政庁があり、帝のいる平安京から派遣された貴族らが政務を取り扱っていた場所です。
IMG20221015101413
きっと、たくさんの人達を奴隷のように酷使して築いたのでしょう。多くの労力が必要とされたのが分かります。
IMG20221015101439
こちらが修復中の巨大な南門です。
坂上田村麻呂らが東北遠征してエミシたちと戦い勝利していますが、逆に言うと先住民であったエミシが侵略されて領土を奪われたということです。
IMG20221015102742
その後は大仙市の郊外にある八乙女温泉へ。
以前は木造のいかにも湯治場風の温泉で210円では入れたのが、こちらの建物に引っ越してきて300円となったのです。もっとも、300円でも安いですけどね。
IMG20221015120355
その後は、田沢湖へ。春来た時は水が澄み切っていたけど、今日のはちょっと濁っていました。それでも、他の湖よりは透明度はずっとキレイ!
IMG20221015133213
こちらは田沢湖のクイーンに当たるたつこ像。水面ギリギリまで降りて撮影。
IMG20221015133353
この後は、北秋田市へ。現在は道の駅阿仁でblog作成中。
IMG20221015160843
鷹巣町と合併して北秋田市となった旧阿仁町ですが、ここはマタギの里。現在も熊猟師のマタギがいる地区です。
IMG20221015162538

IMG20221015162549
今夜は、この近くの比立内駅で車中泊します。この駅では2度車中泊していて、トイレはキレイだしFree Wi-Fiが効いていいるのです。
では、また!

にほんブログ村 ランキングに参加しています。よろしかったら応援クリックお願いします。 

10月14日金曜日、天気は朝起きた時は曇りで周囲は霧の中。自分が車中泊したのは、真湯温泉のトイレ付き駐車場。誰もおらず一人ぼっちの車中泊でした。標高およそ700mくらいか?でも意外と寒くなく暖かかったのです。
午前5時すぎには起床。すぐに山の湧水に出会います。ぶなの恵みの水。
IMG20221014072052
この辺り、14年前に大地震が発生して土砂災害があったんですね。毎年のように各地であるから、そういえばあったような、といううろ覚えです。
IMG20221014072108
栗駒山の駐車場、標高1000mに到着。朝8時過ぎに着いたが、登山者の車が結構多かったです。金曜日だけど、晴れだから多いのかな?
ガスも標高を稼ぐに連れて消えていき、太陽が顔を出してからは快晴の青空へ。
IMG20221014074102
外界は霧の中。この霧の中で車中泊していたのです。
IMG20221014074115
歩き始めて30分ほどは快調で、グングンと高さを稼ぎます。素敵な木道は最高!雲ひとつない青空は、この秋の旅の中で最高の天気!
IMG20221014083120
高くなるに連れて紅葉が見られます。
この辺りは登山開始から1時間位で、まだまだ大丈夫!
登山者をドンドン追い抜いて行きます。快調ペースでした。IMG20221014090622
暑くて汗がどっと出て、水分が欲しい!ペットボトル600ccだけでは足りず、途中の沢水を飲みます。沢の水はきれいだから安全!
IMG20221014090634
周囲の山々がきれいにみえていました。遠くは岩手山、さらには鳥海山など東北の山々がバッチリ見えていました。
IMG20221014093948
1時間半を過ぎてから少しずつペースは落ちて、多少バテ気味。最初に飛ばしすぎたかな?
IMG20221014093958
右奥に見えるのが山頂で、まだまだあります。ペースダウンで、時々休み休みしてゆっくりと登ります。今回は2本のポールを使っているので楽!4本足で歩いているようなもの。
IMG20221014095105
8時14分から登り始めて頂上へは10時18分だから、2時間ちょっとで山頂へ!やったぜベイビー!今までの苦労が報われた瞬間でした。
頂上には、違うコースからの登山者もいます。秋田県側、宮城県側からも。自分は岩手県側からです。
IMG20221014101901
通常は2時間半ほどらしいので、少しは健脚だったでしょうか?
IMG20221014101923
帰りは少しは楽!下りのスピードは上りよりもあって、下山時間は1時間40分でした。一人だし、自分のペースで歩けるので結構早く登山できたかな?と。
IMG20221014120438
下山を開始した時間は20分休憩後の10時41分。昼過ぎには駐車場に戻ることが出来ました。
木道から見た紅葉の美しさ!綺麗ですね。
IMG20221014121525
この辺りは湿原になっていて、広い平らな地です。
IMG20221014121533
ということで、栗駒山登山に無事成功しました!
今夜は、下界に降りて何処かで温泉に入り。湯沢市院内のほっと館で400円也。
IMG20221014160000
マンホールは院内銀山跡。
IMG20221014160036
何処かの道の駅で車中泊する予定です。
では、また!
にほんブログ村 ランキングに参加しています。よろしかったら応援クリックお願いします。 

↑このページのトップヘ