11月30日水曜日、天気は曇りのち雪。ついに函館市内でも雪が降リました。今夜8時過ぎ外は吹雪いていて、何と明日の最高気温はマイナス1℃、最低はマイナス4℃と真冬日の天候です。
明日は、月に1回の入所していてる母との面会日。面会時間はわずか15分ですが、実際に会って手を握れるのはうれしいこと。今まではリモートとか窓越しだったから、それに比べれば直接顔を合わせることが出来るから喜びなのです。
ただ、行くのに車で15㎞の距離、時間は30分かかるので、路面が凍結していなければ良いのですが。
もちろん冬タイヤに換えているし、車の中には冬道具を備えてはいるけど、今シーズン最初の冬道を走るのはちょっと怖い。慎重に運転して行きます。
さて、ここは岩手県南端の一関市にある骨寺村荘園遺跡の交流館「若神子亭(わかみこてい)」です。内部には、歴史を紹介する資料館、レストラン、売店などがあります。

2011年に「平泉の文化遺産」がユネスコの世界文化遺産に登録されてから11年、まずは周辺の地図をご覧ください。平泉は、東北本線沿いにあり、そこから西にあるのが現在地。道の駅「厳美渓」から西へ10㎞程の場所です。

ズームします。国道342号線沿いにあるのが、今日紹介する「骨寺村荘園遺跡」。写真の上にある国道397号線は、1本北にある国道で、骨寺村荘園遺跡はその南に位置しています。

そして、この看板は交流館の前です。

骨寺村荘園遺跡とは何か?
簡単に説明すると、平安時代に発達した大土地所有農地の荘園は、貴族や寺社などの地域の有力者が広い農地を所有し、多くの農民を使って田畑で収穫することで富を得る地です。
東北地方の11世紀末は、奥州藤原氏が支配権を握ります。1105年には藤原清衡が平泉に中尊寺を建立しています。中尊寺金色堂は有名ですね。
ここは、12世紀から15世紀の室町時代までその中尊寺の荘園だったのです。
つまり中尊寺を維持するのは莫大な資金が必要で、そのための富を得る手段として寺が荘園を所有したのです。

若神子亭では資料館を見学、のちに休憩所の「古曲田家(こまがたや)」へも寄ります。

地元のガイドの方が詳しく説明してくれます。
ここは、曲がりくねった水路と不整形な水田が広がり、神社や小さな祠が要所要所に祀られていて、自然を巧みに生かした穏やかな農村の姿は、まさに日本の原風景とも云える地なのです。

こちらは骨寺村荘園休憩所の「古曲田家(こまがたや)」。
ここを利用した時、係の女性がとても親切でお茶をだしてくれるし、「今日作ったアップルパイ、食べて行って!」と頂いたのです。ちょうどお腹が減っていたので有難かったのでした。

なぜ、骨寺村という名前になったのか?その由来は?

それは、この地の「どくろ伝説」です。
この地の一人の娘が仏教に関心を持ちますが、文字が読めない。そこで、天井裏に住み着いた髑髏(どくろ)から仏教の代表的な経典である法華経を教わります。
その後、近くの山に葬ったといいます。
その後で、その髑髏は比叡山のお偉いお坊さんの第18代座主の慈恵大教良源(じえだいし りょうげん)の頭蓋骨だったのです。それで、💀から骨寺村と云われるようになった、と云います。

中世の時代の骨寺村荘園は、国の重要文化財「陸奥の国骨寺村絵図」に描かれていて、多くが今の時代にも残っているのです。

東西10㎞ほど、南北2㎞ほどの細長い地に骨寺村荘園遺跡があり、歩いてもいけるし、車で行ける地もあります。今回は時間がなかったのと自転車を持ってこなかったので一部しか見れなかったのですが、次回はゆっくりと散策したい!と強く思いました。1日かけてじっくり見学したい地です。

今日のblogでは、その一部の刈り取られた田んぼと防風林。

そして、駒形根(こまがたね)神社。国駒山を拝む地にある神社で、史跡になっています。

次回は、この駒形根神社を詳しく紹介して、他の地も見ていきます。
では、また!
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明日は、月に1回の入所していてる母との面会日。面会時間はわずか15分ですが、実際に会って手を握れるのはうれしいこと。今まではリモートとか窓越しだったから、それに比べれば直接顔を合わせることが出来るから喜びなのです。
ただ、行くのに車で15㎞の距離、時間は30分かかるので、路面が凍結していなければ良いのですが。
もちろん冬タイヤに換えているし、車の中には冬道具を備えてはいるけど、今シーズン最初の冬道を走るのはちょっと怖い。慎重に運転して行きます。
さて、ここは岩手県南端の一関市にある骨寺村荘園遺跡の交流館「若神子亭(わかみこてい)」です。内部には、歴史を紹介する資料館、レストラン、売店などがあります。

2011年に「平泉の文化遺産」がユネスコの世界文化遺産に登録されてから11年、まずは周辺の地図をご覧ください。平泉は、東北本線沿いにあり、そこから西にあるのが現在地。道の駅「厳美渓」から西へ10㎞程の場所です。

ズームします。国道342号線沿いにあるのが、今日紹介する「骨寺村荘園遺跡」。写真の上にある国道397号線は、1本北にある国道で、骨寺村荘園遺跡はその南に位置しています。

そして、この看板は交流館の前です。

骨寺村荘園遺跡とは何か?
簡単に説明すると、平安時代に発達した大土地所有農地の荘園は、貴族や寺社などの地域の有力者が広い農地を所有し、多くの農民を使って田畑で収穫することで富を得る地です。
東北地方の11世紀末は、奥州藤原氏が支配権を握ります。1105年には藤原清衡が平泉に中尊寺を建立しています。中尊寺金色堂は有名ですね。
ここは、12世紀から15世紀の室町時代までその中尊寺の荘園だったのです。
つまり中尊寺を維持するのは莫大な資金が必要で、そのための富を得る手段として寺が荘園を所有したのです。

若神子亭では資料館を見学、のちに休憩所の「古曲田家(こまがたや)」へも寄ります。

地元のガイドの方が詳しく説明してくれます。
ここは、曲がりくねった水路と不整形な水田が広がり、神社や小さな祠が要所要所に祀られていて、自然を巧みに生かした穏やかな農村の姿は、まさに日本の原風景とも云える地なのです。

こちらは骨寺村荘園休憩所の「古曲田家(こまがたや)」。
ここを利用した時、係の女性がとても親切でお茶をだしてくれるし、「今日作ったアップルパイ、食べて行って!」と頂いたのです。ちょうどお腹が減っていたので有難かったのでした。

なぜ、骨寺村という名前になったのか?その由来は?

それは、この地の「どくろ伝説」です。
この地の一人の娘が仏教に関心を持ちますが、文字が読めない。そこで、天井裏に住み着いた髑髏(どくろ)から仏教の代表的な経典である法華経を教わります。
その後、近くの山に葬ったといいます。
その後で、その髑髏は比叡山のお偉いお坊さんの第18代座主の慈恵大教良源(じえだいし りょうげん)の頭蓋骨だったのです。それで、💀から骨寺村と云われるようになった、と云います。

中世の時代の骨寺村荘園は、国の重要文化財「陸奥の国骨寺村絵図」に描かれていて、多くが今の時代にも残っているのです。

東西10㎞ほど、南北2㎞ほどの細長い地に骨寺村荘園遺跡があり、歩いてもいけるし、車で行ける地もあります。今回は時間がなかったのと自転車を持ってこなかったので一部しか見れなかったのですが、次回はゆっくりと散策したい!と強く思いました。1日かけてじっくり見学したい地です。

今日のblogでは、その一部の刈り取られた田んぼと防風林。

そして、駒形根(こまがたね)神社。国駒山を拝む地にある神社で、史跡になっています。

次回は、この駒形根神社を詳しく紹介して、他の地も見ていきます。
では、また!






















































































































































































































