函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めた車中泊中心の「ぼうけんの旅」は今年で13 年目に突入。 車中泊の貧乏旅行の旅、今年で74歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 今年2026年も「ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです! 今年も「ぼうけんの旅」をよろしくお願いいたします。

2026年が明け今年は74歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!時々は自転車を積んでの軽バン一人旅の始まりです。

2022年11月

11月14日月曜日、天気は早朝まで雨が降っていたけど、8時を過ぎてからは晴れへ。その後は晴天の1日となり気温も最高で10℃に達しなかったけど、太陽が出ている場所では暖かかったのです。
明日は雲り空で、今週は寒い日が続くとか。太陽が出ている時間も日ごとに短くなってきていて、午後4時過ぎには外は暗くなり、5時には真っ暗。来月の冬至は、もっと日照時間が少ないからちょっとブルーな気持ちにもなりますね。早く春にな~れ!

さて、ここは深浦町日本1の大イチョウ。昨日は鰺ヶ沢町と書きましたが、地図を見たら西隣の深浦町でしたので、訂正します。場所は、JR東日本の五能線「北金ヶ沢駅」の近くで、国道101号線沿いになります。
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ものすごい高さで、離れないと全体が写らない。巨大過ぎます。
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説明を読むと、高さは31mもあり樹齢は1000年以上幹回りは22mもあるとか。垂れ下がっている気根から「垂乳根(たらちね)のイチョウ」と呼ばれていて、地元では御神木として信仰されてきた歴史があります。国の指定天然記念物になっているんですね。
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横に、石碑として「垂乳根の銀杏」がありました。
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確かに幹回りはすごい!
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22mあるということは、身長170㎝の成人男性が13人がかりで手をつなげる長さです。子供たちだったら20人は必要でしょう。
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1000年かかって成長して来て、今も成長しているのですね。10月8日のことだから、この銀杏はまだまだ紅葉せず、葉っぱは緑色のまま。あとひと月過ぎると、真っ黄色になって落葉するのでしょう。
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この神社、阿倍比羅夫(あべのひらふ)が建てたとか。もっとも、修繕してたり建て直ししたりで、当時の物ではないでしょうが。阿倍比羅夫(575~664)は7世紀中期の将軍で、斉明天皇からの命で東北地方の蝦夷と戦い服属させた人物。北海道に渡り、羊蹄山付近でも戦ったとか。倶知安町には、比羅夫駅、比羅夫スキー場がありますが、この人物から名付けられたのでしょうか?
阿倍比羅夫の勝利記念として、銀杏の木が植えられたのでしょう。
戦勝記念の植樹?それが1400年経過してこんな大木になったのです。
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実は、昨年かな?NHKのテレビで、地元の小学校の校長先生が根気よく手入れをして整備し、この銀杏に関する本を出して、子供たちに伝えていたとか。校長先生は亡くなったが、地元の方々は校長先生の遺志を受け継ぎ、この銀杏の木を大事にして育てているとのこと。故郷の象徴である銀杏!素晴らしいですね。
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5㎞離れた駅は「千畳敷駅」。駅前から海岸に出れば、文字通りに海岸の平坦な岩場が畳にすれば1000畳以上ありそう。
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この海岸、実は今から230年前の1792年というから江戸時代の後半、大地震で海の底が隆起した海岸段丘面です。津軽藩主である殿様が、ここに畳を1000枚敷かせて大宴会を開いたことから、千畳敷と名付けられたそうです。藩政時代は、殿様専用の避暑地として下々の民は近づけなかったと云います。
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北を見ると、遠くに北海道・松前半島が、画面右には津軽半島の一部を構成する小泊半島が見えています。
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続いて5kmほど南下して道の駅「ふかうら」へ。ここは道の駅の裏、海岸から弁天島鳥居崎灯台が見えています。
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島というか、岩がいくつもあります。島と岩の違いは何か?というと、周囲が100m以上あるのが島。それ以下が岩。だから形がいびつでも海岸線が100mあれば島になるのです。日本全体で6000以上(海上保安庁発表では6852島。)あって、有人島はそのうちの1割ほどで、600くらいしかないです。
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左の建物が道の駅。車中泊に向いているか、どうか?は夜は交通量も少ないし大型トラックもそう停まることはないけど、日本海の強風が吹きまくる海岸なので、ちょうと怖いかな?という感じです。
実際、前回来た時は強風でドアが吹き飛ばされそうになったほど。ドアを閉めるのがきつかったことを覚えています。この時も風は少しはありました。
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 ということで、道の駅からさらに5㎞南下して、この後は五能線の大好きな駅へと向かいます。
秘境駅としても知られ、また五能線を紹介する海に面した駅としてポスターにもなっている駅です。
何度も訪れているので、当blogをお読みの方はお分かりですね。
では、また!
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11月13日日曜日、天気は午前中は曇りだったが、午後になって予報通りに雨。それもどんどん強くなって警報級の強風混じりの大雨へ。それでも最高気温は19℃まで上昇し暖かい。最低は5℃。今月に入って久しぶりの雨ですが、今週は一段と冷えて雨から雪へ変わるみたいです。11月も半ばに差し掛かりましたものね。明日14日月曜日は最高気温は10℃まで下がり、今日よりは9℃も低い。最低は5℃と同じです。

さて、今日は岩木山神社の2回目。本殿の横にはいくつかの岩木山神社の末社があって、その一つの
白雲大龍神
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白い幟がたくさんあります。
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さらに、稲荷大明神。こちらは赤い幟。どちらも周囲は杉の木が茂る鬱蒼とした森です。
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岩木山の湧水が出る禊所。3か所の龍をかたどった顔の口から出る湧水は、冷たくミネラルたっぷりで美味しい!
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楼門は1628年の建立だから、もう400年も前の建物。石もかかなり古そう。
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楼門をもう一度見て帰ります。久しぶりの岩木山神社で、自分が学生の頃以来だから50年ぶりです。でも、建物はまったく変わっていない。何せ400年間変化していないのだから。
この楼門、1628年に2代目の藩主である津軽信枚(つがる のぶひら)が建てたもの。高さ18m、幅17mもあります。
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右の狛犬。
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左の狛犬。
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横にあった社務所へ。茅葺屋根の社務所です。
建立は1845年のことで、津軽藩主の参詣を想定して建てたものだそうで、内部は豪華な造りだとか。
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裏側へ廻ってみました。こちらは横から。
屋根の一部が苔むしていて緑色へ。左に大八車の車輪だけがあったけど、時代を感じさせるものです。ただ、アルミ製のハシゴは近代の物で、ちょっとがっかり。
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真裏へ廻ると、本当に古い。
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もう一度正面から。
真冬の時期を想像すると、どれだけ雪が積もることか?きっと雪かきが大変じゃないかな?とも少しは同情します。お正月のお参りなどの時は、この300m近くある参道、除雪するだけで一苦労です。
マップで検索したら冬の景色もあって、屋根に積もった雪は1mも。これは雪かき大変だ!
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蔵もありました。何が入っているのかな?
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近くのマンホールは、卍のマークが。
弘前市だけど自治体の文字がないし、神社なのに、お寺の卍が描かれているなんて?なんか変だなぁ。
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最後にウィキペディアで調べたら、今まで岩木山神社(いわきさんじんじゃ)と呼んでいたけど、正式名は「いわきやまじんじゃ」。さんではなくやまだったのです。
駐車場に戻ったら、横の方に、「津軽民謡碑」がありました。
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で、この後は岩木山の南西側をグルーッと回り鯵ケ沢(あじがさわ)町へと向かい、そこで日本1の銀杏の木を見てきます。それは次回で!

では、また!
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11月12日土曜日、天気は今日まで秋晴れの暖かい日で、11月は今までですが雨が極端に少なく記録的な乾燥が続いているとか。でも、明日は警報級の大雨とか。久しぶりの雨になりそうです。

さて、10月7日は青森市浪岡のキャンプ場で車中泊。やっぱり、道の駅と違い夜はとても閑静でぐっすりと寝ることが出来ました。道の駅は、どうしても夜間はうるさいのです。まずはトラックのアイドリングが必ずと言ってあるし、自動販売機があるので深夜でもやってくる車があるし、広い駐車場にはカップルがアイドリングしながら長時間居座るし、静かな夜を迎える、ということはそうあることではない。
もっとも、道の駅は「仮眠するための施設」なのでぐっすりと寝ることは出来ない!と思った方が良いでしょう。長時間寝るには、キャンプ場が一番。でも、最近はマナーの悪いキャンパーもいるから必ずしも熟睡出来ます!とは言えないのが現状です。

というのが自分の考えで、中には気にしないで熟睡する人もあるのでそれは人それぞれ。自分は、寝る場所には静かな環境を求めているので、あてはまる場所をしっかりと選びます。そういう意味では浪岡のキャンプ場は快適な環境でした。

さて、ここはキャンプ場を出発して岩木山の南側の山麓にある岩木山神社。県道3号線は岩木山山麓の南と西を走る道。県道沿いに広い駐車場があり、30台以上は停めれます。道路沿いには門前町らし旅館や食堂があり、近くには百沢温泉もあって、きっと江戸時代から多くの参拝客を受け入れてきた歴史があるのでしょう。
まずは、一の鳥居をくぐりましょう。見ると、二の鳥居三の鳥居もありますね。
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楼門近くまでやって来ました。
地元では、「お岩木さま」、「お山」、「奥日光」とも云われている津軽の国一之宮でもあります。
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振りかえると、もう200mは歩いて来ただろうか?石畳の道は朝まで降っていた雨のせいか、濡れていて滑りやすそうでちょっと危ない。慎重に歩いてきました。右に見えるの建物は、守礼授与所でおみくじやお札を買ったり、御朱印をもらいたい人が立ち寄る場所でもあります。若い巫女さんが数人おり、働いていました。
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楼門の前にあったのは、それぞれの建立年代を示す看板。岩木山神社拝殿は1603年だから、徳川家康征夷大将軍となり、江戸に幕府を開いた年です。まさに、江戸時代がスタートした年に拝殿が完成しています。
もっとも、創建はかなり古く780年(宝甕11年)のことで奈良時代の後半。翌年の781年には平安京遷都(794年)をした桓武天皇が即位しています。
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本殿、奥門、瑞垣はともに1694年の建立。5代将軍の「犬将軍」綱吉の時で、元禄時代
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右の狛犬。
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左の狛犬。
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楼門を潜り抜けて拝殿へと向かいます。
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こちらが拝殿。
昔から農漁業の守護神として、津軽の開拓の神様として地元では親しまれてきた歴史があります。
この建物の左横には岩木山登山道があって、神社の奥の院は山頂付近にあるのです。

もっとも、今は津軽岩木スカイライン(有料道路で普通車は往復で1800円)で8合目まで、リフトで9合目まで登れ、実際に歩くのは最後の数百メートルほど。それでも山だからキツイですけどね。
麓から登る人はほとんどおらず、いるとしたら本物の登山家です。
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創建して20年後の西暦800年には蝦夷(えみし)との戦いに勝利して東北を平定した坂上田村麻呂(さかのうえのたむろまろ)が岩木山山頂に社殿を再建したとか。坂上田村麻呂は桓武天皇により征夷大将軍となっています(797年11月)。
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拝殿から楼門を見ます。
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この日は、土曜日とあって朝早くから参拝者が結構来ていて、中には若い人たちもいて人気のある神社であることが分かります。
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奥に本殿が見えていますが、そこへは拝殿を越えなければいけないので、入れなかったのです。
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 ということで、岩木山神社は面白いといっら失礼かもしれないけど、なかなか興味深い建物が多く、見応え十分です。次回も今日紹介しきれなかった分をお伝えしていきます。
では、また!
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11月11日金曜日、天気は今日も晴れで、明日も晴れの最高気温17度という、まさに最後の秋晴れの日です。ところが、日曜日の午後から雨で来週は最高でも一桁台の寒いが続き、地上でも降雪があるとのこと。11月の半ばに差し掛かると、やっぱり冬の訪れです。

さて、ここは奥羽本線の浪岡駅。浪岡は以前は独立した自治体でしたが、2005年4月1日に青森市と合併しています。浪岡と云えば、津軽。津軽と云えば秋はリンゴ!街路樹がリンゴで、足元にたくさんリンゴが落ちているのには、ビックリです。
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キャンプ場の近くの農園にも、リンゴが山積み。これって、下のリンゴは重くて腐ってしまうんじゃないかと心配したけど、弘前の知人に尋ねたら「リンゴジュースリンゴワインにしたり、加工食品にするので大丈夫」とのことでした。
それにしても、すごいリンゴの量!
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浪岡のマンホールは、鳥の絵が描かれていたけど、浪岡の文字もないのでよくわからない。
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時間があったので、車で1時間ほどの鶴田町の「鶴の舞橋」へ。鶴田町は、文字通りの鶴の町で、マンホールも鶴だし、あちこちに鶴の絵がたくさんあったけど、この時雨がザーザー降りで傘を差しながらの見学だったので、それらは写せず。いつか晴れた日にもう一度訪問したい町でした。
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鶴の舞橋は、300mもある日本1の木の橋とか。幅は3m。
ここは津軽冨士見湖、正式名称は廻堰大溜池(まわりぜき おおためいけ)という巨大なため池に架かる橋です。津軽冨士とは岩木山(1624.6m)のこと。この岩木山を見ることが出来る巨大な池なのです。2010年には農林水産省から「ため池100選」に選定されています。
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駐車場は、30分以内ならば無料。それ以上は有料。小雨が降りし来る中を傘を差して急ぎ足で橋へ。
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この巨大なため池は、周囲の長さが12㎞もあって面積は281平方キロメートル。堤の長さは延長4.2㎞で日本最大の長さとか。
江戸時代前半の1660年、津軽藩により新田開墾の灌漑用水として築かれたのです。当時は、土を掘る重機もなく、すべて農民の人海戦術で、手に手に当時のスコップ(スコップってあったのでしょうか?)を持って地面を掘ったのです。
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鶴を発見!でも、北海道釧路管内の鶴井村の丹頂鶴とは違うような?
写真のはサギみたいに見えるけど・・・。
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調べてみたら、「周辺は鳥獣保護区に指定され白鳥やガン・カモなどの渡り鳥の越冬地となっている。かつては丹頂鶴も飛来したと云われている」と。
ただ、湖畔にある津軽冨士見温泉では、町で飼育している丹頂鶴を見ることが出来るそうです。
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橋を歩いている最中から雨が激しく降って来て、それこそザーザー降りへ。
晴れていれば、こちらの方向に岩木山が見えるはず。でも、一面灰色の世界で山は全く見えず。
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この橋、樹齢150年以上の青森ヒバの木を使用。鶴が羽を左右に広げているように見える造られているとか。
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写真がボケてしまって申し訳ないです。地図を見ると、鶴の舞橋は行けの右側にあって、池のほんの一部に架けられていますね。
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伝説もあるようですが、読むのは長い文章で大変です。
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雨が激しく、観光客も誰も歩いていません。
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北側は、池の水が少なくなってきていますね。きっと、冬に大雪が降って、春の雪解け時は満水になるのでしょう。岩木山の雪解け水や、周辺の雪解けで満々と水を貯えて田植えの時期の5月に備えるのでしょうね。
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 ということで、雨の中を浪岡のキャンプ場へ戻り、駅前温泉のこげ茶色のモール温泉で入浴。350円と安い料金はありがたい!
翌朝は晴れ!岩木山の麓へ行き、岩木山神社を参拝しよう!と。
それは次回で紹介します。
では、また!
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11月10日木曜日、天気は晴れで気温は最高で13℃。11月は晴れの日が多く、空気はとても乾燥しています。だからか、北海道は新型コロナの感染者数が激増して昨日までは9000人台で推移。専門家は1万人を突破するのは時間の問題とか。函館でも500人を越えた日もあって、ちょっと心配になってきました。
21日に5回目のワクチン接種をネット予約していますが、この先、何回ワクチン接種を受けるのか?
コロナに関しては、もうインフルエンザと同様に特別視しなくもいいのではないか、と思っている昨今です。

さて、十和田湖を後にして黒石市の黒石温泉郷へとやって来ました。共同浴場に200円で入り、津軽伝統工芸館が並ぶ建物を見学。いくつものお土産物屋さんがあるが、無料で見学できる展示場もあります。
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その一つ、黒石ねぷたの展示会場。弘前市の影響を受けてか、ねぶたではなくねぷたです。
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実際は、これよりもはるかに巨大な山車がでて賑わうであろう、と想像しますが。夏のねぷた祭りは人で混む合うので見る気がしません。何せ、人混みが苦手なのです。
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ねぷた祭りの写真が展示されていて、相当の賑わいみたい。
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弘前市の扇型の山車ではなく、青森市のねぶたのように巨大な造り物を引っ張っるお祭りみたい。
世界1のねぷた」と書かれたのぼりがありますが、そもそもねぶたないしはねぷたは青森県でしか見られないですからね。
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この日は、隣町の田舎館(いなかだて)村の道の駅で車中泊。翌朝に再び津軽工芸館へやって来ました。

で、違うコーナーで気になったものを紹介します。それは、この車。ダットサン ロードスター
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日産自動車の前身がダットサンであることは知っていましたが、その由来までは知りませんでした。
創業者の田健(だけんさん、と読むのだろうか?)さんの、青山さんの、竹内さんの からDAT、漢字で脱兎号と名付けたのですね。そのDATの息子(SON)は「損」と発音するから、太陽のSUNのごとく栄える、と英語でDATSUNを正式車名にしたとか。
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排気量495㏄は今の軽自動車よりもパワーはなく、しかもマニュアル車。もっとも、戦前はオートマチック車なんてあったのでしょうか?
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屋根は革製の幌付き。座席は二人乗りの革製。ヘッドレストもなく、もちろんシートベルトもないです。もっとも、交通量は極端に少なく交通事故はほとんどなかった時代だったのではないでしょうか?
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運転席は極めてシンプル。マニュアルのギア切り替え。ウインカーは手動だろうか?ワイパーは運転席側のみ。
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当時の車の値段、このロードスターは1750円だったとか。その値段、庭付きの家が買えたというから、今の価格にして東京や横浜辺りでは5000万円、いやそれ以上か1億円くらい?函館辺りだと庭の広さににもよるが、家と庭で80坪として、4000万は超えて5000万円くらいか?
うーん、戦前に車を持つということは巨額の富を得てなくては買えなかったということか。
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ということで、この車にとても興味をそそられたのでした。
津軽伝統館のとなりにある建物へ移動。そこは、お土産物屋さんですが、一部を絵画展へあてていて無料で見学できます。
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長野県から車中泊しながら青森県まで来た若き画家の絵画展で、なかなか面白い作品がいくつもあり、感動したのでした。
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日本1のこけしも飾られていました。
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白神山地の西目屋村で産出された樹齢350年のの木。
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高さは4.2mもあって、重さは1600㎏もある、まさしく日本1のこけしでした。
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で、この日は黒石市から青森市浪岡へ移動。浪岡駅は地域の公共施設も兼ねていて、広いロビーはフリーWi-Fi。そこでblogを作成し、この日車中泊する予定のキャンプ場を見学し、時間があったので鶴田町丹頂鶴自然公園を見たくてドライブしたのです。
が、あまりに欲張りすぎたのか、雨が降り出し丹頂鶴を見学した時は土砂降りの雨。仕方なく浪岡駅へ戻り駅前の温泉(モール温泉で、湯の色はコーヒー色のとても暖まる温泉でした。)に入り、雨の中を車中泊したのでした。
ということで、次回は上の4行分を写真付きで紹介したいと思います。
では、また!

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11月10日木曜日、天気は晴れで今日の気温は16℃まで上昇するみたいで、まさに最後の秋晴れの日になりそう。その後は寒い日が続き、雪の予報も出ているから冬の季節へと入っていくのでしょうね。
その後は、北海道の人間にとっては長く辛い冬の訪れです。

さて、ここは三沢市の小川原湖。汽水湖で、海水も混じる大きな湖です。もともとは海だった場所で、砂州によって太平洋から分離した海跡湖。でも、高瀬川高瀬川放水路で海(太平洋)とつながっていて海抜はゼロメートル。汽水湖と云っても、塩分濃度は海水の10分の1程度の0.3%ほどでしょう。遠くに見えるのは八甲田山系の山々。
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三沢市は米軍基地がある町で、ここ小川原湖には米軍関係者だけが利用できるキャンプ場や海水浴場があります。「関係者以外立ち入り禁止」の看板があって、高いフェンスで囲まれているのです。
沖縄ではよく見かける風景でしょうが、日本の地なのに日本人が立ち入れないなんて、ちょっとショックです。
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ズームして見たら漁業者がシジミを採取しているのでしょう。湖の深さは1mもなく、立って作業をしています。もっとも深い地点では24mありますが、平均して1m~2m前後でしょうか?
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六戸町へ移動して、道の駅「ろくのへ」で古民家発見!
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旧苫米地(とまべち)家の住宅です。江戸時代の後半らしいから、19世紀、1800年代の家です。今から200年近く経っている造りです。
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八畳間の部屋が続いているが、畳の大きさが大きい。現代の団地サイズの小さな畳ではなく、昔風の一間(180㎝)×半間(90㎝)のキチンとしたサイズの畳だからです。
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囲炉裏があって、奥にはかまどの台所。囲炉裏には自在鉤がかけられていて、いかにもここは豪農の家であることが分かります。見学は無料です。
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十和田市へ入り、道の駅「奥入瀬(おいらせ)」で一休みしてから十和田湖へ向かいます。
コースは、観光客で賑わう奥入瀬渓流(十和田湖おいらせライン)を通らずに、奥入瀬バイパスを通過して十和田湖の北側の道「西十和田いで湯ライン」と呼ばれる、もっとも高い場所が1000mを越える御鼻部山(1010.8m)へ向かうルートです。
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展望台があって、地図が書かれています。現在地は下に赤色で書かれています。展望台からは2つの半島、御倉(おぐら)半島中山半島が見えるはず。来た道は、左下側の十和田市から、向かうのは右下の黒石市方面です。
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十和田湖の説明がありますね。カルデラ湖の十和田湖はもちろん淡水湖。カルデラはポルトガル語で「鍋」を意味。確かに鍋の形をしていて、深さもあって最大深度は327m。水面の高さはちょうど海抜400m。
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こちらが北側から見た十和田湖。2つの半島がハッキリと見えています。
面積でいったら、1位琵琶湖、2位霞ケ浦、3位サロマ湖、4位猪苗代湖、5位中海、6位屈斜路湖、7位宍道湖、8位支笏湖、9位洞爺湖、10位浜名湖、11位小川原湖、12位に十和田湖が続きます。
先に紹介した小川原湖の面積は62平方キロメートル、十和田湖は61平方キロメートルで、1キロ平方メートルしか違いません。
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周囲は外輪山で、昔々は巨大な火山だったことがうかがえます。
周囲は44㎞もあって一周道路もあるけど、高低差があるから2時間近くかかるのでは?それにカーブが連続する山岳道路でもあるからです。
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2つの半島の間にある中湖がもっとも深く327mあるのです。深さに関しては、田沢湖(423m)、支笏湖(360m)に次ぐ3位。
左側は東湖(外湖)、細い半島の中山半島の右が西湖(内湖)と呼ばれています。二重式火山で、中湖は2度目に爆発して出来たので深いのです。
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以前は魚が生息しない湖(魚ではないがサワガニはいました。)でしたが、江戸時代末期、記録としては1855年にイワナを放流しています。その後は明治時代からヒメマス、ニジマス、サクラマス、コイ、ウナギ、ワカサギなどが放流されていて、十和田湖畔の休屋にある食堂ではヒメマスの塩焼きが提供されています。

この展望台で、十和田市からツーリングしてきた中年ライダーと出会い、少しの間お話ししました。
「風がない日は、湖面が鏡のようになる」とのこと。「その時は感動的な美しさ」だとか。
ただ、この日はとっても風が強く湖面は波打っていて、鏡のようにはならなかったです。それと寒さ。気温は一桁台で、ライダーにとってはかなり寒かったのです。「鼻水が出る~!」と嘆いていましたから。実際、展望台にいた時は寒くて寒くて!体がブルブル震えていたほどでした。

ということで、この後は西へ移動して黒石市へと向かいます。
では、また!
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11月9日水曜日、天気は晴れで気温も最高で14℃まで上昇して暖かい1日になっています。先日函館では初雪が降ったけど、それ以降雪の降る気配は全くなく温暖な日が続いています。
昨夜は、皆既月食で久しぶりの夜空をしばらく見ていました。科学が発達してなかった昔の人たちは、皆既月食や日食などは、悪いことが起こる予兆では?とパニックになったのではないでしょうか?現代の我々はその理由を理解していますが。

さて、ここは横浜町吹越駅。前日は横浜町の道の駅で車中泊しましたが、横浜町の駅は「陸奥横浜駅」。さすがに神奈川県の、人口370万人の日本1の大都市(東京は市ではないので)の横浜市の「横浜駅」に対して、地域名の陸奥を先に付けて区別していますね。
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もちろん無人駅で、この路線はJR東日本の大湊線。単線で非電化のディーゼル車が1日に数本走るローカル線です。駅には「下北半島にようこそ!日本1の菜の花畑の町 横浜町」の看板が。
もっとも、菜の花が見れるのは5月下旬頃で、10月は一つも見れませんね。
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吹越駅までは陸奥湾沿いに走る国道279号線で南下してきましたが、駅からは左折して県道24号線で東へ。10㎞ほど走り六ケ所村大石総合運動公園へ。ここには郷土資料館があるのです。が、到着した時間は午前8時前。9時開館だから開いているわけはない。でも、横の広場には公園があって、面白いものが展示されています。
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それは、縄文時代からの竪穴式住居が再現されています。
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これは、縄文時代早期最大の復元住居で、約7000年前のもの。紀元前5000年頃の住居です。
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北海道南部や北東北は縄文時代の遺跡が多数出土していて、ユネスコの世界遺産にもなっています。
縄文時代の遺跡群は、農耕社会以前の人々の生活と精神文化を示す稀有な文化遺産として、世界から高く評価されたのでしょうね。
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こちらは、平安時代の竪穴式住居。縄文時代から6000年近く経過しているのに、縄文人たちと同じような家に住んでいたんですね。平安時代の農民は貧しく虐げられていたから、当時でも地面を掘って床を低くして茅葺屋根の家で生活していたのです。
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国道338号線を南下して三沢市へ。青森県1の面積を持つ小川原湖近くの道の駅「みさわ」の斗南藩(となみはん)記念観光村先人記念館を見学します。入館料は大人110円と安い。
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会津藩戊辰戦争(1868~1869)で新政府軍に敗北し、逆賊として領土を没収されます。福島県南西部の米どころ会津地方から、再興が許された旧森岡藩領の3万石の地の下北へ、約17300人が移住をし余儀なくされました。海路は新潟、仙台などから船で1500人が現在のむつ市大湊へ上陸。左の絵はその当時の様子を描いたもの。遠くの雪山は釜臥山(878.2m)。
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飢えと寒さで旅の途中で倒れた者多かったと云います。
なぜ、斗南藩という名にしたのか?それは「北斗以南 皆帝州」から採られたと云われていて、北の辺境に流されてきたが、ここも天皇の国に変わりはなく、ともに北斗七星を仰ぐ民であるとという思いと、いつかは故郷の南へ帰りたい、との願いが込められて名付けられたと云います。
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その斗南藩の幹部の一人廣澤安任(ひろさわ やすとう)は、ここ三沢市谷地頭に日本初の民間洋式牧場を開き、荒地の開拓に専念し斗南藩士たちに生きる希望を与えた人物でした。
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当時使用された農機具が展示されています。これらは馬に引かせていましたが、ここは昔から名馬の産地で農耕馬として大いに役立ったのです。
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明治政府の役人大久保利通は天皇の東北巡行の折に、廣澤の住居をわざわざ訪ねてきて政府への入閣を勧めたほどで、廣澤は第一級の人物であったのです。
その時、廣澤は「野にあって国家に尽くす」と拒否しています。
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彼は、一介の牧夫といして北辺の開拓に尽くし一生を捧げ、1891年インフルエンザで61歳の生涯を閉じたのでした。
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ここには、三沢市の開拓に尽力した人たちを取り上げていて、廣澤以外にも何人もいたのです。
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青森県と云えば、江戸時代は津軽は弘前に城下がある津軽藩が知られていますが、八戸を中心とするエリアは盛岡を城下とする南部藩。七戸には小さいながも城がある七戸藩が南部藩の分家としてありました。南部藩も戊辰戦争で新政府軍と戦い敗北した藩。青森県東部の下北と八戸地方は没収されたのです。斗南藩はその一部を与えられて細々と生活するしかなかったのです。
まさに、明治の時代は東北は虐げられ卑下されたのです。「白河以北一山百文」などと馬鹿にされて時代を生きて来たのでした。
白河は御存じですね。東北への関所があった地で、白河越えは東北へ入ること。今年夏の高校野球で、史上初の東北の高校が優勝。白河越えが実現しました。その相手は山口県の高校。まさに長州に勝利した!と。東北人の反骨精神がやっと報われたのです。
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先人の記念館とは、このような人たちを紹介する資料館だったのです。
今でも下北には会津を思う人が大勢います。大間町には個人で「斗南藩資料館」を開いた方もいます。
まさに、北辺を生き延びた会津の人々の魂を垣間見た思いがしました。

では、また!
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11月8日火曜日、天気は雨。気温は10度前後で寒くはない。でも、雨だと気分が上がらず、やっぱり晴れの日が良いに決まっていますね。

さて、秋の旅の3回目は旧大畑町から。なぜ旧なのかは、2005年3月14日に周辺の川内町、脇野沢村と大畑町はむつ市と合併して「むつ市」となったから。
で、ここは津軽海峡沿いを走る国道279号線から内陸部へ。市街地から大畑川上流へ5㎞ほど入った場所。地名は小目名(こめな、と読むのだろうか?調べても出てきませんでした。)。ここには2008年3月31日に廃校となったむつ市立小目名小学校がありました。
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廃校となって14年。付近には子供の姿は皆無。
大畑川が流れ自然豊かな地ですが、子供がいなければ廃校になります。今までどれだけ廃校となった校舎を見てきたことか。
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この地区の歴史を調べてみると、江戸時代にはすでに入植者があって開拓が進んでいたようです。付近の大山祇神社はそれ以前からの歴史あり。
この先の道、県道4号線をさr内内陸部へと進んでいきます。
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薬研(やげん)温泉地区へ。地図をご覧ください。右端が大畑地区への道で、市街地から10㎞上流へ来ていることが分かりますね。左の道は陸奥湾の佐井村へ通じている県道284号線ですが、この夏の土砂崩れで通行止め。まずは、無料で入浴出来る「かっぱの湯」(画面左下)へと向かいます。
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薬研温泉の歴史は、1615年大坂夏の陣で敗北した豊臣方の落ち武者が流れ流れてたどり着いた地のようです。ここで傷ついた体を湯治して治したのでしょうね。
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では、かっぱの湯に入りましょう。湯舟は大きめのが一つだけありますが、男女別の時間帯があって、混浴ではありません。屋根付きの脱衣所もありますよ。
名前の通り、河童が現れた温泉地です。説明を読むと、円仁慈覚大師の時代からあったようで、彼の生まれは794年の平安京遷都の年だから、今から1200年以上も前のことです。
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熱い!の一言。44度くらいはありそう。でも、慣れると入れます。奥に行くほど熱くなっているから源泉があるのでしょう。薄める水道はないから熱いのが苦手な人は厳しいかも?
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外が冷えていたから、熱い温泉でも入れば暖まります。休み休み10分ほど入浴出来て、満足!
付近を散歩してみると、大畑川沿いに露天風呂があって、手を入れてみたらかなり熱い!のです。
ここはとても入浴出来そうにない。それだけ熱かったです。
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少し上流に赤い橋があるから、あそこまで歩いてみよう。
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赤い橋の上から撮影したら、先ほどの超熱い露天風呂が見えました。薬研は、「かっぱの湯」以外にも探せば何か所か露天風呂があるみたいです。でも、右に見える露天風呂は、とても入れない熱さです。
川の水をバケツなどで何杯も入れれば何とか入れそうだけど、そこまですることもないでしょう。
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こちらは河童の像がある池。温泉ではありませんよ。
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大畑川は、ここまで来れば渓谷がきれいで、遊歩道もあってマイナスイオンを浴びながら心地よいウォーキングが出来そう。
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しかし、かつての温泉ブームは去り、このホテルはつぶれて数年か、はたまた十数年か?
交通の便が悪いし、ここは下北半島の内陸部だから来る人も少ないのです。
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で、結局この日は南下して横浜町の道の駅「よこはま菜の花プラザ」で車中泊。
以前も車中泊したことがあったが、今年は道路を挟んで向かい側にも清潔なトイレや、時間は午後5時までだが休憩室も出来て、あたかも車中泊を勧めているような道の駅に変貌していました。
車中泊ブームでマナーの悪い人も増えていて、本州の特に首都圏では車中泊禁止の道の駅がいくつもあるようだが、ここは車中泊を歓迎しているような感じがして好感が持てました。

次回は、さらに下北半島を南下して六ケ所村、三沢市へと向かいます。
では、また!
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11月7日月曜日、今日は暦の上では、立冬。天気は今日も秋晴れの良い日です。もっとも、気温は朝方は0.9℃まで冷え込みましたが、家の中ではそんなに感じず。逆に太陽が出てからは暖かくなって、日中は12℃まで上昇していて、上着だけで散歩しても大丈夫な空模様でした。

さて、秋の旅の2回目は、大間町の東隣の漁業中心の村である「風間浦(かざまうら)村」から。
下の看板の地図の下にある下北半島のもっとも北西にあるのが本州最北端の大間町でしたが、その東側に位置しているのが風間浦村です。で、今いる場所は村の中でも西の端の蛇浦(へびうら)地区。大間町との境から少し東へ行った場所です。風間浦村には3つの地区があって、今日はそれぞれ登場します。まずは、一つ目の蛇浦から。
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津軽海峡に沿って走る国道279号線。ここは小さな公園になっていて何やら石碑がありますね。
布海苔発祥の由来碑」が書かれていました。
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明治時代の初期、舟入間の工事、つまり護岸や防潮堤の工事をして港を造っている時に、工事で余った大量の捨て石ががあったそうです。工事で要らなくなった石が海の中に捨てられたのです。翌年、その石に布海苔(フノリ)が付いていて、それを売り住民の糧にしよう!と。
捨て石から新しい収入源になり、そのやり方は青森県へ、さらには全国に広まったそうです。
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下北半島と共に生まれた布海苔です」と。そういえば、函館でも江戸時代末期に、湯の川地区の大地主の坂田氏の先祖が昆布を生育させるために、海へ大量の石を投げていたとか。それを見た住民は最初は馬鹿にしていたとか。やがて、その石に付着した美味しい昆布が採れだすと、住民こぞって石を海に投げ入れて昆布生産に励んだ、と歴史があります。
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津軽海峡の対岸は函館市の行政区域の亀田半島。東端に恵山が見えています。ここで、しばらく北海道とはお別れ。次に北海道が見れるのは津軽半島を旅する時。それまではサヨナラです。
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続いて2つ目の地区の易国間(いこくま)。なかなか読めない名前ですね。実は、風間浦村は1889年(明治22年)に下風呂、易国間、蛇浦の3つの地域が合併して誕生しましたが、名前の由来はそれぞれ一つづつ漢字を採用しているのがお分かりですね。
下風呂の、易国間の、蛇浦の、合わせて風間浦村となったのです。

その2つ目の地区の易国間には村役場があるし、大きな漁港があって港には公園もあります。その公園内にあるのが「同志社大学創設者 新島譲 寄港記念碑」です。
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江戸時代末期の1864年に箱館から死を覚悟してアメリカに密航、脱国して1874年に帰国。同志社大学を創設したことは知られていることですが、実は箱館へ来る前に江戸から洋式帆船の「快風丸」で品川から乗船後、北風と激しい潮流を避けて下風呂港へ寄ったのです。
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港にある公園には、池もあるし小さな祠もあって、トイレもあるからここは車中泊には向いているかも?国道からは少し距離があるし、夜間は交通量も少ないから静かだから十分車中泊可です。
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続いて易国間から東へ10㎞ほど離れた3つ目の地区の下風呂(しもふろ)へ。海側には「海峡いさりび公園」があって、津軽海峡のイカ釣り船の漁火が見えることから名づけられましたが、芥川賞始め数々の受賞がある日本を代表する文豪の井上靖の小説「海峡」の舞台にもなっている地です。

で、ここは海側ではなく山側。高台になっている場所に駅表示板があるのです。「下風呂温泉郷駅」とあります。東の駅は「大畑」。かつては大畑町で本州最北端の駅「大畑駅」があった町。でも、むつ市と合併しましたし、鉄道も廃止。西は大間駅。でも、それは戦争のために完成しませんでした。
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高さは20mはないが、10mはありそう。ビルは下風呂温泉のホテル群で、ホテル・旅館。民宿は10軒以上あります。線路もありますね。
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足湯までありました。もちろん無料。足湯は北海道や東北では無料が当たり前と思っていたら、首都圏や一部の地区では有料の場所もあることを知り、驚いたのでした。足だけ入るのだから、その地区の温泉街のサービスでやっているのが当然、と思っていただけに有料の足湯があるとは!ビックリです。
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旅人の大先輩、江戸時代の菅江真澄も歩いた地区です。
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線路は、幻の大間鉄道の跡であることが判明。1922年(大正11年)に現在のむつ市下北駅から大畑駅まで18㎞が完成。さらに1939年(昭和14年)に大畑駅から下風呂駅までの間16㎞がつながりました。残すところは大間駅まででしたが、戦争が激化して断念。戦後もそれ以降工事を継続されることはなく、幻の鉄道になったのでした。
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この先伸びていれば大間駅へ。北海道側では旧戸井線が戸井駅までほぼ路線は完成(五稜郭駅、湯川駅までは完成し試運転も行われていたとか。それより東は鉄橋や高架は建設されたが、線路は敷かれず未完成)していたので、後は大間・戸井間の航路があれば本州と北海道がつながったはずでした。
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まさに幻の鉄道だった大間線。その下風呂駅跡は国道から見れば、高台に残っているのが見えるのです。
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ここ下風呂地区では、温泉通には大湯新湯2つの共同風呂があることは知られていますが、この地区歩いて探してもなかったのです。実は、この2つの共同風呂は合併して1つの新しい公共浴場に生まれ変わっていたのでした。その時は自分は知らず、新しい近代的な温泉施設(「海峡の湯」)があるな、としか思わずスルーしていて入浴は出来なかったのでした。
温泉に関しては、下北半島にはたくさんあるのでその後無料で入浴しましたが、それは次回で紹介します。
では、また!

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11月6日日曜日、天気は晴れで気温は最高で10℃、最低は2℃と朝方はかなり寒い。でも、太陽が顔を出し始めると気温は徐々に上昇してきて、最高10℃とはいえ家の中にいる限りでは暖かくて暖房も要らないほどです。
それでも服装は、完全に冬モード。上着も厚手のフリースや防寒対策が施された長袖の物を着て、ズボンも冬仕立ての防寒・防風・防水の物を履いています。外を散歩する時は必ず手袋持参をして行きます。やっぱり、11月ともなれば北海道は冬の季節。これから2月までの4か月間は、冬を意識した生活になるのです。3月になると、道南の函館では根雪も溶けだし日差しも長くなって下旬には畑を耕し始めます。早く冬が終わって欲しい!と思うようになったこの頃です。

さて、今日からは先月の10月5日からスタートした「秋の旅」をカメラで撮影した写真を基に振り返って行きます。題して「秋の旅」総集編
10月5日朝9時函館を出発の津軽海峡フェリーは時間通り90分で大間港着。料金は、津軽海峡フェリー50周年記念でネット購入の格安チケットで、11000円。船内は多くの車でいっぱいでした。9月いっぱい道内を旅した本州ナンバーの車が大半を占めていたのです。はやり、10月になると車中泊も寒くなって南へ!自宅へ戻るのでしょう。渡り鳥みたい!

ここは大間港から北へ2㎞ほどの本州最北端の大間崎。碑にも「ここ本州最北端の地」とありますね。
でも、実際は沖にある小さな島の弁天島です。大間崎灯台がある無人島です。
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弁天島までは距離にして1㎞弱。泳いで渡れそうだけど、島との間はクキド瀬戸と呼ばれる潮の流れが激しい場所。もちろん、ここは海水浴場ではありません。
左側に島のような山影が見えていますが、函館山です。一番高い山は横津岳(1167m)。
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弁天島の向こうに見える地は北海道。対岸の最短距離は17.5㎞。夜には函館の夜景もきれいに見えるのです。右端に恵山(618㎜)も見えていますね。見える範囲は、すべて渡島半島の南部のさらに東側を占める亀田半島で、函館市の区域に入ります。ちなみに渡島半島の西側は松前半島です。
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碑がある場所にはお土産屋さんが並び海産物を食べさせてくれる食堂もあります。この道路は駐車禁止で、車は奥のキャンプ場へ停めて、そこから歩いて1分から2分でここまで来れます。

この日はとても寒く、かつ風が強く恐らくバスで降りた本州の団体さんたちは口々に「寒い、寒い」を連発。確かに寒くて、北海道の人間でも寒かったのですから。
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マグロ一本釣りの町 大間というけど、海域は津軽海峡で、本来は津軽海峡マグロというべき!
テレビで取り上げてから津軽海峡のマグロはすべて大間産のように伝えられブランド化されたけど、実際は津軽海峡に面したすべての町村の漁港で同じマグロが釣れているのです。それは松前でも、福島でも当然函館でも同じです。それなのに、大間だけが特別扱いされて「大間のマグロ」と紹介されているのは大間違い!洒落にもならないが、大間ブランドのマグロだけが値段が高いのはおかしい!と思うのですが。
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 で、この日はどんどん東へと向かいました。それについては、次回から詳しく紹介していきます。
では、また!

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11月5日土曜日、天気は今日も晴れ。気温は最高で10℃と晩秋または初冬の感じです。空気も乾燥していて風も冷たい。
函館では今が紅葉の真っ盛りで、それでは見に行こう!行くなら我が家から車で10分のいつも紹介している香雪園だ!と。
その前に我が家の庭の晩秋の花。寒くなっても咲いています。
トップバッターは、ガザニア。
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2番手はナスタチューム。
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3番目にシュウメイギク。
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4番目は、主軸の北海道を代表する花、ラベンダー。
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5番目に、リンドウ。いづれもスマホの撮影機能をマクロにして接写しました。
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で、10分もかからずに到着。さすがに土曜日だし、観光客も多くいて人が多い。人を写さずに撮影するのは時間がかかりますが、それでも紅葉はとってもきれい!
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きれいなカエデの葉っぱ。
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赤いカエデに。
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黄色のカエデ。
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一方、杉林の中は苔がびっしりと敷き詰められていて、幻想的な雰囲気です。
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この道、素敵ですね。
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池に写る木々も赤く染まっています。
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空気が透き通っていて、青空がとっても素敵です。
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菊の花も咲いていました。
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イチイの木。北海道ではおんこ、と呼んでいます。赤い実がたくさんついています。実は食べれますが、種は毒。種を食べてはいけません。
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葉っぱが敷き詰められた道。
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どこが道なのか分かりますか?
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陰を写します。まずは木々の陰。
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途中、たくさんのドングリを発見!
エゾリスが食べるんです。残念ながら今日はエゾリス見つけられず。時々、木を登るリスを見かけることがあります。それだけ自然が豊かだということですね。
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最後に白樺の木を撮影。
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ということで、今日の香雪園最高でした。まさに紅葉が最高潮に達しています。
後1週間くらいかな?
まもなく冬がやってきますからね。
では、また!
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11月4日金曜日、天気は晴れですが気温は10℃で太陽が出ている日中でも風が冷たく寒いくらい。それに今日は、今シーズン函館初雪だったのです。市街地は雪が舞うことはなかったけど、ニュースを見たら函館山は吹雪で近郊の1000mクラスの山々は山頂を真っ白に化粧していました。
いよいよ、冬到来です。でも、家の中は太陽が入り床暖房を付けていて暖かい。家の中と外では15℃以上の差があって、朝方は窓ガラスが結露しているから、もう冬の季節なのです。

さて、夏の旅は今回でもって終了です。
室蘭市から北西へ。伊達市を通過して壮瞥町へ。北の湖記念館へ。確か入館料は200円だっ高。、300円だったか?どちらかです。正面には壮瞥町出身の横綱北の湖関の像。
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で、入館しようと思う前に横を見たら、思わぬ看板を発見!それは何かというと。
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1986年11月1日に廃止された国鉄時代の胆振線の駅板でした。開業は1919年だったから、67年の鉄道の歴史があったのです。
胆振線は室蘭本線の伊達市伊達紋別(だてもんべつ)駅から壮瞥町・旧大滝村・喜茂別(きもべつ)町・京極(きょうごく)町を経て函館本線の倶知安(くっちゃん)町倶知安駅までの83㎞、駅数21、すべて単線非電化のローカル線でした。
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町内には「壮瞥駅」の他「久保内(くぼない)駅」、「蟠渓(ばんけい)駅」の3つの駅があったのです。
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町内の名所は、有珠山、昭和新山、洞爺湖(カルデラ湖)と火山に関係するものですね。だから温泉も豊富で数か所の温泉地があります。
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これは今まで気が付かなかったので、うれしかったのです。以前に何回も胆振線跡を訪ね歩いたりしましたが、なかなか駅表示板がなかったり、廃止後36年も経つと跡地すら消えてしまっていますからね。
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北の湖、1953年(昭和28年)5月16日生まれ、2015年(平成27年)11月20日逝去、62歳の短い生涯でしたが、55代目の横綱、生涯戦績は951勝247敗107休、幕内優勝は24回もありました。
意外と大きくはなく身長は179㎝、体重は170㎏。背の高さは180㎝なかったんですね。
引退後は、第9代と12代の日本相撲協会の理事長をしていました。
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現役時代は「北の怪童」と呼ばれてスピード出世し、「大相撲の申し子」とか横綱時代は「憎たらしいほど強い横綱」と云われていたのです。
壮瞥時代は中学1年までですがスポーツ万能で、野球・水泳・スキーなどトップクラスの力を発揮していたといいます。子供の時から相撲部屋に勧誘されて、13歳で上京して墨田区立両国中学校へ転校しています。中学卒業時には、15歳で幕下まで出世したというから、今では考えられないほど強かったのでしょうね。
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郷土の英雄 北の湖に関するものが大半で、残りのスペースは郷土史に関すること。
下は開拓時代の簡素な家。
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鉄道関係では、この「さよなら胆振線」がほんの少し。
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 ということで、この日は壮瞥町の道の駅で車中泊し、翌朝自宅へ帰ったのでした。
5月、6月、7月と北海道巡りの旅をしましたが、北海道は広い!1月かけても全部は周り切れないし、じっくりと旅するなら数か月あっても、それに四季それぞれに面白いから何度も旅するのです。
旅は2度目が面白い!とか3度目の旅でも4度目の旅でもそれぞれ違った表情を見せてくれるので、それがまた旅の楽しさでもあります。同じ場所でも、2度と同じ場面何てない!行くたびごとに表情が違うのです。
だから、旅何度もするのでしょう。
次回からは、10月に旅した「秋の旅」東北編を紹介します。
では、また!
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11月3日木曜日、今日は文化の日の祝日ですが、天気は悪く朝から雨。雨は午後になっても降り続いていて気温も低い。稚内では初雪が降ったし、札幌近郊の中山峠は10㎝程の積雪もありました。
ニュースを見れば、北海道以外は晴天で、祝日だから行楽地は大賑わい。日光の中禅寺湖やいろは坂は渋滞が起きていたとか。

もっとも函館でも観光客は大入りで、我が家から見えるホテルは連日満員みたい。たくさんお金を落としていって欲しいけど、実はそのお金って税金なんですよね。今回も政府の支援金があって、さらに地元自治体のクーポンまで付くから、実質ゼロ円で旅行が出来る!なんて、おかしいんじゃないか、と思うのですが。後からツケが回ってくるけど、それは果たしてどんな形で来るのか?考えれば恐ろしい気がしますが。

さて、ここは室蘭市の測量山(199.6m)。ここからの工場夜景がキレイなんです。
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室蘭市の絵鞆(えとも)半島の外側、つまり太平洋側は険しい断崖絶壁の海岸線でしたが、半島の北側、つまり室蘭湾は埋立地になっていて、多くの工場群が見えています。
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こちらは測量山から見て西側の市街地。道の駅「みたら室蘭」と隣の温泉「むろらん温泉ゆらら」がある方向(右端の方です)。
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海抜は200m弱。あと37㎝で200mなんですが。測量山の名は、1872年(明治5年)お雇い外国人のにアメリカ人ワーフィルドがこの山から見当をつけたことから、最初は「見当山」となり、後に測量山になったそうですね。
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三角の山の向こうに白鳥大橋が見えています。左に大黒島の島も見えていますね。
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市街地を見ます。人口は最近では8万人を切っているとか。最盛期は18万人を数えていたから、半分以下に落ち込んでいます。
前回紹介した地球岬は右側の山々の裏側の断崖です。
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日本製鉄始め、多くの重工業の工場がありますが、景気は良くなさそう。かつては新日鉄で野球部が全国大会に出場していました。最近は、会社は資金を出さず野球部はクラブチームになっていて残念です。
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展望台から西を見ると、室蘭清水丘高校の校舎とグランドが見えます。
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白鳥大橋も見えていますね。風の強い日に、ここを通ると車が揺れて揺れて怖いのです。特に背の高い私の車(189㎝)は西からの強風を受けて橋から落ちるんじゃないか、とビクビクしながら運転していた記憶があります。この日はそう風がなかったから良かったですが。
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市街地をズーム。入江運動公園の陸上トラックと中にサッカー場が見えますね。
室蘭と云えば、サッカーが盛んでした。室蘭大谷高校は全国高校サッカーの常連校でした。
選手権に27回出場、1978年は準優勝。総体では1981年と1985年に準優勝しているほど強かったのです。J1北海道コンサドーレ札幌のキャプテン宮沢選手始め、多くのJリーガーも出しています。
が、生徒が集まらなくなり登別大谷高校と合併して、現在の校名は「北海道大谷室蘭高校」。
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測量山からさらに西の海岸へ。名勝ピリカノカへ。
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漁港が見えています。室蘭の漁業はそれほどないと思うけど、もっとも外海は魚が獲れる海域ではあるから、漁師さんもいますね。
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次回は、いよいよ「夏の旅」の最終回。この日宿泊したのは、壮瞥(そうべつ)町の道の駅「そうべつ情報館 i(アイ)」で、その前に壮瞥町にある郷土資料館を兼ねた博物館「北の湖記念館」を訪れました。
そして、そこで今まで見つけることが出来なかったものを発見したのです。
それは何か?次回をお楽しみに!

では、また!
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11月2日水曜日、天気は朝から快晴で気温も日中は暖かい秋の日で、とても過ごしやすかったです。今日は自転車に乗って市内をサイクリング!それくらい気持ちの良い秋晴れの日でした。
明日は1日中雨模様で、気温も最高で10℃に達しないほど冷え込むそうです。峠は雪が降るかもしれないので冬タイヤの用意を!とニュースでは話していました。早くも今週は冬の訪れです。

さて、ここは胆振(いぶり)管内の室蘭市。場所は地球岬です。
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晴れていれば、この海の先に駒ケ岳や渡島半島が見えるのです、あいにくこの日は曇り空。それも低く垂れこめた曇天の空は今にも泣きだそうな天気で、時々小雨が降っていたほどです。
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灯台の空き地には「118」の海の110番のマークが見えます。
この空き地、昔は灯台守の人たちの家があったのです。今はほとんどが無人となっていますが、かつては灯台守の家族も住んだ家がいくつもあったのでした。
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この海では、イルカクジラが見えるし、室蘭港からはクジラ・ウォッチングのクルーズ船が出ています。
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展望台から駐車場を一望。手前の白い建物はトイレ。だからここで車中泊は可能で、夜は静かだから最適かも?ただし夜間はカップルの車の出入りがありそう~。
奥の青い屋根は売店と食堂。
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半島の南側は、ごらんのように険しい海食崖が続いています。標高は100m以上あって、崖は太平洋に波に浸食されギザギザの形をしていますね。
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こんな、ムロスタグラムなるフレームもありました。ここから発信してくれ!ということですね。
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アイヌ語で「ポロチケウェ」(親である断崖)。ここからチキュウと訛って地球岬となったのですね。
もっとも室蘭の名前もアイヌ語で「モ・ルエラニ」(小さな下り路)から来ていて、明治時代は「モロラン」だったのです。
人口は7.8万人。
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晴れてほしかった!確かに8角形の灯台です。丸くはなかった。
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1920年(大正9年)に点灯とあるから、今年で102年目。100年以上も室蘭沖の太平洋岸を航行する船に灯りを灯しているのです。
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かつてはこの地球の形をした中に電話ボックスがあったのですが、スマホが普及した今お金を入れる電話ボックスは必要ない時代なんですね。
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地球岬がある場所は、室蘭半島の南側で太平洋に面した場所です。
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少し進んでチャラツナイへ。
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これが、説明にあった「マサカリ岩」です。確かにとがった岩はマサカリみたい。
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で、次回は測量山という名の山へ向かいます。室蘭は見どころあって面白い町です。
では、また!
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36回目となった夏の旅は、ここ支笏湖からお伝えします。前日は安平町の追分にある鹿公園キャンプ場で車中泊。
この日は朝から曇り空で、標高の高い支笏湖へ来て見ると低く雲が垂れこめていて、小雨も降っていたのです。駐車場に車を置いて歩いて湖畔を散策。北の方角を見ると、いつもは右に紋別岳(865.6m)、左には恵庭岳(1320m)が見えているのに、全く見えていません。
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恵庭岳はこちらの方角ですが、山の姿は何処にも見当たらない。
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南を見ると、いつもは風不死(ふっぷし)岳(1102.4m)と樽前山(1041m)が見えているけど、やはり見えない。
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でも、良いのです。この日はこの橋を見たかったから山が見えなくても良いのです。
この真っ赤な橋の名は「山線鉄橋(やません てっきょう」。これを見に来たのです。
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そして右側の支笏から唯一流れている河川は千歳川。千歳川は千歳市の市街地を流れた後、恵庭市、北広島市の境界を北へ流れ江別市で北海道を代表する大河の石狩川へと合流し、日本海へと流れているのです。
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場所は地図を見ると分かりますが、支笏湖温泉街のホテル群がある一角の南側。散策路を歩いていくと川に出ます。
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それでは渡って見ましょう。
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こちらは渡り終えたところから撮影。橋の南側です。
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次に、中間部から撮影。
川は支笏湖をスタートしています。支笏湖へ注いでいる川は、オコタンペ川美笛川などあるが、ここから流れ出る川は千歳川のみ。
支笏湖はカルデラ湖で、巨大な火口の跡に水がたまった湖。水深は田沢湖(423m)に次ぐ2位(360m)。湖の標高は248mだから一番深いところは海よりも112mも深い。
面積は、琵琶湖、霞ケ浦、サロマ湖、猪苗代湖、中海、屈斜路湖、宍道湖に次いで8位。真冬でも凍結しない日本最北の不凍湖です。
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山線鉄橋は、もともとは1899年(明治32年)函館本線の砂川・妹背牛(もせうし)間の石狩川の支流である空知川の橋梁として建設。それはイギリス人のボーナルの設計でイギリス製の橋でした。
それを王子製紙が買い取り、1924年(大正13年)に現在の位置に移設しています。
地図を見ると、千歳川はここから千歳市へ流れるに従い、王子製紙第1発電所、第2発電所と5つの発電所を構えていて、千歳川の流れを利用した水力発電所で電気を造り、その力で支笏湖・苫小牧市間を王子軽便鉄道として走らせていたのです。
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1899年の印がありますね。
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でも、この鉄道1951年昭和26年には廃止となっています。

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この下の写真、右が北の方角で、南は左。上が西で下が東。だから今いる場所は支笏湖でもっとも東にいるわけです。苫小牧市は支笏湖の南東30㎞ほどの太平洋側に位置しています。
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ということで、この山線鉄橋が見たくて支笏へ来たのでした。
この後は苫小牧市へ、さらに南西へ向かい室蘭市へと向かいました。室蘭市に関しては次回でお伝えします。
では、また!
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