函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めた車中泊中心の「ぼうけんの旅」は今年で13 年目に突入。 車中泊の貧乏旅行の旅、今年で74歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 今年2026年も「ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです! 今年も「ぼうけんの旅」をよろしくお願いいたします。

2026年が明け今年は74歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!時々は自転車を積んでの軽バン一人旅の始まりです。

2023年12月

12月3日月曜日、天気は曇り。朝方の気温はマイナス2℃と冷え込み、外に置いてあるバケツは固く氷が張るほどだったけど、日中は7℃まで上昇し冬にしたら比較的暖かい天気でした。
今週は暖かくなる予報で日中の最高気温は連日10℃以上で、9日の土曜日に至っては15℃まで上がるとのこと。日陰に少し残っていた雪も、この暖かさで全部融けることでしょう。

さて、秋の旅は山形県北部の庄内地方から最上地方へ。最上地方は北部の内陸部で、最上川の中流域から宮城県県境までです。山形県は北部は日本海側の鶴岡市・酒田市を中心とした庄内地方、北部内陸部の新庄市と中心とする最上地方、内陸部中央の県都山形市のある村山地方、南部米沢市を中心とした置賜(おきたま)地方と4つに分かれています。
で、ここは戸沢村の道の駅「とざわ」にいます。最上川が目の前で蛇行していますね。
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庄内町から、JR東日本の現在運休中の陸羽西線と並行して走る国道47号線を東へ。いずれも最上川の上流へと進む鉄路と道路で、ここ道の駅辺りは河口からおよそ50㎞地点でしょうか?
遠くの山々は、秋田県との境付近の奥羽山脈の麓に当たる低山です。
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高麗館の名の道の駅の売店がある建物。ここは韓国とのつながりがあるのかな?
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それは1990年というから今から33年前の話です。韓国ソウル生まれの27歳の女性が、戸沢村で日本人男性と結婚しました。初めは外国人珍しさからイジメもあったとか。彼女は娘も生まれ学校へ通うようになると「村で暮らすために村人を知らないと!」と考えて、思いついたのが得意料理の「キムチ教室」でした。
以来キムチ文化が村に根付き「戸沢流キムチ」は名物となっていきます。7年後の1997年には韓国文化を楽しめる「道の駅とざわ モモカミの里 高麗館」が完成したのでした。
まさにキムチがつないだ日韓交流です。
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モモカミとは?アイヌ語で崖の意味がある「モモ」と盆地の意味がある「カミ」を組み合わせて名付けられたとか。「最上地方という響きも持たせているとか。
戸沢村には韓国人妻が多く居住していることから、彼女たちが作る「戸沢流キムチ」の縁で、韓国風の建物となったそうです。
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道理で韓国風の料理がいくつも並んでいて、建物すべてが韓国風であることが分かりました。
ネットで検索してしたら、中には「気持ち悪い」などど差別するかのようなコメントもありましたが、自分としては数年前にここで車中泊したこともあるし、30年以上前に釜山を旅した時に多くの韓国人と話し、助けてもらったこともあったので、違和感は全くなかったしエンジョイ出来た旅でしたので韓国の人に対しては何ら嫌いといった気持ちはありません。
政治の世界やサッカー、野球などのスポーツでは日本と韓国は時々対立や反感を持つときがありますが、一人一人は同じ人間で仲良く出来るのです!世界中の人々が仲良く生きなくては!平和が一番です!平和だからこそ旅が出来るのです!

この日はここでランチタイム。料理はもちろん観光風のランチ。その後は、鮭川村の羽根沢温泉で共同浴場に入り、夕方に真室川町から国道344号線を走り三度の車中泊となる遊佐町吹浦の「あぽん西浜」の駐車場で寝たのでした。

写真にはありませんが、鮭川村の羽根沢温泉は素晴らしかった!何が良いのかというと、共同浴場は300円で湯船も小さいが、ぬるっとした肌さわりでPH9近いアルカリ性の美人湯。湯から上がった時は肌全体にローションでも塗ったかのような肌さわり。
今まで入った温泉の中でも飛び切りずば抜けた存在でした。ここお勧めです!

最後に鮭川村の一番の景観を紹介します。これ、まさに「トトロの森」ですよね。
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場所は、鮭川村小杉で、「小杉の大杉」と呼ばれている地です。羽根沢温泉の近く。

では、また明日お会いしましょう!


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12月1日金曜日、天気は晴れ。
いよいよ2023年もあと1か月となりました。外は雪で真っ白の真冬の風景となり、今年はホワイトクリスマスを迎えることが出来そうかな?今日からは函館西部地区の赤レンガ倉庫群を一体としたエリアでは、「クリスマス・ファンタージー」が25日まで開催され、多くの観光客を受け入れています。
今年はインバウンドも多く来ていて、私が住む湯川温泉エリアでもアジア系の人々が多く歩いていて、コロナでしばらく来れなかった外国人観光客が大勢やって来ていることが実感できます。

さて、ここは山形県庄内地方の庄内町清川。清川関所跡地で、関所の復元施設の中の資料館を見学しています。
松尾芭蕉が「奥の細道」の中の出羽路の旅で歩いたコースが紹介されていますね。
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清河の大庄屋だった斎藤家の屋敷をミニ復元していますが、ここから出たのが後で紹介する幕末の「曹草莽の志士」である清河八郎でした。
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義経もここを通っているんですね。
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日本海の大名たち(鶴岡の庄内藩や秋田の佐竹藩、亀田藩、津軽の弘前藩など)の参勤交代は、清川から船で最上川を遡り新庄へ。そこから歩いて羽州街道→奥州街道を経て江戸へと向かったのです。
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関所跡のとなりは元清川小学校のグランドと体育館。校門の代わりに関所の門があります。
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少子化でどんどん子供が少なくなっている今、学校はどんどん廃校となりさみしい限りです。この先の日本はどうなっていくのだろうか?
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歩いて数分で、とある神社前へ。ここが清川神社で、となりは清河八郎記念館。
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神社の本殿で、昨日最後に紹介した建物です。
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清川で生まれた斎藤元司は、出身地清川の川よりも大きな人物になると河を選び、清河八郎と名乗ったのです。
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白い鳥居の横に像があります。
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記念館に入る前に周辺を散策します。
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戊辰戦争時、川の向こう側に見える腹巻山に庄内藩が陣地を置いて新政府軍と戦い勝利を挙げたのです。でも、最後は敗北し鶴岡の鶴ヶ岡城は廃城となってしまいます。それでも新政府軍のリーダー西郷隆盛の計らいで庄内藩は潰されず、藩士たちは「刀を鍬に替えて」原野だった松ケ岡を開墾した話は前々回にお伝えしましたね。
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それでは入館します。入館料は500円。
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1860年「桜田門外の変」で大老の井伊直弼が暗殺された時代、31歳だった清河八郎は尊王攘夷を主張して「虎尾の会」を、直参旗本の山岡鉄舟ら17名で結成します。国を守るためなら虎の尾も踏む危険を恐れない、という意味で名付けたといいます。が、清河八郎は人斬り事件を起こし、逃亡生活が始まり虎尾の会は解体されてしまいます。
1863年、京都の新徳寺に200名以上の浪士たちが集まり「浪士組」を結成しますが、清河八郎は天皇のために立ち上がるのだ!と叫ぶが、一方で幕府を守る近藤勇・土方歳三らは分裂して「新選組」を結成します。
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清河八郎らは江戸に戻り、300人余りとなった浪士組は攘夷を決行しようとしたが、その2日前に彼は暗殺されてしまったのです。34歳の人生でした。
浪士組の一部は、江戸の治安部隊となる「新徴組」と名を変えたのでした。
右から山岡鉄舟、清河八郎、日の丸と新選組の旗、土方歳三、左に近藤勇。
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 ウーン勉強になりました。幕末はいろんなことがあって複雑怪奇ですが、調べれば調べるほど面白い!資料もたくさんいただき今も学習中で、来年以降の「ぼうけんの旅」でも幕末の歴史の跡を辿りたいな!と思っているのです。
ここ清川は偶然立ち寄った地で、清河八郎の名は知っていたが詳しくは知らず。幕末の歴史の1ページを飾った34年間の男の人生を知ったのでした。
旅は学びの一つでもあって、だから旅を続けているのもあります。

では、また明日お会いしましょう!

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