函館発  ぼうけんの旅

旅が大好き!2013年4月から始めた車中泊中心の「ぼうけんの旅」は今年で13 年目に突入。 車中泊の貧乏旅行の旅、今年で74歳を迎えいつまで続けれるのか?今のところ体力・気力はバッチリ。 今年2026年も「ぼうけんの旅」は4月「春の旅」からスタートです! 今年も「ぼうけんの旅」をよろしくお願いいたします。

2026年が明け今年は74歳を迎えて、体力的には厳しくなってきている車中泊の旅。いつまで出来るのか?まずは75歳を過ぎるまでは続けていきたい!と。未知の地を訪ねて、行くぞ!時々は自転車を積んでの軽バン一人旅の始まりです。

2024年03月

3月29日金曜日、天気は午前中は雨で夕方からは晴れ。今日からプロ野球がスタート。8時30分の段階では我が北海道日本ハムファイターズは函館近郊の地元鹿部町出身の伊藤大海投手が快投して6回表で4−0でリードしています。ここまま行ってもらえれば大変うれしいのですが・・・。

さて、ここには湯倉神社の「なでうさぎ」の由来が説明されています。
2014年(平成26年)、創建360年を記念して設置したもので、拝殿にて参拝後にここで願い事を祈りながらウサギさんの体を撫でて、神様からのご加護をいただきましょう!と始めたそうです。
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石像のウサギさんはそれほどの可愛さはあまりなく、どちらかというとウルトラマンと戦う怪獣のような人相と形ですが。説明板を読んでみると、
神話の因幡の白兎において、過ちを犯した体に傷を負ったウサギが大神様のご自愛を受け、健やかな体に蘇り悪しき心をも改心されたと伝えられており、以来、吉報を伝える目出度い「神獣」とされているとか。」
通りで、可愛いウサギさんよりも神様からの獣神という顔立ちだったのでした。
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ウサギのガチャポンもありますよ。どんなウサギさんが出てくるのか?はお楽しみ。
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社務所の前では、いろんなお土産も販売してて、地元の人達だけではなく、観光客も来ていて楽しそう。
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本殿の隣には日吉神社もあります。
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日吉神社の由来。
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北海道弁のえぞおみくじ」なるものも。右の真っ黒な長い髪の女性は一つ手にしましたね。何が書いてあるのかな?
「なまら うめぇこと あるべぇ!」と書いてあるかも?
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うさぎおみくじ守り」なるものの。
とにかく、ここはウサギさんが売りなんですね!
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おみくじがたくさん吊るされていました。時節柄、受験のシーズンだったから「合格祈願」が多かったことでしょう。
まさか、一つ一つ読んで調べるわけには行かないですからね。
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手水舎の水はさすがに冷たい。日陰にはまだ雪が残っっていますからね。
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湯倉神社境内全体を表す図です。1回目には朱色の大きな鳥居を紹介していました。
右の舞台の前の広場は、小グランドみたいで今年秋9月7日〜9日までの例大祭には道南プロレスのプロレス大会が開催されるとか?との噂もあります。たくさんのプロレスファンが集まると嬉しいですね。
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下に降りてくると、「湯の川温泉発祥の地碑」の説明板があります。箱館戦争で傷ついた兵士たちがここで湯治して治した歴史もあるし、古くは松前藩の殿様が湯治のために滞在した記録も残っています。
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湯倉の大銀杏」なる銀杏の木が左側に見えています。
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さすがに大きい!といっても、3月だと葉っぱは既になく、銀杏もおちていません。秋のシーズンだと真っ黄色に染まる銀杏の葉っぱが見れることでしょう。
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ということで、湯倉神社の紹介は第3回目で終了。4月からは、函館のまだ知られていない地を紹介して行きたい!と考えていますので、以後も期待して頂ければうれしいです。

では、また次回にお会いしましょう。

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3月24日日曜日、天気は今朝も上天気で気温も時間とともに上昇し、最高気温は11℃。でも、午後からは風も出て来て、外を歩く分には少し肌寒い日でしたが、真冬の寒さとは違いアウトドアの季節に一歩でも近づいたな!と感じ入る日でした。

さて、3月21日の函館大火から90年の日の第3回目の特集です。
ここは左側が広場になっていますが、実は昔は函館刑務所汐見支所があった地です。
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支所というくらいだから、本所は函館市の東側にある日ノ出町にあったのですが、ここにも置かれていたということは、それだけ刑事犯罪が多かったということでしょうか?幕末から明治時代、さらには大正時代にかけて函館は東京以北最大の町として大いに賑わっていました。本州から「一旗揚げたい」
一心で故郷を離れて、北の地へやって来た人も多かったはず。その中には、失敗して犯罪に手を染めた人もいたのかもしれません。

もっとも自分が覚えているのは、子供の頃の話ですが、ここには裁判所関係の宿舎が建っていたこと。裁判官や裁判所の関係者の宿舎の建物が何か所もあったのですが、いつのころからか更地になっていて寂しい限りです。
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奥に見える学校は、旧潮見中学校。現在は周辺の中学校と統廃合されて青柳中学校と名を変えています。子供の数も少なくなって来て、私が中学生の頃は西部地区には潮見中学校、船見中学校、愛宕中学校(この2校は後に西中学校へ、やがて廃校しそして現在は青柳中学校へ)、さらには少し離れた地には新川中学校(後の宇賀の浦中学校)があり、小学校に至っては、谷地頭小学校(既に廃校)、青柳小学校、弥生小学校、幸小学校、常盤小学校(この2校も西小学校となり、さらに弥生小学校へ統廃合)。

現在、西部地区には青柳小学校と弥生小学校。青柳は弥生と合併の話があり廃校される可能性もあります。中学校には至っては、旧潮見中学の現在青柳中学校のみで、広い学区から遠距離通学している子供もいるのです。
高校は、昔からある函館西高校。以前は女子学校でした。
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案内人の中尾さんが面白い話をしてくれました。大火で刑務所から犯罪者を絶対戻ってくることを条件に一時放免したそうです。
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その時の記事を説明しています。ほとんどの罪人は戻って来て、たった一人だけが帰らず。しかし、その彼もいずれ逮捕されたそうです。
これって、ラテンアメリカのハイチとかブラジルとかベネズエラあたりだと、大火直後から暴動が起きて全員脱走して一人も戻らない悲惨な状況になるのでは?と心配します。安全な国の日本で生まれて良かったな!と感心した次第です。
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参加者の中には、何と!函館市長の大泉潤さんが来ておりました。グリーンのダウンのとなりの黒いコートを着た方が市長さんです。
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ご存じ、超有名俳優にして歌手の大泉洋さんのお兄さんです。長いこと函館市職員として働き、昨年の選挙で圧倒的多数で当選。多くの函館市民から支持されて今に至ります。このように私のような一市民にも気さくにカメラに収めてくれるなんてうれしいです!
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世の中には、政治家ぶって「税金は俺のものだ!」みたいな使い方をしている人もいるし、庶民は10円でも節税しようとして税務署へ行ったり、スマホと格闘したりしていますが、中には何十億も脱税して平気な顔をしている政治家も見ます。酷いのは政治家のパーティーで猥褻なことをしても平気な連中もいるのは呆れるばかりです。
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伸長も高く、まだ若い市長さん。1年、2年とすぎに結果を求めずに、長い目で見て市政を担当して市民のために函館を良くしてくれたら、残りの時間が少なくなった自分にとっては安心して暮らせます。
今後とも、函館市のために頑張って働いてくれることを祈ります。
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旧丸井百貨店の前にやって来ました。ここも火災に遭ったのでしょうか?良く説明を聞いていなかったので分かりませんでしたが、ここも東京以北では最大のデパートで、当時としては非常に珍しい蛇腹のエレベーターまで残っているのです。
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丸井百貨店(旧丸井今井呉服店函館支店)は、今は商店街の移動に伴い五稜郭地区へ移転して、今は「函館市まちづくりセンター」として市民のサービスに努めている移設になっていて、これまた市民にとっては利用価値のある建物になっています。
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真ん中で熱心に説明する中尾仁彦さんは、81歳の後期高齢者にも関わらず、健脚で10㎞近いコースを平気で歩くし大きな声で説明してくれていて、函館の歴史を知るには最高の方です。いつも参加したいのですが、コロナ以降は30名限定で、今回に限って参加自由になったの私も歩けてとても良い休日になったのでした。
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中央に緑地帯・グリーンベルトがあるのは、大火を意識して家々が密集しないようにとの考え。市内あちこちに緑地帯があるのはそのためです。
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さすがに、春ともなれば木々を伐採して育ちを良くしよう!として作業しているのでしょうね。
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最後にグリーンベルトの奥にあるのが、本願寺函館別院、通称西別院です。
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おそらく、ここでも多くの方が葬られたのでしょうね。
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今回は、この他に函館公園、NHK函館放送局、二十間坂、銀座通り、西川長望楼、電話曲分室、東川広路、東川護岸、大森遊郭、大森稲荷神社、大森橋、最後に函館市慰霊堂を巡るという盛りだくさんのコースでしたが、私たち夫婦は途中で断念。残念ながら、最後まで説明を聞くことは出来ませんでした。

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それにしても、90年年前の1934年、昭和9年3月21日、函館市の3分の1を焼き尽くし、24,000個を焼失。
死者・行方不明者2800人と未曽有の被害を出した函館大火のことを少しでも知ったことは、自分にとって大いに勉強になったのでした。

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昨日の説明で不足していた点がありましたので、付け足すことにします。
ここは現在青柳小学校ですが、実は大火後の1934年以降に建てられたものです。建築士をしていた小南(こみなみ)武一氏が手掛けて、鉄筋コンクリート造りの校舎を、「コ」の」字形に置いて防火壁とし、公邸への避難者を吹きさらしから守る工夫だったそうです。これは、3月22日北海道新聞の朝刊「卓上四季」から引用しました。
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確かに函館山をバックに「コ」の字になっている校舎です。真ん中にグランドがあって、大勢の人たちが集まれるような広場になっていますね。一夜のうちに死者は2200人近くに達し、高さ100mを超える火柱が立ち、その赤く染まる様子は津軽海峡を挟む下北半島からも目撃されたといいます。
今なら夜景がきれいだな!と思う光景も当時は町全体が空襲にでも会ったかのように焼け野原になったのですから。
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北海道新聞朝刊3月22日「道南」には当時9歳だった99歳のおじいさんのお話が聞けました。
「火事だから逃げろ!と父に促されましたが、当時は高盛町から日ノ出町の周辺の海岸は砂山には建物がないので安全だと考えたのでしょう。」
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「不思議なことに、通りで人の姿をあまり見かけませんでした。新川(亀田川)の橋が落ち対岸から避難出来なくなっていたかもしれません。
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「砂山で一晩過ごし、翌朝、川では死体の引き上げ作業をしていました。焼け焦げた真っ黒い死体と、溺死した白い死体が、馬車に山のように積まれていく光景は忘れられません。」
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ポケモンのマンホールがあったけど、この日には相応しくないような絵です。
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旧函館図書館へやって来ました。
これも北海道新聞朝刊2024年3月21日の記事からですが、
「木造家屋が密集していた函館では明治以降、大火は28回発生した。最大の被害となったのは1934年(昭和9年)3月21日の大火は当時の函館市の3分の1を焼き尽くした。函館市住吉町の民家から出火し、最大瞬間風速39mの強風で延焼。鎮火するまで12時間、長さ4㎞、幅1㎞の区域が燃えたのでした。」
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図書館の上にはシーサー守護神のように守ってくれています。
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スズランの花も静かに守ってくれているかのようです。
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「死亡した2166人の死因は、橋の崩壊などによる溺死917名、焼死748名など。2318名が重傷を負ったのです。」
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いまでこそ、大火に備えてグリーンベルトが設けられて、広い緑地地があるほか、小学校は鉄筋コンクリート造りへと建て替えらえれていますが、決して90年前の世界史上最大ともいえる函館大火を決して忘れてはいけないと思います。
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次回も3回目となる函館大火を特集していきたいと思います。

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3月21日木曜日、天気は晴れですが風は冷たく、まだ春の季節にはなっていないのが現状の函館です。
さて、今日は今から90年前のことをお話しします。もちろん、自分は生まれてなく母からも少しだけ聞いただけですが、それは1934年、昭和9年の3月21日の史上最大級とも云われる函館大火のことです。

箱館歴史散歩の会」を主宰する中尾仁彦(なかお とよひこ)さんが案内人となって、今回は誰でも参加出来る催しとなって、とてもうれしく、私たち夫婦もそろって参加することにしました。
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市電終点の「谷地頭電停」まえのコンビニエンスストア「ローソン」の前に集合。10分ほど前に到着したものの既に100名近くの方が集まっていました。きっと、函館大火に関しても関心の高さ多くの方をひきつけたのでしょうね。
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ここが出火元らしいです。もっとも、90年前と今ではまったく風景は変わり周辺には新築住宅が立ち並び、当時のことなど想像も出来ません。
歩くコースは、住吉町の出火元を見た後、池之端温泉、谷地頭電停、谷地頭グランド、住吉小学校などを歩く予定です。
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強風が吹き荒れて、消防署も八方手を尽くしたのですが、火の勢いが強力で風も一方的でなくグルグルと旋回して市街地を総なめにしていったのでした。
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函館市街地のおよそ3分の1を焼き尽くし、実に24000戸を焼失死者・行方不明者の総数は2800人を超えるという未曽有の大被害を出したのです。
その3月21日の函館大火は、1日の大火としては「世界史に名を残すほどの大惨事だったのです。
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左側に黄色の消火栓が見えていますね。これって、自分が各地を旅してあちこちで消火栓を撮影してますが、黄色でしかも3つも口があるのは函館だけだと思います。もし間違っていたらごめんなさい。
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当日は各放送・新聞社などメディアも集まり撮影していましたが、紺の黄色く塗られた消火栓は非常に珍しいとのことです。まずは、雪に埋もれても、黄色だとすぐに雪かきすると発見されやすい。
それと左右と手前に3つの取水口があって、すぐに3か所から放水出来るからです。普通は1つだけの取水口で、しかも消火栓の色は赤が多いけど、赤は日の光で茶色になって色や消してしまうので、目立ちにくい。
それに比べると、毎年のように、黄色くい色塗りする作業をする函館の消火栓は長持ちできるのです。
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こちらは現在の青柳小学校。戦前からある建物ですが、かつては住吉小学校だったそうです。
でも、まもなく近隣の小学校と統合されて亡くなるかも知れないのです。これも少子化の影響です。
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3建ての立派な建物に見えますが、耐震構造をして耐えられるようになっている小学校で、大火の時はここが避難場所にもなったそうです。でも、当時は大事なもの、今では携帯電話・通帳・印鑑・保険通帳などを持参しますが、当時は大八車に布団や箪笥など家財道具一式を乗せて、このグランドに大勢の人が集まって人混みでいっぱいだったといいます。今とはまったく違った光景が繰り広げられていたのです。そういえば1923年(大正12年)の映像を見えても、上野公園に大きな荷物を積んだ大八車で身動きが取れなくなていた光景がありましたね。
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こちらは現在こどもたちが学んでいる校舎でしょう。南側に面していて、とても明るく学びやすい校舎です。校舎の角からは函館山の山頂が見えていますね。
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こちらは戦前からある建物で、如何にも古めかしい。壁も色あせていて、時計の針も動いているのでしょうか?
それとも空襲から避けるために、わざと黒っぽい汚いい色にしたのでしょうか?
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 次回も、函館大火について特集いたします。
昭和9年の大火によって、北海道の1番だった町は、札幌市に抜かれます。函館から避難していった方や北海道の中心地である札幌に魅力を感じて移住していった人々もいて、函館は北海道で2番目の人口の町となったのです。

それでも、大火で傷心している函館を助けようと、何とアメリカのメジャーリーガーがやって来たのです。それは、今の湯川中学校グランドの「函館湯川球場跡地」で、メジャーリーグ代表にはあのホームラン王のベーブルース(一塁手)、4番はライトの守備をするルーゲーリックらの主力メンバー。対する戦前は都市対抗野球の常連だった函館大洋倶楽部(函館オーシャン)。1934年11月8日に行われた試合は、アメリカ5-2日本で、日本は敗退しましたが、市民を大い勇気付けられたと記録を残っていいます。


では、また次回お会いしましょう!

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3月20日水曜日、天気は晴れで最高気温は4℃ほどで風が冷たい1日でした。
明日21日は1934年昭和9年の函館大火の日で、明日で90周年という節目を迎えます。それで、今日の祝日に「函館ぶら探訪」という企画があって、「函館大火90周年特別開催 悲惨な記憶語り継ぐ 昭和9年大火巡り」に参加してまいりました。そのことについては、後日詳しく特集いたしますので、その時までしばらくお待ち頂ければ幸いです。

さて、湯倉神社の第2回目です。
ここは社務所ですね。若い巫女さんが売店で忙しくたちまわっています。賑やかなことは良いことです、
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こちらは御神木。銀杏の木でしょうか?周囲には銀杏がたくさん落ちていたから、そう思ったのですが、間違っていたらごめんなさい。それとも松の木かなん?木の種類が本当に申し訳ございません。
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色い壁にガラス窓があって、なにやらお神輿が収納されているようです。
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こちらは本殿。多くの参拝者がお参りする場所です。自分もお賽銭を入れて、家族と自分の健康を祈りました。それとウクライナとガザの子ども達が安全に平和に暮らせるようにと!戦争は止めて!と。
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となりにあるのもお神輿でしょうか?
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オープンになっているので中を除くと、立派なお神輿です。いくつものお神輿が行列に並んで行進するのでしょうね。
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その奥には千本鳥居ならぬ、20本以上の朱色の鳥居があって、これは見事です!
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ユックリト歩いていくと、その先には「稲荷大明神」の幟が何本もあって、ここでもお参り。
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裏を降る帰ると、本堂の奥の院があります。ここは禁制の地。普段は立ち入れない区域ですので、ご神職さんたちが特別な日に入ることが許されるでしょう。
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一旦、本堂側に出ると、珍しいものを発見!
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それは「なでウサギ」でした。痛いところやさすって欲しい場所を撫でる、治るとか?
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詳しくは、こちらを拡大して御覧ください。きっとご利益があるかも?
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「なでウサギ」の由来を読んで、頭や腰を易しく撫でると、今まで傷んでいた身体も良くなることもあるでしょう。
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信じるものは救われる!日本にはたくさんの神社・仏閣・教会があって、中には怪しげなものもあるけど、古くから進行されてきた信頼おける組織は大丈夫でしょう。

次回は、湯倉神社の第3回目をお伝えして最終回にします。
その後に、函館大火について詳しく正気していきます。

では、また次回にお会いしましょう。

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昨日の3月16日土曜日、我が家から歩くこと10数分の地にある地元の神社である湯倉(ゆくら)神社へと足を運びました。
子供の頃は毎日の通学路で、小さな子供の足だから毎朝30分以上もかけて、しかも寄り道をしながら通学していたもので、その途中にあるのがここの神社でした。
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20段以上もの階段を登ると朱色の大鳥居があって、左右に狛犬が鎮座しています。
こちらは向かって右側。神社側から見れば左側です。
若い女性の参拝客が目に付きました。
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一方、こちらは左側にある狛犬。犬というより、獅子の怖い顔つき。
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本殿の前には、「土方歳三」のモニュメント。箱館戦争では、ここ湯川温泉で傷を治すために湯治をしていたのは歴史上の事実で、「蝦夷共和国」総統の榎本武揚もまた、さらには旧幕府軍の同志たちも同じ湯船に使って傷を治していたです。
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市電通りを見下ろす少し高台にある地に東屋があって、一休みできます。
参拝者休憩場「常若の杜」と書かれていますが、意味は何だろう?
常に若い気持ちで!ということでしょうか?
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そこから見る風景。左端に市電の終点「終点  湯の川温泉」があります。
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境内には、いろいろな石碑があって例えばこちらは昆布が採れたお陰は、地元の有力者である坂田氏を祀る石碑でしょうか。
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こちらも、そうみたい。字体が古くて霞んでいて読みにくく、しかも昔の字体だから今の自分には判読不可能です。
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地面には、ものすごい銀杏が落ちていました。1個1個拾い皮を剥くと中から銀杏が出てくるのです。これって、今は湿っていて食べれないけど、新鮮だとご飯の中に入れて食べれそう?
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戦争で亡くなっった戦没者のお名前が書かれていてえ、となりには忠魂碑がありました。
もう二度と戦争はしないで欲しい!ウクライナやガザを見てると、いつも犠牲になるの弱者の子供や高齢者、女性たち。
何よりも平和が一番です。
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奥はステージで、9月の例大祭には歌や踊りなど様々なショーが開催されます。このくらいのスペースがあるとプロレスも出来そうかな?真ん中にリングを設置して周囲を100席くらいの椅子を置けば、立派な興行が出来そうです。
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でも、9月の例大祭はいつも雨降りとか。
今年は晴れて欲しいです!

まだまだ先ですが、ハレの日を祈ります。湯倉神社は、また次回に続きます。

では、また次回にお会いしましょう。
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3月16日土曜日、天気は快晴で気温は太陽が出ている部分では5℃以上もありそうで、外を歩く分には暖かい晩冬の1日です。本来なら早春の1日と書きたいのですが、北国の北海道では3月中旬はまだまだ冬の季節で、南端の函館でも冬の終わり頃かな?という感じです。
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それでも、庭には真っ先に春と告げる花の福寿草がすこしだけだけど、黄色の花を咲かせていてうれしい!
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花びらを開き、雄蕊と雌蕊がはっきりと分かります。もっと暖かくなると、茎も伸びて大きくなるのです。
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フキノトウも雪の中ら顔を出してきて、頭を出し始めています。もっと大きくなると葉っぱが開き、50cm以上にも伸び切ってしまうのですが、その前の小さな蕾のうちに天ぷらにすると美味しい!早くフキノトウの天ぷらが食べたいな!
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クリスマスローズの花も雪の中から花びらをみせています。
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春一番の花とも云われていて、雪の中でも育つのですから、偉い!
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よーく見たら、スイセンの茎もほんのちょっとだけでも、恥しそうに顔を見せています。
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あと一ヶ月も過ぎれば、大輪をひらくことでしょう、それが楽しみでもあります。

実は、4月の旅予定していたのですが、病気のために断念しました。
少し時間がかかりそうで、それが5月になるか6月になるか、はたまた夏以降になるかは分かりませんが、しばらくは地元を離れることが出来ません。
当分の間は、函館市内周辺を散策して案内できるくらいでしょう。
旅のブログを楽しみにしていただいた方には申し訳ありませんが、ご勘弁して下さい。
病気は長引きそうで、春の季節はリハビリに当てる予定です。
もうしばらく旅のブログはないので、その分はまだ見ぬ地元愛を紹介して行きたいと!

では、また次回にお会いしましょう。


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