7月31日水曜日、天気は曇りで最高気温は27℃くらいか?海からの風が吹いていて涼しい天候です。何度も書いていますが、本州の猛暑日と比べるとこちらの夏は30℃を超えた日もあるけど、体温よりも高い気温なんて想像もつかないです。暑いことは確かだけど、夜は窓を開けて快適に寝れるし日中はエアコンなしでも風が爽やかで気持ちの良い夏を過ごしています。明日からは8月です!
さて、胆沢城跡を見学後は北上市の総合運動公園キャンプ場で車中泊。ありがたいことに無料のキャンプ場で助かりました。
翌5月25日は秋田県大仙市へ。花火で有名な大曲市は周辺町村と合併して、地域名の大仙市へ。郊外の美郷(みさと)町との境界付近にある払田の柵跡(ほったのさくあと)を見学したかったから。
ここは城跡を見学する前に学習する資料室。無料で鑑賞出来て、映画も見れたから事前勉強には最適な建物です。

ここは平安時代、古代の城跡。昨日見学した岩手県奥州市の胆沢城と同じく、東北地方で平和に暮らしていた蝦夷(えみし)たち(もっとも、蝦夷と呼ばれる人たちは侵略した大和朝廷側の言葉で、実際に定住していた人々だから先住民と呼んだ方が正しい)を支配して領土拡大をするために最前線基地だあったのです。

外郭は広く、東西1370m、南北780mもありその面積は87.8haもあり、東北地方最大級の城柵遺跡となっています。中央奥に正門があり、右側に先ほどの資料館が見えています。

米どころの秋田県横手盆地の最北端に当たり、周囲は田園地帯。米作りが盛んな地で、田植えを終えて稲が少しずつ育っていた時期に訪れたのです。下の木造建築物は米倉庫で後から近くに寄って撮影しています。

平安時代初期の頃の1200年前のこと。大和朝廷は国家の領土拡大のために東北地方に進出して次々と先住民を統治して支配。さらに北へとここ秋田県までやって来たのです。
翌日は最北端の城跡の秋田城跡へと足を進めますが、ここもじっくりと見たかった地です。
小高い丘の上に築かれた役所と軍事基地が置かれていました。

北側を見ると、ここには北門があったらしい。とにかく広くて歩くのもしんどい。この日は暖かくて太陽の下では25℃を超えて春よりも初夏のような天候だったのです。

とても下へ降りて行って看板を読む気にはなれず、断念。88ヘクタールもあるような広大な敷地ではピンポイントで散策しなければ!足に来ますからね。

建築当時は、城跡の周囲を高さ3.6mの材木塀で囲み、正門に当たる南門は高さ9.7mもあったそうで、今はそれを復元しています。

丘の上にあった建築物。床を高くしているから倉庫かな?それとも身分の高い上級役人の仕事場か?

下へ降りて来て、米蔵へと。この時代は米が金の代わりで、江戸時代まで米がお金の代わりをしていたのですから。だから大和朝廷は、米どころの東北を支配したかったのでしょう。

城跡を見た後は、先ほどの向かい側にある文化財埋蔵センターを訪れます。
そこで見たものは?
では、また次回にお会いしましょう!
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さて、胆沢城跡を見学後は北上市の総合運動公園キャンプ場で車中泊。ありがたいことに無料のキャンプ場で助かりました。
翌5月25日は秋田県大仙市へ。花火で有名な大曲市は周辺町村と合併して、地域名の大仙市へ。郊外の美郷(みさと)町との境界付近にある払田の柵跡(ほったのさくあと)を見学したかったから。
ここは城跡を見学する前に学習する資料室。無料で鑑賞出来て、映画も見れたから事前勉強には最適な建物です。

ここは平安時代、古代の城跡。昨日見学した岩手県奥州市の胆沢城と同じく、東北地方で平和に暮らしていた蝦夷(えみし)たち(もっとも、蝦夷と呼ばれる人たちは侵略した大和朝廷側の言葉で、実際に定住していた人々だから先住民と呼んだ方が正しい)を支配して領土拡大をするために最前線基地だあったのです。

外郭は広く、東西1370m、南北780mもありその面積は87.8haもあり、東北地方最大級の城柵遺跡となっています。中央奥に正門があり、右側に先ほどの資料館が見えています。

米どころの秋田県横手盆地の最北端に当たり、周囲は田園地帯。米作りが盛んな地で、田植えを終えて稲が少しずつ育っていた時期に訪れたのです。下の木造建築物は米倉庫で後から近くに寄って撮影しています。

平安時代初期の頃の1200年前のこと。大和朝廷は国家の領土拡大のために東北地方に進出して次々と先住民を統治して支配。さらに北へとここ秋田県までやって来たのです。
翌日は最北端の城跡の秋田城跡へと足を進めますが、ここもじっくりと見たかった地です。
小高い丘の上に築かれた役所と軍事基地が置かれていました。

北側を見ると、ここには北門があったらしい。とにかく広くて歩くのもしんどい。この日は暖かくて太陽の下では25℃を超えて春よりも初夏のような天候だったのです。

とても下へ降りて行って看板を読む気にはなれず、断念。88ヘクタールもあるような広大な敷地ではピンポイントで散策しなければ!足に来ますからね。

建築当時は、城跡の周囲を高さ3.6mの材木塀で囲み、正門に当たる南門は高さ9.7mもあったそうで、今はそれを復元しています。

丘の上にあった建築物。床を高くしているから倉庫かな?それとも身分の高い上級役人の仕事場か?

下へ降りて来て、米蔵へと。この時代は米が金の代わりで、江戸時代まで米がお金の代わりをしていたのですから。だから大和朝廷は、米どころの東北を支配したかったのでしょう。

城跡を見た後は、先ほどの向かい側にある文化財埋蔵センターを訪れます。
そこで見たものは?
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